このサイトの作者が本を出しています・・・教科書とはひと味違う日本史のだいごみ
◆◆ みんな集まれ!おしゃべり歴史講座 ◆◆
■001 岩宿遺跡の発見
まずは、縄文時代の前の時代から行くよ。
・・・えっ?そんな時代あったの? と思った人はいないかな?
でも、ぜんぜん恥ずかしくないよ。昔のえら〜い先生たちも、そう思って
いたのだから。日本の最も古い時代は縄文時代だってね。
でも、これは、ずーっと前に覆されたんだ。それも、プロではなく、アマ
チュアの考古学愛好家によってね。
・・・えっ?アマチュア?
どうして、プロに発見できなかったのにアマチュアが発見できたの? と
思うかもしれないね。でも、それは、専門家の固定観念が邪魔していたん
だ。
専門家は、縄文時代より下の地層に出合うと、そこから先は、もう掘って
も無駄〜という感じで、発掘を終了していた。掘らないんじゃ、見つかる
わけないよね。だから、アマチュアに先を越されたというわけ。
見つけた人の名は、「相沢忠洋」。納豆などの行商をしながら考古学を研
究していた人だ。彼は、群馬県の新田郡笠懸村の「岩宿」というところで、
関東ローム層と呼ばれる赤土層から石器を見つけた。
この関東ローム層は、縄文時代より下の地層だったんだ。つまり、プロが、
発掘しなかったところだね。
この「岩宿遺跡」の発見で、日本にも「先土器文化」があったことが確認
されて、そのあと、どんどん見つかるようになった。つまり、相沢さんの
発見が、歴史を変えるきっかけとなったんだ。
・・・岩宿遺跡の発見
これは、本当に、すご〜い発見だったと言えるね。
■002 土器の誕生
今回は、土器のお話だよ。土器と言えば、縄文土器とか弥生土器というの
が有名だよね。ちょっと昔の人ならば、縄文「式」土器とか、弥生「式」
土器という具合に、後ろに「式」を入れちゃうんじゃないかな?
・・・実は、作者も子供の頃「式」付きで習ったんだ(苦笑)。
でも、いつしか、教科書では、「式」の字が取れて、縄文土器、弥生土器
と呼ぶようになった。まあ、どっちでもいいけどね。ただ、「式」をつけ
ると年がバレるからね。ちょっとは頭に置いたほうがいいかもしれないね。
土器というものは、粘土をこねて形をつくり、乾燥して焼きあげて作るの
だけど、これは、ものすごい発明だったんだ。人類史上初めて化学変化を
利用した道具だからね。
・・・えっ? 化学変化! 縄文時代に!
つまり、粘土の中に含まれる石英以外の鉱物が、火熱によって変化し収縮
することを利用して作ったんだ。
もちろん、化学的知識があったわけではないと思うけど、粘土を焼けば、
固まって器が出来るってことを発見した人がいたことは確か。
・・・縄文人って意外に頭が良さそうだね。
土器が作られたことによって、水にも溶けず火にかけても燃えない容器が
生まれたんだ。これによって、どんどん生活が豊かになっていくことにな
るんだ。
どう豊かになっていくかは、次回ね〜。
■003 土器の発明で何が変わった?
今回も土器のお話だよ。前回の最後に、土器の発明により、水にも溶けず
火にかけても燃えない容器が生まれ、どんどん生活が豊かになっていった
と話したよね。それじゃあ、どんな風に?というのが今回のテーマだ。
単純に考えても、すぐにわかるよ。まずは、水を保存できるようになった
ということ。
・・・縄文時代には、水道なんて便利なものはないよね
だから、水を保存できるだけでも、すご〜く便利。水に溶けない土器なら
ではのことだよね。
それから、「煮る」ことができるようになったこと。これは大きいよ。そ
れまでは「焼く」ことが中心だった。「煮る」ということが容易になった
ため、固くて食べられたかったものをやわらかくして食べられるようにし
たり、混ぜて煮ることにより、新たな旨みを出すことが出来るようになっ
た。
・・・う〜ん、これはうまい!
食べることは人間の基本だから、新たな調理法が確立していく過程は楽し
くて仕方がなかったんじゃないかな?スープなども作れるようになり、食
生活は、どんどん豊かになっていく。一種の味覚革命だね。
ほかにも、食べ物の保存にも便利だよね。それに、急須のような土器も作
られるようになって生活に必要不可欠な道具になっていく。今、使ってい
る物だって、作り方は変わっても、土器が持つ機能と大きく違わないよね。
そう考えると、縄文時代も今もつながっていると感じるよね。
■004 縄文人も定住していた
縄文人は、狩猟・採集中心の生活で、定住はしていなかったというのが、
かつての定説だったのは知っているかな? 確かに、一昔前の教科書には
そう書いてあったよね。しかし、この定説は、今では完全に否定されてい
る。
・・・そう、縄文人は定住していたんだ
もちろん、全部が全部定住していたわけではないと思うよ。今でも、遊牧
民族がいるように、条件によっては定住できなかった地域もあったことは
確かだ。でも、多くは定住していたようだ。
人間は、力も弱く足も遅い。動物界では強い存在ではないのはわかるよね。
頼れるのは頭脳だけ。道具を作ったり、獲物を取る武器を作ったりする必
要があった。ならば、定住したほうが、ずっと有利だ。
・・・定住できない大きな理由がない限り定住したはずだ
こんな推理も成り立つよね。定住できない大きな理由とは、食物が取れな
いということ。簡単に言うとえさを求めて歩き回らなければならない状態
のことだ。かつて、縄文人は、定住していなかったという定説の根拠は、
そのへんにあったらしい。
しかし、十分、食物を取れる地域では定住していたと考えるほうが自然だ
よね。実際、定住の証拠となる遺跡がたくさん発見され、縄文人は定住し
ていたというのが定説になった。今では、教科書にもそう書いてあるよ。
歴史って、過去に起こったことだから、本来は絶対に変わるはずがないの
だけど、古〜い時代は、もともと推理で成り立っているわけだから、遺跡
などが発見されると変わることがあるんだ。
これからも変わるかもしれないから、こうだと決め付けないほうがいいね。
縄文人も現代人も同じ人間だし、身体能力も違いがないから、縄文人の気
持ちになって考えてみるといいよ。
そうすれば、歴史の真実に近づけるからね。
■005 縄文ポシェット
縄文ポシェットって聞いたことはあるかな?
・・・えっ?ポシェット?ポシェットなら持ってるよ〜
な〜んて人もいるよね。実は、縄文人もポシェットを作っていたんだ。こ
れは、ちょっとビックリするね。このポシェットは、高さが、およそ12セ
ンチメートルで、イグサ科の植物の茎を使って編まれていた。
でも、何に使うの?と思った人もいるだろう。縄文時代だからね。買い物
に行くこともないし・・・。いったい何・・・?
答えは、ポシェットの中に一粒残っていた「くるみ」だ。つまり、この袋
で、くるみを集めていたんだね。
このポシェットは、青森県の三内丸山遺跡から発見された。この遺跡は、
平成になってから発見された遺跡だよ。縄文時代のイメージを根本から覆
したことで知られているんだ。そして、このポシェットは重要文化財に指
定されている。
・・・えっ!重要文化財!それはすご〜い
縄文人って、意外にファッショナブルだったんだ。遅れた原始人という観
念から脱したほうがいいかもしれないね。むしろ、創意工夫に満ち溢れて
いた時代と言っても言いすぎじゃないと思うよ。
■006 農耕がはじまったのはいつ?
さて、今回は農耕のお話だ。農耕が始まったのはいつだろう?
・・・もちろん弥生時代だよ
って思った人は、ちょっと古いね。縄文時代に、すでに始まっていたとい
うのが現在の定説なんだ。それも畑作だけでなく稲作まで始まっていた。
・・・中には、6000年前に稲作が始まったという説もある
稲作が本格的に広まったのは弥生時代だろうけど、ずっとずっと前に米も
作られていたことは確実のようだ。これから、新しい遺跡が発見されたり、
すでに発見されている遺跡の分析が進むにつれ正確なことがわかってくる
だろう。
・・・つまり農耕が始まったのは縄文時代ということだね
縄文時代は、定住しておらず、狩猟・採集中心の生活だったという説は、
完全に覆されて、定住もしていたし、農耕も行っていたということだ。
もしかすると、将来は、縄文時代、弥生時代というような区切り方が見直
されて違う呼び名が生まれるかもしれないね。
・・・その可能性が強いと思うよ
■007 なぜ農耕が始まったの?
今回は、人間が、なぜ農耕をはじめたのかということを考えてみるよ。農
耕というのは食べ物を作るということだよね。
・・・そんなの当ったり前じゃ〜ん
なんて言わないでね。これは、すごく大切なことだから。今の日本は食べ
るに困らないから、なかなか実感がないと思うけど、我々だって、何も食
べなきゃ死んでしまうのが事実だよね。
人間、健康が一番などと言うけど、どんなに健康でも食べ物がなくなれば
死んでしまう。生物の宿命だ。そこで考え出されたのが農耕なんだ。
それまでは、狩猟・採集、あるいは漁労中心だった。要は、その辺にある
ものを取って食べていたわけだ。でも、いつも食べ物があるわけじゃない。
食べ物がなければ探さなければならない。
それで見つかればいいけど、見つからなかったら食うことができないとい
うわけだ。命にかかわる問題だよね。
・・・見つからないなら作ってしまおう
そう、これが農耕を始めた動機だろうと思う。食うものを作ることが可能
ならば、餓死という危険から遠ざかることができる。そして、工夫を重ね
て、食べ物を作ることができるようになったというわけだ。
・・・食べ物は、探す時代から作る時代になったんだ
これは、まさに大革命といっていいね。
でも、それにより、新たな悲劇が生まれるようになってしまう。それは、
また次回ね。
■008 農耕と戦争−1
今回は、戦争のお話だ。今も、世界のどこかで戦闘が行われているよね。
かつてのように国と国の戦争というものは少なくなってきたけど、内戦や
テロなど、とても静まる様子はない。
・・・いったい、いつから始まったのだろう?
実は、農耕の開始と密接な関係があるんだ。農耕がはじまると、世界中ど
こでも戦いのための武器や防衛施設が出現する現象が見られるようになる。
・・・えっ?どうして
と思った人もいるよね。でも、よく考えてみれば、すぐわかるよ。
例えば、稲作を考えてみよう。稲を作るのには、約半年間、手間隙をかけ
て作るよね。そして、実りの秋に、稲を刈って初めて価値あるものを手に
入れるわけだ。
もし、稲刈りの直前に誰かに根こそぎ持っていかれたら、それまでの苦労
が水の泡だよね。
・・・当然、自分の土地は守らなければならないよね
食べ物は、人間にとって命綱だから、誰もが狙っている。だから、防衛施
設が必要になったんだ。農耕が戦争を生んだと言っても過言ではないんだ
よ。
次回は、もう少し、つっこんだお話をするからね。
■009 農耕と戦争−2
今回も戦争のお話だ。歴史を勉強していると、人間って戦争ばかりしてい
ることがわかる。
・・・人間って戦争が好きなの?
って感じる人もいるかもしれないけど、けっして好きなわけじゃないと思
うよ。ただ、人間だって動物だから防衛本能がある。襲ってくるものがあ
れば、戦う以外に生きる道はない。
・・・つまり生きるために戦うってことだね
前回、農耕が戦争を生んだいう話をしたよね。農耕が始まった理由の一つ
として、食糧が不足してきたという事実があった。だから、食糧を作るこ
とを考えた。
・・・食糧が十分あれば、農耕なんて面倒なことはしないよね
みんながお腹いっぱいならば、争いごとは起こりにくい。まして、戦争な
どというエネルギーを使うことをする必要はない。しかし、食糧がないと
なると話は別。何とかしようとするのが本能だ。
・・・農地は、食べ物を作ることができる価値のある土地なんだ
食糧が十分あれば、人の土地など、それほど興味はわかないだろう。しか
し、食糧がないとなると、限りなく魅力的なものに違いない。その価値の
あるものが野ざらしになっている。
・・・狙われるのは当然だよね
だから、農耕の開始とともに、防衛施設が発達していったんだ。戦争も命
がけだけど、食糧を得るのも命がけ。食糧を得るためならば、人間同士が
戦うという愚行も、ある意味仕方がないのかもしれない。
でも、戦争を知ってしまった人類は、更に欲望を満たすために戦争目的を
発展させていってしまう。悲しいことだけど、これも、農耕と関係がある。
その辺は、次回に話すね。
■010 農耕と戦争−3
さて、今回も農耕と戦争のお話をするよ。農耕って、人手が必要だよね。
狩猟や採集だけの時代なら、少人数で、勝手気ままに暮らすことも可能だ
けど、農耕を行うには、ある程度の集団が必要だ。
・・・ちょっとした社会が生まれてきたんだ
農耕がなかった時代でも、争いごとはあったと思うよ。でも、それは、小
規模のもので、いわば個人戦。しかし、価値のあるものを抱えたコミュニ
ティを狙うとなると、団体戦の様相を示してくる。
・・・争いごとの規模が大きくなったということだね
それに、人間、できれば楽をしたいから、労働をしてくれる人間がいると
便利だ。自分勝手な考え方だけど、現代だってできれば、遊んで暮らした
いと思っている人が多いように、そう考えるのが自然だよね。
つまり、戦争に勝った者が負けたものを支配するという形が出来上がって
いく。わかりやすく言えば、負けたものを奴隷のようにするということ。
民主主義が確立した現代では、そのような考え方は悪とみなされるけど、
人間の本質を考えてみれば、勝てば天国、負ければ地獄という戦争に魅力
を感じてもおかしくないよね。今だって、ギャンブルは盛んだし、株だっ
て同じようなものだ。
・・・根本的なことは何も変わっていないよ
もし、農耕が人手を必要としないものならば、人間まで支配しようと考え
なかったかもしれないね。獲物を横取りするだけならば、集団戦をする必
要もないし、物だけ取ればいい。
個人の所有権などない時代だから、横取りも広い意味での狩りだ。生物界
と同じように。だから、殺し合いまでは発展しなかったはず。
結局、人手と手間のかかる農耕をするために、人間まで手に入れることが
できる戦争というものが発展していく。そして、どんどん規模が大きくな
っていくんだ。
更に、社会の構造まで変えていくのだけど、それは、また次回ね。
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