持仏堂

たとい、われ仏(ほとけ)となるをえんとき、十方の衆生(しゆじよう)、到心(ししん)に信楽(しんぎよう)して、わが国に生れんと欲して、乃至(ないし)十念(じゆうねん)せん。もし、生れずんば、正覚(しようがく)を取らじ。(大無量寿経=岩波文庫『浄土三部経・上』)
地蔵菩薩は朝原山安養寺別館  よりお借りしています。(合掌)

 

仏造る眞朱(まそほ)足(た)らずは水たまる池田の朝臣(あそ)が鼻の上を掘れ 大神奧守(万葉集巻十六)
よそになど仏のみちをたづねけむ我が心こそしるべなりけれ 藤原忠通(詞歌集)
仏には桜の花をたてまつれわがのちの世を人とぶらはば 西行(千載集)
南無阿弥陀仏の御手にかくる糸のをはり乱れぬ心ともがな 法円(新古今集)
法性の室戸といへどわがすめば有為(うゐ)の波風よせぬ日ぞなき 弘法(新勅撰集)
草木まで仏のたねと聞きつればこのみとならむことも頼もし 深観(新勅撰集)
世の中の憂きこと知らぬみ仏もものさびしらに見ゆる秋かな 野村望東尼(向陵集)
山寺の秋さびしらに仏たちただならびてもおはすばかりぞ 大隈言道(草径集・上)
なむあみだ仏つくりがつくりたる仏見上げて驚くところ
木のもとに臥(ふ)せる仏をうちかこみ像蛇どもの泣き居るところ
子規『竹の里歌』
山高きみ寺のうちにあるほどは我もしばしの仏なりけり 佐佐木信綱(思草)
さきだちて 僧 が ささぐる ともしびに くしき ほとけ の まゆ あらは なり
うすれ ゆく かべゑ の ほとけ もろともに わが たま の を の たえぬとも よし
会津八一(鹿鳴集)
頭おさへ悶え泣する仏あれば大声あげて泣く仏あり 川田順(山海経)
浄玻璃にあらはれにけり脇差を差して女をいぢめるところ
飯(いひ)の中ゆとろとろと上る炎見てほそき炎口(えんく)のおどろくところ
赤き池にひとりぽつちの真裸のをんな亡者の泣きゐるところ
いろいろの色の鬼ども集りて蓮(はちす)の華にゆびさすところ
人の世に嘘をつきけるもろもろの亡者の舌を抜き居るところ
罪計(つみはかり)に涙ながしてゐる亡者つみを計れば巌(いはほ)より重き
にんげんは馬牛となり岩負ひて牛頭馬頭(ごずめず)どもの追ひ行くところ
をさな児の積みし小石を打くづし紺いろの鬼見てゐるところ
もろもろは裸になれと衣(ころも)剥ぐひとりの婆の口赤きところ
白き華しろくかがやき赤き華赤き光りを放ちゐるところ
ゐるものは皆ありがたき顔をして雲ゆらゆらと下(お)り来るところ
斎藤茂吉『赤光』
網の目に閻浮檀金(えんぶだごん)の仏ゐて光りかがやく秋の夕ぐれ 北原白秋(雲母集)
むさし野の奥沢村に年久しくいます仏の膝(ひざ)の塵(ちり)はも 植松寿樹(庭燎)
吾の背に仏の如くかがまれり物言ふこゑは其(その)常の声 五味保義(此岸集)
この野の仏いづれも首を失へり 崩れ一揆の祖父(おほちち)の斧 斎藤史(風に燃す)
砂の上に濡れしひとでが乾きゆく仏陀もいまだ生れざりし世よ 岡部桂一郎『緑の墓』
つくづくとわれをみつむる老婆なり首無しの仏つくりし人か 前登志夫(子午線の繭)

 

道のべに阿波の遍路の墓あはれ 高浜虚子
年寄りの足の確かや夕遍路 高野素十
雨合羽すれあふ花見遍路かな 阿波野青畝
みくじ札夫婦遍路ののぞき合ふ 鈴鹿野風呂
浜風や遍路の妻のおくれがち 高橋淡路女
子遍路が乗れば金比羅舟ゆるゝ 萩原麦秋
僧形の老いし遍路のひとりゆく 高浜年尾
拝みつゝ遍路まなこをつむりける 星野立子
かなしみはしんじつ白し夕遍路 野見山朱鳥

 


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