■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 196
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「日本の内閣−26」を勉強します!
■■

三重:佳代、この前の地震、すごかったね。
佳代:ホント、恐かったわ!
藤原:特に、東北の人は大変だったろうね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:死者が一人も出なかったのが、不幸中の幸いだね。
佳代:そうですね。もう少し強かったら大変なことになっていました。
藤原:うん。ギリギリセーフというところかな。どちらにしても、戦争などと
   違って、防ぐことができないのがつらいところだね。
佳代:そうですね。戦争ならば、外交で回避できる場合もあります。しかし、
   天災は、防げません。
三重:ホントです。祈るしかありません。
藤原:時代は進んでも、まだまだ、ままならないものが多いね。さて、今日は、
   吉田茂だね。
三重:ハイ。お願いします。
藤原:戦後の重要な人物である吉田茂は、ワンマン宰相と呼ばれた。
佳代:あっ、そういうイメージがあります。何といっても、バカヤローと言っ
   て解散したというエピソードがあるぐらいですから。
藤原:そうだね。それに、妻は、あの大久保利通の孫だ。
佳代:えっ!そうなのですか。あの独裁者の。
藤原:うん。先生は、あの独裁者は、人気はないけど、すごい人だと思ってい
   るよ。それにしても、面白い組み合わせだよね。
三重:本当です。どんな夫婦だったのでしょうね。
藤原:まあ、その辺の詮索はしないこととして、この内閣では、日本国憲法が
   公布される。
三重:ハイ、これは、覚えました。戦争が終わったのが、1945年で、翌年の文
   化の日に公布されています。つまり、1946年の11月3日です。
藤原:うん。そして、さらに翌年の47年5月3日に施行されることになる。
三重:大丈夫です。こちらは憲法記念日になっています。ゴールデンウィーク
   中です。
藤原:そう。祭日だから、すぐに覚えられるよね。このぐらいは知っておいた
   ほうがいいだろう。日本人の常識としてね。
佳代:そうですね。そして、この憲法は、今でも、まったく手をつけられずに
   残っています。
藤原:うん。前に、世界で最も古い憲法の話をしたことがあったと思うけど、
   この日本国憲法が、改正されていない最古の憲法だったね。
佳代:ハイ。本当にビックリしました。しかし、飛鳥時代に制定された律令が、
   名目上とはいえ、明治まで残っていたことを考えると、たったの50数年
   ですから不思議ではないと思います。
藤原:おお、佳代ちゃんも、日本の歴史を的確に見抜くようになってきたね。
佳代:いえ、そんな・・・。
藤原:まあ、同じ日本人でも、理解しがたいことをたくさんやっている民族だ
   からね。いいこと、悪いことを含めて。30世紀には、日本人を研究する
   学者が増えると思うよ。
佳代:そうかもしれませんね。日本史は、摩訶不思議です。
藤原:うん。話を憲法に戻すよ。この憲法は、押し付けられた憲法ということ
   でも有名だね。
佳代:ハイ。わたしも、その辺は、納得していません。
藤原:実は、日本側も憲法案を出したんだ。国務大臣松本烝治の案をアメリカ
   に提出した。しかし、却下され、GHQ案が、そのまま憲法になった。
佳代:そこまでは、納得できるんです。占領下ですから。しかし、サンフラン
   シスコ講和条約で、一応、日本の独立が認められた時点で、見直してほ
   しかったんです。
藤原:そうだね。それが筋だろう。でも、理想に近い憲法だったので、そのま
   まになってしまったんだろうね。
三重:それに、面倒だからじゃないんですか?
藤原:おお。それは、いいところをついているかもしれないよ。どちらにして
   も、この問題は、現在でも続いている問題だから、見守っていこう。
三重:わかりました。見守ります。
藤原:次に、労働三法が、次々に成立する。
佳代:えーっと、労働組合法、労働関係調整法、労働基準法の順にできたので
   すね。
藤原:そういうこと。これも、45、46、47年と続けて成立している。また、
   47年には、独占禁止法も成立している。
三重:あっ、知っています。今でもときどき独占禁止法違反なんて言葉を聞き
   ます。
藤原:そのとおり。それを監視する機関は知っているかな?
三重:えーっと、知りません。
藤原:佳代ちゃんは?
佳代:公正取引委員会です。
藤原:正解だ。さらに、教育の民主化も行われる。教育基本法が制定され、義
   務教育が、9年になる。
三重:今と同じですね。
藤原:そう。最近、その形が見直される動きがあるけど、現行のものは、この
   ときのものが元になっている。とにかく、吉田茂内閣は、第四次まであ
   るから、とりあえず、今日は、第一次だけにしておこう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第45代 吉田 茂(よしだ しげる) 1946-1947 <第一次>


■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 197
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「日本の内閣−27」を勉強します!
■■

三重:佳代、イラクの戦後処理でもめているね。
佳代:そうね。どうなるのかな?
三重:アメリカは、日本でやった方式でやりたいみたいだけど。
藤原:そうだね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:その辺は、これからの動きを見守ろう。
三重:そうですね。それじゃあ、今日は、46代からお願いします。
藤原:わかったよ。46代は、日本で初めての社会主義政党が登場する。
佳代:あっ、片山内閣ですね。
藤原:そのとおり。片山哲内閣だ。
三重:それなら、わたしでも知っています。前にやりました。
藤原:お、覚えていたかい。
三重:バカにしないでください。わたし、そのときまでは、村山さんが最初
   だと思っていたのですから。
佳代:そういえば、そんなこと言っていたわね。
藤原:この内閣は、日本社会党の単独内閣ではない。
佳代:連立内閣ですか?
藤原:そう。民主党と国民協同党の3つの政党が連立していた。
佳代:すると、すべてが、社会主義政策というわけではないのですね。
藤原:もちろん。でも、労働者の味方らしく労働省を設置した。
三重:一応、労働者の味方ということですか?
藤原:そうだろうね。そして、内務省を解体する。
三重:そのころの経済状態はどうだったのですか?
藤原:最悪だよ。
佳代:確かに、戦後、間もないですからね。
藤原:うん。戦争によって、産業が崩壊した。もちろん、物資は不足してい
   たからインフレもひどかった。
三重:話には聞いたことがありますが、ひどかったようですね。
藤原:そうだよね。テレビなどで、そういう場面を見ることがあると思うけ
   ど、相当ひどかったようだ。そこで、経済を民主化するために過度経
   済力集中排除法が制定された。
三重:えーっと、過度・・・ですか?長い名前ですね。
藤原:うん。これによって大企業を分割した。それから、石炭、鉄鋼、電力
   などの基幹産業を復活させるために復興金融金庫が設立された。
佳代:名前を聞いているだけで物々しい感じがしますね。
藤原:そうだね。非常に厳しいものだということがわかるだろう。そして、
   傾斜生産方式が実施される。
三重:何ですか、それは?
藤原:うん。吉田内閣のときに決定していたのだけど、石炭、鉄鋼部門を重
   視する政策だ。重点的に予算を投入して、この部門の復活を急いだん
   だ。
三重:それで、傾斜ということですね。
藤原:そういうこと。後は、この内閣では、新しい民法が公布される。
佳代:現在のものですか?
藤原:そう。それまでの戸主権というものが廃止された。そして、男女平等
   の民法になった。
三重:ああ、公民で勉強しました。
藤原:そうだね。他にも警察法を作って、国家地方警察と自治警察に分けた
   りした。もっとも、これは、うまくいかず、後に改正されることにな
   るけどね。
佳代:けっこう、いろいろなことをしているのですね。
藤原:そうだね。そして、この内閣は、石炭の国家管理を企てたため、退陣
   することになるけど、日本で最初の社会主義政党の内閣ということで
   歴史的意義は大きいと思う。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第46代 片山 哲(かたやま てつ) 1947-1948


■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 198
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「日本の内閣−28」を勉強します!
■■

三重:佳代、日本の復興はまだなの?
佳代:まだよ。アメリカに占領されているし、復興の道筋をつけている段階
   よ。
三重:ということは、厳しい時代ということね。
藤原:そういうこと。その時代を経験した人は、まだ、たくさん生きている
   よ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今回は、芦田内閣からだね。
三重:ハイ、お願いします。
藤原:それじゃあ、はじめよう。まず、この内閣では、大きな事件が起きる。
佳代:えーっと、昭和電工事件ですか?
藤原:そう。よく知っているね。前回もやったように、片山内閣のときに復
   興金融金庫が設立された。そこからお金を借りるために昭和電工の社
   長が政治家や官僚に賄賂を送った事件だ。
三重:相変わらずですね。病気じゃないんですか?
藤原:そうだね。政治と金は、今も問題になっているけど、人類の永遠のテ
   ーマかもしれないね。
佳代:わたしは、あきれはてています。
藤原:そうだね。多くの国民があきれはてているだろう。この事件は、芦田
   内閣を転覆させるために、GHQがリークしたという説もある。どち
   らにしても、この大疑獄事件で混乱に陥った。
佳代:それで、また、吉田茂が登場するのですね。
藤原:そういうこと。これからは、第2次から第5次まで、吉田内閣が続く。
   これは、6年に及ぶ長期政権だ。
三重:やはり、戦後の混乱期に力を振るったのですね。
藤原:そうだね。アメリカとしても、都合がよかったのかもしれないね。
佳代:そんなに長いのを今日全部やるのですか?
藤原:そうだね。全部やるのは大変だから、今日は、第2次での出来事であ
   る極東国際軍事裁判だけやろう。
三重:軍事裁判ですか?
藤原:そう。日本の戦争犯罪を裁こうということだ。判決が出たのが、吉田
   内閣での出来事。
三重:いやですね。勝ったほうが負けたほうを裁くなんて。
藤原:そうだね。かなり問題があると思うよ。でも、戦争とは、そういうも
   のかもしれない。今、もし、フセイン大統領の行方がわかったら、ア
   メリカは、裁くだろう。理不尽であっても。
佳代:確か、インド人が日本の味方をしたということですが。
藤原:そのとおり。インドのパル判事は、戦勝国が敗戦国を裁くのはおかし
   いといい、全員無罪を主張した。唯一といっていいほど、日本に味方
   してくれたんだ。今でも、そのことをインド人がいうのを聞いたこと
   がある。
三重:でも、東条英機らが死刑になったのですね。
藤原:そうだね。前に勉強した広田弘毅とか、7人が死刑になった。
佳代:勝てば官軍という言葉がありますが、勝った方は、すべて正当化され
   ます。原爆を落としたことだって正当化されています。
藤原:うん。あれこそ、大量破壊兵器だよね。納得はいかないけど、今、あ
   れこれ言っても仕方がないようだ。でも、その辺は、いずれ、歴史が
   判断してくれるだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第47代 芦田 均(あしだ ひとし) 1948-1948
第48代 吉田 茂(よしだ しげる) 1948-1949 <第2次>


■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 199
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「日本の内閣−29」を勉強します!
■■

三重:佳代、今回で、吉田内閣は片付くかな?
佳代:そうね〜。ちょっと無理みたいよ。
藤原:そうだね。多分無理だよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:内閣編もだいぶ進んできたね。
佳代:ハイ、今やっているところが1つの山だと思っています。
藤原:そうだね。日本にとって、この時期の出来事が、以後の繁栄への扉と
   なっていることは間違いない。よく勉強しておこう。
佳代:わかりました。まずは、何からやるのですか?
藤原:経済からいこう。当時の経済は、最悪だったからね。
三重:そうですね。おじいちゃんから聞いたことがあります。
佳代:あっ、三重のおじいちゃんって、先生と同じじゃないのですか?
藤原:そうだよ。もう、80を過ぎているけど、三重と共通のおじいちゃんは
   いるよ。
三重:佳代、いとこなんだから、当たり前じゃない。
佳代:それもそうね。
藤原:それは、そうとして、まず、日本経済自立のために、経済安定九原則
   が出た。
三重:どんな原則ですか?
藤原:うん。均衡予算、徴税強化、融資制限、賃金安定、物価統制、外国為
   替管理、輸出制限、国産重要品の増産、食糧集荷の改善だ。
三重:何か、四字熟語が多いですね。
藤原:そうだね、とりあえず、雰囲気だけつかんでほしい。それから、その
   経済安定九原則を実現するため、ドッジ=ラインと呼ばれる経済政策
   が出された。
三重:ドッジ?何ですか、それは?
佳代:確か、人の名前だったのでは?
藤原:そう。GHQの金融顧問のドッジ公使が出した経済プランなんだ。だ
   から、ドッジ=プランとも言う。
三重:ああ、今で言うと、竹中プランみたいな呼び方ですね。
藤原:そういうこと。そして、単一為替レートを設定した。
三重:えーっと、経済って、用語が難しいです。
藤原:そうだね。でも、中学生の公民で習う程度の用語だから、知らないと
   いけないよね。
佳代:ハイ。為替レートとは、外国のお金と交換する場合の比率です。
藤原:そう。だから、それを単一にした。1ドルを360円に固定したんだ。
三重:ああ、そんな話、聞いたことがあります。今は、毎日変わりますが、
   昔は、ずっと360円だったって言っていました。
藤原:もちろん。先生が子供の頃も、360円だったよ。
佳代:あっ、そうなんですか?
藤原:そうだよ。変動相場制になったのは、1973年のこと。ちょうど30年前
   のことだね。
三重:1ドルを360円にして、何かいいことがあるのですか?
藤原:そうだね。当時の日本の円は、まったく信用がないだろ。通貨という
   のは信用だから、信用のないものは、どんどん下がってしまう。
佳代:それは、わかるのですが、どうして、信用がないのに、勝手に決めら
   れるのですか?
藤原:おお、いいところに目をつけたね。要するに保証人つきということ。
三重:保証人?誰が、保証してくれるのですか?
藤原:もちろん、アメリカだよ。つまり、ドルが、円を保証したということ
   だ。
佳代:なるほど。何となく分かりました。
藤原:そして、第3次になってから、有名なシャウプ勧告が行われる。
三重:えーっと、このシャウプというのも人の名前ですか?
藤原:そのとおり。コロンビア大学の教授だ。
三重:あっ、hikkiの行っていた大学ですね。
藤原:えーっと、hikkiって、宇多田ヒカルのこと?
三重:当たり前じゃないですか。他にいるんですか。
藤原:ちょっと、三重ちゃん、先生、そういうのに弱いの。
三重:そうでしたね。
佳代:三重、うれしそうね。
三重:先生にも苦手なものがあると思うとうれしいのよ。
藤原:それはそれとして、このシャウプ勧告で、間接税主体の税制が、直接
   税中心に変わっていく。だから、平成元年に消費税が導入されたとき、
   シャウプ勧告以来の改革といわれたんだ。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第48代 吉田 茂(よしだ しげる) 1948-1949 <第2次>
第49代 吉田 茂(よしだ しげる) 1949-1952 <第3次>


■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 200
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「日本の内閣−30」を勉強します!
■■

三重:佳代〜、いよいよ200号ね!
佳代:ありがとう!
三重:小泉内閣メールマガジンだって、まだ、100号よ。
佳代:そうね。考えてみると、4年前の今日、第1号が出たのね。
藤原:佳代ちゃん、おめでとう。
佳代:あっ!先生、ありがとうございます。
藤原:初めてのときは、読者もわずか2名。でも、4年も続くのだからすご
   いよ。
三重:先生、自分で言っちゃダメじゃない(笑)
藤原:それは、そうだね。それじゃあ、200号目をはじめようか。
三重:お願いします。
藤原:今日も、吉田内閣だ。
三重:本当に長いですね。
藤原:そうだね。とりあえず、朝鮮戦争から行こう。
佳代:やっと太平洋戦争も終わり、第二次大戦も終わったと思ったら、お隣
   で大戦争が始まってしまいました。
藤原:うん。朝鮮戦争自体は、また、機会があったら取り上げようと思うけ
   ど、今回は、この戦争による特需について考えてみよう。
三重:先生、そもそも特需って何ですか?
藤原:特別需要の略だよ。朝鮮で戦争が行われたため、日本はアジアの中継
   基地になった。だから、アメリカ軍の軍需品を日本で作ることになっ
   たため、特別な需要が生まれたというわけ。
佳代:そうですね。戦争には大量の物資が必要です。それを日本から調達し
   たというわけですね。
藤原:そういうこと。朝鮮戦争の犠牲者の方には申し訳ないことだけど、こ
   の戦争のおかげで、日本経済が一気に立ち直ることになった。
三重:それは、複雑な気持ちになりますね。人の戦争のおかげで立ち直るな
   んて・・・。
藤原:確かにね。そして、そのころ、現在の自衛隊の元となった警察予備隊
   も作られている。
佳代:この辺は、前にも少しやりましたね。アメリカは、中華人民共和国の
   成立や朝鮮戦争の勃発などを見て、日本を西側陣営の一員として扱う
   ようになったのですね。
藤原:そうだね。占領政策の方針が変わったのがこのころだ。そして、いよ
   いよ独立に向けての講和会議が開かれる。
三重:サンフランシスコ講和会議ですね。
藤原:そのとおり。しかし、国内では、単独講和か全面講和かで、もめてい
   たんだ。
三重:どう違うのですか?
藤原:単独講和は、日本と講和してくれる国とそれぞれ講和すること。それ
   に対して、全面講和は、ソ連や中国など、すべての連合国と講和する
   こと。
佳代:結局、単独講和を結んだわけですね。
藤原:そのとおり。だから、ソ連などとは平和条約を結ばなかった。
佳代:そうですね。ソ連、今のロシアですが、21世紀になった今でも平和条
   約は結ばれていません。
藤原:そうだったね。この決断によって、日本は、アメリカ中心の西側陣営
   に組み込まれることが確定したと言ってもいいだろう。
三重:当時は、ソ連中心の社会主義陣営とアメリカ中心の西側陣営が対立し
   ていたのですね。
藤原:そう。だから、中国やソ連に近い日本の地理的価値が大きかった。だ
   から、アメリカは、日本を重視したんだ。
佳代:だから、サンフランシスコ平和条約を結んだ後、日米安全保障条約も
   結ばれたということですね。
藤原:そういうこと。当時の日本は、アメリカから見て、反共産のための防
   波堤だったとも言える。とにもかくにも、日本は独立した。大戦争で
   戦ったアメリカだったけど、以後は、友好な関係が続いている。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第49代 吉田 茂(よしだ しげる) 1949-1952 <第3次>
第50代 吉田 茂(よしだ しげる) 1952-1953 <第4次>
第51代 吉田 茂(よしだ しげる) 1953-1954 <第5次>


★ バックナンバー目次へ ★ ★ TOPのページへ ★ ★ 次へ(201〜205) ★