第一段(ある日私〜はるかに重大だった)
梶井との出会い。
 「梶井が伊豆から帰ってきましたよ」と北川が言う。しかし、私にはそれがどういう意味かわからなかった。梶井と言う人物に面会する機会を得たと言う意味なのか、梶井が来たから部屋を空けてくれという意味なのか。北川の「梶井が」には、三高出身の東大の学生や卒業生で作っている『青空』という雑誌に集まっている者が優秀で、その中心人物で、将来文壇の中心を占めるはずだという暗黙の自負があるように感じた。田舎の実業専門学校出で文学から言えば傍系の商科大学の学生である私は、東大生に対するヒガミから、それが何だと思っていた。
 そもそも私は、北川が苦手だった。物静かで上品な話ぶりだったが、近眼鏡の中の細い鋭い目や青白く膨れたような丸い大きな顔やぼうっとした態度に妙な威圧感があった。その北川がすごいという梶井に、高等学校型の豪傑ふうの文士をイメージしていた。
第二段(にもかかわらず〜寛大さと言うべきものであった)
梶井という人物。
 しかし、私が会った梶井は、真っ黒く日に焼けた、醜いといっていいぐらい膨れ上がった顔の、大きな身体の、胸の張った青年であった。重い肺病で伊豆に転地して日光浴をしていたらしい。梶井は、真っ黒い顔をほころばし、白い歯を見せて笑い、ほとんど曇りの見えない快活さで話した。
 若い詩人や文学青年に共通する性的な抑圧から来る陰鬱さもなく、自分自身を整理しきっていて、文学という魔術にもたれかかっていない大人で、他人の考えを受け入れ、他人を頼らせる余裕があり、他人の性質や能力を理解してやる頭のよさからくる一種の寛大さという包容力を感じさせた。私が文学青年の中に見たことがなく、見る予定もないものだった。
第三段(梶井は私の部屋を〜もう、やめなければならないな、と思った)
梶井の才能。
 梶井の春山行夫の詩についての批評から、どんな人間についてもどんな話題についても自分の判断を持っていることがわかった。
 一緒にビールを飲みに行った時も、一緒にいる仲間の気を引き立ててやろうと心を配る男だった。
 私の詩についても、慰めや励ましでなく、正確な判断があった。そしてもっと先を読んでいるようだと思った。
第四段(私は、麻布の〜北川冬彦という詩人は存在していた)
 北川の詩。
 私は、梶井や北川とその仲間の一群の文学青年の生き方を新鮮な興味で眺めていた。北川の詩は、唐突なイメージを対比させ、一種ドギツイ効果を出す、言葉の造型である、未来派やダダイズム系統のものだった。私の詩は、自由詩系統の散文体のもので、写実的で単純で、人間の生活感情が現れる性質のものだった。
第五段(私は大学の新入学者〜心を決めている人間のようであった)
梶井の生き方
 大学の授業は休講が多く、高等商業学校の復習にすぎなかったので、私は学校を怠けるようになった。
 梶井の明るい人柄は、自分の作品に対する強い自信と、自分の命はあまり長くないという予感の上に築かれていた。生活は奇妙にぜいたくだった。化粧石鹸は丸善の上等の品物で、夜更かしは平気、バーコレーターでコーヒーを入れ、筆墨はごく上等のものを使い、手紙は文章に気を配っていた。自分の一日一日を最上の状態ですごし、自分の残すものは十分に気をつけ、他人に与える印象も明るさやいたわりや真心に満ちたものにしようという覚悟をし、時間のすべての充実したものにしたいと心に決めている人間のようであった。
第六段(彼は北川冬彦のいないとき〜本質的な詩人でいるように感じていた)
島崎藤村と三好達治の詩について
第七段(風のない、日の照った日の午後〜と彼が言った)
五月の晴れた日の散歩。
 散歩の途中、梶井は、西洋人が石を投げている少年を軽い質問の形で止めさせた場面を見て、その言葉を繰り返して、生活の形を心の中で描き直して一つのイメージをつかむ。それを見て、絶望感と明るさとの奇妙に結びついた生き方に強い興味を持つ。
 喫茶店で、いちごクリームを注文する。それは、結核患者で清潔好きの若い小説家の梶井と、詩人である大学生の私が、五月の晴れた日に街を歩き、子供の石を投げるのをやめさせた西洋人の前を通った後で、ちょっと腰掛けて食べるものとしては最適であると思った。
 (こんな素敵な人と散歩出来たらおもしろいだろうな。)
第八段(私は志賀直哉〜作家かもしれない、と思った)
志賀直哉の書写
 梶井が志賀直哉を書き写していると言った。すると、書いている人の息遣いや心の動きが具体的にわかるらしい。梶井は、技術的に書くことそのことの実質をとらえようとしている。私は他人のものを書き写すのは屈辱的だと思っていた。私も書き写すことはあるが、それはオレの鑑賞眼に及第したものを取ってやるという誇りからだった。気持ちで書き写していた。
第九段(梶井はある日、下宿の窓に〜彼の生活だった)
梶井の作家としての生活
 ある日、梶井がボードレールの散文詩の話をした。ある詩人がガラス売りのインク壺を落とすと背中のガラスが赤や黄や青のガラスが花のように割れて散るのを見て初めて生きる喜びを感じたという話だった。しかし、実際の詩は透明ガラスだった。これは、梶井が一つのイメージを養い育てる過程を示すものであった。
 また、空想的な作品のテーマを話した。桜の花の根や幹が透明になり、数限りない細い管を樹液が上がっていく。その根元に動物の死骸が埋まっている。だから、桜の花はあんなに美しい。
 一月ほど梶井と付き合っている間に、梶井の詩人的な傾向のある作品がどのように発想され、どのように発展するか、ものを書くということを技術的にどう考えて、どのように実践しているかがわかってきた。桜の花の幻想は、着想が生まれるときであり、ボードレールの散文詩はイメージを養い育てる過程を示すものであり、西洋人の言葉を口にすることはイメージを取り入れ、描き直し、消化して自分のものにしていることであった。これが彼の作家としての生活であった。


板書

1.梶井基次郎の写真を見せ、『桜の樹の下には』『檸檬』の冒頭を配布し、感想を聞く。
 ・梶井基次郎の印象を植えつける。
2.小説の設定は、作者の伊藤整が梶井基次郎に文学的な影響を受けることであることを確認する。
3.今までの人生において大きく影響を受けた人物について質問する。
 ・私の体験を話す。

●ある日私が〜はるかに重大であった。
1.旧制高校について説明する。
 ・三三六頁を参照して当時の学制を説明する。
 ・高等学校課程は、尋常小学校6年、中学校5年の後の3年間。
 ・三高は京都大学の前身、一高は東京大学教養学部の前身。二高は東北大学の前身。
2.同人雑誌について説明する。
 ・三高の雑誌が、『青空』、一高の雑誌が『新思潮』。
 ・私の過去の同人雑誌を紹介する。
3.「梶井が伊豆から帰ってきましたよ」について
 1)この言葉にはどんな気持ちが籠もっていたか質問する。
  ・『青空』に集まっている者がいかに優秀であるかを説得する。
  ★「もの静かな言い方」という表現に注意する。
 2)伏線になる「梶井基次郎がこの雑誌の中心で、こいつはすごい男なんです」という言葉の論理を説明する。
  ・梶井基次郎は、すごい男。
  ・梶井基次郎は、『青空』の中心である。
  ・『青空』のメンバー(じぶんたち)も、すごい。
  ・自分の仲間が将来の文壇の中心を占めるはずだという自負がある。
  ★梶井を褒めることによって、そのメンバーである自分自身をも自慢している。
  ★寄らば大樹の陰。虎の威を借り狐。
 3)その言葉にはどんな意味があると思ったか質問する。
  ・梶井と言う男に君も面会する機会を得た。
  ・梶井が来たから君の部屋を空けてくれ。
4.「あ、そうですか」と答えて、にこにこ笑っていたことについて
 1)そう言った気持ちを質問する。
  ・梶井という男がこの雑誌の中心であろうが、すごかろうが、それが何だ。
 2)なぜ、私はそう思ったのか。
  ・彼らは、一高や三高を出た、東京大学生である。
  ・自分は、田舎の実業専門学校を出た、商科大学生である。
  ・東大生に対するヒガミが心の中に巣くっていた。
  ★学歴に対する劣等感がある。
 3)にもかかわらず、「にこにこ笑っていた」理由を質問する。
  ・北川という人間がニガテであって、反論すると面倒なことになると思ったから。
  ★不満があるが、それを表面に出せない体験を問う。
 4)北川がニガテであったことについて
  @その理由を質問する。
   ・妙な圧迫感があった。
  Aどこが「妙」なのか質問する。
   ・体全体から意志のようなものを放射していたこと。
5.私の梶井に会う前の想像について
 1)どんな印象を持っていたかを質問する。
   ・高等学校型の豪傑ふうの文士。
 2)具体的にどんなイメージか質問する。
  ・長い学制服を来て、下駄を履き、学制帽を被った、バンカラ。応援団風。
 3)これはいいイメージなのか質問する。
  ・悪い。
 4)そのような想像を持った理由を質問する。
  ・北川の身につけている歩いている雰囲気に対する抵抗感を、その梶井なる未知の人物に向けたから。
  ★人を評判で判断する時に、その情報を与えてくれた人のことを加味して判断する。

●にもかかわらず、〜寛大さと言うべきものであった。
1.実際の梶井についてまとめる。
 1)梶井の外面についての表現を抜き出させる。
  ・真っ黒く日に焼けた。
  ・醜いと言っていいぐらいの、膨れ上がったような顔。
  ・身体が大きい。
  ・胸が張っている。
  ★どちらかといえば体育系の、文学とは無縁な風貌。
  ★外見は想像どおりの高等学校型の豪傑ふうの文士である。
 2)梶井の態度についての表現を抜き出させる。
  ・顔をほころばし、白い歯を見せて笑う。
  ・曇りの見えない快活さで話をする。
  ★外見と全く正反対の明るく気さくな態度である。
 3)私が受けた第一印象を抜き出す。
  ・病人らしいところも、陰にこもったところもない。
  ・性的な抑圧から来る陰鬱さがない。
  ・自分自身を整理しきっている。
  ・文学という魔術にもたれかかっていない。
  ・他人の考えを受け入れ、他人を頼らせる余裕がある。
 4)「性的な抑圧から来る陰鬱」を説明する。
  ・性欲をストレートに表現するのでなく、性欲を内に込めて悶々としている様子。
 5)「文学という魔術」を説明する。
  ・文学をしていることを特別視して誇示すること。
  ・これまでの文学青年の中に見たことがなく、これからも見る予定のないタイプである。
 6)逆に、当時の文学青年とはどんなものかを考える。
  ・本ばかり読んでいて、文学について熱く語り、文学を理解しない人を露骨に馬鹿にする。
 7)「他人の考えを受け入れ、他人を頼らせる余裕」が北川が言っていた「包容力」であることを確認する。

●梶井は私の部屋〜もうやめなければならないな、と思った。
1.春山行夫の詩や、ビールを飲みに言ったことや、女の子の下駄のエピソードから、私が梶井から感じたことは何か質問する。
 ・自分の正確な判断を持っている。
 ・人を引き立ててやろうと心を配る。
2.女の子の下駄からのイメージを確認する。
 ・歩道の端の所に、赤い鼻緒のついた五つか六つぐらいの女の子の下駄が、三寸ほどの間隔を置いて、二つ揃って脱いであった。
 ・女の子が泣いていたので、親が抱かれていった。
 ・夜が来て、暗い路上に、赤い鼻緒の下駄がひっそりと残されて、遠くを自動車が走るとき、ちょっとだけその鼻緒が照らし出される。
3.梶井の配慮に対しての私の気持ちについて
 1)どう思ったか質問する。
  ・初めはうれしく思ったが、その次には不安に襲われた。
 2)「初めはうれしく思った」理由を質問する。
  ・自分の詩が理解されたと思ったから。
 3)「その次には不安に襲われた」理由を質問する。
  ・梶井はもっと先を読んでいると思ったから。
  ★一言で自分の本質を言い当てられた体験について考える。

●私は、麻布の〜北川冬彦という詩人は存在していた。
 ・北川についての部分なので省略。

●私は大学の新入学者〜人間のようであった。
1.時代と梶井の年齢を確認する。
 ・大正十三年に、数え年二十二歳で、東大に入った。
 ・大正十四年一月に、同人雑誌『青空』を創刊した。
 ・昭和三年に、数え年二十七歳になり、『青空』は休刊していた。
2.梶井の人柄の明るさについて
 1)その理由を質問する。
  ・自分の作品に強い自信を持っていて、現在の文壇の水準を抜くものだと信じている。
  ・自分の生命があまり長くないことを予感していた。
 2)命が長くないのに明るい理由を質問する。
  ・生きる一日一日を最上の状態で過ごそうとしたから。
  ・自分の残すものや人に与える印象を、明るさやいたわりや真心に満ちたものにしようとしたから。
 3)そのために、具体的にどんなことををしたか。
  ・生活が奇妙に贅沢だった。
  ・手紙はそのまま出版されてもよいほど文章に気を配った。
  ★癌を告知された人のような生き方をしている。
  ★当時の結核は治りにくい病気であった。
  ★いつ死んでも悔いが残らないように今を生きている。
  ★いつ死んでも恥ずかしくない生き方をしている。
  ★のんべんだらりと生きている我々との違いを考える。

●彼は北川冬彦のいないとき〜詩人がいるように感じていた。
 ・島崎藤村や三好達治の話題で、直接には梶井に関わらないので省略する。

●風のない、〜志賀直哉の小説を読んだことがありますか」と彼が言った。
1.五月の晴れた日の午後の出来事をまとめる。
 1)どんな出来事だったか。
  ・四十歳ぐらいの西洋人の父親が、七、八歳の西洋人の子供が石を投げていたのを、軽い質問の形でやめさせた。
 2)父親の英語を訳させる。
  ・ジョージ、お前は何に石を投げているのか。
 3)その言葉を梶井がそっくりまねて言った理由を質問する。
  ・西洋人の生活の形を心の中で描き直している。
  ・一つのイメージをつかもうとしている。
 4)「生活の形」とは何か質問する。
  ・頭ごなしに叱りつけるのでなく、遠回しな言い方で、しては行けないことを悟らせる。
  ・西洋人の生活習慣を自分のものにしている。
2.「いちごクリーム」を食べるのが似合っているについて
 1)状況を整理する。
  ・結核で清潔好きの梶井と言う若い小説家。
  ・詩人である大学生である私。
  ・西洋人の前を通った後で食べる。
 2)理由を質問する。
  ・いちごクリームは、さわやかでフレッシュで西洋風な食べ物である。

●私は志賀直哉の作品を〜作家かもしれない。
1.志賀直哉、佐藤春夫、室生犀星、谷崎潤一郎、武者小路実篤の説明をする。
 ・志賀直哉、佐藤春夫、室生犀星、武者小路実篤は、白樺派の作家。
 ・白樺派は、人道主義、理想主義的な作品が多い。
 ・志賀直哉、無駄を削った文体。
 ・谷崎潤一郎は、耽美的悪魔主義的な作品が多い。
2.志賀直哉の作品を書き写すことについて
 1)私が書き写す理由を質問する。
  ・他人のものを書き写すのは屈辱的。
  ・オレの鑑識眼に及第したものを取ってやるのだという誇り。
 2)梶井が書き写す理由を質問する。
  ・書く人の心の動きそのものが具体的にわかるという技術的な真剣さ。
  ・屈辱や誇りなどではなく、書くことそのものを実質としてとらえる。
 3)「押し戻さなければならなかった」理由を質問する。
  ・梶井の文学に対する純粋な真剣さに自分の卑小さを思い知ったから。

●梶井はある日〜ボードレールがつまらないように思われた。
1.『不都合な硝子屋』を配布して読む。
2.ボードレールの散文詩について
 1)実際の詩にはどう書いてあったかを確認する。
  ・透明な硝子が飛び散った。
 2)梶井の話ではどうだったかを確認する。
  ・さまざまな色の硝子が飛び散る。
 3)なぜ梶井は変えたのか。
  ・その方が、それを見て、詩人が倦怠感を振り払い、生きる喜びを感じることができると考えたから。

●夜になって北川冬彦が〜ぜひ書いておけ、と梶井が言った。
1.最初の時間に配布した『桜の木の下には』をもう一度読ませる。
2.桜の木のイメージを確認し、感想を聞く。

●そうしてひと月ばかり〜彼の生活だったのだ。
1.梶井が作品を完成させる過程を確認する。
 1)「桜の花の幻想」=着想が生まれるようす。
 2)「ボードレールの詩のバリエーション=イメージを養い育てる経過。
 3)「三好達治の詩」「西洋人の言葉」=さまざまなイメージを取り入れ、描き直し、消化して自分のものにする。
 4)「志賀直哉の文章の筆写」=ものを書く技術の獲得。



コメント

ホーム