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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 131
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■■ 今回は「井原西鶴」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代、井原西鶴って何かいやらし〜いよねぇ。
佳代:そうねぇ〜。
三重:「好色一代男」って、プレイボーイってことね。
佳代:う〜ん、読んだことがないからよくわからないけど・・・。
藤原:まあ、そんなところだろう。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:今日は、井原西鶴かい?
三重:ハイ、お願いします。
藤原:それじゃあ、元禄文化の代表人物の一人井原西鶴を勉強しよう。
佳代:西鶴も武士の子なのですか?
藤原:いや、違うよ、西鶴は商人の子だ。大阪の裕福な商人の子だよ。
三重:だから、プレイボーイなんですね。
藤原:ちょっと待ってよ、三重ちゃん。何か勘違いしているんじゃないの。
三重:違うんですか?
藤原:確かに、西鶴は、裕福な家に生まれたけど、小さいころに父が死ん
   で、結構苦労したんだよ。
三重:えー、そうなんですか?イメージと違います。
藤原:うん、そして、西鶴は、俳句を学び始め、俳句の先生になったんだ。
佳代:えっ!西鶴が俳句の先生だったんですか!
藤原:そうなんだ。意外だったかな?彼は、15歳のときに俳句をはじめ、
   21歳の時に先生になる。そして、30歳ごろになって、有名な西山宗
   因の弟子になった。
佳代:でも、あまり俳句というイメージがありませんが。
藤原:そうだね。後に、小説で有名になりすぎたからね。でも、彼は、俳句
   を、一昼夜に、2万3500句よむという大記録を持っている。
三重:に、2万3500句・・・ですか、いったい何ですか、それは!そんなこ
   とができるのですか!
藤原:もともと、一度に続けて俳句をよむのが得意だったんだね。あるとき
   1600句よんだところ、その記録が破られた。そこで西鶴は、4000句よ
   むという記録を作り、後に、2万3500句という圧倒的な大記録を作る
   ことになった。
佳代:すごすぎます!もはや、俳句では敵なしということですね?
藤原:そう。その記録を作ったころは、冒頭でも話題になっていた「好色一
   代男」を書いていたので、俳句から小説へと傾いていったようだね。
佳代:西鶴の小説は、好色物の他に、町人をえがいたものもありますよね。
藤原:うん、主に、好色物、武家物、町人物に分けられる。いずれも、生き
   生きとえがかれた小説として名高い。
三重:すると、単なるいやらしいおじさんじゃないんですね。
藤原:三重ちゃんの考えは、偏見だよ。確かに、通俗的な面が強く、世の中
   人情や風俗を、ありのまま隠さずえがいた。でも、いやらしいという
   よりすごい人だったと思う。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:井原西鶴(いはらさいかく)
・時 代:江戸時代(1642〜1693年)
・性 別:男
・地 位:小説家
・著 書:好色物「好色一代男」「好色一代女」武家物「武家義理物語」
     町人物「日本永代蔵」「世間胸算用」
・その他:1684年、大坂の住吉神社で、一昼夜に2万3500の俳句をよむ。
     元禄文化の代表的な文学者


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 132
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■■ 今回は「徳川吉宗」を勉強します!
■■

三重:美男ヒーロー、徳川吉宗〜♪
佳代:三重、何を言っているの?
三重:ふふふ、進くんに教わったのよ。徳川吉宗が将軍になったが、1716
   年だから。
佳代:あっ、なるほど、それで美男ヒーローなのね。
三重:そうよ、実際、美男子だし。
藤原:本当は、あまり美男じゃなかったみたいだよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:吉宗は、時代劇などで格好いい役者がやっているから美男だと思っ
   ている人も多いけど、実際は、少し違うらしい。
佳代:あ、知ってます。松平健ですね。ちょっとだけ見たことがあります。
藤原:そうだね。でも、歴史は、顔でやるわけじゃないから、覚え方とし
   ては、それでいいよ。
三重:ハイ。もう忘れません。
藤原:それじゃあ、吉宗をやろう。三重ちゃん、吉宗って、何代将軍?
三重:8代です。
藤原:そのとおり。実は、7代将軍が早死にしたため、将軍家には、後継
   者がいなくなってしまった。そこで、御三家から後継者を出すこと
   になったんだ。
三重:御三家というと、尾張家、紀伊家、水戸家ですね。
藤原:おう、よく知っているね。でも、本来は、将軍家、尾張家、紀伊家
   のことを指し、水戸家は、後に呼ばれるようになったみたいだ。
佳代:そういえば、そんなことを聞いたことがあります。実際、水戸家は、
   将軍を出す権利がありませんしね。
藤原:そうだね。まあ、それはいいとして、吉宗は、御三家のどこ出身な
   のかな?
三重:えーっと、どこでしょう・・・。水戸じゃないとすると、尾張です
   か?
藤原:う〜ん、残念、紀伊だよ。確かに、尾張は、御三家筆頭だから、将
   軍を出してもおかしくないけど、実際は、紀伊の吉宗が将軍になっ
   たんだ。
三重:えー、どうしてですか?
藤原:その辺は、もろもろの事情があって、ここでは語りつくせないので、
   また機会があったら話すことにするよ。とにかく、吉宗は、運がよ
   かったとだけ言っておこう。
佳代:そうですね。紀伊でも、兄が二人死んだために藩主になったし、あ
   らゆる面で奇跡的な強運を持っているようですね。
藤原:そうだね。時代が彼を呼び寄せたといっていいのかもしれない。子
   供のころ、まさか、将来、将軍になるなんて考えた人もいないだろ
   うからね。
三重:まさに、ミラクルってことですね(笑)
藤原:そうだね。その吉宗が行った改革を何というのかな?
三重:ハイ、享保の改革です。その辺は、バッチリ勉強しました。
藤原:正解だ。そういえば、前に、一生懸命勉強していたね。せっかくだ
   から三重ちゃんに解説してもらおう。
三重:ハイ、有名なところでは、目安箱の設置があげられます。
藤原:うん。
三重:江戸城の前に目安箱をおいて投書によって人々の声を聞きました。
   そして、吉宗は、それを直接読んで、政治に生かしました。
藤原:おお、いいねぇ。その調子。
三重:それから、えーっと、何かありましたっけ・・・。
佳代:倹約令とか、上げ米の制とか。
三重:あげまい?何、それ?
藤原:上げ米とは、大名から1万石につき 100石の割合で、余分に米を納
   めさせるという制度だ。
三重:えーっと、すると増税ということですか?
藤原:そうだね。今の日本と同じように、当時の幕府の財政は切迫してい
   た。財政再建は大きなテーマだったんだ。
三重:それじゃあ、大名が怒りませんか?
藤原:まあ、喜ぶ人はいないだろうね。でも、かわりに、参勤交代で江戸
   にいる期間を1年から半年にした。それで納得させたんだ。
三重:なるほど、それなら、何とかなりそうですね。
藤原:うん、他にも、米の出来具合に関係なく、毎年一定の年貢を納めさ
   せるようにしたり、新田の開発を積極的に進めたりした。
佳代:そして、有名な公事方御定書(くじがたおさだめがき)を作らせまし
   た。
藤原:そうだね。これまでの裁判の結果を集め、裁判の基準としたのが、
   公事方御定書だ。時代劇でも有名な町奉行の大岡忠相に命じてね。
佳代:大岡越前守のことですね。
藤原:うん。この人物も有名だよね。とにかく、吉宗っていう人はたくさ
   んのことをやったし、少なからずの成果もあげた。幕府中興の祖と
   言ってもいいだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:徳川吉宗(とくがわよしむね)
・時 代:江戸時代(1684〜1751年)
・性 別:男
・地 位:江戸幕府第8代将軍
・業 績:享保の改革を行う
     目安箱の設置、定免法、上げ米、公事方御定書など
・その他:ニックネームは「米将軍」


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 133
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■■ 今回は「田沼意次」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。わいろって嫌ねぇ〜。
佳代:そうねぇ。何でもお金で解決しようとするのは嫌だわ。
三重:田沼意次って言うとわいろ政治ね。
佳代:そうね。
三重:よほどの悪人だったのかな?
藤原:そうでもないよ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:田沼意次については、悪い面もあったけど、そうばかりじゃない。
   それに、後の権力者松平定信によって、徹底的に悪者にされたとい
   う感じもある。
三重:え、松平定信ですか?
藤原:そう。彼は、吉宗の孫で将軍候補でもあったのに、意次がそれを邪
   魔したらしい。その辺で、意次は徹底的に悪者にされたと思われる。
佳代:なるほど、確かに後の人が前の人をけなすってことありますよね。
藤原:そう、だから、いわれているほど悪い人でもないし、特筆すべき点
   もたくさんある人だ。
三重:それじゃあ、意次についてお願いします。
藤原:うん。まず、彼は、江戸で生まれたんだけど、父は、紀伊の足軽だ
   った。
佳代:身分はあまり高くなかったのですね。
藤原:そう。ただ、8代将軍徳川吉宗とともに江戸にやってきた。そして、
   意次が生まれ、意次は、後に9代将軍になる家重のそばに仕えるよ
   うになったということだ。
三重:なるほど、なんとなくわかってきました。
藤原:そして、家重が将軍になると、信頼されるようになり、1万石の大
   名になる。
佳代:すごい出世ですね。
藤原:そうだね。さらに、10代将軍家治の代になると、老中として実権を
   握るようになり、石高も、5万7000石と増えていった。
三重:相当、優秀な人だったみたいですね。
藤原:そうだね。彼が老中になったころは、幕府の財政も逼迫していた。
   そこで、彼は、積極的な策を打つことになる。
三重:たとえば、どんなことですか?
藤原:いちばん有名なのは、株仲間の公認だろうね。彼は、株仲間をどん
   どん認めていって、奨励した。そして、特権を与える代わりに、税
   を取ったんだ。
三重:ああ、株仲間って、商人の組合のことですね。
藤原:そう、それから、成功はしなかったけれども、蝦夷地を開拓しよう
   としたり、印旛沼を干拓しようとしたりした。
佳代:どちらかというと、商業を重視して、積極的に財政を立て直そうと
   したのですね。
藤原:そうだね。しかし、そんな意次も、天明の大ききんが起き、米の値
   段は上がり、各地で、百姓一揆や打ちこわしがおこるようになり、
   失脚することになる。
佳代:ききんがなければ、もう少し変わっていたかもしれませんね。
藤原:そうかもね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
□□

・人物名:田沼意次(たぬまおきつぐ)
・時 代:江戸時代(1719〜1788年)
・性 別:男
・地 位:老中
・業 績:株仲間の奨励。印旛沼の干拓、蝦夷地の開拓を試みる。
・その他:わいろ政治家として有名。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 134
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■■ 今回は「松平定信」を勉強します!
■■

三重:田や沼は〜、汚れた御世を改めて〜♪
佳代:三重、何を詠っているの?
三重:学校の先生が、詠ってくれたのよ。松平定信の歌。
佳代:ああ、短歌ね。
三重:清くすむるは白河の水〜♪って続くの。
佳代:三重の教わっている先生って、そういうの好きね。
三重:そうなのよ。社会を教えているけど、国語の方が好きなんだって。
藤原:それはいいことだね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:それにしても、昔の人は、うまく歌ったものだね。
三重:ハイ。田や沼は〜というのは、もちろん、田沼意次のことを指しま
   すし、白河の水の白河は、松平定信の出身藩です。
藤原:そのとおり。わいろ政治で汚れていた田沼時代を改めて、きれいな
   政治にという願いが込められている歌だね。
三重:そうですね。それじゃあ、今日は、松平定信をお願いします。
藤原:わかったよ。松平定信は、あの8代将軍吉宗の孫に当たる。
三重:えっ、吉宗の孫なんですか?
藤原:そう。前に勉強したとおり、8代将軍吉宗は、紀伊から迎えられた。
佳代:つまり、系統が変わったということですね。
藤原:そのとおり。確かに、先祖は、家康だけど、完全に系統が変わった
   わけだ。そこで、吉宗の時、御三家のようなものを作った。
佳代:知っています。御三卿です。
藤原:うん。だから、吉宗の後は、将軍に子供がいないときは、実質は、
   御三家ではなく、御三卿が継ぐことになる。
三重:そうなんですか。聞いたことありません。
藤原:あまり気にしなくていいけど、一応言っておくと、田安家、一橋家、
   清水家の三家が、御三卿と呼ばれた。ただ、清水家を作ったのは、
   吉宗ではなく、9代将軍の家重だけどね。
佳代:定信は、確か、田安家でしたね。
藤原:おお、よく知っているね。定信は、田安家の子として江戸に生まれ
   た。
三重:江戸なんですか?
藤原:そう、生まれはね。そして、17歳のとき、白河藩の松平家の養子と
   なって、やがて白河藩主となる。
佳代:白河藩では、名君として知られていますね。
藤原:そう。前回も勉強した例の天明のききんがおこったときも、一人の
   死者も出さず農村の立て直した。こうした中で、定信は老中になり、
   寛政の改革に乗り出すことになる。
三重:なるほど、実績をかわれたということですね。
藤原:そうだね。そして、定信は、次々改革をはじめる。
佳代:有名なのは、棄捐令(きえんれい)ですね。
藤原:うん。これは、生活が苦しくなった武士たちに、商人から借りた金
   の一部を返さなくていいという法令だ。
三重:何か、鎌倉時代の徳政令みたいですね。
藤原:そうだね。内容が少し違うけど、同じようなものだと考えていい。
三重:それじゃあ、商人は怒りますよね。
藤原:もちろんだ。そして、ききんや不作に備えて貯金するように命じた。
佳代:貯金ですか?
藤原:そう。お米の貯金。
佳代:ああ、囲い米のことですね。
藤原:そのとおり。それから、三重ちゃん、この歌を知っているかな?
三重:えーっと、まだ定信の歌があるのですか?
藤原:有名なのが、後二つある。一つは、「世の中に 蚊ほどうるさき
   ものはなし ぶんぶといふて 夜も眠れず」というやつだ。
三重:えー、それが、定信と何か関係があるのですか?
藤原:もちろんあるよ。定信は、武士に学問や武芸をすすめた。
三重:ああ、ぶんぶって文武のことなのですね。
藤原:そう。そして、朱子学以外の学問を禁じた。
佳代:あっ!知ってます、寛政異学の禁です。
藤原:そのとおり。幕府の学校であった湯島聖堂では、朱子学だけを学ば
   せ、それ以外の儒学は異学として禁止した。
三重:う〜ん、かなり骨太の人ですねぇ。
藤原:そうかもね。その他、生活を乱すような本を禁じたり、政治を批判
   する本の出版を禁じたりした。
佳代:かなり、高圧的だったのですね。
藤原:そう。だから、だんだん人々から不満をもたれるようになる。そし
   て、最後に、こんな歌が詠われるようになる。
三重:どんな歌ですか?
藤原:「白河の 清き魚の すみかねて もとのにごりの 田沼こひしき」
三重:なるほど、よくわかります。
佳代:最初の歌は、定信に期待した歌でした。しかし、あまりにも厳しい
   改革で、にごった田沼政治がなつかしいという感想に変わっていっ
   たのですね。
藤原:そうだね。この3つの歌が、定信を象徴しているといえるだろう。
   そして、最後は、在職中に、突然、老中をやめさせられ、元の白河
   藩主に戻っていくことになる。
佳代:何か、最近の政治に似ているところもあるみたいですね。先生、今
   日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:松平定信(まつだいらさだのぶ)
・時 代:江戸時代(1758〜1829年)
・性 別:男
・地 位:老中
・業 績:寛政の改革を行う(寛政異学の禁 囲い米 棄捐令など)
・その他:江戸の浮浪者を石川島に集め職業訓練をし仕事につかせる
     町ごとに、非常用のお金を積み立てさせる


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 135
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■■ 今回は「本居宣長」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。国学って何?
佳代:そうねぇ・・・。古事記とか万葉集とかを研究する学問のことだと思
   うけど。
三重:でも、何でそれが国学なの?
佳代:う〜ん・・・、よくわからないわ。
藤原:そうだね。ちょっとわかりづらいかな?
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:国学っていうと、今日は、本居宣長でもやるのかな?
三重:ハイ、お願いします。
藤原:それじゃあ、はじめよう。まず、最初に、今話題になっていた国学だ
   けど、簡単に言えば、古事記や万葉集などの日本の古典を研究して、
   日本固有の思想とか精神を研究しようっていう学問のことだ。
三重:佳代の言っていることでいいのですね。
藤原:そうだね、概ねは。もう少し具体的に言うと、儒教や仏教などの外国
   からの考え方に影響される前の日本人の考え方を研究しようというこ
   となんだ。
佳代:確かに、儒教も仏教も外国のものですね。
藤原:そう。宣長は、日本人が昔から持っている心を「やまとごころ」と呼
   んで、日本人本来の考え方があると説いたんだ。
三重:あっ、なんとなくわかってきました。だから、国学っていうのですね。
藤原:そういうこと。それじゃあ、順を追って、宣長の人生を見ていこう。
佳代:ハイ。
藤原:まず、彼は、伊勢国の松坂で生まれた。
三重:えっ!伊勢って、今の三重県じゃないですか!
藤原:そうだよ。
三重:急に親しみがわいてきました(笑)
藤原:そうだね。三重ちゃんの名前と同じだ。彼は、木綿問屋の子として生
   まれたんだけど、父が死に、商売もうまくいかなくなった。そこで、
   医者を目指して京都に出た。
佳代:えっ!医者を目指したのですか?
藤原:そう。実際、医者にもなっている。しかし、彼は、医学を学んでいる
   とき、国学の基礎を作った契沖(けいちゅう)の本を読んで関心を持つ
   ようになり、医者をしながら国学の研究を続けていたんだ。
三重:なるほど。
藤原:そして、運命の出会いが訪れることになる。
佳代:運命の出会い?
藤原:そう。当時、国学の大家として知られていた賀茂真淵(かものまぶち)
   が、松坂にやってきたのだ。
三重:すると、そのときは、松坂に戻っていたのですね。
藤原:そういうこと。いてもたっていられなくなった宣長は、宿屋に押しか
   け、真淵に会うことになる。そして、万葉集などについて、夜明けま
   で語り明かしたという。
三重:なるほど、それはすごいですねぇ。その日が運命の日ですね。
藤原:うん。そして、真淵は、宣長に、古事記を研究するように勧めた。真
   淵は、高齢だったので、若い宣長に託したわけだ。
佳代:そうだったのですか?真淵と宣長は、師弟関係だと思っていましたが。
藤原:確かに。心情的にはそうだろうけど、実際は、二人の接点は、このと
   きだけで、二度と会うこともなかった。そして、古事記の研究を続け
   た宣長は、ついに44巻の「古事記伝」を完成させることになる。
三重:え!44巻ですか。そんなにすごかったのですか!
藤原:そうだね。正に、ここに、国学が大成したといえる。
佳代:そうだったんですか。宣長のイメージが変わりました。
藤原:ほかにも、源氏物語の研究をしたり、たくさんの著書を残したりした。
   そして、宣長の死後、弟子となった平田篤胤(ひらたあつたね)が、考
   えを受け継ぎ、それが、幕末の尊王攘夷運動につながっていく。だか
   ら、宣長は、日本の歴史に大きな影響を与えたと言ってもいいだろう
   ね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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・人物名:本居宣長(もとおりのりなが)
・時 代:江戸時代(1730〜1801年)
・性 別:男
・地 位:国学者
・著 書:「古事記伝」「玉小櫛(たまのおぐし)」「玉勝間」


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