1●「ランナー」

 そのドリンクを取ったのは、三十キロ地点だった。先頭集団は、はるかかなたを行っていた。十分位の距離が開いていただろう。走りながら、一息に喉に入れると、これまでのとは、違う味がした。磯田は、いつもは愛用のドリンク瓶に、蜂蜜と砂糖とレモンエキスを混ぜた飲料を入れておくのだが、この時のドリンクには砂糖の味がしなかった。その代わりに、生姜の味がした。
 その苦辛い味を、口の中でこなしながら、磯田は、霞んだ頭で、
 (なんで味が違うんだ)
 と何度も反芻していた。また、その思いと無関係に、足の運びが急に良くなったような気がした。走るスピードが、上がったのだ。それは、意図していたことではない。磯田は
 (そろそろ、限界が近い) 
 とさえ、考えて、ペースを落とそうとしていたのだ。それが、あのドリンクを飲んだあと、急に力が湧いてきて、疲れ消えた。まるで、魔法のドリンクの感じがした。 
 すっかり、快調になった磯田は、三十五キロ付近では、先頭集団が見えるまでに追い上げていた。あのドリンクの効果はまだ続いている。四十キロ付近では、先頭の五人の集団の最後尾に食らいついていた。そこにも、給水所があったが、磯田は、取らなかった。先程のドリンクの効果が、依然利いているように感じたからだ。 
 あと、一キロを残すところでは、二人が脱落し、先頭は三人になっていた。磯田はその最後尾に並んだ。そのとき、並んで走っていた優勝候補の田波が、
 「おれのドリンク、飲んだろう」
 と話しかけてきた。田波はチームメートだが、磯田より、若い。磯田はマラソン十五回目のベテランだ。
 「あれ、君のだったのか」
 「後で大変なことになりますよ。ドーピング検査で」
 田波は片目を瞑ったたあと、スピードを上げた。磯田は、その後を追う気力を失って、転倒した。

2●「またぎ」
 
 飯豊山脈のまたぎ、吉野新吉は、その生涯の五十一年間を、山のまたぎとして過ごし、五年前の旧正月の七日、熊に襲われて死んだ。その子、新太は父の仇を打つべく、以来、山に籠もったきり、熊の行方を追っている。
 新太は、三十五歳になったが、いまもって、独身だ。親父が熊に襲われて以来、町にある親父伝来の家には住まなくなった。山に籠もって既に、五年。その間を男やもめで暮らしてきた。どうやって、暮らしてきたかと言えば、狩りである。狩りと採集が新太の生きる術なのだ。それは、親父から学んだ。狩りをしながら、親父を殺した大熊を捜し求めて、五年が過ぎた。
 日本中に大雪が降った一月十四日の夜に、新太は、その足音を聞いた。山小屋の周囲に張り巡らした忍びの板が鳴ったのだ。木綿糸を人の胸の高さに張り、その途中に二枚の乾燥した板を結んでおく、警報装置も親父伝来の手法で作った。昼間は入口の所だけは開けておくが、夜は周囲をぐるりと囲むように仕掛けてある。 
 火が落ちた囲炉裏の僅かな暖気を頼りに寝についていた新太は、熟睡できぬ浅い眠りの中でその音を聞いた。新太は、起き上がり、懐中電灯を握って、窓から外を見た。なにも見せない。ただ、白い雪景色の森の木々だけが、目の前に広がっている。見慣れた風景だ。 (いちおう念のためだ)
と一人ごちながら、新太は、出入口の扉を開けて、そとに出た。藁で作った雪靴を慎重に外に出し、一歩づつ踏みだした。風が鳴っていた。相当の風である。裏口に回ると、そこに深い穴が出来ていた。そして、その上に新雪をえぐっていった足跡が見えた。山の上に登っていた。新太は、すぐにでも、後を追いたかったが、諦めた。あまりに夜が深かったからだ。
(明日晴れたら、追ってみよう。もういないかも知れないが)
そういうことをもう何度も繰り返して、五年が過ぎたのだ。

3●「ナイフを持つ少年」

 そろそろ店仕舞いしようと、シャッターを降ろしかけたとき、その少年は飛び込んできて、真っ直ぐに、ショーケースに向かい、
 「これを下さい」
 と中のバタフライナイフを指差して、言った。
 店主の田中達夫は、その少年をついさっきも見ていた。学校が終わった午後六時過ぎにやって来て、そのナイフの前に立ち止まって、ずっと、ナイフを眺めていたからだ。そういう行為は、昨日もあった。実を言うと最初に、その少年が店に姿を見せたのは、昨年の秋ころからだ。田中が顔見知りの近くの中学生と一緒に店に来たその少年は、店に置いてある他の道具類には一切、目をくれず、真っ直ぐにナイフだけが入れてあるショーケースの前にやって来て、じっと中の商品の品くらべをしていた。
 いくつかの質問もした。
 「バタフライナイフは、これだけですか」
 「そうだよ」
 「ぼくらでも買えますね」
 「ああ、許可は要らない。だれでも買えるよ」
 たったそれだけの会話だった。他の客がいたから、少年たちにそれほど時間を割く訳にはいかない。少年二人は、それから、暫くの間、二人だけでひそひそ話をしていたが、一時間ほどで出ていった。
 昨日は、少年は一人で来た。そして、何も話さず、ただ、ナイフを見ていた。ただその様子が随分念がいっているように、田中は感じていた。値札を確認していたような気がする。今日の午後は、決意したようだった。
 そして、いま、少年は駆け込んできて、目を付けていたのだろうバタフライナイフを、買いたいというのだ。
 「いや、君には売れないな。お父さんとお母さんがいいといったら、売ってあげるが」
少年は胸の内を見透かされたような気まずそうな顔をして、黙って、出ていった。

4●「ホール」

 慎太郎が崖の下にその穴を見つけたのは、小学校も高学年の時だった。友達と兵隊遊びをしていて、隠れ家に、と入った洞窟の脇道にその穴はあった。中に行くため、踏み込んだ足元の草が、崩れて、そん穴に落ち、慎太郎も危うく、落ちそうになったが、出ていた木の根に捕まって、転落だけは免れたのだった。
 慎太郎は穴を覆っていた下草を、除いて穴の中を見てみたが、洞窟の中とあって、光が届かないうえに、穴は相当、深いようで底までは見えなかった。中を覗いていると、落ちていきそうで、怖くなり、慎太郎は、すぐに掛かっていた下草を再び戻して、その場を離れたのだった。
 兵隊ごっこを終えても、慎太郎は、その穴のことは話さなかった。その話をしたら、がき大将が
 「探検をしよう」
 と言いだすのに決まっていたし、もし、そうなったら、あの深い暗闇の中に降りていかなければいけなくなる。その前に、懐中電灯でも持ってきて、中を照らしてみようと言いだすかもしれない。そうなれば、深さや奥行きも判明するかも知れないが。それでは、慎太郎が味わった転落の恐怖は、味わえない。
 (あそこは、僕の秘密の場所として取っておこう。万が一、何かがあったときの為の秘密の場所にしておこう)
 と慎太郎は決心した。万が一、というのは、漠然としていたが、例えば乱暴者に狙われたとき、あの場所に連れていき、突き落とすとか、そういうことだ。人生のぎりぎりの選択に迫られた時に、最後の手段として、取って置こうと思ったのだ。
 慎太郎は、昨日失職した。この歳ではもう再就職の口はない。もう人生は終わりだ、と考えて、あの穴の事を思い出した。慎太郎は、思い出を頼りに、洞窟に入り、穴の場所を探して、思い切り飛び込んだ。
と思ったが、落ちたのは肩までだった。

5●「尻」

 「尻に火が付いたというのは、このことだな」
井尻木綿太郎は、昨夜から痛みだした疣痔が、いよいよ耐えきれなくなって、出社早々、そう呟いて、手を尻に持っていった。
 だが、それを聞いていたアシスタントの郡洋子は、その日に迫っていた営業成績の締めのことを想像していた。
 「われわれのチームは、目標の半分も達成していませんよ。これじゃ、支社最下位になってしまうのは確実だわ」
 その言葉には諦めと詰るような響きがあった。
 「そりゃあ、しょうがないよ。ようこちゃん、われわれだからね」
 井尻がそう応じたとき、洋子は、作り笑いをしてみたものの、悪い相手と組んだことに、後悔が先立った。
 (こいつとさえ、チームにならなきゃ、こんなことはなかったのに)
 生命保険の外交員をやって、三年目になったが、こんな不成績は、初めてだった。この生命保険会社は、営業成績を上げるために、これまでは、一人一人の外交員たよりだった営業活動を見直し、「ペア制度」を導入した。男性の正社員が、外交員と組になり、活動をアシストするというのが、表向きの名目だが、女性外務員の監視と指導がその裏の目的だった。個人プレーに頼っていた顧客管理を組織化したいという目論見もあった。
 (あたしも、頼りきったのがいけなかったのかもしれない)
 洋子は半分、そうも思った。井尻が本社のエリート社員だと分かったための遠慮もあった。
井尻は、そんな洋子の思惑など、知らぬ顔で、顔をしかめていた。
 (いい薬はないものかな。薬を買いにいこうか)
 洋子は、来月こそ絞めていかないといけないと、決意した。何としても「痛いどん尻」は避けないといけない。


6●「五色の髪の毛」

 「カラフルに見せたかった」
 庄司彩子は、記者会見の席で、五色に染めた髪を問われて、十八歳の頬を赤らめた。
白いゲレンデで繰り広げられる熱い戦いに、この色は、どんな役がたつのだろう。
 大体、彩子が、スキーの選手なのだから、髪を染めても、頭は帽子で隠れてしまう筈だ。それなのに、髪を染めたのは、他に意味があった。それは、彩子の幼いころの思い出と密接に絡まっている。
 長野の田舎町で育った彩子だが、生まれは名古屋なのだ。その町で、彩子は若い和菓子職人の子供として生まれた。小学校に入るときに、父母は都会暮らしに飽きて、この町に移住した。父親は、その仕事に似合わず、スキーフリークで、シーズンになると、殆ど山に入っていて、仕事をしなかった。それでは、食べていけないと考えた母は、意を決して、田舎で和菓子屋を始める決心をしたのだった。この町には、和菓子屋がなかったから、冠婚葬祭で出される菓子類を独占的に扱うようになり、商売は繁盛したのだった。
 彩子は、父親が仕事場で、色とりどりの和菓子の素材を器用に扱うのを見るのが好きだった。四季折々に季節に合わせた食材を使い、鮮やかな彩りに仕上げる父親の仕事は、魔術師の仕業のようにさえ思われた。
 初春には、「雪の下萌え」という濃い土色と淡い緑の下地に白い淡雪が掛かった和菓子を作った。その甘い味わいが、いつも、彩子の家に春の訪れを告げたのだ。それは、また、長い冬のシーズンの終わりを告げていた。
 明るい太陽の光のしたで、まだ、残っている雪の上を滑る春スキーは、彩子に楽しみを誘った。ポカポカの日差しの下でのスキーは、何事にも増して快適だった。そうして。彩子は、めきめきスキーの腕を上げ、この五輪の代表選手に選ばれたのだ。
(試合の日が、快晴になればいいな)
 そうすれば、大好きな太陽のしたで、五色に染めた髪が映えるに違いない。そのときは、滑りおわったら、帽子を取るんだ、と彩子は誓っていた。

7●「美穂と美保」

 三人の「みほ」がいた。
 一人は高樹美保といい、女優だった。二人目は、中山美穂という歌手だった。そして、中井美保という元アナウンサーがいた。
 事件は、この三人が同じテレビ局で仕事をしていたときに起きた。「中田美保様」と書かれた小包みを受け取った局の郵受付窓口の係員は、これは、中井美保宛と解釈して、アナウンサー室に送った。忙しさもあって、その小包みは、永い間、未開封のまま、棚に置かれていたが、中山美保のマネージャーが、間違って、持ち出して、控室で開封したのだ。
爆発がそのとき、起きた。小包み爆弾だったのだ。マネージャーは、小指を飛ばされる重症を負って、病院に運ばれた。警察が事件捜査に乗り出したが、破れた紙片を集めて修復すると、手紙が出てきた。その文面は、
 ーー恋しい美保様。貴方の美しい笑顔を見ていると、僕の心は、癒されます。貴方は笑顔が素晴らしい。それに、小柄で華奢な体が、僕の好みです。何時も貴方の事を思っています。それなのに、幾ら連絡を取ろうとしても、取れないので、僕のこの気持ちは伝わりません。どうしたらいいのでしょう。貴方に僕の気持ちを伝えるために、プレゼントを送ります。素敵な贈り物を、受け取って下さいーー。
 末尾に、古田という署名があった。中井美保にはその名前に心当たりがあった。付き合いはじめた野球選手の姓なのだ。だが、そのことは秘密にしておかなければならない。すると、高樹美保が、警察に名乗り出た。
 「私が以前に付き合っていた人にその名の人がいます」
というのだ。警察は色めき立った。そして、連絡先に当たった。その男、古田には全科があった。過激派セクトの活動家で、爆弾闘争の経験もある。大物左翼を御用に出来ると、踏み込んだアパートで、捜査員が見たのは、壁中に張られた中山美保の笑っているポスターだった。

8●「横綱の風邪」

 晴れ舞台での土俵入りが、行われたのは、開会式のクライマックスだった。零下の気温が、その時だけ、少し、上がったような陽気になっていた。褐色の肌には、汗が浮き出るほどで、冬の寒さは感じられなかった。
 だが、この光景を、うそ寒い思いで見ていたのは、本当は、この土俵入りをしなければならなかった、もう一人の横綱だった。
 その若い横綱は、家でテレビを見ながら、元テレビのアナウンサーだった妻に声を掛けた。
 「いいなあ。世紀の祭典で、思い出を作れるなんて。出たかったな」
 そう呟いた夫に、年上の妻は、
 「なに言ってるの、風邪をこじらしたら、大変じゃないの。生きていてこそんぼ人生でしょう」
 とそっけなく、答えたのだ。
横綱は、先場所の始めから、風邪に掛かり、無理して土俵を勤めていたが、途中から風邪をこじらせて、連敗し、途中休場していた。々しいばかりの相撲に、関係者は早期の休養を勧めたのだが、
 「横綱の責任がある」
 と言って、無理して、土俵に上がっていた。その結果は、風邪の悪化で、肺炎に罹り、入院する事態にまで進んでしまった。どうにか、退院し、自宅で休養することになったのだが、予定していた五輪開会式での土俵入りは、辞退するしかなかった。
 こうした事態に、古い相撲関係者や親方連中は、
 「健康管理の誤りだ。昔から相撲取りは風邪をひかない、と言われているのに、何という情けないこと」
 という陰口を叩いていた。それは、暗に健康管理を預かるその妻への批判とも聞こえた。だからこそ、大事を取っての休養なのだ。それを、夫は、無念に思っているらしい。陰口には、
 「けい子にかまけて、稽古が足らない」
という駄洒落もあった。けい子とは妻の名である。

9●「ターン」

 その瘤が見えたとき、磯村は、瞬時に反応して、体を左にひねった。それが、全てのバランスを崩し、そのまま転倒した。あとは、一気に斜面を落下した。全身を雪面に擦りながら、雪まみれになって、止まったのは、緩斜面の終わりの所だった。
 これで、磯村の冬の五輪は終わった。成績は、最下位の五十一位。痛恨の転倒だった。磯村は、落下が終わった場所で、暫く、じっとしていた。雪の中に顔を埋め、冷たい雪の感触を顔一杯に受けたかったのだ。しばらくそうしていると、目から熱い物が流れ出て、凍りついた雪を解かした。熱い物は、じわじわと顔を伝っていって、顎の下から、滴り落ちた。その暑さが、麻痺していた神経を覚醒させ、一瞬、空白になった脳細胞を再び目覚めさせて、磯村に立ち上がることを促した。
 そのとき、磯村は、ストックがないのに気がついた。足元を見ると、スキーも履いていない。いずれも、転倒して、流されてしまったらしい。ということは、磯村は、体一つで斜面を流れてきたのだ。その光景を、外から見ていたら、きっと目を背けたのに違いない。 あまりにも、無残な風景だったろう。
 磯村は、今度は恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じていた。だが、何時までも転倒したままで居るわけにはいかない。気力を入れて立ち上がると、明るい陽光が目を射た。降りてきた斜面を見上げると、最初はただ、真っ白にしか見えなかったが、それは、純白の斜面に目が慣れていないためだった。視力を失ったのではないかという恐れは、徐々に、景色が見えたことで、解消した。
 磯村は、ただ、転倒しただけだ。しかも、最大の急斜面で。そして、そのまま、この場所まで流されてきた。
 (この場所まで流されてしまった)
競馬馬にかいばを遣りながら、磯村は、
 (あれが本当の転機だったんだ)
 と人生のターンになった、痛恨の転倒を思い出す。

10●「王者1」

 小柄な体が、、前屈姿勢のまま、ゴールラインを駆け抜けていった。立ち上がった選手は、遠くの記録掲示板を見ていた。しばらくの時間が過ぎ、白い文字が光った。五輪新記録、順位は一位。
 その文字は、これまでにも見慣れていたが、この日はこみ上げてくる物が違った。本番で出した記録なのだ。思わず、右手を突き上げて、ガッツポーズを取った。長い道のりだった。代表に選ばれてから、四年。ただ、この日のために、全ての生活を犠牲にしてきたのだ。
 客席から、叫声が巻き起こった。
 「中井、中井」
 歓声は渦になって、ドームを包み込んだ。
 だが、中井は、これは、過程であって、結果ではないと思っていた。マラソンで言えば、折返点を、一位で通過したのに過ぎないのだ。まだ、行程は半分残っている。最後のゴールラインを越えるまで、喜びは取っておこう。そう考えていたかった。
 最後の組では、チームの同僚が滑る。これまで、互いに切磋琢磨してきたので、彼の結果が気掛かりだった。中井は、リンクを見にいった。最後の号砲が鳴った。
ライバルの滑りは、遅かった。氷を掴みきれず、スピードに乗れない。最終コーナーでは、併走者に大差を付けられていた。結果は、十位以下だった。いつもは、記録を競って来た相手が、この惨敗だ。
 宿に帰ると、中井に、突然、翌日の二回目へのプレッシャーが襲ってきた。一位の記録を出した者の宿命だ。
「もし、失敗したら」
 と考えると、不安は際限がない。仮定の問題を想定していると、実体がないだけに、不安は底無し沼のように広がっていく。
 中井は一睡も出来なかった。そして、決戦の二日目を不眠で疲れ切ったまま、迎えた。

11●「王者2」

 二回目は完璧だった。一日目を同じように、トップの結果を出して、中井明は、ゴールを駆け抜けた。夢にまで見た五輪の金メダリストになったのだ。
 あとは、もう、もみくちゃだった。スタンドには、家族が来ていた。日雇い仕事で生活を支えてくれた母が、泣いていた。中井も泣いた。暫くの喧騒が続いた。チームメートやコーチが、やってきて、次々と握手を交わした。そして、リンク中央部に用意された表彰台の真ん中に登って、念願のメダルを首に掛けたとき、突然喜びがこみ上げてきて、目頭が熱くなった。日章旗が上がり、国歌が聞こえた。
 「おれは、やったんだ」
 ゴールラインを切ったとき、思わず出たガッツポーズは、予定にはなかった。こうして、表彰台の真ん中に登るのは、夢には見てきたが、必ず叶える確固とし夢ではなかった。自信はあったが、勝負ごとには運もある。その全てを引き寄せなければ、夢は現実とはならないのだ。
 それが、出来た自分を褒めてやりたかった。
 昨夜は眠れなかっのだが、インタビューでは、
 「良く寝られました、体が疲れていましたから」
 と「嘘」を言った。そのほうが、なんとなく、自分らしいと思ったからだ。朝方、うとうとしていて、見た夢が大切だった。幼いころ、亡き父と一緒に滑っていた故郷の湖での光景が、何度も瞼の後ろに蘇ってきた。それは、セピア色の風景だった。
 「きっと、五輪の選手になって、表彰台の真ん中に登るんだぞ」
 若い顔つきの父は、何度もそう言った。そいの言葉を、何度も聞きたくて、眠らなかったのだ。
 (眠れないのと、眠らないのは違う)
 それが、少しの「嘘」の言い訳だ。

12●「金メダル」

 娘が二百メートル少しのスロープを駆け抜けたとき、母は、ハンカチで涙を拭っていた。観客席の最後尾で、静かに競技を見守っていたが、終わったあと、その場にいたたまれず、静かに外に出ていって、深呼吸した。
 「これで、夫との約束が果たせた」
 母の心のなかでは、安堵と安心が沸き上がってきていた。ここまでの、娘の辛く苦しい日々を見てきただけに、この感激は、ひとしおのように思われた。
 「やってくれまいたよ、知恵が」
 心の中でそう呟くと、また、涙が溢れてきた。
 知恵の父は、昨夏、長い闘病生活の末に、癌で亡くなった。妻の真知子は、翌年の五輪に向けて、本格的な合宿に入っていた知恵のことを、気使いながら、夫の入院している病院に通うという生活を続けていた。夫が亡くなったとき、知恵は国内にいなかった。遠く国際電話で、最愛の父の死を知らされた知恵は、電話口で、泣き崩れた。
 この競技に、知恵を誘ったのも父だった。それから、父娘の二人三脚で進んできたオリンピックへの道だった。それが、途中で同伴者を亡くして、知恵は、目の前が真っ暗になった。最後に病院に見舞いに行ったとき、父は、
 「順位は気にしないで、知恵らしい滑りを見せてくれ」
 と言っていた。それが、父を交わした最後の言葉になった。
 快晴のゲレンデの最高部に立ったとき、その言葉が、微かに聞こえた。胸には二人で撮った写真が、お守りとして仕舞ってある。耳には父のプレゼントを付けた。
 「父と一緒に駆け降りよう」
 スタートをすると、緊張していた力がすっと抜けていった。あとは、風に乗って、一気に滑り降りていった。天国の父の力に押されながら。

13●「失敗」

 (またやってしまった)
 心中そう思ったが、突きつけられたマイクには、
 「変ですね。いつもと同じジャンプをしたんですが、距離が伸びませんでしたね」
と笑っていた。そのあとで、
 「まだ、後がありますから、見ていてください。百メートル飛びますよ」
んと付け加えたのは、何時ものリップサービスなのかもしれない。
 思いは四年前に逆上る。北欧で行われたその五輪で、山田が属する日本ジャンプチームは、金メダルへの大手を掛けていた。山田が普通のジャンプをしていれば、チャンピオン・メダルは確実だったのだ。だれもが、それを信じていたが、最後に飛んだ山田のジャンプは、失敗だった。チームは銀に沈んだ。
 この日は、一回目で、最長不当距離を飛んだ。
 「飛ぶのが楽しいですよ。最高ですね。次も見ていてください」
 その後、マイクに向かって言い切って登ったジャンプ台だった。一回目が一番だから、スタートは最後になる。一人前の外国選手が、一位の記録を出した。山田は、K点越えのジャンプさえすれば、よかった。それは、普通の力からすれば、容易なことに見えた。
風の向きが目まぐるしく変わって、台のランプは「赤」が続いた。待機の知らせだ。台の下にいるコーチも、旗を振らない。
 山田は、待っていた。いい風が吹くのを。風が落ちついて、向かい風にさえ、なってくれれば、あとは、落ちていくだけでいいのだ。それなのに、風は気まぐれだった。ようやく、ランプが「青」になった、だが、コーチは旗を振らない。山田は、待っていた。もうすこし、いい風が吹くかもしれない。だが、「青」になってからは、時間が刻まれる。決まった時間内に出なければいけない。ぎりぎりまで、待って、山田はスタートした。風はないでいた。四年前と同じように。翼をもがれた鳥のように、落ちて、山田は、また、風に泣いた。

14●「めげない女」

 最後の「マックツイスト」に二度失敗したのに、吉井理恵は、笑顔だった。期待を担いながらの挑戦だったが、自分では、満足していたのだ。電光掲示は、予選落ちの順位を示していた。でも、悲壮感はなかった。
 雨が大降りになってきて、理恵はゴーグルの曇りを避けるために、帽子と一緒に外した。茶色の長髪と特徴のある目尻がつり上がったバタ臭い顔が剥き出しになった。見ていた人たちは、それを見て、理恵の意気込みだと感じていた。
 パイプに入ったからの演技は、一回目より、順調だった。三回目の折り返しでは、得意の「540」も見事に決めた。ちょっと、着地で失敗したけれど、すぐに持ち直し、次の大業に向けて、心の準備は整っていた。それは、最後に持ってきた。それがトップ八人に残るためには、欠かせないと考えたからだ。あの大業は、練習でも十回に一回くらいしか、成功したことがない。言ってみれば、ギャンブルだが、これだけ、トップレベルの選手が揃っていたから、
 (やるっきゃない)
 と決めたのだ。
 その最後の瞬間が迫ってきた。パイプの底から、ボードを加速して、一気に縁まで滑り上がり、理恵は、頭から空中に飛んだ。高い飛躍だった。これなら、あとは、くるりと体を前に回して、着地の瞬間に体を捻るだけの時間は十分ありそうだった。
その前転は見事に決まった。あとは、着地の前の体のひねりだった。ところが、ボードは、縁に引っ掛かっていた。理恵は、頭を下にして、落下を始め、両手をかばい手にして、地上に落ちた。失敗だった。
 頭から落ちて、顔を強打して痛かった。体全体に酷い、打撃を感じていた。多分、裸になってみれば、そこらじゅうに打ち身があるに違いない。
 「でも、楽しくすべれました。満足です」
 笑顔でインタビューに、答えたが、この痛みはずっと持っていきたい。

15●「翔ぶ男たち1」

 風が止んで、空が晴れていた。ジャンプ台のスタート地点から眺めた白馬の町が明るく輝いていた。
 「これは、行けるぞ」
 萩原貞治の肌は、良い感触を聞いていた。着地地点に詰めかけた大観衆が、砂糖菓子に群がる蟻の大群に見える。先端を丸めた、その砂糖菓子の中心部に向かって、萩原は飛んでいこうとしていた。
 これが、最後の試合になるはずだ。これまで、五年間に渡って世界を転戦してきた体は、もう限界に達している。世界中で戦った成果は、世界チャンピオン二度の戦績に残してきた。だが、その中に五輪の金メダルはない。本当をいえば、あることはある。だが、それは、団体で取った「金」だった。
 萩原は、「個人」の「金」が、欲しかった。それを、取った時が、引退の時だと、心に決めている。だがら、このジャンプでは、「良い風」が、欲しかった。
 風は気まぐれだ。スタート地点で感じる風が、空中では微妙に変わる。その変化を肌で感じながら、飛形を調節できるのも、一流選手の証拠だ。チャンピオンだったときの萩原には、それが、確実に出来ていた。それが、この二年位は、おかしくなっていた。
 (あの感触)
 を再び得ようと、萩原はもがいてきた。もがき続けた一年間だった。そのもがきから、やっとはい上がる感触を掴んで迎えたこの大会なのだ。
 一本目の感じは良かった。だが、風がそっぽを向いてしまった。空中で風が止んだのだ。一気に失速して、K点の手前に落下した。だが、感触はいいのだ。何かを掴んだ気がしていた。
 (風さえ良ければ)
願いを胸に、挑んだ二回目。絶好の風だった。地上から体全体を押し上げてくれるような感じが心地よかった。やっと、念願の感触が戻ってきた。後ろに有力選手が残っていた。
 (風よ止んでくれ)
 と密かに祈りながら、笑顔を作った。

16●「翔ぶ男たち2」

 何ということだろうか。あれほど、晴れていた天気が、突然曇ってきて、すぐに雨になった。黒山の観客たちは、持って来た傘を差しはじめ、観客席にはカラフルな花が咲いた。そして、雨は徐々に激しくなり、球田の飛ぶときには、大降りになっていた。こんなコンディションでは、飛距離は伸ばせない。嫌な気分がしていた。それでも、競技は続行された。ということは、飛ばなければならないということだ。球田は、運命を呪った。結局、自分は、不運な悲劇のジャンパーで終わるのだろうか。さすがに全てを前向きに捕らえてきた球田も、気分が落ち込んだ。
 すると、そのとき、急に光が差してきた。雨雲の間から明るい光が漏れはじめ、雨は徐々に、上がりはじめた。あと、五人後が球田の順番だった。このままで行けば、そのころには、雨は上がるだろう。象徴的な意味でも光は差してきたのだ。
 地獄から天国へ。球田の順番が来たときには、雨は完全に上がり、最高の向かい風が吹きはじめた。
 (これが神の思し召しだ)
 「天恵」という言葉が実感になった。球田はその絶好の瞬間に、思い切り体を伸ばして、スロープを駆け降りる姿勢になった。風はさらに強まった。踏切台から踏みだせば、その先には、もっと強く体を持ち上げる風が吹いているだろう。スロープを落ちていく間中、球田は、風の良機嫌を願っていた。踏切は完璧だった。思い切り伸び上がると、体全体が中に吹き上がっていった。そういう、上昇の感覚が、ここでは、重要だ。すぐに落下の瞬間が来た。スキー板の先端を上に上げて、下からの風を受けとめる。最後の着地の前の瞬間がそれで、幾らか伸びる。その最後の瞬間が、一番肝心なのだ。最後の一伸びが、ジャンプでは勝敗を分けるのだ。
 すっと、飛影を伸ばしたあと、地面が襲ってきた。用意のテレマーク姿勢を取ると、着地の衝撃が和らいだ。それは、完璧な飛行だった。このために、青春を掛けてきたのだ。球田は、やっと、理想の鳥になった。

17●「笑顔」

 千五百メートルを全力で滑りおえて、思わず出たのは、拳を突き上げたガッツポーズと、弾けるような笑顔だった。綺麗に揃った白い歯が、こぼれていた。頭を覆っていたフードを降ろして、素顔を見せたトモミは、満員の観衆にその笑顔を振りまいた。
 アウトコースのスタートは、振りだったが、記録はインの時と全く同じ。それが、トモミの本当の実力なのだ。昨夜は、殆ど眠れなかったのに、同じ時計を出せたのだから。
トモミのその勝利のポーズを後ろから見ながら、インで競った同僚のキョウコは、悔しさを噛みしめていた。この競技で頭角を現したのは、キョウコの方が、早かった。生まれつきのしなやかな滑りと、軽やかな足運びで、新記録を連発し短距離のエースと持てはやされたのは、高校生の時だった。そのころ、トモミは、目立たない平凡な選手だったのだ。
それが、ここ一、二年の成長ぶりが著しかった。社会人になってから、トモミは、急成長し、同じ歳のキョウコと並ぶようになったのだ。キョウコにとって、引け目になったのは、トモミが愛くるしい顔つきで、笑ったときの笑顔が、相手にならないほど、キュートだったことだ。新しい銀盤のプリンセスの登場に、マスコミははやりたてた。トモミは、一挙にアイドルになっていった。転戦したヨーロッパには、ファンクラブができた国もある。あどけない笑顔を東洋の少女が、世界のトップと競り合う力を発揮することに、新鮮な感動を感じたのだろう。
 そういう持て囃されかたは、キョウコには、無縁だった。唯一、記録と成績が物をいう世界に彼女はいたかった、人の見栄えではない。増して、スポーツの世界では、実績と力がすべてだと、考えたかった。だが、トモミにも、その考えの裏返しの気持ちがあった。
 (外面ではなく、実力で評価されたい)
 その思いを抱いて、苦闘し、得た勝利だけに、持ち前の笑顔は、一層輝きをましたのだろう。

18●「光る瞳」

 表彰台の真ん中で、金メダルを掛けた船田悟は、珍しく目を潤ませた。国旗掲揚柱に、日の丸が上がり、君が代が流れてきた。その瞬間に溢れ出てきた涙だった。
 まさか、自分がそうなるとは、想像もしていなかった。他の同僚選手が、一足先にこの同じ場所に上がるのを見ても、彼は、
 (おれは、泣かないだろう)
 と信じていたのだ。ところが、どうしたことだ。こんなになってしまうとは。やはり、この場所は特別のものだった。
 確かに狙ってはいたが、夢が叶うのには運も左右すると、見にしみて知っていたから、そう強く意識しないように心がけていた。表向きには、
 「もちろん、狙っていますよ」
 と答えていたものの、それは、自分をかき立てるという意味も持っていたのだ。ただ、自分の持っている力を十分に出し切れば、かならず、トップになる、との自信はあった。でも、実力通りとはならないのが、五輪の怖さだったし、多くの嘱望された選手が、ここ一番で泣いてきたのだ。
 心の中には、
 (必ずやってやる)
 という意識はあったが、半分は、
 (いい風が吹いてくれ)
 と神に祈っていたのだ。力があっても、勝利の女神に見放されてしまえば、夢は飛んでいってしまう。
 そのとき、振り続いていた雪が止み、風が向かい風に変わった。絶好の風だった。
 (あの風に乗って行けばいい。風よ、止まるな)
 遙かな着地点を見下ろしながら、船田は、祈っていた。
 神風が吹いていた。体がふわっと押し上げられる感触を感じたとき、彼は、勝利を確信した。
 (あの風に感謝を)
 その気持ちが、涙になってほとばしり出た。

19●「贈り物」

 その男から電話があったた時、オリシンは、耳を疑った。ウランバートルの宿舎で、出発を待っていたときだ。
 「わしは、日本で相撲取りをしている鷲尾山というものだが、オリンピックへの出場おめでとう」
いきなりそういってから、
 「新聞で読んだんだが、あんたは、スキーの板がなくて困っているんだって」
 「ええ、まあ、そうです」
 「俺が買ってやるから、待っていてくれ」
 意外な申し出だった。
 「待っています」
 「俺も開会式に先導で出るから、その日に持っていくよ」
 「有り難うございます」
 それだけの会話だったが、気持ちは良く伝わった。オリシンは、その夜、夢を見た。いま、使っている。ボロボロの中古品ではなく、ピカピカの新品のスキー板で、雪原を走っている自分の姿だった。夢の画像では、板の部分だけが、嫌に光っているのが、誇らしく、また、恥ずかしいような気がした。
 オリシンは長野に着いたあと、すぐに、相撲取りがと泊まっている宿舎に出掛けた。そこで、鷲尾山と待ち合わせたのだ。鷲尾山は、宿舎で首を長くして待っていた。東京のスキー用具屋に自ら出掛けて買い込んできた距離のスキーを、肌身離さず抱えて持ってきたのだ。彼自身もスキーを身近で見たのは初めてだったし、手に持ったのもこれが最初だった。だから、大切に、傷つけないようにと、大事に抱えてきたのだ。
 「これだよ」
 関取が差し出すと、オリシンは、すぐに、包んであったビニール袋を開けて、板を取り出した。
 「ああ、素晴らしい板ですね」
 「頑張ってくれよ」
 これが、彼の祖国に新品の距離スキー板がもたらされた歴史の第一歩だとは、二人とも気付いてはいなかった。

20●「その男」

 その男は、
 「腰が抜けそうで、もうだめだめ」
 と言いながら、すすり上げていた。なにを聞いても言葉にならない。
 「ああ、ああ、ああ」
 その声は、ここでも換気の叫びだ。
 降りしきる雪のなかで繰り広げられた男たちの「熱い空中戦」は、この男が、台の最長不倒となる百七十メートルを飛んで、日本の勝利が確実になっていた。あとは、エースの鮒田の飛行を待つだけだった。そのとき、突きつけられた公共放送局の笑顔が特徴的な女性アナウンサーのマイクに向かって、この男は、なにも言えなかった。あれほど、良く喋り、愛嬌を振りまいていた男が、絶句していた。
 それは、古い思い出に繋がる。四年前、同じ状況下で、最後の飛行者になったこの男は、金メダルの期待を見事に裏切って、落ちていき、夢を裏切っていた。がっくりと膝を落として、両手に顔を埋めながら、頭の中は真っ白だった。それ以来、男は絶不調に陥り、飛ばずに、落ちることばかりを繰り返していた。それが、まさに、どん底だった。
 その底からはい上がる力を与えてくれたのは、翌年生まれた第一子だった。わが子の誕生を契機に、再びやる気を取り戻した男は、再生し、もとの高い飛行線のジャンプを取り戻していた。
 それも、全ては、あの時の雪辱を果たしたいという気持ちからだ。重く伸しかかったあの悲劇の瞬間が、何時でも頭を占めていた。だから、精一杯、遠くへと念じて、踏切をするのだが、それは、必ずしも、確実性を保証していなかった。だから、彼の飛行にはいつも危険が付きまとっていたのだ。それが、一回目の八十メートルに届かない超失敗ジャンプとして、露呈したのだ。
 「もう、失敗は出来ない。最後は思い切って悔いのないように」
と念じて飛んだ二回目だった。それが、この大飛行として実ったのだ。だからまだ、足が、地を掴まない。掴みたくないのだ。

21●「花と蝶」

 (あの日からずっと、ライバルだった。この関係はいつまで、続くのだろうか)
とラピンスキーは、思っていた。だが、そういう考えが過った後で、すぐに、
 (いや、私らしい演技さえ出来ればいいんだ。思い切り、自分の演技をしよう)
 と切り換えた。アナウンサーが、名前を呼んだ。晴れがましい笑顔に、変えて、ラピンスキーは、銀盤の上に躍り出た。気持ちが変わったのが良かったのか、スケートは、良く滑っていった。演技は完璧だった。手応えがあった、だから、二分余りの時間を終えたときには、
 (やった)と心の中で叫んでいた。控えの席で、点数の出るのを待つあいだも、笑顔を絶やさなかった。
 「良かったよ」
 と隣に並んで座ったコーチが言ってくれた。きっと、いい点が出るに違いない。その通りだった。満点には届かなかったが、席次点一位で、一日目の演技は終わった。
 そのライバルは、この演技を見ていなかった。
 (周囲はライバルだと言うが、自分はライバルだとは思わない。私のほうが、チャンピオンに決まっている)
 心の中では、何時もそう思っているが、外には出さない。そういう賢明さを自分は持っているのだ。だから、自分の持ち味を百パーセント出し切れば、世界一の座は自然に、付いてくる。
 (私の魅力を皆にただ見せればいいんだ)
 ミッチェルは、いつもそう思っている。それに、
 (私はラピンスキーより、美人じゃないから)
 という気持ちも強い。
 (だから、もっと良い演技をしなければ)
 その思いを抱いて舞った一日目。二人は一位と二位に並んだ。

22●「最後の言葉」

 「私の最後の言葉を信じて頂きたい」
 そう言ったとき、聞いていて人達で、それが、「命を掛ける」という意味だと考えた人は居なかった。だが、それは、男の決意の言葉だった。
 翌日、男は首を吊って死んだ。その日の午後にでも、逮捕状か執行されるのは間違いなかった。妻と一緒に泊まったホテルのダブルの部屋で、エアコンの吹きだし口に、寝巻きの紐を掛けて、首を吊ったのだ。妻が、自宅に一端帰り、再び戻ってくるあいだの出来事だった。
 妻が、なぜ、男を一人にしたのかは分からない。ただ、死んだホテルの部屋には、備付けの便箋に「遺書」と見られる書き置きがあった。ただ、「迷惑を掛けてすまない」という言葉だけを残して。自殺した遺体を見つけた妻は、それから、二時間、部屋の中で茫然としていたわけではない。秘書に連絡し、善後策を話し合った。それより前に、妻は吊るされた遺体を降ろして、ベッドに横たえるという辛い作業をしなければならなかった。
 それから二時間、妻たちは、男の死体を横に置いたまま、茫然としていた。ホテルを通して、警察に連絡したのは、国会でこの男の逮捕許諾決議がなされようとしていたからだ。
 そして、正に、その議案が議院運営委員会で採択され、本会議に掛けられようとしていたときに、男は死んだのだ。男の無念のほどが知れた。
 (昨夜、私と話したことはなんだったのだろう)
 と妻は思う。
 「おれは正々堂々と、身の潔白を晴らすんだ」
と言っていたのは、なんだったのだろう。
 そのホテルに行く前に、記者会見で、言った
 「これが最後の・・・」
 だけが、真実だったとは。

23●「ダイメンションズ」

 四次元とは、縦、横、高さに時間を加えた空間だ、とは誰もが知っている事象の問題だが、アインシュタインが、それを考えていたのときの、意味は違った。彼は時間と空間の歪みに付いて考えており、それは物体が持つ重力による、と思いついたのだ。地球が太陽を回り続けているのは、太陽の巨大な重量が生み出した周辺空間の歪みに起因しているというのだ。
 一体、重量はなぜ、発生するのだろうか。その疑問に対して、物理学はまだ、ハッキリした答を出していない。だが、その働きはかなり解明されてきた。重力が空間をねじ曲げ、時間を変え、光を歪めるという、アインシュタインが、予想した事態は、厳密な観測で確認された。
 時間が収縮可能なら、夢のタイムマシーンを作ることも出来るようになるのではないか、という着想は誰でも抱く。理論的には、それは可能である。但し、未来に向けてのことだ。高速で運動する移動体の中での時間は、その外の時間よりも、進行が遅れる、というのが、計算の結果ハッキリしている。というこは、例えば、ロケットで宇宙に飛びだし、数年間、旅行して、地球に帰る、地球の時間は早く進むから、未来に帰れるということになる。乳飲み子をう生んだまま、宇宙に出ていった母親は、わが子が大きく成長していることに驚かされるだろう。
 だが、過去の時代に逆上るのは難しい。より早く運動する移動体に、より遅く進む移動体から乗り移れば、過去に行くことになるが、その二つの移動体は、環境が全く異なるものだから、比較が出来ない。同じ移動体の過去に逆上るのは、無理だから、我々は過去には戻れないのだ。
 ところが、違う宇宙が存在していれば、その空間を使って、昔に戻る事ができそうなのだ。そういう理論を唱えはじめた宇宙物理学者が出てきた。
夢はアインシュタインの宇宙から始まって、壮大になってきている。

24●「ツウィンズ」

 「兄貴の息使いまで、息使いまで分かるんですから」
 と弟は言った。

 「弟の気持ちが伝わって来ました」
 と兄が応じた。
 これまで、兄の活躍ばかりが目立っていたのだが、この日、やっと弟は、その存在を世間にアピールすることができた。
 「これまでは、兄貴の名前ばかりが、有名で、顔つきが似ているので間違えられて、サインを求められて、兄貴の名前を書いたこともありました」
 と弟は言った。
 「僕の陰に隠れて、随分悔しい思いもしてきたのだろうと、思います。だから、今日は本当に良かった。弟は僕の弟ですが、弟自身でもあるのですから」
 と兄は応じた。
 双子で生まれた。顔つきはそっくりだ。背格好もよく似ている。話しかたも、話すことも、ほんとうにそっくりだ。それが、兄ばかりが有名になったのは、兄貴のほうが、少しばかり、「頑張り屋」だったからかもしれない。兄は緻密だったが、弟はおおらかだった。そこが、一家の長男として育てられた兄と、気楽な弟の違いを作ったのだった。遺伝的な要素は全く同じだったのに、違った人間に育っているのが、人が生まれ持った物だけでなく、育てられる環境や社会によって、違う人間になるということの格好の証拠だろう。
その乖離は、歳を経るに従って、大きくなっていくのだろうが、この兄弟の場合は、同じ競技をしているという似た環境の中にいたので、考えかたも、姿も、そう変わりがなく育ってきたのだ。そして、今日、二人の少し離れていた競技人生は、再び接近し、交わろうとしていた。
 「一緒に焼き肉を食べたんですよ」
 二人とも、入賞し肩の荷を降ろし、仲良く焼き肉屋に行ったのだという。
 「タン塩が旨かった」
 肉の好みまでが、同じだ。

25●「花火」

 最後は、五千発の花火が夜空を彩って、四年に一度の冬のスポーツの祭典は終わった。春、夏、秋、冬日本の四季を現したその花火は、一瞬の輝きを夜空のキャンバスに描いて、すぐに消え、燃えかすだけが、地上に落ちた。儚い夢のように。だが、ここで行われた熱戦の記録は、はっきり記された戦いの成果だ。それは、夢ではない。紛れもない現実だった。選手たちは、現実に夢の跡を残して、祭りは終わったのだ。
外国メディアには、評判が芳しくない祭りだった。「形式的過ぎる」と酷評された開会式、天候不順で大幅に遅れた競技日程から、「冬の会場には相応しくない所で開かれた」とまで、言われた競技運営、最新システムを導入しながら、混雑した交通事情と、特に「冬季五輪は欧米人のもの」と考える押収のメディアは、悪評を書いていた。
 だが、それは、狭いナショナリズム根性から出た意見だろう。世界の人々が、東洋の島国に集い、悪条件を克服しながら、磨いた肉体と技術を競うのも、オリンピックならではのことだ。スキーはさらさらした粉雪の上で行い、水分の多い重い雪は、似合わないという決まりはない。こういう慣れない条件の元でも強い選手は強かった。北欧のノルウェー勢の大活躍がそのことを雄弁に語っている。
 不満が多かったのは、むしろ、自国の選手が活躍しなかったイタリアやスイスのメディアでだ。彼らは、選手の活躍を書けなかったので、周辺記事を書いているうちに、不満が出てきたのだろう。それは、ジャーナリズムの本性から来たものだ。だが、公平さを欠いている。いいものはいいと言い、悪いものは悪いと言えるのが、本当のジャーナリストの目というものだろう。
 そうい公平でバランスの取れた感覚で、予断を拝して見ても、こんどの長野五輪は、数多くの感動を参加する者、見る者に与えてくれた。奈落に落ちた日本人もやるときはやれるのだ。

26●「運命1」

 ーーもしあの風が吹かなかったら、四年前の悲劇はまた、起きただろう。
 金メダルの狂騒のなかで、里美照夫は、冷静に考えていた。一回目は、最悪の状態で飛ばせた。雪で十メートル先が見えないほどの視界のなか、里美は、踏切台真近のコーチ席で、出発の合図を担当していた。風の情報は、ランディングバーンに居る同僚から入る。無線のスピーカーは、
 「最悪だ。だめ、だめ、もう少し待って」
 と叫んでいたが、青信号になってから、三十秒の出発時間は、刻々と迫っていた。里美は、二十秒を待ってから、手に持った日の丸の小旗を振り降ろしていた。
あまり、待たせても、気持ちがなくなる、と思ったからだ。案の定、チームの柱だった原岡は、空中に出たあと、すぐに、失速状態になった。体が、高く上がらず、見る間に落ちていった。記録は、最悪の七十九メートル半。第一、第二ジャンパーが作った貯金は、あっという間になくなり、チームの記録は、四位に転落した。
 (また、やっちゃった。ああ)
 原岡の心は、ずたずたになった。なにをしているのか、分からない。自分のジャンプをしながら、結果が出ないときでも、
 「風が悪い」
 と言い切れないのが、選手の辛さだ。だが、里美は、
 (あいつのせいじゃない。この土地の風が、味方しなかった。風さえあれば。風の神よ、願いを聞いてくれ)
 と祈っていた。
 その風は、二回目に吹いた。雪は小降りになり、視界も開けた。絶好の向かい風が、やって来た下。この風が下から体を押し上げてくれるはずだ。
因縁の男は、風に乗って飛んだ。そして,悲願の夢を叶えて、言葉を失った。

27●「落ちないリンゴ」

 児太郎が山で見たのは、分校でひげ先生が教えてくれた話とは違っていた。風台風が行って、山のリンゴ畑には、夥しい実が落ちていたが、それでも、半分程は、しっかり枝にしがみついて、残っていた。
 ひげ先生は、
 「イギリスの物理学者、ニュートンは、リンゴの実が落ちるのを見て、万有引力を発見した」
 と教えてくれたが、児太郎は、落ちてしまったリンゴの実と、あの大風でも落ちなかった樹上の実の二つしか見ていなかったから、リンゴが落ちる瞬間は見たことがない。
児太郎は、「その瞬間」を見たい、と思った。リンゴが木から落ちる瞬間は、滅多に見られるものではない。大体は、収穫の時にもぎ取られて、枝から離れるのだ。落ちる瞬間に立ち会える人は、リンゴ農家でもそうは、いないだろう。だから、児太郎は、ひげ先生の話を聞いたとき、
 (ニュートンは余程、運がいい人だ)
 と思ったのだ。そして、台風が通過したあと、山に行ってみた。
 (もしかして、台風にやられて、これから、落ちる実があるかもしれない)
 と思ったからだ。だが、日がな一日、木のしたに座り、枝の上を見上げていたが、ついに、実が落ちる場面を見ることは出来なかった。それで、児太郎は、ひげ先生の言った話は、本当ではないのではないか、と考えはじめた。ニュートンという人は、万有引力を発見したかもしれないが、それは、リンゴの実の落ちるのを見たからではない。そんなのは、 あとから、誰かが作った話だと思えてきた。
 そうすると、ひげ先生の言うことが、それほど信用できないように思えてきた。
 (人の話を聞くより、自分で確かめてみるほうが、ずっと、正確だ)
 児太郎は、そう考えて、翌日も、山に行った。

28●「恩讐へ1」

 「夫の無実を晴らすために、決めました」
 美人の妻は、大勢の記者の前で、ハンカチを目に当てた。
 「それが、最も良い方法と思いました」
 自殺した夫の葬儀を終えた翌日だった。夫は、国会議員だった。それが、証券界の不正捜査の中で、利益要求罪に問われ、逮捕される寸前に、ホテルで自殺した。
 波瀾の人生だった。在日韓国人の子弟とし生まれ、十六歳の時に、日本に帰化した。その来歴を知る人は、多かった。本人も隠さなかったが、彼の人生の軌跡を見ると、そのことが、大きく投影していることは否めない。
 なぜ、株取引で、利益要求をしたのか。その動機は、闇に葬られてしまった。いや、その容疑自体を、本人は否定していたのだ。
 「私は、不正な利益要求をしたことはありません」
 国会の参考人質疑で、彼はそう断言していた。だが、一億円に登る運用資金を用意し、
 「これで、宜しく」
と言われれば、言われたほうの証券会社は、「絶対損はさせられない」と考えるに違いない。
 それが、言葉にしなくても、暗黙の「利益要求」といえると、検察は判断したのだろう。だいたい、一日に何十回も取引を行い、莫大な利益を上げることなど、普通の投資家には無理な話だ。それを彼は行っていた。それが、容疑の核心なのだ。
だから、
 「無実を晴らす」
と言う妻の言葉が虚しく響く。ただ、美貌の頬を伝う涙が、痛々しい。
 「そう、頑張らなくてもいいんだ」
 あの世で、亡夫は、そう叫んでいるかもしれない。それなのに、妻が立候補したのは、まさに、この妻があの夫の夫人だからだろうか。

29●「無言」

 「ねえ、どうだったの。出来たの、出来なかったの」
 正子が何度聞いても、和正は、答えない。
 「どうだったのか、言ってよ。ねえ、出来たの出来なかったの」
 机の前に座った和正に、体をすりよせて、感触を探ろうとするが、無駄だった。
 それからは、長い沈黙が支配する。和正は、なにごとか、考えごとをしているように、壁を見つめたまま、黙っている。
 この日、大学入試の二次試験が始まったのだ。一日目の国語と数学は、和正にどちらかというと、苦手の科目だ。あきらかに、出来なかったということらしい。
 「いいじゃないか。駄目でも。まだ、明日があるよ。ジャンプの原田選手だって、一回目を失敗しても、二回目は、計測不能の最長不倒を飛んだんだ。明日、頑張ればいいよ」
と言ったの父親の洋一郎だった。そう言って、和正の閉じた口を少しだけでも、緩めようという算段が、見えたのか、和正は、依然、黙したままでいる。
 (明日も、試験があるのだから、あまり、追い詰めないようにしておこう)
 正子と洋一郎は、暗黙で一致し、それ以上、話しかけようとはしなかった。
 それを、破ったのは、妹の由美だった。
 「お兄ちゃんが出来なかったなんて、私、どう言えばいいの。泣けちゃうよ」
 そう言いながら、タオルを顔に持っていった。
「友達に言えないよ」
とも付け加えた。和正は、まだ、壁を見ていた。
 家族みんなが、自分のことをこんなに心配していてくれることが、良く分かった。それに、受験は、結果ではないかもしれない。原田のあの大きなジャンプの後ろには、山ほどの失敗があるのだ、と思い当たったのである。