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■ ■ 大場佳代の
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■ ■ 楽しくヒストリー 46
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■■ 今回は,「ローマ文化とキリスト教」について勉強します!
■■
藤原:今日は,ローマ文化とキリスト教について勉強しよう。
三重:お願いします。
藤原:まずは,よく言われることだけど,ギリシア人は,学問や芸術にす
ぐれていたのに対して,ローマ人は,実用的な面ですぐれていたと
言われている。
三重:えっ,どういうことですか?
藤原:つまり,法律とか土木建築とか実用的なものを残したということ。
佳代:そう言えば,円形の劇場のコロセウムなんて有名ですね。
藤原:そうだね。コロセウムをはじめ,浴場や凱旋門などの公共建築,あ
るいは,水道とか橋とかにすぐれたものを残している。
三重:なるほど,だから実用面ですぐれていたと評されているんですね。
藤原:そういうこと。それから,ローマは,領土が広かったよね。だから,
広い領土を支配するために多くの法律も作られたんだ。
佳代:ローマ法大全・・・でしたね。
藤原:うん,ローマでは,多くの民族に適用される万民法が作られた。そ
の集大成が「ローマ法大全」だ。この法律は,後のヨーロッパの法
律のもとになったんだよ。
佳代:分かりました。
藤原:それじゃあ,次は,キリスト教に行こう。三重ちゃん,キリスト教
って誰の教えなの?
三重:ハイ,イエスです(^o^)。
藤原:そうだね(笑),そのイエス・キリストは,当時,ローマの支配下に
あったパレスチナで生まれた。そして,彼は「人はすべて神の前で
は平等であり,神の愛を信じることによってのみ救われる」と説い
た。
三重:でも,十字架にかけられてしまったんですね。
藤原:うん,ユダヤ教の指導者によって反逆をくわだてていると訴えられ
処刑されてしまったんだ。
三重:かわいそう・・・ですね。
藤原:でも,その後,イエスの弟子たちによって教えは広まっていった。
佳代:信者もどんどん増えていったんですね。
藤原:そう,特に,下層民を中心に増えていった。信者がローマ皇帝を崇
拝しないので,たびたび迫害は受けたのだけど,信者は増え続け,
教会も建てられた。
佳代:それで,皇帝から公認されることになったのですね。
藤原:そう,313年にローマ皇帝から公認され,更に,392年には,ローマ
の国教にされたんだ。
三重:すごいですね。結局,国にまで認められたんですね。
藤原:そういうこと。そして,キリスト教は,その後のヨーロッパの文化
や社会に大きな影響を与えたということだ。
佳代:考えてみれば,私たちは,今年,ミレニアム,ミレニアムと大騒ぎ
しましたけど,キリスト教のお祭りだって言っている人もいました。
そう考えると,キリスト教って,約2000年の間,ヨーロッパはもち
ろん,世界中に大きな影響を与えているんですね。
藤原:そのとおり。クリスマスだってバレンタインデーだって,日本人の
生活にまで入り込んでいるよね。クリスチャン以外にも大きな影響
を及ぼしている。でも,たまには,歴史の重みを感じてみるのもい
いよね。
佳代:本当ですね。先生,今日はありがとうございました。
□□
□□ 今回の復習
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● ローマ文化・・・実用的にすぐれた文化
・法律:ローマ法大全(東ローマ皇帝,ユスティニアヌス帝のとき)
・土木建築:コロセウム,浴場,凱旋門
・文字:ローマ字(ギリシア文字から作る)
・暦:ユリウス暦(エジプトの太陽暦を修正)
● キリスト教の成立
・紀元前4年ごろ,イエス生まれる。
・30年ごろ,イエス,処刑される。
・313年,ローマ皇帝コンスタンティヌス大帝により公認(ミラノ勅令)
・392年,ローマ皇帝テオドシウス帝により国教になる。
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■ ■ 大場佳代の
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■ ■ 楽しくヒストリー 47
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■■ 今回は,「仏教のおこりと発展」について勉強します!
■■
三重:ねぇ,佳代,インドってヒンズー教徒が多いのよね。
佳代:そうね,だいたい80%がヒンズー教徒みたいだよ。
三重:仏教はどうしちゃたんだろう?
佳代:う〜ん,確かに。仏教の発祥の地なのにね。
藤原:そうだね,仏教が盛んな時代もあったんだけどね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,インドかい?
三重:ハイ,仏教のあたりを中心に・・・。
藤原:分かったよ。簡単に勉強しよう。
三重:お願いします。
藤原:まず,インドと言えば,インダス文明が発達していたんだけれども
紀元前1500年ごろ,アーリア人が進出し,各地に都市国家を作った。
佳代:知ってます。
藤原:そのアーリア人は,バラモン教という宗教を信じ,そのバラモン教
には,カースト制度という厳しい身分制度があったんだ。
三重:あっ,それ,地理でやりました。今でも,強い影響をもっているん
ですよね。
藤原:そうなんだ。インドの近代化の妨げになっている。法律的には,と
っくに禁止されているんだけれども,まだまだ大きな影響があるら
しい。
三重:困りましたねぇ。
藤原:うん,まあ,それは置いといて。そんな中,カースト制を否定した
人物が現れたんだ。
佳代:それが,シャカですね。
藤原:そういうこと。シャカは,人間はみな平等であるとか,心の迷いを
取り去れば,現世の苦しみから逃れることができるなどと説き,仏
教を開いたんだ。
三重:それはいいことですね。
藤原:うん,特に,身分の低い人たちは喜んだろうね。そこで,バラモン
教に不満を持つ人々の支持を得て,北インドに広がっていったんだ。
しかも,紀元前3世紀には,アショカ王,紀元前2世紀ごろはカニ
シカ王が,仏教を厚く保護した。そして,有名な,ガンダーラ美術
が花咲くことになったんだ。
佳代:ガンダーラですか!それって,ヘレニズムの影響を受けていたんで
すよね。
藤原:うん,前に何かで勉強したような気がするね。インドの北西部にあ
るガンダーラは,ヘレニズムの影響を受けた仏像などが作られた。
そして,それが中国,朝鮮と伝わって,日本にも影響を与えたんだ
ったね。
佳代:ハイ,飛鳥文化に影響を与えています。
藤原:よく覚えていたね。こんな昔でも,間接的にいろいろつながってい
たんだよね。ところが・・・。
三重:ところが・・・?
藤原:うん,インドでは,4世紀ごろにバラモン教の教えを元にしたヒン
ズー教が起きたんだ。そして,多くの信者を得て盛んになり,仏教
の方は,すっかりおとろえてしまうことになる。
三重:それは残念ですね。
藤原:まあ,その辺は,どっちがよかったのか判断することは難しいけれ
ども,今でも,そのころの身分制度がインドの弱点になっているこ
とを考えると,先生も残念な気持になるよ。
佳代:そうですね。でも,仏教は,世界的に大きな影響を与えている宗教
ですから,いずれもっと詳しく勉強したいと思います。
藤原:そうだね。機会があったらまたやろうよ。
佳代:ハイ,分かりました。先生,今日は,どうもありがとうございまし
た。
□□
□□ 今回の復習
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● 仏教のおこり(紀元前6世紀中ごろ)
・シャカ→カースト制の否定→仏教を開く
● 仏教の発展
・アショカ王(紀元前3世紀),カニシカ王(紀元前2世紀)の保護。
・ガンダーラ美術がさかえる。
● 仏教のおとろえ(4世紀ごろ)
・ヒンズー教がおこる→ヒンズー教の発展→仏教,おとろえる。
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■ ■ 大場佳代の
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■ ■ 楽しくヒストリー 48
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■■ 今回は,「周,春秋・戦国時代」について勉強します!
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三重:ねえ,佳代,中国のさあ,春秋戦国時代ってあるじゃない。
佳代:うん,あるわよ。
三重:これって,周に含まれるのよね。
佳代:たぶんそうだと思うけど,よく分からないわ。
三重:やっぱり,先生に聞かなきゃダメか・・・。
佳代:そうね,普通なら,この辺で藤原先生が登場するはずなのに今日は
どうしたのかなぁ。
聖子:たいへんよ,藤原先生が事故っちゃったよ。
佳代:えーー,本当!
三重:死んじゃったのぅ!
聖子:何言っているのよ。ケガはしていないのよ。でも,車がつぶれちゃ
ったから遅れるって。
三重:な〜んだ,ビックリした。
聖子:先生からの伝言よ。先に勉強していなさいって。
佳代:それじゃあ,たまには二人で勉強しようか。
聖子:私もするわ。
三重:珍しいね,聖子。そう,聖子なら知っているかな?春秋戦国時代。
聖子:春秋戦国時代?中国の?
三重:そうよ。
聖子:え〜と,確か,殷が滅んで周が起こったのよね。
佳代:それは知っているわ。
聖子:そして,途中で周がおとろえて,春秋戦国時代になったと思ったわ。
三重:すると,周に含まれるわけ?
聖子:確か,含まれると思ったよ。殷,周,秦,漢って進んでいくわけだ
から。
藤原:遅れてごめん。
三重:あっ,先生,事故っちゃったんだって?
佳代:大丈夫ですか?
藤原:いや,先生の不注意だよ。たいした事故じゃない。大丈夫だ。
三重:よかった。先生がいないと勉強になりません。
藤原:そんなことないよ。君たちだけでも十分だ。今,聖子ちゃんが言っ
ていたことも間違っていないよ。
聖子:よかった(笑)
藤原:まあ,その辺を,ちょっとまとめてみよう。周は,紀元前1100年ご
ろ,殷を滅ぼして生まれた王朝だ。ところが,紀元前770年に遷都し
て以後は小国となり,紀元前256年に秦にほろぼされたんだ。
三重:ということは,その中に春秋戦国時代があるわけですね。
藤原:そういうこと。ちょうど遷都した以後が,春秋と戦国時代だと考え
ていい。
佳代:あれ?春秋と戦国時代は別なんですか?
藤原:そうだね。基本的には別と考えた方がいい。
三重:どんな風に分かれているんですか?
藤原:うん,春秋っていうのはね,魯(ろ)の役人が当時の国際関係につい
てしるした「春秋」という書物からとられたんだ。
聖子:へぇ〜,何か難しいですね。
藤原:有名な孔子が添削したとされる書物だよ。そして,戦国時代は,戦
国の七雄とよばれる大国が争覇戦をくりひろげた時代のことだ。だ
いたい紀元前403年までを春秋時代,以後,秦によって統一される
紀元前221年までを戦国時代とよぶことが多い。
佳代:ややっこしいけど,簡単に言うと,周は,ずっとあるけど,力が弱
くなって,春秋時代や戦国時代になったということですね。
藤原:そういうこと。日本でも室町時代をイメージすればいい。内容は違
うけど,幕府の力が弱くなってに戦国時代になったよね。そんな感
じでとらえておけばいいよ。
聖子:すると,春秋時代と戦国時代の違いは何ですか?
藤原:そうだね。春秋時代は,周の力が弱くなったとはいえ,まだまだ周
王朝の権威が残っていた。ところが戦国時代になると周王朝の権威
は失われ,小国は次々と大国に併合され,勝ち残った戦国の七雄は,
それぞれの存亡をかけてたがいに侵略をくりかえしたんだ。
三重:なるほど,下剋上ですね。それでよく分かりました。周という王朝
があって,力が弱まって,春秋時代になり,更に弱まって戦国時代
になったということですね。
藤原:そういうこと。とりあえず,その流れだけは頭に入れておこう。
佳代:分かりました。先生も,今日は,事故処理にたいへんでしょうから,
この辺にしましょう。
藤原:そうだね。次回は,周の中身をもっと勉強していこう。
三重:ハイ,ありがとうございました。
□□
□□ 今回の復習
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● 周の成立(紀元前1100年ごろ)殷を滅ぼし建国。
● 周の東遷(紀元前770年)北方の犬戎(けんじゅう)が侵入。
※ この遷都の前を西周時代,以後を東周時代と呼ぶこともある。
● 春秋時代(紀元前770年〜紀元前403年)
周王朝の権威は残る。
● 戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年)
戦国の七雄の覇権争い。完全な実力主義の時代になる。
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■ ■ 大場佳代の
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■ ■ 楽しくヒストリー 49
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■■ 今回は,「封建制度と諸子百家」について勉強します!
■■
三重:ねえ,佳代,今日も周の勉強をするの?
佳代:そうよ,前回は,流れだけだったから。
三重:でも,何だかややこしくてやだね。
藤原:そんなことないよ。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:確かに,ややこしいかもしれないけど,中学生は,簡単な特徴だけ
押さえておけば大丈夫だよ。
佳代:特徴といいますと?
藤原:うん,まずは,封建制度だ。
佳代:封建制度ですか?
藤原:そう,君たちは,鎌倉時代などで勉強しているよね。
三重:ハイ,確か,土地をなかだちとした主従関係だと思いましたが。
藤原:そのとおり。鎌倉時代の封建制度は,将軍と御家人は,土地をなか
だちとして主従関係を結んだ。つまり,将軍が御家人に土地を与え
る代わりに,いざ鎌倉ということで,軍事の義務を負ったわけだよ
ね。周も同じように,諸侯たちに土地を与え,軍事や貢納の義務を
負わせたんだ。
佳代:すると,日本の封建制度と同じなのですね?
藤原:うん,基本的には,同じようなものなんだけど,周の封建制度は,
血縁を重視するところが,日本やヨーロッパとは違っていた。
三重:血縁ですか?
藤原:そう,血縁関係の強い大きな家族のような国家という形を作ったん
だね。ヨーロッパのように,契約関係が強い封建制度とは大きく違
う。でも,基本は,だいたい同じだよ。
三重:分かりました。他に何かありますか?
藤原:そうだね。諸子百家について,少し勉強しておこう。
三重:しょしひゃっか?いったい何ですか?
藤原:うん,簡単に言うと,春秋戦国時代の争いの中で,実に多くの思想
家が現れたんだ。
佳代:はは〜ん,中国の古典思想の開花ですね。
藤原:そのとおり。ものすごくたくさんの思想家がいるので,とりあえず
孔子だけ勉強するよ。
三重:孔子ですか!知ってます。論語でしょ。
藤原:おう,よく知っているね。
三重:国語で少し勉強したんです。
藤原:なるほど,それなら分かりやすいだろう。孔子は,紀元前6世紀後
半の人だ。諸子百家とよばれる多くの思想家の最初に登場する人だ
よ。
佳代:確か,儒教と呼ばれていましたよね。
藤原:そう,儒教は,日本の歴史にもたくさん出てくるからね。儒教は,
孔子の教えだということを覚えておいてね。
三重:ハイ,分かりました。ところで,孔子の教えってどんな内容なんで
すか?
藤原:そうだね。孔子は「仁」という人への思いやりや「礼」という人間
の守るべき秩序をもとにして国家を治めるべきだと説いた。
三重:それは,いいことですねぇ(笑)。
藤原:うん,でも,中身をよく読んでみると,やはり支配階級の思想なん
だ。だから,庶民のレベルでは理解できないことも書かれている。
佳代:なるほど,それが日本でも江戸時代の社会などに大きく反映されて
いるわけですね。
藤原:そういうこと。孔子は,周の政治を理想としているところから,封
建制度の江戸時代には都合の良い学問だったんだね。特に,天下が
治まった江戸時代では,秩序を重んずる儒教が適していたといえる。
佳代:論語って,すごくいいことが書かれているような印象がありますが,
それだけじゃないんですね。
藤原:うん,確かに,論語にはいいことがいっぱい書かれているよ。でも,
その時代の社会の背景も考えないと分からないこともたくさん書い
てある。
三重:なんか難しいですね。
藤原:そうだね。実際,中国でも孔子に対しての評価は時代によって大き
く変わるし批判にさらされたこともあった。まあ,それは仕方がな
いことだと思うよ。
佳代:思想も,社会によって変わるということですね。
藤原:そういうこと。高校生になると漢文などで本格的に論語を学ぶこと
になると思うけど,時代背景が分からないと納得のできないことも
あるから,そんなときは,周の社会というものを考えるといいよ。
佳代:ハイ,分かりました。先生,今日はありがとうございました。
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□□ 今回の復習
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● 周の封建制度(血縁関係の強い封建制度)
・周王は,諸侯に地方の土地を与え,世襲させ,地方の政治を任せる代
わりに,軍事や貢納の義務を負う。
● 孔子(紀元前6世紀後半,魯(ろ)の国の人)
・仁(じん)や礼(れい)を重んずる学派『儒家(じゅか)』の祖。
・論語:孔子の死後,彼と弟子たちの問答を編集したもの。
・のちに儒教と呼ばれ,中国,朝鮮,日本に大きな影響をもたらす。
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■ ■ 大場佳代の
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■ ■ 楽しくヒストリー 50
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■■ 今回は,「秦の始皇帝」について勉強します!
■■
三重:ねえ,佳代,皇帝って王様よりえらいの?
佳代:うん,ワンランク上ってところかな。
三重:それをはじめて作ったのが,秦の始皇帝ね。
佳代:そうみたいよ。王様を束ねる,つまり王の王ってところかな?
三重:ふ〜ん,King of king か・・・。
藤原:おっと,三重ちゃん,英語を使っているね(笑)
三重:あっ,先生,こんばんは(汗)
藤原:今日は,秦かな?
佳代:ハイ,お願いします。
藤原:前回勉強したように,周は,春秋時代になり戦国時代になり,多く
の国が覇権を争っていたことは覚えているね。
三重:ハイ,戦国の七雄ですね。
藤原:そう,その戦国の七雄の中に秦があった。
佳代:その秦が中国を統一するわけですね。
藤原:そういうこと。その秦の政王が,自ら始皇帝と名乗ったのだ。
三重:なるほど,俺が一番!ってところですか。
藤原:そう,それも,別格だと言わんばかりにね(笑)
佳代:どんなところが別格だったんですか?
藤原:そうだね。始皇帝は,新しいものが好きで,何でも史上初とかいう
ものが好きだったらしい。彼は,郡県制というものを取り入れた。
三重:何ですか,それは?
藤原:うん,簡単に言うと,周の時代に封建制度というのがあったね。あ
れの反対だと思えばいい。封建制度は,諸侯に土地を与えて,地方
の政治を任せたわけだよね。そうではなく,始皇帝は,中央から役
人を送り,直接支配しようとしたんだ。
佳代:つまり,中央集権ということですね。
藤原:そういうこと。そして,いろいろなものを統一した。
三重:例えば,どんなものですか?
藤原:まずは,度量衡だ。そして,文字や貨幣など。
三重:どりょうこうって何ですか?
藤原:うん,度は長さ,量は容積,衡は重さだ。つまり,バラバラだった
単位を統一したんだよ。
佳代:なるほど,単位が違うと不便ですものね。文字や貨幣もバラバラだ
と統治しづらいです。
藤原:そのとおり。始皇帝は,単に,中国を統一しただけでなく,秦のや
り方で支配しようとしたんだ。そして,思想・言論の統制にも手を
伸ばした。
佳代:あっ,聞いたことがあります。何か,本をみんな焼いてしまったと
かいう話。
藤原:そう,焚書坑儒と言われる出来事だ。始皇帝は,古い不都合な書物
を全部焼かせ,同時に儒者を坑(あなうめ)の刑にしたと言われる。
三重:えっ,あなうめですか・・・,それはひどい!
佳代:儒者って,孔子の教えを信じる人たちですね。
藤原:そのとおり,秦は,徹底した法治主義だった。いにしえを尊ぶ儒家
からの反発は強かった。だから,徹底的に弾圧したというわけだ。
三重:なるほど,新しい制度のために古いものは認めないという態度だっ
たわけですね。
藤原:そういうこと。また,始皇帝は,外に対しては,匈奴を撃退して万
里の長城を築いて守りにした。
三重:わぁ〜,万里の長城も始皇帝なんですね。
藤原:うん,戦国時代から,あったんだけど,始皇帝が補修,延長して匈
奴に備えたんだ。現在の長城は,明の時代に築かれたものだよ。ど
ちらにしても,自分の陵墓を築いたり,首都咸陽の宮殿を次々に建
設したりして,過剰な負担を強いたため,国民は,しだいに秦から
はなれていくようになったんだ。
三重:長続きしなかったんですか。
藤原:そういうこと。始皇帝が死んで,わずか4年で滅亡することになる。
佳代:新しいことを無理にやろうとしすぎたのかもしれませんね。
藤原:うん,先進過ぎたのかもしれない。それにやり過ぎも多かったから
ね。やり過ぎは,自滅を招くことが多いものだよ。
佳代:分かりました。私も気をつけます(笑)今日はありがとうございま
した。
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□□ 今回の復習
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● 秦の統一(紀元前221年)
・秦の政王(せいおう)が天下統一,首都は,咸陽(かんよう),始皇帝を
名乗る。
● 始皇帝の政治
・郡県制をしく。
・度量衡,通貨,文字の統一。
・焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)
・万里の長城の修復・・・北方の匈奴(きょうど)に備える。
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