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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 206
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■■ 今回は「日本の内閣−36」を勉強します!
■■

三重:佳代、今、自民党総裁選がどうのこうのって騒がれているよね。
佳代:そうね。
三重:また、総理大臣が変わっちゃうのかな?
佳代:う〜ん、どうかなぁ〜。
藤原:難しいところだね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:君たちも、政治に興味が出てきたのかい?
三重:そうですねぇ〜、ちょっとだけ。
藤原:これまでだったら、総裁選で、小泉さんが再選されるか、他の人にな
   るかで、次の総理が決まるよね。でも、今回は、それだけではわから
   ない。
三重:えっ、どうしてですか?
藤原:例の民主党と自由党の合併があったよね。もし、衆議院総選挙で、過
   半数を取れば、政権が交代することになる。
佳代:そうなったら、総理は、菅さんということですね。
藤原:たぶんね。どちらにしても、9月、10月に大きな動きがあるかもしれ
   ないから注目してね。
三重:わかりました。もし、総理が変わったら、内閣編も延びてしまいます
   ね。
藤原:そうだね。でも、変わったばかりでは、勉強もできないから、とりあ
   えず、このシリーズは、小泉さんで終わりにするつもりだよ。
佳代:わかりました。それじゃあ、先生、今日は、三木内閣をお願いします。
藤原:うん。田中角栄内閣が、いわゆる金脈問題で退陣した後、白羽の矢が
   立ったのが、三木さんだ。
三重:選挙はしなかったのですか?
藤原:そうだね。当時は、今のような総裁選は行われていない。三木さんは、
   派閥が小さく、普通なら総理になれるはずがなかったのだけど、クリ
   ーンなイメージがあったので、総理に推されたんだ。
佳代:そうですね。お金の問題で退陣した後ですから、クリーンな人を選ぶ
   のはいいことだと思います。
藤原:うん。そして、この内閣のとき、沖縄海洋博覧会が開かれた。それか
   ら、とんでもない大事件がおきることになる。
三重:どんな事件ですか?
藤原:ロッキード事件だ。
三重:あっ、知っています。名前だけは。
藤原:うん。この事件は、アメリカの航空機メーカーのロッキード社から、
   前総理大臣、田中角栄らが、わいろを受け取ったという事件だ。
佳代:日米を巻き込む大事件ですね。
藤原:そう。この事件は、いろいろな憶測もある。軽々しくはいえないけど、
   アメリカの思惑も大いに関係していたように思われる。
三重:そんなに複雑な事件なのですか?
藤原:そうだね。ここでは言わないけど、世間一般に知られているよりもず
   っとずっと奥の深い事件らしい。どちらにしても、この事件をクリー
   ンな三木首相は、徹底的に捜査させ、結局、田中角栄は逮捕されるこ
   とになる。
三重:それは、すごいですね。総理大臣が逮捕されてしまうなんて。
藤原:まあ、外国では、よくあることだけどね。
佳代:そうですね。韓国などは、大統領が変わるたびに、前の大統領が逮捕
   されるってイメージがあります。
藤原:そうだね。当時の日本では、非常にビックリする出来事だったけど、
   三木さんならではのことかもしれない。どちらにしても、このような
   自民党に嫌気を指して飛び出した集団がいた。
三重:集団?
藤原:新自由クラブだ。
三重:クラブ?
藤原:そう。政党の名前だけど、敢えて、クラブという名前でフレッシュな
   イメージを作りたかったみたいだ。党首は、河野洋平。
佳代:えっ、河野洋平って、この前、息子さんから肝臓の一部をもらって手
   術した人ですか?
藤原:もちろんだよ。彼は、後に、自民党に戻って、総裁になった。しかし、
   当時、政権交代が起きていて、自民党は野党だったので、総理は経験
   していない。自民党の総裁で、唯一、総理未経験者だ。その河野洋平
   が、若かりし頃、作った政治集団だ。
佳代:そうでしたか。そんな時代もあったのですね。
藤原:そのとおり。今度の総裁選でも、場合によっては出るかもしれないか
   ら注目しておこう。
三重:わかりました。
藤原:話を、三木さんに戻すと、残念ながら、党内での力が今ひとつだった
   ため、最後は、政権の座から引きずりおろされることになる。しかし、
   今でも尊敬している人が多いようだ。立派な政治家だったと思う。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第66代 三木 武夫(みき たけお) 1974-1976


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 207
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■■ 今回は「日本の内閣−37」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代、今日勉強する福田赳夫って、テレビによく出る福田康夫
   さんのお父さんよね。
佳代:そうよ、官房長官だから、しょっちゅう出るのよ。
三重:官房長官って何?
佳代:えーっと、確か、内閣の・・・。
藤原:スポークスマンだよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:正確には、内閣官房長官。内閣総理大臣を補佐する事務官の長のこと
   だ。内閣のスポークスマンとして、政府の意見を報道関係に発表する
   のも官房長官の仕事だ。
佳代:スポークスマンって、代弁者という意味ですね。
藤原:そう。今の官房長官が福田さん。そして、今日、勉強するのが、その
   福田さんのお父さんの福田赳夫内閣だね。
三重:ハイ。
藤原:それじゃあ、はじめよう。
三重:お願いします。
藤原:まず、福田さんといえば、エリート中のエリートとして有名だ。
佳代:あっ、聞いたことがあります。東大をトップで卒業したとかいう。
藤原:うん。トップかどうかは知らないけど、トップクラスで卒業し、大蔵
   省に入った。
佳代:いわゆるエリート官僚ですね。
藤原:そういうこと。当時、ライバルだった田中角栄が中卒だったことを考
   えると、経歴は、桁違いだった。
三重:でも、ライバル対決は、田中さんに軍配が上がったわけですよね。
藤原:そうだね。田中さんが、いかにずば抜けた実力者だったかわかるだろ
   う。
三重:ホントです。
藤原:しかし、福田さんも、すごい実力者だった。特に経済政策に優れてい
   たといわれる。当時、内需拡大をかかげて、円高不況や貿易黒字問題
   などに対処した。
三重:経済に強かったのですか?今の日本にほしいですね。
藤原:そうだね。それから、この内閣での目玉とも言える実績として、日中
   平和友好条約が結ばれたことがあげられる。
佳代:中国と正式に条約を結んだのですね。
藤原:そう。ライバルの田中角栄内閣のときに、日中共同声明が出され、中
   国と国交を回復し、福田さんのときに平和条約だ。
三重:なるほど、ライバル同士で、奇遇ですね。
藤原:そうだね。他にも、200海里漁業専管水域 が取り決められている。ま
   た、この内閣のとき、野党の方でも動きがあった。
三重:野党ですか?
藤原:そう。政権を担当している政党が与党で、担当していない党が野党だ
   よね。
三重:知っています。公民で習いました。
藤原:うん。当時、野党第一党の社会党で反乱がおきた。社会党では国は変
   わらないということで、田英夫や江田五月らが社会民主連合を結成す
   ることになる。
佳代:三木内閣では、自民党から新自由クラブが生まれたように、福田内閣
   のときに野党の社会党から社会民主連合が生まれたということですね。
藤原:そういうこと。今も、若手の政治化が目立ち始めてきた、この頃に似
   ているかもしれないよ。これからの政治の動きには注目してね。
三重:わかりました。テレビのニュースを見るようにします。
藤原:そんな福田さんも、自民党の総裁選挙で敗れ、大蔵省の後輩である大
   平正芳と交代することになる。しかし、90を過ぎても、シャキッとし
   た姿で意見を述べている姿は、プロの政治家だなと感じたものだよ。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第67代 福田 赳夫(ふくだ たけお) 1976-1978


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 208
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■■ 今回は「日本の内閣−38」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。自民党の総裁選って、何か荒れてる感じがするよね。
佳代:そうねぇ。橋本派は、分裂したみたいだし・・・。
藤原:おう。随分、難しいことを話しているねぇ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:君たちも、総裁選に関心があるみたいだね。
三重:ハイ。前は全然なかったのですが、最近、内閣の勉強をしているので。
藤原:そうだね。ちょっとだけ新聞やニュースを見ればいいんだからね。
佳代:そうですね。それに、インターネットがあります。
藤原:うん。そういう意味では、いい時代になったね。何でもすぐに調べら
   れる。
三重:そうですね。それじゃあ、今日は、大平内閣からお願いします。
藤原:わかったよ。大平さんって人は、すごく個性的な人だった。
佳代:どんな感じなのですか。
藤原:何と言うか、答弁では、あ〜、う〜といいながら、何を言っているの
   かわからないんだ。
三重:えー、どういうことですか?
藤原:本当は、大平さんは、能弁家だったらしいのだけど、テレビで見る印
   象は、本当に、あ〜、う〜を繰り返している政治家に見えた。
佳代:先生、さっぱりわかりません。
藤原:うん。これは、大平さんの作戦だったらしいんだ。野党の追及などが
   合った場合、あ〜、う〜と言っているうちに、相手があきれて、追及
   する意欲がなくなってしまったらしいんだ。
三重:へぇ〜、そんな総理がいたのですか。
藤原:そうだね。立ったまま眠っていたというエピソードすらある。相当な
   大人物だったらしい。
佳代:それは、すごいですね。
藤原:そうだね。大平内閣では、日本で、はじめて開かれた東京サミットが
   あったりしたけど、何といっても、劇的な事件が起こる。
三重:何ですか?
藤原:うん。内閣不信任案が可決してしまったんだ。
三重:不信任案ですか?
藤原:そう。当時は、自民党単独政権の時代だから、野党は、よく内閣不信
   任案を出した。でも、たいていは否決されていた。ところが、このこ
   ろ自民党内部に対立があり、福田赳夫らが欠席したため、可決されて
   しまったんだ。
三重:それは、ビックリしたでしょうね。
藤原:そうだね。だから、ハプニング解散などと呼ばれている。
佳代:それで、どうなったのですか?
藤原:うん。はじめての衆参同時選挙となったのだけど、何と選挙中に、大
   平さんが急死してしまったんだ。
三重:え!選挙中に死んじゃったのですか!
藤原:そう。これは、更なる衝撃だった。しかし、弔い合戦ということで、
   選挙の方は、自民党が大勝することになる。どちらにしても、同時代
   の人には、最も印象的な総理の一人だと思うよ。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第68代 大平 正芳(おおひらまさよし)1978-1979 <第1次>
第69代 大平 正芳(おおひらまさよし)1979-1980 <第2次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 209
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■■ 今回は「日本の内閣−39」を勉強します!
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三重:ねぇ、前回は、大平首相が選挙中に死んだということで、ビックリし
   たね。
佳代:そうね。選挙中って、一番激しいときよね。
藤原:そうだね。実際、死人が出るぐらいの激しさで戦っていることは事実
   だよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:表には出ないけど、あまりにも激しい選挙活動で死んでしまった人は、
   たくさんいるみたいだ。先生も一人知っている。
佳代:それって、議員ではなくて応援する人でですか?
藤原:そう。戦っているのは本人だけではないよね。サポーターみたいな人
   がたくさんいるわけ。その人たちの消耗も激しいからね。
三重:なるほど、選挙って大変なのですね。
藤原:そういうこと。それじゃあ、今日は、大平さん亡き後、総理になった
   鈴木善幸さんからいこう。
三重:ハイ。お願いします。
藤原:まず、大平さんの後継者は、三角大福中と言われたぐらいだから、中
   曽根さんが、有力な候補の一人だった。しかし、自民党得意の密室で
   の話し合いで、鈴木さんに決められた。
佳代:密室ですか。
藤原:そうだね。少なくともオープンではないね。選挙はやらず、両議院総
   会で決定する。この時点では、中曽根さんは、涙を飲む。
三重:総裁選って、結構、ドラマがあるのですね。
藤原:そうだね。今、真っ盛りだけど、毎回、ドラマがある。このときは、
   不信任決議の可決というハプニングで解散し、選挙中に首相の死亡と
   いうアクシデントが重なって、失礼な言い方だけど、意外な鈴木さん
   という結果になったんだ。
三重:どうしてですか?
藤原:鈴木さんは、総務会長を歴任していた人で、いわば、党内のまとめ役。
   ハプニングとはいえ、自民党が、内部分裂で不信任決議が通ってしま
   うような状態だったから、適任だったのかもしれない。
佳代:鈴木さんのときは、確か、比例代表制が成立したんでしたね。
藤原:おお、よく知っているね。
佳代:ハイ。内閣年表を作っていますから。
藤原:そのとおりなんだ。このときは、参議院だけだけどね。
三重:えーっと、比例代表制って何でしたっけ?
藤原:選挙というのは、普通、個人の名前を書くよね。
三重:ハイ、書きます。
藤原:比例代表の場合は、個人の名前ではなく、政党の名前を書く。
三重:つまり、自民党とか、民主党とかですか?
藤原:そう。この時代に、民主党はないけど、とにかく、個人の名前ではな
   く、政党の名前を書く。そして、政党として取った票を得票数に応じ
   て配分するんだ。
三重:すると、自民党何人、民主党何人という形で決まるのですね。
藤原:そういうこと。いろいろな方式があるから、一概には言えないのだけ
   ど、当時は、名簿方式。
三重:名簿?
藤原:うん。あらかじめ、政党別に、順位をつけて名簿を出しておく。例え
   ば、10人分の当選者を得たら、10位までが当選となる。
三重:なるほど、わかりました。
藤原:これは、歴史というよりも公民の勉強だね。
佳代:そうですね。でも、できたのが、この頃だというのは歴史です。
藤原:そうだね。それから、比例代表制になると、死票が少なくなる。
三重:あっ、聞いたことがあります。死票って、死んだ票ですね。
佳代:三重、そのまんまじゃない。
三重:そうね。つまり、落選した人の票のことでしょ。
藤原:そういうこと。場合によっては、半分以上が死票になる場合があるか
   らね。その点、比例代表ならば、死票が、ほとんどなくなる。しかし、
   わけのわからない政党が生まれる。
佳代:そうですね。個人の力で当選できる人は、小さな党を立ち上げて臨み
   ます。
藤原:うん。だから、小党が乱立するのが欠点。どちらにしても、選挙制度
   は、完璧なものはない。しかし、鈴木さんのときに、初めて取り入れ
   られた比例代表制は、後に衆議院の一部でも取り入れられているから、
   それなりに、いい方法であると考えていいだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第70代 鈴木 善幸(すずき ぜんこう)1980-1982


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 210
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■■ 今回は「日本の内閣−40」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。いよいよ、あした、自民党の総裁選ね。
佳代:そうね。
三重:やっぱり、小泉さんなのかな?
佳代:たぶんね。もう、100% 決まりって言っている人もいるぐらいだから。
藤原:それは、まだわからないよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:世の中、100% なんてことはないよ。
佳代:それじゃあ、先生は、小泉さんじゃないと思っているのですか?
藤原:いや、今の情勢じゃ、97%は、小泉さんだろうね。
三重:何だ、同じようなものじゃないですか。
藤原:同じようだけど、同じじゃないよ。突然、死んでしまうことだってあ
   るだろ。
三重:それを言ったら、キリがないです。
藤原:まあ、小泉さんは元気だから、そういうことはないだろうけど、何が
   起きてもおかしくないと言うことだよ。
佳代:確かにそうですね。でも、そういうトラブルがない限りは、小泉さん
   で間違いないですね。
藤原:そうだね。だから、みんな、勝ち馬に乗ろうとして、小泉さんの周り
   に集まりだした。
三重:嫌ですねぇ。そういうのって。
藤原:でも、風向きを見て、勝ち馬に乗っていくというのは常道だよ。
佳代:ハイ。戦国時代でも、そんな傾向がありました。
藤原:うん。そして、今回は、その風向きを見ることにかけては、天下一品
   の中曽根さんを勉強しよう。
三重:えー、中曽根さんって、今もいますよね。
藤原:もちろん、だから、今回は、ちょっとやりにくいね。
佳代:そうですね。現役の人をやるのは初めてです。
藤原:うん。その中曽根さんは、政界の風見鶏と言われた。
三重:風見鶏?
藤原:そう。風向きがわかるやつがあるだろ。
三重:あっ、鳥がくるくる回っているやつですね。
藤原:そう。当時は、三角大福中と言われたように、いろいろな派閥の確執
   があった時代だ。
三重:だから、誰と組むかが問題だったと言うことですか?
藤原:そうのとおり。実は、福田さんと中曽根さんは、同じ選挙区だった。
佳代:えっ!そうなんですか?
藤原:当時は、中選挙区で、群馬3区は、4位までが当選だった。その選挙
   区には、福田赳夫、小渕恵三とともに、中曽根康弘がいたということ
   だ。
三重:えー、そうなんですか。同じ選挙区で、総理大臣が3人ですか!
藤原:そうだね。しかも、もう一人も、野党第一党の党首にまでなった山口
   さんということで、物凄い選挙区だった。
佳代:それじゃあ、仲がよくないのですね。
藤原:あんまりね(笑)。実際、田中角栄と福田赳夫が争ったとき、中曽根さ
   んは、田中角栄についた。その結果、田中内閣ができたんだ。そんな
   経緯もあったから、仲はよくないんだけど、時には、福田、中曽根で
   手を組んだこともあった。
佳代:なるほど、機を見るに敏ということですか?
藤原:そうだね。だから、ある意味では、すごいし、ある意味では、胡散臭
   く感じられることもあって、人気はあるけど、嫌いな人もいるという
   感じの人だった。
三重:ああ、そういう人っていますよね。
藤原:そうだよね。演説もうまく、人の心を捉えるのもうまかったので、よ
   けい、その傾向が深まったと思う。しかし、内容的には、随分がんば
   った内閣だったよ。
佳代:何をしたのですか?
藤原:中曽根政権のスローガンは、行政改革と教育改革。特に、国鉄を民営
   化したのが最大の実績だ。
三重:国鉄って、今のJRですね。
藤原:そう。当時、国鉄は、莫大な借金を抱えていた。それを分割して民営
   化することによって、大きく変わった。
佳代:他には何かありますか?
藤原:後は、男女雇用機会均等法ができたのも、この内閣だね。また、福沢
   諭吉の紙幣が登場したのもこの頃。
三重:今のお金ですね。
藤原:そういうこと。今度、変更になるけど、中曽根内閣の頃、新紙幣にな
   った。また、アメリカとの話し合いで、内需拡大を叫び、バブル経済
   が始まることにもなる。
三重:まだ、昭和ですね。
藤原:そう、昭和の末期だね。出てきた頃は、田中曽根内閣とも言われたぐ
   らい、田中角栄元首相の影響が強かったけど、選挙で、歴史的大勝を
   したこともあって、長期政権になった。そして、今回の総裁選でも、
   元気で影響力を発揮している。評価には、賛否両論があるけど、後世
   には、今以上の評価を受ける内閣だと思っている。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第71代 中曽根康弘(なかそねやすひろ)1982-1983 <第1次>
第72代 中曽根康弘(なかそねやすひろ)1983-1986 <第2次>
第73代 中曽根康弘(なかそねやすひろ)1986-1987 <第3次>


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