村上陽一郎


死の二つの極相へ
 死には二つの極相がある。
 一つは、絶対的な確からしさ、それゆえの陳腐さである。人の死だけでなくペットや虫や草花の死など、死は免れようのない運命として訪れ、日常的なありふれた出来事である。それは予言ですらない。しかし、いつ死ぬかはわからない。
 もう一つは、絶対的不可知性である。誰も死が何であるかを知らない。自分の死を体験することができない。自分では体験できないが知っていて語ることのできるものは数多くある。ただ、それらは生の中で起こり生の一部の延長であるので、わずかではあるが可能性としてはつながっている。
 我々が語りうるのは、第一の極相における死の科学についてである。第二の極相について語りうるのは死を逆照射されたときの生についてである。

死の人称問題
 第一の極相の死は、第三人称の死である。その死は、消滅や消失で、物理学や生物学や生理学などの科学の対象になる現象である。我々は第三人称の他者の死を客観的に眺めることができるので、第一人称の自分の死も他人事のように客観視できる可能性もある。「第一人称が第三人称に譲歩しているような第一人称−第三人称」という状況である。しかし、対象としているのは「死」そのものではなく、死に向かう生、死を生きる生である。単に第三人称の死なら死そのものを凝視できるが、自分の死を第三人称化するのは不可能である。
 それは時制の問題になる。
 第三人称の死は、過去・現在・未来のすべての時制が可能だが、第一人称の死は、未来の時制のみである。第二人称は過去の時制が成立しない。・
 第三者の死は、一つの機能の欠如や喪失にすぎず、代替可能である。世界中で無名の誰かが死んでいても、愛用品の喪失ほどにも気にかけない。
 第一人称である行為者としての主体的自己の身体は、生理的身体にとどまらず、その延長としての自由自在に操れる道具も含まれる。その道具を自由に操れなくなった時、その道具は「死んだ」といえる。同様に、生理的身体に属している身体部分が思うように使えなくなった場合も、身体部分の死として考えられる。しかし、その場合も機能の代替が可能であるという点で、第三人称的な死の持つ性格を備えている。
 つまり、第一人称である自分の身体部分の死も、第一人称の死にはなり得ないのである。

孤絶の恐怖へ
 第一人称の死は論理的に知り得ないものであり、知り得ないものに対する恐怖とはどんて形をとるのか。苦しみや痛みへの恐怖は、死に臨んだ生の恐怖である。
 生への盲目的な執着がヒトが生物であることの明証であるなら、死への恐怖はヒトが生物であることへの明証である。
 自分の死は他者にとって第三人称の死にすぎず、誰も第一人称の死を体験したことがないのであるから、自分の死は完全な孤絶の中での体験である。一切の人間関係を失ってただ一人で死を引き受けなければならない恐怖こそが、死の恐怖を消極的な逆説的観点から
見た場合、人が人間として生きてきたことへの明証になる。
 死の恐怖を積極的な意味で人の人間たることの明証と考えた場合、第二人称が介在する。人間は究極的孤絶性を知性によって表層的に理解する方法を獲得してきた。しかし、知性によって理解された表層的な人間の孤絶性は誤っている。
 私の身体は道具によって拡大したかのように感じられる。また、自分の身体の支配や制御の方法は他者の模倣によって獲得される。模倣する自分と模倣の手本になる相手が分離しない「我々」意識で連なっている荊個我的な状況の中で、第一人称と第二人称の他者同士に分極化する。主体の集合体としての「我々」は前個我的「我々」状況の変形であり回復である。

孤絶性は越えられるか
 
個我の孤絶性は生にある限り抽象的構成に近い。それゆえに、第一人称の死は極限の孤絶性を照射する。
 第二人称の死は、自己の死に限りなく近づく。子や親の死は。ほとんど私の死である。ここで第一人称の死を知る境位を得た。デカルトのコギトでは個我の孤絶性は絶対であった。しかし、第二人称との前個我的「我々」状況の名残が、第二人称の死を第一人称の死であるかのようにつかむわずかな糸口を与えてくれる。死がえぐりだす人間の諸相のうち重要なのは、この人間の矛盾する二重の存在構造、孤絶性と関係性の共存構造である。


死の二つの極相へ     板書

1.死についてエッセイか評論を書かせる。
 ★死についてのどんなとらえ方があるかを知る。
2.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
3.第一段の形式段落に1〜17の番号を付ける。
4.漢字の読みを確認する。
 1 極相 2 陳腐 免れ 遭遇 7 不可知 8 既に 11 絢爛 絶無 13 彼我 希釈 17 照射
5.語句の意味を確認する。・
 1極相  極端に異なる様子。
 2陳腐  ありふれていて、つまらないこと。
 4命題  判断を言語で表したもの。
 7不可知 知ることができないこと。
 11絢爛  華やかで美しいさま。
 13彼我  あちらとこちら。
 14希釈  薄めること。
 17照射  物事の内面やかくれた部分を明らかにすること。
6.音読する。
7.「二つの極相」とは何か。(1)
 ・絶対的な確からしさと、それゆえの陳腐さ。
 ・絶対的な不可知性。
8.死の絶対的確実性について(2〜3)
 1)生あるものは必ず死ぬか。死なないものはあるか。
 2)生あるものには何があるか。
  ・人間、動物、植物。
  ・ギリシャの神殿のような石も風化する。
  ・地球もやがては死ぬ。
 3)言い換えは。
  ・免れようのない運命。
9.死の陳腐さについて(2〜3)
 1)なぜ死は陳腐なのか。
  ・日常世界の中で最も日常的なものとして絶えず起こるから。
 2)死は日常的か。
  ・身近な人間の死は日常的ではない。
  ・しかし、世界中でいつも誰かが死んでいる。特に、イラクでは死は日常である。
  ・人だけでなく、動物も死ぬ。身近なペットだけでなく、ゴキブリや蚊や蟻を日常的
   に殺している。
  ・道端の草花が枯れるのも死である。
10.死の絶対的確実性が陳腐さに結びつくことを説明させる。(2〜3)
 ・死は必ず起こるので、日常的であり、ありふれているので陳腐である。
11.「人は死ぬ」が予言でない理由について。(4〜6)
 1)次の中で予言に当たるものは。
  ア.明日も太陽は東から昇る。×
  イ.明日になるとあなたは幸せになれる。○
  ウ.明日、彼は事故に遭って大怪我をする。○
  エ.明日は私の誕生日だ。×
 2)予言とは何か。
  ・起きるかどうかわからない不確実なことを予測して言うこと。
  ・確実に起きることは可能性を予測する意味がない。
 3)人の死は全体的に確実だから、予言する意味がない。
 4)ただし、いつ死ぬかは予言する意味がある。
 5)自分がいつ死ぬかと考えたことがあるか。
  ・年をとると考えるようになる。
12.死の絶対的不可知性について(7〜9)
 1)死が何であるかを知らないか。
  ・日常的に絶えず出会っているのだから知っているはずである。
 2)にもかかわらず死の不可知性とは。
  ・死を体験することができない。
  ・だから知ることができないし、語ることもできない。
 3)死を体験するとは。
  ・自分が死ぬこと。
 4)ここでの死とは誰の死か。
  ・自分自身の死。・
 5)知ることと体験することの関係は。
  ・自分で実際に体験することで、本質を理解することができる。
  ・実証主義的な考え方。
  ・体験できなくても知ることのできるものはいくらでもある。
  ・例えば、目に見えない電波の世界やナノテクノロジーの世界。
13.体験と知ることについて(10〜15)
 1)バイオリンの名演奏について。
  ・自分ではその技巧性を体験できないが、名演奏家の演奏を知っている。
  ・他の例も示す。
 2)「彼我」とは何と何か。
  ・バイオリンの名演奏と死
 3)どこが違うか。
  ・バイオリンは、生の世界の中で起こり、生の一部の延長である。
  ・死は、死の世界であり、あらゆる生と切れている。
 4)だから、死は、体験できず語れないので、絶対的に不確実であり、永遠の謎である。
14.死の二つの極性について(16〜17)
 1)この二つとは。
  ・誰でもが知っていて、絶対確実な、陳腐な死。
  ・誰もが知らず、絶対不確実な、永遠の謎としての死。・
 2)二つの死の関係は。
  ・矛盾の緊張の中にある。
  ・3つのポイントで違うにもかかわらず、同じ死である。
  ・あるいは、同じ「死」という言葉を使っても、違うものを指しているかもしれない。
 3)死の科学と死の哲学の違いは。
  ・死の科学は、死を客観的に考える。
  ・死の哲学は、死を主観的に考える。
  ・体験できないものは、主観的に考えられない。
 4)第一の極相と第二の極相の違いは。
  ・第一の極相は、死について語り得るし、死の哲学ではなく、死の科学の対象である。
  ・第二の極相は、死を逆照射した生を語り得るにすぎず、死の哲学は存在しない。
 5)「死を逆照射した生」とは。
  ・死を考えることによって照らし出される生。
15.2つの極相の特徴と関係を、80字以内で要約させる。
 ・死の第一の極相は絶対的な確実性ゆえの陳腐さがあり、第二の極相は体験できないゆ
  えに絶対的不可知性がある。この二つの極相は完全に矛盾する緊張の中にある。74
16.「確認テスト1」をする。

死の人称問題     板書

1.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
2.第二段の形式段落に18〜39の番号を付ける。
4.漢字の読みを確認する。
 19 埒外 22 凝視 23 達観 従容 26 忘我 代替 30 何某 充填 哀惜
 33 媒介 参画 咀嚼 39 臨む 土壌
5.語句の意味を確認する。
 19埒外 ある物事の範囲の外。
 21対象 行為の目標となるもの。
 22凝視 目をこらして見つめること。
 23達観 広く大きな見通しをもっていること。
  従容 ゆったりと落ち着いているさま。
 26忘我 夢中になって、我を忘れること。
  代替 それに見合う他のもので代えること。
 30何某 人・事物・場所などについて名などがはっきりしないことを表し、あるいはそれをぼかしたままに示す。どこそこ。だれそれ。何とかいう人・物。
  充填 欠けているところや空いているところに、ものを詰めてふさぐこと。
  哀惜 人の死など、帰らないものを悲しみ惜しむこと。
 33媒介 両方の間に立って、なかだちをすること。
  参画 事業・政策などの計画に加わること。
  咀嚼 言葉や文章などの意味・内容をよく考えて理解すること。
 39土壌 ものを発生・発展させる基盤。
6.音読する。
7.死の極相と人称について(18)
 1)第一の極相の死は。
  ・第三人称の死
  ・自分以外の誰かの死
 2)とすれば、第二の極相の死は。
  ・第一人称の死。
  ・私の死。
8.「病人−医者」関係について(19〜20)
 1)第三人称の死を自分自身の死に当てはめるとは。
  ・第二の極相の死を第一の極相のようにとらえる。
  ・そうすれば、私の死は体験できるし、知ることができるし、語ることができる。
 2)その死を言い換えると。
  ・個人の立場を離れて概念的にとらえられたものとしての自分自身の死。
 3)その状況をジャンケレビチはなんという言葉で表現したか。
  ・病人が医者に譲歩しているような関係。
 4)どんな関係か。
  ・病人と医者は別の人物でなく同一人物である。
  ・医者が死にかかっている病人である自分自身を、医者の目で客観的に見る。
  ・譲歩とは、本来は自分の死に主観的に関わるべきなのに、一歩引いて客観的に第三
   人称的にかかわること。
  ・病人としての自分より医者としての自分を優先させる。
  ・『白い巨塔』の財前教授の最期のような。
  ・命に関わるという点で医者のほうが分かりやすいので先に例として出している。
 5)この状況を一般の人の死に当てはめた「第一人称が第三人称に譲歩する」とは。
  ・自分自身が死に行く状態の中にあって、それを客観視すること。
  ・意識が遠のいていく中で死に行く自分を意識する。
  ・『あの空をおぼえてる』で、ウィリアムが病院のベッドで寝ている自分を見ている
   場面。
  ・癌告知された人が残された時間を生きていく。
 6)死以外の場面に当てはめると。
  ・自分のことなのに他人事のように振る舞う。
  ・遠慮していることもあるが、無責任なこともある。
9.しかしながら、ジャンケレビチが見落としている点について(21〜25)
 1)それは何か。
  ・対象化しているものは、死そのものではない。
 2)「対象化」の言い換えは。
  ・凝視しつづける。
 3)それでは、何を対象化(凝視)しているのか。
  ・死に向かって早足で歩みつつある生。
  ・死を生きる生。
  ・死を目前にしてまだ生きている自分自身。
 4)このことから導ける結論は。
  ・やはり、自分の死を第三人称かすることは不可能。
  ・第三人称の死を自分自身の死に当てはめることはできない。
 5)死は常に第三人称として現れるとは。
  ・第三人称の死しか体験できない。
 6)第一人称の所有格の目的語になる死とは。
  ・私の死。
  ・私の死は体験できない。
10.死と時制について(26〜28)
 1)死の過去形、現在形、未来形を確認する。
  ・「死んだ」「死ぬ」「死ぬだろう」
 2)第三人称の死について言えるかどうか。
  ○彼は死んだ。
  ○彼は死ぬ。
  ○彼は死ぬだろう。
 3)第一人称の死について言えるかどうか。
  ×私は死んだ。
  ×私は死ぬ。
  ○私は死ぬだろう。
 4)現在形について考える。
  ・死んだ瞬間ではなく、間もなく死ぬ。
  ・未来形の代替用法である。
 5)第二人称の死について言えるかどうか。
  ×あなたは死んだ。(疑問形では成立しない)
  △あなたは死ぬ。
  ○あなたは死ぬだろう。
 6)過去形について考える。
  ・肯定形では可能であるが、疑問形にすると成立しない。
  ・「君は走ったか」は相手が生きているので、過去の体験を問うことかできる。
  ・「君は死んだか」は相手が死んでしまっているので、過去の体験を問うことができ
   ない。
 7)現在形について考える。
  ・相手が死ぬ瞬間をとらえられるかどうかは微妙である。
11.第三人称の死について(29〜32)
 1)すでに述べた部分は。
  ・そのとき死は〜現象であろう(18)。
  ・話を第三人称の死に戻す。
 2)第三人称の死の特徴は。
  ・物理的過程、生理的現象、日常的経過。
  ・消滅、消失、紛失、喪失。
 3)会社の何某の死について説明する。
  ・会社と言う組織の中の機能の欠如、喪失。
  ・その機能は誰かによって充填可能である。
  ・多少の哀惜や同情の念は残る。
  ・しかし、愛用のパイプと同質である。 
  ・つまり、物理的である。  
 4)無名者の死の例について説明する。 
  ・殺人事件や交通事故やイラクのテロなどで死んだ人のニュースに対する反応を考え
   る。 
  ・つまり、日常的経過、陳腐である。 
12.自分の身体の一部であるような物について(33〜34) 
 1)自分の身体を話題にする前に、手足のように扱える、身体を拡張させるような物につ
  いて考えていることを確認する。 
 2)ビルトゥオソの演奏について説明する。 
  ・楽器や楽弓が音楽表現の手段という特別なものなく、日常茶飯事の行為である。 
 3)ピアティゴルスキーの体験を考える。 
  ・彼はチェロ演奏家であるが、指揮の合間に演奏しようとした時、愛器のチェロが自
   分の思うように演奏できなくなった。 
 4)楽器が「死んだ」とは。 
  ・自分の分身であったものが、思い通りに操ることができなくなった。 
  ・自分のものでなくなった。 
  ・生とは、自分の身体などを思い通りに操ることのできる状態である。 
13.自分の身体部分の死について(35〜39) 
 1)自分の身体部分を意識する時を考える。・
  ・十分に機能している時は無意識に動かしているので意識しない。 
  ・なんらかの故障があり、思うように動かせなくなった時に意識する。 
  ・ピアニストの例以外にどんな時があるか。 
  ・目、ぎっくり腰、髪の毛?、 
 2)脚を失った場合を考える。 
  ・義足や松葉杖や車椅子によって少しは補うことかできる。 
  ・パラリンピックで活躍する選手。 
  ・視力の低下は眼鏡で補っている。 
  ・機能の欠如を代替できるという点で、第三者的な死と共通している。 
 3)私の身体についてまとめる。 
  ・第三者の死として扱える要素を持っている。 
  ・喪失、紛失。 
  ・物理的機能の欠如。 
  ・代替可能。 
  ・「私の指は死んだ」「私の脚は死んだ」という表現は可能である。 
  ・「私の身体の部分死」と「私の死」は別物である。

14.「確認テスト2」をする。


孤絶の恐怖へ     板書


1.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
2.第三段の形式段落に40〜53の番号を付ける。
4.漢字の読みを確認する。
 41 完璧 43 明証 44 深淵 糧 46 先達 空疎 48 介在 49 肌膚 烙印  施す 52 個我 53 没我
5.語句の意味を確認する。
 43明証 はっきり証明すること。
 44深淵 奥深く、底知れないこと。
 46先達 道などを案内すること。案内人。また、指導者。
  空疎 見せけだけでしっかりした内容や実質がないこと。
 47逆説 一見、真理にそむいているようにみえて、実は一面の真理を言い表している表現。
 48介在 二つのものの間にはさまってあること。
 49烙印 ぬぐい去ることのできない汚名。
  洗礼 その後に影響を与えるようなことについて初めての経験をすること。また、ある集団の一員となるためなどに、避けて通れない試練。
 52個我 他と区別された個人としての自我。
 53没我 物事に熱中して我を忘れること。
6.「あなたにとっての死の意味」チェックをする。
7.音読する。
8.死への恐怖について(0〜43)
 1)第一人称の死は未知のものであることを確認する。
 2)死への恐怖の中には何があるか。
  ・苦しみへの恐怖。
  ・痛みへの恐怖。
 3)死への恐怖を言い換えると。
  ・死に臨んだ苦痛の状態としての生への恐怖。
  ・死ぬことも怖いが、死に至る苦しみや痛みへの恐怖もある。
  ・瀕死の重傷を負った時の痛み。重病の苦しみ。
 4)苦しみは生きていることの証であり、死が生の終わりだとすると、死は苦しみの終わりでもあるのか。
 5)しかし、死は未知であるから、苦しみの終わりであるかどうかもわからない。
 6)死への恐怖のもう一つの意味は。
  ・死への恐怖は、ヒトが人間であることの明証である。
 7)「ヒト」と「人間」の違いは。
  ・ヒト=単なる一個の生物としての存在。
  ・人間=人格を持った存在。
9.消極的な面について(44〜47)
 1)第三人称の死とは何か。
  ・消滅、消失。
  ・本当の意味での「死」ではない。
  ・私の死の参考にならない。
 2)私の死も第三者にとっては「消滅」にすぎない。
 3)だから、私の死は、誰の死も参考にできず、誰の死の参考にもならない。
 4)つまり、完全な孤絶の中で体験することになる。
 5)この孤絶感が、死への恐怖を増幅させている第二の原因になる。
 6)増幅する理由は。
  ・生の世界では、人同士の間の関係性の中で生きてきたから。
  ・死の世界とのギャップが大きい。
 7)死への恐怖が逆説的に生への明証になる理由は。
  ・死の孤絶性を感じるほど、人との関係の重要性が意識され、生きてきたことが実感   できるから。
 8)消極的である理由は。
  ・死を通して生のありがたさが実感できるから。
10.積極的な意味について(48〜50)
 1)孤絶性を死以外に自覚するのは。
  ・理性による理解。
  ・西欧近代思想。
 2)西欧近代思想の特徴は。
  ・精神と物体を分けて考える。
  ・全体より個人の存在を尊重する。
 3)理性による理解と矛盾するものは。
  ・人が人との関係性の中で生きていると言う体験。
 4)筆者はどちらが正しいと考えているか。
  ・体験。
11.人間の関係性の例について(51〜53)
 1)名演奏の例から言えることは。
  ・楽器は身体の拡大されたものである。
  ・人と物と関係している。
 2)ドライバーの例から言えることは。
  ・車の外壁は身体のようである。
  ・外に降りて確かめなくてもどの位置にあるか把握できる。
 3)鉄棒の例から言えることは。
  ・身体的支配は他者の模倣によって獲得される。
 4)母親と子どもの例から言えることは。
  1)母親は子どもを名前で呼んでいた。
   ・子どもは自分と他者が分離していない発達段階である。
  2)母親が子どもを「僕」と呼ぶようになる。
   ・分離しない「我々」意識でつながっている。
   ・母親が自分のことを第一人称の「僕」と呼んでいる。
  3)この状態を何と呼んでいるか。
   ・前個我的「我々」。
   ・一人の人格として自分を認識する前の、母親との一体感。
  3)「母親からの反射の光」とは。
   ・自分は母親から見ると「僕」という存在である。
  4)「それと反射的」とは。
   ・自分を「僕」と第一人称で呼ぶ
  5)子どもが自分を「僕」と呼ぶようになる。
   ・「僕」を僕としてとらえる。
  6)2つの僕の違いは。
   ・前者=第一人称の呼び方。
   ・後者=自分と言う存在。
  7)言い換えは。
   ・第一人称と第二人称の他者同士に分極化する。
   ・主体的集合体としての「我々」
   ・集団でいながらも、一人一人の人間は一つの独立した主体として存在し、その間にはつながりがない状態。
   ・これが個我である。
  8)生の世界で体験している人間の関係性の原点は母子関係の中にある。
 5)没我的抱擁とは。
  ・恋人が周りを気にせずに抱き合っていること。
  ・それは母子関係への回帰である。
12.「確認テスト3」をする。


孤絶性は越えられるか     板書

1.学習プリントを配布し、学習の準備を宿題にする。
2.第四段の形式段落に54〜64の番号を付ける。
4.漢字の読みを確認する。
 54 仮借 56 授受 58 十全 61 私秘 思惟
5.語句の意味を確認する。
 54仮借 許すこと。見逃すこと。
 57境位 境目。
 58十全 十分に整っていて、危なげのないこと。
 61私秘性 他者と関係を持たないこと。自己完結性。
  思惟 考えること。思考。
 62モナド 単子。これ以上分割できない実体。
 63情死 愛し合っている男女が、合意の上で一緒に死ぬこと。心中。
6.音読する。
7.個我の孤絶性について(54)
 1)個我の孤絶性が抽象的構成であるとは。
  ・個我の孤絶性とは、西欧哲学思想では、具体的な体験ではなく、理性で理解しようとしたから。
 2)第一人称の死が極限の孤絶性、仮借なき絶望の孤在を照射する唯一のものであるとは。
  ・誰の助けも借りずにたった一人で具体的に体験しなければならないから。
 3)第二人称の死は。
  ・他者の死であるという点では第三人称の死に近い。
  ・自己の第一人称の死にも近い。
  ・どういう点で近いかを次に考えていく。
  ★時制の問題で提起された第二人称が再び登場する。
8.様々な死について(56〜60)
 1)A氏の死と私の子供や親の死の違いは。
  ・A氏の死    =代替可能。
  ・私の子供や親の死=代置できない。
             ↓
            私の死に近い。
  ・身体の部分的死 =代替可能
 2)「私の死」の持つ絶対的一回性とは。
  ・私は一度しか死ぬことができない。
  ・私の死は一回しかない。
 3)第二人称の死は。
  ・本人にとっては、絶対的孤絶性。
  ・私にとっては、絶対的一回性。
 4)人間の根源においてつかむとは。
  ・理性ではなく、具体的な体験を通して理解すること。
 5)人が人間として存在していることを積極的に示す局面とは。
  ・孤絶しているのではなく、人と人との関係性の中に存在していること。
9.2つの「我々」について(61〜62)
 1)デカルトのコギトについて説明する。
  ・我思うゆえに我あり。コギト−エルゴ−スム。
  ・考えている自分がいるということは、他の何ものにも否定されない絶対的な事実である。すべてはここから出発する。
 2)思惟とは。
  ・第一人称のコギトを、人類一般に広める抽象的概念。
  ・人類は主体の集合体。
 3)原子としての人間のイメージとは。
  ・人間は、一人一人独立した最小単位の独立体として存在していると言うイメージ。
  ・互いにつながりがない。
 4)「二重焼き」とは何と何を重ねているのか。
  ・自我として認識される以前の、分節化され分極化する以前の、原状態における「我々」。
  ・相互につなぐものを持たないモナドとしての個我の集合体である「我々」。
 5)原状態における「我々」とは。
  ・前個我的「我々」。
  ・一人の人格として自分を認識する前の、母親との一体感。
  ・分離しない「我々」意識でつながっている。
 6)モナドとしての個我の集合体である「我々」とは。
  ・原子としての人間のイメージ。
  ・人間は、一人一人独立した最小単位の独立体として存在している。
  ・互いにつながりがない。
10.まとめの部分について(63〜64)
 1)熱烈な恋人間の距離は。
  ・第一人称と第二人称の距離は埋めつくせない。
  ・互いの第一人称の死は、決定的な孤絶性において起こる。
  ・第一人称は、第二人称の死を私の死であるかのようにつかむことができる。
 2)情死の試みは。
  ・第一人称の死を同時に起こすことで孤絶性を乗り越えようとする。
  ・死ぬ瞬間は、別々である。
 3)人間の持つ矛盾する二重の存在構造とは。
  ・自我として認識される以前の、分節化され分極化する以前の、原状態における「我々」。
  ・相互につなぐものを持たないモナドとしての個我の集合体である「我々」。
 4)矛盾する点は。
  ・後者においては絶対的孤絶性であるが、前者ではかすかながらもつながりがある。



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学習の準備
1.読み方を書きなさい。
 1 極相 2 陳腐 免れ 遭遇 7 不可知 8 既に 11 絢爛 絶無 13 彼我 希釈 17 照射
2.語句の意味を調べなさい。
 1極相 2陳腐 4命題 7不可知 11絢爛 13彼我 14希釈 17照射
3.次の問題の答えにあたる部分に線を引き、番号をつけなさい。
 11)「二つの極相」とは何か。2と7から。
 22)「絶対的な確かさ」の言い換えは。
 33)「死は陳腐である」理由を2から。
 44)「確実な予言」とは何か。
 135)死と演奏の「彼我の違い」は何か。
  6)「前者」「後者」とは何か。・
 167)「この二つ」とは何と何か。
 178)「第一の極性」に何があるか。
  9)「第二の極性」で語り得ることは何についてか。

学習のポイント
1.「絶対的な確からしさ」と「陳腐さ」の関係を理解する。
2.「人は死ぬ」が予言にならない理由を考える。
3.死が「絶対的不可知性」を持っている理由を理解する。
4.「見事なバイオリンの演奏」と「死」の違いを理解する。
5.第一と第二の極性の違いを理解する。
6.「死の哲学」と「死の科学」の違いを理解する。






死すべきものとしての人間 死の人称問題 学習プリント
点検日  月  日
                  組  番 氏名
学習の準備
1.読み方を書きなさい。
 19 埒外 22 凝視 23 達観 従容 26 忘我 代替 30 何某 充填 哀惜 33 媒介 参画 咀嚼 39 臨む 土壌
2.語句の意味を調べなさい。
 19埒外 21対象 22凝視 23達観  従容 26忘我  代替 30何某  充填  哀惜 33媒介  参画   咀嚼 39土壌
3.次の問題の答えにあたる部分に線を引き、番号をつけなさい。
 181)第一の極性の人称は。
  2)第一の極性の死は何と同義か。
  3)第一の極性の死は何の対象にとなる現象か。
 194)第三人称的死を自分自身に当てはめると。
 205)「病人が医者に譲歩しているような病人ー医者」を一人の人間の状況に当てはめる
   と。
 216)ジャンケレビチが見逃している点は。
 227)「病人ー医者」が自らの中に凝視し続けているものは。
 238)我々が第三人称の死をどのように凝視しているか。
  9)死において不可能なことは。
 2610)第三人称の死に対して、可能な時制は。
  11)第一人称の死に対して、可能な時制は。
 2812)第二人称の死に対して、可能な時制は。
 2913)第三人称にとって死とは何か。
 3914)私の身体部分の「死」は何か。

学習のポイント
1.第一の極性における死が第三人称と言えることを理解する。
2.「病人−医者」の関係が言い当てている状況を理解する。
3.「第一人称−第三人称」という状況を理解する。
4.「第一人称−第三人称」が対象にしている生を理解する。
5.死は常に第三人称として現れることを理解する。
6.死は第一人称の所有格の目的語になることができないことを理解する。
7.死の人称と時制の関係を例文を通して理解する。
8.第三人称の死について例を通して理解する。
9.ピアティゴルスキーの演奏の例における「死んだ」という表現を理解する。
10.自分の身体の部分的死が第三人称的な死の持つ性格を備えていることを理解する。







死すべきものとしての人間 孤絶の恐怖へ 学習プリント
点検日  月  日
                  組  番 氏名
学習の準備
1.読み方を書きなさい。
 41 完璧 43 明証 44 深淵 糧 46 先達 空疎 48 介在 49 肌膚 烙印  施す 52 個我 53 没我
2.語句の意味を調べなさい。
 43明証 44深淵 46先達  空疎 47逆説 48介在 49烙印  洗礼 52個我 53没我
3.次の問題の答えにあたる部分に線を引き、番号をつけなさい。
 401)第一人称の死は何であるか。
  2)死への恐怖とは、本当は何への恐怖か。
 413)苦しみとは何か。
  4)死と苦しみの関係は。
 435)死への恐怖は何であると言えるか。
 446)第三人称的な死は何であるか。
 457)私はどのような状態の中で死を体験するか。
 478)何ゆえに人は死への恐怖を増幅するのか。
  9)日常生活においては我々はどのような状況の中で生きているか。
  10)死においては我々はどのような状況の中で引受ねばならないか。
 4911)我々は何と何の矛盾を乗り越えるために様々な方法を案出するのか。
 5112)演奏家にとって、身体が拡大されたものは何か。
  13)ドライバーにとって、身体の一部のように感じるものは何か。
  14)身体的支配は何によって獲得されるのか。
 5215)母と「僕」は何によってつながっているか。
  16)「母親を第二人称的他者としてとらえる」の言い換えを2つ。

学習のポイント
1.「死への恐怖」と「生」と関係を理解する。
2.死への恐怖がヒトが人間であることの明証である消極的な面を理解する。
3.日常の生の世界での人間の関係性と、第一人称の死の孤絶性の関係を理解する。
4.死への恐怖がヒトが人間であることの明証である積極的な面を理解する。
5.体験による人間の関係性と、理性による表層的な人間の孤絶性の関係を理解する。
6.人間の関係性の具体例を理解する。
7.母親と「僕」の関係を理解する。






死すべきものとしての人間 孤絶性は越えられるか 学習プリント
点検日  月  日
                  組  番 氏名
学習の準備
1.読み方を書きなさい。 
 54 仮借 56 授受 58 十全 61 私秘 思惟
2.語句の意味を調べなさい。
 54仮借 57境位 58十全 61私秘性  思惟 62モナド 63情死
3.次の問題の答えにあたる部分に線を引き、番号をつけなさい。
 541)個我の孤絶性は何に近いか。
  2)第一人称の死は人間にとって何か。
 553)第二人称の死は何であるか。
 594)自分にとっての第二人称の死は何の結果か。
 605)言い換えると、何の現れか。
 616)デカルトのコギトは何を示したものか。
  7)思惟とはどんな概念か。
  8)知性は何を主張するか。
 629)人は何と何を二重焼きにしているのか。
 6410)死がえぐり出す重要な人間の諸相は何か。

学習のポイント
1.個我の孤絶性が抽象構成に近いことを理解する。
2.A氏の死と、私の子供や親の死との違いを理解する。
3.「私の死」の持つ絶対的な一回性という言い方を理解する。
4.生の一回性をつかむ人間の根源とは何か理解する。
5.人が人間として存在していることを積極的に示す局面とは何か理解する。
6.原子としての人間のイメージとは何か理解する。
7.分節化され分極化する以前の原状態における「我々」の記憶とは何か理解する。
8.モナドとしての個我の集合体である「我々」とは何か理解する。
9.人間の持つ矛盾する二重構造とは何か理解する。                                                                               






死すべきものとしての人間 確認テスト1
                    組  番 氏名
1.死の第一の極相の特徴は何か。
2.絶対的な確からしさが陳腐である理由は。
3.第二の極相の特徴は何か。
4.第二の極相が絶対的不可知性を持っている理由は。
5.名演奏の私の死との違いは何か。  






死すべきものとしての人間 確認テスト2
                    組  番 氏名
1.第一の極性と第二の極性の人称は。○で囲む
  第一の極性=第一人称  第二人称  第三人称
  第二の極性=第一人称  第二人称  第三人称
2.「病人が医者に譲歩しているような」状態とは。( )内に、「病人」「医者」のい ずれかを入れる。
  自分自身(   )になった(   )が、(   )の立場から(   )である 自分の死を客観視すること。
3.「病人−医者」状態の死が凝視しているものは何か。
4.過去の時制が可能な死は。○で囲む。
  第一人称の死  第二人称の死  第三人称の死
5.会社の何某の死、愛用品の喪失、無名の者の死、名演奏家の楽器の死、私の身体の部 分死に共通する性質は何と何か。  






死すべきものとしての人間 確認テスト3
                    組  番 氏名
1.死への恐怖を、「苦しみへの恐怖」より厳密に定義すると。
2.死への恐怖のもう一つの定義は。
3.私の死はどのような状況の中で体験するのか。
4.我々は日常の現実世界ではどのような状況の中で生きてきたのか。
5.現在の現実生活の中の主体の集合体としての「我々」は何の変型であるか。