禁無断転載

オバハンからの気まぐれ通信
(2004年11月&12月)


■□■2004年12月30日(木)■□■
やはり、日本の報道はオカシイ!
当地では日本の民放TVは映らず、いきおい民放でないTVのニュースに頼ることになる。そしていつも思うのが、切り取られた報道では真実が伝わってこないということ、流されるニュースが、どれも画一であること。その画一のニュースを見飽きてBBCやCNNのニュースを覗くと、現場でのリアルさに思わず腰が引けてしまう。今回のスマトラ島沖地震でも、日本ではまったく流れていない(であろう)過酷な現状が、映像でバンバン流されている。いやぁ!物凄い。オバハンも日本の報道で何万人もの人が亡くなっているのは、もちろん知っている。しかし、暑熱で腐敗が進みつつある遺体の間を、口や鼻を覆って肉親捜しで右往左往する人たちの映像はないし、一刻も早く見つけないと、その遺体がブルトーザーで穴にドンドン放り込まれ、埋められて行くのも放映されてはいない…。冬とはいえ、まだまだ暑いし遺体は直ぐに腐敗する、マグロのように並べられた遺体の上に消毒薬を撒いても追いつくまい。伝染病を防ぐためには遺体をブルトーザーでゴミ同様に処理していくのも理解は出来る。死んでしまえば物体かもしれないが、人間としての尊厳はゼロになっている…。東京などの大空襲直後も、こうした情景だったのであろうか?
津波直後らしい映像では、溺死した家族を引き上げている映像が多かった。水の中で揺ら揺らと揺れる長い髪や、着衣の襞が水にヒラヒラするさまが何とも悲しかった…。昨日からは水死して膨張した遺体、死後硬直した子どもを抱えて水の中を歩く人が見られる。とにかく悲惨そのもの。目を被いたくなり、何度かチャンネルを変えてしまったが、現実を知るというのは大切だと思い返した。

日本の報道は切り取られ、奇麗ごと過ぎる。現実から乖離している報道から現実を見ることは更に不可能だ…。日本では残酷な映像は放映しないと決まっているそうだが、そうした酷い現状だからこそ報道すべきではないのか?他人の痛みを知り、理解を深めるためにも。それによって、我々のなすべきこと(平和や被災者のためには、お金を出すだけでも良い国際貢献)を考えるという…。アメリカの言いなりになって、イラクへの戦費を負担するより、こうした被災者に対する支援こそ惜しむなと言いたい。

■□■2004年12月29日(水)■□■
昨日から厚い雲に蔽われているイスラマバード。深々と底冷えがして来た。標高1800mの首都カーブルでは降雪が酷く、昨日は着陸に失敗したフライト(何処のフライトかオバハンは確認していない)の破片が滑走路に散らばり、年末年始の休暇に飛び立てない人たちでカーブル空港は混乱したらしい。オバハンもカーブルからのお客さまを待ちつつ、何人分のお節料理を作ろうかと、この期に及んでアタマを悩ませている。

一昨日の深夜、アフガニスターン国境に近いチトラールでは、NGOの現地スタッフ3名が数人に襲撃され、1人は逃げおおせたものの2名が射殺された。また、友人からのメールによれば、【ソウル28日時事】韓国外交通商省は28日、アフガニスタンのカブール市内で日本人女性1人を含む外国人4人を対象とした拉致計画があるとの情報を入手したことを明らかにした。現地の非政府組織(NGO)から20日に情報を得たとしているが、拉致を計画している勢力や標的とされている人物の身元などについては明らかではない。(時事通信) - 12月28日13時2分更新】と。
オバハンが行動を起こそうという矢先には、常より不穏な情勢が醸し出されるような気がしてならない。標高1800mのカーブル空港、少しでも降雪がある冬場のフライトは視界が悪くて危険だし、「拉致計画」というものの信憑性を疑問視しながらも、あり得ない話ではないだけに何時も以上の神経を張り巡らさなければならない。夜中の襲撃にいたっては防ぎようがない…と、小心者のオバハンは何時も怯える。そして怯えながらも気合を入れて何かをすることに快感も覚えるという、屈折したところがオバハンのサドマゾの所以かも。いずれにせよ、出来る限りの情報収集はしなければ…。

■□■2004年12月27日(月)■□■
現地での映像が次々に露わになり、スマトラ島沖地震の物凄い被害に呆気に取られている…。
先日、近頃の「アフガン難民」についての説明を長々としたが、こちらの被害者は文句なし、家や財産を一瞬うちになくした正真証明の災害被害者、難民だ。これら数十万人を超えるであろう被害者たちの支援に、国際機関は速やかに行動して下さるようお願いする。
そして、自然パワーに対し、人間が正面から立ち向かえないのを改めて認識し、何事においても謙虚にならなければと襟を正す思いがする。無用な神頼みより、普段の生活を見直し、人間として清く生きたいものだ。仏教徒や無宗教者の多い日本でのクリスマス、本来は何の意味合いもないと思うのに、日本人はどうしてあぁも馬鹿騒ぎ出来るのかと不思議。冬の夜空を飾る、クリスマスのイルミネーションは確かに美しい。が、日本にはエネルギー源が豊富にあるわけでもない、その大自然(神)からの頂き物(石油や水などなど)をひたすら消費するだけで良いわけがない。

年の瀬も押し迫り、そろそろおせち料理の下ごしらえにかかり始めた。もっとも日本のように材料が豊富にあるわけでもなく、アタマを捻っていろろ考えるのがオバハンには楽しい。お正月とて当地は平日、ただ、アフガンから気疲れを癒しに来られる方々や、日本へ帰国できずにおられる方々へ、少しでもお正月気分を味わってもらいたいだけ。
お節料理に続き、庭の竹薮から、手ごろな大きさで真っ直ぐの竹を2本も切り倒し、赤葉牡丹と白葉牡丹を飾って6組の門松を作った。地面から60〜80cmもある立派な門松にオバハンはニンマリ。
お蔭で本日は筋肉痛。

■□■2004年12月25日(土)■□■
新潟中越地方もついに本格的な雪の季節となってしまったが、アフガニスターンとパーキスターンの国境地帯や、アフガニスターンの中央山岳地帯も雪の季節になった。イスラマバードも雲が厚くて寒く底冷えするが、ケチなオバハンはストーブを出さずにフリースとショールで防寒対策。おまけに、いつもは裸足なのに靴下をはき運動靴まで履いてしまった。

アフガニスターンの大統領選挙から1ヵ月半、ようやく組閣がなった。
3年前にタリバーンと戦い、新しいアフガニスターンを作り出した立役者?である軍閥たちは排除され、すべてカルザイ大統領(アメリカ)のご意向に沿った組閣に見える。アメリカ大使館内で組閣が検討されているという、巷の噂を裏付けるような組閣に、かっての国防大臣などマスード派は歯噛みしていることであろう。オバハンの単純な想像によると、よほどの納得できる取引がなかった限り、この反発は大きいと思わせる。

■□■2004年12月24日(金)■□■
19日に、JICAの緒方総裁はアクティブで素敵な方だが、アフガン難民の実態にイマイチ詳しくないということを書いたら、それではアフガン難民の実態について教えて欲しいというメールを、読者から頂いた。

難民は戦争や政治的・宗教的な迫害などの危険や、飢えから逃れるため自国を離れた人という定義だが、オバハンがこの3年間500日をアフガンで暮して分かったのは、最近の「難民」と言われる人々と、90年初めロシアの侵攻によって共産主義化を恐れ海外(イランやパーキスターン、あるいは欧米)へ逃げた人々とは難民の性質が少し異なるということだ。もっとも、貧しく生活が苦しいという点では余り相違はないが…。
特に最近の大干ばつによって農業が出来なくなり、難民となった人々やアメリカの攻撃を恐れて自村を離れた人々をも含め、元々、彼らは半農半牧生活で季節によって移動する人々だったと思う。そうした彼らはロシアの侵攻以降、冬になれば暖かな低地(イランやーキスターン)で難民キャンプに入り、時には日雇い仕事で現金収入を得たりしながら、国連や世界食料計画から食料を貰い生活する習慣を身につけた。さらに言うなら、国際機関による垂れ流し政策によって、彼らの多くは働かずに食べられることを知ってスポイルもされた。おかげで、最近では貰って当然という価値観の人々が殆どだとも言える。
働かずに食べられるという、そうした生活の中でも春になれば自村に戻って小麦を栽培し、収穫が終わって寒くなったら再び暖かな低地で暮らすという、「生活形態」を持つ人々を、一括して「難民」というのもオカシナ話だと、オバハンは常々考えている。
彼らは自国へ帰る気になれば何時でも帰れるし、今やパーキスターンよりアフガニスターンの方が日雇い仕事賃などなど、すべてパーキスターンより好条件にあるというのに…と。
ただ、彼らは我々日本人からみれば圧倒的に貧しい。蓄えがあるわけでもなく、明日への心配は常につきまとう。中には僅かだと思うが本当にきょうの食事にも困る未亡人の家族もあるだろう。そうした人々の安定した明日への生活のために各国の支援はあり、「モノをあげる支援ではなく、現金収入に繋がる支援」が必要だとオバハンは考えている。
問題は帰る気になれば何時でも自国へ帰れる人を、「難民」として過保護にしていることだろうか?特に、日本でハザラ人だから自国へ帰れば迫害されると言い張る輩は不快だ。アフガン全体でハザラ人は少なくとも200万人はいる。そうしたハザラ人が総て迫害されているわけではない、迫害されるには迫害される原因を、その人が持っているということだ。何千、何万というハザラ人が戦闘に参加した。それが迫害の原因だというのなら、何千何万というハザラ人が今も殺害されているのに、寡聞にして聞かないのは何故か?残念だが、とにかく日本人には現地のことが見えなさ過ぎる…。

■□■2004年12月22日(水)■□■
電話の回線が改良され、インターネットに繋がりやすくなったので、新しい遊びに嵌っているオバハン。いろいろと遊んだ挙句、本日は「ポチ首相」というのを検索したら、31件あった。結構辛らつに書かれていても一向に平気な首相サマの神経は、何処かの首領サマと同じようでオバハンには羨ましい限り、あぁ、あやかりたい!
イラクはますます泥沼化のようで、きょうも米軍キャンプが自爆テロリストによって攻撃され、多数の死者がでている。そんなイラクに自衛隊の派兵延長をするポチ首相のアタマはオカシイとしか言いようがない。
また、北朝鮮に対する経済制裁をせよ!という、国会議員が82%余。反対が僅か5%しかないというのに、この期に及んでも我が道を行く小泉を何とも出来ない、我々の代表である国会議員どもがだらしがない。何のための選挙であり選出であり、民主主義なのか?もしかしたら、小泉には秘策があるのかもしれない…と、お人好しのオバハンは好意的にも考えてみたが、そうした深い考えがあるのなら、もっと昔から国民への説明義務を果たしていたかも。
3年前、ニューヨークとイスラマバード、東京のスタジオを結んで民放が小泉と対話を…という番組を放映したが、アフガニスターン現地の事情も知らず、平気で番組に出演する勉強不足の首相には呆れたものだった。
プロデューサーからは「今までの首相と違って、ハッキリものを言う人ですから、何でも聞いて下さい」ということだったが、オバハンの質問に口をモグモグ…、一呼吸おくれて言葉あいまいに「いや、知りません…、モグモグ」だった首相。あの頃は今ほど言葉足らずの害がまだ見えていなかったが、この3年の「言葉足らず害」は一般国民にとっては弊害だが、政策上は首相の秘策なのであろうか?

■□■2004年12月20日(月)■□■
昨日から静かな雨が続いている。
オバハンの部屋は半地下にあり、その天窓をおおう微小な雨の粒が時折り思い出したように集まり大粒となって流れゆく。霧のような雨を通してブーゲンビリアの濃い紅花や、竹薮では大きく育った竹の葉が雨を乗せて重く頭を下げているのが幽かに見える。

昨日の休みは本当に静かでノンビリし、新しい発見があった。ケチなオバハンが海外へのFAX代金を惜しみ、パソコンを使い出して7年近いが、ここでは電話の回線が悪いせいもあって取り込みに時間がかかるので、今まではメールとインターネットでは新聞を見るくらいしか使っていなかった。最近、電話の回線が変わったせいもあって、純粋に時間つぶしとしてインターネットに繋いで半日丸々遊んでみた。
いろいろ遊びまわって、フト思いつき、「督永忠子」を検索してみたら188件もあり、中にはオバハンの知らない場所で一人歩きしているようなものまであって、いやぁ!畏れ入った!というより怖かった…。

オバハンは軍事政権を強力に支持しているわけでもない。しかし、ムシャラフ大統領がテレビのインタビューで、陸軍参謀長職を兼任し続ける意向を表明したことに対し、「パーキスターン存続のためには仕方がない」と支持している。本来、パーキスターンでは軍人の政治参加は憲法が禁じている。ムシャラフ大統領も1年前に「04年末までに軍服を脱ぐ」と明言していたが、昨今の状況(米軍がパーキスターンとアフガン国境で毎日のように繰り広げるアルカイダ掃討作戦。戒厳令状態で民間人にも多くの犠牲者が出ている)では、余人に任せられず、やはり軍事面での掌握、そしてアメリカさまのご意向に応えなければと考えているのだろう。
もしムシャラフ大統領がどこかのポチ首相のように、単なる盲従だけならオバハンも支持しない。しかし、パーキスターンを存続するために苦渋の選択であることを国民に訴えた911直後のTV放映以来、オバハンの大好きなパーキスターンのために頑張って貰いたいと支持している。特に99年10月の軍事クーデターでは、大統領になりたくてなったのではない経緯があるし、今となってはムシャラフ以外の指導者がいないのも確かだとオバハンには思える。

■□■2004年12月19日(日)■□■
冬至にも近く、夜明けが極端に遅くなって来た上、今朝は厚い雲でおおわれていた為か何時もよりもさらに夜明けが遅く、目覚めて気が付いたら7時のニュースを見逃していた。
10時過ぎより静かな霧雨になり、野外バザールの冬物野菜たちは霧雨を吸って生き生きしている。旬の野菜が一番おいしい状態で並ぶパーキスターンのバザール。人参はアフガニスターンが原産地と言われ、当地の人参は生で食べると果物並に美味しい。最近では欧米から帰って来た人や外国人向けの輸入野菜が手ごろな値段で手に入るようになった。すべてが露地もので、日本の野菜のように水ぽくないのが嬉しい。
先ごろ頂いたメールに、日本の生活では「珍しいものを食べる喜びは知りましたが、かわりに旬のものを食べる喜びを失っているのに」というのがあった。日本の生活は便利になった分、失くしたものの方が大きいと何時も感じている。

アフガニスターンでは大統領選挙が終わり、カルザイが選ばれて1ヶ月以上も経つのに、未だに組閣できていない。巷での話しによると「組閣はアメリカ大使館の中で作られている」と。そして組閣内容をめぐっては大いに混乱が起こりそうな状況の上、来春4月の総選挙は延び延びになる予測なので、大統領選挙以上の混乱になるのではないかとも。来春からは、ケシ栽培に代わる換金作物としての「豆栽培」を夢見ているオバハンとしては、なんとも先行きが不安な状況だ。
JICAの緒方総裁はアクティブな方だし、素晴らしいとオバハンも思うが、先般アフガンへ行った時のコメント、未だに「難民キャンプ、うんぬん」で、あぁ誰もがアフガン難民の現実を教えていないのだと、残念でならない。

■□■2004年12月17日(金)■□■
ここ3年、毎冬日本へは行くのだが、何時の場合も10日〜長くて2週間という滞在だった。それが今回は20年ぶりに3週間も滞在してしまったから、疲れたような気がする。滞在中、報告会(講演会)に行く先々では、本当に多くの方々からとても良くして頂いたし、美味しいものもたくさんご馳走になった。にもかかわらず、日本はオバハンにとって居心地が悪い。毎回、浮ついて華々しいだけの日本から、静かで落ち着いたパーキスターンへ帰って来るたびに、ここが自分の居場所だと実感する。
敗戦後の日本の貧しさの一端を知っているオバハンとしては、日本が豊かなのは喜ばしい。しかし、内戦で崩壊した建物が並ぶカーブル市内、疲弊したアフガンや貧しいパーキスターンの山村に暮す人々を知れば、テロの原因は貧富の格差だということが解かる。
最近の報道は、そうしたテロの根源的なことなどには触れず、いたずらに危機感や不安感だけを煽り、「安全のためには政府が強権発揮するのも仕方なし」という、風評を作っているようにしか見えない。オバハンなどアタマの古い者から見れば、日本社会(日本人)の脆さのようなモノが今回の日本では気になった。クリスマスも近く、各地では際限もなく電気が消費され、自国で生産されているわけでもない食品の多くは食べきれないと廃棄され、そうした生活を不思議とも思わない人たちと同席するのが、オバハンにはとてつもなく苦痛だった。
自分だけが豊かで良いわけがない。

ところで、最近、オバハンからのメール(通信)がない方は、オバハンのPCが壊れた時にアドレスがなくなったものとお考え下さい。そういう方はオバハン宛にメールを下さると有難いのですが…。

■□■2004年12月16日(木)■□■
オバハンはイスラマへ帰って来て、どれだけ安堵のため息をつき、かつ空の広さと酸素の多さを実感したことか。特にダブダブの薄汚いパーキスターン服とチビたサンダルを履いて、ようやく本来の自分に戻れたことをかみ締めている。日本でも同じ服装でいれば良いではないか!と、思う人もあろう…。しかし、最近の日本で、そんな格好をしていれば、アルカイダやタリバーンと繋がっているのではないか?との、疑惑を招きかねない。さほど、最近の日本は異様なくらいピリピリしていると考えた方が良い…。
おまけに携帯電話…。持たされてはいたけれど、常に不携帯の状態では役立たず。持っているというだけで緊張するし、気分の落ち着かないこと甚だしく、普通の人に出来ることがオバハンには出来ず、もうまったく浦島バァサン。
あぁ、オバハンの住むパーキスターンが世界で一番すばらしい!!

帰って来て新聞をパラパラと見ていたら、現在アフガンで登録の国際NGOは260団体。 2002年には1000近くの国際NGOが登録されたから、現在は4分の1というところか。対してローカルNGOは、なんと!3358もあるという。ア政府は国際NGO(超有名な大NGOも含まれる)も不要、国によるODAは認めるが、NGOによる支援は不要との見解を示している。早い話が(巷の憶測では)、NGOではまとまった金がピンハネできないからとか。欧米はODAでも大臣や担当者に支払うコミッションが20%もあるのに対して、日本のODAは2%程度のコミッションしか支払えないため、ODAであってもアフガンで仕事をしていくのは大変だとか。ア政府の本質がどこにあるのかは解からないが、来年はNGOにとって厳しい年になりそう。
考えてみればオバハンたちのNGOも、初期のプロジェクト(難民へ食料配布)から、自給自足、自立のための支援としてのプロジェクトへ移行、今は現金収入を得られるためのプロジェクトとして「じゃがいも栽培、豆栽培」が中心になりつつあるが、そんな支援はア政府には不要ということか?
来春からは、現金化できる「豆栽培」に情熱を傾け、取らぬ狸の皮算用を楽しんでいるオバハンにとって、ア政府の動きは楽観できない。

■□■2004年12月11日(土)■□■
自民党幹事長、青少年の教育問題で発言。「一度自衛隊に入ってサマワみたいなところに行き、緊張感を持って地元から感謝されて活動してみれば、3ヶ月くらいで、またたく間に変わるんじゃないか」と。なかなかご立派なご意見と謹聴する。

日本の青少年がいかに恵まれているのかは、彼ら子どもたち自身が現実に開発途上の国々へ行ってみれば理解できるとオバハンも思う。時々、日本から預かったり遊びに来たりする子どもたちの変化をパーキスターンで見ているから、それは実感できる。しかし、その恵まれた状況を理解しながらも、その後の日本での生活見直しに取り込んだり、生かしたり出来る子ども(大人も含めて)は非常に少ない。いつも言うように電気や水、ガスが常に空気のようにあって当たり前の状態の中に戻れば、また、お金さえ出せば身の回りにある欲しいものが何でも不自由なく買える状況にあれば、ワザワザ不便な開発途上国を真似る必要もない。まぁ、幹事長の発言は「絵に描いた餅」にもならない低次元の暴論だとオバハンには思える。教育には長い時間がかかる、仮に開発途上国を見せたら、その後のフォローも大切で、それがなされない限り「またたく間に変わる」どころか、反動も大きいのでは?と思うのだが。イラクから自国に帰って来た自衛隊員や、アメリカ兵などの不始末を考えてみたら、それらは想像が出来るというものだ。

とにかく青少年の前に、幹事長御自らがサマワへ3ヶ月間滞在されることを、オバハンは切に希望する。

■□■2004年12月10日(金)■□■
やったぁ〜! 終わった、終わった、日本での報告会14ヶ所(講演会)が全部終わった!

人前での話が何よりも苦痛なオバハン、実は気力をふりしぼってアルツハイマー防止のために講演会を引き受けている。最も嫌なことをすることで、弛んでいるオバハンの精神に活を入れるというのが「アルツハイマー防止」の眼目なのだが、それとは別に何時までたってもうまく話せない自分にがっかりする。しかし東北5県6ヶ所、関西などを回って思うのは、自衛隊派兵延長などに対する報道に地方紙と大新聞との間に相当の開きがあること。中でも京都新聞は何系の新聞なのかは知らないが、その立場というか報道姿勢が明確で爽やかだった。

9.11同時多発テロ以来、日本の報道姿勢は大きく規制を受け、自由がなくなったとオバハンは考えている。特にこの1〜2年の報道は、明確な意志を持って日本政府主導で戦争への道をばく進していると実感する。そして、このことを何%の人が知っているだろうかと案じる。
日本の高校生の学力が世界で14位、トップグループから脱落と報道されていたが、報道の自由は世界で23位だというではないか…。経済的には辛うじてまだトップグループにあるが、学力もトップグループから脱落、報道にいたっては中進国並の23位…となると、我々はその意味を良く考えてみなければならない。

■□■2004年11月24日(水)■□■
パーキスターンの北方地域の山村には、アフガニスターンに劣らず貧しい人々が暮らしている。
ここで初歩の保健知識でもあれば、わずかでも乳幼児の死亡を回避できるのに…との思いは30年間止み難く、計画の実現に向かって細々と活動を続けてきた。第1回めのセンター設立計画は、1982年からスタートし、早々と1983年に挫折したが、数年前から再度、ギルギットにて初歩の母子保健教育や識字教室、縫製教室を再開。女性による活動を続け現在に至っている。
25年前に一度、立ち上げて挫折した、ギルギットでの母子保健指導センターは、JRUのサポートで建設されることとなった。また、マチュルー村では幼児を対象とした衛生手洗い教室と寄生虫撲滅対策プロジェクトも始まった。
詳細は、Nippa Welfare AssociationのHPをご覧ください。

■□■2004年11月24日(水)■□■
22日午後、予定通り成田へ到着。
オバハンのブルーな気持ちとは裏腹に、ここ3日間は暖かな日本晴れ!
23日の『アフガン難民を支える会−SORA』の報告会では、「3日坊主の勧め」なる訳の分からないお話しも早々と終わった!早い話が3年間のアフガン支援では、オバハンの納得いく成果が出ていない。なぜ出ていないか?という、言い訳めいた「お話し」で終始したのだが、参加された方々との意見交換では、オバハン側にも大いに学ぶべきことがあった。皆さまありがとうございます。

1年に1度開催されるSORAの運営委員会でも今後の運営方針などが定まり、3年間の活動を経て小さいながらも『アフガン難民を支える会−SORA』の活動が自分たちの中に根付いたような気がする。 

2005年の支援活動は、この3年間にいろいろ「3日坊主」で試した結果から、自立のための支援と、最初に考えた農業支援に戻る。

国民の85%が農村に住むといわれるアフガニスターン、農業基盤の整備などは国家政策だと思うが、いまだに農業基盤の復興などにはほとんど手がつけられていない以上、細々とでも支援活動を続け来年こそは換金可能な作物を栽培したい。長期的な果樹の植林も将来的には良いと思うのだが、もっと村人が興味を持てる短期的な視点での換金作物の栽培にも力を入れたい。というので、つくばの植物環境技術研究所へ1粒で15リットルも採れるという「豆」の種を貰いに行き、栽培上の注意とコツを聞いて来る。1粒で本当に15リットルも採れるというのなら、200人の村人に10粒ずつで2000粒。30000リットル、キャ〜ッ!どうしょう!どこへ保存しよう!!

■□■2004年11月19日(金)■□■
あぁ、明後日のフライトで日本へ…と、思うだけでユーウツさが増す。
この間は日本での滞在中、自由気儘が出来ないからだ!と、書いた。でも良く考えてみれば、それも原因の一つだが、日本の無秩序な消費社会(と、オバハンは思う)や、度を越えた贅沢な社会も不快さの原因だと気が付いた。日本人には当たり前の生活、水や空気などと同じようにある電気。必要以上な飾りつけを「華やかできれい!」と思うだけに過ぎない電飾など、さまざまな贅沢品(ティッシューペーパーから食べるもの全般まで)を、あって当然とし、たいした感謝をすることもなく消費するのような人間の住む日本。それらの無駄を目にすることが苦痛だと今、わかった。
イラクへの米軍による不当な攻撃、反発する社会も不幸だが、貧しいパーキスターン以上に貧しい、真っ暗な闇の中に細々とランプの灯が揺れ続くアフガニスターンも幸せとは言い難い。アフガニスターンやパーキスターンに暮して、当地の価値観になってしまったオバハンが異常なのか、日本が異常なのか?日本人全体を異常とは言わない。しかし、その贅沢さを認識し感謝できる人に日本では余り会えないことが淋しいのかも。日本は、今のオバハンの住むところではないし、国ではない。

■□■2004年11月17日(水)■□■
なんじゃぁ!?
また、品のない「何じゃぁ!?」から始まってお許しを!民主党、岡田党首の質問に答える小泉。「サマーワは非戦闘地域。これほど分りやすい答弁はないでしょう!私がそう思っているのだから。」
私、小泉がそう思えば非戦闘地域でないと言い切る、主観のみの答弁に、ギョッとした人は多かったのでは。あれほどの開き直りを許して良いわけはない。また、自分の主観が正しいと押し切る独裁ぶりを誰もが止められないところに、日本の不幸がある。早い話が野党がだらしがないだけだと思うけど。若い時からズーッと革新政党を応援して来たオバハンだが、最近は支持政党がなくなった。どこにも期待が持てなくなって、腹が立つばかりだ。
北朝鮮政策に対しても、小泉の答弁は正しいことを言っているようで、その実、まったく正しくない。拉致被害者会はもちろん我々国民も建前論を聞きたいわけではない、日本政府の本音を聞きたい。「外交辞令」なんぞを聞きたいわけではない。

三位一体の改革も、国民の生活や日本の将来に直接関わる大切なことが3兆円、国家予算の4%からが削減され、ラチもない(と、オバハンには思える)国際支援に凄い税金を垂れ流している。何十億、何百億という国際支援金の支出を決めたら、その「予算を消費しなくてはならない」などとは、おふざけもいいところ。かっては、冴えないと思った森総理(元)だが、小泉に真っ向から立ち向かっている。最近は光って見えるヨ。森総理(元)だけではなく、小泉に自論を堂々と吐く加藤、古賀、亀井だったかな?も、光って来た。頑張れ!

■□■2004年11月16日(火)■□■
静かな断食明け新年の3ヶ日、街を行く人や車のざわめきも全くなく、本当に森閑としている。3ヶ日で排気ガスも沈んだのか、マルガラ丘陵がクッキリ直ぐそこに見え、モスクから流れる礼拝への呼びかけ声までが澄んで何時も以上の張りと艶がある。思わず本から目を上げ、姿勢を正して聞き惚れる美しいアザーン(礼拝への呼びかけ)だ。
反して、心静かに新年を迎えることも、礼拝も出来なかったファルージャの人々。年末年始の1週間を阿鼻叫喚で過ごした人々…、逃げるにも逃げられなかった一般市民。台風や地震の被害もむろん悲惨だが、1週間も続く爆撃の恐怖、そんなおぞましい状況を想像するだけでトラウマだ。
パウエル国務長官が辞任した。今のアメリカでは「良心」を体現していたかもしれない数少ない人であろうだけに、その辞任は残念。これでブッシュ(アメリカ)は、ますます「ロバの耳政策」を推し進めるのだろう。世界の3分の1がイスラーム教徒になろうかという現在、その人々に反米感情を募らせることや、それを強圧で解決することに快感でも感じているというのか?
そんな狂ったブッシュを、アメリカ人の半分が支持をしたということにショックを受けたが、もう半分はブッシュを支持しなかったのだから、その輪を広げられるよう、努力したいものだ。

■□■2004年11月15日(月)■□■
世界中の全イスラーム教徒が心を一つにして、待ちに待ったEID(断食明け新年)。新聞ではその断食明けの日が、1ヶ月も前から何度か新聞にも掲載されていたのに、快晴続きで新月が良く見えたせいで、夜中のうちに14日が急遽EID(新年)と決まったらしい。
スタッフたちも、断食が1日短くなったと大喜びで、ニコニコ顔。
星あかりだけの未明から、夢うつつに澄明な空気にのって流れて来るモスクからの「礼拝への呼びかけ」や、「お説教」。街行く人も車もなく清閑そのものの断食明け。家の中も物音一つせず、静まり返っていかにも「新年」という気分になる。反してニュースの画面では強圧で反政府活動者をねじ伏せようとする米軍の行動が流れて殺伐とした気分に。ファルージャ市内のモスクは殆どが破壊されたというし、礼拝も出来ない新年をファルージャの人々はどう思い、迎えたのだろうか。
イスラーム教徒にとって一年で一番待たれた断食明けのEID、米軍への反感、否、怒りは半端ではあるまい。それはここパーキスターンでも、反米感の高まりで解かる。

■□■2004年11月13日(土)■□■
陸上自衛隊第4次イラク派兵500人への団旗授与式。
イラク暫定政府のアラウィ首相は、11月7日イラク全土に非常事態宣言を出している。「非常事態宣言」ということは、イラク全土で令状なしの家宅捜査や、外出の禁止、3人以上で集まることも禁止し、住民の行動を大きく制限するものだ。1万5000人を超えとも言われるアメリカ軍とイラク軍が、ファルージャへを攻撃したことによって、一般住民は逃げることもできず、多くが攻撃に巻き込まれている。それで反米感情が高くならなかったら不思議だとは思わないのか。そうしたイラクへ自衛隊を派兵するについて、大野防衛庁長官は「安全には万全を期しているから、安心だ」と、2回も繰り返し力説、隊員やその家族に「安全」を印象つけていた。また隊員の中には「歌舞伎町の方があぶない」と考えた人もあったようだが、認識がズレているとしか言いようがない。
アメリカの同盟国である日本。アメリカの後方支援をしている日本軍のイメージを現地で持たれていることを解らなくては。

中国の原子力潜水艦が領海侵犯。町村外務大臣、もっと毅然として欲しいなぁ。ヤクルトの古田は、交渉継続中にオーナー会の代表者なんかと、ニコヤカに握手なんかしなかったゾ!抗議を申し入れる側がニコヤカに対すれば甞められることを学ぶべきだ!喧嘩をする必要はない、でも微笑むのもムッチャまずいとオバハンは思う。中国の王大使の言い草もなかなか。「ゆっくり落ち着いて理解を深めることが大切」と。一面は正しい、でも領海侵犯したのは中国側、この間のサッカーで騒いだのも中国側。何だかんだとイチャモンを付けてくるのは常に中国側ではなかったか?
若い頃からオバハンは、中国や韓国、北朝鮮に理解を持っていたが、最近は歳のせいか許容範囲が狭まったように思える。オバハンの許容範囲なのか、日本に対する相手3国の在り方なのか?

■□■2004年11月13日(土)■□■
日本へ行く日がだんだん近づいて来て、ユーウツが募って来た。普段は元気印のオバハンだが、日本行きを前にすると青菜に塩、茹で野菜。あぁ、でも行かねば…。
何が嫌か?
人前で話をするのは大の苦手だし、混んだ電車に乗っての移動も、日本人全体がセカセカ忙しそうなのにも疲れる。でも、アチコチ約束をいっぱいしてしまったので、思いつきで気儘に動けないことが一番辛いなぁ。普段、勝手気儘、言いたい放題に暮しているから、たまには「日本で矯正」されるのも良い!と、おっしゃって下さる方もあるから、そうかもしれない。

イラク暫定首相アラウィの従兄弟家族が拉致されたが、続報は?
アフガニスターンで拉致された国連職員の釈放も、交渉時間が延期されたが大した進展はないようだ。中央アジアでも、フィリピンでも、世界各地で外国人が反政府活動グループによって拉致されるようになって来、不穏もいいところだと思う。この不安定な状況を作り出した根源は、どんなふうに見ても「民主主義」を世界に根付かせると称して、強圧で物事を解決しようとした反民主主義的な国アメリカのせいだと確信する。
「ブッシュの家族を拉致せよ!」反政府活動者(ブッシュの言うテロリスト)たちに教えてやれ!と、事務所の大住はオバハン以上に過激だ。ブッシュやブレア、小泉の家族が直接痛い目に遭えば、北朝鮮拉致連被害家族の気持ちも解かるであろうに…。

■□■2004年11月11日(木)■□■
日本はまだまだ凄い!と、新潟県中越地震の経過を見ながら何度も思ったが、今後の義務教育遺憾によっては、「凄い!」と思える日本と日本人がだんだん無くなる。
早い話が選挙一つをとっても、日本ほど即日開票が可能で、きれいな選挙の出来る国は無い。
民主主義の大元、アメリカでさえあのザマだから、あのアメリカがアフガニスターンやイラクの選挙をウンヌンする方がオカシイ!国際選挙監視団??そんなもんが日本に来たことがあるか?自国アメリカの選挙でさえ、まともに出来ないものが他国の選挙に口を出すな!いやいや、アメリカに出来るのは「占拠」だけかと思ったり。

■□■2004年11月10日(水)■□■
新潟中越地震で脱線した新幹線をクレーンで吊り上げ、隣の線路の台車に乗せるというニュースを見ながら、思わず「日本は、凄い!」と声を上げてしまった。クレーンで吊り上げるだけの技術ではなく、災害対処能力の高さ(日本政府の対応の遅さは別にして)や、さらには被災者の不平や不満を表立って表さない「余裕ぶりとでも表現しようか?」などを見ながら、日本は凄い国だと、ただ、ただ感心する。また、たぶんに神戸と違って田舎で暮す人々には「昔の良き日本」がそのまま残っているのかとも思う。
アフガニスターンでも内戦前の落ち着いた時代に教育を受けた人々と、その後に教育を受けた人々とでは大きな差異がある。古き良き時代の人々には人間としての徳性やマナーが備わっている…。政府は義務教育費の削減(地方行政に委ねる?)などと言いはじめているが、今でさえオバハンから見たら「ゆとり教育」なるものは、「ヘッ??何に?ウソでしょう!」と言いたくなるほどのモノだ。
TVで視聴者をトコトンバカにしたような番組から20年以上か?それを見ながら育った、モノごとを比較したり検討したり、自分で考えなくなった多くの日本人たち(と、オバハンには思える)の育てた、子どもだから政府は経費をかけるのも惜しいと言うわけか。お受験にうつつを抜かすからっぽな母親をバカにしていた時期がオバハンにもあったが、これからは自分の身は自分で護るという「安全の確保」だけではなく、教育も「自衛」しなくてはならない時代に入ったということ。母親は、お受験などにうつつをぬかすより、家庭での教育、親子のふれ合い、小学校教育さえ本当にキチンと行き届かせれば、後は本人の意欲の問題!と、オバハンは言いたいが、今日の世相の日本では難しいなぁ…。

■□■2004年11月10日(水)■□■
サマーワ、「活動している地域は非戦闘地域」だそうな…。もの凄いなぁ、小泉の持っている辞書。
「非戦闘地域」の解釈がまったく違う辞書。今、まさに戦闘が行われていないから、戦闘地でないという解釈。小泉さん、アンタは凄い!エライ!今、戦闘がないから安心なうちに撤退と思わないところが凄い。弾に当たったり、当たりそうになったことがない人には、戦闘の意味が分らないのだろう…と、思いつつも、やっぱり小泉の無神経には呆れるしかない。もう、小泉批判も疲れるヨ!と、ここで匙を投げてはいけない!!
それにしても、戦闘が起こってからでは遅い。それとも、戦闘になり犠牲者が出て、バカな日本人が報復せよ!あるいは、攻撃できるように、9条を見直せという世論になるのを待つのか!

■□■2004年11月10日(水)■□■
当地の新聞でもこの3日間は、米軍によるファルージャ攻撃が一面トップ。
ブッシュの「罪も無い人の命を奪う、テロリストを殲滅する」には唖然、言葉なし。「オマエじゃ、オマエ!オマエこそが罪も無い人の命を奪っているンじゃ!」と、TVの画面に向かって喚いているオバハン。しかし、エライ人たちは臆面も無く良く言うよなぁ…。小泉とブッシュ、鉄面皮同士、類は友を呼ぶ、至言だ!
某国際人権NGOだったか、大学だったかが調査したところによると、イラクでの一般市民の死亡者は10万人を超えていると。イラクの一般市民は「罪も無い人」ではないのか?人道支援で自衛隊を派兵するより、ブッシュに一言「自衛隊は派兵の延長をしない」と言う方が、無辜の人々の命を一人でも救うことになるのでは??おまけに10万人からの罪も無い市民を殺しながら、テロリストのザルカウィは捕まえられなかっただと!ザルカウィに限らず、アメリカは本気でオサマ・ビン・ラディンやオマル師を捕まえる気があるのか?オバハンには、彼らが(アメリカの言う)テロリストたちを泳がしておいて、攻撃のための理由作りをしているとしか見えない。

■□■2004年11月10日(水)■□■
『アフガン難民を支える会−SORA』の2004年の活動を報告するため、11月22日(月)午後〜12月13日(月)の午前中までオバハンは日本に滞在する。
アフガニスターンの現状や2004年のSORAの活動報告など、直接聞きたいという皆さまのご希望に、時間の許す限り添いたいと考えているので、希望される方は下記メール(督永)まで連絡ください。

連絡先: メール nippagrp@isb.comsats.net.pk まで

■□■2004年11月9日(火)■□■
今年も、『アフガン難民を支える会』のオリジナル・カレンダーができあがった。
2005年のカレンダーは、アフガニスターンの大地でたくましく生きる子どもたちが主役となっている。青空の下、日傘を差して学ぶ女学生、仲の良い兄弟の笑顔、ひつじを追う少年、カメラを見つめる数々の瞳…。
今年も、ぜひSORAのカレンダーをお求めください!

■□■2004年11月8日(月)■□■
過日カーブル市内から拉致された国連関係者3人の続報を、他人事ではないと毎朝一番に新聞を開き、気にかけていた。タリバーンの言う期限3日間を過ぎてどうなったのか?そんなオバハンの心配をよそに、報道規制でもあるのかと思うほどに新聞は沈黙。自国民が拉致されたのだから英国の反応は?と、BBCニュースにチャンネルを合わせても、日本のような騒ぎにはなっていない。「交渉期限は更に3日間延長、明日が最終日で交渉内容はウンヌン」と新聞に出たのが、ようやく3日の金曜日。
古今東西、誘拐(拉致)犯への対応は「時間稼ぎ」であろうことを、今回の事件は如実に教えてくれている。時間稼ぎをしながら捜査をすすめ、それに平行して交渉を進めるというのが、拉致の常道であろう。それを、小泉は考えもせず即断、「テロには屈しない、自衛隊を撤退しない」では犯人側に人質は不要、無意味、殺せ!と、言っているに等しい。なんで、後1週間の時間が欲しい、閣議にかける…とか、なんとかの対応が出来ないのか。
アフガニスターンで拉致された3人は、逮捕され刑務所にいる26人のタリバーン釈放、幾らかの身代金、国連と米軍の撤退を要求して明日から再交渉に入ると報道。交渉は困難に違いない、お互いが納得できる一致点が見つかるかどうかも定かではない。3人の代わりに26人の釈放が良いのか否かの判断もつかないが、アフガン政府と国連が柔軟に対応し、拉致された3人が無事に釈放されることを祈っている。

■□■2004年11月5日(金)■□■
ニュースの前には外務省による、『海外安全情報』というのが頻繁に流れる。
中東やアフリカでは、「日本人がテロの対象になっています。気をつけましょう」などと言われることも多い。………?日本政府(外務省)は何を寝ぼけて言うか!何時から日本人がテロの対象になったのかを、考えてもみよ!小泉が理由なき派兵に踏み切ったからではないのか?アラビア海にプカプカ浮かんで、アフガンを攻撃する米軍への後方支援。大量破壊兵器がなかったにもかかわらず、アメリカの尻馬にのって自衛隊をイラクに派兵…。
かって、日本人が名指しでテロの対象になったことなど、歴史的にあったろうか?小泉のアメリカべったりによる政策によって、我々日本人が安心して海外で暮らせなくなったのだ。年間千数百万人という日本人が雑多な理由で海外に出る。政府は自国民の安全を犯しながら、片や「気をつけろ!」とは、何をか言わん。
ハンガリーは来春3月にイラクから撤兵する。スペインも政権交代が出来た直後に撤兵を決めた。フィリピンはじめ多くの国が撤兵しつつある中で、どうして日本は「理由のない駐留」をするのか。サマーワに駐留する自衛隊員に事故が起こらぬ間に、一日も早く撤兵を!と思うのは、オバハンだけではあるまい。
政権が変われば、政策も変わるかも。イラクやアフガンからアメリカが撤兵するように!…と、また、世界の平和を祈りながら、こんなにも真剣にアメリカ大統領選挙を見たのは生まれて以来、初めてだ。

■□■2004年11月5日(金)■□■
死者にムチ打つようだが…とした、オバハンからの気まぐれ通信を読んだ、『平和をめざす翻訳者たち−TUP』の知り合いからのメールに、「香田君はイスラエルで、人間が殺されるのを目撃もしたと。ですから、多くに『甘かった』と思われつつも、その実かなり『現実』をきちんと認識した上での(つまり、どういうことが自分の身にも起こりうるかを考えた上での)行動だったかもしれません」という一節があった。
青年が「現実を自覚」していたか否かは、いまや知るすべもないが、心ある人たちがイラクやアフガニスターン、世界の紛争地、治安悪化の地で犠牲になるのはこれ以上避けたい。そうしたオバハンの思いが「大人の話にも耳を傾けヨ!」と言わせるのだ。事故に遭った不幸な青年を非難しているのではなく、平和活動、支援活動を考えてくれるような、心ある青年たちに対して、特に言いたと思う。

■□■2004年11月3日(水)■□■
ここ数日、最低気温が7℃になり、ついに羽毛の布団を引っ張り出したので、昨夜はぬくぬくグッスリ眠ってしまった。『羽毛の布団』とはいうものの、野外バザールで見つけて来た1枚400円足らずの代物。毎冬前は何時までも、毛布1枚で寒い寒い!と熟睡できないサドマゾ生活が抜けないオバハン。今月は断食の月だが、それには貧しい人々の持つ飢えの感情を共有して、貧しい人々を思いやるという側面がある。オバハンのサドマゾ感情はぬくぬく眠って弛んではならない!難民や被災者して困窮している人たちの気持ちを思いやる…と、例によって自己満足。どうしてだか自分でも本当に解からないが、オバハンの貧乏性はどうしょうもない。400円足らずの羽毛布団に感謝できる、昨年までは10円で買えた中古靴下が今年は20円になった!と大騒ぎをする、娘が学生時代に使っていたらしいメガネのフレームを見つけ、それにレンズをはめかえて喜んでいるし、ついに息子から「アンタ、お金の使い方、忘れたンか!?」と、バカにされる有様だ。でも、「ムダ使いをせずに済んだ、モノをムダにせずに済んだ」というだけでオバハンは嬉しい。

過日、カーブル市内から拉致された国連の選挙関係者たち3人。タリバーンは国連とアメリカ軍の撤退を要求しているが、期限の4日間は本日。常にどこかでイラクと連動しているアフガニスターン、というか、これほど情報が簡単に世界を廻ると「模倣」も「飛び火」も簡単だ。今、タイの南部マレーシアとの国境でも、また中国の西部でもイスラーム教徒たちが自分たちの権利を求めて活動を活発化させている。2020年には世界人口の3分の1がイスラーム教徒になるという推算があるという。
貧富の格差、人間の尊厳を犯す行為はテロや暴力を生み出すだけだ、と思いながらアメリカの大統領選挙を眺めている。結果や如何に?でも、ブッシュが勝ってもケリーが勝っても、今回はあまり変わらないように思えるところが、世界の不幸かも。

■□■2004年11月2日(火)■□■
自衛隊が駐屯する宿営地を狙った迫撃砲弾や、ロケット弾による砲撃は8回目と。僅か10ヶ月足らずに8回もの砲撃に、政府はこれでも「戦闘地域ではない」と強弁するのか?そして、「8回目」とだけ、淡々と報道する方もオカシイのでは?報道とは「何時、何処で誰が何をした」との事象のみを伝えるのだけではなく、オピニオンリーダー的な面も兼ね備えなくては…と、オバハンは考えている。報道のオカシイのは今に始まったわけでもないが、オカシイと言えば物凄くオカシイのが最近のニュース。確かに新潟の地震では多くの被災者が困っている。だからといって、その報道だけを明けても暮れても流すのは異常としか言いようがない。くっだらない(とオバハンには思える)時間つぶし的なインタヴューをダラダラ、ダラダラ、ダラダラ流して、よくも天下のナントカTVと言えるものだ。被災者は地震だけではない。幾つもの台風によって、多くの人も痛みに耐えているというのに。

■□■2004年11月1日(月)■□■
死者にムチ打つようだが、やはり言いたい。
平和への熱い思い、自分もイラクの人々のために、何か役立てることはないか?そう純粋な思いを抱いて青年はイラクへ行ったのだろう。今回の出来事は不運な事故には違いないが、やはり青年には実力も状況判断能力も備わっていなかったと見るべきではないか。25年もの長い年月、パーキスターンという不安定な地域で旅行業を営み、バックパッカーにも数多く出会った。また、アフガニスターンを目指す、ジャーナリストやカメラマン志望の若い人にも数限りなく会うが、素直に大人(専門家)の意見に従ってくれる人はほとんどいない。今までアフガニスターンで目立った事故のなかった方が不思議なくらいだ。

確かに小泉首相の対応は、青年を見殺しにしたと断言できる。しかし、「平和のために」とさえ言えば世間が通ると思うのも甘い。平和を思うのであれば、行動する人はさらなる実力と用心深さをつけて欲しい。もちろん、誰にだっていろいろな立場で「駆け出し、初心者」の時期はある。それならばそれを謙虚に自覚し、大人や専門家の意見に耳を貸すことも必要だ。もっともイラクやアフガニスターンのことをよく知り、用心深くはあっても、事故を回避できるとは言い切れない。不安定な場所から事故なく日常の生活に戻れたら、それはラッキーだったと謙虚に感謝しなくてはならないと思う。
平和への思いは尊くとも、行き当たりばったりの行動にしか見えない青年の行動で、イラクのみならず、アフガニスターンへの援助活動にまで影響を及ぼしたことを知る人は少ないだろう。31日、日本政府は自衛隊の撤退よりも、国際援助に携わる人たちのアフガン派遣を制限した。今後のアフガン支援活動に大きな支障が出ることを知って欲しい。

日本人イラク拉致、殺害につき、いろいろと反省するところがあり…という政府の発表に、自衛隊派兵を見直すのかと思いきや、今後は情報収集のために「予算と人材を考える」と。ウ〜ン…政府は、そっちへ話を振ったか…。