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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 211
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■■ 今回は「日本の内閣−41」を勉強します!
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三重:佳代、やっぱり小泉さんが再選されちゃったね。
佳代:そうね。下馬評どおりというところかな。
三重:それにしても、安倍さんが幹事長!これにはビックリ。
藤原:本当に、驚かせるのがうまい人だね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:小泉さんは、人事の天才だって言った人がいたけど、本当にイメー
   ジ作りがうまい人だ。後は、政策と実行力だね。
佳代:ホントですね。がんばってほしいです。
藤原:そうだね。今回は、中曽根内閣の次の竹下内閣をやる。
三重:やっぱり、総裁選をやって勝ったのですか?
藤原:いや、この内閣を決めるときは、選挙をやらなかった。
三重:え!じゃあ、どうやって決めたのですか?
藤原:最終的には、中曽根さんの指名で決まったんだ。
佳代:前の総裁が後継を指名したのですか?
藤原:そう。当時、竹下登、宮沢喜一、安倍晋太郎と3人の候補がいても
   めていた。
三重:何故、選挙をやらなかったのですか?
藤原:理由は、いろいろあるだろうけど、いわゆる、三角大福中が、骨肉
   の争いをしたのに、結局、みんな総理になった。だから、選挙で遺
   恨を残しながらやるよりも、順番にやろうという雰囲気があったん
   だ。問題は、誰が先にやるかということだった。
佳代:3人とも実力者だったのですね。
藤原:そういうこと。誰もが「お先にどうぞ」とは言えない状態で、結局、
   中曽根さんに一任されたんだ。
佳代:その結果、竹下さんですか。
藤原:そのとおり。選挙をやれば、たぶん竹下さんになったと言われてい
   る。そういう意味では妥当な判断だったと思う。
三重:この内閣では、特別なことがあったのですか。
藤原:たくさんあったよ。まずは、昭和天皇の崩御。そのため、昭和が終
   わり、平成になった。
佳代:変わり目は、竹下内閣のときだったのですね。
藤原:そう。そして、最大の目玉は、消費税の導入だ。
三重:これも、竹下さんのときだったのですか。
藤原:そうだね。これまでも、大平内閣や中曽根内閣で試みたが、うまく
   行かなかった。しかし、大きな大きな抵抗の中、成立し、現在に至
   っている。税率は、3%だったけど。
三重:やっぱり、抵抗勢力がいたのですか。
藤原:というよりも、国民の反対がものすごかった。それは、そうだよね。
   新しい税金を喜ぶ人はいないから。でも、あまりにも、直接税に頼
   りすぎてバランスが悪かったので、この判断は、間違いでなかった
   と思うよ。
三重:でも、やですよね。わたしたちまで払わされているのですから。
藤原:まあ、子供でも国民には違いないから、そのぐらいは、仕方ないよ。
   でも、竹下さんにとって、致命的な事件がおきた。
佳代:リクルート事件ですね。
藤原:そう。この事件で、政界の多くの人が関与していたため、大混乱と
   なった。
三重:賄賂だったのですか?
藤原:うん。ただし、現金ではなく、値上がり確実な未公開株を渡すとい
   う、それまでになかった事件だ。
佳代:つまり、株を安く買って、結果的に儲けさせたということですか?
藤原:そういうこと。安くとも、実際に株を買うわけだから、政治家の中
   にも賄賂意識がなかった人もいたみたいだ。普通に株を買う感覚で
   ね。でも、その株は、いずれ公開され、大幅に儲かることはわかっ
   ていた。結局、賄賂と認定された。
三重:それで辞めることになったのですね。
藤原:そう。でも、辞めた後も、強い力を持って政界を支配したと言われ
   ている。亡くなられた後でも、影響があったといわれたぐらいだ。
   少なくとも、平成時代の初期は、竹下時代と言っていいだろう。
佳代:わかりました。先生、今日は、ありがとうございました。

第74代 竹下 登(たけした のぼる)1987-1989


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 212
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■■ 今回は「日本の内閣−42」を勉強します!
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三重:ねぇ、佳代。いよいよ、内閣編も終わりに近づいてきたね。
佳代:そうね。後、2、3回かなぁ〜。
三重:何だかんだと、1年近くやっているのね。
藤原:そうだね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:明治以降は、内閣を中心に勉強するとまとめやすいよね。そういう意
   味でも内閣編は意義があったよ。
佳代:そうですね。すでに平成に入っていますから、歴史としての内閣の勉
   強は、ほぼ終了していますね。
藤原:そうだね。でも、まだまだ波乱はある。あと少しだから、小泉さんま
   で、がんばっていこう。
三重:わかりました。今回は誰ですか?
藤原:宇野内閣だ。ものすごく短命の内閣。
佳代:どうして短命に終わったのですか?
藤原:実は、女性問題なんだ。
三重:えっ!女性問題?
藤原:うん。前任者の竹下さんが、リクルート事件で退陣したから、リクル
   ートから株をもらっていないクリーンな人物ということで宇野さんが
   選ばれた。
三重:そこまではよかったのですね。
藤原:そう。しかし、自分自身の女性スキャンダルに巻き込まれ、窮地に立
   たされた。おまけに参議院選挙で、保革逆転という事態に陥った。
三重:保革逆転って何ですか?
藤原:保革の「保」は保守政党、「革」は革新政党のこと。具体的にいえば、
   自民党が過半数を割ったということだ。これで、自民党は、益々、窮
   地に追い込まれた。そこで登場したのが、若手の海部俊樹だ。
佳代:イメージを一新しようとしたのですか?
藤原:それもあるね。海部さんと言えば、弁論の達人としてならした人だし、
   三木内閣の時には内閣官房副長官を務め、強気な発言で、スト権スト
   を撃破した実績を持っていた。
三重:今で言う安倍さんみたいな感じですか。
藤原:ある面では、似ているね。ただ、この頃、総裁候補は、皆、リクルー
   ト事件に関係していたから、しばらくはダメ。そんな状況で、若くて
   清新なイメージがあった海部さんに回ってきたんだ。
三重:ラッキーだったのですね。
藤原:まあね、そのときの海部さんにとってはね。何もなければ、続いてい
   たはずの竹下内閣が倒れ、リリーフの宇野内閣が不覚を取るという二
   重、三重の幸運があったことは事実だ。
佳代:確か、この頃、湾岸戦争があったのですよね。
藤原:そのとおり。湾岸戦争は、海部内閣のときに起こった。今年のイラク
   戦争とは違い、イラクが突然、隣国のクウェートに侵攻したので、ア
   メリカ中心の国連軍が攻め込み、クウェートを回復した。
佳代:難しい問題ですが、今回の戦争と、かなり違いますね。
藤原:違うね。あの時は、誰が見ても、明らかにイラクに非があった。だか
   ら、今のような泥沼にならなかった。
三重:日本は、何をしたのですか?
藤原:うん。今でも語られているように、総額120億ドル の経済援助をした。
   しかし、金だけ出して人を出さなかったので、国際的に非難を受けた。
三重:えー、120億ドル って1兆円以上ですよね。それで非難を受けたので
   すか?
藤原:そのとおり。命を懸けて戦うことに比べたら、お金だけというのは評
   価されなかったのだろう。この問題は、今に引きずっている。
佳代:でも、憲法問題もありますし、無理だったではないですか?
藤原:そうだね。しかし、そのような事態に対する心の備えがなかったこと
   は事実だろう。ある意味、平和ボケだったといわれても仕方がない。
   だから、今回のイラク戦争では、自衛隊を出すことに執念を燃やして
   いる。
三重:わたしは反対ですね。
藤原:そうだね。賛成、反対、双方に言い分があると思う。でも、これは、
   ものすごく大きな問題だ。軽々に語ることは許されない。今後の国会
   の動きなどもよく見ておく必要がある。
佳代:そうですね。しっかり見守りたいと思います。
藤原:湾岸戦争のときは、戦争終結後、海上自衛隊がペルシア湾に派遣され、
   魚雷を取り除く作業で貢献した。確かに、危険は少なかったかもしれ
   ないけど、確実に貢献している。けっして金だけ出したのではない。
   その辺は、見落としてはならないと思う。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

第75代 宇野 宗佑(うの そうすけ)1989-1989
第76代 海部 俊樹(かいふ としき)1989-1990
第77代 海部 俊樹(かいふ としき)1990-1991


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 213
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■■ 今回は「日本の内閣−43」を勉強します!
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三重:佳代、いよいよ衆議院が解散したね。
佳代:そうね。政権選択選挙。どうなるのかなぁ〜?
藤原:注目だね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:これから、日本列島、総選挙モードに入る。勉強になるから、新聞や
   テレビなどをチェックしてね。
三重:わかりました。今日は、最近、話題になっている宮沢さんです。
藤原:そうだね。中曽根さんと宮沢さんが、比例区の73歳定年制の例外にす
   るかどうか問題になっているね。
佳代:そうですね。どうなるやら。
藤原:とりあえず、それは、置いておいて、リクルート事件に関与していた
   宮沢さんが、総理になれたのは、YKKの力が大きな役割を果たした。
三重:YKK?何ですか、それは?
藤原:うん。Yは、山崎拓現副総裁、それに、Kは、小泉首相で、もう1つ
   のKは、加藤の乱で議員辞職した加藤紘一元幹事長のことだ。
三重:それで、そのYKKは、何をしたのですか?
藤原:いわゆる、海部降ろし。つまり、海部首相を引きずりおろしたんだ。
佳代:そんなことがあったのですか。
藤原:そうだね。裏の事情は、いろいろあったと思うけど、とにかく、海部
   さんから宮沢さんにバトンタッチすることになる。
三重:まだ、10年ちょっと前の出来事ですね。
藤原:そう。そして、宮沢内閣は、PKO法を成立させ、自衛隊の海外派遣
   が可能になった。
佳代:そして、カンボジアに行ったのですね。
藤原:そういうこと。以後、いくつかの国へ派遣されることになる。
佳代:この頃の景気はどうだったのですか?
藤原:実は、宮沢さんは、資産倍増論というのを唱えていた。地上げ屋が、
   不当に土地の値段を上げていた時代だったので、地上げ屋が「ついに
   俺たちも認められたのか!」と言ったと皮肉った人もいるぐらいだ。
三重:つまり、景気が良かったということですか?
藤原:そのとおり。当時は、平成景気と呼ばれていた。しかし、度重なる公
   定歩合の引き下げにより、バブルが崩壊し始める。
佳代:この頃なのですね。バブルの崩壊は。
藤原:そう。だから、宮沢内閣は、日本経済にとっても、岐路となった内閣
   といっていい。おまけに、1955年以来続いてきた自民党の一党支配に
   終止符を打つことになる。
三重:どうしてですか?
藤原:うん。自民党が分裂し、新生党が作られ、選挙に大敗したからだ。く
   しくも自民党15代の総裁のときに、政権を失うことになった。
三重:15代ですか!江戸幕府と同じじゃないですか!
藤原:そう。室町幕府とも同じだね。とにもかくにも、宮沢内閣は、日本の
   歴史に残る内閣なった。この時期に何が起きたのか、未来の歴史家は、
   徹底検証することになると思うよ。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

第78代 宮沢 喜一(みやざわきいち)1991-1993


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 214
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■■ 今回は「日本の内閣−44」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。政治家って、本当に選挙になるとすごいわね。
佳代:本当ね。落ちてしまえばただの人だから。
藤原:本当だね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:普段の政治も、選挙のときのような気迫でやってもらえるといいんだ
   けどね。
佳代:そうですね。もちろん、一生懸命やっているとは思うのですが、当選
   してしまうと何か物足りなくなります。
藤原:そうだね。特に、今は、難問が山積しているのだから、がんばってほ
   しいものだ。
三重:そうですね。政治家のみなさん、がんばってくださ〜い!
藤原:さて、今日は、10年前の歴史的な内閣をやろう。
三重:歴史的な内閣ですか?
藤原:そう。前回も言ったように、ついに、政権交代という、日本の常識で
   は考えられなかったことが起きてしまった。
佳代:細川内閣ですね。
藤原:そうだね。長い間、自民党は、細かいことはともかく、日本を正しい
   方向に進めてきた。だから、国民は、何だかんだ言っても自民党に政
   権を任せてきた。しかし、この頃は、相次ぐ汚職や消費税の導入など
   で、自民党政治に愛想をつかせていたし、自民党自体が分裂してしま
   った。
佳代:それが、小沢さんたちの新生党ですね。
藤原:そう。それに、新党さきがけとか、細川さんの日本新党など、新しい
   政党もたくさんできた。しかし、本気で、政権交代が行われると思っ
   ていた人は、ほとんどいない状況だった。
三重:それは、すごいですねぇ。
藤原:あの時は、本当にビックリしたね。もしかして、という思いはあって
   も、まさかとしか思えなかった。
三重:何故、細川さんが首相になったのですか?
藤原:詳しいことはわからないけど、細川さんは、血筋のいい人だし、新政
   権の看板として最もふさわしいという判断からだろう。
三重:血筋って、どういうことですか?
藤原:細川さんは、今、テレビでやっている武蔵にも登場している細川忠興
   の子孫だし、母の父は、近衛文麿だ。
佳代:そうですね。近衛さんの孫ということは、藤原家筆頭ということで、
   ものすごい歴史を感じますね。
藤原:そうだね。だから、「殿」なんてニックネームがあった。それに、独
   特の雰囲気を持つ人だった。しかし、新政権は、共産党を除く、非自
   民による連立政権だったから、苦労が多かった。
佳代:それで、最後は投げ出すようにやめてしまったのですね。
藤原:そうだね。その辺が近衛さんに似ているという指摘があったぐらいだ
   けど、あれだけ違う考えの人間を束ねることは、並大抵のことではな
   いし、連立している政党にとっても政権は初体験だから混乱が生じる
   のは仕方がないことだったと思う。
佳代:そのときに、土井たか子さんが、女性としてはじめて衆議院議長に就
   任したのですね。
藤原:そういうこと。これも、歴史的な出来事の1つだね。また、この年は、
   今年のような冷夏で米不足になり、外国から輸入しなければならない
   ことになった。そういう意味で、今年も政権交代があるのではという
   人もいる。
三重:そうですね。1ヵ月後にわかります。
藤原:うん、前回は、はじめての体験だったけど、今回は、経験者も多数い
   るから、もし、そのような事態になった場合、前回とは違うだろう。
   どちらにしても、1955年以来続いた自民党の一党支配が崩壊したとい
   うことで、歴史的意義の大きい内閣だったといえる。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第79代 細川護煕(ほそかわもりひろ)1993-1994


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 215
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■■ 今回は「日本の内閣−45」を勉強します!
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三重:佳代、ついに藤井総裁が解任されたみたいね。
佳代:そうね。随分もめたみたいだけど。
三重:選挙に影響するかな?
藤原:わからないね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:最近は、よくニュースを見ているようだね。
三重:ハイ。結構、政治が面白くなりました。
藤原:それは、よかった。とりあえず、軽くでいいから、テレビや新聞で
   ニュースを見ておいてね。何年か経てば、選挙権を持つわけだから。
佳代:わかりました。今日は、羽田内閣からお願いします。
藤原:わかったよ。まず、この羽田内閣は、きわめて短命の内閣だった。
三重:どうしてですか?
藤原:うん。連立を組んでいた社会党が離脱してしまったため、少数与党
   になってしまったんだ。そうなると、何もできない。わずか2ヶ月
   でおしまい。
佳代:その後、自民党が、社会党と組んで連立政権を作ったのですね。
藤原:そう。新党さきがけを加え、自社さ政権が生まれた。そして、総理
   大臣として社会党の村山さんが選ばれた。
三重:知っています。まゆげが長〜い、総理ですね。
藤原:そうだね。本来は、宿命のライバルといわれた自民党と社会党が組
   んだわけだから、日本もおかしくなった。それだけでなく、大事件
   が次々起こった。
佳代:1つは、阪神大震災ですね。
藤原:そのとおり。もちろん、起こったのは、村山さんの責任ではないけ
   ど、危機管理能力が問われた。そして、最悪の事件、地下鉄サリン
   事件がおきる。
佳代:これは、テロといってもいいのですね。
藤原:そのとおり。明らかなテロだろうね。とにかく、日本の混乱を象徴
   するような事件だった。
佳代:政権がころころ変わって不安定だったからですか?
藤原:それもあるね。それに、政治家自体がふらふらしていた時代とも言
   える。
三重:何とか勝ち組に乗ろうとしていたからですね。
藤原:そう。頑として、自分の立場を貫こうとした政治家もいたけど、あ
   っちふらふら、こっちふらふらというものも少なくなかった。
佳代:それで、突然、辞めることになるのですね。
藤原:そう。そして、社会党自体も、揺れに揺れてしまうことになる。政
   権党になったがゆえに、力を弱めてしまった。
佳代:それで、社民党になったわけですね。
藤原:そうだね。このころだね。どちらにしても、片山哲以来の社会党の
   総理ということで歴史的な内閣だけど、実際は、自民党と組んだた
   め、路線を変更せざるをえなくなった。自らの首を絞めたと言って
   いいだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

第80代 羽田 孜(はた つとむ)   1994-1994
第81代 村山富市(むらやま とみいち)1994-1996


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