司会「日の丸・君が代」の何が問題なのか、問題を整理する意味で、山住さんから口火を切っていただけませんか。なお、小田さんは、ご都合により遅れます。

山住1
去年(一九八九年)、文部省は学習指導要領(学校教育法にもとづいて文部省が学習指導の基準を示したもの)を改訂しました。「国民の祝日などにおいて儀式を行う場合には、国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」となっていたのを「国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するよう指導するものとする」と、反対を押しきって改めたわけです。しかも「国民の祝日」は休日とされているので、子どもと保護者が参加する卒業式や入学式での指導に改め、強行実施した。実は、「日の丸・君が代」が、「国旗」「国歌」として公式に認められたことはないんです。文部省の指導要領だけが、一九五八年に「日の丸」を「国旗」とし、七七年の改訂で、「君が代」を「国歌」としてきた。
これは戦後改革の弱さの現れといっていい。ヒトラーのドイツやムソリーニのイタリアは戦後きちんと国旗・国歌を変えています。日本は祝日でも戦前の新嘗祭(天皇がその年の新穀を天地の神に供え、 自身も食して収穫を感謝する祭事)を「勤労感謝の日」、明治節(明治天皇の誕生日を祝日としたもの)を「文化の日」と、実に手軽に改めただけ。ちょうど天皇代替わりという時期に、そのツケが回ってきたという感じです。
大体、「君が代」は、私たちが戦前に習った修身(旧制度の小・中学校で行われた教科の一つ。道徳を身につけさせるためのもの)の教科書では、はっきりと「天皇陛下のお治めになる御代が千年も万年も、いや、いつまでも続くようにお祈りする歌です」と書いてあったんです。これは憲法の主権在民に反する。
日本は「日のもとの国」であり、「日の丸」は天から授かった、神国日本にふさわしい旗だとも教えられた。その「日の 丸」を打ち振って、アジア諸国を侵略したんです。国旗に敬礼するかしないか、歌うか歌わないかは自由でいい。この春の公立学校のようすを見ると、憲法十九条の「思想信条の自由」も学校では通用しないんじゃないかというのが率直な印象です。

佐藤ちょっとお聞きしたいのは、「日の丸・君が代」だからダメといわれるのか、それとも「国旗」とか「国歌」とかはそもそもダメなのですか。

山住遠い将来のことをいえば、国旗とか国歌とかは.必要でなくなるんでしょうね。

佐藤遠い先のことはおき、現在、国の存在は大切です。世界に百六十以上の国があり、ネーション(国民。国家。民族)としては日本もその一つですね。その国家を象徴するものとして、国旗も国歌も必要でしょう。

山住今日、国際交流の場では、やむをえず使用するほかありませんね。

佐藤国旗・国歌が全部ダメだというのではないのは分かりました。要するに「日の丸・君が代」がよくないんだと……。

山住そうです。

佐藤4 朝日新聞にも先日、「日の丸」に代えて「サクラ」を、「君が代」についても「さくらさくら」ではどうかという投書が載りました。でも、最近の朝日新聞の調査でも七〇%以上の人が「日の丸」が好きといい、六五%の人が「君が代」を好きだと答えています。これから、新しい歌ができたとして、はたして、国民の六、七〇%の人がよいと思ってくださるでしょうか。
国章として最初に「日の丸」を決めたのは、明治以前のことですよね。徳川幕府が日本の船にどんな旗印をつけたらいいのかと……。正確にいえば、一月二十七日の太政官布告第五十七号で商船に掲げる国旗が日の丸と定められ、十月の布告第六百五十一号で「海軍旗章国旗章ならびに諸旗章」を定めたんだそうですね。ともかく一八七二年、明治五年には官庁でも掲揚します。私も「日の丸」を掲げて「君が代」を歌った少国民の世代ですけれども、いずれにしても、「白地に赤く」が日本の国旗であると、明治の初めから、誰もが認識していた長い伝統がある。だが、その歴史が悪いんだと。太平洋戦争でアジアを侵略したんだからいかんのだと、先生はおっしゃる。
韓国でも中国でも、アジアのどこへ行っても、「日の丸」は嫌だ、「君が代」を聞くと、全身から怒りがほとばしるっていう人はいるでしょう。でも、そういう方は日本語を聞いたって、日本製品を見たって、山住先生を見たって、そうなんだと思います。そもそも日本人が嫌なんです。

山住5 なんでそうなったかですよ、問題は。

佐藤それは、日本人が戦争中に悪いことをしたからというわけですね。しかし、だったら日本人をやめるしかないです。

山住そうじゃない。

すいません。唯一の外国人として発言させていただきます。日本人が嫌いというわけではないんです。さっき「日の丸」の始まりというようなことが出ましたけど、そんなん、どうでもいいんです。「日の丸・君が代」が私たちに付随してくるのは一九一〇年以降なんですよね。それが山住先生もいわれたアジアの歴史との深いかかわりなんです。

佐藤何年以降? それ以前はいいんですか。     

宗2  一九一〇年。韓日併合(朝鮮が日本の植民地にされた)の年です。そのことに関して、日本は国家として謝罪していません。

山口宗さんのおっしゃることはよくわかります。たしかメキシコ・オリンピックのとき、体操のチャスラフスカ選手がソビエトの選手と一緒に表彰台に立ったことがあって、ソビエトの国旗掲揚の最中、悲しそうに目をそらしたんですね。ちょうど、ソビエトのチェコ侵略の直後でした。誰しも侵略した国の国旗に敬意を払いなくないでしょう。
でも、そのことと、日本が戦争中に掲げていた「日の丸」をやめることとはちょっと問題が別だなぁと思います。だって、アジアの国々を侵略した歴史は「日の丸」を掲げる掲げないとは別に、私たちが未来永劫に背負っていかなくてはならないことでしょう? 「日の丸」をやめれば、侵略の歴史が消えるというものでもないし……。
私は遠い将来に国境がなくなり、人間に国家意識はおろか、血族・出身地・出身校・性別その他ありとあらゆる帰属意識が生む差別や争いがなくなればいいと思います。でも、いまの人類の知的レベルではそれが望めない。厳然として国家があり、国家間の葛藤がある以上、日本人もきちんと国家というものを考え、国旗や国歌も教える必要があります。
私個人としても、シンプルな「日の丸」は好きだし、「君が代」は昔から歌いなれている。

西部1 僕は、国旗とか国家とかによってシンボライズ(形のないものの概念を具体的に表すこと)される国家がなくなるのが、人類の理想だとは、思わないんです。 日本が今世紀、アジアに対して行った帝国主義的(自分の国の領土や勢力範囲を広げ、 政治的経済的に他民族・他国家を支配しようとする主義)、もしくは国家主義的(個人はその属している国家のために存在しているので、 まず、 国家の利益を尊重し、個人を犠牲にしても国家のことを優先させようとする考え方)なやり方を、僕は毫も弁護するつもりはないですよ。が、国家というものには、国家悪あるいは残酷な国家権力の発動というものがときに伴うんです。
いわれるところの日本帝国主義にしても、歴史上、イギリスやフランスがやったことに比べ、ソ連や中国、近々でいえばアメリカがベトナムその他にやったことと比べ、日本だけがことさら異常だったとは絶対にいえないと思う。そうした国々が、国旗・国歌における連続性を守っているのだから、「日の丸・君が代」も連続性を持ちうるはずです。 もう一つ。新聞などでは「日の丸・君が代」の好き・嫌いが常にうんぬんされますが、国旗・国歌は個人の好き嫌いとは別の次元で考えるべきだと思う。国家そのものが一種のフィクション(想像によって作り出されたもので、 実際にはないもの)であり、その集団的フィクションのシンボルが国旗・国歌でしょ。
純個人的な感想をついでにいうと、「日の丸」はシンプルすぎると思う。日本の歴史にも矛盾や闘いはいろいろあったわけで、日本社会のそういう複雑さをどこかシンボライズする国旗であってほしかった。

司会山住先生、法的に定めのない「日の丸・君が代」を強制できるかという議論は国会でも絶えずあるわけですが、法律で決まれば、受け入れるんですか。

山住法律で決める決めないではなく、自発的に受け入れる気持ちになれる歌や旗を持ちたいということです。七〇%の人はよしとしてても三〇%はそうじゃない。やっぱり少数の意見がもっと尊重されたほうがよいと思いますね。

山口国民の一〇〇%が自発的に受け入れるなんてありえない話だと思います。

辻元でも、三〇%って少数じゃないですよ。西部さんのいう、国家悪も、やるほうとやられるほう───要するに加害者と被害者───で、当然、見方が違うと思う。被害者にとっては「国家悪だ」ですまされる問題じゃない。やっぱり、やったほうはもっと気を遣わなあかんと思います。戦争に負けたときは、私、生まれてへんかったけど、ドイツはナチスの旗を戦後変えたのに、なんで日本は変えへんかったんやと、悔しく思う。

西部話をまぜっ返すようですが、あの戦争は仮に侵略というならば、日本人の全国民的支援のもとに行われた侵略だった。ナチス・ドイツとは全然違う。
それに「日の丸」をやめ、「君が代」をやめたから、自分たちはもう侵略性なり凶暴性なりを持たない、いい民族なんだというのは虫がよすぎる。

辻元それはそうです。

西部大体、「日の丸・君が代」をかざし、かつてと似たような過剰に国家主義的、熱狂的な国民運動を起こそうなんていう動きがいま、どこにありますか。

司会ご発言があまりありませんが、黛さんいかがですか。

私は大陸への進出、あれはあくまで「進出」であって「侵略」ではないと思ってます。犯罪的意図はまったくなかったわけで、そのことを恥じて「日の丸・君が代」をやめる必要は毫もない。
三月の朝日新聞の調査でも七〇%前後の人たちが「日の丸・君が代」を支持しているのは、「日の丸・君が代」をこれだけ罪悪視している───あえていいますけど、朝日新聞をはじめとするマスコミのキャンペーンにもかかわらず、私と同じような考えに立つ、国民感情の底流があるのではないか。
そうしたなかにあって、戦後世代が「日の丸・君が代」に愛情も親しみも持たず、「君が代」に至っては歌ったこともないという若い人が多いのは、教育の怠慢以外の何物でもない。それに文部省が気づき、学習指導要領に指導を明示したことは遅きに失したけれども、当然やられなければならなかったことです。
まあ、そうはいっても、山住先生のように、オレは嫌だとおっしゃる方がいるのは、しようがない。百人が百人、すべての人が認める国なんてないわけだから。

本当に今日は珍しい日本人にお会いしたなという驚きを禁じえませんけれども、韓日併合などは侵略でないというお話を聞き逃すのは、あまりに切のうございます。あの戦争は侵略だと、私ははっきり言い切りますし、史実の上でもそうだと思います。

司会「侵略でない」というのは、国際法上の、侵略の定義に合わないということですか。

いえ、常識的な意味合いにおいてもです。侵略というのは、他国民の領土とか財産とかを奪取しようという意図をもって、他国の領土に軍事力で押し入ることですね。日韓併合に関しては、当時、韓国の人のなかにも、それを歓迎する人たちがなかったわけではありません。

ここで発言しなければ、私は、朝鮮人社会で生きていません。ですからはっきり申し上げますが、一九一〇年、韓日併合の年に設置された朝鮮総督府の寺内正毅総督は「朝鮮人はわが法規に服従するか死か、そのいずれかを選ばなければならない」といったんですね。「わが法規」というのは、日本の法規です。これを侵略と呼ばずして、何を侵略と呼ぶんですか。それから「日の丸・君が代」に賛成でない人は三〇%しかいないとおっしゃるが、三〇%の重みに気づいてほしい。「君が代」は民衆の歌やないんです。天皇家の歌です。だったら、天皇家が勝手に歌いはったらいい。
在日の私は、朝鮮人が五、六万人いるところで暮らしています。子どもは、日本の公立小学校に通わせていますが、その小学校の八割が朝鮮人子弟です。そこでは、ずうっと以前から「日の丸・君が代」を入学・卒業式でやっている「君が代」斉唱のときに、父母たちは起立しても声を出さないんです。座り続ける人もいます。

日本の国旗とか国歌とかは日本国民自体の問題ですから、ご意見は承りますが、「私はこう思うから、こうすべきである」とおっしゃるのは、あえて申し上げれば、外国の人にはその権利がないという気がしますね。

日本人の問題ではありますが、この列島にあまねく少数者にも言う権利があります。

西部4 「日の丸・君が代」はこの国のシンボルとして、好き嫌いを超えて、敬意を払えというのは、まったく筋の通る話だと思うな。

山口3 私もそう思います。私は、ナショナリズム(国家の価値こそ最も重要であるとして、 その国権を内外に高めようとする思想)は大嫌いですが、国家の一員であるという自覚、つまり国家意識が日本人の場合、ほかの国に比べると、非常に弱いですよね。日本人がこれ以上、ミーイズム(自己中心主義)に走ってしまったら、国が滅びてしまうんじゃないか。

辻元そうやろか。私は、学校では、むしろ、国への忠誠心を教えるより、自分たちが犯した過去の過ちについて学んだほうが、いいと思う。

4 過ちってなんですか。

辻元私は、太平洋戦争はアジア太平洋諸国への日本の侵略戦争だと思ってますから。

5 そう思わない人もいる。

山口山住さん、「日の丸・君が代」を廃めるという場合、新しい旗や歌はどう選びますの?

山住カナダは六〇年代に、公募したんですね。子どもから大人まで、いろんな案を出し合い、それは楽しい二年間だったそうです。

世論の大半が別の国旗、別の国歌がいいというなら、私は残念だけど変えるほかないと思います。しかし、「日の丸・君が代」派がその時点でなお三〇%残っていたとしても、新しい国旗・国歌を支持する人はおそらく「日の丸・君が代」を根絶させ、その存在権をなくすでしょう。

山住それはないです。「日の丸・君が代」にいま反対している僕たちは、むしろ少数意見を尊重しろといっている。

でも、その際に、三〇%しか支持のない「君が代」を国歌とお認めになりますか。

山住それは、多くの国民が新しくつくったものを……。

そうでしょう。だったら、いま七〇%支持があるものを、あなた方もお認めになるべきだ。

山住10 いや、僕は学校で強制するなといっているんです。

しかし、一部の教師や父母が「強制するな」と頑張るのも逆の意味での強制です。日本国民である以上、そういうものが国旗・国歌であることを、子どもたちは知る権利があるし、大人たちにも知らせる義務がある。(おくれた小田氏も着席)

小田1 着いたばかりだけど、今日は「日の丸・君が代」が是か非か論じているんですか。それとも学校で強制的に使わすことの是非なのか、どっちなの。

佐藤どうも三、四十代の戦後生まれの人たちの「日の丸・君が代」反対は観念的、短絡的で悪いけど眉ツバものという感じを受ける。私どもより上の世代の多くは、「日の丸・君が代」に何ともいえない思い入れを抱いていると思います。よくも悪くも歴史の重みがあるわけ。新しい国旗・国歌も結構ですが、そうなると、「日の丸・君が代」が背負っていた歴史はなくなってしまう。

辻元さっきから「歴史の連続性」ということが出てるけど、何に対する連続性ですか。外に対して日本はずっとあるよと示すこと? それとも国内に対してですか。

西部それは両方です。

辻元「日の丸」が別のものに変わったとしたら何か支障をきたすのでしょうか。オリンピックのときにいまのと違う旗が揚がったら、日本の旗だってわからないかもしれない。でも、 私は、そのくらいのことで、歴史がどうなるものでもないと思うの。

西部そうじゃないんですよ。あなたが何とかボートに乗って、外国に行ったときでも、そこでの一挙手一投足は、決してあなたのアイデアでも、才能でもなく、それは長い歴史の痕跡を引きずった言葉であり、立ち居振る舞い、表情なんです。そのことを、確認するためのシンボルの問題を話しているわけでしょ。

小田その発想はダメだ。日本はもっと豊かな歴史、文化を持った国だ。それを、あの貧しい「君が代」と、貧しい「日の丸」で全部、象徴させようたって無理だ。

西部7 全部とはいっておりませんでしょう。

小田私はオーストラリアからこのあいだ帰ったばかりだけれど、あちらではこれまでの白豪主義を改め、多民族国家としての市民社会をつくろうとしている。そこで問題になってるのは、移民が帰化するとき課す、クイーン・オブ・イングランドに対する忠誠の誓いなんだ。
一つの血筋における統合の象徴に忠誠を誓うなんてことはできないから、帰化しないという人たちが出てきている。これからの市民社会は、日本も含め、異質な価値観、いろいろな血の人でつくるということを考えなきゃいけない。
在日朝鮮人である私の「人生の同行者」も、宗さんも、日本社会のなかで生きてきたから、日本的なところはあるだろうが、異質なものは大事にしなければならない。
丸刈り強制とか、誰がどう考えたってメチャクチャな管理教育のあるところへ、「日の丸・君が代」をブチ込んじゃって、いいのか。きっと、管理の強化の象徴として使われるだろう。
忠誠度の、ロイヤリティー(忠誠心)・テストみたいになるわけだ。

司会山住さん、話は戻りますが、戦後改革の弱さが「日の丸・君が代」の存続を許す、今日の自堕落的な状況をつくっているとの趣旨のご発言がありましたが、学校教育にそくして、もう少し、ご説明いただけませんか。

山住12 黛さんは、戦後は民主主義が過度であったとか、高校の教科書も大多数は日本が悪い面ばかりおいているとか、おっしゃるが、僕は、そう思わない。
民主主義は行き過ぎどころか、ロクに育っていない
西ドイツのワイツゼッカー大統領は連邦議会で、戦後四十周年を記念して、ユダヤ人、ポーランド、ソビエトその他、近隣諸国の人々に詫びると同時に、真正面からナチスを批判しました。それが、日本にはなかったというわけですよ。

山口ナチスと日本軍は同列に論じられませんよ。

先の戦争は間違ってたと、たとえば、国会決議で、日本も謝罪してれば「日の丸・君が代」もそのまま受け入れられたか分からない。それを個人レベルの賄罪意識に任せているから、賛成しかねる人が多いんだと思います。

西部小田さんの意見は、感情として分からなくもないが、国家というものは基本的に残酷なんです。法に違反した者はなんらかの形で裁かれる。
そうしたことを認めないかぎり、国家のシンボルをどうするかだって見えてこない。

小田国家に反するものは処断されても仕方ないというなら、やがて状況が悪くなれば、国旗や国歌に反対するだけで罰されていくだろう。そうあなたはいみじくもおっしゃった。

西部国家に逆らうな、なんて全然、いってませんよ。

小田いまはまだ「日の丸・君が代」に反対したって大したことはないだろう。しかし、これから大変な状況になっていく危険があるわけだ。まさにそれを、あなたはご自分の言葉で指摘した。
戦前だって平時のときは治安維持法(国体改革・私有財産制度の否認を目的とする結社行為、 およびこれと関連する諸行為に厳罰を科していた取締法規)もそれほど厳しくなかったわけだ。僕の小学校の体験でも、入学したころは教師に殴られたりしなかった。それが、だんだん殴るようになっていったよ。

10 私も大体、同じ世代なので小田さんの終戦直後の感慨は、よく分かります。でも、だから「日の丸・君が代」がいま復活するのがおかしいとは思わない。「日の丸・君が代」なんていらないという感情が終戦直後、あったにしても、四十五年たったいまも、七十数パーセントの支持があるということは、国民的な統合とか、まとまりとかに対して、隠然たる欲求があるということでしょう。
でも、若い人たちは「君が代」を習っていないので、歌い方も知らないし、「日の丸」もオリンピックに揚がる旗だ、ぐらいの認識しかない。こういう状態が続いていったら、三十年、五十年たち、われわれの世代が死に絶えてしまえば、国民的意識や、あえていえば、「国体」というものへの正しい評価も消滅してしまう。そういう危機感があればこそ、いまのうちに「日の丸」は国旗で、「君が代」が国歌であることを学校で教えなければならないのです。
文部省は、そういう大切なことを遅まきながら、しかも遠慮がちにしただけです。

小田あなたは何も分かっていない人だ。「日の丸・君が代」には反対する者もいれば、賛成の者もいる。それでいいじゃないか。そういう自由があったからこそ、日本もここまで伸びてきた。

佐藤法律家としていわせてもらえば、国家は暴力装置といわれるけれど、半面、万人の万人に対する暴力状態から、どうにかして平和な状態をつくろうとしてできたのが国家だともいいます。

小田7 国家には両面あるでしょう。

司会即物的な話に戻して恐縮ですが、以前、タイのバンコクで、日本の青年が夕方、通りを歩いていて、たまたまタイの国歌が流れているのを聞き流し、通行人に殴られるという事件がありました。国歌に敬意を払わなかった、と。
このあいだの札幌のアジア冬季五輪では、韓国の国旗、国歌を続けて間違えるということもあった。国旗や国歌を間違えたくらいで、なんで問題になるのかといった受け止め方が日本では一般的かもしれませんが。こうしたことは、どうお考えですか。

西部10 以前、奈良公園でフランス人とおぼしき観光客が歩いているのを見かけたんですが、そこに掲揚してあった「日の丸」を見てサッと彼らが敬礼したんですね。ヘェーと思いました。
フランス人たちは、別に「日の丸」が好きだから敬礼したんじゃないでしょう。それが、マナーだと思ってるわけです。僕もそれでいいと思う。
つまり、国旗・国歌の問題は基本的にマナーの問題なんです。私はマナーを教える教育は必要だと思う。

山口ほんと、自らがマナーを分かってないと、平気で、他人に対して非礼なことをする。

小田私は、なるべく国家の強制的部分は除いていこうじゃないかと、いっているんです。
イギリスでも、何かの機会に女王を称える歌がかかると、立ち上がる人もいるけど、それが嫌で、映画館にいかない人が山といる。女王がなんだ、とね。それが自由な民主主義国の在り方だ。

山口日本でもそうしたい人はすればいい。でも、日本の周囲には、国というものをしたたかに考えている人たちがたくさんいるわけですね。国の存続ということを考えると、国家意識を培う教育は必要で、「日の丸・君が代」を入学式でやることぐらい、現状では最低限のことだと思います。

辻元日本には日本人もいれば、朝鮮人もいるのに、学校という場で一斉に指導するのは、どう考えてもおかしいと思う。

11 朝鮮人の問題ではありません。いろいろな国の人、がいるのは事実ですが、われわれはいま日本人の話をしているので……。

小田「日本人」の話じゃないんだ。「日本社会」の話をしてるんだ。

辻元「日の丸・君が代」を学校でやらへんと、国のまとまりがばらけるいうけど、「日の丸・君が代」と「国」をつなげるのは安易すぎると思う。

佐藤ともかく「日の丸・君が代」は指導することになったんですから、公立学校の義務教育ではきちんと教えてもらいたい。

小田10 話がまったく逆だ。私立学校で教えたい学校があっても構わない。しかし、国民の税金を使って運営されている公立学校はそういうことをしてはいけない。選択の自由はないんだから。

山住13 子どもたちの成長を励まし、新しい出発を祝う、卒業式や入学式で、「日の丸・君が代」をなぜ強制するんですかね。たくさんの子どもたちや、親や先生がこれまでどれだけ楽しい卒業式・入学式をつくってきたことか。

小田11 いちばんの被害者は子どもだ。「君が代」を歌わない子はこれから村八分になっていくだろう。先生はもう「歌うのはかわいい子や」とやっているよ。少し、現場を見たらいい。

前もいったように、私の子どもたちが行っている小学校は、児童の八割強が朝鮮人なんです。朝鮮人がなぜ、こんなにこの町にいて、生徒も日本人でなく、朝鮮人なのかということを認識しないで「日の丸」を掲げ、「君が代」を斉唱させるところに、日本の排他の論理が凝縮しているような気がする。「教育」の場でそんなことをしていいんでしょうか。

辻元たとえば、オリンピックで「日の丸」が掲揚されてますよね。それについて学校で教えるときに、この旗には、こういう意見の人も、こういう考えの人もいると、教えたらいい。

西部11 なんでいま、オリンピックの話をするの。

辻元それは、私らの世代としては、「日の丸」いうても、オリンピックでピューッと揚がっていく旗というイメージしかないからです。

私も、「日の丸・君が代」が果たした意味を学校できちんと教えるべきだと思います。「日の丸」に統合され、切り捨てられた沖縄やアイヌの人びと、そして私たち在日の者の意見も、学校でしっかり教えるべきなんです。それを全然せんで、これが国旗だといって、いきなり卒業式、入学式でピュッと揚げられちゃ、子どもにちゃんと歴史を教える教育をやっているのかと、誰だっていいたくなります。

辻元10 そうですよ。「日の丸・君が代」をどうするのか、学校ごとに議論して、決めればいいんです。子どもたち自身でもっと話し合ったらいい。教師同士でももっと話したらいい。

黛12  ちょっと伺いますが、小学生が話し合うんですか。

辻元11 
児童会がありますやないの。

13 小学生にそういう話ができるんですか。

辻元12 できますよ。

小田12 やればいい、やれば。あなたより、もっとましなことをいうわ。

山住14 いまの小学生は、みんないろいろ意見いいますよ。山口実際は、先生のいいなりでしょうね。いやな言い方をすれば、洗脳……。

14 年端のいかない子どもたちがわけもわからず議論し、何になるんですか。それこそ誤った民主主義です。

山住15 子どもの可能性を全然、認めていない言い方だ。黛さん、戦後教育について、ちょっと調べて発言してくださいよ。

辻元13 そうよ、そうよ。議論したり、話し合ったりすることを教えずして何を教えるの。

山口子どもらの話し合いで、何でも決めたらいいとなったら、この校歌を歌うべきかとか、学校の校区割りもどこからどこまでがいいかとか、そんなことまで話し合うことになりかねませんよ。もっと身近な問題だし。

佐藤10 ついでに、受け持ちの先生も決めたらいい。

西部12 試験をやるべきか、子どもに決めてもらいますか。

山口10
とにかく、入学式や卒業式は、子どもたちが来し方行く末を考える大切なときですよね。その機会に、私たちはこういう国に生きているんだということを考えることが必要です。 

小田13 それがなぜ「日の丸・君が代」に結びつくのか。分かるように説明してくださいよ。

15 それは、卒業式とか、入学式とかいうのは、自分の所属する民族や社会に対する認識や自覚を高めるいい機会だからです。

小田14 歴史を直視する勇気を持たなくちゃ、国を愛することもできない。日本の教育は、歴史抜きに「日の丸・君が代」って、いってるだけじゃないのかね。

16 あなたたちは歌わなければいい。座っていればいい。いまだって、そうしてるじゃない。

小田15 白い目で見られるよ。

佐藤11 それは仕方ない。あたり前じゃないの、そんなこと。

17 信念があれば恐れることないでしょう。

小田16 私は恐れないよ。そうなるだろうといったまでだ。いろいろな国の人たちが入ってきて、少しは市民社会的な雰囲気のあるアメリカや西ドイツなどと日本では事情が異なるよ。日本は、在日朝鮮・韓国人だとたいてい大企業に入れないような就職差別、かある。それくらい遅れたところだ。アメリカの儀式は真似したがるくせに、アメリカの民主主義は日本の校舎のなかに入ってこないじゃないですか。

山口11 さっき、国旗掲揚や国歌斉唱に加わらないと、周りから白い目で見られるという話がありましたが、それこそ大問題。日本の社会では、一人だけ違うことをするのは、たいへん勇気が要るんですよね。なんとなく後ろめたい。

小田17 そういうことだよ。

山口12 そのへんが変わらないと、「日の丸」をやめても、何も変わらない。

小田18 「日の丸・君が代」の問題で、日本の個人主義を鍛練し、育成する話をしても仕方ないよ。われわれが、日本国家をちゃんと考え、愛するならば、この管理教育の現場にどういうふうに対抗していくか、知恵を出し合うことだよ。いまは管理教育強化のなかに「日の丸・君が代」の指導がある。

18 逆でしょう。いままでの日本の教育システムが管理されなさすぎたために、こういう状態が起こっているんです。

西部13 偏差値教育だとか長髪禁止とか、そういったくだらないことにこだわる管理教育には、私だって我慢できない。
でも、こうしたくだらない管理教育がなぜ発達したかというと、年長者に対する礼儀とか、正しいしゃべり方とか、マナーというものを教師たちが教えられなかったからなのだと、僕は思う。ばっさりいえば、「国旗・国歌」くらい、マナーの教育の一環として受け入れたらいいんです。もちろん、反発する人はいていい。でも、基本的には、集団の儀式としてのマナーがあってこそ、集団なり国家なりが成り立つものだということはきちんと教えるべきなのです。

19 民主主義は多数決です。僕は、あなたが来る前から、もし新しい国旗・国歌をつくって、そっちのほうがいいという国民が過半数を占めたら、それはそれで変えたらいいといっているのです。日本が日本でなくなったって、仕方ない。そういう国民が増えてきたんだから。僕は日本人をやめるかもしれなが。

山住16 でも、黛さん、多数決で決めてはいけないことがあるでしょう。少数の人たちが三〇%にもなれば、その「思想・良心の自由」は尊重するというのが民主主義の基本じゃないですか。

辻元14 少数者や弱者に対して、どれだけ柔軟な態度や立場がとれるかで、その社会の厚みが測られるんです。「多数派はこう」という発想しかできないなんて、すっごく貧困。かわいそう。

山口13 ちょっと待ってくださいよ。三〇%、三〇%って、「日の丸・君が代」反対派の三〇%をまるで所与の数字みたいにいわれますけど、だいたい「朝日」の調査でも、質問の仕方で世論調査の回答は、ずいぶん違います。出てきた数字が私たちの本当の気持ちを反映しているとも思わない。
それに、入学式や卒業式で「日の丸・君が代」を一、二回、  指導するくらいで、日本人としての意識が目覚めるかといったら、そんなこと、ないと思う。たかが、年一、二回の国旗掲揚、国歌斉唱で、すべてが変わってしまうかのように、強制、強制というのは、大げさすぎません? それより、小学校六年なり、中学校三年なりのあいだに国家についてどう教えていくかのほうが大切だと思います。

20 だいたい、こんなバカなことが話題になっている国なんてないです。こんなことのために座談会を開く国もない。

問題にできるうちが幸いなんですよ。批判もできなければ、周囲が立てば、座っていたくても座っていられない国もある。それが隣国だったりするわけです。だから、大いに議論して……。

佐藤12 私は、個性のある強い人間というのは強い国家のもとに、国家と拮抗して生まれると思っています。日本人の国家意識は、本当に弱い。これでは国際社会のなかで生きていくのが難しい。
自分の国が好き、という子どもがアメリカは九〇%、日本は四五%。韓国の子どもは八〇〜九〇%近くが「韓国はいい国だ」といっています。韓国はいい国になると思います。

国は好きだといっても、いまの体制を好きだという子は少ないはずです。

小田19 私は佐藤さんの意見とまったく逆だ。私らが若いころに比べていまの日本の子はものすごい国家主義を背負ってるよ。日本は豊かな国でっせってな顔して、あっちこっちに旅してるやないの。

辻元15 円が強くなって、小田さんが「何でも見てやろう」と外国に行ったときと、私らの世代が海外を旅するのと感覚が全然違う。それを「国力」と勘違いして帰ってくる人もいる。そんななかで「日の丸・君が代」を指導したら、ますます日本人を増長させる。

西部14 そうした醜い国家意識を若者にもたらしたものこそ、国家についてちゃんと考える習慣を、あるいは国家の一員であることを全身全霊で引き受ける覚悟を、教育の場でしっかり子どもたちにつけさせてこなかった、この四十五年間の空洞でしょう。その空洞のなかに、あるべきものとは、おおよそ異なる、誤った国家意識がいま寒々と吹き込んできているということです。そうしたものに抗するためにも、「日の丸・君が代」を指導しなくてはいけないんです。

小田20 なにを最後っ屁みたいにいうてんのかね。それじゃあ、このあと、西部さん、私とあんたと延々と議論したらいいよ。基本的人権のことから始めてね。それだけの、こっちゃ。

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