《1周年記念特別企画》  光秀=天海ストーリー(2)
誕生の章は,ストーリー(1)の光慶さんの作品です。そこから枝分かれし,決意の章以降は,天陽さんの作品。利休や三成など豊臣政権とのかかわりから書かれたました。晩年の秀吉の不可解な行動は,光秀,いや,天海の影響が・・・。鋭い光を放つ意欲作です。
誕 生 の 章
「殿、明朝には、羽柴軍も総攻撃をかけてきましょう。もはや、この城では持ちこたえる事できませぬ。なにとぞ、坂本に逃れて再起下され!!」
「勝兵衛、もう良いのじゃ。儂の謀は破れた。この上は、潔く戦って自害してこそ、武士の本望と言うもの・・・。」
「何を申されます!! 万が一、御自害あそばすにしても、殿が英知の限りを尽くして築城された坂本城においてなさるべきでござる。それに、殿の理想は、この戦乱の世を収める事ではございませぬか。そして、それが出来るのは、殿をおいて他にはないと信じたればこそ、我ら家臣一同、殿に全てを賭けてまいりました。どのような事がありましても、殿には生き延びて頂かなければなりませぬ!!」
「それは、判っておる。しかし、儂が落ち延びようとする事は、羽柴軍とて百も承知の事、今となっては、落ち延びる事こそ、至難の技と言うものじゃ・・・」
「全ては、この勝兵衛にお任せあれ。命に代えましても、必ずや殿を坂本まで逃してご覧にいれ申す」
「・・・判った。万事そなたに任せる」
ひそかに勝龍寺城を抜け出し、連合軍の包囲網を抜た光秀一行は、伏見に至った。
「殿、ここで少々お待ちを・・・」
しばらくすると、勝兵衛は風呂敷包みと旅傘を持って現れ、
「これ以降は鎧は目立ちまする。これにお着替え下され」
と言って、風呂敷包みを手渡した。中には、商人の装束が一式・・・。
光秀の脳裏に嫌な予感がよぎった。
「勝兵衛、これはどこより調達した」
「はっ。それがしの旧知の商人が近くに住んでおりましたゆえ、その者に借り申した」
もちろん、伏見に勝兵衛の旧知など居るはずもなく、商家に押し込んだのであるが、その事を言えば、光秀は嫌悪するかも知れない。それを気遣った勝兵衛の咄嗟の嘘である。
「・・・ならば良い」光秀は、その装束に着替え始めた。
「殿は、その姿で京の街から叡山を抜けて、坂本を目指して下され。それがしらは、囮として、大津方面から坂本を目指しまする」
「勝兵衛、死ぬなよ・・・」
分かれた勝兵衛は、小栗栖で光秀の影武者を刺殺し、探索の目を晦ませた。光秀は、予定通り京の街を抜け叡山に向かったが、急ぎすぎれば怪しまれるため、その速度は、極めて遅く、叡山に到着したのは15日の、日も傾く頃であった。
「遅かったか・・・」
そこで、光秀が目にしたものは、炎上する坂本の城であった・・・。
光秀は、自害する事も考えたが、「こうして叡山に上ったのも、神仏の導きによるものかも知れぬ」と考え直し、自らの愚策の犠牲になった者の供養をするため、叡山にて出家する事を決意した。
光秀は、かつて信長の命により、叡山の焼討ちに参戦したが、僧兵を討ちはしたものの、本当に修行している僧は、密かに逃がしていた。
そして、その後の叡山復興にも尽力をつくしていたので、叡山には光秀に好意を持つ知り合いが多く、今回も光秀を快く迎え入れてたくれた。
しかし、万が一にも匿っている事が知れれば、叡山とてただでは済まない。
相手は、叡山焼討ちの時に躍起になって、無差別に僧侶を惨殺した秀吉なのである。
ちょうど、その頃、叡山内に南海坊天海と名乗る修行僧が、死の淵にいた。
放浪していた頃の光秀と、旧知であった天海は、光秀を枕元に招くと、
「病床ゆえ、このままで失礼します。あなた様と私は、年恰好も非常に似ていますし、私の死後は、私の名前を名乗って、姿を隠しなさいませ・・・」
「何をおっしゃる・・・。お気を確かにお持ちなされ」
「いや。私の余命が、いくばくもない事は私自身が、一番良く判っております。この叡山と、叡山を庇護して下さった、あなた様にご恩返しが出来る事を私は嬉しく思います。また、この時にこの場所で、あなた様と再会できましたのも、御仏の御導きと言うものでございましょう」
「天海殿・・・。判り申した。ご好意、有難く頂戴いたします。」

その後、光秀は天海の身の回りの世話を行い、天海は自分の略歴を光秀に語った。
そして2週間後、光秀に看取られて、天海は他界し、遺体は密葬にされた。
ここに、「病気による、できもののため」と称して顔を覆面で隠した、光秀が扮する新生・南海坊天海が誕生した。

<誕生の章・完>
決 意 の 章
比叡山で鋭気を養う天海光秀は、静かに世の移り変わりを眺めていた。

「やはり筑前か……」
 山崎で自分の軍勢を破った時点で、秀吉は一頭抜きんでていた。
「修理どのは、戦はできても政治はできぬ。それに新しい人を、惹きつけることができない」
 柴田勝家と秀吉の明暗を分けた清洲会議、この席で秀吉は出席者4名のうち2人、丹羽長秀と池田恒興を味方につけていた。織田家臣団を二分する実力者・丹羽長秀が勝家への反発から秀吉につくことは予想されていたが、まさか池田恒興まで手をまわしているとは思わなかった。
「結局、賤ヶ岳は柴田一族だけが散った戦いだった。寄騎の諸将も、筑前に籠絡されていたのだろう。戦は、戦前の根まわしがすべて、それのできぬ修理どのに信長公の後は継げぬ」
「では、御坊は筑前どのの天下を容認するわけですな」
「………」
「御坊が死することで変わった世が、御坊にそぐわぬ世になったとき……」
「わたしはそれほど大きな人間ではない。世を、自分の思い通りにしようなどと考えたことなど、一度も……」
「思い通りにしようとした信長公を弑虐した御坊は、十分思い通りにしようと考えたと思いますがな」
 天海光秀は今更ながら、自分の為した事の重さを認識した。
「一度拾った命、どう生きるかは御坊が決めること。しかし、御坊の命を救うために礎となった方々に、あの世で会っても恥じぬだけの生涯を歩むことじゃ」
「僧正……」
「いつまでもここに居て良いから、気の済むまで、考えなされ。近年、じっくり自分のことを考える余裕などなかったのではないかな?」
 天海光秀は僧正の言葉に甘え、しばらく世の移り変わりを眺めることにした。
 しかし、羽柴秀吉の目指す天下が、明智光秀が死することで得られた価値にそぐわなくなったとき、この比叡山を降りると誓った。
(亡国の怨霊となり、この国の秩序はわたしが守る……)

<決意の章・完>
茶 聖 の 章
「筑前、いや関白へ面会する手筈を整えてもらいたいのですが……」
 天海光秀はやや恐縮しながら言った。
「紹巴どのから、仔細はお聞きしておりましたが、いやはや……」
 剃りあがった頭から吹き出る汗を、面前に座る男はしきりに拭っている。
「わたしが生きていると思っていなくとも、死んでないとは思っていたのでは?」
「……確かに、首が挙がったとは聞いておりませんな。しかしなにゆえ……」
「わたしが今ここにこうして在る意義を、宗匠さまはおわかりでござりまするか?」
「うむぅ。……豊臣の天下は、貴殿の意にそぐわないと?」
「そのような大それたことではありませぬ。ただ……」
「ただ?」
 天海光秀の真剣な眼差しに宗匠と呼ばれた男も本気になりつつあった。
「ただ、わたしはそのために生かされた。豊臣家の進む先が、宗匠さまには見えまするか?」
 この問いに、男は押し黙った。
「国の行く先が見えないということは、それだけで、十分に政権を握るに値しない。また、昨今にいたっては妙な噂も耳にいたす」
「噂?」
「小西行長と宗義智が、いったい何をしているか御存知にござりまするか?」
 男の握る手ぬぐいは、汗でぐっしょりと濡れている。いかに明智光秀とはいえ、今は死人である。なぜそこまで政権の内情を知っているのか、男の汗は冷や汗である。
「それはそうと、大和大納言の病、重そうにござりますな。あの男が亡くなれば、豊臣家の保っている外殻は崩れる。宗匠さまは、そうは思いませぬか?」
 天海光秀は話題を変えた。
 もはや、場の主導権は移っている。話を聞いてやろうくらいに臨んできた男は、やわらかい刃物を突き付けられて恫喝されている気分だった。
「はて、手前ごときにはわかりませぬ」
「そうでありましょうか。死んだとはいえ、明智光秀を侮られては困る。宗匠さま、いや宗易どの、わたしの眼は節穴ではあるまいぞ」
「……今は、利休にございます」
 語調が変わった天海光秀を牽制するように、宗匠・千利休は訂正を入れた。したたかである。
「そうであったな。その名でもって、地位を盤石なものとしたか。されど、貴殿の望みを適えてくれるのは、筑前にあらず。穴の空いた船の、舵取りがしたいのであれば話は別にござるが」
 利休の汗が止まった。
「……殿下に会って何をなされる?」
「貴殿は、ただ手筈を整えてくれるだけでよい」
「……では、日向さまは誰を後釜に?」
「わたしのよく知ったる方、されど手を貸すつもりはない。簒奪してこそ政権が握れるというもの、その意志なきものは、結局のところ今と変わらぬ」
 利休がうなずいた。どうやら腹を決めたようだった。
「ところで、利休どの。例の噂、諌止しようと動いているものは皆無にござるか?」
「いや、治部少どのが……」
「治部少……石田三成か」
 ひとりつぶやきながら、天海光秀は茶碗の茶をすすった。
「ん、うまい」
「恐れ入ります」
 うやうやしく頭をさげる利休に対し、
(この道だけで、生きれば良いものを)
 と、思う天海光秀であった。

<茶聖の章・完>
亡 霊 の 章
 天正19年正月22日、豊臣政権の巨星が堕ちた。

 秀吉が小西行長と宗義智に命じていた朝鮮との折衝も失敗に終わり、朝鮮出兵の機運は徐々に高まりつつある。その無益さを、秀吉に説き続けてきたのが巨星・羽柴(豊臣)小一郎秀長、秀吉の実弟であった。

 この早すぎる死が、豊臣家の寿命を縮めた。

 一方で、当の秀吉には明と渡り合って利を得るだけの勝算があった。極東の島国ながら、軍事力では世界でも群を抜く。朝鮮半島を抑えれば、明ともやり合えると思っていた。
 正確な分析力をもつ石田三成は正直反対であった。しかし、国内の一統を成し遂げた今、戦うことで味方を増やし、政権を機能させてきた以上、戦がなくなれば「行き詰まり」は目に見えていた。三成にしても、苦渋の選択であった。
 
 その頃、秀吉は茶頭・千利休の茶会に招かれていた。石田三成を伴っている。
 秀長亡き今、秀吉の一の側近はこの利休であった。実務を担当する三成ら奉行との対立も深まっている。
「おうおう、利休。今宵は凝った趣向があると聞いたが、何を用意しておるのじゃ、うん?」
 人なつっこい笑顔を向ける秀吉を、利休は木像のような会釈で迎えた。
「まずは中へ。手前の招いた客人がおられます。膳はその後にお運びいたしますので、ゆるりと面談ください」
「ふむ、客とな。誰じゃ?」
 狭い入り口に腰をかがめながら、秀吉は何の不審も抱かずにいた。
「殿下に、天下を取らせた大恩人にござります」
「利休どの、曖昧な表現はお避けなされ」
 石田三成は訝った。
「治部どのも中へ……」
 利休は秀吉が茶室に収まったのを見計らってから、
「明智光秀どのがお待ちです」
 と、三成へ告げた。
「なっ!」
 三成が茶室の外で奇声をあげたのと、秀吉が茶室の中で奇声をあげたのとは同時であった。
「……ごゆるりと」
 利休は中庭を本邸のほうへ向かって歩き出していた。

 二刻ほど経った。
 茶室内は下界と隔絶されているというが、このときほどそのことをはっきり認識できるときはない。天正10年に亡くなったはずの男と、天正10年に飛翔の夢をつかんだ男の対面、二刻ばかりが一日のように長く感じられた。
「佐吉……すまん」
 出てきた秀吉は、三成の肩を借りねば歩けないほどだった。
 もともと気の大きな男ではないのだ。小心者で、嫌なことに背を向け、逃げ出すのが、秀吉の本性である。本能寺の変を聞き、毛利軍の逆襲を怖れるがあまり、背信の講和を結び、安全な地までひた走った。途中、黒田官兵衛に諭されて、光秀を討った。結局、この山崎の合戦が秀吉に本性を見失わさせた。
 茶室の中で、光秀は言った。
「そなたは上様になれぬ。上様の天下布武、これの何たるかを知らぬそなたが、いくら天下布武を真似ようとも、所詮は付け焼き刃。私は、死することで世の秩序を守った。私に代わったそなたが、上様を目指すのではなく、自分自身の理想を目指しているのであれば、黙って成仏するつもりだったのだ。確かに上様にも国外へ出兵する気持ちがあった。されど、それは南蛮との通商をこの国の道と考えていたからこそのもの。そなたの朝鮮出兵に、いったい何の理想がある。……私は、私の存在に賭けて、そなたの天下を崩す」
 この瞬間、秀吉が築き上げてきた豊臣家は、大いなる破綻をきたした。
 後世、天下統一後の秀吉の不可解な行動は、老化による精神の衰えとか、愛息を可愛がるがあまりの妬みなどと言われている。しかし、実際は死んだはずの明智光秀と邂逅した衝撃で、秀吉の造り上げてきた殻がとばされ、本性を取り戻し、精神崩壊したからである。
 
 茶会の後、秀吉は廃人同様に成り下がり、本能の獣と化す。
 同席した石田三成は、野に消えた光秀を捜そうと躍起になる一方、政権に入り込んでいた千利休を謀殺した。あまり戦上手でない自分を奮い立たせ、朝鮮出兵を成功させようと奔走するが、頭が狂った豊臣家では厳しかった。
 一方、天海を名乗る光秀は、豊臣家へとどめをさすために、対抗馬・徳川家康へ随身し、影から献策を続けた。
 時は流れ徳川家の天下が固まり、幕府の体制強化に取り組む秀忠・家光の側近たちを後目に、天海は絶大なる権勢を握り『黒衣の宰相』の異名をとる。

  心知らぬ人は何ともいわば言え
     身をも惜しまじ名をも惜しまじ

 徳川幕府の方向が、天海の望んだものであったかどうかはわからない……。

<亡霊の章・完>
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