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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 71  
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■■
■■ 今回は「平将門,藤原純友の乱」を勉強します!
■■

三重:佳代,承平・天慶の乱って何?
佳代:それ,平将門と藤原純友の乱をまとめて言っているだけよ。
三重:どうして,そんな難しい言い方をするの?
佳代:たぶん,乱が起きたときの年号だと思うよ。たいていそうだから。
藤原:そう,起きたときの年号から取っているんだよ。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,承平・天慶の乱かい?
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まず,この乱がいつ起こったかが第一のポイントだね。
佳代:平将門の乱が,935年で,藤原純友の乱が,939年です。
藤原:さすが佳代ちゃん,よく覚えているね。問題は,年号ではなく,ど
   んなときに起こったのかということだ。
佳代:どんなときに?
藤原:うん,平安時代は長かったよね。
三重:ハイ,約400年あります。
藤原:前にも勉強したけれども,大きく分けると,まずは律令政治の建て
   直しの時代,藤原氏中心の摂関政治の時代,そして,院政の時代と
   3つに分けられたよね。
佳代:ええ,覚えています。ですから,平将門の乱が起きたのは摂関政治
   の時代です。
藤原:そうだね。ただ,摂関政治の全盛期と言えばいつだろう?
三重:それは,もちろん,藤原道長のころですよ。
藤原:そうだね。まず,押さえておいてほしいのは,平将門の乱も藤原純
   友の乱も,けっして,摂関政治が衰えたころに起こったのではない
   ということだ。
佳代:なるほど,先生はそれを言いたかったんですね。確かに,道長が摂
   政になったのは,1067年ですから,平将門の乱よりずっと後のこと
   です。
藤原:そう,まずは,それをしっかり認識しておこう。この二つの乱は,
   どこで起こったの?
佳代:将門の乱は,関東地方で,純友の乱は,瀬戸内中心に起きました。
藤原:そう,それも大切だね。乱の中身については,ここでは詳しくは話
   さないけれども,この二人が,どこで乱を起こしたのかということ
   は,しっかり覚えておかなければならない。
三重:場所と時期を覚えておくのですね。
藤原:そういうこと。この時代の中心は京都だよね。まだまだ,地方の乱
   に過ぎないこと,その辺をしっかり押さえておくんだ。
三重:分かりました。ところで,将門の乱を鎮めたのは誰でしたっけ?
藤原:そうだね。藤原秀郷や平貞盛だ。純友の乱は,源経基よって鎮めら
   れた。詳しいことを知りたい人は,ホームページの歴史用語解説に
   書いてあるから読んでみるのもいいだろう。
佳代:すると,この二つの乱の意義は,武士の存在を世に示したというこ
   とでいいですか?
藤原:そのとおり。武士の力が認められたのが,この承平・天慶の乱の意
   義だと言っていいだろう。いずれにせよ,いつ,どこで,誰が起こ
   したのかを押さえておけばいいからね。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

● 承平・天慶(しょうへい・てんぎょう)の乱

 ・平将門の乱と藤原純友の乱をあわせた呼び名。乱がおこった年号から
  そう呼ばれている。

● 平将門の乱(935年〜)

・平将門が関東地方で起こした乱。

・935年に一族との私闘を繰り返し,さらに国司に反抗していた豪族と手を
 結び,939年に反乱をおこし「新皇」を名乗り関東独立の姿勢をしめした。

・平貞盛(たいらのさだもり)や藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らによって
 鎮圧される。

● 藤原純友の乱(939年)

・藤原純友が瀬戸内を中心におこした乱。

・伊予の国府や大宰府を攻め落とす。

・源経基(みなもとのつねもと)らに討たれ反乱はおさまる。

● 乱の意義

・武士の存在を世に示す。

・朝廷の軍事力の低下が明らかになり,地方武士の組織がいっそう強化さ
 れることになった。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 72  
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■■
■■ 今回は「前九年の役,後三年の役」を勉強します!
■■

三重:前九年の役,後三年の役って東北地方で起こったのよね。
佳代:そうよ,源氏が活躍した戦いね。
三重:なんだかややこしいなぁ。
佳代:確かにね。でも,源氏がブレイクするきっかけになった戦いと思えば
   いいんじゃないの?
藤原:おお,いいたとえだね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,前九年の役,後三年の役だね。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:さっき三重ちゃんが言っていたように,少しややこしいことは事実だ。
   でも,簡単に考えていこうよ。
三重:ハイ,助かります(*^_^*)。
藤原:まず,話題にも上っていたように,この二つの乱は東北地方で起こっ
   た。だいたいいつごろだっけ?
佳代:ハイ,前九年の役が,1051年で後三年の役が1083年です。
藤原:さすが佳代ちゃん,よく覚えているね。でも,前回と同じように,ど
   の辺で起こったかという認識が大切だ。
佳代:そうですね。藤原道長の時代の少しあとで,院政の少し前です。
藤原:よろしい。そのぐらいを覚えておけばいいよ。中央では,藤原氏の力
   が下降しているころだと考えればいい。
三重:道長と院政の間ということですね。
藤原:うん,それでいいよ。まず,それを押さえておこう。そして,最初の
   前九年の役は,安倍氏対源氏+清原氏の戦いだ。
佳代:結果的に安倍氏が負けたわけですね。
藤原:そう,当時,安倍氏は,東北に一種の自治区のようなものを形成して
   いた。
三重:自治区ですか?
藤原:うん,とりあえず,中央政府に貢物さえしていれば干渉されないとい
   うような社会を形成していたんだ。ところが,だんだん貢物をとどこ
   おらせるようになったりして対立するようになった。
三重:なるほど,それで戦い,負けたということですか?
藤原:そんな単純なものじゃないよ。すごく長い戦いだった。しかも,安倍
   氏はメチャクチャ強かったわけだ。詳しい戦いの様子を知りたい人は,
   ホームページの歴史用語解説にあるから参考にしてほしい。
三重:すると,ポイントは?
藤原:うん,安倍氏にさんざん手を焼いた源氏,つまり源頼義は,清原一族
   とはかり,安倍氏を滅ぼした。だから,この戦いで,東北の雄となっ
   たのは,清原氏だ。そして,源氏は名声を一気に高めたんだ。
三重:なるほど,源氏のブレイクですね(笑)
藤原:そういうこと。そして,後三年の役は,この戦いで勝利した清原一族
   の内紛がきっかけで起きた戦いと言ってもいいだろう。
三重:すると,前九年と後三年は,関連があるのですね。
藤原:そうなんだ。しかも,最終的に勝利者となり奥州藤原氏の祖になる清
   衡の母は,何と安倍氏の娘なのだ。
三重:えっ,えっ,安倍氏は滅びたのではないのですか?
藤原:うん,すごく複雑なんだよ。前九年の役の勝利者の清原武則は,安倍
   氏の娘を後妻として引き取ったんだ。しかも,清衡は,連れ子として
   清原氏に入った。
三重:先生・・・,頭が痛くなってきました。
藤原:そうだよね。その辺を詳しく知りたい方も,歴史用語解説を読んでみ
   るといいよ。とにかく,清原氏は,東北の雄になったとはいえ,頭が
   痛くなるほど複雑な状態だったことは分かるだろ?
三重:ハイ。
藤原:それらが原因となっておきたのが後三年の役だと考えればいい。
三重:なるほど。
藤原:そこで,途中経過はともかく,最終的に清衡が源義家と連合し,勝利
   したんだ。
三重:すると,この清衡が,有名な奥州藤原氏の祖,藤原清衡なんですね。
藤原:そういうこと。清衡の実の父は,藤原経清という人物だった。そんな
   関係もあって,藤原を名乗ったんだ。以後,東北は,奥州藤原氏の時
   代になる。
三重:源氏はどうしたのですか?
藤原:それがね・・・。この戦いで勝利したのにもかかわらず,まったく恩
   賞を得ることができなかった。
三重:えー,それってひどいじゃないですか。
藤原:うん,確かにね。でも,源義家は家来たちに私財をなげうって恩賞を
   与えた。
三重:えっ,つまりポケットマネーで部下にほうびを出したということです
   か?
藤原:そういうこと。
三重:すご〜い,それってかっこいいです。
藤原:格好いいだろう。結局,それで,源義家の名声がますます上がったん
   だ。東国武士団の心をしっかりつかむことになったんだ。
三重:なるほど,カリスマ武士ですね,義家は。
藤原:まさにそのとおりだよ。結局,それが,後の鎌倉幕府成立へとつなが
   っていくことにもなるんだ。
佳代:分かりました。かなり複雑な話でしたが,東北地方で起きた二つの戦
   いの雰囲気が分かりました。
藤原:そうだよね。雰囲気が分かればいい。前回勉強した平将門の乱や今回
   勉強した東北地方での戦乱は,あくまでも地方の出来事だけど,後の
   歴史に密接に関連してくるから頭にとどめておこう。
佳代:ハイ,先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

● 前九年の役(ぜんくねんのえき)・1051年〜62年

 ・「安倍氏」と「源氏・清原氏」の戦い

 ・「源氏・清原氏」側の勝利。

 ・「清原氏」が東北の雄となる。

 ・「源氏」の名声が上がる。

● 後三年の役(ごさんねんのえき)・1083年〜1087年

 ・「清原一族」の内紛が原因。

 ・「源義家」の介入。

 ・「義家・清衡」が勝利。

 ・「清衡」が,藤原を名乗り奥州藤原氏の祖になる。

 ・恩賞のなかった「源義家」は,私財をなげうって部下恩賞を与え名声
  をゆるぎないものにする。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 73  
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■■ 今回は「保元の乱」を勉強します!
■■

三重:佳代,保元の乱で,いよいよ中央の戦いに入るのね。
佳代:そうよ。これまで勉強したのは地方の乱。これからは,天皇や中央
   の貴族などの激しいバトルがはじまるのよ!
三重:ふ〜ん,これまで,ぜんぜん気にしていなかったよ。ただ乱は乱だ
   って感じでね。
佳代:そうね。でも,長かった平安時代が,いよいよ終り武士の時代に入
   るわけだから,これまでの戦いとは意味が違ってくると思うよ。
藤原:そうだね。大きな転換期だよね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,保元の乱かい?
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まず,この乱は,基本的に天皇対上皇の戦いだということだ。
佳代:知ってます。後白河天皇対崇徳上皇の対決です!
藤原:そのとおり。まず,それを押さえておこう。
三重:どうして,天皇と上皇が戦ったのですか?
藤原:そうだね。一つには皇統の継承問題がある。
三重:継承問題?
藤原:そう,誰があとを継ぐかっていう問題だ。実は,この時代,後白河
   天皇や崇徳上皇の父であった鳥羽院が長い間実権を握っていたんだ。
三重:えっ,この二人は兄弟なんですか?
藤原:そう,崇徳天皇が兄で,後白河が弟だよ。しかし,妙なうわさがあ
   ってね・・・。
佳代:妙なうわさ・・・ですか?
藤原:うん,確証はないけど,たぶん事実だと思われる。そのうわさとは,
   崇徳天皇は,鳥羽院の実の子供ではなく,鳥羽院の父の白河上皇の
   子供だということだ。
三重:なるほど。
藤原:それで,父からうとまれ,天皇になってもすぐに譲位させられてし
   まったんだ。
三重:それは納得がいきませんね。
藤原:しかも,崇徳の次に即位した近衛天皇が病没したあと,天皇になっ
   たのが後白河だ。そして,皇太子に近衛天皇の子をあてた。
佳代:なるほど,崇徳上皇としては,自分の子を皇太子にすることもでき
   なかったわけですね。
藤原:そういうこと。さらに,藤原摂関家でも内部で激しく対立があった。
   そして,鳥羽院が没すると源平の両勢力をも巻き込み,大争乱へと
   発展していったんだ。
三重:へぇ〜,保元の乱って複雑なんですねぇ〜。
佳代:本当に頭が痛くなります。
藤原:佳代ちゃんでも頭が痛くなるのかな・・・(笑)
佳代:もちろんです(笑)
藤原:それでは,両方の陣営の概要をまとめてみよう。まずは,天皇側だ。
佳代:ハイ,結果的に勝利を収めた天皇側は,後白河天皇,関白の藤原忠
   通,武士では,平清盛と源義朝です。
藤原:よろしい。これが保元の乱の勝者だ。それに対して負けた上皇側も
   みてみよう。
佳代:ハイ,崇徳上皇には,左大臣の藤原頼長,武士では平忠正,源為義
   らです。
藤原:うん,OKだ。まあ,全部暗記することはないと思うけど,勝者の
   ほうを中心にだいたい覚えておこう。後でまた出てくるからね。
三重:ハイ,分かりました。それにしても,似たような名前がいっぱいで
   覚える気がしません。
藤原:うん,だから,無理に覚えようとしなくていいよ。保元の乱は,後
   白河天皇対崇徳上皇の戦いで,後白河が勝った。その中には,平清
   盛と源義朝がいた。まずはそのぐらいから覚えてあとは徐々に覚え
   ていけばいいよ。
三重:ハイ,そのぐらいなら何とか。
藤原:どちらにしても,丸暗記は当てにならないから,肝心なところを押
   さえ,あとは自然に覚えていこう。そうすれば忘れなくなるからね。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

● 保元の乱(1156年)

・「後白河天皇」と「崇徳上皇」の対立。

・「後白河天皇」側の勝利。

● 乱の人間関係

【天皇家】天皇側:後白河天皇(弟) 上皇側:崇徳上皇(兄)

【藤原氏】天皇側:関白・忠通(兄) 上皇側:左大臣・頼長(弟)

【平 氏】天皇側:平 清盛(甥)  上皇側:平 忠正(叔父)

【源 氏】天皇側:源 義朝(子)  上皇側:源 為義(父)

                   ※( )内は,両者の関係です。


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■■ 今回は「平治の乱」を勉強します!
■■

三重:佳代,平治の乱って,保元の乱で味方同士だった人たちが戦ったんで
   しょ。
佳代:そうよ。保元の乱で勝った後白河天皇側の近臣たちの対立が原因にな
   っているのよ。
三重:ふ〜ん,昨日の敵は今日の友か・・・。
佳代:三重,何ボケてるの!反対でしょ。
三重:えっ,あ,そうか。昨日の友は今日の敵ね(*^_^*)
藤原:何だか古臭い言葉を使っているねぇ・・・。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:そんな言葉を今の若い者が使うとは思わなかったよ。
三重:い,いえ,学校の先生の口癖なんです。
藤原:ほう,そんな先生がいるんだ。でも,まあ,平治の乱をよくあらわし
   ていていいよ。
三重:それじゃあ,今日は平治の乱をお願いします。
藤原:分かったよ。今二人が話していたように,平治の乱は,保元の乱で勝
   利した,後白河天皇側の内部対立が原因だ。
三重:ハイ。
藤原:まずは,戦後処理に怒った人がいた。
三重:怒ったんですか?
藤原:うん,不満を持ったといってもいい。その一人が,大活躍した源義朝
   だ。
佳代:あっ,頼朝のお父さんですね。
藤原:そう,義朝は,活躍が著しかったのにもかかわらず,同じように活躍
   した平清盛よりもずっとご褒美が少なかったんだ。
三重:なるほど,それは怒ります!
藤原:それだけでなく,戦後処理にあたった藤原信西は,清盛と組んで権力
   の座に上った。それを面白くないと思っていたのが藤原信頼だ。
佳代:な〜るほど,それで義朝と信頼が組んだというわけですね。
藤原:そういうこと。不満を抱いている二人が,信西と清盛に対して結束し
   たんだ。そして,乱を起こした。
三重:どんな風におこしたのですか?
藤原:そうだね。まず,清盛が京都を留守にしたときを狙った。
佳代:留守ですか?
藤原:うん,清盛は,和歌山県の熊野三山へ参詣に行っていたんだ。その隙
   を狙っておこしたんだ。
三重:なるほど,鬼のいぬ間にということですね。
藤原:おっと,またまた古い言葉が出たね。それも例の先生の口癖かい?
三重:えっ,ええ,そうです・・・。よく言っています(笑)
藤原:まあ,それはいいとして,信頼・義朝勢は挙兵し,後白河上皇と二条
   天皇をおさえた上,信西を殺害したんだ。
佳代:なるほど,作戦成功ということですね。
藤原:そうなんだ。しかし,それを知った平清盛は急いで京都に戻り,天皇
   を奪い返した上,上皇も何とか脱出した。
三重:形勢逆転ですね。
藤原:うん,すっかりアドバンテージを失った信頼・義朝勢は,清盛の猛攻
   を受け,奮戦空しく敗れることになったんだ。
三重:なるほど,保元の乱よりずっとわかりやすいです。
藤原:そうだよね。だから,この戦いは,後白河天皇,いや,このときはす
   でに上皇になっていたから後白河上皇の近臣の争いだけど,実際は,
   平氏と源氏の雌雄を決する戦いだったといえるだろう。
佳代:それで,平氏の時代になるのですね。
藤原:そういうこと。そして,このとき,命を助けられた義朝の子供たちが
   頼朝であり義経だ。
佳代:そして,後に彼らに滅ぼされるんですね。
藤原:そうだね。その辺は,また機会があったら勉強しよう。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

● 平治の乱(1159年)

 ・後白河上皇の近臣の対立:藤原信西(しんぜい)×藤原信頼(のぶより)

 ・保元の乱の戦後処理に不満:源義朝

 ・『信頼・義朝』対『信西・清盛』の対立

 ・信頼・義朝勢が信西を殺害するも清盛の反攻にあい,清盛側の勝利

 ・平氏の時代へ


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■■ 今回は「承久の乱」を勉強します!
■■

三重:佳代,隠岐島って島根県にあるのね。
佳代:そうよ。
三重:上皇が島流しか・・・,承久の乱って,すごい事件だったのね。
藤原:やっと分かったかい?
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:前に勉強したときは「位置について承久の乱!」なんてやっていな
   かったけ?
三重:ハイ,やりました。承久の乱は,1221年だから位置についてです。
佳代:2をツーって読むんだったよね。
三重:そうなのよ。だから,絶対に忘れられないの。
藤原:でも,今は,中身まで考えるようになったんだから進歩したよ(笑)。
三重:えー・・・,まあ,少しは・・・。
藤原:それでは,今日は,中身を中心にやるよ。
三重:は,ハイ,お願いします。
藤原:それじゃあ,三重ちゃん,朝廷側の主役といえる上皇の名前は?
三重:ハイ,まかせてくださいv(^_^)v,後鳥羽上皇です!
藤原:そのとおり。この後鳥羽上皇は,当時の朝廷では,独裁的権力を持
   っていた。そして,幕府ともうまくやっていたんだ。
佳代:えっ,幕府とうまくやっていたんですか?
藤原:そうなんだ。上皇は,弟の娘を3代将軍である源実朝に嫁がせ,う
   まくやっていたんだよ。
佳代:なるほど,その実朝が暗殺されて状況が変ったのですね。
藤原:そういうこと。上皇は,武士によって弱体化していた公家勢力の回
   復をはかる好機だと考えたんだ。
三重:まさにチャンス到来!って感じですね。
藤原:うん,このチャンスを逃してたまるか!って感じで,倒幕の決意を
   固めたんだ。そして,当時幕府の実権を握っていた北条義時追討の
   命令を出した。
佳代:いよいよ,位置についたわけですね(笑)
藤原:まさにそのとおりだね。上皇の命令が届いた鎌倉側の武士たちも動
   揺した。何と言っても,上皇の命令だからね。
佳代:それは,前にも勉強しましたね。動揺する武士たちを前に大演説を
   ぶった人がいたって。
三重:あっ,覚えています!頼朝の奥さん,つまり北条政子です!
藤原:おう,覚えていたかい?
三重:もちろんです。だって先生,女のヒステリーほど恐いものはないっ
   て言っていたじゃないですか(笑)
藤原:はははは,そんなことを言ったかな?とにかく,動揺している武士
   たちに対して北条政子は,大演説をぶった。お前たちが,今,こう
   していられるのは誰のおかげだ!頼朝さまのおかげだろ!上皇につ
   きたいと思うやつは,とっとと行け!私を切り捨ててから行け!っ
   て感じでね。
佳代:本当に恐そうですね。
藤原:だから言っただろ,女のヒステリックな言葉ほど恐いものはないっ
   て(笑)。でも,言っていることは本当だから,武士たちは,政子の
   言ったとおり,今こそ,御恩に報いようと思ったんだ。
三重:なるほど,それで,圧勝したわけですね。
藤原:そういうこと。上皇の呼びかけに応じた武士は少なく,逆に幕府の
   方は結束を固め,1ヶ月足らずで京都を占領したんだ。
三重:そして,島流し・・・ってことですね。
藤原:うん,この乱の主役である後鳥羽上皇は,隠岐に,順徳上皇は佐渡
   に,土御門上皇は土佐に流された。武士が上皇を島流しにするとい
   う前代未聞の結末を迎えたということだね。
三重:分かりました。本当に大事件だったんですね。
藤原:そう,そして,幕府は,朝廷を監視するために六波羅探題をつくっ
   た。これは大切だから,しっかり覚えておいてね。
三重:大丈夫です。六波羅探題は,朝廷を監視するためだけでなく西国の
   御家人を統率する役目も持ったのですよね。
藤原:おう,さすがによく勉強しているね。
三重:い,いえ,それほどでも・・・。でも,だいぶ分かってきました。
藤原:よろしい。この乱の勝利によって,幕府は朝廷に対して絶対的な優
   位を得ることができた。以後,明治になるまで,武士が中心の世の
   中が続くことになったということだ。
佳代:分かりました。日本の歴史の中でも,特筆すべき重要な乱というこ
   とですね。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

● 承久の乱(鎌倉時代・1221年)

 ・鎌倉時代に起こった「朝廷」と「幕府」の間に起こった争乱。

 ・後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が北条義時(ほうじょうよしとき)追討
  の院宣(いんぜん;上皇の命令)を出す。

 ・幕府側は,北条政子の檄もあり,北条氏中心に結束し京都を占領。

 ・幕府側の圧勝。後鳥羽上皇は隠岐(おき)に流される。


● 六波羅探題の設置

 ・朝廷の監視,および西国御家人の統率のため設置。

 ・幕府の支配が全国のおよび,幕府の主導体制ができ上がる。 


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