1★「無言」
「ねえ、どうだったの。出来たの、出来なかったの」
正子が何度聞いても、和正は、答えない。
「どうだったのか、言ってよ。ねえ、出来たの出来なかったの」
机の前に座った和正に、体をすりよせて、感触を探ろうとするが、無駄だった。
それからは、長い沈黙が支配する。和正は、なにごとか、考えごとをしているように、壁を見つめたまま、黙っている。
この日、大学入試の二次試験が始まったのだ。一日目の国語と数学は、和正にどちらかというと、苦手の科目だ。あきらかに、出来なかったということらしい。
「いいじゃないか。駄目でも。まだ、明日があるよ。ジャンプの原田選手だって、一回目を失敗しても、二回目は、計測不能の最長不倒を飛んだんだ。明日、頑張ればいいよ」
と言ったの父親の洋一郎だった。そう言って、和正の閉じた口を少しだけでも、緩めようという算段が、見えたのか、和正は、依然、黙したままでいる。
(明日も、試験があるのだから、あまり、追い詰めないようにしておこう)
正子と洋一郎は、暗黙で一致し、それ以上、話しかけようとはしなかった。
それを、破ったのは、妹の由美だった。
「お兄ちゃんが出来なかったなんて、私、どう言えばいいの。泣けちゃうよ」
そう言いながら、タオルを顔に持っていった。
「友達に言えないよ」
とも付け加えた。
和正は、まだ、壁を見ていた。
家族みんなが、自分のことをこんなに心配していてくれることが、良く分かった。それに、受験は、結果ではないかもしれない。原田のあの大きなジャンプの後ろには、山ほどの失敗があるのだ、と思い当たったのである。
★「恩讐へ2」
「夫の無念を晴らすために」
と意気込んで、補選への立候補表明をしたまり子夫人だったが、翌日、すんなりと、立候補を取り止めた。
葬儀の翌日、世話になった有力者にお礼回りをしたまり子夫人は、その夜、
「過労のため」
という理由で、緊急入院した。その病室で、四人の子供を交えた話し合いが行われ、子供たちの反対で、夫人は気持ちを変えたのだという。
だが、この日は、色々な動きがあった。夫人の出馬声明で、困惑したのは、所属政党とその支部だった。もともと、夫が所属していた政党だが、逮捕真近になって、離党を迫っていた。他にも公認したい候補もいたから、夫人の「弔い合戦」を応援を出来ない状況だった。それに、「弔い合戦」には、同情票が集まりやすく、対立候補の苦戦は必至だ。
できれば、そういう状況にしたくないのが、党幹部たちの思惑だった。
まり子夫人は、もとスチュワーデスというだけに、歳の割には若く見えるし、美形だから、有権者の同情を集めやすいことは間違いない。たとえ、公認が得られず、無所属で立候補しても、当選は確実だ。
それが、なぜ、立候補断念となったのか。政党筋からの圧力があったのだろうか。関係者は、黙して語らないが、まり子夫人は、病院のベッドで、さぞや、無念の涙にかきくれているに違いない。あれほど、
「夫の無実を明かす」
と大言壮語したのだから、決意は本物だったのだ。それが、一夜で、覆されたのだ。しかも、表向きは、健康を気使って、子供たちが反対したということに、なっている。だが、実際は、断念させられたようなものだ。
だが、(疑念を晴らす)という妻の一念は、熟年の女の体のなかで、ぶすぶすと、いぶっている。その熱の芯を抱えて、女は今にも、燃え上がりそうだ。
3★「辞表」
三月にしては、珍しく首都圏に雪が振った翌日の二日、長瀬達夫は、「龍五郎ダム機械主任」への異動を内示された。晴天の霹靂だった。
「龍五郎ダム」というのは、四国の山中にある古い発電ダムだ。完成してから既に五十年は過ぎている国内では、最も古い部類に入る中型のダムで、その建設には長瀬が勤めている電機会社が係わり、以後、機械の保守や維持に社員が派遣されていた。だが、これまでは、四国に住所があったり、生まれたりしていた「土地勘」がある人が、定年真近に最 後の奉公として、派遣されるのが常だった。
上司の重機設計二課長の星野照夫は、
「あそこも、最新の施設に更新する時機に来たので、新しい技術を持った人が欲しいと言ってきた。更新すべき点を見つけて、新施設の準備をしたいというんだよ」
とこの異動の理由を説明した。だが、長瀬には納得出来なかった。組合を通して情報を当たると、その理由は寧ろ逆のようだった。組合情報では、
「あのダムは老朽化が進み、廃止の予定だ。だが、廃止となれば職員の活用や地元の説得など、難問が山積する。その切り崩しに、新しい人が必要になったのではないか。なにしろ、今の管理課長は、停年後の腰掛けでいる七十の年寄りだから、どうにもならない。設備の廃止に向けて相手側の情報を送れるるスパイが必要なんだ」
というものだった。
長瀬と星野は、長瀬の方が五年年上で、真面目で慎重なタイプの星野と長瀬はソリが会わなかった。星野が課長になってからは、悉く対立し、険悪な空気が漂っていた。これまで、理不尽な異動や度重なる約束違反にも耐えてきた長瀬だったが、星野が上の意向をただ伝えるメッセンジャーボーイ型だったことから、長瀬の我慢の尾が切れた。そういう、雰囲気の中での内示だったから、長瀬は、直ちに断ったが、人事権利は会社にあったから、不利だった。そして、長瀬は「辞表」を書いた。
4★「心模様」
春がやって来ると、いつも、思い出すのは、母の父が亡くなった時に、見たという極楽浄土の光景だ。
最期の時になって、枕元に呼ばれた孫の僕は、祖父の手を握らされて、最期の言葉を聞いていた。
「いま、橋を渡ったよ。綺麗なお花畑だ。子供が居るよ、こっちへ来いよ、と呼んでいる。わしはいくよ」
そう言い残して、祖父は、冥土の度に旅立った。
その時、僕は三歳だった。だのに、良く覚えているのは、幼い心にも余りに鮮烈な体験だったからだろう。以来、人の命が終わるときに見えるという、明るい光や、お花畑や、綺麗な橋や、その前にある長いトンネルが、頭の片隅にこびりついて離れない。
実は、僕も、その光景を一度だけだが、見たことがある。それは、小学一年生の春に、用水路に流されて、溺れ死にそうになったときだ。僕は、頭を上げて、急流を流されていったが、力が尽きて、沈みかけたとき、周囲が突然、明るくなって、黄色や赤の花々が咲き誇る景色が現れ、至福の快感に捕らわれそうになったのだ。だが、その快感は長続きしなかった。僕は、通りかかって郵便配達人に救助され、土手に横たえられていた。そのとき、僕は酷く不快だった。あの、幸福な感覚を妨げられたための、不快感だったのだろうか。
そして、もし、あの時、あの満たされた幸福感が続いていたら、確実に、僕は生きていなかったと思うと、一瞬でもあの至高の感覚を感じたのは、それでよしとしなければいけないのだ、と気がついた。生きていくのが必ずしも、正解とは限らないが、わずか、七歳でこの世をおさらばするのは、余りに、悲しすぎる。助けられたことをこそ、神様に感謝すべきだろう。それが、僕の人生観の裏側にこびりついている。命は、想像するほど堅固ではなく、儚く脆いということなのだ。
5★「コピー」
正子が、十五枚目を硝子板の上に置いたとき、中から、
「もう出来ないよ」
という声が聞こえた。
驚いて正子は、飛びのいたが、それっきり、静かになったので、気を取り直して、機械の前に戻り、「コピー」ボタンを押した。
また、機械の中から、
「出来ないって、言ったろう」
と荒々しげな声がした。少年のほうな甲高い声だ。
正子は、中を見てみようと、鉄板製の覆いを開けた。紙が通っていく道のような物が、複雑に重なっていて、人の姿は、当然のようななかった。
(幻聴かしら)
耳を振ってみた。
(それとも、疲労で頭がどうかしてしまったのかもしれない)
なにしろ、昨日は友達と朝までカラオケに居て、帰りは午前様だったのだ。ほとんど寝ないで、出社した。その最初の仕事が、あの獣のような酒井に言われたこのコピー取りだった。
(あいつは、私がいみ嫌っているのを知っていて、こういう仕事を言いつける)
そう思うと、不快感がこみ上げてきた。もともとは、あいつが勝手に思い込んでいただけじゃないか。それを、無視している私を、こうして、こき使うのは、贔屓の引き倒しというものだ。勝手に思い込んで、願いが叶わないの憂さを、こうやって,晴らしているんだわ。
そう思うと、悔しくて仕方がない。昨日、カラオケで喉が割れるほどに歌いまくったのも、そのことと無縁ではない。
(あいつさえ、いなければ、会社も楽しいのに)
いらつき、むかつき、今にも、切れそうだ。
「もう、出来ないよ」
それは、私の中から聞こえてきた。と気がついて、正子は作業を止めた。そして、着替えて、会社を出ていった。
6★「雛祭」
「ねえ、家ではお雛様は飾らないの」
幸子が、母の佳子に、唐突に聞いた。東京に雪が降るという天気予報をテレビがやっていた夕方だった。
「あるわよ。小さな時は、いつも飾ってあげたでしょう」
佳子がびっきらぼうに答えた。そろそろ、夕食の支度に取りかからなければならない時間だ。
「私、もう覚えていないわよ。あるのに何故、飾らないの」
そういえば、幸子が小学校に入ってからは、もう六年間は、飾っていない。狭いマンションの一室を占領されるのは面倒だったし、飾ってやれば佳子の部屋はなくなった。それで、夫の健一と相談してダンボールに入れて、実家に送ってしまったのだ。夫の実家の義父母は、実の娘である小姑の頼子の雛人形は毎年、飾るが、幸子の人形は飾らない。だから、幸子はおじいちゃん、おばあちゃんに家に行っても、自分の人形を見たことはない。
佳子は幸子の嘆きを聞いて、
(私のお雛様はどうなっているのだろう)
と考えが及んだ。
(あのお雛様は、私が中学生になってから、一度も出していないわ。お日様に当たっていないわね)
そんなことが、頭に浮かんだとき、夫が帰宅した。今日はいやに顔が青白く、いつもより整って見えた。
(ああ、そういえば、この人、私のお雛様の内裏様に似ているんだ)
結婚して十六年目に、始めた感じた感覚だった。
(私はお雛様の面影のある人と結婚したんだ)
そう考えついて、慄然とした。
「ねえ、今度の休みに、実家に行きましょうよ」
佳子の提案に健一はすぐ、答えなかったが、
「そうだな。たまには顔をだすか。雛祭りの飾りも見たいし」
と頷いた。
7★「決め文句」
「なんで、あなたはずっと一人でいるの」
スクリーンで女が呟いていた。アメリカの中流家庭のリビングのソファーに苦みばしった中年男と並んで座っている。男は、筋肉質の体をしたがっちりした肉体持っている。右側に並んで座っていた男が答えた。
「好きな女は結婚していた」
女は男の視線を逸らさず、その瞳をじっと見つめながら、優しく男の手を取り、自分の両手に包んで、囁いた。
「だから、ずっと、一人でいたのね」
男は、女の方に体を寄せて、耳元に囁いた。
「そうだよ」
女は男の顔を両手で挟んで、引き寄せ、下から唇を近付けた。その唇がきらりと光った。男は引き寄せられて家から顔を沈め、女の唇に合わせた後、すぐに、身を引いた。
「だめだ、これ以上はできない」
それで画面は、暗転し次の画面に移っていった。
暗闇の中に並んで座っていた幸子の右手が震えていた。義雄が握った左手に、その小刻みな振動が伝わってきた。
一緒に映画を見るのはもう数えきれないが、今日は最後になるはずだった。高校時代からの付き合いだが、大学生になってからは、二人の交際には隙間風が吹きはじめていた。
「私、お見合いをすることにしたわ」
何時までも煮え切れない態度でいる義雄に業を煮やしていた幸子がそう告げたのは、一週間前のデートでだった。
「そうかい、決心が付いたのか。いい人だといいね」
義雄はそっけなく答えて、すぐに、違う話題に変えた。それが、映画の話になり、いま流行のこの複合映画館に来たのだった。
明日が、幸子の見合いの日だ。
映画が終わって、帰り道、別れ際に、幸子は言った。
「明日、お見合いするわ」
「知ってるよ。頑張れよ。断れられるなよ」
ちょっと、気まずそうな表情をして義雄は、後ろを向いて駈けだした。幸子も背を向けて反対側に歩き始めた。
「ばかやろう」その背中に、義雄の怒鳴り声が聞こえて来た。
8★「三月の雪」
「今夜半から降り始め、未明には本振りになるでしょう」
ラジオの天気予報が三月の雪の情報を何度も伝えている。
一月中旬に振った大雪で首都圏の足は大混乱に陥ったが、その時の反省から、気象庁は頻繁に雪情報を流すようになった。
「雪か。それなら、今日は早めに店仕舞いしようぜ」
二階に登っていた信太に、親方の権三が、声を掛けた。二人は朝からこの家の板壁のペンキを縫っていた。見積りでは三日掛かりの予定で、この日は二日目だ。もう作業の半分以上は終えていたが、夕方から冷え込んできた。この仕事はお天気次第だから、いつも、天気予報には気をつけている。それで、つけっぱなしにしてあるラジオが、今夜の大雪を告げたのだ。
「明日は雪が溶けてしまえば、仕事が出来るが、屋根に積もってたら諦めるしかないな。でも、明後日までに仕上げればいいんだから、今日は早めにお終いにしようや」
「はい。あり難いことです」
信太は、嬉しそうに応答した。
仕事を早めに終えるのは嬉しいものだが、今日は特別の事がある。長野で始まるパラリンピックの開会式が、午後七時からある。これなら、テレビをゆっくり見られそうだ。
信太が見たいのは、ある女性のスキー選手だ。信太は、難聴である。長野五輪のジャンプでは、難聴のテストジャンパーが話題を呼んだのを見て、嬉しかった。だが、今度は、擁護施設の同級生がスキー選手として出場するのだ。
「美代子さんはどんあ晴姿を見せてくれるかな」
信太は、本当に開会式を見たかった。この分なら、親方の事務所で片付けをしたあとで、家に帰ってから、ゆっくり見れる。
「思い出に残る、夜の雪だな」
信太は、一人でそう思いながら、最後のひと刷毛のペンキを塗った。
9★「確定申告」
「これでは、受け付けられませんね」長い机を挟んで向こう側に座った中年の男が、低い声で言って、智子が差し出した書類を突き返した。
外では雨が降り続いていたが、確定申告で訪れた人達の熱気で、税務署の内部は、蒸せ返りそうだった。
智子が相談の順番待ちを申し込んでから、もう二時間も経っていた。それだけ待って、やっと回ってきた申告の順番なのに、係官は、
「これでは、駄目だ」
と言って、受け付けてくれないのだ。
「どこが、いけないのですか」と聞くと、係官は、
「この二箇所が書いてなければ、いいんだがね。書いてあるからね」
と言って、書類の欄の一部を指差した。
智子は、その意味を理解できなかったが、係官が、記された欄を機械的にチェックしているだけなのは、想像できた。昨年と同じ形で書いて来て、こう言われたのは、係官が、書くべきところを書いていなかったり、書いてはいけない所に書いていたりしたのを、自動的に点検しているためだろう。
「でも、昨年とおなじですよ」
智子は抗弁してみた。
「昨年が見逃したということですね。でも今年は直して貰わないといけない。今、その項目の係に聞いてみるからね」
これでも、この係官は、こちらの都合を考えてくれたらしい。その担当者が「いい」と言えば、認めてもいいということだろう。だが、その担当者は、「ノー」と言ったらしい。
「明日、この人の所で相談した下さい。電話をして都合を聞いてから、来てください」
結局、申告は通して貰えなかった。
高齢者の身で、寒い中、長時間待たされて、突き返され、「また明日来てください」という。二日もこんなことに割かせられるのでは堪らない。
(こちらからお金を払ってやるのに、こんなに苦労させられる。これでは、江戸時代の悪代官と同じだわ)
と智子は思うが、口にはしない。
日が落ちて、冷え込んできた帰り道、肩を落として歩く智子の頭に、白いものがゆっくりと、落ちはじめた。
10★「占い師」
その男が、座ったのは、只野芳樹が、店仕舞いをして、居るときだった。
「おやじさん、もうおしまいかい」
嘗めるような目つきで、尋ねてきた。
「いや、今夜はこんなに冷えるから早仕舞い仕様と思ってね」
「じゃあ、諦めるかな。見てもらいたいことがあるんだが」
「いや、いいですよ。店仕舞いたって、こんな小さな机と椅子を畳むだけですからね。立ちのままで良ければ、見てあげますよ」
「じゃあ、頼むか」
只野は、そう言われて、男の前に立った。
「なにを、見ますかな」
「俺の明日の命のことだ。生きていられるか、死んでしまうか」
「明日のことですか。それは一番難しい。占い師に取って、明日の運命と、自分の未来を占うのが一番、大変なんですよ」
「お代は弾むよ」
男は、長い裾の黒いコートのポケットから、分厚い札束を取り出して、見せた。百万円の束が三個。ポケットにはもっとありそうだ。
「いいでしょう」
今日は客が少なくて、予定の売上がなかった。最後の最後に、乗客が付いたことになる。
「手を見せてください」
男は、只野の前に右手を出した。それを、只野は、左手で受けながら、右手の天眼鏡を翳す。
「こりゃいかん。生命線が消えかかっておる。明日まで持たないかもしれない」
そういった瞬間、男は呻いて、地面に崩れ落ちた。
只野は黙って、店仕舞いに掛かった。
「あんた、わしを忘れたのかね。占い師に身をやつして、この日を待っていたんだ。十五年もな」
それは、恋女房を寝取られた相手の男を探し続けた十五年だった。
11★「五十六の手習い」
ウーマンリブの闘士、田中洋子が、運転免許を取ろうと思い立ったのは、五十六歳の春だった。
テレビに良く顔を見せ、売れっ子の洋子には、それほど運転免許が必要だったわけではない。東京での一人暮らしには、寧ろ、車は必要のない代物だ。テレビ局で貰ったタクシー券もあったし、地下鉄が発達しているから、車で行く方が時間には不正確になることが多い。暮らして行くうえで、車を運転できない不自由を感じたことはなかった。
ところが、あるテレビ番組で、中年の大学教授崩れが、交通事故に触れて、
「運転手は免許を持っているから、交通ルールを知っているが、歩行者は知らない人がいる。歩行者にも歩行免許があったほうがいい」
と言いだしたのだ。
これを聞いて田中は、即座に、
「それなら、あんたは、お年寄りおや女性に外出するなと言いたいの。ばかな事を言わないでよ。道は公の物じゃない。誰の物でもないわ。自由に歩いていいはずよ」
と反論したが、迫力はなかった。
というのは、田中自身、免許を持っていないから、交通標識に付いて学んだこともない。道の脇になんだか意味不明の立て札が立っているのじゃ、知っているが、その正しい意味は良く分からなかったのだ。
「大体が、あんたの歳で、免許を持っていないのは、余程、学生時代に勉強ばかりしていたか、男に持てなかったからだろう」
とその論敵に言われて、かっとなった。それは、半分事実だったからだ。
「なによ、免許なんて、だれだって、取れるわよ。とる積もりがあるかどうかだけの違いじゃないの」
と反論したときは、既に相手の術中に嵌まっていた。
「じゃあ、取ってみれば」
と言われて、
「取ってやる」
と見栄を切った。
それで、一念発起した「五十六歳の手習い」だ。
12★「狐付き」
「本当にお恥ずかしいことですが」
フランスレストランに並んで座った初老の紳士が話しだした。テーブルの上のオードブルのフォアグラをナイフで口に運びながらだ。
「家の中はめちゃめちゃでした」
家田義雄は、その男、稲田悟と止めた会社で同僚だった。稲田は、家田より七年も前に深夜労働ばかり多く、そのわりに実入りの少ない仕事に見切りを付けて、流通業界に転職し、成功した。今はその会社で重役まで上り詰めていた。家田は依然の会社を止めかねていたが、体を壊して四十半ば過ぎに退職したが、年齢と不況の時代という時の流れもあって、未だに新しい職場が探せないでした。
そんな家田の家に、稲田が突然、電話をしてきて、会うことになった。家田が、止めようかと思い出したとき、稲田に相談に言ったことがあるのを忘れていなかったらしい。
その時、
「止めたほうがいいですよ。あなたなら、何処かに必ず、新しい良い仕事が見つかりますよ」
と退職を勧めたのが稲田だった。
「息子が精神的におかしくて、ずっと、私は悩んできたんです。カウンセラーには、子供の頃の父親のスキンシップが足りなかったから、と言われましてね」
その日、家田の息子は、東大の合格発表があり、見事、念願を果たしていたから、その話は、身に凍みた。社会的には何不自由ない地位を手に入れ、仕事も順調だという稲田と、出来のいい子供に恵まれているが、仕事がない家田が、並んで高級フランス料理の皿を前にして、座っていた。人生の皮肉としか言いようがない。
「でも、それが突然、変わったんですよ。すっかり、付き物が取れたように」
ある宗教団体の「接心」を受けて、稲田の心も変化したのだという。
「是非、ご一緒に行ってみませんか」
熱心な誘いに、これまでの人間関係もあって、家田は断る言葉を失った。「接心」とは何か。好奇心も頭をもたげ、
「いいですよ」
と言っていた。
13★「掲示板」
「ああ、あったわ」
「おお、合格だ」
と誰かが叫ぶたびに、屈強の青年たちが、その声の主の所に集まってきて、体を持ち上げた。
「ばんざーい、ばんざーい」
叫び声とともに、体が宙に舞った。何回かの胴上げの後、地上に降りた若者たちは、次には、目頭にハンカチを当てた母親たちに迎えられた。
この国で、諸悪の根源と言われる官僚たちを排出している国立大学の入学式の光景だ。通路沿いに長く並んだ掲示板を見つめる人達は、自分や子供の名前を見つけると、誰もが、笑顔になった。そして、感極まって、喜びの声を上げたのは、入学試験であまり自身がなかった受験生だろう。その表情を、テレビや新聞社のカメラが追っていた。
だが、既に、妻から、息子の
「合格」
の報告を受けていた柵田は、落ちついた足取りで、その掲示板の前に向かった。ただ、息子の名前をこの目で確かめるために、やって来たのだ。柵田はこの大学の出身ではない。この国で両雄と言われる私立大学の一方の出身だった。だから、毎年この時機に、電波や紙面で報道されるこの大学の合格発表の風景とは無縁の輩だった。
それが、息子の奮闘で、初めてこの光景に立ち会うことを決めたのだった。
「本当だ。受かったんだね」
掲示板にプリントされた息子の名前を確かめて、棚田は熱く胸に込み上がるものがあった。今、棚田は、失職中なのである。もうすぐ、五十に手が届く歳では、新しい仕事はなかなか見つからない。暗い気持ちが家庭を覆うような感じがしていたときの、息子の頑張りは、一条の光だった。
掲示板の前で、息子の名前の回りに光が差しているような感じがした。
(明るい兆しの予感がした)
帰り道で、周囲が明るくなり何かがパッと開ける感じがした。
14★「祝宴の計画」
「四月の中頃に、お祝いの会をしようと思うの。私が中心に何でもやるから、あなたは心配することはないわ。孫たちの進学・進級祝いということね」
夕食の時間が終わって、お茶を飲んでいた久野は、姑の春子からそういう電話を受けて、目がくらんだ。
聞けば、実家に姑の兄弟姉妹とその子供と孫を集めて、一日、お祝いの会を催そうというのだ。「実家で」ということは、料理も全部、家で作ろうというのだろう。この会が、東大に合格した久野の長男を中心にした会であるのは、明らかだ。姑は、
「(久野の実家の)藤沢の両親と弟さん一家の予定を聞いてくださいね。突然で悪いけど、私たちも歳が歳だから、この機会を逃すと、和夫の結婚式まで祝いの会はできない思おうから」
と丁寧に言って電話を切った。
(こうなると私も手伝いが大変だ)
台所を手伝わなければいけない、と思うと気が滅入った。久野の世代では、こういう会は、どこかの料理屋かホテルで会費を取ってるほうが合理的だと、考えられた。その方が、賄いの苦労が無くて住むし、お金さえ出せば、それなりの味覚と雰囲気を楽しむこともできる。そのほうが、簡単でいいように思えるのだ。
だが、姑は、
「家でやりたい」
という。あの歳で、二十人以上の客寄せをしたら、心身共に疲れ切るのは間違いない。
「お父さんは、後で、寝込むんじゃないか、と心配してるけど、頑張れるわよ」
明るい声でその心配を杞憂だと否定していた。
その気持ちは、久野には、他の面から良く分かった。ないしろ、久野の夫であり、春子の長男である義雄は、リストラで会社を辞め、家でぶらぶらしている。最愛の息子のそういう事態を最も辛く受けとめていたのが、久野ではなく、春子だったことは、久野にも理解できていた。そういう家族を覆っている暗雲を孫の快挙祝いで、吹き払おうとしているのだろう、と想像して、姑の気持ちが分かる気がした。
15★「遺伝子1」
鮫島が社会に出た若いころ、毎日のようにデートして、愛し合っていた洋子が、突然、事務所に電話してきて、
「いま、東京駅にいるの。会いたいんな」
と言ったのは、桜が咲くころだっだ。
もう二十年にもなるだろうか、鮫島が進入社員として赴任した東北の町で、二人は知り合った。そして、この季節に、新芽が燃え盛るように、三年間、激しく愛しあった。鮫島が東京に上がることになって、二人の中は自然に疎くなったが、正月に実家に連れていったこともある。それは、結婚を考え始めたころだったが、実家の父母の反対で、仲が疎遠になることはなかった。洋子は自分の立場を分け前、結婚はできない、と諦めながら、二人の愛はさらに深まったのだった。
それから、鮫島は東京で結婚し、二人の子供を得た。洋子も、地元の真面目な青年と一緒になり、二人の子供を得て、細腕一つで育て上げてくれた年老いた母と一緒に、幸せな家庭を営んでいる筈だった。
鮫島は、洋子のためにホテルの一室を予約してから、その日の夜、洋子と会った。
「本当に驚いたよ。突然だったか」
「静岡まで用事があって、出てきたから、会いたくなったの」
洋子はまだ、仕事を続けていて、いまや、組合活動で頭角を現しているらしい。長く平の記者を続けていて、飽き飽きしていた鮫島に比べて、洋子は溌剌として見えた。
「それに、子供が大きくなって、世話が焼けなくなったから」
「楽しみだね。僕も子供が二人、同じだね」
「知ってるわ。私が生みたかったけど」
「そうだね。あんなに愛し合ったのに、その証がないんだから」
鮫島がそう嘆息したとき、
「そんなとないわ。私は大事にしているもの」
「えっ」
「ほら、この子よ」
洋子がバッグから取り出した写真を見た。
鮫島の長女と瓜二つの少女の顔が、あった。目鼻だちが鮫島によく似ていた。
16★「妹」
「お兄ちゃん良かったね。私嬉しいよ」
いつもは気がつよい妹の菖蒲が、しみじみとそういうのを聞いて、兄の梅吉は、頑張ってきてよかった、と思った。
「私、こんなに心配したことないよ。昨日は練られなくて、一晩中、神様とお母さんにお願いしていたんだ」
今日、科挙の試験の合格者が、発表された。たった、八十八人。全国から英才が競った試験に、梅吉は通ったのだった。この二年間の努力が実ったのだ。昨年、一人息子の合格を祈りながら、女の細腕一つで子供を育ててきた母の照寺が、亡くなってから、梅吉は、今年こそは、母の霊を弔うため、と念じて、勉強に勤しんできたのだった。
梅吉も菖蒲も父は知らない。菖蒲が生まれたあと、父は家を出た切り、戻ってこなかった。生死も不明だ。ただ、町の商人が西域に旅したとき、天山山脈の南のオアシスの町で、似たような男が、道商いをしているの見たという話が伝えられただけで、それ以外の消息は、ずっと、不明のままだ。
母は苦労して、二人を育ててきた。町で仕入れた日用品を担いで近郊の田舎に行き、その郊外の農村で取れた作物を町に運んで、市場で売るのが、仕事だった。基本的に力仕事である。女の身には辛いだろうが、愚痴一つ言わず、頭の良い息子の成功に掛けてきたのだ。
その母が、過労もあって、生きているときより一回り小さくなった体で息を引き取ってから、一家の家計はすぐに破綻の危機に瀕したから、梅吉は今年こそは、合格を強いられていた。もし、今年も失敗したら、梅吉は母の後を継いで行商仕事を始める積もりだった。母の伝もあって、仕事仲間が手伝ってくれることになっていた。
「わたし本当に嬉しいよ」
菖蒲の真実の言葉には、そういう仕事を始めなくて良くならった、という叫びが込められていた。国の役人に成れれば、食うには困らない。このたった一人の肉親の妹も養っていけるのだ。そ思うと、梅吉は菖蒲がいとおしくなり、肩を抱き寄せて、きつく抱擁した。
17★「花粉症1」
高気圧が列島を横断して、生暖かい風が、関東地方を吹き抜けてから、鼻の粘膜の痛みが強くなって、康夫は夜何度も目を覚ました。この季節になると、この苦しみが襲って来るのは、毎年の習いだったが、こう本格的に息苦しくなると、
(もう放っておくのはよそう。今年こそ、完璧に直してやる)
という気が出てきて、翌朝起きるころには、強い決意に変わっていた。
だが、どうすればいいのかは、分からない。もともと、いろいろ治療法は試してきたのだ。帰宅したらすぐに目と鼻と口を濯ぐ。それで゙、一時的に辛さから開放されるが、すぐに元に戻った。薬を飲んでみたが、いずれも、症状の緩和が出来るだけで、根本的な治療には役立たなかった。免疫を作る特効薬が最近開発されたという話を聞いて、その薬を探してみたが、見つからなかった。
ただ、いろいろと学ぶ過程で、原因がアレルギー体質にあることだけは分かってきた。杉などの花粉が、粘膜に付着して、体が抵抗反応を起こすのが、この症状の発生原因なのだ。だから、過剰反応を抑制するというのも、いい方法の一つなのだ。薬は主にこの方法を取っている。
だが、敏感にならないようにするには、体質の改善が有効なのではないか、と康夫は考えた。それは、会社のある女子社員から、こういう話を聞いたからだ。
ーー倉庫係をやると花粉症が直るというの知ってる。ほら、埃が酷いでしょう、それに成れてしまうと花粉症も直るんだってーー。
反対療法だ。埃の粉塵に成れた体は、花粉にも反応しなくなるというメカニズムだ。これは、単純な論理だ。
以来、康夫は天気の良い日は部屋の窓を開け放って、花粉の飛んでくるのに任せているが、症状は悪化の一方だ。
18★「遺伝子2」
「あの子は私に似ているから、こんな勉強ができるんですよ」
久野は、息子の和義が、東大入試に合格してから、ことあるごとに、洋介に言うようになった。
「それに比べ、由美は貴方似だから、可愛そうだわ」
と続けるのが常だ。
それを聞くたびに、由美は気分が暗くなった。中学三年生の由美には、父親くらいの中年男の存在自体が堪らないのに、そういう人種に似ていると言われて、ぞっと悪寒が走るのだ。
大体が、臭覚に敏感な年頃のこの時代の少女にとって、中年男のハッスル「男の体臭」が、不潔に思われるのだろうが、友達の中には、
「パパの臭いが好きだな。煙草臭いのがいいの」
という者もいたが、大体は、毎日、髪の毛をシャンプーする、清潔好きだから、強い体臭は嫌った。そのくせ、自分自身の発する少女の処女臭や腋臭には、気を配らない。電車の中で、大人たちを甘酸っぱい思い出に駆る独特の少女の臭いを自覚している少女は少数だ。
「あんたの体が臭いのも、パパに似たからよ」
と久野に言われて、由美は、反論した。
「お兄ちゃんはどうなの。ママに似ているというけど、ママの臭いがしないじゃない。お兄ちゃんは無臭なのよ。あんたの子じゃないから」
由美はそう言ってから、それは、案外当たっているかもしれない、と考えた。兄が生まれたのは、勿論、由美の影も形もないときだから、これは想像でしかない。でも、由美と和義は性格も才能も全く違うのだ。由美は、久野が、自分を詰るたびに、
(私とパパとママは似ているから、血がつながって居そうだが、このママとお兄ちゃんは似ていない。どうしてなのかしら)
という考えが、浮かぶのだ。
19★「紫の袱紗」
皆、紫色の細い紐嬢の胸掛けをしていた。そういう人の波が、二階の行動まで続いていた。私は、誘われて、仏教系の新興宗教の一派の信徒に混じって、その行動に座っていた。
息子の大学入試結果の発表が会った日に、私は、前の職場で同僚だったある上場会社の取締役と会った。半蔵門のフランス料理屋で、彼は私にディナーをご馳走してくれた。その数日前に、何年振りかに電話が掛かってきて、彼は、特徴のある低音で、
「お元気ですか。いや、貴方が会社を辞めたと知って、私が勧めたからではないかと、心配していたんです。どうです、いつか会いませんか」
と言った。私は、退職の挨拶状は出したが、その後、職が決まらないままでいることは、報告していなかったから、彼が、私のことそんなに心配してくれていることが、不思議だったが、懐かしさが強くて、
「嬉しいですね。いいですよ、私の方はいつも暇ですから」
と素直に、招待を受けたのだった。
その会食で、彼は、家庭の不幸を語った。昨年春ごろから長男が精神的におかしくなって、両親を苦しめ、絶食状態になり、体重も激減したが、夏に、ある宗教に出会って、熱心に信心した結果、息子の付きものが落ち、家庭の平和が、戻ったのだという。
「どうです、嘘だと思って、行ってみませんか」
と彼は誘った。私には、もともと、宗教心などないが、なにしろ、暇なのだから、なにか、時間潰しをしたかったので、
「いいですよ。行ってみましょう」
と同意したのだった。
それは、想像以上のその教団の隆盛振りを示す、賑わいだった。世間には、これほど、救いを求める人々の群れが居るのだ。その圧倒的迫力に、私は、「宗教」の持つ、計り知れない圧倒的な力の片鱗を見た思いがした。
20★「花粉症2」
一晩中、眠れなかった。昨夜から症状は出ていたので、鼻の上に呼吸を助けるシールを貼って寝たのだが、何の役にも立たなかった。片方の鼻の息が通らなくなったら、寝返りを打って、膨満部を下に戻して、一方の鼻に送るということを繰り返して、呼吸の均等化を図ったのだが、それも、いつの間にかうっとうしくなって天井を向いたまま、頭を平らにして、寝ていた。すると、両方の鼻の穴が、塞がった。
(なんで、夜なのに、こんなに苦しいんだ)
昨日の朝の天気予報は、花粉の大量な飛沫を予報していたが、それは、昼間のことだ。確かに昼間から、調子は悪かった。だが、症状が軽かったのは、空調が整った部屋に居たためである。完全にエアコンされた部屋では、花粉も少ないのだ。それが、家に帰ってきてからは、最悪になった。昼の花粉が、残っているのだろうか。鼻がぐずぐず言いはじめたと思うと、目の粘膜がひりひりしはじめ、鼻水や涙が止まらなくなり、顔全体がくしゃくしゃになってしまった。
これは、いかに花や目を水で洗い流してみても、駄目なのだ。その後の僅かの間は、良いのだが、すぐに、元の症状に戻る。マスクも効果がない。マスクの編み目の隙間など、花粉の微粒子は簡単に抜けてしまう。こうなると、対策は殆どお手上げだ。
そのことを気にしていたら、ある話が思い浮かんだ。
ーー友達が花粉症で酷かったんだが、事務職から、倉庫掛かりに変わってすっかり直ってしまったよーー。
酒場で男が話していた。
ーー倉庫は埃が凄いだろう。そこで、働いているうちに、埃に免疫ができたんだろうな。「今年は快調だ」と喜んでしたーー。
そうか、やはり、文明病なのだ。そういえば、樵に花粉症はいないと聞いたことがあった。
21★「墓参り」
「ねえ、お墓参りには、どんな格好をしていけばいいの」
由美が久野に聞いたとき、久野はすぐに、その意味が理解でなかった。
「いつもの普段着でいいじゃないの」
そう答えたが、由美は、
「お兄ちゃんが、ほら、買ってもらったブランドの服を着ていきたいと言うのよ。わたしは、どうすればいいのかと思って」
と反論した。
それで、久野は由美の言っている意味が理解できた。息子の和義は、
「今度のお彼岸の墓参りには、あの一番いいジャケットとカラーワイシャツを着ていくんだ。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに、僕を見せてあげなくちゃ」
と言って、学校に出掛けていった。
久野は、息子が、そんなことを言うのを聞いたのは、初めてだった。春秋の彼岸の墓参りには、子供たちは行くことも行かないこともあったが、言ったとしても、親の付き合いというだけで、二人にそんな信仰心があるとは、思えなかった。それが、今度は、着ていく衣服のことまで、考えているのだ。
確かに、和義と由美は、最近、新しい春物の洋服を手に入れた。手に入れたというのは、買ってもらったということである。買ったのは、久野の両親である。家計から支出したのではない。久野の家計は、夫の中途退社で収入がないから、子供に高いブランド品の洋服を買ってやるような余裕はない。
「それなら、あなたも、新しいの着ていけばいいじゃないの」
久野は、そう答えてみたが、由美は頷かなかった。
「私は、前のでいいわ。墓参りに行くのに、ファッションに気を使うなんてばからしいわよ。お墓に目がある訳じゃないんだから」
結局、由美は自分でそう決断した。久野は、その決定を受け入れながら、
(やっぱ、この子は、お兄ちゃんと同じことを絶対にしたがらないんだ)
と改めて知らされた。
22★「美智子」
美智子は東京には、湖がないという。脇寺は驚いて、ロードマップを広げた。西の方に小さな水色があった。そこにあるのは、奥多摩湖のはずだった。美智子はそれは、本当の湖ではないという。自然の森に囲まれて、渓流の魚が泳いでいるのが本当の湖だという。寺脇は、なぜ、奥多摩湖が人造湖だと美智子が知っているのかが、不思議だった。
その奥多摩湖への道を、車はひた走っていた。この湖が出来たころの、東京は、毎年のほうに渇水で喘いでいた。日本経済の高度成長で急激に増加した都の人口を賄うための水道の整備が急がれたのだ。その対策のために築造したのが、小河内ダムで、その下流にできた人造湖が奥多摩湖なのだ。
なぜ、寺脇がこの道を急いでいるのかというと、それは、美智子にこの湖を見せるためではない。美智子の願いに従って、湖で一生を終えるためだ。家を出るとき、後部座席に抱えて入れた美智子の体は、ロープで、シートベルトに結わえ付けておいた。自分は、運転席のベルトをしっかりした。このまま。適当な場所から、一気に、湖面に届くように、ハイスピードで、ジャンプすれば、二人の願いは叶うだろう。
それが、昨夜、考えに考え抜いての、寺脇の結論だった。子供に恵まれなかっ二人に、思い残すものはない。僅かな資産は、公共に寄付すればいい。葬儀は僅かな貯金から賄われるだろう。いずれにせよ、少ない親類が出席するだけの質素な式でいいのだ。
決心したあと、寺脇は美智子の不自由な体を綺麗に湯で拭って、着替えをさせた。久し振りにさっぱりして、美智子は嬉しそうだった。それは、新婚時代に、北海道の秘湯巡りで訪れたエメラルド色の湖を眺めていた時の美智子の顔だった。
「もういい、もういいね」
そう寺脇が言うと、美智子は静かに笑った。それで、東京の湖を探して、ここへ来たのだった。
23★「出船」
「おーい、えいちゃん、船が出るぞ」
赤銅色に日焼けした漁師の龍さんが、船宿を出掛けた滝田永助に呼びかけた。
今朝の漁は大漁だったから、機嫌がいい。永助は、この一週間、龍さんと一緒に、鰹の一釣りをしていた。
二人は、幼なじみだ。この島で生まれて、一緒に育った永助が、島を出ていたのは、本島の高校に進学するためだった。小学校の頃は、毎日のように、小舟に乗って、沖に出て、釣りをしていた二人だったが、中学に入ると、永助は、俄然本の虫になり、沖に出る機会は減った。一方、漁師の子供だった龍助は、親父と一緒に毎日、海に出てから、学校に来た。一人前の働き手として、日毎に成長していた。だが、朝働いている龍助は、学校では授業を聞かずに寝ていた。その聞かなかった授業内容は、放課後の遊びの船の中で、永助に聞くのだ。それで、龍助は、どうにか、授業に付いていっていた。
二人三脚の二人だった。元々、勉強が出来た永助は、「島では十年振り」という本島の進学高に進むことになり、島を離れることになったとき、龍助は埠頭に見送りにきて、泣いた。なにしろ、毎日、一緒に沖で釣りをしていたのだ。その釣りの友達が、いなくなってしまう。それだけでも、龍助の胸には大きな穴が空いてしまう。そう遠くない所に行くのだとしても、これまでのようには、会えないのだ。
その別れが、最初の別れだった。それから、永助は高校を卒業し、東京大学に入学して四年、卒業を控えて、島に帰ってきた。龍助と一緒に、沖に出て、子供のころと同じように、釣りをした、龍助は、すっかり、立派な漁師になっていた。あの時泣きじゃくった面影はない。
「永ちゃんは、国のお役人になるのか。おれは、一生、こうして暮らすんだ」
「いいじゃないか、生まれ育った場所で、一生暮らせるなんて」
「でも、船出は出来なかった」
「毎日しているじゃないか」
「えいちゃん、君の船出の祝いだ」
二人で釣り上げた大きな鯛を、生造りにして、満腹したのが、昨夜の宴だった。
24★「春の嵐」
一日中、強い風が吹き、雨戸が鳴っていた。その締め切った天戸の中暗闇で、一郎は、考えていた。
(もう、おれは、お終いだ。こう景気が悪くては、働く当てもない。生きているのが嫌になったな)
隣の部屋では、年老いた両親が、寝息を立てていた。それに、一郎には妻子三人がいた。その三人に対して、最低限の生活の責任があるのに、一郎はもう三年間も定職に付いていない。前の勤め先を、理由があって、辞めて以来、沢山の会社に履歴書を送り、面接も受けたが、気に入った仕事は見つからなかった。相手が気に入ってのは、こちらが気に入らない会社だった。こちらが気に入っても、向こうが断ってきた。そういう、歯車の組み合わせの悪さに、泣かされ続けてきた三年間だった。
無為な営みを続けて、一郎は、応募を辞めた。幾ら続けても、闇夜で鉄砲を撃つようなものだからだ。狙いを絞って、確実に撃ったほうが、弾のロスも少ないし、エネルギーも効率的に使えると気がついたのだ。
では、なにが、標的になるのか。それは、よく考えてみないといけない。年齢ももうすぐ、五十の坂に指しかかる。残された人生で一番、やりたいことをやってみる、最後の時なのだ。
春の強風の中、暗い空間のなかで、一郎は考えつづけていた。だが、考えは纏まらない。考えれば考えるほど、悪い方向に行ってしまいそうだった。明るい展望より、暗い未来の不安が先に立つ。
一郎は思い切って、立ち上がり、雨戸を思い切って開けて、暗い部屋を一気に明るくした。
外には、風が唸っていた。地上の塵が空中に巻き上げられ、空を舞っていた。その強風の中で、咲きだそうとする梅の木が、しゃんと背筋を伸ばして、立っていた。ピンクの蕾が綻び、開くのを待っていた。
(これが、春なのだ。もうすぐ春になる。冬の後は春が来る)
「扉を開けて良かった」
と一郎は呟いていた。
25★「朝のお勤め」
線香の香りが充満した部屋で、幸子は読経を続けていた。今朝は午前六時に起きて、家の回りを履き、仏壇に水を挙げて、仏壇の前に座ったのは、午前七時すぎだった。それから、二時間、ひたすら般若心経を読んでいた。
今朝は、声の質が良かった。高音に張りがあって、よく通っていった。夜明けと同時に、抜けるような青空が顔を出したが、幸子の声は、そのピーンと張り詰めたような寂寥な空間を抜けて、天井の届いて行くようだった。
今朝、読経が心地よいのは、昨日があったからだと、幸子は思う。教師時代の教え子で、仲人した親戚の女性が、乳癌の手術を受けたが、うまくいった。息子の子供が、大学受験に成功した。それに加えて、定期検診で、「何処も異常無し」と言われて、七十三歳の幸子の心が晴れたのだ。
実をいうと、幸子が胸に違和感を感じたのは、三ヵ月前だった。だが、その痼に触れながら、幸子は、
「あと、二ヵ月、このまま、様子を見ていよう」
と決意していた。というのは、それまで、一年の間、誘われて入った読経の会で、真面目に修行を積んできたのだが、それが、徐々に、佳境に入り、そのころ、一番、打ち込んでいたからだ。誘った人は、
「必ず、ご利益があります」
と言っていた。それまでは、これといった願いは掛けなかった。だから、自身の体の変調を感じてから、この快癒を密かに願っていた。それが、いつの間にか、かなったのだろう、検診で健康のお墨付けを得たのだ。さらに、身辺での吉報が重なった。
朝の静寂を破って、幸子の読経の声が響く。ようやく、起きてきた夫の峰太が、パジャマのまま、姿を見せて、
「まったく、よく続くね、ところで、なにか、いいことでもあったかね」
と幸子の横を通りながら、囁いた。
26★「朝のまどろみ」
目が覚めたのは、午前六時すぎだった。この季節では、寒さは感じず、むしろ、体が引き締まるような冷気が心地よい。
(このごろ、目覚めが早くなったな)
と忠雄は呟きながら、布団を出た。それは、歳のせいかも知れないが、前夜に早く寝ついても、なかなか朝起きるのが辛かった体質が、最近、どうも、変わったような気がしていた。熟睡したいないのかもしれない。それが、覚醒への時間を短くして、朝の寝覚めを早くしているのだろうか。
(これは、心に負担が増えたためではないか)
と忠雄は訝っていた。人は五十を過ぎればて、悩み事は減るはずなのに、忠雄にはむしろ、増えたような気がする。第一の難問は、生きていくこと事態のように感じられるのだ。毎日、朝、昼、夜と三回の食事を取らなければならないのが、まず、億劫になった。そのあと、トイレにいったり、あれほど好きだった夜の風呂でさえ、面倒になってきていた。第一、着ている服を脱いで、裸になるのが煩わしい。さらに、風呂桶に漬かっているのはいいのだが、そのあと、体を洗うのがうっとうしい。これでは、何のために風呂に入るのか分からない。
そういう、目覚めているときの諸事が面倒になって、忠雄には、寝ているときだけが、心地よい時間になっていた。だから、最も嫌いな時間は、目覚めようとしている時だ。脳が覚醒して、現実の生活が始まる前が、最も嫌な時になってきた。
(できれば、ずっと、こうしていたい)
そう願いながら、朝になって、日が昇れば、体は、自然に目を覚ますのだ。誰にでも、一番心地良いはずの、朝のまどろみが、忠雄には苦痛だ。
(このまま、寝つづけていたい)
と願いながら、忠雄は、毎日、目醒めて、人生の地獄を見ている。永遠の睡眠に入るまで、そう時間はないのかもしれないが・・・。
27★「運命」
「私はね、仕事は恵まれています。ですが、家庭は、めちゃめちゃなんですよ」
頭に白いものが混じる初老の紳士が、話しかけてきた。東京郊外の駅ビルの二階の改札口のすぐ前にあるコーヒー・ショップのカウンターである。
その町には、戦後隆盛した仏教系の信仰宗教の本部があり、その駅は、土、日日は信者たちで賑わう。駅から本部に行く道沿いには、信者が奉仕に立ち、道案内するほどの人達が訪れるのだ。
私は、その紳士を知っていた。なぜなら、その紳士が、私をこの宗教に誘った本人だからだ。
「息子が狂いましてね。変なことを口走るんですよ。先日はお前は、俺を殺そうとしている。だから、先に殺してやる、と言われて、掴み合いになりました。女房が突き飛ばされましてね。壁に激突して、怪我をしました」
顔に苦悩の表情が浮かんだ。
「それが、こちらに入信して、接心をして頂いて、付きものが取れたように、直ったんです」
声のトーンが高くなった。もともと、彼は低音でぼそぼそと話すのだが、
「直ったんです」
という所だけが、半音程度は高くなったような感じだ。
「だから、貴方も、通って、接心を受ければ、驚くような事になりますよ」
どうして、彼が私に白羽の矢を立てて、誘おうと思ったのかは、分からない。ただ、彼に転職を相談し、彼のアドバイスで、前の会社を辞めたことは確かだ。それ以来、無頼でいたから、このことを自分の責任として、気に掛けていたのかもしれない。それなら、彼の社会的な地位を使って、私に仕事を見つけてくれればいいことではないか。私はそう訝ったが、とにかく誘うには乗ってみようという、野次馬根性もあって、遙々、やって来たのだった。
28★「宴の後」
「良かった」
「・・・・・・」
「良くなかった」
「・・・・・・」
「どうだった」
「えっつ」
「良かったんだね」
「ええ」
「どう良かった」
「すごく」
「すごくって」
「とっても」
「そんなに」
「ええ」
「良かったんだね」
「ええ、本当に」
「それなら、良かった」
「こんなの初めてよ」
「そうか」
「まだ、余韻が続いているわ」
「あいつと、比べてどうなんだ」
「そんなこと、聞かないで」
「どうなんだよ」
「分からない、っていうと怒るでしょ」
「いや」
「比べようがないわよ」
「そんなに酷いのか」
「違うのよ」
「違う?」
「そう」
「何が」
「だから、あなたとは違うの」
「どう違うんだ」
「ずっと、素敵だわ」
「俺の方がか」
「言わせないで」
「良かったんだね」
「そうよ」
「それなら、良かった」
「何度も、言わせないでよ、良かったって」
「ああ、分かったよ。もっと良くしような」
29★「花見」
「今年の花の見頃は、四月五日でしょうね」
千鳥が淵を管理する環境庁はそう予想しているが、この頃の陽気の具合では、もっと早まるかもしれない。
不景気風が吹く今年の花見は、バブル崩壊の頃の浮かれ気分とは違った落ちついたものになりそうだ。それでも、花見を当て込んで、近くのホテルは、
「特別料理を用意してお待ちしています」
と威勢がいい。桜色のソースを使ったフランス料理の数々が、出されるのだという。銀行の貸し渋りが指弾されるなかで、こうした特別料理を味わえるのは、極限られた人達だけだろう。不景気の最中でも、業績優良の業種はある。パソコンや通信関係の仕事は、人手不足が言われている。では、そうした業界の人達が、花見に浮かれるかというと、そうではない。忙しくて、その暇もないくらいだからだ。
では、どういう人達が、花見の主流になるかというと、お年寄りたちなのだ。この国の資産の多くは、高齢者が握っている、時間的にも経済的にも最も余裕があるのは、実は高齢者なのだ。団塊の世代である四十代後半から五十代の働き盛りは、いまや、リストラや失業の矢面に立たされて、精彩がない。中間管理職になって、彼らの時代の趨勢を握っていた勢いは、消失してしまった感がある。
代わって元気なのは、戦争を生き抜いてきた七十台の老人たちだ。丁度、団塊の世代の親の世代に当たる彼らは、いずれも長寿でこの国の平均寿命を延ばしてきた。その後の戦中生まれが、成育時の栄養不足もあってか、早死にするのに、この世代は皆長生きしている。
花見は、いまや、花咲か爺さんや婆さんの時代に、戻りつつあるようである。この国が一年で一番美しい季節に、若者たちは、花を見ずに、町に出て、暗い表情で、白い粉を吸っている。世紀末だ。
30★「宴の前」
「花が咲いたな」
「そうね」
「年月の経つのは早いものだ」
「そうね」
「もう、四月だよ」
「そうだわ」
「いやになるな」
「何が」
「物事は、素早く変化していくものと、まったく、変わらないものがある」
「どういうこと」
「その中で、季節だけは確実に変わる」
「変わらないのは」
「男女の仲かな」
「私たちね」
「それも含めてね」
「変わらなくていいわよ。このままで」
「そうもいかんだろう」
「どうして」
「いつまでも、だらだらと、していてもね」
「じゃあ、どうしようというの」
「長すぎたよ」
「まだ、五年じゃないの。月に二回しか会えないのに」
「それが、苦痛になってきた」
「だって、こんなに、いいじゃないの」
「おれも、歳を取った。昔のようにはいかない」
「私は、満足しているわよ」
「おれは、満足していない」
「私のせい。私が、歳を取ったから」
「そうじゃない」
「なら、何故なの」
「時が過ぎたんだ」
「歳を取ったのね」
「新鮮な気持ちがなくなった」
「月に二回でもね」
「会わないほうがいい」
「そうしましょう。会いたくなったら、連絡してね」
「うん」
31★「訓練」
「さあ、どうだ」
「ひー、うー」
「さあ、いくぞ」
「ううん、ああー」
「こっちがいいかな」
「いいわあ。いいわあ」
「これでどうだ」
「ああー、ああー」
「いいだろう」
「ううー」
「こんどは、ここだ。いいか」
「はい」
「それ、それ、えいっつ」
「ああ、ああ、もうだめ」
「だめじゃない。もっと頑張れ。限界まで、我慢しろ」
「ああっつ。ううっつ。ええっつ」
「それっつ、それっつ、それっつ」
「ううっ、ううっ、ううっ。はー、はーはー」
「よし、次だ。足を広げろ。思いきりだ」
「だめ、そんな、無理だわ。だめよ」
「自分で出来ないなら、やってやるぞ」
「いや、それだけはやめて。いやよ」
「なら、やれ。はやくしろ」
「ああ、ああ、ああ。これでいい」
「駄目だ。もっと、広げるんだ、もっとだ」
「ううん、ううん、無理よ、裂けちゃうわ。もう無理よ」
「駄目だ。こんなことじゃ。出来るまで、やるんだ」
「ああ。裂けるわ。裂けたらお終いよ」
「ばか、そんなに簡単に壊れるか」
「だって、そんなに濡れてないのよ」
「それなら、濡れさせろ。もっと思い切り、やるんだ」
「私にはできないよ。もう許して」
バリッと音がして、竹細工用の生竹が裂けた。