このサイトの作者が本を出しています・・・教科書とはひと味違う日本史のだいごみ


=第371回= 第一次護憲運動(だいいちじごけんうんどう)<大正時代>

護憲運動とは、大正時代に発生した立憲政治を擁護する運動のことで、憲政
擁護運動とも言います。具体的には、政治を藩閥政府から政党の手に移すこ
とを目指した運動のことです。

現在では、憲法を守るという意味で使われていますが、それとは違いますの
で注意してください。

護憲運動は、1912年に起きた第一次護憲運動と、1924年に起きた第二次護憲
運動があります。

第一次護憲運動は、長州閥の桂太郎が組閣したため、これに反対する「尾崎
行雄」「犬養毅」らが、憲政擁護会を作り「閥族打破・憲政擁護」をスロー
ガンとして倒閣運動を起こしました。

全国各地では、憲政擁護大会が開かれるようになり、桂内閣に反対する暴動
が相次ぐようになりました。そして、最終的に、桂内閣は総辞職することに
なります。

それにより、大日本帝国憲法の下で、国民によって内閣が倒された唯一の例
となったのです。


=第372回= シーメンス事件 <大正時代・1914年>

シーメンス事件とは、1914年に発覚した外国企業からの収賄事件のことです。
軍需品の購入をめぐり、ドイツのシーメンス社と日本海軍高官によって行わ
れました。

まず、ロンドン発ロイター通信により、ドイツの兵器会社シーメンス社が、
日本海軍高官に贈賄したとの報道がありました。そこで、護憲運動で桂内閣
を倒した政党や新聞、民衆は、当時海軍大将だった山本権兵衛内閣を非難し
ました。

さらに、軍艦「金剛」の発注時に、イギリスのヴッカーズ社も、三井物産を
通じて海軍高官に賄賂がわたっていたことも暴露されたため、海軍に対する
非難は、ますます激しくなり、山本内閣は、わずか1年あまりで総辞職する
ことになったのです。


=第373回= 第一次世界大戦 <大正時代・1914〜1918>

第一次世界大戦とは、人類史上初の世界規模の戦争のことです。1914年から
1918年まで、32か国が、同盟国と連合国の二つの陣営に分かれて戦いました。

当時、ヨーロッパでは、ドイツ・オーストリア・イタリアの「三国同盟」と、
イギリス・フランス・ロシアの「三国協商」との間で、植民地獲得をめぐっ
て対立していました。

そして、1914年6月28日、ボスニアの首都「サラエボ」で、セルビア人青年
が、オーストリア皇太子を暗殺した事件(サラエボ事件)が勃発したのを機に
世界戦争が始まります。

主戦場は、主にヨーロッパ大陸でしたが、大西洋や太平洋、中東、アフリカ
などでも戦闘は繰り広げられ、日本も日英同盟を名目に参加し、中国や太平
洋のドイツ領を攻撃しました。


=第374回= 二十一カ条の要求 <大正時代・1915年>

二十一カ条要求とは、第一次世界大戦中に日本が中国に強要した利権拡大の
要求のことです。五号二十一カ条にわたり、政治上、経済上の特権を求めま
した。

1914年、第一次世界大戦がはじまると、ヨーロッパ列強は、中国での権益を
守ることが難しくなったため、その隙を突いて「第二次大隈重信内閣」は、
軍部や財界の要求を二十一カ条に取りまとめ、1915年、「袁世凱大総統」に
提出しました。

袁世凱は、日本の要求を不当なものとし、国際社会に訴えようとしましたが、
大戦中のため成果を上げることができませんでした。中国の民衆も、日貨排
斥などの抗議行動を行いましたが、武力を背景にした日本のまえに、要求の
多くを受け入れざるを得ませんでした。

中国民衆は、この要求を呑んだ5月9日を国恥記念日とし、以後、抗日民族
運動にひきつがれていくことになります。


=第375回= 石井・ランシング協定 <大正時代・1917年>

石井・ランシング協定とは、第一次世界大戦中の1917年に、日本とアメリカ
が合意した「中国」に関する共同宣言のことです。

アメリカは、当時、二十一カ条要求などで中国での権益をひろげる日本の動
きを警戒し交渉を呼びかけました。そして、前外相の石井菊次郎と国務長官
ランシングが交渉を重ね成立しました。

内容は、日本の満州と内蒙古などでの「特殊権益」を認める代わりに、西欧
列強諸国の主張する中国の「領土保全」「門戸開放」「機会均等」を尊重す
るというものです。

尚、この協定は、1923年、ワシントン会議での九カ国条約成立により、廃棄
されることになります。


=第376回= シベリア出兵 <大正時代・1918〜1922年>

シベリア出兵とは、ロシア革命で誕生した世界初の社会主義政権であるソビ
エトに対して日本や西欧諸国がおこなった『干渉戦争』のことです。このた
め「シベリア干渉戦争」と呼ばれることもあります。

1918年8月、シベリアのチェコ・スロバキア軍団の救出を名目に、日米がウ
ラジオストクに共同出兵し、その後、イギリス・フランス・イタリアなどが
参加しました。

1920年に、ソビエト政権が確立すると、西欧諸国やアメリカは撤兵しました
が、日本は、満州、朝鮮に革命が広がるのをおそれて、1922年まで出兵を続
け、戦費は、10億円を超えました。


=第377回= 米騒動(こめそうどう)<大正時代・1918年>

米騒動とは、米価の急騰により生活難に追い込まれた民衆による全国的な暴
動のことです。明治時代にも何度か起きましたが、一般的に米騒動と言えば、
1918年に「富山県」で起き、全国に広がっていった騒動を指します。

1918年7月、富山県魚津町の女性たちが、米の県外移出が米価高騰を招いて
いるとして、移出阻止を掲げ、立ち上がりました。更に、翌月、富山湾岸一
帯で、数百名の漁民の妻たちが、米屋や資産家などへの米の安売りや米の県
外移出禁止を求めて押しかけました。

この事件が、全国各紙によって「越中女一揆」と報道されたため、騒動が全
国に広がっていきます。京都や名古屋では、米屋を打ちこわすなどの激しい
行動が起こりました。

そして、警官隊だけでは阻止できなくなったため、軍隊が出動して鎮圧にあ
たるという事態になりました。

結局、この騒動は、約50日間で、1道3府38県の38市153町177村で起こり、
全国を揺るがす大事件となりました。

そのため、当時の「寺内正毅内閣」は、騒動鎮静後、総辞職することとなり、
立憲政友会の原敬内閣が誕生することになります。


=第378回= ヴェルサイユ条約 <大正時代・1919年>

ヴェルサイユ条約とは、第一次世界大戦後に「ドイツ」と連合国の間で締結
された講和条約のことです。1919年1月より開かれた「パリ講和会議」で決
められ、同年6月に、近郊のヴェルサイユ宮殿鏡の間で調印されました。

内容は、ドイツの軍事的な制限、領土の縮小、賠償金の賦課などです。

日本は、西園寺公望を全権として送り、山東省の旧ドイツ権益の継承や南洋
諸島の委任統治などが認められました。

尚、ヴェルサイユ条約は、ドイツに対する講和条約です。

第一次世界大戦の敗戦国の講和条約は次のとおり。

 オスマン・トルコ・・・セーブル条約
 オーストリア・・・・・サン=ジェルマン条約
 ハンガリー・・・・・・トリアノン条約
 ブルガリア・・・・・・ヌイイ条約


=第379回= 三・一独立運動 <大正時代・1919年>

三・一独立運動とは、1919年に「朝鮮半島」で起きた抗日運動のことです。

日本の植民地支配に反対し、「朝鮮独立万歳」「大韓万歳」を合言葉に、朝
鮮全土で行われました。

1910年に日本に併合された韓国は、日本の圧政に対し、大きな不満と反日感
情を持っていました。そんな中、第一次世界大戦の戦後処理の原則として、
アメリカ大統領ウィルソンが民族自決を提唱します。

すると、朝鮮の独立運動家たちは、これを絶好の機会と考え、独立請願書を
ウィルソンやパリ講和会議に提出しました。

そして、1919年3月1日、現在のソウルで、学生、労働者、市民たちが独立
宣言を読み上げ、街頭デモを始めると、その数は、数十万にふくれあがり、
運動は、またたく間に朝鮮全土に広がっていきます。

当初は、平和的なデモ行進でしたが、日本側が弾圧を強化すると、次第に戦
闘的になり、日本人、朝鮮人双方とも、多くの死傷者を出しました。

しかし、この運動は、逮捕、投獄など日本側の徹底弾圧により4月末までに
ほぼ鎮圧されることになります。


=第380回= 五・四運動 <大正時代・1919年>

五・四運動とは、1919年に「中国」で起きた反帝国主義運動のことです。北
京の大学生によって始められました。

1915年、日本が突きつけた「二十一カ条の要求」に対し、中国国民は怒りを
おぼえていましたが、第一次世界大戦後の1919年に、パリ講和会議で、その
二十一カ条の要求が追認されると、中国国民は激怒しました。

そして、1919年5月4日、北京大学の学生約3000人が天安門前に集合し「チ
ンタオを返せ」などのスローガンをかかげてデモ行進を開始したのです。

しかし、デモ隊は、行進の途中で、軍隊や警察に阻止されたため、激高した
学生たちは、親日派の交通総長邸を焼き討ちし、約30人が逮捕されました。

この事件が、全国に伝えられると、日本商品をボイコットするなどの反日運
動が巻き起こりましたが、北京政府は、徹底弾圧の方針をとり、街頭演説作
戦に出た学生たちを根こそぎ逮捕しました。

しかしながら、この大弾圧はかえって国民の反発を強め、学生だけでなく、
商人や労働者などのストに発展し、世界各地の華僑にも広がり、全中華民族
による反日反帝国主義運動となりました。


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