1☆「人形1」 

 化粧をしていた春子が、人影を感じて、後ろを振り替えると、床の間の五月人形が、にやっと笑ったような気がした。
 (出掛ける前に、不吉だわ)
 ふと気持ちが沈んだが、それより、これから出掛けていくことへの、期待感が勝って、一瞬の陰りで終わった。
 化粧を終えて、出掛けるよういが、全て整い、玄関に向かう途中に、また、じっくり、その人形を見てみた。不動である。眉毛を釣り上げた童のきりっとして意志的な表情を、春子は気に入っていた。
 もとはといえば、この人形は、孫の物なのだ。さが、息子夫婦は、別居して東京に住んでいるから、もう、大学生になった孫の端午の節句に、人形を飾ることはない。押入れの隅の始末の終えない荷物になっていたのを、こちらに贈らせて、物置に仕舞っておいたのだが、それも、もう、五年にもなるので、今年陰干しを兼ねて、出してきて、飾った。
 この飾りの作業が大変だった。なにしろ、飾る物の数が多い。それらを、一点一点取り出して、埃を払い、綺麗に揃えて、組み立てた鉄の棚の上に緑のラシャノを掛けた飾り棚に置いていくのだ。
 (この歳では、もう、無理だわ)
 と途方に暮れて、春子は、息子を呼んだ。後日、やって来た息子と孫は、一日掛けて、飾りを仕上げた。それで、春子の家のそっけのない床の間は、一気に春めいて、光を放つようになった。
 (あれは、人形の語り掛けなんだ)
 春子はそう気がついて、嬉しくなった。言葉が話せない動かぬ人形が、なにかを語りかけてきたのだ。それは、
 (ああ、いい気分だ)
 とか、
 (出してくれて、有り難う)  
 だったのかもしれないが、春子には、
 (おばあちゃん、綺麗になったね)
 と言ったように聞こえて、出掛けていく足心持ち、軽くなった。
 
2☆「穴フェチ」
 
 その男は、とにかく、何でも、「穴」というものを見ると、強く引かれるのだという。窪んだ物、へこんだ物、落ち込んでいる物への関心が強く、見るだけで神経が昂るのだという。
 「どんな穴でもいいんですか」
と私が聞くと、
 「いいんです」
と短く答えた。
 「だって、穴なんかそこらじゅうにあるじゃないですか」
 「普通の人はそう思うでしょうがね、実際は、そう好みの穴があるわけじゃないんですよ」
 穴の好みとは、初めて聞いた。
 「あなたは、どんな穴がいいんですか」
 「そうですね。硬質でなく、程よく奥が深くて、形と色合いがいい物ですね」
 「すると、柔らかい物ですかね」
 「そうとは、限りませんが、鉄やコンクリートや木材などの硬質な材料では駄目です。まず、最初に排除します。ゴムや軟質プラスチックが限界です。最高は、勿論、生命体ですよ。生きている物の体がいい。その点では、人間の肉体が最高でしょう」
 段々、話が具体的になってきた。
 「すると、人の肉体の穴が、いいんですか」
 「そうです。特に女性のね。でも、そうそう、上等な物には出くわせない」
 「かなり、卑猥な趣味ですね」
 「いや、そういう性的な関心とは、根本的に違いますよ。その点は、誤解しないで下さい。たとえば、女性の性器も肛門も穴ですが。私は性器には関心がない。肛門なら、少し、興味がありますが。飽くまで、形として、美しい物がいいんですよ」
 「形ですか」
 「そう、中身はいらない」
 私には、理解できない人間が、また一人、増えた。

3☆「五月晴れ」

 五月になってから、天気が猫の目のように変わるようになった。晴れの日に夏日のように気温が上がったかと思うと、翌日にはひどく冷え込んで、厚着をしなければいけないような激変ぶりだ。
 世間には、不景気風が吹きすさび、失業率が史上最高になったと叫んでいる。だが、人の暮らしは、そうは変わらない。毎日の時間が、淡々と流れ、指定されている『死』に向かって、人の時間は刻々と流れていく。
 一体、生きるとは何なのだろう。生まれてきたときから、人は『死』に向かって、決定づけられているのに、そのことをそれほど意識せずに宇、必死で生きていく。もし、人生には終わりがあり、人の営みは、そこで、すべてご破算になるのだと言うことを、決定的に意識して、生きていけば、それほど、悪行はできないはずだ。
 どんなにもがいても、結局、『死』によってご破算になるように、人は運命付けられている。五月になると、どんなに天気が変動しても、必ず、五月晴れの空が、いつか、やって来るように・・・・。

4☆「風の中で」

 薫風が吹いている。朝の目覚めが爽やかだ。凌ぎ易い季節である。食い物がうまい。見るものが鮮やかだ。香しい香りが、空気の中を漂ってくるお。鳥質の囀りが、耳を刺激する。
 こんな日は、森には入って、一日中さまようのもいいだろう。遭難の心配はない。見るものが鮮やかで、気温も上がって、この季節は、家にいるのが、もったいない。
 などと、言いながら、一日中、家の中に閉じこもってしまうのも、この季節の心地よさのせいだ。寒くもないし、汗ばみもしない。朝から、一日、パジャマを着たままですごしてしまっても、何の苦労もないのだ。
 そうして、パソコンの前に座って、くだらない文章を書いたり、テレビを見たり、ビデオを見たり、絵を描いたりしていると、あっという間に、日が暮れてしまう。なんとも、贅沢というか、気楽な生活だ。その代わり、たいした物も食べないし、贅沢はしない。それで、ちゃんと生きていける。
 人の生活は、いくらでもその人の寸法に合うようにできている。

5☆「人形2」

 鎧兜を着て戦いに明け暮れていた戦国時代に、男の子の菖蒲の節句をどう祝ったかというと、定かではないが、その時代の装束を飾って、男児の健康と健やかな生育を祈るようになったのは、江戸文化爛熟してかららしい。すでに、戦国は遠の昔、徳川の威光が全国に行き渡り、世は町人の時代になっていた中期ごろから,雛の祭りが、盛んになった、と物の本で読んだことがある。
 では、男の子の節句の祝いはというと、これも、同じころから、武家で、跡取り息子の武運長久を祈って、始まったんものだろうか。女の子に、雛は似合うが、男には人形は似合わないとも思われるが、そのころ、技術が向上した人形師や人形商人には、大義名分があれば、よかったのだろう、男の節句にも、お飾りが、行われるようになったようだ。
これが、良い風俗なのか、それとも、下らない習慣なのかは。、わからない。
 ただ、子の健やかな成長を願う親心と、爽やかなこの季節も重なって、住む家は狭くなっているのに、飾り物はよく売れているそうだ。

6☆「連休」

 ゴールデン・ウイークに、陸奥を訪ねようと思ったのだが、辞めにした。行けば、必ず、思い出が、沸き起こる、それは、甘く切ない筈だが、それを求めて、出掛けるのは、この季節には、見合わないと、思ったからだ。
 「ねえ、何もしないでいるのも、贅沢の一つね」
と娘の由利子が言った、由利子は、この連休は、
 「寝て過ごしたい」
と決めていた。毎日、二時間も費やして、遠くの高校に通っているのだから、この休みくらいは、ゆっくりしたいらしい。
 息子の康夫も、
 「二三日、のんびりしてから、サークルの新入生合宿に行こうかな」
という計画のようだ。
 妻は、始めから、
 「お金もないし、家に居るのに限るわ」
と言っていた、それで、敏夫は家計が苦しいのを暗に示されて、憮然とした。
確かに、誰も働いていない家だから、連休を楽しむような経済的な余裕はないかもしれない。だが、子供たち二人は、世間の家庭と変わらずに、伸びやかに成長しているのだ。それで。それで、十分ではないか、と思って、
 「そうだね。それが、今の時代に合っているよね」
と合槌値を打って誤魔化した。
 今年は、高速道路も込みそうにないし、海外に出掛ける人も減ったらしい。代わりに遠出をしないで、近場で楽しもうと言う人が多いのだという。
 これも、時代の移り行きだ、と感じて、その風を我が家も受けているような実感がした。
そして、それこそ、本来の人間らしい、生き方なのでは、と思うのだ。

7☆「天上裏」

 暗いトンネル状の通路を通って行くと、奥に広い空間があった。といっても、背をかがめてやっと、中に入れるほどの大きさだ。右手の柱に電灯が点いていて、それだけが、唯一の、明かりだった。
 勲がその場所に入ることになったのは、母が、天上裏に積み重ねてきた、荷物の整理と思いたったからだ。もう、何十年も、この家で起きた出来事を、荷物の一つ一つが、抱えているように、思い出の品々は、天上裏の狭い空間に押し込まれて、肩を寄せ合っていた。
 「三十年も置きっぱなしになっていたんだから、整理が大変だわ」
と言っていた母には、この頭上に折り重なっている荷物の運び出しと整理が、積年の課題だったのだ。
 「私が、皆、一人で仕舞っておいたんだから。運び入れるだけでも、大変だった」
 いざ、運び出す段になっても、口をついて出るのは、運び入れたときの苦労話だ。
 祖父母が大切に使ってきた桐の箪笥、明治時代の布製のトランク、勲と妹の小学校時代の成績簿や作品類が、次々と出てきて、整理としていた、父は、時折手を止めて、
 「これは、取っておこうか」
と思案した。捨ててしまえば、それで、お終いだが、取っておけば、物は命を永らえる。だが、それでは、整理に掛かった意味がない。
 「おお、これは、俺が生まれる前の年の新聞だよ」
 七十七の喜寿を迎えた父が、大声を挙げて、トランクの下に敷かれた、新聞の日付けを見ていた。そのトランクは、祖父が、使っていた物だが、入っていたのは、シベリアで戦死して、遺骨も帰ってこない、父の弟の遺品だった。祖母が取っておいた、手紙類や、専門学校の通信簿などが、ぎっしりと詰め込まれていた。
 「お祖母ちゃんが、大切にしていた物だから」
 母の一声で、そのトランクは整理を免れた。

8☆「アルバイト」

 その電話に出た久野は、ピント来る物があった。
 「和正さんはいませんか」
と言った女の声には、聞き覚えがあった。和正が、高校時代に通っていた塾の事務員の声だった。無事、大学に進学してから、そのっ女性が電話してきたのは、和正が、その塾の講師募集に応募していたからだ。
 「採用が決まったら、連休中に連絡が有るって言っていた」
と報告した和正に、久野は、
 「じゃあ、だめだったら、連絡はないのね」
と確認するのを忘れなかった。
 「そういうことだよ」
と答えた和正は、連休中は、新しく誘われたサ−クルの合宿に言って、家にはいなかった。率のいいアルバイトになるというその塾の採否より、大学生としての生活を楽しむほうが、先立ったのだ。
 久野は、そう気にせずに、連休を過ごしたが、電話がないのは、やはり、気掛かりだった。半分は、諦めの気持ちだったが、息子が採用に期待を掛けて、そのためのス−ツまで、祖母に買ってもらっていたから、出来れば、採用してもらいたい気持ちだった。
「凄く、難しい問題で、あんまり、出来なかった」
と採用試験から、帰ってきた和正の話も、気掛かりの要素だったが、気楽に構えている息子の様子で、気が和んだのだった。
 「では、また後で、電話します」相手は、そう言って電話を切った。その瞬間、久野に持ち前の直観が走ったのだ。
 和正が帰ってきてから、再度掛かってきた電話口で、和正は、徐々に声を落としていった。
 「今回は不採用だって。また、次の機会に受けてくださいって、言ってた」
 大学も見事、志望校に入った和正の浮かぬ表情を見ていた妹の茜が、
 「お兄ちゃん、初めての挫折だね」
とおちゃらかしたのも、聞こえなかった。

9☆「自由と平等」

 我が日本国憲法の定めている規定のうち、「自由と平等」は、フランス革命以来の市民革命が獲得した近代社会の原理を、採用したものだ。明治憲法にも同様の原理はあったが、一部に過ぎない。全面的な市民の自由と平等を定めたのは、米国憲法の流れを汲んだ占領軍民政局の役人たちが、その原理を奉って建国さえた祖国の理想の中で育ち、その原理の実現をファシズムとデモクラシーという二大対立概念で捕らえて戦った第二次世界大戦にかけていたことからも、当然だ、といえる。
 だが、日本国憲法の高い理想は、その概念があまり、鮮明でないだけに、現実社会とは酷い乖離を見せている。戦争を放棄し、軍隊を持たないとした「平和主義」が、憲法制定後まもなく始まった朝鮮半島での戦争という現実の要求に崩れさったのは、明らかだが、他の理想主義的は条文も、現実の適用面では、全く無視されるか、軽視しつくされてきているのが実状なのだ。
 たとえば「自由」と言うことでは、我が国はずっと、厳しく自由が制限された資本主義社会を運営してきた。銀行や証券業界が、競争の自由を制限された保護行政で競争力をそがれたのは、いまの不況の遠因となっている。これは、だれでも、どんな職業でも、どこでもで着るという西洋の近代民主主義革命が獲得した基本的な「職業選択の自由」に対する侵害だと、言えなくもない。
 まず、それよりを実際上、リクルート姿の都大学生に本質的な職業選択の自由はない、と言い切れるだろう。彼らは、学校のレベルで仕訳された(この段階で既に平等ではない)採用試験を受け、本来,したいと思っている仕事に就けるわけではない。その証拠に。あらゆる業種にチャレンジして、なおかつ、決まらないと言う哀れな人物もいる。彼らにとって、仕事とは選択の自由の対象ではなく、生きる糧を得るために、相手に選択されるというものなのだ。

10☆「概念の実証」

 憲法が規定した概念は、自然科学的な手法で実証されるだろうか。
たとえば、「自由」や「平等」や「権利」や「義務」という人が頭で考えた抽象的概念は、宇宙の中の太陽系の惑星、地球という環境の元で生命活動をしている人という生物にどのような意味を持っているかというのが、ここでのテーマだ。
 「自由」が生命のあり方にどのような影響を持ち売るかと言うことは、逆に「不自由」が、どのような反作用をもたらすかを観察すれば、反語的に推論が可能だ。
 ここで、六匹のマウスを使い、三匹ずつ二つのグループに分けて飼育する。一つの飼育箱には、同じ親から生まれた同じ年のマウスを仕切なし、食事の量や時間も平等に飼育する。一方の飼育箱では、やはり同じ親から生まれた三匹をそれぞれ、一部屋ずつに仕訳し、足に二十グラムの重りを付けたのと、十グラムを付けたのと、全く付けないのに分けて、飼育する。
 第一のグループは、全く身体的な制限なしでのびのびと育てるグループ、第二は重い足かせを穿かせて、制限的に育てるグループにするわけだ。第二のうち足かせのないマウスは、箱が仕切られているという制限だけが、だ第一グループとは違う。
 こうして、半年もすると、二つのグループの成長ぶりに顕著な差異が出てくる。一番育ちが悪いのは、最も重い足枷をした第二グループのマウスだ。次が、次に重い枷を穿かせたマウス、そして、制限な飼育をした第二グループの方が、自由にそだてた第一グループより生育度合いが悪いことが実証できたのだ。
 「平等」についても、同様の実験が工夫できるだろう。その結果は、自由と同じになるのかどうか、もともと「自由」と「平等」は並立する概念ではなく、対立する概念だ。自由を制限したところに平等はなりたつ。何でも平等にしているところに、個人の自由はない。逆境の中からヒーローが生まれるメカニズムは、どのようにすれば実証できるのだろうか。

11☆「夢うつつ」

 朝の目覚めが快適なのは、前夜の気持ち次第である。それは体ではなく、心の状態のことだ。今朝は、まだ、夜来の雨が残っていて、蒸し蒸しするのに、心地よいのは、寝る前の気持ちよさのよいんである。
 日が落ちるとともに、降り始めた雨が、日が変わる頃には、大降りとなり、叩きつけるような激しい雨になったのは、寝苦しさを増し始めた狭い我が家には、恵みだった。
私は家人が寝静まったあと、その雨音を聞きながら、至福の時を過ごすことができた。その満足感が、目覚めた後も、続いていたのだ。しんと静まった深夜に、ただ、リズミカルに屋根を叩く雨の音を聞きながら、私は昼間の生活では得られない、密かな喜びを満喫することができた。
 人工の美女たちは、あくまで従順で、生身の女のように、人を裏切らない。そのうえ、完璧な姿態と容姿。その美女たちの囲まれて過ごした雨の夜の深い記憶が、朝まで続いていた。

12☆「アルバム」

 「こんな時もあったんだ」勲は古いアルバムを眺めながら、呟いた。まだ若かった頃の家族の写真だ。几帳面な性格の妻の真智子が、勲が写真を撮るたびにきれいに整理して、分厚いアルバムにしていた。それが、長男の大学、長女の高校進学を機に、大幅な部屋の模様替えをしたために、押入の奥から、出てきたのだ。
 毎年、家族で行った夏の旅行や冬のスキー、節句や誕生日ごとに撮った記念写真が、整理されて、張ってあった。いかにも幸福そうな、一家の姿が、続いているのだ。
 「こういう時もあったんだ」
 再び、ため息をつくと、今の境遇が、どうしても、気にかかる。無職の現状からは、その時代のはつらさが、懐かしい。
 だが、昨日のことも明日になればわからない。人生は変転、世は無常と、気が付いて、
 (ああいう時があれば、こういう時もある)
 少し、気が楽になった。

13☆「谷町」

 若乃花が横綱を賭けた今場所は、土俵が荒れに荒れている。貴乃花の体調が勝れないのは、自己管理の甘さによるにしても、横綱、大関に群を抜いた強さを誇る者がいないのが、現状だ。
 それに今の経済界の苦境が追い討ちを掛け、恒例の満員札止めの幕は、滅多に掛からなくなった。土俵が詰まらず、金を出す人も減るのでは、さすがに、バブルの頃、我が世の春を謳歌していた相撲界も、ここへきて、元気がない。
 いわゆる「谷町」といわれる応援者たちは、湯水のように金を使って、贔屓の相撲取りに、好きなようにさせていたが、出せる物が、手元にないのだから、いまや、そうも行かなくなった。
 「借金で首が回らないのに、相撲狂いでもありますまい」
 長い間、古手の相撲部屋の後援者をしてきた中小企業の経営者は、それでも、年間で確保している桟敷席でそう呟いた。
 「これは、接待用です。経費で落とせるが」
 谷町としての、出費は、自腹だったのだそうだ。

14☆「コード」

 最近の日本の工業製品に、活気がないといわれているが、どうもその原因は、顧客にそっけなくなったためではないかという気がしてくる。
 それは、新しい商品を買っても、作っている人のやる気が伝わってくる商品が、少ないのだ。
 (これを買ってくれ。絶対にためになる)
と自己主張しているも物があまりない。店の棚には、選ぶのに苦労するほどの商品が並んでいるが、思わず、買ってみたくなる物があまりないのだ。
 これは、作り手の熱が冷めてきていることと無関係ではない。消費者は、出費に当たるだけのお買い得で高品質の商品を求めているのに、安いが悪い、良い物だが高い、という両極端の物ばかりで、程良い性能と価格の品物が少なくなっている。
 「これは、産業の構造の問題ですな」
と製造業の知人は言う。
 廉価品はアジアで作り、国内では過剰性能の超高級品ばかりになるが、そうしないと、経営が成り立たないのだという。なにか変だ。

15☆「本郷界隈」

 東京大学がある本郷には、文人、墨客の家や縁の地が今でも、数多く残されている。その記念館や記念碑もたくさんある。
 なぜ、こんなに先人たちの遺跡が多いかというと、江戸時代からこのあたりは、江戸の端で、今の郊外住宅地のように、粗末な下級武士や町民の家があったからだ。
地下鉄の本郷三丁目の駅を出て、すぐの四つ辻の角に、「かねやす」といいう屋号の布製品の店がある。いまでは、付近のビルの間に沈んだ低層の構えだが、交差点の近くだけに、すぐにわかる。
この店が、
ーー本郷もかねやすまでは、江戸のうちーー
と詠まれたその「かねやす」だ。
 江戸庶民は、ここまでが江戸だと思っていたのだ。その証拠に今の東大のあたりには、しもた屋が並び、かねやすまでの屋敷町とは、画然とした差があった。そのうえ今の春日通りは、防火用に広かったので、画然と隔てられていたのだ。

16☆「自白」

 「やったんだろう。あんたがやったのは、間違いないんだよ。この目で見たんだからね」
スーパー・マーケットの裏の荷物が山積みされた奥の部屋で、奥住香祢子は、向かい側に座っている制服の警備員にそう言われてもはじめは、
 「いえ、知りません。私の知らないうちにバッグに入っていたんです」
としらを切っていた。
 「そんなに言うのなら。証拠を見せるよ」
 警備員は、持ってきたビデオカセットをレコーダーに差し込んだ。右下に白抜きで日付が入っている。それは、今日の日付けだ。
 「これは、あんたでしょう」
 指指されて見たのは、確かに香祢子に似ていた。
 (あいつ、またやりやがった)
 香祢子は、心中、怒りの声を上げたが、表情には出さなかった。
 「私です。すみません」
 深々と頭を下げたが、本当は、それは瓜二つの娘の姿だった。それで、罪を認めたのだ。
若く見られることと親としての責任の代償に。

17☆「犬と猫1」

 東大本郷キャンパスで、一番多い動物は、といえば、それは人間に決まっている。では、目立つのはなにか。丸々と太って、しょっちゅう空から「カー、カー」と五月蠅い鳴き声を聞かせているハシブトカラスもそうかもしれない。餌を採る手間がかからず、昼間から、遊んでいられる都会のカラスは、肥満体質なのだ。
 本当は、猫だ。三四郎池のあたりには、毛並みの良さそうな猫の集団がいる。といっても猫は群を組まないから、一匹ずつ、勝手に生活しているのだが、見ているこちらには、猫の軍団のように見えてしまう。それほどに猫が固まって生活している。
 もちろん、飼い猫ではない。首輪を鈴も付けていないし、人が面倒を見ているのではないことは、勝手気ままな振る舞いをしていることからも分かる。無頼の輩なのだ。
 猫がなぜ、三四郎池のあたりに多いのか。それは、漱石でも解明できない難題だ。猫が小説を読むはずはないのだから。まして。無頼の猫が。

18☆「犬と猫2」

 「私は猫が大嫌いでしてね。あの傍若無人さ。可愛がっても、何とも思わないような無表情ぶり。そこへ行くと、犬は情に厚い。一日飼えば、音を忘れず、ってね。犬は、従順で、飼っていて楽しいペットですね」
 犬好きの友人の弁である。それを聞いていた猫派の女性が、
 「犬は、汚いですよ。外をうろつき回ってきては、床を汚す。それにまつわりついて五月蠅い。猫は、その点、手が掛かりません。きれいにしてやるのも簡単出しね。毛繕いは楽しいですよ」
と反論した。
 「それだから、猫は増長するんですよ。猫可愛がりしてはいけません。人が忙しくしていても、なに食わぬ顔して、遊んでいるのが猫です。僕は、そういう性質が嫌いでね。人のためには、なんの役にもたたないペットです」
 「私のことを言ってらっしゃるんではないでしょうね」
猫派の女性が、目を吊り上げると、犬派の男性は、両手を前に合わせて、お預けの姿勢で、盛んに、恐縮していた。ある公園での光景だ。

19☆「犬と猫3」

 「犬には、犬侍とか、犬畜生とか、この犬とか、あざける言葉が多いのに、猫には、そうないのはなぜなんですかね」
 若いN君が意表をつく質問をした。
 「確かにね。猫に小判とか、猫の手も借りたいとか、猫に鈴とかいうのはあるけど、あからさまにけなすようなのはないね」
 私が感心していると、N君は、
 「犬の方が、人間には役に立ちますよね。警察犬はじめ、盲導犬、麻薬犬、狩猟犬など、働く者も多いでしょう。でも、猫は、なんか役に立つことしていますか」
 「死んでから、三味線の革になっている」
 「そんな、ブラックユーモアはいけません。生きているうちの話ですよ」
 「ネズミを捕るじゃないか」
 「ああそうでした。昔はそれで、猫を飼ったんだ」
 「ということは猫は、あれでも歴とした肉食獣なんだね」
 「犬だって先祖は、狼です」
 そんなのをペットにした人間は、一番怖いという結論になった。

20☆「落語」

 上野の松阪屋デパートの真向かいの小さなビルでその寄席が始まってからもう、二年になる。歌丸や柳昇などの柳派の落語と神田紅などの講談が掛けられる定席だ。客席は、舞台の前が畳敷きで座椅子が付いて約二十席、その後ろのいす席が二十五人ほどの小さな寄席だがその狭さが良くて通ってくる常連が多い。
 「なにしろ、目の前で芸人が見られる。客との掛け合いの呼吸もぴったりで、家族的なんですよ」
と定年の六十歳を過ぎてから、寄席がよりを始めたという、紳士が言った。
 確かに口座は、指呼の間にある。噺家の息使いが手に取るようにい伝わってくる。
 先日、そこで新作落語の長老、柳昇の一席を聞いた。八十歳を過ぎてから、一層のとぼけた味が深みを増したこの噺家が、芸としてぼそぼそ話すのを選んでいるのは、カラオケの場面で、時折聞かせた音量の豊かさから、納得がいった。しかも音程はずれていない。流行歌を織り交ぜた熟練の話芸を、目の前で見られただけで、豊かな気持ちになった。

21☆「洋館」

 「湯島の白梅」に、「境内を抜ければ切り通し」とある池之端の切り通しは、今では、首都枢要の交通路になっているが、明治の頃は、狸や狐が通ったという暗い道だった。
その切り通しが切り抜いた岡が、忍ばずの池の西側に続く高台になっている。高台が始まるあたりに、あつく鉄製の門を閉ざした木々がこんもりとした庭園がある。三菱財閥の開祖、岩崎家の建てた洋館がその奥にひっそりとしたたたずまい見せている。普通は入れないその敷地に入ると、明治時代にワープしたような錯覚に襲われる。
 夜毎に夜会が開かれた鹿鳴館を思わせるような西洋風の建物が、いまでも、都会の真ん中に残されている。しかも広壮な庭園の森にかこまれて。貴重な歴史の遺産だ。
 ところがこういう建物が、ここにあるのを知っている人は少ない。まして、直接見たことがある人は限られている。
 一般公開をしていないからだ。でも保守に税金は使われているはずだ。管理はとがしているのだから。公開しないから、よく保護されている、という理屈はあるだろうが、どうも釈然としない。

22☆「初夏」

 「今年の夏は、絶対に彼氏を見つけるんだ」
 安いファースト・フォードのセット物を食べながら、レイミが呟いた。今ははやりの下着を上着にしたすけすけのワンピースを着ている。
 「去年もそんなこと言ってたじゃんかよう。おまえ、去年よりいけいけじゃんか」
 茶髪に金色のピアスをしたタツヤが、応じた。
 「でもさ、いい彼氏ってなかなか見つかんないよね。どいつもこいつも一長一短あってさ。ジャニーズ系は金ないしさ。ガテンのやつは、ださいしね」
 「世の中そんなもんじゃねえの。遠くを見ても始まんないよ。少しはお前も自分を知れ。自分にあった身の丈で物事考えて行かなくちゃ」
 「あたし、金ないんだ。援交しようかな」
 「女は、これだから、気楽だよな。俺だって援助してんじゃん」
 「そうか、あんたも私と援助交際してんだ」
 「今日は負けとけよな。いいだろ」
 「貸しだよ貸し。三回分だからね」
 渋谷のハンバーグ屋が、込んできた。

23☆「英語」

 「ねえお兄ちゃん、私英語が分からなくなってきちゃった」
 「もともと分かっていなかったんじゃないの」
 「そうじゃないの。考えすぎて分からなくなってきたんだ」
 「aとtheの使い方の違いから教えて。一番よく使うでしょ」
 「そんなの、易しそうで一番難しい問題だよ」
 「それから単数と、複数の使いかた。太陽や月にtheが付くのに、海には付いたり付かなかったり、単数だ足り、複数だったりすするでしょう。どう違うの」
 「そんなの、まずは覚えればいいんだよ。使い方は、自然と分かってくるから」
 「それじゃあ、答えになってないじゃない。こういう規則でというのを教えてよ」
 「規則って言ったって、言葉はそう厳密じゃないんだから。日本語だって、自然に使っているうちにおかしいことには気付くだろう。それと同じさ」
 「それなら学校で教えなくてもいいじゃない。学校英語ってなんなんだろうね」
兄の説明に妹はまだ、納得がいかないでいる。

24☆「外泊」

 「今日は泊まってくるから。帰らないからね」
 息子の電話は、いつも十一時過ぎに掛かってくる。晩御飯を用意して待っている久野は、その電話00で気が抜ける。
 息子は、大学生になってから、そういうことが多くなった。家に寄りつかないと言うか、帰りが遅くなければ、夜遅くに電話してきて、外泊の許可を得るのだ。だが、久野は
 「だめです。帰ってきなさい」
といさめたことはない。それには娘の一言がが効いていた。
 「ママもそろそろ子離れしなくちゃね」
 息子の進学にかまけて放って置かれたこの子は、親をよく見ていたのだと、思う。
そういえば、息子は、必死で親離れ、特に母離れをしようとしているように見える。家に帰ってきても、部屋に直行して、出てこない。なにをしているのかと覗くと皓々と部屋の明かりを点けて寝ていたりする。その顔が赤子の時のようにあどけない。そうして、
 (やはり、まだ子供なんだ)
とほっとしたりする。

25☆「水虫」

 気になっていたのだが、放っておくと言うことは、人にはよくある。病気だが、そう重くない症状の疾患や、いつも気になっていながら、出かけるきっかけがつかめない世話になった人の家の訪問など、放りっぱなしにしていることが多々あるのだ。
 その最たる原因は、苦しくないとう感情に支配されている。酷い痛みも苦痛もなければ、人はしなければならないことを放って置いて、より快適なことを求めて、さまよい歩いているのだ。快感は人の行動の動機になるが、不快感もまた、同じで、そのどちらでもないことは、だいたい放って置かれる。駅前の自転車は、なくなっても痛くないから、放置されている。なくなっても、歩いていけばいいんだし、安く買い換えられる。
 これが、バイクとなると、滅多に放置されない。厳重に鍵を掛けて、盗難を防止する。
私の水虫も、いよいよ、緊急信号を発してきた。
 「放置しては、痛い目に遭いますよ」と。
 根気強く、退治しよう。

26☆「時間食い虫」

 二十数万円の「大金」をはたいてかったミニタワー型のパソコンが、マニュアル通りの設定にならないので、ファイルの更新などに頭を絞って設定し直していたら、ついに起動しなくなった。起動ディスクを使っても,だめになり、使い物にならなくなったのだ。
これまでにため込んだのデータがハードディスクに入っているが、それも見えないし、使えない。前に使っていた旧型では、システムが二つあったから、どちらかが生きていれば、どうにか一方を修復できた。だが最新型のウィンドウズ95パソコンは、そんな芸当は受け付けない。まして、パソコンメーカーにOEMされた製品は、完璧にハードに合わせてあって、途中からの修復や上書きは難しいらしい。
 仕方なく、再インストールしたが、それで、長い時間に蓄積したデータは、皆飛んでしまった。しかも、徹夜の作業でやっと、元に戻った。最初から、完全にメニュー通りのファイルがインストルされていれば、こんな無駄はいらなかった。でも、結構おもしろく、勉強になった。だからこそ、徹夜も苦でなかったのだ。

27☆「抱き合わせ販売」

 パソコンソフトの覇者、マイクロソフトが、米国司法省から独占禁止法違反容疑で提訴されてから、ビル・ゲーツ氏は、
 「不当な容疑だ。司法省の言い分は、消費者に利益にならない」
と猛反発している。
 だが、私見では、ほとんどの消費者、ユーザーは、ゲーツ氏の思惑通りに、同社の製品を買わされるこの自由主義社会での異常な事態を喜んではいない。そもそもは、他人が開発した基本ソフトを、安値で買い取り、IBMパソコンのオペレーティグソフトに採用されたことが、今の王国の基礎になっていることも、賢明なユーザーなら、忘れてはいない。その上、売り物のウインドウズの基本的なコンセプトは、ライバルのマッキントッシュからの借用だということも、公然の秘密だ。
 ゲーツ氏は、
 「消費者の味方だ」
と言い張るほど立派な商売を続けてきたとは思えないのだ。
 第一、基本ソフトは基本なのであって、ブラウザーまで、選択の幅を狭くされたいとは、誰も思っていない。
 日本には、昔から、売り物に小物を付ける抱き合わせ販売という商法があった。欲につられて、高い金を払って無駄な物まで買うことになると消費者が気が付いていまは廃れている。

28☆「小さな挫折」

 その電話で相手の話を聞いていた一正の表情が硬くなった。
 「はい、ああそうですか。そういうことですか。分かりました」
 深々と頭を下げて、電話を置いた顔つきが硬かった。
 「ねえ、なんだった」
と不躾に聞いた母の久野に、それでも精一杯の明るい表情を作って、
 「今回は残念ですが、またにしてくださいって」
 大学に入って、始めようとしていた進学塾の講師の採用試験が駄目になったのだ。高校から大学へと、志望を一発で通してきた一正には、小さいが、初めての挫折だった。しかも志望校に受かるために、無欠席で通った難関の塾だった。教わった先輩講師もよく知っている。その塾のランク分けで入塾以来、トップクラスを守り通したという自信もあって、簡単に考えていた採用試験だった。
 その夜、一人で屈辱感をかみ殺した。人生にはもっと大きな挫折が待っていることを知っている父は、なにも言わずにいた。

29☆「虫の心」

 おい、お前。虫の心が分かるかい。
 ちっぽけな体を馬鹿にするなよ。
 俺には俺の命があるんだ。
 虫けらのようにつぶされて、たまるかい。
 これでも、必死に生きているんだ。
 おまえも、必死で生きて見ろ。
 俺なんかに構わずに。
 虫を眺めてる暇なんかあるのかい。
 虫も殺さぬ顔をして、必ず、気持ちは変わるんだ。
 最初は、眺めているだけでも、そのうち、絶対襲いかかる。
 人間なんか、そんなもの。信じてなんか、いないけど、それでも、どうして、近寄って、 無惨に死んでいくのだろ。
 人は信じちゃいけないよ。だけど、最初は、やっしいから。
 すっと、近寄って、さっと逃げるが肝心さ。

30☆「世評」

 大学に入って、しばらくしてから、佐知子は無性に実家が恋しくなって、上野駅から新幹線に乗った。緑の帯を腹から下に塗っている新幹線は、東北に向かう。上野から二時間、陸奥の小都市が、佐知子の生まれ育った土地である。
 佐知子は、その町のヒロインだった。なにいしろ町では、十五年ぶりに東京大学に現役入学したのだ。高校は、県庁のある町に列車で通ったが、片道一時間は、この地方では遠距離通学だった。その高校でもトップクラスの成績だったが、佐知子はそう、がり勉ではない。要領がいい方だと思っていたが、周囲の評価は違っていた。
 「佐知子さんは、寝働き」
と言うのが世評だった。
 人が寝ているときも勉強している、というのだ。
 強度の近視で分厚い眼鏡を掛けているのと背の低さが、その評判の裏付けのようになっていた。
 その佐知子は今、臍出しルックでふるとへ帰る。世間の人が今度はなにを言い出すか、楽しみだ。

31☆「知識と知恵」

 佐知子が、里帰りをしたのは、皆に変身を見せるためだったが、実を言うと、それは自分の気持ちを落ち着かせるためでもあったのだ。佐知子は、十八歳で突然、東京暮らしを始めて、初めて大きなカルチャーショックを受けたのである。
 もちろん東京には、何度か行ったことはある。だがそれは、旅行者や短期間の滞在者としてだった。暮らしてみるのは初めてだった。だいたい、自分で駅の切符を買ったこともなかった。もちろん、田舎では自分で買っていたけれども。
 そのことでなにより驚いたのは、乗越精算機に出会ったことだ。乗り越しの精算は、車掌か駅員を決まっていると思っていた佐知子は、それを機械がやることにまず驚いた。そして、たまには、機械は声を出す。
 東京生まれの同級生が、その機械を使ってやるキセルの方法を知っていたのにも驚いた。そして、東京暮らしには、知識ではなく、知恵が大事なのだと、悟ったのだった。