『雪どけの朝』
 
       (一)
 クリスマスの日にチャップリンが死んだ。それから五日経って、あの子が死んだ。短い黒いブーツと黒いトックリのセーターが大好きで、いつも、手編みの帽子を被っていた。 僕が知り合ったのは、その年の五月。その町では、その頃が一番楽しい季節だった。
 長い間、白い悪魔の扉の中にあって、東北の町や村は、新しい春を待つ。木々が芽ぶき、陽光が段々暖かくなる。長い眠りから人々と自然が目覚めるのが、五月だ。本当に、ホッとするように、みちのくは春になる。誰もの心が、期待に胸を膨らませて、町を歩き始めるのだ。
 僕はその町で、新米記者だった。二十二歳で大学を卒業して、その年の四月に赴任した。何しろ“陸奥”に入るのは初めてだったので、前の晩は眠れなかった。 
 「きっと、冬は酷いんだろうな」
 「寒さに耐えていけるだろうか」
 「豪雪ってどんなだろうか」
 最後の夜は一人で泣いた。
 
 その前の日に、美緒と合った。別れを告げるためだ。美緒は中学時代からずっと付き合っていたボクのステディーなガールフレンドだ。
 「もう、この腐れ縁はこの位でいいだろう」
 新聞社に就職が決まって、三か月ぐらいたってから、僕はそう思うようになった。
 「何しろ、もう十年も付き合って来たんだ。
十年経てばひと昔さ。女の子だって代わっていい。一人の女の子に十年間だよーー。気が遠くなりそうだ。
 別れの宣言をするために、美緒に会った。 僕の生まれた家は、東京の郊外にあって、昔は純農村地帯だったのに、首都圏の膨脹で、変貌目覚ましいものがあった。高度成長期に、美しく区画された水田地帯は、見る間にブルトーザーのキャタピラーに踏み潰され、工場や分譲地に変わっていった。
 そんな急激な変貌は僕の大学時代に始まった。子供の頃、イナゴやバッタを追い、フナやコイを手掴みで捕った田や小川が、年ごとに減っていくのを見ながら、僕は故郷が段々切り取られていくような気がした。新しい住人たちが増えていった。人の数が増えるに従って、そのぶんだけ、人情はなくなった。町の人が話す言葉が荒っぽくなって、乾いていくのが耳ざわりだった。
 僕と美緒とはそういう時代が来る前に、この町で過ごした幼友達だ。鼻たれ小僧がいて、時には教室でお漏らしをする田舎の子供達ばかりだった。半ズボンは鼻水でテカテカ光っていたし、冬になっても靴下を穿かない奴が半分はいた。
 それが今や、この辺に新しく越して来た住人ときたら、「塾だ、家庭教師だ」と世に言う「教育問題」の生半可な知識ばかりで頭が一杯の教育ママ達ばかりだ。
 「最近、この辺変わったわね。この前なんか、うちのママが面倒を見ている人の子供が遊び友達と喧嘩して、相手の顔を引っぱたいたら、腫れあがって、泣いて帰ったことがあったの。普通は子供の喧嘩で終わりなんだろうけど、相手の子のママが怒って、損害賠償しろとか、何とか、大変だったそうよ。なんでも、その子はクラスでもトップクラスの成績で、そのママが言うには、その子がそのまま有名中学に進んで有名高校に入って、有名大学を出て、良い会社に入れば、一生で何千万円かの収入がある。そのために毎日、塾に通って、家庭教師を付けて勉強していたのに、この喧嘩で病院通いもしなければならなくなり、勉強時間が少なくなった。これでは、計画通りの人生を歩めなくなる。だから、もし事故、じゃない、そうだ喧嘩よね、喧嘩をしなければ、得られたであろう勉強時間をお金に換算して支払えっていうのよ」
 美緒はさも大ニュースのように息急き切って話した。
 「それもね。何か、得べし利益とかいう難しい法律用語を使ってまくしたてたそうよ、そのママ。大学の法学部出身なんですって」 それだけ、一気に喋って、冷めてしまっただろうコーヒーを一口に飲んだ。
 駅前に出来たばかりのゲタばきビルの一階のフルーツパーラーを兼ねた喫茶店に僕達は座っていた。
 「得べしじゃなくて、得べかりし利益というんだろう。元気に働いていたら得られたであろう収入について言うんだ。交通事故死などでは、ちゃんとホフマン方式とかいう計算式があるよ」
 僕はちょっぴり、知識をひかれかした。
 そういう時に、美緒は目を一杯に見開いていかにも尊敬のまなざしで僕を見る。そういうところが自尊心をくすぐって、とても気持ちが良いのだけれど、今はもうそういうものとも別れたいと思っていた。
 美緒は浅黒い顔をした健康そうな女の子だった。そのころ、ある音大に通っていて、家で近所の子供にピアノを教えていた。遊ぶだけのお金は自分で稼いでいて、いつもゲルピンの僕とは大違いだった。鼻たれ小僧ばかりの小、中学校で、二人が何となく近付いていったのは、そのころ、この町には少なかった文化的雰囲気を感じあったからかも知れない。僕の両親は教師、美緒の父は造船会社の技師、おふくろは病院の看護婦長だった。
 「もう、会えなくなるよ」
 「そうね、でも、会いに行くわ。スキーに行くわよ」
 「でも、今ほどには会えない。せいぜい半年に一回だ」
 「手紙を書くわ。毎日でも」
 「僕は書けない。仕事があるんだから」
 本当のところ、不安で一杯だった。生まれて初めて家を離れて、一人で暮らす。しかも寒さ厳しい東北の町で…。
 「しっかりしろよ、男だろ。お前は男になるんだ。甘くはない。タバコと酒を覚えて、本当の女を知るんだ。一人で金を稼ぐんだから」
 美緒は泣きそうになった。手を握り締めて必死に堪えていた。
 「仕方ないわね。お仕事だから。付いていくわけにはいかないのだろうし。行くって言ったって、あなたはダメって言うでしょ。私も学校をやめたくないもの」
 あっさりとした言い方だった。それが、僕にはちょっぴり残念だった。
 「でも、絶対に他の人を愛してはだめよ。もしそうなったら、私死んでやるから。私が大学を卒業するか、あなたが東京に戻るか、二人で暮らせる条件が出来たら、二人は結婚するの。いいわね」
 訴えるような目をして僕を見て、それからゆっくり小指を差し出した。僕も小指を出して、それに絡ませた。
 それが、最後の別れだった。
 美緒とは体の結びつきはなかった。湯河原にドライブにいった車の中で、口づけをした。それが、僕が美緒の体に触れた唯一の機会だった。いくら僕が求めても、美緒は「結婚するまでは、許して」と拒み続けた。     美緒は、見掛けより堅い女だった。
           (二)
 
 上野駅からの急行列車に揺られて、六時間。
その町に着いた。町は鉛色をしていた。
 「こんなに暗いのか」
 空の色が違っていた。あくまでもどんよりとした鉛色で、道行く人々は身を屈めるようにして歩いていた。
 美緒は送りに来なかった。僕は一人で列車に乗った。別れはもう、あの喫茶店でしていた。<来るかもしれない>という期待はあった。しかし、やはり、来なかった。美緒は、筋を通すタイプの女でもあった。
 「これが、新任地か」
 僕は一度だけ深呼吸をして、駅前からタクシーに乗った。
 「R新聞支局へ」
 「うんだ。お客さんは東京の人だか」
 人のよさそうな運転手が、薄ぼんやりとした声で話し掛けてきたが、僕は上の空で「そうです」と答えただけだった。それに気をそがれたのか、運転手はそれ以上話しかけなかった。沈黙を詰め込んだ車は、小さな路地を巡って、三階建てのビルの前に着いた。
 こうして新米記者の第一歩を僕は歩み始めたのだった。
 一年間、定石通りのサツ回りをやった。
 「これが記者の第一歩」
と言われ、新人記者はサツ回りから始める。県警本部に詰めて、毎日、事件事故を追って歩く。しかし、その町にはさしたる事件はなく、サツ回り記者は暇だった。
 二年半して、市政担当の遊軍記者になった。
いわゆる町ダネという市井の出来事を拾って歩く。文章の鍛練になるので、文章に秘かな自惚れがあった当時の僕には楽しい仕事だった。
 
 そのころ。僕は「あの子」に会った。
 いつも、市役所の前のバス停に立っているのが、気になり始めてから、注意して見詰めるようになるのに、一週間しかかからなかった。春になって、空気が一気に暖かみを増したころ、「あの子」は僕の心の中で、小さな結晶を形造るようになった。それは、段々大きく成長して、ついには西洋の宗教画のように、「あの子」は顔の後ろから光輪がさす天使の姿にまでなって、僕の頭を占領した。
 「こんなことは、初めてだ」と僕はその奇妙な気分を新鮮に感じた。まだ、名前も知らない、いつもバス停に佇んでいる「女の子」に、そんな気持ちを持つようになるのが、不思議だった。
 「きっと、淋しすぎるんだ。生まれて初めて、独り暮らしをして、しかも、遠いみちのくにいるんだから……。でも、人恋しいっていうのは、もっと単純な気持ちなんだろうに……。それとも違う。とにかく、あの子が輝いて見えるんだ」
 そんな日々が一か月も続いたろうか。心の中の結晶はその分だけ、また大きさを増した。 光が輝き始めた。春先の疼くような蘇生感がやっと人々の身近に感じられるようになると、風の匂いが、変わり始め、人々も厚いコートを脱ぎ捨てる。
 冬の間いつも手編みの帽子にブーツ、セーター姿だった「あの子」も、軽快なメッシュの短靴と花柄のブラウス、こざっぱりしたプリーツのスカートに変身した。でも、いつものように、物憂げにバスを待つ姿は、変わらなかった。
 
 「いつも、見掛けるね。家は遠いの」
 「………」
 「あの子」は、出来るだけさりげなく装って肩越しに声を掛けた僕をさっと振り返ると僕の顔を穴のあくほど見詰めた。
 じっと、目と目を合わせあったまま、少しの時間がたって、それから、二人は笑った。 「変だね」
 「へんだわ」
 「でも、いいと思わない」
 「いいと思うわ」
 これが、「あの子」と僕との出会いだった。
 市役所の二階の窓から、見えるバス停の行列の中から「あの子」が浮かんできて、一か月と少し。もう季節は、雪どけの春から、風薫る初夏へと進み始めていた。
 僕が二十五で「あの子」が二十二歳。夏の始まりだった。
 
 その町は、みちのくでは有名な火山生陥没湖とその山塊の持つ雄大な自然を観光資源とする県庁所在地で、中心部は山塊に周囲を囲まれた鍋底のような盆地の中にあった。そうした盆地特有の気候で、一日の気温の寒暖差が大きく、季節的にも冬は厳しく寒く、夏は激しく暑い。
 二、三回、二人はお茶を飲んだ。こんな小さな町にも、洒落た東京風の喫茶店があって、メユーもそのころやっと、ファッションストリートとして名を上げ始めた東京・原宿の喫茶店にも負けず劣らずのものを揃えていた。 いつも、僕はカフェ・オーレだった。「あの子」は、オレンジ・ジュースか、たまにはレモンティーを頼んだ。だが、訳の分からない横文字が一杯並んでいる、最近のカフェバーに比べたら、貧しい品揃えだったことには、違いない。
 「コーヒーはまだだめなの」
 「だめって」
 「その歳じゃないから」
 「歳があるのかい」
 「お母さんが、そう言ってた」
 「いくつになったら」
 「あなたの歳」
 「なぜ」
 「なんとなく」
 そんな会話が、とぎれ、とぎれに続く。そして、言葉の間に、「あの子」は、ふと遠くを見るような物憂い表情をする。
 (何をしているのか、名前は、どこに住んでいるの…。僕のほうは名前も、仕事も、勤め先の電話番号までみんな教えてしまったのに、ぼくは「この子」の姿、形、そして、見慣れたあの手編みの帽子ぐらいしか知っていない。
 「本当に、何も知りゃしないんだ」
 僕は心で呟いていた。
 「どこかに、ドライブに行きたいな。でも大きな道は嫌ね。どこか静かな所。山の中の林を走ってみたい」
 短い沈黙の後、突然、「あの子」が言った。
 僕は、その頃、まだ二十四歳の駆け出し記者にしては立派なスポーツタイプの車を持っていた。それも、その前の年に手にいれたばかりのピカピカの新車だった。
 「いいね、行こうか。連休が残っているから」
 「日帰りでいいの。一日だけで」
 ゴールデンウイークが待ち遠しかった。一日の長さが、徐々に伸び、暖かさも増した一年で一番、光線の意味が確かな日に、僕達は初めて、隣の県の最も大きな街まで、ドライブした。その街はみちのく最大の都市で、国立大学のある丘陵の森の豊かさで知られていた。
 雨が街を濡らしていた。地方都市とは思えない程の広がりと近代性を持ったこの街に、ぼくは何故か、懐かしさを覚えた。市電のレール、車の洪水、広い道路、ビルの町並み…。そうした騒々しい諸々の都市の薫りに僕は飢えていた。こぬか雨が、それらを、軟らかく包み込んでいた。そうした情景に僕は身が縮みそうな堪らない懐かしさを感じて、震えた。 
 「あの子」と会ったあの小さな町にはない、雰囲気。それが僕に、懐かしさを覚えさせ、「あの子」には、むしろ、怖ろしさを感じさせているようだった。
 降り頻る雨が、やや小降りになったのを見計らって、僕は車を降りた。
 僕に傘は無かった。
 「あの子」は傘を持っていた。
 僕は濡れながら先を行った。
 「あの子」は一人で傘をさして付いて来た。
 僕はそれで良かった。雨なんかへっちゃらな気分だった。とても心が浮き立っていた。 信号が赤だった。二人は並んで歩道に止まった。「あの子」が僕に傘を差し掛けた。僕は明るい黄色に細かな花をあしらった小さな傘の下に潜り込んで、「ありがとう」と言った。
 「僕が持とう」
 背の高い僕が、今度は傘を差し掛けた。二人は体を近寄せ、僕は自然に「あの子」の肩に手を回した。ピクッと体を竦めたのが、掌に伝わった。柔らかく、小さな肩を感じながら、僕の心は熱い満足感で一杯だった。 
 信号が青になった。待っていた人達が歩き始めた。僕達も歩き始めた。降り止まぬ雨の中、黄色い傘の中の二人だけが、光り輝く宇宙船のように、濡れたアスファルトの上をスーツと進んでいくようなイメージが僕の頭を過っていった。
 市役所の二階の窓から「あの子」を眺めていた日々。雨の日もあった。窓ガラスを濡らす水滴越しに見た「あの子」。春先の晴れ上がった日、毛糸を抱えて編み棒を忙しげに操っていた「あの子」を見ながら、「今日もいきているんだ」と<生>を実感した日々。そうした日々の繰り返しの後で、僕は「あの子」と歩いている。なぜか、急にまた、身を竦ませる懐かしさを感じて、僕は、肩にかけていた掌の力を強くした。
 でも、何一つ「あの子」のことは分かっていなかった。
 
            (三)
 
 ドライブから帰って、僕らのデートの間隔は日増しに短くなっていった。初めは週に一度。そして二度、三度。蝉の季節の頃には、ほぼ毎日のように……。会わないと不安なくらいだった。会うことが日課になった。
 「あの子」の名前も知った。住所も、仕事も。
 名前は「葉子」。向かいのビルにある某地方経済団体の理事長の秘書をしていた。家は意外なことに僕の家の近くだった。
 僕はその頃、これも分不相応に一戸建の新築の家に独りで住んでいた。八畳のリビングに六畳のダイニングキッチン、それに六畳の和室二部屋。男の独り暮らしには十分すぎるほどで、しかも、自分で設計した新築の家だった。優雅な独身貴族とは、正にその頃の僕のことだった。
 「それなら、あなたの家の近くなのね」
 と葉子は頷いてみせたが、僕は深くは尋ねなかった。こうして、二人で会っていることのほうが、いつも会えるということのほうが、ずっと大切なものに思えたからだ。
 葉子をいつも車で送っていったが、葉子はいつも「その角でいいわ」と言って、家の前まで行くのを嫌がっているふうだった。それが、本当は気に掛かってはいたが、遠慮をしているのだと思い、強いて家まで行くことはしなかった。
 夏になった。
 うだるような暑さのその日、いつものように、僕は一日の仕事を終え、葉子の家に電話をして夕方のデートをした後、車で送って行った。「その角」にきて車を止め、ドアーを開けようとすると、助手席の方に伸ばした左手を、葉子は両手で上から押さえる形で遮って、
 「帰りたくないの」
とねだるような言い方をした。
 「帰りたくないって…」
 怪訝な顔をして、覗き込んだ僕に、
 「この儘、ずっとこうしていたい」
 「でも帰らなくちゃ。お母さんが心配するよ。ほら、門限の時間だし」
 葉子を、遅くとも十時には帰すのが、二人の暗黙の約束だった。
 それを嫌だと言う。
 「お母さんには、今日は友達と一緒に泊まるって言ってきたわ。組合の会議があるって事にしてあるの」
 「組合って、労働組合のかい」
 「そう、私、婦人部の役員だから」
 「へえ、でも何故だい」
 僕もそれ程鈍いわけではないから、葉子の気持ちは、直ぐに理解できた。だが、その気持ちを真っ直ぐに受け入れてしまうのは、何か、余りにも見え透いているという恥じらいがあって、そんな上滑りな言葉が、口を突いた。                
 確かに、二十代の健康な青年なのだから、若い娘が、そんな真摯な態度で“迫って”来れば、有頂天になるところだ。その場で直ちに、襲い掛かっても、だれも文句は言わないはずだし、むしろ、願ったりと言うことになるのかもしれない。
 だがそうしたとしたら、これまで、じっと我慢をしてきたのは、何のためだ、と言うことになる。
 (ただ、二人で会っていると言うだけで満ち足りていたではないか。必ずしも、満足のいかなかった一日の終わりに、あの子の顔を見、おしゃべりをするだけで、気持ちが和んだではないか。それだけで十分なのに)
 僕は、女性の心理と生理の神秘の前にたじろいだ。          
 葉子は思い詰めた目付きで、僕の目を凝視した。一杯に見開いた艶やかな瞳が、決意の堅さを物語っていた。漆黒の瞳を向こうから来た車のライトが、フラッシュ・バックし、キラキラと輝いて、僕の脳ずいをクラクラさせた。
 葉子が人間という動物の雌として、余りにも正常であったように、僕も雄として全く欠陥がなかった。高まりにむかって既に発進していた感情は、加速度を増して、磁石の両極が吸い寄せ会うのと同様に、一気に接合しようとしていた。
 僕は、サイドブレーキを解除し、ギアを入れ、アクセルを踏み込んだ。ヘッドライトが走り馴れた道路を照らし出した。いつも葉子を降ろしてから、一人で走って帰る道だ。これまでは甘酸っぱい香りだけが、残されていただけの隣の座席に、この夜は葉子本人がいた。
 家に着いた。
 一つの明りも点っていない家の玄関に立ち、
ドアーのノブにキーを差し込んで開けた僕のあとに、葉子は黙って従い、中に入った。僕はスイッチを捻って明りをつけた。
 「ようこそ、いらっしゃいました。粗末な家ですが、ごゆっくり」
 高揚した気持を紛らわせようとおどけた口調で、言ったのにも、葉子はさして反応しなかった。
 「私、喉がとても乾いてしまったわ。今お湯を沸かして、お茶を入れますから」
 頬を赤らめたまま、葉子は手早く流し台で手を濯ぎ、薬罐やお茶の葉の在処を聞き、湯を沸かして、紅茶を入れた。
 気分が軽くなった。ゆっくりと啜ったダージリンの豊潤な香りが、二人を落ち着かせた。 
 「まだ、夜は長いよ。何しようか」
 「あなたとしたお食事で、おなかは一杯だわ。そうだ、お疲れでしょ、お風呂を沸かすわ」
 これも段取りを教えて、あとは湯の沸くのを待つことになった。
 (家に帰るとすぐ一杯のお茶を飲めて、風呂に入れる。独り暮らしでは、皆自分でやらなくてはならないが…。二人で暮らすこととは、こういうことなのだ。いや、それ以上、帰宅したときには、明るい部屋は暖かく、全てがこのように用意されているんだ)
 忘れ掛けていた家庭の温もりを思い出して、
僕は、この町の冬の寒さに思いを馳せた。
 「僕が先に入って良いかい。嫌でなければ後でおいで」
 ゆったりと湯船で体を休めた。十分に暖まってから上がり、石鹸で洗おうとしたのを見計らっていたように、葉子が入ってきた。
 生まれたままの姿だった。
 「お流しします」
と小さな声で俯いたまま、囁くように言った。
胸の前を右手に持ったタオルで押さえ、左手で下を隠して、座り掛けた。
 洗い場は、さほど広くはない。背中のほうに回って、流してくれている間も、体の一部ずつは、触れ合い離れて、その度に、二人の神経は過敏に反応した。
 だが、背中をすっかり流して貰った後に、僕は自然に、
 「今度は、僕が流そう」
と言う事ができた。
 手拭を泡で一杯にして、僕は丁寧に葉子の体を磨き上げていった。背中の後は肩、首筋、両手、両足。そして胸。胸に掛かろうとしたとき、葉子は目を閉じた。うっとりと夢見るような表情だった。
 風呂場に湯気が充満した。暖められた水蒸気が小柄な割にボリューム感のある乳房を包み込み、淡い影となって、僕の眼前にあった。
 僕はタオルを捨てた。両方の掌で泡塗れの乳房を下のほうから支え、丁寧に揉み上げていった。葉子は苦しげに吐息を発したが、直ぐ愉悦の表情に変わり、両手で僕に抱き着いてきた。僕も思い切り葉子を抱き締めた。
 泡塗れの二人は力一杯相手の体を抱き竦め、
精一杯の気力でお互いを自分のものにしようとしていた。
 唇を重ねた。吸い合い、絡ませ合い、唾液を与え合って、また吸い合った。肩を抱きかかえたまま、僕の重みが葉子に勝って、二人は崩れた。下になった葉子の太腿の辺りをシャワーが洗っていた。
 そのシャワーを掴んで、僕は葉子の足下から流していった。ゆっくりと、静かに、両腿をこえ、その合わさった辺りにも…。
 葉子は目を閉じたままだった。不安そうに両手をあげて空をまさぐった。僕はその右手を優しく僕の股間に導き握らせた。しっかりと掴んだ感触を得て、今度は自分の両手で葉子の閉じた両足を徐々に開いて行った。
 葉子は一切抵抗しなかった。全ては僕の言いなりだった。大きく開かれた両脚の間に暗い谷間があった。この日まで秘されてきた葉子の最も女性らしい部分を僕は手で辿っていった。規則的に吐息を漏らしつつ葉子は、
 「義和さん」
 と初めて僕の名前を呼んだ。
 「葉子」
 僕も答える。
 僕の物はすっかり逞しくなって、今にもはち切れそうだ。もう一度、熱い唇を吸い、耳元で
 「いいね。行くよ」
 囁きに葉子は瞼を閉じたまま、頭を振って頷き続けていた。             こうして僕と葉子は一つになった。
 
          (四)
 
 秋が近寄り始めていた。実りの季節だった。
サクランボ、ナシ、ブドウ。果物たちは、夏が暑ければ暑いだけ、そして、秋が寒ければ寒いだけ、立派な実を結ぶ。
 葉子が僕の家に泊まっていく回数が増えていった。あの初めての日から、月に一回が二回になり、週に一回になっていった。もう、たった一人のお母さんへの口実は要らなかった。
 二人には忘れようもない夜を過ごして帰ってきた一人娘に、その日この母は何も言わなかった。それからも、定刻に掛かってくる夕方の電話と、それを待ち受けている娘の落ち着かない素振りを見て、
 「組合の話し合いなんて、嘘だったんでしょ」
とだけ、呟いたきりである。
 逆に、たった一人の愛娘が、付き合い始めた若い男が、自分の前に姿を見せないのを、もどかしく思ったのか、
 「一度、夕食にお呼びしたら」
と、葉子を諭したほどだった。だが、葉子は僕の家には、喜んで、通ってくるのに、なぜか、僕を自分の家に、招こうとはしなかった。 それが、いつも、喉に刺さった小骨のように、気掛かりではあったが、強いて、触れる必要もなかったし、それより、二人には、もっとたくさんの語るべき話題があった。
 「もうすぐ、また、雪の季節になるね。今年は、絶対、君とスキーに行かなくちゃ」
 「私、上手だと思わないでね。雪国育ちだからって、うまくなるとは、限らないんだから」
 「楽しけりゃ、いいんだよ。うまくなくたって。君と行くことが、重要なんだから。二人っきりでね」
 「私も。お母さんが、なんて言うかな。もし、泊り掛けになったら、どうしよう」
 「もう、嘘は効かないよ。付き合っているのは、御存知なんだから、はっきり言ってもいいんじゃないかな」
 「そうね。やっぱり、紹介しないとね。あなたの事。でも、驚かないでね」
 「おどろくって? 大丈夫だよ。しっかりしてるから。そんなに、凄い人なのかい」
 確かに、若いうちに、夫を亡くし、女手一つで、葉子を育て上げたのだから、並の女性ではないかもしれない。若造の青二才の青年が、“対抗”できる相手ではない、のかも知れなかった。
 
 それから、間もなくして、
 「今夜、うちにいらしてくださいませんか」
と、おずおずと葉子から誘いがあった。
 いつもは、外で食事をして、取り止めのないおしゃべりをしたり、僕の家に来るときは、家で食後の紅茶やコーヒーを飲んで、たまには「愛し合って」別れるばかりだったし、何より、あれほど、躊躇の態度を崩さなかった葉子が、その気になったのだ。
 僕は、二つ返事で、
 「喜んで」
と、答えていた。
 
 いつも、止まっていた「その角」を、この夜は、曲がった。少し行くと、くすんだ古い縦長のコンクリートの建物が、見えてきた。真っ直ぐ進んでいくと、葉子は、
 「ここで、良いわ」
と、小声で囁いて、
 「この二階なの」
と言って、左のドアーを自分で開けて降り、運転席側のドアーの横に立った。
 「こんなところだから、余り、お呼びしたくなかったのだけれど」
 ドアーを開き間際にそう言って、恥ずかしそうに、俯いた。
 そこは、市営住宅だった。三階建てで、階段を登ると、左側の家に表札があり、葉子と母親の名前と思われる女名前が、並んで書いてあった。
 (そうか、そうだったのか)
 葉子の恥じらいの意味を、ようやく理解して、僕は自分自身がもっと恥ずかしくなった。 (果たして、これまでの、この子との会話の中で、自分の家のことを、誇らしげに語ったり、家を持たない人達のことを、嘲ったりしたことが、無かっただろうか)
 玄関までの短い時間に、僕は心の中で、自分自身の過去の言行録を素早くプレイ・バックさせていた。
 夕食は、魚の煮付けとほかほかの御飯に芋の味噌汁、と簡素なものだった。いつもは、葉子が「小学校の池に落ちて、魚に触られて以来、すっかり魚嫌いになってしまったの」と語っていたように、魚は干物しか食べないくらい、この家の食卓には、魚が上らなかったらしいから、これは、僕の魚好きを聞いての、特別仕立てだったのに違いなかった。
 母親は想像より、老けていた。葉子を生んだのが遅かったし、生活の疲れが、実際の年齢より、その表情を老けさせていた、ように思う。
 取り止めもない話をして、僕は、
 「御馳走になりました」
を言い、一人、夜道にヘッドライトを光らせて、家路に付いた。
 踊るような心地好さと深い自己嫌悪が、交互に、胸に押し寄せ、緊張感も加わって、僕は、グッタリ疲れきっていた。
 その日はいつもより、寝つくのが遅かった。
 
        (五)
 
 チラホラとちらつくものが、徐々に分量を増し、陽が落ちると、本格的になった。黒い舗道が一気に白色に変わり、黒い夜が白くなった。
 もう、行き馴れていた待ち合わせの喫茶店の内部は暖かかったが、広い窓から見える町は、寒さを加えて凍え始めていた。
 毛編みの帽子を脱ぎながら、待っていた僕の向こう側に座った葉子は、
 「とうとうやって来たわね。待ちわびた私達のこの季節が…」
と、いきなり言った。
 「うん、冬になるね。長い冬だ。みんな、じっと耐えていく。そんな時が、もう間近だ。この季節があるから、雪国の人は、春の喜びもそれだけ、大きいんだよね。僕はこの町に来て、初めて、春を待つ気持ちと、四季のメリハリを、体で分かるようになった」
 「私はずっと、この町にいるから、当たり前にしか思えない。だけど、雪は好きではないわ」
 「関東地方の冬は、パカポカと暖かい日と寒い日が、ボンヤリと繰り返すだけで、そのうち、いつの間にか、春になる。輪郭がないんだ。それに比べると、ここでは冬ははっきり冬だものな」
 「去年までの私の冬は、この町のみんなと同じ。毎日、雪が降って、積もって、その上を、転ばないように、ユックリと歩いて。でも。今年は、違う。こんなに、冬が待ち遠ししかったのは、初めてよ。あなたの為だわ」 僕も雪が待ち遠しかった。
 葉子は、秋の終わりの頃、
 「今、手編みのセーターを編んでいるの。ペアーでね。なかなか捗らないけど、絶対、雪が降るまでには、仕上げるつもり」
と、僕に宣言した。
 だが、仕事も忙しい。ついこの前は、
 「あなたのぶんだけでも、絶対に、編み上げる。自分で心に決めた約束だもの。私は、約束を破るのはいや」
と、強気のまま修正したが、毎晩、僕に「さよなら」を言った後で、自宅の炬燵に座り、せっせと、細かい仕事に精を出しているらしかった。
 
 師走になって、毎日、嫌になるほどに降る雪が、雪除けのない道路を厚く覆い、両脇に壁を作るほどになった。
 (クリスマス・イブをスキー場で過ごそう)
と、約束していた僕と葉子に、その時が来た。
 Y市にも温泉街が、宿泊施設となる大きなスキー場があったが、僕はあえてそこには行くまいと思った。その県のずっと南にあり、陸奥の背骨となっている山塊が、隣県と県境を接する辺りに、S温泉と言う温泉地があり、そこの古い歴史を誇る老舗の旅館に、電話を入れると、かなり高額の宿泊費にはなるが、「一番、良いお部屋が、残っています」
と、女将らしい女性が、誘った。
 「女性との二人ずれ」とはっきり言ったから、年期の入った女将には、ピンと来るものがあったのかもしれない。
 僕は躊躇無く、その部屋を頼んだ。
 それが、丁度、一カ月前だった。
 その日、雪の降り頻る中を、S温泉に向かった二人は、ほとんど、新婚旅行気分だった、と今になっても思う。会話は、接ぎ穂を必要とせず、ただ、車で雪道を蹴立てて行くことだけで、気持ちがハイになっていた。甘い感傷と心地好い緊張と、結ばれる事の決まっている恋人同士だけに許される落ち着きが、ない混じり、幸せとはこういうものなんだ、と二人は実感し、確認し会っていた。
 旅館は、予想以上に、大きかった。広い玄関には、「本陣」と書いた吊り看板が下がり、建物は、木造ながら三階建ての威風堂々とした造りだった。
 「陛下がお休みになった事も、ありましたのよ」
と、まだ三十代に見える若づくりの女将は、僕らを部屋に案内しながら、問わず語りに、自慢した。
 確かに、案内された部屋は、値段相応の物だった。広さが十畳程もあり、床の間には日本刀の大小が飾られ、欄間には猿ときじの遊ぶ透かし彫りがあった。
 透かし彫りに気付いたのは、勿論、直ぐにではない。旅装を解き、温泉につかり、海山の珍味を集めたような豪華な夕食を堪能した後、当然のように、一つしか敷かれなかった布団に入ってから、目に触れたのだ。
 布団が一つ、と言っても、かいまきは、二つあった。しかも、布団の幅が一人布団の五割程も広く、ふっくらとしており、明らかに“新婚さん用”の物だった。
 二人は、湯上がりで、ほてった体を、持て余しながら、一体となる喜びを求め合った。一度だけでなく、二度、三度と。外に雪のふり続く鄙びた温泉の一室は、やはり、寒々とした寒気が部屋の大半を満たしていたが、その中央だけは、炎を発し、熱かった。
 しらじらと明けて来たのを、知らないほどに、二人は遅くまで、互いの体を接し合っていた。
 朝になっても、目的であったはずのゲレンデに行こうともせず、じっと、抱き合っていた。
 「そろそろ、朝御飯に致しませんか」
と、宿の仲居さんが、遠慮がちに、障子のそとから、声を掛けて来たのが、既に、九時を回っていたから、
 (こんな田舎の旅館も、こういうカップルの扱いは、分かっている、ということか)
と、僕は感心し、前日の、女将のいかにも熟達した客あしらいぶりを、思い浮かべた。
 結局、ルーフ・キャリアーに苦労して積み込んだスキー用具一式は、降ろすことのないままに、家に帰ってきた。葉子も母の待つ自宅に帰った。
 「クリスマス・プレゼント、有難う」
 「大事に着て下さいね。大変だったのよ」 太い毛糸で編まれた手編みのセーターを、その冬、僕は、ほとんど毎日着ていたように思う。
 
        (六)
 
 新しい年を迎えた。
 (葉子を、故郷へ連れていこう)
と、ずっと、思い続けていた僕は、正月休みをそれに充てようと、考えた。
 元旦、晴れ着を着て、僕の家を訪ねた葉子は、
 「このままで行きたいわ」
と、着飾った姿を、僕の両親に見せたい気持ちを打ち明けたが、Y市から東京近郊のその町まで、当時の特急でゆうに四時間はかかったから、実際上、無理な話しだった。
 「着替えていくしかないだろう」
と、僕が言うと、葉子は、
 「それなら、ここで、しよう。着替えは持ってきています」
と、風呂敷包みを、差し出してみせ、媚びるように、瞳を輝かせた。
 ほんのり白い化粧に、赤い紅の入った唇が、
際立っている和服向きのメイクをしてきた葉子が、濡れるような瞳を真っ直ぐ、僕に向けてきたのには、少々、たじろいだが、その意味を悟って、僕もその気になった。
 江戸川柳の正月の季題に、「姫初め」があることを、『末摘花』などを読んで知ってはいたが、もとより、葉子が、知る由もない。 女としての、愛する男への、献身的な思いが、そういう行動を取らせる場合もあるのだろう、と年始めからの葉子の“激情”を解釈してみるほかになかった。
 帯を解き、しごきを僕に絡みとらせ、赤いじゅばん姿になった葉子は、一足先に、赤外線式コタツに繋げる形で、敷いたままになっていた僕の布団の中に、
 「寒い、寒い。この中が良いわ」
と、潜り込んだ。
 外には昼の太陽が輝き、白一色の下界を照りつけていた。その部屋の壁の下部に開けられた通気口の障子紙を通して、和らげられた光が差し込み、天井まで、明るくなっていたから、布団に入った葉子のうなじから肩にかけての白い肌が、まるで、石膏像の一部のようにみえた。
 赤いじゅばんと白い肌の、目にも綾なコントラストが、僕のその気を刺激した。
 (この娘はこんなにしてまで…)
 愛しい思いが、込み上げてきて、狂おしい程になった。
 僕が自然に布団に潜り込むと、葉子は体を引いて僕の為のスペースを作り、向こう向きになった。僕はいきなり、じゅばんの上から、両手で両乳房を掴んで、抱き寄せ、頬に右手をやって、こちらに顔を向かせると、赤い唇を吸った。
          
 結局、故郷へは帰らなかった。
 午後を二人で抱き合ったまま、まどろんでしまい、目覚めた時は、日が西に傾いていた。夕食は、葉子が用意してきた重箱のお節料理と最低限の正月の用意にと僕が買っておいた切り餅を焼いて済ませた。お節料理は、本当なら、僕の実家への御土産のなるはずだったが、一部が二人の食道の中に消え、残りは葉子が、上手に隙間を詰めて、冷蔵庫の中に保存した。
 長い夜を二人は、また、布団に入って、子供のように、じゃれあって過ごした。もうすっかり、晴着を脱ぎ、綺麗に畳んで始末した葉子は、一緒に入浴を済ませ、新年の最初の日の一夜を、僕と二人きりで過ごす手続きを、滞りなく進めていった。
 部屋中の電気を全て消し、サイドライト一灯だけにすると、世界が急に狭くなり、二人の心と体の距離も一気に縮まった。
 何も身に付けないままの二人は、二人を覆う掛け布団さえ鬱陶しく、互いの腕を強く体に巻き付け、しっかりと自分の方に、引き寄せて、肌の温もりと心臓の鼓動を確かめ合いながら、じっとしていた。
 言葉も発しなかった。ほの暗い二人の世界の静寂を乱すものは、日が落ちてから、降り続いている雪の地を打つサラサラというリズムと時折、積もった雪が重みに負けて崩れ落ちるドサッという驚くような音響だけだった。それも、夜が深まり、寒さが増すと、凍り付いたように、全てが止まり、温かい体温と鼓動だけの世界となった。
 僕は葉子の全身に唇を這わせた。一番敏感な部分では、濡れそぼった開口部から、溢れ出る蜜を全て吸いつくし、上部の突起を舌先でつつくと、葉子は全身を身震いさせて、反応し、ソプラノの糸を引いた。
 葉子も僕の全てを貪ろうとしていた。口中の粘液が粘度を極限まで高め、唇を離すと粘った糸を引いたほどに、長い口付けを求めた後、その濡れた唇を胸から下へと這わせて行き、両手で拝むように支持したペニスに唾液を垂らし、口中に納めた。
 「おいしいかい」
 「とても」
 「きみのも、おいしかったよ」
 「恥ずかしいわ。あんなに」
 「いいんだよ。二人だけの喜びなんだから」
 「そうね。だれのものでも、ないものね」 
 「そろそろ、ほしくなったかな」
 「あなたのもの、立派になったし」
 「じゃあ、いいね」
 「欲しい」
 逞しくなった僕の物は、葉子の粘液を先端に感じながら、暗黒の小空間を突き抜け、内部をまさぐった。
 溢れ出る液体が、抽送運動を勢い付けた。左右への変化や緩急も加えて、リズムを速めると、葉子もグングン登りの速度を速め、ソプラノのリズムもビートが小刻みになっていった。
 もうこれ以上、堪え切れないという地点まで登っていき、「そろそろ、行くよ」と合図を送ったが、葉子は、何も答えず、ただ、頷いた。
 僕は一気に放出した。
 葉子の内部が、小刻みに収縮と弛緩を繰り返すのを、先端が感じていた。全ての僕の精気を、葉子が吸い取ろうとするかのような事後の運動だ。
 僕はハーハーと息をしながら、葉子の乳房の上に顔を埋めた。葉子はその顔を両腕で強力に抱き締め、唇を吸った。
 「中に出してしまったよ」
 「はじめてね。出来るかもよ」
 「いいんだ。それでも」
 「安心なさいよ。今日は安全日」
 葉子はそこまで、考えていた。相手に対する、女としてのさり気ない思いやりを忘れないのだった。
 葉子は左手で僕の下半身の物を握り、僕は葉子の胸に顔を埋めて、眠りに落ちた。
 
 抱き合ったまま、朝がきた。
 二日も元旦同様の好天となって、前夜の雪が溶け始めた。朝から、屋根の雪が水となって、滴り落ち、庭の雪も緩んだ。
 葉子は僕の知らぬ間に起き、エプロン姿で朝食を作った。その物音にまどろみを断たれ、漸く、起き上がった頃には、食卓はすっかり用意が整っていた。
 カリカリのベーコンエッグに狐色のトースト、熱いコーヒーと林檎。簡素だが、上手に作るのは難しい朝食が、出来上がったばかりの温度を保ち、二人分用意されていた。
 「疲れたでしょ。さあ、食事をして、元気を取り戻しましょ」
 明るく誘う葉子の美声に、僕はパブロフの犬のように正確に反応し、急いでパジャマを着て、テーブルに付いた。
 葉子の料理は、皆美味しかった。
 コーヒーも飲み頃で、一口啜って、生気を取り戻した。
 「毎朝がこうだと良いのにね」
 「そうね。私も、そうしてあげたい」
 「結婚すれば良いんだよね」
 「でも………」
 「両親の許しが、必要か。民法は二人の合意でいいとしているけど、実際上はそうもいかないものね」
 「特にあなたのね」
 「えっ」
 「私のほうは大丈夫よ」
 「だって、君も一人っ子だし、お母さんの老後を考えれば、婿養子を取りたいんじゃないかな。次男で良い人がいれば、それが、最良だろう」
 「あなたにそんなことを言われたくない。私が一番、愛しているのはあなたなんだから。一緒に居たいのは、あなたなのよ」
 「ありがとう。僕もだ。やはり、家に行ってみるか」
 葉子はこの日、初めて、微熱を訴えた。
 「昨日、ああして寝てしまったからかしら、
体が熱っぽいの。風邪を引いてしまったのかなあ」
 (そういえば、昨日の葉子の体は、いつもより、かなり、熱かったな)
 僕の体は葉子の“異変”を感じ取っていたのだった。
 
        (七)
 
 僕と葉子は次の日、汽車に乗って僕の実家に行った。
 父と母はいきなり息子が連れてきた女性に驚きはしたものの、意外に優しかった。
 「いつも息子がお世話になります」
と感謝の言葉を述べ、まるで当然のように、その日は、家に泊めた。
 だが、結婚には、明確に反対した。特に母は、
 「氏素性の分からない人とは、一緒になってほしくないわ」
とあくまで慎重で、
 「私が行って調べてあげる」
とY市に出向く意向を示した。
 
 僕はその意向に従った。
 雪解けのスピードが速まって、春の息吹が感じられ始めた三月中旬、母はやってきた。 雪国の春は、長く雪の中に閉ざされていた生命が、一気に甦り、息を吹き返す壮大なドラマの舞台である。
 積もった雪の中で、命を育んでいた草花が芽を出し、木々は背筋を伸ばし、成長のときに備える。人々もコートを脱ぎ捨て、軽やかに町を歩き始める。
 三泊した母は、Y市役所に行って、葉子の家の住民票と戸籍謄本を取り、それでも満足せずに、Y市より南のO市まで出掛けて、原戸籍謄本まで、取り寄せてきた。
 戸籍謄本には亡父の名があったが、葉子の母が、後妻と分かり、前妻の名や亡父の一族の全様が記された原戸籍謄本を求めたのだった。
 「やはり、普通の家とは言えないわね。片親と言うだけでも障害になると思っていたのに、後添えの子供ではね。あなたに相応しいとは思えないわ」
 母ははっきり、ノーの考えを述べた。
 葉子は母の調べあげた事実を、知らなかった。
 「お母さんが、後妻に入っていたなんて、初めて知ったわ。お父さんは、私の赤ん坊のときに死んでしまったし、はっきりとした記憶はないの」
 うっすらと、涙を浮かべ、小さな声でそれしか言えなかった葉子に、僕の胸は痛んだ。 「こういうことは、すべて君のせいじゃないものね。君が責任を感じるものじゃない。僕は君そのものが好きなんだから、君の生まれやお母さんやお父さんは、関係ないよ」
 それだけ言うのが、精一杯だった。
 
 春になっても葉子の微熱は、消えなかった。
それでも、持ち前の気丈さで、仕事を休むこともしなかった。漸く、気温も上がり、凌ぎ易くなってきたことが、かえって、油断となったのでは、とは今にして言えることだ。
 山々にウドやコゴミやゼンマイといった山菜類が、豊かさを加えた四月中頃、僕は葉子を山歩きに誘った。新緑のシーズンが、盛りをむかえ、町中まで、緑の香りがするくらいだったから、だれもが、その頃、山歩きをしてみたくなる。まして、愛し合った異性がいれば、当然だ。
 あいにく、天気予報は、午前中の好天が午後になると崩れそうだ、と告げていた。でも、そう簡単に休みが取れない二人だったし、夏に向かうその季節を思う存分楽しみたいという気持ちで一杯だったから、計画を強行した。
 霊峰とも修験者の山ともいわれるその山の山麓に分け入って、ひとしきり、山菜取りに汗を流し、下山しようというころになって、雲行きが怪しくなった。青空が見る間に、灰色の雲で閉ざされ、徐々に、暗さを増し、雷鳴が遠くに聞こえ始めると、俄かに雨となった。 
 その間、わずか十五、六分。僕達は、雲行きを察して、帰り道を急いだが、葉子は女足でなかなか捗らず、山道の足場が悪い上に下りとあって、大降りになる頃には、油断して軽装すぎた上着も靴もグショグショにぬれていた。
 それでも、「速く、麓へ」と急ぎに急ぎ、登山口の土産物屋に辿り着いた。
 まだ、しまっていなかった石油ストーブに火を付けてもらい、衣服を乾かし、熱いお茶を御馳走になりながら、暖を取った。
 店に入りたては異常に青かった葉子の顔に、
赤みが差し、段々元気になってくるものと、僕は安心しかけた。
 しかし、葉子は、
 「気分が悪い。熱があるみたいだし、ちょっと横になりたい」
と、畳敷きの客席に座布団を並べて横たわった。
 その間に、僕は車を取りに戻り、帰ってきて葉子の額に触れると、もう相当の熱さだった。葉子を抱き抱えて車に乗せ、後部座席に横たえて、毛布を掛け、帰路に就いた。
 濡れたタオルを額に乗せたが、車の中でも葉子の高熱は一向に下がらなかった。逆に全身に震えが来て、寒気を感じるようになり、段々、話をしなくなった。
 僕はY市に戻ると、総合病院の急患受付に行き、葉子を救急患者として、入院させた。
 
        (八)
 
 葉子の容体は一進一退を続けていた。微熱が依然収まらず、時折、高熱になるかと思うと、小康状態となり気分が良い日もあった。僕は毎日お見舞いに行き、それが日課になった。
 そうして、二か月が過ぎ、夏がやってきた。
 美緒が暑中見舞いがてらに手紙を寄越し、「七月になったら行きます」
と行ってきたのは、その頃だった。
 僕が日にちの確認をかねて、電話をすると、
美緒は、
 「ママからやっとお許しが出たの。色々お見合いの話が、あるんだけれど、私が、みんな断ってしまうから、諦めた見たい。それで、確かめてから、決めたいと思ってね」
 「確かめるって、僕の気持ちをか」
 「いいえ。私のよ」
 別に断る理由はなかったから、受け入れることにした。
 僕の家に食器も家事用具も全てが整っているのを知って、美緒は着のみ着のままで、御土産だけを持ってやってきた。
 男の一人暮らしにしては、部屋が小綺麗にしてあり、キッチンも食器棚もきちんと整理してあるのを見て、美緒は、家に入りしな、 「一週間ほど居てもいいかしら」
と一方的に言い、、
 「へえ、何でも揃っているのね。こんなにこざっぱりしているとはね。あなたもなかなかじゃない。それとも、女友達でもできたのかな」
とカマを掛けた。
 僕は、
 「それより、いっぱいお見合いをして、いい男に大勢会えたろう」
と切り返した。
 「そうね。でも、顔が良くても、背が小さかったり、学歴があっても、性格がいまいちだったりして一長一短ね。大体、良い男はお見合いなんてしないわよ。良い男は、良い女が、早いとこ、物にしてしまうものなの」
 美緒はそう言って、寂しそうに笑った。
 最初の日は、僕も休みを取っておいたから、
市内や近くの観光名所を案内したが、二日目からは、自由にやってもらうことにした。
 美緒は、全く外出せずに、一日中、家にいて、掃除、洗濯から食事ずくりまで、甲斐がいしくこまめに家事をこなした。
 手早く、スピーディに、手際良く。いかにも美緒らしい仕事振りに、僕は、
 [やはり、田舎育ちの女とは違うものだ]と、感心し、僕が生まれ育った東京郊外の町の生活のリズムを思い出して、懐かしくなった。
 美緒は最初の夜に、
 「私はこちらの部屋に寝ます」
と宣言し、隣の部屋を自分の寝場所と決めた。
 だから、毎晩、夕食の後、ひとしきり、旧友や故郷の変わりようについて、“美緒情報”を語った後、二人とも、眠くなると、「お休みなさい」
を言って、勝手に自分の布団に潜り込んでいく日が、続いた。
 六目目がまた僕の休みだった。
 ゆっくり寝ていようと、昼近くまで、布団に入っていた僕に、美緒は箒を持って近付き、掛蒲団を叩きながら、
 「そろそろ、起きたらどうなの」
と起こしに掛かった、
 それでも、僕がグズグズしていると、今度は、掛蒲団を剥がしに掛り、剥がされまいとする僕と引っ張り合いになった。
 すると、ちょっとした力具合と拍子で、美緒の体が、僕の方に飛び込むような形になった。咄嗟に離れようとした美緒の動作より、僕の腕の反応が速く、抱き竦めると、美緒は抵抗しながら、畳の上に崩れ落ちた。
 はがい締めにするような恰好で、僕が上になり、体重に耐えられなくなった美緒は、もがくのを止め、静かになった。
 その唇を吸い、ブラウスの前を開き、スカートを脱がす手順に時間は掛からなかった。 ただ、シュミーズとブラジャーとパンティーになってから、美緒の抵抗は激しくなった。それでも、胸をはだけさせ、パンティー一枚にしてしまうと、静かになり、すんなりと脱がせることができた。
 「私、怖いわ」
 「初めてなのかい」
 美緒は言葉で答えず、頷いた。
 唇から全身にくまなく愛撫を加え、下半身の潤いも確認して、僕は、突入の態勢に入った。
 「行くよ。いいね」
 美緒はまた、頷いた。
 目に涙が溢れそうになっていた。
 しかし、僕の先端は強い抵抗を受け、進入はきつかった。壁のような圧力に抗して、無理やりに突入した。美緒は歯を食いしばった。 きつい腟壁に締め付けられての抽送運動ははきつかったが、暗い内部で放出が終わった。僕はしばし美緒の胸の上で、吐息を漏らした後、体を離した。
 美緒は、一息着いて落ち着くと涙を拭いながら、トイレに入った。
 「赤い血が出たの」
 美緒は僕にそう行って、恥ずかしそうに俯いた。
 [そうか。美緒はバージンだったのか]
 僕は、心の中で、男の誇りと喜びをしみじみと感じていた。        
 
        (九)
 
 美緒は何かを「決めた」とも、「決まった」とも言わずに、帰って行った。
 葉子の容体に変わりはなかった。だが、日々に内臓の痛みが酷くなり、鎮痛剤の点滴をしながら寝ているだけの日が、多くなった。 僕は中年の主治医に会って、病状を聞いた。
 「どうも、難病のようですね」
と話を向けた僕に、その医師はこう言った。 「その通りです。治療法もまだ分かっていません。膠原病と言われる原因不明の難病のようです。細胞のニカワ質が侵され、機能不全になり、熱が続くのが特徴です。筋肉が侵される場合もありますが、葉子さんのは、どうも内臓らしい。そうすると、かなり危険です。副腎皮質ホルモンが、最も有効と言われていますので、これをずっと、投与していますが、予断は許さない状況です。そこのところを十分、含んでおいて下さい」
 僕は葉子の母に、医師の説明を噛み砕いて説明した。だが、「危険」と言う言葉は避け、「簡単ではない」と言い換えておいた。
 葉子はしかしよく耐えた。
 初めの
 「果物の実る頃までには、退院出来るかしら」
が、
 「雪の降る頃には」
となり、
 「良くなるかしら」
となっていったが、一進一退を繰り返しながらも、葉子の命は燃え続けていた。
 [良くなって、あなたと暮らしたい]
 心の底に、この命を支える希望があったからだ、と僕には思われる。
 僕は気候に涼しさが加わった晩秋になっても、毎日、葉子を見舞った。それは、完全に、一日の終わりの日課になっていて、病床の葉子の手を握らなければ、眠られない程に定着したルーティーンになった。
 珍しく気分が良い日に、葉子は、
 「このまま、私が、良くならないとしたら、
あなたに悪いから、今のうちに、言っておきたいの」
と切り出した。
 「私、処女じゃなかったでしょ。あなたは聞かなかったけど、私は少し気になっていた。それは、あなたが、私の、この世で一番愛した人だからよ。でも、二番目に愛した人がいたの。高校時代にね。中学の同級生で、その子も私も、孤独だった。突っ張っていたけど、私には優しかった。その子が最初。驚いた?」 
 「その人は、今何をしているの」
 「お墓の中よ。暴走族になって、事故死したの。なんでも、雪道を飛ばして、電柱に激突して、天国に行っちゃった」
 「悲しかったろう」
 「一晩中泣いたわ。でも、死んだ人を何時までも、思っていても、仕方無い。生きている私には一度しかない大切な人生が有るんだと気が付いたの。そう思って、元気になろうとしていた時、あなたと……」
 「ぼくが声を掛けたと言うことか」
 昨年の春の終わりだった。
 「私は縋るものが欲しかったの。支えてくれる人が、必要だった。ポッカリと開いた穴を、自分だけで埋めるのは大変だったから。あなたに会えたことで私は生き返ることが出来たの。有難う御座いますって、感謝しなければ、いけませんね」
 「そうすると、僕でなくても良かったのかもしれないね」
 「いえ、絶対に、そんなことはないわ。あなたでなければいけないのよ。神様がそうしてくれたの。私が、良い子だったから。最愛の一番相性の良い人に巡り合わせて下さったんだわ」
 「そうして、良い子にしていれば、病気だって直ぐに良くなるさ」
 「そうね。そう信じているわ」
 何時でもだれでも、病人の見舞いでの会話は、勇気付ける見舞い人と勇気付けられる病人と役割は決まってしまう。
 危険な状態ながらも、病状は落ち着き、一時の平和が、訪れた。
 そんなある日、僕に、辞令が下った。
 「東京本社OO部への異動を命ずる」
 たった一行の辞令によって、僕はその町を離れざるを得なくなった。
 冬になろうとしていた。
 僕は、
 「せめて、来年の春まで」
と願い出たが、受け入れられなかった。
 その町へ来た時と同じ様に、僕は一人で列車に乗り、四年ぶりの東京に戻った。
                
        (十)
 
 東京で仕事をしながらも、葉子の事は、片時も頭を離れなかった。
 葉子が電話に出ることは難しかったので、病院に手紙を書いた。葉子も返事を寄越した。だが、それも長くは続かなかった。葉子の手紙は段々、少なくなり、十二月になると、なしのつぶての状態となった。それは、葉子の容体の悪化を間接的に伝えていた。だが、僕が葉子の側に居てやることは不可能だった。
 直ぐにでも、飛んで行きたい気持ちに、間断なく襲われたが、仕事の事情が許さなかった。
 季節は何時しか、東京の町を行く人々が、厚いコートを着る季節になっていた。
 デパートのショーウインドウが、クリスマスのデコレーションで飾られ、有線放送が、クリスマス・ソングを流しっぱなしにして、町はその年を締め括るのに忙しい時を迎えた。
 クリスマスイブも仕事で潰してしまった僕は、一年前の葉子との一夜を思い浮かべ、ただ、感傷に浸る事で自分を慰めた。
 翌日の夜になって、外電が、銀膜の喜劇王、
チャーリー・チャップリンの死を伝えてきた。
テレビは、名画の数々を流し、追悼特集番組を組んだ。物悲しく、ほろりと来て、考えさせるチャップリンの名演技。久し振りの休暇を日柄一日、テレビを見て過ごした僕は、その笑いさえも忘れていた。葉子が気掛かりだった。
 大晦日の日に、僕の一人住まいの電話が鳴った時、不吉な予感が走った。
 予感通りに、電話は、葉子の母からだった。
 「色々、御心配をお掛けしましたが、葉子は、昨晩、天国に召されました。最期まで、あなたのことを思っていたのでしょう『義和さんお幸せにね』が最期の言葉でした。葬儀は正月が終わってから、日を選んで行いたいと存じております。一言、お知らせまでと、御迷惑を顧みず、お電話差し上げました」
 母はそう丁重に述べて、電話を切った。
 [葉子が死んだ]
 半ばは予想された事ではあったが、事実の持つ重みは、計り知れない。強烈な衝撃が、僕の全身を襲い、血が逆流して、体中を駆け巡った。頭の中があの町の雪のように真っ白になった。
 [葉子が死んだ]
 あの葉子が、この世からいなくなってしまうなんて…。
 まだ、二十代の若さで、逝ってしまった。 僕の愛した葉子が……。 
 結ばれることを望みながら、結ばれないままに……。
 わずか二年の交際の間に、十年以上の充実した喜びを与えてくれたあの娘が……。
 僕の心にポッカリと埋め切れない大きな穴が開いた。埋めきるには長い年月がかかりそうに思われた。
 
 美緒はその年の春、何度目かのお見合いで、
巡り合った歯科医と結納が整い、六月、結婚式を挙げ、「ジューン・ブライド」になった。              (終り)