別冊宝島31「珍国語」より 


木曜スペシャル(八月一九日放送) 


中国山中に虎人間を見た 
−−−暁に吠える虎人間、その正体は? 
今、明かされる衝撃の事実! 

ナレーション『こんなことが現実に起こるのだろうか。だれしもはじめは、そう思うものだ。しかし、それが実際、起こってしまうのが現実なのだ。この怪奇な事件をあなたはどう受けとめるでしょう』 
司会 皆さま、今晩は。司会の鮎川金也です。 
アシスタント 今晩は、アシスタントの片瀬リノです。 
司会 今日はたいへんショッキングなお話で、ボクもちょっとなんて言っていいか。すでに新聞のテレビ欄などで、ご存知かと思いますが、中国山中で人喰い虎を見たという……。 
それもただの虎ではなく、虎人間であつたという、ちょっと信じられない事件が起こりました。 
アシ だいたい人喰い虎というだけでも怖いのに……信じられませんねぇ。 
司会 そうだよねぇ。それがなんとわがテレビ局のスタッフがたまたま、この模様をカメラに納めたということなんです。 
アシ えっ、ホントウですか? 
司会 そうなんです。今までですとね、ヒマラヤの雪男とかネス湖のネッシーとか、確かに見たという人はいましたよね。でも、写真というのはなかなかなかったわけです。 
アシ あっ、あたしあります。雪男の写真。 
司会 でも、何が写っているかよくわからないやつでしょ。そう思えばそんな気もするし、そうでもないと思えばそうじゃないっていうのよね? 
アシ そう。 
司会 それが今度のはそんなのとは全然違うの。そんなぼんやりした写真なんかじゃないのよぉ。なんとテレビ用のピデオで撮ったんだからね。もちろん、音も入つているし。 
アシ あっ、じゃあ、これからそれ、見れるってわけ? 
司会 そう、もうここにそのフィルムがセットされています。 
アシ でも、どうやってそんなフィルム、撮れたんですかぁ? 
司会 うん。それはさっきチラッと言ったけど、ウチのテレビ局のスタッフが撮ったわけよね。この秋、放送の三時間ドラマの撮影のために、安藤プロデューサーとスタッフがね、中国へ行つてたわけ。それで、ロケにどこがいいかなっていうんで、安藤さんを中心に場所を探してたわけよね。どこら辺の風景がー番いいかっていうの。リノもドラマやったことあるから知ってるだろ? 
アシ うん。でも、あたし、まだ海外コケしたことないもん。 
司会 あっ、そうか。ま、いいや。とにかく、そこら辺のことについては、プロデューサーの安藤さんに直接聞いてみた方がいいね。プロデューサーの安藤さんです。今晩は。 
プロデユーサー 今晩は。 
司会 どうですか? 今の御心境は? 多分、たいへん複雑なものがあるかと思いますが……。 
プロ ええ、実際、このフィルムを公開した方がいいのかどうか、今でも完全に割り切れているわけではないんです。 
司会 確かに公開に踏み切るまでに、ひと月近いブランクがありましたものね。新聞、雑誌にも伏せて。 
プロ ええ、でも、やはり視聴者の皆様に真実を知っていただくのが、私ども、マスコミで働く者の使命だと思いまして。 
司会 なるほど。後で、おいおいわかっていくと思いますが、安藤さんにとっては個人的な葛藤があって、なかなかつらいことも多かったと思います。 
アシ それはどういうことですか? 
司会 ええ、だんだんわかりますから。 CMです。 
 
 
 
 



1年前の週刊誌の記事 


作詞家A、謎の失踪! 

一部ではすでに発狂したとの噂の中で 

 一九七〇年代後半、作詞家Aといえば、歌謡界ではヒットメーカーとして確固たる地位を築いていた。演歌からポップスまで、レパートリーの広さでは右に出るものがなく、レコード大賞をはじめとする数々の賞を獲得し、鬼才として名を馳せていた。それがどういう訳か、この売れっ子作詞家という身分に満足できなかったようで、突然作詞家休業宣言をしてしまった。何んでも、純文学の世界で後世に名を残したいとか。そういえば、Aはもともと某大仏文科出身で、在学中小説家を志して中退したという経歴をもっている。青春の夢が捨て切れなかったのか、レコード会社や事務所の忠告も無視し、ひとり山へ引きこもってしまった。本人の説明では、詩作と小説書きに没頭したいから、ということであったが。(今にして思えば、そもそも、これが悲劇の発端であった。ある筋によれば、この山にこもった二年半の間、芥川賞をはじめありとあらゆる公募に手あたりしだい作品を送りつけていたということだ。ところがどっこい、世の中そんなに甘いものではない。候補に上がったのはなんと直本賞と角川推理賞だけであった。そして、結局は直木賞も逃がし、実際にとれたのは、角川推理賞だけという不本意な結果に終わった。こんな状態では(純文学にこだわっていたのだから)、もともとプライドの高いAとしては焦らないはずがない。それに加えて、休業宣言、生活の方もだんだんと苦しくなって、かなり追いつめられていたようだ。 
 一時は、銀座のホステス、新人歌手、引退女優と、なかなかのプレイボーイぶりを見せていたAも、だんだんとデビュー当時のキザな面影は消え、近寄りがたい風貌になつていたという。たまたま避暑に行って出合ったある銀座のホステスは、この頃のAについて、「顔、見ただけで、コワクッて……」と、何か見てはならないものを見てしまった、というように語ってくれた。 
 それが、ひょっこり、この一年ほど前に、ほとんどAの存在を忘れかけていた芸能界に再び戻って来たのだ。自分の文士としての才能に見切りをつけたのか、よっぽど生活が苦しくなっていたのか。以前不義理をした事務所やレコード会社に頭を下げて歩いたらしい。しかし、Aが元の栄光の座に戻れなかったのは言うまでもない。が、それどころか、かつての同僚たちはそれぞれレコード会社や大手のプロダクションの重役におさまっているものもおり、Aの助手をしていたような連中までが「センセイ」と呼ばれる身分になつていた。こうしたことはAのようなタイプの男には耐えがたい屈辱であったろう。自尊心を傷つけられたAはますます内にこもるようになり、人付き合いもなくなっていった。それでも生活のために耐えていたのであろう。考えようによってはよくもまあ、ああした境遇で一年近くもガマンしていたとも言える。実際、そう言っている人もいる。それが、六月四日の朝、取材のために山中湖へ行くと言って家を出たきり、家族のもとへ二週閻以上も連絡を断っている。事務所の話では、簡単な取材なので二泊三日の予定だったという。一方、旅館の人の話では、六月四日の夜、食事を持っていった時、何か訳のわからないことを言っていたということだ。また、住み込みの従業員は夜中に変な声で目をさまし、廊下をのぞいたところ人影が動くのを見たと証言をしている。ともかく、六月五日の朝、食事の用意に行ったときにはすでにAの姿は見えず、ボストンバツクだけが残されていたという 
ことだ。 
 はじめはどこかへ行ってすぐ戻ってくるものと思っていたのが、二日たっても三日たっても帰って来ず、五日目にAの事務所からの電話で、どこにもいないことが確認され、この騒ぎとなった。家族は、以前よく家をあけていたので、はじめは仕事の都合で帰りが遅れているのだと思つていたようだが、関係者の話では最近ではそれ程時間のかかる重要な仕事はまかされていなかったということだ。警察、消防団が動き出してからちょうど十日になる。そして、いつこうに手がかりがつかめないままだ。それにしても残された家族のことを思うとこんな気の毒な話はない。 
 なんとも奇怪でいたましい事件である。我々はただ少しでも早く、Aさんの行えを探す手ががりがつかめることを祈るだけだ。 
 

 
もどる