第1章 シベリア鉄道 アジア編(ウラジオストク〜イルクーツク)

〈漆黒のシベリアへ〉
 発車時刻が近づき客車に乗り込むと、同じコンパートメントに先程の青年がいた。早速自己紹介を交わした。彼の名はコレスニコフ=バディム、年は二七歳。アンガルスクで医者を営み、ウラジオストクのおばあさんの家に行った帰りとのことである。
 ふと、外を見てみると外の景色が動いている…。いや、列車が静かに動き始めたのである。薄暗いオレンジ色の常夜灯が消えて蛍光灯がついた。
 しばらくして、先程の車掌が改札にやって来た。ロシア人は威勢のいいロシア語を表情を変えずに喋りまくるので慣れるまで大変そうである。相変わらず彼女はおすまし顔だった。「おすましちゃん」と名付けてあげよう。おすましちゃんに切符を預けてシーツ代を払うと、彼女は忙しそうに隣りのコンパートメントへ移っていった。
 さて、切符によるとこの列車は第七列車であり予定の第一列車ではない。車掌からは改札時に何のおとがめもなかったし、バディムはイルクーツクの先のアンガルスクまで乗車するのでイルクーツクまでは行けるのであろうが、ウラジオストクで見た限りでは車体側面から行先を判別するものは見つからなかった。廊下にはロシア語表記の列車時刻表が掲示してあるとガイドブックに書いてあったので見に行くと、なるほどそれらしいものがあった。ロシア語辞書片手に解読していくと、私の乗っている列車はやはり第7列車である。名はシベリア号、行先はノヴォシビルスク。列車名も行先もロシア号と違うが、イルクーツク到着は予定通りの3月3日午前0時40分である。実は、日本で列車の予約を取るときに、旅行社から
「現在、ロシア号は隔日運転となっているようなので、ご希望通りの日程が取れるかわかりませんが…」
 と言われていた。この列車は終点のノヴォシビルスクまでロシア号と同時刻で走っていることから察するにロシア号の代行列車みたいなものなのだろう。その先へ行きたい人は終点のノヴォシビルスクでモスクワ行きのシベリヤク号に乗り継げばよい。自分勝手な推理ではあったが、妙な自信をもった。これで疑問は解消である。
 しばらくすると、先程のポリスがやってきて手招きする。彼のコンパートメントへ入る

と、警官の征服が壁にかかっていた。彼の仕事は列車内の警備だそうだ。
「まあ、座って」
 と言われ腰掛けると、彼は車掌から紅茶をもらってきて自分のクッキーと共に差し出した。
「色々、お話ししよう」
 と言われた。しかし、何の話か?ロシアノことは知りたいが、漠然とし過ぎている。結局お互いの生活について話した。特に彼は日本車に興味があるのか
「日本ではトヨタクラウンは何ドルなのか」
 と具体的車名を数十種類も挙げて聞いてきた。ポリスは
「ケイーチ、君も何か質問してくれ」
 と言うので、旧ソ連製大衆車について
「じゃ、モスクビッチはいくらなの」
「あんなボロ車に値段なんかない」
 と言う。ルーブルの下落により、実質的にも本質的にもその価値がなくなってしまっているのか…。
 途中、おすましちゃんがニコニコしながら入って来て、ポリスを指差しながらたどたどしい英語で
「You love I.But I,no,no,no,no! (彼は私を好きなの。でも私はイヤ!)」
 と首を横に振ってゲラゲラ笑った。3人称を使わずに僕に話し掛けるので、一瞬『俺が車掌を好きなのか? だれが決めたんだ。誤解だぁ』と訳してしまったが、よく考えたら違った。ポリスのことだった。ポリスは照れ笑いしている。悪いが私はメチャクチャ笑った。
 走る車窓には闇しかない。いよいよシベリア鉄道の旅は始まった。

〈朝日が染める雪原〉
 翌朝、太陽の光で目が覚めた。時計を見るとすでに二月二八日の午前一〇時半。昨日寝たのは結局午前三時を回っていた。むくっと起き上がって外を見ようとすると、バディムも
「グッドモーニング! ケイーチ」
 と言って起き上がった。
 列車は時速六〇キロほどでゆっくりと走っている。線路沿いには防雪林と思しき木が植えられ、その向こうには真っ白な大地の果てに地平線が広がっている。時折、小さな木造の家が見える。見上げれば、真っ青な空が広がっている。
 まずは、持参のインスタントコーヒーでモーニングコーヒーと洒落込む。ロシアの列車は各車両の車掌室前にサモワールという給湯器が設置されており、いつでも熱湯が手に入る。ロシア人乗客はこれを上手に利用しているらしい。バディムも持参のインスタントラーメンとパンで朝食の準備を始めた。
 バディムはウラジオストクのおばあさん手製というロシアンケーキを勧めてくれた。甘さも程良く、勧められるがままにたくさんもらう。この味は小さい頃日本でも食べたような気がする懐かしい味だ。
 11時半、食堂車へ行こうとしたらバディムもついてきてくれた。メニューはロシア語で書かれていたがバディムが訳してくれ、ハンバーグとチキンスープを頼んだ。
 ハンバーグは、大きめの皿に目玉焼き、ソバの実を炒めたものと一緒に盛り付けられ、パンも付いてきた。味はチキンスープのダシが少なく大味だったことを除けば、なかなか良い。朝食にしてはボリュームも満点だ。全部で 12500ルーブル、日本円で 263円だ。バディムは「たくさん食べるなあ」と少し驚いていた。

 14時を回った。そろそろハバロフスクである。車窓にも家が増えてきた。線路も分岐して増えてきた。ふと車窓に見覚えのある色の車両が…。少し前にニュースでやっていたJR東日本から無償供与された車両だ。JRマークもそのままだが、ビニールシートに覆われ使われる気配はない。予備車か?
 14時25分、ハバロフスク到着。23分の停車時間を利用してバディムと一緒に駅前へ出ることにする。薄暗い地下道には切符の自動販売機もあったが、急激なインフレで使えなくなったのか使われている気配はない。重い木の扉を開けると、これがウラジオストクと並ぶ沿海州の大都市かと目を疑うような暗く狭い待合室へ出た。外へ出ると待合室とは対照的に太陽が眩しい。駅前には多くの人が何をするでもなくたむろしている。その中をジプシーの子どもたちが物をねだって歩いている。私たちも何をするでもなくキオスク(ロシアでは路上に売店が数多くあるが、キオスクと呼ばれている)を冷やかし、記念写真を撮って列車に戻った。
 まだ、発車まで時間があるのでホームで背を延ばす。何しろ2〜3時間走ってやっと駅に停まるということの繰り返しのなので、停車中はどの客もホームで羽を伸ばしている。ふと見ると、わが11号車の車掌が交替しているのがわかった。正確に言うと2人が昼夜交互に担当しているようだ。この車掌はやや年上位だが、やはり女性である。ロシア車掌は、ご年配大迫力おばさんというイメージがあったが、必ずしもそうではないようだ。

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