| 徳島県川島町(現、吉野川市) | 昭和26年出生。二人兄弟の下。両親の古里でもある。「幼なじみの思い出は/青いレモンの味がする」(デューク・エイセス「幼なじみ」)。四国だからスダチの味、であったろうか。 |
| 徳島県脇町(現、美馬市) | 父は警察官。転勤が多かった。母のお腹にいたときは徳島県牟岐町。脇町には二年ほどいたようである。堤防で撮った写真が数枚。ほかに「武田みさよちゃん」とのツーショット。 |
| 徳島県池田町(現、三好市) | 白地温泉の近くに住んでいたらしい。官舎の裏は河原であった。河馬の形をしたカバヤキャラメルの宣伝車を見たのも池田町だった(坪内稔典『おまけの名作 カバヤ文庫物語』)。 |
| 香川県高松市 | 仏生山に住む。勝神社下で撮った写真が残るのみ。ここでは「池田みどりちゃん」が登場。昭和29年に公開された「ゴジラ」を恐る恐る見たのは、たぶん高松市の映画館だったろう。 |
| 徳島県徳島市 | 昭和町に住む。紙芝居にロバのパンやポンポン菓子が楽しみだった。夏の夜の阿波踊りの美しかったこと。大阪の地下鉄の話にモグラを連想する。身近に出没していたからである。 |
| 大阪府堺市 | 父の転勤に伴い来阪。卒園式と入学式を知らず。金岡駅(現「堺市駅」)前で本屋兼文房具屋煙草屋を経営する伯母の家に同居。東三国丘小学校に通う。後、堺より妻を迎える。 |
| 兵庫県立伊丹高校 | 東大・安田講堂の攻防をテレビで見たのは三年の冬だった。思潮研究会に所属。自殺2件、失踪1件。「十五、十六、十七と/私の人生/暗かった」(藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」)。 |
| 京都府宇治市 | 大学に入学後、平等院の近くに下宿。一年後、父の死により下宿を引き払う。文芸部に所属。散策は天ケ瀬ダムだった。「短歌人」入会。五句三十一音に世界との回路を求めたらしい。 |
| 龍谷大学 | 仏教学科に在籍。淡い水彩画のような青春だった。三島由紀夫、浅間山荘。「別れても 別れても 心の奧に/いつまでも いつまでも/憶えておいて ほしいから」(「わすれな草をあなたに」)。 |
| 兵庫県川西市 | 移り住んだのは昭和33年秋。二度の転居。兄は京大大学院修了後就職、在水戸。阪神淡路大震災は脳内出血で倒れて昏睡三日目、あとで聞かされた。「さればこそ月に草食獣がをり」(兎月庵)。 |
| 人生は潮の満ち引き 来たかと思えば また逃げてゆく 失くしたかと思えばまた いつの間にか戻る |