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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 161
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■■ 今回は「森鴎外」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。森鴎外の「鴎」っていう字は、「メ」じゃなくて「品」
   よね。
佳代:そうよ。でも、ネット上では、この文字は使えないの。新聞などで
   も使っていないようだし。
三重:本来の名前が使えないって、やだね。
藤原:そうだね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:確かに、人名で正確な文字が使えないのはつらいところだよね。
佳代:そうですね。住基ネットなどでも問題になっているようです。
藤原:そうだね。印刷するだけならば、外字を使うという手もあるけど、
   ネット上では、そういうわけにもいかない。このメルマガも、当然、
   森鴎外でいくしかないね。
三重:そうですね。読者のみなさん、それは、勘弁してくださ〜い。
藤原:それじゃあ、鴎外を勉強しよう。
三重:お願いします。
藤原:まず、彼は、本名を林太郎という。
佳代:知っています。津和野のの生まれですね。
藤原:そう。よく知っているね。現在の島根県の津和野藩の医者の家に生
   まれた。
三重:あっ、それなら知っています。鴎外も医者です。
藤原:うん。文学者としても有名だけど、彼は、陸軍軍医でもあったわけ
   だ。
佳代:ハイ。すごく優秀な人だったみたいですね。
藤原:そのとおり。小さい頃から秀才だとうたわれた。そして、鴎外は、
   衛生学などの勉強をするためにドイツに行くことになる。
三重:あっ、そのときの体験を元にして作ったのが「舞姫」ですね。
藤原:そう。文学者としての「森鴎外」の名を決定的にした「舞姫」は、
   ドイツ留学時代の少女との恋愛を描いたものだね。
佳代:ハイ。教科書に少し出ていました。
藤原:そして、陸軍軍医総監にまでなった鴎外だけど、文学活動は、積極
   的に行った。鴎外の広い知識に裏付けられた作品は、当時、主流だ
   った自然主義文学に対抗するものになっていった。
三重:すごいですねぇ。
藤原:そして、大逆事件や乃木希典大将が、明治天皇の後を追って自殺し
   た事件などを小説にした。
佳代:歴史小説も書いたのですか。
藤原:そうなんだ。本当に懐の深い人だね。そして、晩年は、有名な「山
   椒太夫」や「高瀬舟」などを書く。
三重:あっ、山椒太夫って、安寿と厨子王ですね。
藤原:そのとおり。高瀬舟は、安楽死を扱ったもの。
三重:本当にすごい人です。
藤原:そうだね。大文豪の名にふさわしい人だね。
佳代:わかりました。先生、今日は、ありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
□□

・人物名:森鴎外(もりおうがい)
・時 代:江戸〜大正時代(1862〜1922年)
・性 別:男
・地 位:陸軍軍医総監、文学者
・著 書:「舞姫」「うたかたの記」「即興詩人」(アンデルセンの翻訳本)
     「雁」「青年」「山椒太夫」「高瀬舟」「沈黙の塔」


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 162
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■■ 今回は「樋口一葉」を勉強します!
■■

三重:5千円札登場記念!今日は、特別に樋口一葉を勉強します!
佳代:どうしたの、三重、はりきっちゃって。
三重:うん、お札に女性が登場したのが、何だかうれしいのよ。
佳代:確かにね。お札っていえば、たいてい男ばかりだったから。
藤原:そうだね。女性が登場するのはいいね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今日は、樋口一葉を勉強するのかい?
三重:ハイ。予定にはなかったのですが、特別にやりたいんです。
藤原:わかったよ。文学史としては、重要な人物だからね。
佳代:そうですね。
藤原:まず、一葉といえば、何を思い浮かべる?
三重:そうですねぇ。えーっと、やはり、「たけくらべ」とか・・・。
佳代:わたしは、若くして死んでしまってかわいそうだったなぁ、というこ
   とが浮かびます。
藤原:そうだね。一葉といえば、小説家だけど、非常に貧しかったことでも
   知られる。
三重:そんなに貧しかったのですか?
藤原:うん。彼女は、1872年というから、明治の、本当の初期に生まれたわ
   けだ。
佳代:東京生まれでしたよね。
藤原:そう。東京の役人の家に生まれた。
三重:あれ?あの頃の役人って、そんなに貧しかったのですか?
藤原:そうでもないのだろうけど、父が、18歳のときに死んでしまったため、
   家族の面倒を見なければならなくなったんだ。
三重:なるほど、それは、大変でしたね。
藤原:うん、かつて、歌人になろうとして、和歌と古典を学んでいたことが
   あったのだけど、小説を書けば、少しは、収入になるのではと考えて、
   いくつかの小説を書いたのだけど、生活は苦しかった。
佳代:すぐには、収入にならなかったのですね。
藤原:もちろん。彼女は、雑貨屋を開いたりして苦しい生活をしていた。し
   かし、商売を止めて、本郷に移った彼女は、「たけくらべ」や「にご
   りえ」などの傑作を発表することになる。
三重:ようやく、報われたということですか?
藤原:そうだね。でも、彼女は、頭痛持ちとしても知られている。
三重:頭痛ですか?
藤原:うん、頭痛や肩こりがひどかったらしい。
三重:それは、大変ですね。特に物書きにとっては。
藤原:そうなんだ。井上ひさしの戯曲には、一葉の頭痛や肩こりの場面がた
   くさん出てくる。これは、栄養失調によるものではないかと言われて
   いる。
佳代:そうなんですか。だから、結核になって、短い命に終わってしまった
   のですね。
藤原:うん、特に「たけくらべ」は、森鴎外や幸田露伴などによって、絶賛
   されていただけに残念だったね。
三重:せっかくの才能が、栄養失調でつぶされたのですか・・・。もったい
   ないです。
藤原:そうだね。でも、彼女の業績は、歴史に残っているし、これからは、
   お札として、より日本人に親しまれていくだろう。短い命だったけど、
   作品は永遠に不滅だよ。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
□□

・人物名:樋口一葉(ひぐちいちよう)
・時 代:明治時代(1872〜1896年)
・性 別:女
・地 位:小説家
・著 書:「たけくらべ」「にごりえ」「大つもごり」「十三夜」


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 163
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■■ 今回は「田中正造」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。田中正造って、お札にしてもいいような顔しているね。
佳代:そうね。ひげもあるし、お札向きかも。
藤原:君たちは、お札が好きだねぇ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今日は、田中正造かい?
三重:ハイ、お願いします。
藤原:それじゃあ、勉強しよう。まず、田中正造というと、どんなイメージ
   があるかな?
三重:そうですねぇ・・・。公害問題でがんばった人って感じかなぁ?
佳代:わたしは、骨のある人というイメージです。
藤原:そうだね。確かに、骨のある人といえるだろう。
三重:例えば、どんなところですか?
藤原:まず、彼は、村を追い出されている。
三重:えっ!本当ですか?
藤原:そうなんだ。正造は、1841年、つまり、水野忠邦が天保の改革をはじ
   めたころ、下野国小中村(しもつけのくにこなかむら)に生まれた。
三重:下野って、今の栃木県ですね。
藤原:そう。現在の栃木県佐野市だ。そこで、17歳のとき、領主が年貢を引
   き上げようとしたときに反対して、村から追い出されたんだ。
佳代:なるほど、そんな若い頃から骨があったのですね。
藤原:うん、しかし、また村に戻ってきて、自由民権運動に参加するように
   なった。そして、栃木新聞を創刊し、民権思想を広めるのに力を入れ
   た。
三重:そうなんですか?ちょっとイメージが狂いました。
藤原:その後、栃木県会議員に当選したものの、県知事の進める道路工事に
   反対し、またもとらえられることになる。
佳代:予想以上の人ですね。
藤原:そうだね。本当に反骨精神が旺盛だ。そして、第1回の衆議院選挙に
   立候補し、当選する。
佳代:あっ、第1回というと、帝国議会が開かれた1890年のことですね。
藤原:そういうこと。そして、衆議院議員になった彼は、この頃、問題にな
   っていた足尾銅山の鉱毒問題を取り上げ、政府の責任を追及した。
三重:それならば知っています。田中正造といえば、やはり、足尾鉱毒事件
   です。
藤原:うん。しかし、当時の政府は、古河財閥と結んでいたので、何の対策
   もしなかったというわけだ。
三重:何か、今の政治に似ていますね。
藤原:そうだね。その後、渡良瀬川(わたらせがわ)の氾濫などもあり、被害
   が拡大した。被害を受けた人たちは、東京に行き、解決を訴えたのだ
   けど、逆に、政府は、軍隊や警察を使って、抑えつけたんだ。
三重:それは、ひどいです!
藤原:今だったら大変だろうね。でも、当時は、産業中心だったし、スポン
   サーである財閥の味方をするのは、当然だったようだ。
佳代:今でも、似たような事件はたくさんありますね。
藤原:うん。形は変わっても本質は変わっていないようだね。それで、正造
   は、失望し、衆議院議員を辞めた。
佳代:それで、天皇に直訴したのですね。
藤原:そう。しかし、失敗し、取り押さえられることになる。がんばりにが
   んばったものの、うまく行くことはなかった。
三重:最終的にはどうなったのですか?
藤原:そうだね。この鉱毒問題に対する世論が高まり、政府は、谷中村を、
   遊水地として流れ出た水をためておくことにした。
三重:それで解決ですか?
藤原:いや、正造は、根本的な解決ではないと言って、反対運動を続けたん
   だ。しかし、政府は、強制的に立ち退かせ、谷中村を水中に沈めた。
   正造は、その後も反対を続けたけど、志を果たせず病死することにな
   る。
三重:すごい人生でしたね。
藤原:そうだね。もっともっとこういう政治家が必要だね。
佳代:本当ですね。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:田中正造(たなかしょうぞう)
・時 代:江戸〜大正時代(1841〜1913年)
・性 別:男
・地 位:衆議院議員
・業 績:足尾鉱毒事件に奔走


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 164
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■■ 今回は「内村鑑三」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。内村鑑三って、確か日露戦争に反対した人よね。
佳代:そうよ。キリスト教の立場から反対したって習ったわ。
三重:そうか、でも、それしか知らないね。
佳代:そうね。どんな人なのかな?
藤原:おう、今日は、内村鑑三かい?
三重:あっ、先生、こんばんは。そうなんです。ちょっと気になっているん
   です。
藤原:それじゃあ、勉強しよう。中学生には、あまり知られていない人だか
   らね。
三重:お願いします。
藤原:まず、彼は、高崎藩の下級武士の子として生まれた。
三重:高崎って、群馬ですね。
藤原:そう。生まれたのは、江戸だけどね。
佳代:江戸時代の生まれとは意外ですね。明治以降に生まれた人かと思って
   いました。
藤原:うん。教科書などに出てくるのが明治の終わりごろだからね。でも、
   そういう人って多いよ。
三重:そうですね。生まれてすぐ活躍するわけではありませんから。
藤原:そのとおりだ。君たちだって、昭和の時代に活躍できないのと同じだ。
佳代:ところで、鑑三は、どうして、キリスト教徒になったのですか?
藤原:そうだね。やはり、札幌農学校に入ったことかな?
佳代:えっ!札幌農学校って、あの「少年よ、大志を抱け」で有名なクラー
   ク博士が作った学校じゃないですか!
藤原:そうだよ。
三重:何で、また、北海道に?
藤原:それは、知らないけど、募集があって、入学した。第2期だから、で
   きたばかりだ。
三重:それは、意外でした。まさか、内村鑑三とクラーク博士が結びつくと
   は。
藤原:そうだね。クラーク博士は、すでに帰国していたけど、聖書に基づく
   教育が大きな影響を与えたんだ。
佳代:それじゃあ、札幌農学校の教育に感動して、キリスト教徒になる決心
   をしたのですね。
藤原:いや、最初は、上級生に無理やりさせられたみたいだよ。鑑三は、儒
   学を学んでいたから、その違いにビックリしていたみたいだ。
三重:そうなんですか。
藤原:うん。そして、札幌農学校を主席で卒業した。
三重:えっ、1番ですか!それは、すごいです。わたしも1度ぐらい・・・。
藤原:うん、がんばってね。
三重:せ〜んせい、全然、感情がこもってないじゃないですか!
藤原:いや、三重だって、がんばれば大丈夫だと思っているよ、一応。
三重:はい、はい、一応ね(笑)。次にいきましょう。
藤原:卒業した後、一時期役人になるのだけど、やめて、アメリカに渡るこ
   とになる。
佳代:やはり、アメリカですか。
藤原:うん。そして、アメリカの大学で聖書の研究をして帰国することにな
   る。
三重:だいたい、流れがわかりました。
藤原:帰国後、鑑三は、第一高等中学校の先生をしていたのだけど、ここで
   事件を起こすことになる。
三重:どんな事件ですか?
藤原:うん、不敬罪だ?
三重:フケイザイ?何が不経済なのですか?
佳代:三重、不経済じゃなくて、不敬の罪ということよ。
三重:えっ、えっ、何、それ?
藤原:つまり、たいへん失礼なことをしたという罪だ。
三重:どんなことをしたのですか?
藤原:学校の始業式のとき、出されたばかりの教育勅語を受け取る式典で、
   礼をしなかったんだ。
三重:礼?何故ですか?
藤原:鑑三は、キリスト教徒になっていたから、神のみが礼拝の対象だった。
   だから、しなかったんだ。
佳代:つまり、天皇に対して礼をしなかったということに等しいわけですね。
藤原:うん。だから、不敬ということで、学校を辞めさせられる。
三重:それは、かわいそうでしたね。
藤原:でも、当時の社会情勢を考えると、そういうことが起こってもおかし
   くないよね。
佳代:ハイ、そんな気がします。
藤原:そして、鑑三は、文章で、キリスト教を広めることを考え、キリスト
   教に関する本をたくさん描いたんだ。
三重:なるほど。そして、日露戦争に反対したのですね。
藤原:そういうこと。内村鑑三といえば、キリスト教徒というイメージがあ
   るけど、まさに、そのとおりの人だと言えるだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:内村鑑三(うちむらかんぞう)
・時 代:江戸〜昭和時代(1861〜1930年)
・性 別:男
・業 績:キリスト教についての著作多数
・その他:キリスト教の立場から日露戦争に反対する


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 165
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■■ 今回は「尾崎行雄」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。尾崎行雄の「お」って、英雄の雄よねぇ。
佳代:そうよ。
三重:いつも迷うのよ。「お」って「夫」とか「男」とかいろいろあるし。
佳代:そうね。でも、政治家って、あまり「お」で終わる人って少ないよ。
藤原:そうだね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:確かに、歴代の総理で、「お」で終わるのは、比較的最近の、三木武
   夫と福田赳夫だけだ。
三重:両方、「たけお」なのですね。
藤原:うん。しかも、三木さんの次が福田さんということで、連続している。
佳代:福田赳夫さんって、今の官房長官のお父さんですね。
藤原:そう。よく知っているね。ところで、今日は、尾崎行雄かい?
三重:ハイ。お願いします。
藤原:それじゃあ、勉強しよう。尾崎行雄と言えば、護憲運動の先頭に立ち、
   憲政の神様とも言われた人だ。
三重:ハイ、それだけは知っています。でも、その他は知りませ〜ん(笑)
藤原:そうだね。まず、彼が注目されたのは、新聞に投書した政治に関する
   意見だった。
三重:投書ですか?
藤原:うん。そして、22歳のとき、あの福沢諭吉に推薦されて、新潟新聞に
   迎えられた。
三重:新潟・・・ですか?行雄は、新潟生まれなのですか?
藤原:いや、神奈川の生まれだよ。小さい頃は、親の関係で三重県ですごし
   たけどね。
三重:えっ!三重県ですか!何か、急に親しみがわいてきました。
藤原:うん。とにかく、諭吉の推薦で、22歳の若造が新潟新聞に迎えられた。
   そして、新潟新聞は、自由民権運動をリードする新聞になったんだ。
佳代:今では考えられないことですね。
藤原:そうだね。そして、東京に戻った行雄は、今度は、立憲改進党の結成
   にも参加する。
佳代:えっ、立憲改進党ですか?それって、大隈重信が作った党じゃないで
   すか。
藤原:そうだよ。行雄は、結成にあたり、自由民権運動の立場から、記事を
   書いた。でも、後に、東京から追放されることになる。
三重:えっ、追放ですか?何故ですか?
藤原:うん。行雄は、民権運動を進めている人々が団結するための運動に参
   加したのだけど、保安条例によって追放されたんだ。
三重:保安条例って何ですか?
藤原:簡単に言えば、自由民権運動を抑えるために出された法律だよ。治安
   を乱す恐れのある者を皇居から3里以外に追放した。
三重:それは、たいへんでしたね。
藤原:そうだね。しかし、1890年に第1回の衆議院議員選挙が行われると、
   三重県から立候補して当選することになる。
三重:三重県ですね(強調)
藤原:そう。そして、以後、25回連続当選を果たすというわけ。
佳代:本当にすごいですね。
藤原:うん、ただし、議会は始まったといっても、最初の頃は、薩摩、長州
   の勢力が強く、思うように行かなかった。
佳代:そこで、第一次護憲運動の中心になったのですね。
藤原:そう。
三重:護憲運動って何ですか?
藤原:簡単に言えば、政党によって憲法に基づいた政治をめざそうという運
   動だ。行雄は、犬養毅とともに先頭に立って運動した。
三重:成果はあったのですか?
藤原:もちろんだよ。彼は、長州藩の力を背景に議会を無視して政治をした
   桂太郎内閣を辞職に追い込んだ。それで、憲政の神様と呼ばれるよう
   になったんだ。
三重:さすがです。今だったら、ゆきおちゃ〜んなんていわれたかもしれま
   せんね。
佳代:まさか、やすおちゃんじゃないのよ。
三重:そうかなぁ〜。
藤原:まあ、それはいいとして、その後も、行雄は、普通選挙を要求する運
   動にも参加し、デモ隊の先頭に立ったこともある。やがて、普通選挙
   法が成立することにもなる。
佳代:本当に大きな成果を上げているのですね。
藤原:そうだね。更に、昭和に入ると、軍国主義にも反対し、第二次世界大
   戦後も国会議員を続けることになる。
佳代:えっ、ちょっと待ってください。行雄は、いったい、いつ生まれたの
   ですか?
藤原:生まれた年は、1858年だよ。
佳代:えっ、すると、日米修好通商条約が結ばれた時代じゃないですか!そ
   れで、第二次世界大戦後まで政治家だったのですか?
藤原:うん。考えてみるとすごいよね。外国と通商をはじめた江戸時代に生
   まれ、明治、大正、昭和と生きた。しかも、明治の初めから、戦後ま
   で、大活躍したんだから。
三重:すると、相当長生きだったのですね。
藤原:そう。97歳で大往生した。日本の政治に真っ向から取り組んだ、すご
   い政治家だったことは間違いないだろう。
佳代:わかりました。先生、今日は、ありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:尾崎行雄(おざきゆきお)
・時 代:江戸〜昭和時代(1858〜1954年)
・性 別:男
・地 位:政治家
・業 績:自由民権運動を推進、憲政の神様と呼ばれる
・その他:東京市長、文部大臣の経験あり


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