教材観 展開 本文 檸檬
教材観
梶井との出会い
私と梶井の出会いの場面である。真黒く日に焼けた、醜いと言っていいぐらいの、ふくれ上ったような顔をした身体の大きな、胸の張った青年が、紺のカスリを着て、膝を折って膳の前に坐っていた。性的な抑圧から来る陰鬱さがなかった。自分自身を整理し切っており、文学という魔術にもたれかかっていない大人、という感じがした。それが私を、おや、この男は違う、と思わせた。その落ちついた明かるさには、他人の考えを受け容れ、他人を頼らせるような余裕が感じられた。他人の性質や能力を理解してやる頭のよさから来る一種の寛大さがあった。
赤い鼻緒の下駄
オレが詩で扱っている感覚や情緒など、みんな分っていて、そのもっと先を読んでいるようだ、
梶井の生き方
梶井はこの時、数え年で二十七歳であった。彼は高等学校時代から胸を患っていて、卒業が遅れていた。大正十三年に東大の英文科に入ったが、それから満五年経ったこの時には、大学は中途で放棄したままになっていた。
彼はその文学についての理解の深さとその人柄にある明るさの点で、このグループの中心的な存在になっていた。彼は明敏で、話し好きで、ユーモラスなところもあり、他人をいたわる暖かさもあり、また自ら狡猾だと言い、仲間が自分を狸穴(この附近の地名)の狸だと言ってる、と語って笑った。
自分の何篇かの作品については、強い自信を持っていて、それが現在の文壇の水準を抜くものがあると信じていた。また彼は、自分の生命があまり長くないことをも予感していた。彼の人柄の明るさは、その二つの認識の上に築かれていた。
その生活は奇妙に贅沢なものであった。彼は化粧石鹸は丸善で舶来の上等の品物を買って来て使った。また夜更かしは平気でした。また彼はバーコレーターを持っていて、自分で気に入るようにコーヒーを入れて飲んだ。彼は筆墨も極く上等のものを使い、その手紙は、そのまま後に出版されてもよいほど文章に気を配った念入りのものであった。
梶井基次郎は、生きる自分の一日一日を最上の状態で過ごし、かつ自分の残すものは、作品も手紙も十分に気をつけ、他人に与える印象もまた明るさや労りや真心に満ちたものにしようといぅ覚悟をして、その時間の総てを充実したものにしたいと心を決めている人間のようであった。
ある晴れた日の散歩
梶井という肺病患者の無名の小説家の持っている絶望感と明るさとの奇妙に結びついた生き方
ボードレールの詩
生きることの倦怠感に取り憑かれている、と彼は語った。何か変ったことが起らないだろうか、何かこの人生を驚かす素晴らしいことが起らないだろうか? 何事も起らず、無為の退屈な日が続くばかりだ。
詩人は窓に乗り出して、硝子売りがその建物の階下の扉口を出るのを狙い、インキ壷を落した。インキ壷は硝子売りの背中に当り、硝子は飛び散った。赤や黄や青の硝子が花のように割れて散るのを見た時、詩人は初めて生きる喜びを感じた。
桜の樹の下には
腐った死骸から養分を吸いとっては上の幹から枝へ、枝から花へと送っているのだ。
「でなければ、あんなに桜の花が美しいわけはないんだ。それだから桜の花はあんなに美しいんだよ」と梶井が言った。
桜の花が私の見て来たのよりもずっと美しく思われ、それ自体が生命の爆発であるように思われて来るのであった。
彼はさまざまなイメージを取り入れ、描き直し、消化して自分のものにしているのであった。そのようにして、彼は心内にイメージを花園の花のように絶えず培養し、豊かにし、育てている。それが作家としての彼の生活だったのだ。
展開
1.教材のポイントを説明する。
・人生において大きく影響を与える人物との出会いについて考える。
・文学が生まれるまでの過程について考える。
2.教師が音読して、感想文を書かせる。
3.学習プリントを配布して解答させる。残った部分は宿題にする。
梶井との出会い(本文へ)
1)「三高・一高」を説明する。
・当時の学制を説明する。
・小学校6年、中学校5年なので、今の高校とは違う。
・三高は京都大学の前身、一高は東京大学教養学部の前身。
2)同人雑誌について説明する。
・自分の過去の同人雑誌を紹介する。
3)同人について説明する。
・この中で、後に有名になったのは、梶井、三好、北川。
4)「梶井基次郎がこの雑誌の中心で、こいつはすごい男なんです」について、北川はどのような気配で言ったか。
・この雑誌に集まっている者は優秀である。
・自分の仲間が将来の文壇の中心を占めるはずだという自負がある。
★梶井を褒めることによって、そのメンバーである自分自身をも自慢している。
5)私はどう思っていたか。
・それが何だ。
6)なぜ、私はそう思ったのか。
・東大生に対するヒガミが心の中に巣くっていたから。
・彼らは東大生であり、自分は商科大学生である。
・学歴に対する劣等感がある。
7)どのような態度を取ったか。
・「ああそうですか」と言ってにこにこしていた。
★劣等感を抱いているが、それを表面に出すと友好関係が壊れるし、劣等感を気づかれて自分自身みっともない。
★仲間に対して不満があるが、それを表面に出せない体験を問う。
8)北川の言う梶井の「包容力」について、梶井に会う前の私はどう思ったか。
・高等学校型の豪傑ふうの文士。
★長い学制服を来て、下駄を履き、学制帽を被った、バンカラ応援団風。
★義理人情の世界に生きる親分のような存在。
★北川への反発から梶井に対してもよいイメージを抱いていない。
9)梶井の外面について考える。
・真っ黒く日に焼けた
・醜いと言っていいぐらいの、膨れ上がったような顔
・身体の大きな
・胸の張った
★体育系の、文学とは無縁な風貌
10)梶井の内面について考える。
・性的な抑圧から来る陰鬱さがない
★「性的な抑圧から来る陰鬱」とは、性欲をストレートに表現するのでなく、性欲を内に込めて悶々としている様子。
・自分自身を整理しきっている
・文学という魔術にもたれかかっていない
★「文学という魔術」とは、文学をしていることを特別視して誇示すること。
★逆に、当時の文学青年とはどんなものかを考える。
★いかつい外面とデリケートな内面のギャップを考える。見た目と実際の違う人と同じ人がいる。
11)「包容力」について、梶井に会う後の私はどう思ったか。
・他人の性質や能力を理解してやる頭のよさからくる一種の寛大さ
★すべてを知的に理解したうえで、相手を受け入れる。
★会う前の想像と比べる。これが本当の包容力である。
12)私の梶井に対する矛盾する気持ちについて考える。
・北川の言ったとおりになるのを残念に思いながら、心を引かれる。
★北川に対する反発以上に梶井に魅力を感じている。
赤い鼻緒の下駄(本文へ)
- 1)状況を確認する。
- ・歩道の端の所に、赤い鼻緒のついた五つか六つぐらいの女の子の下駄が、脱いであった。
- 2)この状況から私が書くであろう詩はどんなものか。
- ・女の子が泣いていた場所で、抱かれていった。そのあと、夜が来て、暗い路上に、赤い鼻緒の下駄がひっそりと残されている、遠くを自動車が走るとき、ちょっとだけその鼻緒が照らし出される。
- 3)「あの女の子の下駄は、伊藤君の詩の感覚と同じだな」という梶井の言葉に対して、わたしはどう思ったか。
- ・初めはうれしく思ったが、その次には不安に襲われた。
- 1)「初めはうれしく思った」のはなぜか。
- ・自分の詩が理解されたと思ったから。
- 2)「その次には不安に襲われた」のはなぜか。
- ・私の詩で扱っている感覚や情緒などみんなわかっていて、もっと先を読んでいると思ったから。
- ★一言で自分の本質を言い当てられた体験について考える。
- ★理解されるのはうれしいが、すべての見通されていると思うと何もできない。
- 梶井の生き方(本文へ)
- 1)梶井の人柄とはどんな様子か。
- ・明敏
- ・話し好き
- ・ユーモラスなところがあり
- ・他人をいたわる温かさがあり
- ・自ら狡猾だという
- ・生活が奇妙にぜいたく
- ・文章に気を配っていた。
- 2)梶井の明るい人柄の基礎にある「二つの認識」とは何か。
- ・自分の作品に強い自信を持っていて、現在の文壇の水準を抜くものだと信じている
- ・自分の生命があまり長くないことを予感していた。
- ★自信があるから明るいのは理解できるが、余命が短いのに明るい理由を考える。
- 3)このことから、梶井の人生に対する態度はどのようなものだったか。
- ・一日一日を最上の状態で過ごす
- ・自分の残すものは十分に気をつける
- ・他人に与える印象を、明るさやいたわりや真心に満ちたものにする
- ・時間のすべてを充実したものにしたい
- ★いつ死んでも悔いが残らないように今を生きている。
- ★いつ死んでも恥ずかしくない生き方をしている。
- ★のんべんだらりと生きている我々との違いを考える。
- ●ここからは梶井の文学論になる。
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- ある晴れた日の散歩(本文へ)
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- 1)西洋人の言葉を梶井がどのようなつもりが口にしたのか。
- ・英語の意味を確かめるのではなく、日本人ならばきつい口調で禁止したであろうが、西洋人は質問の形で止めさせるという西洋人の生活習慣を自分のものにしている。
- 2)この散歩の終わりに、なぜ「いちごクリーム」を食べるのが似合っているのか。
- ・いちごクリームのさわやかな甘い感じが、二人の雰囲気に合っている。
- ボードレールの詩(本文へ)
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- 1)「不都合な硝子屋」を配布して読む。
- 2)透明な硝子と色硝子ではどう違うか。
- 3)なぜ梶井は変えたのか。
- ★その方が、詩人が倦怠感を振り払うためにインキ壺を落とした意味が鮮やかになるから。
- 桜の樹の下には(本文へ)
- 1)「桜の木の下には」を配布して読む。
- 2)感想を聞く。
- 4)教科書の部分の発想と完成した作品の関係を考える。
- 5)イメージが生まれる過程=「桜の花の幻想」である。
- 6)イメージを育てる過程=「ボードレールの詩のアレンジ」である。
- 7)イメージを自分のものにする過程=「三好達治の詩」や「西洋人の言葉」である。
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