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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 201
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■■
■■ 今回は「日本の内閣−31」を勉強します!
■■

三重:佳代、そろそろ、日本の復興ね。
佳代:そうね。朝鮮戦争の特需で立ち直り、サンフランシスコで独立し、吉
   田内閣から鳩山内閣になるのよ。
三重:鳩山さんって、由紀夫ちゃんのおじいちゃんだったわね。
藤原:由紀夫ちゃん!
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:三重ちゃん、鳩山さんの友達かい?
三重:いや、まあ、ちょっと前に、自分で、由紀夫ちゃんって言っていたじ
   ゃないですか。
藤原:そうだね。でも、現役だからね。もっとも、三重ちゃんに言われたら
   鳩山さんも喜ぶと思うけど(笑)。
佳代:そうですね。テレビで、そういわれて喜んでいたのを見たことがあり
   ます。
藤原:それは、ともかく、その鳩山さんのおじいちゃんにあたる鳩山一郎内
   閣をやろう。
三重:お願いします。
藤原:まず、日本は、GATTに正式に加盟する。
三重:ガット?何ですか、それは。
藤原:今は、WTOになっているけど「関税および貿易に関する一般協定」
   という長い名前の国際条約だ。
佳代:エーっと、WTOは、世界貿易機関でしたね。
藤原:そう。どちらにしても、自由貿易を促進するために作られた条約だ。
三重:ということは、経済の面で、国際復帰したということですね。
藤原:そういっていいだろう。それから、政治的に、非常に大きな動きが起
   こる。
三重:どんな動きですか?
藤原:うん。保守合同だ。
三重:保守合同?
藤原:そう。今ある自民党って、自由民主党のことだよね。
佳代:ハイ、そうです。
藤原:これは、自由党と、日本民主党が合同してできた政党なんだ。
三重:ああ、そうなのですか。
藤原:そうなんだ。当時、野党の社会党の右派と左派が統一された。それを
   見た保守陣営も合同して自由民主党を結成したんだ。
佳代:それが、いわゆる、55年体制ですね。
藤原:そのとおり。これが、ずっとずっと続いていく。平成の時代になって、
   細川内閣ができるまで、自民党の単独政権が続くわけだ。
三重:つまり、日本の発展のスタートを切ったということですか。
藤原:そう言っていいだろう。そして、原子力の平和利用促進のための日米
   原子力協定が調印される。
佳代:原爆を落としたアメリカと原子力の協定をするなんて皮肉ですね。
藤原:そうだね。その結果、日本では、原子力基本法が公布され、東海村に
   原子力研究所を設置することになる。また、気象庁ができたのもこの
   ころだ。
三重:だんだん、整っていくのですね。
藤原:そう。そして、このころ、神武景気が起こる。
三重:神武ですか、初代の天皇の名前じゃないですか。
藤原:うん、初代の神武天皇以来の好景気という意味だから、よっぽどすご
   かったのだろうね。そして、「もやは戦後ではない」という言葉が生
   まれたんだ。
佳代:まさに、よみがえった日本という感じですね。
藤原:そのとおり。そして、前に勉強したとおり、日ソ共同宣言が出される。
   平和条約は結べなかったけど、もうひとつの大国、ソ連と国交を回復
   することになる。
三重:あっ、覚えています。そして、国際連合に加入します。
藤原:そのとおり。拒否権を持っていたソ連と、とりあえず仲直りしたこと
   により、国際連合への加入も認められ、国際社会に完全復帰した。
佳代:つまり、この時代に、戦争の傷跡がリセットされ、新たな発展へと、
   はばたいたといっていいのですね。
藤原:そういうこと。これから、日本の快進撃が始まる。大戦争に負けて、
   ぼろぼろのところからの復活劇だ。今、ぼろぼろになってしまったイ
   ラクなども、是非、復活してほしいものだね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第52代 鳩山 一郎(はとやま いちろう) 1954-1955 <第1次>
第53代 鳩山 一郎(はとやま いちろう) 1955-1955 <第2次>
第54代 鳩山 一郎(はとやま いちろう) 1955-1956 <第3次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 202
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■■ 今回は「日本の内閣−32」を勉強します!
■■

三重:佳代、またまた、すごい事件が起きちゃったね。
佳代:ホント、信じられない〜。
三重:いくら、何でも、幼児をあんな殺し方するなんて・・・。
藤原:ホントだね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:犯人は中学生。この事件でかすんでしまったけど、ちょっと前に沖縄
   でも中学生が事件を起こしているよね。
三重:ハイ。恐ろしいです。
藤原:君たちは大丈夫かな?
佳代:もちろんです。いくらなんでも、あんな事件を起こす人はいません。
藤原:うん。特殊なケースだということは分かっているけど、じっくり考え
   てみる必要があるね。
三重:そうですね。
藤原:それじゃあ、内閣編の続きをやろう。今日は、あっという間に終わっ
   た内閣から。
三重:あっという間ですか?
藤原:そう。たったの2ヶ月でおしまい。
佳代:えっ、何か事件を起こしたのですか?
藤原:いや、病気だよ。鳩山一郎の後の自民党の総裁は、石橋湛山と岸信介
   が争った。そして、石橋が勝ち内閣を組織したが、病気のため、2ヶ
   月で退陣することになる。
三重:すると、ほとんど何もできなかったということですね。
藤原:そのとおり。これといったものはない。そして、岸信介が総理大臣に
   就任する。
三重:あっ、岸さんって有名ですよね。
藤原:そうだね。昭和の妖怪と呼ばれたぐらいだから。
佳代:えっ、妖怪ですか!
藤原:そう、岸さんは、戦前、東条英機内閣の商工大臣をしていた。
三重:東条英機のですか!
藤原:うん、宣戦布告の詔書にもサインしている。
三重:そうなんですか。それで、よく総理になれましたね。
藤原:そうだね。戦争中も、閣僚として戦争に大きくかかわったし、戦後は、
   A級戦犯として死刑を待つ身だった。
佳代:それで、よく生き返りましたね。
藤原:うん。だから、妖怪と呼ばれているのだろう。岸は、3年間牢屋に入
   った後、釈放され、最終的には総理大臣までなった。
佳代:ビックリしました。本当に妖怪そのものですね(笑)。
藤原:うん。話を内閣に戻そう。まず、彼は、公定歩合を引き下げた。
佳代:景気が悪くなっていたのですか?
藤原:そう。そこで、株の大暴落が始まり、なべ底不況を起こす。
三重:なべ底ですか?それは、格好悪いですね。
藤原:うん。でも、その後、経済は復活し、逆に岩戸景気がはじまることに
   なる。
三重:岩戸?
藤原:天照大神が、天の岩戸に隠れて以来の好景気ということだ。
佳代:それって、古事記ですか?神話の世界ですね。
藤原:そのとおり。すごいネーミングだね。
三重:ホントですね。
藤原:それから、岸内閣といえば、絶対に忘れられないのが、新安保条約と
   呼ばれた日米相互協力および安全保障条約の締結だ。
佳代:あっ、聞いたことがあります。学生運動がすごかったころですね。
藤原:そのとおり。このころは、本当にすごかったらしい。そして、この条
   約が自動成立した時点で、総辞職することになる。
三重:何か、当時の内閣は、すごかったような気がします。
藤原:そうだね。やめた後も、ずっと力を持ったといわれる。後に、弟の佐
   藤栄作が総理になったときも、影響力を行使したといわれている。ど
   ちらにしても、戦後の日本に大きな影響を与えた政治家といえるだろ
   う。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第55代 石橋湛山(いしばしたんざん)1956-1957 
第56代 岸 信介(きし のぶすけ) 1957-1958 <第1次>
第57代 岸 信介(きし のぶすけ) 1958-1960 <第2次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 203
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■■ 今回は「日本の内閣−33」を勉強します!
■■

三重:佳代、今度は小学生よ〜。
佳代:ホントに、近頃、若い世代がおかしいわね。
三重:まったく、最近の若い子は・・・。
藤原:何言ってるんだ、中学生の癖に(笑)
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:君たちだって渋谷に行くんだろ。
三重:ハイ。佳代と聖子と3人で。でも、危ないことはしません。
藤原:声をかけられたりしないの?
三重:それは、もちろん。私たち、かわいいですし(笑)
藤原:危ないねぇ〜。気をつけてね。
佳代:大丈夫です。三重は、柔道の達人だし、聖子は空手の名手。わたしは、
   俊足を飛ばして逃げます。
三重:えっ、逃げちゃうの!
佳代:警察に知らせに行くのよ。
藤原:とにかく、節度を持ってやること。
佳代:わかりました。今日は、池田内閣ですね。
藤原:そう。いよいよ、高度成長へと向かっていく。
三重:東京オリンピックが行われたころですね。
藤原:そう。まずは、池田内閣の有名なスローガンとして、所得倍増計画と
   いうのがあった。
三重:単純に、収入を倍増しようということですか。
藤原:そう。わかりやすいだろ。
三重:確かに。お小遣い倍増っていったらうれしいですもん。
藤原:うん。人間、理屈っぽいスローガンよりも、単純な方が乗れるかもし
   れないね。
佳代:そうですね。芸はないけどわかりやすいという感じがします。
藤原:その池田内閣は、農業基本法を出した。
三重:えっ?農業を重視したのですか?
藤原:そうではなく、農業の大型化、機械化を進めて、農業人口を減らした
   んだ。
三重:どうしてですか?
藤原:うん。農業人口を減らし、工業人口を増やそうという考えだろう。
佳代:なるほど、工業国へ転換しようという政策ですね。
藤原:そのとおり。加工貿易を行い、貿易で利益を上げようと考えた。だい
   ぶ衰えたとはいえ、日本は、現在でも加工貿易が中心だ。
佳代:そうですね。自動車の輸出などは盛んです。
藤原:そして、アメリカから援助を受けてきた資金を返済することを約束し、
   次第に力を持ってくる。そして、オリンピック景気だ。
三重:よくテレビで見ます。新幹線や高速道路もできました。
藤原:そうだね。この東京オリンピックのころから、近代的なものが増えて
   いくことになる。どちらにしても、戦争の傷跡から這い上がり、世界
   に向かって進んでいく態勢ができてきたといっていいだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第58代 池田 勇人(いけだ はやと) 1960-1960 <第1次>
第59代 池田 勇人(いけだ はやと) 1960-1963 <第2次>
第60代 池田 勇人(いけだ はやと) 1963-1964 <第3次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 204
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■■ 今回は「日本の内閣−34」を勉強します!
■■

三重:佳代、康介が、また世界新よ!
佳代:ホント、すごい〜って感じね。
三重:日本も捨てたものじゃないわね。
藤原:本当だね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:ここのところの長い不景気で、すっかり元気がなくなっちゃった日
   本だけど、何とか昔を思い出してほしいものだね。
佳代:そうですね。戦後の焼け野原から奇跡的に復活できたのですから、
   この程度の不景気は克服できると思います。
藤原:そのとおり。それじゃあ、今日は、日本が世界に向かって快進撃を
   続けていた時代を勉強しよう。
三重:わかりました。今回は、佐藤栄作内閣ですね。
藤原:おう、やっと覚えたかい。
三重:ハイ、大丈夫です。佐藤B作の方がシャレだったのですね。
藤原:そうだね。実際、佐藤栄作というと笑う子が多いんだ。なんじゃ、
   そりゃ?って感じでね。佐藤栄作の方が知名度が低い。
佳代:ハイ。わたしも、最初は笑いました。でも、ノーベル平和賞も取っ
   ている、すごい人だと知ってビックリしたのを覚えています。
藤原:そうなんだ。しかも、8年近くの長期政権。東京オリンピックが終
   わった直後から、大阪の万国博覧会を超えての8年間だから、日本
   が、どんどん成長していったときの内閣といえる。
三重:それは、すごいですね。いろいろなことをやったのでしょうね。
藤原:そうだね。まずは、1965年に、日韓基本条約を結んだ。
佳代:とりあえず、韓国と国交を回復したのですね。
藤原:そう。韓国の当時の大統領は、朴正熙。当時は、ボク・セイキと読
   んでいたけど、最近のように韓国語の読みにすると、パク・チョン
   ヒだ。この大統領は、後に暗殺されるのだけど、名前だけは覚えて
   おこう。
佳代:わかりました。
藤原:それから、この頃、いざなぎ景気という好景気になった。
三重:いざなぎ?何ですか、それは?
佳代:確か、古事記に出てくる神様ですよね。
藤原:そのとおり。いざなぎは、天照大神のお父さんの名前だ。
三重:ひぇ〜、どんどんグレードがアップしていくのですね。
藤原:うん。前に、神武景気とか、岩戸景気というのがあったよね。今度
   は、いざなぎ。当時の日本が、神がかり的に経済復興していく姿が
   目に浮かぶようだね
佳代:そうですね。
藤原:しかし、経済優先の政策は、いいことばかりではなかった。
三重:何か、悪いことが起きたのですか?
藤原:そう。この頃、工場から出た排水や煤煙などから公害がひどくなっ
   たんだ。
三重:あっ、知っています。水俣病とか。
藤原:そう。他にも、イタイイタイ病とか、新潟水俣病、四日市ぜんそく
   などが有名だ。経済発展の影の部分が露出してきたといえる。
三重:前にテレビで、公害の悲劇を見たことがあります。それは、ひどい
   ものでした。
藤原:そうだよね。そこで、公害対策基本法が制定されることになる。さ
   らに、少し経ってから環境庁が作られた。
佳代:それから、非核三原則を出したのも佐藤内閣でしたね。
藤原:そのとおり。核兵器を「もたず」「つくらず」「もちこませず」の
   三原則だ。そして、これが評価されて、ノーベル平和賞を取ったと
   いってもいい。
三重:なるほど、いろいろあったのですね。
藤原:それから、忘れてはならないのが、小笠原諸島と沖縄の返還。
三重:ああ、これも佐藤内閣の時代ですか?
藤原:そう。1968年に、小笠原諸島が返還された。それから、翌年には、
   日米共同宣言が出された。
佳代:内容は、どういうものなのですか?
藤原:うん、簡単に言えば、ずっと日米安全保障条約を続けるのならば、
   沖縄を返してやるという内容。
三重:つまり、これまでの形を守れば、沖縄を返すということですね。
藤原:そういうこと。その結果、1971年には、沖縄返還協定が結ばれ、翌
   年、本土に復帰する。
佳代:でも、米軍基地は、未だに残っています。
藤原:うん。地理的に重要なところだからね。この辺は、現在でも、さま
   ざまな問題を残している。軽々しく言える問題ではない。
三重:早く、引き上げてほしいですが、北朝鮮の問題もありますし・・・。
藤原:そのとおり。非常に難しい問題だね。東アジアが、もっと安定すれ
   ば、その辺は変わるかもしれないけど、今の情勢では、ちょっと厳
   しいようだね。
佳代:ハイ。そんな感じがします。
藤原:最後に、アメリカのニクソン大統領が、ドルと金の交換を停止して、
   ドル=ショックが起こる。そして、それまで、1ドル 360円だった
   ものが、308円 に変更された。
三重:あれっ、円とドルって、毎日変わるんじゃないのですか?
藤原:今はね。でも、戦後、360円 に固定されたのは、前に勉強したよね。
   それが、とりあえず、308円 になった。次の田中内閣で、毎日、い
   や秒単位で変わる変動相場制になる。佐藤さんのときは、まだ、固
   定相場のまま、円が切り上げられただけ。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第61代 佐藤 栄作(さとう えいさく) 1964-1967 <第1次>
第62代 佐藤 栄作(さとう えいさく) 1967-1970 <第2次>
第63代 佐藤 栄作(さとう えいさく) 1970-1972 <第3次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 205
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■■
■■ 今回は「日本の内閣−35」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代、三角大福中って知ってる?
佳代:何、それ。まさか、三角の大福の中型?
三重:ブ〜、佳代にもわからないのね。
藤原:昔は誰でも知っていたけどね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:三角大福中というのは、ポスト佐藤の有力な政治家のこと。しかも、
   後に全員総理大臣になった。
佳代:ああ、なるほど、三は、三木武夫で、角は田中角栄ですね。
藤原:そのとおり。大は、大平正芳、福は、福田赳夫、中は、中曽根康弘。
   これから勉強していく人たちばかりだ。それにしても、三重ちゃん、
   何で、そんなこと知っているの?
三重:えーっと、友達から聞いたんです。実は、わたしも佳代と同じように
   三角の大福だと思いました。雪見大福が大好きだし。。(^_^)。。
藤原:やっぱり食べ物かい(笑)。とにかく、今日は、田中角栄内閣を勉強し
   よう。
三重:お願いします。
藤原:まず、田中さんが総理になったとき、今太閤と言われた。
三重:今太閤?
藤原:そう。それまでは、東大とか京大出身の総理が当たり前だった。しか
   し、田中角栄は、中卒で、最高位まで登りつめた。
佳代:つまり、農民から天下人まで登りつめた太閤秀吉になぞらえたのです
   ね。
藤原:そういうこと。本当の実力派の総理だ。実際に、官僚も舌を巻くほど
   の頭脳と行動力からコンピュータ付ブルドーザーとも言われた。
三重:それって、すごいですね。そう言えば、娘の田中真紀子さんも、そん
   な雰囲気がありました。
藤原:そうだね。その能力や政治手腕は、今でも評価する人が多い。もちろ
   ん、その裏返しもあって、逆の評価もあるけどね。
佳代:ハイ。とりあえず、いい方からお願いします。
藤原:まず、彼が唱えたのが、「日本列島改造論」だ。
三重:うゎ〜、豪快ですね。
藤原:そうだね。高度成長もピークにさしかかっていた頃だし、何か、とて
   つもなく大きなことが実行されると感じたものだった。
三重:それから、中国とも仲良くなったのですね。
藤原:そのとおり。実は、この頃、日本は、中華民国と呼ばれていた台湾の
   方と付き合っていたんだ
三重:えっ、台湾ですか?
藤原:そう。当時は、国際連合の常任理事国も中華民国であって、中華人民
   共和国ではなかった。だから、中国と言わず、中共などと呼んで区別
   していたぐらいだ。
三重:へぇ〜って感じですね。
藤原:うん。ところが、同じ共産主義陣営のソ連と中華人民共和国の中が悪
   くなった。それを見たアメリカは、中国と手を結ぶことになった。
佳代:なるほど、それで、日本も、その方向に行ったのですね。
藤原:もちろん。そして、田中角栄内閣は、日中共同声明を発表し、中華人
   民共和国を承認して、台湾と断交することになる。この決断は、本当
   に大きなものだった。
佳代:とりあえず外交は、成果をあげたのですね。しかし、涙の年がやって
   きます。
三重:あ、出た!久々の涙の年だ!
藤原:懐かしいね。前に、随分話したよね。
三重:ハイ。1573年は、室町幕府の滅亡で、足利義昭が涙しました。それか
   ら、1873年は、人民が涙した徴兵令や地租改正。そして、1973年が、
   オイルショックです。
藤原:おう、よく覚えていたね。
三重:それはもう。涙(73)の年は、本当に涙を誘いますから。
藤原:そうだね。一番近い涙の年は、オイルショックで田中角栄内閣のとき。
   原因は、中東で起こった、イスラエルとアラブ諸国の戦いである、第
   四次中東戦争だ。
佳代:これで、日本の高度経済成長に急ブレーキがかかったのですね。
藤原:そう。これをもって、高度経済成長は終わったと言っていいだろう。
   しかし、田中内閣は、ある雑誌によって退陣に追い込まれることにな
   る。
三重:雑誌ですか?
藤原:そう。文藝春秋という、現在でも発行されている雑誌に田中角栄の金
   脈問題が書かれた。これにより、退陣することになる。
佳代:意外なもので、足元を取られたわけですね。
藤原:そうだね。でも、退陣後も、強大な力を持ち続けたといわれている。
   そして、亡くなった現在でも、その影響はあるとすら言われる。どち
   らにしても、昭和史を飾る忘れることが出来ない総理の一人だろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第64代 田中 角栄(たなか かくえい) 1972-1972 <第1次>
第65代 田中 角栄(たなか かくえい) 1972-1974 <第2次>


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