『舞姫』の真実  
『森鴎外の系族』 小金井喜美子(実妹)  
 あわただしく日を送る中、九月二十四日の早朝に千住からお母様がお出になって、お兄い様があちらで心安くなすった女が追って来て、築地の精養軒に居るといふのです。(中略)ただ、普通の関係の女だけど、自分はそんな人を扱う事は不得手なのに、留学生の多い中では、面白づくに家の生活が豊かなように噂して唆かす者があるので、根が正直な婦人だから真に受けて、「日本に往く」といつたさうです。踊もするけど手芸が上手なので、日本で自活して見る気で、「お世話にならなければ好いでせう」といふから、「手先が器用な位でどうしてやれるものか」といふと、「まぁ考へてみませう」といつて別れたさうです。(中略)其晩千住で打合わせての翌日精養軒で、初めて事件の婦人、名をエリスといふのに逢つて話して来ました。(中略)「エリスは全く善人だね。むしろ少し足りない位に思はれる。どうしてあんな人と馴染になつたのだろう」「どうせ路頭の花と思つたのでせう」。帰国ときまつて私はほつと息をつきました。旅費、旅行券、皆取り揃へて、主人が持つて行つて渡したさうです。(中略)エリスはおだやかに帰りました。人の言葉の真偽を知るだけの常識にも欠けて居る、哀れな女の行末をつくづく考へさせられました。(中略)誰も彼も大切に思って居るお兄い様にさしたる障りもなく済んだのは家内中の喜びでした。 
 
『森鴎外』 渋川驍 
 当然鴎外は、賀古(相沢のモデル)にエリス問題を打ち明け、いかに対処するかを相談したのにちがいない。そのため賀古は、陸軍省方面の非難を食い止めるために、山県有朋(天方伯のモデル)に事情を打ち明け、助力を求めたのではないだろうか。 
 
『芸術と実生活』 平野謙 
 『舞姫』の公表は登志子に対する一種の挑発ではなかったか。いや、登志子への挑発というかたちを通じて、峰子(母)に対する無言の反抗を企てたのではなかったか。スキャンダルもみけしをかえって立身出世の地がために転じたその母親によって代表される家族エゴイズムに心ならずも屈服しながら、その屈服のなかからの反逆として『舞姫』は書かれたのではなかったか。 
 
『近代文学鑑賞講座』 稲垣達郎 
 日本の官僚機構への、そしてそれから脱れようとして脱れえずにある美しい人間らしいものを見捨てたおのれ、すなわち豊太郎の「弱き心」への、そしてまた、その弱き心を断絶して官僚機構の中で意識的、行動的に立ち働くおのれ、すなわち相沢謙吉へのいずれともわかち得ぬ「恨み」をモチーフとして書かれたといえるであろう。 
 
 
もどる