1999(平成11)年5月
1 「五月の雨」
五月の雨は、悲しい。
しっとりと、ゆっくりと降る。静寂が伴った雨は、いつも、静かに陰を刻む。
夢やぶれて、田舎へ帰る青年の心にも、この雨が降っていた。
朝からのどんよりとした曇り空から、小雨が落ち始めたのは、青年が小さなアパートの部屋を出た頃だった。大家には、出ていくことを知らせていたが、それ以外の人には、なにも言わなかった。
ーー東京に来たときも、たった一人だったのだから、出ていくときも、同じでいいのだーー
と心に決めていた。
この町での四年間は、希望と挫折の繰り返しだった。別に追われるように国を出た訳ではなかったが、やはり、生まれ育った古里を出て行くには、自らを頷かせる理由と動機付けが、必要だったのだ。
単純な都会の生活へのあこがれが、本当の理由だった、と今になって思うのは、そう思うことを避けながら暮らしてきたことへの反動だろうか。
ーー結局、希望も夢も、なにもなかったんだ。あると思っていたのが、誤解だったんだな。
駅のプラットホームに出ると、空が見えた。
薄墨を流したような灰色の空から、小糠雨が降り続いている。
ーーそういえば、出てきたときも、同じような空だった。
プラットホームから、向こうに雨に煙るこんもりとした緑の固まりも覗けた。その辺り
には、広い公園があって、有名な美術館もあり、たまに、展覧会を見に行った。出てきた頃は、あの公園といえば、それが思い浮かんだが、今では、それより、公園のそこそこに、点在している青いテントの方が気になる。
ーーみんないい奴だった。
半年くらいの間、一緒に暮らした仲間の顔が目に浮かぶ。
その生活から、やっと脱出してからも、時折、訪ねていったが、長居している仲間はいなかった。居座るつもりでも、定期的に追い立てを食うので彼らは転々としているのだ。 ーーやっと、まともなアパートに移ったけれど、それだけのことだった。この町に、居場所があったとしたら、ここだけだ。
定刻に列車は、入ってきた。それで、視界が妨げられた。灰色の空に代わって、クリーム色の車体が目に映った。遠くの公園の影も消えた。小糠雨の空の映像も消えて、視界には、古里へ向かう長距離列車の車体だけが残った。
父や母が待つ古里に、あと四時間で着く。
2 「テレビ」
「テレビというのは、浅薄なものですな」 白髪をきれいに梳きあげて、パイプたばこを手にした紳士が言った。
「なぜです」
隣に座った中年男が、コーヒーカップから一口啜りながら、聞き返した。
「ほら、野村サッチーのことですよ」
「はあ」
「もともと、野村監督の女房というだけで表に出ていなかったのを、変わったキャラクターだと引っぱり出して来たのは、テレビじゃないですか」
「ええ」
「それが、最近じゃひどいバッシングだ。テレビに出すべきじゃないと言い始めた」
「あんな人物だとは、知らなかったんでしょうね」
「そうだろうね。それなら、出さなきゃいい」
「確かに」
そこで、話がとぎれた。紳士はその間に、残っていたエスプレッソを飲み干した。
「それでも、出しているのは、それから、ワイドショーがこの話題を止めないのは、話題性があるからですな」
「業界の利害ですよ。彼らは視聴率がすべてですから」
「まあ、しょせん、見せ物に毛が生えたようなのが、テレビって物でしょうな。誰かが言っていた。電気紙芝居の本性は変えようがない」
「そこが肝心です。見せ物小屋に客を呼ぶのは出し物ですからね。お客は、ろくろっ首でも、手足無し女でも、面白ければいいんですからね。残酷だ」
「そういう話題性が人気だと誤解しているのは、本人の悲劇でしょうね」
「いや、そう誤解していることより、見せ物として、あまりにもお粗末だという点が悲劇だよ」
「お粗末と言いますと」
「どんな、見せ物でも、お客が楽しめるような工夫や努力が欠かせないのに、それがない」
「そうですね。本人にあるのは有名人の妻ということと、悪人面と思い上がった物言いだけですからね」
「それが、売り物じゃあ、世も末だが、私もそう思いながら、つい、見てしまう」
「悪習ですね」
「まったく、ひどい女だ」
二人は、頷きあって、店を出ていった。二人とも、話題にしていたプロ野球の監督に身なりや表情がよく似ていた。
3 「MP3」
インターネット上で配布されている音楽ファイルのMP3を、捜査当局が規制に乗り出したという。著作権法に則った法秩序維持の観点からは、当然の姿勢とも思われるが、インターネットの理念と現実性からは、その意欲は理解できるが、実際上の取り締まりは相当の無理があるのではないか、と考える。
その理由の第一は、インターネットが本来、最もオープンで開かれた、パーソナルなメディアであ、という特徴だ。これまでのメディアが、情報を発信する側と受け取る側に分かれた一方的なシステムであったのに対し、インターネットはそのどちらにもなりうるという双方向性が際だっているメディアなのだ。選ばれた少数の発信者が、選択した情報を多数の受け手に向けて発するマスコミの対極に位置する極めて個人的なメディアだから、発信される情報も多様で多彩でかつ反秩序的になる。その意味で、民主主義と市民社会が浸透した二十世紀末の世界に登場したのは、歴史的にも象徴的だ。
個人が世界中の不特定多数の人に向けて、簡単に情報を発信する手段は、これまでにはなかった。毎日の世界の出来事は、新聞かラジオやテレビの電波メディアを通して、知るしかなかったのだ。それが、インターネットの登場で、たとえばコソボで起きた出来事も、そこにいる誰かが電話回線につながるパソコンさえ持っていればに、世界に発信できるのだ。最近活発になってきたNGOの活動もインターネット上の情報交換に支えられている面がある。むしろ、インターネットの発達が、NGO活動を発展させたいってもいいかもしれない。
こうした経緯から、インターネットの主体は、あくまでも個人なのであって、国家や企業がどのように、介入して来ようとも、参加する個人が主体性を失わない限り、このメディアは限りなく増殖し、手の着けられないものになっていく属性を持っている。また、その自由で開放された手段が、個人に国家の主権が委ねられている近代民主主義社会に最高にマッチしているからこそ、ここまで発展したのだろう。ということは、個人が主導権を握っている以上、取り締まりには際限なくなり無理がある危険牲が高いということだ。だれでも簡単にできるという最もインターネットらしい手法は、無限の増殖の可能性を秘めているのだ。
この自由には、ソフト開発の自由もある。パソコン向けのソフトは、個人が開発しネットに乗って流通しているものも多く、その多くはまったくフリーで開放されている。そうして開発されたのが信号圧縮技術を使って音楽再生にCDなみの音質を実現したMP3なのだ。その発想のもとには、「自由に音楽を流通させて楽しもう」という開発者の思いがある。
では、なぜ、音楽を自由に流通させようとの考えが浮かんだのか。それは、まさに、手厚く著作権法に保護された既存の音楽産業や創作者、演奏家たちへの、草の根の音楽愛好者たちの果敢な挑戦なのだ。これが、取り締まりの困難さと無理を予想させる第二の理由だ。一方的に保護されて、利権に胡座をかいていることは、市場経済の理念からも許されないのではないか、と彼らは考えている。確かに、作者のオリジナリティーの権利は守られなければならないが、だからといって、それに安住して、法外に高く値付けされたい製品が、さらに加えて我が国では手厚い再販制度に守られて、市場での価格競争もなく売られていることに、音楽を愛する消費者たちは疑問を持ち始めているのだ。
我が国のCDの価格は、欧米に比べ平均五割以上高い。同じレコード店に並んでいる全く内容のアルバムが、オリジナルの外国製と国内製では価格が違い、間違いなくに日本製の方が高い。直輸入だとさらに価格は安くなる。この分野では依然として高い非関税障壁があるようだ。
また、毎年発表される高額所得者番付をみると、同じ印税収入者でも、音楽産業関係者が作家たち文筆業者よりもはるかに所得が多いのは、奇異でさえある。やはり、手厚い国家の法の保護の下での「美味しいお金儲け」とみていいだろう。価格に競争がないのだから、ここには量産効果も期待できない。たくさん売れれば価格が低下する、という市場経済の原則は、適用されないから、売れれば売れるだけ、がっぽりと儲かるというわけだ。
はたして、そうしていることは、業界の発展や音楽の進歩に役立つのだろうか。だれでもどこでも安価に音楽を楽しむという理想に合致しているのかどうか。
そうした矛盾に対する疑問に、現実性の中で挑戦状を突きつけているのが、インターネットにおけるMP3サイトの隆盛なのだと考えることもできる。
誰でもが安価に音楽と楽しめる、という理念に立脚している限り、広大に広がったインターネットの原野で、「無法者狩り」をするのは、徒労になりかねない。むしろ、CDという有形のハードウエアに寄らない情報データだけの流通に前向きに取り組み、暗号を付与した上で、価格も低めに設定するなど、消費者のニーズに応じた取り組みの法が、有意義だと思われる。そうした方向への業界の前向きの取り組みの方が、予想さえる際限ない取り締まりのイタチごっこよりも、現実的で実効性のあるものといえるだろう。
4 「沙知代」
もともと、学歴なんか、信用しないのなら、「コロンビア大学終了」なんて、履歴に書かなければよかった、と彼女は悔やんでいるだろう。町内会費を払わないとか、酒屋に残ったウイスキー羽を引き取るように迫ったとかは、笹井な話だ。その人の性格や生活感を彷彿とさせるにしても、世間は「そういう人はいるものだ」と受け止めるだろう。
だが、学歴を偽ったことは、その人の品性と人生観を伺わせるだけに、もっとも、重大だ。そこには、人の最低限のモラルである、「うそをつかいない」ことと、自分の過去や来歴に誇りと責任を持つという人間としての人生への姿勢のいい加減さが感じられるのだ。 そういう人から講演会で、人生訓を聞かされているのだから 、全くの茶番劇だ。偉そうに教育論を語っても、こういう現代の学歴社会に、飲み込まれてしまっているような、こそくな学歴詐称を見せつけられては、聴衆は白けるばかりだろう。 人間を
「私は中学校もまともに出ていませんが、立派qに生きています」
と語った方が、ずっと印象的で、聞く者の心に響くだろう。それを、偽ってまで自分を飾ろうとする辺りに、この人の本質が、透けて見える。
そういう意味で、浅香光代とは、この人の人生と人生観は対極にある。浅香は、小学校にもろくに通わず、子供の頃から女剣劇一筋の人生を歩んできた。そういう自分の人生に自信と誇りを持ってい生きている。一方で、沙知代の方は、プロ野球選手の後妻に収まってから、夫の力と影響力を自分の力と過信して、傍若無人に世間を渡ってきた。自分で作り上げたものはない。
だからこそ、自分を飾り立てたい、という気持ちは強い。人生の価値のなんたるかを知らずに七十歳近くまで生きてきた、同情すべき哀れな女だと、賢明な世間は知っていて、見せ物小屋で、異形の人間を見るように、眺めている。思えば、哀れな話である。
5 「五月の風」
毎日、爽やかな日々が続いていますが、お健やかにお過ごしのことと存じます。
ところで、五月といえば、思い出すのですが、私が五年ほど前に、あなた様が、特別の来客をもてなしたいと言うことで、貸して差し上げた信楽焼の花瓶は、その後、どうなっているでしょうか。
あの花瓶は、私どもの鑑定でもそう安物ではありません。あの際、「ちょっと、お借りしたい」と仰るのを、軽い気持ちで受け止めて、持っていかれるのを止めはしませんでしたが、あくまでも、お貸したのであって、差し上げたつもりはありません。
ところが、最近になって、世間の噂では、あなたさまが、「あの花瓶は、貰ったものと思っていた。百数十万円というから、鑑定しした、五万円もしないというじゃないの」と言いふらしていられるとか。私どもとしては開いた口が塞がらない気持ちです。
勝手に持っていっておいて、長い間、返さない上、他人の物を、鑑定に出すというだけでも、常識を逸していると思います。しかも、その結果を、「あんな安物を」とまで言うのでは、私どものお貸しした時の善意を、一体どのように受け止められているのか。これでは「恩を仇で返すと思われても仕方ないでしょう。
今となっては、花瓶そのものより、く角あなた様のそういう体質と性格が、無念でなりません。占い師があなたの今後を占って、「何事も順調に行く。順風満帆です」と言ったのを真に受けて、悦に入っている様子も拝見しました。
しかし、本当にそう上手く行くでしょうか。 幸い、まだ、五月の風は爽やかです。梅雨に入れば、じとじとと鬱陶しい日が始まります。今のうちに、爽快な風が吹いているうちに、明快ではっきりとした対応をされるのが、肝要と存じます。
それでは、用件まで。
沙知代さま。 花瓶の持ち主より。
平成じ十一年五月二十八日
6 「三四郎」
「この年になって、初めて、来られたのは、全く、和君のお陰だわ」
その言葉に、実感がこもっていた。この年というのは、六十二歳になる叔母の年齢だ。もう二年も前に退職してから、この叔母が和君と言った孫を持つ長女と、この叔母の六歳上の次女との三人で、連れ添って出かけることが多くなった。長女の姉は、ちょうど一回り年上だ。だから、三人は、六つ年が違う。
その長姉が、「孫の大学の大学祭があるから、行ってみない」と誘いの電話を掛けてきて、二人は、二つ返事で誘いを受けることにした。その理由の一つには、その大学には、文豪の小説からとった有名な池があったことと、その名前は知っていても、実際に見たことがないので、機会があったら、行ってみたいという気持ちがあったことだ。もう一つの理由は、三人とも、退職して年金生活に入っていたから、自由な時間は十分にあるからだ。 池は、七十年安保安保闘争の時、反体制派の学生と警官が熾烈な争奪戦を繰り広げた高い塔を持つ行動の脇の小径を下ったところにひっそりと存在している。都会のど真ん中とは思えない静寂と閑静さが残されていて、勉学の疲れを癒す格好のオアシスとなっている。 「これが、あの有名な池なのね」
入り口に立てられた説明の看板を見ながら、白髪だらけの次女が囁いた。
それから、転んで怪我をした足腰を労りながら、ゆっくりと、池の周囲を歩いていった。 「この池は、心というの形を象っているんですってね」
岩の多い足場を、丁寧に確かめながら、次女が説明し、長女と三女は、同時に頭を振って静かに頷いた。
ひとしきり散策して、学園祭の出店の鯛焼きや焼きそばを食べた後、新装された講堂地下の食堂でくつろいでから、家路についた。 「今日は和君のお陰で、念願が叶えられて、よかったわ」
そう叔母が言ったのは、地下鉄に乗るために駅に向かっているときだった。
車両の中では、三人は並んで座って、話に花を咲かせた。ターミナルに着いて、降り際に、小柄な老女が近寄って来て、
「お三人は、ご姉妹(きょうだい)なんですね。私見ていて、すぐにそう思いました。そして、とても幸せな気持ちになりました。とても仲がよさそうで。美人蚕糸米ですね」と声を掛けた。
突然のことに三人が戸惑っていると、老女は、「私、つい先日、とても親しかった姉をbなくしたもので、つい、声をお掛けしてしまいました」
と丁寧に訳を言った。
地下鉄を降りて、三人はデパートの地下の食品売場に向かった。
私は、この長女の息子で、「和くん」の父親として、三人を案内したのだが、この日は、初夏の陽気が夜も残っていたのに、寝付きが早く、心地よい眠りだった。
7 「技」
最近になって盛り場で目立ってきたのは、「台湾式エステ」とか「韓国式エステ」「香港式エステ」といった風俗営業の店だ。看板の下に書かれた値段を見る「一時間六千円、VIPコース一万円」が、相場のようだ。
乱立している「ファッション・マッサージ」や「イメージ・クラブ」まどとどう違うのだろうか。池袋に新開店した「台湾式」の店を探訪してみた。
狭い雑居ビルの四階でエレベーターを降りるとそこがすぐに入り口。階段に靴入れがあり、そこに脱いだ靴を入れて、わずか二畳くらいの入り口の部屋に入ると、出てきたお姉さんが、メニューを示して「どのコースにしますか」とたどたどしいに日本語で聞いた。中身を訪ねると「VIPコースは最後まで」と言う。「最後までって、手でやるのか」と聞くと、事務的に「そうです」と答えた。
ここでは、本格的な全身マッサージをするのであって、いわゆる風俗店のようなピンクサービスはしないらしい。そのかわり、一時間、じっくりとマッザージをするらしい。
その通りだった。日本語がたどたどしいので、ほとんど会話はしない。その代わり、背中の中心線に沿って、じっくりと体をもみほぐし、最後は足踏みまで、体全体を使ったマッサージが続いた。こういう店でも、女性が裸になってサービスする店もあるらしいが、ここでは、はじめ出てきた時のままのジーパンとティーシャツ姿のままだ。本当のマッサージなのである。
もう時間切れのころになって、「仰向けになってください」というので、体を上に向けると、ローションを持ってきて、最初に言った「手で」の行為を始めた。体中をもみ保護されて、すっかり、いい気持ちになっていたためかか、そのサービスの時間はかからなかった。
「ありがとうごじゃいました」の声に送られて、店を出たとき、ずいぶん、体が軽くなっている感じだった。
8 「韓国式」
「香港式」も「台湾式」と同じ傾向のエステだとその後わかったが、「韓国式」は、謎だった。日本の盛り場における風俗産業での国名の違いは、内容を反映しているのだろうか。
機会があって、「韓国式」を訪れて、その違いがおぼろげながら、わかった。どちらも来日して間もない、日本語もたどたどしい女性が応対するのは同じだが、接客作法が違う。「台湾」や「香港」の中国系は、技術はしっかり仕込んであるようだが、堅い。「韓国式」は、技術はそれほどでもないが、対応が柔らかで優しいのだ。だからか、色気のサービスも韓国式は女性が上半身は裸になり、薄い下履きだけの姿になってよりエロチックだが、中国系にはそんなサービスはない。あくまで、マッサージなのだ。
この違いは、国風の違いから来ているのだろうか。どうも、民族の性格を反映しているような気がする。韓国の方が、日本人に似た細やかなサービス精神を持っているようだ。中国の女性は、あくまでマッサージを売っているのであって、性まで売っていないということだろう。韓国は、そこに女性としての色つけをしている。男の客がどちらを好むかというと、それは明らかに韓国式だろう。
となると、早晩、中国式は競争に敗れtげいくかもしれない。ただ、強烈なマッサージを欲する客以外は需要がなくなるかもしれない。それは、ここ一年内には優劣が決するに違いない。今後の展開は余談を許さないようだ。