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■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 31  
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■■
■■ 今回は,新政府の政治を勉強します。
■■

三重:佳代,きんさんが死んじゃったね。
佳代:そうね,かわいいおばあちゃんだったのに。
三重:きんさんって今日勉強する明治の生まれだったのよね。
佳代:うん,確か明治25年生まれだったと思うわ。
三重:ということは,これから私たちが勉強するようなことをたくさん見て
   きたのね。
藤原:そうだね。本当にご苦労さんといいたいね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:きんさんが,ミレニアムを見られてよかったね。
佳代:本当です。
藤原:それじゃあ,今日は,明治を勉強しよう。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まずは,1868年に五箇条の御誓文が出る。
佳代:明治政府の基本方針ですね。
藤原:そう,天皇が神に誓うという形で出された。明治維新の象徴的なもの
   だよね。「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」ってやつだ。資料問
   題などに出るから,とりあえず見てわかるようにしておこう。
佳代:ハイ,そして,東京に遷都しました。
藤原:そうだね。江戸を東京とあらためて,翌年の1869年には,日本の首都
   になった。
三重:まだ,130年ぐらいしか経っていないんですね。
藤原:そうなんだ。今の東京は,世界の大都会だけれども,このころは,近
   代都市にほど遠いものだった。そこで,明治政府は,欧米に習って,
   すべての面で近代化に着手することになる。
佳代:まずは,版籍奉還ですか?
藤原:そうだね,とりあえず版籍奉還ということで,中央集権の形作りをし
   た。でも,十分な効果が得られなかったんだ。
三重:どうしてですか?
藤原:確かに,土地と人民を朝廷に返上したのだけれども,元の大名が,そ
   のまま知藩事に任じられたからだ。
三重:つまり,名前だけ変わって実態は変わらなかったということですか?
藤原:そういうこと。多少は政府の意見も反映されてはいたけれども,ほと
   んど以前と変わらなかった。そこで,政府は,思い切った政策を断行
   したんだ。
佳代:廃藩置県ですね。
藤原:そう,藩を廃して県を置く,廃藩置県だ。
三重:藩とは言わない県という。
藤原:おう,三重,よく知っているね。言わない年,つまり,1871年は,本
   当に大切な年なんだ。
佳代:えっ,廃藩置県だけじゃないんですか?
藤原:うん,岩倉具視らが,欧米に派遣されたのもこの年だ。
三重:岩倉遣欧使節ですね。
藤原:そう,主な目的は条約改正だったのだが,それはうまくいかなかった。
   でも,大久保利通や木戸孝允などの政府の重要人物が,欧米を見学し
   たことが,以後大きな意味を持つことになる。
三重:なるほど,言わない年は重要ですね(^o^)。
藤原:まだあるよ。清と国交を開いた日清修好条規を結んだのもこの年だし,
   ヨーロッパでは,プロシアがドイツを統一している。
三重:えー,そんなにいっぱいあったんですか。
藤原:そう,まとめて覚えておこうね。
三重:ところで,先生,藩を廃して,藩主は怒らなかったんですか?
藤原:そうだね。新政府としてはヒヤヒヤだったろうね。中途半端にやった
   んでは失敗する。そこで,全国の知藩事を江戸に集めた。
三重:はは〜ん,また陰謀ですか(笑)
藤原:まあ,そんなところだろうね。そして,薩摩,長州,土佐の兵を借り,
   その武力を背景に断行されたんだ。
三重:ということは,怒るに怒れなかったということですか?
藤原:うん,それもあるけど,やはり,借金だね。
三重:借金?
藤原:この時代の大名たちは,藩としての莫大な借金を背負っていたんだ。
   それを政府がひきつぐということで,予想外に抵抗がなかったんだ。
三重:なるほど,そんなことがあったんですか。
藤原:どちらにしても,藩を廃し,県を置いた。そして,中央から府知事や
   県知事,後の県令だね,を派遣したんだ。
佳代:これで,中央集権の基礎が固まったわけですね。
藤原:そう,そして,次に大切なのが,涙の年だ。
三重:えっ,涙の年?何ですか,それは?
佳代:1873年のことよ。人は涙の地租改正(^_^)v。
藤原:そう,まずは,地租改正だ。税制改革だね。
三重:どんな風に変わったんですか?
藤原:これまでは,年貢を収めていたよね。
三重:ハイ。
藤原:つまり,稲で収めていたわけだ。ところが,稲だと,不作などがあっ
   て税収が安定しない。そこで,現金で納めるようにしたんだ。
佳代:土地所有者に地価の3%を地租とし,現金で納めさせた。
藤原:おう,さすが佳代ちゃん,模範的な答えだね。
佳代:もちろんですv(^^)v。
三重:つまり,お金を取られるわけですね。それは,本当に涙が出ます(笑)
藤原:それから,涙の年にはもう一つ重要なことがあったね。
佳代:ハイ,徴兵令が出ました。20歳以上の男子は,皆,徴兵されました。
三重:兵隊に取られるんですか,こちらも涙が出ますねぇ。
藤原:そうなんだ。このころのスローガンが,富国強兵。外国から締め上げ
   られている時代だから甘いことは言っていられなかったんだ。
三重:大変な時代だったんですねぇ。
藤原:この徴兵制度ができて,武士たちは仕事を失った。更に,廃刀令とい
   うのが出て,刀を差す特権もなくなってしまったんだ。
三重:これは怒りますねぇ。武士の魂を何と心得る(笑)
藤原:そう,だから,武士たちは怒った。武士出身の人たちを士族と呼ぶん
   だけれども,その士族たちが反乱を起こすことになる。
佳代:西南戦争ですね。
藤原:うん,それまでにいくつか不平士族の乱があったが,最後で最大のも
   のが西南戦争だ。
三重:西郷隆盛ですね。
藤原:そう,最強の鹿児島の士族たちだ。でも,政府軍は,西郷軍を破った。
三重:それは,すごいですねぇ。最強軍なんでしょ。
藤原:やはり,火薬の力だろうね。当時,国家予算に匹敵すると言われるほ
   どの火薬を撒き散らした。確かに,新政府軍は,素人の集まりだった
   けれども,圧倒的な火力の差で勝ったんだ。
佳代:以後,武力による反抗はなくなったんですね。
藤原:そう,この後は,口の時代になる。
三重:口?
藤原:うん,自由民権運動だ。暴力がダメなら口ということになる。
三重:なるほど,口なら私も負けません\(^o^)/。
藤原:そうだね。でも,口の話は,今度やろう。今日はお疲れさま。
三重:ホント,疲れました。
佳代:がんばって覚えます。ありがとうございました。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 明治政府の政策

 ・五箇条の御誓文(1868年)新政府の基本方針

 ・版籍奉還(1869年)土地と人民を朝廷に返す。

 ・廃藩置県(1871年)藩を廃して県を置く。

 ・地租改正(1873年)土地所有者に地価の3%を現金で納めさせる。

 ・徴兵令(1873年)20歳以上の男子を徴兵。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 32  
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■■
■■ 今回は,立憲国家の成立を勉強します。
■■

三重:佳代,100円札って知ってる?
佳代:えっ,そんなのあるの?
三重:見せてもらったのよ,藤原先生に。何と板垣退助なのよ!
佳代:えっ,それって今日勉強するところじゃない。
藤原:持って来たよ。
三重:あっ,先生,佳代にも見せてあげて。
藤原:うん,これだ。
佳代:あっ,本当だ!教科書と同じ顔だ(^^)!。こんな札があったんですね。
藤原:うん,先生が子供のころは使っていたよ。しばらくしてなくなちゃっ
   たけど。
佳代:すっごい,はじめて見ました。すると他の札は?
藤原:そうだね。先生のころは,500円が岩倉具視,1000円が伊藤博文。
佳代:みんな明治に活躍した人ですね。
藤原:いや,5000円や10000円は,聖徳太子だ。昔は,お札だけでも,問題
   が作れたぐらいだよ。
佳代:なるほど,本当ですねぇ。そして,今日は,板垣退助や伊藤博文の勉
   強ですね。
藤原:そう,それじゃあ,はじめよう。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まず,前回,西南戦争で,新政府軍が勝利して武力による反抗はなく
   なったといったね。
三重:ハイ,西郷隆盛が最後の乱でした。
藤原:そうだったね。最強の西郷軍が敗れたので,武力による反抗をあきら
   め,その後は,口の勝負になったということを話したね。
佳代:そうです。それが,自由民権運動でしたね。
藤原:そういうこと。中心人物が板垣退助だ。板垣退助は,土佐の出身だ。
佳代:土佐というと現在の高知県ですね。
藤原:そのとおり。もともと明治政府は,薩長土肥と言って,薩摩,長州,
   土佐,肥前の4藩出身者の力が強かったんだけれども,征韓論で敗れ
   去った後は,薩摩,長州出身者が実権を握ったんだ。
佳代:藩閥政治ですね。
藤原:そう,その藩閥政治に反対し,国民の選んだ代表によって議会を開く
   べきだと主張した。この辺が自由民権運動の起こりと言える。
佳代:民選議院設立の建白書ですね。
藤原:うん,1774年に征韓論に敗れた板垣退助や江藤新平などによって出さ
   れた。
三重:西郷隆盛は加わっていなかったのですか?
藤原:西郷は加わっていなかった。その後,江藤新平は佐賀の乱を西郷隆盛
   は西南戦争を起すが,板垣退助は,自由民権運動に走ったんだ。
三重:口で勝負ですね(^^)
藤原:そう,土佐に帰った板垣退助は,立志社を作り,これが全国的な組織
   となって愛国社になった。
佳代:それが,国会期成同盟になるんですね。
藤原:そして,薩摩出身の北海道の開拓使長官が,やはり,薩摩出身の商人
   に施設を格安に払い下げた事件をきっかけとして,政府への非難が高
   まった。同時に国会開設の要求はますます強まったんだ。
佳代:なるほど,薩摩のやりたい放題は,ダメということですね(^^;)
藤原:驚いた政府は,払い下げを中止し,10年後に国会を開くという約束を
   をしたんだ。
佳代:これが,1881年に出された国会開設の詔ですね。
藤原:そう,そして,この年からの10年間が大切になってくる。
佳代:一番はや〜い自由党。
三重:佳代,何,それ?
佳代:1881年よ。一番(1)早い(881)でしょ。
三重:な〜るほど,その一番早くできた政党が自由党ということね。
藤原:そうだね。でも,君たちは,一番早い10年間として覚えておいた方が
   いいよ。
佳代:10年間ですか?
藤原:そう,実際に国会が開かれるまでの10年間をまとめて覚えておく。立
   憲政治が成立する重要な10年間だからね。
佳代:分かりました。
藤原:では,その10年間を順に見てみよう。まずは,さっき言った,国会開
   設の詔だ。そのために,国会が10年後に開設されることがはっきりし
   たので,政党が作られた。
佳代:それが,一番早い自由党ですね。
藤原:うん,党首は,もちろん板垣退助だ。そして,翌年,二番目の政党が
   作られた。
三重:知ってます。大隈重信の立憲改進党です。
藤原:おお,よくできたね。三重も,よく勉強しているな。
三重:まあ,ぼちぼちと\(^o^)/
藤原:そして,この二人だけれども,板垣退助の方は,フランスの自由主義
   を影響を受け,大隈重信の方は,イギリスの議会政治を手本としたん
   だ。
三重:フランス流とイギリス流ですか?
藤原:そう,これは,結構出るからね,よく覚えといてね。それから,国会
   を開くためには憲法が必要と考え,伊藤博文がヨーロッパに渡ったん
   だ。
佳代:憲法を研究しに行ったんですね。
藤原:そうだね。しかし,伊藤博文は,イギリスやフランスではなく,ドイ
   ツの憲法を手本にしたんだ。
三重:ドイツですか?
藤原:そう,当時のドイツは,プロシアによって統一されたばかりで,統一
   するために君主権が非常に強かった。伊藤博文は,それが日本に合っ
   ていると思ったんだ
三重:なるほど。
藤原:そして,1885年に内閣制度を作り,自ら初代内閣総理大臣になった。
三重:さすが,昔の千円札(^o^)。
藤原:そして,大日本帝国憲法の発布だ。君主権の強い憲法。つまり,天皇
   が主権の憲法が発布されたんだ。
佳代:内容はともかく,アジアで初めて立憲君主国になったんですね。
藤原:そういうこと。そして,1890年,この10年間の最後の年に,衆議院の
   総選挙が行われ,第1回の帝国議会が開かれることになった。
三重:それが,日本で最初の国会ということですか?
藤原:そう,その間,いろいろなトラブルはあったけれども,とにかく,立
   憲政治が確立していった10年間はまとめて覚えておこうね。
佳代:ハイ,分かりました。先生,その100円札ください。
藤原:ダメ,先生の宝物だから。
佳代:わぁ〜ん,ケチ。今日は,ありがとうございました。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 自由民権運動(板垣退助中心)

 1874年 立志社 → 1875年 愛国社 → 1880年 国会期成同盟

● 立憲政治の成立(一番早い10年間:1881〜1890年)

1881年 国会開設の詔が出る。

    板垣退助が自由党を結成する。

1882年 大隈重信が立憲改進党を結成する。

    伊藤博文が憲法研究のためヨーロッパに渡る。

1885年 内閣制度ができ,伊藤博文が初代内閣総理大臣になる。

1889年 大日本帝国憲法が発布される。

1890年 第1回衆議院総選挙が行われる。

    第1回帝国議会が行われる。

※ 第1回衆議院選挙の有権者の資格は,25歳以上の男子で,直接国税15円
 以上を納めている人。国民全体の約1%に過ぎませんでした。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 33  
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■■
■■ 今回は,日清・日露戦争を勉強します。
■■

三重:ねえ,佳代,日清戦争って日本と清の戦いでしょ。
佳代:そうよ。
三重:なのに何で朝鮮で戦っているの?
佳代:うん,それは,朝鮮をめぐる戦いだったからよ。
三重:や〜ねぇ,人の庭でけんかするなんて。
藤原:確かに,とんでもないことだよね。
三重:あっ,先生,ちょうどいいところに来ました。
藤原:今日は,日清・日露戦争を勉強するんだね。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まず,考えてほしいことは,この時代は,帝国主義の時代だという
   ことだ。
三重:帝国主義ですか?
藤原:そう,強い国が弱い国を支配する弱肉強食の時代だ。その被害者の
   ひとつが中国なんだ。
佳代:そう言えば,アヘン戦争なんていうとんでもない戦争がまかり通っ
   ていましたね。
藤原:そうだね。あれは,ひどかった。イギリスの歴史の中でも最もひど
   い戦争の一つだろう。麻薬を売りつけて,言う事を聞かないからっ
   ていって暴力で叩き潰す。
三重:まるでやくざですねぇ。
藤原:いや,やくざだってもっとましだよ(^\^)。
三重:でも,被害者の中国と戦うのは変じゃないんですか?
藤原:うん,実は,敵はロシアなんだ。
三重:えっ,えっ,先生,日露戦争はまだですよ。
藤原:いや,日清戦争をしたのも,ロシアの存在が大きな動機になってい
   るんだ。
佳代:そうなんですか?
藤原:うん,こんがるといけないので,まずは,日清戦争の経過を見てみ
   よう。
佳代:ハイ,朝鮮で起こった甲午農民戦争がきっかけです。
藤原:そうだったね。甲午農民戦争は,東学党の乱とも言う。この乱を平
   定するために清も日本も出兵した。
三重:要するに,朝鮮で起こった乱を鎮めに行ったわけですね。
藤原:そうなんだ。ところが,乱が平定された後も両軍が引き上げなかっ
   たために日清戦争がおこることになる。
三重:なるほど,他人のけんかを仲裁に行って,行ったもの同士がけんか
   になっちゃったということですか?
藤原:まあ,そんな感じだ。中国は,当時朝鮮を属国だと思っていたし,
   日本にとっては,遠い敵ロシアを考えて朝鮮半島を重要な場所と考
   えていたんだ。
三重:重要な場所?
藤原:そう,地図を見てごらん,朝鮮半島は,日本のわき腹につきつけた
   ピストルみたいな形をしているだろう。
三重:あっ,本当です。
藤原:すると,ここにロシアが進出したら困る。日本は餌食になる。そう
   いう重要な場所なんだ。
佳代:なるほど,だから,朝鮮半島を防波堤にしたかったんですね。
藤原:そうなんだ。当時,ロシアの拡大はとどまるところを知らず,いず
   れ南下してくる。そうすると困るんだ。
佳代:なるほど,分りました。そして,日本は大勝利を収めます。
藤原:うん,世界の常識を覆してね。言葉は変だけれども,世界に対して
   デビューしたようなもんだ。
佳代:そして,台湾,リャオトン半島などを得た上に,莫大な賠償金も得
   ました。
藤原:そうだったね。ところが面白くないのがロシアだ。
三重:いよいよロシアが出てきましたね。
藤原:南下政策という野望のために,リャオトン半島に日本軍がいたので
   は邪魔になる。そこで,リャオトン半島を清に返せと要求した。
佳代:三国干渉ですね。
藤原:そう,ロシアは,一人で脅かすのではなく,仲間を連れて脅かしに
   来た。
三重:う〜,やな奴(笑)
藤原:それが,フランスとドイツ。ロフドの三国と覚えておけばいい。
佳代:そして,泣く泣く,リャオトン半島を返すわけですね。
藤原:そういうこと。そして,臥薪嘗胆という難しい言葉を使って,復讐
   を誓ったんだ。
佳代:なるほど,そして,今度は中国で義和団の乱が起きます。
藤原:そう,この辺は,日清戦争と似ているんだ。今度は中国で起こった
   乱を鎮めようと各国が出兵した。その中心が日本とロシアだったん
   だ。
三重:う〜ん,似ていますねぇ。
藤原:乱は鎮まった。しかし,ロシアは帰らなかった。
三重:居座る気だったですね。
藤原:そうだろうね。この動きに各国に緊張感が走った。日本だけではな
   いよ。特にイギリスが困ったんだ。自分達の利権がおびやかされる
   からね。
佳代:そこで,日英同盟を結んだんですね。
藤原:そういうこと。もちろん,日本にはロシアと仲良くしようという意
   見もあったんだ。朝鮮半島は日本,ロシアは満州という具合に。で
   も,それはかなわなかったので,イギリスと組んでロシアと戦うこ
   とになったんだ。
三重:う〜ん,複雑ですねぇ。単に日本とロシアの戦争というわけでもな
   いんですね。
藤原:まあ,基本的にはロシアと日本の戦いだけれども,各国の思惑とい
   うものがたくさんあったわけだ。その証拠に日本が優勢なときに,
   アメリカ大統領のセオドア=ルーズベルトの仲介によって終戦を迎
   えることになる。
三重:なんで,まったく関係のないアメリカが出てくるんですか?
藤原:アメリカも中国の利権を狙っていたんだ。だから,ロシアが来るの
   も困るが,日本が強くなりすぎるのも困る。まったく困った時代だ
   ったんだ。
三重:本当にいやですねぇ。帝国主義って。
藤原:そうだね。そして,アメリカの都市ポーツマスで条約が結ばれる。
   でも,日本は,韓国に対する優先権や,樺太の南半分などを得たの
   だが,賠償金を得ることができなかった。
三重:国民は怒ったでしょうね。
藤原:そう,多大な犠牲を払って戦った戦争で賠償金が得られなかったこ
   とから,日本では日比谷焼き討ち事件などが起こった。しかし,こ
   の戦いに負けていたら,今ごろみんなロシア語をしゃべっているか
   もしれないよ。
佳代:ホントですね。私も,日露戦争を描いた「坂の上の雲」を読みまし
   たが本当にすごい戦いでした。あのころの日本人が,死ぬ思いをし
   て守ってくれなかったら本当に今の繁栄はなかったと思います。
藤原:ホントだね。今日は長くなったけど,不十分なところは,下にまと
   めておいてね。
佳代:ハイ,分りました。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 日清戦争(1894年)

・きっかけ:朝鮮で起きた甲午農民戦争

・戦い:朝鮮と南満州中心,日本の圧勝。

・下関条約(1895年)<全権>日本:伊藤博文,陸奥宗光,清:李鴻章

 ・賠償金2億両(約3億円)
 ・清は,朝鮮を独立国として扱う。
 ・台湾,リャオトン半島,澎湖諸島をゆずる

・三国干渉(1895年)ロシア,フランス,ドイツ

 ・リャオトン半島の返還要求→日本,要求をのむ。

● 日清戦争後の影響

・国際的地位の向上

・賠償金を元に金本位制を確立し,八幡製鉄所を建設。

● 日露戦争(1904年)

・義和団の乱(義和団事件)(1889年)中国の外人排斥運動

・北清事変(1900年)義和団の乱を鎮めるため各国が出兵

・ロシアの南下:北清事変後もロシア軍帰還せず。

・日英同盟(1902年)ロシアの南下を恐れたイギリスが日本と同盟。

・戦い(1904年)中国東北部を中心に日本がやや優位。日本海海戦で勝利。

・ポーツマス条約(1905年)アメリカ大統領セオドア=ルーズベルトの仲介
             日本:小村寿太郎,ロシア:ウィッテ

 ・韓国に対する優先権→のちに韓国を併合する(1910年)
 ・樺太の南半分の割譲
 ・リャオトン半島南部の租借権と南満州鉄道保護のための駐兵権

・講和への不満→日比谷焼き討ち事件がおこる。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 34  
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■■
■■ 今回は,第一次世界大戦を勉強します。
■■

三重:ねぇ,佳代,このころの戦争って10年おきにやっているのね。
佳代:そうよ,しかも,4の年に10年おき。
三重:4の年?
佳代:うん,日清戦争が,1894年でしょ,日露戦争が,1904年,そして,今
   日勉強する第一次世界大戦が,1914年よ。
三重:ホントだ,みんな4だ,死ぬからかな?
藤原:それは関係ないよ。
三重:あっ,先生,こんばんは。今日は,第一次世界大戦の勉強をします。
藤原:うん,それじゃあ,早速いこうか。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まず,この辺を勉強する上での注意点は,戦争の前,中,後としっか
   り区別して覚えること。
三重:前と中と後ですか?
藤原:そう,第一次世界大戦自体は,1914年から1918年までだ。でも,日本
   や外国でいろいろな出来事が絡み合っているから,単に覚えるのでな
   く前・中・後をはっきりさせて覚えること。
佳代:ハイ,分りました。それでは,前からやりましょう。
藤原:うん,第一次世界大戦というのは,人類初の本格的な団体戦だ。
三重:団体戦ですか?
藤原:そう,確かに,これまでも,ある国に味方したりということはあった
   けれども基本的には個人戦だった。つまり国と国の戦いだよね。それ
   が何故団体戦になってしまったのかというと,三国同盟と三国協商の
   対立があったからだ。
佳代:三国同盟は,同盟だから,ドイツ,オーストリア,イタリアですね。
三重:何,それ?佳代。
佳代:単に,ド・オ・メ・イだから,ドとオとイを取っただけよ。
三重:な〜んだ,そうやって覚えたの?
佳代:三国協商は,イギリスの風呂。
三重:えーーー,何,それ?
佳代:イギリス,フランス,ロシア。
三重:なるほど,だから,イギリスの風呂なのね。
藤原:まあ,覚え方は自由でいいだろう。ちょっとやり過ぎって感じだけど
   ね(^^)。この三国同盟と三国協商は激しく対立していた,つまり,お
   たがいにらみ合っていたんだ。
三重:にらみ合って,このやろうって感じですね..(^o^)..。
藤原:そう,そこに一発の銃弾が・・・。
佳代:サラエボ事件ですね。
藤原:うん,オーストリア皇太子が暗殺された事件だ。すると,にらみあっ
   ていた連中が一気に爆発した。
佳代:第一次世界大戦の始まりですね。
藤原:そういうことだ。だから,原因は,三国同盟と三国協商の対立,きっ
   かけはサラエボ事件と覚えておけばいい。
三重:なるほど,分りました。次は,中ですね。
藤原:うん,中は,戦いそのものよりも,次のことを覚えてもらいたい。ま
   ずは,日本の参戦。理由は?
佳代:ハイ,日英同盟を結んでいたからです。
藤原:そのとおり。これはよく出るからしっかりね。
三重:先生,戦争しているのはヨーロッパですよね。ヨーロッパまで行った
   んですか?
藤原:まさか,それは無理だよ。旅行じゃないんだから。日本は,ドイツが
   租借していた中国の青島(チンタオ)やドイツ領の南洋諸島などを攻
   め占領したんだ。
佳代:日本にとっては簡単な戦争だったんでしょうね。
藤原:うん,昼寝をしていても勝てる戦争だ(^^)。何と言っても主力軍はヨ
   ーロッパに行ってしまっているんだから。
三重:すると,激しい戦闘はなかったんですね。
藤原:そうだね。ヨーロッパの方は,激しい戦闘が続いている。アジアに強
   い国はいない。すると,どうなったかといえば,日本が,これまで,
   ヨーロッパにいじめまくられていた中国をいじめだしたんだ。
三重:えっ,いじめですか?それって,二十一か条の要求のことですか?
藤原:そのとおり。1915年だから,第一次世界大戦が始まったばかりだよね。
   日本も,ペリーの来航以来,ヨーロッパにいじめられてきたが,富国
   強兵に成功し,日清・日露戦争の勝利もあって,このころは相当な強
   国になっていた。
三重:つまり,いじめられっ子がいじめっ子になったということですね。
藤原:そういうこと。要求を突きつけられた中国は,涙をのんで大部分を認
   めた。これが大戦中の第1点だ。そして,次は,ロシアでおこった革
   命。
三重:ロシア革命ですね。
藤原:そう,指導者は誰だっけ?
佳代:レーニンです。
藤原:正解だ。レーニンが指導する労働者や兵士が革命を起こし,世界で初
   めての社会主義政府が生まれた。このロシア革命が,1917年のことだ。
三重:まだあるんですか?
藤原:うん,日本の出来事が二つ。大戦には直接関係はないんだけれども,
   大戦の終わる1918年に二つの大きな事件がおきている。
佳代:一つは米騒動です。
藤原:そう,富山の漁村の主婦が中心となって起きた米騒動は,全国に波及
   した。そして,騒動は鎮圧したものの,そのときの寺内内閣は倒れた。
佳代:はは〜ん,そこで出てきたのが原敬ということですね。
藤原:そのとおり,日本で初めての本格的政党内閣である原敬内閣が成立し
   たんだ。ここまでが,第一次世界大戦中の出来事だ。
三重:なるほど,今までは,いつのことかはっきり覚えていませんでした。
   すると大戦後は?
藤原:1919年の出来事だね。1月からパリで講和会議が開かれる。そして,
   後にベルサイユ条約が結ばれるわけだけど,その年に,数字のついた
   出来事が,アジアで二つおこる。
佳代:三・一事件と,五・四運動ですね。
藤原:そうだね。朝鮮で起こったのが,三・一事件,三・一運動でもいい。
   とにかく,日本からの独立を叫んだ。そして,五・四運動は,中国。
   二十一か条の要求の取り消しなどを叫んだ。
三重:日本のバカやろうって感じですね。
藤原:そう,どちらも,排日運動だよ。それから,インドでは,ガンジーの
   非暴力・不服従運動も始まった。
佳代:確か,イギリスが約束を守らなかったんですよね。
藤原:うん,イギリスは戦後に自治を約束していたのに果たさなかった。そ
   こにガンジーが出て来るんだ。暴力はふるわないけど,言うことも聞
   かないよという運動だ。
三重:なるほど,そういう手もあるんですね。
藤原:最後に国際連盟を覚えておこう。
佳代:世界で最初の国際機関ですね。
藤原:そう,ベルサイユ条約に基づいてスイスのジュネーブに本部が置かれ
   た。でも,大切なのは,この機関を作ることを提唱した人だ。
佳代:ウィルソン!
藤原:OK。このアメリカの大統領は,全国高校入試問題で一番よく出る人
   物に輝いたことがある。絶対に忘れないでね。
三重:分りました。大戦の前,中,後をしっかり区別して覚えます。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 第一次世界大戦前

・三国同盟(ドイツ,オーストリア,イタリア)と三国協商(イギリス,フ
 ランス,ロシア)の対立 → サラエボ事件で勃発。

● 1914年 第一次世界大戦始まる

● 第一次世界大戦中

1915年 21か条の要求

1917年 ロシア革命

1918年 米騒動起こる→日本で最初の本格的政党内閣が出来る(原敬)

順番も絶対。特に,1918年。米騒動の後に原敬内閣が出来る。

1918年 第一次世界大戦終わる

● 第一次世界大戦後

1919年 三・一運動(朝鮮)

1919年 五・四運動(中国)

1919年 ベルサイユ条約

1920年 国際連盟の成立(アメリカ大統領ウィルソンの提唱)


注意1.三国同盟のイタリアは,トラブルがあり,同盟国側で戦いませんで
    した。
注意2.アメリカは,議会の反対もあり,国際連盟に加盟しませんでした。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 35  
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■■ 今回は,第二次世界大戦を勉強します。
■■

三重:ねぇ,佳代,なんで,第一次世界大戦が終わって,たったの20年で,
   また戦争しちゃたのかな?
佳代:そうねぇ,やっぱり世界恐慌からすべてが狂ったんじゃないかな?
三重:世界恐慌ねぇ・・・。
佳代:多分,第一次世界大戦の反省から,もう戦争はコリゴリだってことで
   国際連盟を作ったり,軍縮会議を開いたりしたけど,恐慌が起きて,
   予定が狂ちゃったのよ。
藤原:そうだね,君たちだって,ちょっとしたことでやる気がなくなること
   があるだろう?
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:世界恐慌は,資本主義経済の欠点が露呈した出来事だ。人類初体験の
   出来事と言ってもいい,だから,大混乱に陥ったんだ。
佳代:まずは,ニューヨークのウォール街で株が大暴落したことから始まり
   ましたね。
藤原:そうだったね。1929年10月24日。佳代ちゃんの誕生日と同じだったね。
三重:あっ,思い出しました。私のメルマガでニューヨークをやったときに
   佳代が乱入して言ってました。
佳代:ふふふ,思い出したわね,三重。
藤原:うん,まあ,それはいいとして,それをきっかけとして,世界中に不
   景気の嵐が吹きまくった。
三重:原因は何ですか?
藤原:うん,簡単に言うと物余りだ。生産が多くなりすぎた。資本主義経済
   にとって物余りは致命的なんだ。
三重:つまり,物を作っても買う人がいなくなってしまったということです
   か?
藤原:まあ,簡単に言うとそういうことだ。例えば机を作るとする。作るに
   は金がかかるよね。
三重:ハイ,材料費がかかります。
藤原:それに人件費や諸経費だ。作るための設備にも金がかかっている。順
   調に売れてはじめて利益が出るわけだ。ところが,せっかく作ったの
   に買う人がいなかったらどうだろう。
三重:大損です。
藤原:そうなんだ。恐慌が起きた原因は,生産過剰なんだ。物はたくさんあ
   るのに売れない。ということは,しばらくは作っても仕方がない。す
   ると作る人もいらないということになる。
佳代:悪循環ですね。
藤原:そして,弱い企業は倒産する。倒産はしなくとも生産を減らすわけだ
   から大量の失業者が出るということになる。
三重:なるほど。
藤原:そして,失業者は,給料がもらえないから,消費を減らす。すると,
   ますます,物を買う人が減るから,ますます物が余る。
佳代:最悪ですね。
藤原:そこで,各国がこの恐慌に対応することになる。まずは,アメリカだ。
三重:知ってます。ニューディール政策でしょ。
藤原:そのとおり。アメリカ大統領のフランクリン=ルーズベルトがやった
   ニューディール政策だ。それまでのアメリカ経済は自由放任の経済だ
   った。それに政府が干渉を加え,景気の回復に努めたんだ。
三重:例えばどんなふうにですか?
藤原:うん,簡単に言えば公共事業を行ったんだ。日本でも,道路工事など
   公共事業をやっているよね。
三重:ハイ。
藤原:公共事業とは,国や自治体がやる事業のことだけど,当然,人が必要
   になる。
三重:つまり,失業者を救うということですか?
藤原:そういうこと。すると,失業者は,仕事にありつけるから給料が入る
   よね。すると,物を買う余裕も出る。
佳代:さっきと反対ですね。
藤原:そうなんだ。物が売れれば,企業も生き返る。だんだん好転してくる
   ことになる。
三重:なるほど,いい考えですね。
藤原:うん,まあ,最近では余り効果がないらしいけれども,当時は,相当
   効果があった。ほかにも,農業の生産を制限して,余ったものを政府
   が買い上げたりして,ニューディール政策は効果を上げた。
三重:恐慌を乗り切ったんですね。
藤原:そういうこと。そして,イギリスやフランスでは,ブロック経済とい
   う方法を取った。
三重:ブロック経済って何ですか?
藤原:うん,ブロック経済とは,本国と植民地の間で貿易を拡大して自給自
   足をはかるという方法だ。外国製品をブロックしてね。
佳代:イギリスやフランスは植民地が多かったからできた政策ですね。
藤原:そういうこと。では,植民地の少なかったところはどうしたかという
   と,うまく対応できなかったんだ。そこで生まれたのがファシズムだ。
佳代:ドイツやイタリアですね。
藤原:そう,これが第二次世界大戦につながっていくというわけだ。
三重:ファシズムって何ですか?
藤原:うん,全体主義ともいう。軍国主義的な独裁政治のことだね。世界恐
   慌を乗り切るために戦争によって打開しようとしたのが,ドイツやイ
   タリアなんだ。
三重:ヒトラーなら知ってます。
藤原:うん,ドイツのナチスの総統だったヒトラー。彼が,第二次世界大戦
   の主役になる。また,イタリアのファシスト党の党首は誰だっけ?
佳代:ハイ,ムッソリーニです。
藤原:そうだね。ファシストの代表的な二人だ。
三重:日本はどうだったんですか?
藤原:日本も同じだね。結局ファシズムに走ることになる。そして,この3
   国が,日独伊三国軍事同盟を結成したことを知っているね。
佳代:もちろんです。そして,第二次世界大戦を戦うことになります。
藤原:日本のことは,次回やることにして,第二次世界大戦を見ていこう。
佳代:ハイ,1939年に,ヒトラーは,東のポーランドに侵入を開始したとこ
   ろから始まります。
藤原:うん,このヒトラーの侵入に対して,フランスやイギリスが宣戦布告
   し大規模な戦いが始まった。ポーランドという国は,東はソ連,西は
   ドイツという強国に挟まれてたいへんだったんだ。だから,ドイツが
   攻めてきたら,イギリスさん,フランスさん助けてよって感じでお願
   いしてあったんだ。そこに,ドイツの攻撃を受けたので,イギリスも
   フランスも立ち上がったということだ。
佳代:でも,ポーランドはあっという間に,ドイツとソ連に分割されてしま
   いました。
藤原:そうだったね。ここで,一つ覚えておいてもらいたいことがあるんだ
   けれども,ソ連という国は,世界恐慌の影響をほとんど受けず,経済
   が成長した国なんだ。
三重:えっ,どうしてですか?
藤原:うん,最初に言ったとおり,世界恐慌というのは,資本主義経済の矛
   盾が出たことにより起きたわけだ。
三重:あっ,ソ連は社会主義でしたね。
藤原:そういうこと。社会主義は,国家の計画経済だから,恐慌は起きない
   ということだ。
佳代:なるほど,分りました。そして,ドイツは,1940年には,ノルウェー
   や,オランダ,デンマークを占領し,パリまで占領して,フランスを
   降伏させました。
藤原:うん,すごい勢いだった。そして,同年,先ほど言った日独伊三国軍
   事同盟を結び,翌年には,ソ連への攻撃を開始することになる。
三重:ヒトラーの大暴れですね。
藤原:そう,世界を震撼させた大暴れだった。しかし,1943年にスターリン
   グラードの攻防戦でドイツが敗れると,戦いは,次第に連合国側に有
   利になっていったんだ。
佳代:連合国は,イタリア本土に攻撃しましたね。
藤原:そう,そして,ムッソリーニが失脚し,まず,イタリアが降伏した。
   後にドイツも,連合国のノルマンジー作戦により,はさみうちになり,
   ベルリンを占領,降伏することになった。
佳代:口で言うのは簡単ですけど,ものすごい戦いだったみたいですね。
藤原:確かに。その証拠に第三次世界大戦は起きていない。それだけ,人類
   に衝撃的な出来事だったのだろう。でも,局地的な戦争は,今でも絶
   えることはない。悲しいけれども,それが現実なんだ。
佳代:分りました。次回は,もう一つの主役,日本について勉強します。
藤原:そうだね。今回の内容をよく覚えておいてね。
三重:分りました。次回までによく復習しておきます。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 世界恐慌

・1929年,ニューヨークウォール街で株が大暴落したところから始まる。

・アメリカの対応:ニューディール政策(フランクリン=ルーズベルト)

・イギリス・フランスの対応:ブロック経済

・ソ連:社会主義経済のため,ほとんど影響を受けず。

・ドイツ,イタリア:ファシズムに走る

  ・ドイツ(ナチス)ヒトラー

  ・イタリア(ファシスト党)ムッソリーニ

● 第二次世界大戦(1939年〜1945年)

1939年   ドイツのポーランド侵入→大戦の始まり

1940年6月 ドイツ軍,パリを占領→フランスの降伏

1940年9月 日独伊三国軍事同盟の結成

1941年   ドイツ,ソ連への攻撃開始

1943年2月 スターリングラードの攻防戦でドイツ敗れる

1943年9月 イタリア降伏

1944年   連合国がノルマンジーに上陸

1945年5月 ドイツ降伏 

1945年8月 日本の降伏


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