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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 6   
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■■ 今回は平安時代パート2,摂関政治と国風文化を勉強します。
■■

佳代:それでは,今日は藤原先生の時代をやりまーす。
三重:藤原の野郎,ろくでなし!
藤原:なんだい,三重,それは。
三重:先生,怒った?三重が考えた覚え方だよ(^_^)/~
佳代:何,それ,わかんない。
三重:藤原良房摂政になる。
佳代:あっ,866年だから,やろうろくでなしね。
藤原:そうか,ま,いいか。覚えれば。もっといいのを考えてほしかったけど…。
佳代:ハムロ奈美江はどう?
藤原:あまりよくないね。まあ,いいか。とにかく,平安京に移ってから100年弱
   で藤原氏中心の摂関政治の時代になる。
三重:これが平安時代の第2期ですね。
藤原:そういうこと。貴族中心の政治になって行くんだね。ところで,そもそも摂関
   政治の摂関とは何かな?
三重:ハイ,摂政と関白のことです。
藤原:そうだね。違いは?
佳代:ハイ,天皇が幼いときは摂政,成人すると関白になります。
藤原:そうだね。そして政治の実権を握るのが摂関政治だ。そして,最も盛んになっ
   たのが有名な藤原道長の時代だ。
佳代:望月の歌ですね。
三重:何,それ?
藤原:うん,道長の3人目の娘が后に決まったのに満足して作ったと言われる「この
   世をばわが世と思ふ望月の かけたることもなしと思えば」という歌だ。
三重:もう完璧って感じの歌ですね。
藤原:そういうこと。ところで三重,このころの文化を何と呼んでいるの。
三重:えっと,平安時代だから平安文化じゃないし,アレ,なんだっけ?
佳代:国風文化よ。
三重:あっ,そうだ。かな文字とかができたんだ。
藤原:そう,この時代,唐の影響が少なくなって日本独自の文化が芽ばえたんだ。そ
   の原因の一つとして何が考えられるかな?
佳代:ハイ,遣唐使の停止です。
三重:白紙(894年)に戻す遣唐使,三重だって知ってるよ〜(^_^)v
藤原:そのとおり。では,何故,停止したんだろう。
佳代:ハイ,菅原道真が唐は国が乱れ,危険を冒してまで行く価値がないという意見
   が採り入れられたからです。
藤原:そうだね,正解だ。でもね,実は,遣唐使は,道真が意見を出す60年も前か
   ら停止していたんだ。
佳代:エッ,本当ですか。
藤原:そう,だから,実際は停止していたと考えてもいい。道真が意見を出したのは,
   自分が遣唐使に任命されたからだ。
三重:やっだ〜,もしかして,行きたくなかったんですか。
藤原:たぶんね。この辺はいろいろな説があってはっきりしないが,道真を煙たがっ
   ていた藤原氏が画策したとも考えられるんだ。
佳代:追い出しですか。
藤原:その可能性がある。はっきりは言えないけどね。ただ,遣唐使に出してしまえ
   ば,とりあえずしばらくはいなくなるわけだし,最悪死ぬかも知れない。
佳代:いやな話ですね。
藤原:とにかく,最終的には九州の大宰府に流されることになるから結構真実味があ
   るね。とにかく,遣唐使の停止によって,中国との付き合いがなくなり,だん
   だん日本の風土に合った文化が栄えるようになった。
三重:代表的なものはなんですか。
藤原:まずは,さっき三重が言ったようにかな文字だ。便利だろ。漢字だけだったら
   先生だって気が狂うよ。
三重:わたし生きていけない。
藤原:そんなわけで有名な書物が生まれた。まずは,枕草子だ。
佳代:ちょうど1000年ですね。
藤原:そう,異説もあるが,枕草子ができたのはジャスト1000年,覚えやすいだろ。
三重:うれしいです(^-^)
藤原:ちょっと遅れて源氏物語ができる。それじゃあ,三重,作者を言ってごらん。
三重:ハイ,枕草子が清少納言,源氏物語が紫式部です。
藤原:OKだ。超有名ってやつだね。それに,紀貫之が書いた日記は?
佳代:土佐日記です。
藤原:よろしい,これはかな文字で書かれている。当時,男は漢文で書くのが常識だ
   ったから,貫之は,女性に扮して書いている。
三重:エッ,やだぁ〜,気持ち悪い。
藤原:まあ,そういう時代だということだ。そして,紀貫之というともう一つあった
   ね。
佳代:ハイ,古今和歌集の選者です。
藤原:そのとおり,とにかくその辺は絶対覚えようね。国語にも出るからね。それか
   ら,国風文化を代表する建築物は?
佳代:ハイ,宇治の平等院鳳凰堂です。
藤原:OK,誰が建てたの?
佳代:藤原頼通,道長の息子です。
藤原:そうだね。道長の道と頼通の通は字が違うから気をつけてね。
三重:間違いやすいですね。
藤原:最後に,問題を出そう。京都は夏は,メチャクチャ暑く,冬は,メチャクチャ
   寒い。盆地だからね。さて,建物を建てるとしたら夏向きにするかな,それと
   も冬向きにするかな?
三重:わたしは,冬向きに作ります。だって,寒いの嫌いだもん。
佳代:三重,昔はクーラーなんてないのよ。
三重:あっ,そうか,それじゃあ夏向き?
藤原:うん,正解だ。今ならば,クーラーもあるから夏でも快適に過ごせる。しかし,
   当時はそんなものはない。そこで,思い切り夏向きに作ったんだ。
佳代:例えば,どんな?
藤原:うん,ながーい渡り廊下をつくり,風がヒューと吹き抜けるようにした。
三重:あっ,そうすると涼しいですね。
藤原:庭には,池を作ったりして涼しさを演出した。
佳代:分かりました。考えてみればそうですよね。冬は何とかしのげますものね。
藤原:そう,炭火もあるし,着るものでもしのげるだろう。でも,夏は工夫しないと
   どうにもならないんだ。
佳代:そういうのを寝殿造というんですね。
藤原:そのとおり,平等院鳳凰堂が代表的な寝殿造だね。
三重:分かりました,先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 今回の復習とポイント
□□

● 摂関政治…天皇が幼いときは摂政,成人したら関白として実権を握る政治。
       藤原氏の政治。全盛期は道長のとき。

● 国風文化…遣唐使の廃止後,唐の影響が薄れ,日本の国土にあった文化が生まれ
       る。かな文字の発達。

    ・和歌−古今和歌集(紀貫之ら)

    ・紀行文−土佐日記(紀貫之)

    ・随筆−枕草子(清少納言)

    ・物語−源氏物語(紫式部),竹取物語(作者不詳),今昔物語(作者不詳)

    ・建築物−平等院鳳凰堂(寝殿造)


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 7   
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■■
■■ 今回は,平安時代の主な戦乱と院政について勉強します。
■■

三重:ねえ,佳代,平将門って知ってる?
佳代:もちろんよ。関東地方で乱を起こした人。
三重:たたりがあるんだって。
佳代:ああ,よく聞くわ。詳しくは知らないけれども。
藤原:将門の怨念か。
三重:あっ,先生,いいところに来ました。
藤原:まだ平安時代の勉強をしているの?
三重:ええ,本当に長いですね。平安時代って。
藤原:そうだね。それじゃあ,今話題になっていた平将門からいこうか。
佳代:ハイ,お願いします。
藤原:まず,この乱は,いつごろ起こったの?
佳代:935年です。
三重:わっ,すごい,佳代はいつもすぐ出てくるのね。
佳代:だって得意なんだもん(^_^)v
藤原:うん,いいことだね。でも,大切なことは,それが何を意味しているかという
   ことだ。
三重:といいますと?
藤原:うん,単に年号を覚えるだけでは意味がない。935年の意味って分かるかな?
佳代:えーと,たぶん,藤原道長が摂政になった1016年よりずっと前だということ
   だと思います。
藤原:そう,それが分かっていればいい。この乱は,関東地方で起こったのだけれど
   も,当時の中心はどこかな?
三重:もちろん,京です。
藤原:そうだね。京の都が中心だ。今でこそ,関東は日本の中心だけれども,このこ
   ろは,言っちゃ悪いけどど田舎だった。
三重:分かります。
藤原:つまり,この乱は,武士とは恐ろしいものだということを認識させたけれども
   まだまだ田舎の乱で中央の政治が揺らぐほどの影響はなかったということだ。
   同じころ起こった藤原純友の乱も同様だ。
佳代:瀬戸内で起こった乱ですね。
藤原:そう,簡単に言えば,この2つの乱は,武士のデビュー戦みたいなものだ。武
   士というものの存在を世に知らしめた。そんな感じでとらえておこう。
佳代:分かりました。すると先生,前9年の役と後3年の役は?
藤原:この2つの乱も話すと長くなるので,簡単に言うと源氏の出世物語と言える。
三重:といいますと。
藤原:うん,この2つの乱は東北地方で起きた。ここで活躍したのが源頼義・義家親
   子で,源氏の名前を天下に響かせ,関東の武士団の多くは源氏に従うようにな
   ったんだ。義家はのちに院の昇殿を許されている。
佳代:武士の地位が上がったのですね。
藤原:そういうこと。そして,藤原氏の力が衰え,平安時代の第3部とも言える院政
   の時代が始まる。
三重:白河上皇の登場ですね。
藤原:うん,白河天皇は,1086年に位を譲って上皇になり,上皇の御所である院で
   政治を行った。これが院政だ。以後,実権はこの院が握ることになる。
佳代:どうして院が力を持つようになったのですか。
藤原:そうだね,いろいろ理由はあるんだけれども,1つには強力な親衛隊がいたと
   いうことだ。
佳代:親衛隊ですか?
藤原:うん,北面の武士と呼ばれる上皇直属の武士団の力が強大だったことが大きな
   理由だろう。また,多くの荘園が寄進され経済力も強かった。
三重:つまり武士を利用したわけですね。
藤原:簡単に言えばそうだ。そして,それが武士の力を強大化させていく。
佳代:最終的には武士に天下を取られるわけですね。
藤原:そう,まだ先のことだけれども,平安時代は,武士の力がどんどん強くなって
   いくのが分かるだろ。
三重:ハイ,分かります。
藤原:そして,いよいよ中央で乱が起きることになる。
佳代:保元の乱と平治の乱ですね。
藤原:そう,まずは保元の乱だけれども,こちらは,崇徳上皇と後白河天皇のあいだ
   の戦いだ。これに藤原氏や貴族達が上皇側と天皇側に分かれて戦った。
三重:武士はどうしたのですか。
藤原:もちろん二手に分かれて戦った。源氏も平氏も親子兄弟が分かれて戦った。こ
   の辺は複雑だから肝心なことだけ覚えればいいよ。
三重:ハイ。
藤原:そして,天皇側が勝利した。その中には源義朝,これは頼朝の父だよ,と平清
   盛がいたんだ。
佳代:味方同士だったんですね。
藤原:そう,味方同士で保元の乱を戦って勝利した。ところが,今度はこの2人が対
   立してしまうんだ。
佳代:それが平治の乱ですね。勝ったのは平清盛。
藤原:そういうこと。だから,保元の乱は,皇族や貴族の対立,平治の乱は武士の対
   立が主な原因だと覚えておこう。
三重:ハイ,分かりました。平安時代の乱は多くて覚えるのが大変です。
藤原:うん,でも,大きく3つに分けてしっかり覚えてね。
佳代:分かりました。がんばります。

□□
□□ 今回の復習とポイント
□□

● 平安時代の戦乱

・平 将門の乱(935年)…関東地方の乱
・藤原純友の乱(939年)…瀬戸内の乱

・前9年の役(1051年),後3年の役(1083年)…東北地方の乱

・保元の乱(1156年)…後白河天皇と崇徳上皇の争い→天皇側の勝利。
・平治の乱(1159年)…平清盛と源義朝の争い→平清盛の勝利。

● 院政(1086年)白河上皇がはじめる。以後実権を握る。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 8   
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■■
■■ 今回は平氏の滅亡を勉強します。
■■

三重:人々むなし清盛の政治。
佳代:何,それ,三重。
三重:わたしも考えたのよ。平清盛が太政大臣になった年。
佳代:1167年ね。祇園精舎の鐘の声〜。
藤原:平家物語かい。
佳代:あっ,先生。
藤原:佳代ちゃんもいい声しているね。
佳代:やだ〜,先生。国語の先生のまねしただけですよ。
藤原:ま,それはともかく,平安時代もそろそろ最後だね。
三重:ホント,長かった(^o^)
藤原:それじゃあ,清盛の政治から行こう。
三重:ハイ。
藤原:さっき三重ちゃんが言っていたように,平治の乱で勝利を収めた清盛は武士と
   して初めて太政大臣になった。そして,娘の徳子を高倉天皇の后として大いに
   権力を振るった。
佳代:「平氏にあらざれば人にあらず」ですか。
藤原:そう,平氏の一族も高位・高官について栄華を極めたのだ。
佳代:後白河上皇は不満だったでしょうね。
藤原:もちろんだ。後白河上皇だけでなく貴族や新しい政治を期待していた武士たち
   も大いに不満だった。
三重:清盛は武士なのになぜ武士のための政治をしなかったんですか。
藤原:そうだね。清盛は白河上皇の御落胤という説があるんだ。
三重:御落胤って何ですか?
藤原:うん,簡単に言うと身分の高い男が,正式の妻以外の身分の低い女性に生ませ
   た子のことだ。
三重:つまり,清盛は白河上皇の子供ということですか?
藤原:そういうこと。
佳代:だから異常なスピードで出世したんですね。
藤原:まあ,そう考えていいだろう。絶対とは言えないけれども。そして,清盛自体
   が朝廷での栄達に執着したということもあって武士としての性格を薄くしてし
   まったんだ。
佳代:貴族化したということですか?
藤原:そうだね。これらが不満を呼び,滅亡への道を歩くことになるんだが,その前
   に清盛が行った有名な貿易があったね。
佳代:ハイ,日宋貿易です。
藤原:そう,どこの港で行ったの?
佳代:今の神戸です。
藤原:そう,当時の名前は知ってる?
佳代:当時ですか?えっと,何だっけ。
藤原:大輪田泊(おおわだのとまり)。
佳代:あっ,そうでした。大輪田泊です。
藤原:日宋貿易,平清盛,神戸港は3つセットで覚えておこうね。
三重:ハイ,分かりました。日宋貿易,平清盛,神戸港ですね。
藤原:それじゃあ,滅亡に入ろう。まずは,有名な鹿ヶ谷の会合だ。
佳代:平氏打倒の計画を立てたのですね。
藤原:うん,でも失敗。秘密が漏れ,近臣の俊寛らは流された。その後,源頼政が兵
   を挙げたが失敗。いよいよ頼朝の挙兵になる。
佳代:最初は敗れたんですね。
藤原:うん,石橋山で敗れた。しかし,頼朝のよびかけで関東の武士が続々集まり,
   追討してきた平維盛を破り鎌倉に入って本拠地にしたんだ。
佳代:反撃開始ですね。
藤原:うん,すぐというわけではないけれどね。この辺は長くなるから簡単に流れを
   見てみると,まず,木曾の源義仲が平氏を追って京都にはいる。
佳代:義仲って評判が悪かったんですよね。
藤原:そう,よく知っているね。義仲たちは京都で乱暴を働いたりして人々の信頼を
   失っていた。そこへ,頼朝は義経を差し向けたのだ。
佳代:いよいよ,義経の登場ですね。
藤原:そう,この頼朝の弟で軍事の天才は,義仲を討った後,一ノ谷,屋島と平氏を
   西へ西へと追いつめていく。そして,ついに壇ノ浦で平氏を滅亡させた。
三重:わあ,複雑で覚えられないな。
藤原:うん,すべて覚えなくていいよ。流れだけ簡単に覚えておこう。
佳代:何かわくわくするような戦いの連続です。
藤原:そうだね。感じだけつかめればいいよ。屋島の戦いでは有名な那須与一が扇を
   射る話も出てくる。たぶん国語でやるんじゃないかな。
三重:どっかで読んだことがあるような気がします。
藤原:後,滅亡した壇ノ浦ってどの辺にあるか知っているかな?
佳代:山口県です。
藤原:そう,それは覚えておいてね。最近テストによく出ているから。どちらにして
   も,栄華を誇った平氏が20年たらずで滅んだのはおごりのせいだね。君たち
   もおごってはいけないよ。
三重:ハイ,大丈夫です。わたしは謙虚だから(^_^)/~
佳代:ホントかな。
藤原:少し長くなってきたから今日はこのぐらいにしよう。鎌倉幕府は今度ね。
三重:ハイ,ありがとうございました。

□□
□□ 今回の復習とポイント
□□

● 平清盛…平治の乱の後,実権を握る。1167年太政大臣になる。

● 日宋貿易…平清盛が,大輪田泊(現在の神戸港)で行う。
       輸出品:いおう,刀剣,漆器など。
       輸入品:宋銭,陶磁器など。

● 平氏の滅亡…1185年,壇ノ浦(現在の山口県)の戦いで滅亡。

覚えるのはこのぐらいで大丈夫です。最近は,日宋貿易の輸入品は何かという問題
が増えていますのでしっかり覚えましょう。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 9   
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■■
■■ 鎌倉幕府の成立を勉強します。
■■

三重:いい国作った頼朝ちゃん(^_^)/~
佳代:鎌倉幕府の成立ね。
三重:そう,でも,前に藤原先生が変なこと言ってたわよね。
佳代:うん,1192年は頼朝が征夷大将軍になった年だけど,鎌倉幕府の成立は,必
   ずしもこの年ではないようなことを。
三重:どうしてかなぁ〜。
藤原:それはね。
佳代:あっ,先生。
藤原:実はね,1192年という説は,教科書にも書いてあるし,ほとんどの日本人は,
   そう思っているだろう。でも,歴史家の間では完全な少数意見になっているん
   だよ。
佳代:本当ですか。
藤原:うん,君たちは,とりあえず,1192年でまったく問題がないんだけれども,
   そう思いこんでいると間違えてしまう問題が入試に出ている。
三重:エッ,そんな…。
藤原:まあ,それは後で教えるとして,現在言われている説をあげてみよう。まずは,
   1180年説。これは頼朝が鎌倉に侍所を設置した年だ。
三重:さむらいどころ?
佳代:軍事を担当するところよ。中央の組織でしたね。
藤原:そう,次に,1183年説。これは頼朝が,朝廷から東国支配を承認された年。
   そして,1184年説。これは,公文所,問注所が設置され,幕府の機構が整っ
   た年だ。
三重:先生,難しすぎて分かりません。
佳代:公文所(くもんじょ)は,後に政所(まんどころ)と言われる政治を執ったと
   ころ,問注所(もんちゅうじょ)は裁判をしたところよ。教科書に載っている
   わ。
藤原:そう,今,佳代ちゃんが言った,公文所,問注所に侍所は,鎌倉幕府の中央の
   組織だったね。それらはすでに,1184年までにできていたんだね。そして,
   本命の1185年だ。
佳代:あっ,平氏が滅亡した年ですね。
藤原:そういうこと。この年は,頼朝に守護・地頭の任免権が与えられている。まあ,
   最近は,異説も出てきているので,もう少し研究しなければならないのだけれ
   ども,とにかく,この年はものすごく大切だ。
三重:どうしてですか?
藤原:うん,守護は,国ごとに置かれ,軍事や警察の役目を,地頭は,荘園や公領ご
   とに置かれ年貢を取り立てたり,その土地の管理をしたりしたんだけれども,
   両方とも地方の役職だ。
三重:ハイ,知ってます。
藤原:実は,これがよく問題に出るんだ。年表問題なんかでね。
佳代:分かりました。守護・地頭の設置は,年表中のどこか選べという問題でしょう。
藤原:そういうこと。鎌倉時代だから当然,1192年の後を選んでしまう人が多い。
佳代:あっ,そうか。そういうことだったんですね。佳代は,いい国を作る前に守護・
   地頭って覚えています。
藤原:おう,それはいいね。それなら間違えないね。鎌倉時代はいつから始まるとい
   うのは,とりあえず歴史家に任せて,中学生は,大切な守護・地頭の設置が,
   平氏が滅亡した1185年だということをしっかり覚えないといけない。最近は
   やりの問題だからね。
三重:分かりました。でも,やっぱり鎌倉幕府は,1192年がいいわ。
佳代:どうして?
三重:だって,いい国作った頼朝ちゃんが一番決まっていていいじゃない。
藤原:まあ,その語呂合わせは捨てがたいけれども,いずれ,教科書も,1185年あ
   たりが主流になって来るんじゃないかな。
佳代:歴史の教科書が変わるって,何か変な感じがするけれども,研究が進めば変わ
   るんですね。
藤原:そう,歴史の教科書だって絶対ではないということ。ただ,君たちは,そんな
   に気にせず,勉強していっていいよ。
佳代:ハイ,分かりました。今日は,ありがとうございました。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 鎌倉幕府の成立…本文にもあったように諸説あり。とりあえず1192年。

● 鎌倉幕府のしくみ

  ・中央:侍所……軍事や警察の役目。
      政所……最初は公文所,政治一般。
      問注所…裁判。
  ・地方:守護……軍事や警察の役目(国ごとに置かれる)
      地頭……年貢の徴収や土地の管理など(荘園・公領ごとに置かれる)

  *ほかにもありますが,中学生は,これだけは覚えてね。

注意事項:いい国を作る前に守護・地頭…1185年に設置されたのですから1192年
     より前です。テストに出ます。絶対に覚えてね。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 10  
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■■
■■ 今回は,承久の乱と執権政治を勉強します。
■■

三重:源氏って,3代で終わっちゃたのね。
佳代:そうなのよ。しかも,実質,頼朝だけ。2代の頼家も3代の実朝もあまり力が
   なかったし。
三重:暗殺されちゃったのよね。
佳代:ホント,いやねぇ〜。
藤原:そこで,チャンスと思った人間がいた。
三重:あっ,先生,おはようございます。
佳代:後鳥羽上皇ですね。
藤原:そう,今日は,その辺の勉強だね。
佳代:ハイ,お願いします。
藤原:後鳥羽上皇って言う人は,相当強気だったらしい。なんでも,賊を自分でねじ
   伏せたという伝説まで持っている人だ。
三重:ホントですか?
藤原:まあ,たぶんうそだろう(笑)。でも,強気だったということは本当みたいだ。
佳代:当時は,源氏が絶えて,北条義時が実権を握っていたんですよね。
藤原:そう,だから東国の武士達が必ずしも北条氏に心服していたわけではなかっ
   たんだ。
佳代:すると,後鳥羽上皇が,一気に武士から政権を取り戻そうとしたくなるのは分
   かりますね。
藤原:そうだよね。元々武士なんて貴族の犬と考えていた人たちにとって,天下を取
   っているのは許せないことだろう。そこで,後鳥羽上皇は,北条義時を討てと
   いう院宣出したんだ。
三重:いんぜん?
藤原:そう,院宣とは院からの命令のことだ。
佳代:これが,いわゆる承久の乱ですね。
三重:位置について承久の乱!
佳代:何よ?三重,急に。
三重:だって,1221年でしょ。
佳代:あっ,そうか,位置にはともかく,ついての「つ」は,ワンツースリーの「つ」
   なのね。
三重:そうで〜す。
藤原:三重も,随分覚えてきたね。
三重:は〜い,最近,ちょっとだけ楽しくなってきました。
藤原:それでいいよ。楽しむことが大切だからね。
佳代:でも,何で失敗したのですか?
藤原:そうだね。当時は封建制度だったよね。
佳代:ハイ。
藤原:封建制度を簡単に説明するとどういうことだった?
佳代:えっと,将軍と御家人は土地を仲だちとして御恩と奉公の関係ということです。
藤原:うん,いいね,模範的な解答だ。これもテストに出るからね,しっかり覚えて
   おいてね。ところで,源頼朝の奥さんは何て言う人だっけ?
佳代:ハイ,北条政子です。
藤原:そう,この北条政子がすごかったんだ。
三重:といいますと。
藤原:うん,さっきも言ったように,東国の武士達は必ずしも北条義時を心服してい
   なかったから院宣をもらうと動揺したんだ。
三重:エエ。
藤原:そこで,有名な北条政子の演説がはじまった。
佳代:あっ,思い出しました。教科書に載っていました。
藤原:そう,政子は言ったんだね。朝廷から差別され搾取され続けた武士の地位を,
   ここまで引き上げたのは誰かと。
佳代:みんな頼朝のおかげではないかと。
藤原:そう,だから,その御恩に報いるのは今ではないか。もし,朝廷につきたい者
   は,さっさと行け,わたしを斬り捨てて行けと。
三重:わぁ〜,迫力あるぅ。
藤原:そう,実際はどうか分からないけど,恐かっただろうね。女のヒステリーほど
   恐いものはないから(笑)
佳代:その結果,後鳥羽上皇は捕らえられ,隠岐に流されたんですね。
藤原:そういうこと。そして,朝廷を監視するために京都に六波羅探題を設置した。
   これで,完全に武士の時代が確立したと言えるね。
佳代:北条氏中心の執権政治も確立したと言えますね。
藤原:そうだね。実際,いつをもって執権政治が成立したのかということになると難
   しくなるけれども,少なくとも承久の乱以後は,北条氏中心の政治がはじまる
   ことになる。
三重:そして,御成敗式目が制定されるんですね。
藤原:おう,いいね,三重,そうなんだ。武士としての初めての法律が制定される。
三重:一日三人御成敗!
佳代:1232年のことね。
三重:そうです,三重だってできるんですぅ〜。
藤原:そう,この法律を作ったのは北条泰時だ,しっかり覚えておこうね。北条氏の
   中で一番よく出る人物だから。
三重:ハイ,分かりました。
藤原:まあ,今日はこの辺にしておこうか。承久の乱は,歴史的にも大きな争いだっ
   たね。
佳代:本当にそうですね。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 封建制度…将軍と御家人は土地を仲だちとして御恩と奉公の関係。

● 承久の乱(1221年)…武士から政権を取り戻そうとした後鳥羽上皇らが起こし
            た乱。結果は失敗し,隠岐に流される。

● 六波羅探題の設置…朝廷の監視や,西国の御家人を統率するため京都に設置。

● 御成敗式目(1232年)…北条泰時が制定。武士として初めての法律。


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