1 「死ね!」
 
 久野は、夜毎、
 『死ね』『死ね』
 と叫ぶ、天の声に悩まされてきた。
 一日の終わりになると、必ず、聞こえる。特に酷いのは、布団に入って寝入りばなだ。さあ、これから、眠りに入るというときに、突然、聞こえてきて、久野は、
「はっ」
 となって飛び起きる。
 (どこからの声だろうか、私だけが聞いているのだろうか)
 と不安だが、だれにも聞けない。
 「私は聞いていないよ」
 と言われるのが不安だ。それなら、その元を突き止めた方が、解決は早そうだ。以来、聞き耳を立てて、その声のするのを待った。
 『死ね』
 また、聞こえてきた。夫が、隣で、熟睡している。鼾が、耳に五月蠅い。
 「死ね」
 鼾の間に、「し」と「ね」が、わずかに聞き取れた。
 (空耳ではなかったんだ)
 幻聴でなかったことに安堵したが、今度は、夫の心中が気になって、眠れなかった。
 
2 「独占」
 
 「ウインドウズなんか、あれどほど。もろくて、使いにくいOSはないのに、どうしてよのか世の中ではもてはやされているんでしょうね」
 学生の質問に教授は答えた。
 「確かに、ウインドウは、もともとは、マッキントッシュで導入されたGUIです。マイクロソフトの隆盛のきっかけは、MSーDOSをIBMのパソコンが採用したことでした。そのMSーDOSも元はといえば、アマチュアのパソコンマニアが開発していたのを。詐欺まがいの手口で流用したんですよ。マイクロソフトはそういうやり方で、業績を伸ばしてきたという歴史がある」
 「今度の司法省の提訴は、インターネットノブラウザーに付いてですが、エクスプローラーもネットスケープ・コミュニケーターの真似みたいですよね」
 「よく分かるね。その通り、我が国の産業の隆盛のメカニズムをビル・ゲーツは、巧みに真似たんだね」
 「オリジナリティーより、模倣と改良のほうが、利益が大きいと言うことですか」
 「歴史の皮肉だ。模倣による独占に正義はないよ」
 
3 「聖子」
 
 それは、確かに衝撃だったろうが、正木には意外でも、驚きでもなかった。
 (あの女は、そういう奴だ)
 と分かっていた。
 思い返せば、そうと分かったのが、遅すぎた。遅すぎたために、子供には悪いことをしてしまった、という後悔がある。
 「夫と呼ぶ人と、平凡な家庭を作りたい」 と殊勝なことを、言っているのが、テレビから聞こえる。まるで、処女のように純白のドレスに身を包んで、三十六歳の分かれた女房が、満面の笑顔で話をしていた。
 (まったく、うまいことやりやがる)
 正木は、苦虫をつぶした。
 (これが、あいつの仕事ぶりということさ)
 ごく内輪の披露宴も計算ずくに思えてくる。明日のスポーツ紙は、この話題一色になるだろう。あのときがそうだったように。十三年前の結婚式はこの数十倍の金がかかっていた。テレビは、二千万円はするという婚約・結婚指輪を写していた。
 (そういえば、俺の時のは、どうしたんだろう)
 もう何年もしていない指輪の行く方が、気になった。
 
4 「後悔」
 
 「何事もね、やってしまった後で、すみませんでした、というんでは遅いんですよ。やる前によーく考えないと行けない。どれが大人というもんでしょう」
 スーパーの裏手の小部屋で、身を縮めていた淳子に、警備員の制服の中年男が、諭していた。
 」はい、でも。ついつい。手が出てしまったんです」
 「ついつい、といってもしこれが、重大な犯罪だったらどうするんです。たとえば殺人とか放火とか」
 「そんな大それたこと、私にはできません」
 「出きるできないじゃなく、やってしまうものなんですよ。だれでもその危険性は持っている。でも、しないのは、する前に考えるからです。良いことなのかいけないことなのかとね」
 「はい、考えが足りませんでした」
 「でも、奥さんは、まだいい方だ。万引きくらいで。あいつらは、何百人も苦しめている」
 オウムの裁判で、元医師に無期懲役の判決が出た日だった。
 
5 「血と海」
 
 日付けが変わるころに三人が殺された。新宿区歌舞伎町から百人町に続くこの界隈では、障害事件は珍しいことではないう。殺人事件も時折起きる。だが、一気に三人までもが、死んだのは、初めてだった。
 犯人は、すぐに割れた。日本語の話せない中国人の不法滞在者だった。年齢は二十四歳というその若者は、警察の調べに、
 「酒を飲んでいて、口論になり、かっとなって、やった」
 と自供したが、その自供があまりにスムースだったのに、調べに当たった新宿署北川警部補は不審を抱いた。
 「お前、誰の身代わりだ」
 警部補は、直裁に質した。その問いかけに、すらるらと中国語で自供していた青年の顔色が変わった。
 「だれの身代わりでもないよ。俺がやったんだ」
 「そんな訳がないだろう。現場にいなかったお前が、どうやってやったんだ」
 警部補は、その夜に、品川のプールで泳いでいた青年の姿が写っていた。血の海でなく人工の海の中にいたのだ。
 
6 「医者の儲け」
 
 直さないまま放っておいた水虫が痒くなったので、この際、思い切り完治してしまおうと、皮膚科の開業医に行った。医師は町では、評判がいい人のよさそうな中年だったが、わずか三分くらいの診断で、千六百円も取られたのに驚いて、診察料支払時に、
 「明細を書いてください」
 と言ったら、窓口の女性が、コンピューターを見ながら、手書きで書き始めたが、どう書いていいわからないらしく、同僚の女性に相談したりして、なかなかできない。その話し声を聞きつけて、衝立て一つ隔ただけで診察していた医師が顔を覗かせ、こちらの方を不審な顔つきで、見ていた。難癖を付けた客が、どんな輩か見ておきたいのだろうか、と勘ぐったが、
 「細かい計算があるので、大体でいいですか」
 と聞いてきたので、
 「はい」
 と言うと、初心料とその他の数字だけが記された小さなレシート渡された。
 一体、この程度でよしと考えているらしい。だから、医師の脱税はなくならない。
 
7 「SF」
 
 公園の整備をしていたら、大きな卵の形がした化石が見つかったと、区の係員が知らせてきた。さっそく、見に行くと、テントの下に、人の頭大石が布を掛けて、置かれていた。 石は楕円形をしていた。その尖った方の先端が欠けていて、ぎざぎざの歯のようになっている。その反対側の丸い部分も、割れた後があった。だが、全体を見れば、確かに大きな卵の形をしていた。
 現場の人たちは、
 「恐竜の卵ではないか。この付近に恐竜がいたんだ」
 と勝手に想像して、楽しんでした。確かに、化石の様子からは、そう考えてもおかしくはない。しかし、出てきた地層や大きさから、その説は排除された。
 では、何なのか。調査にあたっていた学芸員は、首をかしげていたが、私には心当たりがあった。
 その公園は、江戸時代の城の跡にある。その敷石の一部だった可能性が高い。とんだ、。SF騒動だった。
 
8 「梅雨入り」
 
 雨の日は、ぼんやりと、庭を見ている。抜けるように晴れ上がった青空を見るより、そぼ降る雨に濡れる庭の木々を見ていた方が、気持ちが落ち着く年齢になったのだろうか。
 だから、大方の人たちを違って、梅雨入りが待ち遠しい。毎日、晴れ上がる日が続くと、疲れる。空気は乾燥しているより、程よい、湿り気を含んでいたほうが、体には、良いようだ。
 じめじめした湿気は、本来、健康に良いはずがない、とこれまでの医学の常識では考えられてきたが、これは、日が照るのを「陽」、日が落ちて暗いのを「陰」と見ている中国の思想に多分に影響されている面もなくはない。
 たとえば、砂漠の民はそれほどに太陽をありがたく思っているだろうか。水を求めてさ迷う砂漠の民には、雨のほうが恵みではないのか。そう思うと、間違いなく地上を万遍なく照らしているお日様より、実りの助けとなる雨のほうがありがたい、と言えるかもしれない。
 
9 「孤独」
 
 「一人暮らしはつらいですか」という質問に「はい」と答えた人は、少なかった。だからといって、「つらくない」人が殆どだとは言えない。お年寄りだけの話ではない。若い女性が増えているのだ。
 この頃は、コンビニが増えて、一人暮らしの人には、不便は亡くなった。一人用の冷凍食品の種類も急増した。たまに、掃除さえしていれば、料理、洗濯などの家事は、殆ど金で買える。
 会社勤めで疲れきった人は、そうした家のことは他人任せにして、給料をより多く稼ぐことに力を注いだほうが、効率的かもしれない。金さえあれば、何でもかなうのが、この高度資本主義社会の利点だ。
 ところが、世の中には、金で買えないものもある。そして、その金銭的な計量ができないものほど、生活には差し迫った必需品ではない。が、生きていく上の潤いという点では、その変えないもののほうが、不可欠なのだ。 たとえば、思いやりとか、愛情とか、温もりのある家庭とかは、金では買えない。そして、そうしたものが、豊かなほど,人生は有意義だと思われる。
 
10 「時代」
 
 いよいよ、時代は節目を迎えたらしい
。経済の構造が急激な変化を迫られ、核兵器保守のバランスも崩れてきた。これを大局的にかつ感覚的に捉えると、「弱者の逆襲」が、始まった、と思われる。
 すなわち、昨日の強者は今日の強者ではなくさ、昨日の富める者は、明日の金持ちではない、という状況だ。
 そのなかで、経済では、アメリカが一人勝ちの状況になりつつあるのだけが、このトレンドの例外のように見える。だが、これも時間の問題なのだ。今もアメリカが巨大な債務を、抱える借金国であるのに違いはない。日本を始めとする債権国が、アメリカ国内の繁栄を支えているという主従構造が、高い株価を支える要因になっているのだ。奴隷の身の隷属国(同盟国といわれている)は、働きの多くを主人の国、アメリカに差し出してきたが、もはや、自分の生活を支えるのが難しくなってきている。上納金は、いつまでも続かない。そうなれば、世界恐慌が訪れる。その時、生き残れるかどうかが、二十一世紀の世界状況を決めるだろう。
 
11 「『は』『が』記」
 
 主格助詞の「は」と「が」の違いに付いての論議は、なかなか面白い。これは、英語やフランス語にはない、日本語の微妙な表現のニュアンスをめぐる問題だ。
 私見では、「が」は、より主語の名詞・代名詞を強調し、「は」は、述語部分の用言を修飾する作用が強いように思われる。
 たとえば、「地球が回る」という文書と「地球は回る」という文章では、そうニュアンスに違いがないが、「土星ではなく」というより選択的な主格の修飾語を加えると、「が」の方がしっくりしている。一方、「進むのではなく」という用言の選択的修飾語を加えた場合は、「は」が、自然だ。
 これらのことから、「が」は、主格を選択的に示し、「は」は、動詞や形容詞などの主格の動きや様子を示すw言葉を選択的に提示する機能を持っている、ということが伺える。
 さらに多数の例文に当たっても、結論は、同じだ。その人や者を示したかったら「が」動きや様子を言いたかったら「は」を使うのが良いのだ。
 
12 「新事業」
 
 テレビ放送が二十一世紀初頭には、完全ディジタル化されるという報道を読んで、榛名光夫に、あるアイデアが浮かんだ。日曜日の朝の寝起きの前である。
 そうだ、そうなると、元々ディジタルのコンピューターソフトが、テレビで簡単に電送できるようにはなる。となると、無料ソフトやフリーソフトは、放送で配布されるようになるのではないか、という発想だった。
 だが、これはすでにCS放送で一部が実現されている。CSは元々ディジタルだから、地上波を先取りしているのだ。榛名光夫のアイデアは、そういうソフト電送専門のテレビ局を運営してみることだった。
 一番手っ取り早いのは、BSやCSのチャンネルを獲得することだが、その方策はわからない。それにそれをするには莫大な資金が必要だろう。
 榛名は、考えに考えたうえ、これを簡易FM局でできるのではないか、と考え当たった。それなら、楽にできる。夢の実現へ、動き出してみる積もりになった。
 
13 「赤毛」
 
 その美容院は、太郎の行き付けだったが、これまで、自分から、スタイルを指定したことはなかった。だから、太郎に付いた美容師は、前と同じ形にするつもりで、鋏を握ってのだが、太郎が、
 「髪型を変えたいんです」
 と言ったとき、なぜだか、にっこりと微笑んだ。その理由は、太郎が言った髪型が、半分ほど出来上がったときに、分かった。
 「どうです。こんな形で」
 と言われて覗き込んだ鏡には、ほぼ期待通りのヘアースタイルになった太郎が映っていた。
 「ああ、いいですね。想像以上ですよ」
 そう言うと、若い美容師は、また、先ほどの笑顔で、にっこりと微笑んだ。
 「色はどうしましょうか」
 「どうしようかな」
 と太郎が考えているときに、その美容師は、すでに、染髪剤の入った容器を握っていた。
 「この色、僕の大好きな色なんですよ」
 太郎の髪を赤毛にリメイクして、店頭から送り出した時、その美容師が満足そうな笑顔を見せたのを、今度は,よーく理解ができた。
 
14 「心模様」
 
 ーー 春先に、見目麗しき我が妹に、出会しことを、幸と見しわれーー
 こういう下手な歌をしたためて、手紙にして、出しましたね。あなたの返歌は、
 ーー 我もまた、嬉しかりしか、わが兄に出会いしことよ、花の季節にーー
 でしたね。
 もう五年になりました。その間、私たちは、互いに、違う道を行き、今では、二つの家庭に別れて暮らしています。この歌を大切に、心の中に置きながら。
 近く、子供が生まれます。私にとっては、初めての子供です。あの小さな命が、消えて以来、こんなことは想像もできませんでした。だから、大事にしたいと思います。
 あなたとのことを、身ごもっている妻は知りません。話してもいいのですが、聞かれもしないのに、自ら言い出すつもりはありません。
 あなたは、幸せですか。良い知らせはありませんか。あなたを忘れたことは、一日もありません。あなたの幸せを、いつも祈っています。
 
15 「カレーライス」
 
 「カレーライスほど、料理の腕の違いが出るメニュウはありませんよ」
 行き付けのカレー屋のマスターが、胸を張った。
 「見た目は同じでも、食べてみて、これほど、味が違うのものは少ないでしょうね。味の深みや膨らみは使うスパイスによるんですが、それは、外からは見えませんからね」
 単純な料理ほど、奥が深いということかもしれない。素人には、カレー専門店のカレーと蕎麦屋のカレーの違いくらいは、どうにか分かるが、洋食屋のカレーとレストランのカレンーの差は、よく分からないのが、本当のところだ。
 だから、違いを判断する指標は、値段ということになる。高いカレーは、多分、スパイスを多品種使い、具も手間暇かけて仕込んであるのではないか、と想像するだけだ。見た目では、分からないから、せめてもの判断材料なのである。
 だが、この目の子勘定は、危険を伴う。安くても旨かったり、高くても不味いのに当たる危険性があるからだ。カレーを食べるのも、ギャンブルなのだ。
 
16 「那須野の初夏」
 
 恵美子がその男を見たのは、去年の夏、那須高原で過ごした時,以来だった。短大に入ったばかりの恵美子は、初めての夏休みを、友人と一緒にすごすべく、その別荘にやってきていた。友達二人は、付属小学校時代からの友人で、その一人の家が、ここに別荘を買ったので、誘われたのだ。
 始め、その男は、その別荘の庭先で、鳥を呼んでいた。風体を見ると、恵美子たちより、かなり年上らしい。いつも、鳥撃ち帽をかぶり、呼び笛を口にして、庭先の林の中に立っていた。
 朝、散歩に出た恵美子は、その男を見掛けて、簡単に会釈すると、男は、人懐こい笑顔を見せながら、
 「お邪魔しています」
 と言った。それは、その場所が私有地で、そこに挨拶もなく入り込んでいると言う意識から出た謝罪の言葉のようだった。その言い方があまりに爽やかだったのが、心に残った。 ただ、それだけの出会いだが、今、テレビに出て、野生の鳥の保護を訴えているのは、その男に違いなかった。鳥の話をするときの笑顔が、あの時の顔だった。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−1999(平成11年)
 
1 「あの町へ」
 
 「あの町」へ行こう、と思い立ってから、もう半年も過ぎたのに、未だに実行に移せないで居る。秋風が吹き始めた頃から思っていた。最近、開通した新型新幹線に乗れば、わずか三時間の旅程になっているのに、いまだにうじうじしているのは、確証がないからだ。 その町に行こうと思ったのは、「あの子」に会いたいからだ。あって、思い切って性愛を貪りたい。今の状況ではかなわぬことをあの子を相手に果たしたい。めくるめく時を分かち合いたいという気持ちが、ずっと心を占めている。
 なのに、行かないのは、確証がないからだ。あの子がいまどうしているのか。それもわからない。ただ、「あの町」へ行けば、必ず、あの子に会えるのでは、という朧気ながらの期待があるだけだ。
 事情や状況は大きく変わっているかもしれない。あの子が、依然と同じようにあそこに勤めていて、そこに連絡すれば、捕まるという自信もない。時が、すべてを変えてしまっているかもしれない。そういう恐れが、付きまとって、踏み切れずにいるのだ。
 それに、若かった日のように、あの子を扱えないかもしれないし、あの子も応えられないかもしれない。それを知ってしまうかもしれないのも恐ろしいのだ。
 だが、「できる」という自信がないわけではない。その気持ちが失せてしまわないうちに、あの子に会っておきたい。そして、現状でかなわぬ愛の饗宴を取り戻したいのだ。
 それには「行くしかない」のに、戸惑っている。会えないかもしれないが、会えるかもしれないのだ。ただ、逡巡しているだけではなにも進展しないのは、わかっているが、何かが、髪を引っ張っている。
 「失う物があるのかね」
 悪魔、いや天使かもしれない、が囁くが、踏み切れない。そうしているうちに、半年が過ぎて、もう初夏を迎えている。
 
2 「行こうと決めた」
 
 「あの町」へ行くことにした。こんなに気候が良いのだから、家に閉じこもっているばかりじゃあもったいない。こういう時期には出ていかなければいけない。町に出て、旅に出るのだ。
 それに「あの町」は、遠くにあるわけじゃんない。地球の裏側じゃないんだ。切符を買って、新幹線に飛び乗れば、一眠りして居るうちに着いてしまうじゃないか。出ていけば、すぐそこだ。
 決めたんだから、やるしかないよ。やるしか。
 でも、新幹線代は、結構するぜ。往復で二万だよ。じゃあ、在来線でのんびりと行くかい。それもいいだろう。でも宿泊費がかかるよ。それは同じだ。早く着いたって、止まってしまえばね。そういうこと。でも、あの新幹線に、乗ってみたいんだ。
 それなら話は、決まっている。なるべく安いチケットを探すんだな。ほら金券ショップで売っているよ。大して安くはないが、気晴らしにはなるだろう。数百円の違いだよ。昼の弁当代が浮く程度だろう。
 そんな細かいことは良いんだ。行こうと思って決心した。それが肝心だ。行ってしまえば、どうにかなるさ。出かけることが、大切さ。
 そう気候も良いし、行くしかないぜ。金はないけどどうにかなるさだ。
 そうすりゃ、「あの子」に会えるんだ。二人も子供を産んだと言うから、すっかり見違えてしまうかもしれないが、この前会ったときは、そう違わなかった。若いときとあまり、変わらなかったよ。うちの奴の変わり様ときたら目も当てられないのに。
 だから、行こうと思ったんだ、「あの町」へ。青春をsうぇ探しにさ。あの最高だった人生の歓喜の日々を求めにさ。それが、何であろうと、思いでの仲では、一番輝いているんだから。
 
3 「行けないでいる」
 
 結局、行かなかった。というより、行けなかった。行きたいという気持ちは、強いのに、いかなかったのは、時間の重みだ。
 もう、あれから、二十年は経っている。その間に、その町には、五、六回ほど行った。いずれも、二、三日の滞在で、仕事がらみだった。私的に、自費で訪れたのは、最初の一回くらいだった。本当は、私的に訪れたいのだけれど、それでは、いけないのだという気持ちが、どこかにある。なぜなのだろうか。 それは、気負いかもしれない。仕事のついでに行くと言うことならば、何か、公然と訪れることができるのだが、私的にということになると、どうしても「あの子」に会いに行くということが、中心になる。事実、そのために行くのだから、それでいいのだが、それを表に出すのは、はばかられる気がするのだ。 それは、二人が別々に家庭を持ち、別々の暮らしをしっかりと打ち立ててしまったためかもしれない。こちらとしては、どうということがないのだが、あちらの家庭を考えると、平和な生活に波風を立てるのではないかという危惧が先立って、どうしても、躊躇してしまう気持ちになる。
 その思いが、立ち止まらせてしまうのだ。これは、杞憂かもしれない。今の時代に、人妻になったからと言って、それほど行動が制限されるということはないだろう。むしろ、人妻になったからと言って、自由な恋愛さえ抑制されるというのは、頷けない。
 というより、「あの子」が、昔のままに気持ちで居るかどうかの方が、重い問題だ。なにしろ、結婚して、子供が二人も居るのである。子供ができたと言うことは、夫に抱かれたのだ。この前に会ったとき、「あの子」は「そういうことをしていても、あなたほど感じない。抱かれていても、あなたのことを思い浮かべているの」とさえ言ってくれたが、その気持ちが今でも続いているのかどうか。そのことに、確信がない。
 本当なら、それを確かめるために、行かねばならないのだろう。この前の後も、「あの子」は、東京に来る機会があったはずだ。でも、連絡はなかった。だからこそ、今度は、こちらから行かねばならない。今に状況を確定するためにも。
 
4 「木曜日は週末だ」
 
 木曜日になると、もう一週間が終わったような気分になるのは、時間の流れが速くなってしまった最近の傾向だ。
 年を経るに従って、流れていく時間のスピードは加速する。若い頃の一時間は、今では二十分ほどの感覚だ。それだけ、物事に対する感動がなくなり、驚きが失せているのだ。子供の頃、時間が長く感じたのは、出会い事物が何でも新しく、新鮮に映って、記憶細胞を活発に働かせたからだろう。それに、毎日成長を感じることができたのは、それだけ、一日の重みがあったということだ。
 そのころ、木曜日では日曜日には、遠かったのに、今では、木曜日には、明らかに週末気分になる。80年代には、金曜日が「花金」だった。週休二日が定着したころで、土日の連休を前にした金曜日の夜には、誰もが最も開放された気分にしたれた。
 いまでも、その物理的な関係は変わらないが、気分は木曜日から週末だ。それだけ、時代が変わったのだ。これだけの不景気に、金曜の一日をさらなるハードワークで過ごせるサラリーマンやOLはそういない。一部のエリートだけが、そういう特殊な週末を過ごしている。貧富の格差が広がると言われる二十一世紀に「勝ち組」になるのはそうした人たちに違いない。だが、多くはむしろ「負け組になる。少数の勝者と多数の敗者が、共存することができるかどうかは、大きな疑問だが、その仕訳は、すでに始まっている。
 微少な視点で見れば、それは、木曜日を週末と感じ始めた多数派と、金曜日にも働き津図蹴る少数のエリート層との分化かもしれない。
 だが、そのどちららが幸せなのかは、今はまだ、不明だ。ただ、来世紀にも日本が、奇跡の70年代の経済成長を、再現できないとしたら、少数派の勝利も、その分け前はそう多くないだろう。となると、国が弱くなり、そう豊かでなくなっても、個人の生活の質のほうに目を向けだした「木曜週末派」の生活の方が充実していることになるかもしれない。多くの西欧諸国の市民生活が、いまそうであるように、日本ももっと日々の生活を楽しむ傾向が強くなってくるかもしれない。