第2章 シベリア鉄道 途中下車編(バイカル湖)

〈イルクーツク〉
7時50分に目覚ましをセットしておいたが、ついつい 8時25分まで寝てしまった。やはり夜行3泊分の寝不足がたまっている。
  9時に2階のレストランへ降りて朝食にする。「ホテル・ウラジオストク」とは異なり、バイキング形式の食べ放題なので、ゆっくりと食後のコーヒーにありつくこともできた。 さて、今日はバイカル湖へ行く。昨夜、出迎えのインツーリストの青年にバイカル湖のツアーを頼んでおいたのである。11時、ロビーへ降りてサービスビューローの女性に「ツアーを申し込んだ者です」と言うと、彼女は早口の英語で何か聞いてくる。聞き取れなかったので聞き返すと、脇に座っていたロシア人青年が
「オヒトリデスカ?」と日本語で聞いてきた。驚きつつも「ハイ」と答える。どうやらツア−ガイドのようだ。昨夜、申し込んだときにトランスファーに同乗していた二人も参加するものと思っていたらしい。青年は「ソレハ残念デスネ。一人ダト値段モ高クナリマスガ、イイデスカ?」 と言う。インツーリストのツアーは割り勘であることを知っていたからそんなの全く構わない。むしろ、英語ガイドしかいないだろうと思っていたのが、インツーリストの粋な計らいで日本語ガイドが来てくれたことに驚いていた。インツーリストやるじゃん。
 ツアー料金は26万ルーブルと少々高いが、片道70キロという距離を含めて考えればそうでもないかも知れない。
 昨晩のトランスファーの時と同じ韓国製の新しいマイクロバスに私と通訳氏、運転手の3人だけで乗り込んだ。気分はVIPである。帰りにバイカル湖畔のホテルで日本人三人を乗せて戻ってくると言うのでバスがあてがわれたようである。雪晴れの美しいイルクーツク市街を抜けると、道はタイガの中を真っ直ぐに突っ切る道へ入った。通訳氏は手元のメモを見ながらガイドを続ける。
「ロシアを代表する木は白樺です。ロシア人の白樺に対する思いは深く、外国などへ行って白樺を見ると故郷を思い出し泣きたくなります」
 彼はタイガの動植物、民族、そしてシベリアで抑留となった日本人捕虜の墓についても触れた。内容的には墓がどこにあるかという程度だが、彼は「捕虜さん」と呼ぶ。ささやかな心遣いを感じた。長いタイガの道の途中バスが停車した。古くからここに住むブリャート人が結婚すると必ずここへ来るという。
 通訳氏と二人で雪を踏みしめ山道を歩いていく。木々には白いリボンのようなものが結ばれている。彼は日本でもこういうものがあったが、名前が覚え出せないと言う。ひょっとしておみくじでは、と聞くと彼は
「そうです、おみくじでした」
と思い出した。彼は現在大学生で、1年前に富山へ行ったことがあるそうだ。彼は
「日本で一番驚いた事は、どんなに古い家や博物館にも自動販売機が必ずあったことです」と語った。普段気にしていないことも、他国の人から見ると不思議なことが多いのかも知れない。
 細い道をしばらく行くと、アンガラ川の見渡せる高台に出た。そこには一つの小さな岩があり、その回りにはガラス瓶の破片が散らばっている。ブリャート人(ブリャート自治共和国のウラン・ウデ駅で見掛けたモンゴル系の民族)は結婚するとここへやって来て岩で瓶を割って門出を祝う風習があるそうである。
 再びバスに乗り、アンガラ川伝説のシャーマンの岩に着いた。といっても岩はアンガラ川の真ん中にあり、遠くにポツリと見えるだけである。バイカル湖には無数の川が注ぎ込むが、流れ出すのはこのアンガラ川だけである。ここから水は北極海への長い旅に出る。シャーマン岩は水が丁度アンガラ川に注ぎ込む地点にある。そのような位置関係から、湖と川は親と娘に例えられ様々な伝説が生み出されたようである。
 さらにバスは湖畔を進み、リストビャンカ村の可愛らしい木造役場の前に停車した。ここで結氷したバイカル湖の上を歩いてみることにした。バイカル湖は琵琶湖のおよそ50倍はあり、淡水湖としては世界最大、最深を誇る。世界地図で見れば、その大きさは一目瞭然である。対岸に山並みが見えるが、南北に長い三日月形湖で東西方向の幅の狭い所だからこそ見えるのであって、細長い南北方向を端から端まで望むことはできない。

 しばし、あまりの広さに呆気に取られる。ほとんど雪原っていう感じもするけど快晴に恵まれてとても気持ちがいい。もっとも、通訳氏が言うにはシベリアでは晴れの日がほとんどだと言う。
 湖見物も底々に「ホテル・バイカル」へ向かう。昼食のためだ。ホテル地下のレストランへ行くと、三人の日本人がいた。一人はウラジオストクで会った藤村。あとの二人も見るところ大学生らしい。内心、ムチャクチャ安心したが表向き気取って彼等と少し離れた湖側の眺めの良いテーブルについた。
 通訳氏に料理名を訳してもらい注文した。まず、サケの一種であるバイカルオームリの焼き魚。ポテトフライの敷き詰められた皿に載せられている。こけももジュースは通訳氏のお勧め。ビールにはおつまみのお菓子もついてきた。そして、毎度おなじみの酸っぱいパン。でも、この味は幼い頃に食べたことがあり、抵抗がないどころか好きである。どんなおかずとも合うような気がする。暖かな日の差し込むレストランでゆっくりとした時を過ごす。今までは少々緊張続きだったが、初めて海外旅行の解放感が湧いてきた。
 勘定は 81300ルーブル。少々高い気もしたが、その勘は正しかったようだ。同時に食べていた日本人3人合わせて同程度の値段だったらしい。…ボラれた。
 1階ロビーへ行くと、先にレストランから出ていた日本人3人と会う。初対面の2人は本間一徳、伊藤欣司。イットクと欣司と呼ばせてもらうことにする。友人同志の2人は大学生だ。一昨日、新潟から直接イルクーツクへアエロフロートで入ったそうだ。二人ともモスクワまでシベリア鉄道を使い、以後空路でベルリンへ向かうという。ペチャクチャ話しながらインツーリストのバスに乗り込みイルクーツクへ引き返す。再び、永遠とタイガの続く道を行く。途中、擦れ違う車の多くがカラフルなテープを貼って走っているのが目についた。通訳氏に質問すると、それは新婚さんの車で、みんなバイカル湖へ新婚旅行へ向かうのだと言う。10台以上だろうか、そんな車と擦れ違った。
 〈レストラン感度良好!〉
 無事ホホテルへ戻り、僕らは自由市場へ向かうことにした。しかし、イットクと欣司は飛行機のリコンファームしにアエロフロートのオフィスへ行くというので、藤村と2人で市場へ向かった。藤村はシベリア鉄道ではウラジオストク空港で会った高田さんと一緒だったがコンパートメントは別々で、色々と危ないこともあったらしい。お互いのエピソードを話しながらシベリアのパリとも言われる美しい街の中を歩いた。
 自由市場は非常に混沌としていた。目付きの悪い連中がこちらをマークしているような…。スリもいそうだ。多少警戒感を強めたが幸い何もなかった。シベリア鉄道の車中で飲むために紅茶を一箱(3000ルーブル!)と、大根とかの酢漬けを買った。
 夕方、再びイットクと欣司にホテルで落ち合い、晩飯探しへと夜の街に繰出した。
 『PECTOPAH』という看板が目に入った。…「ペクトパー?」と読んでしまうところだが、実は『レストラン』と読む。早速、中へ入って階段を上がろうとすると、1メートルほどのライフルを持った2人の警官に呼び止められた。何事かと思いきや、クロークに荷物を預けろということらしい。連日、凶悪犯罪の続くロシアでは、レストランでもこんな厳重なのか。ソ連時代はどうだったんだろう。
 階段を登ると天井の高いダンスホールのようなところに出た。ここがレストランのようだ。英語の喋れる店員はいないようなので、ウェイトレスに「お勧めの料理をください」というロシア語会話集の例文を見せた。他にビールとワインも頼んでみた。ビールは輸入物だが、ワインはロシア特有の妙に甘いワインであった。ハンバーグやサラミ、チーズなどに舌鼓を打ちつつバンドの生演奏に聞き入る。どの客もバンドにあまり聞き耳を立てていないようだが、バンドリーダーと思しき男性は一度だけテクニックを披露しようと早いフレーズを弾いてみせた。リーダーの策略は見事成功し、そのあとは結構みんな演奏を聞いていたみたい。一部の客がダンスをおっぱじめるし、シベリア鉄道の気怠い時間の流れとは打って変わって楽しんだ。
 ふと、時計を見ると夜9時だ。勘定を済ませ帰ろうとすると、ウェイトレスは何かを言おうとしてきた。彼女は僕らの露和辞書を必死にめくるが、該当する単語がないようである。こちらもテーブルに座ってしばらく待つことにした。一体、何を伝えたいのか私たちは推理した。彼女は接客の合間を見てはこちらのテーブルへ戻ってきて辞書をめくる。10分ほどが過ぎて、ふと思った。
『ひょっとしたら、会計は済ませたけれどもこのままいても良いと伝えたいのか?』
と…。早速、彼女に辞書の「滞在」と「帰る」という単語を指し示しながら、
「エータ イーリ エータ?(これ? それともこれ?)」
と適当に言葉で補った。彼女は、
「ダー、ダー、ダー(そう、そう、そう)」
と大喜びだ。しかし、今夜はモスクワ行きのロシア号が待っている。行かねばならない。身振り手振りとありったけのロシア語でそのことを伝えたら、不思議と意思は通じたらしい。彼女も
「また、ぜひとも来てね」
という感じのジェスチャーをし、大きく手を振ってくれた。

〈イルクーツクで調子に乗る〉
 僕ら4人は酔い覚しにシャッターの閉まった雪の商店街をGメン75ばりに一文字に並んで歩いた。歌いながら…。
 人気のない自由市場前で記念写真を撮る。すると、そのストロボに気付いたのか5〜6人の男に囲まれてしまった。若い奴は目が座っていて45度上空を向いままだし、おやじもいる。こいつらは世代を越えてタッグを組んでいる。おやじが俺の肩に手を回し「俺の服を買え」と商談を持ち掛けてくる。「ドラッグの売人じゃあるまいし、そんな至近距離で言うな!」と振りほどこうとしたら、ギュッと袖を掴まれる。他の3人のGメンも眼鏡を取り上げられたりしている。ああ情けない。これでは1時間のGメンTV枠が2分で終りだ。ここで、我々は勇気ある決断をした。
「逃げよ」
せーので、イットクは眼鏡を奪還、僕も手を思い切り振りほどき後はカールルイス君だ。
 名誉ある撤退を完了し、しばらく行くと教会があった。丁度、ミサが終わったところらしく、中から人が大勢出てきた。その中にカップルがいた。すると、欣司がそのカップルの前に立ちはだかり、コマネチをしてから髭ダンスと同類のような踊りを始めた。
「おい欣司、それはGメンの任務ではない!」
と割って入る間もなく、カップルの男性もノって踊りだした。ロマンティックな夜の教会前、しかも雪もある。こんなところでドサクサ紛れに変な踊りの輪が広がり、交流が深まってしまうのもある意味困る。
 幸いというべきか、すぐにロシア人男性はガールフレンドに
「はずかしいからやめて!」
と腕を取られ連れていかれた。

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