1「不躾のまま・・・・・・」
 
 「この番組は、相変わらず、不躾のまま、やっております」
 と一々、司会者が、念を押しているカー情報番組がある。念を押すと言うより、これは、むしろ、番組の「売り」のようになっているようで、毎回、そう言うことで、いかにも、招いたメーカーのゲストから、何でも聞き出して見せるという意気込みとほかの同種の番組とは違うということを仄めかして、宣伝しているようなものだ。
 だが、そういうほどには、この司会者の質問は紋切り型で陳腐だ。質問のほとんどは、紹介する車の特徴に当てられているが、これがちょっとしたカーマニアには、隔靴痒の感を否めない、上っ面の内容なのだ。
 だから、「不躾」とは、ほど遠い、メーカーの意向と宣伝に迎合したやりとりが、番組の内容のほとんどを閉めており、最後は、「まだ、色々と聞きたいことがありますが、時間がないと言っていますので」
 と多分、カメラの後ろで指示を出しているだろうディレクターに責任転嫁して終わって意志舞うというやり方をくり返している。これがほとんど毎回だから、見ている方は、「一体、いつになったら、その不躾な質問が出てくるのか」と思うばかりなのだ。もっともそういう風に気を持たせて、視聴者を釘付けにしようとしているのだ、というのは考え過ぎか?
 とにかく、「不躾のまま」といいながら、まったく不躾でない、自動車メーカーに迎合的な内容の番組作りを続けてきて、長寿を維持しているのがこの番組だ。結局、口では批判的な姿勢をとるようで、実際は試乗のための車の提供や海外取材から、収入を得るための講演やPR誌への原稿執筆まで、メーカーにおんぶにだっこしないと、やっていけない業界評論家の限界と宿命をかいま見るようでもの悲しい。
 試乗車には、きちんとしたレンタル料を払い、燃料費も高速代も自前で支払ったうえでなら、本当に「不躾な質問」もできるようになる。それがないから、真綿でくるんだようなことしか、聞けないのだ。そして、掛かった経費を番組できちんと公表すれば、ユーザーのメーカーの姿勢と車選びの大切な判断材料にもなる。
 さらにできれば、本当は覆面試乗がもっと良い結果をもたらすだろう。一消費者として、身分を明かさずに、ディーラーに出向いて、車を購入し、レポートするのだ。時間的に新車の情報提供という趣旨には合わないかもしれないが、メーカーの事前宣伝には乗らなくてすむ。視聴者はそういう本当に役立つ情報を待っているのだ。
 
2 「アーチ」
 
 満員の左翼席に突き刺さった白球は、大歓声に押されて、きれいな大アーチを描いて漆黒の空を突き裂いて、中段に飛び込んだのだ。その場所は、フランチャイズのファンで埋まっている。ホームチームの二点のビハインドをひっくり返す満塁アーチだった。
 しかも回は八回。後一回の守りで、チームに勝利が転がり込む、最も勝利に貢献する有効で価値ある一打だった。あとは、絶対の守護神、「大魔人」と言われるストッパーが、九回を守りきれば、いつものパターンの勝利だ。これで、九連勝。優勝戦線に踏みとどまることができる。
 これが、昨年までの必勝パターンだったのだ。
 ところが、今年は違う。「大魔人」が故障でっこ戦列を離れてしまった。その穴は、「髭魔人」や「中魔人」らが埋めなければならない。そのことが、十分わかっているだけに、選手たちは、できるだけ、取れるだけの得点を、と考えている。何しろ、打線は定評があるのだ。打ち出したら止まらない。切れ目のない打線は、チーム打率三割を叩き出している恐怖の「マシンガン」なのだ。
 機銃と大砲の差は、数と飛距離だが、野球の試合では、やはり、大砲が華やかだ。単打をつないでいっても、華麗な一発ほどには印象は残らない。だが、得点効率から言えば、機銃が勝る。大砲は最大四点しか取れないが、機銃は理論上は無無限の可能性がある。だから、今年もマシンガンは、その効率性を発揮して、大量得点のビッグイニングを演出してきた。
 それが、今日は下位打線の核となっている六番打者の起死回生の一発が、港を彩っていた大花火の饗宴の最後を飾る大輪十はなってハマの夜空に消えた。
 「ハマの夏には花火が似合う」
のだ。
 
3 「天網恢々、粗にして漏らさず」
 
 「もしもし」
 「はいはい」
 「時田さんですか」
 「はい」
 「あ、一正くん。山田です。高校で同級だった」
 「えっ。ああ、大学も同じ」
 「そう、文一ですけど。時田君、佐藤彩さんて、知ってますか」
 「えっ、女性ですか」
 「そう、今。ここに居るんですけど、代わりますか」
 「はい」
 「あっ、佐藤です。先日は、お電話で失礼しました」
 「はあっ」
 「ほら、恵美ちゃんの同級の佐藤です」
 「ああ、そうか。どうも、先日は」
 「恵美ちゃん。いま、外国ですよね」
 「そうですけど」
 「私は、軽井沢なんです。いま、お兄さんの同じ大学の人が、面接に来たんで、電話したんです。高校も同じだと言うんで」
 「えっつ」
 「電話、代わりますね」
 「はい」
 「というわけです。軽井沢でアルバイトしようと思ってさ。どうも突然、すまん」
 ーーああ、驚いた。世の中狭いよね。妹の友達の所で、俺の友達が働こうなんて言うんだから。しかも、軽井沢からだよ。
 一正は興奮気味だった。
 暑い夏には、色々なことが起きる。
 
4 「土砂降り」
 
 「こんなにムシムシしてると、どっと、一雨ほしいですね」
と話しているところへ、どっと来た。
 西の空に、大きな入道雲が、沸きあがっていたのは、知っていたが、これほど早く、雨が降り始めるとは、思わなかった。
 二回のティールームのガラス壁を隔てて、
向こうの街路樹の葉が、全身を打たれて激しく揺れ、瞬く間に、濡れそぼって、頭を垂れ、
滝のように水がほとばしり出始めた。
 まるで、海辺に居るような肌を露出した薄物を羽織っただけの娘たちは、驚きの嬌声をあげながら、軒の下に駆け込んだ。だが、なかには、平然と、雨に濡れながら、両手を天に掲げて、踊り回るような若者たちの、数組見えた。
 ーー後数日で少し、この夏も終わりだ。
 樫村は、アンティーク調の暗色のテーブルに置かれた桃のスムージーの飲み残しの半分を、ちょびちょび吸いながら、あっという間に過ぎてしまった四十代はじめのこの夏を振り返った。
 景気は相変わらず好転せず、世間は膠着感に満ちている。行き止まりに、やっと、少し突破口が見えてきたような気もするが、達成感などない。一方で、真夏の国会は、「国旗国家法」や「盗聴法」「国民背番号法」などの重要法案を自・自・公の癒着体制で一気に仕上げて、社会はますます閉塞状態を加速しそうだ。
 ーー後二年で、二十世紀終わりだというのに、この国が明るい未来に進んでいく兆しは見えない。
 だが、八月も終わる頃、一つだけ、安心感をもたらす要素はあった。
 ノストラダムスが予言したという21999年7の月の恐怖の大王の来襲は、どうやら避けられたらしい。その予言を信じていた人たちの一団、オウム真理教の狂信の教祖は、拘置所の厚い壁の中で、この猛暑の夏を過ごしている。この男はまだ、世紀末の世界の破綻を信じているのだろうか。 
 
5 「空港の茜空」
 
 遙か彼方にあった黒い点が、徐々に拡大して、降りてきた。西の空には入道雲が、わき上がり、先ほどの通り雨を抱えながら、遠くの大地を濡らしているだろう。
 だが、空港の辺りは、日が落ちるとともに晴れ上がった。茜色の空から、次々と、国際便が降りてくる。
 空港ビルの三階にある空港全体が見渡せるカフェ・ラウンジに座っていると、ここが都心から、遠く離れた関東平野の果てにある場所だということを、一瞬忘れる。
 あと、数十分で、南半球から赤道を越えて飛来するジェット機で、妹が帰ってくると思うと重うと、一正の心は、期待と不安の間で揺れていた。
 「三週間も恵理が家を空けたのは、初めてだし、初めての海外旅行。きっと、何かが変わっているに違いない」
 自分が、昨年行った西ヨーロッパ旅行で経験したカルチャー・ショックを思い出して、さらに三年も年下の十代の少女が経験する貴重な体験を考えると、それはどれくらいの勝ちがあるのだろうと、思えてくる。
 空港のロビーには、多種多様な多数の人がいきかっている。そのうちの何人かが、恵理や自分とと同じような体験をしてきた人たちだと思うと、こういう海外旅行の隆盛は、この国の未来にとっても、決して悪いことではないと、感じられる。景気が悪いとはいえ、日本人は着々と、来世紀の国際社会の変動に備えて、経験を積んでいるのかも知らない。 世界中の人たちが、出入りする空港は、二十一世紀の地球社会の縮図のようだ。
 すでに他民族が共存する国は、多数ある。世界の強大国アメリカでさえ、ますます、その傾向を強めている。恵理が帰って来る南半球のあの国も、元はといえば、ヨーロッパからの移民国家だ。原住民のマオリ属族などポリネシアの住民たちと白人や東洋人たちが共存して居るはずだ。
 茜空を破って黒い巨体が、降下して、白煙を巻きながら、滑走路に着地した。
 「恵理ちゃん、どんなに変わったかな」
 一正は、母の久野にそうつぶやいて、到着ロビーに向け、席を立った。
 
6 「雲」
 
 「私はね、ああいう形の雲が嫌いでね」
 公園のベンチに座った老婦人が、話掛けてきた。今日も真夏日で、朝から焼けるような太陽が照りつけていたが、、夕方になって、俄然、白雲が沸き、晴天が厚い積乱雲に覆われ始めた頃である。
 私は、昼の猛暑を家の中でやり過ごした後、急に外の空気を吸いたくなって、この公園にやってきた。木陰で少しまどろんだ後、ふと目を開けると、ベンチの隣に、小型の犬をつれたこの婦人が座っていたのだった。
 「そうですね。そろそろ、一雨きそうですね」
 私が気を回して、先にその理由を言うと、婦人は、
 「いえ、雨は良いんです。こんなに暑い日の夕立は、気持ちが良いですもの。さっと一雨来てくれれば、さっぱりする」
 婦人ははっきりとした口調で、私の憶測を否定した後、
 「あの日も。これと同じような雲が出ていたものですから」
と言い添えた。
 「あの日ですか」
 私が繰り返すと、
 「もう遠い日になってしまいましたが、私にはつい先日のように思えるのです。あんなに美しい白雲が見えていたのに、後は燃えるような火がひろがって」
 「火ですか」
 「たくさんの人が死にました。地獄絵の中で」
 「ああ、戦争ですね」
 「あなたが生まれる前のことですわ」
 「半世紀も前のことだ」
 「その半世紀を、私たちは、生き延びてきました。絶対にあの時代には戻さないと思いながらね」
 婦人が、汗を拭おうとして、かぶっていた帽子を取った。隠れていた額が現れた。その額の皮膚は、この年頃の婦人にしては、いやに滑らかで、ぴんと張りつめているのが気になった。
 「ああ、この皮膚ね。三回も移植手術して、こうなったんです。若い頃のケロイドはもっとひどかったけど、人の生命力って不思議ですね。徐々に前のように戻っていく」
 「戻ってきますか」
 「でもね、時代は戻ってほしくない。あの黒い雨は、二度と浴びたくないわ」
 空か一気に暗くなって、冷たい物が落ち始めたと思ったら、瞬く間に、土砂降りになった。
 雨をよけるために、木陰に駆け込む余裕もなかった私に、婦人は、手際よく用意してきた大降りの傘をさしかけ、招き入れた。にわか親子の相合い傘という格好だ。
 「同じ暗い雨でも、こんな雨なら塗れても良いわ」
 雨傘の大半を私の方にさしかけ、婦人は、雨の先の暗雲を見上げた。