『秘教の縁(えにし)』        江戸町奉行所事件簿A 一 隠し子 亨保七年の師走。神田庵町の紅問屋、「山形屋」の前の路上を、子供の手を引いた三十がらみの女が、行きつ戻りつしていた。  女は黄八丈の簡素な着物に大島紬の丸帯をして、こざっぱりした身なりだ。子供は、男の子で、紺の絣の一枚着を着て、へこ帯を結び、裾が短かった。だが、よく糊が効いて、汚れはなく、二人の簡素で律儀な暮らしぶりを偲ばせていた。  女は、二、三度、店の前を行き過ぎては、戻ってきたが、四度目に、足早に急ぐ女の赤い鼻緒の草履を子供のほうばの下駄が踏みつけて、女がつんのめりそうになったのを機に、意を決して、子供の手を引いて、店の暖簾を潜って、店の中に入っていった。  店には、まだ、客はおらず、朝の水まきを終えた丁稚二人が、上がり框で茶を飲んでいた。  「あの、すみませんが、女将さんにお会いしたいのですが」  女は、丁稚に話しかけたが、丁稚では、用が足せないと分かると、  「番頭さんをお願いします」  と言いなおし、居住まいを正した。  丁稚が奥に引っ込んで、番頭の精次郎を呼んできた。清次郎は、いかにも、商売人という表情で、はげ上がった丸顔の相好を崩して、揉み手で表われて、  「何か、御用でしょうか」  と女に言った。  「女将さんにお会いしたいんです。私は、亡くなった旦那に目を掛けて頂いていた深川で小唄の師匠をしている美代香という者です」  女は、そう名を名乗った。  「はい。ところで、どんな御用でしょうか」  「それは、女将さんに直接、お話ししないと」  取りつく島のない応答に、清次郎は、事情を察して、奥に取り次いだ。  女将の久乃は、奥の茶の間で煙管を口に、朝の一服を楽しんでいた。朝、仕事に取りかかる前に、一服するのが、夫の富三郎が亡くなってからの、久乃の日課になっていた。朝の食事のあと、こうして角火鉢の前で、一服すると、心が落ちつくのだ。  「女将さん。子供連れの女が、会いたいといって、表に来ておりますが」  清次郎の報告に、久乃は、  「女って、何の用だい」  「それが、直接、お話ししたいと」  久乃は、天に向かって、煙を吐きだしてから、その煙の登って行く先を追って、天井を見つめながら、  (また、女だ。今度は何なのか)  と考えた。  子供連れの女なのだから、商売の話でないことは、確かだ。商売の話なら、表で用事が済むはずだ。それが、直接、私に会いたいというのだから、家内に関係することだろう。  (まったく、もう。こりごりしているのに)  そう、思って、悪気がしたが、家に入ってきてしまっているのだから、追い返すわけにも行かない。それに、子供を連れているという。ここは、穏便に話して、お引き取り願おうと、  「分かりました。奥へ上げておいておくれ。追っつけ行くから」  と清次郎に命じて、立ち上がった。姿見の前で、身つくろいを確認してから、二人を上げた奥の客間に出ていった。  女は、端然として正座し、連れの男の子も、真っ直ぐに背骨を延ばして、かすかにも動かず、前を向いて、正座しており、二人の決意の強さを伺わせた。  「私が、女将の久乃ですが、どんな御用ですか」  久乃は、二人に相対して座って、これといった挨拶も抜きに、いきなり、尋ねた。これは、何かの覚悟をして、きりりとした顔つきをして座っている女への、最初の正確な一撃だった。  「はい。実は、私は、こちらの亡くなられたご主人に、目を掛けてもらっていた者で、美代香という者でございます。亡くなられたのを知りながら、お悔みにも参上いたしませんでしたが、それは、ご主人の言いつけを守っていたからで、ございます」  「言いつけというのは」  「はい。一切、私の存在を奥様には、知らせずにいてほしい、と申されておりました」  「それなのに、なぜ、姿を表したのですか」  「私は深川で、小唄を教えて生計を立てております。ですから、ここにおります小一郎一人くらいは、私の女手一つで育てて行けるという気持ちでしたが、小一郎の将来を考えると、やはり、父親のことは、はっきりとしておいたほうが良いと思いまして」  「すると、ここにおられるお子が、亡き主人の種だ、とでも言いたいのですか」  「はい、そのとおりでございます。旦那と私の間に出来た子供です」  「何を申されます。そんなことが、ありようもない」  久乃は、気が動転した。  なぜなら、相思相愛で一緒になった二人は、子供が欲しくて、長い間、色々と試みてみたのだが、いずれも、いい結果を得られないままに、とうとう、夫は、先に逝ってしまたったのだから。  「そんなことが、ありえようことはない」  久乃は、そう叫んで、目前に座って、微動だにしない母子を凝視した。  「何か、証拠でもお持ちか」  久乃は、きっとなって質した。  「はい。ここに書き付けを持っております」  女は、着物の袂に手を入れて、一通の書き物を取り出した。  白い和紙に、  [小一郎の認知のこと]  という表書きがあるのが、見えた。  「これで、ございます。お確かめください」  女は、恭しく、その書類を久乃の膝前に差し出した。  久乃はそれを右手で受け取り、さっそく開いて、中身を読んだ。  [私儀、この書面を持参せし女子との間にもうけし男児、小一郎を我が子と認め候。天保十年五月吉日 山形屋主人、富三郎]  至極、簡潔にそれだけ書かれていた。  「たしかに、その子が亡夫、富三郎の子であると、書かれているが、これだけでは、どのようにでも、なるのではないかい」  久乃は、女に聞いた。  「と、申しますと」  「この書面が、間違いなく亡夫の書いたものなのかどうか。確かな証拠がなければ。私としては、認められない、ということですよ」  「でも、確かにこの書き付けは、旦那さんが、私の面前で認めたものですよ」  女は、やや、気色ばんで、久乃を、きっと、見返した。  「ところで、それがまこと亡夫の記したものだとしたら、貴方は、何をお望みか」  その気迫に押されて、久乃は一歩譲って、女の要求を聞いてみる気になった。  「旦那様が亡くなられてから、月々のお手当てが、戴けなくなりました。その支払いを今後ともお願いしたいのと、できれば、形見分けもして頂ければと」  「なるほど、そうですか。亡夫は、月々、あなたにお手当てを出していたのですか。それで、いかほどでした」  「はい、月に丁度、一両ほどでございました」  久乃は、このような支出が行われていたことを、一切知らなかった。そもそも、亡夫にもう一人、このような隠し女がいて、しかも、子供までもうけているということなど、まったく、寝耳に水の話だった。  もっとも、一月前に、夫が久乃のまったく知らぬ女と心中死を図ったことは、これ以上の衝撃だった。まったく突然襲ってきたこの悲劇に、久乃は打ちひしがれ、その哀惜と悲痛の縁から、やっとの思いで立ち直った今になって、新たな難問が持ち込まれたのだった。 久乃は、  (夫との三十数年に及ぶ夫婦生活は、一体何だったのか)  と改めて、考えざるを得なかった。  (そもそも、二人が一緒になったのは、お互いに愛し合っての末のことだったのに)  久乃は、そもそもの夫との慣れ染めの頃を思い出していた。    夫の富三郎は、江戸で一番の大店の紅問屋「近江屋」の番頭だった。生まれは、甲州の農家だったが、三男四女の子沢山だったため、次男の富三郎は、村の慣習に従って、奉公に出された。出入りの蚕商人のつてで、近江屋に丁稚奉公に出た富三郎は、この商売が性に合ったのか、寝るのも惜しんでの働きで、主人に認められ、番頭にまで登り詰めた。  紅問屋の番頭は、年に一度、産地へ紅の仕入れに行くのが、恒例になっている。富三郎が、番頭になって二年目の働き盛りに、訪れた出羽の国・尾花沢の地元紅問屋で働いていた久乃と知り合ったのは、その旅の時だった。  久乃は、尾花沢近郊の紅花農家の娘で、この家もやはり、三男三女の子沢山だった。久乃は、三女だったため、ここでも、当然のように、行儀見習いをとこの問屋に奉公に上がっていたのだった。  富三郎三十三歳、久乃二十五歳の年に、二人は、はじめて出会い、愛しあうようになった。  富三郎は、半月程、この問屋に逗留して、近郊の生産農家を訪れては、直接仕入れたり、市場で競りに参加したりして、売り物の紅の原料を吟味していた。その年は、例年になく実りの良い年で、品質のよい紅花が大量に手に入り、富三郎は、毎日、明るい気分で、宿の問屋に帰ってきた。  忙しく動き回り、てきぱきと指示を出す富三郎を何かと面倒を見たのが、家の賄いを任されていた久乃だったのだ。  富三郎も久乃の甲斐甲斐しい働きぶりが、気に入っていた。そして、自然と気持ちが近寄って、富三郎は、江戸に帰る日の前の日に、  「俺と一緒に、来てくれないか」  と久乃に打ち明けたのだった。何事にも、慎重な富三郎は、それ以前に、逗留している地元問屋の主人に、  「久乃を江戸へ同道したい」 と申し出、話を通していたから、問題はなかった。  だが、久乃には、突然の話だったので、実家に挨拶もしないままに、あわてての江戸行きだった。  二人は、富三郎の借家の一軒家で、所帯を持った。半年ほどは、世間にも知らせず、ただ、近江屋の主人にだけは、富三郎は、  「近いうちに身を固めるつもりです」  と打ち明けておいた。  主人は、その話を聞いて、  「それはめでたい。お前にもそろそろ、暖簾分けをしてあげないといけないな」  と言った。  そして、二人が一緒に住むようになってから一年ほどして、主人は、  「長い間の奉公、ご苦労さん。いよいよ、自分の店を持つ時が来たよ」  と言って、暖簾分けを認め、そのための資金をくれた。富三郎は、予てから目を付けておいた神田庵町の空き店を手に入れて、独立した。  正に、順風満帆の船出だった。  二人は、自分たちの店を持って、いままで以上によく働いた。店は順調に発展し、売上は倍々に伸びていき、使用人の数も増えた。暖簾分けしてから十数年もすると、山形屋は、本家の近江屋と肩を並べる江戸で一、二の大店になっていた。  そういう順調な暮らしの中で、唯一、気掛かりは、子供が出来ないことだった。  子宝に恵まれるよう、医者にもかかり、神仏にも頼った。受胎に効くという湯治場にも夫婦で出掛け、様々な漢方薬も試してみたが、一向に子供が出来る気配はなく、養子を考え始めたところだった。  掛かりつけの婦人科医師にも、詳しく診察してもらったが、医師は、  「ご婦人の方には、問題はないようだ。いつでも受胎できる健康な体です。だが、ご主人の方の種が少々薄いようですな」  と見立てた。  富三郎は、その見立てには、若い頃のことで、思い当たる節があった。甲州にいたころ、近郷近在におたふく風邪が流行し、五歳の富三郎も、その病に罹感したことがあった。  村の古老が言った、  (あの病に罹ると、子供が出来なくなることがある)  という言い伝えが、村の皆を恐怖に陥れた。  そのことは、父や母も知っていたが、罹ってしまったとあっては、まずは、病を直すことが、肝心だ。  「うんうん」  と熱にうなされて苦しむ幼い富三郎を、母は、必死で看病を続け、どうにか、命は取り留めた。  (あの、病気のせいかもしれない)  久乃と一緒になったときに富三郎は、  「これからは、何でも夫婦で話し合って、隠し事はしないようにしよう」  と言い、それが夫婦の約束でもあったから、富三郎は、そのことを正直に、久乃にも話していた。  だから、久乃は、不妊の原因は、夫の方にあると信じていた。  (あの人は、子供ができない体なのに) そういう思いが、久乃の心を占領していた。  (だから、ここにいる子が、亡夫の子であるはずがない)  久乃は、そう確信していた。  だが、女は、続けて言う。  「旦那様は、この子を自分の子と信じて、私が妊娠したときに、とても喜んでくれました。生まれてからも、本当に、目の中に入れても痛くないような可愛がりようでした。小一郎、小一郎って、家に来てくれたときは、抱いたまま離さないのです。その可愛がり振りは、近所でも評判なんですよ」  女の言葉は一々、久乃の心を刺した。  「妊娠」「喜んだ」「可愛いがりよう」「抱いたまま」・・・・・・・。 それは、久乃が、もっとも望んでいたことだ。そのずべてを富三郎は、この女の元で味わっていたのか。  「そうですか。この書き付け以外にも、そういう姿を目にしたというご近所の方の証言もあるということをおっしゃりたいのでしょうね」  思わず声が上擦った。  すると、  (あの人が、私に内緒で、女に子を生ませ、可愛がっていたのか)  という悔しさが胸を突いてきて、久乃はすぐにも、その場を立ち去りたい気持ちがした。だが、ここは、自分の家ではないか。そう考え直して、こう反論した。  「亡き夫は、日頃から、几帳面な性格でしたから、亡くなる直前まで、自分が死んだあとのことを考えて、気になることと必要なことは、全て、書き物に残していました。店の収支、商品の在庫数と額から遺産の処分の仕方まで、事細かく書き残しておりました。それなのに、一番肝心なこの子供のことや貴女のことなどは、一切、何も書き残していませんよ。ですから、私にもこの事は、全く、寝耳に水の話なのです」  久乃は、精一杯の気丈さで、そう言ってみたものの、言葉には気負ったほどの力はなかった。  それは、確かに富三郎は、覚悟の上の”心中”を図るにあたり、後顧の憂いを残さぬようとの配慮からか、店のこと、家内のことの締まりを、ほぼ完璧にしてて死んだのは事実ではあるが、そもそも「心中」という事態は、久乃にとって、全くの予期せぬ出来事だったからだ。  だが、久乃は、この事件も、奉行所の役人が言っていたような「相対死」であるはずがない、と考えていた。これは、なにかの間違いに違いなかった。夫は、なにかの陰謀に巻き込まれたのだ、と信じていた。  (こんなことになっていいのだろうか)  と久乃は、思う。  (こういうことが、夫の死と重なって起きるとは。なにかの祟りに違いない。祟りを逃れるには、どうすればいいのだろうか。逃げるのか、立ち向かうのか。もし、夫だったらどうするのか)  と考えて、久乃は、  「そういうときは、とにかく、なにかをすることだ。やれるだけやってみることだ」 という亡夫の言葉を思い出し、そう心に決めた。  この情死の真相の解明は、いまは、南町奉行所の役人の手に委ねられている。久乃がいくら、いい募っても、証拠がないかぎり、聞いてはもらえないのだ。そして、久乃には、役人の推理を覆す証拠はなく、ただ、確信だけがあった。  また、役人の推理通りに、夫の死が「心中」であるとすると、事態は深刻になる。武士が権力を握っているこの時代に、一介の町人にすぎない小商人が、ご禁制の情死を遂げたとすると、その咎は、肉親にも及ぶ。店の取り潰しという最悪の処分も覚悟しなければならない。現在は、店の営業は禁じられてはいないが、それも奉行所の捜査の結果待ちの状態なのだ。  夫と二人で築き上げた、山形屋の身代は、いまや、危急存亡の縁にあった。    女から受け取った書き付けにじっと目を凝らしたあと、久乃は、  「とにかく、あなたの言われることは、私には理解できかねますので、あなたのお望みを、すんなりと、はいそうですか、とは承服できません。あなたが納得いかないのなら、町名主に相談されるなり、役所にお届けになるなりなさって結構ですよ。ですが、この書類では、町役人もあなたのいうことを、認めないと思いますよ」  と言い伝えた。  女は、  「まあ、そんなことだろうとは、思っていました。今日は、初めてお会いしたばかりですから、いったんは引き下がりますが、こちらは、この書き付け以外にも、たくさん証拠を持っています。私のお願いを聞いて頂けないとなれば、第三者に判断して貰わなければならないでしょうね。役所に届けていいのですね」  と尻を捲った。  久乃には、それは、望むところだった。すでに、夫の情死事件には、奉行所の捜査の手が入っている。こうなれば、この女と子供のことも、まとめて、お役所に結論を出してもらった方が、気持ちがすっきりするし、今後のためでもある。あとを引かさないためにも、そうしてもらった方がいい。  久乃は、  「それで結構です」  と明確に回答した。  その言葉を聞いて、直接交渉では、埒が開かないとみた女は、子供の手を引いて、帰り支度を始めた。  店の暖簾を潜って、道に出た女と男の子の二人連れが、大通りの木戸口を出ていく姿を、久乃は店の前に立って、最後まで見送った。  (本当に、あの子が亡夫の子供ならば、引き取って育てるのもやぶさかではないのに。本当にそうならば、私を納得させるものが欲しい)  子を成さずに、長年連れ添った夫に先立たれて、寡婦になった久乃は、身も心も文字通りの孤独だった。  (こんな時こそ、心の許せる肉親が居てくれたら。そして、それが、わが子なら、少しは気も安まるのに)  深い寂寥感の中に落ちていた久乃であったが、彼女には、まだ、立ち向かわなければならない沢山の現実があった。  夫の心中事件の真実を解明し、店を救うことが、その最大の問題だった。    二 相対死  山形屋の主人、富三郎の情死事件の捜査を担当したのは、江戸南町奉行所の同心、飯山清衛門だった。五十石取りの旗元の武士の家に生まれた清衛門は、次男坊だったので、跡取りのなかった遠縁の飯山家に幼い時に養子に入った。成人して、やや格上の百石取りの幕府御納戸所祐筆の武家から妻を娶ったが、この女が、悋気気質の上、何かというと実家の家柄を鼻に掛け、飯山の養母とともに共同戦線を張って、夫を馬鹿にした。針の筵の我が家より、なにかと、外出も多い、いまの奉行所役人の仕事が、気に入ったいた。それに、江戸の町を歩いて、庶民と気楽に話をしているのが、仕事の内でもあるので、そういう仕事は、開けっ広げの性格の清衛門には合っていた。  事件直後に、知らせを受けて、赴いた情死事件の現場は、いま思っても、凄惨なものだった。  上野池之端の木賃宿の二階で異臭がする、という報告を、住人から受けた大家が、合鍵を持って、引き戸を開けて、中へ入ってみると、男と女が布団の上に倒れて、死んでいた。驚いた大家はすぐに、番所に飛んでいって、事件を届け出た。  季節は十月とあって、残暑の季節も終わり、時折、肌寒さも感じる日々もあったが、ここ数日は、温かい小春日和が、続いていた。  下っ引きの善太とともに、現場に急行した飯山清衛門は、部屋に入るなり、余りの死臭の凄さに、思わず、羽織の袂で、鼻を塞いだほどだった。それほど、死体の腐敗はすごかった。  部屋は六畳一間で、廊下側から襖を開けて入ると、南側の向こう側に雨戸が開いていて、畳に日の光が当たっていた。飯山が現場に着いたのは、お昼頃だったが、秋の陽光は眩しく、真っ直ぐに照りつけ、二つの死体を明るく浮かび上がらせていた。  部屋は真っ直ぐ南に面していたから、ほぼ一日中、日の光が当たっているのは、間違いなかった。死体は、その南側に頭を向けて、仰向けに倒れており、向かって右側が女、左側に男が並んでおり、女の右手と男の左手が、細い赤い糸で繋がっていた。  飯山は、その糸を手繰ってみたが、手首にきつく結ばれていて、解きほぐすことはできなかった。  二つの死体の頭の間に、「書き置きの事」と墨で鮮やかに書かれた書き物が置かれていた。  その側で、ハエが五、六匹、落ちて、死んでいた。  第一発見者の大家は、  「襖を開けると部屋中にハエが飛んでいたが、障子を開けた途端に、みんな逃げていった」  と言った。  飯山は、死体の実況検分に取り掛かった。  男の死体は、掛け布団が左にはだけ、右半身の腐敗は、左半身よりも進んでいなかった。女は、掛け布団を掛けていたためか、男にくらべると腐敗が酷かった。しかし、見た目には、そう変わらない感じがした。  飯山は、死体の口許に鼻を持っていって、臭いを嗅いだ。酷い異臭がした、それは、毒物中毒特有の鼻を突く臭いだった。  飯山は、遺書と見られる書き物を開いて中を読んだ。  [この世で思いが果たせぬ仲ならば、せめて,あの世で思いを遂げたいものと、心を通い合わせて、身を一つにし、三途の川を共に渡るつもりで、先立つことにいたし候。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。富三郎 春菜]  達筆だったが、女手のように思われた。春菜という女の方が、筆を取り、最後に二人で署名したらしい。  死体は、小石川の施療院に搬送された。そこの監察医、石川源幡の手で、腑分けが行われ、医学的に死因を探る。死亡時刻も推定できるはずだ。  解剖の結果は、飯山の推理を裏付けた。  ーー 死亡の原因は、青酸カリ系の毒物による中毒。死亡推定時刻は、死体の腐敗度から二、三日前。死体に切り傷、打撲といった外傷は認められない。以上のことから、男女同時に毒物を飲んでの服毒死と認められるーー。  死体の口の臭いといい、ハエが死んでいたことといい、服毒死は予想していた。数匹のハエが死んだのは、死体の呼気の毒にやられたのだ。  これらの結果は、二人の服毒心中の可能性を示していた。遺書の存在といい、赤い糸といい、全ての証拠は、心中へと向かっていた。そうならば、それぞれの肉親からの証言を得る必要がある。  この部屋を、女が借りていたのは、大家が確認した。大家の話では、女は、一月ほど前に間借りを申し出にきて、住み始めた。という。近所との付き合いはなく、何をしているのか、隣近所の住人も不思議だったが、時々、男が訪れるので、  「どこかのお大尽のお妾だろう」  ということに話が落ちついた。  「男がくると、三味線の音が聞こえた」  という住人もいた。ときたま外出するときの女の姿は、柳腰に小股の切れ上がったなかなかの美人だった、ということで、近所の人の意見は一致していた。  「そうなると、女は人別帳には、載っていないだろう。男の身元は」  と飯山が、考えていると、下っ引きの善太が、煙草の根付けの家紋を見付け、家紋帳で照合した結果、すぐに身元が分かった。  飯山は、善太を伴って、山形屋を訪れた。  応対した女将の久乃は、ここ数日、帰宅しない主人、富三郎の身の上を案じていた。町名主と相談して、番所に捜索願いの届けを出したばかりだった。  飯山の話を聞いた久乃は、  「なんですか。主人が、女といっしょに・・・・・・」  と言っただけで、あとは、言葉にならなかった。  だが、身元確認のために、小石川に出掛ける頃には、少し動揺も収まり、飯山は事情を聞くことが出来た。  同道する道すがら、久乃は、  「とても信じられません。あの夫が、心中するなんて」  と繰り返していた。  しかし、死体を確認して、間違いなく夫の姿だと分かると、  「どうして、こんなことになったのか、私は、本当のことを知りたい。お役人さん、お願いします。真実を解明してください」  と気丈に言っていた。  飯山は、その姿に、夫に裏切られた女の必死さよりも、むしろ、  「絶対にありえないことだ」  と信じる信念の強さを感じて、考え込んだ。  すべての状況は、心中を示しているが、そのことが、むしろ小骨のように喉に突き刺さり、素直に飲み込めなかった。  それに、長年のこうした情死事件の捜査の体験から、死体の腐敗の度合いが、不自然な感じがして、違和感があった。  (二人は、本当に心を通じあっていたのか。女は、たしかに妾だったのか。なぜ、死ぬ必要があったのか)  分からないことが、多すぎた。  その全ての疑問に答を出そうと、飯山は調べを始めた。  殺人事件の捜査の基本は、第一に、目撃者探しだ。飯山もこの基本に忠実に、二人の目撃証人探しを始めた。    二階家の下に住む大工の留五郎が、最初に、事情を聞かれた。  「上の女とは、交際はなかったのかい」  「そうな。越してきたときは、挨拶には来たが、それ以来、顔を合わせたときに、時候の挨拶くらいをするくらいだな」  「ここのところ、なにか変わったことは、なかったかい」  「四、五日前に、一緒に死んだ男が、やって来たのは、分かったよ。夕方になると二階から、三味線の音が聞こえてきて、男の歌い声が、混じっていた。多分、あれは死んだ情夫の声だ」  「昼間はどうだった」  「昼間は、おれは、仕事に出てしまうから、知らない。おれが、分かるのは、暮れの六つ時からだ」  「それで、その声は、毎日聞こえていたのかい」  「いや、五日おきぐらいだ。最後は、五日ほど前かな。その夜だった」  「何時頃まで」  「夜の子の刻くらいまでだ。いやに。遅くまで、うなっているな、と思いながら、寝てしまったので、覚えているよ」  「翌日は、男の声は聞こえなかった」  「そう。だから、もう帰ったのか、と思っていた」  「翌日は、物音は聞こえたかい」  「いや、静かだった。人がいる気配がなかったね」  「その翌日の三日前は」  「その夜は、人がいる気配があった。今度は、すこし若い男の声がして、言い争っていたようだった」  「どんな言い争いだい」  「なんでも、女が駄目だとか言うと、男が、仕方ないじゃないかとか、言うのが聞こえたね」  「その後は」  「もう、一昨日からは、何も聞こえなくなった」  留五郎は、それだけ言って、黙った。  飯山には、大きな収穫だった。男は、五日ほど前に部屋にやって来て、泊まった。女は、三日前まで部屋にいて、若い男が来ていた。それだけで、この女を巡る男関係が伺われる。  留五郎が、不在の昼間の様子は、どうだったのだろうか。  同時に、善太が、さらに隣の部屋に住む縫い物の賃仕事をしている松という中年の女に話を聞いていた。  「ちょっと、上の事件のことで、話を聞きたい」  女は警戒して身構えたが、善太の腰の十手を見て、畏まり、  「はい、何でも、聞いておくれ」  と居住まいを正した。  「上の女のことだが、なにか、気が付いたことはないかい」  「それは、わたしゃ、誰かに、聞いてもらいたかったんだが、男出入りが激しくてね。迷惑してるんだよ。昼間っから、若い男を連れ込んで、酒盛りをして、騒ぐんだからね」  「それは、いつのことだい」  「三日前がそうだった。上から二、三人の男のわめく声が聞こえた。それから、女のあの時の声が、糸を引くように聞こえて、すぐに、静かになったけど」  「あの時のって」  「決まっているじゃないか。男と睦みあった時の最後の声だよ。わたしゃ、もう大分、御無沙汰だけど」  「あ。そうか。それで、死んだ男は、こういう人相だが、見かけたことはないかい」  善太は、墨で描いた人相書きを見せた。  「ああ、この男ね。五日に一度ほど、やって来ては、泊まっていたね。最後に見かけたのは、五日くらい前かな」  「何をしていた」  「この男が来るときは、必ず、端歌を歌う。上の女は、あれでも、三味線が上手くて、その男が来ると、必ず、弾いて男が、歌を歌う。それは、あまり上手くなかったね。上達もしなかった。薄っぺらで、抑揚がないんだ。耳障りだったよ」  「ほかに、なにか、思いつくことは」  「そんなとこかな。これという、付き合いもなかったしね」  「有り難うよ」  そう礼を言って、善太は、引き上げた。  飯山は善太の報告を聞いて、自分の聞き込みと、ほぼ内容が同じだったので、二人の証言は、信用できる、と考えた。  腑に落ちないのは、死んだ男が通ってきた日と、女の声が聞こえた最後の日にずれがあることだった。  たしか、解剖の結果は、  「同時に、毒を飲んだと推量される」  となっていたはずだ。  証言と、この検視報告には、日にちのずれがあった。  役所に帰って、検視報告や久乃から出された「山形屋主人の捜索願」などの書類に、もう一度、目を通しながら、飯山は、事件を推理していた。  「捜索願」は、失踪の日を、五日前としているから、宿の住人の証言からも、この日は、間違いのないところだ。富三郎は、その日から行方不明になったのだ。  しかし、春菜という女のほうは、三日前まで、生きていたのだ。  (この二日間のずれをどうか考えたらいいのだろう)    飯山は、思案したが、納得のいく答えは見つからなかった。  (こんなときは、旨いものを食べて、気持ちを変えるのが一番)  と考えて、飯を食いにいくことにした。  (そろそろ、夕方の寒さも厳しくなってきたから、暖かい蕎麦でも)  と「藪蕎麦」に行くことにして、道を急いだ。  蕎麦屋は、そう込んでいなかった。  絣の着物に赤い前掛けをした娘が、  「なににしましょう」  と愛想良く、尋ねた。  「鴨南蛮を、一つ」  「はい」  「それから、一本ね」  と右の人差し指を立てて、頭を下げた。  こんな寒い夜は、暖かい蕎麦に、お銚子があればいい。  突き出しの小芋の煮物を肴に、ちょびちょびとやっているうちに、鴨南蛮が出来てきた。  「わしは、これが大好物なんだ。この鴨の肉と葱の取り合わせは最高だね」  最初に一口、鴨の肉を口に運ぶと、ふんわりとした鳥肉の風味が口の中一杯に広がった。それを出し汁に付けて、じっくり味わった。  だがどうも、何時もの味と、少し、違うような気がした。その違いは、肉の柔らかさだった。今日のは、どうも、少し硬いような気がした。  「お姉さん、この肉、いつものと違うのかい」  店の隅に立っていた賄いの娘を手招きして呼んで、聞いてみた。  「さあ、そうですか。私は、よく分かりません。主人を呼びましょうか」  女は、面倒なことにかかわりになりたくないという態度だった。客に商売品の文句を言われるのかと、警戒したのだろう。  主人が、奥から顔を出した。  「なにか、御用ですか」  「いや、わしは、お宅のこの鴨南蛮が大好物で、いつも頼むのだが、今日のは、何時ものとは味が違うような気がしたのでな」  「そうですか。さすが、お目が高い。というか、お口が肥えていらっしゃる。実は、今日は、今朝獲ってきたばかりの鴨の肉を使ったのです。ですから、少し、硬いかと」  「そうか、獲り立てなのか。では、いつものは、そうではないのか」  「はい、取り置きの肉を使っています。店の裏に洞窟がありまして、そこが冷蔵庫になっていまして、そこに二、三日、肉を置いておきます。すると、肉が熟成して、旨みが増すのです。歯応えを取るか、旨みを取るかですがね。今日は、こりこりとした旬の歯触りを味わっていただきました」  「そうか、熟成か。それは、どうやるのだ」  飯山は、興味が沸いた。  「そうですね、温度管理が重要ですね。寝かしておく場所の温度によって、熟成の速さが相当、違います。速すぎず、遅すぎず、というのがこつですね」  「そうか、温度か」  飯山は、納得した。そして、熟成よりも、獲りたての歯応えを味わうという硬い鴨肉をそれでも、全部、腹に収めて、満足して、帰宅した。    夜、寝所に入って、天井を見ながら、死体の腐敗のことを考えた。  蕎麦屋の店主は、  「鳥肉を冷蔵庫に置いて、熟成する」  と言っていた。腐敗の度合いは、温度の制御で、進度を調整することが、出来るのだ。人の死体の場合も、温度によって、腐敗の進行の速さは、変わってくるだろう。  それに、毒物を飲んだといっても、確かに、茶碗はあったが、薬を入れておいた瓶なり箱なりが見つかっていないのは、不思議だった。  (一体、二人は、一緒に薬を飲んだのだろうか)  と新しい疑問が、沸いてきた。  いろいろと、考えが、右に行ったり左に行ったりしているうちに、飯山は、数年前に起きたある「相対死」事件のことを思い出した。  それは、奉行所にも大きな衝撃を与えた事件だった。  飯山も、机を並べていた与力の高島俊太郎が、こともあろうに調べ中の夫殺しの容疑者、お通という女と、心中したのだった。  この事件は、飯山は、直接担当しなかったが、係の同役の話では、現場は、凄惨を極めたという。  事件の現場は、深川の船宿で、その二階の大川縁の六畳間に男と女が、死んでいた。二人は、  「五日ほど逗留する」  といって、宿の別棟の一軒家に投宿した。  そして、二日目の夜の食事の後、  「明日からは、二人きりで過ごしたいから」  と人払いをし、部屋に閉じこもった。  夏の盛りだったから、風通しの良い側縁で、そうやって寝て過ごす人も、いないわけではないから、中居たちは、その申し出に従った。  ところが、三日ほど過ぎても、姿を見せないので、逗留期限が過ぎた六日目に、様子を見に入って、死んでいる二人を発見したのだった。  届け出を受けた奉行所の役人が、現場に急行し、死体の状況を調べたが、男と女で死体の腐敗の進行度が違っていた。  高島の死体は、布団を被って、日の当たりやすい、南側に寝ていた。お通は、それより内側の日の当たりにくい、畳の上に布団をはだけて横たわっていた。  心中を伺わせる「遺書」もあった。そして、やはり、口が異臭で臭いのは、今回の富三郎の事件と同様だった。  解剖で、死因は毒物の飲用による服毒死と分かった。ただ、死亡推定時間は、女が二日前、男は四日ほど前と時差があった。  状況からは、心中と思われたが、調べに当たった役人は、この時差に着目した。  すなわち、同時に死んだのでないのなら、これは、明らかに、女が男を騙して、遺書を書かせ、毒を煽らせたあと、自分は後追い自殺を遂げた、と推理できるからだ。  これには、死んだ男が、調べに当たった役人の同僚ということも影響していたろう。  よりによって、事件の容疑者である女性と、調べに当たった役人が、心中したのでは、市井に示しがつかない。そういう、役人同士の保身の感情も、そういう決着を求めていた。  この事件は、そうして、そのように処置された。だが、飯山も、その話をした同役も、そうは考えていなかった。  (死んでいた位置が違って、腐敗の進行の度合いが違ったのだ)  飯山はそう考え、事件の調べをしているうちに、夫を殺さなければならない状況に追い詰められたお通の心情に同情した高島が、色白の美人だった女の魅力にも引かれて、いつしか愛するようになってしまい、世間に顔向け出来なくなって、死を選んだのだろう、と推測した。  この事件から、飯山は、  (解剖所見に、惑わされるな。解釈の仕方で、結論が正反対になることもあるのだ)  ということを、肌で学んだ。    その経験から、富三郎の事件を推理すると、  (今度は、前の事件とは逆なのではないか)  という閃きがあった。  今度こそ、本当に、犯行の時間差が、死後腐敗の進行度の違いで、解消された一件なのではないだろうか。  とすると、富三郎は、春菜にたぶらかされて、毒を煽り、死んだことになる。そして、春菜もその後、自分で後を追ったのか、それとも、誰かに、毒を盛られたのか。  そういう推論は、隣人たちへの聞き込みで得た証言とも一致していた。  「男は、五日くらい前に来て、後は声を聞かなかった。女の声は、三日くらい前まで聞こえていた。そのとき若い男の声も混じっていた」  と隣人は証言したのだ。  (ということは、富三郎は、五日前に死んだ。そして、春菜は、三日前くらい前に死んだのだ。だが、富三郎は、南向きの柱の影の所で死んで、布団も掛けていなかった。春菜は、日の差し込む窓側で、死んでいた。全身に布団が被さり、死体の温度も高かったのだろう。腐敗が速く進んだのだ。それで、死亡推定時間は、同じになった)  飯山は、そう推理の糸の端までたどり着いた。  (これは、心中事件としては、片付けられない)  翌日から、春菜と一緒にいたという男たちの捜査に本腰を入れよう、と決意して、飯山は、やっと、心地好い眠りに落ちた。    翌日、朝粥で空腹を満たした飯山は、「山形屋」に向かった。  もう一度、久乃に聞きたいことがあったからだ。  「おはようございます。先日はどうも」  暖簾を潜った飯山は、店先に出ている久乃を見つけ、歩み寄って行った。  「ああ、先日は、どうも」  夫の突然死の衝撃は、まだ、隠しようもないが、すこしは、立ち直って、元気が出てきたらしい。  「ここでは、何ですから。どうぞ、こちらへ」  招かれて、奥へ入った。  客間に入って、座布団を勧められて、座って待っていると、お茶が一杯出され、飯山は、それを啜った。  「飯山様、今日はどの様な御用ですか。家の人は、やはり、心中したんですかね。わたしには、まだ、納得が行かないのですが」  「その事だが、わしも、心中ということには、合点が行かないので、いろいろと調べたのだが、ある程度の、推測がついた。そこで、あなたにそれをお伝えしたいのと、いくつか、傍証が欲しい。それで、今日、こんなに早く、参上したということだ」  久乃は、少し崩れた襟元を前へ重ね直して、身を乗り出した。  「どんなことですか。わたしの知っているかぎりのことは、申し上げますが」  飯山は、自分の事件の推理を、簡潔に述べた。  そして、  「こういうことだと、わしは、考えるが、その部屋に来ていたという若い男について、心当たりはないかい」  「そうでございますか。すると、主人は、心中したのではないのですね。殺されたということなんですね。わたしは、絶対に、心中などすることはないと思っていました。そういうことなら、そろそろ、葬式の準備をしてよろしゅうございますね」  「そう、安心されてはこまる。あくまでのわしの推理だからな。奉行所として正式の決定は、まだあとになる。お奉行様の裁可がなければいけない。ところで、その男には、心当たりはないか」  飯山は、女将が質問の趣旨を外したので、重ねて聞いた。  「それが、実は、うちの使用人で、手代の権八の姿が見えないのです。ちょうど、主人が居なくなった五日ほど前に、用事で外へ出ていったきり、帰ってこない。それが、気掛かりなことと言えば、気掛かりで」  「その権八とやらは、どういう男だい」  「はい、主人の里の甲州の出ですが、主人の遠縁の姪の子供に当たり、主人は、こちらでは肉親が少ないだけに、とても可愛がり、身の回りの世話をさせていました。ですから、言ってみれば、主人専属で個人的な世話係、お上の祐筆のような仕事ですね」  「すると、主人が出掛けるときも一緒かね」  「そういうことが多かったですね。ですから、主人が帰ってこなくなった日も、最初に権八の居場所を調べたのですが、権八もいなくて」  「一緒にいなくなったのか」  「私も、それが、気になったので、店の者にいろいろと聞いてみたのですが、要領を得なくて。考えてみれば、それも頷けます。お忍びで出掛けるのを、いちいち店の者には言いませんからね。二人で密かに出ていったのでしょう、とわたしは、受け取りました」  「とすると、薄々、あなたもご主人の行動に、不審を抱いていたのですか」  「不審という程ではありませんが、それは、そういう関係も少しはあるとは、思っていました。なにしろ、こんなに長い間、一緒にいながら、子供が出来なかったのですから、寂しかったんだと思います。わたしは、その事が、引け目になっていたので、あまり、厳しくは問い詰めませんでした。許すという気持ちがあったのです」  「それは、ご主人の、女遊びをということですか」  「まあ、そういうことを含めて、主人の自由にさせてやろうと」  「他には、気になるようなことはありませんか」  この日の時点では、あの女、美代香は、現れていなかったから、久乃は、  「他には、特にありません」  とはっきり答えた。  飯山は、それだけ聞いて、山形屋を辞した。  こうなったら、その権八とやらの行く方を探るのが、近道かもしれない。だが、出ていったきり、帰ってこないのだという。  (人相書きの絵描きを出向かせて、似顔絵を描かせよう。それを持って、江戸市中を歩き回れば、何かの端緒を掴めるかもしれない)    飯山はそう考えながら、役所に出所した。  さっそく、上司の南町奉行所奉行、近海銀三郎に面会を求め、山形屋事件の捜査の方針を報告した。  「最初の現場検証の所見と解剖の結果では、情婦との相対死という判断でしたが、わたしは、違う見かたをしています。死んでいた場所の状態で、死後の腐敗の進行の度合いが違った。それで、実際には、死んだ日が違っていたのに、死亡推定時間が同じになった。実際は、二人は、同時に死んだのではなかった。女の方が二日ほど、遅かったと考えています。ですから、女が、あるいは、他の第三者が男に毒を飲ませて殺し、その後で、女が死んだ。これも、自殺か、誰かが毒を飲ませたのか、どちらかでしょうが。そういうことだと思います」  じっと、目を瞑って、話を聞いていた近海は、  「面白い判断だ。お主の言う通りだとすると、この事件は、複雑な様相になるな。他に手を下した奴がいるとなれば、そいつを探さねばなるまい。仕事が増えるぞ。というようなことを言ってはいられないが。よし、わしも、久し振りに、町に出て、手伝うかな」  「はい、有り難うございます。そうして頂ければ、百人力ですが、当面は、私にお任せください」  「そうか、では、お主の言ったような方向で、捜査を進めてくれ。その権八とやらの人相描きができたら、わしにも届けてくれ」  「かしこまりました」  飯山は、早速、絵描きを「山形屋」へ出向かせた。  帰って来た浮世絵師が、描いた絵は、昨今流行の「歌舞伎者」の風情が漂っていた。 長い揉み上げに長髪を前に縛った髪形。派手な黄色い着物に伊達巻きを締めて、それは、近頃、江戸の町を闊歩している若者やくざの姿そのものだった。もし、これが、御政道の掟が厳しかった江戸の中頃までだったら、すぐさま、番所にしょっぴかれたような風体だ。  「これなら、すぐにも、見つかるだろう」  飯山が、その絵を眺めながら悦に入っていると、隣の席から、  「こんな若者は、皆似ているから、見つけるのはそう簡単ではないぞ。人相描きは、特徴を誇張して描いているから、返って面倒だよ。皆同じ格好の群れだから、皆、似ている」  と同僚から茶々が入った。  (確かに、そうかもしれない。だが、こういうやくざな若者が出入りする場所は、決まっているのだ。賭場か岡場所に決まっている。そうでなければ、射的屋だ。そういう遊び場を徹底的に洗えば分かるさ)  と飯山は、鷹揚に構えていた。    三 不審死  それから、三日後、飯山が外での聞き込みから、役所に帰ってきた夕方の五時すぎに、山形屋から、緊急の報せが入った。  飯山に面会した使いの丁稚の小僧は、  「女将さんが、権八さんが帰ってきました、とお伝えするようにとのことです」  と声を震わせながら、透き通るような高音で用件を言った。  飯山は、おっとり刀で、山形屋へ、駆けつけた。  挨拶もそこそこに、真っ直ぐ、店の奥に入っていった飯山は、  「女将さんは」  と大声で、叫んだ。  「こちらでございます」  女中が、奥の使用人部屋に案内した。  飯山は、草履を放り投げるように脱ぎ捨てると、廊下を真っ直ぐに進み、屋敷のもっとも奥にある女中部屋に隣合わせた使用人部屋に向かった。女中の  「お役人さんがお出でになりました」  という呼びかけに、中から障子が開けられ、久乃が姿を見せた。久乃は、敷かれた布団の側に座っていた。  その布団のなかには、若い男が一人寝ていた。  「ああ、どうも、飯山様。さっそく、出向いて戴きまして、すみません」  久乃は畳に三つ指を突いて、挨拶した。  「いえ、どうも、これが、その話の手代かい」  「そうです。これが、手代の権八です。昨夜、へべれけになって帰ってきて、店の脇の木戸口の所で倒れているのを、丁稚が見つけて、家に助け入れたんです。相当な酔いようで、何を聞いても要領を得ず、仕方ないので、布団を敷いて、寝かせ付けましたが、以来、一度も目を覚まさずに眠り続けています」  「すると、帰ってきてからは、なにも、話していないのかい」  「いえ、それが、何処に行っていたのか、わたしも気掛かりでしたから、しつこく聞いたのです。すると、ふらふらしながら、なんでも、ドバでやられた、とか二、三度繰り返していましたが、それ以外は、何とも言わなかったようです」  「ドバというのは、賭博場、すなわち、博打場のことだろう」  「はあ、そうですか」  久乃には、その方面の知識はない。 飯山は、  (そうなれば、ことは簡単だ)  と考えた。  (このお江戸で賭場を開くのは、御禁制だが、そこは、蛇の道は蛇で、取り締まる方のこちとらも、どこでやっているかを知らないわけじゃない。ここ、数日で賭場を開帳したのは、どこかくらいは、すぐに分かる。そこを、洗ってみればいい)  その仕事は、岡っ引きの専門だ。  「ところで、この男、このまま寝かせておいて、大丈夫なのか」  そのあまりに大きないびきをかいて寝ている昏睡ぶりが、心配になって、飯山が、久乃に聞いた。  「はい。先程、玄庵先生に往診してもらいました。見立てでは、過度の飲酒による泥酔状態ということですから、一日、寝かせておけば、治るだろう、ということで、心配はいらない、ということでした」  「すると、単なる酔っぱらいなのか」  「先生はそう言っておられましたが。確かに、権八は、酒好きですが、こんなになるまで酔ったのを見たのは、初めてです。酒には強いほうでしたので、本当に、びっくりしてしまって」  久乃は心底、驚いているようだった。  「ところで、権八は、いつも、どこで飲むのだ」  飯山はそう聞いたが、久乃はそこまで承知していなかった。  「若いものに聞いてみます」  と言って、店に出ていってから、暫くして、戻ってきてから、  「なんでも、よく行っていたのは、神田の蕎麦屋で、松野屋という店だそうです。一緒によく誘われていたという丁稚がそう言っています。なんでも、お気に入りの女が、賄いにいるらしいのですよ。権八はその娘にご執心なのだそうです」  「蕎麦屋が気に入りの店なのか」  飯山は、にやっと笑った。それは、  (この若さで、蕎麦屋で飲む酒の味を知っているとは)  という感心と老長けた遊び人ぶりを思って、権八の気質の一端を見たような気がしたからだった。  飯山は、同道した岡っ引きの善太に言いつけて、さっそく、松野屋に走らせた。  善太は、事細かに、昨夜の権八の蕎麦屋での行状を聞いてきた。  「昨夜、権八が、店に行ったのは、八つ刻ごろで、すでに相当、酔っていた状態だったということです。権八は、この店の賄い婦で、鹿子という若い娘にご執心で、店に入るなり、鹿子を呼んで、お銚子を三本と蕎麦掻きを注文すると、それを肴に一人で、ちょびちょびやりはじめた。連れはいなかったそうです。お銚子が三本目に掛かるころには、もう相当、酔いが回り、卓台に突っ伏してしまう程の状態だった。それで、鹿子は、このまま静かにしてくれればいいと、そのままの状態で、置いておいたのですが、しばらくして、突然、大きな声でわめきながら、立ち上がり、両手を上に高だかと上げて、「ウオ−」と唸り声をあげた後、後ろ向きに倒れて、しこたま、後頭部を打ったのだそうです。その光景は、店員全員と店の客らが見ていたので、間違いはありません。そのまま倒れてしまったので、鹿子らが駆け寄って介抱したのですが、両手で振り切り、しばらく、床の上にうずくまっていた後、不意に立ち上がって、『お代を』と言って、勘定を払い、店を出ていった、ということです」  「そのあと、山形屋の木戸口に倒れていた、ということだな」  「そうでしょう」  「それで、その蕎麦屋に来る前は、どこにいたのかな」  「それは、だれも知りませんでした。ただ、すでにもうかなり、酔っていたのですから、どこかで、やっていたことは、確かでしょうね」  善太は、人指し指と親指で輪を作り、それを上に持ち上げて、お猪口をあおる仕種をした。  「こちらの話では、ドバでやられた、と言っていたというから、博打場にいたんだろう。昨日の夜、開帳していた賭場を洗ってくれ」  権八は、  「へい、合点承知で」  と受け負って、かねて、心当たりの博徒の親方の家に走っていった。  一刻ほどしてから、役所に戻ってきた権八は、  「昨夜は、深川の平次の所と、亀有の三五郎の所で、開いていたということです」  と報告した。  「酔って、蕎麦屋に姿を見せるには、そう遠いところではないだろう。亀有ではないだろうから、平次の賭場だな」  飯山は、そう判断した。  「おれも行くから、一緒に付いてきな」  二人は、連れだって、大川を渡り、深川の鳶の親方で、博徒の平次の家に向かった。  平次親分は、広い玄関の土間に臨む八畳間の奥にある角火鉢の後ろに、右の片膝を立てて、座りながら、煙管で刻み煙草を吸っていた。  脇に座って、火鉢の灰を火箸で掻いているのは、親分の女房の噂に高い小春姐さんに違いなかった。角火鉢の端に、茶碗が二つ、きちんと茶托まで付いて、並んでいた。親分は、いま、姐さんと夫婦水入らずの休息の時をゆったりと過ごしている最中だった。  この小春姐さんというのが、世間の噂話では、かなりの曲者なのだという。子分たちのもっぱらの評判は、  「親分は、あの姐さんで持っている」  というもので、子分の面倒見もよく、なにより、さっぱりした性格が、  「さすがは、江戸っ子の姐さん」  と好評だった。  「御免なすって。お楽しみ中を失礼します」  善太が、あいさつすると、親分は、玄関先を振り向いて、  「おお、善太か。今日は、何の用だ」  と端的に聞いた。  「はい、こちらは、南町奉行書の与力、飯山さまです。ちょいと、親分に聞きたいことが、あるんで」  「いや。突然、参上してすまんが、聞きたいのは、昨夜の賭場のことでな」  親分は、警戒する目つきになった。お目こぼしがあるとはいえ、御禁制の所業をしていることには、変わりない。  「へい。あのそのようなことは」  「いいや。博打を取り締まろうというのではない。それは、またの機会にだ。聞きたいのは、昨日の賭場に、紅問屋の山形屋の手代、権八が来ていたかどうかだ。どうだ、来ていたか」  「はい、そのとおりでございます」  「来ていたとすれば、博打をしたのだな」  「まあ、そんなところです」  「なにかあったか」  「なにか、と言いますと」  「変わったことはなかったかということだ」  「全く、早耳でございますね。飯山様は。よく御存知で」  親分は、目を丸くして、聞き返した。  「それが、もう、あいつのお陰で、昨日は、散々だったのですよ」  「どうした。詳しく話してみろ」  「それが、あいつは、昨日は、嫌についていて、始めから勝ちっぱなしで、大分、儲けたんです。殆どが、あいつの目だったんですよ。それで、途中で席を立って帰ろうとしたんですよ。いわゆる、勝ち逃げですね。われわれは、これでもそう悪辣なことは、しないようにしているんで、そういう客は、客の自由にしています。だから、われわれとしては、少し貸し金があったんで、それを差し引いて、精算しようと思ったんですが、連れの客が、ごねだしましてね」  「ごねだした」  「そう。権八、おまえ、勝ち逃げするのか、と言いだしたんです」  「それは、どんな奴だ」  「権八の連れの若い男ですが、われわれは、初対面でした。権八が連れてきたのです。身なりは、いま流行の歌舞伎者のような格好で、派手な色の着物を着て。伊達者ですね、あれは。髪形も月代を入れずに、伸ばしていて、さしずめ石川五右衛門の風情でした」  「そいつが、難癖を付けたのか」  「そうです。そうしたら、大分、酒が入っていた権八が、そいつに食って掛かったんです。いきなり、胸ぐらを掴んで、掴みかかった。だが、連れの男のほうが、体も大きいし、腕っぷしも強そうだった。権八の手を振りほどくと、胸ぐらを拳で、どんと突き返した。権八はぐらっとなって、後擦りしたが、すぐに、体勢を立て直し、もう一度、頭から突っかかっていった。そうしたら、そこへ、男の右手の拳が、直撃して、権八は、右目の上を殴られて、後ろへ仰向けに倒れたんです」  「畳の上か」  「いえ。頭の後ろに、丁度、柱があったんで、そこへ激しくぶつかりました。ぶつかってからは、へなへなと、崩れ落ちて、ぐったりしてしまった」  「ぐったりとなったあとは」  「顔を叩いても、意識が戻らないので、若いものに体を抱えさせて、別の間に寝かせました」  「介抱したのか」  「それほどのことはありませんが。こいつが、手拭いを冷やしてきて、頭に当てて、寝かしておいたんです」  親分は、隣の姐さんを指差して、言った。  「姐さん。それで、権八は、目を覚ましたのか」  「はい、しばらくして目を覚まして、驚いていましたが、よろよろと起き上がって、『じゃあな』と言って、帰っていきました。そういやあ、少し、呂律が回らなかったが、わたしゃ、酔っぱらっているためだと思いましたよ」  飯山は、また、親分に向き直り、  「ところで、その連れの若い男は、どんなやつだ」  「ですから、歌舞伎者のようでしたと」  「町人か、それとも、浪人風か」  「そうですね、権八を一撃で、やっつけたところを見ると、あれは、喧嘩に慣れていますね。普通の町人じゃねえ。わたしの見たところ、何処かの藩の江戸屋敷詰めのお武家の勘当されたどら息子といったところかな。家はなく、悪い仲間と船宿あたりに泊まって、遊び暮らしている輩でしょう。でも、金は持っていた」  「御禁制のこととはいえ、賭場に集まった客の名前は、控えてあるだろうな。奉行所は、お目こぼしなどしていないのだぞ。ただし、そういう管理をしっかり、しているところは、すこしは、目を瞑っているということなのだ。どうだ、客の名簿はあるか」  「それは、もう、ちゃんと、ここにありますよ」  親分は、姐さんに顎で合図を送って、後ろの茶箪笥から、大福帳のような綴りを取り出させた。  「ええと、あの男は、ここには、こうなっております」  親分は帳簿を、飯山の方に、差し出した。  親分が、指で差した所を見ると、そこには、  「津島喜八郎」  との名前があった。    翌朝、飯山が、役所で書類の整理をしていると、また、山形屋からの使いが来た、という報せが、表の受付からあった。  昨日とは違う丁稚が、緊張した面持ちで、立っていた。丁稚は、飯山の姿を見ると、面前に進み出て、  「女将さんから伝言です。権八さんが死にました、と知らせるようにとのことです」  飯山は、  「分かった。追っつけ顔を出すと、言ってくれ」  と伝えて、伝令の丁稚を帰した。  とは言うものの、山形屋へ出向く前に、これまでの捜査結果を纏めておきたかったので、部屋に戻り、机の前に座って、考えてみた。  この事件の要点は、三つある。  一つは、富三郎と春菜の変死は、心中ではなく、死んだ時間に差があること。これは、富三郎が先に服毒死あるいは毒殺され、その二日後に、春菜が服毒死あるいは毒殺されたという推理に結びつく。  第二は、春菜の死んだ日に、若い男が二、三人訪れていたらしいこと。これは、ますます、この事件の謀殺の可能性を示している。  三つ目は、富三郎の身の回りの世話係だった権八は、津島という若いやくざ者と知り合いで、博打場に姿を見せていたこと。これは、春菜の部屋に来た若い男が、彼らではないか、と疑わせるに十分だ。  こうみてくると、事件の輪郭がおぼろげながらに、浮かんでくるような気がした。  以上の三点を懐紙に書きつけてから、飯山は、山形屋に向かった。  真っ直ぐに、一度来たことのある使用人の部屋に向かうと、部屋の真ん中に、権八の遺体が、頭に白い布を掛けて、布団に横たわっているのが、見えた。久乃が、枕元に座って、茫然とその布を見ていた。遺体を挟んで、久乃の反対側に、掛かりつけの医師の玄庵が座り、やはり下を向いて押し黙っていた。  飯山が、  「これは、どうも。突然のことで、驚きました」  と久乃に話しかけると、久乃は  「いえ、私のほうこそ。すっかり酔っぱらって寝込んだものとばかり思っていましたから。急にこうなるとは・・・・・・」  と驚愕の表情を隠さずに言った。  そして、  「とても、病死とは、思えませんので、お知らせしました」  と付け加えた。  飯山は、玄庵の方に向かって、  「お医者殿、あなたの見立てでは、過度の飲酒による泥酔なのではなかったのか」  と尋ねた。  玄庵は、これに、  「はい、わたしは、そう思っておりましたが、こんなことになろうとは・・・・・・。わたしの長い治療経験でも、初めてのことです。これでも、二十年以上、この仕事しているんですが」  と言い訳やら、慰めやらつかぬ、言い方をした。  「となると、わしの方としては、変死事件として、死因を調べなければならない。解剖をするためにご遺体を少しのあいだ、預かりたいが、よろしいか」  飯山の問に、久乃は、  「それはもう。わたしは、権八の親代りですから、親として、承知いたします。なんなりと、十分に調べて下さいませ」  と承諾した。  権八の遺体は、小石川療養所に運ばれ、奉行所委嘱の監察医、石川源幡の手によって、解剖された。  石川が最も注目したのは、  「ふらふらと、酔っぱらったような状態が続いていた」  という証言もあって、やはり、頭蓋内だった。  一応、内蔵も全て摘出して検査したが、胃と腸に過度の飲酒によると思われるびらんが散見された以外の異常は認められなかった。  「それより、右の目の上の痣と脳との関係のほうが問題だ」  と石川は、鋸を手に、頭蓋骨の切断に取りかかった。頭を輪切りにして、頭頂部の骨を外し、中から脳を取り出して、調べるのだ。  助手に手伝わせて、頭蓋骨の切断を簡単に終えた石川は、すぐに、両手で脳全体を取り出し、脊髄へ続く根元を刀で切断して、脇の机のうえの盆の上に置いた。  そして、両手で回しながら良く観察すると、左側の後頭部に拳大の血腫があるのが、分かった。それが、脳を圧迫していて、その部分の脳が凹んでいた。  「これだよ、これ。この仏さんは、酔っぱらってふらふらしていたのではない。この血腫が脳を圧迫していたんだ。それで、体の均衡が取れなくなって、足元がおぼつかなかったんだ。頭の外側にも打撲の傷痕がある。強く頭を打って、血管に亀裂がはいって、じわじわと出血したんだろう」  立ち会っていた飯山も、この所見に納得した。  権八は、博打場での喧嘩で殴られたのが原因で、後頭部を強打して、脳内血管が破れて、内出血を起こした。出血は、じわじわと続いて、徐々に、脳内に広がっていったため、泥酔状態と同じ症状を呈した。それで、玄庵は酔っぱらったためと誤診したのだろう。     四 謎解き     こうして、権八の死因は、科学的に解明されたが、飯山の仕事は、ここからが始まりだ。権八を殴った津島喜八郎とやらの行く方を追わねばならない。  (権八は富三郎の使い走りだったのだから、その遊び友達の津島も、富三郎変死事件に何らかのかかわり合いがあると見ていいだろう)  飯山は、そう考えていた。  飯山は、善太に津島の身元の探索に全力を注ぐように命じ、翌日、自らも江戸城内の大目付けの詰所に出向いて、各藩の江戸屋敷の不審な若者の名前の洗い出しに掛かった。  大目付けの部屋には、各藩の江戸詰めの武士たちの動静の情報が集まって来ている。幕府は些細な情報も逃さず、不審な人物の人名録を整備している。いうならば、要注意人物の「ブラック・リスト」が完備しているのだ。  もちろん、これは、部外持ち出し禁止の極秘扱いの文書だが、昔、江戸城詰めのお納戸所に勤務した経験のある飯山には、ここに知人も多かった。  「いやあ。久しぶりですな。ちょいと、書類を見せてもらいますよ」  気楽に、当番の顔見知りの役人に声を掛けて、書見台に座り、その「ブラック・リスト」に先日、賭場で聞いた津島喜八郎の人相、風体と合致する人物が載っていないか、検索を始めた。  この帳簿には、ここ数年の間に、江戸在住の藩士とその家族、子弟らが犯した犯罪の罪名の日時、関係者、概要などが記されている。ほかに、徒党を組んで悪行を働く「連中」や「組の者」の仲間の首魁や組員の名前を記した名簿もあった。  飯山は、平次親分が言った「津島喜八郎」の名前を探すために、書類を繰っていった。帳簿の頭から着手して、昼頃まで、この作業に没頭したが、同じ名前は発見できなかった。昼食後、作業の手順が逆だったのではないか、とはたと思いついた。  そして、今度は、最後の方の記録から、時間を逆上って、見ていくことにした。  すると、間もなくして、向島地区の賭博事件の関係者の名簿の中に「津島」の名前があるのを発見した。  その在籍している藩名と所在地を辿ると、それには、「加賀藩江戸下屋敷在」とあった。これは、あくまで、今で言う戸籍簿のようなもので、現在居住しているところとは、明らかに違う。所属は、お納戸係中元とある。いつまでかは、そういう仕事に付いていたことがあると、いうことだろう。現在は、居場所も決まらぬ根無し草の遊び人なのだから。  加賀藩下屋敷は、江戸城から西北に二里程離れた板橋宿の近くになる。  (そんなに遠くから、深川まで博打を来る奴はいない)  飯山は、そう考えて、この記録を懐紙に転写して、下城した。  奉行所に戻って、  (さて、この記録だけでは、こ奴にたどり着く手立てにはならない。奴の出自が割れただけだ)  と考えていると、善太が、息せき切って、駆け込んできて、  「奴が、見つかりました」  と報告した。  「そうか。わしも、記録簿で名前を調べてみたが、奴は、加賀藩士だったようだ」  「そうですか。では、やはり、元は武士なんですね。それだから、腕っぷしが強いんだ。喧嘩に自信があるはずだ」  「ところで、見つかったというのは」  「はい、また、暴力沙汰を起こして、捕まったんです」  「なんだ、それでは、飛んで火に入る夏の虫ではないか。どこに捕縛されているのだ」  「深川澪通りの番所です」  「よし、行ってみよう」  飯山は、着物の裾を捲くり上げて、小走りに、大通りへ駆けだした。    番所で、津島喜八郎は、両手を縄で後手に縛られ、御座の上に座っていた。木戸番の清五郎が、杖を持って、その脇に立ち、縄の一方の先を握っていた。首をうなだれて座っている津島の面前には、飯山と同役の坂野茂三が立ち、尋問していた。  「お前は、これで、何度捕まった。ここ一月で、騒動を起こすこと度々。まったく、改悛の情が見られぬではないか」  「へい、申し訳ありません」  「申し訳ないということは、罪を認めるということだな」  「はい」  津島はこの暴行事件の罪を認めた。  そこで、飯山が、割って入った。  「お前は、紅問屋の山形屋の手代、権八と仲がいいというのは、本当か」  「へい。博打仲間です」  「先日、平次親分の賭場で奴を殴ったろう」  「そんなことも、ありましたでしょうか」  「奴は、権八は、死んだよ」  「死んだ」  「そう、あの世へいっちまった」  「そうですか」  津島は、平然と言った。  「お前が、殴ったのが致命傷になった」  「へい・・・・・・」  「ということは、お前は、暴行したうえ、傷害致死の犯罪を犯した下手人だということになるな。公儀のお咎めは、覚悟しているであろう」  「かしこまりました」  津島は、公儀の咎めという言葉を聞いて、身を縮めた。  飯山は、これを好機にと、追い打ちを駆けて、尋問した。  「権八の奉公先の山形屋の主人富三郎が、変死した事件は、お前も知っておるだろう」  「・・・・・・・・・」  「知っているな」  「はい」  「あの事件は、お前と権八が、やったんだろう」  「いえ。そんな、滅相もない」  「しらを切るのか」  「いえ、本当に知りません」  「では、これは、どうしたのだ」  飯山は、津島が常宿にしている向島の船宿の捜索で発見した薬瓶を、見せた。  「この中から、富三郎と春菜の飲んだのと同じ、青酸カリが見つかったのだ」  「・・・・・・・・・」  「この薬瓶はだれのものだ」  「はい・・・・・・。それは、春菜さんのものです」  「そうだ。三味線の革をなめすのに使うのものだ。これが、なぜ、お前が泊まっている部屋にあるのだ」  「すみません」  「この薬を二人に飲ませて、殺したな」  「いえ。私と権八で飲ませたのは、春菜だけです。富三郎は知らない」  「そうか。それで、十分だ。どういう経緯なのか、話してみろ」  飯山は、ここまで来れば、あとは一気だ、と判断して、津島に煙草を勧め、気を落ちつかせてから、おもむろに、自白を促した。  津島の自供は、  ーー この一件を持ちかけてきたのは、権八です。主人・富三郎と女の心中事件を起こせば金になる、と誘ってきた。ですから、その話の依頼がどこから出たのかは、知りませんが、権八は、すでに、金は受け取ったといって、私に三十両ほどを見せました。権八が言うのには、富三郎は、五日に一回、あの端唄の女師匠のところに、通っている。師匠の春菜も仲間に誘って、富三郎をやってしまおう、というのです。私と権八は、二人で春菜に掛け合い、仲間に入れました。一人十両ずつの取り分です。春菜は富三郎の稽古の日、二人きりになったとき、茶碗に薬を入れて、飲ませました。そうして、遺体を置いたまま、二日ほど、姿を隠したのです。そして、二日後、遺体の処理の相談に、三人であの部屋に集まったのですが、酒を飲んで大騒ぎになり、酔っぱらって寝ようとするときに、権八が春菜の水飲みに薬を入れて、殺した。そして、心中したように装おうために、遺体の間に遺書を置いて、逃げましたーー。  「金は十五両ずつ分けたのだな」  「はい、いえ」  「それで、博打場に入り浸っていたのか」  「はい・・・・・・」  「金が欲しかったのか」  「いろんな賭場に借金が嵩み、つい、話に乗ってしまった」  「権八をあんなに酷く殴ったのは、勝ち逃げをたしなめて、反発されたことだけが理由ではないだろう。分け前を巡って、いさかいがあったのではないか」  「はい、それは、確かに腹に据えかねることがありました。半分ずつ、十五両ずつという話だったが、あの日、あいつは二十両取り、わたしには十両しか渡さなかった。だから、おれは、怒っていた」  「ところで、権八に依頼した奴は誰なのだ。その金を出したのは」  「私は、知りません。私としては、金さえ貰えればよかったんですから。出所は関係ありませんよ」  飯山は、それを真剣に考えていたが、  (あるいは)  という微かな思いが走った。  (あり得ないことだが、そうかもしれない。想像したくなかったが、その可能性も捨てることはできない)  と思っていた。  「ところで、お前は、深川の三味線の師匠で、美代香をいう女を知っていないか」  「はい。でも、どうして、それを」  「やはりな。どういう仲だ」  「いえ、いろいろ世話になったり、世話をしたりの間柄ですよ」  「いろいろというのは、要するに、男と女の仲か」  「まあ、それは、言ってみれば、連れ合いの仲のような時もありました」  「一緒に暮らしていたのか」  「はい、一年ほど。ですから、昔、付き合いがあって、今は別れた女です」  「最近は、会っていないのか」  「そうです。いや、そうでもない。たまに会うこともありました」  津島の自供をそのまま信用は出来ないが、富三郎と春菜の変死事件については、これで解決だろう。事件は心中では無かったのだから、山形屋の身代は、一応、保証されたようなものだ。あと一つ、残るのは、殺人の依頼者の割り出しだ。殺しは、依頼者も同じ罪になる。だが、この先を追求したくても、権八が死んでしまってのだから、口を割らすことはできない。死者に口なしなのだから。  (だが・・・・・・)  飯山は、考えた。  (まだ、物証がある。それは、遺書だ。綺麗な女文字で綴られていたあの遺書は誰が書いたのか。心中でないのだから、誰かが書いたものでなければおかしい。それを書いたものが、事件に絡んでいる第三者だ)  飯山は、春菜の書いた書き物も押収していたが、筆跡が違うような気がしていた。  津島に最後に、聞いた。  「あの遺書は、誰が書いたんだ」  「知りません。権八が持ってきたものを置いたのです」  津島はそう言い張った。    ここまで来れば、あとは、奉行の近海銀三郎に報告して、お裁きを仰ぐ段階だ。  飯山は、事件の報告書を纏めて、奉行に提出した。  奉行は、報告書を読んで、この一件と美代香から出されていた親子関係確認の訴えの裁きを、翌々日に行うことに決め、関係者に通知した。  そのお裁きの日、お白州には、手縄を掛けられた津島が引き出され、関係者として久乃と美代香も呼び出され、津島の後ろに正座していた。  久乃はすっかり上気した表情ながら、かすかに着物に炊き込んだお香の香りを漂わせ、すっかり未亡人の風情が身について、圧倒するような色気があった。一方、美代香は質素な絣の着物を着て、無表情に、正面を向いて座っていた。その姿は、子供を連れて山形屋を訪れたときと少しも変わらなかった。  正面の舞台のように高いお裁き台に上下を着て姿を見せた近海は、後に従った飯山らが席に着くと、  「これより山形屋の変死事件と親子関係確認の訴えのお裁きを行う」  とよく通る声で宣言した。  飯山が立って、津島の罪状を読み上げた。  「以上のことで、相違ないか」  罪状の朗読が終わると、近海は、津島に尋ねた。  「その通りでございます」  「そうか、では、いくつかの質問をする」  「だれが金を出したのか。遺書は誰が書いたのかは、知らないのだな」  「はい」  すると、間を置かず、  「久乃は、どうだ」  近海が突然、聞いた。それは、予期せぬ問いだったから、久乃は不意を打たれて、言い淀んだ。そのとき、飯山が、  「貴方は、権八と意を通じていたろう」  とたたみかけた。気を取り直した久乃は、  「はい」  と、つい本当のことを答えてしまった。  「いや、いいえ、そんな」  と言い直したが、遅かった。  「権八に金を渡していたのは、久乃、お前だな」  そう断じられて、久乃は、観念した。  「どういうことだ。いってみろ」  飯山が追及した。  「はい、わたしは、主人の最近の言動に不審を抱いておりました。それで、一番、気持ちが通じていた権八を世話に付けて、探らせたのです。すると、女が居ることが分かった。三味線を弾く唄の師匠だという。二人で苦労して身代を築いたのに、裏切られたと思うとわたしは、悔しくて、夜も眠られなくなり、女さえいなければ、と考えるようになったのです。それで、機会があれば、と権八に金を渡して、頼みました。でも主人までがこんなことになるとは。私は、愚かな妻です」  「そうか、権八は、お前と関係を持っていたのか」  「それは、夫に構ってもらえない寂しさから、成さぬ仲になりました」  「権八の遺骸の脇で、涙を滲ませていたお前の姿は、使用人に対する態度とはとても思えなかったからな」  飯山は、鋭く観察していた。  「だが、権八は、主人の方を殺したかったのだよ。お前との仲が大切だったんだろう。恋路を惑わす他の男は、たとえ、主人でも居てほしくない。そう考えたんだろう。その上、相手も取り違えていた。権八は富三郎の女が三味線の師匠というだけで、相手が春菜だと決め込んでいたのだ。そうではないか」  「わたしが、愚かでした」  久乃は、お白州に泣き崩れた。その体を番役人が引き起こし、両手に手縄を掛けて、後ろ手にし、腰に回した。  「つぎに、遺書の件だが、ここに、あるのがそうだ」  近海は、書類を翳してみせた。  「それから、ここに、美代香が持参した富三郎が書いたという親子の確認書がある」  近海は、その二枚の書類を両手に持って、近寄せた。  「どうだ、切り口が一致しただろう」  書類を手に体を回して、皆に見せた。  「ということは、この二枚は、一つだったのだ。それを切り離して、二枚にした。そうだろう、美代香」  この度は、美代香が不意を突かれた。  「はあ。はい」  美代香も思わず、肯定していた。  「お前が、書いたのだな」  「はい」  「富三郎の署名は、本人のものか」  「そうです」  美代香の答えは、飽くまで、端的だ。  「遺書の春菜の名は」  「それは、知りません」  「津島は」  津島が、身を縮めながら言った。  「わたしです。済みませんでした。わたしが、美代香から預かって、春菜の名を書き入れて、あそこに置いたのです」  飯山も納得した。津島は嘘を付いていたが、そうなれば、話は分かる。  「美代香。何が目的だ」  近海が、聞いた。  「それは、この子を認知してもらい、財産分けをと」  「そのために、富三郎を殺したのか」  「殺したのは、津島と権八です。いや、春菜です。わたしは、彼らの計画に乗っただけです。旦那が死んだ後、家にやって来てその話をしていた二人の話から、心中に見せかけられると気が付いて、予て私の為に書いておいてくれた書付けが使えると思っただけです」  「お前が書いたのか」  「そうです。それに旦那様が、名前を書き入れて」  「これで、二つの事件が繋がった」  近海と飯山は顔を見合わせた。  「最後に、親子の確認の件だが、南方、入ってくれ」  奥の襖を開けて、医者の姿をした男が一人、木枠に壺を五つ並べたものを持って、入ってきた。  「この者は、長崎でシーボルト医師のもとで蘭医学を学んだもので、南方熊市という。西洋には親子の確認のための秘術があるという。それをいま、ここで、やってもらう」  南方は、白州の前の床に進み出て、説明した。  「ここに四つの薬剤が入っている。これを血に入れると固まるものと固まらないものとに別れる。それで、血の型が分かるのだ。富三郎の血は、このもう一つの壺に入っている。あとは、そこのご婦人と、子供の血があればいい。こちらへ来なさい」  呼び出された美代香と小一郎は、おずおずと進み出た。南方は、二人に腕を出させ、小刀で傷つけて、血を出し、採取した。その時、小一郎の、大きな泣き声が、お白州の静寂を鋭く、切り裂いた。  「さあ、これにこの検査液を垂らすとすぐに、分かる」  皆が、注目した結果は、富三郎が甲型とすると、美代香が乙型で、小一郎は、丙型とみな違っていた。  「親が甲と乙型ならば、子供は、必ず甲か乙になる。ほかに、丁型というのになる可能性もあるが、小一郎はそうではないから、親子の関係はない」  「結論が出たようだな」  近海が言った。  「以上の通りで、親子関係は認められない。分かったか」  美代香は小一郎とともに、平伏した。  となると、実は誰の子供なのだろうかという、疑問が残るが、お裁きにおいては、そのことは、当面の課題ではない。推測するに、それは、津島との間の子供とも思われるが、美代香自身、そのどちらとも分からなかった。実は、他にも生活のために世話になっている男は、大勢いた。女が一人で、子供を抱えて生きていくためには、女だけに許された武器を使わねばならない必要もあった。美代香は、三味線の技量とともに、その女も売っていた。  美代香は、この親子の確認書が認められないのなら、月々の手当てを貰っていたことを証明する封筒を提出するつもりだった。それには、「富三郎より」の裏書きがある。それが、本物と証明されれば、証拠になるだろうと、考えていた。だが、この科学的な血液検査が行われたからには、その必要もなくなった。いまさら、父親がだれと知れても、暮らしに大した違いはない、と諦めた気持ちになっていた。  一方、久乃には、有り余る財産があったが、夫以外に男を知らずに通してきた。権八と関係ができたのは、夫が浮気をしているという確証を得てからだ。それまでは、一生懸命、店のために働き、夫一筋に尽くしてきた。生まれは垢抜けない田舎女だったが、ここまで来たのは、そういう誠実さと勤勉さのためだという自信があった。朝の煙草のほかに、これという贅沢をした覚えもなかった。  (黙々と働いて来たのに、魔が差した時は、こんなことになる)  久乃の心は、怒りと後悔で一杯になっていた。  奉行が正座しなおして、姿勢を正した。  「では、裁きを言い渡す。津島は市中引き回し後、磔のうえ死罪。久乃は店の取り潰しと国返しとする。美代香は、事件に乗じようとしたことの犯意は重いが、直接、手を下していないためお咎めなし。ただし、今後、小一郎の養育に抜かりないように務めること」  お裁きは出された。    飯山は、吏員に引き立てられていく久乃を見送りながら、  (女の業は深い。あれで、子供でも出来ていたら、こうはならなかっただろうに。それほどまでに、愛する夫の浮気の相手が憎かったのか。だから、死んだと思っていた愛人が、子供を連れて姿を見せた時の驚きは、想像を絶するものだったろう。そこで、相手を取り違えたと気が付いて・・・。必死で自分を取り繕った)  とこの寡婦の心を思った。  それに引き換え、飽くまでも堂々とした美代香の態度はどうだ。  (あれは、子供を生んで育てている女の強さだ。どうあっても、この子だけは、守ってみせるという母の強さだ。そういう張り詰めたものが、あの女を支えている。ああいう女の前では、男なんて、ひとたまりもなく飲み込まれ、息の根を止められてしまう)  大店の女将としての堂々とした体躯と、江戸の町の片隅でひっそりと肩を寄せ会って暮らす母子家庭の母のか細い姿と、その外見は対照的だったが、内面にあるものは、それとは正反対に、久乃の方が限りなくひ弱で、美代香の方が思いのほか骨太だった。  (女は、姿だけでは分からない)  飯山は自分の身の上に置きかけて、  「ああ、くわばら、くわばら」  と身をふるわせた。  家では、飯山が頭の上がらぬ姑と嫁が、競うように牙を研いで、「旦那さま」の帰りを待っている。 五 誕 生  小口新太郎は、江戸は神田・相生町の御家人屋敷の外れで、剣道場を開いている。  門弟は、二十五人。その殆どが、江戸城勤めの御家人の子弟である。新太郎の剣の腕前の評判は良い。評判がいいから、最初は二、三人の門弟だけだったのが、徐々に増えて、道場限界の人数を抱えるようになった。  流派を「木の葉一刀流」と名乗っているが、それは、新太郎の独創である。本来は、肥後の国は、熊本藩の剣道場である「誠志館」で習得した清正流が、基本になっている。  小口は、熊本藩を事情があって、解役された浪人であったが、江戸に流れ着いてから、剣道場を開き、成功しつつあった。  道場の裏手にある自宅には、新太郎の父の忍が住んでいる。家族と呼べるものは、この二人だけだ。  新太郎は、早朝に、この住家から出ていくと、丸一日、道場で過ごす。朝一番の稽古をつけると、次から次へと門弟がやって来るので、休みもろくに取れないのだ。  新太郎は、三十代半ばで、江戸に出てきて、初めは、剣の腕前を生かして、千葉周作の北辰一刀流道場などに出掛けて、いわゆる道場破りを繰り返していた。  そのうち、度重なる道場破りに、既存の道場主らが、音を上げて、姿を見せるだけで、なにがしかの金品を与えて、お引き取り願うようになった。  新太郎は、こうして稼いだ金をしっかり、貯蓄して、自らの道場の開設資金にしあのだった。  こうして、江戸へ来て三年目に早くも、新太郎は、道場主となり、その片隅に居室をしつらえて、父親を呼び寄せた。  忍をまた、剣の道では、藩内では名を馳せた使い手で、藩主・加藤清元公の若き日の剣道指南を勤めていたが、新太郎が解役されたのを、家名の恥として隠居し、以後、稽古の竹刀を握らなくなった。  その新太郎の解役事件の顛末は、本人も忍も黙して語らないが、大まかに言うと、藩の法度で禁じられている仇討ちに、止むを得ぬ事情から加勢し、藩の重臣をあやめたのである。  藩則は私刑を禁じていたから、加担者の新太郎も、家老による評定に掛けられた。本来ならば、死罪か流罪を免れないところだったが、父、忍の長年に渡る藩政への多大な貢献と重臣への奔走によって、解役で、止まったのだった。  無録となった父子は、当面の糊口を凌ぐことに追われることになった。生きる道は、究極的に、自らの力に頼るしかないが、二人にとって、それは、剣の道だった。  だが、熊本藩内では、それは出来ない。  二人は、一大決心をして、江戸に出ることに決め、全ての死罪を処分して、身ひとつで、江戸に出てきたのだった。  だから、彼らは、失うものがなかった。  だが、今や、多くの失ってはならないものを持つ身になり、新太郎は、さらに多くの持ち物を加えなければいけないという時期に来ていた。  それは、父、忍も心にかけていたことだったが、  (新太郎に相応しい妻女を娶り、身を固めさせること)  だった。  なにしろ、故郷にいるときは、生みの母が、生後しばらくして、急逝してしまったから、新太郎は母の愛を知らない。そして、剣道一筋の修行に青春時代を過ごしたので、女性と知り合う機会もなく、三十歳を超す年齢になっていた。江戸へ出てからも、酒を飲むわけでもなく、まして、遊廓に出掛けるような金もないから、新太郎は、今まで、女を知らなかった。  新太郎の世界に、女というものは、不在だったのだ。  だが、だが、父は、ここまで家を再興させた新太郎に妻を娶り、できれば、孫の顔を見たいと考えていた。  「もう、わしの命もそう長くはない。わしの目の黒いうちに、身を固めさせたい」  というのが、忍の願いだった。  忍は、知り合いの人に会うたびに、  「新太郎の連れ合いを、探して頂きたい」  と声を掛けた。    そのうち、上野の剣道具屋の番頭から、  「うちの妹に、加賀藩江戸屋敷に行儀見習いに上がってる娘がいる。年は二十五とややとうがたっているが、新太郎さんも三十過ぎになっている由。年格好はちょうどいいのではないですか」  という、格好の話が持ち込まれた。  忍は、時期を見て、この話を、新太郎にしてみたが、新太郎は、  「いや。まだそのような気は御座らん。拙者身を固め、身上を持とうなどとは、考えもつかぬこと」  と固辞を続けた。  だが、忍は、この話を忘れることができず、番頭に頼んで、深川の料理屋に部屋をとてもらい、娘が里帰りするお盆の時期に、新太郎を同道して、料理屋に出向き、番頭が連れてくる娘と見合いをさせるように段取りを進めていった。  真夏の太陽が照りつける盆の入りの日に、忍は、  「暑気払いに、なにか、旨いものでも食いにいこう」 と渋る新太郎を連れだし、久し振りに父子連れの道を急いでいった。  番頭に連れられた娘は、紺の呂の着物に浅黄色の帯という、夏の陽光にも負けぬ鮮やかな衣装で、りんとして、料理屋に案内されてきた。  「本当に、暑うございますね」  料理屋の女将が、愛想を言うと、その娘も行儀見習いに行っていたというだけに、深々と頭を下げて、  「お暑うございます」  と愛想良く、あいさつを返し、座敷に上がっていった。  忍と新太郎が待つ離れには、母屋から廊下伝いで、行くことになるが、その廊下からは良く手入れがされた中庭が見える。奥に築山があり、その手前の小さな池には、緋鯉が数匹、泳いでいた。この池から水を引いた流れが、廊下を横切っていて、その上を飛び石伝いに、離れに行く趣向だ。  娘は、その飛び石を伝って行こうとして、足を滑らしそうになったが、前を行く番頭の肩に捕まって、ことなきを得た。  その様子を、離れの格子を通して、新太郎は見ていた。  (なんと、たおやかな姿態で、ことなきをえたことよ。あの女人の柔らかな身のこなし。一ぷくの絵を見るようだ)  内心での呟きが、その女人へのささやかな呼び覚ました。  (はて、どこへ行くのだろう。誰かと待ち合わせか)  そう思った束の間、隣室と隔てていた襖が開いて、当の女人が、中年のはげ頭の男と一緒に現れ、畳に座った。男は、  「お待たせいたしました。今日は、良く照りますな」  と父に向かって挨拶した。  外は陽光の照り返しが強い。ただ、時折、鯉が跳ねるのと、引き水の流れる音だけが、耳に届く。  新太郎は、初めて、父の誘いの意味が分かった。  番頭が続ける。  「こちらにおります娘が、私の妹の子供の多重という娘でございます。よろしくお目通りくださいませ」  八畳の部屋に卓があり、床の間を横に見て、奥のほうに新太郎と忍、廊下側に背に光を受けて、多重と番頭と座って、相対した。  型通りのあいさつが終わったあと、女中がやって来て、料理を運んできた。  「この店は、川魚料理が売り物ですので、鰻や鮒や鯉料理が出てまいります。生臭さは、上手く料理して、消してありますから、御心配なく。まあ、その前に一こんいかがえすか」  番頭が、卓上に出された冷酒の徳利を手にして、忍と新太郎にお酌をしようとした。すると、娘が、  「私がします」  と割って入って、手にした徳利を、忍の杯に持っていって、注いだ。次ぎに娘は、新太郎に向いて、  「さあ、いかがですか」  と如才なく、手を伸べた。  新太郎は、その手のしなやかさと指の白魚のような白さに目を奪われ、杯を持つ手が震えた。  (女人とは、かくもたおやかなものなのか)  心中を新鮮な驚きが走った。  最後に自分の杯に酒を注いでから、  「さあ、これで、揃いました。では、乾杯を」  という番頭の合図で、  「お近づきの印に」  と言って、四人は、杯を上げた。  外で、  「ピシャ」  と鯉が跳ねる音がした。  「カタン、カタン」  と獅子脅しの落ちる音が静寂を破る。  「多重殿は、武家のお屋敷でのお勤めで、行儀作法は申し分ない。良い奥方になられるのは、必定ですよ」  番頭は、しきりに仲人口を言って、間を持たせた。  本来なら、部門の家のしきたりとして、商家の娘を嫁に娶るのは、異例ではあったが、すでに、新太郎は解役されて、無録の身。使える主君がない身の上とあっては、そんあ形式論は言ってはいられない。  (それなりの躾けと容姿があるのだから、その年齢からして、今回の話は、よしとしなければならないだろう)  見合いは、丸一日、掛かったが、結論は早かった。  両家から使いが出て、婚礼は一月後の大安吉日に、新太郎の道場で、親類縁者に弟子が加わって、ごく内輪に執り行われることになった。  そうして、妻女を娶った新太郎は、一層気をいれて、道場経営に勤しんだ。  多重は、申し分ない妻だった。家一切をそつなくこなし、掃除、洗濯、料理と甲斐甲斐しく働いた。男所帯に花が咲いて、男二人と女一人の家族は、順風満帆の船のようだった。  一年も経つ、多重が身ごもっているのが分かった。待望の第一子の誕生に、家族の期待は、大いに高まった。幸せが一過を包み込んでいた。  忍も新太郎も、  「生まれる子が、男だったら新一郎だ。女だったら、八重にしよう」  などと、期待を膨らませて、気を揉んでいた。  そういう家族の希望を一身に受けて、多重は、男子を出産した。  従って、「新一郎」と命名されたその男の子は、新太郎一家の希望の星として、期待を一身に担い、深い愛に包まれて、すくすくと成長していった。  「木の葉一刀流」の開祖としての新太郎の道場は、益々、繁栄を極めていき、経済的にも、世間の評判でも、不満はない状態だった。いわば、恵まれた家庭環境のなかで、新一郎は、伸びやかに育っていった。  道場主の嫡子とあって、剣道はすでに、五歳のころから始め、竹刀を持って、稽古をしていたが、進歩の度合いは、捗々しくなかった。  それは、新一郎が、肉体的に虚弱で、運動能力も、やや、劣っていたことが、原因だった。新一郎は、体を動かすことより、静かに座って、本を読んだり、書を書いたりするほうが、好きだったし、性に会っている感じだった。  だから、道場に行くのは、気が滅入った。それでも、気丈は新一郎は、泣き顔になりながら、歯を食いしばって、朝稽古に出ていった。  新太郎には、それが、痛いほど分かっていた。わが子の苦しみを分からない親はいない。  「新一郎は、剣道に向いていないのではないかな。むしろ、学問の方が、好きなようだ。そちらの道に進ませたほうがいいのではないか」  新太郎は、多重に相談した。  「確かに、そのような風がありますが、それでは、この道場を継ぐ者がいなくなります。そうなっては、お義父上にも申し訳ないでしょう」  「それもそうだが、私は、良いのだよ。門弟のなかから選んで、継いでもらってもいいのだ。もともと。仕官している身ではないのだから、子供は、好きな道に進ませても良いのではないかな」  「しかし、お義父さまが」 ということで、夫婦は、老父に相談を持ちかけた。  忍は、この相談を受けて、自分なりに、考えを巡らしてみたが、隠居の身で、若夫婦の間の子供の養育問題に口を挟むのは、身のほど知らずではないかと思い至って、  「お前たちの子供なのだから、二人で、よしなに考えたらどうか。道場も新太郎ががんばってここまでにしたのだから、自分の思いどおりにすればよい」  とだけ、答えていた。  父親に良い知恵を出してもらおうと期待した、新太郎夫婦は、忍の返答に失望したが、新太郎にしてみれば、  「せっかく、ここまでにした道場を手放すのは、惜しい」 という強かった。  その思いを実現するには、真一郎に、剣道の稽古に励んでもらい、とにかく、  「強くなってもらわないと困る」 のであった。  新一郎は、たしかに体がそう丈夫ではなく、運動神経も人並み優れているわけではないが、まったく、剣道ができないわけではない。その証拠に、いやいやながらも、朝稽古にも出ている。ただ、いま、書物の虜になって、書を読むのが楽しいだけなのだ。そう考えてみることもできる。  だから、これ以上、新一郎が剣道を嫌いにならないためには、どうすれば良いか。その方策を、考えることが肝心なのだ。それにはうすればいいか。  色々と考えてみたが、良い案はなかなか浮かばなかった。  ある日の、夕餉の卓で、新一郎が書見のため、自室に引き上げたあと、夫婦でこの話を始めたところ、聞いていた忍が、  「やる気を出させるためには、競い合う者がいるのが一番だ。競争者がいれば、自分の技量が体で比較できるし、進歩への励みにもなる。できれば同じ年くらいで、気がある者がいい。わしも、若いころ熊本での剣道修業中は、今は、国家老を勤めている水前寺頼近が、最大の競争相手だった。朝から晩まで一緒にいて、日が暮れるまで竹刀を合わせていたものだ」  と知恵を出した。  「そうですか。わしは、そういう者を持たずに、自己流の修業をしてきたから、そういうことには、気が付かなかった。さっそく、新一郎の稽古相手を探してみよう」  新太郎は、決断して、門弟のなかに、目星を付けてみた、だが、門弟は、後家人の子弟が多いだけに、決まった時間に道場に来て、決まった時間だけ稽古をして、帰っていくものがほとんどだった。一日中、新一郎の遊び相手になてくれそうな者は、一人もいないといっていい。  本来なら、そういう遊び相手は、自然とできるのだが、引っ込み思案の新一郎ゆえに、自分でそういう友達を作ることは無理な相談だった。  六 出会い  新太郎夫婦が、そんな思いを、胸の内に抱きながら、新一郎の行く末に気に掛けているうち、春も弥生の花のころ、新しい入門生を迎える時になって、志願者の中に年のころも体付きも新一郎の稽古相手に格好の若者がいるのを、見つけた。  その少年は、年齢十二歳で、なかなかの凛々しい顔つきをしており、面接をした新太郎の前で、  「深川の在、名を津島小一郎と申します」 と名乗った。  付添いで来た母親らしい中年の女性は、小股の切れ上がったなかなかの美人で、右手に三味線のばちのたこができていたことから、粋筋の家の子弟かとも思われた。  良く糊の聞いた絣の着物に、今日は袴を穿いている小一郎少年は、かしこまたったまま、正座を崩さず、真っすぐに新太郎の顔を見て、次の質問を待っていた。  新太郎は、続いて聞いた。  「それで、なぜ、我が道場に入門したのですか」  小一郎少年は、後ろに控えている母親の方を振り返ったが、母は、頷いただけで、少年を前に向かせた。  「はい、実は私は、幼いころ父に先立たれたため、母の手一つで育てられたのですが、亡き父は、武士だったと聞いています。母は時折、父の話をしてくれますが、とても剣が強くて、当たるところ敵なしだったという話です。わたしも父のように精進して、父の仇を打ちたいのです」 新太郎は、その言い分に衝撃を受けた。  「なに、仇討ちとは。かなりの子細があってのことのようだが、ここでは、問うまい。しかし、父の仇討ちに、剣を極めたいというのは、尋常でない。そういう動機で入門した者は、かつてなかったし、我が道場は、精神修養を重んじているので、そういう短なる手段として、剣を捕らえられるのには、抵抗がある。清く、潔いきもち稽古に励めるかな」  やや長く、道場の方針を説明した。  「はい、いま言ったことは、私の心の原点にあることです。本当なら、こんなことは申し上げずに、心の鍛練とか言えばいいのでしょうが、やはり、素直にもう上げておいた方が、私の心に素直だと思って言いました。もちろん、師範の先生方のご指導に従って、精一杯、修業するつもりです」  小一郎は、決然として、そう答えた。    入門を許された小一郎は、最初の日に、早くも、竹刀を持って、五十回の素振りを課せられた。竹刀の構えかた、振りかた、立ち姿勢等について、指導したのは、新太郎の弟子たちだったが、素振りの稽古では、新一郎が加わって、並んで、竹刀を振った。  新一郎が道場に入ってきて、小一郎に挨拶したとき、小一郎は、 (この年若い小柄な少年はなんなのだ) と思ったが、竹刀を振るのに集中したので、気にならなかった。  ただ、指導している弟子たちが、この少年を、  「新一郎さん」 と「さん」付けで呼ぶので、この少年が道場主の子弟であることを、理解するのに時間はかからなかった。  小一郎が、素振りの稽古を終えて、床のうえに座って、防具や稽古着を整えていると、隣に座った新一郎が、  「このあと、手合わせを、お願いします」 と申し出てきた。最初の日だったので、「手合わせ」の意味が、分からなかったが、多分、竹刀を持っての申し会いだろうと理解して、心の準備をした。  「それでは。これから、剣合わせを始める」  指導の師範代の掛け声で、皆、立ち上がり、竹刀を合わせて、試合形式の稽古が始まった。 小一郎には、もちろん、初めての経験で、戸惑っていると、新一郎が、向こう側に行って、すでに、剣を正段の構えで構えていた。  小一郎は立ち上がり、新一郎の相手になろうと、剣を持ち上げたかけたとき、早くも、新一郎は、   「えいっつ」 という掛け声とともに、小一郎の面を狙って打ち込んできた。  小一郎は敏捷だったから、持ち前の身のこなしで、その打ち込みをかわしたものの、体勢が崩れて、打ち込みの勢いをまともに受けて、二人が一体になって、壁に激突した。  小一郎は、これは、只事ではない、と理解した。新一郎は、真剣な表情で、打ち込んできている。なにか、鬼気を感じさせる稽古のやり方だと感じ取った。  小一郎は、体を正して、新一郎に正対し、剣先を合わせたまま、じっと相手の動きを見ていた。  新一郎も呼吸を整えながら、小一郎の動きを見ている。それは、もし、持っているものを真剣に持ち帰れば、本当の真剣勝負にもなりそうな差し迫った気配で、ほかの剣士たちは、思わず、自分たちの稽古を忘れて、この二人の勝負に見入るほどだった。  小一郎は、初心者であるとはいえ、運動神経が優れていたし、父親譲りの剣の天賦の才があったのだろう、道場主の子弟であり、すでにかなりの経験もある新一郎とほぼ、互角に渡り合っていたから、見ている者たちも、その迫力に押されて、いつの間にか、沈黙して、二人の勝負に皆の視線を注いでいた。 次ぎに、攻撃を掛けたのは、小一郎の方だった。  竹刀を瞬間、大上段に振り上げ、思い切って前に踏み込んで、一気に新一郎の体に向かって突っ込み、両手で、竹刀を思い切り振り下げた。  新一郎は、一歩下がって、かわそうとしたが、そう敏捷性がないから、小一郎の動きに付いて行けずに、足並みを乱して、後ろにもんどりうって倒れた。  「ど−ん」 という大きな打撃音が、道場の壁を揺るがした。  倒れた新一郎に向い、小一郎は、竹刀を振り降ろしかけたが、そのまま、打ってしまっては、稽古ではないと、自覚して、面前で寸止めにして、後ろに下がった。  もし、体格が一回り大きい小一郎が、そのまま体を預けて打っていたら、新一郎の受ける衝撃は、相当なものだったろう、その加減は、小さいころからの喧嘩の経験で、体が覚えている。  「止めは差してはいけない」  それが、無法を意識しないで、悪事を働いていた父親の性格とは違っていた。  そのお陰で新一郎は、立ち上がる余裕ができて、緊張した面持ちで起き上がって、再び、剣を合わせる姿勢になった。  それからは、一進一退の攻めと守りを繰り返し、なかなかの充実した稽古になった。  新一郎は、初心者なのに、なかなかの、攻めを見せる小一郎の速さと身のこなしに得るものが多かった。小一郎は初めての手合わせをしたのに、真剣に受けてくれた新一郎の真面目さと一途さが嬉しかった。  申しあいの稽古が終わって礼をし、頭の手ぬぐいを取って、稽古後の身繕いをしている小一郎に、新一郎は、  「今日は、初めて身の入った充実した稽古ができました。ありがとうございました。こちらの道場は、私の年頃の人が少ないので、これまでは、なかなか思うような稽古ができなかった。これからも宜しく」  と丁寧に挨拶してきた。  小一郎はそういう折り目正しい生活をしてこなかったから、そういう言い方が新鮮に聞こえた。それは、小一郎の生活では、あまり、使ったことのない言葉使いや礼儀だった。だから、それに触れるだけでも、感激した。  「いや、俺のほうこそ、よろしく。なにもわからないもんで」  小一郎はそう答えたが、心中では、  (だから、母上は、この道場に入門させたのだ。俺をそういう環境に慣れさせようと) と思っていた。たしかに、美代香は、今で言えば、母子家庭の教育ママだったのだろう。一人息子を唯一の生きがいにし、その成長に残りの人生の全てをつぎ込む覚悟をしていたのだから。それは、通俗的な言葉では、「父の仇を」という言葉になって、時折、小一郎に投げかけられたが、本心は、自らの人生の完結を、小一郎の成長に掛けていたのだった。  空気が軽くなって、青葉が、初夏の香りを放ちはじめた。  新一郎と小一郎とは、ほぼ毎日の稽古を重ね、すっかり親しさが増していた。小一郎は、、めきめき腕を上げ、一日の長があった新一郎を凌駕するほどの、目を見張る上達振りを示していた。  その素晴らしい、進歩は、直接、指導に当たっている師範代らから、道場主の新太郎にも逐一報告されていたから、この少年の入門を許した新太郎の目に狂いがないことが、実証されて、鼻が高かった。  「そうか、そんなにも、才があったか。それほどまでに、使い手になろうとは、わしの想像を越えていたのう」 と言いながらも、これで、歩を同じくして、新一郎が進歩をしてくれれば言うことはない、と期していた。  こうして、小一郎の役割には、本人には伝えなくても、自然と、道筋ができてきて、小一郎も意識せずに、新一郎の良い稽古相手になっていたのだった。小一郎にとっても、この交わりは、意味があった。それは、稽古の後で、裏の屋敷に呼ばれて、多重が用意したおいしいおやつを御馳走になることといった身近かなことのほか、新一郎が、林家の門弟が開いている神田の寺子屋で習っている漢籍の書物の読みくだし本や和本の小説類を手に取ることできるという喜びがもたらされるという楽しさがあった。  小一郎の母、美代香は、この息子に武芸の腕を磨くことは期待していたが、漢籍読みになることは、期待していなかったから、高価なそれらの書籍を手に入れることは、実質上不可能だった。だから、そういう書籍が一杯揃っている新一郎の勉強部屋に入ったときは、本当に、驚いた。  「すごいな。こんなにたくさんの書物を、新ちゃんは読んでいるのかい」  目を見張って問いかけた小一郎に、新一郎は、  「とても、読み切れないよ、父上と母上が、勝手に買ってきて、並べているんだ。寺子屋でやるものは、こんなに沢山ではないよ」 とはにかみながら、答えた。  (自分は、体が人並みはずれて立派だが、頭のほうは、それほどでも) と知能だけには、劣等感を抱いていた小一郎には、これだの書物を読むことができる新一郎を尊敬した。剣は、すでに台頭のレベルに達したという、密かに自身が芽生えつつあったが、やはり、小さいころから勉学にも親しみ、文武両道の教育を受けてきた新一郎には、叶わないことが、多かった。  だが、最低限の文字の読みかたや書きかたは、母が手習いで教えてくれたから、新一郎に教えてもらえれば、小一郎にも、読めるのではないかという思いがつのった。  「新ちゃん。折角、こんなに本があるのに、飾っておくだけでは、勿体ないよ。一緒に読んでみようよ」  小一郎の提案に、新一郎を同意した。彼自身、勉強は嫌いな方ではなかった、むしろ、剣道と稽古より、本を読んだり書を書いていたほうが、落ちつくことができた。こちらの方が、運動能力には自信がな新一郎には、向いていると思っていたのだ。  だから、小一郎の申し出には、一も二もなく同意した。  二人が、剣道の稽古のあと、「漢籍の読書会」を開くと知って、新太郎夫婦は、両手を上げて賛成し、大喜びした。  (新一郎は本当に良い友達を得た。これで、文武の励みに弾みが付きますね)  多重は、夫、新太郎とふたりきりの寝屋で、隣に寝ている新太郎にそっと、話しかけた。  「そうよのう。あれほどの友ができたのは、まさに、天の導きだ。新一郎には、生涯の友となるだろう」  新太郎は、利発な小一郎の陰に見え隠れしている母、美代香の面影を追っていた。たった一度、小一郎の面接の日に姿を見てから、会ってはいない。だが、その面影は、深い記憶となって、新太郎の脳裏に刻まれていた。  それは、今までに、新太郎が会ったことのない女性だった。ただ、そこにいるだけで、匂い立つような色香が発散されていた。それは、春の始めの花の姿と香りの心地よさを、新太郎の五感に与え、それが、脳の一番奥の深い記憶に刻み込まれたのだった。  子供同士の付き合いが、親の交際にまで広がることは、滅多にないが、新太郎の心の底では、その可能性を探る芽が、芽生えはじめたのだった。  夫婦の関係が余りに順調だったから、新太郎は多重のほかの女性に目を暮れたことはない。成功した商人や武家の重鎮のように吉原通いをしたこともない。ただ、家族のためにと頑張ってきた新太郎には、他に目を暮れる余裕もなかった。  それが、全てが順風に進んで、子供もそろそろ、手が掛からないころになって、忍び寄ってくるのが、思わぬ人生の落とし穴なのだ。 新太郎は、その淵に向かいはじめていた。 弥生も終わりのころのしのぎやすい宵の口に、久し振りに早めに稽古を切り上げて夕餉を取り、その際、何時もの晩酌をやや過量に過ぎて飲みすぎた新太郎が、ほろ酔い気分で、新一郎と小一郎が食事の後、引っ込んだ奥の書斎に入っていくと、二人は、暗い燭光の元で、食い入るように書物を読んでいた。  「よく、そうせいが出るな」  新太郎が声を掛けると、その声に振り向いた新一郎は、  「このような、気分の良い夜は、本を読むのに限ります」 といかにも、優等生の答えをした。  「小一郎さんは、遅くなってもいいのかい」  「はい、遅きまでお世話になって済みません。家のほうは、いまごろは、母の稽古の最中ですから、ご心配はいりません」  小一郎は、明快にそう答えた。  「稽古というのは、何かい、三味線の稽古かい」  日頃は、父母の職業などには全くの興味を示さない新太郎だったが、この夜は、どういう風の吹き回しか、そんなことを聞いていた。  「はい、それもありますが、母の本職は、端歌や長唄、新内などの謡曲です。お弟子さんが、昼間は仕事がある人ばかりですから、今頃が、稽古の真っ最中になるのです」  小一郎の答えに、新一郎は、少し、考えてから、  「歌か。面白そうだな、わしも、やってみようか」  そう言って、小一郎を見た。  「それはいいですね。母も喜びますよ。いつも、私がお世話になっているばかりなので、母もなにか、お礼をしなければと言っていましたから。きっと、喜びますよ」  話は早いほうがいいと、早速このあと、新太郎は小一郎に伴われて、深川の小一郎の家に向かった。多重は、食後の片付け物をしていたから、その目を盗んで、家を滑り出た。  大川を渡っていく頃の、川面を撫でる夜風が心地よく、新太郎は、すっかり有頂天になって、足取りも軽く、小一郎の導きに従った。  軒が入り組んだ家々の重なる路地のちょうど中程に、四件長屋が連なっていた。そのこちらから二件目が、美代香と小一郎の母子二人の住まいだった。一階は台所とか居間があって、玄関を入ったすぐ目の前に二階への階段が続いていた。その二階から、相当の弾き手が奏でる三味線の音と、少し調子を外した男の語りの声が流れてきた。  「むさ苦しいところですが。どうぞ中へ。二階が稽古場ですので、こちりらへ」  と小一郎に導かれて、新太郎は階段を登っていった。  上がりきると、右側が座敷になっていて、襖は開け放たれてい た。部屋の手前に五人ほどの男が、かしこまって、正面を向いている。その向かい合った先に一人だけ、三味線を抱えて、右手のばちを忙しく動かしているのが、小一郎の母の美代香その人だった。面接で会ったときより、化粧は薄いが、その色白の面長の美顔を見忘れるはずがない。  「剣道のお師匠さんが、歌をやりたいを仰るので、お連れしました」  小一郎は、新太郎の用件を完結に母に伝えて、その場を辞した。それは、来客に新しいお茶を入れなおすための小一郎の仕事をしなければならないという目的があっての日常的な行動である。  「あら、新太郎さま。先日は、どうも失礼いたしました。どうぞこちらへ」  美代香は一つだけ空いていた一番窓側の座蒲団を差して、新太郎を招き入れた。  「それでは、皆さん、本日は、これくらいにして。今日は、新しいお弟子さんが入りましたので。一応、自己紹介をして、戴きましょうか」  新太郎の意向に係わりなく、美代香は、事を進めていった。本当を言えば、新太郎は、今日は様子を見に来ただけのつもりだったが、もう、すっかり、新弟子に組み込まれてしまったようだ。  「いえ、私は、今日は、様子を見せてもらいにきただけです」  「そんなことを仰らず。皆さん、良い方ばかりですから。それぞれ、大店のご主人やご隠居ばかり。こちらは、ほら、江戸では一、二の紅問屋、山形屋の旦那さま。こちらは、出羽藩の江戸藩屋敷勘定方、氷さまです」  新太郎が、自己紹介したのに続いて、美代香は、それぞれの弟子を一人ずつ紹介していき、その度に、新太郎は頭を下げて挨拶し、その容貌を頭にたたきこんだ。  紹介が終わると、弟子たちは、三々五々、退出し、部屋には美代香と新太郎だけが残された。  「ところで、何をお教えしましょうか」  美代香は新太郎の希望を尋ねた。  「いえ、なんでも、いいですが」  「あら、面白いことを仰る。うちへ来られるかたは、皆さん、習い事を何に擦るかをはっきり決めてこられますよ。何にしようかなんて初めて」  「いえ、私は、その方は全く疎いものですから」  はにかみながら、下を向いた新太郎に、美代香は、  「お年に似合わず、随分、初な方ですね。いつも小一郎に聞いていますが、剣はとてもお強いのですって。それに、素敵な奥様もいらっしゃるって、いつも、小一郎に、あんな母を持ちたかったって詰られるんですよ」  美代香は、三味線の竿を扱きながら、流し目でそう言った。  その仕種が、新太郎には、新鮮に映った。こういうあだな女性と一部屋にいて、親しく話をしたような経験はなかったから、話の緒を探すのに苦労すると心配したが、それは杞憂だった。美代香の客あしらいは、堂にいったもので、新太郎を飽きさせなかった。  「それでは、まず、小唄でもやってみますかね。これが、手本です。良ければ、家に持ち帰って、模写してください。印刷本が切れてしまったので」  「はい。では、そうします」  「お稽古は、毎日していますから、好きな時間にいらっしゃってください。予約してくだされば、昼間でもいいんですよ」  それからは、謝礼の話や道場での剣道の稽古の話、新一郎と小一郎の仲のよさなどの話が次々と出て、話題は尽きなかった。  いつの間にか時間が過ぎていき、夜も遅く、見回り火の番が、拍子木を叩きながら、辻々を回り始める時刻になった。  「そろそろ、御免被らないと行けない。もうこんな時刻になった」  夜も更けたのに気付いた新太郎が、思い切ってそう言うと、美代香は、  「そうですか。でも、夜道は遠いですよ。宜しかったら、お泊まりになってください」 と申し出た。  「いや、そうはいかない。後家さんの家に、男が泊まったとあっては、噂になるのは必定。何が何でも、帰りますよ」  「私はそんな噂なん気になりません。貴方のお気持ちの済むようになさればいいんですよ」  そういわれて、新太郎は、  (もちろん、おれの本心は、泊まって行きたいのがやまやまだが、世間体を考えると、そうはいかない)  新太郎には、世間の評の方が、気掛かりなのだ。それに反して、美代香はもっと自由に生きているように見える。  だが、新太郎はいい気分で、家路を辿っていくことができた。  (今日は、素晴らしい日になった。この心地よい夜風とうきうきするような気持ち。生きていて、よかったなあ、新太郎)  そう心に呟きながら、新太郎は大川を渡り、神田の道場に帰ってきた。 七 川 風  日に日に暑さが増して来て、一日の長さが伸びてきた。  新太郎の美代香の元への通い稽古は、最初のうちは、十日に一度くらいだったが、夏の暑さが本番を迎えるころには、三日に一度は、美代香の家に通いつめるようになっていた。  それは、当然、家内にも知れる。多重は賢妻だったから、夫が、昼日中から道場を空けることが多くなったことを、薄々、勘付いていたが、言葉に出すことはなく、ただ、様子を見ていた。  門弟らは、大体の検討が付いていた。師匠が、何かの習い事を始めて、熱中しているらしいことは、門弟らの噂話となって、広がっていった。  それが、小一郎の母の家での歌の稽古だと知って、多重も門弟たちも、一度は安心した。何しろ、新一郎の親友である小一郎は、新参者ながら、その真面目な稽古ぶりや驚異的な進歩ぶりから一目置かれていたから、なにも心配することはないと、見られたからだ。  むしろ、門弟たちは、ずっと道場に居続けだった新太郎が、短い間でも道場を空けてくれることは、息抜きにもなるのだ。  だが、組織や団体は、その主の態度で浮沈の行く方が決まる。新太郎が、剣道の稽古に息抜きを始めたことは、この道場の先行きに不安をもたらすものだった。  しかし、今の所は、後を託すべき有能な門弟たちが揃っていたので、新太郎も安心して、外に出ることができたのだった。  三日に一度の稽古に通う新太郎は、そういうことを、自分ができることが、意外だったし、楽しかった。新しい世界を見て、こ踊りしている子供のようなものだった。  一方、手練手管を使って子供と二人で世の中を渡ってきた美代香には、剣道一筋の硬骨漢、新太郎の存在は新鮮に見えた。決して上手くはない唄を必死で歌う姿は、金持ちの道楽として、いい加減にしか稽古をしないこれまでの弟子たちとは、違った姿に見えた。  それに、年格好が、美代香に近かったから、より親密感を感じていたのだ。  その二人が、三日をおかずに、深川の長屋の二階で、昼日中から、二人きりで過ごすのである。夏も盛りなのに、  (昼間から近所に迷惑を掛けたくない) という美代香の配慮で、締め切った部屋での稽古となっていたから、蒸し暑さは、尋常でない。  部屋に氷屋で買った角氷を置いてはあったが、それで、耐えられる暑さではない。二人は自然と、着ている浴衣をはだけて、寛いだ姿になっていた。  そういう状況で、熟年の二人が、一線を越えることは、自然の成り行きだった。  長屋の外の路地を、金魚売りが、売り声を上げながら通り過ぎていくのを、聞きながら、新太郎は、美代香のはだけた胸に右手を差し入れて、  「お師匠さん、おれは、もう我慢できない」 と耳元で囁いていた。  美代香は、そういう男の女を求める態度には慣れていた。これまで、何人の男が、そう言って、耳元で囁いて、通り過ぎていったものか。なかには、美代香が本気で、受け入れた者もいたし、その気にならないのに成り行きで、関係を持った者もいた。そうなるかどうかは、美代香のその時の感覚に寄っていた。  今日は、  (そうなってほしい) と思っている。だから、美代香は、新太郎の右手を積極的に受入れ、自分から前を肌けて、胸を開いていた。  新太郎は、左の手も美代香の右胸にあて、両手を使って、美代香の豊かな乳房を揉みしだいた。美代香は、新太郎が、体を預けて来たため、後ろに倒れて、畳のうえに仰向けになった。その時、持っていた三味線が飛んで、猫の革が張られた腹部が、畳に打ちつけられ、  「じゃーん」 という合成和音がして、部屋の静寂を破った。  仰向けになった美代香の上に伸しかかった新太郎は、胸に両手を置いたまま、顔を美代香の顔の方に持っていき、鼻筋が通った白い鼻の上に唇を押しつけて、軽く接吻した。  美代香は目を閉じて、新太郎の次の行為を待っていた。次は、唇に来るだろうという思いが、舌で唇を湿らせて待つという動作を取らせた。美代香は両手を新太郎の頭に絡めさせて、抱きしめた。ぐいと、頭を引き寄せられた新太郎は、胸に置いていた両手を美代香の解けた長い髪に向け、その髪の毛を掻き上げて、両手で畳の上に長く伸ばすと、頭を抱えて、自分からも抱きしめた。  これで、二人は、しっかりと両の腕で互いの体を抱きしめる格好になり、二人の親近感が一挙に増した。抱き合ったまま、二人は激しく互いの唇を貪りあい、舌を差し入れて絡めさせた。唾液が流れだし、喉へと伝っていった。  新太郎は、そのあと、自分の着物を脱ぎ捨て、厚い胸の中に、美代香の全身を受け入れ、斜めに体を抱いたまま、美代香の着物を脱がし始めた。胸の前を外したあと、帯の扱きを外し、帯を解き、襦袢も脱がせて、生まれたままの姿にすると、  「そのまま立ってくれ」 と言って、直立させ、暫くの間、美代香の白い裸身を見ていた。  見つめられた美代香に羞恥心はなかった。堂々と、男の視線を受入れ、激しい欲情を伴った熱い視線を、張り切った肌の全面で跳ね返していた。  新一郎は、その余りの神々しさに圧倒されそうになり、恍惚となった。だが、男の情念は、正直に、体の反応をもたらし、硬くなったその物を受け入れるべき部分を探して、次の作業に移っていった。  そうして、二人は、一体になり、師匠と弟子から、男と女の関係になった。  外で、今度は、氷売りが、売り声を高らかに上げて、路地を過ぎていった。  桜紙で、事後の清めをした美代香は、そそくさと立ち上がり、萎れた紙を持って、階下に降りていった。台所で、水を一杯飲んでから、清酒が入っている徳利を手にして、二階に戻ってきた。  「さあ、これで喉を潤して、早めにお帰りなさい。家の人が心配しているでしょう」 と畳のうえに寝ている新太郎に向かって言った。  「そうだな。そろそろ、失礼しよう。良かったよ」  「わたしも、久し振りだった。こんなに良かったのは」  新太郎は、天から太陽が真下に照りつける真夏の昼下がりに、男の務めを果たして開放された気分ながらも、やや疲れた体を運んで、門弟たちが待つ道場に帰っていった。  その日、大川の川風は、乾いていた。 八 探 検  夏祭りの季節になった。  神田界隈では、明神様の例祭の準備に、町名主や氏子連中が掛かりはじめ、徐々に、祭りを迎える雰囲気が漂い始めた。  新一郎は、毎年、この祭りには、母の多重とともに出掛けていたが、今年は、もう十五歳になったのだし、元服を控えていたので、いつまでも、母と一緒では、独立心が湧かないと考えて、母との参加は控えることに決めていた。  ということは、すなわち、毎日、まるで兄弟のように、一緒にいる小一郎とともに祭りに参加することを考えていた。  「小ちゃん、お祭りいくだろう」  新一郎の呼びかけに、小一郎は、  「でも、祭りには、はっぴや足袋を用意しなければならないだろう。母に言ってみないと」 と即答を避けていた。  「そんなものは、家で用意してあげるよ。祭りに出て、神輿を担ごうよ。楽しいぜ」  新一郎は、この祭りが好きだった。その楽しさを、親友にも分けてあげたいと考えたのは、新一郎の素直な感情だった。  「でも、俺は下町育ちだから、そういう大きな神社には、行ったことがないんだ」  「そうか、では、一度、行ってみようよ。おれは、あそこの色々な秘密の場所を知っているんだ」  「秘密の場所って」  「裏に崖があって、その横腹に大きな洞窟があるんだよ。俺たちは、小さいころ、その中を探検しようと何回も、計画を立てたのだが、奥が深くて、いつも途中で諦めてしまった。もう大きくなったんだし、剣の腕も上がって、自信が付いたから、ずっと奥まで、行ってみようかと思っていたんだ。ちょうど、いい機会だな。二人で、行ってみようか」  新一郎の提案には、小一郎も興味が湧いた。二人とも、そういう未知なるものへの関心が起きはじめた年頃だったし、そういう挑戦も可能な体と精神を備えてくる時期だった。  「よし、では、善は急げだ。明日では急だから、そうだな、明後日にも行ってみよう」  話は決まった。  その日、二人は、父母には内緒で、つるはしとくわと蝋燭を手に、神田明神裏の土手に向かった。  笹や雑草をかき分けて、土手下の道を歩いていくと、中程に、深い夏草に覆われたほこらの入口が隠れているのが見つかった。穴の入口は、大人の人一人が、身をかがめて入れる程の大きさで、穴の上からも長い篠竹が覆いかかり、入口を半分くらい隠していた。  足元は、赤土が覆っていて、屈み込んで、中へ入ろうとすると、べっとりと土がこびりついて、二人の絣の着物の膝の辺りが、赤く汚れた。  屈み込んで中に入り、一たん、止まって、外の光が届かなくなる寸前の所で、太い蝋燭に火打ち石で火を点けて、先頭に新一郎が立って、中へと進んで行った。  新一郎は、もっと小さいころ、遊び友達と一緒に、このほこらの中程までは、行ったことがある。その時は、照明がなかったから、手探りで、進んで行ったが、さすがに、数十歩行ったところで、皆、怖くなり、一人が、なにか、人骨の様な物を掴んで、大声を上げたのをきっかけに、われさきにと入口に走り出たことがある。その人骨らしきものは、確かに、骨だったが、良く見ると、死んだ犬の体の一部のようだった。  だから、今度は、そんなことのないように、新一郎は、ずっと奥まで行ってみることに決めていた。  「おい。小ちゃん、この穴、相当ふかいぞ。ほら、ずっと奥まで続いているよ」  新一郎は、手に持っていた蝋燭の燭台を奥に翳して、小一郎に見せた。  「本当だ。行き止まりが見えない。それに、段々、大きくなっている身隊だな」  「そうだね。天井も横幅も入口より段々、高く、大きくなっている。これは、かなり、でかい洞窟だ」  さらに奥まで進むと、地面から水が湧きだして来るようになり、足元が濡れた。穿いてきたのは草履だから、すぐに、水を吸ってぐしょぐしょになった。水でこねられた地面には、小さな虫が沢山這っていて、それらが、足を伝って、昇ってくる気配もあり、徐々に、恐怖感が湧いた二人は、身を寄せ会って、一時、その場に座り込んだ。  天井からは水滴が落ちてきて、二人の肌に辺り、その時は、  「ひ−」 と大声を上げて、飛び上がった。  「凄いことになってきた。寒いし、怖いし、先に行くのはやめようか」  先頭の新一郎は、少々、おじけずいてきた。  「いや、折角、来たのだから、最後まで行ってみよう」  小一郎は、気合を入れて、促した。  「では、先頭を代わろう」  新一郎の申し出を、小一郎は受けて、前後を入れ替わった。  消えかかっていた蝋燭を新しいものに換えて、一段、明るさを増した光を手に、さらに奥へと行く先を探った。  少し行くと、また、空間が広がった。幅も高さも徐々に、奥に行くに従って、大きくなり、大人の体の二倍ほどの高さと三間程の横幅の空間に出た。燭台を翳すと、向こう側に壁があり、その先は行き止まりになっていた。  「ここが、最後らしいね」  新一郎の言葉に、小一郎も頷いて、  「とうとう、一番奥まで来たね」 と応じた。  暗い光の中で良く見ると奥の壁の前が少し高く盛土が盛られていて、そのうえに、何かが横たわっていた。  二人は、その段の方に近寄っていった。  歩幅で三、四歩上に上がると、段の上にでた。上にかぶされた土を手で探ってみると、何本かの硬いものに触れた。それは、朽ちた木材の破片だった。  「ここには、なにかが、ありそうだ」  二人は好奇心の塊になっていた。恐怖心より、置かれた状況への関心の方が圧倒的に強い年代だけに、行動も素早かった。  小一郎が、持ってきたつるはしで土を掘りはじめ、新一郎も、くわでそれを助けた。  穴が出来て、中には多くの破片があった。また、燭台を翳すと、穴の奥に何本か、白い骨のような物が見えた。二人はさらに深く掘り進んだ。すると、さらに大きな白く、丸い物体が見えた。手で探ると、硬い感触がし、丈夫に二つの穴があった。  二人で力を合わせて、掘り出した。良く見ると、それは、人の骸骨で、そう分かった瞬間、二人は、大声を上げて、後ろに飛び下がっていた。  「ちょっと、不味いよ。ここには、誰かの死体が埋まっているんだよ。これは、死体に違いない」」  小一郎の問いに、  「しかし、誰なんだろうな。だれも入らないこんな所に埋められているのは」  新一郎に、疑問が芽生えていた。  「もう少し、周囲を掘ってみれば分かるかも知れない」  新一郎は、提案した。  「そうだね、一寸、休んでから、もう少しやってみよう」  二人は隅の方の空間に、座り込み、休憩した。くわで地面叩いて、固めてから、座ってのだが、尻の表面の触覚が、その下に丸柔らかいものが一面に敷き詰められている感覚を伝えてきた。  「なんだろう」  二人は頷いて、また、地面を掘ってみた。  丸い蚕の繭の様な形の物体が、薄い土の下に沢山埋まっていた。二人は、先程の骸骨を引っ繰り返して、その中に幾つかを入れて、持ち帰ることにした。  少し休んだ後、二人は、先程の穴の周囲に、掘り進んでいった。頭のあった位置の下を掘ると、金属で出来た十字架のような形の装飾品が、あった。それは、二つあり、一つはやや大きめで、磔にされた男の像が真ん中を占めていて、下に握りが付いていた。もう一つは、それより一回り小さく、縦の棒の上部に丸い輪があった。  「これは、何だろうね」  新一郎が頭を傾げながら、その小さい方を手にして、考え込んでいた。  小一郎が近寄って、その小さい金属下降片を手にして、  「分からないねえ」 と考え込んだ。  だが、いずれにしろ、折角の収穫品である。大きいのは新一郎、小さいほうは小一郎が、着物の袂にいれて、持ち帰ることにした。  これだけの作業で、かなりの時間が過ぎた。 「それそろ。帰らないと行かないね」  新一郎の声で、二人は、帰ることにしたが、持って来た道具類は、置いておくことにした。  「これでは、分からないことが多すぎる。もう一度、来てみよう」  と小一郎が、言ったからだ。  外へ出ると、身体中が泥塗れだった。このまま家に帰れば、母から小言を言われるのは、間違いない。  「風呂に入っていこう。せめて、体だけでも綺麗にして、着物は、家に帰ってから洗えばいいんだから」  そう意見が一致した。  銭湯ですっかり身を清めた二人は、風呂上がりの軽やかな気持ちで、、家路を急いだ。  「この柔らかい繭の様なもの、何だか気持ちが悪いな」  新一郎が言うと、  「そうかい、いい感触じゃないか。ふわふわして、多分、何か虫の卵だろう。家で飼ってみよう。羽化すれば何の卵だったか分かるだろう」  小一郎は、動じずに言った。  「それにあの十字の物。あれは、やそ教の信者が持っていた十字架じゃないかな」  新一郎は、知識の一端を披瀝した。  「やそ教か。それは、禁じられ宗教じゃないか。すると、こんな物を持っていたら、身の危険だな」  小一郎には、その方面の知識はなかったが、幕府が禁じた南蛮の宗教だということくらいは知っていた。  「だから、貴重じゃないか。誰にも分からないように持っていればいいんだ。綺麗に洗って、衣装箱の奥の方に仕舞っておくさ」  十字架は、それぞれが、最初に手にしたとおりに分配した。  こうして、繭のようなもの五個ずつと、十字架の分けかたは決まったが、残るは骸骨と小骨の分配だ。  「骸骨は、新ちゃんが持っていてくれ。君は個室があるんだから、隠し場所には困らないだろう。おれは、こちらの骨を持っていくよ」  小一郎がそう申し述べて、全ての収穫物の分けかたが決まった。  品物は、そうして、分けたが、二人には、多くの疑問が残っていた。  「一体誰の骨なのか。なぜ、十字架があったのか、あの柔らかい繭はなんなのか」  それらを、これからじっくりと考えなければならない。二人には、それを考える新しい楽しみが増えたことになった。   新太郎の美代香の元への通い稽古の回数は、夏の暑さが本格化するのに従って、増えていった。「あの事」があってから、三日に一回の回数が、二日に一回となり、そろそろ秋風が吹きはじめた夏の終わりには、ほぼ毎日、それも、昼日中から入り浸り、道場と小唄の両方の弟子たちにも、不審の念を抱かせることとなった。  しかし、見る目が狭くなっていた新太郎と美代香にとって、周囲のそんな疑いの目に気を配る余裕はなかった。どっぷりと、二人だけの世界に浸り込み、それ以外のものは、すべて、霞んでみえていた。  「御免よ」  いつもの調子で、美代香の家の格子戸を開けて、一階の居室に入っていった新太郎は、その奥の長火鉢の後ろに座って、煙管の煙草を吸っていた美代香が、いつになく、硬い表情でいるのに気が付いた。  「どうしたんだい。おみよ」  新太郎は、美代香を、なれなれしくそう呼ぶようになっていた。美代香は、  「どうしたんだって、あんた。新さんは、あっちでは、どういう話をしているだい」  美代香も、新太郎を、「あんた」とか「新さん」とか、読んでいた。  「あっち」というのは、新太郎の家のある神田の道場のことである。そう呼ぶほど、美代香の心の中は、自分自身を「妾」という立場に置いて考えるほどの関係になっていた。  「家に何て言っているって。それは、唄の稽古に決まってるじゃないか」  「じゃあ、なんで、こんな手紙が来るんだね」  美代香は、長火鉢の小引き出し引いて、中なら、書状を取り出し、新太郎の前に投げ出した。  新太郎は、書状を開いてみた。  書いてあったのはーー。  美代香殿に申上候  先般より、本道場主 小口新太郎のあなた様宅へ入り浸るは、誠に由々しき状況にて、ご無礼の段、深謝申し上げる。ところで、本道場門弟ら、この事態を憂慮し、相談の結果、貴方様より、我が道場主に、直々に、お諌め下さるよう、衷心よりお願い申し上げ候。我等が剣の道の鍛練に支障多々あり、師範の指導なければ、十分な習練もおぼつかず、道場の浮沈に係わることゆえ、善処かた、よろしくお願い申し上げ候。  神田・相生町 木の葉一刀流道場「剣誠館」門弟一同ーー  「なんだいこれは」  新太郎は、ぶっきらぼうに、美代香に聞いた。  「だから、あんたのところの弟子たちが、直訴状を寄越したんだよ」  「勝手なことをしやがって。どういうことだ」  「わたしに、あんたが家に来ないようにしてくれということなのだろう」  「そうだな」  「わたしは、あんたに、こないで来れなんて言えやしないよ。すべては、あんたの気持ちなんだから。首に輪を付けているわけじゃないんだからね」  「おれは、おれの考えで、やっているんだ。弟子がやいやい言うことじゃねえだろう。なあ」  「それは、正しいがね。わたしゃ、その手紙は、お弟子だけの考えではないんじゃないかと思うがね」  「どういうことだい。それは」  「後ろに、だれかが居るんじゃないかい」  「だれかって、だれだい」  「決まっているじゃないか。それを私に言わせようってのは、野暮だよ。新さん」  「はは、そうか、家の奴のことか。そんな真似があいつに出来るわけがない。それは、考えすぎだよ」  「でも、こんなにせっぱつまった書状を出す前に、あんたに直接、談判するのが順というものではないかい。それを、いきなり、こうだからね。こういうやり方は、男の考えじゃない。わたしゃ、そう思うよ」  「そうかな。様子を見ながら、探ってみよう」  「探るなんて。直接、聞いてみればいいじゃないの」  「そうはいかない。それはできない」  「全く、あんたは、奥ではまったく、頭が上がらないんだから」  「だから、こうして、お前の所に、来るようになったのではないか」  「わたしゃ、お助け寺の尼さんじゃないんだからね。いい加減にしておくれ、わたしゃ、無理は嫌だからね。軽く生きていきたいんだ。面倒は御免だよ」  「わかった、もう、こんなものを寄越さないようにするよ。悪かったな」  口の争いは、新太郎は苦手だった。すっかり、やり込められて、とうとう降参し、美代香の隣に、座って、肩を抱こうとした。  「さあ、二階にいこうな」  美代香は、さっと、体をかわして、  「なに言ってんだよ。今日は稽古にお出でなんだろう。唄の稽古に身を入れるのは、いいけれど、男と女の事が付いてくると、ことは厄介になる。本日の稽古はなしということにして、早く、あっちにお帰りよ」  美代香は、きつい口調で、言い放った。  その勢いに押されて、新太郎は、  「わかった。今日のところは、素直に帰って、稽古をつける。こんなことをしたのがだれなのか、突き止めないといけないからな」  新太郎は、憤怒を抱えて、家路を辿っていった。  道場に帰ってから、新太郎は、珍しく、夢中になって、門人達に稽古を付けた。それは、鬼気迫る様相で、次々と、弟子を指名し、立会いを続けた。  約二十人いた弟子たち全てに稽古を付けおわると、全員が、床に正座している前で、  「わしに、叶うものがあれば、出てきなさい。不満があれば、何でも言いなさい。裏でこそこそやるのは、卑怯だ。対等に使える者だけが、何かを言うことができるのだ。もっと、習練してから、言いたいことを言ったらいい」 と言い捨てて、裏に引き上げた。  師匠に激しい挑戦的な言葉を投げつけられた弟子たちには、事態が理解でできなかった。 「なぜ、あんなに、師匠は怒っていたのだろう」  ひそひそ話で、そういう会話が交わされたが、解答は得られなかった。ただ、  「最近、稽古を抜けことが多いから、その言い訳だろう」 という説が説得力持っていた。それには、  「昔のように、熱心に稽古をしてくれない」 という最近流れはじめた風評が裏付けにもなった。  弟子たちの間には、道場崩壊の萌芽を感じ取る者たちも多かった。  裏の私邸に戻った新太郎は、多重の様子を探った。  多重は、いつもと変わらす、甲斐甲斐しく、家事全般をこなすのに急がしそうだった。  掃除が一段落したのを見計らって、  「おい、お前、一寸、粗茶を入れてくらないかい」 と新太郎が言うと、多重は、  「はい、すぐ、お持ちします」 と快く答えて、すぐに、盆に乗せた茶碗を持ってきた。  「そこに、座ってくれ、話がある」  新太郎は、多重をちゃぶ台を挟んで、自分の対面に座らせ、  「おまえ、最近、私に内緒で、なにか変わったことをしなかったかい」 と大雑把に聞いてみた。  「なんですか、それ。あなたに内緒でしたことなんて、覚えがありませんよ」  多重は、不思議そうに、新太郎の顔を正面から見据えて、聞き返した。  「覚えがないというのなら仕方がない。お前、変な手紙を書かなかったかい」  「手紙ですか。手紙なんて、あなたと一緒になって以来、親にも書いたことがないですよ。最も、新年とお暮には、時節の挨拶はしていますがね。そのことではないでしょう」  「そうではない」  確かに、多重が、美代香にああいう手紙を出したと考えるのは、当たっていないかもしれない。そもそも、ああいう女のところへ、新太郎が足繁しげく通っていることは、多重は知らないことになっている。新太郎にしてみれば、あるいは、多重は知っているのかもしれと考えたこともあるが、あくまで、建前では、知らないことになっているのだ。それが、いきなり、あのような手紙を送ることは、不自然だ。少なくとも、長年連れ添った妻なのだから、先ずは、口頭で問いただすのが、順というものだ。  新太郎は、そう考えて、美代香の推測は、嫉妬の気持ちも混じっての、偏見ではないかと思い至った。  (では、だれなのか)  門弟ではないらしい、そして、妻でもなさそうだ。  「なにを言いだすのだか。あなたも、外出ばかりしていないで、すこしは、道場にいてくださいな」  多重は、どきりとするようなことを言って、席をたった。  (やはり、気にしているのか)  払拭しかかっていた妻への疑念が、また少し、湧いてきた。だが、それは、確証ではなかった。  (やはり、あれは、妻ではない)  そういう確信があったから、犯人の手掛かりは、なくなった。  そうして、日が立つにつれて、その手紙の件は記憶の隅に追いやられ、新太郎の行動は、元の形に戻っり、さらに悪化していた。即ち、三日に一回が、今度は二日に一回となり、さらに、日を置かずにを美代香の元へ通うようになり、そうなると、さすがに、多重も門弟たちも知るところとなった。  もう秋も深まった昼下がりに、新太郎が、美代香の家を訪れると、美代香は、長火鉢の後ろで、煙管煙草を吸っていた。  「おい、今日はまた、どんな気分なんだい。こんなに煙草をやって」  新太郎の挨拶に、美香香は、火鉢の横の引き出しを開けて、  「ほら、また、あの手紙が来たよ。今度は、相当物騒なことを言っている」 とその手紙を投げて寄越した。  新太郎は、開いて読んでみた。  ーー 先日のご忠告を、聞いて頂けず、誠に残念至極。こういうことが続くのでは、こちらは、覚悟せざるをえない。全身全霊を込めて、一刀必殺でお諌め申す算段。覚悟あれ。 門弟一同ーー  「ほら、恐ろしいことでしょう」  「なに、脅しだよ。それより、だれが。こんなことをしているのか。その解明が、肝心だ。こんなことをする奴は、即刻、破門だ」  「それはまた、物騒な。相手はかなり、やる気だよ。くわばらくわばら」  「こういう無粋なことは早く忘れて、ほら」  新太郎は、今度は、美代香の両手を引いて、自分の方に引き寄せ、着物の胸の合わせめから左手を差し入れて、乳房を探った。美代香は、その動作を拒まず、むしろ受け入れて、自分から、新太郎にしなだれかかっていった。    九 計 画  新一郎にとって、多重は、かえがいのない母であった。家にあっては、甲斐甲斐しく夫にかしずき、姑にも痒いところに手が届く心配りを見せて、なんら不満を抱かせず、家事全般をこなしていた。それは、妻として、嫁として完璧さだったが、新一郎の母としても、多重は、驚くほどの寛容さで、わが子を包み込んでいた。  だからといって、甘やかして育てたわけではない。躾けは厳しく、その教育は、日常生活のすべてに渡って、喧しかった。それは、  (自分は商家の出だが、武家の家の格式で子供は育てる) という多重の方針によっていた。子供の養育は、妻に任せることにしていた新太郎は、その方針に口を挟まず、多重の自由にさせていた。  今で言えば、「教育ママ」と呼ばれるタイプの母だったが、それほどには、きりきりと、子供を追い込むのではなく、むしろ、温かく包み込んで守るという形の母親のありかただった。  だから、新一郎は、秘密というものを持ったことがなかった。その日に経験したことは、なんでも、包み隠さず、その夜には話していたし、それを楽しげに聞く母の姿を見るのが、新一郎には、楽しみでもあった。  そういう関係で、今までは育ってきたが、新一郎は、最近、一つだけ、誰にも話さない秘密を持った。正確には、誰にもというわけではない。小一郎と二人だけの、秘密だ。 それは、神田明神裏の、洞穴に入ったことと、そこで、見つけた不思議な宝物のことだ。あの洞穴に入って帰ってきたとき、多重は、泥で汚れた着物を見て、  「何をしていたの」 と聞いたが、小一郎との打ち合わせどおりに、  「相撲を取ったんだ」 とその訳を言ったため、多重は、それで納得した。  (男の子だから、すこしは、汚れるようなことをしなくては) という気持ちがあったから、それ以上は疑うことはしなかった.  小一郎も、汚れた着物で、家に帰ったが、美代香は、元々、子供の着るものより、自分の方が気になる人だったのだで、何も言わなかった、と小一郎は、それでも寂しそうに、新一郎に、言っていた。  新一郎は、洞穴で手に入れた骸骨と大きな十字架は、押入れの隅に押し込んでおいたが、あの柔らかい繭は、中に生き物がいるような気がして、水を空けた花瓶の中に、投げ込んでおいた。  小一郎も、同じように、自分の部屋の天袋の隅に小さな十字架と長い白骨を押し込み、繭は、夏の金魚が終わった金魚鉢の砂利の上に置いておいた。  夏の盛りの頃から、父の新太郎が、道場を空けることが、多くなったのを、新一郎も気が付いていた。だが、自分の遊びや勉強が忙しく、あまり、稽古もしなかったため、父が何をしているのかを気に掛ける事は、なかった。夏休みは、ほとんど毎日、小一郎らと一緒に川遊びや、相撲、鬼ごっこなどをして遊んでいた。だから、いつも昼間は家にいなかった。  新太郎がしばしば、家を空け、稽古にも出ないのに気が付いたのは、夏も終わりのころだった。そう気が付き始めたときの夕方、多重が、台所の隅で、手拭いを目に当てて、泣いているのを見た。母が泣く姿を見たのは、それが、初めてだったので、新一郎は、その場に居ては行けないと思い、柱の陰に隠れて、様子を見ていた。  母は、弟子の筆頭で、師範代の若者と話をしていた。  「そうだろうと思ったよ。やはり、そうだったか」  「はい、師匠は、大川を渡って、深川に向い、あの小唄の師匠の家の前で消えました」  「毎日、同じ家に行っているんだね」  「はい、私が、後を付けた二日間は、あの美代香とかいう女の家でした」  「それで、ずっと、そこにいたんだね」  「わたしも、随分長い時間だったので、途中でちょっと、場を外しましたが、ずっといたんだと思いますよ」  「わかった。どうも御苦労さんでした。これは、駄賃と言ってはなんだけど」  多重は、男に包みを渡していた。  そのあと、着物の裾で、涙を拭う仕種をして、再び、台所仕事に戻っていた。  それで、新一郎は、父の行き先と、母の心の痛みを同時に理解した。  (あんなに、甲斐甲斐しく仕えてきた母が、なぜ、あんな目に会わされるのだ)  新一郎は、母の心情を思って、胸が張り裂けそうだったが、それを言って、母を慰めることは、気丈な母のためにも、良くないことだと考えて、では、どうすればいいのかと次の策を頭に浮かべた。  まず、考えたのは、  (美代香は小一郎の母ではないか、小一郎の相談してみよう) ということだった。そうすUれば、なにか、良い知恵を授けてくれるかもしれない。小一郎の方から、美代香にそれとなく働き掛けてもらうのもいいだろう)  それが一番いいと、思って、夏休みが空けて、初めての稽古の日に、相談を持ちかけた。  話を聞いた小一郎は、  「確かに、なにか、おかしいと思っていたんだ。だいたい、昼間の稽古はしないのに、俺が、家に帰ると、二階に誰かが来ていた空気があるんだ。お茶が入れっぱなしになっていたり、布団が敷きっぱないしだったり、なにか、男の気配がしたよ。それが、師範とはね。聞いて驚いたよ」  「どうすればいいかな。これでは、俺の家は崩壊してしまう。なにより、母が可愛そうだ」  「でも、それは、新ちゃんちの勝手というものだろう。家のことを考えてくれよ。いくら家の母が男好きだからと言ったって、俺の親友の父親とそんなことになるとは思わなかった。全くの妖婦だな。おれの母親は」  「いや、悪かった。そういう意味ではないんだ。君のうちも俺の家も、大過なく行けるような善後策を考えないといけない」  「でも、家の母親もお前の家の父親も、いい大人じゃないか。分別のある大人が、覚悟してやっていることを、俺たちが、とやかくいう必要はないんじゃないか」  「それは違う。これでは、母が可愛そうだ」  「じゃあ、俺の母親は可愛そうじゃないってことか」  「そうじゃないよ。この場合、やはり、悪いのは、男だな」  「でも、今の世の中、女なんて、男の言いなり、都合のいいようにされるばかりだよ」  「おれは、そういうのは気に食わない。男だからって、気儘にやっていいわけがない」  「だって、大名連中は沢山の妾を抱えているのは当たりまえ。大店の主人だって、囲いものがいるのが当たり前。そういう世の中じゃないか。かといって、お袋が、そういう身に落ちては欲しくはないが」  「じゃあ、話ははやい。俺たちで、仲を裂けばいいんだ。お互いのためだよ」  「そういう事かな。どうする」  「まずは、隠密作戦だな。文書作戦だ。おれが書いたものを、持っていってくれ。お宅に投げ入れてくれればいいさ」   二度にわたる美代香への匿名の手紙は、新一郎が書いて、小一郎が、自宅に投げ入れたものだった。  だが、苦肉のこの手紙作戦も、新太郎と美代香の関係を、変えるものではなかった。新太郎が、この手紙を読んでから、したことは自らの行為を顧みることではなく、その差出人を突き止めようとしたことだった。だが、それも、埒が開かないと見ると、その作業も断念して、むしろ、忘れることに務めた。そして、実際に忘れようとしていた。だから、新太郎は、あきことなく、美代香の元へ通い、美代香も、持ち前の性格とこれまでの習性から、寄ってくる男を拒むことはしなかった。  すでに思春期のまっ只中にあった新一郎と小一郎は、そういう関係を汚らしいものと感じていた。母の幻想が二人を捕らえていて、下町の庶民の家で、「かかあ」と言われる砕けた関係は、二人とも、生母との間で持っていなかったから、その神聖な母性がこういう関係で、ずたずたにされるのが許せない感じがしていた。それは、直接の母が、そういう関係を、これまでも多く持っていた小一郎には、一時的な嫌悪感かもしれなかったが、清潔好きの、潔癖症でもある母を敬愛していた新一郎には、強烈な拒否感をもたらした。  「おれは、こういうのは許せないんだ。わかるだろう、小ちゃん」  「おれは、小さいころから、母さんの男出入りには慣れっこになっているから、そう驚かないが、おれも、年頃だし、なんといっても、あんたの親父が相手では、参っちゃうよ」  「おれは、絶対許せない。なにも言わないでいる母さんが可愛そうだ。おれが、片を付けるんだ」  思い詰めた表情で、そういう新一郎に、小一郎は、並々ならない決意を感じて、  「でも、俺たちには何もできないよ」 とした言えなかった。  「ある、計画がある」  新一郎は、打ち明けた。  「なんだい」  「それには、犠牲が伴うよ」  「言ってみろよ」  小一郎に促されて、新一郎は、考えていた計画を語った。 十 失 踪    小口新太郎が、江戸は神田・相生町の自宅と道場に姿を見せなくなってから、十日ほど過ぎた、晩秋の神無月に、妻の多重は、南町奉行書に夫の捜索願いを出した。  それは、姑の忍や門弟とも、重々、相談した上での、断固たる行為だった。  多重が、夫がどこかへ外出し、帰宅が遅くなってきたのに気が付いたのは、その月の初旬だった。夏以来、足繁く外出す夫の行動に不審を抱いていた多重は、門弟に頼んで、その行動を探らせていたため、夫が毎日、どこに出掛けているかは、大体の見当が付いていた。だが、その門弟には、そのこうことを口外することを、禁じて、その事実は、深く胸の内に仕舞って、忍にも相談はしなかった。  それは、妻としての胸じが許さなかったし、できれば、夫が、自ら反省して、早く、家に戻ってきてほしいと、微かな、期待を抱いていたからだ。  だが、そのことを言葉には出さなかったため、事態は、そのまま進んでいって、ますます、夫の帰りが遅くなるどころか、ここへ来て、とうとう、帰宅くしなくなってしまったのだ。  もちろん、捜索願いを出す前に、多重は、忍にも相談した。  忍の考えは、  「あれだけ、真面目で、道場経営に熱心だった息子が、何も言わずに家を空ける訳がない。なにかの事情があってのことだろう。そのうち、必ず、連絡がある。それまで、待っていればいい。変に騒ぎ立てることはない。帰ってきて、そのことが知れたら、逆効果になる」 というものだった。  しかし、大体の見当が付いていた多重は、そのことを言おうかと、喉まででかかった言葉を飲み込んで、姑の考えに従うことにした。  約一月半の間、夫の様子を見ていて、多重が不思議だったのは、外に出掛ける日の朝は、何時もより起床が早いということだった。  夏だから、日が昇るのは、早いが、新太郎は、夜明けとともに、起き上がり、洗顔をして、身づくろいしたあと、霜の降りた庭に出て、竹刀で何度も素振りをしてから、一汁一菜の朝食を家族とともに取る。そして、すぐに、道場に行き、朝稽古に来た門弟に稽古を付ける。すると たちまち、昼になり、ひとまわりの稽古を終えたころ、新太郎は、家を出ていく。  また、その前の夜には、いやに、多重に優しいことにも、多重は気が付いていた。時には、体を求めることもあったが、そのことと翌日の行動との関連に多重が気付いてから、多重の方で、拒むようになったため、それ以降は、そういうことは、なくなった。  忍の忠告で、捜索願いを出すのを、一端、やめにした多重は、一念を発起して、門弟から聞いた美代香の家に、自ら出向いて見ることにした。それは、夫が帰らなくなってから七日ほど過ぎた日だったが、朝から天気がよく、深川まで、一人で歩いていくには好都合の日和だった。  多重が、鳥追いの網傘を被り、黄八八丈の着物に草履を履いて、家を出たのは昼前だった。途中、水天宮でその日の探索の成功を祈ったあと、足早に、大川を越えて、深川に入っていった。  美代香の家の地図は持っていたから、行路はそれほど難しくはなく、その道準通りに、行くと、すぐに、その四軒長屋が見えてきた。  (この二番目家だとか)  長屋のこちらから、二つ目の家の前に立つと、「小唄、長唄師教えます」という縦板に書いた看板が掛かっているのが目に留まった。  (これにちがいない)  多重は、玄関前に立ち、  「もしもし、誰かいらっしゃいますか」 と来客と告げる声を掛けた。  中からは、応答がなかった。  「もしもし、こんにちは」  もう一度、今度は、少し、声を大きくして、問いかけた。  すると、今度は、中から、声がした。  「はいはい」  引き戸を開けて、丸髷の頭を直しながら、姿を見せたのは、小柄だが、小さな顔にくっきりとした眉毛と大きな瞳の収まっているくっきりとした表情の美人だった。  「こちらは、美代香さんのお宅ですね」  そう質した多重にその女は、  「はい、私が、美代香です」 と、ハッキリとした声で答えた。  その応答の時に、少し、体をこちらに近付けた女の体からは、熱い熱が放射されてきて、多重は、くらくらとして、意識が一瞬薄れそうになった。それは、いまのいままで、体を火照らせ、体を動かしていた肉体が発散するある特殊な熱だった。  そのことで、多重は、この女性が、いまのいままで、していたことの意味を察知したが、 「実は、私は、こちらのご子弟、小一郎さんが稽古に来ている神田・相生町の剣道場「誠剣館」の道場主、小口新太郎の妻です。こちらに、夫の新太郎が伺っていないかと、お伺いした次第です」  多重はずっと考えてきた口上を一気に、申し述べた。  美代香はその言葉を、端然とした姿勢で、聞いていたが、多重が、言いおわるのを待っていたように、  「そのような方は、見えていません」 ときっぱりと言った。  そういう解答は回答は、多重も予想していたことではあった。  (こうして、出向いても、相手は、白を切るに違いない。そうなったらどうしようもないが、なにも、しないでいるよりは、いいだろう) と考えて、一大決心して、出向いて来たのだった。  だから、簡単には引き下がるわけには行かない。  「では、こちらに伺ったことはないですか」  多重は、わざと時期を入れずに、聞いてみた。  「いや、一度も、ないですよ。なぜそんなことを仰るのですか」  相手は、反撃に出てきた。  だが、ここでは、その問いに明確に答えて置くほうがいい。多重は、これまでの子細を述べて、この家に来た理由を語った。もちろん、弟子の捜索については、振らなかった。ただ、  「夫は小唄か端唄でも習ってみるか」 と言っていたことがあるから、と少し、創作を交えて、説明したのだった。  それを聞いた美代香は、  「確かに、家では唄の稽古をしていますが、ご主人がお見えになっていることはありません。一度も、お目に掛かっていませんよ」 と、この時は、多重の目を見ないで、下を向いての発言だった。  それは、多重にますます、疑念を募らせたが、人の家に無理やり入る訳にはいかない。  多重は、この家の二階に夫の陰を感じていた。二階にもし部屋があるのなら、夫はその部屋で、じっと、こちらの様子を伺っている。それは、長年、妻として仕えてきた多重の確信に満ちた実感だった。  そのことを考えると、自分のしていることが、まるで意味のないことのように思えて、無性に虚しくなった。  逃げた夫の隠れている情婦の家で、夫の行く方を探すそう糠の妻。そんな姿は、多重には、屈辱的に見えた。  「そうですか。わかりました。ご迷惑を掛けました」  多重は、そう言って辞去しようと、挨拶をした。  美代香は、その言葉を聞いて、安心したのか、少し、体を後ろに引いて、家の中に入ろうとした。そのとき、玄関の上がり框に、見慣れた新太郎の紅色の鼻緒が付いた草履があるのを、多重は、横目に見た。その鼻緒は、多重が、新一郎の元服祝い着を買いに出掛けた日本橋の白木屋で、  「貴方にも」 とわざわざ、申し向けて、渋る新太郎を説得して、買ったものだった。  それが、なによりの、夫があの家にいることの証拠だった。  秋とはいえ、太陽が天上に昇ると、日中は汗ばむ位の暑さになり、多重は、日よけの傘を目深に被って、家路を急いだ。  足は早かったが、それは、心の内の激しい動悸と拍子を合わせていた。こんなにも一決心をして、美代香の家を訪ねたのに、けんもほろろにあしらわれた情けなと悔しさが、歩く程にこみ上げてきて、むしゃくしゃした。大川を越えるころには、怒りは頂点に達して、いつのまに、橋を渡ったのかも、分からないままに、日本橋に来ていた。  目の前に、「白木屋」と白く染め抜いた紺の暖簾が下がっている。多重は、ふらふらとした足取りで、その店の中に入っていた。  店の中には、大きな畳の広間があり、そん上で、店員達が、反物を並べて、客に見せていた。島田に振り袖の大名の娘姿の女性やその母と思われる渋い着物姿の年配の人もいたが、客の多くは町屋の庶民の子女風で、鳥追い笠を脱いだ多重もその中に混じって、異色ではなかった。  多重は、顔面蒼白になっていた。それは、あまりの衝撃で、血が頭に登ったあとの反動で、血流が下半身に下がってきたこともあったが、あまりに足早に歩いたので、血液が足に集中してしまった結果だった。  多重は、人いきれのなかで,急に気分が悪くなって、ふらふらと、その場に崩れ込んで昏倒した。  それを見ていた店の丁稚が、駆け寄り、多重の体を後ろから支えて、店の奥に運んでいった。  その日以来、美代香と新太郎の姿を見た人いない。  二人は、姿をくらましたのである。  長屋の隣に住む、大工の溜五郎が、美代香の姿がここのところ、ずっと、見えないのに気が付いて、小一郎を見かけた日に、  「あい、小ちゃん、おめえのおっかあは、最近姿を見せないがどうしたんだ」 と声を掛けたが、小一郎は、  「何時もの持病が出て、家で寝ているよ」 と素っ気なく答えて、駆け足で行ってしまった。  それで、溜五郎は、日頃から、美代香が、訴えていた頭痛が出たのだと解釈して、それ以上は聞かなかった。長屋と隣同士といっても、溜五郎は、昼間は仕事で外に出ているから、それほどの付き合いはない。いま、取りかかっている大名屋敷の普請のことで頭が一杯で、深追いするつもりはなかった。  だから、美代香の姿が、一時、見えなくても、だれも、不審に思わなかったのだ。  ただ、新太郎が帰らないことが、十日以上になりかかって、多重は流石に、心配になり、忍に、相談した。  「やはり、捜索願いを出したほうがいいのではないでしょうか」  新太郎が、これほど長く家を空けたことはない。相談された忍は、  「あんたは、心当たりがないのか」 と聞いた。  そう言われると、多重は、大いに心当たりがあったが、それを言いたくはなかった。むりやり、美代香の家に押し入って、新太郎を見つけてしまえば、ことは簡単だが、それだけは、正妻の立場として、したくはなかった。だから、もはや、お役人にお願いして探して貰うほうが、ことは簡単になる、とも考えはじめていた。  しかし、そうなると、お役人に詳しい話を聞かれるだろう。心当たりも尋ねられるに違いない。そのとき、多重はなんと言えばいいのか。まったく、知らず存ぜぬで通してしまえばいいのかもしれない。だが、それでは、良心が苛まれるのは間違いない。  (行くべきか、やめるべきか)  多重の心は、ちじに乱れた。忍には、もはや相談は出来ない。となると、あと、家族と言えば、新一郎だけだが、こういう夫婦の間のことで、可愛い息子を悩ませたくはない。だが、そうも言っていられまい。新一郎には父親の失踪なのだから、まったく、無視するわけにはいかないだろう。むしろ、積極的に相談すべきだと、考えて、新一郎の部屋に行ってみた。  新一郎は、窓際の座机に座って、本を読んでいた。  「ちょいと、新ちゃん、話があるんだが」  新一郎は、母の声に、書を閉じて、こちらへ向いて、座蒲団を回して、正面を向き、  「何でしょうか」 と躾けの正しさを証明するかのような態度で、母に聞いた。  多重は、その前に布団を敷いて座り、  「あんたも、気が付いているだろうが、父さんが、ここのところ、家に帰ってきていないね。何処に行っているか、あんたはなにか、心当たりがあるかい」 と聞いた。  新一郎は、そういう質問をされるのを予想していたかのように、即座に、  「いえ。まったくありません。どこに行ったのでしょう」 と短く、答えた。  「それなら、やはり、届けを出そうかと、あたしは考えているんだが。お祖父さんもそうしろと言っているしね。そうした方がいいかね」  母親からの相談を受けた新一郎は、  「そうですね。そのほうが、分かりやすくていいでしょう。お役所に捜索を頼んだほうがいいと思います」  そう言って、新一郎は、多重がこれまでに見たことがないような、不敵な笑顔で、微笑んだ。  父親で夫の新太郎の捜索願いの提出は、こうして、家族全員の意思の一致で決まった。  とはいうものの、多重には、新一郎の態度、いつもと違って、なにか、ふてぶてしいのが気がかりだった。  (この子は、自分の父親のことなのに、そう心配している様子もない。父と男の子というのは、そういうものなのだろうか)  女所帯で育った多重には、男の親子の感覚、情念というものは、理解の果てにある。  (もし、これが、女の子と私だったら、どうなのだろう) とも、考えたが、自分が、家を捨てて、姿を消すことなど、想像もできなことだ。ただ、言えることは、  「わたしなら、絶対、家族にそんな心配はかけない」 ということだけだった。  そういう自分への自信と夫への不信が、そろそろ吹きはじめた秋風と同様に、多重の心の中を吹きすさび、心身を苛んだ。  道場の方は、門弟たちの一部がが、  「先生がいなくては、稽古にならない」 と他へ移ろうとする者が、出始めていた。一応、代理として新一郎が道場に出ることで,対面を保っていたが、なんといっても、実績と実力が違う。実際、竹刀を合わせての稽古では、新一郎は、門弟たちにいつも、押され気味だった。これでは、権威を失う。  それで、どうにか、体面を保っているのは、昔からの弟子が、稽古の手伝いをしてくれているためで、彼らが、辞めてしまえば、新一郎の指導では、道場が人気を失うのは必定だった。  (やはり、是が非でも、夫を捜し出さないといけない)  新太郎が家に帰らない期間が長引くに連れ、多重は、焦りを感じるようになっていた。それも、捜索を奉行所という、公的機関に依頼しようとした動機になっていた。    新一郎が、師範格に座った道場に、小一郎は、通って来なくなった。体格的には、ずっと大柄で、運動神経にも優れている小一郎には、新一郎の相手をする事には、もう、あきが来ていたのが、理由かと、他の弟子たちは、噂していた。  「小さんは、もう稽古をしても、上達する可能性はないと考えたんだろうな。それも、分かるよ。ずっと、新一郎さんの稽古相手をしてきたが、あれでも、大分、抑えていたんだぜ。それも、居なくなった先生への忠義心からだ。なにしろ、先生は、小さんに目を掛けていたからね。月謝も取らないで、教えていたんだから。その先生がいないのでは、稽古にも身が入らんだろう」  そういう、噂話は、当然、道場の奥の一団高い師範の席に座って稽古を見ている新一郎の耳にも入ってきた。だが、それを気に掛けて、どうこうしようという、気持ちは、新一郎には、起きなかった。  (小一郎は、どうしているのだろう) とう気持ちは、時々起きたが、そう会いたいとは思わなかった。むしろ、会わないでいるほうがいいと、考えていた。  それは、二人の暗黙の約束のようなものだった。どちらも、口に出しては言わないが、「あの事」を一緒にしてからは、そうしていたほうが、無難だと、思えて、二人同時に、同じことを考えていることが分かった。  「様子がハッキリと、わかるまで、会わないほうがいい」  二人はそう判断した。そして、会わないでおくのは、もしかしたら、永遠になるかもしれないと言う予感もあった。  新一郎も小一郎も、  (それで、いいのだ) とも思っていた。  (あのことが明るみに出るまでは。明るみにでたら、堂々と、名乗り出て、世間に考えを述べる。それまでは、じっとしているのがいい。もしかしたら、ずっと、じっとしているのが、一番いいかもしれない)  新一郎は、そんなことを、ぼんやり、考えながら、数少なくなってきた門弟たちの稽古を見ている。 十一 捜 索 願  小口多重から、夫、新太郎の捜索願いを受けた南町奉行所は、同心の穂積作衛門が、その担当者となった。  穂積は、願いを提出しにきた多重に、さっそく、事情を聞いた。  多重は、かいつまんで、その事情を説明し、  「夫がいなくってから、もうすぐ、一月になります。このままでは、道場もなりゆかなくなります。どうぞ、はやく、行く方をさがしてください」 と訴えた。  この聴取のなかで、多重は、新太郎が、唄の師匠の美代香の所に、入り浸っていたこと、自分でもその家を訪ねたが、けんもほろろあしらわれたことなどを、涙ながらに訴えた。  すでに、五十を過ぎて、頭に白いものが混じる小柄の同心、穂積作衛門は、奉行所では、出世に見放された冴えない小役人だったが、養子に取った男の子がまだ、年少だったことから、隠居が思うに任せず、この年で、役所務めを続けていた。だから、主要な事件は、飯山ら他の出世頭の与力や同心が扱い、言ってみればさほど重要でない、細々とした事件を担当するようになっていた。ということは、小口新太郎の失踪は、大した事ではない、と町奉行所は判断したのだった。  だから、穂積の事情を聞く態度も、それほど、積極的なものではなかった。なにしろ、。諸国から多数の人が流入してきている江戸では、人探しの願いなど、捨てるほどに出て来るのだ。穂積も、多重の訴えもその一つだと考えたのも無理はなかった。  ただ、穂積は幕府の真面目な役人だった。来年になれば、養子が元服して、隠居することが決まっていたから、あとすこしの辛抱で、長く務めた役人暮らしから足を洗える。そういう時期だったから、最後に一仕事のご奉公をしよう、という気持ちもあったことが、多重の訴えを、真面目に聞く気持ちにしていた。  一応の調書を認めてから、穂積は美代香の長屋を訪ねてみようかという気になった。その日は、天気もよかった。抜けるような秋晴れの空が広がり、遠く西の空には、頂きに雪を被った富士山が見えた。風も収まって、小春日和のぽかぽか陽気に誘われるように、穂積は、大川を渡り深川の長屋の前に立っていた。  「もしもし」  家の中に声を掛けると、すぐに中なら応答があった。出てきたのは、まだ十代とみられる少年だった。  「こちらは、美代香さんのお宅ですね」  丁寧に尋ねた穂積に対し、その少年は、脇に大小をたばさった武士姿の見知らぬ客の訪問に、警戒心を露にして、  「たしかに、そうですが、何方ですか」 と身元を聞き返した。  「町奉行所の同心で穂積作衛門といいます。実は、神田・相生町の剣道場「誠剣館」道場主が、姿をくらましたのです。こちらに伺っていたとの、情報がありまして、調べに来た次第です」  少年は、  「私はこの家の長子の小一郎と申すものですが、そのようなかたは、みえていませんよ」 と素っ気なく答えて、引き戸を引こうとした。穂積は、その動作を抑えて、  「では、美代香さんは、母上ですね。母上はいらっしゃいますか」 と追っ掛けて聞いた。  「いえ、母は、出ています。何かの所用でしょう。そのうちに帰ると思います」 と少年はその問にも、簡潔に答えて、中に引きこもろうとした。  「そうですか。では、また」  穂積は、それだけ言って、身を引いた。だが、少年の木で鼻を括るような応対が、引っ掛かった。  (せっかく、ここまで、来て、そうですかで帰るのでは、情けない。近所の聞き込みをしてから帰ろう。それに、今日は、例外的に、武士の私が出向いて来たが、これは、本来なら番所の下っ引きの仕事だ、変な関心を持ってしまって、失敗だった)  そう悔悟の念を抱きながら、一つ奥に隣の家の引き戸の前に立って、案内を乞うていた。  その家には、穂積は、見覚えがあった。五年ほど前に起きた吉原の花魁殺しの事件で、容疑者に浮かびあがった浮世絵師の住んでいた家が、この家だった。その記憶を辿りながら、かつて読んだころのあるその浮世絵の取り調べの調書を思い出した。    それは、物語風に綴ると、  ーー 版画師、安斎歌麿の調べは、花魁・右京太夫の馴染み客であったことから、峻烈を極めた。 お白砂に引き出された安斎は、痩身に面長の顔、頬はこけ、無精髭が、伸び放題だった。後ろ手に縛った縄をほどかれた安斎は、筵の上に、素足で座らされ、町奉行の与力、飯山鹿之助の調べを受けた。  飯山は、 「そろそろ、白状したらどうだ。お前の家の家宅捜索で、右京太夫の死因となった毒物が検出されている。お前が、太夫の紅に毒を入れたのであろう」 と責めたてた。  「滅相もございません。そんなことは、まったく覚えがございません。確かに、私が使っている絵の具には砒素や鉛の毒が、含まれているようですが、人を殺せるような量ではございません。無実でございます」 歌麿は、言い募った。 飯山がさらに、追い撃ちを掛けた。 「しかし、お前は、太夫と昵懇であったのであろう。それが、最近だんだんと、疎遠になり、太夫が上客をとるようになるに従って、お前の凛気が募って、太夫をうっとおしく思うようになっていたのではないか」 「そんなことは、ございません。仲はとても宜しゅうございました。喧嘩一つ、したことはございません。それに、会えるのは、月に一度が良いほうでして。その一度が、とても、待ち遠しいくらいでした。その愛しい花魁を、なぜ、殺すことが、できましょう」 「しかし、お前しか、下手人は今の所、いないのだ。確かに動機が判然としないが、客が付いて、会えなくなったお前の悋気が、そうさせたのだろう」 「私は、太夫の出世を喜びこそすれ、羨むようなことは、ございません。私は、月に一度の再会を、いつも楽しみにして、指折り数えていたほどですよ」 飯山は、新たに捜査で明らかになった事実を、突きつけた。 「当方の調べによると、お前はこの頃、若い女を、家に頻繁に連れ込んでおるようだな」 意表を突かれた歌麿は、少し、たじろいだが、すぐに、体勢を立て直して、 「それは、私の画業の手習いに、写生の相手を呼んでおりますので、その女のことでしょう」 「そうかもしれぬが、朝から夕方まで、二人で部屋に引きこもって外に出てこない、という証人がおるぞ」 「そういう日も、ございます」 「しかも、そういう日は、何やら、くぐもったような音が、聞こえる、とも隣人たちは、口を揃えておる。一体、なにをしておるのだ」 「写生で、ございます。私の美人画は、想像の産物ではございません。しっかりと写生し、具体的に描いたものでございます。そのために、日々、技を磨いております」 飯山は、最近、巷で評判の、美女と蛸が絡んだ歌麿の浮世絵も、写生によるものなのか、疑問が湧いた。 「お前の最近、描いている猟奇画も、写生によって、描いたのか」 「いや、あれらは想像も含まれております。美女と蛸は写生しましたが、それらを組み合わせたのは、私の創造でございます」 「確かに。ところで、そんなに写生が必要か」 「はい、一日とも欠かすことは、できません」 「それで、毎日、女と二人きりで、部屋にこもっておるのか」 「いいえ、毎日というわけでは、ございません。一、三、五の日だけでございます。それが、お夏を写生するし日でございます」 「お夏というのは、その女の名か」 「はい」 「お前は、お夏を好きになったのであろう」 「それは、嫌いでは、写生の相手にできません。ですが、惚れた、はれたというような関係では、ございません」 「では、聞くが、お夏の生れはどこだ」 「米沢でございます」 「そうだ。出羽の国の米沢だな。お前が殺した右京太夫と同じだな。お夏は太夫とどういう関係なのだ」 「ただ、同郷でございます」 「調べは、付いておるのだ。そうでは、なかろう。お夏は太夫の妹だというぞ」 「はっはー。その通りでございます」 歌麿は平伏した。 飯山は、岡っ引きの小六親分に命じて、歌麿の近隣を洗わせたが、その調べで、歌麿の写生の相手の素性が解ったのだった。  歌麿は、お夏を雇っていた。雇い金を出したのは、そのころ後援者だった油屋の美濃屋だ。お夏を連れてきたのは歌麿自身で、それは、右京太夫からの紹介だった。  その頃から、歌麿の画風が、変わった。それまでの具象的美人画から、描線にまろやかさが出て、徐々に、抽象的になった。また、美女たちの表情が、より、官能的になった。  「この頃、歌麿の作品は、色気が増したねえ」 というのが、巷の評判だった。  写生の相手が、お夏になってからの、変化だった。  飯山が、  (お夏と何をしているのか) と、疑問を感じたのは、当然だろう。   実は、歌麿は、写生など、殆どしていなかった。  お夏のすることと言えば、朝、歌麿の朝食を用意し、洗い物をして、掃除し、昼には軽い昼飯を作るという、言わば、賄い婦の仕事が、主だった。  歌麿は、その後、写生に取りかかる。  お夏は、長襦袢と赤い腰巻きに着替えて、床の間の前に横たわる。  それでも、歌麿は、なかなか、筆を取らない。小一刻も、じっと姿を、穴の空くように見つめるだけだ。  お夏はその凝視に、じっと耐える。  (こんなことが、できる女は、そうはいない。だから、おれはお夏を離せない)  歌麿は、心中そう、考えてた。  そうしてから、歌麿はやっと筆を取って、三、四十枚を描く。  ある時、歌麿は、古道具屋から、オランダから長崎に入ってきたという、西洋風の蚊帳を見つけてきて、背景に使った。  お夏には、西洋婦人の衣装を付けさせ、椅子に座らせた。  「美濃屋の頼みで、西洋画風の絵を描かないといけなくなった」 とだけ、お夏に言った。  最初は、羽飾りを付けた帽子を被らせた。次は、帽子を脱がせて、西洋婦人の服装のままに、座り姿を描いた。そして、次は、上着を取って、西洋下着のお夏を描いた。最後は上半身裸で、そして、最後は、全裸に革の靴を履いただけの姿を十枚ほど、筆で写生した。  オランダ風の蚊帳の前のお夏は、くっきりとした目鼻だちや濃い眉と大きな口が、日本人離れしているだけに、際立って、美しく見えた。  そのとき、それまで、無口だったお夏が、初めて、歌麿に心を開き、  「わたし、ずっと、このままの姿でいたい」 と、懇願した。  歌麿は、おさんどんをするお夏とは、すっかり見違えるほどに、妖艶に変身したお夏を「好ましい」 と感じた。  歌麿は、お夏の体を、脱ぎ捨ててあった扱きを取り上げて、縛った。首から前に回した赤い紐を、胸の前で交差させると、そこに結び目つくり、さらに、下に広げて腰の後ろに回し、後ろ手にしたお夏の両手を交差させて、きつく縛り上げた。  歌麿が、後ろ手にした紐を、ぐいと、締め上げると、お夏の胸の前で交差した扱きが両の乳房を挟んで押し上げ、乳房は脹らみを増した。  「おお。これでいい」  歌麿を、そうした後、少し距離を広げて、お夏の縛り上げられた体を眺めた。そしてその姿のまま、椅子にうつ伏せに座らせ、乗馬用の笞を取り、お夏の臀部を打った。お夏の尻は見る間に、赤みを増し、笞の跡が、紫色に膨れた。お夏は思わず、悲鳴を上げた。  「ああ、歌さんが、わたしを打っている。お尻を打っている。悪いわたしだから、お仕置きをされるんだわ。打って、打って、わたしをもっと、いい女にして」  お夏は打たれるたびに、快感が増した。最初から、笞を避けようとはしなかったが、最後には、自ら、打ちゃくを求めて尻を突き出していた。  そうした、めくるめく時の間は、時間が止まっていた。長く、また短い時間が、恍惚のなかで、過ぎていった。  その夜、お夏は西洋下着のまま、歌麿に抱かれた。  歌麿は、その非日常的な状況のなかで、右京太夫にはない新鮮さを感じ、お夏を思い切り、意のままに操り、翻弄した。  お夏はすました感じの整った顔つきに似合わず貪欲で、歌麿にはそれも新しい発見だった。  睦みごとが終わったあと、添い寝をしていたお夏は、珍しく、自分から話しかけた。 「姉さんは、あんな仕事をしているけれど、歌さんのことが、一番好きだって、いまでも、言っているわ。だから、こんなことになってしまって、姉さんに悪いわ。でも、最近の姉さんは、すっかり、美濃屋さんが常連になって、毎日のように通ってくるものだから、情が移りそうよ。美濃屋さんに身請けされるかもしれない。そうなると、歌さんも、もう、会えなくなるわね」  お夏は、そうなることを望んでいるような、口振りで、歌麿に話しかけた。  そんなことが、あってからも、お夏と歌麿の関係は、変わらなかった。  相変わらず、おさんどんをして、写生の相手になっていた。  ただ、時折、歌麿が、周期的に陥る交合への欲望に、お夏は喜んで応えることがあった。そこが、以前とは、変わった点だった。  だが、それも、美濃屋の奢りで、歌麿が三浦家へ出掛けたあとは、お夏に触れる頻度は少なくなっていた。  そういう数日が過ぎたとき、歌麿は、  「この前の続きを描きたい。オランダ蚊帳を釣ってくれ。それと、西洋着物に着替えて」 と突然言った。  お夏にはそれが、なぜかは、分かっていた。  (姉さんが身請けされることになったんだわ。だから、私に変な姿をさせて、忘れたいのね)  お夏は、進んで着替えをして、歌麿の前に座った。  こんども、着衣から全裸まで、歌麿の写生は続いた。  「歌さん。実は、姉さんから、聞いた話だけど、美濃屋は、相当、阿漕なことをしているのよ。そんな人に、姉さんを取られて、悔しくないの」  お夏は、ぐさっと、歌麿の心に、刃を突き立てた。無口だが、直截な性格と、姉への競争意識が、吐かせた言葉だろう。  「それは、太夫に聞いたよ。それが、おれへのせめてもの、手向けだ、と言うんだ。随分、具体的に話をしてくれた。それで、おれに美濃屋と手を切って、自立してほしいと言うんだな。美濃家の金は、今まではおれには、必要だった。でも、奴さん、最近は仁科広重に入れ込んでいるから、おれには冷たいよ。だから、おれもここらで、ひとつ大仕事をしてやろうかと、考えている」    飯山の調べは、さらに続いた。  「お前は、お夏と何をしていたのだ。隣人が聞いたくぐもった声は、何なのだ」  歌麿は、答えなかった。  「太夫は美濃屋に身請けされる寸前だった。それほどまでに、仲のよかった二人だ。太夫は、何か言っていたか」  「何も」  「そうか。では、聞くが、美濃屋が、不正に油の取引を行い暴利を得ていたことは、お前も知っていたろう」  「いえ、滅相もない。まったく、知りません」  歌麿は、全面否認した。  しかし、実は歌麿は、すべてを知っていた。太夫が美濃屋への身請けの手向けにと、すべてを歌麿に話していたのだ。 歌麿は西洋風美人画の制作に、取りかかった。 オランダくだりの西洋の蚊帳の下に、美女が横たわり、その美女に、ヘビが絡んでいる構図だった。ヘビは、女の首に絡まり、胴体を巻いて、露になった太股にも絡んでいた。   女は、苦しみと、喜びがない交ぜになったような、歓喜の表情をし、いかにも官能的に描かれていた。 お夏は、事実、歌麿にその姿で玩ばれた時、そういう表情をした。その時の写生を、歌麿は生かした。 制作には、ほぼ、一か月が掛かった。お上の目に触れたら、即制作中止の命令がでるであろう「秘画」だったから、その間、歌麿は家に籠りきりで、お夏だけが、その画の秘密を知っていた。 精根込めたその画が完成した時、歌麿は、  (これで、オレの仕事は終わった) と感じた。 すべての才能と能力を、注ぎこんで、歌麿は、見る影もなく痩せて、完成後の二日間、だれにも会うことなく、ひたすら、眠った。その間、お夏は、歌麿に付き添い、身の回りの世話をしたーー。    穂積は、この話を鮮明に覚えていた。それは、これほどの猟奇的な事件はそのころなかったし、歌舞伎狂言の下題にもなった程だから、強い関心があったのだ。  (その写生の舞台が、確か、この家だった) と古い記憶が蘇ってきたのだった。  「もしもし、どなたかいらっしゃいませんか」  引き戸を叩いて、中の様子を見たが、何の応答もなかった。どうも、錠が降りているらしい。となると、この家は、空き家なのか。あの歌麿が、この家を引き払って以来、誰も入っていないのかも知れない。  (お夏は、どうしているのか。ああいう形で、天国の歌麿の所へ、行ってしまったのかもしれない。どこにいるのだろう) と考えて、お夏の壮絶な最期を、同僚の飯山から聞いていたことを思い出した。  飯山は、折りにふれて、その最期を、感動的に語っていた。    穂積が、聞かされたお夏の最期は、以下のように、壮絶なものだった。   ーー 花魁殺しの捜査のため、お夏の家に向かった飯山梅之助らは、半刻ばかりで、到着した。  入口の引き戸の前で、  「どなたかいらしゃるか」 と、訪問を告げたが、中からは、なんの返事もない。もう一度、声を掛けても、やはり、答えがなかった。  しかたなく、  「入りますよ」 と、大声で言って、引き戸を開け、中に入った。  それでも、誰も出てこない。それで、続いて、  「上がりますよ」 と、宣言して、客間に上がった。  客間に座って、静かにしていると、奥の居間から、静かな泣き声が聞こえてきた。  「行ってみよう」  豪胆な性格の同僚の津田伸吾が、尻込みしている飯山を誘った。  二人が、襖を開いて、居間に入ると、そこには、お夏が浴衣姿で、祭壇の前に座り、泣いている姿が目に入った。  「何をしているのだ。お夏」  お夏と面識のある飯山が、声を掛けた。  お夏は、頭を上げて、二人の方を見た。  「あれっ、いつの間に見えたのですか」  怪訝な表情で聞いた。  「すまん、玄関で声を掛けたのだが、返事がないので、上げさせて貰った」  飯山が詫びた。  「すみません。いま、着替えて、参りますから」  津田と飯山は、お夏のその言葉を、受けて、再び客間に戻った。  お夏は、脱ぎ捨ててあった着物を、きちんときれいに着直して、身繕いし、茶箪笥から客用の茶碗と茶托を取り出して、いつも沸かしてある、火鉢の鉄瓶から、熱い湯を注ぎ、お盆に乗せて、客間に出た。  「粗茶ですが」 と二人に差し出し、  「どのようなご用件ですか」 と直截に尋ねた。そのときは、ものおじせず、しっかり者の若い娘に戻っていた。  「尋ねたのは、他でもない。ここに、祀られている歌麿のことだが、われわれは、右京太夫殺しは、歌麿の仕業ではないと、思っている。というより、そう思い出した」  「といいますと・・・・・・。でも、それは、わたしが重ねて訴えたのに、聞いてもらえませんでした。今頃どうして」  「いや、わしらは、疑っていたのだが、判決は同僚が出してしまったのだ。それは、本当に申し訳ないと思っている、この点は、このとおり、お詫びしたい」  二人は、両手を付いて、深く頭を下げた。  そして、改めて、お夏の方に向き直り、  「そうなると、では、だれが、真犯人か、ということになる」  飯山が、静かに言った。  「そこで、お夏さん、歌麿に一番近しい者として、なにか、心当たりはないかね」  お夏は、突然の問い掛けに、たじろいだ。  「突然、そう言われましても」  「死んだ右京太夫とは、幼友達だったね」  「はい、姉と慕っていました。私が、米沢の大野の家で養女として育てられたとき、姉さんは、いつも一緒に遊んだ大の仲良しでした」  「妹もいたろう」  「本当は、同い年の妹が、一番の仲良しだったのです」  「そして、その妹が、出羽の天童藩に行儀見習いに出たその日に、貴女は養家を失踪した」  「はい、そうです、よく御存知ですね」  飯山は、頷いた。  「そうか、やはり、貴女が長崎のオランダ商館長の娘、アネットの娘、エミー・恵美・シーボルトンだったのか」  「何ですか、それは」  「貴方の本名ですよ」  「私の本名は、大野恵美です。そんな名ではない」  「いえ、間違いないのです。歌麿さんは、話さなかったのかな」  「そんな話は聞いていません」  「では、父親のことは」  「それは、姉さんを通じて、伊達藩江戸家老の佐藤さんかと」  「そうか、そこまでは知っているのだね」  飯山は、納得した。  「そこで、聞きたいのだが、姉さんは、なぜ殺されたと思うかね」  「分かりません。わたしは歌麿さんでなく、佐藤さんが殺させたのだと思っていました」  「それはなぜかね」  「姉さんは、私の出生の秘密を種に、佐藤さんを脅していましたから。歌さんが疑われたのも、そのためでしょう」  「そう、歌麿は、姉さんを通じて、美濃屋の悪行も知り、それをネタに二人を脅していた、と見られていた」  「歌さんはそんなことはしていないと、思います」  「それは、思うのは勝手だが、事実、脅していたのだ」  「でも、歌さんは殺していません」  「では、誰がやったのかな」  「だから、佐藤さんですよ」  「その嫌疑は晴れた。佐藤は、あの晩は、酔いつぶれて寝てしまった。寝ているうちに、花魁は死んでいた」  「すると、誰なんです」  「わたしらも考えたが、残念ながら、分からない。だが、誰かが、殺したことは確かだ。毒を盛って殺害し、死体を品川まで運んで捨てた。ところで、お夏、貴方は本当に近所でも評判の働き者らしいな」  「それは、わたしは、働くのが好きです。こんな華奢な体ですが、田舎では、米俵も運んだんですよ」  「米俵をな」  「そうです。男の人でも、難しいのに。私は力持ちなんです」  「日本人では、珍しい。あ、これは失礼した」  「いいえ、構いません。これは、西洋人の血が入っているからかも知れませんもの。母さんのお陰です」  「その母さんを、歌麿と佐藤は若いころ、奪い合ったのだそうだ」  「素敵ですね。そんなに、男の人に慕われるなんて。母さんは、素敵な女性だったんだわ」  「お前は、生み捨てて帰国した母親を恨んではいないのかね」  津田が、機微を突いてきた。  「うらむなんて、それは、仕方のないことですもの。それより、幼い私を日本に置いていかなければならなかった母さんの辛い気持ちの方が、よく分かります」  「父親のことは、どう思うのだ」  「本当の父親が誰なのか、分からないけれど、私を大事に育ててくれたお祖父さんやお祖母さんがいるし、今更、父親が誰なんて、知ってもしかたがないことです。誰でもいいんです。それに、歌さんがいたし」  「ところで、お前は、米沢を出てから、どうしたのだ」  飯山が、疑問を質した。  「天童藩に奉公に行った妹と一緒に、待ち合わせて、天童に行きました。そこで、わたしも奉公に入れてもらうことが出来て、一緒に働いたのですが、妹は、それでも借金が返せず、姉と同じように、江戸の遊女に売られていった。私は、妹が居なくなってはそこに、いてもしかたがないと、後を追って、江戸に来ました。歌さんの名声は陸奥にも聞こえていたから、歌さんの家を捜し当てるのは、簡単だった。そして、歌さんの家の賄いをして、暮らしたのです」  「妹はどこへ行ったのだ」  「なんでも、品川の遊廓に出ているという話を、姉さんから聞きました」  「姉さんのところには、お前が訪ねていったのか」  「はい、これも、江戸の噂話で、三浦屋の右京太夫は有名ですから。田舎へも、その話は伝わってきていました」  ここまで聞いて、二人は出された茶を飲み干し、一服した。  「ところで、姉さんは、幸せだったのかい」  飯山は、話の向きを変えてみた。  「幸せなんて、とても、言えなかった」  お夏は、涙声になった。  「なにか、言っていたのかい」  「それは、稼業の苦しさと、虚しさと、辛さを、いつも会いに行くたびに、聞かされました」  「そんなに辛かった仕事から、やっと足抜けが、出きるという時だったのになあ」  飯山は、呻いた。  津田が聞いた。  「足抜けには、喜んでいただろう」  「とても、そんなことはなかったです。別に、美濃屋さんが、好きなわけではないし、ただ、お金で買われていくのは、同じですから。体を売る形が変わるだけですよ。それより、身請けされて、好きな人と会えなくなるほうが、悲しいと言っていました」  「好きな人とは、歌麿のことかね」  「そうです、それ以外に考えられません。本当に、心を許せる人は、歌さんしかいなかった。それは、私も同じことです。特に、田舎から出て来たわたしたちには、心を開いて話せる人は少ないのです」  「だから、何でも、話していた。佐藤と美濃屋の悪行も、佐藤の長崎での行状も。歌麿はみんな知っていたのだな」  「それは、話しているでしょう。ほかに、そういう話を出来るのは、わたしと歌さんしかいないもの」  「それで、そのネタを使って、歌麿は美濃屋と佐藤を脅した」  「だから、それは、知らないと言っているでしょう。私には、そういうことを歌さんがしたなんて、想像もできないことです」  お夏は、茶の入れ替えに、奥へ引き込んだ。  津田が、飯山に、ひそひそ声で言った。  「そろ、そろ、核心を突いてもいいのではないか」  飯山は、答えに窮した、  「まあ、徐々に」  お夏は、茶を入れ換えて戻ってきて、二人前に差し出した。  「有り難う。そこで、もう少し、伺いたいが、姉さんは、他にも何か悩みがなかったかな」  「先程の話の続きですが、美濃屋と佐藤さんには、秘密の話を漏らしているという疑いを持たれていたようで、そのことで、詰問されてしまった、と言っていました」  「それは、歌麿に漏らしたということか」  「そうでしょう」  「それこそ、歌麿が、二人を脅していた証拠ではないか」  「でも、二人は疑り深いから、どんなことでも、気にするのです。人を信用しない人たちだから。そう姉さんは言っていました」  「すると、姉さんは、二人に責められていたのだな」  「そうです、かなりきつく詰られたようです」  「姉さんは悩んでいた。それで、お前はそういう姉さんを見て、どうだったのだ」  飯山は、少しずつ、核心に迫っていった。  「どうだったって・・・。同情していました」  「同情だけか。お前の素直な気持ちを言ってくれないか」  お夏は、考え込んでから、ゆっくりと答えた。  「同情しましたが、それは、本当の姉さんを思っての同情ではなかったように、いまでは、思っています」  「それは・・・・・・」  「自分が可愛くて、同情をするような振りをしていただけではないと」  「どういうことかね」  「わたしは、自分の気持ちを偽っていたということに気がついたのです」  「偽っていた」  「そうです、私にとっても、歌さんは最愛の人なのに、姉さんたちの間を祝福するような気持ちでいたことは、自分への偽りです」  「・・・・・・・・・」  「本当を言うと、わたしは、歌さんを独占したかった。歌さんへの思いで、胸がはち切れそうなのに、姉さんたちを祝福する振りをしていた。だから、姉さんが死んで、歌さんが、私の写生を始めたとき、わたしは嬉しかった。どんな姿勢も取れたし、どんな要求にも応えられた。全身全霊で、歌さんを愛することが出来たとき、わたしは最高の喜びを得ることが出来たのです」  飯山は、それを聞いて、冷たく言い放った。  「お前にも、右京太夫は、邪魔者だったわけか」  その一言にお夏は反応した。  「そうかもしれない。この人さえいなければ、と思ったことが無かったとは言えないもの。だから、姉さんが、『いっそ、死んでしまいたい。小さいころのように、三人で遊びたいよ』と漏らしたとき、私は、止めなかったのだわ」  「太夫は、そう漏らしたのか」  「そう、『殺してくれ』とまで、私に言ったわ」  お夏の表情が、険しくなった。それまでの、甲斐甲斐しさは消え、激しく怒った女の表情が現れた。それは、人格の変容と言っていいほどの変化だった。  飯山と津田は顔を見合せ、後ろに身を引いた。  お夏の声が、落ち着きさを失い、高音に移調した。鋭く突き刺す様な声で、  「だから、私は、手伝ってやったのよ」  そう、言って、髪を振り乱した。  暗い蝋燭の火のなかで、まるで阿修羅が、髪を振り乱す姿のようだった。  飯山と津田は思わず、左の脇差しに手を掛けて、身構えた。  「あいつが、死なせてくれれというから、望みどおりにしてやったまでさ」  変身したお夏は荒っぽい言葉使いで、吐き捨てた。  「よし、分かった。では、毒を盛ったのは、お前か」  飯山が、態勢を立て直して、聞いた。  「そうよ。歌さんは、鉛の絵の具を一杯持っているし、砒素の顔料も使う。ちょいと失敬して、姉さんの紅に混ぜておいたのよ。姉さんはあの晩、わたしを部屋に導き入れて、『これから歌さんとお床入りだわ』とはしゃいでいた。いつもより念入りに化粧をして、紅も塗り変えた。終わったあと、また紅を差すのは分かっていたから、姉さんが出ていったあと、紅入れに毒をいれたの。だから、歌さんは無事だった」  「死骸を運んだのもお前か」  「そうよ、力仕事で、鍛えていたから、姉さんの体くらい、軽いものだった」  「人力車を使って、品川まで運んだ」  「そう。品川にしたのは、妹が品川の女郎屋にいたからね。子供の時分から、二人の仲の良さは、格別だったのに、別れ別れになってしまって。せめて、死んだあとくらい一緒にさせてあげたいでしょう」  お夏は、そう狂気の中で、自白したあと、全身をゆすって、ぐったりとなり、畳のうえに倒れ込んだ。  「おい、気を失ってしまったぜ」 津田が飯山に声を掛けた。  「それにしても、鬼気迫っていたな。驚いたよ」  「これで解決かな」  「いや、運んだ人力車に忍者の使う撒き菱が残っていたのは、どう説明する」  「この娘、小賢しいことをしたのだ。さしずめ、天童藩に奉公していたときにでも、覚えたのだろう。目眩ましの小細工だ」  「となると、かなり、犯意は明白だな」  「そう、恋い焦がれた男が、他の女に引かれているとあって、矢も楯も堪らなくなったのだろう。それが、若い娘の熱情だ。しかも、その血は、西洋の女から受け継いでいる。母親は、日本人の男二人を手玉に取った女だよ。しかも、帰国後は、金持ちの奥さんにおさまっている、という。まさに、女は魔物だ」  津田が、そう言い終わった時、倒れていたお夏が、むっくりと起き上がり、奥の部屋に走り込んだ。  津田と飯山は後を追った。  お夏は、祭壇の前に来ると、着ていた物を破り捨てる勢いで、全て脱ぎ捨て、真っ裸になって、祭壇の後ろの画の前に立った。  「さあ、わたしは、阿修羅よ。皆、ひれ伏せ。男の精を吸い取って生きるの。愛も恋も、男も女も、皆、私の思いどおり。自由に、やりたいように、生きていく。それが、私よ。耐えることなんか、苦しむことなんか、糞食らえ。着持ちいいように、楽しいように。それが私」  そう言うと、祭壇の裏の引き出しから、薬瓶を取り出し、一気に煽った。  全身に痙攣が走り、お夏は、再び、倒れ込んだ。  飯山が駆け寄って、脈を取ったが、それは、次第にか細くなって行き、すぐに、拍動が止まった。  「お夏は、逝ってしまった」  「歌麿の元へ」  二人は、遺骸に合掌した。 そして、後ろに立てられた画に見入った。  裸体の女性の顔が崩れて、瞳から、涙の雫がこぼれてきたように見えた。表の画で蘭の花が、沢山描かれていた所は、鮮やかな色彩が失われ、茶色の枯れ葉が中から現れ出て来ていた。  剥がれかかった表面の絵の具の塊が、お夏が倒れたときの振動で、完全に剥がれ落ち、倒れたお夏の顔面に落ちた。それは、金色の絵の具で、裏の画の女性の金髪を美しく彩っていたものだった。  お夏の髪の毛は、顔面が、徐々に白くなって死顔になるにしたがって、黒さを失い、色素が消えて、茶色になった。それは、遠くから見ると、金髪と見間違うほどの鮮やかさだった。  お夏の死体は変形し、画のなかの女性とまったく同じ豊満で、まろやかな姿に変わっていった。  「歌麿の最後の作品が、失われていく」  飯山が、感極まって、呟いた。  「浮世絵の巨匠が描いた西洋画の名作が、消えていく」  津田も呻いた。  「こうして、母の姿に戻ったお夏は、心を落ちつけるだろうか」  飯山は問いかけた。  「そう願うよ。だが、歌麿の所に行ったのでは、どうなるか」  津田が呟いたーー。  それが、穂積が飯山から聞いた、お夏の最期だった。幼友達だった吉原は三浦屋の売れっ子の花魁を殺した哀れな女の物語は、江戸の子女の紅涙を絞るの格好だったのだ。その話は、瓦版の絶好の題材となり、江戸市中に知れ渡っていた。    穂積は、家の引き戸が閉まっていては、どうしようもないと、考えたが、  (これだけの逸話のあるこの長屋だ。一度、中を覗いておくことも、何かの参考になるだろう) と発起して、左の腰の大刀を引き抜き、大上段に構えて、引き戸の錠前を目掛けて、一気にたたき下ろした。  薄い板で作られた引き戸の引き手の部分に近い木の枠が真っ二つに折れて、扉は半壊状態になった。  穂積は、もうひと太刀を、今度は、戸板目掛けて、打ち降ろすと、人一人が潜れる位の穴が開いた。その穴を、刀でさらに広げたあと、穂積は、悠然として、刀を収め、中に踏み込んだ。    十二 洗 礼  店主の殺害で店の取り潰しとなっ江戸は神田庵町の紅問屋、「山形屋」の前の女将の久乃は、江戸払い、国帰しのお裁きを受け、店を畳んだ後、生まれ育った出羽の国の紅花の里、尾花沢に帰っていった。  しかし、久乃は、その実家で静かにしていたわけではない。元々、活発な性格で、家にじっとして、蟄居状態になるのは一番の苦痛だった。そもそも、奉行所で江戸払い、国帰しのお裁きを受けたときから、すでに、  (一応は、裁きに従って、素直に、国に帰るが、必ず、江戸に戻って来るのだ) と心に期していた。お裁きが、確実に行われるよう、役人が付き添って、奥羽街道の最初の宿場、板橋まで搬送されるし、国元に帰ったかどうの確認も文書で行われるから、一たんは、国に帰っていなければ、ご禁制破りになる。そのことは、久乃の重々知っていた。だから、実家に帰ってからの半年は、家で静かにしていた。  実家といっても、すでに両親はいない。長男夫婦が後を取り、手広く紅花栽培をしていたが、この家は子沢山で、四男、二女が狭い家に暮らしていた。そこへ、飛び込んできた年が十五も違う妹は、当主の太助には、邪魔者以外の何者でもなかった。  農作業の手伝い手が一人増えたという意味はあったが、既に、江戸の大店の女主人を長い間やって来た久乃には、その作業は退屈極まるもので、しかも、作業は遅かったから、やる気のなさと効率の悪さを見取った太助は、久乃には農作業を任せなくなった。  手持ち無沙汰になった久乃は、家で家事を手伝うことにした。こちらは、料理では江戸風の洒落た調理をしたり、綺麗好きの性格から、部屋の隅々まで掃除して、評判が良かったが、それも、半年もすると、要領が分かって、飽きてきた。  そういう様子を、陰ながらも見ていたのは、出入りの問屋の番頭だった。この番頭は、久乃が、江戸に行く前に女中をしていた尾花沢紅花問屋の人だったから、久乃は以前からの知り合いで、何でも、話すことが出来る間柄だった。  「久乃さんも、いつまでも、この家にいても。仕方がないでしょう。この家で、一生過ごすつもりはないんでしょう」  お茶飲み話で、その番頭が、それとなく、聞いた。  「そりゃ、どこかいい働き口か、できれば、こんな私でも、だれか、再婚してくれる人がいれば、嬉しいがね」  久乃は、それほどの期待感もなく、それとなく、答えていた。  「いや、ちょいと、心当たりがあるんですよ。江戸の大店には叶わないかもしれないが、その人も、かなりの身代を張っているんですよ」  「商人ですか」  「まあ、商人と言っていいでしょうね。実は酒田の廻船問屋の島田屋という店の主人が、ついこの間、女房に先立たれてね、後妻を探しいるんですよ」  「酒田ですか。遠いなあ」  「そうでもないでしょう。同じ出羽の国の中だし、最上川を下っていけば、一日でいけますよ」  「いいなあ。この家にずっといるより、いいかもしれない」  久乃は乗り気だった。もとより、太助は、 「こんなにいい話は滅多にない」 と厄介者の無駄飯食いの妹を追い出せる話だけに、一も二もなく賛成した。  久乃の島田屋への引っ越しは、大した家財道具もないだけに、身一つで行われることになり、ただ、太助が最上川の船着場に送っていっただけだった。  季節は初夏だったから、凌ぎやすかった。船便は、観光相手の屋形船と違って味気ない。久乃は、船底の広間の隅に、身をくるめて眠って、船の旅の辛い時間を過ごした。日が落ち始めるころに、船は日本海が見える酒田の港に到着した。  その船着場には、島田屋の番頭が出迎えに来ていた。大きく屋号を書いた幟を持っていたから、一人旅の久乃にも、すぐに、分かった。  「長旅、お疲れさまでした。さっそく、御案内します」  実直そうな、番頭は、先を開きながら、久乃を導いて歩き始めた。  大きな倉庫が沢山並んでいる当たりを過ぎて、商店が並んでいる町並みにでた。目指す島田屋は、その店々の丁度、真ん中あたりに、白壁の大きな店構えを構えていた。  紺地に「西廻り廻船問屋 島田屋」と白い字で染め抜いた長暖簾が掛かっている店先には、多量の商品が積まれ、人足が荷車に乗せている最中だった。その物品の多さと人人々の多さが、この店の繁盛振りを物語っていた。  裏木戸から家内に導かれた久乃は、池のある庭の隅を通って、奥の母屋へ案内された。  その上がり框で、待っていると、中から女中が出てきて、  「どうぞ、お上がりください」 と言い、それを潮に、案内してきた番頭は、  「私は、これで」 と言って、店の方に戻っていった。  久乃は、最初の客間に案内され、出された粗茶を啜りながら、まだ見ぬ、新しい連れ合いの出現を待っていた。  この客間を見回し見ると、この家の財力かしのばれた。欄間には、左甚五郎作ともいえそうな「見ざる。聞かざる。言わざる」の三猿の透かし彫りがあり、襖は狩野派の技法を駆使した松の絵が白地の紙の上に書かれた大作で飾られていた。  久乃は、それらの豪華さに圧倒されて、暫く、時間が経つのを忘れていた。  すると、奥の襖が開いて、恰幅のいい、禿げ頭の男が部屋に入ってきて、久乃の向かいに用意されていた座蒲団に座った。着ているものは、鼠色の羽織に、やはり鼠色の厚手の着物で冴えない格好だったが、顔の色つやが良く、いかにも大店の主人らしい丸顔に笑顔を絶やさない卒のなさを感じさせた。  「遠路、遙々、ご苦労さまでした」  主人は太い低音で、まず、ねぎらい言葉を掛けた。  「いえ、初めての船旅で、それなりに楽しんできました」  久乃は、愛想良く嘘を言った。本当は船酔いで、たじたじだったのだ。  「それにしても、良く私のような所に来てくださった。宜しくお願いしますよ。貴女のことは、尾花沢の紅花問屋から、詳しく聞いていますが、江戸では、山形屋さんといえば、一二を争う紅屋だった。それが、あんな事になって、貴女もさぞや、心労が重なったことでしょう。家では、ゆっくりして、家の中のことに慣れてから、また、しっかりやって下さい」  主人は、飽くまで、丁重だった。  「いえいえ、そんなお心遣いは。大したことは出来ませんが、精一杯頑張るつもりです。こんな不束な者ですが、宜しくお願いします」  型通りの挨拶が終わって、主人は、  「そうだ。私の名前はもう、お聞きでしょうが、千衛門と言います。家族は、子供が三人おります。いずれも、もう成人して、二人の娘は嫁ぎ、長男はこの屋の跡取りとして、店を手伝っています。といっても、店にはほとんどいません。船に乗って、西国と行き来するのが、今のところの仕事です。というわけで、妻が先立ってから、この家には、親族は誰もいなくなってしまった。その寂しさもあって、後妻を探していたのです。その事情は、ご存じですね」  「はい、大体は聞いております」  「二度の食事は、おさんどんの手伝いの人がいるので、それで賄っています。掃除や洗濯は女中仕事ですから、なんという不自由はないのですが。やはり、夜一人になると寂しい。貴女には、家事をしてもらうつもりはありません。夫婦のことと家内の経営をして頂きたい。それと江戸でやってきたことでいいですから、店のことで気が付くことがあれば、知恵をお借りしたい。そういうことです」  久乃は、想像していた以上に、自分が期待されて貰われてきたのだということを実感した。やはり江戸から遠くなるほど、都会への憧れは強くなるものなのか、と久乃は、感慨が深かった。  「では、貴女の使う部屋を案内させますが、その前に家内の仕事をしている使用人を照会します。みな、入ってくれたまえ前」  その言葉を合図に、廊下で待っていた女三人が部屋に入ってきた。  「こちらが女中頭のお春さん、そして、千代ときみです」  三十からみの女を先頭に三人の女が正座して名前を呼ばれた順に頭を下げた。みな、袂の短い絣の着物にたすきを掛け、前掛けをしている。いかにも働き者の様子がした。  「どうぞ、宜しく」  応じて頭を下げた久乃は、三人の様子を見て、まずは、安心した。みな人の良さそうは人たちでしかも、畳に突いた手のあかぎれを見て働き者のことが良く分かったからだ。  「さて、これで、最初の挨拶は終わりだ。あとは、夕食のとき、みんなが揃ってから、番頭さんや手代、丁稚に紹介することにしてと。といっても、家は大した身代じゃないから、全部で九人しかいないがね。久乃さんは、なにか、聞きたいことはありますか」  千衛門は、商人らしく、如才なく、気配りを欠かさない。  「いえ、特に、追々いろいろと教えてもらいます」  お春さんが、久乃の部屋に案内してくれた。 「亡くなった女将さんが使って部屋ですが。それで宜しいですか」  お春さんは、念を押した。もとより、後妻の身の久乃に異論がありようがない。  「家具も揃っているから身ひとつで」  といった仲人役の尾花沢の問屋の番頭の言葉は嘘ではなかった。  女将さんの部屋に入ると、まだそれほど使っていないと見える箪笥やつずらが揃っていた。中には着物もそのまま置いてある。もし、人のものだというのが嫌でないなら、それこそ、何でも着たいものが、あった。  台所では、食器類について、賄い役の女中の千代が、説明した。その調度類も、十分すぎるほど揃っていた。  (これは、田舎の実家の比ではない。江戸の店でも、これほどの道具や家具は持っていなかった)  久乃は、その家財の豊富さに心から驚いていた。それが、地方の富豪の底力だ。庄内特産の米を専門に扱う酒田の廻船問屋とあれば、小さくとも、その資力は庶民には想像も出来ない程なのだ。  (この話は、私には勿体ないくらいのものだった)  久乃は、段々とその気持ちが強くなってきた。  (こんな立派な家に貰って貰ったのだから、頑張ろう)  また、あの頑張り屋の気持ちが出てきて、久し振りに、気持ちが明るくなるのを感じて、久乃はうれしかった。  店のもの全員揃っての夕食が終わり、全員を紹介されて、久乃は、奥に引き込んで、少し、部屋で横になった、最初の日なので賄いの手伝いは、しなくてもいいと言われたので、その勧めに従ったのだ。  うとうとしていると、いつの間にか、時刻が過ぎ、外で、  「そろそろ、お風呂が湧きました。旦那さまが、一緒にと言っておられますが」  お春が、襖を隔てて、こちらに言っている。  「はい、では、只今、伺います」  男性と一緒に風呂に入るのは、何年ぶりだろうか。まだ、若かった三十代に一度だけ、前の夫の富三郎と箱根の温泉に湯治に行ったとき、家族風呂で入って以来のことだ。だから、その余りに意外な千衛門の申し出を、咄嗟に承知したのは、自分でも意外だった。  お春の案内に従って、廊下を行くと、その風呂は、母屋にではなく別棟にあって、そこまでは、渡り廊下を通っていく。風呂だけの一棟が庭の中に拵えてあるのだ。しかも、それは、岩で囲んだ大きな池の奥にあって、母屋や外からは見えない構造になっていた。しかし、風呂場からは、母屋と池を見ることが出来る。  「ここが脱衣所です」  お春が、そういったところには、棚に脱衣籠が置いてあり、その一つには男物の着物が脱ぎ捨ててあった。  すでに千衛門は、風呂に入っているのだ。  久乃は、すぐに脱衣して、風呂場に入っていった。そこは、十畳程の広さがあり、温泉旅館の風呂のような広さがあった。風呂桶は、まさの檜の一枚板で四角に囲んだ湯船には、溢れそうに湯が張ってあった。その湯舟の真ん中で先程会ったばかりの新しい夫が、丸顔に禿げ頭を乗せて、湯に浸かっていた。  「失礼します」  流し場で下を洗ったあと、全身に湯を掛けてから、久乃は、足先からゆっくり、湯に入っていった。  「こちらへいらっしゃい」  千衛門が声を掛けた。  久乃は、千衛門の近くに身を寄せた。  「大きな風呂で驚きました」  久乃は素直に、感想を言った。  「そうでうか。私は、大の風呂好きでね。こうして、お湯に浸かっているときが一番、幸せを感じるのです。ですから、この風呂場は、私のは唯一の道楽を許してもらって、思い存分に考えて建てたのです。最初に、そのことを分かって戴きたいと思って、お呼びしたんです」  二人は、ゆっくりと、湯に浸かりながら、互いのこれまでに経験してきたことを、いろいろと話し合った。久乃は、素直に亡くなった前夫の富三郎のことも話した。千衛門は、黙って聞いていて、最後に  「苦労しましたな」 とだけ言った。  千衛門は、病弱だった前の妻の事を語った。 それを聞きおえたあと、久乃は、  「私は、体だけは丈夫ですから」 と新しい夫の心配をなくすように大きい声で断言した。  湯船を出て、二人は、互いの体を荒いあい、背中を流しあって、新婚の契りを交わした。それは、流し場での、洗剤の泡とお湯のなかでの、久乃が体験したことのなかった官能的は性交だった。久乃は、久し振りの男との交渉がこんなにも自分を乱れさせたのに恥ずかしくなったが、その恥じらいが、また、千衛門の性欲を刺激し、年に似合わぬ精力的なむつみあいが、長時間続いた。  「こういう形で、貴方に抱かれるなんて、思いもしませんでした」  終えたあとの心地よい疲れを湯のなかで癒しながら久乃が言うと、千衛門は、  「私は、あなたを後妻に迎えることが決まって以来、初めてのことは、こういうかたちにしようと考えていました。寝布団の上では、あまりに、芸がない。私は私のやり方で、結び会いたかったのです。どうですか」  「ほんとうに、素敵でした。癖になりそう」  そう言って、久乃は潤んだ目で、湯船の中の千衛門の下腹部を探り、その部分がまだ勢いを保っているのを確かめて、自分の下半身を預けていった。    久乃は、一月もすると、家内の事が殆ど掌握できた。  ただ一点だけ、分からなかったのは、七日置きに店員たちが庭の土蔵に集まり、何かの会合をしていることだった。その会合には、もちろん夫の千衛生門も参加していたが、久乃に誘いはなかった、それに、毎日風呂に入るとき、夫が首にかけた飾り物を手放さないのも気になっていた。  夫婦で風呂に入るのは、三日に一度位だったが、その三回目のとき、最初の日には気が付かなかった、首飾りが夫の胸にあるのを見て、久乃は、それが何かを聞いた見た。  「これは、クルスだ」 と夫は言った。  「なんですか」 と久乃は問い返すと、夫は、  「とても大切なお守りだよ。死ぬまで、体から放してはいけない」 と説明した。  久乃は、それ以上を聞かなかった。  すると、夫は、  「お前も、これを掛けなければならない時が来るだろう。その時は、私が立派なやつを作ってあげる」 とだけ言った。  (その時とは、どんな時なのか) と考えていると、夫は、  「神の存在が必要になったときに、これが助けてくれる」 と独り言のように言って、久乃の体を抱き寄せ、唇を吸った。  すでに、久乃は、神を必要としていた。それは、前夫殺しの汚名が被せられて以来、久乃は、神を求めていた。だが、宗教というものの存在を意識していなかったから、自分の心のなかの、解決すべき問題として、捕らえていただけで、なにか、絶対的な物に救いを求めることは、考えてみなかった。現世の雑事にかまけて、そういう精神活動は、久乃の中で沈黙したままだったのだ。  だから、  (そういう物が、あるのなら、私は、救いを求めたいのだ) と切実に感じていた。  「私には既に、神の様なものが必要なのです」 と夫に訴えていた。  夫は、  「身の出席した危険を顧みずに、信仰に身を捧げる事ができれば、魂に救いはある。その覚悟はあるのか」 と聞いた。  久乃には、それほどの覚悟は、正直言ってないといえたが、それほどの気持ちになれたのなら、多分、夫をあやめた罪の意識からの救いや弔いも出来るのではないかと考えて、 「ぜひ、わたしも、信仰の仲間に入れて頂きたい」 と懇願していた。  「七日置きに土蔵でおこなわれる会合に出席し、その場で、洗礼を受けることが、救いの道への入口だ」と言われて、久乃は、次の回の会合に出席した。夫は、町なかの仲間の彫金師にクルスの製作を頼んだ。それは、金製ながらも、あまり目立たないように、いぶしを入れた高価な特注品だった。  久乃が、その日に土蔵に行くと、暗い空間に十数人の人が集まっていた。天井の下の壁の明かり取りから、斜めに陽光が差し込み、空間の真ん中で交差して、一段と明るくなった場所に、髭を生やした老人が立っていた。老人は胸に、大きなクルスを垂らし、手には書物を持っていた。姿は長い割烹着のような一枚仕立ての服を着ていて、袖が長かった。 老人は、何か呪文の様な祝詞を唱えていた。夫の案内でその男の前に進み出た久乃は、男の前で頭を垂れた。老人は、その頭に手を添えて、また、呪文を唱えた。久乃は、夫に言われていたとおり頷いたまま、首に掛け新品のクルスを両手で挟んで、その呪文を聞いていた。  そのあと、老人は、水を入れた盆に手を差し入れてしたし、その手で久乃の唇を湿した。それが、聖水拝受の模擬的儀式であることは、久乃は、かなり後になって知ったが、そのときは、なにか変わったことが行われるのだとしか、分からなかった。  最後に、老人は、  「これで、授洗の礼を終える。久乃の洗礼名は、マリアとする」 と言って、儀式を終えた。  参列者たちは、手にした歌集をみながら、歌を歌った。それは、民謡の節まわしではあったが、内容は、神の再来と再生による至福を願う物で、久乃にも、その中身は理解できた。  こうして、久乃は、幕府が禁じている耶蘇教に入信した。  十六世紀の半ば、欧州の列強の海外進出熱は、激しさを増し、一五四三(天文十二)年には、九州の種子島にポルトガル人が漂着し、鉄砲を伝えた。その六年後には、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが、鹿児島に上陸し、キリスト教の布教を始めた。その後、熱心な布教活動により、信者は九州から畿内にも拡大し、十六世紀後半には、信徒は十五万人近くになったと言われる。  しかし、全国統一を始めた豊臣秀吉は、その教えが統一の妨げになると考え、バテレン追放令を発令し、宣教師の国外退去と布教禁止を命じた。豊臣政権の後を受けた徳川家康は、やはり、禁教としたが、貿易の保護もあって、黙認したため、信者は数十万人に拡大し、幕藩体制の封建支配に危機を感じさせる規模になった。このため、家康は、禁教に踏み切り、慶長十七(一六一二)年、直轄領に禁教令を発令し、翌年には、全国に拡大した。このため、多くの信者が捕らえられたり、追放され、改宗を強要された。  この鎖国政策が着々と進められていく中、九州島原半島では、領主の圧政と信徒弾圧に耐えかねた農民たちは、わずか十六歳の天草四郎時貞を首領に、寛永十四(一六三七)年十月に一斉蜂起して、原城に立ってこもった。幕府は九州の諸大名を動員し、四万人弱の農民に対し、十二万余の大軍で包囲、老中、松平信綱を派遣して、翌年ようやく、鎮圧した。  これに懲りた幕府は、キリスト教の取り締まりを一層、強化し、いずれかの寺院の信徒であり、キリスト教徒でないことを寺院に証明させる「寺請制度」や宗門改役の役人に信仰を調べさせる「宗門改め」を行い、それは、各藩にも、拡大した。そのほか、切支丹検断法として、聖母マリアやキリストの像を踏ませる「踏み絵」が、長崎奉行、水野守信によって、創案され、九州一帯や江戸の切支丹屋敷で実施された。毎年正月三日に、奉行所から貸し出された踏み絵を、町年寄りの前で、素足で踏ませた。、  禁教にも係わらず、天草地方では、密かに信仰を守りつづける「かくれキリシタン」が明治時代になってから、発見されたが、彼らは、この踏み絵も「改悛の祈りを行えば、罪を許される」という教えから、平気で踏んだため、検索を免れることが出来たのだという。  そういう厳しい異教検索は、陸奥の出羽藩でも行われたが、耶蘇教徒は、発見できず、幕府の禁令から、数年後には、宗門改めも形式的なものになっていた。  だが、酒田では、日本海を行く、西廻り廻船の頻繁な往来もあって、西国との往来は盛んで、都や浪速の文物とともに、九州の物品や人の交流があり、そのなかには、隠れキリシタンの信仰を持つものもいたのだった。  廻船問屋、島田屋は、その隠れたアジトになっていた。そして、その家の庭の土蔵は、「教会」だったのだ。  久乃は、夫に導かれるままに、洗礼を受けてしまったが、その熱も落ちついて、冷静になって考えると、  (あたしは、大変なことをしてしまった) と気が付いた。良く考えてみれば、耶蘇教は、おかみから禁じられた宗教である。もし、信徒と分かれば、磔になるというのがきまりだ。まったく、宗教とは、無関係の生活をしてきた久乃にとって、そのような、危ない宗教の中に組み入れられてしまったのは、自分の意思を越えた、なにか、偉大な力に導かれてのことだと、考えるしかなかった。その点では、久乃は、起きてしまったことは仕方がないという、底抜けの現実主義者だったが、それだけに、  (もし、明るみに出たら、どうするつもりなのか) ということが、気になった。  夫にそのことを質すと、夫は、  「その時は、天に昇るだけです、主はお守りくださる。それが、自己犠牲という最も崇高な行為で天に召された主の御心に叶うことなのです」 と言って、神妙な目をした。そこに、迷いはなかった。その姿を見て、久乃は、底知れない恐怖を感じた。それは、他人が統制できない強みを心の内に持っている人間の姿だった。  (そういう強さが、幕府を恐怖させたのだろう)  久乃の直感は、慎重居士の小心者で徳川様の開祖、家康が最も心配したことの本質を掴んでいた。  だが、七日毎の集会は楽しかった。みなで、深い祈りを捧げ、歌を歌う。そして、信仰の悩みや苦しみを皆で、語り合い、慰めあう。そういう関係は、久乃のこれまでの、人生にはなかっただけに、魂が救われる思いがした。久乃は、罪について考えた。主は「罪は償える」と教えている。「信仰によってこそ、罪は償え、罪人も天上に至れる」という。  それは、果てし無い悔恨の淵にいた久乃を絶望の海から救う言葉だった。  (最愛の夫を、死に至らしめた罪深い女が、このような、恵まれた暮らしをしては申し訳ない) という気持ちが、こちらに嫁いで来て以来 、日に日に強まってきていただけに、その気持ちを整理してくれる教えは、大いなる久乃の魂の救いになったのである。そういう宗教に巡り合ったことも、久乃の幸運の一つだった。  だが、これは、あくまでご禁制の宗教である。他人に、特に、藩の役人に知れたら大変なことになる。店は取り潰し、信徒は、全員、死罪を免れない。  だから、久乃は、  (この店の繁盛もこの宗教の信徒による結束と努力のお陰だ) と知って、店員らの身を粉にした働き振りの理由が理解できた。  ここで、稼いだ金が、定期的に長崎方面に送られていることも、段々に分かってきた。時折、入る明国特産の焼き物が、店に多大な副収入をもたらしいるのも、大福帳を預かっているうちに分かってきた。それには、表の帳簿と全く違う数字が書かれている裏の帳簿があって、役所に届ける冥加金の算定根拠となる表の数字より数倍も多額の裏金が作られているのも知ることになった。それらは、全て、夫の千衛門の久乃によせる信頼の結果だった。  そうして、店の裏表を知るほどに、遙か、西の果ての長崎や浪花辺りで、行われている島田屋などの商人の経済、宗教活動について、もっと、知っておきたいという気持ちが、湧いてきた。それは、紅問屋の「山形屋」の商業活動の比ではないと、感じたからだ。  ある日、寝屋で久乃は、千衛門に訴えた。  「もし宜しければ、私を長崎に行かせていただきませんか。廻船が向こうでどんなことをしているのか、知っておきたいし、商売がもっと広げられる考えのきっかけが得られるかもしれないですし」  その突然の申し出を聞いて、千衛門は、しばし、沈黙したが、  「そうだな。それもいい考えかもしれない。万次郎は、船に乗っていて、家にいないから、同じ船で長い間、一緒に旅をすれば、母子の親しさも増すだろう。どうだ、今度、港を出る万次郎の船に乗ってみるか」  と、この愛妻の勤ぶりに答えようと、そんな考えを述べた。  「いいですわ。それは、素敵です。ぜひ、そうさせてください」  こうして、久乃の西廻り廻船での西国行きが決まった。    十三 船 旅    出羽の国、酒田を出発し、佐渡の小木から下関を経て、大阪に至る西廻り航路は、伊勢の材木商人、河村瑞軒が、幕府の命令で開いたと言われているが、事実は、河村は、すでにあった金沢藩が創設した大阪の蔵屋敷への年貢米廻米船の航路を改良したもので、津軽海峡を経て銚子、江戸に至る東廻り航路とともに、東北・北陸の緒藩の蔵米輸送に活躍した。  廻船には、船縁に積み荷の転落を防ぐために檜の薄板や竹を編んだ菱目の垣を設けた船に特徴がある菱垣廻船とこれに対抗して発足した樽、廻船の二種類があたったが、いずれも、大阪から江戸間の酒、醤油、油、木綿、金物、神などと雑貨類を運んだ。  日本海を行く北廻り航路は、主として、年貢米や木材、海産物の輸送に当たったが、その最大の積み荷は、やはり、米で、幕府の許可を得た株仲間の商人が、独占的に運行していた。  島田屋は、庄内藩主の酒井さまから許可状を取得し、幕府の監察も得て、主に北廻り航路の西航路を運航していた。使う船は、菱垣廻船を改良して、大型化した新型船だった。日本海を運航する船は、太平洋の江戸、大阪間の廻船より、便数も少なく、一回に積む積み荷の量も、米が中心で、多かったから、ひとまわり頑丈な構造が求められたのである。  一度の運航には、人夫や人足を加えれば、約百人が、係わる。実際に船に乗っていくのは、五十人程度だが、荒海を乗り切る船便は、多くの危険も付きまとい、女性の乗船は、皆無ではないが、珍しかった。  船で長旅をするのが、初めての久乃にとって、頼りの綱は、長子の万次郎だけである。三十代半ばで船乗りの油が乗り切った万次郎は、体格も堂々として、頼りかいがあった。赤銅色の肌に、短い引き詰め髪の万次郎は、服装にはこだわらない男だったが、てきぱきとした指示と活動的な性格で、いずれの船の船員からも、  「若旦那は、見所がある」 と絶賛されていた。  すでに、婚期を大きく超過していたが、身を固める気は毛頭ないらしく、  「おれの、恋人は海だ」 と公言して憚らなかった。  しかし、なかなかの好男子だったから、行く先々の港には、来港を待ち受ける馴染みの女がいて、その面での不自由もなかったのが、万次郎をその気にさせない最大の原因だった。 父親の千衛門は、そのことを少しは、気に掛けていて、  「そろそろ、万次が、その気になってくれれば、わしも楽ができるのに」 と言ったりしたこともあったが、自分の方が連れ合いに先立たれて、後添えを探さねばならないことになり、息子のことを慮る余裕はなかった。それが、久乃を迎えて、家内も落ちつき、気分的な余裕も出来たことから、この後妻の願いを聞き入れ、長男とともに船に乗ることを許したのだった。一緒に船内で生活すれば気心も知れる。それに、港々にいる女たちも、久乃の大人の女の目で見てきてほしいとの思惑もあった。 長月の六日、久乃らを乗せた大阪行きの廻船は、五隻の船団を組み、酒田の港を出航した。早朝寅三つ刻に日の上がらぬ内に出航したため、正午ころには、はるか沖合にいた。  風が爽やかだった。甲板で、その海風に吹かれていると、身も心も洗われていくような気がする。海のうえを行くことが、こんなに気持ちがいいとは、久乃は、これまで知らなかったことを、後悔した。  はるかかなたの空を、鴎が一羽飛んでいた。大海原の上には、底抜けの青空があり、そのなかに、一点、緩やかに上下する白い図形があった。白い鴎は、さらにその上にある明るく光輝く大きな太陽に向かって、羽ばたいているように見える。  「海っていいわね。広くて、明るくて」  久乃は、並んで立って、大海原を見ていた義理の息子の万次郎に、言うとはなしに、語りかけていた。  「それは、こういうないでいる日は、そうですがね。一端荒れたら、手が付かない」  この精悍な若者は、短い言葉で全てを言い尽くす。寡黙だが、要点を突いている。  (戸板一枚で生死を分ける木造船で戦っている船乗りは、そうなんだ)  久乃は、年に似ず、魅惑的な気分になって、心中密かに呟いていた。  確かに、万次郎の言葉は、本当だった。翌日、佐渡島の沖を通過するころには、朝から空が曇りはじめていたのが、瞬く間に、真っ暗になって、風雨が激しくなり、甲板を荒波が洗った。久乃は、特別にしつらえられた船倉の一室に籠もって、必死で頭痛と吐き気を抑えていた。そのため、折角楽しみにしていた佐渡島は、やっと、嵐がおさまったその日の夕方に、ちらと目にしただけで、終わった。  そうして、船は、確実に船足を稼ぎ、久乃も三日目には、船の環境にも慣れ、少し、余裕もできた。  船の上に居ても、久乃には、これといってすることはない。船員たちは、なにかとせわしなく働いているが、久乃は、二度の食事をして、天気がいい日には、甲板に出て、景色を見るくらいしかすることがなかった。  「あとまだ、かなり、かかるんでしょうね」  久乃が残りの道のりを聞くと、万次郎は、  「まだまだ。下関まで、片道十は、見ておかないと」 とやはり、端的に言った。  「船長ともなると、気が抜けないわね」  「いや、これが、おれの仕事ですから。楽しいですよ。折角乗ってもらっても、相手だ出来なくてすみません」  万次郎は優しい若者なのだと、久乃は思う。  言葉は少ないが、誠実で、頼り甲斐がある。それは、女の求める男の理想像の一つだ。  久乃は、このような頼もしい男に出会えたことに、心の底からわきあがるような満足感を感じていた。しかも、その男は、義理の息子なのだ。  (この青年を育てたわけではないけれど、私は誇りにしていいのだろうか)  そこまで考えて、久乃の申し出を、夫が待ってましたとばかりに、両手を上げて賛成した訳が良く分かった。  (彼は、夫にも自慢の息子なのだ)  久乃は、そう思い至って、自分が知らない深い父子の関係があるのではないかと思って、身を正した。  船は、そんな久乃の数々の思いを乗せて、軽やかに距離を稼いでいく。  三日目には、能登半島の沖に出た。海はこの日も凪いでいて、万次郎は、操船を船頭筆頭の作次郎に代わって、甲板で遠くを見ていた久乃の元にやってきて、  「そろそろ、船にも慣れましたか」 ト聞いた。  (この子はそういう心遣いが出来るのだ)と感動しながら、  「だいぶ慣れましたよ」 と答えると、  「それはよかった。まだまだ、道は遠いですから。三日で慣れれば大したものです」 と万次郎は、如才ない。   「わたし、あなたとお父さんのコトヲ、考えたんですけど、お父さんは、ああして、どちらかというと、家の中にいて、お風呂に入ったりするのが、楽しみでしょう。あなたは、違うのね。親子なのに、こんなにも違うのかと思って。静と動の違いだわ」  何気なく、久乃が、そういうと、万次郎は  「そう見えますか。やはりね。私はそう違わない。かなり、似ているところがあると思っていたんですが」  「私には、まったく、違う性格に思えるわ。だから、驚いてしまった」  「あの家で育ったのは、十五歳迄で、もう、海にいる時間の方が、長くなってしまった。だから、家風に染まっていないのかも知れない。それに・・・・・・」  万次郎は言いよどんだ。それを、久乃は聞きのがさなかった。  「それに・・・・・・」  「血が繋がっていないから」  万次郎は、淀まずにはっきりそう言った。  「血が繋がっていないって」  「これは、つい最近分かったのですが、私はおやじの子供ではないのです。亡くなった母の子でもない」  久乃は、分からなくなった。  「ということは、養子なの」  「そういえば、聞こえはいいですが。おれの本当の生母は分からない。もちろん父親も知れない。ただ、この日本人らしから顔つきや体つきから、どちらかは外国人だと思います」  「外国人って」  「そう、南蛮人ですよ。これは、私の感でしかないが」  「でも、外国人は、長崎にしかいないでしょう。鎖国をしているんですから」  「そうです。だから、私の生父母は長崎にいる、いや、かつて、いたのでしょう。そう思っています」  久乃は不思議な気分がした。最初から、万次郎の日本人にはない立派な体格と男らしい風貌に、久乃にも、まだわずかに残っている女としての官能を刺激されて、身を固くしてが、あれは、彼の本質を感じていたのだと分かって、自分の直感に自信が戻った。  それに、長崎という地名が、島田屋の土蔵で行われている七日ごとの秘密の集いが、耶蘇教の集会と分かっていたから、そこになにかの関連があるのではないか、という気持ちを久乃に抱かせるのに十分だった。  「今度の航海では、長崎に寄港するのでしょう。それは、滅多にないことだ、と夫は言っていましたが」  久乃の問いに、万次郎は、  「一年に一度くらいですね。あそこでは、唐船が積んでくる陶磁器や生糸、薬などを仕入れる。いずれにせよ、それは帰りの船ですから。行きはご覧のように蔵米で満杯ですからね。この積み荷を浪花の港に降ろしてからですね」  「そうすると、帰りには長崎に行くのですね」   「そうです。ぜひ、行かねばならない。むしろ、今回はその方が主目的だ。だから、長崎での滞在だ日程は、充分取ってあります。二十日ほど滞在するつもりです」   「あら、そんなに。それは初めて聞いた」。と久乃は言いながらも、それは、万次郎が生父母の行く方の手掛かりを探るためではないか、と勘繰っていた。  (そうなったら、私も義母として、少しは手伝いを) という気持ちも沸いてきた。  だが、この船には、長崎に寄港するもっと重要な目的があった。それは、船の乗り組み員全員と島田屋で行われる秘事の出席者全員に係わることだった。万次郎の生父母探しなどより、この船事業に関係している人達すべての信仰生活全般に係わる重要な仕事があったのである。  下関までは、海も平穏で、陸地を時折見ながら、穏やかな航海が続いた。下関には、一日だけ停泊して、荷崩れを直し、水や食料を積み込み、ゴミを掃き出した。船員達は、その作業に打ち込んでいたが、久乃は、かえって、この作業には邪魔なので、船を降りて町に出た。  (この町で名産といえば、何といっても、フグだから、河豚料理を食べに行こう) と思い立ったのである。  一人で船を降りた久乃は、この町でも有名な魚料理屋に向かい、河豚の刺し身と河豚ちり鍋を注文し、堪能した。板前が、  「ぴりっとくるかも知れませんよ」 とわざわざ、注意してくれた白子の刺し身は、やはり、二口ほど食べると、唇がぴりっとした。  (河豚好きは、これがいいという)  久乃は、同伴者がいなかったので、勝手に心中で呟いた。  この河豚毒は、神経に作用し、呼吸系統の神経を侵す、と言われているが、久乃に、そんな詳しい理由は分からない。ただ、江戸で山形屋の主人で夫の富三郎が、殺されたのは、青酸性の毒物によるものだった。奉行所のお裁きでは、久乃はその殺害を、手代の権八に依頼したとされて、久乃は江戸を所払い、国帰しの罰を受けたのだった。  (これも、毒なら、人を殺せるのか)  久乃は、嫌なことを思い出した、と思いながら、早々に、その河豚料理屋を出て、船に帰った。  翌日朝早く、船は下関港を出港し、瀬戸内海を東に向かった。瀬戸内海は内海とあって、日本海で悩まされた強風や高波はなく、水面は平らに凪いで、航海は快適さを増した。そもそも、往来する船の数が、急に増えた。内海の鯵や鯛を釣る漁船が多くなったし、向こうからこちらに向かって、仲間の樽廻船や菱垣廻船が、やってくる。すれ違う時は、帆柱に上がっている物見の船員が、ほら貝を吹くが、その音が聞かれる回数が増えた。だが、それも、耳にはうるさくなく、多くの船が違った音色で合図を送ってくるのが、久乃には面白かった。  (やはり、孤独より、仲間を求めるのが、人の習性と見える)  そんなことを考えながら、日々を過ごしていると、あっと言う間に時間が経つ。順調に船足を稼いで、淡路島を右に見たのは、下関を出てから三日目だった。   このあと、船は淀川を登り、浪花の港で大量の蔵米を降ろした。  これで、この航海の目的の半分は果たしたことになる。久乃は庄内藩蔵屋敷の蔵役人や蔵元、掛屋への挨拶に忙しく、時を過ごした。  荷卸しの跡は、積んでかえる昆布や塩、木綿や絹の織物などの荷の積み込み作業が待っていた。さらに長崎で唐船と取り引きするため、煎海鼠(いりこ)、乾し鮑、鱶鰭などの俵物を市場で仕入れて、積み込んだ。唐船にはそれらは、銅や銀に代わる貿易の決済手段になるのだ。  久乃は、それらの物品のなかに河豚はないかと聞いてみたが、担当の船乗りは、  「そんなもの、中国人は欲しがらないよ」とけんもほろろだった。  万次郎は、浪花の港で、荷の積み卸し作業が始まると、姿をくらませた。行き先を告げずに、町中に消えたのである。  久乃は、筆頭船頭に、それとなく、万次郎の行き先を聞いてみた。  「それは、いろいろあるでしょう。血気盛んな男の盛りだからね」 とその船頭は、言って、野暮なことは聞くなという振りをした。  「港々に女がいるらしい」 という噂は聞いていたが、それはやはり、本当のことらしい。そのことを久乃は、万次郎のこの行動で知らされた。  丸一日船を開けて、翌日ひるころに戻ってきた万次郎に,久乃は、  「町は楽しかったですか」 と事も無げに尋ねたが、万次郎は、  「いつものことですから」 と久乃の心配に取り合わなかった。  積み荷を終えた船は、すぐに、西に向けて帰りの航路に就いた。瀬戸内海をまったく、逆行するのだから、すでに見慣れた風景が続いた。それに、天候も悪化してきたから、久乃は自分の船室にこもって、長崎での計画に没頭していた。久乃には、それこそが、この船旅の目的なのだ。  (まず、地下に潜って信仰していると言う耶蘇教の信者から、聖書を購入すること、さらに、万次郎の出生の秘密を解明すること、そして、できたら出島の商人に合ってみたい)  それが、島田屋の経営の将来を担っていると、久乃には思われた。  いずれも、ご禁制を破ることになりそうな、すれすれの行為になる。もし、明るみに出れば、死罪は免れるれようがない。だが、そのくらいのことは、分からない限り、かなりの庶民がやっていることだ、と久乃は、軽く考えていた。  瀬戸内海には島が多く、船頭は船の進路を探るのに、寝ずの働きだったが、左に四国の山波を見て、壇の浦を抜ける頃には、船員達も落ち着き、あれやこれやと会話も弾んだ。  下関の海峡を通り、博多の港に到着したのは、満月の夜だった。  博多でも、瀬戸内海には島が多く、船頭は船の進路を探るのに、寝ずの働きだったが、左に四国の山波を見て、壇の浦を抜ける頃には、乗客は船旅にもすっかり慣れ、あれやこれやと会話も弾み、知り合いも増えていた。  下関の海峡を通り、博多の港に到着したのは、満月の夜だった。博多では、久乃はまた、河豚を食べた。  「江戸や酒田では食べられない」 と、久乃は河豚料理に夢中になっていた。博多のフグ料理屋「稚家栄」で、本物の虎フグを刺身と鍋で食べた久乃は、大いに満足して、船に帰ってきた。  翌朝、船は最後の目的地、長崎を目指して出航した。  あとは、一日の行程だ。玄界灘は難所で有名だが、この日は快晴で、順調に距離を稼いで、関門海峡を通過してから、わずか一日で、船はあこがれの長崎に入港した。  十四 秘 密  長崎の港では、国内船は、外国船より内海の専用埠頭に入ることになっている。さすがに、鎖国中の日本尾のただひとつの外国に開かれた港だけに、内航船も賑わっていた。  交易のための積み荷を降ろして、唐船との交換貿易は、原則的には、長崎行く奉行所の許可が要る。久乃と万次郎は、それらの書類の作成に全力を集中して、瀬戸内海を航行中にほとんどを作り上げていた。  港の奉行所出張所で、輸出入の許可を受け、場合によっては、検品を受ける必要もあった。だが、最近は、唐貿易も幕府の規制がゆるみ、書類審査で所定の税を払えば、それだけで済むことが多くなった。  その手続きに行く途中で、久乃は、万次郎に  「生みの親を探す気はないの」 とそれとなく聞いてみた。万次郎は、  「そろそろ、そうしてもいい時期かなと思っている」 と話しに乗ってきた。  「じゃあ、調べてみましょうよ」 と久乃はやさしく誘ってみた。  「でも、どうすればいいのか分からない」 万次郎は、手だてが分からないようだった。 「それは、まず、人別帳に当たることね。外国人なら、長崎奉行所に書類があるはずだわ。それを見せてもらえばいいのよ。あそこの出張所の役人に頼んで見ましょうか」  交易品を扱う役人は、戸籍簿担当の役人とは、所管が違うから、だめかも知れないが、万次郎の当地での役人の知り合いは、彼らしかいない。久乃は、  (だめだといったら、袖の下を掴ませればいい) とも考えていた。  交易所で、役所の出張所に出向いた久乃は、検査の作業が終わったのを見計らって、万次郎の知り合いの役人を、  「ちょいと、お願いがあるのですが」 と外の休憩所に連れ出した。  小柄で貧相なその役人は、何事かといぶかりながら、付いてきた。  「実は、あの万次郎の生父母を探したいのですが、奉行所の書類を見せていただけきないでしょうか」  久乃は素直に、そう相談した。  「それは、本来は、部外者に公開する制度はないが、別に商売に使うのでない限り、そう面倒ではないだろう。事情が事情だし、大丈夫だと思うが。ただ、外国人だけでも、相当な膨大な量になるお思うが、大丈夫かな」  「大体の検討は、付いているのです。ですから、お手間は取らせません」  「それなら、小生のほうから、一言言っておこう。どうせ、今からと言う訳ではないのだろう」  「はい。ですが、明日にも伺いたいのですが」  「それなら、大丈夫だ。わしらもこちらの仕事を終えたら、奉行所に帰る。帰ったら言っておくよ」  「そうですか。本当にありがとうございます。お世話になったので、つまらない物ですが」  久乃は用意した金の服紗を一袋、小役人の袖の中に入れた。役人は、何もなかったように、装いながら、着物の内側から袖の中を探って、確かめ、そのまま帰っていった。  交易品の手続きを終えて、船に帰った久乃は、まだ、当地でやらなければならない仕事が残っているのが分かっていた。それは、酒田の信者達に頼まれた必要品だった。だが、この入手は、万次郎らの仕事でもある。長崎寄港の裏の大目的が、これだったのだ。  入手の道筋は、これまでの実績から、すでに付いているから、代金と引き換えに、品物を受け取ればいいのだが、その取り引きの場所と時間が問題だった。  隠れキリシタンは、表面は、どこかの寺の門徒になっていて、その寺の宗門人別帳に名前が乗っている。だが、その人別帳を作成した寺役人も隠れキリシタンである場合がある。 そうした寺に行けば、目的にしている品物を容易に手に入れることが、出来る。その寺は、宗徒の間では、良く知られており、裏の取り引きの筋道になっていた。  だが、今日は、荷の積み卸しが優先で、その作業に一段落が付いてから、これらの久乃の仕事をしないといけない。  「すべては、明日からだ」  役所での繁雑な通関作業で精神的に疲れていた久乃は、その夜は、早めに船室に入って寝た。  翌日、久乃は万次郎と一緒に、長崎奉行所を訪れた。久乃は昨日と同じように、金砂の入った服紗を数個携えていた。  入り口の番人に案内をこうと、中の控え所で来意を告げるように言われたので、中に上がり、戸籍掛かりの役人への面会を申し出た。すると、まもなくして、まだ若い細面の役人が出てきて、  「話しは聞いています。奥に書見場所がありますから、あちらでどうぞ。書類は、言っていただければ、用意するように係りに言っておきます」 と二人を先導して、奥の八畳間に案内した。 そこには、多量の書類が積み重ねてあったが、それぞれに年号を月日を書いた付箋が付いており、届け出の日にちを現しているものと思われた。  「これならすぐに分かるわよ。生年月日ははっきりしているのだから」  久乃は心配そうにしている万次郎を安心させるように言った。  久乃は、書庫係りの若者に、調べたい年月を告げて、その書類の用意されるのを待っていた。  書類は、すぐに出てきた。あとは、万次郎の生年月日にあうその前後の届けを調べればいいのだ、と久乃は考えていた。  文机の前に座って、書類を調べ始めた。書類は、かなりの量で、人の背の高さくらいあった。  「これは、大仕事だ、今日、一日では無理か」 とも考えたが、とにかく、山のなかから、万次郎の名前を見つけようと、検索に取りかかった。手掛かりは、この名前と出羽の国・酒田への養子縁組み届け、それに生年月日の記述である。この三つが、揃っていれば先ず、本人だと見ていいだろう。  二人は、文机に向かって、黙々と、調べを始めた。  「でも、このように諸国からいろいろな人が、この地に来ているとは、驚きだわ。さすがに、国際都市ですね。医学の勉強、オランダや中国との商品取引、交易、貿易、オランダ語の学習、それに画業の習練などというのもあるわ」  「こちらには、遊芸、接客業の女の記録がある。中には、外国の名前の女もいるよ。これは、ジャワやスマトラからの出稼ぎ女性だ。鎖国の世に、これほど、交流が盛んなのは、さすがに長崎だな」  久乃と万次郎は、そんな会話を交わしながら、書類を、次から次へと見ていった。  昼飯は、奉行所に出前の蕎麦を取った。中華麺に野菜や豆腐の炒め物がのった中国風だったが、急いでいる中での、異国での食事だけに、二人とも満足した。  午後から取りかかった調べで、久乃が、注目すべき発見をした。  「おい、これは、面白い」 と、万次郎に差し出した書類は、安斎歌麿の在籍記録だった。歌麿は最近、江戸でめきめきと売り出した人気の浮世絵作者だったから、遠国の酒田にもその有名は聞こえてきていた。  「長念寺に滞在していて、そこの僧侶、無念が、身元引受人になっている」  そこには、歌麿の本名で、 「安斎藤一郎、長念寺在ーー」 とあった。   「長念寺とは、わたしも噂に聞いたが、漢画が盛んで、沢山の画人が滞在して、学んでいるというよ」  と万次郎が知識を披瀝した。  「お前は、画にも詳しいのか」  「いや、少し、船旅の手素錆にやっているのです」  「それは、知らなかったわ」  久乃は、安斎の記録を、懐紙に記録した。  万次郎の記録はなかなか、見つからなかった。  そろそろ、日が落ちて、奉行所の役人も、帰宅の支度を始めた。  役人の一人がやって来て、  「遠路はるばるやって来られて、よく、根が続きますな。そろそろ、役所を閉めますが、そのまま、お続けになりますか」 と聞いてきた。  「まだ、求めていた物が見つからないのです。よろしかったら、明日にでも出直しますから、ここは、このままで、置いておいてよろしいでしょうか」  久乃が尋ねた。  「そうですね。このまま、続けるより、そのほうが宜しいでしょう。お二人もお疲れのようですしね。では、戸締まりをして、出ましょう」  役人は、久乃の申し出を了承し、火を消して、戸締まりをして、役所を出ていった。  この丁重な扱いは、あの交易検査所の役人から、久乃らの高価なお礼を聞いているからに違いないと、久乃は思った。    船に帰ってから、久乃は一寝入りしてから、着物を着替えて、町に出た。  それは、オランダや中国との貿易が行われている、出島を見ておきたかったためだ。そこは、市街地を外れた港の中に張り出していて、出入りの許可証を持っている者しか出入りが出来なかった。久乃は、出島へ渡る門まで行ったが、引き返すしかなかった。  立ち止まった場所から、遠く望まれる出島には、左の方に二階建ての大きな建物が見えた。赤々と明かりが灯り、まさに紅楼の華やかさを発散していた。  「あれが、有名なオランダ島の遊廓なのか」  久乃は、聞いていた知識を蘇らせた。  「美しい女が揃っているそうだよ。異人の女や混血娘もいるそうだ。洋風の服を着て、洋風の部屋もあるという。一度でいいから行ってみたいものだ」  船の中で男達が話してしているのを、久乃は、聞いていた。久乃は、あくまで好奇心が旺盛な女だった。    翌日、再び長崎奉行所に出向いた二人は、前日と同じように、書類を山積みした部屋に入り、万次郎の名前を探し続けた。  すると、本人の万次郎が、  「ああ、あったぞ。山形藩士、佐藤庵吾の庶子、万次郎。佐藤は二十二年前に、山形藩の留学生として、当地に来ている。逗留場所は、あれ、歌麿と同じ長念寺だ」  「では、佐藤も画を学びに来たのかね。そんなはずはない。武士だから」  久乃は、佐藤の記録を模写して、懐紙に記録した。  二人は、全ての記録を整えて、役所の役人に返還し、奉行所を出た。  「こうなれば、その長念寺へ行ってみるしかないだろうね。住職にでも話を聞けば、何か分かるだろうし」  久乃が提案した。  「そうしよう。今すぐにでも行ってみよう」  万次郎がそう返答して、二人のこれからの行動計画が決まった。  長念寺は、長崎市街の北東、長崎山の麓から山頂までを境内に持つ大寺院だった。  大きな門を潜って、社務所を訪ねた二人に、社務所の修行僧は、  「逸念大僧正は、ただいま、お弟子さんたちに、教授中でございます」 と告げた。  「それでは、その授業の様子でも、見させていただけますか」  久乃が申し出た。  「それは、結構でございますが、大僧正に伺ってまいります」  そういって、修行僧は、奥へ戻っていった。  修行僧が帰って来るまで、二人は、伽藍を散歩した。  一番奥に本堂があり、左右に、修行僧の宿舎である一の坊、二の坊が配置されており左手の奥には講堂があった。  境内は、樹木に覆われ、本堂の左横を通って、山の頂きのほうに、奥の院があるのがその方向を示す標識によって、知れた。  時折、カッコ−の鳴き声が、山を降りてきた。山の頂きは、いまは、薄い雲に覆われその高さがしのばれた。  二人が、境内を散策しているうちに、先程の修行僧が戻ってきて、  「大僧正は、お会いになるそうです。こちらへ、お出でください」 と、道を先導した。  宿坊の内部は、渡り廊下で繋がっていて、先程の社務所から、北へ向かい、突き当たりを左に折れて行くと、そこに、  「壇林派絵画師範」 の看板が掛かった小さな建物があった。  それは、数寄屋造りのしもたやで、内部に入ると、十畳ほどの座敷があり、そこで、十数人の生徒が、机に向かい、しきりに筆を動かしていた。  その中央辺りに、浅黄色の僧衣を纏い、手を後ろ手に組んで生徒の作品を見ている僧侶の姿があった。丸めた頭は、血色がよく赤く光っていた。歳のころは、六十歳の半ばを過ぎた当たりかと思われたが、久乃の計算では、八十一歳のはずだった。  大僧正は、二人の入ってきたのには、目もくれず、ただ、ひたすら生徒らの作品を見て回り、添削を施していた。  久乃と万次郎の二人は、部屋に腰掛けて、授業の様子を見守った。  大僧正は、全部の生徒の作品を見終わると、  「本日は、これまで。次までに、彩色して来てください」 と言って、授業を終えた。  それを、見計らって、二人は、大僧正の方に、歩み寄り、自己紹介と、会見の趣旨を伝えた。  「そういうことなら、僧坊でお話ししましょう」  大僧正は、二人を先導して、僧坊の客間に案内した。  先程の、修行僧の若者が、茶と和菓子を乗せた盆を運んできて、大僧正と、二人の客の前にしつらえた。  「まあ。お茶をどうぞ」  勧められるままに、茶で喉を潤した二人は、  「さすがに、素晴らしいお茶ですね、これは。玉露ですか」 と、当たり障りのない話題から、話を始めた。  「どうも、有り難うございます。ですが、これは、玉露ではないのです。中国の山東省産のお茶です。ここ長崎は、貿易の町ですからね」  大僧正は、取って置きの茶を褒められて、相形を崩した。  それを見て取った久乃が、さっそく、目的の話題に持っていった。  「実は、こちらをお訪ねしたのは、十数年前に、こちらにお世話になっていたと思われる人物について、お話しを伺いたいと思いまして」  「拙僧は、この歳だが、教えた弟子のことは、大体、覚えている。どなたですかな」  老師は記憶に自信がありそうだった。  「ええと、山形藩の藩士で佐藤庵吾という名の者ですが」  「ああ、それは、良く覚えておる。忘れようとしても忘れられるものではない。私の弟子のなかでも、五指に数えられる出来のよい者だった」  「佐藤氏は、どの様な人でした」  「わしのところへ、画を習いにきたのは、あくまで、趣味の上でじゃ。佐藤さんは藩の留学生として、長崎に来た。オランダ語を学ぶためだな。伝があって、当寺が宿坊を宿に提供した。毎日のオランダ語学習の合間に、画の修行を始めたのだが、上達はすこぶる速かった。いい画を描いたよ、佐藤さんは」  「すると、絵画にも秀でていた」  「そうだ。わしの流派は、唐様の風景画を主体にしているが、墨画の手法はあっという間に、仕上げて、次に、オランダ由来の西洋画を学びたいと言いだしてな」  「西洋画ですか」  「私には、無理だから、しかるべき師匠を紹介した」  「長崎には西洋画を教える所もあるのですか」  久乃が、疑問を差し挟んだ。  「ある。いずれも元をたどれば、出島の西洋人の画師から、学んだものだが。町には今でも、五人ほど、西洋画を描く画師がいる」  「佐藤は、そのうちのだれかに習いに行った」  「いや、西洋画は西洋人に学びたい、と申してな」  「はっ」  「わたしも、佐藤の才能は、買っていたから、どうにかして希望を叶えてやろううと考えた」  「策を練った」  「そう。それで、出島の西洋人の弟子たちに、出稽古に行くという名目にして、佐藤を出島にやることにした」  飯山はそれを聞いて、納得した。  「こちらの画を教える代わりに、西洋画を学んでくるのですね」  「そういうことだ」  「それはいい考えだ」  津田が、感心してみせた。  「だが、それが裏目だった」  「裏目とは」  飯山が訝った。  「かれは、一月ほどで、西洋女に惚れてしまった」  久乃と万次郎の二人は、大僧正の話の意外な展開に、目と目を見合せ、睫毛を瞬いた。 大僧正は、話し好きらしく、そんな二人に構わず、話を続けた。この話は、この人にも相当な意外性で、誰かに話してみたくて仕方がないようにも、感じられた。  「相手の女は、オランダ商館の館長の長女で、アネットとか言った。私も見たことがあるが、すらっと背が高く、色白でーーもっとも、西洋女は、みな、色が白いのだがーー、髪は金髪、鼻が高く、瞼は二重で、目は碧く、まるで、天女のようだった。だから、佐藤が一目惚れしたのも無理はない」  「そんなに美女なのですか」  「それは、当時のオランダ商館では、一番だったろう。裾の長い西洋の着物を着て、西洋日傘を差した姿は、何枚もの画に描かれているよ」  大僧正は、そこで、納戸に立っていき、一巻の巻物を手にして戻ってきた。  「これが、そうだ。お供の黒人を従えて、町中を歩いている婦人が描かれているだろう。それが、アネットじゃよ」  二人は、巻物に見入った。  「たしかに、相当な美形ですね」  「そうだろう。アネットの方は、初めは、新しい画の先生くらいにしか、思っていなかったようだが、恋い焦がれた佐藤は、一計を案じた」  「どうしたのですか」  「それは画を教えるときに、わざと無視したり、厳しく当たったのだ」  「恋の技術に長けていたのですね。佐藤は」  「どんなに上手く出来ていても、良くできた、と褒めない。色々と難癖を付けては、描き直させたり、破り捨てたりした」  「それで、その西洋女は」  「これも、小さいころからちやほやされて、育っているから、そんなに厳しくされた経験がない。気が強いし、誇りも高いから、必死に頑張って、褒められようとする」  「そうでしょうね。とくに、蔑視している日本人に無視されたりすれば」  「それで、泣いて、個人授業を願い出た」  「佐藤の思う壺ですね」  「そう。そうして、個人授業では、佐藤は、女に精一杯優しくした」  「もう時間の問題だわ」  「個人授業を始めて、そう間もないあいだに、二人は恋仲になり、佐藤は本望を遂げたのだ」  「そこまで、よく御存知ですわ」  「そう、そこまでは、佐藤が話したが、それ以上は知らない」  「それ以上とは」  「そうなってから、程無くして、佐藤は、山形藩に召し帰された。オランダ語の勉強もまだ、中途半端だった、と言っていたのだが」  「その、外国女との関係が、知れたのですかね」  「そうかも知れんが、そのことを知っているのは、ごく少数の者だけだぞな」  「しかし、この鎖国の世で、そういうような関係は、知れたら、致命傷ですからね」  「確かに、宮仕えの身では、大事に違いないな。しかし、それでも、そういうことがあったのは、事実なのだ」  大僧正は、語気に力を込めて、断言した。  ひとしきりの話に、切りが着いたと見て、久乃は、もう一つの疑問を、老僧にぶつけた。  「もう一つ、お伺いしたいことがあります」  大僧正は一息、付いて、お茶を飲み干し、  「なんじゃろう」 と答えた。  「そのころ、もう一人、浮世絵師が、当地にお世話になっていたはずですが」  「ええと、名は何という」  「本名は安斎藤一郎、画号は、歌麿という者ですが」  「安斎というと、二の坊に滞在していた与之助が、そんな名を名乗っていたことがあったが、それのことかな」  「江戸の町人ですから、名字があるわけもございませんが、奉行所の人別帳には、安斎藤一郎という名があったものですから」  「では、与之助のことかも知れない。わしは、教えたことがないが、宿坊に浮世絵が上手い町人が泊まっていると言う話は聞いたことがある。画を学ばなくとも、宿坊は泊まりたい人には解放しているから、旅の人が逗留することもあるのだよ」  「無念という方が、見元引受人になっているはずですが」  久乃は、重ねて聞いた。  「無念か。それは、一時、わしの弟子だったことがあるが、墨絵は向かないといって途中で、断念した男だ。ついでに僧侶の修行も止めてしまった。たしか、西洋画をやりたいといっていたはずだが」  「それで、どちらにいるかは分かりませんか」  「それは、市内にいるのではないかな。西洋画を教えている、と聞いたことがある」 「そうですか。分かりました。どうも、貴重なお話をありがとうございました」  二人は丁重に礼を言い、寺を辞した。    帰り道で、万次郎が久乃に疑問を呈した。  「佐藤が、西洋女と昵懇になってから、すぐに、藩帰しになったのは、それが、知れたからだろう。それにしても、そのアネットとかいう女は、その後、どうしたのだろうな」  「それも、奉行所で分かるでしょう、昨日までは、外国人の人別帳は見ていない。まさか、こんな事態になるとは、思っても見なかったしね。さっそく、明日にでも、奉行所に行って、調べてみよう」  長念寺からの長い下り坂を降りながら、二人は、翌日の計画を決めた。 翌日、二人は、再び、長崎奉行所を訪ねた。  やはり、先日の役人が、出てきて、用件を聞いた。期待しているらしい袖の下を渡してから、子細に説明すると、役人は、笑顔で  「分かりました」 と言って、二人を、この前の部屋に案内し、書類を運んできてくれた。  「外国人の人別帳は、人数が、そう多くはないですから、すぐに見つかりますよ」  役人は、そういって出ていった。  それでも、二十冊くらいにはなりそうな、書類の山を前にして、万次郎と久乃は、   「また、書類の山と格闘か」 と溜め息をついた。  「仕方がない。やってみましょう」  久乃の掛け声で、二人は、文机の前に座り、検索を始めた。  外人の人別帳は、横文字の発音を、耳で聞いたとおりに、片仮名で書いてあった。  「二十年程前のから、見ていこうではないか」  久乃の呼び掛けに、万次郎も答えて、そのころの物を中心に、調べに掛かった。  昼頃になって、久乃が、  「あ、あったわ。アネット・シーボルトンだ。これが書かれたときは、年齢二十一歳とある」  久乃の差し出した帳簿を、万次郎も覗き込んだ。  「それから、父親と母親が書いてある。父親は、オランダ商館長で、名前はマルク・フォン・シーボルトン、年齢四十五歳。母親は、マリー・ルイザ・シーボルトン、年齢四十二歳とある」  万次郎が、帳簿をひったくって、眺め入った。  「それだけではないぞ。アネットの脇に子供の名前が、あるではないか」  万次郎の指摘に、久乃が、再び帳簿を取り帰して、  「確かに。名前は、マンジロウ・シーボルトンだ。二歳と書いてあるわ。それから、エミーという女の子。これは五歳だ」  「このマンジロウとエミーは、誰の子だ」  「それは書いてないわ。いや、私生児との注意書きがある」  「すると、アネットの子供なのかな」  「そうだろうけど、マリーのかもしれない」  「ところで、出国記録を見てみよう。いつまで、出島にいたのか」  万次郎は、出入国記録簿を探した。  「えーと、これだ。それから、五年後だな。四人で出国している。夫婦と娘一人だ」  「すると、マンジロウはどうしたのだろう」  「死んだということはないわね。これがもしあなたのことなら」  今度は、人別帳のそのころの記録を見ていった。  物故者の欄には、マンジロウとエミーの名はなかった。  今度は、住所移動の記録を見ていった。  すると、  「出島」の欄に 「マンジロウ、庄内藩酒田の商人、島田千衛門方に養子。五歳」 とあるのが、見つかった。  「これだ。これに違いない」  万次郎が叫んだ。  「混血の子は、酒田に養子にやられたのか。これがあなたらしい」  久乃も呻いた。  「さあ、これで、大体ののことがわかった。あとは、佐藤とアネットに何があったかを調べるのと、安斎与之助の当地での行状を知ることだね」  「それには、出入りの商人か、遊女屋が手っとり早いだろう。それとも、出島掛りの役人かな」  「噂に耳聡いのは、商人でしょう。それとも、医者かな」  「医者とは、またなぜ」  「子供を生んだのだから」  「しかし、西洋人の医者が診たのではないか」  「そうね。では、遊女屋を調べましょう。世間の裏話には、遊女屋が一番よ」  「おれが行ってくるよ。その方面は得意だ」  万次郎が、進んで、行く気持ちを示した。  「あなたが得意だとは、聞いていたけど。今度は、堂々と胸を張って行けるわね。わたしは女だから無理か。仕方ない、そのかわり、お代は割勘にしてあげるわだぞ」  久乃の申し出に、万次郎は喜んで頷いて、話が決まった。  万次郎には言わなかったが、久乃は、独自に安斎の当地での行状を探る積もりだった。特に、無念との関係は、放っておけないと考えた。  (無念の行方を突き止めて、話を聞こう)  久乃は、万次郎が遊廓で遊んでいる間に、その仕事をやってしまう積もりだった。  万次郎は、その夜、市内随一の楼閣「松野屋」に上がった。  検番に、  「出島の遊廓で働いたことのある妓を」  と言ってあったから、そういう条件に会った妓が、選ばれて来るはずだった。  女将に導かれて、二階に上がった万次郎は、出された酒を殆ど飲まずに、女の入ってくるのを待った。  半刻ほどして、廊下側の襖を開けて現れたのは、三十歳に手が届きそうな、女盛りの遊女だったが、万次郎が、、  「出島の娼館にいたことはあるか」 と尋ねると、  「はい、二年ほど前までおりやした」 と答えたので、安心した。  「名前は何という」  「はい、守奴と申しやす」  「ところで、守奴。早速だが、少し、尋ねたいことがある」  万次郎に、遊びの座敷で、鯱ほこばって、いきなりそう言われた守奴は、緊張した。襟を正して、正座し、  「なんでも、ほら、聞いて下さいまし」 と受けた。  「出島の商館の西洋女で、合いの子を生んだ女を知らないか」  「おやまた、突然の話で、びっくりした。合いの子って、日本人とのかい」  「そうだ。日本人と西洋女との合いの子だよ」  「ええと。ちょいと待っててくんなまし。そうだ。そういえば、五年くらい前に、オランダ商館長の娘が、そんなことになったって、聞いたことがあるな」  「相手については」  「なんでも、絵の先生とか言うことだったんじゃないかい」  「すると、出島に出張教授に来ていた者だな」  「そうだろうかな」  「名前は分かるか」  「知らないが、なんでも、遠くの方の藩のお武家さんだ、とかいうことだったよ。でも、子供が生まれたら、すぐ、居なくなってしまった」  「その子はどうなった」  「どこかへ貰われていった、という話だな」  「西洋女は、どうしたんだ」  「家族で、国へ帰ったさ」  「それで、二人は、終わったのか」  「終わったもなにも、その西洋女は、そのお武家さんを、好きだったわけではないのさ。本当に好きだったのは、他の男。それは、有名な話だよ。廓でも、そんなに愛しい人がいて、他の男の子を生んでしまうなんて、西洋の女はふしだらだ、と私達の間でも話になったもの」  万次郎はこの話には、少なからず、驚いた。  「好きだった人は、どんな男だ」  問い詰めるように聞いた。  「なんでも、同じ絵を習っていた人で、遊び人だったらしいよ。でも、浮世絵を抜け出してきたようないい男だったというよ」  「見たことはあるか」  「それは、無理だよ。わたしは絵なんて、まるで縁がないもの」  その件の会話はそれで終わった。  万次郎は目的は達した、と考えて、守奴相手に酒宴と歌で盛り上がり、その晩は泊まりを取った。  久乃は、無縁の消息を尋ね歩いた。絵の師匠を看板に掲げる家を、一軒一軒当たっていった。だが、「西洋画教授」を掲げる所は、少ないので、この探索は、そう難しいものではなかった。  五軒程、尋ね歩いたところで、  ーー 無念は名前を、狩野丹石に変え、丸山町に住んでいるーーことが分かった。  久乃は、狩野の家を訪ねた。  たしかに、倒れそうな茅門に、「西洋画教授」との墨で書いた立て看板が、掛かっていたが、生徒が居る気配はなかった。  久乃は、門の戸を開けて、玄関に進み、  「先生はご在宅ですか」 と呼びかけた。  数度の呼び掛けのあと、白髪に長い顎髭を伸ばした、猫背の老人が現れ、  「なにか、御用かな」 と迎えた。  「先生でございますか」  「そうだ、この家の主の狩野丹石だ」  「先生は、依前、無念と言う名で長念寺におられたことは、ございますか」  「そういうことが、あったこともある」  「そうですか、やっと、訪ね当てた。すこし、お話しを伺いたいことがありまして」  丹石は、久乃を家に招き、客間で、対座した。  「早速ですが、先生が、見元引受人になっておられた、安斎歌麿、ではない藤一郎、俗名で、与之助のことでお話しをと」  「与之助か。あのうつけものが」  「はあ」  「恩知らずの、馬鹿者だ。あいつに目を掛けたわしが、馬鹿だった。今頃は、米沢の奥山で、野たれ死んでいることだろう」  「それは、確かに、死にました」  「やはり、死んだか。長生きは出来ない者とは思っていたが。やはりな」  「その、与之助のこちらでの行状をお伺いしたいと」  「そうか。分かった。じっくりと、ゆっくりと全て話してあげよう。よーく、聞きなされ」  狩野丹石は、一杯のお茶をゆっくりと飲み干し、静かに語りはじめた。    ーー 私が、与之助に会ったのは、眼鏡橋の袂だった。私は、そのころ。長念寺で修行中の身で、もっぱら、僧侶になろうと思っていたのだが、念逸師に出会ってから、考えを改めた。  大僧正の素晴らしい墨絵の作品を見て、画業の道に志を変えた。逸念師に、弟子入りし、必死で、修行に励んだ。  その甲斐あって、師もわたしに目を掛けてくれ、寺の第二坊の責任者に抜擢されていた。弟子も少しずつ増えていったが、わたし自身は、墨絵の上達に限界を感じ、なにか新しい手法を、と限界を打破する道を探っていた。  そんな時に、わたしは、与之助に遭遇したのだった。  与之助は、橋の袂で、写生をしていた。用事があって、通りかかったわたしは、ふと覗き込んだが、その画を見て、その余りの見事さに、圧倒されてしまった。  筆使いと言い、色の使い方と言い、墨絵の世界とは、まったく異なる世界が、そこにあった。  わたしが、茫然としていると、与之助は、  「そこのお方、どうしました。大丈夫ですか」 と声を掛けてきた。わたしは、われに返り、  「あまりに、素晴らしい絵なので、感動しました」 と言った。  与之助は、それまで使っていた絵筆を口にくわえ、右手に新しい筆を持ち替えて、仕上げに掛かっていた。  「申し訳ないが、お名前を教えてくれませんか」  わたしの申し出に、与之助は、  「名もない町の絵描きです。名乗るほどの者ではない」 と取り合わなかった。  「失礼しました。私の方から名乗らなければいけない。わたしは、長念寺の画僧で、無念と申します」  「寺におられるのですか。それでは、ちょいと、お願いしたいことがある。私は、宿なしの無一文です。差し支えなければ、お寺のお堂にでも、一宿の凌ぎをさせていただけないか」  与之助は、丁寧な言い方で、頼んできた。  私の方は、いつでも開いている宿坊ですから、異論はない。このような、優れた技を持つ画師を招待し、その技の秘密の一端でも教えて貰えれば、言うことはない。わたしは、二つ返事で、与之助の申し出を受け入れたのでした。  宿坊に来て、最初は、数日、滞在の予定が、私と与之助はすっかり意気が投合したため、いつしか、十日が過ぎ、二十日が過ぎ、一月も長居して居ることになった。  与之助も、  「一年くらい、じっくり、腰を落ちつけて、画の勉強をしてみたくなった」 と言うようになった。  私は、食事と寝場所の世話を見るくらいはた易いことなので、喜んで、この気持ちを受け入れた。いろいろと、学ぶこともあったし、与之助も、墨画の技法の習得に熱心だった。それで、奉行所にも、滞在の届けを出したのです。  わたしと与之助は、親密になり、いろいろと身の上話もしました。  その中で、わたしが覚えているのは、与之助が、  「おれは、親の情けを知らないんだ」 と、寂しげに言ったことです。  わたしが、  「それは、どうして」 と問うと、自分から、身の上話を始めたのです。  「両親は、米沢で、表具師をしていたが、親父は、四歳のころ、病で死んだ。おふくろは、親父と別れて、実家に帰り、一年ほどして、町の犀ころ打ちと駆け落ちした。だから、おれは、おふくろの実家で、祖父母に育てられた。二人とも、金貸しをしていて、金はあったし、孫はおれ一人だったから、なに不自由しなかった。画を描きたいと言えば、絵の具や画具をいくらでも買ってくれた。でも、親の愛はなかった。それだけが、おれには、どうしようもないことだったんだ」  「仕事はしなかったのかい」  私が聞くと。  「仕事なんて、する必要がない。それで、おれは、諸国放浪の旅にでることにして、絵の具と少しの金銭を持って、家を出たのだ」  かれは、  「少しの金銭」 と言ったが、わたしの会った時でさえ、十二両も持っていた。生活には不自由しない身だったのだ。  宿坊に滞在するようになって、一年を過ぎたころ、与之助は、  「新しい画の手法が学びたい。とくに、長崎にしかない西洋画の手法を」 と言いだした。  わたしも、それまでの南画には限界を感じていた頃だったから、  「わたしも学びたい。一緒に、やろう」 と与之助を誘った。  西洋画を教えるところは、何といっても、出島のオランダ人の画師が最高だ。われわれは、特別の入場許可証を得て、出島に通うことにした。  それは、楽しい思い出です。そこには日本でありながら、まったく日本とは違う生活があった。十日に一度の稽古でしたが、その日が待ち遠しかった程です。  与之助も、見違えるように熱を入れて、必死で、西洋画の手法を身に付けようとしていた。油絵の具と厚い布地の画布を使うのですが、それまで、親しんできた日本画とは筆使いからしてまったく違う。下絵も木炭で描いて、描き直しは西洋菓子のパンの食べ残しを使って、消してからする。それは、同じ画でも全く違う種類のものでした。  わたしと与之助は、この絵画に有頂天になった。画布は、簡単に手に入らないから、描いては消し、描いては消して使う。それに、何枚描いたか分からないほど、沢山描いたものです。  同じ先生に習っていたのには、出島住まいの西洋人もいました。妙齢の美しいご婦人もいた。また、逸念師の高弟だった、山形藩士の佐藤とかいう方も、手習いに来ていました。  何回も顔を合わせ、同じ先生から学んでいる、同窓の弟子ということで、生徒であるわたしたちは、すぐに、仲がよくなりました。オランダ人の女性とも、言葉は分からないながら、身振り手振りで、意思を伝えあい、気持ちも通じていた。それに、なにしろその画は女たちの国のものだから、われわれは教えてもらうことが多かった。  なかでも、与之助は、熱心で、しばしば、女たちに詳しく手解きを受けていた。  そのうちに、わたしは気がついたのだが、与之助が、教えを請い、与之助に教えようとする女性が、決まった一人になっていた。それは、オランダ商館館長の娘のアネットという女性だった。  わたしは、与之助に、  「アネットとは、どういう関係なのだ」  と尋ねてみた。  かれは、  「段々、恋しくなってきたみたいだ。女もそうだと思う」 と言ったのです。  わたしは、  (これは、大変なことになった) と、危険を感じた。なにしろ、鎖国のこの国では、外国人との恋愛など、ご法度ですからね。下手をすれば、死罪だ。しかも、一介の庶民が、そのようなことをしたら、命がない、と思っていいからです。  わたしは、与之助に、  「火傷をするから、止めておいたほうがいい」 と、説得したのですが、燃え上がった、恋の炎は、そう簡単に消えない。そこで、わたしは、山形藩士の佐藤某に、相談を持ちかけたのです。  侍ですから、この人から説得してもらえば、与之助の逆上せも覚めるものと期待したのです。  ところが、説得役のその佐藤さんが、こんどは、アネットの色香に惑わされてしまった。すなわち、二人の恋争いになってしまったのです。  わたしは、これには、すっかり、困ってしまった。  そのうちに、アネットは、画の稽古に来なくなってしまった。なんでも、重い病気に掛かって、自宅で療養している、という噂だったが、それなら、病気が直れば、出てくるはずだと、思っていたのに、とうとう、一切、顔を見せず、来なくなってしまったのです。  それと、同時に、与之助と佐藤さんの恋の鞘当ても収まり、同じ出羽地方の生まれということもあって、二人は、かえって、親密さを増したようでした。わたしが与之助に  「一緒に、出島に行こう」 と誘っても、しばしば、  「佐藤さんと、用事がある」 と言うようになった。  そんな時が、半年も続いたあと、私は、  「アネット一家が、帰国した」 という話を聞きました。  そして、与之助も、  「そろそろ、国へ帰ろうかと思う」 と言いだした。  佐藤さんは、  「留学の期限が明けた」 と山形藩に帰っていきました。  そして、私は、この町に出て、洋画の塾を開いた。  そんなところですね。与之助の話は。  ああそうだ、それから、三年ほどして、与之助が、わたしを訪ねて来たことがある。 『外に、連れを待たせてある』 と言いながら、  「お世話になったことは、忘れはしません」 と、餅菓子を持って訪ねてきたのです。その時は、与之助はそわそわして、腰が落ちつかない様子で、すぐに帰ってしまったが、気分は高揚している感じで、なにか、嬉しそうでしたーー。  丹石の話を聞きおわって、久乃は、二、三の質問をした。  「与之助は、西洋画をどの程度、習得したのですか」  「それは、素晴らしい進歩で、先生も驚いたほどです。われわれの仲間で、与之助の右に出るものはいなかった程です。かれは、手本の天使の画をほぼ、完璧に模写したほか、婦人の裸の画も上手かった。まるで、本物の美女がそこにいるような写生画を描いていた」  「佐藤の方は」  「佐藤さんは、墨絵の技術は一級品だったが、西洋画は、苦手のようでしたね。いつも、絵の具の使い方がうまく行かない、と嘆いていました。だから、与之助と佐藤の間が、親しくなったのは、画の縁ではなないですね。やはり、アネットを挟んだ三角関係による男同士の友情だったのではないでしょうか」  久乃、納得した。  「長い話を、どうも、すみませんでした」  礼を言って、丹石宅を辞去した。    船に戻って、久乃と万次郎、互いの「調査」の結果を、検討してみた。  「驚くことに、歌麿と佐藤は、同じ先生に西洋画を習っていたんですよ」  久乃が、言った。  「そして、そこに、オランダ商館館長の娘、アネットも習いに来ていた」  万次郎が応じた。  「そして、アネットは、二人と成さぬ仲になった」  「そうだ。子供も生んだようだ」  「そうしたら、すぐに帰国した」  「二人の男も、国へ帰り、三年後に、歌麿だけが、長崎に帰ってきた」  「これは、どうみても、後始末だね」  「そういえば、子供は、どうしたのだろう」  「だから、養子に出されたのだよ。それが、あなただ」  「違うよ。誰の子かということだ」  「それは、分からない。ただ、エミーは米沢に連れていったのだから、歌麿、ではない与之助なのではないかな」  「そうとはいえない。佐藤の子という可能性も拭えないよ」  「だが、とにかく、与之助が、引き受けたことは確かだわ」  「米沢で、何があったのかな」  「その子はどうなったのかしら」  「米沢で調べてみる必要があるな」  「その通りだわね。会ったこともないあなたのお姉さんが見つかるかもしれない」    十四 儀 式    江戸深川の四軒長屋の美代香の家の隣家の戸締まりしてある引き扉を、大刀を使ってこじ開け、中に入った江戸町奉行所の同心、穂積作衛門は、まず、上がり框から、手前の部屋に上がって、部屋の様子を探った。  この部屋はこれといった特徴はなく、がらんとした空き部屋だったので、さらに、奥の部屋へと踏み込んでいった。  奥の部屋には、祭壇があった。壁際に掛けられた大きな絵が、まず、穂積の目を射た。それは、中央部に女性らしき裸体の像が描かれている西洋画だったが、その女性の顔は、髪が黒色と金色の混じった複雑な表情をしていた。そして、黒い絵の具が、滝のように流れ出て、体全体を覆っていた。  その画の前に、祭壇があって、御神酒の容器や花森の陶器が並んでいた。さらに、不思議なことに、その前の畳のうえに、蓋が被せられた大きな鍋が七輪に掛かっていて、それを食べるための食器類が四人分、その鍋を囲むように置いてあったことだ。  穂積は、鍋の蓋を空けてみた。そこには、干からびた魚の切り身や白菜などの野菜の切れ端、こんにゃくなどが、固く変質して入っており、穂積は、空けた瞬間、腐臭がしたので、思わず、着物の袂を口に持っていって、臭気を防いだ。  ここで、だれかが、四人位で、鍋を突ついていたことは、間違いない。  穂積は、その部屋を出て、階段から、二階に上がって行った。階段を上がった踊り場を右に行った六畳間には、二人用の布団が残っていた。だが、それらは、ぐずぐずに崩れ、使えようがない。畳が湿気を含んで、ずぶずぶになっていた。  (これでは、誰も住みたいと思わないだろう。酷い、荒れぶりだ)  穂積は、早々にその部屋を出て、階段を挟んで反対側の小部屋に行った。そちら側の部屋が、美代香の家との境になる。美代香の家側は、押入れになっていた。穂積は、その襖を開けた。中に入って見ると、しゃがんだ人の目の辺りに、小さな節目が開いていて、そこから向こう側の様子を、覗くことが出来た。  穂積も、人の自然な行動として、その穴に目を持っていって、向こうを覗いた。  そこは、美代香が、習い事を教える部屋だった。三味線が数本と唄や謡の本が並んでいるのが見えた。  穂積は、顔を離して、その壁の周囲を手探りで、調べてみた。  すると、手の幅を広げた位の大きさで、その板壁が、切り取られたような痕があるのに気が付いた。切り取られたのは、最近らしく、切り取ったあとは、まだ、新しかった。  穂積は、壁を押してみた。最初は中々、動かなかったが、思い切って、体を預けて、ぐと押すと、板壁は、そっくりそのまま、美代香の家の方に倒れて、外れた。  穂積は、開いた穴を通って、向こう側にでた。そして、その部屋を通って、向こう側に出ると、そこが階段だった。階段を下っていくと、一階の二部屋に出る。そのうちの六畳間のほうには、小一郎がいるはずだった。  穂積はその部屋の引き戸を開けて、中に入っていった。  突然部屋の扉が開いて、先程、玄関に姿を見せた役人が姿を表したので、窓側に向いて、書見をしていた小一郎は、驚いて、穂積のほうを見て、  「あれっ」 と素頓狂な大声を上げた。  「おい、二階は、隣の家とつづいていたぞ」  「えっ。なんですって」  「押入れの壁が開いていて、自由に往来できるんだ」  「そ、そうですか。そんなの初耳だ。母は、要人深かってたから、そんなことがあったら、ただでは置かないはずですが」  「そうか。でも、最近だよ、出来たのは」  「知りませんでした」  「ということは、だれかが、こちらの家と彼方の家を結ぶ必要があったということだな」  「・・・・・・」  「それが、お前の母らの失踪に絡んでいると見ていいだろう。本当に、あの通路のことは、しらんのだな」  「もちろんです。そんなものがあるなんて、私は初めて聞きました」  そう言って、小一郎は、急ぎ足で、二階に上がって行った。自分の目で確かめたかたのだろう。  その仕種から、穂積は、小一郎は、本当に知らなかったのだろう、と考えた。  (あれを作ったのは、小一郎ではない。では、誰だ。それが、この事件の鍵だ)  穂積は、他の手掛かりがないか、隣の家に戻ることにした。  二階の画のある部屋に戻ると、穂積は、蝋燭の光を頼りに、部屋の隅々までを、調べてみた。例の鍋を囲んで居る四人の座席には、銘々の取り皿が残っていた。さら、小さなお猪口の形をした陶器、茶色のギヤマン製の容器が二本、真ん中に置いてあった。  祭壇を見てみた。手燭蝋で、壁を照らすと、さらに丈夫には、二本の棒が交差した飾り物があり、天井まで続いていた。穂積は、天井を仰ぎ見た。そこにあったのは、丸い異様な模様で、同心円状に細かい模様が描かれていた。目をその円の真ん中に一定に集中して見ていると、その中に吸い込まれていくような気分になる。その先には、冬の夜空に輝く北斗七星があって、その一点に向かって、収斂して行くような心地よい気分になった。  (この部屋は、異国だ)  穂積の気持ちが、そういう方向に向かっていった。  (異国ということは、ここでそれに係わる何かが行われていたということか)  穂は、直感した。ここで、異教徒の宗教的な行事が行われたのでないか。そして、あの歌麿の西洋画は、そのための宗教画だったのだ、と。  (どういう人たちなのだろう)  穂積の関心は、市中取締りの役人の習性から、人の方向に向いた。  それを特定するための、物証はないか、穂積は、再び、詳細な調べに着手した。  祭壇の下に紙切れが落ちていた。さらに、その横に、小さな袱紗が置いてあった。穂積は、紙切れを拾い上げた。摘んで、目を凝らしてみると、横書きの西洋文字が読めた。それは、仮名草紙や浮世草紙の印刷とは違い、さらに細かい文字で印面も鮮明だった。  袱紗を見ると、中から細かい金色の粉が出てきた。それは、金粉のようだったが、その方面の知識に乏しい穂積には、何か良く分からなかった。  だが、とにかく、ここが異教徒の集会に使われていただろうことは、ほぼ間違いない。定年間近の下級官吏の穂積が、御禁制の教えを守る異教徒の集団のアジトの尻尾を掴んだことは、確かなようだった。  大きな手柄を目の前にして、だが、穂積は、熟練者らしい、落ち着きを持って、この事態に対処した。  現場の保存を完璧に行い、奉行所に帰って、上司にこのことを報告する一方、幕府の寺社、僧侶に関する政務を司る寺社奉行に、一件を引き継いだ。  徳川幕府の異教徒訴追の専門家集団、寺社奉行は、堀田伊勢守を筆頭に、四人がその職にある。この奉行所は、寺、神社、僧侶、神官に関する政務と関八州を除く天領の訴訟を裁決する権限を与えられている。  江戸町奉行所は、首都江戸の町の行政、司法、警察を司どっているが、宗教関係の事件は、原則として、扱わない。政教分離が幕府の行政の実務上の原則だった。  町奉行所からの引き継ぎを受けた、寺社奉行の与力、畠山伊織は、久し振りの、大物情報に、色めき立った。  畠山は、ちょうど一年前に、長崎奉行所での、五年間の勤務を終えて、江戸に帰任したばかりで、江戸の寺奉行所では、異教徒審問の一番の専門家と見られていた。  長崎在任中には、堀田但馬守の熾烈な取締り方針に則って、厳しい切支丹摘発を行い、「魔鬼の畠山」と言う異名で呼ばれた程のやりてだった。  連絡を受けて、追っつけ、深川の現場に赴いた畠山は、その現場の様子から、  (これは、異教徒が洗礼の儀式を行った後だ) という確信を抱いた。穂積が収拾した証拠のうち、紙片の方は、ロ−マ字で印刷したキリスト教の聖書の一部と判断された。日本語に翻訳したものをロ−マ字で活字印刷したいわゆるキリシタン版、天草版という出版物だ。  これは、織田信長の恩顧を受けたイエズス会の宣教師、ヴァリニャ−ノが、再来日した際に、持ち込んだ活版印刷機を使って印刷されたもので、翻訳版聖書だけでなく、「平家物語」などの日本の古典文学、「イソップ物語」などの西洋物語のほか、キリスト教文学、キリシタン教義書、日本語辞書なども、数多く出版された。その技術は、キリシタン禁教後も、隠れ切支丹らに受け継がれ、教徒用の聖書印刷に活用されたと言われる。  袱紗を調べると、中に、所有者を示す印鑑を刺繍した布が縫い込んであった。それには、「庄内 廻問屋 島田屋」と朱印が押してあった。  畠山は、四人が集まったと思われる座席の中に残っていたギヤマン製の瓶が何かもすぐに分かった。町奉行所の役人には、なにか飲み物を入れる容器だということは、分かっても、なにを入れるものかは分からないだろう。  畠山は、  「これは、葡萄酒を入れる器だ」 とすぐに見破った。  「それを飲んで、彼らは、聖事を行う。間違いなく、ここで、新教徒の洗礼がおこなわれたのだろう。その参加者は、島田屋を当たれば分かる」 と彼は、断定した。  酒田は、譜代大名の酒井家の所領だから、連絡は取りやすい。江戸城詰めの武士にも、何人か、酒井家からの派遣者がいたから、畠山も顔見知りが多かった。そのうち、司法の仕事をしている知り合いは、最近江戸詰めから、本地に帰った本間義之助という年配の役人を畠山は知っていた。畠山は、正式文書で、本間に島田屋の検索を依頼した。事件の要点を記した書状を、継飛脚に持たせて、庄内へ向かわせたのだ。  文書を受け取った本間は、江戸からの直接の捜査依頼とあって、絶対に好結果を報告しようと、おっとり刀で、島田屋に出向いて、主人の千衛門に面会を求め、事情を聞いた。  商人羽織を煽って、笑顔で応接間に現れた千衛門は、  「どうも、どうも、貧乏暇なしですわ」 ともみ手をしながら、挨拶し、  「ところで、どんなご用事で」 と聞いてきた。  本間は、江戸からの連絡を手短に説明した。じっと聞いていた千衛門は、  「そうですか。家の名前入りの袱紗があったのですか」 と言って、黙り込んだ。  「どういう事ですかね」  やや置いて、本間が尋ねた。  「その袱紗は、家内の者しか持ちません。お客さんに配ったりはしていませんから、家族が持っていた物が、そこにあったとしか考えられませんな」  「ということは、お宅の家族のだれかが、その場所に行ったと言うことか」  「それしか、考えられません」  「心当たりは、あるのか」  千衛門は、一服茶をすすってから、目を閉じて、天を仰いだ後、  「実は、家内と息子が、帰らないのです」 と打ち明けた。  聞けば、島田屋の女主人、久乃と跡取り息子の万次郎は、西廻り廻船に乗って、酒田を出港したが、大阪で荷の米を降ろし、帰り道に長崎に寄港し、そのまま、行く方不明になたったのだ、という。  「それで、船は、どうした」  「それが、船だけは、帰りました」  「万次郎が船頭だったんだろう」  「ですが、他の船員たちが、いくら待っても帰らない二人に業をにやして、勝手に判断して、帰って来たのです。次の航路の予定もあるし、積み荷によっては日ものもある。これは、正しい判断だったと思います」  「それで、久乃と万次郎からの連絡はないのか」  「もう半年になりますが、梨のつぶてでして。もう諦めかかっていたのです」  「役所に失踪人届けは出したのか」  「いえ、それは、これから出そうとしていたのですが」  「では、すぐにでも、出しなさい。ところで、立ち回り先の心当たりはないのか」  「それが、まったくございません。船で帰ってくるものとばかり、思っていたものですから」  千衛門は、ここで嘘を付いた。長崎で、彼らが何をしようしていたかは、重々承知のことだった。なにしろ、この船の目的の半分は、それだったのだから。そして、その目的は、他の乗組員らによって、果たされ、その成果は、信者たちに公平に配分されていた。  だが、そのことに、触れてはならない。御禁制のキリスト教に、集団入信していることが知れたら、ことは、重大なことになる。このことは、家族二人の失踪よりもずっと、重いことなのである。  「手掛かりがないのでは、どうしようもないな」  本間は、そう呟いて、帰りかけたが、その時、思いついたように、  「妻の久乃は、後妻か。確かこの家では、女将が亡くなったのではなかったかな」 と聞いた。  「そうです。後妻に迎えました」  「つかぬことを聞くが、何方からか」  「はい、米沢の近くの尾花沢からです」  「近くだな。そちらには聞いてみたのか」  「はい、知り合いを通じて、尋ねましたが、寄ってはいないようです」  「ほかに心当たりはないのか」  「あとは、江戸ですな。久乃は昔、紅問屋の女房でしたから。万次郎は、船が寄所々に知り合いがいるようです」 「だが、二人が一緒にいなくなったのだから、一緒にいると考えるほうが、自然だろう」  「はい」  「その紅問屋は何というのか」  「山形屋と言いましたが、すでに、おとりつぶしになって、いまは、ありません」  「おとりつぶしとは」  「夫殺しの容疑を掛けられまして、国帰しになって、尾花沢に帰されたのです」  「そういう子細が、あったのか。では、江戸では知人が大勢いるだろう。江戸に潜伏しているとみて、良さそうだな」  「ですから、探すのは簡単でないのです」  「何を言うか。この件は幕府の寺社奉行が、直々、扱っているのだ。今聞いたことだけでも、すぐに確かめられるさ。安心していなさい」  本間にそう言われても、千衛門は、嬉しくなかった。二人の行く方が突き止められたら、宗門の秘密もばれるかもしれない。二人がそれほど、信仰心が薄いとは考えたくなかったが、江戸での異教徒審問は、熾烈を極めるという話は聞いたことがある。それに、二人とも、そういう審問を受けた経験がないのだ。天草の隠れ切支丹とは、その点が違うのだ。  本間が帰ったあと、千衛門は、信徒らに、七日ごとの集会は当分の間、自粛すること、その間の祈りは、最近廻船が持ち帰ったイエス像と聖書の前で各自が、独自に執り行うこと、との指令を口頭で伝えさせた。    本間からの調査報告書を受け取った畠山は、 (失踪した二人は、間違いなく、異教徒だ) との確信を深めた。いなくなったのが、長崎であることも、その疑いを深めさせる裏付けになった。畠山は、長崎を訪れる異国の人の多くが、異教関係の交流と物資の調達であることを、長年の職務の実感として知っていた。 (異国のことは、すべて、長崎から入ってくる)  それが、鎖国の世に、唯一、世界に開かれた窓である長崎の町の役割であり、昨日だった。  「二人は江戸にいるらしい」、と本間は言っている。となると、投げた玉は、こちらに返って来たことになる。  もう、殆ど、姿が見えない、幕府のお膝元のこの町の異教徒は、どういう場所にいるのか。それを、畠山は知っていた。というより、どこにいたのかを、畠山は分かっていた。だが、今はいないだろうと、役所も彼も考えていた。しかし、事態がこうなったからには、そこも当たってみないといけない。  畠山は、小石川小日向にある切支丹屋敷で、幕府の宗門改め役、井上重馬のもとで、与力六騎の一人として、キアラ、ト意ら転びバテレンの審問に当たったことがある。そのとき、収拾した情報が、その後の宗門改めの際の重要資料になった。  彼らの自白の中で彼らが集会をする場所として、上げられたのは、意外や、既成の寺社だったのだ。寺の宿坊や神社の社務所が平然と礼拝などの儀式の場所に使われていた。もちろん、信徒らは、キリシタンだとはいわない。あくまで、その寺や神社の檀家や氏子を装って、内容だけを変えた儀式を行っていたのだ。  「彼らには儀式は、信仰生活の重要な要素となっている。七日ごとの礼拝は、太陽暦の安息日に行われる」  畠山の異教徒に関する知識は、豊富だった。  いまも、それらしき儀式が行われている疑いがあるのは、この江戸で一箇所しかない。地道な寺社奉行所の役人たちを地回りによる情報収拾活動で、疑わしい寺社の記録は出来ている。深川の近くでは、両国にある真宗寺院、承国寺が、要注意の寺院だった。  畠山は、部下の同心四人と、地回りの岡引き八人を伴って、承国寺へ捜査に出掛けることにした。いずれも、町人風に変装し、異教徒の礼拝日にその寺の社務所に来る人たちを、一人々々、調べていく。主に、顔を知るのが、目的だが、あの袱紗の持ち主だろう島田屋の久乃という女将とその息子の万次郎らしき男女を検索出来ればそれに越したことはない。  異教徒たちの礼拝は、朝早くから行われることがおおい。畠山は、早起き鶏がなくと同時に屋敷を出て、承国寺に向かった。  寺に着くと、配下の役人らは、既に全員集合していた。かねての打合せの通りの配置に付き、信徒らの来るのを待った。  夜が明けて一刻ほど経ったころ、社務所の引き戸が飽き、中から禿げ頭の僧侶が姿を見せた。手にほうきを持ち、庭の掃きはじめた。玄関先と勝手口の周りを掃きおわると、落ち葉を集めた山に火を点けた。白い煙が上がり、その煙に朝の日の光が斜めに差し込み、光のつずれ模様を描きだした。  畠山らは、境内の隅の大きな銀杏の木の陰に隠れて、それらの様子を逐一見ていた。  それから、また、一刻ほど過ぎると、一人の老人がゆっりとした足取りで、社務所の玄関の前に現れ、案内を乞うて中に姿を消した。 社務所の広間の雨戸が開けられ、中の様子が見えるようになった。  先程の老人と僧侶が、長い座り机を四角に並べている。集会の準備をしているのだろう。間もなく、中年の男女と、老女が連れ立って玄関を入っていった。そのあとに、若い女二人が姿を見せた。これで、六人集まったことになる。畠山らが狙っている二人は、まだ、来ていないらしい。  太陽の光が、増して、空気が暖まってきた。既に集まっている六人は、机の上に何かの書類を置いて、読んでいた。そのうちに、両手を胸の前に置いて、頭を垂れ、黙想を始めた。  それは、異教徒の祈りの姿勢であることを、畠山は察知した。  ほどなくして、中年の小柄ながら、くっきりとし目鼻立ちの女性と、日本人離れした彫りの深い顔立ち若い男が、周囲を伺いながら、社務所の中に入っていった。  「あれに違いない」  畠山は、境内に散っていた仲間に手で合図を送った。  暫く様子を見ていたが、この男女のあとは、来るのはいなかった。全部で八人が集まったことになる。  あとは、踏み込む時期を伺うだけである。  祈りが最高潮に達したころが、一番いいと、畠山は思っていた。全員が冥目し、忘我の境地にいるときに、踏み込めば、なんなく捕まえることができる。それに、その頃は、信者も深い信仰心から、自白も簡単に得られるのだ。  信徒らが、頭を下げている時間が長くなった。畠山が合図を送ると、待機していた役人らは、一斉に社務所に向かって駆けだした。  玄関を逮縛棒で突き破り、一斉に大広間になだれ込み、  「御用、御用」 と叫んで、広間にいた八人を全員、逮捕した。それは、まったく、一瞬の早業で、裏の自宅に引き下がっていた住職にも、気付かれぬ素早い専門家の行ないだった。  捕まった八人は、奉行所に連行され、牢に収監された。ここでの、調べで、異教徒と判明すれば、小石川の切支丹屋敷に送られ、さらに厳しく審問されることになる。  畠山の仕事は、異教徒の審問だから、町奉行所の穂積が担当している、行く方不明者探しは、直接の関心事ではない。異教徒と判明したら、その件に関して、穂積を捜査に加えればいいと彼は考えていた。  十五 自 白  寺社奉行に役所はない。奏者番たる譜代大名の江戸屋敷が役宅だから、連行した八人を入れた牢は、町奉行所の牢である。  畠山は、江戸町奉行所に出向いて、八人の異教徒審問を行わねばならない。もともと、この事件捜査のきっかけを作ったのは、町奉行所の穂積だから、彼の担当している行く方不明者の調べも、しなければならない。そのためには、まずは、久乃と万次郎の調べが最初になるが、それは、宗門改めの後で、ということにして、穂積も異教徒審問に陪席することになった。  後ろに手縄をかけら得れた駆けられた久乃と万次郎が、役人の指示で、お白州に素足のまま正座させらていた。二人は、神妙に頭を下げ、正面の舞台に奉行が現れるのを待っていた。この日は、奉行の代理で、畠山が調べに当たる。上下を付けた畠山が、奥の襖を開けて、正面に姿を見せた。その脇に、陪席の穂積も座り、調べが始まった。  「これより、異教徒審問を行う。その方らは出羽の国は酒田の廻船問屋、島田屋の女将、久乃とその長子、万次郎であるな」  二人は、  「ははー」  と一手平伏した。  畠山が続ける。  「そちらは、両国の承国寺に何しに行ったのだ」  「はい、仲間の会合に出るためです」  久乃が、神妙に答えた。  「どういう会合だ」  「はい、書を読む会です」  「どのような書を読むのか」  「西洋の宗教の教義書です」  「その宗教とは、耶蘇教のことか」  「そうです」  久乃は意外にも、素直に自供した。  「すると、その方らは、切支丹か」  「はい」  「万次郎とやらもそうなのか」  万次郎も義母に合わせて、頷き、  「そのとおりです」 ときっぱりと言った。  「耶蘇教が、ご禁であるのは、知っておるな」  「存じております」  「切支丹と別れば、死罪は免れない。それも、存じておるだろうな」  「知っております」  「それで、寺では、本を読んでいただけか」  「いえ、祈りもしておりました」  「祈りとは、神を敬うことか」  「天にまします、我等のイエスに全身全霊を上げて、帰依するための祈りです」  「お前らに神は絶対なのか」  「そうです。宗教の心は、絶対です」  「お上には、それが、危険なのだ」  「・・・・・・」  「お前らは、 切支丹寺に移送されることになるが、その前に、町奉行の調べがある」  畠山は、そう言って、穂積に目配せして、交代した。穂積は、陪席の席を動かずに、横に座ったまま、二人を尋問した。  「わしは、神田・庵町の剣道場主の失踪事件を捜査しているものだが、おぬしらは、深川の四軒長屋で、昔、浮世絵師の歌麿が住んでいた家に行ったことはないか」  久乃はそう言われて、穂積の顔を穴の空くほど見つめてから、  「いえ、存じません」 と嘘を言った。久乃には、信仰上のことでは、自分の心に、素直で誠実でいたかったが、市井の雑事では、そうである必要はないと考えていた。  「万次郎はどうだ」  「同じです」  「では、聞くが、この品物は、久乃の物であろう」  穂積は、あの長屋で拾った袱紗を、白州の役人に持たせて、久乃の面前に置いた。久乃は、それを両手で持って、じっくりと、触って見たあと、  「確かに、わたしの物です」 と言って、首をうなだれた。  「ということは、あの部屋に行ったことがあるという証拠ではないか」  久乃は観念した。  「行ったことはあります」  「何度くらいだ」  「二、三度です」  「何をしていた」  「仲間の講です」  「講というのは、頼母子講のようなものなのか」  「いえ、そういう金銭的な助け合いではなく、宗教の教義を一緒に学ぶ会です」  「耶蘇教の教えを学ぶのか」  「そうです」  「その隣に、美代香という唄の師匠が住んでいたのは知っておるか」  「いえ、知りません」  久乃はここでも、嘘を言った。  「その女と先程の剣道主が、昵懇だったのだ。そして、同じ頃、姿が見えなくなったのだ。なにか、心当たりはないか」  久乃は、考え込んで、隣の万次郎を見た、万次郎は、軽く、頭を振って、  「いえ、知りません」 と穂積の方を向いて答えた。  「久乃も知らんというのだな」  「はい」  「ところが、お主ら、集まっていた歌麿の家と美代香の家の間の板壁は、外せるようになっていたのだ。これは、二つの家が行き来していた証拠ではないか」  「そんなことが、あるとは、始めて聞きました」  久乃は三たび、嘘を言った。  「飽くまでも、この件は知らぬと言い張るか」  「・・・・・・」  「それならば、仕方がない。こちらには、他にも証拠があるが、お前らの犯行には、信仰の経緯が密接に絡んでいると思うので、寺社奉行のさらなる調べの結果を待って、続いての尋問を行う。畠山様どうぞ」  こうして、連携して、罪人を調べるのは、古来変わらぬ、尋問の手法だ。  「さて、それでは、お前らが、耶蘇教に入信したきっかけだが、それは、なんだ」  これは、機微に触れる質問だった。下手に答えれば、信徒ら全員に咎がかかる。だが、久乃は、この問は、予想していたのか、即座に、  「実は、私は西廻り廻船で長崎に回航し、あの地十数日間、滞在しましたが、そこで、この万次郎の出自を調べたのです。ご覧の通り、万次郎は、異形の顔をしています。外国人の血が入っているのです。長崎生まれだということは、分かっていたので、長崎奉行所に出向いて、人別帳を調べました。すると、出島のオランダ屋敷の館長の娘の子供ではないかということが、記録から判明したのです。米沢に養子に出されたという記録もありましたが、それは、記録のうえだけのことで、その先は分かりません。それでも、諦めきれずに、周辺を探るうちに、赤子のときは、天草出身の農家の娘の乳母に育てられたことが、分かりました。私達は、その乳母を探して、天草に行きました。そこで、隠れて耶蘇教を信じている人たちに出会ったのです」  「そこで、勧められて入信したのか」  久乃の嘘を、畠山は追いかけた。  「その通りです」  畠山はその説明に納得したらしかった。畠山は、かつて、長崎奉行所にも勤務していたことがあったから、この説明には頷けた。当時は、徳川幕府の禁教令が出た直後、天草を中心としたキリシタンの取り締まりに苦労したのだった。   「江戸に来てからは、同志はどうやって探した」  畠山にはその質問は、肝心だった。どのくらいの規模で、江戸に隠れ切支丹がいるのか。最新の情報が、得られるかもしれない。  「それは、それなりの道があるのです。信者の連帯感は強い。仲間とあれば、何処までも、助け合うものです」  久乃は胸を張って、そう断言した。  「蛇の道は蛇というわけだ」  畠山の質問が中断した。穂積が、交代して聞いた。  「それで、なぜ、歌麿の家に行ったのだ」  それも、肝心な質問だった。その動機によって、美代香らの失踪事件との関連性が分かる。  「長崎での調査で、万次郎の母が、西洋画を習っていたのが分かりました。それで、その先生が寄宿していた寺に行って、師範に話を伺いました。そこで、歌麿が若いころ、長崎で修業をしていたのが、分かったのです。歌麿には、わたしは、昔から関心があったので、熱心に調べました。すると、歌麿が、この万次郎の身元の引受人になっていたことが分かったのです。ですから、なにか手掛かりがないかと、あの家を訪ねたのです」  「歌麿は既に処刑されていない。それでも、家にいったのは、他に目的があったのではないか」  穂積の追及は執拗だった。  「はい。そうです」  久乃はここでも、素直だった。  「それは、なんだ」  「はい、実は、歌麿も、われわれと同じ、信徒だったことが、天草で分かったのです。彼は最後の遺作でもいいから、立派なマリアとイエスの像を描き残したい、それが、画家としての最大の夢だ、と言っていたのを覚えていた年寄りがいたのです。わたしたちは、そのピエタ像をどうしても、見たかった、それで、あの家に行ったのです」 「あの、祭壇の裏にあったのが、その遺作か。家主も、あれが、あるので、次の人に貸せなく困ると言っていた。一世を風靡した絵師の遺作だ。処置に困って、あのままにしてあるのだそうだ。そのことは、知っていたのか」  「それは、信徒のあいだで、噂になっていましたから。でも、見たいが見に行ったら隠れ切支丹と分かってしまう。行きたくても行けない、というのが本当のところです」  「それをお前たちは、見に行った」  ここで、久乃の表情が、怒りを帯びて、厳しくなった。  「あんたがたのやり方は、分かっているからね。ああして、あの家を放っておくのは、信徒がやって来るのを待つためなんだ。そんなことは、こっちは、重々承知のうえだよ。あんな囮を残して置いて、罠を掛けるとは、姑息な仕業だわ」  そう言われて、穂積も気が付いた。  (そうか、あれは、寺社奉行の仕組みか。迂闊だった)  穂積は、畠山を見た、畠山はそしらぬ顔で野積を見返した。  (すると、美代香が、あの家に住みつづけていたのは、どういうことだ)  穂積には、その疑問が湧いてきた。  すると、突然、畠山が身を乗り出して、  「罠とは、物騒な。何を根拠に、そんなことを言うのだ」 と問い詰めた。  「美代香の家との板塀が、なによりの証拠だろう。美代香は、表向きは、歌の師匠の看板を掲げているが、実は、奉行所の諜者だったんだ。私の前の主人殺しで、調べを受けたときに、私が江戸所払い、国帰しの罪を受けたのに、あの女は、お咎めなしだった。おかしいと思っていたが、その謎が、あの家に行って解けたのだ。だから、思い切り、儀式をしてやった。いかにも隠れ切支丹らしい、行事をしてやったのさ」  その答えを聞いて、穂積は、畠山らが、手入れを急いだ理由が分かった。かれらは、もう少し、泳がせて、一味を一網打尽にしたかったのに違いない。  (それをわしが、いらぬお節介をしたばかりに、小魚で終わってしまった)  町奉行所の役人として、無事に務め上げようとしていた穂積だったが、最後の最後に、巧妙心から要らぬ汚点を残したと、じくじたる思いがした。  だが、穂積は、行く方不明者の跡を追わねばならない。  「その儀式をして、どうなった」  「美代香は、様子を探ろうと、壁に密着して聞き耳を立てているのがわかった。それに、男を引き入れては、二階の部屋で、乳繰りあっているのも、もう分かっていたから、万次郎と二人で、踏み込んだのだ」  「踏み込むというのは、あの壁を破壊してか」  「そうです。万次郎が、体当たりして、こじ開けた。すると、美代香は、驚いて、逃げようとした。一緒にいた男の陰に隠れて、身を縮めていた。でも、抵抗はしなかった。なにしろ、彼らは、薄衣一枚しか身に着けていなかったからね。事のついでに、こちらを探っていただけなのだ。奉行から無理やり仕向けられた仕事だが、大した稼ぎには、なっていなかったのだろうね」  畠山は、むっとして、露骨にいやそうな顔をした。  「そうして、お前らは、二人をどうしたのだ」  「捕まえて、一つの縄で縛り、壁を通って、隣家の一回に連れていったのです」  「連れていってどうした」  穂積の追及は、山場を迎えた。  「お説教をしました」  「説教か」  「それは長い時間掛かって、心の掃除をしてもらいました」  「なにをしたのだ」  「まず、汚れた心を真っ直ぐに見据えることから始めました。何しろ、彼らは、成さぬ仲になっていたのです。男と女の仲で、人としてしてはならないことをしているのだから、そのことを深く、考えて貰い、懺悔を聞きました」   「かれらは、懺悔したのか」  「最初は嫌がっていましたが、小口の家の家内のことや、子供のことを問い詰めると、反省を始めました」  「二人共か」  「私は、美代香には、因縁があります。前の夫を寝取られ、子供まで出来たと言われて、脅迫された。その結果、家財を失い、身ひとつで、田舎に帰されたのです。考えれば、深い怨念もある。それに、子供が出来ない私には、子を成した女というだけで、女としての恨みも感じていました。でも、そういうことは、信仰の中で全て、私の心のなかでは、決着が付いているのです。わたしには、決着が付いていても、ここに、依然として、男の間を彷徨い、浮かれてその日を暮らしている女がいる。それが、亡くなった前夫の関係した女だと思うと、放って置けない気持ちになった。だから、懺悔をしてもらおうと思ったのです。これは、私のためではない、あの女のためです」  「それは、理屈だな。それで、美代香は、素直に、従ったのか」  「いいえ。でも、最後には」  「そうだろう。素直に、懺悔するとは思えぬ。無理やり、させたのだろうな。どうやって、させたのだ」  穂積は、流石に、熟練の腕を見せた。細かい所を、巧みに突いていく。  「はい、仕方ないので、秘薬を使いました」  「秘薬とは、なんだ」  「長崎で入手した西洋の酒です。飲ませて、信徒の告白に使うものです」  (それは、あの葡萄酒だ)  畠山は、心中でそう気が付いた。  「それで、旨く行ったのか」  「それなりに。彼らは、悔い改めることを始めました」  「反省したのだな」  「そうです。でも、それだけで・・・・・・」  久乃は、言いよどんだ。  「口先だけでした。主は、心からの償いしか、求めません。上辺の繕いは最も嫌うところです。彼らの魂は、まだ、汚れていた」  「だから]  [だから、もっと、強い支えが必要でした」  「それは、どういうことだ」  「自力で、できないのなら、助けがいるということです」  「助けとは」  「わたしたちの力では、限りがあるのです。ですから、もっと、強い、薬をと」  「薬を飲ませたのか」  「はい」  「あの鍋にあったものか」  「はい、私が、独自に工夫した薬です」  「それを食べさせたのか」  「儀式ですから」  「なにを入れたのだ」  「河豚の白子です」  「毒を抜かずにか」  「はい」  「それは、危険だ」  「確かに、危険でした」  「それで、死んだのか」  「彼らは、食べたあと、すぐに苦しみだしました。水を飲ませても、だめで、体を揺すっているうちに」  「意識を失って、死んだ」  穂積は、探していた二人が、殺されたことを知らされた。しかも、宗教的な儀式を装って。  自白した久乃は、しらっとしていた。むしろ、さっぱりした表情で、瞳は輝いていた。となりで、図体が大きい万次郎が、ただ、うなだれて、かしこまっているのとは対照的だった。  「死体はどうした」  誰もが一番知りたいことを、畠山が尋ねた。  「それは、天に昇りました」  万次郎が、久乃を遮るように、答えた。  「天に昇る、とは、また大仰な。どこに隠したのだ」  穂積は、動じないで、追っ付けて聞いた。  「我々に取っては、聖なる地です。昔から、非業の死を遂げた信者は、その場所に祭ることになっている」  畠山には、その場所の心当たりがあった。  昔、江戸で大掛かりな切支丹狩りが行われたとき、秘密の葬祭地が明らかになったのだ。  それは、意外や、神田明神の裏の崖下にあった。幕府は、その場所を出入り禁止にし、入り口の土を盛り上げて、封鎖した。だから、今では、一見しただけでは、ただの土手があるだけしか分からない。しかし、畠山らの調べに当たった役人や信徒等は良く知っていた。信徒等にとっては、むしろ、その場所は,一種の聖地になっているが、表立ってその地を訪れることは出来ない。時折、祝祭日や思い出の日に、通りかかって祈るか、せいぜい、小さな花を手向ける程度である。  畠山は、  「あの地であろう」 と久乃にたたみかけた。  目配せされて、久乃は、ただ、目使いで、うなずいた。  これで、調べは終わった。久乃と万次郎は、お白州から、引き立てられて、牢に帰っていった。  畠山は、その日の午後、与力、同心らに地回りの親分連中を引き連れて、神田明神下に出向き、異教徒との墓地の場所を掘削して、内部を調べた。蝋燭の火を頼りに、内部に進むと、足元に新しい踏み跡があり、地面に何かを引きずったような筋がついていた。  さらに内部の祭壇には、男女の二体の遺体が並べられていた。かなり、腐敗が進み、顔からは判別が困難だったが、衣類や持ち物などから、その遺体が小口新太郎と美代香と確認された。  祭壇の遺体は、両手を胸に置き、その手には、金属製の十字架が握られていた。このことから、彼らが、ご禁制の耶蘇教徒であることは、明らかだった。  この様子を、目前にして、畠山は、思った。 「この死にはいったい、どういう意味があるのか。別にこの二人は、異教徒として死にたかった訳ではないだろう。それが、こうして荘厳に十字架の前に祭られている」  「それが、宗教というものの、恐ろしさです。これを大御所様は一番、恐れていた」  久乃は今も、自分がしたことを、人助けだと思っているに違いない。魂を救ったのだと言い張っている。だが、このことで、自らの魂は、救いようのない場所に行ってしまったのを、彼女は知らない。  出羽の国・酒田の隠れ切支丹は、鎖国の三百年間を生き延び、出羽三山の山岳信仰とも融合して、独特の民間宗教となった。その地で、隠れ切支丹が発見されたのは、明治時代になってからだった。  「父の仇討ちのために」 と剣道の稽古に力を入れて、道場に通い、その道場主の跡取り息子と親友になった津島小一郎少年は、母がしたことが理解できなかった。仇討ちが武士道の精神の華なら、殉教は切支丹の宗教的美学だと、考えられないこともないが、  (結局、母は私に本当の父を教えないで、自分の愛のために、殺された) と想うと、無性にこの母が哀れになった。  一時は、新一郎の義憤に同情して、父と母とを自分たちの手で、諌めようと計画も練ったが、結局は、実行は出来なかった。ただ、母が男と出奔してからは、せめて家の体面を守ろうと、世間に悟られないように、一人で頑張ってきたが、死んでしまったと分かれば、やはり、愛しさが募る。  だが、その母は子供の養育のために命を掛けたような風を装いながら、結局は、男のもとに走って、小一郎は、捨て置かれたことは、紛れもない事実だ。 (何が仇討ちだ) と小一郎は、悔しさを噛み締めた。  (こうなれば、この剣の腕を生かして、天涯孤独で生きていくしかない)  また独り、江戸の町に、孤刀に頼る無頼の剣士が誕生しようとしていた。  二人が、神田明神下の洞窟で見つけた繭のような白い柔らかい物は、春になって、中にあった黒い塊が、すべて干からびて、黒い色が滲み出し、真っ黒に変色し、異臭を発し始めた。  二人は、それらをすべて、取り出して、釜戸にくべて焼却した。だが、良く数を数えてみると、持って来た時より、少し数が少なくなっているのには、気が付かなかった。   繭のいくつかは、既に羽化して、大空に飛び立っていっていた。それらの虫達は、この広い江戸の町のどこかに新しい卵を産み落とし、子孫は確実に増えていくはずだった。  この世に頼るもののいない天涯孤独の身となった無頼の剣士、津田小一郎とその幼友達、小口新一郎が、それらの子孫と対峙するようになるのに、そう時間はかからなかった。 (終わり)