特別企画
青ヶ島旅行記


これは御蔵島の港、荒波に洗われる一本の突堤のみ。

 

 今年の夏休みは1週間まるまる、土日をはさんでなんと9日間も取れることになった。
せっかくだから”9連休”じゃなきゃ行けないところに、と思って あれこれ悩んだ結果、
行き先は青ヶ島に決定。 東京から350Km離れた伊豆諸島最南端の島。
周囲は絶壁で、防波堤が作れないため、 港に船を着けるのが難しく、連絡船はしょっちゅう欠航、
行って帰ること自体に困難がともなう、という日本最後の孤島..

というイメージにひかれたのだが、台風シーズンに島に行くというのは、やはり無謀だったようで。台風15号の直撃をくらい、まず八丈島にいく船が3日間欠航。 火曜夜にようやく出航し、翌朝八丈に到着したものの、まだ台風のうねりがあるということで、その日も連絡船は欠航..

木曜日、ようやく船が出るという知らせが。八重根漁港に待っていた村営船『還住丸』は思った以上に小さく、不安をおぼえるが、これに乗るために来たのだ。乗客は島のひとらしい女の子と、都のお役人らしきひと、あとは工事関係者が数人。みな出航前から思い思いの格好で寝ている。船酔い対策にはこれが一番、ぼくも早速横になって目を閉じた。。船底から波の力が伝わってくる。

 八丈島から3時間、からだを起こすと、太平洋の真ん中に絶壁が。それが青ヶ島だった。
よくぞこんなところに人が住んでるもんだ。。  断崖の一箇所に、大々的にコンクリートを打って固めたところがあり、そこが港らしい。あいかわらず波は高いが、うまく回り込んで接岸。波でかなり上下動する船からジャンプするようにして上陸を果たした。


...生活物資がクレーンで次々と下ろされていく。目の前にはコンクリートで固めた大絶壁。まるで要塞みたいだ。 すごいとこに、来ちゃったなあ。。
 下の写真は、”漁船置き場”の図。波が荒いので港の中には船を泊めておけず、引き上げる平地もないので、ずいぶん高いところにデッキを作って、そこに船が”置いてある”のだ。船を出すときはクレーンで下ろす。


漁船置き場から眺める港の全景。

ものすごい眺めにしばしぼうぜんとしていたが、まず宿を確保しないと、と思い公衆電話に走った。港といっても無人の待合所と公衆電話があるだけで、ほかになんの設備も無い。民宿何軒かに電話してみたが、どこも「いっぱいです」との答え。え!こんな人口200人の島で、泊まるとこなかったら、かなり怪しい人間になってしまう。あせって電話をかけまくった結果、ようやく最後の一軒で「(食事)ありあわせでいいね?」とのことでようやくOK。とりあえず島での”所属”が定まったので、安心して集落へ向かって歩きだした。

 この島は、全体が巨大なカルデラ火山になっており、目の前にある絶壁が外輪山に当たる。集落は島を半周した、反対側の外輪山の上で、かなりの距離があるようだ。”漁船置き場”のすぐ上に小さなトンネルの入り口があり、それが唯一の道。食料品などを満載した軽トラに次々と抜かれながら、長い上り坂のトンネルを汗をかきかき登る。

500mほども続いただろうか、トンネルを出てきた先は、カルデラの中だった。この中にはひとは住んでいないので、熱帯系の低木が茂るだけの、不思議な空間だ。まるででっかいボウルの中に入ったみたいに、外界から隔離された、別世界。ここに、恐竜が生き残ってたりして..なんて想像もできそうだ。

道はこのカルデラ内を半周していく。決して大きな島ではないが、結構な距離になる。やがて道は外輪山の内壁の上りにかかった。この標高差は、なんと150m近くにもなる。港からずっと歩いてきたぼくは、かなりへろへろ。そういえば、昼飯も食ってないじゃん.. いい加減いやになってきたとき、向こうから青の軽トラが来て止まった。

「やよい荘?」宿のおじさんが迎えに来てくれたのだ。助かった..
宿まで、車でもさらに5分以上かかったと思う。どこも満員って言われちゃったんですよ、と言ったら、いまは空いてるよ、急に来ると嫌がるから..との答え。すいません。。 結果的に、いちばん親切なひとに泊めてもらうことになったようだ。宿に荷物を下ろすと、昼食べた?とおばさんが声をかけてくれる。できたら..とお願いすると、食パンとマーガリンとなすの漬物をドン!と出してくれた。有り難い。

台所のトースターにパンをセットして待っていると、冷蔵庫のデッカイこと。そういえば、きょうの船も5日ぶりだ。ほんとうに、こういう離島に暮らすということは、大変なことなんだなあ。そうおもうと、このトースト&漬物の昼食もますますありがたく思われるのだった。 

つづく