私の乗馬

この辺で私の拙い乗馬暦を披露しておきます。私は74歳の誕生日を期して車の免許を返上して馬に乗り換えました。以後1年半、200鞍(145分)ほど乗って何とか駆歩の真似事がきるようになったところです。レッスンの段階で言えば初級コースの手前、いわゆる初心者コースの終わりの方に当たります。

この歳で馬など始めた動機は単純です。私の脳裏には少年の頃読んだジンギスカンの物語が染み付いています。一度でいいからモンゴルの果てしない草原を馬で疾駆してみたい、人生の最後にこの夢に挑戦してみることを思い立ったのです。乗馬クラブが家の近くにあったのも幸いしました。(写真:馬場練習)

ネックが二つありました。一つはお金です。現状では乗馬の費用は高すぎます。私自身は車の維持費を馬に回し、他の小遣いも切り詰めることで何とかやりくりしていますが、乗馬の普及のためにはもっと安くなるべきです。少なくとも普通のサラリーマンがやろうと思えばできるスポーツにならなければいけないと思っています。しかしこの点についてはいずれ改めて取り上げることにします。

 もう一つはやはり年齢でした。この歳で果たして馬に乗れるようになるものかどうか、大きな不安でした。ここ10年太極拳などを続けてきたおかげで幸い身体は元気でした。仮に落馬して寝たきりになっても後悔はすまいと覚悟を決めて乗馬クラブに通い始めました。

 練習はまじめに、慎重にやってきました。年寄りは怪我をすると直るのに時間がかかります。下手をすれば寝たきりになって二度と馬に乗れないかもしれません。若い人の二倍の時間をかけるのだと自分に言い聞かせてきました。

 しかし慎重なだけでは上達は望めません。先に紹介した(「どさんことの出会い」参照)函館どさんこファームのオーナー、Iさんが言っていました。「乗馬は危険すれすれのところが一番面白いのだ」と。はじめは少々乱暴な言い方ではないかと思いましたが考えてみると名言です。 

 何の運動でも時には勇気を出して新しい領域に踏み込まなければなりません。たとえば水泳を習う幼児は顔を水につけることを怖がります。しかし恐怖を乗り越えて顔をつけてしまうと身体に浮力があって簡単には沈まないことを悟ります。そして挑戦に成功したことの大きな喜びがその後の上達を支えてくれるでしょう。

 もう一つ重要なことは、人は危険を意識して何事かに真剣に挑戦するときはめったに怪我はしないものだということです。むしろ何でもないことをいい加減にやっているときに大怪我をします。函館のIさんは多くの初心者を見てきてこのことを熟知した上であえて乱暴な言い方をしていたのだと思います。

 私も時には蛮勇を奮ってここまでたどり着きました。ここで私が受けてきた初心者レッスンの内容を整理しておきます。馬には常歩・速歩・駆歩という三種類の歩様(歩き方・走り方)があり、これを一通りマスターするのが初心者レッスンのすべてといえるでしょう。表にしてみました。 

常歩
ナミアシ

110/

4拍子
トコトコ

鞍は左右交互に前後に揺れる

普通に座っていられる

速歩

ハヤアシ

220/

2拍子 

パッカパッカ

鞍は上下振動

馬によって振幅の差が大きい

軽速歩または「正反動」で衝撃を吸収する

駆歩
カケアシ

330/

3拍子に近いタカターンタカターン

鞍の前後が交互に上下し、前後にスウェイする

尻を鞍に付けたまま鞍の動きに順応する

 速さは大雑把な目安に過ぎません。むしろそれぞれの歩様で速くしたり、遅くしたり、停止したりできなければなりません。馬の背の動きとそれに対応する乗り手の動きを付け加えました。

最初の練習は小さな円形の馬場を常歩でくるくる回ることになるでしょう。中央にいる指導員が馬の轡につないだ長い調馬索で馬を動かしてくれますから、生徒は乗っているだけです。目線が高くなったことに新鮮さを覚えるのではないでしょうか。しかし実はこの段階で、乗馬の基本姿勢をはじめとして多くのことを学んでいるのですが最初は気がつきません。私も最近になってやっと常歩の重要性が少し分かってきた気がしています。

 常歩練習で忘れられないのは「ちょっと眼をつぶってみてください」という若い女性指導員の指示でした。「眼をつぶるとバランス感覚がなくなりますから落ちないで下さいよ。馬がほんのニ、三歩進む間だけでいいです」と彼女は優しく言い添えました。

指示に従ってみて驚きました。今まで馬の背中が何となくヨゴヨゴと動いているだけだったのに、眼を閉じた途端に、右−左 と交互に規則正しく前に動くのが感じ取れたのです。私にとってこれが馬との付き合いの始まりだったように思います。(写真:馬場練習)

次に速歩、この段階から乗馬の技術が必要になります。馬の背の上下の動きが激しくなるからです。鞍に座っていると馬の背がグンッと上がってきてお尻を撥ね上げられます。このとき鐙に体重を掛けて鞍の上に半ば立ち上がるようにして尻を浮かし、衝撃を吸収します。そして鞍が沈むのに合わせてそっと座る、この繰り返しが軽速歩です。「立つ、座る」とも言います。正反動は鞍にお尻を付けたまま衝撃を吸収する乗り方ですが説明は省きます。

馬の背が沈んだときドスンと鞍に座るのは厳禁です。尾てい骨が再び上がって来る馬の背骨と正面衝突ということになります。これは人と馬の双方にとって大変な苦痛で、二度、三度と続くととても鞍に乗っていられません。私の知人の中にこの衝突で脊椎にひびが入った人もいますから要注意です。

最後に駆歩、これはさすがに難しい。常歩、速歩で習ったことのすべてをテストされます。何人ものインストラクターから繰り返し受けた注意を揚げるとこうなります。「馬の前進気勢を作れ」「姿勢を正してリラックス」「内方姿勢に気をつけて」「手綱のコンタクトを保て」「適切な脚扶助を」などなど。

いちいち説明はしませんが、要するに身体の力みを抜いてバランスよく、何があっても落ちないようにちゃんと乗れということです。また手と足と腰で乗り手の意志を明確に馬に伝えよということです。これらの指示を曲がりなりにも守って何とか鞍の上に乗っていられるようになったのですから、われながら良くやったと自惚れています。

この分でいけば近いうちに4級(全国乗馬クラブ乗馬技術検定)の審査が受けられるかななどと思っていたところ、ネットで妙な記事を見つけました。ある乗馬クラブのオーナーが「4級、5級は乗馬じゃない」と書いていたのです。それはそうでしょう。仮に4級の資格を得たとしてもそこまでは乗馬の基礎の基礎といってよいでしょう。

そんなことは分かっていますが、これまで1年半の修行の成果を頭から「乗馬じゃない」と決め付けられるとさすがに少々頭にきます。そこで、「下手でもチョンでも馬に乗りゃ乗馬だろう」と居直って、このオーナーの言葉は「…馬術じゃない」と読み替えることにしました。(写真:どさんこ 青毛)

 私のささやかな抵抗ですが、現実は現実です。幼児の自転車の練習に比べるとよく分かります。私が到達したのは、母親が手を放しても何とか一人で乗れるようになった子供が公園の中を走り回りながら「見て、見て!」と叫んでいる段階です。

 しかしそれでいいのです。実はここから本当の乗馬への道が開けるのだと思います。若い人は種々の競技の選手を目指すことも可能でしょう。競技ではなく野山や浜辺のコースを自由に駆け巡る外乗トレッキングといった楽しみ方もあります。それに何よりも馬に乗る練習そのものの中に毎回大きな発見があり、喜びがあります。私自身は、時間がかかりましたがとにかくも本当の乗馬の入口に立てたことを幸せに感じているきょうこのごろです。

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