「『みな人ぞ』」の重要性

高田屋嘉兵衛が、日本とロシアとの関係を取り持つにあたって、彼はとても重要なものを持っていた。もしそれがなければ、きっと彼は失敗していたに違いない。またそのために、日本は滅んでいたかもしれない。彼が持っていた重要なもの、それはお金や武器ではなく、「みな人ぞ」の精神である。

これは当時の日本において、ほとんどの人が持っていない、持つことを許されない考えだった。日本人は、一番偉く、異国人は、野蛮人であるとされた日本にあって、彼がこの様な考えを持てたのは、幼少のころ極貧の農民として差別を受けた過去を持つゆえんからかもしれない。

かくして彼は、このような考えを持っていたので、日本人であれ、ロシア人である同じ人だということが、わかっていた。だからこそ彼は、いかに国が違えど同じ人間同士である限り、不可能にさえ思えた両国間の関係を和解できると信じ、達成できたのだと思う。また、ロシア人にもこの精神はあったのだろう。だからこそか平和(少なくともリコルドには)ひとりの人として扱われ、最後には友として偉大な人物として認められた。

しかし、日本にはその考えがほとんどなかったはずである。だからこそ、この考えを持っていた嘉兵衛は、今、大きく評価されているのである。





「嘉兵衛とリコルドとの信頼を支えたもの」

最初はお互いに疑惑や不信感を抱きながらもどうして涙を流しあえるほど信頼できたのだろう。その理由に大きく3つあると思う。

1つ目は、嘉兵衛とリコールと、両者の心が真っ直ぐで前向きな性格を持っていたからだと思います。ひねくれていたり(例えば、嘉兵衛がずっと放っておくかという考えのはだったり、リコルドが嘉兵衛の出過ぎた態度に腹をてたり)していたらきっとそこで終わっていたに違いない。

2つ目は、互いに共通する大きな目標があったから。それは戦争を避け捕虜を無事に交換するということ。この平和的な目標が、互いの言動を慎むようにさせていたのだと思う。

3つ目は、互いがその信頼を何度もときには心の駆け引きまでして確かめ合っていたから。信頼というものは、もちろん「私はこの人を信頼している」と自分が確信するのも大事だけでとやっぱり相手にも信頼されていると感じることができて初めて成り立つと思います。

この2人の信頼を支えたものは他にもたくさんあると思います。でも人間が結局最後に信じられるのは自分という性質の中で、お互いの進む道を託しあるほど信頼できたことは本当に素晴らしいことだと思う





「菜の花の沖」

高田屋嘉兵衛は「みな人ぞ」の精神に基づいて、強い意志を持ち、堂々とロシアと接した。そしてその結果、リコルドと強い信頼で結ばれるようになり、こじれきった日露間の橋渡しをしようと決意した。個人と個人が分かり合えるのだから、国と国も同じだという確固たる自信を持って嘉兵衛は行動したが、実際は国と国との関係は、個人と個人のようにはなかなかうまくいかなかった。

確かに国と国の関係は、それぞれの国のさまざまな事情が絡んでくるため、個人同士のようにはいかないものかもしれない。しかし、国を構成しているのは人であり、国は人によって成り立っている。このように考えれば、国と国との関係というのは、大勢の個人と個人の関係であり、「みな人ぞ」の精神を持って臨めば、分かり合えるに決まっている。しかし現在においても国と国の関係というものはなかなかうまく行かないものである。それは、政治的な利害ばかりを考えるからだと思う。政治的な立場から考えることは、もちろん必要であると思うが、それだけではお互いに良い関係を築くことはできないと思う。リコルドと嘉兵衛のように、信頼をするが、一方で軍事上の義務を怠らない、それをお互いに理解し合う、といった相手の事情をよく知り理解した上での関係があった築くことができれば、これから世界中の国々がひとつにまとまり、よりよい世界になっていくと思う。





「みな人ぞを貫いた江戸的国際人嘉兵衛」

江戸時代にこんな素晴らしい国際人がいたとは、驚きである。現代人でも嘉兵衛なみに素晴らしい人は数少ないだろう。何が素晴らしいか。これは「みな人ぞ」という精神を持っていたということはもちろんだけれども、人種は違ってもお互いを認めあう心を持っているということだと思う。その心がなければ、平和的に事件は解決されていなかっただろう。そしてリコルドとの熱い信頼も芽生えなかったに違いない。

現代でも顔の色が違うとか、国籍が違うとかでさまざまな差別がある。あるいは「私は英語も話せるし留学もしたことがあるから立派な国際人だ」などと気取っている人もたくさんいる。けれども私は嘉兵衛のような人が本当に国際人だと思う。嘉兵衛はロシア語が話せるわけでもないし、ロシア以外の国いったこともない。しかし、人間として1人を認める心がある。現代では、アメリカ人はアメリカ人、フランス人はフランス人としてある程度「国」という壁がある。嘉兵衛はそんな壁を作っていない。そこが嘉兵衛の素晴らしい国際人といえるところなのである。もし嘉兵衛があと200年に遅く生まれていたら、「江戸的国際人」ではなく、現代の手本となるような人になっているだろう。そして、今、日本で起きている貿易摩擦などをはじめとするさまざまな問題の解決のために自分の命を削ってでも積極的に取り組んでくれたのではないだろうか。ただの商人ではあるが、私たちが見習うところがたくさんある人である。





「日本人の考え方に関する特徴」

私は世の中の固定した考え方に嫌悪を感じている。そしてすべてというわけにはいかないのだが、否定する。そこから差別というものが生まれてくると思うからである。例えば「女らしさ」「男らしさ」それに「普通」という考え方。人間は千差万別で他と比べたりできないと思うのである。嘉兵衛の生きた時代だけでなく、ずっと日本人は固定観念に縛られ過ぎていると思う。祖国という閉鎖的な考えも英国に対して「驚異」という考えにとらわれた結果だと思う。日本人の頑固で我を通すところは、自国の文化を大切にし、だからこそ今も日本は伝統的な美しい国なのだが、視点が狭いと感じるのも事実である。嘉兵衛にはそういうところがないと思う。広い心持っていて一方的ではなくさまざまな角度から物事を見れる人だ。だからこそ日本側の鎖国というものに対し、嘆きつつも、それを理解し、受け止められるのである。世の中に人間が存在する限り、ひとつの問題に対しての答えは、決してひとつではないある人の数と同じだけさまざまな考え方、答えがある。その答え、ひとつひとつに同意しなくても、なぜそのような考え方をするのかを理解しなければならないと私は思う。





「無言の信頼」

嘉兵衛とリコルドの行動は、ひとつひとつ重要な意味を持っていて、一歩間違えば日本とロシアの戦争になっていたかもしれません。

嘉兵衛という人物は、はじめ読んだ時点では、やっぱり何といっても日本が優先という考えの人やと思っていました。でも内容をゆっくり考えてみると、日本のことだけでなく、相手国ロシアにとってもいい条件にしようという嘉兵衛の心がとてもよくわかってきました。

「日本陣屋」では、嘉兵衛よりもリコルドとの方の相手を信頼する気持ちがよく出てと思います。嘉兵衛の性格をよく知っているからといって、軍人として、剣をもたないというのは、どれだけすごいことなのか、本文を読んでいればすぐわかります。この場面での嘉兵衛とリコルドの「信頼」という言葉を一切使わない信頼、すなわち無言の信頼は、この話の一番の見せ場だと思います。嘉兵衛とリコルドとがこういう関係だったからこそ、他の乗組員も安心して嘉兵衛のことを「タイショウ」と呼べるのと思います。

嘉兵衛とリコルドがこのような信頼を得られたのは、お互いが自分のことだけでなく相手の気持ちも考えられるような人間だったされると思います。無言の信頼ができるような人が同じ国でなく違う国にいたというのもこの話の素晴らしいところだったんじゃないかと私は思います

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