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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 51  
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■■ 今回は,「漢の成立」について勉強します!
■■

三重:佳代,四面楚歌って知ってる?
佳代:知ってるわよ。まわりじゅうが敵になっちゃうってことでしょ。
三重:ピンポン♪〜。これって,漢が天下を統一するときの出来事から来
   ているのよ。
佳代:えっ,そうなの?よく知っているわね。
三重:うん,聖子に聞いたんだ。あの子,シドニーで育ったのに,結構よ
   く知っているよ。
佳代:そうね,中国が好きだって聞いたことがあるわ。
三重:でも,何で四面楚歌っていうのかなぁ〜。
佳代:う〜ん・・・。
藤原:それはね。
三重:あっ,先生,いい所に来ました。今,四面楚歌の話をしていたんで
   す。
藤原:うん,四面楚歌というのは,秦が滅んだ後,天下を争った項羽と劉
   邦の最後の戦いである,垓下の戦いで生まれた言葉なんだ。
佳代:垓下の戦いですか?
藤原:そう,それまで覇権を争ってきた二人だったけど,この戦いで,周
   りを包囲された項羽に聞こえてきたのは,故郷の楚の歌だった。
佳代:えっ,楚って項羽の故郷なんですか?
藤原:そうなんだ。本来は味方であるはずの楚の歌が漢の陣営から聞こえ
   たきた・・・。
佳代:なるほど,それで,項羽は,敗北を悟ったということですね。
藤原:そういうこと。ここでは,詳しく話は出来ないけど,この項羽と劉
   邦の話は,とても面白いし,小説などにもなっているから,是非,
   読んでほしいね。
三重:分かりました。いつかは読みたいと思います。
藤原:そして,天下を取ったのは,劉邦だ。彼は,皇帝になり,漢が成立
   した。
三重:漢の政治は,どんな感じだったのですか?
藤原:うん,前にも言ったように,秦は,徹底した中央集権と法治主義だ
   ったよね。それがやりすぎにつながり,短命に終わった。でも,漢
   の高祖,つまり,劉邦は,秦の制度をふまえながらも,いきすぎた
   法治主義はやめたんだ。
三重:学習効果ですね・・・(笑)。
藤原:そういうこと。そして,中央集権も封建制を併用した郡国制を採用
   した。つまり,少し緩めたわけだね。
佳代:ふ〜ん,劉邦って現実主義者なんですね。
藤原:そうだね。それに,彼は,農民出身で,それほど能力の高い人では
   なかったらしいけど,人を使うのが非常にうまかった。
佳代:そう言えば,有名な部下がいましたね。
藤原:うん,項羽との覇権争いに勝ったのも,韓信,蕭何,張良などの有
   能な部下をうまく使い,おもう存分腕をふるわせたからだと言われ
   ている。
三重:つまり,名監督ということですね。
藤原:そういうこと。名監督がスーパースター達をうまく使い優勝したっ
   ていう感じだ。そして,後の武帝の時代には,西域を従え,朝鮮北
   部には楽浪郡など4郡を置き,インドシナまで勢力伸ばし,ローマ
   帝国にならぶ大帝国になったというわけだ。
三重:分かりました。だいたい感じはつかめました。
藤原:日本では,まだ,卑弥呼も出てこないころの話だけど,中国では,
   すでに壮大な歴史が刻み込まれていたんだね。
佳代:本当ですね。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 今回の復習
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● 漢の成立(紀元前202年)

 ・四面楚歌(しめんそか)

 ・垓下の戦い・・・劉邦,項羽を破る。

 ・劉邦,漢の初代皇帝になる。都は,長安。

 ・重要地域は直轄として郡県制を敷き,地方は封建制を敷いて諸侯を
  配置。→秦の政治の失敗をもとに郡県制を緩める。

● 読み方チェック

 ・垓下の戦い(がいかのたたかい)

 ・劉邦(りゅうほう)

 ・項羽(こうう)

 ・韓信(かんしん)

 ・蕭何(しょうか)

 ・張良(ちょうりょう)

 ・楽浪郡(らくろうぐん)


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■■ 今回は,「東西文化の交流」について勉強します!
■■

三重:佳代,シルクロードっていい名前だね。
佳代:そうね。私も好きよ。
三重:昔の人は,いい名前を付けるねぇ〜。
藤原:それは違うよ・・・。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:シルクロードって名前は,後の世の人が付けたんだよ。
三重:えっ,そうなんですか?
藤原:実は,ドイツの地理学者リヒトホーフェンという人が,著書「支那」
   で始めて使ったんだ。1877年のことだよ。
佳代:えっ,そんなに最近のことなんですか!西南戦争と同じ年じゃない
   ですか!
藤原:うん,まあ,名前なんて,えてしてそんなものだけどね。
三重:な〜んだ,昔の人はロマンがあるなぁと思っていたのに。
藤原:でも,いい響きだよね。シルクロードって。それじゃあ,今日は,
   東西文化の交流について勉強しよう。
三重:ハイ,分かりました。
藤原:まず,東西を結んだ交通路は,大きく分けて3つあった。
佳代:3つですか?
藤原:そう,まずは,草原の道だ。
三重:草原の道?
藤原:うん,モンゴル高原から黒海北方の広大な草原地帯をとおってヨー
   ロッパにいたる道だ。3つの中では一番北の道だ。
三重:モンゴルですか?
藤原:それから,中国の長安や洛陽から天山山脈,パミール高原などをへ
   て西アジアからヨーロッパにいたる道。
佳代:あっ,それがシルクロードですね。
藤原:そう,オアシス地帯を通るのでオアシスの道とも言う。そして,も
   う一つが海の道だ。中国から南方の海上に出て,ベトナムやマレー
   半島,インドなど海沿いを通り,ペルシア湾や紅海などを通ってヨ
   ーロッパに向かう道だ。
三重:なるほど,教科書で見たような気がします。
藤原:だいたい分かればいいよ。地図をよく見ておいてね。
佳代:それにしても,こんな時代に,ものすごく離れている地域同士の交
   流があったなんて信じられませんね。
三重:ホントだよね。中国とローマなんて・・・。
藤原:そうだね。飛行機でもあればすぐかもしれないけど(笑)。今では考
   えられない苦労があったと思う。それでも,互いに接触しようとし
   ていたんだね。
佳代:中国からヨーロッパ方面に伝わったものは何ですか?
藤原:うん,まずは,絹だろうね。
三重:シルクロードの由来ですね。
藤原:そう,絹の道だからね。後は,漆器とか製紙法などだ。
三重:反対にヨーロッパから伝わったものは何ですか?
藤原:うん,ガラス製品とか,羊毛,宝石などだね。
佳代:でも,長い道のりを大変でしたね。
藤原:そうだね。ただ,隊商は,シルクロードの端から端まで完全に往来
   したというよりも,どちらかというとシルクロード上で個別の隊商
   がおちあって交易をおこなうことが一般的だったらしい。
三重:なるほど,おたがい持ち寄って商売している感じですね。
藤原:うん,そんな感じ。そして,知識もまた,シルクロードにそって伝
   わったり,伝えられたりしていた。そういう意味では本当に重要な
   道だったんだね。
佳代:そう言えば,マルコ・ポーロもシルクロードを通って中国に来たん
   でしたよね。
藤原:そうだね。マルコ・ポーロとなると13世紀ということになるけど,
   彼は,ペルシア湾岸のホルムズを経由して,あとはほぼシルクロー
   ドにそって中国に到達した。
三重:大変だったでしょうね。
藤原:うん,その旅程はおよそ3年にわたったと言われている。
三重:3年ですか!それはすごい!
藤原:どちらにしても,人間は,住みやすい所に移動し,定住し,独自の
   文化を形成してきた。にもかかわらず,自然環境も違うし,民族も
   違う人々と交流しあってきたんだ。
三重:やっぱり,人間ってもともと好奇心が強いんですかね?
藤原:そうだね。こんな交通手段が未発達な時代から,苦難を乗り越えて
   交流をしてきたところ見ると,本当に好奇心が強いんだと思う。そ
   して,それが人類を発展させてきたとも言えるね。
佳代:ハイ,分かりました。先生,今日はありがとうございました。 

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□□ 今回の復習
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● 古代の東西交通路

 ・草原の道・・モンゴル高原から黒海北方通ってヨーロッパにいたる道。

 ・絹の道・・・中国の長安や洛陽から天山山脈,パミール高原などをへ
        て西アジアからヨーロッパにいたる道。
 
 ・海の道・・・中国から南方の海上に出て,ベトナムやマレー半島,イ
        ンドなど海沿いを通り,ペルシア湾や紅海などを通って
        ヨーロッパに向かう道。

● 交易

 ・中国→ローマ方面:絹,漆器,製紙法など。

 ・ローマ→中国方面:ガラス製品,羊毛,宝石など。


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■■ 今回は,「岩宿遺跡」について勉強します!
■■

三重:佳代,あのー,何だっけ?納豆を売りながらすごい発見をした人?
佳代:ああ,相沢忠洋さんね。岩宿遺跡を発見した人。
三重:あ,そうか,思い出したよ。あれって関東よね。
佳代:そうよ,関東ローム層から発見されたんだから。
藤原:おう,がんばってるねぇ。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,岩宿遺跡の話かい?
三重:ハイ,日本の古いところの勉強をあまりしていませんので。
藤原:そうだったね。それじゃあ,今日は,岩宿の勉強をしよう。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まず,岩宿は,さっきも話題に上っていたように群馬県にある。
三重:群馬ですか?
藤原:そう,群馬県新田郡笠懸村という所だ。かつては,繊維の町として有
   名だった桐生市のすぐ近くだ。
佳代:ああ,桐生とか足利とか,江戸時代から織物で有名なところですね。
藤原:そう,群馬県でも,東のほうだね。後で地図で確認しておいてね。
三重:ハイ,ところで先生,岩宿遺跡って結局どこがすごいんですか?
藤原:うん,かつては,日本には縄文時代より古い旧石器文化というものは
   存在しないというのが定説だった。
三重:定説ですか(笑)
藤原:そう,でも,相沢忠洋が発見したこの遺跡は,日本にも旧石器文化が
   あったことを確認した記念すべき発見だったんだ。
三重:なるほど・・・,それはすごいですねぇ。でも,どうしてそれが分か
   ったのですか?
藤原:うん,それはね,関東地方の地表面にある黒土の下には,赤土の厚い
   層が重なっている。
佳代:それが,関東ローム層ですね。
藤原:そう,その関東ローム層は,更新世末期に堆積したんだ。
佳代:確か,約1万年前を境として,更新世と完新世に分かれていたんです
   よね。
藤原:うん,日本では,そのころを境として縄文時代になるんだったよね。
佳代:すると,関東ローム層は,縄文時代以前の地層ということですね。
藤原:そういうこと。そして,相沢忠洋は,岩宿の切り通しの赤土,つまり
   関東ローム層の中から打製石器を発見したというわけだ。
三重:なるほど!それで分かったんですね。
佳代:いつごろ発見されたのですか。
藤原:うん,1946年だ。戦争が終わってすぐのことだね。以後,各地で更新
   世の地層から石器の発見があいつぎ,旧石器時代の文化の存在が明ら
   かになったんだ。
三重:本当にすごい発見だったんですね。
藤原:うん,相沢さんという人は,行商をしながら独学で考古学を勉強して
   いた人だ。その後,1977年には「岩宿の発見」という本が発行され,
   ベストセラーになるとともに多くの賞を受賞している。とにかく日本
   の歴史をくつがえしてしまう大発見だったと言える。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 今回の復習
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● 更新世(こうしんせい)と完新世(かんしんせい)

 ・約1万年前を境に,前を更新世,後を完新世と呼ぶ。

※ ただし,昔は,更新世を洪積世(こうせきせい),完新世を沖積世(ちゅ
  うせきせい)と呼ばれていたので,ちょっと前の世代の方は,そちらの
  方がなじみがあると思います。

 ・更新世→旧石器時代,完新世→新石器時代。

※ ただし,日本では,縄文時代以前と縄文時代という区分が定着していた
  ため縄文時代以前を「先土器時代」と呼んでいました。日本でも,最古
  の遺跡が,60万年前にさかのぼることが明らかになった現在では,先土
  器時代ではなく「旧石器時代」と呼ぶことが一般的になっていますが,
  あまり一貫性がなく使われているのが現状です。

● 旧石器時代と新石器時代

 ・旧石器時代:石を打ち砕いただけの「打製石器」を使用。

 ・新石器時代:石器を磨いて仕上げる「磨製石器」も使用。

● 岩宿遺跡の発見

 ・1946年,相沢忠洋(あいざわただひろ)によ,群馬県新田郡(にったぐん)
  笠懸村(かさかけむら)で発見される。


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■■ 今回は,「縄文時代」について勉強します!
■■

三重:ねぇ,佳代,縄文時代の人がハンバーグを食べていたって知ってる?
佳代:ウッソォ〜,そんな話聞いたことないわよ。
三重:わたしもビックリしたのよ。本屋でチラッと立ち読みしたんだけど。
佳代:でも,本当かなぁ〜。
藤原:うん,本当らしいよ。
三重:あっ,先生,いい所に来ました。
藤原:ハンバーグどころかクッキーも作っていたらしいんだ。
佳代:えー,ウソー,縄文時代って遅れているんじゃないんですか?
藤原:そうだね。そういうイメージはあるけど,最近,たくさんの発見があ
   って定説が次々とくつがえされているんだ。
三重:へぇ〜,面白いですね。
藤原:うん,例えば,さっきのハンバーグの話だけど,山形県の押出遺跡で
   見つかった。何でも獣肉を刻んで栗や松の実をまぜあわせ,しかも,
   塩で味付けしていたということだ。
佳代:ホントですか!すごいですねぇ。縄文時代について考え直さなければ
   なりませんね。
藤原:そうなんだ。縄文時代の人の歯と江戸時代の人歯を研究して,栄養状
   態は縄文時代のの方がよかったことをつきとめた人もいる。
三重:えー,そんな・・・。ビックリすることばかりです。
藤原:そうだね。これからは,縄文人をもっと尊敬しようよ(笑)
佳代:そうですね。先生,それでは,縄文時代について,もっとお願いしま
   す。
藤原:分かったよ。それじゃあ基本的なことを質問するよ。
三重:ハイ,お願いがします。
藤原:まず,縄文時代の人が主に使っていたといわれる住居は何だっけ?
三重:そのぐらい知っています。竪穴住居です。
藤原:そうだったね。地面を少し掘って,柱を立て草や木の屋根をつけた住
   宅だ。
佳代:私,旅行に行ったとき,竪穴住居に入ってきました。
藤原:それはよかったね。イメージしやすいだろう。行ったことのない人は,
   図をよく見ておいてね。次に,縄文土器の特徴は?
三重:は〜い,縄目の模様で〜す。
藤原:そのとおり,だから,縄文時代という言葉が出来たわけだよね。
佳代:それから,弥生土器に比べて厚手です。
藤原:うん,よく知っているね。縄文土器は,低い温度で焼かれた厚手のも
   のが多く,黒ずんでいるんだ。その辺が特徴だね。
佳代:弓矢が発明されたのもこの時代でしたね。
藤原:そうなんだ。弓矢が出来て,それまで捕まえるのが難しかったすばし
   っこい動物を取れるようになった。
三重:例えば,どんな動物ですか?
藤原:そうだね。鹿とか,いのししとか・・・。それに,鳥だね。
佳代:なるほど,縄文時代は,狩猟とか採集が中心でしたね。
三重:そう考えると,肉とかを食べていたわけだから,江戸時代より栄養状
   態がいいのも分かるような気がします。
藤原:おう,それはいいところに気がついたね。確かに,この時代の方が,
   ずっと肉を食べているよね。
佳代:そう言えばそうですね。
藤原:それから,この時代のゴミ捨て場を何て呼んでいたかな?
三重:ゴミ捨て場ですか?
佳代:分かりました!貝塚です。
藤原:そのとおり。貝塚は,人々が食べた貝のくずや,壊れた道具などが捨
   てられているから,当時の人々の生活を調べるためには,すごく重要
   な場所だよね。
三重:ホントですね。今だって,ゴミを見れば生活がわかります。
藤原:そういうこと。最後に,魔よけとして作られたものがあったね。
佳代:土偶です!
藤原:うん,土偶については,佳代ちゃんの歴史用語解説に詳しく載ってい
   るから,そちらも参考にしてね。とにかく,教科書や参考書の写真を
   よく見て,目で覚えておいてね。
三重:大丈夫です。あの形は,一目見たら忘れません。
藤原:そうだね。図や写真を見ることは重要だ。そして,見ていればすぐに
   覚えられる。土偶は,縄文時代に魔よけとして作られたって覚えてお
   けばいいだろう。
佳代:ハイ,分かりました。それにしても,縄文時代って,結構進んでいた
   んですね。これからは,もっともっと見直していきたいと思います。
   先生,今日はありがとうございました。

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□□ 今回の復習
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● 縄文時代(約1万年前から紀元前4〜3世紀ごろまで)

・狩猟,採集中心の生活→弓矢の発明により獲物を得やすくなる。

・竪穴(たてあな)住居に住む。

・磨製石器や縄文土器を使用。

・貝塚:貝殻や動物の骨,壊れた道具などが捨てられている。
    アメリカ人モースが発見した大森貝塚が有名。

・土偶:生産を高めることを祈ったり魔よけとして作られる。

 ※ 以前は,竪穴住居は竪穴式住居,縄文土器は縄文式土器と呼ぶこと
   が多かったのですが,最近は「式」をつけないのが一般的です。


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■■ 今回は,「弥生時代」について勉強します!
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三重:卑弥呼の「弥(み)」は,弥生の「弥(や)」〜♪
佳代:それ,前にやったわね。
三重:そう,なつかしの第2号よ。
佳代:確か,そのときは,卑弥呼は飛鳥時代なんて言っていなかった?
三重:佳代,それは禁句よ!今はちゃんと弥生時代だって分かっているん
   だから。
藤原:そう言えば,三重ちゃんは成長したねぇ。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:あのころは,鑑真といえばガンジーと間違えるし,全然,時代感覚
   がなかったね。
三重:やめてください・・・(赤面),昔のことは忘れたいです。
藤原:そうだね。忘れよう(笑)。今日は,その弥生時代を勉強しよう。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まず,弥生時代といえば,稲作と金属器が伝わったことが大切だ。
佳代:先生,最近は縄文時代にも稲作があったと言われていますよ。
藤原:おう,よく知っているね。確かに,最近は縄文時代に,すでに稲作
   があったことが確かめられている。これからも,いろいろな遺跡が
   発見されることによって,この辺の歴史が見直されることになると
   思う。でも,とりあえず,本格的な農耕社会を迎えるのは弥生時代
   と考えておこう。
三重:ハイ,分かりました。それで,人々の生活はどのように変わったの
   ですか?
藤原:うん,まずは農耕について考えてみよう。縄文時代は,主に狩猟や
   採集が中心だったよね。
佳代:ハイ。
藤原:もし,獲物がいなかったらどうしたんだろう?
三重:獲物を探しに行きます。
藤原:そうだよね。三重ちゃんにしろ佳代ちゃんにしろ人間だから,もし
   食べ物がなくなったらどうなるの?
佳代:死にます。
藤原:そのとおりなんだ。つまり,生きるためには獲物を取らなければな
   らない。たとえ今日,取れても明日取れる保証はないよね。
三重:そうですねぇ。
藤原:それに対して,農耕とは,自分で食べ物を作る行為なんだ。
佳代:なるほど,えさを自分で作るということですね。
藤原:そのとおりだよ。君たちだって,一食でも抜いたらおなかがすいて
   大変だろ。
三重:もちろんです。耐えられません(笑)。
藤原:狩猟中心の生活だと,それが何日も続くかもしれないわけだ。しか
   し,農耕によってある程度確実に食料が確保できるとなると生活も
   変わってくるだろう。
佳代:確かに,生活は安定しますよね。
藤原:そうなんだ。だから,農耕というのは人間にとってものすごい発明
   だと考えていい。
三重:なるほどなるほど,ホントですね。
藤原:ただ,いいことばかりではないんだ。
三重:といいますと。
藤原:うん,確かに農耕によって,人々の生活は安定した。だから,当然,
   定住するわけだよね。ところが,この辺から貧富の差が生まれてく
   るんだ。
三重:えー,どうしてですか?
藤原:お米っていうのは,長い時間をかけて作るよね。
三重:ハイ,半年ぐらいですか・・・。
藤原:うん,何でもそうだけど,うまい人と下手な人がいる。
佳代:なるほど,人によって,作れる量が違ってくるということですね。
藤原:そうなんだ。しかも,米は保存がきくので,持てる者と持てない者
   の差が出てくる。その辺から貧富の差が生まれ,身分の違いなどが
   生まれてくるわけだ。
三重:なるほど,そういうことですか。
藤原:そして,むらが生まれ,指導者が生まれって感じで社会が形成され
   ていった。縄文時代は,特定の支配者はなかったけど,弥生時代に
   貧富の差が生まれたのは農耕によるところが大きい。
佳代:農耕って,そういう意味もあったんですね。
藤原:うん,更に悪いことには,今度は土地や水をめぐって争いがおこる
   ようになったんだ。つまり,戦争が起きるようになったのも農耕が
   深くかかわっていると言っていい。
三重:えー,そんな,米って結構罪深いんですね(笑)
藤原:そうなんだ。笑い事じゃないよ。そして,最初に言ったように,金
   属器の伝来もからんでくる。
三重:どういうことですか?
藤原:うん,いい面は,鉄製の農具が作られ,生産能力が増したこと。反
   面,武器としても威力があったこと。
佳代:なるほど,いい面と悪い面,両方があったわけですね。
藤原:そういうこと。戦争という人間同士の殺し合いは,基本的には土地
   を奪い合う戦いだ。それが発生する大きな要素が弥生時代にあった
   と言えるだろう。
三重:分かりました。それから先生,この前,縄文土器は弥生土器より厚
   手だったと言ってましたね。
藤原:おう,よく覚えていたね。そうなんだ。縄文土器が低温で焼かれた
   のに対し,弥生土器は高温で焼いた。薄手でかたく赤かっ色だった。
   両方を比較しながら簡単に覚えておいてね。
佳代:分かりました。青銅器はどうなんですか?
藤原:うん,日本には青銅器と鉄器がだいたい同じ時期に伝えられたと考
   えられているんだ。だから,あまり実用品として使われず祭器や宝
   器として使われた。どちらにしても,銅鐸・銅鉾・銅剣などが出て
   きたら弥生時代って分かるようにしておこう。
三重:分かりました。先生,最後に弥生時代の有名な遺跡を教えてくださ
   い。
藤原:うん,静岡県の登呂遺跡。これは超有名。先生も行ったことがある
   よ。それから,佐賀県の吉野ケ里遺跡,奈良県の唐古遺跡あたりだ
   ね。その辺を覚えておけばいいだろう。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

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● 弥生時代(紀元前3世紀〜3世紀)

・稲作のひろがり:貧富の差や争いがはじまる。

・金属器の使用(石器や木器も広く使用される)

・弥生土器:薄手でかたく赤かっ色。簡単な幾何学文様。

・住居:竪穴住居。高床倉庫。

● 弥生時代の遺跡

・登呂(とろ)遺跡:静岡県

・吉野ケ里(よしのがり)遺跡:佐賀県

・唐古(からこ)遺跡:奈良県


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