「狂骨の正夢」 〜「狂骨の夢」文庫版加筆チェック   



ついに出ました、「狂骨の夢」文庫版。
初出時の新書版に400字詰め原稿用紙で加筆400枚との大評判。
とはいうものの、ざっと読んだ限りでは新書版とどこが違うのか
記憶が曖昧で判らないよー、という御意見が多かったですね。
それはそうなんです、話は別に変わっていない。
おなじみレイアウトを整えるための文章のつぎたしと、
前述の事柄を詳しく補足した記述が大半でしたから。
そこでざっと読んで気が付いた部分を以前BBSに書き出してみました。
そしたら「もっとちゃんと書け」と言われました。
ちゃんと。ちゃんとって‥‥(涙)
慌てて新書と引き較べて、あらためてこちらに項目を設けたという次第。
逐一比較はさすがに無理ですのでかなり大雑把ですが、御参考までに。

勿論堂々のネタばれですので、「狂骨の夢」文庫版を読んだ方、
あるいは新書を持っているので文庫は買わないけど、
加筆部分が気になる、という方だけ見て下さいね。
未読の人は、読んじゃ駄目。


目についた加筆部分を大まかにこの三つに分類した上で、
順番に示していきたいと思います。

(1)当時の「精神分析」の現状説明補足
   同時に元精神神経科医・降旗を廻る詳細な書き込み

(2)事件に関わる物・トリックの説明捕捉

(3)キャラクターの加筆。
   キャラ達による「合いの手」、短い描写、場面の強調等。


それでは、しばらくおつきあいください。



WARNING!
ここよりネタばれ地帯、未読の方は立ち入り禁止!


(1)当時の「精神分析」の現状説明
   今回の加筆部分でも特に印象に残った部分です。
   それに伴って、「元精神神経科医・降旗」の立場が
   詳細に書き込まれる事となります。


降旗の学んだ「精神分析」の現状

 現代に住む私達はあまりにも「フロイト」と「精神分析」に
どっぷりと馴染んでいるので、「狂骨」新書を初めて読んだ時も、
昭和20年代当時も珍しくはあるものの「精神分析」はそこそこ一般的な
「学問」だったのだろうくらいの印象を持ちました。
しかし、今回の数ページにも渡る加筆で当時「精神分析」は
医学として認知されず、「学問以前」の扱いであった事が強調されています。

 ・当時のフロイトの評価は医学というより文学(p153)
 ・国内にあってまともに学ぶ事は適わない類の新興の学問(p154)

そして降旗は苦心の結果、

 ・フロイトの孫弟子に当る人物に師事して(p154)

本格的に精神分析を学んだ本邦でも数少ない専門家という扱いになりました。

 ・降旗はホープだった(P159)

のです。
しかし「精神分析」の手法で「真理」に到達しえなかった降旗は遣る気を失い、

 ・精神分析を学んでしまった以上、ただの精神分析医として振舞う事もできなかった(P160)

ので、医学界を去ったのでした。

 これらの書き込みによって挫折した元精神科医という、
現代ではありふれているため冴えないイメージだった降旗が、
文庫版では更に特殊性と孤立感が際立つ人物になっています。


降旗個人の書き込み部分

 ・哲学→宗教→精神分析(p152)

と、不安を取り除くための遍歴が語られ、

 ・降旗はフロイトに反発しているのではなく「分析してしまう己が嫌い」(p163)

とはっきりと言い切っています。

とはいえ「宇多川朱美」の告白を聞いて降旗は

 ・妄想だというのは説明になっていない(p186)とのめりこみ
 ・「正確な分析はできない」「治療もできません」(p228)と言い
 ・分析し、解釈し、意味を模索して原因を手探る(p230)

新書版より更に熱烈に分析に走ってしまいます。

 ・──酷い人間だ(p237)

と、白丘牧師を苛めてしまったあげく自己嫌悪にも陥ります。


降旗による宇多川朱美分析
 
 京極堂座敷における場面でもまる1ペ−ジ以上の書き込みがあります。

 ・精神神経医学の現状(p638)
 ・関口への牽制(p639)
 ・関口の主治医についても言及(p639)

木場の見る所の、関口に対する近親憎悪全開です。


専門家・京極堂

 さて、当時の「精神分析」の専門性がこれだけ言及されますと、
もう一箇所フォローすべき部分が出て来ます。
そう、日本ではまだ本格的には取り組まれていない筈の
「精神分析」技術に精通した男。
「降旗の言葉」で語れる京極堂。何故彼にはそんな事が可能なのか?

 ・京極堂は素人ではない、軍務でそうした事を学んでいる(p796)

新書では「京極堂ならこのくらい知ってて当然」と思っていた部分ですが、
改めて特殊な知識である事がここで示されています。


 こうして手持ちの技(笑)が底上げされてエリート度が高くなり、
同時に自己嫌悪度及び過激度も増した降旗ですが、

 ・悪魔の囁きに乗りそうな白丘を引き止め、京極堂に懇願する(p752〜3)

白丘牧師を必死で庇う場面が入って、ちょっと好感度もアップなのです。



(2)事件に関わる物・トリックの説明捕捉

 それぞれの部分について細かな補足が多数されていて、
殊にメインの事件にまつわるパートは加筆の嵐ですが、
内容的に一番大きな変化は、降旗の「僕の夢」に関してのように思います。


降旗の夢

 新書では「事実だった」と説明されて降旗が一声喚くだけの場面ですが、
文庫版では 堂々4ページ半に渡る新場面が展開されます。

 ・抑圧を受けていない記憶が再生していたのなら忘れる筈はない、
  心的外傷になっていた筈だ(p795〜796)

と主張する降旗、

 ・その時点では心的外傷にはならなかった、行為の意味を理解した後
  初めてそれまでの自分を嫌悪し「見た」という記憶を封じた(p798)

と言う京極堂が真っ向対立します。

そこで、新たに重要な「木場の証言」が出ます。

 ・降旗は夢だとはいわなかった、夢だと言ったのは自分(木場)だ、
  榎木津が初めて信じてくれたので喜んだ(p798〜799)

のだと。


 この展開ですごいのは、子供の時の彼等の会話は新書版のときの
そのままで、その会話に隠された「意味」を新たに加えている点です。
京極先生は最初から計算するというより
後から どんどん理屈を付けていくのが得意なタイプにお見受けします。
ただこの決着だと、実は遡って訂正する部分があるのです。
最初の降旗の紹介の部分で、子供の頃あの夢を見た時、

 ・夜中に見ても〜じっとしていたのだ(新書)

という所が文庫では

 ・〜凝乎っとしていた筈なのだ(p147)

「はず」が書き加えられています。
つまり事実ではなかった訳ですね。

かくして何気ないチビ木場のセリフが、今回は伏線になっていたのでした。


そしてメインの、
首を切られて蘇る死者

 内容的には変更はありませんが、淡々と説明されていた部分を
もっと詳細に描いています。
中には「これ、後から突っ込まれたんじゃ?」という補足部分も。

 ・宇多川朱美の半生の語りが「作り事のように判り易い」との降旗の感想(p173)
 ・宇多川朱美は分裂病ではない、との降旗の診断(p183〜4)
 ・(顔だけでなく)過去を知る者との会話を交わしている(p247)
 ・白丘牧師の反駁(P249)
 ・連行される朱美を見て驚く復員服の男(p524)

等など、伏線の数々が強化されています。

 ・敦子が「殺人の実験は不可能」と強調(p549)
 ・庭の血のパラドックス(p559)
 ・言い分のありそうな木場(p562)

なんとなく読み流してしまう部分も、改めて強調されています。

 ・浮いていた宇多川の服の補足(p578)

これって、「石を包んでいるのに何で沈まないの?」と言われたのでは。

 ・神人達の見張り(p855〜6)
 ・汚れた神主=血塗れの神主(p871)

あまり気にしていなかった彼等の人知れぬ努力も見てあげなくてはね。

 ・民江の記憶障碍の説明(p907〜8)
 ・民江は記憶を置き換える努力をした(p910)
 ・民江の見る「違った世界」(p928)具体的説明(p929)

普通はこんな「思い出し方」はしないだろうというところを、
民江さんの「特殊条件」を詳述して補足しています。

 ・復員服の与える効果を「実験」(p935)
 ・首の計算(p938)
 ・髪を刈った理由、夜まで待った理由、声が判らなかった理由(p941〜2)
 ・仕上げ(P944)

「声で判るんじゃない?」などと、指摘等あったのでしょうか。
 


汚れた神主

 この部分の補足も多かったです。
何と言っても、言い伝えと現実の密接な関連というのは京極小説の根幹ですから。

 ・朱美さんの実家の「神様」の説明(p94)
 ・知られぬ「髑髏」の理由(p100)
 ・諏訪の特殊性(p767〜8)
 ・神話の素(p771〜2)
 ・神人達の「神の復権」(p773〜4)
 ・現人神による比喩(p774)

いずれも神話の持つ意味の「説得力を増す」加筆です。



(3)キャラクターの加筆。

 改稿の殆どの部分は、例のごとく判形の変化に伴う加筆部分です。
ページに跨がる文を無くし、印象的な場面をページ頭に持って来るために
行数の調整が行われています。
 加えられた行の多くは「間合い」にあてられています。
中でも一番多いのは長い語りの中に聞き手の「合いの手」が入る方法。
京極堂の長い長い説明を区切って一声入ったり、劇的な雰囲気を強調したり。
ですから今回の「聞き手」(視点)の三人、
伊佐間、木場、関口の出番はそこはかとなく増えています。
合いの手だけなので印象はあまり変わらないのですが。

 あるいは登場人物の描写に当てる一行。
たった一行でも、書き加えられる事によって印象は鮮明になります。
レギュラーの場合は「最近の」キャラクターイメージに沿って書き込まれています。
これが一番キャラ好きには受けるとこでしょう。

ではキャラクター描写などの加筆分を。


朱美

 ・神世の「一族の末裔」(p777)

わざわざ言われるまで思い至りませんでした。
そういえばそうなんですねぇ。

民江

 ・「我が一党の血を引く娘」(p858)

これは何故民江さんがわざわざ「約束」を守ろうとしたのか、
という説明の一部になります。
そういえばそうなんですよ。

白丘

 ・戦時中の教会の態度の捕捉(p139)
 ・眼鏡に洋燈の火影(p429)
 ・眼鏡の奥に悲しそうな瞳(p710)
 ・男を助けようとする性分(p711)

うーん、思わず眼鏡に釣られてしまうかも。

木場

 ・自宅謹慎処分だった(p338)前回の暴走の顛末。

長門

 ・やたら慇懃(p215)

石井警部

 ・単純(p589)

降旗

 ・「大きな目をぎょろつかせて」(p623)

関口

 ・話を振られて面喰らう(p547)
 ・関口への振り「水をかけられた犬」「怯えた眼」(p618)
 ・関口の見解(p643)
 「最近の彼ら」らしい自虐的な関口君のセリフと
 加虐的な京極堂のセリフが追加されています。

 ・伊佐間関口のボケ(p677)

全般に、新書版よりも更に情けなさを強調されていますね。
気の毒に、ここ数年のうちにそれが「関口らしい」と
キャラが確定してしまったのでしょう。

榎木津

 ・「駄目だな!」(p555)
 ・探偵だッ(p705) ←ッが追加。
 ・探偵「僕だよ」(p741)  木場のリアクションもおまけで付いてます。
 ・ずっと須弥壇の上で寝転がっていた(p950) 静かだと思ったら。

京極堂

 ・地図の到着で場面にキリ(p656)
 ・白丘に接近する憑き物落とし(p751)
 ・白丘牧師は「したくても出来なかった」と強調(p754〜5)
 ・鷺宮への糾弾(p884)

このへんは場面に劇的な動きと盛り上がりを与える加筆です。

京極堂(伊佐間視点では「中禅寺」)個人については

 ・意地の悪い古本屋(p619)  ちなみに木場視点のパート。

 ・何だか酷な言い方だった(p849)  関口視点。朱美さんに同情してます。

 ・「──と云う見方だってあるのです」(p878)  さすがに言い切りはまずい。

 ・当事者の民江を前にして言葉を濁す中禅寺(p933)
 ・民江を慰める中禅寺(p945)

  ひたすら説明に徹するばかりじゃなくて、ちょっぴりデリカシーも。

 ・「君はとっくに答えを知っているさ」(p962)

  実は私はこの場面、新書版の「フロイトにでも尋くんだね」で
  ぱっと会話が終る方が好きなんですよ。
  妙に引くのはそれこそ「野暮天」というものです。

伊佐間

 ・照れてる伊佐間(p642)  未練の話。

 ・皆見ている世界が違うなら死後の世界は怪しい(p930)
 ・「やっぱり怪しいね」(p958)

  この部分は短いけれどかなり強い印象が残る加筆です。
新書版の最後では菊の花が外来植物だと聞いて、伊佐間は
「それならあの世界もそれ程古いものではない」と思う程度ですが、
文庫版では更に強調して「やっぱり怪しい」と納得してしまう。
自分の臨死体験は「あの世」とはいえない、と積極的に思いきった訳ですね。


構成の変化・その他

 ・「海とコップの中の水」(p466)

降旗による「社会」と「個人」の例え。
後に海岸で関口が人格を「コップで掬った海の水」と例えるのに呼応しています。

 ・「狂骨の──夢だな」(p961)

同じ様なシチュエーションの、「姑獲鳥の──夏だ」
冒頭にありながらラストの言葉、「それが──絡新婦の理ですもの」
ラストの鳥口君の感慨、「──塗仏の宴か。」
各タイトルをラストに入れてお揃いにしたのですね。

 ・反魂香の図(p899)

今昔百鬼拾遺より。
落語の「反魂香」のモトネタですね。

 ・──(全編)

全ての‥‥が──に置き換えられ、
(  )も、地の文にするか──で囲んで、無くなりました。


お疲れさまでした。おおむねこんなものでしょうか。

あああ、もう厭だ。
「鉄鼠」が1000ページ加筆になったって、次回は
◯◯さんの云う事なんて絶対に聞かないぞ!わ、私は、わ──

そんな事言ったってこいつはやるにきまっているのだ。
木場は何だか本当に遣り切れなくなった。

 (了)


2000年



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