「夏の嵐」
この夏の一週間を、湘南の海で過ごしたのは、幼いころへの郷愁と、明日の夢の実現のためだった。
幼いころを思い返せば、私は、湘南の海をこよなく愛していたのに、それと同じくらい憎んでもいた。楽しい思い出と、悲しい記憶とは、半分ずつの割合で、私の脳裏を占めている。
その記憶は、歳月を追うにしたがって、薄れていってはいるが、その楽しさと悲しさとの割合は変わらない。ただ、かつてのような鮮明さを失い、輪郭がぼやけ、記憶の画像にかかるフィルターの濃度が増して、すこしずつディテールを削ぎ落としていき、いまでは、霞が掛かって、じっと眼を凝らさなければ、ハッキリと見えないほどになってしまった。
だから、私は、この話を忘れないうちに、書き留めて置かなければならないと、差し迫られた気持ちにかられて、筆を取ったのだ。
暗い記憶の闇のなかに沈んでいく、断片を少しずつだが、根気よく拾い集め、モザイク模様でもよいから、一枚の絵を作り上げてみよう。そう思い立って、私は、この当ての分からぬ作業を始めた。
記憶の糸を辿る糸口を得ようと、私は、古いアルバムを取り出した。
それはすでにセピア色に退色しているが、三人の子供の姿が写っている。
背景に開いたパラソルが、一つ、砂浜の上に立っている。その前に並んだ三人は、真ん中の男の子が、やや背が高く、両側には、二人の女の子の姿が見える。女の子は、左側が背が高く、顔の色が白い。右側の子は、背がやや低いが、黒々と焼けていて、白い歯と白目が印象的だ。真ん中が高く、ちょうど、山の形で並んで、笑っている。男の子は、黒い水泳パンツ姿。左側の大柄の女の子は、胸に花柄のプリントがしてあるツートン・カラーの華やかな水着、右側の女の子は、肩まである黒い無地の地味なワンピースの水着を付けている。
私たち三人は、その夏を、大磯の別荘で過ごした。といっても、われわれの親のではない。母方の兄に当たる伯父の別荘だ。だから、写真に写っているのは、大磯の海岸である。
写真の男の子は、私。左側の女の子は母の姉の長女の綾、右側の女の子は確か、清子と言った。土地の子である。
七月に夏休みが始まってから、私達は、伯母の長女の孝子と三人で、その月いっぱいをその別荘で過ごす計画で、宿題や水着や替え着を大きなバッグに詰め込んで、その別荘にやって来ていたのだった。
別荘には、地元に住んで長い管理人の老夫婦がいて、私達の食事から風呂の世話まで、一切合切の身の回りの世話を見てくれることになっていた。
私は小学校六年生、綾は五年生、孝子が四年生と一年ごとに年が下っていた。
その前の年までは、母か父が付き添って、この別荘に来ていたが、母が
「良ちゃんも来年は、中学生になるのだから、もう一緒に行かなくても大丈夫でしょう。従姉妹たちの面倒も見れるでしょう」
と言いだして、兄や姉夫妻も賛成し、初めて、子供たちだけでの別荘行きが決まったのだった。
私達は、この決定には、大喜びだった。なにやかやと口うるさい親たちが来ないうえに、小さいころから一緒に育った従姉妹と三人で、自由に気儘に、夏休みを過ごせる。それだけで、その夏は、これまでで最高の夏になる予感がした。
最初の日は、旅の疲れもあって、一日中家のなかで過ごした。持っていった宿題も、一科目だけはやり終えて、順調な夏休みのスタートだった。
二人の女の子も、この日は一日中、客間のちゃぶ台に向かって、宿題に専念した。
その夜は、昼間、集中して頭脳を使ったので、程よい疲れを感じ早めに寝た。客間に蚊帳を吊り、私は、奥の床の間の脇に寝て、隣に綾、その脇の一番外側に孝子が、と三人は川の字になって、就寝した。
次の日、私達は、早めの朝食を済ますと、すぐに、浜へ出た。ゴム製の浮き輪を一個とゴムボート、それに、水中眼鏡やシュノーケル、空気入れなど、持って出たものは、かなりの数だった。それらを手分けして運んで、浜辺に急いだ。
夏の太陽は、朝から強烈な光線を浜に浴びせかけていた。気温が急速に上昇しはじめ、すでに、三十八度を超す勢いだった。
輝く光線が交錯する浜辺で、私達は、力を合わせて、ゴムボートに空気を入れ、浮き輪もパンパンに膨らませてから、海の中に入っていった。
二人の従姉妹が、ゴムボートに乗り、私は浮き輪を付けて、泳ぎながら、後ろからボートを押して、沖合を目指した。浜辺から見える、すぐそこの沖に小さな岩礁があり、私達は、そこで、一日、海中に潜ったり、甲羅干しをして、過ごす積もりだった。
ゆっくりと、ぎこちなく、私はボートを押して、進んでいった。綾や孝子は、ボートの上から、私に檄を飛ばしていた。
「ねえ、もっと速く、もっと速く。頑張って」
私は、全身に力を込めて、ばた足の速度を上げようとしたが、小学生の力ではそう簡単には、スピードは上がらない。
浜辺と岩礁のちょうど中間地点にたどり着いたとき、私は後ろから、もの凄いスピードで、追いかけてくる者があるのを知った。
私は、最初、それは、亀か海豚かと思って、ばた足を止めて、ボートの下の海中にもぐり込んで、様子を探った。
その物体は、こちらに向かって、まっすぐに突進してきた。鋭い手のかきと回転の早いばた足が、その赤い物体を、ぐんぐん前へ前へと進めていた。
赤い物体は、私達のボートの横に来ると、飛び上がるように空中に浮かび上がり、大きく全身を延ばして、手を振り、
「わーい、わーい。君達、トロトロ、泳いでいるとじゃまだぞ」
と大声を上げた。
私は、初めその姿を見て、少年かと思ったが、声を聞いて、初めて、少女だと分かった。
その少女は、それだけを言うと、再び、水中に潜って、さらにスピードを上げて、私達の目指す沖合の岩礁に向けて、泳いでいった。
私は、負けまいと、その後を追って、必死で、ボートを進めた。
そして、やっとの思いで、目指す岩礁にたどり着いた。
あの子は、岩のてっぺんに座って、私達の上がっていくのを、見下ろし、
「やっと着いたね。随分遅かったぞ」
と言って、大声で笑った。その時、見えた歯がとても白かった。
「遅い、遅い、あはははは」
私は、その笑いに、侮辱されたような感じがして不愉快になったので、一切、無視して、聞かぬ振りをしながら、二人の従姉妹がボートから降りてくるのを手伝っていた。
彼女らが岩礁に登ってきて、畳八畳程しかないその場所を四人が占拠するかたちになった。
ぎらぎらした太陽が、何も遮るもののない、広い海の上空から、容赦無く降り注いで、肌が痛かった。
私は、ここにたどり着くまでに注いだ努力を、その女の子の大笑いによって、無にされたような気がして、気分が悪かったが、そういう小さな子供の内心の動揺などとは無頓着に、そこに広い海と切り裂くような光線を浴びせる太陽があった。
その女の子は、着古した赤い水着を輝かせて、岩の上に立っていた。すらりとした足としっかり伸びた背の張り具合が、その子の健康さと身体機能の高さを表していた。長い頸の上にこじんまりと纏まった形のよい、日焼けした顔が乗っていた。だが、目も鼻もそれぞれの部品は大作りで、ハッキリとしていた。ぱっちりと開いた目としっかり高い鼻、そして大きく開いた口。少女は、めりはりの効いた顔をしていた。私は、美しいと思った。その少女の全体が、夏の季節のためにあるような魅力があるのを、私は理解できた。花ならヒマワリと言ったらいいだろうか。
ただ、真っ黒に日焼けしていたから、当時は、白い肌が持て囃された時代だったので、少し、野卑な感じはした。彼女が、この付近の村で生まれ育った田舎育ちの地付きの娘なのは、明らかだった。
それから、私達三人は、この少女のことは、心の隅に置きながらも、素潜りや甲羅干しをして過ごした。昼になって、管理人のおばさんが、作ってくれた海苔のお結びを頬張り、水筒にいれてきた麦茶で喉を潤した。
小型のパラソルを持っていったから、それを岩場と海のあいだの狭い浜辺に立てて、その下にござを敷いて、食事をしたあと、横になって昼寝をした。
昼寝をしながら、薄ぼんやりと開けた目で、岩場の方見ていると、あの女の子が、こちらを見ているのが見えた。
弁当など持ってこないのだろ。その子は、海から採ってきたばかりと思われるサザエとアワビを手にして、こちらを見ていた。
そして、大声で、
「おーい、君達。火を点ける物は持っていないかい」
と叫んだのだった。
綾がマッチを持っていた。それに、お結びを包んできた新聞紙もあったから、燃やす物は揃っていた。
「ここにあるよ」
私は、ぶっきらぼうに、返事をした。
「じゃあ、貸してくれる。貸してくれたら、採り立てのサザエをやるよ。壺焼きのサザエハ旨いよ」
その子は、こちらにやってきて、採ったばかりの、サザエを四つ、私達の前の砂浜にぶん投げた。
「よし、分かった。いま、火を起こすから」
浜には流木が流れ着いていて、夏の陽光を受けて、乾燥していたから、新聞紙で火勢を強めたら、木に移せばいい。火を起こすのは、簡単だった。
流木を揃えて、その上を新聞紙で覆い、サザエを並べて、マッチで火を点けた。
火はメラメラと燃え上がり、木に伝って、火勢は勢いを増し、その火力に炙られて、サザエは、間もなく、良い匂いを出して、煮えはじめた。丸い口から、汁が泡になって溢れ出て、グツグツと言い始めた。
「よし。これでいいだろう」
その子は、煮上がったのを確認すると、流木の細いのを二本、掴んで、箸のようにして、サザエを挟んで持ち上げ、私達の方に、突き出した。
「旨いよ。食えよ」
そういう野卑な仕方で、料理を食べさせられたことは、なかったので、三人は、物珍しげに、見ていたが、香ばしい香りは、食欲を刺激し、三人とも、
「どうも、有り難う」
とお礼を言って、サザエを取り上げた。
蓋を開けて、身を取り出すと、中まで良く煮えていて、コリコリとした触感が舌に心地よく、ツーンと潮の香りが、鼻を抜けた。
二人の従姉妹も、旨そうに食べていた。
「採り立てだからかしら、本当においしい」
私達は、満足した。すると、その子は、
「アワビをあるよ。でも、こいつは、岡に上がってから、刺身にでもするといいだろう」
と言って、三つほど、投げて寄こした。
私は、その子が、そんなにも沢山の獲物を持っているとは、思わなかったので、
「これ、みんな、君が採ったのかい」
と聞いた。すると、その子は、
「そうだよ。この回りの海のなかは、よーく知っている。素潜りで採るんだ」
と答えた。
私もやってみたくなった。
「俺にも採れるかな」
「まあ、潜りが出来れば、出来るだろう。ただし、どのくらい息を止めていられるかによるね」
私は、シュノーケルを持ってきていた。そういう道具を使えば、この子でさえ、素潜りでこれだけの収穫があったのだから、それ以上の獲物が得られるだろう、と考えた。
「やってみたいな」
と私は言った。
「そうか、じゃあ、一緒にやろう」
とその子は言って、先に立って、海のほうへ行った。私もあとに従った。
二人の従姉妹は、私に向かって、
「頑張ってね。今晩のおかずを期待しているからね」
と立ち上がって、手を振っていた。
海に入ると、その子は、
「おれが、先に潜るから、ついておいでよ」
私は、その子の後について、海中に潜った。水中眼鏡をして、シュノーケルノ管から、大きく息を吸い込み、必死で、その子の後を追った。
海のなかは、陽光で一杯だった。斜めに差し込んだ光の束が、群生した海草の群れに注いで、揺らめいていた。
あの子は、一気に一直線に下へ潜水し、岩礁の間にへばりついているアワビやサザエを手指で示し、自分で採る時には、その後、示したところに近寄って、指で剥がして収穫した。
一回の潜水は、せいぜい、一個採るのが、いいところだ。全く採れないこともあったが、十回ほど潜って、サザエ五個と、アワビ一個を採るのが精一杯だった。
だが、浮上して、海面に顔を上げると、あの子は、
「ほら、簡単だろう。いっぱいとれただろう」
そう言いながら、得意気に私を見た。その時、大きく開いた口のなかから、真っ白の歯が零れて、強い光線を反射して、キラリと光った。
私は、水中でのその子の素早い動きに感嘆していた。鵜のような見事な潜水と獲物に一直線に向かうスピード。私は付いていくのがやっとだった。
「六つだよ。ありがとう。こんなに採れたんだ」
私は、腰に付けておいた籠を上げて、収穫物を見せた。
日が西に傾きはじめたので、私達は、パラソルを畳んで、荷物をゴムボートに乗せ、対岸の浜に戻った。その時、あの子の姿はなかった。とっくに、岡に戻ったらしかった。
その日の夕食は、私があの子と一緒に採取したアワビをサザエを管理人の奥さんが、料理してくれた。新鮮なアワビの刺身が旨かった。サザエは、岩のうえで食べた、と言うと、おばさんは、身だけを取り出して、煮物にした。
いずれも、潮の香りがして、白い焚きたての御飯と一緒に食べると旨かった。
一日中、海のう上で遊んでいたので、三人とも、すっかり疲れ、夜眠るのは、早かった。だが、蚊帳のなかで横になりながら、私は昼間の出来事を、回想していた。
ボートの後ろから、飛魚のような速さで、近寄ってきたあの子。磯の上に立って、笑いかけたときにこぼれた、真っ白な歯の輝き。海中で採った者を、屈託なく取り出して見せてくれたとき仕種。そして、ザザエの壺焼きをつくったときのきびきびとした動作。
私は、その子のしなやかな動きに目を見張っていた。都会では会えない野性の少女。あの子の映像が、私の記憶回路を走り回っていたが、そういえば、あの子の名前を聞いていなかったことに気が付いた。私達の方も、名乗っていなかった。
でも、今日、初めて会ったとは、思えないほど、私達は、親しく、楽しく、一緒に遊ぶことができた。
私は、眠りながら、
(明日も、あの子に会えるだろうか)
と、翌日の目覚めのあとの再会を期待し、遠くの浜に寄せる波の音を子守歌に、深い眠りに落ちていった。
翌日も朝から暑かった。前日と同じように、燃えるような太陽が、照りつけていた。
私は、あの子に再会したかったから、この日も、あの岩礁に行って、素潜りでアワビを採ろう、と従姉妹二人に提案した。綾は賛成したが、孝子は、
「私は、海に潜るのなんていや。二人で、潜るのなら、私はパラソルの下で読書をしているわ。でも、余り長くは居ないほうがいいから、早めに帰りましょうね」
と言って、反対した。
私達は、ゴムボートを仕立てて、沖に出た。海はないでいた。出がけに、家のラジオの天気予報が、
「台風が近付いているので、進路に当たる地域は、注意してください」
と呼びかけていた。が、まだ、大磯には、台風の影響は、及んでいなかった。
凪のなかを順調に進み、昨日の磯に上陸した。
すると、その時、手前の岩を越した向こうの浜で、物音がした。私は、あの子がいるのを期待して、小走りに走っていった。
だが、そこには、人が歩いた足跡があるだけで、あの子はいなかった。足跡が、海の中へ続いていた。
海中に潜っているのだろうと、私は思って、待っていたが、十分位しても、現れない。従姉妹たちの方へ、戻りかけたとき、後ろで、波の音が乱れたので、振り帰ると、そこにあの子が立っていた。
「やあ、昨日は。今日は、遅かったね」
と水玉を滴らせた笑顔で、呼びかけた。
「もう、潜っていたのかい」
「そう、素晴らしい場所を見つけたよ。今日も一緒に潜ろうか」
「いいよ。でも、今日は、三人だ。おそこにいるあの子も一緒に行く」
と私は、遠くにいる綾を指差した。
「あの子か。あんな、生白い体をしていて、潜れるのかい」
でも、どうしても、と言うんだ」
「仕方がないな。でも、足手まといにはなるなよな」
私が、合図を送ると、綾が走ってきて、その子に、向かって、
「よろしく」
とあいさつした。だが、あの子は、顎を引いただけの軽い会釈を返しただけだった。
三人で海に入った。
あの子が見つけたという穴場は、浅いところではなかった。かなり、沖へ行っ深い場所で、それほど、潜りに慣れていない綾には、無理なような感じがしたが、綾は、必死で付いてきた。私は、ぐんぐん進んでいくあの子の後を追いながら、綾にも注意をはらわなければならず、二倍の労力が要った。
あの子の潜水のスピードは、驚くほど早く、私は、追いつくのがやっとだった。綾は途中まで付いていったが、さすがに、三十メーター程行ったところで、息切れし、浮上してから、岡に上がるという合図をして、引き返した。それを見た私は、綾を一人で帰すのは、心配だったので、一緒に戻ることにした。それで、あの子の姿を見失った。
それから、ゆっくりと、綾に連れ添うようにして、岡に向かって泳いでいると、あの子が進んでいった方向の一点で、海に穴が開き、あの子が手を振る姿が見えた。
手を振ったあと、あの子は、素晴らしい速さのクロールで、我々の方に近づいてきた。そして、横に並んで、
「ほら、こんなに採れたのに、なんで、付いて来ないんだ」
と詰った。
私は、むっとなって、
「綾が、心配だったから」
と言い訳をした。
「そうか、その子が、そんなに心配か。おれの見つけた秘密の場所を教えてやろうと思ったのに、バカだな」
私は露骨にあざけられたが、不愉快ではなかった。
その子の言い方は、天井の太陽のように、からっとしていた。
「いいよ、その場所は、君のだけの物にしておけよ。僕は、自分で探すから。君の世話には、ならないよ」
「そうしな。でも、それでは、大して採れないな。せっかくだったのに」
そう言い捨てて、その子は、また、沖合に泳いで行った。
それから、私は、岡に上がったが、もう潜りをする気力がなくなって、午後まで、パラソルの下で、寝た。時折、目が覚めると、沖合を見たが、あの子の泳いで行った当たりに、定期的に波が立ち、はるか先に漁船の群れが見えた。
その日、海からの収穫は、ゼロだった。
管理人のおじさんは、
「猟師が、生きのいい魚を上げたよ」
と言って、知り合いの猟師から、魚を買ってきた。そのとき、
「岡田さんちの、娘っこも、籠に一杯、アワビを入れていた。なんでも、良い場所を見つけたらしい。小学生なのに、あれで、いっぱしの大人より、稼ぐよな」
おじさんが、おばさんい話しかけた。
「そうだな。清子ちゃんは、あの年の娘では、一番の稼ぎ頭だろう。父親が、長患いをしているからって、がんばっているんだよ。かあちゃんの連れ子なのに、血の繋がらない父親のために頑張っているんだから偉いよね」
おばさんは、その子のことをべた褒めにしていた。
その夜は、アジのたたきがでた。おじさんが、買ってきたものだ。
(よし、明日こそ、僕が採ってきた物で、食卓を飾ってやるぞ)
私は、心中、期していた。
前日は、すっかりないでいた海に、翌日は波が立っていたが、私は、
(今日こそ、あの子より沢山の獲物を採ってやる)
と心に期していたから、海の小さな変化には、気を止めなかった。
さらに、今日は、銛を持ってきた。シュノーケルに銛、そして、足のヒレという「完全武装」だから、サザエやアワビだけでなく、アジやイワシの小魚やタコを採ることも、不可能ではない、と思っていた。
今日は、沖合に、漁船がいっぱい出ていた。十隻ほどの漁船が沖合で、協力して網を引いていた。相模湾のなかでの近海漁が行われているのだ。
そのように、漁船の群れが、私達の岩場の近くに集まっているということは、その近くに魚群がいるということだろう。魚の群れがいれば、その上には魚を狙う、カモメなどの海鳥が群れる。たしかに、漁船の群れの上空には、海鳥の大群が舞っていた。
いまや、あの岩礁の回りは、格好の漁場になっているに違いない。
今度で三度目の上陸となる私達の岩礁に上がると、あの子は、今日も先に来ていて、既に、浜に置いてあるビクに、数個の獲物が入っていた。私は、昨日のように、その場所で、あの子の上がってくるのを待っていた。
すると、沖合で、ひょっこりと、頭を覗かせたあの子が、こちらに手を振って、
「おーい。遅かったじゃないか。早く、入ってこいよ」
と呼びかけるが見えた。
私は、頭にシュノーケルを付け、足にヒレを履いて、手に銛を持ち、海に入っていった。
綾は、一緒に行いこうとしなかった。
「孝子と一緒に、浜で待っている」
と言う。
余程、昨日のことが、こたえたらしい。綾は、本当は、私と一緒に、行きたいのだが、行けないのだ。私とあの子と自分との泳力の違いを考えて、綾は、一緒に行くのをためらっていた。
綾は、顔を歪めながら、
「私は、待っているから、たくさん採ってきてね」
と声を絞り出すように言った。
私は、後ろ髪を引かれる思いがした。だが、あの子の引きつける力の方が、優った。私は、
(今日こそは、あの子よりたくさん採ろう。あの子に負けたくない)
という気持ちも、手伝って、意気込んでいたのだった。
あの子は、ぐいぐいと沖合に進んでいき、漁船の群れの近くまで来た。昨日と同じ場所だ。そして、桶を浮かせたまま、一気に水中に潜っていった。私も、頭にシュノーケルを付け、足にヒレを履いて、後を追って潜っていった。
ぐんぐん進むと、海底に凸凹した岩場が見えて、海草が群れをなして、揺らめいていた。あの子は、その海草の群れに分け入って、予め目を付けておいた場所に降りて、そこにある貝殻をはぎ取って、採取した。それは、大きなアワビだった。実は、そのアワビは、私が先に見つけて、モリで剥がそうとしたのだが、硬すぎて諦めた物だった。私も仕方なく近くに行って、隣にあったアワビをモリで剥がして、手に入れた。
その後、二人は、浮上した。海上に顔を出すと、あの子は、
「ほら、こんなに大きいのが採れたぞ」
と自慢そうに、高々と差し上げてみせた。
私も、
「僕も、こんなのが採れたよ」
と獲物を見せた。
二人とも、大きな口を開けて、笑っていた。
「どちらが大きいかな」
「どっちかな」
大きさを比べあったが、あの子の方が大きいのは、明白だった。
「よし、次ぎ行くぞ」
あの子が、声を上げた。私は、少し休みたかったが、その挑戦を、避けてはいけない。
「よし」
また、二人は、海中に潜っていった。
こうして、何度も、一緒に潜水を繰り返して、獲物を競い合った。時間の経つのが、この日は、とても、早かった。
競い合って、採っただけに、収穫の成果も素晴らしかった。あの子は、桶に一杯のアワビを採った。私も持っていった籠に溢れるばかりのアワビやサザエを採った。
浜に上がって、重さを量った。銛の棒を秤にして、両側にそれぞれの獲物を吊るして、量ったのだが、重さでは、私の勝ちだった。
「じゃあ、一個ずつの大きさで比べよう」
そう、あの子が言ったので、数を数えることにした。
「一つ」
「一つ」
「二つ」
「二つ」
「三つ」
「三つ」
「・・・・」
「・・・・」
掛け声と一緒に、一個ずつ、浜に並べていった。
結局、数でも、私が勝った。だが、私のは、あの子に比べてやや、小さいのが多かった。
「あんたの採ってきたのは、みな、小さい。それじゃ、売り物にはならないよ」
強がりなのか、あの子が、そう言った。
「だって、売るつもりなんか、ないもの」
「そうだな。じゃあ、しかたがない」
あの子は、慰めてくれた。
でも、
「売り物にならない」
と言ったのは、あの子の、獲物は、
「売り物になる」
ということなのだ。
あの子は、潜りを、仕事でやっていたのだ、と私は初めて気が付いた。
その日は、あの子との収穫競走に疲れ切っていたので、早めに岡に引き上げた。すぐに、別荘に帰って、居間で昼寝をした。午後三時ころから五時頃まで、薄敷の上に横になって、ぐっすりと眠った。
もう日が西の空を焦がしはじめたころ、私は目覚めた。綾も一緒に目を覚ましたが、孝子はまだ、寝ていた。
管理人のおばさんが、私達が目覚めたのを知って、
「お風呂が沸いていますから、入りなさい」
と言ってきた。
私は、海から帰って、そのまま寝てしまったので、体に塩がしみ込んだ気がしていたから、この誘いには、素直に、
「入ります」
と答えていた。
「綾さんも、一緒に入りますか」
とおばさんは、綾に聞いた。
こちらへ来てから、三回の風呂は、綾は孝子と一緒に入っていた。今日は、孝子が寝ているので、おばさんは、そう聞いたのだ。まだ、小学生なので、男女の混浴でも、構わないと考えたのだろう。
綾は、少し考えてから、恥ずかしそうに、
「そうします」
小さい声で答えた。
私は、先に脱衣して、風呂に入った。檜製で楕円形の古い風呂だが、年代が経っているにも係わらず、檜の良い香りがした。大人だと一人しか入れない大きさだが、子供二人なら、どうにか収まる大きさだった。それで、おばさんも、一緒に入るかと尋ねたのだった。
私が、湯船に沈んでいると、綾が入ってきて、
「失礼」
と言って、風呂のなかに腰を降ろした。
私は、一瞬だが、綾の裸体を見た。それは、大理石の肌のように、透き通っていて、一点の染みもなく、澄んだ肌色をしていた。隠した胸が少し膨れはじめていた。
私はその肌の、余りの白さに、射すくめられて、目を逸らし、下を向いた。
狭い風呂桶の中で、対面した姿勢を取っていると、私の曲げた膝に綾の腰が触れて、沈み込めないので、私は脚を開いて、綾の腰をその中にスッポリを抱え込んだ。そうして、二人は肩までお湯に浸かることができた。
「こうして、二人で、お風呂に入るのは、去年の夏以来だわ」
綾が私の顔の目の前で囁いた。
私は、そのパッチリと見開いた大きな瞳とツンと尖った鼻、富士山のような形の良い唇を直前に見て、
(綾はいわゆる美少女なのだ)
と思った。
その美少女が、私の体に密着して、二人きりで、当たり前だが、生まれたままの姿になって、風呂に浸かっている。
そういう機会は、来年、私が中学生になれば、もうないような気がして、私は、綾の顔を両手で挟んで、こちらに向け、その広く、大きな額に。唇を近づけて、接吻した。
「綾は、いつまでも、こういう可愛い子でいるといいな」
「私も、お兄ちゃんが、いつまでも私に優しい人でいて欲しいの」
私が、風呂から出て、体を洗おうとすると、綾も出てきて、
「背中を流すわよ」
と言って、手拭いを手に取った。
「背中だけでなく、体を全部、洗ってくれたら、嬉しいな」
「じゃあ、そうしてあげる」
私は、椅子に掛けて、綾が石鹸を付けた手拭いで、私の頸から胸へと流していくのに、身を委ねた。綾は私の胸まで石鹸を付けると、次に、足首に移り、脛から股へと洗い続けたが、ただ、一箇所だけは、外した。
「そこは、自分で洗ってね」
と言ってから、後ろに回り、背中から尻へと石鹸の泡で一杯にし、最後に、手拭いを私に渡して、
「はい」
と言った。
私は、その手拭いを受け取り、最後まで残っていた股間を、ゴシゴシと洗った。
「じゃあ、今度は、僕が綾を流してあげる」
私は座っていた椅子を、綾に譲り、手拭いを一度、湯で洗い流してから、石鹸を擦り付けて、新しい泡を立て、綾の体に向かった。
細く長い頸から始め、少し脹らみ始めた胸、そして、よく締まった腹部へと進み、そのあと、
「ほら、股を開いて」
と言って、両脚を開かせ、綾の花園の部分を、軽く泡立てた。
「本当に、女の子のここって、変だよね」
「なぜ」
「だって、僕に付いているものが、ないんだから」
「そんなの、邪魔じゃないの」
「まっ平らで、その中に筋が入っているだけなんだからね。洗いやすいのは、洗いやすいけど」
「いつまでも、そんなことを言っていないで・・・・・・。ほら」
私は、促されて、太股や脛から両足へと、泡で一杯にした。
背中に回って、手拭いで流していると、私は、股間の物が、硬直しているのを感じた。そして、なぜか、その先を綾の背中に押しつけたくなって、背中を洗いながら、その先端を綾の腰に持っていった。
綾は、私のその行為に、気が付かなかった。
そして、背中を下へ流していくのに合わせて、硬くなった小さなペニスを、綾のきめ細かい白い肌に、押しつけた。とても、気持ちが良かった。快感のパルスが頭へと突き抜けた。
綾がその行為を知らないままに、私が新しい湯で石鹸を洗い流すと、
「どうもありがとう。気持ちが良かったわ」
と顔中に細かい汗を浮かべ、紅潮した顔つきで、言った。
私は、一瞬だったが、触れてしまった綾のその部分の手触りをしっかり、覚えていた。つるりとした滑らかな感触が、手に、残っていた。
私達が、風呂から上がると、孝子も目覚めていて、夕食になった。この夜も、私達が大量に採ってきた海の幸が、中心だったが、管理人夫婦も一緒に食卓に付いて、五人での会話が弾んだ。
「今日は坊ちゃんも大猟だったけど、浜の漁船もアジやイワシが、大漁というよ。それに、清子ちゃんも、大きなアワビをおっぱい採ってきて、いつものように家の前で売っていた。あれで、お父さんの治療代が、稼げそうね」
とおばさんは、語るともなしに、独り言のように言った。
「清子ちゃんというのは」
と私が聞いた。
「いや、あの防砂林の後ろの砂山の中に、木の柵で囲った、崩れそうな家があるでしょう。その家の娘だよ。あの子は、この町でも評判のしっかり者だ。あんたたちと同じくらいの歳なのに、一人で、怪我をして寝ているお父さんの面倒を見ているのだから。海に潜って、貝なんかを採ってきて、売るくらいしか、あの子に出来ることはないが、この町の人はみな、あの一家には、同情しているから、あの子の家で、売り物が残ることはないんだ」
「お父さんと二人暮らしなの」
綾と孝子が、同時に聞いた。両親が揃っているこの二人には、父親との二人暮らしということが、どういうことなのか、実感がないのだろう。
「そう。あの子を生んだお母さんは、あの子を置いて、若い衆と駆け落ちしてしまった。猟師の父さんが一人で、育てたんだが、その義理の親父さんも、漁船の事故に巻き込まれて半身不随になってしまった。寝たきりになったお父さんをあの子は、一人で世話しているんだよ」
「義理というのは」
今度は、今まで、黙っていたおじさんが、口を開いた。
「あの子の母さんは、男好きのする器量良しで、評判だった。隣の町では、今小町、とまで、言われたほどの美人だったから、若いころから、男が一杯言い寄ってきた。だから、一人の男に尽くすという気持ちがない。あの子を生んだのは、二度目の結婚の時で、間もなく、離婚して、すぐ再婚した。それが、あの子が一緒に暮らしている父さんだ。この人も、若いころは、いい男だったから、お似合いの夫婦だったんだが。だから、血の繋がらない親子なんだね」
私は、あの子の整った顔つきは、その母親譲りなのだろうと思った。そして、赤銅色に焼けた肌と強靱で精悍な肢体はたぶん、猟師の父親に育てられた結果に違いない、と。
私は、良い話を聞いた、と思った。
今日の私の収穫物には、一つだけ赤貝があった。おばさんは、これを煮て、私にだけ出してくれた。私は、その煮貝に箸を付けようとして、やめにした。
それは、食事の前に風呂場で見た綾の女性器にそっくりだったからだ。
私は、女という不思議な生き物に対する興味と関心が、その夏に、生まれて初めて、強烈に体内からわき上がってきたのを感じていた。
五日目の朝になった。この日も、朝から快晴だった。天気予報は、「台風の接近」を伝えていたが、大磯には、まだ、その影響は全く、及んでいなかった。
こんなに良い天気なら、私達はまた、あの私達の場所、「沖の小島」に向かうことしかない。朝の光が、ようやく光量を増すころ、私達は、いつものような装備で島に行った。ただ、一つだけ持ち物が増えていた。
それは、私が父から、誕生日のプレゼントに贈られた小型の一丸レフカメラだった。西ドイツ製のライカで、私はこのカメラが、大層気に入っていて、唯一の宝物とも言ってよかった。
カメラを防水ビニ−ルに包んで、ボートに乗った。そして、岩礁に着いて、シーツを敷いて、パラソルを開き、いつものように私達の陣地を確保した。
綾と孝子の二人が、
「今日は、私達と一緒に遊んでね。あまり、沖に行かないで。近くで、お魚を見ましょうよ」
とせがんだから、私はその願いに応えることにしていた。
だが、あの子が来ているかどうか、気になったので、反対側の浜へ行って見ると、やはり、あの子は、もう海に入っていて、置いてある桶には、数個の貝類とエビが入っていた。浜には、足跡も付いていた。
あの子が、来ているのを確かめたかったので、私はどこにいるのか、と思い、沖合を見た。
漁船の群れが、漂っている付近に、小さな泡立つ場所があり、そこに黒い頭が時々、浮上するのが見えた。あの子は、もう、しっかりと仕事に掛かっていた。
私は、あの子が、上がってくるのを、その仕事ぶりを見ながら、じっと待っていた。遠く漁船の群れの向こうに、カモメが数羽飛んでいる。東の明るく輝く青い空には、綿菓子のような積乱雲が、もくもくと大きな煙を上げたような形で張りついていて、少しずつ東の方角に動いていた。風は微かに吹いていてが、昨日よりは、やや、暖かさがあった。水平線の当たりを、タンカーのような大きな船が二隻、ゆっくりと動いていく。日は、これから、夏の輝きの絶頂へと向かおうとしていた。
二人の従姉妹が、パラソルの下で、着替えを終えて、私を誘った。私は、そちらへ、戻って、
「さあ、行こう」
と声を掛けて、海に入った。
夏の盛りの海は、明るく、温帯にあるとはいえ、亜熱帯に近い日本の南の太平洋岸には、貴重な海の生物が沢山いるのだ。
それに、数多くの小さな貝類、藻類、硬殻類・・・・・・。漂う海草の中を泳いでいくだけでも、気持ちが良くなるのだ。
私たちは、磯の近くのに海に潜って、小さな貝類の採集を始めた。
昼になって、太陽は、天井に来た。そのころ、あの子の海中の影も消え、こちらに向かって、一筋の白い線を引きながら、泳いで来るのが分かった。私は向こう側の岸に行き、あの子の到着を待った。
海から上がってくるあの子は、真っ赤な水着を来ていた。それは、海女には不釣り合いかとも思われたが、年頃の女の子の水着と思えば、よく似合っていた。あの子は、この水着以外は、なにも着けていない。水中眼鏡もシュノーケルも足ヒレも、私が必要としていた装備は、何も着けずに、生身であれだけの仕事をしていた。
浜に上がって、あの子は私を見つけ、
「やあ、今日も来たの」
と明るく笑い掛けてきた。
「うん。ここに来るのが一番楽しい」
「今日は、潜らないのかい」
それは、一緒にということだ、と理解して、
「潜りたいけど、親戚の女の子がいるから」
「ああ、あの二人。いつも、一緒なんだね」
「そうだね。君もあっちへ行って、一緒に昼飯をしようよ」
「でも、弁当は持ってきていないんだ」
「おにぎりがあるから、よかったら」
「いいなあ。じゃあ、御馳走になろうかな」
私はあの子を伴って、私達の陣地に戻り、昼食にした。
管理人のおばさんの作ってくれるおにぎりは、入っている種類も豊富で、おいしかった。アワビを煮たものが入れてあるものもあった。
四人は、浜に並んで、おにぎりを頬張った。
食事が終わって、あの子は、再び仕事に戻ろうとして、立ち上がった。その時、私は、
「せっかく毎日、会っているんだし、記念に写真を撮ろう」
と、カメラを取りだした。
私が、最初に、女の子三人の並んでいるポートレートを撮り、続いて交互に撮影を交代して、十枚ぐらい、シャッタ−を降ろした。
セルフタイマ−は、使わなかった。だから、この十枚には、四人が揃って映っている物は一枚もない。どれも、三人ずつの写真なのだ。
あの子が、また、海に入るというので、私は送っていった。すると、
「一つお願いがあるの」
とあの子が話しかけてきた。
「なんだい」
「出来たら、水中眼鏡が欲しいんだ。海に潜っていると目をやられてしまって、痛いんだよ」
私は、あの子の願いを聞いた。
「これで良かったら」
と持っていた自分の眼鏡を差し出した。
すると、あの子は、
「ちょっと、待っててくれ」
と行って、岩影に行って、円く輪になった綺麗な首飾りを持ってきて、
「お礼に、これを上げるよ」
と両手で、私に差し出した。
それは、近海で採れる桜貝などの小さな貝を一つずつ、丁寧に繋げて束ねた手作りの貝の首飾りだった。
「これ、私が作ったんだよ。みんな、私が採ったもの」
私は、素直に交換に応じることにした。
その貝殻の首飾りは、自分で持っているのが、気恥ずかしく、綾にあげた。綾は、
「こんなに重い首飾り。とても、頸には着けられないわね」
と言いながらも、受け取ったが、一度も頸に付けることなく、彼女の小物入れにしまってしまった。だから、私はその鮮やかな色彩の工作品を、その時、一度、短い間、見たきりで、以後、どういう色あいなのかもわからなかった。
午後になると、風の生暖かさが増し、強くなってきた。遠くに見える入道雲も白一色から灰色がかって、曇った色になり、やってくる嵐の予感がした。
私たちは、早めに陸に引き上げた。帰り際にボートの上から、海を見ると、あの子がいる海の辺りでは、依然として、間欠的に小さな泡が立っていた。
夕方から、パラパラと小雨になった。別荘に引き上げて、午睡を取りながら、考えたのは、
(あの子はいつまで海にいるのだろうか。いつごろ引き上げて来るのだろうか。今日も店を出すのだろうか。そのあと、あの子は何をするのだろうか)。
とあの子のことばかりだった。
私はあの子が、あの砂浜の中の家で、どんな暮らしをしているのか。猛烈に知りたくなった。
(そうだ、夕食がすんだら、あの子の家に行ってみよう)
私は、そう決断した。
小雨がしとしとと降り続いていた。私は夕食後、午後八時を回ったころ、あの子の家に向かった。手には愛用のライカを持ち、残っている十数枚のフィルムを、あの子の家で使い切る積もりになっていた。
海岸沿いの人一人だけしか通れないような狭い近道を行った。砂地で歩きにくかった。道の両側が松林の防砂林で、林のなかを道は真っ直ぐに続いていた。真っ直ぐに行って、突き当たった辺りの、砂の山の中に埋もれるように建っている崩れそうな一軒の木造家屋が、管理人のおじさんから聞いたあの子の家のはずだった。
私は、この家が、想像していた以上に小さく、しかも、屋根が傾いていて、倒れそうなのを見て、心が痛んだ。
入口の前の道路際に、木の枠があって、そこであの子は、海の幸を売っているらしい。所々、間の抜けた木板の柵が、家を囲んでいた。私は、その外周を廻って、明かりが点いている居間の当たりを覗ける場所に行った。
そして、砂の山の上に座って、居間を覗き込んだ。
二つの影が動いていた。一つは姿形からして、あの子に違いない。もう一つの人影は、六畳ほどの雨戸が開け放たれた座敷に寝ていて、薄い敷布団に夏掛けの毛布を掛けていた。
その寝ている方の人影は、話しに聞いていたあの子の義父に違いない。
その人影から、天に向かって突き出した右手が、小刻みに震えていた。その男は眠ってはいない。起きているのだ。
その影の脇に座った小さな影が、寝ている影の口に向かって、何かを運んでいる。じっと目を凝らすと、それは、お茶碗に盛った御飯を箸で、口に入れているのだった。御飯と皿に盛った刺身のようなものを、交互に箸で、口に運ぶ。
あの子は、父親に食事をさせていた。
私は、居間の手前の廊下の横に、大きな貝殻が並べてあるのに気が付いた。それは、間違いなくアワビの貝殻だった。その一つに、見覚えがあった。昨日、私が銛で突いたのをあの子が手で剥がして収穫したアワビに違いなかった。あれは、昨日のあの子の獲物のなかで一番のものだったが、それは、売らなかったらしい。
(そうか、最上の物は、父親に上げるのだ)
と私は、気が付いて、その心境を思った。
食事が終わったらしい。あの子は、盆の上に全ての食器類を乗せて、部屋から出ていった。寝ている父親は、また、右手を宙にかざした。その小刻みな動きは止まらず、続いていた。
部屋の明かりは、天井の白色電灯一つだが、その一点から発した一筋の光線が、男の右腕を通って、その影を廊下側の障子に投影し、震える腕を影絵のように、映していた。
私は、その光景をじっと見ていた。
すると、また、あの子が部屋に入ってきた。手には桶を持っている。前のように寝ている父親の脇に座って、今度は、桶に手拭いを浸して絞り、父親の胸に当てた。そして、ゆっくりと体を拭いはじめた。上腕から頸、胸、腹へと静かに手を動かしていく。足も脚も脛も、ゆっくりとした動きを繰り返しながら、丁寧に拭いていった。
表面に出た全ての皮膚を拭きおわったころに、父親は、麻痺していない左手を上手に使って、自分のパンツを引き下げて、あの子の耳元に土を寄せて、何か言った。
あの子は、引き下げられたパンツの中の物を両手で捧げて、手拭いで扱いた。すっかり、拭ったあと、右手を使って、ゆっくり、上下運動を始めた。
私はその行為が何を意味しているのか、理解できないでいた。
右手での行為が終わると、あの子は、その部分に顔を持っていった。頭が、上下動を始め、徐々に、激しくなった。二、三分、その動きを続けていると、寝ていた男の体が痙攣した。あの子は、動きを止めて、口に手拭いを持っていって拭うと、桶を手にして、また、部屋を出ていった。
夏掛けを掛けた父親は、そのあと、ぐったりとなって、眠ったようだった.
また部屋に戻ってきたあの子は、男の脇に布団を敷いた。そして、身に着けていたもの全てを脱ぎ捨てて、布団の上に横になった。縁側側に寝たので、あの子の姿は、こちら側に見えた。その健康な素肌から、潮の香りが匂い立つような気がして、私は、うっとりとした気分になり、恍惚とした。
薄い夏掛けのタオルケットだけを掛けて、あの子は、横たわっていた。その薄物の下には、あの赤銅色の光輝く張り詰めた肌と何者をもひれ伏させてしまう、しなやかな筋肉を包み込んでいる肉体が、安息の時を迎えていた。
私は、暗闇の中で、その姿をカメラに収めようと、息をひそめて、シャターを切った。白色灯一つと、二つの人の黒い影しか、見えない暗い空間では、写真は、写らないかもしれない。だが、私は、それでも良かったのだ。
翌日は、いよいよ、台風が接近してきて、海は荒れはじめた。少しずつ、土用波が立ち始めたが、漁船の群れは、朝から出ていって、漁をしていた。
ということは、一人の一人前の海女であり、猟師であるあの子も、海に出たはずだった。
しかし、私達は、家で過ごすことにした。いくら、海がまだ静かであっても、嵐の予告があるのに、小学生の身で、危険は犯せない。
一日中、生暖かく、風が吹いて、空はどんよりと曇り、間違いなく、嵐の予感がした。
その日の夕方、北上してくる台風の先端にこの町が入りかけたころ、町は、騒然とした。
事件が起きたのだった。
沖合いで操業していた漁船が、高波に巻き込まれて、転覆したという第一報が、地元の漁業組合に入ったのは、夕暮れが迫る午後六時半過ぎだった。
最初は、漁業無線が、
「SOS、緊急事態発生。僚船が接触事故を起こし、二隻が沈没中。他の船が救援中」と伝えて来た。当直の係員は、救難組合の組合長に電話連絡し、組合員に緊急招集をかけた。
続々と、組合員が駆けつける中、事態は緊急を告げ、いよいよ一隻が、船体の半分を水中に没し、乗組員が、脱出する状況になった。
組合の建物の最上階にある監視室から、沖合を観察していた監視員は、漁船の群れが、先を争って、港へ向かって来るのを、薄い明かりの中の物体の動きとして、観察していたが、その数は、はっきりとは確認できなかった。
漁船の無線は、
「一隻が沈没した。乗員は全員無事、他の船が収容した。これから、港へ引き上げる」
と叫んでいた。
船の群れは、全速力で、帰港の船脚を稼いだ。嵐はますます、激しくなり、雨が斜めに叩きつけるようになっていた。視界も短くなり、踵を接するように岡へと急いでいた漁船の群れは、渋滞道路を急ぐ、緊急車両のように、前の船をかき分けて、先を急いでいた。 そうして、八時半過ぎには、所属のすべての船が、港に戻った。
幸い、人的な被害はなかったようだが、突然、巻き起こった緊急事態に、誰もが興奮していて、冷静さを失っていた。
沈没しそうになったもう一隻の漁船の乗り組み員は、ずぶ濡れで、すぐに町の病院に収容された。体が冷えて、皆の顔面は蒼白で、唇は青かった。
一段落した後、普通にはあり得ない沿岸での漁船接触事故の原因調査が始まった。事故調査は、海上保安庁が担当するのが、海難事故の原則だが、それ程、重大な事故と見ていなかった組合の幹部は、組合だけでの調査を行うことに決め、海上保安庁には、事後報告で済ますことにした。
最初に、沈没を免れた漁船の船長から、事情聴取が行われた。
船長はこう言った。
「そろそろ、帰港しようかと、網を巻き上げていると、突然、船尾が回転しはじめたのです。網の巻き上げは相手の船との呼吸ですから、相手に引っ張られたのかと思い、スクリューを逆回転させて、船の回転を止めようとしたのだが、だめだった。スクリューの回転が止まってしまい、回復に手間取っているうちに、接近し、ぶつかった。相手の船も、操作が思うようにできないようだった」
船尾になにかが、引っ掛かって、スクリューが、止まったのではないかという推測が、
有力だった。
その痕跡は、船体に残っているはずである。漁業組合は、嵐が去った後、翌日にも船体の調査を実施することにした。
あの子の家では、半身不随の父親が、あの子の帰りを待っていたが、午後九時を過ぎても帰らないので、不安になっていた。かといって、誰かに知らせて助けを求める事もできない。何しろ、立ち上がることもできないのだ。
あの子が、こんなに遅くまで、家に帰らなかったことは一度もなかった。日が暮れるころには、必ず帰って来て、道端に海産物の屋台の店を出していたのだ。総てを売り上げて、店が終わると、夕食の準備をして、身体を奇麗にしてくれた。それは、毎日、正確な時間に繰り返され、一度も狂ったことはなかったのだ。
(それが、今日は、清子がいない)
いつもは、身体が不自由なこともあって、半分、混濁した意識の中で、日々を送っている父親だったが、この日は、違った。はっきりと、異常を意識し、その緊急事態を察知していた。
寝たままの状態で、天井に向かって、
「清子。きよこー」
と大声で叫んだ。
何度も、叫んだが、近くに人家はないから、その叫びを聞いた人がいるわけはなかった。
しかも、外は、嵐の後遺症の中にあった。誰かが通りかかるわけもない。
そうして、父は、眠らぬまま夜を過ごした。身体は、一夜で、平常の日の一週間分以上に衰弱した。すっかり、焦燥して、朝方の少しのまどろみの後、再び、余力を振り絞って、病床の父は、叫び声を上げた。
「きよー。清子ー」
それは、嵐の去った後、奇麗に晴れ上がった朝の大空の中へ、空しく消えていった。
父は、不自由な体を、よじって、雨戸の方に転がっていき、立付けの悪い、壊れそうな雨戸に、身体ごと、ぶつかった。
雨戸は、外れて、外に落ちた。それと一緒に、父の身体も、庭に崩れ落ちた。そして、砂の上に仰向けになって、抜けるように晴れ上がった青い空に向かって、父は、最後の力を振り絞って、
「清子ー。助けてくれー」
と叫んだ。
私は、その朝、誰よりも早く、目を覚ました。前日、一日中家に閉じこもっていたので、それまでの毎日のような身体の疲れがなく、早く、目覚めたのだった。外を見やると、光が明るかった。それは、前日とうって変わって、台風一過の爽やかな晴れの日が始まったことを示していた。
私は、朝の奇麗な空気を吸いたくなって、外に出た。
浜の方に歩いていきながら、頭に浮かんでいたのは、
(あの子は、あの嵐の中で、漁をしたのだろうか)
という問いだった。
私は、浜へ向かう道とあの子の家の方に向かう小道の分岐点に差し掛かっていた。私はそれ程、意識することなく、左への道を取っていた。それは、あの子の家のある砂地へ向かう道だった。
道の両脇の松林の先に、ハマアサガオが咲いていた。私はその一株を手折って、手にした。あの子が居ても居なくても、その花をあげたかった。
突きあたりを左に折れて、あの家が見えた。
家に近付いていくと、人の声が聞こえたような感じがした。私は、聞き耳をたてた。その声は、裏の居間の近くから聞こえてくるようだった。先日の夜、私が潜んで、二人の様子を見ていたあたりだから、私には、その場所は、覚えがあった。
私は、その場所に直行した。
庭で、昨日見たあの子の父親が、倒れていて、天に向かって、叫んでいるのが見えた。
私は、崩れかかった木の柵を乗り越えて、庭にかけこんだ。そして、父親を抱えあげ、
「大丈夫ですか。さあ」
と言って、肩を差し出し、腕を掛けさせて、身体を起こし、抱えあげた。
父親は、息が絶え絶えになっていた。
私は、部屋に連れていって、布団に寝かせ、やっと、一息付いた。
父親は、もう、言葉を発する力がなかったが、口の動きから、それは、
「清子、清子」
と言っているのが、分かった。すなわち、あの子の本名である。管理人のおばさんが、あの子の名を、
「清子ちゃん」
と言っていたからだ。
「清子ちゃんは」
私は、寝ている父親に、確かめた。
父親は、首を振った。
その仕草で、私はすべてを理解した。
(そうか。あの子がいないのだ。それでおじさんは、探していて)
私は、
「このまま、じっとしていてね」
と言い残して、家を走り出た。
一直線に別荘に取って返した私は、草履のまま、管理人の部屋に駆け込んで、
「おじさん、おばさん大変だよ」
と二人を叩き起こした。
事情を聞いた二人は、まず、電話で警察と消防と役場に連絡し、救急車の出動を依頼する一方、応急措置に必要な救急箱を持って、あの子の家に、私と一緒に向かった。
あの子の家に着くと、父親は、もう青息吐息だった。
おばさんが、持って来たタオルで、体を包み、暖かくしたうえ、お湯を沸かして、汚れた体を奇麗にした。その間も、父親は、何かを言いながら、手を空に震わせていたが、すでに、声になっておらず、聞き取ることはできなかった。
そのうちに、救急車が到着し、救急隊員の担架に乗せられて、父親は、搬送されていった。その時、隊員が、
「一緒に行かれる御家族はいませんか」
と聞いたが、あの子がいないのだから、家族はいない。おばさんが付き添う事にして、車は出ていった。
家に残された私に、おじさんが聞いた。
「清子は居なかったのかい」
「はい。いないようなのです。だから、お父さんは、探していたようです。清子と叫んでいるのが、聞こえたので、こちらに来たのです」
と私は言った。
「これから、警察も来るだろうから、詳しく説明してあげなさい。清子を探してもらわなければいけないだろうし」
おじさんは、そう言って、考え込んだ。
私は、おじさんの疑問が良く分かった。
(一体、清子はどうしているのだ)
と考えているのに違いない。
だが、それは、いくら考えても、答が見つかるものでもないだろう、と私は思っていた。
(どこに、いるのか。それは、探すしかないのだ)
私はそう確信し、昨日、あの子が、漁に出たのかどうか、だけを考えていた。
(あの子のことだから、出たに違いない。漁船も出ていたのだから、出たに違いない) そう結論したが、だから、どこにいるのかは、おじさん同様、皆目、見当が付かなかった。
いつまでもその家に居ても仕方が無いので、昼過ぎには、別荘に引き上げた。
別荘では、綾と孝子が起きていて、私を始めおじさんやおばさんがいないのを、不思議に思いながら、待っていた。
私達が帰ると、
「どうしていたの」
と問い詰めたが、説明すると、
「へえ、そんなことがあったの」
と目を丸くして驚いていた。
おばさんは、冷蔵庫に冷麦を作っておいてくれたから、昼食は、四人でそれを出して、食べた。
テレビはニュースの時間で、NHKの全国ニュースの後、ローカル・ニュースに移っていた。ニュースは、台風関連がほとんどだった。 各地の被害の模様が、続けてレポートされた中で、神奈川県の項目に、
「大磯で沿岸漁業の漁船が沈没」
という事件が、あった。
四人は、地元の話だけに、このニュースには、冷麦を掬う手を休めて、見入った。アナウンサーが、言っていた。
「大磯沖の相模湾内で、沿岸漁に出ていた漁船二隻が、接触して、沈没しましたが、乗組員は、全員、隣の船に乗り移り、無事でした。網を引き上げる作業中、大波で網がスクリューに引っ掛かり、絡んだために、二隻の船が接近したものと見られます」
ニュースは、それだけを簡潔に伝えて、終わった。
私は、あの子が行方不明になったのは、ニュースではないのか、と思ったが、小学生の女の子が一人、一日、見えなくなったからといって、テレビのニュースになるわけもなかった、と気がついた。
ただ、この町の漁港に所属する漁船が、そうい事故を起こすくらいなら、あの子になにかがあっても、おかしくない、という気がして、不安になった。
それに、あの子の”漁場”は、漁船の群れのすぐ、近くだったではないか。漁船が、これだけの被害にあっているのだから、あの子になにかがあっても、不思議ではない。
私は、嫌な胸騒ぎがした。
午後になって、おばさんが帰って来て、
「大変だったけど、どうにか、助かりそうよ。集中治療室で、いま、やっと、小康状態になったので、帰って来たの。ずっと、なにかを言っていたけど、どうも、娘を呼んでいるようだった」
おばさんの報告に、おじさんは、
「それは、良かった。命があれば、それに越した事はない。あの子のことが気になっているのは、われわれも同じだ。これから、心当りを当たってみよう」
おじさんは、何ごとにも面倒見が良いのだ。
私は、
「あの子は、昨日も漁に出ていたのじゃないかな。いま、ニュースでやっていた漁船の近くが、あの子の漁場だから、漁船の人に聞けば、なにか分かるかもしれない」
とおじさんに、問いかけた。
おじさんは、
「そうか。それなら、港へ行って見よう。船の連中がなにか知っているかもしれない」
私達は、二人で、港に向かった。
港では、漁業組合の係員が、避難してきた船の検査をしていた。沈没した船と接触して、命辛々逃げてきた漁船は、特に念入りに検査された。
船長が言っていたスクリューの静止は、船の後尾に回って、潜水して調べなければならないが、そのための潜水夫の準備もされた、
検査の結果は、意外なものだった。
潜水夫の話は、
「網と長い綱が巻きついているが、赤い水泳着と人間の体の一部のようなものがある」 という衝撃的な内容だった。
そうなると、事件や事故の捜査をするために、警察に連絡しないといけない。
組合では、さらに詳しい調査をするために、次の準備に取りかかったところだった。
港に着いたところ、そういう情報が流れて、集まった漁業組合員らは騒然としていた。
「人を巻き込んだらしい」
「あんな嵐の日に、何で、人がいたんだ」
「確かに、スクリューだから、海のなかで巻き込んだのは間違いないな」
「なんでも、頸はないらしいよ。胴体の一部と脚と手が絡まっていたそうだ」
「首なしか。それで、大きさは」
「女で小柄な人らしい」
「女。とすると、海女かな」
「うん、そうかもしれない」
「昨日、海女は海に出ていないはずだが」
「うちの組合には、出漁しないという連絡が来ていた」
「とすると。だれなんだ。海水浴客ではないだろう」
「そうだ、あとは、何処かで海に落ちたどざえもんが、引っ掛かったか」
組合員らは、いろいろと噂をしていた。
私は、
(これは、きっと、あの子に違いない)
と胸騒ぎがした。
(女だというし、しかも、小柄だというし、赤い水泳着は、あの子が着ていたのと同じ色だ)
組合の調査の結果が出た。
やはり、人間の体の一部だということが明確になり、組合は、警察に連絡した。
大磯署の捜査は、当然のように、スクリューに絡まっていた人間の確定に向けられた。
町に行方不明の人がいないかどうかの捜査が、行われた。
私は、おじさんといっしょに、警官の前に出頭し、不明のあの子のことを話した。
捜査官は、われわれの話に関心を持ったようだった。
スクリューに絡まった遺体は収容され、解剖に付された。並行して、遭難地点の海中の捜索が行われた。失われた頭部の捜索とさらなる証拠物の収集のためだ。
私達は、知っているかぎりのことを、警察官に伝え、捜索願いを正式に提出して、家に帰った。
私は、その日、居間に寝ころんで、天井の染みを見ながら、しきりに、あの子ことを考えていた。
(漁船に巻き込まれたのは、果たして、あの子なのか。その可能性は高い。あの子は、あの嵐のなかで、漁をしていたのか。それとも、何処かに身を隠しているのか。父親の看病に疲れて、失踪したのか)
色々な可能性が、浮かんでは消えた。そのなかで、あの事故の犠牲になったということが、一番、悲惨で、悲劇的に思われたが、あの子の最期としては、一番相応しいようにも思われた。看病に嫌気がさして、いなくなってしまうなどということは、最もあの子に相応しくないように思われた。
(あの子は海の中で、潜っているときに、召されるのが、最も似合っている)
私は、そこまでは、考えたが、それ以上は、無理だった。それ以上というのは、リアルな現実として、あの子の死を捕らえることだった。昨日まで、あんなに元気一杯で、健康そのものだった生命体が、今日は消滅してしまっているということが、実感として捕らえられないのだ。
(人の生命とは、そんなにも儚いものなのか)
私は、そういう疑念にたじろいだ。深い恐怖心が、浮かんできたが、それを打ち消そうとしているうちに、港へ行った疲れもあって、いつの間にか、まどろんでいた。
その癒しの眠りのなかで、私は、短い夢を見た。
ーー 海草が揺らめく明るい海の底で、魚たちが、祭りを開いていた。赤、青、黄色の色とりどりの魚たちが舞い躍っている。笛や太鼓の歌舞音曲の中で、海上の真ん中の少し高くなった舞台では、大きな蛸が、裸の美女に巻きついて、くねくねと身をくねらせていた。美女は、悲しみなのか、喜びなのか、その混じり合ったように顔を歪め、歓声を上げていた。それは、高い叫び声から低い唸りまでと、変化に富んだもので、それだけで、一曲の音楽のようだった。蛸の赤い色と、美女の白い肌の色のコントラストが強烈だ。
見ている私の視線は、その苦悩と歓喜に歪む美女の姿に集中していた。それは、綾の顔つきだった。
舞台は、続いて、裸女の抵抗も虚しく、いよいよ、最期の瞬間になりかかっていた。すると、赤銅色の肌をした男とも女ともつかない強そうな青年が姿を見せ、蛸に襲いかかった。素手で蛸に挑んだ青年は、蛸が、美女を放した瞬間に、美女を救い出したが、長い脚に、今度は、自分が捕らえられ、絡まれていった。先程の美女の身代わりになって、青年は、締めつけられ、最後にはとうとう、頭から、順番に飲み込まれ、姿を消した。蛸は、満足そうに、ゆっくりと歩いて去り、魚たちの饗宴も終わったーー。
青年が、蛸の体内に飲みこまれてしまったとき、私は、恐怖にかられて、ガバッ跳ね起きた。身体中に汗が一杯だった。
寝起きは、不愉快な気分だった。それを癒そうと台所に行って、水を一杯飲んだ。
私は、綾と孝子がどこにいるのか、探した。
二人は、二階の和室で寝ていた。
別荘に来てから、毎日のように、海に行っていたから、疲れもピークに達しているのだろう。二人とも、健やかな寝顔だった。
汗が気持ち悪かったので、風呂に入ろうと思った。
こんなに暑いのだから、沸かしてなくてもいい。水風呂でもいいから、と考えて、風呂場に行った。風呂場には、海で使った眼鏡や足ヒレやシュノーケルや銛が置いてあった。水で洗い流したままになっていたのだ。
私は、冷たい風呂に入りながら、
(僕があの子に上げた水中眼鏡はどうなったのだろうか)
と考えた。
(蛸が丸ごと飲み込んでしまったように、あの子の持ち物は全てあの広大な海が飲み込んでしまったのだろうか)
少くとも、港では、水中眼鏡が上がった、という話は聞かなかった。
眼鏡を考えていたら、それと交換にあの子がくれた貝の首飾りのことが思い出された。 (あれは、綾に上げて、綾の小物入れにしまってある)
それは、安心だった。もし、あの子が、本当に死んでしまったのなら、私はあの首飾りを取り戻して、あの子の柩に掛けてやろう、と考えていた。
私達が、大磯に来て一週間が過ぎていた。
最初の日と同じように、八日目のこの日も、朝から抜けるような青空が広がった。気温もぐんぐん上がり、台風の惨禍が嘘のようだった。
だが、夏の嵐がもたらした惨劇の調査は、地道に進められていた。
遺体の司法解剖の結果は、
「女性の子供で、血液型はO型。生体反応があることから、死後切断されたのではなく、切断されたことが、死因と考えられる。死因は、首を綱状のものに巻かれての切断死」
と出た。
海底の捜索でも収穫があった。転覆事故に会い沈没した漁船の近くで、この辺では珍しい大きなタコが見つかった。潜水夫が、そのタコを捕まえて見ると、異常に重いのに気が付いた。潜水夫は、タコを岩場から無理に剥がし、何かを抱え込んだままのタコを引き上げた。船上にあげて、タコの抱えていた物を見ると、それは、人の頭だった。首から下が、スッポリと切断されていたためか、顔は傷ついておらず、奇麗だった。水中眼鏡のゴムが、絡みついていた。ゴムが顔が傷つけられるのを防いだのだった。
町の人は、それが、誰だかすぐに分かった。
引き上げた漁船に乗っていた漁師の一人が、
「これは、浜の家の清子だぞ」
と大声を上げた。
目を瞑ってはいたが、太い眉毛と二重目蓋の大きな目が、特徴的だった。それに、はっきりした鼻や口の特徴が、紛れもなく、その頭が、清子だ、と語っていた。
警察は、学校に行って、清子の健康診断結果を入手し、上がった死体の体の特徴と比べたが、身長、体重など身体の特徴が完全に一致した。血液型も同じだった。
そうしたデータを総合的に判断して、警察や関係機関は、清子が、嵐の海上で潜水作業中に、大波で流された漁船のスクリューに巻き込まれ、首から上を切断されたもの、と断定した。
その頃、緊急入院していた父親の容体が、急変した。身元の引受人のような格好になっていた管理人のおばさんは、呼び出しを受けて、病院に駆けつけた。
だが、病院に着いたときには、すでに、父親の命の火は、消えていた。
それは、突然の変化だった。一時は、小康状態だった病状が急変したのは、何故だか、分からなかったが、私は、それは、あの子が呼んだのではないかと想像していた。或いは、父のほうが、清子の頭部の発見を呼び寄せてから、役目を果たしたとみて、息絶えたのか。
立ち会った医師は、おばさんに、
「患者さんは、最後まで、清子という名前を呼んでいました」
と言った。
司法解剖から帰ってきた清子の遺体と病院から帰ってくるだろう父親の死体を待って、葬儀が、営まれることになった。
といっても、身寄りがない二人だから、喪主もいない。喪主は町内会長が務めることになり、葬儀は町内会の尽力で、簡素に執り行われた。
私は、従姉妹二人と、管理人の夫婦と一緒に葬儀に列席した。
綾も孝子も出席を渋ったが、私が、
「あんなに楽しく遊んだんだから、見送りに行こうよ。だって、死んでしまったんだよ。あんな若さで。この世からいなくなってしまったんだよ」
私は、説得した。最後は、声がかすれて、目から熱いものが、流れ出た。二人の従姉妹も泣いていた。これまでの人生で、人の死をこんなにも身近かに感じたことはなかったから、どうしていいのか、途方にくれるのは当然だ。
町内会長さんと町の福祉の職員さんとが、なにやかやと忙しく動き回り、式を仕切っていた。
読経を上げる僧侶もやって来ていて、僅かな出席者の前で、葬儀が始まった。長い、読経の押し込めたような声が、暑さでうだる真夏の昼下がりの静寂(しじま)を破って、家の外の流れ出ていった。読経の途中で、漁業組合の人が現れて、厳かに抱えた白い箱を運び込み、白い布に包まれたものを柩のなかに入れた。
私は、あれは、あの子の頭だ、と分かった。
祭壇には、二つの柩が並んでいたが、いずれもただ、板を組み合わせただけの簡素な作りで、それがいかにも、死んだ人を送る儀式そのものを単純に表している感じがして、人々の気持ちを率直にさせていた。
私は、顔を見たくなった。あの子の首に、あの子がくれた貝殻の首飾りを、掛けてやりたいという激しい衝動を覚えた。
読経が終わると、司会をしていた町の福祉の職員が、
「御焼香をお願いします」
と言った。
僅かな参列者だったから、焼香もすぐに終わった。
私は、祭壇の横に行って、その職員に事情を話した。職員は、二段になった柩の下の段の覗き窓を開け、
「どうぞ」
と機械的な声でいった。
私は、覗き窓の中を見た。そこには、あの子の日焼けした顔があった。それは、美しい寝顔だった。輪郭のはっきりした曇りのない顔は、あの子の物だった。私は、その美しさにうっとりとなり、暫し、言葉を失っていた。
(この顔には、あの貝殻の首飾りが一番似合っている)
私は、そう思った。すると、あの子の顔の後ろに、五つの光の輪が現れ、私の目を射た。私は、目がくらみそうになり、覗き窓の扉を閉めた。
そして、立っている係員に、
「これを、柩に入れてください」
と言って、持ってきた貝殻の首飾りを渡した。
葬儀は、僅かな時間で終わった。二つの柩は、霊柩車で焼き場に運ばれていき、私達は、道端で、それを見送った。
一緒に頭を下げて、車の行くのを見送ったいた綾が、私の耳に囁いた。
「わたし、さっき、酷い夢を見たの。とても怖かった」
綾は、別荘への帰り道に、その話を私にした。
ーー わたしは海に潜っていた。沢山の魚が泳いでいた。わたしは、魚たちと戯れていたが、ちょっと、油断をしたすきに、首に掛けていた赤い珊瑚のネックレスを、後ろから突然姿を見せたイルカが、奪っていったの。わたしは、必死で追いかけた。でも、イルカはとても速くて、なかなか、追いつけない。やっと追いついたかと思うと、すぐ、離れていってしまうの。そうして、追いつ追われつしながら、いつの間にか、大分、深いところまで潜っていった。すると、海底に、素晴らしい宮殿が見えて、そのなかに、イルカは、入っていったの。わたしも後を追って、中に入ったの。玄関から室内に入った瞬間、そこに大きなタコが現れて、私を捕まえた。私の頭のうえから覆いかかり、珊瑚の首輪を奪おうとした。わたしは、必死で抵抗した。もみ合っているうちに、色が黒い美しい青年が現れ、タコに襲いかかって、わたしを助けてくれた。わたしは、腰を抜かしながらも、やっとの思いで、逃げだし、逃げたイルカをまた、追跡した。
イルカは、宮殿の外で、そういう一部始終を見ていて、私が出ていくと、また、逃げだした。わたしは、後を追って、浮上し、追いかけていったけど、結局、追いつけないの。尻尾を掴んだと思ったときに、イルカは口に挟んでいたわたしの珊瑚の首飾りを、取り落として、首飾りは、海底に向かって落ちていったーー。
「そこで、わたしは目覚めたの」
それは、私が見た夢と、一体をなしているのではないかと思った。
(その青年は、死んでしまったのだよ)
わたしは、綾にそう言おうと思ったが、止めた。どうせ、そんなことを言ったからといって、現実が変わるものではない。あの子は、死んだ。それが、冷然とした厳しい現実なのだ。
私は、その事実に正面から向き合わなければいけないと思っていた。
それが、人の成長というものでもある。大人になるためには、いろいろな現実に直面しないといけない。あの子の死の現実は、その最初の一歩なのかもしれない、とわたしは思っていた。
「看護婦さん。やっと、目覚めたようですよ」
白い服をした女が、壁のインターホンを手に、叫んでいた。
部屋は、真っ白だ。私は、鋼鉄製の白いベッドに寝ていた。白いシーツと白い布団のなかに、横たわっていた。
看護婦が、医師と一緒に部屋に入ってきた。
「話は終わりましたかね」
医師が聞いていた。
「ええ、いつもの、あの話でした」
女が答えた。
「薬が効いたのかな」
「それはどうですか。いつも、話しおわると、目が覚めます」
「薬が効いたという訳ではないのかな」
「さあ」
「いつも同じ話が終わると、戻ってくるのです」
「すると、症状は同じだね。残念だが、薬が効いたわけではない。これからも綾さん、大変でしょうが、頑張ってください」
医師が、白魚のように白い女の手を握った。
窓には格子が入っている。その格子から、外を見ようとして、目の焦点をずらすと、最初に、ぼんやりとした輪郭の赤い珊瑚が見える。さらに、遠くを見ようとすると、珊瑚は、貝殻だけの首飾りに変わる。
私は、それが嬉しくて、何度も目の焦点を変える。
焦点が無限大になると、そこに必ず、あの子の顔が見えるのを知っているのだから。
(終わり)