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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 171
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■■ 今回は「日本の内閣−1」を勉強します!
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三重:ねぇ、佳代。ホームページに、歴代内閣年表ができたね。
佳代:そうね。読者の方から、作って〜ってリクエストがあったんで。
三重:それにしても、たくさんの総理大臣がいるのね。
佳代:本当ね。
藤原:今日は、内閣の話かい?
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:日本に内閣ができて、まだ、100年ちょっとだけど、たくさんいるね。
佳代:そうですね。できたのが、1885年だから、117年で、87代です。
藤原:そうだね。中には、何度もやった人がいるから、人数としては、56人
   ということだけど、一人、約2年というところだね。
三重:たったの2年ですか。その辺が問題ですね。
藤原:うん。一概には言えないけど。とにかく、読者のみなさんも、ホーム
   ページに行って見てほしいね。
佳代:本当です。お願いします。歴史年表のテーマ別年表にあります。
藤原:ところで、今回は、何の勉強をするの?
佳代:そうですね。人物編が、ほぼ終了したので、しばらくは、内閣を少し
   ずつ勉強したいです。
藤原:わかったよ。それじゃあ、初期の内閣を勉強しよう。
三重:最初の総理大臣は、伊藤博文です。
藤原:そうだね。常識だね。でも、入試では、原敬って書いちゃう人もいる。
佳代:あっ、原敬は、日本で最初の本格的政党内閣です。それと勘違いしち
   ゃう人がいるのですね。
藤原:そうなんだ。また、博文は、「ひろぶみ」で「ひろふみ」ではない。
三重:それ、知ってます。前にテストで間違えましたから(笑)
藤原:うん。間違えて覚えていくものだから、今、覚えていればいいよ。そ
   れから、このメルマガでは、おなじみの黒田清隆が、2代だね。
佳代:ハイ。黒田清隆のときに、大日本帝国憲法が発布されました。
藤原:そうだね。これなんか、クイズで出そうだね。ひっかけとして。
佳代:そうですね。クイズネタになりそうです。それに、第1回総選挙は、
   3代目の山県有朋です。
三重:えーっと、わたしとは関係ない「やまがた」さんね。
藤原:うん。長州藩士としても有名な山県有朋だ。この辺は、高校生は、必
   見。大学入試で出ているからね。どちらにしても、これからは、少し
   詳しく各内閣を勉強していくことにしよう。
佳代:わかりました。先生、今日は、ありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第1代 伊藤博文(いとうひろぶみ) 1885-1888 <第一次>
第2代 黒田清隆(くろだきよたか) 1888-1889
第3代 山県有朋(やまがたありとも)1899-1891


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 172
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■■ 今回は「日本の内閣−2」を勉強します!
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三重:ねぇ、佳代。内閣って、本当によく変わるのね。
佳代:そうね。
三重:でも、内閣ごとに事件を見ていくと、わかりやすいよね。
藤原:そうだね。同じものでも見方を変えるだけでわかりやすくなるね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今日は、この前の続きだね。
三重:ハイ。とりあえず、駆け足で、小泉さんまで見ていきます。
藤原:それじゃあ、やろう。この前は、3代の山県有朋までやったね。
佳代:ハイ。4代は、松方正義です。
三重:松方?聞いたことないよ。
藤原:うん。中学生では、あまりやらないからね。
佳代:確か、大津事件がありましたね。
藤原:そう。これは、よく知っているだろう。
三重:えっ、そんなのありましたっけ?
佳代:前に勉強したでしょ。
三重:う〜ん、大津といえば、天智天皇とか・・・。
佳代:何言っているの。それは、古代の大津京でしょ。今、やっているの
   は内閣よ。
三重:それは、そうだけど、思い出せないのよ。
藤原:ロシアの皇太子が襲われた事件があったよね。
三重:あっ、あれが大津事件ですか。
藤原:そう。1891年、日本に遊びに来ていたロシア皇太子が、大津で襲わ
   れた。
佳代:襲ったのは、巡査です。
藤原:うん。巡査の津田三蔵。しかし、この事件は、歴史よりも、公民で
   勉強したんじゃないかな?
佳代:ハイ。司法権の独立のところで。
三重:あっ、それなら覚えています。確か、政府の圧力をはねのけた裁判
   長のことですね。
藤原:そう。大審院長の児島惟謙だ。政府は、津田三蔵を死刑にしないと
   ロシアと戦争になることを恐れて圧力をかけたんだ。
佳代:しかし、司法権の独立を守りました。
藤原:うん。児島惟謙は、法を曲げなかった。これは、日本司法史上、重
   要な出来事となった。
佳代:次は、伊藤博文の再登場です。
藤原:そうだね。伊藤博文は、第四次まである。
三重:それは、すごいですね。
藤原:第二次の出来事といえば、何といっても日清戦争だろう。
佳代:そうですね。でも、日清戦争の直前に、日英通商航海条約を結んで
   います。
三重:日英同盟のこと?
佳代:違うよ、三重。日英同盟は、もっと後よ。これは、イギリスとの間
   で、治外法権を撤廃した条約よ。
三重:あっ、不平等条約の改正の1つね。
藤原:そう。幕末に結んだ不平等条約の1つが、ここで解消される。
佳代:中国での利権を狙っていたイギリスが、日本と手を結んだ方がいい
   と判断したためですね。
藤原:そういうこと。後の日英同盟を結ぶときと同じような理由だ。
三重:日清戦争があったということは、三国干渉もあったわけですね。
藤原:もちろんだ。下関条約を結び、遼東半島を得たが、ロシア、フラン
   ス、ドイツの三国に圧力をかけられ、返すことになった。
三重:嫌ですねぇ。圧力って。
藤原:そうだね。そして、次の内閣は、第二次松方正義内閣になる。
三重:順番ですね。
藤原:うん。このときは、八幡製鉄所が設立される。
佳代:日清戦争で得た賠償金をもとに作ったのですね。
藤原:そういうこと。操業をはじめるのは、もっと後だけど、このころか
   ら、日本にも産業革命が起こることになる。
佳代:そうですね。日清戦争前後に、軽工業が、日露戦争前後に、重工業
   での産業革命が起きます。
三重:この頃は、まだ、日本の内閣も5代目だったのですね。
藤原:そう、まだまだ、はじまったばかりだよ。
佳代:わかりました。先生、今日は、ありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第4代 松方正義(まつかたまさよし)1891-1882 <第一次>
第5代 伊藤博文(いとうひろぶみ) 1892-1896 <第二次>
第6代 松方正義(まつかたまさよし)1896-1898 <第二次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 173
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■■ 今回は「日本の内閣−3」を勉強します!
■■

三重:えーと、佳代。今日は、7代目からね。
佳代:そうね。また、伊藤博文よ。
三重:えーー、またーー。
藤原:まただよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:最初の方は、重複が多いね。しかも飛び飛びだ。
佳代:そうですね。特に、伊藤博文は、飛び飛びで、第4次までありますね。
藤原:そうだね。その伊藤博文の第三次内閣のとき、憲政党というのが結成
   される。それを見て、伊藤博文は退陣した。
三重:えっ?どうしてですか?
藤原:憲政党とは、板垣退助率いる自由党と、大隈重信率いる進歩党が合体
   してできたものだ。
佳代:なるほど、それで、戦っても勝てないということで、譲ったのですね。
藤原:まあ、そんなところだろう。そして、大隈重信の内閣ができるのだけ
   ど、実質、板垣退助との連立内閣だから、二人の名前を取って、隈板
   内閣とも言う。
三重:あっ、思い出しました。わいはん内閣ですね。変な名前だったんで覚
   えています。
佳代:大隈重信の「隈」と板垣退助の「板」を取ったということでしたね。
藤原:そういうこと。でも、この内閣は、1年経たずにつぶれる。
三重:やはり、連合では無理なのですか?
藤原:そうだね。でも、大きな原因は、文部大臣の尾崎行雄にあった。
三重:えっ?尾崎行雄ですか?あの憲政の神様の。
藤原:そう。尾崎行雄は、共和演説事件というものを起こす。
三重:何ですか?それは?
藤原:尾崎行雄は、「もし日本が共和制ならば、三井、三菱が大統領候補だ」
   と叫んだんだ。
三重:それが、いけなかったのですか?
藤原:そう。もし、共和制ならばということは、もし、天皇がいなければと
   解釈できるわけだ。
佳代:そうですね。共和制とは、王がいない政治の形態のことですから。
三重:つまり、仮定することもまずかったということですか?
藤原:そうだね。結局、尾崎行雄は、不敬であるということで、憲政党は分
   裂し、内閣は退陣した。次の内閣は、山県有朋だ。
三重:えー、またー。
藤原:そう、まただよ(笑)。そして、有朋の時代に、中国で大きな事件が起
   きる。
佳代:義和団の乱ですね。
藤原:そう。義和団とは、「扶清滅洋」を唱えた一派だ。
三重:ふしんめつよう・・・?意味がわかりません?
藤原:字をよく見よう。扶清の扶は、扶養の扶、つまり助けるということ。
佳代:つまり、清を助けて、西洋を滅ぼすという意味ですね。
藤原:そう。そのころの清は、西洋諸国から、やりたい放題の侵略を受けて
   いた。怒るのは無理のないことだろう。しかし、この乱は、8ヶ国連
   合が出兵して鎮圧する。
佳代:それが、北清事変ですね。
三重:日本は、どうしたのですか?
藤原:それが、この乱の鎮圧の中心的存在だった。
三重:同じアジアなのに、西洋と同じ側だったのですね。
藤原:そうだね。とにかく、すごい時代だから、評価を下すのは難しいけど、
   当時の状況からして、ある程度仕方がなかったと思う。そして、この
   どさくさに紛れ、ロシアが満州を占領する。
佳代:それで、日露戦争につながっていくのですね。
藤原:そうだね。日本も、急激に変わっていった時代だけど、東アジア情勢、
   あるいは、西洋も含めた世界情勢は、本当に混沌としていたころだ。
   そして、悲惨な戦いが、たくさん起きることになる。それほど、昔の
   話じゃないよ。
佳代:わかりました。先生、今日は、ありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第7代 伊藤博文(いとうひろぶみ) 1898-1898 <第三次>
第8代 大隈重信(おおくましげのぶ)1898-1898 <第一次>
第9代 山県有朋(やまがたありとも)1898-1900 <第二次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 174
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■■ 今回は「日本の内閣−4」を勉強します!
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三重:佳代、内閣も、いよいよ2ケタ目の10代に入るのね。
佳代:そうね。でも、また伊藤博文よ。
三重:またか〜。でも、これで最後よね。
藤原:そう、最後だよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:三重ちゃんは、古い千円札を持っていたね。
三重:ハイ。伊藤博文のやつです。
藤原:うん。だから、顔も知っているね。
三重:もちろんです。
藤原:それじゃあ、伊藤博文最後の第四次内閣をたっぷりやろう。
三重:わかりました。
藤原:まず、有名な公害事件があったよね。
佳代:ハイ、足尾鉱毒事件です。
藤原:そう。田中正造のところで勉強したよね。
三重:ハイ、覚えています。渡良瀬川でしたね。
藤原:おう、よく覚えていたね。古河財閥の経営する足尾鉱山から鉱毒が流
   れ込み大きな被害が出た。日本最初の公害事件といってもいいだろう。
佳代:そうですね。産業の発展との関係もあります。
藤原:そうだったね。詳しくは、田中正造のところを見てもらうこととにし
   て、もう1つ注目したいのが、外交方針についてだ。
三重:外交ですか?今、日本が苦手と言われている・・・。
藤原:そう。当時は、ロシアに対して、どう望むかということだった。
佳代:確か、伊藤博文は、ロシアと手を結ぶという考えでしたね。
藤原:そのとおり。この頃は、大きく分けて、ロシアと手を結ぶという考え
   方と、イギリスと結んで、ロシアと戦うという考え方があった。
三重:そんな考え方があったのですか?
藤原:うん。いわゆる、日露協商論と日英同盟論だ。
三重:でも、結局は、日英同盟論が採用されたわけですよね?博文の考えが
   通らなかったということですか?
藤原:いや、最終的に判断したのは博文だよ。
三重:それじゃあ、どうして?
藤原:やはり、ロシアと結ぶことは危険だと判断したのだと思う。日露協商
   論は、満州をロシアに韓国を日本にという内容だから、いずれ、ロシ
   アは、韓国、日本と攻めてくることは、予想されたことだからね。
佳代:そうですね。当時のロシアは、まったく信頼できません。
藤原:確かに、それは言える。結局、博文は、日英同盟論の加藤高明を外務
   大臣に採用した。
佳代:それで、ロシアとの戦争準備に入るわけですね。
藤原:そういうこと。そして、伊藤博文と山県有朋は、第一線を退き、元老
   になる。
三重:元老?何ですか、それは?
藤原:うん、非公式な政治顧問と考えるとわかりやすいかな?でも、かなり
   大きな力を持って、裏で政治を操った。だから、けっして、博文や有
   朋の力が衰えたわけではない。
三重:なるほど、裏でですか・・・。日本人は、裏が好きですね(笑)
藤原:そうだね。古代からその傾向があるようだ。もっと正々堂々とやって
   もらいたいものだね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第10代 伊藤博文(いとうひろぶみ) 1900-1901 <第四次>


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 175
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■■ 今回は「日本の内閣−5」を勉強します!
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三重:佳代、いよいよ今回からは、フレッシュになるのね。
佳代:そうね。伊藤博文と山県有朋が一線を退いたからね。でも、桂園時代
   になるのよ。
三重:けいえんじだい?何、それ?
佳代:これから、約10年間、桂太郎と西園寺公望が順番に内閣を組織するこ
   とになるの?
三重:えっ、意味がわからないよ。
藤原:漢字で書いてみればわかるよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:三重ちゃん、ちょっと、漢字で、桂太郎と西園寺公望って書いてごら
   ん。
三重:ハイ。
藤原:そうすると、桂太郎の「桂」と西園寺公望の「園」という字があるよ
   ね。
三重:ハイ、あります。
藤原:この2文字をとって、桂園時代と呼んでいるんだ。
三重:はぁ・・・。つまり、音読みですね。聞いただけでは、全くわかりま
   せんでした。
藤原:まあ、仕方がないね。とりあえず覚えておこう。
三重:わかりました。
藤原:それじゃあ、まず、この二人について、簡単に紹介しておこう。桂太
   郎は、長州の出身で、いわば山県有朋の子分、西園寺公望の方は、公
   家出身で、伊藤博文の子分と考えていいだろう。
三重:えっ、両方とも子分なのですか!それじゃあ、あまりフレッシュじゃ
   ないですね。
藤原:そうだね。でも、この時代、そんなことを言っていられるほど余裕は
   ないよ。
佳代:そうですね。日露戦争が起こります。
藤原:うん。日本の命運のかかった日露戦争は、第一次桂太郎内閣のこと。
   今日は、この内閣について勉強しよう。
三重:お願いします。
藤原:まず、この内閣での大仕事は、日英同盟の締結があった。
三重:イギリスと手を結んで、ロシアに対抗しようとしたのですね。
藤原:そのとおり。
三重:でも、先生、イギリスって、当時は、ものすごい国じゃないですか。
   それなのに、何で、日本と同盟なんか結んだのですか?
藤原:それはね。前にも言ったけど、イギリスは、ロシアの南下を恐れてい
   たんだ。だから、日本と結んでおいた方がいいと判断したんだ。
佳代:そうですね。イギリスも、香港などに植民地がありますし、ロシアが
   来ると困ります。
藤原:そういうこと。別に、特に、日本を評価していたわけじゃないけど、
   地理的条件など考えたのだろう。
佳代:そして、日露戦争が始まります。
藤原:うん。当時は、日本が勝つなんて考えていた人は、ほとんどいなかっ
   たようだ。もちろん、日本人を除いてね。
佳代:そうですね。世界最強といわれたロシア陸軍ですからね。
藤原:そうだね。でも、日本は、戦った。そして、旅順を落とし、奉天会戦
   で、ロシア陸軍を破り、日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させた。
三重:大勝利ですね。
藤原:うん。でも、あくまでも、この時点ではという注釈がつく。
三重:どういうことですか?
藤原:それ以上戦った場合、日本は、必ず負けた。
佳代:つまり、物資が尽きていたということですね。
藤原:そう。簡単に言えば、金もない、兵隊は疲れている、武器も弾薬も残
   り少ないという状態。それに対して、ロシアは、シベリア鉄道を使っ
   て、どんどん新手を導入することができる。
三重:それは、まずいですねぇ・・・。
藤原:そこで、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトの仲介を受け、ポ
   ーツマス条約を結ぶことになる。
三重:よく、ロシアが承知しましたね。
藤原:ロシアの方でも、革命が起きたり、いろいろたいへんだったんだ。極
   東の小国にかかわっているのが面倒になったのかもしれないね。
三重:それにしても、何でアメリカが・・・?
藤原:そうだね。アメリカにしても、ロシアが強くなりすぎるのを好まなか
   ったし、日本が強くなりすぎるのも好まなかった。
三重:つまり、みんなの意思が一致したのですね。
藤原:そういうこと。
佳代:そこで、外務大臣の小村寿太郎が、アメリカのポーツマスに行き、交
   渉します。そして、南樺太の領有など、いくつかの権利を得ましたが、
   賠償金を得ることができませんでした。
藤原:そのとおり。それが原因で、日比谷焼き討ち事件が起きたことは、前
   にも勉強したね。
三重:ハイ、覚えています。
藤原:このとき、政府は、戒厳令を出し、事態を収拾するのだけど、桂太郎
   内閣は、国民に銃を向けたことで信用を失い、退陣することになる。
三重:桂さんもたいへんだったのですね。
藤原:そうだね。でも、最初にも言ったように、以後、何度も首相に返り咲
   くことになる。日本を代表する政治家の一人だろう。
佳代:わかりました。先生、今日は、ありがとうございました。

<今回出てきた内閣>
第11代 桂太郎(かつらたろう) 1901-1906 <第一次>


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