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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 181
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■■ 今回は「日本の内閣−11」を勉強します!
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三重:平成も、もう15年〜♪
佳代:何、それ?
三重:だって、大正時代って、15年で終わりでしょ。平成は、その記録を
   抜くところだから。
佳代:そうね。大正時代って、人間が、中学を卒業するぐらいしかなかっ
   たのね。
藤原:でも、中身は濃かったよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今、やっている内閣編も、まだまだ大正時代だよね。
佳代:そうですね。15年って、短いようでも、結構、長いです。
藤原:そのとおりだ。特に、この時代は、日本が国際的な力をつけ、第一
   次世界大戦の好景気でわいたころだった。
三重:いわゆる天国の時代ですか?
藤原:そうだね。でも、この大正時代に地獄を見ることになる。
三重:地獄?
藤原:そう、関東大震災だ。
三重:あっ、関東大震災って大正時代でしたね。
藤原:そのとおり。それじゃあ、前回の高橋是清内閣に続いて、21代の加
   藤友三郎内閣を見てみよう。
佳代:ハイ。この内閣は、あまり知名度がありませんね。
藤原:そうだね。でも、かなり重要な内閣だった。
三重:どういう点でですか?
藤原:うん。前回、話したように、海軍軍縮会議があったよね。
三重:ハイ、ワシントン会議ですね。
藤原:そう。そして、日本は、アメリカ、イギリスが、5に対して、3と
   決められた。
佳代:覚えています。当時の日本の地位を表しています。
藤原:でも、それを国内に納得させなければならないよね。
三重:そうですね。会議で決まったからと言っても、そうですかというわ
   けにはいかないと思います。
藤原:そのとおり。そこで、登場したのが、海軍出身の加藤友三郎。彼は、
   日露戦争のとき、東郷平八郎の部下で、参謀として有名な秋山真之
   の上司だった。
佳代:あっ、知っています!司馬遼太郎先生の小説で読んだことがありま
   す。
藤原:そうだよね。海軍軍縮を実行するためには、海軍に強い影響力のあ
   る人物が必要だった。そういう意味では適任だったといえるだろう。
三重:その加藤内閣のときに関東大震災が起きたのですか?
藤原:う〜ん、難しいねぇ。関東大震災が起きた日は知っているかな?
佳代:もちろんです。1923年9月1日です。
三重:ひぇー、さすが佳代。何で知っているの?
佳代:えっ?知らないの?だって、9月1日って防災の日でしょ。
三重:あっ、そうか。
藤原:実は、次の山本権兵衛内閣は、1923年9月2日に発足しているんだ。
佳代:えー、震災の翌日じゃないですか!
三重:ということは、加藤内閣の最後の日に起きたのですね。
藤原:まあ、そういうことになるだろう。しかし、加藤友三郎は、その時、
   すでに、この世にいなかった。
佳代:えっ、えっ、どういうことですか?
藤原:実は、震災の9日前に亡くなっていたんだ。そして、次期内閣の山
   本権兵衛は、組閣の真っ最中、そのとき、震災は起きたのだ。
三重:そうだったのですか。何か、ドラマみたいですね。
藤原:そうだね。だから、首相の死んだ後、次期内閣が成立する直前に起
   きたのが関東大震災といえる。だから、加藤内閣の出来事として考
   えていいと思う。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第21代 加藤友三郎(かとうともさぶろう)1922-1923


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 182
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■■ 今回は「日本の内閣−12」を勉強します!
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三重:佳代、前回はビックリしたよね。
佳代:ホント、関東大震災の日に、内閣でドラマが起きているとはね。
三重:でも、震災の翌日から、新しい内閣よね。
藤原:そうだったね。
三重:あっ、先生、こんばんは。早く続きをやりましょう。
藤原:おう、珍しく興奮しているねぇ。
三重:ハイ。だって、明日、内閣が変わるというときに、大震災でしょ。そ
   れに、前総理は、すでにこの世の人ではないということでしたから。
藤原:うん。政府は、パニック状態だったろうね。
佳代:ハイ。想像を絶するようなパニックだったと思います。
藤原:そうだね。今、韓国の地下鉄火災の生々しい様子で大騒ぎになってい
   るけど、その何倍もの大惨事だ。
佳代:確か、10万人もの死者が出たとか。
藤原:そのとおり。約10万人といわれている。だから、発足した山本権兵衛
   内閣は、戒厳令を出した。
三重:戒厳令って何ですか?
藤原:非常時に軍隊に統治権をゆだねる命令のことだ。
佳代:軍隊で鎮圧しなければならないほどの大混乱だったわけですね。
藤原:もちろんだよ。しかし、中には、何の罪もない朝鮮人や中国人が殺さ
   れるという事件もおきた。この辺は、反省しなければならないと思う。
佳代:そうですね。
藤原:更に、どさくさ紛れに、労働運動家が殺されたり、無政府主義者が殺
   されたりした。
三重:混乱に乗じて邪魔者を消したということですか?
藤原:そんなところだ。怖い世の中だよね。
佳代:そうですね。
藤原:そして、震災恐慌が起きる。
三重:震災恐慌ですか?
藤原:うん。銀行は、震災で倒れた企業に貸していたお金を回収できないし、
   お金を預けていた人は、おろそうとする。しかし、銀行に金はない。
佳代:大変ですね。
藤原:ただでさえ、大混乱なのに、日本全体がパニックになったといっても
   いい。そこで、大蔵大臣の井上準之助は、モラトリアムで切り抜ける。
三重:モラトリアム? 椎名林檎のアルバムみたいですね・・・。
藤原:モラトリアムとは、支払猶予ということ。つまり、銀行に対して、預
   金の支払い機関などを一定期間延ばすということだ。
佳代:なるほど、ルールどおり払うことができないから、緊急措置をとった
   のですね。
藤原:そういうこと。他にも震災手形を発行したりして、何とか銀行は、助
   けられることになる。
三重:それで、震災の混乱は収まったのですか?
藤原:そうだね。だいぶ収まってきたところで、大事件がおきる。
三重:大事件?
藤原:そう、虎の門事件だ。
三重:えっ、えっ、聞いたことないですよ。
藤原:うん。虎の門事件とは、当時、病弱だった大正天皇の摂政を務めてい
   た裕仁親王が、無政府主義を信奉する青年に狙撃された事件のこと。
佳代:あっ、知っています。裕仁親王って、昭和天皇のことですね。
藤原:そういうこと。これも、さっき言った震災の混乱で、社会主義者が殺
   されたことに対する反発で起きた事件なんだ。
三重:そうですよね。反発が起きてもおかしくないと思います。
藤原:うん、確かに。しかし、こんな事件が起きてしまったことで、山本内
   閣は責任をとり、総辞職することになる。初めから最後まで、本当に
   壮絶な内閣だったといえるだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第22代 山本権兵衛(やまもとごんべえ) 1923-1924 <第二次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 183
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■■ 今回は「日本の内閣−13」を勉強します!
■■

三重:えーっと、佳代。そろそろ大正も終わるころじゃない。
佳代:そうね。1925年から昭和だから、もうすぐね。
三重:次は、誰かな〜?
藤原:次は、あまり知られていない内閣だよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:清浦圭吾って内閣だよ。まだ、大正時代だけど。
三重:キヨウラ・・・ですか?
藤原:うん、知名度は低いよね。
佳代:ハイ、聞いたことがありません。
藤原:そうだよね。この内閣は、超然内閣と言われた。
三重:チョーゼン・・・ですか?
藤原:うん。貴族院の出身で、この時代には珍しく、議会を無視した政治を
   行おうとしたんだ。
三重:それは、ムカつきますね。
藤原:そうだね。もちろん、いっせいに反発が起きた。そして、護憲三派と
   呼ばれた加藤高明の憲政会、高橋是清の立憲政友会、犬養毅の革新倶
   楽部が立ち上がった。
佳代:ああ、それが、第二次護憲運動ということですね。
藤原:そういうこと。そして、清浦は、政友会から分かれたメンバーと組ん
   で、総選挙に打って出たのだけど、惨敗。それで、退陣することにな
   る。
佳代:そして、出てきたのが、超有名な加藤高明内閣ですね。
藤原:そのとおり。この内閣は、護憲三派の連合内閣だ。そして、1932年の
   五・一五事件で犬養毅が暗殺されるまで、憲政の常道が守られること
   になる。
三重:憲政の常道?何ですか、それは?
藤原:憲政の常道とは、衆議院で多数派を形成する第一党の党首が首相にな
   るということ。
三重:なるほど、そういうことですか。
佳代:だから、五・一五事件で政党政治が終わるって表現しているのですね。
藤原:そういうこと。話を加藤高明内閣に戻そう。この内閣では極めて重要
   な法律が二つ成立したね。
佳代:ハイ、一つは、普通選挙法です。そして、治安維持法も成立しました。
藤原:うん、先ほど出た第二次護憲運動では、普選断行というスローガンも
   あった。待望の普通選挙が行えるようになったんだ。
三重:ハイ。それなら知っています。納税額に関係なく、25歳以上のすべて
   の男子に選挙権が与えられました。
藤原:そうだね。女子がまだだったのが残念だけど、これで、金持ちだけが
   選挙をできるという時代は終わった。しかし、直前に、治安維持法が
   成立している。
三重:あっ、これは、確か、交換条件みたいな感じで成立したのですよね。
藤原:そう、普通選挙法では、選挙権だけでなく、30歳以上のすべての男子
   に被選挙権も与えられた。つまり、当時は恵まれていなかった労働者
   階級から支持を受けた社会主義者が、大量に当選する可能性もあった
   ということ。
佳代:それは、金持ちの資本家にとって都合の悪いことですね。
藤原:うん。だから、社会主義者を取り締まる治安維持法を成立させた上で、
   普通選挙法が認められたということ。妥協の産物といえるかもしれな
   いね。
三重:最近の小泉さんを見ているみたいです。
藤原:そうだね。それだけ、大きな改革は難しいということかもしれないけ
   ど、とりあえず風穴は開いた。歴史的意義は大きいね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第23代 清浦奎吾(きようらけいご) 1924-1924
第24代 加藤高明(かとうたかあき) 1924-1926


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 184
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■■ 今回は「日本の内閣−14」を勉強します!
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三重:ねぇ、佳代、結局、加藤内閣で昭和になったの?
佳代:まだじゃないの?次あたりだと思うよ。
藤原:そう、今日勉強する若槻内閣のときだよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今日は、大正と昭和の両方を経験している内閣からはじめよう。
三重:ハイ、お願いします。
藤原:まず、例の普通選挙法を成立させた加藤高明が死んだことにより、同
   じ憲政会の若槻礼次郎が内閣を組織することになる。
三重:あまり、聞いたことがない内閣ですね。
藤原:まあ、知名度は、それほど高いとはいえないだろう。でも、また後で
   出てくるから名前だけは覚えておいてね。
佳代:ハイ。楽しみにしています。
藤原:この内閣では、まず、外交的に協調路線をとった。外務大臣は、ワシ
   ントン会議のときの全権、幣原喜重郎だった。
佳代:はは〜ん、協調ということは、軟弱につながるってことですね。
藤原:おお、よくわかったね。前に勉強したとおり、海軍軍縮で、日本は、
   微妙な立場に立った。フランスやイタリアよりは上でも、アメリカ、
   イギリスより下に置かれたわけだからね。
三重:それを快く思わない人たちがいたのですね。
藤原:そういうこと。陸軍は、軟弱外交と非難した。
佳代:何か、今のアメリカに対する態度や、北朝鮮問題などに通じるような
   感じですね。
藤原:そうだね。昔から、外国と付き合うのはへたらしい。更に、この内閣
   では、金融恐慌が起こる。
佳代:金融恐慌ですか?これも、今に似ていますね。
藤原:うん。内容は違うけど、似たようなところがあるね。まあ、第一次世
   界大戦中の好景気をバブルと考えると、大きく考えて似ている部分も
   多い。
三重:何か影響があったのですか?
藤原:そうだね。大蔵大臣の失言により、取り付け騒ぎが起きることになる。
三重:取り付け騒ぎ・・・ですか?
藤原:そう。大蔵大臣の片岡直温が、東京渡辺銀行が危ないって言ってしま
   ったんだ。これを知った人々は、預金を引き出しにはしったわけだ。
佳代:そうですね。大切な預金がなくなってしまったら困ります。
藤原:そうなんだ。結局、渡辺銀行は休業し、中小の銀行は次々休業するこ
   とになる。
三重:結局、小さな銀行は信用されなくなったということですか?
藤原:そういうこと。そして、五大銀行に預金が集中することになる。
佳代:なるほど、それも、中身は違うと思いますが、今と似ています。
藤原:そうだね。本当に嫌な感じがするね。そして、更に悪いことに、台湾
   銀行の鈴木商店への不健全融資が発覚する。
佳代:う〜ん、ますます、やな感じです。
藤原:うん。そして、台湾銀行は倒産目前となる。
三重:台湾は、当時は、日本領だったのですね。
藤原:もちろん。そして、この銀行は、台湾の発券銀行だったから、つぶれ
   ると困るんだ。そこで、若槻内閣は、この銀行を助けようとした。
佳代:これも、今と同じですね。
藤原:そうだね。でも、ここでは、天皇の諮問機関である枢密院が否決し、
   若槻内閣は、総辞職に追い込まれることになる。
三重:えー、銀行を救わなかったのですか?
藤原:そう。それも、最初に言ったように、軟弱外交に対する不満があった
   ことに起因している。枢密院の顧問が、幣原喜重郎の軟弱外交に大き
   な不満を持っていたことが理由といわれている。
三重:なるほど、そんなところに影響が・・・。
藤原:うん、そして、この一流銀行であった台湾銀行が、破綻することによ
   り、空前のパニックに陥ることになる。そして、時代は、どんどんき
   な臭くなっていくんだ。
佳代:わかりました。今のことを考えると、人ごととは思えませんね。先生、
   今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第25代 若槻 礼次郎(わかつき れいじろう) 1926-1927 <第一次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 185
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■■ 今回は「日本の内閣−15」を勉強します!
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三重:ねぇ、佳代。イラクはどうなるの?北朝鮮は?
佳代:そんなことわからないよ。小泉さんも、その場の雰囲気なんて言って
   いるし・・・。
藤原:ちょっと、無責任な感じがするね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今の情勢も、明日は、どうなるかわからない。非常に危険な状態だ。
佳代:ハイ。本当に危険です。
藤原:長い平和で、すっかりボケてしまっているけど、考えてみれば、日本
   は、外国から脅かされて開国して以来、帝国主義に苦しめられ、苦難
   に打ち勝った経験を持つ。
佳代:反面、その仲間入りをして、他国を侵略したこともありましたね。
藤原:そうだね。それに、現段階で唯一の被爆国にもなっている。いいも、
   悪いも、たくさん経験をしているんだ。その経験を今に生かさなけれ
   ばならない。そのためにも歴史の勉強は大切だ。
三重:今、勉強しているところも、どんどんきな臭くなっていますね。
藤原:うん。かなり昔のこととはいえ、まだ、関係者が生きている時代のこ
   と。歴史的評価は難しいけど、いい機会だから、今と見比べながら考
   えるのもいいだろう。
三重:わかりました。とりあえず、今回は、26代内閣からお願いします。
藤原:うん、それじゃあ、26代の田中義一内閣を勉強するよ。まず、前回の
   金融恐慌は、3週間のモラトリアムで乗り切った。
三重:また、モラトリアムですか?
佳代:支払猶予という意味でしたね。
藤原:そう。関東大震災のときにやったよね。
三重:ハイ、覚えています。椎名林檎のアルバムの名前と同じですから。
藤原:まあ、それは、ともかく、田中義一は、昭和天皇に、こっぴどく怒ら
   れ、退陣したというエピソードを持っている。
佳代:えっ、それは、どういうことですか?
藤原:うん、順を追って話すと、前任者が、軟弱外交と呼ばれたのに対し、
   この内閣は、強気の外交を進めた。
三重:弱気から、一気に強気にですか?
藤原:そう。結構、極端に動くことがあるからね。日本人は。そして、当時、
   中国では、蒋介石が、北伐といって、北上していた。
佳代:それは、日本にとって都合の悪いことだったのですね。
藤原:そのとおり。満州に権益を持っている日本にとっては、非常に都合が
   悪い。そこで、北伐に対抗して、山東出兵が行われる。
佳代:そこで、蒋介石とぶつかったのですか?
藤原:そう。この事件を済南事件と呼んでいる。そして、その後、大変な事
   件が起きる。
三重:何ですか?
藤原:張作霖爆殺事件だ。
三重:あっ、それなら知っています。関東軍が仕組んだ事件ですね。
藤原:おう、よく知っているね。
三重:学校で教わりましたから。
藤原:うん。この事件で、満州にいる日本人が危ないからという理由で、出
   兵命令を出してもらい、一気に満州を占領しようと考えたんだ。
佳代:そこに、天皇が出てくるのですね。
藤原:そう。昭和天皇は、命令を出すどころか、この事件の真相を調べだし
   た。
三重:えっ、どうしてですか?
藤原:一説によると、昭和天皇は、テロが大嫌いだったらしい。大正時代に
   狙撃されたことは、話したよね。
佳代:ハイ、覚えています。虎の門事件です。
藤原:うん。そんなわけもあって、昭和天皇は、張作霖爆殺事件は、関東軍
   と関係あるのではと、田中義一に糺したんだ。
三重:それに対して、どう答えたのですか?
藤原:無関係ですと答えた。
三重:ええ、それって、嘘なんじゃないですか?
藤原:そのとおり。そのとき、天皇も、田中は嘘つきだ、顔も見たくないと
   言ったといわれる。
佳代:天皇に、そう言われたらおしまいですね。
藤原:そうなんだ。だから、泣く泣く退陣することになる。天皇の怒りで、
   内閣が退陣したのは、後にも先にも、この内閣だけだ。
三重:それは、すごいですね。そんなこともあるのですね。
藤原:後に、昭和天皇は、そのときのことを、私も若かったと言っているぐ
   らいだから、事実だと思う。どちらにしても、このころから、半分以
   上、戦争状態になっていたと言っていいだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第26代 田中義一(たなかぎいち) 1927-1929


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