このサイトの作者が本を出しています・・・教科書とはひと味違う日本史のだいごみ


=第381回= 国際連盟(League of Nations)<大正時代・1920年設立>

国際連盟とは、第一次世界大戦後の平和維持のために設立された国際機構で
す。アメリカ大統領「ウィルソン」により提唱され、1920年に、42カ国の加
盟で成立しました。

しかし、提唱国のアメリカが、上院の反対により加入しなかったり、革命直
後のソ連や敗戦国のドイツなどの大国が参加できなかったこともあり、基盤
の弱い組織でした。(ドイツ、ソ連はのちに加わります)

連盟の構成は次の通りです。

<総 会> 毎年9月にスイスの「ジュネーブ」に集まり、各国の代表3名
      が参加し開催される。各国1票の権利あり。

<理事会> 常任理事国(「フランス」「イギリス」「イタリア」「日本」)
      と数カ国の非常任理事国とで構成。毎年少なくとも3回開催。
      のちに「ドイツ」も常任理事国に加わる。
      内容は、主に「政治的紛争」や「軍縮問題」で、決議は全員一
      致を原則とする。

<事務局> 連盟の運営機構。事務局長1名と 500名の職員で運営。

連盟は、麻薬や売春の国際取引の取り締まりや、難民の救済などの社会的分
野では多くの業績を残したものの、設立の目的であった集団安全保障ための
対策は、ほとんど実現できませんでした。

また、1933年には「日本」と「ドイツ」が、1937年に「イタリア」が脱退。
その後も多くの国が脱退し、結局、第二次世界大戦を防ぐことができず、連
盟の活動は休止に追い込まれます。

そして、新しい国際機構「国際連合」が設立されると、連盟は解散となり、
資産は、国際連合へ移行されることになりました。


=第382回= ワシントン会議(Washington Conference)<1921〜22年>

ワシントン会議とは、アメリカ大統領「ハーディング」の提唱によって開か
れた国際会議のことです。「アメリカ」「イギリス」「日本」「フランス」
「イタリア」「ベルギー」「オランダ」「ポルトガル」「中国」の9カ国の
代表が参加し、ワシントンで開催されました。

主に話し合われたことは、海軍の軍縮に関する問題と極東・太平洋問題で、
7つの条約と2つの協定が締結されました。主な条約は、「ワシントン海軍
軍縮条約」「四カ国条約」「九カ国条約」などです。(詳細は、次回以降)

これらの諸条約によって形成された体制を「ワシントン体制」と呼び、アメ
リカ中心の新しい国際秩序となって、極東に一時的な安定をもたらしたもの
の、のちに日本が中国への侵出を再開して崩れていくことになります。


=第383回= 四カ国条約 <大正時代・1921年>

四カ国条約とは、「ワシントン会議」の中で、「日本」「アメリカ」「イギ
リス」「フランス」の4カ国によって締結された条約のことです。4カ国間
での太平洋地域諸島の領有権の相互尊重や、紛争が生じた場合の平和的解決
などが定められました。

会議主催国のアメリカの思惑は、日本の勢力拡大を抑えることにあり、中国
での門戸開放政策を推進することでした。そこで、最大の障害だった日英同
盟を、この条約によって終了させることに成功します。

1902年以来続いた日英同盟が廃棄されたことにより、以後の日本の外交に大
きな影響を与えました。アメリカは、イギリスとの連携を強め、日本に対す
る優位を確立したのです。


=第384回= 九カ国条約 <大正時代・1922年>

九カ国条約とは、「ワシントン会議」の中で、「日本」「アメリカ」「イギ
リス」「フランス」「イタリア」「ベルギー」「オランダ」「ポルトガル」
「中華民国」の9カ国によって締結された条約のことです。

正式名は、「中国に関する九カ国条約」といい、極東問題が討議されました。
これは、1919年に開かれた「パリ講和会議」で、中華民国がベルサイユ条約
に調印しなかったため、第一次世界大戦の中国における戦後処理と中国に勢
力をのばした日本を牽制する意味がありました。

内容は、中国の「主権尊重」「門戸開放」「機会均等」を規定し、列強諸国
が中国への単独行動を抑制しようというものです。

日本は、この条約に基づき、石井・ランシング協定を破棄しました。また、
山東省の旧ドイツ権益を返還することになります。


=第385回= ワシントン海軍軍縮条約 <大正時代・1922年>

ワシントン海軍軍縮条約とは、「アメリカ」「イギリス」「日本」「フラン
ス」「イタリア」の5大海軍国間で締結された条約です。1万トン以上の主
力艦の総トン数の割り当てを米5・英5・日3・仏1.67・伊1.67の比率に制
限されました。

これは、第一次世界大戦が終了した後も、軍備を増強していた国々が、その
経済負担に耐えられなくなってきたためアメリカの提案に応じたものです。

アメリカとしては、自国の軍事予算削減という目的のほかに、急速に力をつ
けてきた日本の力を削ぐという意図もありました。

この条約の締結により、海軍軍拡を目指す日本の八・八艦隊計画(新造戦艦
8隻と新造巡洋戦艦8隻を根幹とする艦隊整備計画)は挫折することになり
ます。


=第386回= 日ソ基本条約 <大正時代・1925年>

日ソ基本条約とは、ロシア革命によって成立した「ソビエト政府」と「日本」
との国交開始を定めた条約のことです。1925年1月20日、北京で調印されまし
た。

日本とロシアは日露戦争後の関係改善をはかるため、1907年から4次にわたっ
て日露協約を結んでいましたが、1917年のロシア革命により協約は破棄され、
国交断絶の状態になっていました。

この条約の締結により、ポーツマス条約の効力が確認され、漁業条約の改訂な
ど旧条約や旧協約の改訂と廃棄、通商条約の締結、北樺太からの日本軍の撤兵
などが定められました。


=第387回= 友愛会(ゆうあいかい)

 友愛会とは、1912年に、「鈴木文治」らによって設立された労働団体のこと
です。相愛扶助、識見の開発、徳性の涵養、技術の進歩、協同の力による地位
の改善などの綱領をかかげました。

当初は、名士の講演や特約医療機関の設置などの共済的活動が主でしたが、第
一次世界大戦のもとで増加した労働争議とともに、しだいに戦闘的となって全
国的な労働組合に発展していきました。

そして、1919年には「大日本労働総同盟友愛会」と改称して、労働組合の自由
や8時間労働制などの要求運動を展開し、1921年には「日本労働総同盟」とな
り、労働組合運動の母体となっていったのです。


=第388回= 青鞜社(せいとうしゃ)<明治時代・1911年>

青鞜社とは、1911年、「平塚雷鳥」を中心に設立された女性の文学集団のこと
です。女性の感性を解放を目指し、日本の女性解放運動のさきがけとなりまし
た。

メンバーは、平塚を中心に「与謝野晶子」「長谷川時雨」「野上弥生子」らの
女性歌人や作家などで、日本初の女性同人誌「青鞜」を刊行しました。平塚に
よる創刊の辞「元始、女性は太陽であった」は、大きな反響を呼び「岡本かの
子」「神近市子」「伊藤野枝」などの作家やジャーナリストも加わり、自由を
もとめる女性の声を社会に広げました。

尚、青鞜の名は、イギリスのインテリ女性グループ、ブルーストッキングにち
なんでつけられました。


=第389回= 全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)<大正時代創設>

全国水平社とは、1922年、「被差別部落民解放」を目的につくられた解放団体
のことです。大正デモクラシーと社会主義運動の影響を受け、「部落差別から
の自主的行動による解放」「経済の自由と職業の自由の獲得」「人間性の原理
に基づき人類最高の完成に向かう姿勢」などを活動方針としました。

初期の運動は、社会に根をおろしていた差別観念を払拭するため、差別した団
体や個人を徹底的に非難、追及する戦術を採用し、組織は全国的に広がってい
きました。

1930年代には、全国の被差別部落の60%を組織しましたが、1937年に日中戦争
が始まると、戦争をめぐって内部で意見対立がおき、1942年に、組織は自然解
消していきます。

戦後、水平社は、1946年に「部落解放全国委員会」1955年に「部落解放同盟」
へとひきつがれ、同和対策事業などを実現していくことになります。


=第390回= 関東大震災(かんとうだいしんさい)<大正時代・1923年>

関東大震災とは、1923年9月1日に、関東地方南部を襲った大地震のことです。
マグニチュードは、 7.9で、日本史上最大の被害をもたらしました。

この地震により電気・水道・交通・通信などの都市機能は、一瞬にして壊滅。
起きた時間が、午前11時58分と昼食時だったこともあり、人口密度の高い東京
や横浜などで大火災が発生、被害を甚大なものにしました。

死者・行方不明者は、14万人余り、家屋の全・半壊は25万戸を超え、焼失家屋
は、44万戸以上といわれています。

現在、関東大震災のあった9月1日は、1960年より「防災の日」となり、全国
各地で大地震などに対する防災訓練が行われています。


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