蜻蛉日記  和泉式部日記 紫式部日記 とはずがたり


蜻蛉日記 嘆きつつひとり寝る夜


 蜻蛉日記は、藤原道綱の母が、19才の頃に当時の貴族のなかでもトップのエリートであった兼家と結婚してから二十一年間の結婚生活について書いた日記であるである。
 当時の兼家は二十六才で時姫という妻があり、長男の道隆も生まれていた。結局、九人の妻を持つことになる。兼家については、2年で『大鏡』の兄兼通との確執で学習済みである。長男の道隆も南院の競射で登場している。作者はたいへんな美人で、また、『更級日記』の作者の菅原孝標の娘の母親の異母姉で、歌人としても有名である。作者の子どもの道綱は作者が二十才の時に生まれ、右大将まで昇進している。作品は、政治的社会的な内容はなく、ひたすら、一夫多妻制の世の中の中で、兼家の愛情を独占しようと苦悶しようとしている悲哀に満ちている。
 「嘆きつつ」は道綱が誕生して間もなくの九月の記録である。兼家が他の女の元に通い始める。
作者は兼家が出て今他後に残された文箱の中の、よその女に宛てて書きかけた手紙で知る。作者は「あさまし」と感じる。作者は手紙に、歌を書きつけて、見ましたよというサインを送ろうとする。歌のもつメッセージ性に自分の思いを託そうとする。それを見れば兼家も少しは反省するかもしれないと思ったからである。
 その歌は、掛詞や縁語などの技巧を凝らして、嫉妬の気持ちをあからさまに書いた。
 ところが、兼家には効果がなく、十月下旬に予想通り三日間顔を出さない日が続いた。三日続けて女の元に通うと結婚が成立する。ちなみに、三日目の夜が終わった朝、女の家から帰って書く手紙が「後朝(きぬぎぬ)の文(ふみ)」である。その後、兼家は何事もなかったように作者の家を訪れ、「しばらく通わなかったのは、あなたの愛情が変わらないか試したのだよ」と白々しく言う。そして、夕方になると、「宮中に用事があるので」と見え見えの嘘を言って出かける。作者は召使に尾行させる。すると、町の小路の女の所へ行ったと報告があった。相手が自分よりランクの下の女だったので、作者の気持ちは「いみじう憂し」と一層落ち込む。
 しかし、それも当時の男にしては当然の行動である。作者は妻の一人にすぎないのだ。それはわかっていてどうしようもないのだが、悶々として過ごしていると、上げ型に明け方に門をたたく音があった。兼家だろうと思うのだが、許して開けるべきか、あくまで拒絶して開けないべきか、心が揺らいでいる。結局、門を開けなかった。作者は一晩中、兼家が門を叩いていて反省してほしいと思ったのかもしれない。しかし、兼家はそのまま町の小路の女の所へ行ってしまったらしい。
 翌朝、「なほもあらじ」、兼家の愛情を何とかつなぎ止めなければいけないと思って、また、掛詞を使った歌を読む。嘆きながら一人で寝る夜の、門を開けないで夜が明けるまで待っている時間が、
どれだけつらいものであるかあなたにはわからないだろう。それをいつもより文字を丁寧に、手紙の体裁も整え、紙にも気を使い、当時の手紙にと草花や木の枝を付けて贈るのが風習であったが、色あせた菊に差して、兼家の愛情も衰えたことを風刺しようとした。
 返事は、「夜が明け、門が開くまで叩き続けようと思ったが、急用を知らせる召使がやって来たので引き返さざるを得なかった。あなたの気持ちはもっともだ」とあり、作者の歌の掛詞を利用した歌が添えてあった。本当に冬の夜は明けるのが遅いけれども、あなたの家の門も開くのが遅いね。作者の気持ちを汲むような素振りを見せながら、門を開けなかった作者を責めている。
 それにしても、私がこれだけつらい思いをしているのに、兼家は不思議なほど何事もなかったように、私の目を忍ぶように「宮中に用事ができたから」といちいち言い訳をすることもなくなり、完全に無視されてしまったのは、「いととどしう心づきなし」と、一層気に食わなくなった。
 この後、兼家は作者の元にも時姫の元にも通わなくなり、作者は時姫と共闘し、時々訪れる兼家を追い返す。そのうち、町の小路の女は男の子を出産するが、兼家の愛情は薄れていく。さらに、その男の子も死んでしまい、作者は胸がすっとする。女にしてみると、子どもを生めば兼家の愛情をつなぎ止められると思っているが、兼家にしてみれば子どもを生んだ女は魅力がなくなるということか。


0.学習プリントを配布し、語句調べと訳を宿題にする。
1.教師が音読する。
2.生徒と音読する。
3.『蜻蛉日記』と作者とこの部分までのあらすじについて、教科書の注を参考にして説 明する。
 ・兼家に対する嫉妬の日記であることを確認する。

4.さて、九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに、見てけりとだに知られむと思ひて、書きつく。
 1)「出でにたる」「開けて見れば」の主語に注意する。
 2)「見てけりとだに知られむ」の品詞分解と助動詞や副助詞の意味。
  ・見(上一)て(完了)けり(過去)とだに(副助)知られ(受身)む(意志)
  ・「だに」は限定の意味(セメテ〜ダケデモ)
 3)「書きつく」は何に何を書きつけるのか。
  ・手紙に歌を。
  ・歌のもつメッセージ性に自分の思いを託そうとする。
 4)「見てけりとだに知られむ」と思って、手紙に歌を書きつけた作者の気持ちを考える。
  ・直接言うと嫌われて二度と来なくなるかもしれないえないが、歌を見れば兼家も少しは反省するかもしれないと思ったからである。

5.疑はしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならむとすらむ
 1)掛詞を指摘させる。
  ・はし=疑はしー橋
  ・ふみ=文  −踏み
  ・とだえ=兼家が来なくなる−橋が通れなくなる
 2)縁語を指摘させる。
  ・橋−渡せ−踏み−途絶え
 3)「ここやとだえにならむとすらむ」の品詞分解と、係り結び、助動詞の意味を考えさせる。
  ・ここ(名)や(疑問)とだえ(名)に(格助)なら(四未)む(推量)と(格助)らむ(現在推量体)
 4)掛詞に注意して訳させる。
  ・疑わしいことよ。他の女に渡した手紙を見ると、こちら(へおいでになるのは)最後になろうとするのだろうか。
 5)歌の気持ちを考える。
  ・兼家への恨みと未練。

6.など思ふほどに、むべなう、十月つごもり方に、三夜しきりて見えぬときあり。つれなうて、「しばし試みるほどに。」など、気色あり。
 1)「むべなう」はどこにかかるか。
  ・見えぬときあり
 2)「三夜しきりて見えぬときあり」の意味を説明する。
  ・三晩続けて来ないということは、三晩続けて町の小路の女の所に通い続けたことに   なる。
  ・三晩続けて女の所に通うことは、結婚したことを意味する。
  ・三日目の朝帰って男が書く手紙が「後朝(きぬぎぬ)の文」である。
 3)「しばし試みるほどに。」は誰の会話か。
  ・兼家。
 4)「つれなうて」の前の省略を補う。
  ・(兼家がやって来て)
 5)何を試みるのか。
  ・三晩も続けて作者の元を訪れなくても、愛想を尽かさないかどうか。

7.これより、夕さりつ方、「内裏にのがるまじかりけり。」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむ、止まりたまひぬる。」とて来たり。
 1)「これ」の指示内容は。
  ・作者の家
 2)「まじかりけり」の助動詞の意味。
  ・不可能、詠嘆。
 3)「出づる」「心得で」の主語を考える。
  ・兼家が「出づる」と、私が「心得で」。
 4)「出づるに」の接続助詞の意味は。
  ・順接。
 5)「そこそこになむ、止まりたまひぬる」の係り結びを指摘させる。

8.さればよと、いみじう心憂しと、思へども、言はむやうも知らであるほどに、二、三日ばかりありて、暁方に門をたたくときあり。さなめりと思ふに、憂くて、開けさせね ば、例の家とおぼしき所にものしたり。つとめて、なほもあらじと思ひて、
 1)「さればよ」の指示内容は。
  ・町の小路の女の家に行ったこと。
 2)「言はむやう」の助動詞の意味は。
  ・婉曲(下に体言が来て連体形)
 3)「さなめりと思ふに」の指示内容と接続助詞は。
  ・兼家が来たこと。
  ・逆接。(兼家が来たけれども、開けさせなかった)
 4)「開けさせね」の助動詞の意味は。
  ・使役、打消
 5)心内語を指摘させる。
  ・さればよ
  ・いみじう心憂し
  ・さなめり
 6)次の作者の気持ちを考える。
  ヌ「いみじう心憂し」
   ・町の小路の女の所へ行って、捨てられたような気がしてつらい。
  ネ「言はむやうも知らである」
   ・やかましく言うと、本当に捨てられるのではないかと恐れている。
  ノ「憂くて、開けさせね」
   ・自分の恨みを伝えたい。
  ハ「なほもあらじと思ひて」
   ・ここで何も言わなければ、本当に捨てられるのではないかと恐れている。

9.嘆きつつひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る と、例よりはひきつくろひて書きて、移ろひたる菊に挿したり。
 1)掛詞を考える。
  ・あく=(夜が)明ける−(戸が)開く
 2)係り結びを指摘させる。
  ・か(疑問)→知る
 3)「例よりはひきつくろひて書きて」の意図は。
  ・改まった様子で、自分の気持ちを伝えるため。
 4)「移ろひたる菊に挿した」理由は。
  ・「移ろひ」は色あせるで、兼家の愛情が衰えたこと皮肉ろうとした。

10.返り言、「あくるまでも試みむとしつれど、とみなる召し使ひの来あひたりつればなむ。いと理なりつるは。
  げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸も遅くあくるはわびしかりけり」
 1)「あくるまでも試みむ」の助動詞とは何を試みようとしたのか。
  ・意志。
  ・夜が明けるまで、戸が開くまで、門を叩くこと。
 2)「使ひの来あひたりつればなむ」の係り結びは。
  ・なむ→省略(去りぬる)
 3)何が「いと理なりつる」のか。
  ・作者の私を恨む気持ち。
 4)掛詞を指摘させる。
  ・あく=(夜が)明ける−(戸が)開く
 5)「ならぬ」「わびしかりけり」の助動詞の意味は。
  ・打消、詠嘆。
 6)「冬の夜ならぬ真木の戸も遅くあくる」を訳し、その前の省略を考える。
  ・冬の夜ではない真木の戸が遅く開く。
  ・冬の夜は明けにくいものだか
 7)歌に込められた兼家の気持ちは。
  ・作者の気持ちをもっともだといいながら、戸が開けてくれなかったことを非難して   いる。
  ・作者と同じ掛詞を使うことで、真剣ではない。

11. さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたる、しばしは、忍びたるさまに、「内裏に。」など言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ、限りなき  や。
 1)「ことなしびたる」の主語は。
  ・兼家。
 2)「言ひつつぞあるべきを」の係り結びと、接続助詞の意味と、省略は。
  ・ぞ→流れ(「べき」で結ぶはずであるが、「を」に続いたので流れた)
  ・反復。逆接。
  ・そうでないのは
 3)作者の気持ちを考える。
  ・言い訳すらせず、女の所へ行くほど、軽く扱われていることに絶望している。
 4)何が「あやしかりつる」のか。
  ・私がつらい思いをしているのに、兼家が何事もなかったようにしているから。

12.私の気持ちを変化を表す語を3つ抜き出させる。
 ・あさましさ、心憂し、心づきなし。

13.このあとの話を説明する。
 ・この後、兼家は作者の元にも時姫の元にも通わなくなる。
 ・作者は時姫と共闘し、時々訪れる兼家を追い返す。
 ・そのうち、町の小路の女は男の子を出産するが、兼家の愛情は薄れていく。
 ・さらに、その男の子も死んでしまい、作者は胸がすっとする。


蜻蛉日記  町の小路の女


 蜻蛉日記は、藤原道綱の母が、19才の頃に当時の貴族のなかでもトップのエリートであった兼家と結婚してから二十一年間の結婚生活について書いた日記であるである。
 当時の兼家は二十六才で時姫という妻があり、長男の道隆も生まれていた。結局、九人の妻を持つことになる。兼家については、2年で『大鏡』の兄兼通との確執で学習済みである。長男の道隆も南院の競射で登場している。作者はたいへんな美人で、また、『更級日記』の作者の菅原孝標の娘の母親の異母姉で、歌人としても有名である。作者の子どもの道綱は作者が二十才の時に生まれ、右大将まで昇進している。作品は、政治的社会的な内容はなく、ひたすら、一夫多妻制の世の中の中で、兼家の愛情を独占しようと苦悶しようとしている悲哀に満ちている。
 「嘆きつつ」は道綱が誕生して間もなくの九月の記録である。兼家が他の女の元に通い始める。
作者は兼家が出て今他後に残された文箱の中の、よその女に宛てて書きかけた手紙で知る。作者は「あさまし」と感じる。作者は手紙に、歌を書きつけて、見ましたよというサインを送ろうとする。歌のもつメッセージ性に自分の思いを託そうとする。それを見れば兼家も少しは反省するかもしれないと思ったからである。
 その歌は、掛詞や縁語などの技巧を凝らして、嫉妬の気持ちをあからさまに書いた。
 ところが、兼家には効果がなく、十月下旬に予想通り三日間顔を出さない日が続いた。三日続けて女の元に通うと結婚が成立する。ちなみに、三日目の夜が終わった朝、女の家から帰って書く手紙が「後朝(きぬぎぬ)の文(ふみ)」である。その後、兼家は何事もなかったように作者の家を訪れ、「しばらく通わなかったのは、あなたの愛情が変わらないか試したのだよ」と白々しく言う。そして、夕方になると、「宮中に用事があるので」と見え見えの嘘を言って出かける。作者は召使に尾行させる。すると、町の小路の女の所へ行ったと報告があった。相手が自分よりランクの下の女だったので、作者の気持ちは「いみじう憂し」と一層落ち込む。
 しかし、それも当時の男にしては当然の行動である。作者は妻の一人にすぎないのだ。それはわかっていてどうしようもないのだが、悶々として過ごしていると、上げ型に明け方に門をたたく音があった。兼家だろうと思うのだが、許して開けるべきか、あくまで拒絶して開けないべきか、心が揺らいでいる。結局、門を開けなかった。作者は一晩中、兼家が門を叩いていて反省してほしいと思ったのかもしれない。しかし、兼家はそのまま町の小路の女の所へ行ってしまったらしい。
 翌朝、「なほもあらじ」、兼家の愛情を何とかつなぎ止めなければいけないと思って、また、掛詞を使った歌を読む。嘆きながら一人で寝る夜の、門を開けないで夜が明けるまで待っている時間が、
どれだけつらいものであるかあなたにはわからないだろう。それをいつもより文字を丁寧に、手紙の体裁も整え、紙にも気を使い、当時の手紙にと草花や木の枝を付けて贈るのが風習であったが、色あせた菊に差して、兼家の愛情も衰えたことを風刺しようとした。
 返事は、「夜が明け、門が開くまで叩き続けようと思ったが、急用を知らせる召使がやって来たので引き返さざるを得なかった。あなたの気持ちはもっともだ」とあり、作者の歌の掛詞を利用した歌が添えてあった。本当に冬の夜は明けるのが遅いけれども、あなたの家の門も開くのが遅いね。作者の気持ちを汲むような素振りを見せながら、門を開けなかった作者を責めている。
 それにしても、私がこれだけつらい思いをしているのに、兼家は不思議なほど何事もなかったように、私の目を忍ぶように「宮中に用事ができたから」といちいち言い訳をすることもなくなり、完全に無視されてしまったのは、「いととどしう心づきなし」と、一層気に食わなくなった。
 この後、兼家は作者の元にも時姫の元にも通わなくなり、作者は時姫と共闘し、時々訪れる兼家を追い返す。そのうち、町の小路の女は男の子を出産するが、兼家の愛情は薄れていく。さらに、その男の子も死んでしまい、作者は胸がすっとする。女にしてみると、子どもを生めば兼家の愛情をつなぎ止められると思っているが、兼家にしてみれば子どもを生んだ女は魅力がなくなるということか。


町の小路の女

0.本文の写しと学習プリントを配布し、訳を宿題にする。
1.『蜻蛉日記』と作者とこの部分までのあらすじについて、教科書の注を参考にして説明する。
 ・作者は藤原道綱の母。
 ・藤原兼家との結婚生活で、夫の愛情を独占できない嫉妬の苦悩と嘆きを描く。
 ・兼家は藤原氏の主流派北家の師輔の三男。受領階級の父親の娘である作者は玉の輿である。兼家の子が、道隆、道綱、道兼、道長。
 ・しかし、父の倫寧が陸奥の国司になってからは、兼家だけが頼りになる。
 ・しかし、当時は一夫多妻制で、道隆を産んだ時姫という正妻がいた。
 ・作者は、兼家の愛情をつなぎ止めるのに必死である。
2.教師が音読する。
3.本文部分のあらすじをとる。
 1)主な登場人物は。
  ・作者、兼家。
 2)起こった出来事は。
  1)九月頃、作者が兼家が他の女に宛てた手紙を見つける。
  2)十月末、兼家が三日間来なかった。
  3)兼家が夕方出かけたので、後をつけさせると、町の小路の女の所へ通っていたこと   がわかる。
  4)二、三日後の明け方、兼家が家の戸を叩くが、作者は開けない。
  5)翌朝、作者は兼家に移ろいたる菊を添えた手紙を送る。
  6)兼家の返事が返ってくるが、何事もなかったような内容が気に食わない。
 3)歌の作者は。
  1)疑はし=作者
  2)嘆きつつ=作者
  3)げにやげに=兼家。

4.さて、九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに、見てけりとだに知られむと思ひ て、書きつく。
 1)「出でにたる」「開けて見れば」の主語は。
  ・兼家が「出でにたる」、作者が「開けて見れば」。
 2)「見てけりとだに知られむ」の品詞分解は。
  ・見(上一)て(完了)けり(過去)と/だに(副助)知ら/れ(受身)む(意志)
  ・「だに」は限定の意味(セメテ〜ダケデモ)
  【訳】せめて(私が)見たとだけでも(兼家)に知られよう。
 3)「書きつく」は何に何を書きつけるのか。
  ・手紙に歌を。
  ・歌のもつメッセージ性に自分の思いを託そうとする。
 4)手紙に歌を書きつけた作者の気持ちは。
  ・直接言うと嫌われて二度と来なくなるかもしれないえないが、歌を見れば兼家も少しは反省するかもしれないと思ったからである。

5.疑はしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならむとすらむ
 1)掛詞は。
  ・はし=疑はしー橋
  ・ふみ=文  −踏み
  ・とだえ=兼家が来なくなる−橋が通れなくなる
 2)縁語は。
  ・橋−渡せ−踏み−途絶え
 3)「ここやとだえにならむとすらむ」の品詞分解は。
  ・ここ(名)や(疑問)とだえ(名)に(格助)なら(四未)む(推量)と(格助)す/らむ(現在推量体)
 4)掛詞に注意して訳させる。
  【訳】疑わしいことよ。他の女に渡した手紙を見ると、こちら(へおいでになるのは)最後になろうとするのだろうか。
 5)歌の気持ちは。
  ・兼家への恨みと未練。

6.など思ふほどに、むべなう、十月つごもり方に、三夜しきりて見えぬときあり。つれなうて、「しばし試みるほどに。」など、気色あり。
 1)「むべなう」はどこにかかるか。
  ・見えぬときあり
 2)「三夜しきりて見えぬときあり」の意味の説明。
  ・三晩続けて来ないということは、三晩続けて町の小路の女の所に通い続けたことになる。
  ・三晩続けて女の所に通うことは、結婚したことを意味する。
  ・三日目の朝帰って男が書く手紙が「後朝(きぬぎぬ)の文」である。
 3)「つれなうて」の主語、「しばし試みるほどに。」の会話の主は。
  ・兼家。
 4)何を試みるのか。
  ・三晩も続けて作者の元を訪れなくても、愛想を尽かさないかどうか。

7.これより、夕さりつ方、「内裏にのがるまじかりけり。」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむ、止まりたまひぬる。」とて来たり。
 1)「これ」の指示内容は。
  ・作者の家
 2)「まじかりけり」の助動詞は。
  ・不可能、詠嘆。
  【訳】宮中に(行くことは)避けることができないなぁ」
     宮中に行かねばならぬ用事ができた。
 3)「出づる」「心得で」の主語は。
  ・兼家が「出づる」と、私が「心得で」。
 4)「出づるに」の接続助詞は。
  ・順接。
 5)「そこそこになむ、止まりたまひぬる」の係り結びは。

8.さればよと、いみじう心憂しと、思へども、言はむやうも知らであるほどに、二、三日ばかりありて、暁方に門をたたくときあり。さなめりと思ふに、憂くて、開けさせね ば、例の家とおぼしき所にものしたり。つとめて、なほもあらじと思ひて、
 1)「さればよ」の指示内容は。
  ・町の小路の女の家に行ったこと。
 2)「言はむやう」の助動詞は。
  ・婉曲(下に体言が来て連体形)
 3)「さなめりと思ふに」の指示内容と接続助詞は。
  ・兼家が来たこと。
  ・逆接。(兼家が来たけれども、開けさせなかった)
 4)「開けさせね」の助動詞は。
  ・使役、打消
  【訳】(召使に)開けさせなかったので
 5)「ものしたり」は何をしたのか。
  ・(女の所へ)行った。
 6)次の作者の気持ちは。
  1)「さればよ、いみじう心憂し」
   ・町の小路の女の所へ行って、捨てられたような気がしてつらい。
  2)「言はむやうも知らである」
   ・やかましく言うと、本当に捨てられるのではないかと恐れている。
  3)「さなめりとと思ふに」
   ・兼家が来てくれてうれしい。
  4)「憂くて、開けさせね」
   ・自分の恨みを伝えたい。
  5)「なほもあらじと思ひて」
   ・ここで何も言わなければ、本当に捨てられるのではないかと恐れている。

9.嘆きつつひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知ると、例よりはひきつくろひて書きて、移ろひたる菊に挿したり。
 1)掛詞は。
  ・あく=(夜が)明ける−(戸が)開く
 2)係り結びは。
  ・か(疑問)→知る
 3)「例よりはひきつくろひて書きて」の意図は。
  ・改まった様子で、自分の気持ちを伝えるため。
 4)「移ろひたる菊に挿した」理由は。
  ・「移ろひ」は色あせるで、兼家の愛情が衰えたこと皮肉ろうとした。
 5)訳させる。
 【訳】嘆きながら一人で寝る夜が開けるまで、戸が開くまでの間は、どれだけ長いものかと(あなたは)知っているのだろうか。

10.返り言、「あくるまでも試みむとしつれど、とみなる召し使ひの来あひたりつればなむ。いと理なりつるは。
  げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸も遅くあくるはわびしかりけり」
 1)「あくるまでも試みむ」の助動詞は。何を試みようとしたのか。
  ・意志。
  ・夜が明けるまで、戸が開くまで、門を叩くこと。
 2)「使ひの来あひたりつればなむ」の係り結びは。
  ・なむ→省略(去りぬる)
 3)何が「いと理なりつる」のか。
  ・作者の私を恨む気持ち。
 4)掛詞は。
  ・あく=(夜が)明ける+(戸が)開く
 5)その前の省略、助動詞「ぬ」「けり」、掛詞に注意して訳させる。
 【訳】本当に本当に、(冬の夜は明けにくいものだが)冬の夜ではない真木の戸が遅く開くのは辛いものだなぁ。
 7)歌に込められた兼家の気持ちは。
  ・作者の気持ちをもっともだといいながら、戸が開けてくれなかったことを非難している。
  ・「げにやげに」や作者と同じ掛詞を使うことで、真剣ではない。

11.さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたる、しばしは、忍びたるさまに、「内裏に。」など言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ、限りなきや。
 1)「ことなしびたる」の主語は。
  ・兼家。
 2)「言ひつつぞあるべきを」の係り結びは。接続助詞は。
  ・ぞ→流れ(「べき」で結ぶはずであるが、「を」に続いたので流れた)
  ・逆接。
 3)何が「あやしかりつる」のか。
  ・私がつらい思いをしているのに、兼家が何事もなかったようにしているから。
 4)本来は、どのようにするべきか。
  ・しばらくの間は、女の所に行かないのがいいが、行くとしても、人目を気にして、「宮中に」とでも嘘を言って、出かけるのが普通である。
  ・にもかかわらず、何事もなかったような顔をしている。
 5)作者の気持ちは。
  ・心づきなし。
  ・言い訳すらせず、女の所へ行くほど、軽く扱われていることに絶望している。

13.このあとの話を説明する。
 ・この後、兼家は作者の元にも時姫の元にも通わなくなる。
 ・作者は時姫と共闘し、時々訪れる兼家を追い返す。
 ・そのうち、町の小路の女は男の子を出産するが、兼家の愛情は薄れていく。
 ・さらに、その男の子も死んでしまい、作者は胸がすっとする。嘆きつつひとり寝る夜





和泉式部日記 夢よりもはかなき世の中を


 恋人の為近親王を失い、夢よりもいっそうはかない思いをしているうちに、四月十日(今の五月中旬)になってしまった。青葉が繁り木の下が暗くなっている。築地の草も含めて青々したものには人は関心を示さないのであるが、私は恋人をなくして傷心しているのでこの生命力に満ちた風景は対照的なのでいっそう強く感じる。そのように落ち込んでいる時に、垣根に人がいるのに気づく。それは亡き為近親王に仕えていた小舎人童であった。その気持ちが詠嘆の「けり」に込められている。
 私が「どうして姿を見せなかったのか。為近親王の思い出を語ろうと思っていたのに」と侍女に言わせる。当時は身分の高い人は身分の低いものとは直接話さなかった。小舎人童は「用事もないのに訪問するのはなれなれしいと思いうかがわなかった。今は亡き為近親王の身代わりとして弟の帥宮にお仕えしている」と言う。(当時、主人を失った召使はゆかりの人に仕えることが多く、ゆかりの人失業した召使に手をさしのべる思いやりがあった。今のリストラ社会とは大きく違う。)私が「帥宮は上品でよそよそしいという噂ですね。為近親王のようにはいかないでしょう」と言う。言外に兄の為近親王は親しみやすい人であったと懐かしんでいる。小舎人童は私に気づかってその噂をいったん認めた上で「たいへん親しみやすい方です。私がいつも式部の所へ行くのかとお尋ねになるので、うかがいますと答えると、これを持って行ってどのように見るか差し上げて来いとおっしゃいました」と橘の花を差し出した。当時の男性貴族は草木の枝を女性に差し出して、弔辞を表したり、対応を楽しんだ。橘は季節的にもふさわしく、また古歌の意味からのメッセージもあった。小舎人童は何気なくふらっと立ち寄ったのでなく、帥宮の恋のメッセンジャーであった。私は「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」と言う歌が自然と口に出て、小舎人童が返事を求めるので、言葉だけでは失礼だと思い、「帥宮はまだ浮名は立っていないので、とりとめもない歌を差し上げましょう」と言って次の歌を贈った。当時は女性も歌が読めるかどうかで恋愛、イコール人生が左右されたのである。
  橘の薫る香である為近親王にかこつけて思い出しているのでなく、橘の花に来るほと とぎすのような帥宮が為近親王と同じ声をしているのか聞きたいものです。ぜひお越し ください。
と積極的に帥宮を受け入れようと申し上げた。とりとめもない歌所ではないやり手である。恋人が亡くなったというのにすぐに弟に手を出そうとする好色ぶりである。帥宮は上品でとっつきにくいと思っていたのに、兄同様親しみやすい人柄で、恋の告白をしてきたのだからまんざらでもないと思ったのだろう。
 帥宮も返事が待ち遠しく奥に入らず縁先で待ち受けていた。小舎人童も内容が内容だけに、また自分の身分を気使って物陰で様子ありげな素振りをしているのを見つけて、どうだったかと尋ねるので、私からの手紙を差し出した。その返歌は
  私は兄為近親王と同じ枝で鳴いていたほととぎすです。当然声が変わらないのをご存 じではないのですか。
とこちらも愛情を持っているという告白する。その返歌を小舎人童に渡して、好色じみているので、このことは絶対にいうなと人目を気にして言って中にお入りになる。これから十カ月におよぶ交際が始まる。

 和泉式部日記は、和泉式部と帥宮の十カ月に及ぶ恋愛を書いたものである。百四十余りの歌の贈答があり、そこに恋愛におけるさまざまな心理が書かれているので「歌物語」の系列に属するとも言える。他作であるとも言われている。その理由は、主人公が見聞きできないものまで書かれている。主人公を「女」と三人称で書いている。自分自身の好色な評判や非難も書かれているなどである。
 和泉式部は、十七才で橘道貞と結婚し、小式部内侍を生む。二十歳の時から為近親王との恋愛が始まり、三年後為近親王が亡くなる。この恋愛が原因で、道貞から離縁され、親から勘当される。そのような折りに、弟帥宮(敦道親王)との恋愛が翌年から始まる。この恋愛は帥宮が亡くなるまで四年間続く。帥宮が亡くなった翌々年、中宮彰子の女房として仕え、道長のとりなしで藤原保昌と結婚し、丹後へ行く。その時に、娘の小式部内侍から「大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」の歌の相談を受ける。


0.学習プリントを配布し、語句調べと訳を宿題にする。
1.教師が音読する。
2.生徒と音読する。
3.登場人物を確認する。
 ・作者(ここでは「女」にしておく)。
 ・故宮(為尊親王)。
 ・小舎人童。
 ・帥宮(敦道親王。故宮の弟)

4.夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。
 1)何が「はかなし」なのか、教科書の脚注を見て確認する。
  ・男女の仲。為尊親王との仲が、親王の死によって絶たれた。
 2)「ほどに」の接続は。
  ・単純接続。
 3)「十余日にもなりぬれ」の識別は。
 4)「木の下暗がりもてゆく」理由は。
  ・青葉が繁ったから。
  ・四月十日余りは、今で言うと5月中旬。

5.築土の上の草青やかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれと眺むるほどに、近き透垣のもとに人のけはひすれば、誰ならむと思ふほどに、故宮に候ひし小舎人童なりけり。
 1)「青やかなる」「誰ならむ」「小舎人童なりけり」の識別は。
 2)「とどめぬ」「誰ならむ」「小舎人童なりけり」の助動詞の意味は。
  ・「とどめぬ」は上の「ことに」に呼応している。
  ・「けり」が詠嘆であるのは、恋人の死に傷心している時に恋人に縁のものの不意の   来訪に驚いているから。
 3)「とどめぬものを」「ほどに」の接続は。
  ・逆接。単純接続。
 4)「人はことに目もとどめぬ」「築土の上の草青やかなる」を「あはれと眺むる」理由  は。
  ・恋人であった為尊親王の死を悲しんでいるので、対照してきな成長していく若葉を   強く意識してしまう。

6.あはれにもののおぼゆるほどに来たれば、「などか久しく見えざりつる。遠ざかる昔の名残にも思ふを。」など言はすれば、
 4)「ほどに」「思ふを」の識別は。
  ・「ほどに」はここでは格助詞で時間。
  ・「思ふを」は間投助詞で詠嘆。
 5)「などか〜」は誰の会話か。
  ・女。
 6)会話中の係り結びは。
  ・か(疑問)→つる。
 7)「言はすれ」 と助動詞の意味は。
  ・使役。侍女に言わせた。身分の高い女性は身分の低いものと直接話さなかった。小
   舎人童は使用人なので身分が低い。最後に帥宮と話す直接時も身を隠している。
 8)「遠ざかる昔」とは何か。
  ・故宮との思い出。

7.「そのことと候はでは、なれなれしきさまにやと、つつましう候ふうちに、日ごろは山寺にまかりありきてなむ。
 1)誰の会話か。
  ・小舎人童。
 2)敬語の種類と主体と対象は。
  ・候は、候ふ(丁寧。童→女)。
  ・まかり(謙譲。童→山寺)。
 3)「うちに」の識別は。
  ・格助詞で時間。
 4)係り結びは。
  ・にや(疑問)→(あらむ)が省略。
  ・なむ(強意)→(ある)が省略。

8.いとたよりなく、つれづれに思ひたまうらるれば、御代はりにも見たてまつらむとてなむ、帥宮に参りて候ふ。」と語る。
 1)敬語の種類と主体と対象は。
  ・たまう
   ヌ主語は小舎人童。
   ネ尊敬ではなく、謙譲語。童→女。
   ノウ音便だが、元の形は何か。
   ハこの位置は未然形。
   ヒ謙譲語ならば下二段になり、「たまへ」。
  ・見たてまつらむ=謙譲。童→帥宮。
   ヌ「見る」の意味は、世話をする。
   ネ「御代はり」とは誰の代わりか。
    ・故宮。
   ノ誰を世話するのか。
    ・帥宮
  ・参りて=謙譲。童→帥宮。
  ・候ふ=丁寧。童→女。
 2)「らるれ」「む」の助動詞の意味は。
  ・自発。意志。
 3)係り結びは。
  ・なむ(強意)→候ふ。

9.「いとよきことにこそあなれ。その宮は、いとあてにけけしうおはしますなるは。昔のやうにはえしもあらじ。」など言へば、
 1)敬語の種類と主体と対象は。
  ・尊敬。女→帥宮。(「その宮」とは帥宮)
 2)「なり」の識別は。
  ・こそあなれ=推定。
  ・おはしますなる=伝聞。
 3)「えしもあらじ」の品詞分解は。
  ・え(副詞)しも(副助詞)あら(ラ変未然)じ(打消、推量)
 4)女の帥宮に対する評価に注意する。
  ・けけし。
  ・故宮への思慕があり、帥宮を低く評価している。

10.「しかおはしませど、いとけ近くおはしまして、『常に参るや。』と問はせおはしまして、『参りはべり。』と申し候ひつれば、『これもて参りて、いかが見たまふとて奉らせよ。』とのたまはせつる。」とて、
 1)会話内の会話の話し手は。
  ・常に参るや=帥宮。
  ・参りはべり=童。
  ・これもて参りて=帥宮。
 2)敬語の種類と主体と対象は。
  ・板書して確認する。
  ・会話内会話の主体に注意する。
  ・「しかおはしませ(尊敬、童→帥宮)ど、いとけ近くおはしまし(尊敬、童→帥宮)て、『常に参る(謙譲、帥宮→女)や。』と問はせおはしまし(尊敬、童→帥宮)て、『参り(謙譲、童→女)はべり(丁寧、童→帥宮)。』と申し(謙譲、童→帥宮)候ひ(丁寧、童→女)つれば、『これもて参り(謙譲、帥宮→女)て、いかが見たまふ(尊敬、帥宮→女)とて奉らせよ(謙譲、帥宮→女)。』とのたまはせ(尊敬、童→帥宮)つる。」
 3)「しか」の指示内容は。
  ・いとあてにけけしうおはします
 4)後で否定しているが、一旦「しかおはしませど」と保留した理由は。
  ・女への気遣い。
  ・昔からの知り合いで身分の高い人なので、無下に否定できない。
  ・また、帥宮から恋文を預かってきたので気をつかっている。

11.橘の花を取り出でたれば、「昔の人の」と言はれて、「さらば参りなむ。いかが聞こえさすべき。」と言へば、
 1)「昔の人の」と言った理由は。
  ・橘の花を見て、「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」と言う歌を思   い浮かべたから。
 2)「言はれて」の助動詞の意味は。
  ・自発。
 3)「さらば〜」の会話の話し手は。
  ・小舎人童。
 4)敬語の種類と主体と対象は。
  ・参り、聞こえさす=謙譲。童→帥宮
 5)「なむ」の識別は。
  ・強意の助動詞+推量の助動詞。
  ・係助詞は連体形につく。
 6)「べき」の助動詞の意味と、連体形になっている理由は。
  ・適当。
  ・疑問の副詞「いかが」があるから。
 7)帥宮が小舎人童に橘の花を持たせた理由は。
  ・当時の貴族の、弔意の表現。
  ・手紙に草木を添えて、相手の反応を楽しんだ。
  ・橘は季節的にも合致している。
  ・「昔の人」が兄である故宮に重なるようし、弟である自分に話題をつなげる。

12.言葉にて聞こえさせむもかたはらいたくて、「なにかは、あだあだしくもまだ聞こえたまはぬを、はかなき言をも。」と思ひて、
 1)敬語の種類と主体と対象は。
  ・聞こえさせ=謙譲。作者→帥宮。
  ・聞こえたまは=謙譲。女→帥宮。
  ・聞こえたまは=尊敬。女→帥宮。
 2)「はかなき言をも」の後の省略は。
  ・奉らむ。
 3)帥宮は浮気っぽい噂がないので返事した歌が思わせぶりになるのに注意する。

13.薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたると/と聞こえさせたり。
 1)「薫る香」「ほととぎす」とは何を指しているか。
  ・薫る香=故宮。
  ・ほととぎす=帥宮。
 2)歌の主意は。
  ・兄故宮と同じ声かどうか、弟の帥宮の声を聞きたい。
  ・帥宮の来訪を待っている。
  ・故宮と死別した悲しみも薄れないのに、弟に恋の懸想をしている好色ぶり。
 3)敬語の種類と主体と対象は。
  ・聞こえさせ=謙譲。作者→帥宮。

14.まだ端におはしましけるに、この童隠れのかたに気色ばみけるけはひを、御覧じつけて、「いかに。」と問はせたまふに、御文をさし出でたれば、御覧じて、
 1)主語を確認する。
 2)敬語の種類と主体と対象は。
  ・おはしまし、御覧じ、せたまふ=尊敬。作者→帥宮。
 3)帥宮が「まだ端におはしましける」理由は。
  ・小舎人童の報告を待っている。
 4)小舎人童が「隠れのかたに気色ばみける」理由は。
  ・お忍びの内容だったので人目を避けている。

15.同じ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変はらぬものと知らずや/と書かせたまひて、賜ふとて、「かかること、ゆめ人に言ふな。好きがましきやうなり。」とて、入らせたまひぬ。
 1)「同じ枝」の意味は。
  ・女の歌と同じ、ホトトギスを使っている。
  ・兄の故宮と弟の自分が兄弟であることを示している。
 2)敬語の種類と主体と対象は。
  ・せたまひ、賜ふ=尊敬。作者→帥宮。
 3)「かかること」の指示内容は。
  ・自分が兄の恋人であった和泉式部と交際すること。
 4)「入らせたまひぬ」帥宮の気持ちは。
  ・うれしいけれども人目を憚っている。

16.今後のこととについて説明する。
 ・帥宮(敦道親王)との恋愛は、帥宮が亡くなるまで四年間続く。
 ・この前、故宮(為近親王)との恋愛は、二十歳の時から始まり、三年後為近親王が亡くなる。
 ・その前に、十七才で橘道貞と結婚し、小式部内侍を生む。
 ・しかし、故宮との恋愛が原因で、道貞から離縁され、親から勘当される。
 ・帥宮が亡くなった翌々年、中宮彰子の女房として仕え、道長のとりなしで藤原保昌と結婚し、丹後へ行く。その時に、娘の小式部内侍から「大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」の歌の相談を受ける。

17.『和泉式部日記』について説明する。
 ・和泉式部と帥宮の十カ月に及ぶ恋愛を書いたもの。
 ・百四十余りの歌の贈答があり、そこに恋愛におけるさまざまな心理が書かれているので「歌物語」の系列に属するとも言える。
 ・他作であるとも言われている理由は、
  ヌ主人公が見聞きできないものまで書かれている。
  ネ主人公を「女」と三人称で書いている。
  ノ自分自身の好色な評判や非難も書かれているなどである。


紫式部日記 和泉式部といふ人こそ


 まずは、和泉式部。「和泉式部という人は」という書き出しから距離を置いた書き方になっている。あまり好意を持っていないことがわかる。和泉式部は手紙のやりとりが激しかった、これはほめ言葉ではない。当時の手紙は男性に当てたもので、手紙のやりとりが多いということは、男関係が多かったということである。それを「けしからぬ方」と言っている。しかし、気軽に走り書きした手紙の、ちょっとした言葉に美しさが感じられる。歌というものは自然と口から出るものだと思っているらしい。口に任せて出る即興の歌には、趣のある目に留まる歌があると評価している。しかし、それほどの和泉式部でも、古歌についての知識や歌の批評、人の歌を非難したり判定しているのを見ると、本当の歌の読みぶりではないし、和歌の本質を理解していない。総じて、こちらが恥ずかしくなるような立派な歌人ではない。このような評価をした背景には、当時は『古今集』の知的に趣向を凝らした歌が尊ばれていて、和泉式部のように感情をストレートに歌う歌風は評価できない。作者はこの伝統を重んじる立場である。紫式部と和泉式部は資質や性格が正反対であり、相容れないものであった。
 次は、赤染衛門。特に優れているわけではない。しかし、由緒正しく品格があり、歌人だからといってむやみに歌を詠まない謙虚さがあり、世の中に知られている歌はちょっとした歌でも、こちらが恥ずかしくなるような立派な歌であると評価している。紫式部が赤染衛門を評価する理由は、年上であり、宮仕えの経験も長く、良妻賢母であった。つまり、紫式部は保守的なものを好むのである。
 そうした赤染衛門の謙虚さとは正反対で、上の句と下の句が離れてしまいそうな腰折れの歌を詠んで気取って自分が優れていると思っている人は、憎らしくも気の毒でもある。と、赤染衛門を引き合いに出して、次に登場する清少納言批判の布石を打っている。
 そして、清少納言。得意顔で、漢字の知識をを誇示しているが、未熟な所が多い。このように人と違うことをして目立とうとする人は、見劣りし、将来性もない。風流ぶって殺風景なものに対しても感動しているように振る舞い、趣あるものを見過ごさないようにしようと浮ついた様子になるはずである。その浮ついた人が良いはずはない。紫式部がこれほどまで清少納言を嫌うのは、同じ女房として、漢学の知識についてライバル意識があった。また、主人である中宮定子と彰子もライバル関係にあった。また、内向的な紫式部と外向的な清少納言の性格の違いもある。


0.学習プリントを配布し、語句調べと訳を宿題にする。
1.教師が音読する。
2.生徒と音読する。
3.批評の対象になっている人物と評価を確認する。
 ・和泉式部=よい点も悪い点も指摘している。
 ・赤染衛門=よい点を多く述べている。
 ・清少納言=徹底的に悪評を述べている。

4.和泉式部といふ人こそ、おもしろう書き交はしける。されど、和泉はけしからぬ方こそあれ。
 
1)係り結びは。
  ・人こそ→(あれ)
  ・方こそ→あれ
 2)「おもしろう」のウ音便の元の形は。
  ・おもしろく
 3)「けしからぬ」の識別は。
  ・打消。

5.うちとけて文走り書きたるに、その方の才ある人、はかない言葉の、にほひも見えはべるめり。歌は、いとをかしきこと。
 1)「はかなき」のイ音便の元の形は。
  ・はかなく
 2)「はべり」の敬語の種類と主体と対象は。
  ・丁寧、作者→読者。

6.ものおぼえ、歌の理、まことの歌詠みざまにこそはべらざめれ、口に任せたることどもに、必ずをかしき一節の、目にとまる詠み添へはべり。
 1)「詠みざまにこそはべらざめれ、」の品詞分解と訳は。
  ・詠みざま(体言)に(断定)こそ(係助)はべら(ラ未)ざ(る・打消体)めれ    (推定已)、
  ・詠みぶりではないようですが、
  ・こそ+已然形+「、」=逆接。
 2)「一節の」の格助詞の用法は。
  ・同格

7.それだに、人の詠みたらむ歌、難じ理りゐたらむは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたる筋にはべるかし。恥づかしげの歌詠みやとはおぼえはべらず。
 1)「それ」の指示内容は。
  ・口に任せたることどもに、必ずをかしき一節の、目にとまる詠み添へはべり
 2)「詠まるる」の助動詞の意味は。
  ・自発。
 3)係り結びは。
  ・なめりとぞ→はべる(ラ体)。
  ・歌詠みや=間投助詞(詠嘆)

8.和泉式部についての評価をまとめる。
 1)「けしからぬ方」とは。
  ・書き交はしたる。
  ・当時の手紙は異性に恋愛のために送るもので、手紙が多いことは男関係が多い。
 2)ほめている点は。
  ・走り書きしたちょっとした言葉にも美しさがある。
  ・即興で作った歌に目に留まるものがある。
 3)けなしている点。
  ・歌の知識や批評は本物ではない。
  ・人の歌の批判や判定では歌の本質を理解していない。
 4)総合評価は。
  ・こちらが恥ずかしくなるような立派な歌人ではない。
 5)和泉式部の特徴は。
  ・感情をストレートに表現する。
 6)紫式部の歌についての考え方は。
  ・伝統を重んじる。

9.丹波守の北の方をば、宮、殿などのわたりには、匡衡衛門とぞいひはべる。ことにやむごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、歌詠みとて、よろづのことにつけて詠み散らさねど、聞こえたる限りは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ。
 1)係り結びは。
  ・ぞ→はべる。
  ・こそ→はべれ。
 2)打消の助動詞は。
  ・ならねど。散らさねど。

10.ややもせば、腰離れぬばかり折れかかりたる歌を詠み出で、えもいはぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、にくくもいとほしくもおぼえはべるわざなり。
 1)「腰離れぬ」「いはぬ」の識別は。
  ・強意。打消。
 2)「腰離れぬばかり折れかかりたる歌」を説明する。
  ・第3句と第4句の続きが悪い歌。

11.赤染衛門に対する評価をまとめる。
 1)ほめている点は。
  ・品格がある。
  ・歌人であること鼻にかけて歌を読み散らさない。謙虚。
  ・日常的な歌も立派な詠みぶりである。
 2)「ややもせば〜」は誰に対する評価か。
  ・赤染衛門とは反対に、謙虚でない人。
 3)紫式部が赤染衛門を評価している理由は。
  ・年上であり、宮仕えの経験も長く、良妻賢母であった。
  ・紫式部の保守性に一致している。

12.清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
 1)「足らぬ」の識別は。
  ・打消。

13.かく、人に異ならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行く末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
 1)「見過ぐさぬ」の識別は。
  ・打消。
 2)係り結びは。
  ・か(反語)→む(推量体)。

14.清少納言に対する評価をまとめる。
 1)けなしている点は。
  ・得意顔がひどい。
  ・利口ぶって漢字を書き散らす。(当時は、漢字は男性が使う)
  ・目立ちたがり。
  ・風流ぶって、浮ついている。
 2)紫式部が清少納言を酷評している理由は。
  ・同じ女房として、漢学の知識についてライバル意識があった。
  ・主人である中宮定子と彰子もライバル関係にあった。
  ・内向的な紫式部と外向的な清少納言の性格の違い。


とはずがたり 後深草院の御葬送


 作者は2才で母を亡くし、母が後深草院の女房であった関係で、4才の時に引き取られ、14才の時に院の寵愛を受ける。その後、他の男と交際が激しかったために院の寵愛が衰え,御所を追放になり、出家して諸国を放浪する。47歳ので都に戻ってきた時に、院が重病の知らせを聞き、自らの引き換えにと願をかける。その後、ほんの一瞬院の顔を見ることができたが、院は亡くなってしまう。
 院の葬儀を見たいと思い、御所に隠れているが、夜が明けたので、一旦自宅に帰った。しかし、自分の一生を決めた院が亡くなったのだから、愛憎あいまって落ち着かない。知り合いの関係者が葬儀責任者だと聞いて、遠くからでも棺を一目見たいと頼むが、断られる。どんなことをしても見たいと思い、尼の姿を隠すために女房の衣をかぶって一日中御所に潜んでいたが、見ることができなかった。ようやく、格子を下ろす頃になって、.棺が葬儀の場所に運ばれたのだろうか、御簾の隙間からみらっと見えたが、目もくらみ心も乱れた。
 葬送の準備ができ、棺がお出になる時に、第一皇子の伏見院が見送ってお帰りになる時、
直衣の袖で涙をぬぐわれた様子を、たいへん悲しく見申し上げて、作者は葬列を追って直ぐに京極通りから出た。途中履物が脱げて裸足で後を追った。五条京極の当たりで、竹に引っかかって御車の御簾を直している時に、院の近臣が泣いているのを見るのも悲しい。
 ここで引き返そうかここで引き返そうかと思うけれども、帰る気持ちになれず、足の痛みを堪えて行くと、みんなに遅れをとってしまった。藤森で一人の男に会って行き先を聞くが、わからない。それでもなお進んでいく内に、夜が明け、葬送も終り、火葬の煙を見上げる気持ちは、こんな歳まで生きながられるとは思わなかった。


0.学習プリントを配布し、語句調べと訳を宿題にする。
1.教師が音読する。
2.生徒と音読する。
3.教科書の作品と作者の説明を読み、ここまでの経緯を説明する。
 ・作者は2才で母を亡くし、母が後深草院の女房であった関係で、4才の時に引き取られ、14才の時に院の寵愛を受ける。
 ・その後、他の男と交際が激しかったために院の寵愛が衰え,御所を追放になり、出家して諸国を放浪する。
 ・47歳ので都に戻ってきた時に、院が重病の知らせを聞き、自らの引き換えにと願をかける。その後、ほんの一瞬院の顔を見ることができたが、院は亡くなってしまう。

4.夜も明けぬれば、立ち帰りても、なほのどまるべき心地もせねば、平中納言のゆかりある人、御葬送奉行と聞きしに、ゆかりある女房を知りたることはべりしを、訪ね行きて、
 1)現在、作者は御所の中にいることを確認しておく。
 2)「のどまるべき」の意味は。
  ・可能。
  ・普通、可能の場合は下に打消語が来る。
 3)「聞きしに」「はべりしを」の接続助詞の意味は。
  ・ともに順接。

5.「御棺を、遠なりとも、いま一度見せたまへ。」と申ししかども、かなひ難きよし申ししかば、思ひやる方なくて、
 1)敬語の種類と主体と対象は。
  ・見せたまへ=尊敬、私→資冬
  ・申ししかども=謙譲、作者→資冬
  ・申ししかば=謙譲、作者→私
 2)何とかして院の棺を見ようとしている様子を確認する。

6.いかなる隙にても、さりぬべきことやと思ふ試みに、女房の衣をかづきて、日暮らし御所にたたずめども、かなはぬに、
 1)「さりぬべきことやと思ふ試みに」の品詞分解と係り結びは。
  ・さ(指示代名詞)り(「あ」が省略。ラ変用)ぬ(強意止)べき(可能体)こと    (名)や(疑問の係助詞。「あらむ」が省略)と(格助詞)思ふ(四体)試み     (名)に(格助詞。体言に接続)
 2)「かなはぬに」の識別は。
  ・打消体
  ・単純接続
 3)「女房の衣をかづきて」の理由は。
  ・尼であることを隠すため。

7.すでに御格子参るほどになりて、御棺の入らせたまひしやらむ、御簾の透りより、やはらたたずみ寄りて、火の光ばかり、
 1)「御格子参る」の意味は。
  ・御格子をお下げする。
  ・謙譲、作者→後深草院(死んではいるが対象と考える)
 2)「やらむ」の意味は。
  ・「にやあらむ」が転じた。〜だろうか。
 3)時間の経過に注意する。
 4)「御棺の入らせたまひし」の説明をする。
  ・棺が葬儀の行われる部屋へ運ばれた。

8.さにやとおぼえさせおはしまししも、目もくれ、心も惑ひてはべりしほどに、「事なりぬ。」とて、御車寄せまゐらせて、すでに出でさせおはしますに、
 1)「に」「ぬ」の識別は。
 2)係り結びは。
  ・や→(あらむ)
 3)敬語の種類と主体と対象は。
  ・おぼえさせおはしまし=尊敬、作者→院。
   「おぼゆ」は受け身的な性格が残っている。思われる。
  ・惑ひてはべり=丁寧、作者→読者。
  ・寄せまゐらせて=謙譲、作者→後深草院。
 4)「さにや」の指示内容は。
  ・後深草院の棺。
 5)「すでに出でさせおはします」の主語は。
  ・後深草院。
 6)作者の後深草院に対する気持ちを考える。
  ・一目見てたいへん感動している。

9.持明院殿の御所、門まで出でさせおはしまして、帰り入らせおはしますとて、御直衣の御袖にて御涙を払はせおはしましし御気色、さこそと悲しく見まゐらせて、
 1)敬語の種類と主体と対象は。
  ・させおはしまし、せおはします、せおはしましし=尊敬、作者→伏見院。
  ・まゐらせ=謙譲語、作者→伏見院。
 2)係り結びは。
  ・こそ→(あらめ)

11.やがて京極面より出でて、御車の尻に参るに、日暮らし御所に候ひつるが、「事なりぬ。」とて御車の寄りしに、慌てて、履きたりし物もいづ方へか行きぬらむ、はだしにて走り降りたるままにて参りしほどに、
 1)「ぬ」の識別は。
 2)係り結びは。
  ・か→らむ。

12.五条京極を西へやり回すに、大路に立てたる竹に、御車をやり掛けて、「御車の簾垂、片方落ちぬべし。」とて、御車添ひ、上りて直しまゐらするほど、つくづくと見れば、山科の中将入道そばに立たれたり。墨染めの袖も絞るばかりなる気色、さこそと悲し。
 1)「ぬ」の識別は。
 2)「べし」「れ」の意味は。
 3)係り結びは。
  ・こそ→(あらめ)

13.ここよりや止まる、ここよりや止まると思へども、立ち帰るべき心地もせねば、しだいに参るほどに、物は履かず、足は痛くて、やはらづつ行くほどに、皆人には追ひ遅れ ぬ。
 1)係り結びは。
  ・や→止まる。
 2)「帰るべき」の意味は。
  ・意志。
 3)「ぬ」の識別は。

14.藤の森といふほどにや、男一人会ひたるに、「御幸、先立たせおはしましぬるにか」と言へば、
 1)係り結びは。
  ・にや→(あらむ)
  ・にか→(あらむ)
 2)「男一人会ひたる」の主語と目的語は。
  ・一人の男が私に会った。
  ×私が一人の男に会った。
 3)誰の会話か。
  ・私。
 4)敬語の種類と主体と対象は。
  ・せおはしまし=尊敬、私→後深草院。

15.「稲荷の御前をば、御通りあるまじきほどに、いづ方へとやらむ、回らせおはしましてしかば、こなたは人も候ふまじ。夜ははや寅になりぬ。いかにして行きたまふべきぞ。 いづくへ行きたまふ人ぞ。あやまちすな。送らむ。」と言ふ。
 1)敬語の種類と主体と対象は。
  ・せおはしまし=尊敬、男→後深草院。
  ・候ふ=丁寧、男→私。
  ・たまふ=尊敬、男→私。
 2)係り結びは。
  ・ぞ→(あらむ)
 3)「ほどに」の接続助詞の意味は。
  ・順接の接続助詞。
 4)「ぬ」の識別は。
 5)「たまふべき」の助動詞の意味は。
  ・意志。
 6)葬列が稲荷の前を通るはずがない理由は。
  ・

16.むなしく帰らむことの悲しさに、泣く泣く一人なほ参るほどに、夜の明けしほどにや、事果てて、むなしき煙の末ばかりを見まゐらせし心の中、今まで世に長らふべしとや思 ひけむ。
 1)「に」の識別は。
 2)係り結びは。
  ・にや→(あらむ)
  ・とや→けむ。
 3)長らふべし」の助動詞の意味は。
  ・可能。
 4)「事果てて」とは。
  ・葬儀が終わったこと。
 5)「煙」とは何の煙か。
  ・後深草院を火葬した、荼毘の煙。
 6)作者が今までの人生を振り返っている事を確認する。



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