「死体の遺言」 一 隠し子 天保十一年の師走。神田庵町の紅問屋、「山形屋」の前の路上を、子供の手を引いた三十がらみの女が、行きつ戻りつしていた。  女は黄八丈の簡素な着物に大島紬の丸帯をして、こざっぱりした身なりだ。子供は、男の子で、紺の絣の一枚着を着て、へこ帯を結び、裾が短かった。だが、よく糊が効いて、汚れはなく、二人の簡素で律儀な暮らしぶりを偲ばせていた。  女は、二、三度、店の前を行き過ぎては、戻ってきたが、四度目に、足早に急ぐ女の赤い鼻緒の草履を子供のほうばの下駄が踏みつけて、女がつんのめりそうになったのを機に、意を決して、子供の手を引いて、店の暖簾を潜って、店の中に入っていった。  店には、まだ、客はおらず、朝の水まきを終えた丁稚二人が、上がり框で茶を飲んでいた。  「あの、すみませんが、女将さんにお会いしたいのですが」  女は、丁稚に話しかけたが、丁稚では、用が足せないと分かると、  「番頭さんをお願いします」  と言いなおし、居住まいを正した。  丁稚が奥に引っ込んで、番頭の精次郎を呼んできた。清次郎は、いかにも、商売人という表情で、はげ上がった丸顔の相好を崩して、揉み手で表われて、  「何か、御用でしょうか」  と女に言った。  「女将さんにお会いしたいんです。私は、亡くなった旦那に目を掛けて頂いていた深川で小唄の師匠をしている美代香という者です」  女は、そう名を名乗った。  「はい。ところで、どんな御用でしょうか」  「それは、女将さんに直接、お話ししないと」  取りつく島のない応答に、清次郎は、事情を察して、奥に取り次いだ。  女将の久乃は、奥の茶の間で煙管を口に、朝の一服を楽しんでいた。朝、仕事に取りかかる前に、一服するのが、夫の富三郎が亡くなってからの、久乃の日課になっていた。朝の食事のあと、こうして角火鉢の前で、一服すると、心が落ちつくのだ。  「女将さん。子供連れの女が、会いたいといって、表に来ておりますが」  清次郎の報告に、久乃は、  「女って、何の用だい」  「それが、直接、お話ししたいと」  久乃は、天に向かって、煙を吐きだしてから、その煙の登って行く先を追って、天井を見つめながら、  (また、女だ。今度は何なのか)  と考えた。  子供連れの女なのだから、商売の話でないことは、確かだ。商売の話なら、表で用事が済むはずだ。それが、直接、私に会いたいというのだから、家内に関係することだろう。  (まったく、もう。こりごりしているのに)  そう、思って、悪気がしたが、家に入ってきてしまっているのだから、追い返すわけにも行かない。それに、子供を連れているという。ここは、穏便に話して、お引き取り願おうと、  「分かりました。奥へ上げておいておくれ。追っつけ行くから」  と清次郎に命じて、立ち上がった。姿見の前で、身つくろいを確認してから、二人を上げた奥の客間に出ていった。  女は、端然として正座し、連れの男の子も、真っ直ぐに背骨を延ばして、かすかにも動かず、前を向いて、正座しており、二人の決意の強さを伺わせた。  「私が、女将の久乃ですが、どんな御用ですか」  久乃は、二人に相対して座って、これといった挨拶も抜きに、いきなり、尋ねた。これは、何かの覚悟をして、きりりとした顔つきをして座っている女への、最初の正確な一撃だった。  「はい。実は、私は、こちらの亡くなられたご主人に、目を掛けてもらっていた者で、美代香という者でございます。亡くなられたのを知りながら、お悔みにも参上いたしませんでしたが、それは、ご主人の言いつけを守っていたからで、ございます」  「言いつけというのは」  「はい。一切、私の存在を奥様には、知らせずにいてほしい、と申されておりました」  「それなのに、なぜ、姿を表したのですか」  「私は深川で、小唄を教えて生計を立てております。ですから、ここにおります小一郎一人くらいは、私の女手一つで育てて行けるという気持ちでしたが、小一郎の将来を考えると、やはり、父親のことは、はっきりとしておいたほうが良いと思いまして」  「すると、ここにおられるお子が、亡き主人の種だ、とでも言いたいのですか」  「はい、そのとおりでございます。旦那と私の間に出来た子供です」  「何を申されます。そんなことが、ありようもない」  久乃は、気が動転した。  なぜなら、相思相愛で一緒になった二人は、子供が欲しくて、長い間、色々と試みてみたのだが、いずれも、いい結果を得られないままに、とうとう、夫は、先に逝ってしまたったのだから。  「そんなことが、ありえようことはない」  久乃は、そう叫んで、目前に座って、微動だにしない母子を凝視した。  「何か、証拠でもお持ちか」  久乃は、きっとなって質した。  「はい。ここに書き付けを持っております」  女は、着物の袂に手を入れて、一通の書き物を取り出した。  白い和紙に、  [小一郎の認知のこと]  という表書きがあるのが、見えた。  「これで、ございます。お確かめください」  女は、恭しく、その書類を久乃の膝前に差し出した。  久乃はそれを右手で受け取り、さっそく開いて、中身を読んだ。  [私儀、この書面を持参せし女子との間にもうけし男児、小一郎を我が子と認め候。天保十年五月吉日 山形屋主人、富三郎]  至極、簡潔にそれだけ書かれていた。  「たしかに、その子が亡夫、富三郎の子であると、書かれているが、これだけでは、どのようにでも、なるのではないかい」  久乃は、女に聞いた。  「と、申しますと」  「この書面が、間違いなく亡夫の書いたものなのかどうか。確かな証拠がなければ。私としては、認められない、ということですよ」  「でも、確かにこの書き付けは、旦那さんが、私の面前で認めたものですよ」  女は、やや、気色ばんで、久乃を、きっと、見返した。  「ところで、それがまこと亡夫の記したものだとしたら、貴方は、何をお望みか」  その気迫に押されて、久乃は一歩譲って、女の要求を聞いてみる気になった。  「旦那様が亡くなられてから、月々のお手当てが、戴けなくなりました。その支払いを今後ともお願いしたいのと、できれば、形見分けもして頂ければと」  「なるほど、そうですか。亡夫は、月々、あなたにお手当てを出していたのですか。それで、いかほどでした」  「はい、月に丁度、一両ほどでございました」  久乃は、このような支出が行われていたことを、一切知らなかった。そもそも、亡夫にもう一人、このような隠し女がいて、しかも、子供までもうけているということなど、まったく、寝耳に水の話だった。  もっとも、一月前に、夫が久乃のまったく知らぬ女と心中死を図ったことは、これ以上の衝撃だった。まったく突然襲ってきたこの悲劇に、久乃は打ちひしがれ、その哀惜と悲痛の縁から、やっとの思いで立ち直った今になって、新たな難問が持ち込まれたのだった。 久乃は、  (夫との三十数年に及ぶ夫婦生活は、一体何だったのか)  と改めて、考えざるを得なかった。  (そもそも、二人が一緒になったのは、お互いに愛し合っての末のことだったのに)  久乃は、そもそもの夫との慣れ染めの頃を思い出していた。    夫の富三郎は、江戸で一番の大店の紅問屋「近江屋」の番頭だった。生まれは、甲州の農家だったが、三男四女の子沢山だったため、次男の富三郎は、村の慣習に従って、奉公に出された。出入りの蚕商人のつてで、近江屋に丁稚奉公に出た富三郎は、この商売が性に合ったのか、寝るのも惜しんでの働きで、主人に認められ、番頭にまで登り詰めた。  紅問屋の番頭は、年に一度、産地へ紅の仕入れに行くのが、恒例になっている。富三郎が、番頭になって二年目の働き盛りに、訪れた出羽の国・尾花沢の地元紅問屋で働いていた久乃と知り合ったのは、その旅の時だった。  久乃は、尾花沢近郊の紅花農家の娘で、この家もやはり、三男三女の子沢山だった。久乃は、三女だったため、ここでも、当然のように、行儀見習いをとこの問屋に奉公に上がっていたのだった。  富三郎三十三歳、久乃二十五歳の年に、二人は、はじめて出会い、愛しあうようになった。  富三郎は、半月程、この問屋に逗留して、近郊の生産農家を訪れては、直接仕入れたり、市場で競りに参加したりして、売り物の紅の原料を吟味していた。その年は、例年になく実りの良い年で、品質のよい紅花が大量に手に入り、富三郎は、毎日、明るい気分で、宿の問屋に帰ってきた。  忙しく動き回り、てきぱきと指示を出す富三郎を何かと面倒を見たのが、家の賄いを任されていた久乃だったのだ。  富三郎も久乃の甲斐甲斐しい働きぶりが、気に入っていた。そして、自然と気持ちが近寄って、富三郎は、江戸に帰る日の前の日に、  「俺と一緒に、来てくれないか」  と久乃に打ち明けたのだった。何事にも、慎重な富三郎は、それ以前に、逗留している地元問屋の主人に、  「久乃を江戸へ同道したい」 と申し出、話を通していたから、問題はなかった。  だが、久乃には、突然の話だったので、実家に挨拶もしないままに、あわてての江戸行きだった。  二人は、富三郎の借家の一軒家で、所帯を持った。半年ほどは、世間にも知らせず、ただ、近江屋の主人にだけは、富三郎は、  「近いうちに身を固めるつもりです」  と打ち明けておいた。  主人は、その話を聞いて、  「それはめでたい。お前にもそろそろ、暖簾分けをしてあげないといけないな」  と言った。  そして、二人が一緒に住むようになってから一年ほどして、主人は、  「長い間の奉公、ご苦労さん。いよいよ、自分の店を持つ時が来たよ」  と言って、暖簾分けを認め、そのための資金をくれた。富三郎は、予てから目を付けておいた神田庵町の空き店を手に入れて、独立した。  正に、順風満帆の船出だった。  二人は、自分たちの店を持って、いままで以上によく働いた。店は順調に発展し、売上は倍々に伸びていき、使用人の数も増えた。暖簾分けしてから十数年もすると、山形屋は、本家の近江屋と肩を並べる江戸で一、二の大店になっていた。  そういう順調な暮らしの中で、唯一、気掛かりは、子供が出来ないことだった。  子宝に恵まれるよう、医者にもかかり、神仏にも頼った。受胎に効くという湯治場にも夫婦で出掛け、様々な漢方薬も試してみたが、一向に子供が出来る気配はなく、養子を考え始めたところだった。  掛かりつけの婦人科医師にも、詳しく診察してもらったが、医師は、  「ご婦人の方には、問題はないようだ。いつでも受胎できる健康な体です。だが、ご主人の方の種が少々薄いようですな」  と見立てた。  富三郎は、その見立てには、若い頃のことで、思い当たる節があった。甲州にいたころ、近郷近在におたふく風邪が流行し、五歳の富三郎も、その病に罹感したことがあった。  村の古老が言った、  (あの病に罹ると、子供が出来なくなることがある)  という言い伝えが、村の皆を恐怖に陥れた。  そのことは、父や母も知っていたが、罹ってしまったとあっては、まずは、病を直すことが、肝心だ。  「うんうん」  と熱にうなされて苦しむ幼い富三郎を、母は、必死で看病を続け、どうにか、命は取り留めた。  (あの、病気のせいかもしれない)  久乃と一緒になったときに富三郎は、  「これからは、何でも夫婦で話し合って、隠し事はしないようにしよう」  と言い、それが夫婦の約束でもあったから、富三郎は、そのことを正直に、久乃にも話していた。  だから、久乃は、不妊の原因は、夫の方にあると信じていた。  (あの人は、子供ができない体なのに) そういう思いが、久乃の心を占領していた。  (だから、ここにいる子が、亡夫の子であるはずがない)  久乃は、そう確信していた。  だが、女は、続けて言う。  「旦那様は、この子を自分の子と信じて、私が妊娠したときに、とても喜んでくれました。生まれてからも、本当に、目の中に入れても痛くないような可愛がりようでした。小一郎、小一郎って、家に来てくれたときは、抱いたまま離さないのです。その可愛がり振りは、近所でも評判なんですよ」  女の言葉は一々、久乃の心を刺した。  「妊娠」「喜んだ」「可愛いがりよう」「抱いたまま」・・・・・・・。 それは、久乃が、もっとも望んでいたことだ。そのずべてを富三郎は、この女の元で味わっていたのか。  「そうですか。この書き付け以外にも、そういう姿を目にしたというご近所の方の証言もあるということをおっしゃりたいのでしょうね」  思わず声が上擦った。  すると、  (あの人が、私に内緒で、女に子を生ませ、可愛がっていたのか)  という悔しさが胸を突いてきて、久乃はすぐにも、その場を立ち去りたい気持ちがした。だが、ここは、自分の家ではないか。そう考え直して、こう反論した。  「亡き夫は、日頃から、几帳面な性格でしたから、亡くなる直前まで、自分が死んだあとのことを考えて、気になることと必要なことは、全て、書き物に残していました。店の収支、商品の在庫数と額から遺産の処分の仕方まで、事細かく書き残しておりました。それなのに、一番肝心なこの子供のことや貴女のことなどは、一切、何も書き残していませんよ。ですから、私にもこの事は、全く、寝耳に水の話なのです」  久乃は、精一杯の気丈さで、そう言ってみたものの、言葉には気負ったほどの力はなかった。  それは、確かに富三郎は、覚悟の上の”心中”を図るにあたり、後顧の憂いを残さぬようとの配慮からか、店のこと、家内のことの締まりを、ほぼ完璧にしてて死んだのは事実ではあるが、そもそも「心中」という事態は、久乃にとって、全くの予期せぬ出来事だったからだ。  だが、久乃は、この事件も、奉行所の役人が言っていたような「相対死」であるはずがない、と考えていた。これは、なにかの間違いに違いなかった。夫は、なにかの陰謀に巻き込まれたのだ、と信じていた。  (こんなことになっていいのだろうか)  と久乃は、思う。  (こういうことが、夫の死と重なって起きるとは。なにかの祟りに違いない。祟りを逃れるには、どうすればいいのだろうか。逃げるのか、立ち向かうのか。もし、夫だったらどうするのか)  と考えて、久乃は、  「そういうときは、とにかく、なにかをすることだ。やれるだけやってみることだ」 という亡夫の言葉を思い出し、そう心に決めた。  この情死の真相の解明は、いまは、南町奉行所の役人の手に委ねられている。久乃がいくら、いい募っても、証拠がないかぎり、聞いてはもらえないのだ。そして、久乃には、役人の推理を覆す証拠はなく、ただ、確信だけがあった。  また、役人の推理通りに、夫の死が「心中」であるとすると、事態は深刻になる。武士が権力を握っているこの時代に、一介の町人にすぎない小商人が、ご禁制の情死を遂げたとすると、その咎は、肉親にも及ぶ。店の取り潰しという最悪の処分も覚悟しなければならない。現在は、店の営業は禁じられてはいないが、それも奉行所の捜査の結果待ちの状態なのだ。  夫と二人で築き上げた、山形屋の身代は、いまや、危急存亡の縁にあった。    女から受け取った書き付けにじっと目を凝らしたあと、久乃は、  「とにかく、あなたの言われることは、私には理解できかねますので、あなたのお望みを、すんなりと、はいそうですか、とは承服できません。あなたが納得いかないのなら、町名主に相談されるなり、役所にお届けになるなりなさって結構ですよ。ですが、この書類では、町役人もあなたのいうことを、認めないと思いますよ」  と言い伝えた。  女は、  「まあ、そんなことだろうとは、思っていました。今日は、初めてお会いしたばかりですから、いったんは引き下がりますが、こちらは、この書き付け以外にも、たくさん証拠を持っています。私のお願いを聞いて頂けないとなれば、第三者に判断して貰わなければならないでしょうね。役所に届けていいのですね」  と尻を捲った。  久乃には、それは、望むところだった。すでに、夫の情死事件には、奉行所の捜査の手が入っている。こうなれば、この女と子供のことも、まとめて、お役所に結論を出してもらった方が、気持ちがすっきりするし、今後のためでもある。あとを引かさないためにも、そうしてもらった方がいい。  久乃は、  「それで結構です」  と明確に回答した。  その言葉を聞いて、直接交渉では、埒が開かないとみた女は、子供の手を引いて、帰り支度を始めた。  店の暖簾を潜って、道に出た女と男の子の二人連れが、大通りの木戸口を出ていく姿を、久乃は店の前に立って、最後まで見送った。  (本当に、あの子が亡夫の子供ならば、引き取って育てるのもやぶさかではないのに。本当にそうならば、私を納得させるものが欲しい)  子を成さずに、長年連れ添った夫に先立たれて、寡婦になった久乃は、身も心も文字通りの孤独だった。  (こんな時こそ、心の許せる肉親が居てくれたら。そして、それが、わが子なら、少しは気も安まるのに)  深い寂寥感の中に落ちていた久乃であったが、彼女には、まだ、立ち向かわなければならない沢山の現実があった。  夫の心中事件の真実を解明し、店を救うことが、その最大の問題だった。    二 相対死  山形屋の主人、富三郎の情死事件の捜査を担当したのは、江戸南町奉行所の同心、飯山清衛門だった。五十石取りの旗元の武士の家に生まれた清衛門は、次男坊だったので、跡取りのなかった遠縁の飯山家に幼い時に養子に入った。成人して、やや格上の百石取りの幕府御納戸所祐筆の武家から妻を娶ったが、この女が、悋気気質の上、何かというと実家の家柄を鼻に掛け、飯山の養母とともに共同戦線を張って、夫を馬鹿にした。針の筵の我が家より、なにかと、外出も多い、いまの奉行所役人の仕事が、気に入ったいた。それに、江戸の町を歩いて、庶民と気楽に話をしているのが、仕事の内でもあるので、そういう仕事は、開けっ広げの性格の清衛門には合っていた。  事件直後に、知らせを受けて、赴いた情死事件の現場は、いま思っても、凄惨なものだった。  上野池之端の木賃宿の二階で異臭がする、という報告を、住人から受けた大家が、合鍵を持って、引き戸を開けて、中へ入ってみると、男と女が布団の上に倒れて、死んでいた。驚いた大家はすぐに、番所に飛んでいって、事件を届け出た。  季節は十月とあって、残暑の季節も終わり、時折、肌寒さも感じる日々もあったが、ここ数日は、温かい小春日和が、続いていた。  下っ引きの善太とともに、現場に急行した飯山清衛門は、部屋に入るなり、余りの死臭の凄さに、思わず、羽織の袂で、鼻を塞いだほどだった。それほど、死体の腐敗はすごかった。  部屋は六畳一間で、廊下側から襖を開けて入ると、南側の向こう側に雨戸が開いていて、畳に日の光が当たっていた。飯山が現場に着いたのは、お昼頃だったが、秋の陽光は眩しく、真っ直ぐに照りつけ、二つの死体を明るく浮かび上がらせていた。  部屋は真っ直ぐ南に面していたから、ほぼ一日中、日の光が当たっているのは、間違いなかった。死体は、その南側に頭を向けて、仰向けに倒れており、向かって右側が女、左側に男が並んでおり、女の右手と男の左手が、細い赤い糸で繋がっていた。  飯山は、その糸を手繰ってみたが、手首にきつく結ばれていて、解きほぐすことはできなかった。  二つの死体の頭の間に、「書き置きの事」と墨で鮮やかに書かれた書き物が置かれていた。  その側で、ハエが五、六匹、落ちて、死んでいた。  第一発見者の大家は、  「襖を開けると部屋中にハエが飛んでいたが、障子を開けた途端に、みんな逃げていった」  と言った。  飯山は、死体の実況検分に取り掛かった。  男の死体は、掛け布団が左にはだけ、右半身の腐敗は、左半身よりも進んでいなかった。女は、掛け布団を掛けていたためか、男にくらべると腐敗が酷かった。しかし、見た目には、そう変わらない感じがした。  飯山は、死体の口許に鼻を持っていって、臭いを嗅いだ。酷い異臭がした、それは、毒物中毒特有の鼻を突く臭いだった。  飯山は、遺書と見られる書き物を開いて中を読んだ。  [この世で思いが果たせぬ仲ならば、せめて,あの世で思いを遂げたいものと、心を通い合わせて、身を一つにし、三途の川を共に渡るつもりで、先立つことにいたし候。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。富三郎 春菜]  達筆だったが、女手のように思われた。春菜という女の方が、筆を取り、最後に二人で署名したらしい。  死体は、小石川の施療院に搬送された。そこの監察医、石川源幡の手で、腑分けが行われ、医学的に死因を探る。死亡時刻も推定できるはずだ。  解剖の結果は、飯山の推理を裏付けた。  ーー 死亡の原因は、青酸カリ系の毒物による中毒。死亡推定時刻は、死体の腐敗度から二、三日前。死体に切り傷、打撲といった外傷は認められない。以上のことから、男女同時に毒物を飲んでの服毒死と認められるーー。  死体の口の臭いといい、ハエが死んでいたことといい、服毒死は予想していた。数匹のハエが死んだのは、死体の呼気の毒にやられたのだ。  これらの結果は、二人の服毒心中の可能性を示していた。遺書の存在といい、赤い糸といい、全ての証拠は、心中へと向かっていた。そうならば、それぞれの肉親からの証言を得る必要がある。  この部屋を、女が借りていたのは、大家が確認した。大家の話では、女は、一月ほど前に間借りを申し出にきて、住み始めた。という。近所との付き合いはなく、何をしているのか、隣近所の住人も不思議だったが、時々、男が訪れるので、  「どこかのお大尽のお妾だろう」  ということに話が落ちついた。  「男がくると、三味線の音が聞こえた」  という住人もいた。ときたま外出するときの女の姿は、柳腰に小股の切れ上がったなかなかの美人だった、ということで、近所の人の意見は一致していた。  「そうなると、女は人別帳には、載っていないだろう。男の身元は」  と飯山が、考えていると、下っ引きの善太が、煙草の根付けの家紋を見付け、家紋帳で照合した結果、すぐに身元が分かった。  飯山は、善太を伴って、山形屋を訪れた。  応対した女将の久乃は、ここ数日、帰宅しない主人、富三郎の身の上を案じていた。町名主と相談して、番所に捜索願いの届けを出したばかりだった。  飯山の話を聞いた久乃は、  「なんですか。主人が、女といっしょに・・・・・・」  と言っただけで、あとは、言葉にならなかった。  だが、身元確認のために、小石川に出掛ける頃には、少し動揺も収まり、飯山は事情を聞くことが出来た。  同道する道すがら、久乃は、  「とても信じられません。あの夫が、心中するなんて」  と繰り返していた。  しかし、死体を確認して、間違いなく夫の姿だと分かると、  「どうして、こんなことになったのか、私は、本当のことを知りたい。お役人さん、お願いします。真実を解明してください」  と気丈に言っていた。  飯山は、その姿に、夫に裏切られた女の必死さよりも、むしろ、  「絶対にありえないことだ」  と信じる信念の強さを感じて、考え込んだ。  すべての状況は、心中を示しているが、そのことが、むしろ小骨のように喉に突き刺さり、素直に飲み込めなかった。  それに、長年のこうした情死事件の捜査の体験から、死体の腐敗の度合いが、不自然な感じがして、違和感があった。  (二人は、本当に心を通じあっていたのか。女は、たしかに妾だったのか。なぜ、死ぬ必要があったのか)  分からないことが、多すぎた。  その全ての疑問に答を出そうと、飯山は調べを始めた。  殺人事件の捜査の基本は、第一に、目撃者探しだ。飯山もこの基本に忠実に、二人の目撃証人探しを始めた。    二階家の下に住む大工の留五郎が、最初に、事情を聞かれた。  「上の女とは、交際はなかったのかい」  「そうな。越してきたときは、挨拶には来たが、それ以来、顔を合わせたときに、時候の挨拶くらいをするくらいだな」  「ここのところ、なにか変わったことは、なかったかい」  「四、五日前に、一緒に死んだ男が、やって来たのは、分かったよ。夕方になると二階から、三味線の音が聞こえてきて、男の歌い声が、混じっていた。多分、あれは死んだ情夫の声だ」  「昼間はどうだった」  「昼間は、おれは、仕事に出てしまうから、知らない。おれが、分かるのは、暮れの六つ時からだ」  「それで、その声は、毎日聞こえていたのかい」  「いや、五日おきぐらいだ。最後は、五日ほど前かな。その夜だった」  「何時頃まで」  「夜の子の刻くらいまでだ。いやに。遅くまで、うなっているな、と思いながら、寝てしまったので、覚えているよ」  「翌日は、男の声は聞こえなかった」  「そう。だから、もう帰ったのか、と思っていた」  「翌日は、物音は聞こえたかい」  「いや、静かだった。人がいる気配がなかったね」  「その翌日の三日前は」  「その夜は、人がいる気配があった。今度は、すこし若い男の声がして、言い争っていたようだった」  「どんな言い争いだい」  「なんでも、女が駄目だとか言うと、男が、仕方ないじゃないかとか、言うのが聞こえたね」  「その後は」  「もう、一昨日からは、何も聞こえなくなった」  留五郎は、それだけ言って、黙った。  飯山には、大きな収穫だった。男は、五日ほど前に部屋にやって来て、泊まった。女は、三日前まで部屋にいて、若い男が来ていた。それだけで、この女を巡る男関係が伺われる。  留五郎が、不在の昼間の様子は、どうだったのだろうか。  同時に、善太が、さらに隣の部屋に住む縫い物の賃仕事をしている松という中年の女に話を聞いていた。  「ちょっと、上の事件のことで、話を聞きたい」  女は警戒して身構えたが、善太の腰の十手を見て、畏まり、  「はい、何でも、聞いておくれ」  と居住まいを正した。  「上の女のことだが、なにか、気が付いたことはないかい」  「それは、わたしゃ、誰かに、聞いてもらいたかったんだが、男出入りが激しくてね。迷惑してるんだよ。昼間っから、若い男を連れ込んで、酒盛りをして、騒ぐんだからね」  「それは、いつのことだい」  「三日前がそうだった。上から二、三人の男のわめく声が聞こえた。それから、女のあの時の声が、糸を引くように聞こえて、すぐに、静かになったけど」  「あの時のって」  「決まっているじゃないか。男と睦みあった時の最後の声だよ。わたしゃ、もう大分、御無沙汰だけど」  「あ。そうか。それで、死んだ男は、こういう人相だが、見かけたことはないかい」  善太は、墨で描いた人相書きを見せた。  「ああ、この男ね。五日に一度ほど、やって来ては、泊まっていたね。最後に見かけたのは、五日くらい前かな」  「何をしていた」  「この男が来るときは、必ず、端歌を歌う。上の女は、あれでも、三味線が上手くて、その男が来ると、必ず、弾いて男が、歌を歌う。それは、あまり上手くなかったね。上達もしなかった。薄っぺらで、抑揚がないんだ。耳障りだったよ」  「ほかに、なにか、思いつくことは」  「そんなとこかな。これという、付き合いもなかったしね」  「有り難うよ」  そう礼を言って、善太は、引き上げた。  飯山は善太の報告を聞いて、自分の聞き込みと、ほぼ内容が同じだったので、二人の証言は、信用できる、と考えた。  腑に落ちないのは、死んだ男が通ってきた日と、女の声が聞こえた最後の日にずれがあることだった。  たしか、解剖の結果は、  「同時に、毒を飲んだと推量される」  となっていたはずだ。  証言と、この検視報告には、日にちのずれがあった。  役所に帰って、検視報告や久乃から出された「山形屋主人の捜索願」などの書類に、もう一度、目を通しながら、飯山は、事件を推理していた。  「捜索願」は、失踪の日を、五日前としているから、宿の住人の証言からも、この日は、間違いのないところだ。富三郎は、その日から行方不明になったのだ。  しかし、春菜という女のほうは、三日前まで、生きていたのだ。  (この二日間のずれをどうか考えたらいいのだろう)    飯山は、思案したが、納得のいく答えは見つからなかった。  (こんなときは、旨いものを食べて、気持ちを変えるのが一番)  と考えて、飯を食いにいくことにした。  (そろそろ、夕方の寒さも厳しくなってきたから、暖かい蕎麦でも)  と「藪蕎麦」に行くことにして、道を急いだ。  蕎麦屋は、そう込んでいなかった。  絣の着物に赤い前掛けをした娘が、  「なににしましょう」  と愛想良く、尋ねた。  「鴨南蛮を、一つ」  「はい」  「それから、一本ね」  と右の人差し指を立てて、頭を下げた。  こんな寒い夜は、暖かい蕎麦に、お銚子があればいい。  突き出しの小芋の煮物を肴に、ちょびちょびとやっているうちに、鴨南蛮が出来てきた。  「わしは、これが大好物なんだ。この鴨の肉と葱の取り合わせは最高だね」  最初に一口、鴨の肉を口に運ぶと、ふんわりとした鳥肉の風味が口の中一杯に広がった。それを出し汁に付けて、じっくり味わった。  だがどうも、何時もの味と、少し、違うような気がした。その違いは、肉の柔らかさだった。今日のは、どうも、少し硬いような気がした。  「お姉さん、この肉、いつものと違うのかい」  店の隅に立っていた賄いの娘を手招きして呼んで、聞いてみた。  「さあ、そうですか。私は、よく分かりません。主人を呼びましょうか」  女は、面倒なことにかかわりになりたくないという態度だった。客に商売品の文句を言われるのかと、警戒したのだろう。  主人が、奥から顔を出した。  「なにか、御用ですか」  「いや、わしは、お宅のこの鴨南蛮が大好物で、いつも頼むのだが、今日のは、何時ものとは味が違うような気がしたのでな」  「そうですか。さすが、お目が高い。というか、お口が肥えていらっしゃる。実は、今日は、今朝獲ってきたばかりの鴨の肉を使ったのです。ですから、少し、硬いかと」  「そうか、獲り立てなのか。では、いつものは、そうではないのか」  「はい、取り置きの肉を使っています。店の裏に洞窟がありまして、そこが冷蔵庫になっていまして、そこに二、三日、肉を置いておきます。すると、肉が熟成して、旨みが増すのです。歯応えを取るか、旨みを取るかですがね。今日は、こりこりとした旬の歯触りを味わっていただきました」  「そうか、熟成か。それは、どうやるのだ」  飯山は、興味が沸いた。  「そうですね、温度管理が重要ですね。寝かしておく場所の温度によって、熟成の速さが相当、違います。速すぎず、遅すぎず、というのがこつですね」  「そうか、温度か」  飯山は、納得した。そして、熟成よりも、獲りたての歯応えを味わうという硬い鴨肉をそれでも、全部、腹に収めて、満足して、帰宅した。    夜、寝所に入って、天井を見ながら、死体の腐敗のことを考えた。  蕎麦屋の店主は、  「鳥肉を冷蔵庫に置いて、熟成する」  と言っていた。腐敗の度合いは、温度の制御で、進度を調整することが、出来るのだ。人の死体の場合も、温度によって、腐敗の進行の速さは、変わってくるだろう。  それに、毒物を飲んだといっても、確かに、茶碗はあったが、薬を入れておいた瓶なり箱なりが見つかっていないのは、不思議だった。  (一体、二人は、一緒に薬を飲んだのだろうか)  と新しい疑問が、沸いてきた。  いろいろと、考えが、右に行ったり左に行ったりしているうちに、飯山は、数年前に起きたある「相対死」事件のことを思い出した。  それは、奉行所にも大きな衝撃を与えた事件だった。  飯山も、机を並べていた与力の高島俊太郎が、こともあろうに調べ中の夫殺しの容疑者、お通という女と、心中したのだった。  この事件は、飯山は、直接担当しなかったが、係の同役の話では、現場は、凄惨を極めたという。  事件の現場は、深川の船宿で、その二階の大川縁の六畳間に男と女が、死んでいた。二人は、  「五日ほど逗留する」  といって、宿の別棟の一軒家に投宿した。  そして、二日目の夜の食事の後、  「明日からは、二人きりで過ごしたいから」  と人払いをし、部屋に閉じこもった。  夏の盛りだったから、風通しの良い側縁で、そうやって寝て過ごす人も、いないわけではないから、中居たちは、その申し出に従った。  ところが、三日ほど過ぎても、姿を見せないので、逗留期限が過ぎた六日目に、様子を見に入って、死んでいる二人を発見したのだった。  届け出を受けた奉行所の役人が、現場に急行し、死体の状況を調べたが、男と女で死体の腐敗の進行度が違っていた。  高島の死体は、布団を被って、日の当たりやすい、南側に寝ていた。お通は、それより内側の日の当たりにくい、畳の上に布団をはだけて横たわっていた。  心中を伺わせる「遺書」もあった。そして、やはり、口が異臭で臭いのは、今回の富三郎の事件と同様だった。  解剖で、死因は毒物の飲用による服毒死と分かった。ただ、死亡推定時間は、女が二日前、男は四日ほど前と時差があった。  状況からは、心中と思われたが、調べに当たった役人は、この時差に着目した。  すなわち、同時に死んだのでないのなら、これは、明らかに、女が男を騙して、遺書を書かせ、毒を煽らせたあと、自分は後追い自殺を遂げた、と推理できるからだ。  これには、死んだ男が、調べに当たった役人の同僚ということも影響していたろう。  よりによって、事件の容疑者である女性と、調べに当たった役人が、心中したのでは、市井に示しがつかない。そういう、役人同士の保身の感情も、そういう決着を求めていた。  この事件は、そうして、そのように処置された。だが、飯山も、その話をした同役も、そうは考えていなかった。  (死んでいた位置が違って、腐敗の進行の度合いが違ったのだ)  飯山はそう考え、事件の調べをしているうちに、夫を殺さなければならない状況に追い詰められたお通の心情に同情した高島が、色白の美人だった女の魅力にも引かれて、いつしか愛するようになってしまい、世間に顔向け出来なくなって、死を選んだのだろう、と推測した。  この事件から、飯山は、  (解剖所見に、惑わされるな。解釈の仕方で、結論が正反対になることもあるのだ)  ということを、肌で学んだ。    その経験から、富三郎の事件を推理すると、  (今度は、前の事件とは逆なのではないか)  という閃きがあった。  今度こそ、本当に、犯行の時間差が、死後腐敗の進行度の違いで、解消された一件なのではないだろうか。  とすると、富三郎は、春菜にたぶらかされて、毒を煽り、死んだことになる。そして、春菜もその後、自分で後を追ったのか、それとも、誰かに、毒を盛られたのか。  そういう推論は、隣人たちへの聞き込みで得た証言とも一致していた。  「男は、五日くらい前に来て、後は声を聞かなかった。女の声は、三日くらい前まで聞こえていた。そのとき若い男の声も混じっていた」  と隣人は証言したのだ。  (ということは、富三郎は、五日前に死んだ。そして、春菜は、三日前くらい前に死んだのだ。だが、富三郎は、南向きの柱の影の所で死んで、布団も掛けていなかった。春菜は、日の差し込む窓側で、死んでいた。全身に布団が被さり、死体の温度も高かったのだろう。腐敗が速く進んだのだ。それで、死亡推定時間は、同じになった)  飯山は、そう推理の糸の端までたどり着いた。  (これは、心中事件としては、片付けられない)  翌日から、春菜と一緒にいたという男たちの捜査に本腰を入れよう、と決意して、飯山は、やっと、心地好い眠りに落ちた。    翌日、朝粥で空腹を満たした飯山は、「山形屋」に向かった。  もう一度、久乃に聞きたいことがあったからだ。  「おはようございます。先日はどうも」  暖簾を潜った飯山は、店先に出ている久乃を見つけ、歩み寄って行った。  「ああ、先日は、どうも」  夫の突然死の衝撃は、まだ、隠しようもないが、すこしは、立ち直って、元気が出てきたらしい。  「ここでは、何ですから。どうぞ、こちらへ」  招かれて、奥へ入った。  客間に入って、座布団を勧められて、座って待っていると、お茶が一杯出され、飯山は、それを啜った。  「飯山様、今日はどの様な御用ですか。家の人は、やはり、心中したんですかね。わたしには、まだ、納得が行かないのですが」  「その事だが、わしも、心中ということには、合点が行かないので、いろいろと調べたのだが、ある程度の、推測がついた。そこで、あなたにそれをお伝えしたいのと、いくつか、傍証が欲しい。それで、今日、こんなに早く、参上したということだ」  久乃は、少し崩れた襟元を前へ重ね直して、身を乗り出した。  「どんなことですか。わたしの知っているかぎりのことは、申し上げますが」  飯山は、自分の事件の推理を、簡潔に述べた。  そして、  「こういうことだと、わしは、考えるが、その部屋に来ていたという若い男について、心当たりはないかい」  「そうでございますか。すると、主人は、心中したのではないのですね。殺されたということなんですね。わたしは、絶対に、心中などすることはないと思っていました。そういうことなら、そろそろ、葬式の準備をしてよろしゅうございますね」  「そう、安心されてはこまる。あくまでのわしの推理だからな。奉行所として正式の決定は、まだあとになる。お奉行様の裁可がなければいけない。ところで、その男には、心当たりはないか」  飯山は、女将が質問の趣旨を外したので、重ねて聞いた。  「それが、実は、うちの使用人で、手代の権八の姿が見えないのです。ちょうど、主人が居なくなった五日ほど前に、用事で外へ出ていったきり、帰ってこない。それが、気掛かりなことと言えば、気掛かりで」  「その権八とやらは、どういう男だい」  「はい、主人の里の甲州の出ですが、主人の遠縁の姪の子供に当たり、主人は、こちらでは肉親が少ないだけに、とても可愛がり、身の回りの世話をさせていました。ですから、言ってみれば、主人専属で個人的な世話係、お上の祐筆のような仕事ですね」  「すると、主人が出掛けるときも一緒かね」  「そういうことが多かったですね。ですから、主人が帰ってこなくなった日も、最初に権八の居場所を調べたのですが、権八もいなくて」  「一緒にいなくなったのか」  「私も、それが、気になったので、店の者にいろいろと聞いてみたのですが、要領を得なくて。考えてみれば、それも頷けます。お忍びで出掛けるのを、いちいち店の者には言いませんからね。二人で密かに出ていったのでしょう、とわたしは、受け取りました」  「とすると、薄々、あなたもご主人の行動に、不審を抱いていたのですか」  「不審という程ではありませんが、それは、そういう関係も少しはあるとは、思っていました。なにしろ、こんなに長い間、一緒にいながら、子供が出来なかったのですから、寂しかったんだと思います。わたしは、その事が、引け目になっていたので、あまり、厳しくは問い詰めませんでした。許すという気持ちがあったのです」  「それは、ご主人の、女遊びをということですか」  「まあ、そういうことを含めて、主人の自由にさせてやろうと」  「他には、気になるようなことはありませんか」  この日の時点では、あの女、美代香は、現れていなかったから、久乃は、  「他には、特にありません」  とはっきり答えた。  飯山は、それだけ聞いて、山形屋を辞した。  こうなったら、その権八とやらの行く方を探るのが、近道かもしれない。だが、出ていったきり、帰ってこないのだという。  (人相書きの絵描きを出向かせて、似顔絵を描かせよう。それを持って、江戸市中を歩き回れば、何かの端緒を掴めるかもしれない)    飯山はそう考えながら、役所に出所した。  さっそく、上司の南町奉行所奉行、近海銀三郎に面会を求め、山形屋事件の捜査の方針を報告した。  「最初の現場検証の所見と解剖の結果では、情婦との相対死という判断でしたが、わたしは、違う見かたをしています。死んでいた場所の状態で、死後の腐敗の進行の度合いが違った。それで、実際には、死んだ日が違っていたのに、死亡推定時間が同じになった。実際は、二人は、同時に死んだのではなかった。女の方が二日ほど、遅かったと考えています。ですから、女が、あるいは、他の第三者が男に毒を飲ませて殺し、その後で、女が死んだ。これも、自殺か、誰かが毒を飲ませたのか、どちらかでしょうが。そういうことだと思います」  じっと、目を瞑って、話を聞いていた近海は、  「面白い判断だ。お主の言う通りだとすると、この事件は、複雑な様相になるな。他に手を下した奴がいるとなれば、そいつを探さねばなるまい。仕事が増えるぞ。というようなことを言ってはいられないが。よし、わしも、久し振りに、町に出て、手伝うかな」  「はい、有り難うございます。そうして頂ければ、百人力ですが、当面は、私にお任せください」  「そうか、では、お主の言ったような方向で、捜査を進めてくれ。その権八とやらの人相描きができたら、わしにも届けてくれ」  「かしこまりました」  飯山は、早速、絵描きを「山形屋」へ出向かせた。  帰って来た浮世絵師が、描いた絵は、昨今流行の「歌舞伎者」の風情が漂っていた。 長い揉み上げに長髪を前に縛った髪形。派手な黄色い着物に伊達巻きを締めて、それは、近頃、江戸の町を闊歩している若者やくざの姿そのものだった。もし、これが、御政道の掟が厳しかった江戸の中頃までだったら、すぐさま、番所にしょっぴかれたような風体だ。  「これなら、すぐにも、見つかるだろう」  飯山が、その絵を眺めながら悦に入っていると、隣の席から、  「こんな若者は、皆似ているから、見つけるのはそう簡単ではないぞ。人相描きは、特徴を誇張して描いているから、返って面倒だよ。皆同じ格好の群れだから、皆、似ている」  と同僚から茶々が入った。  (確かに、そうかもしれない。だが、こういうやくざな若者が出入りする場所は、決まっているのだ。賭場か岡場所に決まっている。そうでなければ、射的屋だ。そういう遊び場を徹底的に洗えば分かるさ)  と飯山は、鷹揚に構えていた。    三 不審死  それから、三日後、飯山が外での聞き込みから、役所に帰ってきた夕方の五時すぎに、山形屋から、緊急の報せが入った。  飯山に面会した使いの丁稚の小僧は、  「女将さんが、権八さんが帰ってきました、とお伝えするようにとのことです」  と声を震わせながら、透き通るような高音で用件を言った。  飯山は、おっとり刀で、山形屋へ、駆けつけた。  挨拶もそこそこに、真っ直ぐ、店の奥に入っていった飯山は、  「女将さんは」  と大声で、叫んだ。  「こちらでございます」  女中が、奥の使用人部屋に案内した。  飯山は、草履を放り投げるように脱ぎ捨てると、廊下を真っ直ぐに進み、屋敷のもっとも奥にある女中部屋に隣合わせた使用人部屋に向かった。女中の  「お役人さんがお出でになりました」  という呼びかけに、中から障子が開けられ、久乃が姿を見せた。久乃は、敷かれた布団の側に座っていた。  その布団のなかには、若い男が一人寝ていた。  「ああ、どうも、飯山様。さっそく、出向いて戴きまして、すみません」  久乃は畳に三つ指を突いて、挨拶した。  「いえ、どうも、これが、その話の手代かい」  「そうです。これが、手代の権八です。昨夜、へべれけになって帰ってきて、店の脇の木戸口の所で倒れているのを、丁稚が見つけて、家に助け入れたんです。相当な酔いようで、何を聞いても要領を得ず、仕方ないので、布団を敷いて、寝かせ付けましたが、以来、一度も目を覚まさずに眠り続けています」  「すると、帰ってきてからは、なにも、話していないのかい」  「いえ、それが、何処に行っていたのか、わたしも気掛かりでしたから、しつこく聞いたのです。すると、ふらふらしながら、なんでも、ドバでやられた、とか二、三度繰り返していましたが、それ以外は、何とも言わなかったようです」  「ドバというのは、賭博場、すなわち、博打場のことだろう」  「はあ、そうですか」  久乃には、その方面の知識はない。 飯山は、  (そうなれば、ことは簡単だ)  と考えた。  (このお江戸で賭場を開くのは、御禁制だが、そこは、蛇の道は蛇で、取り締まる方のこちとらも、どこでやっているかを知らないわけじゃない。ここ、数日で賭場を開帳したのは、どこかくらいは、すぐに分かる。そこを、洗ってみればいい)  その仕事は、岡っ引きの専門だ。  「ところで、この男、このまま寝かせておいて、大丈夫なのか」  そのあまりに大きないびきをかいて寝ている昏睡ぶりが、心配になって、飯山が、久乃に聞いた。  「はい。先程、玄庵先生に往診してもらいました。見立てでは、過度の飲酒による泥酔状態ということですから、一日、寝かせておけば、治るだろう、ということで、心配はいらない、ということでした」  「すると、単なる酔っぱらいなのか」  「先生はそう言っておられましたが。確かに、権八は、酒好きですが、こんなになるまで酔ったのを見たのは、初めてです。酒には強いほうでしたので、本当に、びっくりしてしまって」  久乃は心底、驚いているようだった。  「ところで、権八は、いつも、どこで飲むのだ」  飯山はそう聞いたが、久乃はそこまで承知していなかった。  「若いものに聞いてみます」  と言って、店に出ていってから、暫くして、戻ってきてから、  「なんでも、よく行っていたのは、神田の蕎麦屋で、松野屋という店だそうです。一緒によく誘われていたという丁稚がそう言っています。なんでも、お気に入りの女が、賄いにいるらしいのですよ。権八はその娘にご執心なのだそうです」  「蕎麦屋が気に入りの店なのか」  飯山は、にやっと笑った。それは、  (この若さで、蕎麦屋で飲む酒の味を知っているとは)  という感心と老長けた遊び人ぶりを思って、権八の気質の一端を見たような気がしたからだった。  飯山は、同道した岡っ引きの善太に言いつけて、さっそく、松野屋に走らせた。  善太は、事細かに、昨夜の権八の蕎麦屋での行状を聞いてきた。  「昨夜、権八が、店に行ったのは、八つ刻ごろで、すでに相当、酔っていた状態だったということです。権八は、この店の賄い婦で、鹿子という若い娘にご執心で、店に入るなり、鹿子を呼んで、お銚子を三本と蕎麦掻きを注文すると、それを肴に一人で、ちょびちょびやりはじめた。連れはいなかったそうです。お銚子が三本目に掛かるころには、もう相当、酔いが回り、卓台に突っ伏してしまう程の状態だった。それで、鹿子は、このまま静かにしてくれればいいと、そのままの状態で、置いておいたのですが、しばらくして、突然、大きな声でわめきながら、立ち上がり、両手を上に高だかと上げて、「ウオ−」と唸り声をあげた後、後ろ向きに倒れて、しこたま、後頭部を打ったのだそうです。その光景は、店員全員と店の客らが見ていたので、間違いはありません。そのまま倒れてしまったので、鹿子らが駆け寄って介抱したのですが、両手で振り切り、しばらく、床の上にうずくまっていた後、不意に立ち上がって、『お代を』と言って、勘定を払い、店を出ていった、ということです」  「そのあと、山形屋の木戸口に倒れていた、ということだな」  「そうでしょう」  「それで、その蕎麦屋に来る前は、どこにいたのかな」  「それは、だれも知りませんでした。ただ、すでにもうかなり、酔っていたのですから、どこかで、やっていたことは、確かでしょうね」  善太は、人指し指と親指で輪を作り、それを上に持ち上げて、お猪口をあおる仕種をした。  「こちらの話では、ドバでやられた、と言っていたというから、博打場にいたんだろう。昨日の夜、開帳していた賭場を洗ってくれ」  権八は、  「へい、合点承知で」  と受け負って、かねて、心当たりの博徒の親方の家に走っていった。  一刻ほどしてから、役所に戻ってきた権八は、  「昨夜は、深川の平次の所と、亀有の三五郎の所で、開いていたということです」  と報告した。  「酔って、蕎麦屋に姿を見せるには、そう遠いところではないだろう。亀有ではないだろうから、平次の賭場だな」  飯山は、そう判断した。  「おれも行くから、一緒に付いてきな」  二人は、連れだって、大川を渡り、深川の鳶の親方で、博徒の平次の家に向かった。  平次親分は、広い玄関の土間に臨む八畳間の奥にある角火鉢の後ろに、右の片膝を立てて、座りながら、煙管で刻み煙草を吸っていた。  脇に座って、火鉢の灰を火箸で掻いているのは、親分の女房の噂に高い小春姐さんに違いなかった。角火鉢の端に、茶碗が二つ、きちんと茶托まで付いて、並んでいた。親分は、いま、姐さんと夫婦水入らずの休息の時をゆったりと過ごしている最中だった。  この小春姐さんというのが、世間の噂話では、かなりの曲者なのだという。子分たちのもっぱらの評判は、  「親分は、あの姐さんで持っている」  というもので、子分の面倒見もよく、なにより、さっぱりした性格が、  「さすがは、江戸っ子の姐さん」  と好評だった。  「御免なすって。お楽しみ中を失礼します」  善太が、あいさつすると、親分は、玄関先を振り向いて、  「おお、善太か。今日は、何の用だ」  と端的に聞いた。  「はい、こちらは、南町奉行書の与力、飯山さまです。ちょいと、親分に聞きたいことが、あるんで」  「いや。突然、参上してすまんが、聞きたいのは、昨夜の賭場のことでな」  親分は、警戒する目つきになった。お目こぼしがあるとはいえ、御禁制の所業をしていることには、変わりない。  「へい。あのそのようなことは」  「いいや。博打を取り締まろうというのではない。それは、またの機会にだ。聞きたいのは、昨日の賭場に、紅問屋の山形屋の手代、権八が来ていたかどうかだ。どうだ、来ていたか」  「はい、そのとおりでございます」  「来ていたとすれば、博打をしたのだな」  「まあ、そんなところです」  「なにかあったか」  「なにか、と言いますと」  「変わったことはなかったかということだ」  「全く、早耳でございますね。飯山様は。よく御存知で」  親分は、目を丸くして、聞き返した。  「それが、もう、あいつのお陰で、昨日は、散々だったのですよ」  「どうした。詳しく話してみろ」  「それが、あいつは、昨日は、嫌についていて、始めから勝ちっぱなしで、大分、儲けたんです。殆どが、あいつの目だったんですよ。それで、途中で席を立って帰ろうとしたんですよ。いわゆる、勝ち逃げですね。われわれは、これでもそう悪辣なことは、しないようにしているんで、そういう客は、客の自由にしています。だから、われわれとしては、少し貸し金があったんで、それを差し引いて、精算しようと思ったんですが、連れの客が、ごねだしましてね」  「ごねだした」  「そう。権八、おまえ、勝ち逃げするのか、と言いだしたんです」  「それは、どんな奴だ」  「権八の連れの若い男ですが、われわれは、初対面でした。権八が連れてきたのです。身なりは、いま流行の歌舞伎者のような格好で、派手な色の着物を着て。伊達者ですね、あれは。髪形も月代を入れずに、伸ばしていて、さしずめ石川五右衛門の風情でした」  「そいつが、難癖を付けたのか」  「そうです。そうしたら、大分、酒が入っていた権八が、そいつに食って掛かったんです。いきなり、胸ぐらを掴んで、掴みかかった。だが、連れの男のほうが、体も大きいし、腕っぷしも強そうだった。権八の手を振りほどくと、胸ぐらを拳で、どんと突き返した。権八はぐらっとなって、後擦りしたが、すぐに、体勢を立て直し、もう一度、頭から突っかかっていった。そうしたら、そこへ、男の右手の拳が、直撃して、権八は、右目の上を殴られて、後ろへ仰向けに倒れたんです」  「畳の上か」  「いえ。頭の後ろに、丁度、柱があったんで、そこへ激しくぶつかりました。ぶつかってからは、へなへなと、崩れ落ちて、ぐったりしてしまった」  「ぐったりとなったあとは」  「顔を叩いても、意識が戻らないので、若いものに体を抱えさせて、別の間に寝かせました」  「介抱したのか」  「それほどのことはありませんが。こいつが、手拭いを冷やしてきて、頭に当てて、寝かしておいたんです」  親分は、隣の姐さんを指差して、言った。  「姐さん。それで、権八は、目を覚ましたのか」  「はい、しばらくして目を覚まして、驚いていましたが、よろよろと起き上がって、『じゃあな』と言って、帰っていきました。そういやあ、少し、呂律が回らなかったが、わたしゃ、酔っぱらっているためだと思いましたよ」  飯山は、また、親分に向き直り、  「ところで、その連れの若い男は、どんなやつだ」  「ですから、歌舞伎者のようでしたと」  「町人か、それとも、浪人風か」  「そうですね、権八を一撃で、やっつけたところを見ると、あれは、喧嘩に慣れていますね。普通の町人じゃねえ。わたしの見たところ、何処かの藩の江戸屋敷詰めのお武家の勘当されたどら息子といったところかな。家はなく、悪い仲間と船宿あたりに泊まって、遊び暮らしている輩でしょう。でも、金は持っていた」  「御禁制のこととはいえ、賭場に集まった客の名前は、控えてあるだろうな。奉行所は、お目こぼしなどしていないのだぞ。ただし、そういう管理をしっかり、しているところは、すこしは、目を瞑っているということなのだ。どうだ、客の名簿はあるか」  「それは、もう、ちゃんと、ここにありますよ」  親分は、姐さんに顎で合図を送って、後ろの茶箪笥から、大福帳のような綴りを取り出させた。  「ええと、あの男は、ここには、こうなっております」  親分は帳簿を、飯山の方に、差し出した。  親分が、指で差した所を見ると、そこには、  「津島喜八郎」  との名前があった。    翌朝、飯山が、役所で書類の整理をしていると、また、山形屋からの使いが来た、という報せが、表の受付からあった。  昨日とは違う丁稚が、緊張した面持ちで、立っていた。丁稚は、飯山の姿を見ると、面前に進み出て、  「女将さんから伝言です。権八さんが死にました、と知らせるようにとのことです」  飯山は、  「分かった。追っつけ顔を出すと、言ってくれ」  と伝えて、伝令の丁稚を帰した。  とは言うものの、山形屋へ出向く前に、これまでの捜査結果を纏めておきたかったので、部屋に戻り、机の前に座って、考えてみた。  この事件の要点は、三つある。  一つは、富三郎と春菜の変死は、心中ではなく、死んだ時間に差があること。これは、富三郎が先に服毒死あるいは毒殺され、その二日後に、春菜が服毒死あるいは毒殺されたという推理に結びつく。  第二は、春菜の死んだ日に、若い男が二、三人訪れていたらしいこと。これは、ますます、この事件の謀殺の可能性を示している。  三つ目は、富三郎の身の回りの世話係だった権八は、津島という若いやくざ者と知り合いで、博打場に姿を見せていたこと。これは、春菜の部屋に来た若い男が、彼らではないか、と疑わせるに十分だ。  こうみてくると、事件の輪郭がおぼろげながらに、浮かんでくるような気がした。  以上の三点を懐紙に書きつけてから、飯山は、山形屋に向かった。  真っ直ぐに、一度来たことのある使用人の部屋に向かうと、部屋の真ん中に、権八の遺体が、頭に白い布を掛けて、布団に横たわっているのが、見えた。久乃が、枕元に座って、茫然とその布を見ていた。遺体を挟んで、久乃の反対側に、掛かりつけの医師の玄庵が座り、やはり下を向いて押し黙っていた。  飯山が、  「これは、どうも。突然のことで、驚きました」  と久乃に話しかけると、久乃は  「いえ、私のほうこそ。すっかり酔っぱらって寝込んだものとばかり思っていましたから。急にこうなるとは・・・・・・」  と驚愕の表情を隠さずに言った。  そして、  「とても、病死とは、思えませんので、お知らせしました」  と付け加えた。  飯山は、玄庵の方に向かって、  「お医者殿、あなたの見立てでは、過度の飲酒による泥酔なのではなかったのか」  と尋ねた。  玄庵は、これに、  「はい、わたしは、そう思っておりましたが、こんなことになろうとは・・・・・・。わたしの長い治療経験でも、初めてのことです。これでも、二十年以上、この仕事しているんですが」  と言い訳やら、慰めやらつかぬ、言い方をした。  「となると、わしの方としては、変死事件として、死因を調べなければならない。解剖をするためにご遺体を少しのあいだ、預かりたいが、よろしいか」  飯山の問に、久乃は、  「それはもう。わたしは、権八の親代りですから、親として、承知いたします。なんなりと、十分に調べて下さいませ」  と承諾した。  権八の遺体は、小石川療養所に運ばれ、奉行所委嘱の監察医、石川源幡の手によって、解剖された。  石川が最も注目したのは、  「ふらふらと、酔っぱらったような状態が続いていた」  という証言もあって、やはり、頭蓋内だった。  一応、内蔵も全て摘出して検査したが、胃と腸に過度の飲酒によると思われるびらんが散見された以外の異常は認められなかった。  「それより、右の目の上の痣と脳との関係のほうが問題だ」  と石川は、鋸を手に、頭蓋骨の切断に取りかかった。頭を輪切りにして、頭頂部の骨を外し、中から脳を取り出して、調べるのだ。  助手に手伝わせて、頭蓋骨の切断を簡単に終えた石川は、すぐに、両手で脳全体を取り出し、脊髄へ続く根元を刀で切断して、脇の机のうえの盆の上に置いた。  そして、両手で回しながら良く観察すると、左側の後頭部に拳大の血腫があるのが、分かった。それが、脳を圧迫していて、その部分の脳が凹んでいた。  「これだよ、これ。この仏さんは、酔っぱらってふらふらしていたのではない。この血腫が脳を圧迫していたんだ。それで、体の均衡が取れなくなって、足元がおぼつかなかったんだ。頭の外側にも打撲の傷痕がある。強く頭を打って、血管に亀裂がはいって、じわじわと出血したんだろう」  立ち会っていた飯山も、この所見に納得した。  権八は、博打場での喧嘩で殴られたのが原因で、後頭部を強打して、脳内血管が破れて、内出血を起こした。出血は、じわじわと続いて、徐々に、脳内に広がっていったため、泥酔状態と同じ症状を呈した。それで、玄庵は酔っぱらったためと誤診したのだろう。     四 謎解き     こうして、権八の死因は、科学的に解明されたが、飯山の仕事は、ここからが始まりだ。権八を殴った津島喜八郎とやらの行く方を追わねばならない。  (権八は富三郎の使い走りだったのだから、その遊び友達の津島も、富三郎変死事件に何らかのかかわり合いがあると見ていいだろう)  飯山は、そう考えていた。  飯山は、善太に津島の身元の探索に全力を注ぐように命じ、翌日、自らも江戸城内の大目付けの詰所に出向いて、各藩の江戸屋敷の不審な若者の名前の洗い出しに掛かった。  大目付けの部屋には、各藩の江戸詰めの武士たちの動静の情報が集まって来ている。幕府は些細な情報も逃さず、不審な人物の人名録を整備している。いうならば、要注意人物の「ブラック・リスト」が完備しているのだ。  もちろん、これは、部外持ち出し禁止の極秘扱いの文書だが、昔、江戸城詰めのお納戸所に勤務した経験のある飯山には、ここに知人も多かった。  「いやあ。久しぶりですな。ちょいと、書類を見せてもらいますよ」  気楽に、当番の顔見知りの役人に声を掛けて、書見台に座り、その「ブラック・リスト」に先日、賭場で聞いた津島喜八郎の人相、風体と合致する人物が載っていないか、検索を始めた。  この帳簿には、ここ数年の間に、江戸在住の藩士とその家族、子弟らが犯した犯罪の罪名の日時、関係者、概要などが記されている。ほかに、徒党を組んで悪行を働く「連中」や「組の者」の仲間の首魁や組員の名前を記した名簿もあった。  飯山は、平次親分が言った「津島喜八郎」の名前を探すために、書類を繰っていった。帳簿の頭から着手して、昼頃まで、この作業に没頭したが、同じ名前は発見できなかった。昼食後、作業の手順が逆だったのではないか、とはたと思いついた。  そして、今度は、最後の方の記録から、時間を逆上って、見ていくことにした。  すると、間もなくして、向島地区の賭博事件の関係者の名簿の中に「津島」の名前があるのを発見した。  その在籍している藩名と所在地を辿ると、それには、「加賀藩江戸下屋敷在」とあった。これは、あくまで、今で言う戸籍簿のようなもので、現在居住しているところとは、明らかに違う。所属は、お納戸係中元とある。いつまでかは、そういう仕事に付いていたことがあると、いうことだろう。現在は、居場所も決まらぬ根無し草の遊び人なのだから。  加賀藩下屋敷は、江戸城から西北に二里程離れた板橋宿の近くになる。  (そんなに遠くから、深川まで博打を来る奴はいない)  飯山は、そう考えて、この記録を懐紙に転写して、下城した。  奉行所に戻って、  (さて、この記録だけでは、こ奴にたどり着く手立てにはならない。奴の出自が割れただけだ)  と考えていると、善太が、息せき切って、駆け込んできて、  「奴が、見つかりました」  と報告した。  「そうか。わしも、記録簿で名前を調べてみたが、奴は、加賀藩士だったようだ」  「そうですか。では、やはり、元は武士なんですね。それだから、腕っぷしが強いんだ。喧嘩に自信があるはずだ」  「ところで、見つかったというのは」  「はい、また、暴力沙汰を起こして、捕まったんです」  「なんだ、それでは、飛んで火に入る夏の虫ではないか。どこに捕縛されているのだ」  「深川澪通りの番所です」  「よし、行ってみよう」  飯山は、着物の裾を捲くり上げて、小走りに、大通りへ駆けだした。    番所で、津島喜八郎は、両手を縄で後手に縛られ、御座の上に座っていた。木戸番の清五郎が、杖を持って、その脇に立ち、縄の一方の先を握っていた。首をうなだれて座っている津島の面前には、飯山と同役の坂野茂三が立ち、尋問していた。  「お前は、これで、何度捕まった。ここ一月で、騒動を起こすこと度々。まったく、改悛の情が見られぬではないか」  「へい、申し訳ありません」  「申し訳ないということは、罪を認めるということだな」  「はい」  津島はこの暴行事件の罪を認めた。  そこで、飯山が、割って入った。  「お前は、紅問屋の山形屋の手代、権八と仲がいいというのは、本当か」  「へい。博打仲間です」  「先日、平次親分の賭場で奴を殴ったろう」  「そんなことも、ありましたでしょうか」  「奴は、権八は、死んだよ」  「死んだ」  「そう、あの世へいっちまった」  「そうですか」  津島は、平然と言った。  「お前が、殴ったのが致命傷になった」  「へい・・・・・・」  「ということは、お前は、暴行したうえ、傷害致死の犯罪を犯した下手人だということになるな。公儀のお咎めは、覚悟しているであろう」  「かしこまりました」  津島は、公儀の咎めという言葉を聞いて、身を縮めた。  飯山は、これを好機にと、追い打ちを駆けて、尋問した。  「権八の奉公先の山形屋の主人富三郎が、変死した事件は、お前も知っておるだろう」  「・・・・・・・・・」  「知っているな」  「はい」  「あの事件は、お前と権八が、やったんだろう」  「いえ。そんな、滅相もない」  「しらを切るのか」  「いえ、本当に知りません」  「では、これは、どうしたのだ」  飯山は、津島が常宿にしている向島の船宿の捜索で発見した薬瓶を、見せた。  「この中から、富三郎と春菜の飲んだのと同じ、青酸カリが見つかったのだ」  「・・・・・・・・・」  「この薬瓶はだれのものだ」  「はい・・・・・・。それは、春菜さんのものです」  「そうだ。三味線の革をなめすのに使うのものだ。これが、なぜ、お前が泊まっている部屋にあるのだ」  「すみません」  「この薬を二人に飲ませて、殺したな」  「いえ。私と権八で飲ませたのは、春菜だけです。富三郎は知らない」  「そうか。それで、十分だ。どういう経緯なのか、話してみろ」  飯山は、ここまで来れば、あとは一気だ、と判断して、津島に煙草を勧め、気を落ちつかせてから、おもむろに、自白を促した。  津島の自供は、  ーー この一件を持ちかけてきたのは、権八です。主人・富三郎と女の心中事件を起こせば金になる、と誘ってきた。ですから、その話の依頼がどこから出たのかは、知りませんが、権八は、すでに、金は受け取ったといって、私に三十両ほどを見せました。権八が言うのには、富三郎は、五日に一回、あの端唄の女師匠のところに、通っている。師匠の春菜も仲間に誘って、富三郎をやってしまおう、というのです。私と権八は、二人で春菜に掛け合い、仲間に入れました。一人十両ずつの取り分です。春菜は富三郎の稽古の日、二人きりになったとき、茶碗に薬を入れて、飲ませました。そうして、遺体を置いたまま、二日ほど、姿を隠したのです。そして、二日後、遺体の処理の相談に、三人であの部屋に集まったのですが、酒を飲んで大騒ぎになり、酔っぱらって寝ようとするときに、権八が春菜の水飲みに薬を入れて、殺した。そして、心中したように装おうために、遺体の間に遺書を置いて、逃げましたーー。  「金は十五両ずつ分けたのだな」  「はい、いえ」  「それで、博打場に入り浸っていたのか」  「はい・・・・・・」  「金が欲しかったのか」  「いろんな賭場に借金が嵩み、つい、話に乗ってしまった」  「権八をあんなに酷く殴ったのは、勝ち逃げをたしなめて、反発されたことだけが理由ではないだろう。分け前を巡って、いさかいがあったのではないか」  「はい、それは、確かに腹に据えかねることがありました。半分ずつ、十五両ずつという話だったが、あの日、あいつは二十両取り、わたしには十両しか渡さなかった。だから、おれは、怒っていた」  「ところで、権八に依頼した奴は誰なのだ。その金を出したのは」  「私は、知りません。私としては、金さえ貰えればよかったんですから。出所は関係ありませんよ」  飯山は、それを真剣に考えていたが、  (あるいは)  という微かな思いが走った。  (あり得ないことだが、そうかもしれない。想像したくなかったが、その可能性も捨てることはできない)  と思っていた。  「ところで、お前は、深川の三味線の師匠で、美代香をいう女を知っていないか」  「はい。でも、どうして、それを」  「やはりな。どういう仲だ」  「いえ、いろいろ世話になったり、世話をしたりの間柄ですよ」  「いろいろというのは、要するに、男と女の仲か」  「まあ、それは、言ってみれば、連れ合いの仲のような時もありました」  「一緒に暮らしていたのか」  「はい、一年ほど。ですから、昔、付き合いがあって、今は別れた女です」  「最近は、会っていないのか」  「そうです。いや、そうでもない。たまに会うこともありました」  津島の自供をそのまま信用は出来ないが、富三郎と春菜の変死事件については、これで解決だろう。事件は心中では無かったのだから、山形屋の身代は、一応、保証されたようなものだ。あと一つ、残るのは、殺人の依頼者の割り出しだ。殺しは、依頼者も同じ罪になる。だが、この先を追求したくても、権八が死んでしまってのだから、口を割らすことはできない。死者に口なしなのだから。  (だが・・・・・・)  飯山は、考えた。  (まだ、物証がある。それは、遺書だ。綺麗な女文字で綴られていたあの遺書は誰が書いたのか。心中でないのだから、誰かが書いたものでなければおかしい。それを書いたものが、事件に絡んでいる第三者だ)  飯山は、春菜の書いた書き物も押収していたが、筆跡が違うような気がしていた。  津島に最後に、聞いた。  「あの遺書は、誰が書いたんだ」  「知りません。権八が持ってきたものを置いたのです」  津島はそう言い張った。    ここまで来れば、あとは、奉行の近海銀三郎に報告して、お裁きを仰ぐ段階だ。  飯山は、事件の報告書を纏めて、奉行に提出した。  奉行は、報告書を読んで、この一件と美代香から出されていた親子関係確認の訴えの裁きを、翌々日に行うことに決め、関係者に通知した。  そのお裁きの日、お白州には、手縄を掛けられた津島が引き出され、関係者として久乃と美代香も呼び出され、津島の後ろに正座していた。  久乃はすっかり上気した表情ながら、かすかに着物に炊き込んだお香の香りを漂わせ、すっかり未亡人の風情が身について、圧倒するような色気があった。一方、美代香は質素な絣の着物を着て、無表情に、正面を向いて座っていた。その姿は、子供を連れて山形屋を訪れたときと少しも変わらなかった。  正面の舞台のように高いお裁き台に上下を着て姿を見せた近海は、後に従った飯山らが席に着くと、  「これより山形屋の変死事件と親子関係確認の訴えのお裁きを行う」  とよく通る声で宣言した。  飯山が立って、津島の罪状を読み上げた。  「以上のことで、相違ないか」  罪状の朗読が終わると、近海は、津島に尋ねた。  「その通りでございます」  「そうか、では、いくつかの質問をする」  「だれが金を出したのか。遺書は誰が書いたのかは、知らないのだな」  「はい」  すると、間を置かず、  「久乃は、どうだ」  近海が突然、聞いた。それは、予期せぬ問いだったから、久乃は不意を打たれて、言い淀んだ。そのとき、飯山が、  「貴方は、権八と意を通じていたろう」  とたたみかけた。気を取り直した久乃は、  「はい」  と、つい本当のことを答えてしまった。  「いや、いいえ、そんな」  と言い直したが、遅かった。  「権八に金を渡していたのは、久乃、お前だな」  そう断じられて、久乃は、観念した。  「どういうことだ。いってみろ」  飯山が追及した。  「はい、わたしは、主人の最近の言動に不審を抱いておりました。それで、一番、気持ちが通じていた権八を世話に付けて、探らせたのです。すると、女が居ることが分かった。三味線を弾く唄の師匠だという。二人で苦労して身代を築いたのに、裏切られたと思うとわたしは、悔しくて、夜も眠られなくなり、女さえいなければ、と考えるようになったのです。それで、機会があれば、と権八に金を渡して、頼みました。でも主人までがこんなことになるとは。私は、愚かな妻です」  「そうか、権八は、お前と関係を持っていたのか」  「それは、夫に構ってもらえない寂しさから、成さぬ仲になりました」  「権八の遺骸の脇で、涙を滲ませていたお前の姿は、使用人に対する態度とはとても思えなかったからな」  飯山は、鋭く観察していた。  「だが、権八は、主人の方を殺したかったのだよ。お前との仲が大切だったんだろう。恋路を惑わす他の男は、たとえ、主人でも居てほしくない。そう考えたんだろう。その上、相手も取り違えていた。権八は富三郎の女が三味線の師匠というだけで、相手が春菜だと決め込んでいたのだ。そうではないか」  「わたしが、愚かでした」  久乃は、お白州に泣き崩れた。その体を番役人が引き起こし、両手に手縄を掛けて、後ろ手にし、腰に回した。  「つぎに、遺書の件だが、ここに、あるのがそうだ」  近海は、書類を翳してみせた。  「それから、ここに、美代香が持参した富三郎が書いたという親子の確認書がある」  近海は、その二枚の書類を両手に持って、近寄せた。  「どうだ、切り口が一致しただろう」  書類を手に体を回して、皆に見せた。  「ということは、この二枚は、一つだったのだ。それを切り離して、二枚にした。そうだろう、美代香」  この度は、美代香が不意を突かれた。  「はあ。はい」  美代香も思わず、肯定していた。  「お前が、書いたのだな」  「はい」  「富三郎の署名は、本人のものか」  「そうです」  美代香の答えは、飽くまで、端的だ。  「遺書の春菜の名は」  「それは、知りません」  「津島は」  津島が、身を縮めながら言った。  「わたしです。済みませんでした。わたしが、美代香から預かって、春菜の名を書き入れて、あそこに置いたのです」  飯山も納得した。津島は嘘を付いていたが、そうなれば、話は分かる。  「美代香。何が目的だ」  近海が、聞いた。  「それは、この子を認知してもらい、財産分けをと」  「そのために、富三郎を殺したのか」  「殺したのは、津島と権八です。いや、春菜です。わたしは、彼らの計画に乗っただけです。旦那が死んだ後、家にやって来てその話をしていた二人の話から、心中に見せかけられると気が付いて、予て私の為に書いておいてくれた書付けが使えると思っただけです」  「お前が書いたのか」  「そうです。それに旦那様が、名前を書き入れて」  「これで、二つの事件が繋がった」  近海と飯山は顔を見合わせた。  「最後に、親子の確認の件だが、南方、入ってくれ」  奥の襖を開けて、医者の姿をした男が一人、木枠に壺を五つ並べたものを持って、入ってきた。  「この者は、長崎でシーボルト医師のもとで蘭医学を学んだもので、南方熊市という。西洋には親子の確認のための秘術があるという。それをいま、ここで、やってもらう」  南方は、白州の前の床に進み出て、説明した。  「ここに四つの薬剤が入っている。これを血に入れると固まるものと固まらないものとに別れる。それで、血の型が分かるのだ。富三郎の血は、このもう一つの壺に入っている。あとは、そこのご婦人と、子供の血があればいい。こちらへ来なさい」  呼び出された美代香と小一郎は、おずおずと進み出た。南方は、二人に腕を出させ、小刀で傷つけて、血を出し、採取した。その時、小一郎の、大きな泣き声が、お白州の静寂を鋭く、切り裂いた。  「さあ、これにこの検査液を垂らすとすぐに、分かる」  皆が、注目した結果は、富三郎が甲型とすると、美代香が乙型で、小太郎は、丙型とみな違っていた。  「親が甲と乙型ならば、子供は、必ず甲か乙になる。ほかに、丁型というのになる可能性もあるが、小太郎はそうではないから、親子の関係はない」  「結論が出たようだな」  近海が言った。  「以上の通りで、親子関係は認められない。分かったか」  美代香は小太郎とともに、平伏した。  となると、実は誰の子供なのだろうかという、疑問が残るが、お裁きにおいては、そのことは、当面の課題ではない。推測するに、それは、津島との間の子供とも思われるが、美代香自身、そのどちらとも分からなかった。実は、他にも生活のために世話になっている男は、大勢いた。女が一人で、子供を抱えて生きていくためには、女だけに許された武器を使わねばならない必要もあった。美代香は、三味線の技量とともに、その女も売っていた。  美代香は、この親子の確認書が認められないのなら、月々の手当てを貰っていたことを証明する封筒を提出するつもりだった。それには、「富三郎より」の裏書きがある。それが、本物と証明されれば、証拠になるだろうと、考えていた。だが、この科学的な血液検査が行われたからには、その必要もなくなった。いまさら、父親がだれと知れても、暮らしに大した違いはない、と諦めた気持ちになっていた。  一方、久乃には、有り余る財産があったが、夫以外に男を知らずに通してきた。権八と関係ができたのは、夫が浮気をしているという確証を得てからだ。それまでは、一生懸命、店のために働き、夫一筋に尽くしてきた。生まれは垢抜けない田舎女だったが、ここまで来たのは、そういう誠実さと勤勉さのためだという自信があった。朝の煙草のほかに、これという贅沢をした覚えもなかった。  (黙々と働いて来たのに、魔が差した時は、こんなことになる)  久乃の心は、怒りと後悔で一杯になっていた。  奉行が正座しなおして、姿勢を正した。  「では、裁きを言い渡す。津島は市中引き回し後、磔のうえ死罪。久乃は店の取り潰しと江戸払い、国返しとする。美代香は、事件に乗じようとしたことの犯意は重いが、直接、手を下していないためお咎めなし。ただし、今後、小一郎の養育に抜かりないように務めること」  お裁きは出された。    飯山は、吏員に引き立てられていく久乃を見送りながら、  (女の業は深い。あれで、子供でも出来ていたら、こうはならなかっただろうに。それほどまでに、愛する夫の浮気の相手が憎かったのか。だから、死んだと思っていた愛人が、子供を連れて姿を見せた時の驚きは、想像を絶するものだったろう。そこで、相手を取り違えたと気が付いて・・・。必死で自分を取り繕った)  とこの寡婦の心を思った。  それに引き換え、飽くまでも堂々とした美代香の態度はどうだ。  (あれは、子供を生んで育てている女の強さだ。どうあっても、この子だけは、守ってみせるという母の強さだ。そういう張り詰めたものが、あの女を支えている。ああいう女の前では、男なんて、ひとたまりもなく飲み込まれ、息の根を止められてしまう)  大店の女将としての堂々とした体躯と、江戸の町の片隅でひっそりと肩を寄せ会って暮らす母子家庭の母のか細い姿と、その外見は対照的だったが、内面にあるものは、それとは正反対に、久乃の方が限りなくひ弱で、美代香の方が思いのほか骨太だった。  (女は、姿だけでは分からない)  飯山は自分の身の上に置きかけて、  「ああ、くわばら、くわばら」  と身をふるわせた。  家では、飯山が頭の上がらぬ姑と嫁が、競うように牙を研いで、「旦那さま」の帰りを待っている。              (終わり)