(一)  米国東海岸。マサチューセッツ州ノーフォーク。鉛色の空が水平線まで垂れ込めた海を望む海岸沿いの別荘。切り立った崖の上に、一戸だけポツンと建っている二階建てのアーリー・アメリカンスタイルの木造の建物。  夜十時すぎ、一階の一部屋だけに明かりが灯っている。十畳ほどの広さの書斎の奥。広いデスクの隅に青白く光るパソコンのディスプレー。デスクの前の背もたれの高い牛革製の椅子に、縁なしの眼鏡を掛けたブロンドの女性が、仰向けに座って、天井を向いて、目を閉じていた。  遠く規則的に浜辺に打ち寄せる波音が聞こえる。海を渡る鳥の群れの鳴き声が、時折、夜の静寂を破る。高く、切ない鳴き声だ。  その女性は、年齢三十代半ば。肌は小麦色に焼け、その健康を偲ばせる。整った顔付きは精悍で、二重瞼の奥の眼光が鋭い。全体的な印象は、映画女優のキャンディス・バーゲンに似ているが、それほどには隙がない。キャンディス・バーゲンから、軽さを取り払い、鋭さを付け加えた容貌だ。唇は薄いが、口が開いた時に、見え隠れする白い歯の歯並びが整っている。鼻は鋭く高いが、大きくはなく、バランス良く顔の真ん中に収まっている。  目つきの鋭さと頬のこけた直線的な顔付きは、彼女の職業から来るものらしい。  パソコンの画面には、彼女が、送信中の電子メールが、表示されていた。  その文面はーー。  「親愛なる日本警察庁外国課長、吉村秀典殿。本官の貴国滞在中は、多大なる御厚志を賜り、誠に感謝に堪えません。  ところで、貴国警察庁ならびに他県警資料課において収集した多数の未解決事件資料の分類、整理および分析作業は、やっと最初の一歩を踏みだしたばかりですが、最初の作業段階において、本官の興味を引く事件が、検索されましたので、さらに詳細な事件報告書の送付方お願いいたします。  その事件名は以下の通りです。  1 一九九五年十二月十一日、千葉県浦安市の東京湾岸堤防近くで発見された五十歳代の男性絞殺体事件  2 一九九六年九月二十日、埼玉県坂戸市郊外の河川において発見された六十歳代男性の水死体事件  3 一九九六年十二月二十日、東京都千代田区一橋一丁目の歩道上で発見された六十歳代男性の転落死体  4 一九九六年十二月二十五日、東京都渋谷区国代々木の都道上で起きた五十歳代男性の引き逃げ轢死体事件  5 一九九七年三月四日、秋田県八郎潟町の開墾水田内用水路内で発見された五十代男性の薬殺死体事件    以上、五事件の内容について、詳細を記録した事件ファイルと捜査資料の送付方、宜しくお願いします。  一九九七年三月五日  米国政府連邦捜査局未解決事件調査班専任捜査官                      ジェレミー・リッチフィールド」  長い背もたれに座っていた女性は、この電子メールが終了したのを確認すると、コンピューター画面上の「eーメール」表示にカーソルを移動し、そこをクリックして、インターネットから抜けた。そして、ウィンドウズの「終了ボタン」をクリックして、電源切断状態にしたあと、メーンスウィッチを切った。ディスプレー上を青い光が、スーッと一点に収縮して、画面が暗くなった。部屋にある明かりは、デスクの右上から差し込む、スポット・ライトだけになった。  「さあ、そろそろ、寝ましょう。今日は一日中、この資料検索に掛かりきりだったわ。その苦労の甲斐はあったようだ。何か、一本の光が見えてきたような気がする。一筋の光がこの五つの事件を繋げている感じがある。日本の捜査当局が、解決できずにいるこの五つの事件を、私の灰色の脳細胞が解いてみせるわ、必ず」  そう独り言を呟きながら、書斎の明かりを全部消して、部屋を出て、二階の寝室に向かった。  夫婦の寝室では、ダブル・ベッドの右側で、夫のジェームズ・リッチフィールドが、すでに高いいびきをかいていた。こうして、熟睡している夫の横のベッドに滑り込むのには、もうすっかり慣れていたが、むしろこのごろは、そうすることに、すっかり、嫌気がさしていた。  (いい歳をして、いつまでもダブル・ベッドだなんて、全く面倒だ)  彼女が日本に派遣されていた一年間が、懐かしく思い出された。  (宿舎だった警察の独身寮は、狭かったけど、独り暮らしの自由があったわ。室内は狭くても、精神は開放されていた。あの時の私は、溌剌として輝いていた。帰ってきたら、部屋は広いけど、心の自由がないわ)  ジェレミーは、明日にでも、この夫に、  「ベッドを別にしよう」 と宣言するつもりになってい。それは、十四年間、連れ添ってきた夫への、精神的訣別宣言になるはずだった。  (このごろは、彼も私を求めなくなったし、私も彼に性的欲求を感じなくなった。お互いに仕事が忙しいからかも、知れない。それとも、飽きてしまったのかしら)  彼女にその答えは分からなかった。ただ、もし、深い愛情に結ばれていた夫婦に、倦怠期が忍び寄るとしたら、それは、こうしてなのかもしれない、という思いはあった。すなわち、互いのことに全く興味も関心もなくなり、あきてしまう。だが、多くの夫婦は、そういう時期を迎えても、別れたりはしない。長い同居生活の蓄積が、歯止めになるからだろう。  (でも、私達は、どうなのかしら)  そう考えてもみたが、やはり、世間の夫婦と同じように、別離の方向に向かうことはないだろう、と思い直した。   (それほどまでに、私達はお互いの存在を空気のように当然のものとし、受け入れているのだから)  ジェレミーの胸中には、僅かに涼風が吹きはじめていたが、まだ、嵐ではなかった。  それより、いま、取りかかろうとしている仕事への関心が、彼女の頭脳の大部分を占めるようになっていた。  業務交流で派遣されていた日本の未解決事件の解決の糸口が、彼女が独自に考案した手法を応用することによって、見つかるかも知れないのだ。この彼女がそのキャリアの全てを掛けて、開発した手法の最初で最良の応用ケースになるかもしれない。日米捜査交流で日本に派遣された成果が、早くも、実るかもしれない。  ジェレミーは、  (明日は二つのことをしなければならない)  とダブルベッドで夫に背を向けて眠りながら考えていた。  一つは、「別ベッド宣言」、そして、もう一つは、「五つの事件の分析着手」だった。  電子メールを送信したのは、前日の夜十時すぎだったから、日本はもう翌日の午前中になっているはずだった。  その電子メールを受け取ったのは、東京・霞が関の中央官庁街にある警察庁・外国課長。吉村秀典警部だった。吉村も数年前、日米捜査交流で、ニューヨーク市警の資料調査課に、約一年間、派遣されていたことがあり、米国流の警察制度や捜査手法を肌で体験していた。  ジェレミーが、日本に滞在中は、案内係を引き受け、いろいろと面倒を見ていた。  吉村は、出勤直後に開いたコンピューターのインターネットファイルに、ジェレミーからの電子メールがあるのを見つけ、それを受信箱に格納し、その英文をディスプレーで確認したあと、全文をプリンターでプリント・アウトした。  ジェレミーのメールは、五つの未解決事件の詳細な報告書の送付を求めていた。その捜査資料は、警察庁の倉庫にある未解決事件ファイルに収められているはずだった。だから、それを探し出してくればいいのだが、ディジタル化された情報ではないので、インターネットのメールで送るには、英文に翻訳した上で、コンピューターに打ち込まなければならない。それには、莫大な時間と労力が費やされなければならない。言うは易く、行うは難い。そう簡単な作業ではない。  だが、あれほど親しく、心を通い合わせて国際親善の実を上げた相手のことだ。無碍に断る訳には行かない。  吉村にはこの作業を行うだけの時間も人手もなかった。  (が、要点を絞って、ポイントだけを送ってやればいいのではないか)  吉村はそう考えて、いくつかの疑問点を問いなおしてから、要求のあった資料に当たることにした。  まず、なぜこの五つの事件の資料をジェレミーが必要としているのかを聞かねばならない。そうしない限り、彼女が求める情報のポイントを失することになる。求める点がハッキリすれば、的確な回答ができるだろう。  吉村は、質問を認めた。  1 なぜ、この五つの事件に絞って、資料を求めるのか。 2 どの程度の内容が欲しいのか。事件の概要、発生日時、場所、関係者程度でいいのか。 3 捜査の過程と進展具合は必要か。 この三点について、質問を送り返すことにし、英文に翻訳して、電子メールを返信した。    地球を半周してきた吉村の返信を受け取ったジェーミーは、その翌日の夜、吉村への回答をパソコンに打ち込んでいた。  ーー まず1への答え=この事件はいずれも、共通事項がある。それは、被害者の五人がいずれも、かつて同じ職業経験があり、場合によっては、同じ会社に勤めていた可能性もあるのではないか、という疑問がある。  2への返信=関係者、確定した殺害方法、被害者の履歴についての詳報を知りたい。事件の概要は簡略でも結構。被害者の履歴、利害関係は詳しく。  そして、最後の3には=なぜ、未解決になっているのか。解決への障害は何か。解決への突き破るべき壁はなにか。  以上を認めて、電子メールをフォルダーに入れ、送信ボタンをクリックした。そのあと、この夜も、全ての電気を消して、二階の寝室に上がっていった。  この朝、彼女は、予ての予定どおり、夫に向かって、「別ベッド宣言」をした。夫は、驚いたようだったが、案外あっさりと、承諾した。それは、彼女が予想していたこととは、違っていたので、拍子抜けしたほどだ。夫の承諾を得たとき、彼女は、  (夫も同じことを考えていたのだろうか。あの人も、もう、うっとおしく思うようになっていたのだろうか)  と考えたが、口には出さなかった。言葉に出して言ってしまったら、抜き差しならない事態を招くとも限らなかったからだ。それは、互いに、警戒していた、いまさら、面倒な事は起こしたくなかったし、今の生活が、続いていくほうが、なにより、楽なことは間違いなかった、  (それに、私には、いま取りかかりはじめた、壮大な仕事がある。夫婦のことでこの仕事を煩わされたくない)  彼女は、そう考えながら、寝室の隣にある、ゲスト用のベッド・ルームに入り、一人で寝る用意を始めた。それは、せいせいとした気分だった。  (ああ、のんびり出来るわ。一人で休むのがこんなに解放感があるなんて)  部屋の脇にある小さなシャワー・ルームで、暖かいお湯を全身に浴び、すっかり体の垢を洗い流したあと、ゆったりとベッドに横たわると、すっかり、昼間の根気の入る作業の疲れが、抜けて行く気分がした。    警察庁・外国課長の吉村警部は、ジェレミーへの返信メールを、送信した。  それは、役所の文書らしく、簡潔に要点だけを纏めた文書で、ジェレミーの求めた事項をほぼ満たしていた。ただ、彼女が、推定している1の「同じ職業経験がある」という点と被害者の履歴については、最新の捜査資料が手元に無かったので、空欄としておいた。  「未解決への障害」も全ては、その被害者の身元の確定にかかっているので、答えていない。  従って、吉村の返信は、ジェレミーの要求を全て満たすものではなかった。しかし、それぞれの事件の発生状況は、詳細を極めており、殺害方法についても、断定的な意見を述べていた。  吉村は、それらを、簡潔にまとめた文書を、作成し、英文に翻訳して、直ちに、ジェレミー宛の電子メールを送信した。  地球の向こう側では、結婚以来初めて、一人でベッドで熟睡したジェレミー・リッチフィールドが、この夜も連日のディスプレーの画面上の作業に没頭していた。そこには、彼女が日本の警察庁の友人に要請した事件の報告が、簡潔な英文で表示されていた。  彼女は、その文書を一覧すると、プリンターのスイッチをいれ、その文書をプリント・アウトした。これで、保管用にハード・コピーが手元に残る。  彼女の電子メールホルダーには、この件に関連した、その他の文書も入っていた。それらは、この五つの事件の詳細を綴ったもので、小説ふうな表現になっていたから、その方が彼女には、興味が引かれた。かなりの長文だったが、読んでいて、時間の経過を忘れるほどに、彼女は引き入れられた。  (探偵小説を読んでいるのと同じくらい、面白い)  インスタント・コーヒーを入れたカップを手に、夜食のクッキーを齧りながら、青白いディスプレーの画面を眺めていると、この季節の外の暗鬱な風景と荒々しい気候とを忘れて、心の中に構築される精神世界にどっぷりと浸かることができる。  ジェレミーは、その一つ一つをじっくりと時間を掛けて読み、その全てをプリント・アウトした。  それは、物語風に綴られた以下のような、内容だった。 (二)  一九九五年十二月、師走の風が冷たさを増した千葉県浦安市の東京湾岸第三埋め立て地の堤防突端上で、角砂糖に群がる蟻のような形に、人が群がっていた。  その人数は十人ばかり。いずれも濃紺の長いレインコートを着ているので、同一の組織の人間だということが分かる。コートを近寄って見ると、背中に白い字で「千葉県警」と書いてあるのが分かる。  その群れは警察官たちだった。  その群れの人々の中に、分け入ると、円陣の真ん中にビニール・シーツを被った死体があった。死体は男のもので、年齢は五十代半ば、毛髪がすでにかなり白くなっていて、白と黒が半々くらいになっていたが、量は豊かだった。ロマンス・グレーというのだろうか、白黒の比率が半々ということが、この死体の顔に、少なからぬ鮮明さを与えていた。瞼は閉じていたが、その下の鼻は整った形で高く、唇は薄かった。  全体的な感じは、会社員なら上級管理職か経営者風で、着衣も仕立てのよい背広とズボンのツーピースには、仕立てた洋服店のタッグが付いていた。それは、銀座の有名な洋服店で、水玉模様のネクタイやワイシャツにも同じ店のマークがあった。  取り囲んだ人たちの中には、カメラを持った鑑識課員らしい人もいて、死体の周辺まで入念にシャッターを押して、写真を撮っていた。  その人だかりから、百メーター位離れた駐車場に、横腹に「千葉県警」と書かれたライトバンが、停まっていた。中に四人の男がいた。二人は、先程の人の群れと同じ服を着ていたが、あとの二人は、長靴を履き、日差し避けの野球帽を被って、沢山のポケットが付いたベストを着た、三、四十代の男だった。  警察官と思われる初老の男が、机を挟んで向かいあった男たちに質問した。  「ところで、あの仏さんの発見時の状況から話してくれないか」  その警官の正面に向かい合って座ってい四十からみの男が、口を開いた。  「ええと、私達は、昨日の夜から、この堤防で夜釣りをしていたんです。私達は、釣り仲間で毎週金曜日の夜には、この堤防に来て、釣りをしています  と言って、隣に座っている若い男に、顔を向けたあと、さらに話を続けた。  「昨日は金曜日でしたから、いつものように、夜の八時頃から竿を降ろして、釣りはじめたのです」  「そのころ、堤防には、何人くらいいたかね」  「全部で十人くらいですね。皆、堤防に並んで糸を垂らしていました。外は暗いですが、夜釣りの浮きには電池式のライトが付いているので、海に浮かんだ光の数で大体の人数は分かります。光が波に揺られてプカプカしているのを見るのは楽しいものですよ」  「それで、その釣り糸に、あの仏さんが掛かっていたというわけだね」  警官が念を押して聞いた。  「いや、プカプカ浮いている浮きの明かりに照らされて、浮きの間に黒い物が浮かんでいるのが見えたのです。何だろうと思って、皆で顔を寄せ合ったんですよ」  「その黒い物は、初めから浮いていたのかい」  「そうでしょう。でも私達の眼には、突然浮き上がってきたように見えました。それは、もう十二時を回ったころでした」  「何時だね」  「そうですね。彼が携帯テレビを持ってきていて、見ていたんですが、NHKの放送終了の画面が出てからすぐでしたから、ちょうど、十二時を回って、今日になったころではないでしょうか」  「それで、みなで引き上げた」  「はい、わたしたち二人では無理だと思っていたので、隣にいた釣り人にも手伝ってもらって、五、六人で引き上げました」  「警察に連絡があったのは、午前三時過ぎだから、かなり時間が掛かったんだね」  「そう、引き上げだけ一時間くらい掛かったでしょうか。それで、土座え門と確認してから、携帯電話で110番通報したというわけです」  若い男は、一言も話さなかったが、その年上の男の言うことに一々、頷いていた。  それだけのことを聞くと、初老の警官は、  「分かりました、では、ここに署名して、お引き取り下さい」  と言った。  差し出されたのは、第一発見者調書という表題のある書類だった。その証言者欄を指差されて、二人は素直に自分の住所、氏名、年齢を書き入れた。その下の罫線が印刷されている本文欄は空白で、一番下に千葉県警司法警察員、丸山常男警部という名前が、既に記されていた。  二人の男は、今まで自分たちを尋問していた男が、そういう名前だと、この時、初めて知った。そして、空白欄には、今、自分たちが話した内容を、この男がまとめて記録するのだろうと、想像した。  こうして、その溺死体は、寒風吹きすさぶ東京湾の中から浮上して、とにかく、我々の前に姿を表したというわけだ。  警官たちは、遺体を搬送車に乗せ、千葉大学付属病院へ送った。そこで、同大学医学部法医学教室の主任教授、管昭三の執刀で、司法解剖されることになっていた。  その作業と同時に、警察官たちのとっての行わなければならない最初の仕事は、仏さんの身元確認作業だった。  着衣から取り出した所持品が一点一点確認された。背広の胸ポケットに入っていた定期入れの中の通勤定期は、地下鉄東西線浦安駅から大手町までとなっていた。期限は一九九六年一月十五日までの六か月定期だった。定期に書かれた名前は、神村清次、五十七歳となっていた。しかし、これだけでは、住所や通勤先は分からない。  身分証明書があれば、それらはすぐに、判明する。胸の内ポケットには、牛革の長方形の財布があった。中には一万円札が五枚と五千円札が一枚、千円札が三枚の合計五万六千五百円分の紙幣が入っていた。それと、東京駅にあるデパートの領収書が二、三枚。洋画館の入場巻の半券とキャッシュ・カード二枚とクレジット・カード一枚があった。カード類には名前が入っていたが、それは、定期券の名前と同じだった。そのため、遺体の名前は、神村清次という名前である可能性が強まった。  財布にはさらに、数枚の乗車券があった。  ズボンのポケットには、小銭入れがあった。広い口に金属が入っているがま口で、両端を押すと、開く仕掛けだ。中に、五円玉一個と十円玉が五枚、百円玉が八枚入っていた。  背広の外ポケットには、街頭で配っている小型のポケット・ティッシュが二枚、それと、男性用の避妊具(コンドーム)の袋が三つ見つかった。  この中で、捜査員が特に注目したのは、財布にあったJRの乗車券だった。長く海水に浸かっていたにしては、革の財布の中にあったためか、印面は滲んでおらず、印刷された字が読めた。それは、首都圏から長野県松本駅までの乗車券と特急「あずさ」の特急券であることが確認できた。  乗車券には、既にそれが使用されたことを示す、スタンプが押してあった。その日にちは、十二月十八日だった。死体の発見日の一週間前である。    千葉大学医学部での司法解剖の結果は、次の通りだった。  「死因は、頸部の圧迫による窒息死。気管支および肺などの呼吸器には損傷少なく、消化器も正常だった。そのいずれにも生活反応は認められなかった。頸動脈の鬱血と損傷が大きく、外部から強い機械的な力を受けたものと思料される。頸部外皮に擦過傷が認められる。細い紐か針金類の金属で絞めたための傷痕と思われる。  検体の外見的計量値は、身長一六五メーター、体重六十五キロ。中肉中背。背中に市販が多数認められた。また、細かい縦の擦過痕あり。  以上のことから、死因は、推定されたように水死ではなく、頸部の外部圧力による窒息死と判断する。  死亡推定時刻、十二月初旬」  この報告書を受けた千葉県警察の刑事部は、騒然とした。なぜなら、その報告は、その仏さんが、水死ではなく、絞殺体であると断言し、事件の疑いを示していたからだ。  刑事部は慎重に検討した上、これを殺人事件と判断、身元不明のまま、浦安署に捜査本部を設置して、捜査に乗り出した。     *     *     *    埼玉県警坂戸署の当直係長、米田正作警部補が、その緊急連絡を電話で受けたのは、当直勤務に就いて、一時間ほど経っていた夜の十時過ぎだった。それは新河岸川でザリガニ釣りをしていた子供の父親からの通報だった。  電話口で、その男は、  「新河岸川の中に黒いビニール袋が浮いているのを、子供たちが見つけ、川岸に引き上げたと言うんです。子供たちは好奇心から、その袋の一部を破って、見たのですが、開けた途端、酷い悪臭がして、すぐに、袋を縛り直して、逃げてきたというのです。念のために、お知らせします」  と言った。米田警部は、その男から名前、住所と年齢、連絡先の電話番号を聞いて、その子供たちが異様な黒いビニール袋を見つけた場所など詳しい情報を、聞いてメモした。男は、  「発見場所については、今からファックスを送る」  と言って、電話を切った。  米田警部は、そういう類の電話は、当直中は、たまに掛かってくるので、一応、型通りの応対をしただけで、大して気にも止めず、電話受信簿に概要を書き止め、  [明日にも、担当交番に連絡]  と処理方法の欄に書き入れ、そのまま、当直勤務を続けた。  その夜は、その後もこれといった事件もなく、米田警部の当直は、平穏に終わった。事件性のあるものは、最初に連絡があった「ビニール袋」の一件だけだった。  夜が明け、交番の警官も勤務を交代する頃を見計らって、米田警部は、警察電話で、その新河岸川の河原が担当地域である坂戸南交番を呼び出した。  電話に出たのは、若い警察官だった。巡査クラスと思われるその警官は、  「吉田ですが」  と名前を名乗り、米田からの連絡を一言も逃さないように、注意深く聞いた。  「了解しました。さっそく、現場へ行ってみます。のちほど、連絡します」  と大きな声で言って、電話を切った。  米田警部が、唯一、電話での説明に手間取ったのは、現場の位置関係の説明だった。米田自身は、送られてきたファックスを見ていたので、一目で分かったが、それを詳しく説明しようとすると、大変だった。交番には、ファックスがないから,言葉で説明するしかなかったのだ。  だが、さすがに受持ち地域だけに、その若い警官は熟知しているのであろう、のみこみは速く、すぐに、位置を理解した様子だった。  米田警部は、連絡を終えて、ホッとして、当直を終え、その日の通常勤務に就いた。米田の所属は、捜査一課だったから殺人や強盗などの強行犯が相手である。  「ビニール袋が異臭がする」という通報は、この事案が米田の本来の仕事に係わってくるかもしれない最初の情報だった。その電話の男が言ったように、ビニール袋の異臭が、人の死体から出ているとしたら、これは、事件になるという予感がした。だが、犬や猫、あるいは鳥などのペットの可能性もないわけではない。  (新しい仕事が始まるのかどうか)  という期待感と恐れとに、まとわりつかれながら、米田警部はその日の昼の仕事に就いていた。  米田警部が、昼食に行こうと柱時計を見たときに、机の上の電話が鳴った。電話口に出たのは、先程の若い巡査だった。  「さっそく、現場に行って調べてきました。言われたとおり、黒いビニール袋が、岸辺に上げてありまして、酷い悪臭がしていました。本官は、ビニール袋を開いて、中を見ましたところ、酷く腐敗した人の死体らしき物が見つかりました。以上、簡単にお知らせします」  「了解した。直ちにそちらへ向かう。それまで、現場保存をよろしく」  米田警部は、そう伝えて電話を切った。そして、刑事部屋にいた若い刑事五人を伴い、鑑識課員の出動も要請して、覆面パトカーで、新河岸川の現場に向かった。  太陽が真上から照りつける秋の空の下で、六人の刑事は、長く伸びた葦の束を振り払いながら、巡査に先導されて、その現場に踏み込んだ。その後ろに、鑑識課員らが従っていた。  現場の周囲には、立ち入り禁止の札を付けた黄色いテープが張られ、広い立ち入り禁止の場所を確保していた。その中で、黒いビニール袋を囲んで、現場検証が始まった。  袋を囲んだ捜査員たちが、最初に襲われたのは、一部が破れたビニール袋から流れ出てくる異臭だった。皆、一瞬、鼻を手で塞いだ。用意したマスクをして、手にはゴム手袋を嵌めた米田が、ビニール袋を注意深く取り除き、中に入っている人の死体を思われる物体を、皆が見えるように露出させた。  そく見るとそれは、確かに男の死体だった。顔はすでにかなり腐敗が進んで、半分、崩れかかっていたが、一応の輪郭は止めていた。しかし両眼には、一面、蛆虫が湧き、髪の毛は完全に抜け、後ろ側に束のように纏まって落ちていた。  体も、すでに半分ほど溶けて、肩こう骨や肋骨がのぞいていた。腰の肉も虫が食ったように崩れていて、骨盤が露出していたが、なぜか、腰から下の両脚には、皮膚と筋肉が残っていて、下半身だけが生々しく、生体の表情をしていて、異様だった。  長年の経験から、米田警部は、  (下半身は水中に沈んでいたのだろう。川の下の方は冷たいから、その分、腐敗が遅くなったのだろう)  と判断した。捜査一課一筋、二十四年の経験だった。  こうなれば、あとは、第一発見者の子供たちからの事情聴取と、遺体を埼玉医科大学へ運んで司法解剖を行うのが、段取りである。  現場の様子と死体の状況を把握した米田警部は、あとを鑑識課の作業に任せて、坂戸署に引き上げた。子供たちからの事情聴取は、部下の若い捜査員が当たることになっていた。子供たちが相手だけにそのほうが適任だ。  署に戻った米田は、変死事件の発生を捜査一課長の福田肇に報告した。  「まだ、初動捜査段階ですので、はっきりしたことは言えませんが、袋に詰められていたことからも、自殺や事故死とは考えにくいですね。これは、殺しでしょう」  米田はそう報告した。  「そうだろうな。すると、まず第一に、被害者の身元の割り出しにかからないといけない。なにか、手掛かりになるものはあるかな」  「いえ、それが、死体は、衣服を身に着けていないのです。すなわち、全裸なのです。何か遺留品があれば、ことは簡単なのですが。鑑識の結果を見ないとその点は、ハッキリしませんが」  「だが、死体の状況から、殺人と断定して、かまわんだろう」  「そうですね」  「署長と本庁に連絡して、捜査本部を設置することになるだろうな。その準備をしてくれ」  「了解しました」  鑑識の作業でも、ビニール袋からは、遺留品は発見されなかった。  司法解剖は、その夜、埼玉医科大学で行われたが、その結果は、  ーー 頸つい骨折の痕跡がありる以外、骨には異状なし。腐敗した頸部全体に紐状の絞痕が見られた。薬物使用の痕跡はない。内蔵は腐敗が進んでいたが、水を飲んだ形跡は認められなかった。以上のことから、推測できる死因は、頸部への圧迫が何らかの要因になった窒息死の可能性である。腐敗の度合いから、死亡推定時間は、発見時から、二、三日以前。なお被検死体の血液型はO型。身長一七0メーター位、体重六キロ程度、年齢六十歳前後と見られる。  その報告書は、絞殺の可能性を示唆していた。  「殺人・死体遺棄事件に間違いなさそうだ」  報告書を手に、福田課長が言った。  これらの結果を総合して、坂戸署は、  「新河岸川での男性絞殺体遺棄事件捜査本部」  を同署二階の捜査特別室に設置した。  米田警部は、部下五人を纏めるキャップとして、捜査陣に加わった。  捜査の最初のポイントは、被害者の身元の割り出しだった。ごく常識的で、正統派のやり方は、最近一ヵ月くらいの間の行方不明者のリストから、年齢、体格、、血液型なの一致する人を抽出することだ。米田警部は、この地道で根気の要る作業にまず、取りかかることにした。  最近一年間に捜索願いの出された人物のリストを、まず、坂戸周辺から探しはじめ、次ぎに、近隣市町村、そして、埼玉県全域へと広げていく。それで、だめなら、近県、関東地方、さらには、全国へと輪を広げていく覚悟だった。  しかし、米田のその覚悟は、不必要だった。  まず、取りかかった坂戸署管内の捜索届けリストの中に、死体の特徴とピッタリの人物が見つかったからだ。その人物は、ちょうど、二週間前に、自宅から失踪し、家族から捜索願いが出されていた。届け出人欄には、この男の妻とみられる女性の名前があり、住所と電話番号が記されていた。  米田警部は早速、電話でその家の所在を確かめ、その家に出向いて、妻から事情を聞くことにした。  二歳年下の、山内金吉巡査長を伴って、黒塗の捜査用車でその家を訪問した米田警部をその妻は、玄関口で出迎えた。表札に、「田中久雄」という名前が読み取れた。  「わざわざ出向いて頂いて、すみません」  と頭を下げた妻は、  「私達は、子供たちが、独立してから、二人暮らしでした。夫が、居なくなるなんて事は、とても、信じられません。ずっと一緒に暮らしてきて、無断で外泊したことなど一度もなかったものですから。夫がいなくなるなんて、本当に、驚いているんです」  頭に白いものが目立つその老妻は、そう言って、手拭いを目頭に当てた。 *    *     *  皇居の北側、お掘り端に道路を隔てて建つ長い箱型のビルの正面玄関脇の歩道上に、その男が落下してきたのは、夜十時すぎのことだった。  土曜日の夜とあって、通行人はほとんどいない。横長のビルと皇居のお掘りに沿って続いている内堀通りは、タクシーの群れで溢れていたが、車の通行量は、昼間に比べて、格段に少なかった。  だから、その男が、歩道に落ちてくるのを目撃したものはいなかった。男は、ただ、車道とビルの間にある細い歩道に落下して、即死していた。  頭部から鮮血が流れだし、歩道を染めていた。濃紺の背広を着ているため、身体の損傷については、不明だったが、たまたま通りかかった第一発見者から、110番通報を受けて、現場に駆けつけた警視庁神田署の当直長、中原優作警部には、最初、これは、大きごみ袋が落ちているように見えた。  神田署員が、現場の周辺に立ち入り禁止の札を付けたロープを張り、中原警部らが、現場検証に取りかかった。夜の闇を鑑識課員が焚くカメラのフラッシュの光が破り、いつもは、閑静とした都心の週末のビル街は騒然となった。  歩道が面している横長のビルには大手の新聞社が入っている。その新聞社からもカメラマンが姿を見せ、現場写真を撮影していった。  中原警部は、遺体の状況を細かく検分した。男は両腕を体の方に揃えて、うつ伏せで死んでいた。両腕は揃っていたが、両脚は乱れていた。右足は体の方に屈んでいたが、左足はまっすぐに伸びていた。頭部は額が裂け、頭蓋骨が割れたのか、骨の一部が頭を突き破って、露出し、額の上の部分から大量の血が流れだし、路上を赤く染めていた。  顔は、鮮血で埋まり、潰れて容貌を確認できなかった。ただ、上下が整ったスーツの仕立ての良さから、一見、大企業の幹部社員のような印象だった。  中原警部は、鑑識の写真撮影が一段落した後、遺体から着衣を外し、持ってきたビニール袋に入れた。この衣服の中の所持品から身元確認ができるかも知れないのだ。  遺体は、東京大学医学部法医学教室に運ばれ、司法解剖を受けることになっている。直接の死因を探り、自他殺の判断ができる。  約二時間、現場で検証作業を行ったあと、遺体の状況と現場の様子が大体掴めたので、中原警部は、時計の針が翌日に変わるころ、神田署に戻って、事件報告書の作成に取りかかった。  発生日時:一九九六年三月二十日午後十時過ぎ。  発生場所:千代田区一ツ橋一の一の一歩道上。  現場の概要:同上地で同時刻頃、男性が倒れて死んでいるのを、通りかかった会社員、桜田道夫、四十五歳=世田谷区経堂一の十二の五=が、発見した。死体はうつ伏せに倒れており、頭部から多量の出血がり、歩道が血で染まっていた。隣接するビルの屋上を調べたところ、遺体から真っ直ぐに伸ばした上部の屋上に靴が一足残されていた。それ以外の遺書などは発見できなかった。  死体の状況:男性で年齢六十歳前後。体格は身長一七センチ位、やややせ型。体六十五キロくらい。頭髪は全体が白髪で、量は多い。濃紺の三つ揃えのスーツを着用。  推測される死亡原因:ビル屋上からの落下による転落死と思料される。自他殺は不明。なお遺体は、東京大学で解剖予定。  これだけを書いてから、米田警部は、現場から持ち帰った衣類の検査に取りかかった。  背広の胸ポケットからは、定期入れが見つかった。  定期券は中野から竹橋間の地下鉄の通勤定期で、期間は六ヵ月だった。その所持人欄の名前は、「中山仁(六十五歳)」となっていた。  内ポケットには、牛革の長方形の財布が入っていて、その中に、身分証明書が発見された。それは、勤務先の会社が発行したものらしく、死体があった横のビル会社の名前が印刷されていた。そして、名前は、定期券にあったものと同じだった。ただ、身分証明書には肩書が記してあり、そのビル会社の専務取締役とあった。  これで、ほぼこの遺体の身元は判明したと言っていいだろう。  「今日は、会社にはもう人がいないだろうから、後は、この人の自宅に連絡して、縁者に知らさないといけない。遺書がないのが気にかかるが、多分自殺だろう。家人に事情を聞く必要があるな」  米田警部はそう判断して、家の電話番号を調べはじめた。  だが、この予断は、司法解剖の結果が、覆した。  結論は、自殺ではなく、「他殺の疑いが強い」だったのだ。  東大医学部法医学教室の執刀医、川田次郎医師から寄せられた死体解剖報告書は、  「死体は、絞殺後、遺棄された」と結論していた。  それは、以下のようだった。  ーー 頭蓋骨は完全に破壊され、内部の脳も損壊していた。身体全体にわたり打撲傷が酷く、胸部の肋骨も骨折が激しかった。内蔵も殆どが破裂し、内出血が酷く、僅かに原型をとどめているだけだった。これらの損傷は、体が激しく地上に叩きつけられたためと認められる。しかし、いずれも生体反応がなく、死後に起きた損傷と見られる。頸部に細く深い線条痕があり、その下の頸椎中央部が骨折していた。細く強い紐状のもので、強く圧迫したための損傷と考えられる。また、肺の細胞に一部出血の後があり、気管支にも引きつったような傷痕があった。これらのことから、遺体は、頸部を圧迫されて、呼吸が閉ざされたあと、窒息死したと考えるのが至当と思われる。死因は、頸部を細紐状のもので、絞められたことによる呼吸困難による窒息死と判断するーー。  (となると、これは、他殺だ。遺書が見つからなかったのも頷ける)  米田警部は、そう考えて、最後の報告書の執筆に取りかかった。  (殺人事件だとすれば、捜査本部を設置しないといけない)  時刻は、すでに翌日になり、間もなく朝の光が差し込むころになっていた。  (朝になったら、早速、署長と相談しないといけない)  明るくなったら始まるであろう忙しい一日を控えて、少しでも仮眠を取っておこうと、米田警部は、書類を揃えおわると、重い足取りで、仮眠室に向かった。      *    *    *  M新聞社論説委員の須川峯雄夫が、委員を務める日本オリンピック委員会の会議を終えて、自宅へ帰る途中、後ろから来た小型乗用車に跳ねられたのは、クリスマスの十二月二十五日夜の十時すぎだった。  小田急線の代々木八幡駅を降りて、元代々木にある自宅へ向かう上り坂の途中で、須川は、後ろからライトを消して近寄ってくる濃茶色の自家用車を避けるために、幅五メートル位の狭い道を、左側に身を寄せてやり過ごそうとしたが、車は左に幅寄せしてきて、左の前のフェンダーを須川の体に衝突させた。須川がそのまま道路に倒れたたところを、車は前後車輪で須川の体を轢いた。須川は脚の方から頭部に向かって、二つの車輪に乗り上げられたが、車はそのまま逃走した。だが、これだけの事故だけに、沢山の物証を現場に残していった。  須川は通りかかった近所の人に発見され、救急車で近くの救急病院に運ばれたが、頭部挫傷が酷く、心臓と呼吸器の機能は、集中治療室での緊急治療で、どうにか維持されたものの、意識のないまま眠る「植物人間」状態になった。  この事故の初動捜査は、警視庁新宿警察署の交通課が行ったが、引き逃げ事件で、犯人が意図的に車をぶつけた形跡がある悪質事件とあって、引き逃げ事件捜査が専門の警視庁交通捜査課にその後の捜査が引き継がれた。  引き逃げ捜査の第一の基本は、逃走車両の確定である。これには、現場に落ちていた塗料片や部品類が有力な手掛かりになる。  現場検証では、加害車両のブレーキ痕が事故現場の約五メートル手前に残っていたことから、犯人は一端、その場所に停車した後、前を歩いていく被害者にぶつかっていったと推測された。また、アルコール反応から、被害者は当時、かなり酔っていたことがわかった。  交通鑑識課員の緻密な現場保存作業で、ボンネット前部から剥落したとみられる濃茶色の塗料片と衝突の衝撃で落下したと思われるフロント・フェンダーの止め金具類が採取されていた。  塗料片はたとえ、ピンセットの先程の小さなものでも、車両の種類の特定は可能だから、これは、大きな収穫だった。また、止め金具類も車の種類によって、使っているものが違うから、これも、加害車両の特定の有力な手掛かりになる。  だが、科学警察研究所の塗料片検査は、手間取った。約一万種類に及ぶ国産車の資料のなかには、この塗料片に該当するものが一つも見つからなかったのだ。しかし、ファンダーの止め金具のネジの検査では、大きな収穫があった。それは、このネジが、国産に使われているセンチ規格のネジではなく、まったく使われていないインチ規格のネジだったことだ。  世界の殆どの自動車メーカーは、国際規格に合致したメートル・センチ規格のネジを使用しているが、唯一、アメリカのメーカーは、ヤード・インチ規格のネジを使っている。  ということは、この加害車が、アメリカ車だということを意味していた。  塗料片の元資料による検索も、国産車ではなく、アメリカ車について行わなければならないことが、これで、ハッキリした。  そして、アメリカ車の資料台帳に当たったところ、この塗料は、外見からはあずき色に見える一九九〇年製の「フォード・ムスタング」の塗色であることが判明した。この車は、さらに、その塗装の上に、シルバー・メタリックの塗料を薄く上塗りしている。すなわち、元の塗料は濃茶色だが、外見からは銀色なのである。  そして、この濃茶色が使われていたのは、一九九〇年と九一年製の「ムスタング”であることも明らかになった。  かつて、良く町で見かけた「ムスタング」だが、最近はあまり走っていない。  この事件の捜査を担当することになった警視庁交通捜査課の山中照夫警部は、ここまで、捜査が進んできて、  (これで、逃走車両は判明した。犯人逮捕まであと少しだ)  と実感していた。  被害者は、バーバリーのトレンチ・コートを着ていた。コートには縦に大きな車輪の痕が残っており、タイヤのパターンを残していた。この形からタイヤ・メーカーが割り出せる。さらに、コートの後ろ側には銀色の着色もあった。これは、科捜研での塗料検査の結果とも合致していた。  タイヤ・パターンの写真を元資料と照合したところ、これも国産品ではなく、米国・グッド・イヤー社のラジアルタイヤであることが分かった。  これで、主な物証が、すべて出そろった。  あとは、車が登録されている陸運事務所のコンピューターから、該当車両を割り出せばいい。山中警部は、部下を都内の陸運事務所に派遣して、検索に当たらせた。捜査員たちは、各陸員事務所に散って、捜査に着手した。  しかし、結果は芳しくなかった。特徴がぴたりと一致する車両は、一台も発見できなかったのだ。  (すると、都内の登録ではないのか)  山中警部は、捜査の範囲を、近県にも広げることにした。神奈川、埼玉、千葉県の各陸運事務所にも、当たってみることにした。しかし、この捜査には相当の時間が掛かりそうだった。都内だけでも、一週間もかかったから、あと二週間は見ておかないといけない。  (この事件には、犯人が車を衝突させている形跡が伺える)  そう考えて、山中警部は、その間、被害者を恨んでいるものがいないか、被害者の個人的な情報を手にいれようと、須川の自宅に向かった。            (三)  瀬田新一郎は、有能な検事だったが、その傍若無人、傲慢不遜な態度から、組織では、疎まれていた。なにしろ、彼は、謝るといういうことをしない。人間なのだから、何ごとにつけても失敗はあるのだが、そういうときも、彼は、頭を下げない。  それは、彼独特の論理に寄っていた。  (全力で、ことにあたったのだから、その結果について一切の言い訳はしない)  というのが、まず、第一の理由だが、その裏には、  (言い訳をするような仕事はしていない)  という計り知れない、自らの仕事に対する自信があった。  その自信が揺らいだのは、東京地検特捜部検事として、この国中を揺るがせた政治家の疑獄事件の捜査に、当たったときだった。  彼が、精根込めて追求した汚れた金の行き先が、最後に突き止められたとき、彼は、上司に相談せずに、密行してその全容を解明した。そして、その成果を持って、上司に報告にいった。それは、緻密な報告で、一点の不明点もないと自信を持っていたが、上司が報告書を受け取ったあと、いくら待っても、次の段階、即ち強制捜査へと移行する、命令は来なかった。  検察の仕事は、本来、チーム・ワークである。それを逸脱していた瀬田の仕事は、上司からも疑いの目で見られていた。上司は、彼の仕事を慎重に検証しようとしていたのかもしれない。しかし、瀬田は待てなかった。それでも、一週間待ってから、瀬田は上司に面会し、談判した。だが、埒が開かなかった。  それで、まだ三十代だった若気のいたりで、瀬田は辞表を突きつけたのである。  瀬田は、そういう行為に走るに当たって、ある理想を描いていた。  それは、幼いころに読んだ「赤ひげ」のなかの主人公の医師のイメージだった。  (医者が体を診て直す仕事なら、法律家は人間関係を正常に行わせるための日常生活の医師だ)  と考えて、彼は法律家になろうと考えたのだった。  だから、検事の仕事は、社会正義の実現には、最適かと思われたが、それが、やや理想と違うと感じたのは、検察は必ずしも、この社会から虐げられている庶民の味方ではないということだった。駆けだし時代の地方検察庁では、窃盗から、暴行、傷害、売春防止法違反など、一般の市民が犯す罪を犯した多くの被疑者を扱ったが、法律的にいわゆる「犯人」である彼らには、計り知れない個々の事情を抱えている者が多かったのである。話を聞いていて、思わず同情し、涙を流してしまったこともあった。彼は、直情経行だったから、情にも脆かった。犯罪の裏にある、深い事情に触れて、訴状を書く手を休めようとしたことが、多々あった。  それでも、法律に則って、全てを判断するのが、検事の仕事の原則である。その権限の範囲内で、他の検事なら起訴に持ち込んだろう事案を不起訴や起訴猶予で済ますことが多くなり、ここでも、問題になった。ノルマはないにしても、職業としての検事にとっては、やはり、起訴をした案件が多いほど、仕事をしているという印象が強まる。事実、送検された事件を裁判に持ち込めない、あるいは、持ち込まないでいることは、法や社会が期待する検事としての職務を完璧に果たしているとは言いがたかった。  そういう相剋を抱えたまま、なぜか、彼は東京に異動し、しかも、修羅場で戦後最大のスキャンダル事件を担当する部署の末端に名を連ねることになったのだった。  彼は、ますます、自己分裂の危機に陥り、その結果、他人の介入や関心を許さぬ、頑な態度を身に着けていった。それが、傲岸不遜、自己中心、傍若無人の評に繋がるのに時間は掛からなかった。そして、そういう評が広まるほど、彼は、依怙地になった。そして、捜査を独断専行で行うようになり、組織と衝突した。  だから、検察庁を辞める機は熟していたのだ。    検察庁を辞めた瀬田は、彼の理想を実現するための、作業に掛かった。  「法律家の赤ひげ」になるために、かれが、したのは、「辞め検」によくあるように弁護士登録をして、事務所を開くというような、俗物的なことではない。  東京の下町、墨田区の崩れそうな二階建てモルタル造りの二階の貸し事務所を借りて、「よろず相談承り所」の看板を掲げた。二階へ上がる階段の入口には、  「およそ世間の心配ごと、もめごと、争いごとの相談承ります。家庭内、隣人、役所との紛争を解決します。一件に付き千円から」  という看板を掲げた。  二階の事務所には、ファックス付き電話が乗った古い机と、底が抜けた応接セット、それに、資料を仕舞っておく、小さなキャビネットを運び込んだ。  「これで、最小限のものは整った」  と事務所造りの小労働を終えて、ソファーに座った瀬田は、手放したことのない愛用のパイプの煙草に火を点けて、立ちのぼる紫煙を旨そうに吸い込んだ。  それが、この付近では、「駆け込みお助け所」として有名な「瀬田事務所」の始まりだった。  そのころを思い出しながら、瀬田は崩れそうなソファに座って、あの時と同じパイプを吸っていた。この煙草の銘柄は、「アンフォーラ」と決まっている。辛口とマイルドと甘口を、その時の気分によって、変えるのが、彼の吸いかたの基本だった。  その日は気分がよかったので、紙袋の色が黒い辛口をクルミの木でできた短いパイプの穴に詰めていた。  事務所の中は、開所したときと、寸分変わっていなかったが、ひとつだけ違うのは、小さな机と椅子が一組増えて、その上に電話の子機が乗っていて、その後ろに、一人の女性が座っていることだった。  瀬田がパイプを燻らして、既に、煙になってしまった残りの燃えかすを始末しようと立ち上がったときに、その女性がそれまで机のうえの書類に落としていた目を上げて、瀬田の目と会った。  くっくりと弓形の瞼の形をしていて、その中に黒々とした瞳があった。少女が驚いて目を見開いたような形の両目に、この女性に初めて会った人は、強い印象を受ける。    瀬田もそうだった。  事務所を開いて、一週間は、なにも仕事がなかった。それでも最初は、事務所開きの案内を書いたり、電気屋、水道、区役所への届けなど細々とした用事があり、一週間は、あっという間に過ぎた。  (そろそろ、仕事が欲しい)  と考えはじめていたときに、飛び込んできたのが、この目に特徴のある女性だった。  女は、  「私は、米山美智子というものです」  と名を名乗ったあと、  「困ったことになってしまったので、どうか、助けていただいと思い、表の看板を見て、飛び込んできました」  と、息せき切って、まくし立てた。  「お嬢さん、まあ、落ちついて、ゆっくり事情を伺いましょう」  瀬田は、台所で入れてきた粗茶を勧めながら、女性の対面に腰掛けた。  話し始めた女性は瞳が大きく、それが、華やかな印象をもたらしていたが、体は、小作りで、身長は百六十センチくらい。だが、肌の色は抜けるように白く、染み一つない感じだった。眉も太くて黒く、額を一気に太い筆でなぞったように鮮やかに、顔の上半分を画していた。鼻は小さいが、形良く尖っており、その下に、やや捲くれたコケティッシュな唇が鎮座していて、顔全体に幼い感じもたらしていた。  小柄なのに、ベージュのワン・ピースの胸の脹らみは豊かそうだった。そして、その下の腹部は、きりっと括れていて、どっしりとした腰に繋がっていた。  年齢は二十代と見てもいいが、三十に手が掛かっているかもしれない。瀬田には、女性の年齢を言い当てる才能はなかった。  だが、女性は、  「実は、夫が蒸発してしまったのです」  と話しだした。  (するとまだ二十代か)  と瀬田は勘定したが、そのあとで、  「小学生の子供が、寂しがって、泣くんです」  と言い加えたので、  (では、三十代か)  と訂正した。  女性は、相談の内容を、簡潔に語った。  ーー 私は、米山美智子と言います。私の夫はある大手新聞社の記者をしていたのですが、車内の人事抗争に巻き込まれてしまって、いわゆる「社内いじめ」にあって、会社を辞めさせられてしまったのです。以来、毎日、職安に通っていたのですが、良い仕事も見つからなまま、一週間ほど前から、家に帰って来なくなってしまったのです。この一カ月間は、私や子供に当たり散らし、家のなかはめちゃめちゃになりました。  私は夫が蒸発してから、それでも、親戚や知り合いを頼りに、行く方を捜したのでが、いまもって、消息が知れません。本来なら、警察に届けるべきなのでしょうが、世間体もあるし、もう少し、自力で捜してみようかと思い、懸命に努力してきたのです。本当に、心当たりは、ほとんど当たり尽くしました。もうすっかり疲れきって、途方に暮れて、この前を通りかかって、入口の看板を見たのです。それほど、蓄えがあるわけではなく、調査費が高い興信所には、頼むわけにもいきません。どうか、夫の行く方を捜していただけないでしょうかーー。  米山美智子は、濡れた瞳を真っ直ぐに、瀬田に向けて、熱を込めて、語りかけた。  瀬田はパイプタバコに火を点けて、ゆっくりと紫煙を吸い込みながら、話を聞いて、考えていた。  (これは、仕事始めとしては、なかなか、面白い事件かもしれない。人の行く方を捜すのは、そう難しい仕事ではない。それも、たった一人らしい。やってみるか)  と思い至って、  「ところで、何か、手掛かりになるようなものは、ありますか」  とおもむろに聞いた。  米山美智子は、持っていたショッピング・バッグから、分厚い原稿用紙を取り出し、二人の間の机に置いた。  「これは、夫が家出してから、何か手掛かりがないか、と夫の机の引き出しなどを手当たり次第に調べ、探し出したものです。この中に行く方を探る手掛かりがあるかもしれません。一読して頂けますか」  瀬田は、原稿を手に、始まりの部分だけを読んでみた。  それは、自伝小説のようだった。自伝ではなくても、私小説というのだろうか。  瀬田にそれを渡して、安心したのか、米山美智子は、  「では、お預けします。よろしく」 と言って、席を立とうとした。瀬田は、  「分かりました。今夜、読んでみます。あなたの依頼は、一応、お受けするということにして、明日また、連絡します」  と見送った。  美智子は、連絡先の住所と電話番号を書いたメモを置いて、出ていった。    その小説は、次のようなものだった。  +      +       + 岩瀬太一郎は、十一月の肌寒さが増した土曜日の昼下がりに、一通の通知を、三十年間勤めた新聞社から、受け取った。 それは、既に予期していたことではあったが、さすがにいざとなると、その封書を開くとき、胸に込み上げてくるものがあった。妻や家族は、この一か月間の騒動を十分に知っていたから、ついに、最後通牒が到着しても、もう動揺はしなかったが、太一郎は、やはり、内心、穏やかではなかった。 ーーなぜ、おれが・・・。 という気持ちが、まだ、あったし、これから家族四人をどう支えていけばいいのか、前途は、真っ暗だった。 太一郎は、封書を開いた。そこには、冷酷にも、「貴殿を十一月十日付けをもって、懲戒免職とします。離職手続きに、十三日正午までに、本社人事部まで出頭してください」とのワープロ文字が、書かれていた。 「これで、おれが会社に捧げた三十年が終わりになった。誠心誠意、ただ、黙々と、真面目にやってきた結果が、こういうことというわけだ。人生の半分を、大して文句も言わず、堪えに堪えてきて、こういう事になるとは。この世には、真実を見ている神様はいないのだろうか」。 悔しさが込み上げてきたが、涙は出なかった。無念さでいっぱいだったが、泣きたくはなかった。なぜなら、太一郎が、被せられた「罪」は、本人には覚えがないことだったし、覚えがないことでは、人は泣けないのだ。ただ、そうした状況に追い込まれた自分が情けなく、悔しかった。 この一か月、胸が締め付けられるように苦しく、頭痛と吐き気と動悸が、間断なく襲って、ほとんど、夜は眠れなかった。睡眠薬の力を借りても、うつらうつらして、ほぼ二時間毎に、眼が覚め、その度に尿意を催すが、トイレに行っても、ほとんど小便は出なかった。 全身が痺れたようで、自分自身がどうなっているのか、はっきりせず、意識が希薄になった。茫然と無意識の中を、ただ、漂っていた。 太一郎は運動部から、今の職場に異動してから、徐々に頭痛が激しくなり、夜も眠れないようになっていった。そもそも、今の職場は、毎日が夜勤続きで、高血圧気味で朝型の体質の太一郎は、上司に「体を壊すから」と異動拒否の意志表示をしたのだが、その上司は「異動は会社の権限だ」と取り付くシマもなかった。 しかし、太一郎の訴えを、職場の仲間たちは、理解してくれて、組合の「苦情処理委員会」に異議を申し立てた太一郎に対し、組合本部は、「職場単位で解決する問題」と逃げてしまったが、運動部の仲間は「岩瀬太一郎の運動部から地方版編集への異動に関する吉田・地方部長への要望書」をまとめ、運動部長、組合代表委員、組合支部執行委員の立ち会いで、吉田・部長に手交してくれた。 その内容は、 @ 給与に関して、最低限、減収とならないように配慮して欲しい。 A 現業職場で、夜勤で時間に追われる仕事をすると、ストレスが溜まり、ゲップ、吐き気、頭痛、鼻の違和感などの抑鬱、緊張などの症状が出るので、理解して欲しい。 B 政治部から整理本部への異動も、それが原因になっていたので、なるべく早く取材部門へ戻して欲しい。 C 今回の異動の話し合いの中で、交わした約束を完全に守って欲しい。 D 家庭の事情から、子供とのコミュニケーションをはかり、平和な家庭を築くため、深夜勤勤務をなるべく少なくして欲しい。 E 外勤職場を強く希望してきたという、これまでの職場経歴を十分、尊重して欲しい。というもので、「以上、運動部職場班一同」との連署が添えてあった。 しかし、この要望は、ほとんどが守られなかった。組織と会社の論理とは、そういうものかもしれないが、@の収入は減ったし、仕事は時間に追われ続けるもので、Aも理解はなかったといってよいほどだった。現職場に来て、すでに五年が経ち、Bはまったくの反故となっていた。 問題は、Cである。 須田・運動部長は、この異動を言いつける際に「岩瀬君、これは昇格人事だよ。君は地方版編集の主任待遇になる。あそこは高齢者が多いから、十八人抜きだよ」と水を向けたのだった。それでも、太一郎が体調を理由に拒むと、吉田部長が、直々にやってきて、喫茶店に誘い、「今の制度では、主任待遇は、地方支局の次長が、本社に上がってきたときになる地位だが、君のために、特別に会社の機構制度改正をする。これは僕が男の約束として、必ず、実行する」とまで、言ったのだった。 しかし、これも反故になった。迷いに迷って、期限を迫られ、異動を承認した直後、再び太一郎が、このことを吉田部長にただすと、部長は「あれは、上の方の都合でだめになった」とこともなげに言い放ったのである。 Dの件は、一応は守られたが、それもいいかげんなものだった。そもそも、職場自体が夜勤の連続の仕事だったし、週に六日も連続で、夕方五時から十二時過ぎまでの夜勤勤務を強いられた。連休がある月もあったが、無い月の方が、多かった。 Eもまったく、省みられることなく、五年間が過ぎ、太一郎の心身は、徐々に、確実に蝕まれていった。 体が耐えられなくなった時には、なるべく、病気休みを取るようにして、仕事でのミスを避けるしかなかったが、そうすることは、職場の仲間にとっては、迷惑をかけることになり、太一郎はますます、同僚との付き合いが悪くなり、自らの殻に閉じこもるようになっていった。 部長は何代か代わったが、太一郎のそうした苦痛と苦悩を理解する人はいなかった。太一郎もまた、そうした自分の病状を、強く訴えもしなかった。 「自分で耐えなければいけない。じっと耐えていかなければ」。 そう思う気持ちが、ますます、彼を自分の内部に追い込んでいった。苦しみから逃れるために、仕事には身が入らなかった。彼にしてみれば、慣れきった仕事を流れ作業にしたがって、やって行くだけで、なにも難しいことは、なかったが、そういう、やりたくない仕事を無理矢理にさせられていること自体が、悔しく、自然と仕事は投げやりになっていった。苦しくつまらない仕事は、どうしてもいいかげんになる。やりたい仕事は、だれでも、身銭を切っても積極的に、楽しく、明るくやっていけるものなのだ。だから、そういう仕事を与えられた人は、幸せであるーー。 岩瀬太一郎は、不幸のどん底にいるように自分を感じていた。人はそういう精神状態になると、自殺や蒸発を考えるものだが、太一郎に、その勇気はなかった。むしろ、そうした状態に、太一郎を追い込んだ上司と会社を怨んだ。 怨むという精神作業は、まず、相手を無視することから始まる。上司や同僚の呼び掛けにも、当たり触りのない答えをするだけで、自分から声を掛けたり、積極的に提案をするようなことは、なくなった。働き盛りの五十代の企業戦士から、戦う意欲が消滅したのである。 そもそも、岩瀬太一郎は、この会社では、不必要な人材なのか。彼は自問自答した。 入社して以来の彼の経歴をたどって行くと、有能な人材が、徐々に辺境に追いやられ、ついに、断末魔に追い込まれて、絶壁から崩れ落ちてしまった、という構図が、浮かんでくる。それは、どこの組織・会社にもある風景かも知れないが、また、滅多に無い光景のようにも思えてくる。 「岩さんは、人が良いから、人生、気をつけて生きていかないと、いけないわよ。世の中には良い人ばかりが、いるわけではないからね」 新人で最初に赴任した盛岡支局のキー・パンチャーだった良子ちゃんが、そう言っていたのを遠く思い出す。 そう言えば、良子ちゃんは、岩瀬にやさしかった。誕生日も覚えていてくれて、ほかの支局員に解らないように、バースデー・カードを、机の引き出しに入れておいてくれたり、手作りの小さなケーキを帰り際にそっと渡してくれたりした。そのころ、岩瀬は二十五歳で彼女は二十歳。独身で年頃だった。 だから、休日が重なったとき、奥羽山脈の山中にある温泉にドライブする話が、極秘に決まったとき、はしゃいで喜んだのは、彼女の方だった。九月の陸奥の山々は、真っ赤に燃える。山頂から赤味を増した山々は、徐々にその緋色の絨毯を降ろし、裾にまで届くころには、今度は白い冠に覆われるのだ。 眼にも鮮やかな紅葉の林の中を、駆け抜けて行く車の中で、良子は夢を語った。 「岩瀬さんのようなエリートとデートできるなんて、夢のようだわ。私なんか、田舎で一生を終えてしまうのが、関の山だけど、岩瀬さんたちは、いつか東京に戻って、活躍するんだものね。そんな人と一緒になれたらいいのに。無理だろうな」 彼はそれには、答えなかった。 「田舎だといっても、都会に無いきれいな空気とおいしい食べ物、のんびりした時間は貴重だよ。あくせくして、神経をすり減らすより、一生を考えると良いかもしれない」 「でも、それは東京に戻るのが決まっている人の言うことだわ。私には東京の生活はあこがれだもの」 その夜、平家の落人が、開いたという温泉の旅館の混浴の岩風呂で、二人は若いお互いの肉体を知り、岩瀬は、良子のはちきれるばかりにつんと先の尖った乳首と薄桃色の乳輪の乳房、形よくくびれた腰と良く張った腰に見入り、下腹部を固くした。 湯上がりのあと、部屋に戻ると、布団は一組しか敷かれていなかった。幅広の夫婦布団で、宿の部屋掛りのおばさんは、てっきり、若い夫婦と思い込んだのだろう。 岩瀬は、一緒に布団に入るのは、いやではなかった。風呂で良子の素晴らしい体を見てしまったあとだから、その体に自分を密着させ、抱きすくめて、自分の物にしたかった。良子は、布団が一組しかないのは、まるで気にしない様子で、鏡台の前で濡れた髪を梳いていた。 「さあ、そろそろ寝ようか。僕が先に入るよ」 と、先に布団に入ると、良子は躊躇していたが、 「早く、おいでよ」 との呼び掛けに、良子は浴衣の前を、重ね直して、掛け布団の褄をめくり、裾の方から下半身を先にして、岩瀬の右側に滑り込んできた。 足が触れ合い、それが浴衣の裾をはだけさせて、太股が触れ合った。 良子はその間も無言で、ただ目をつむって、次にくる事態に、期待し、備えている気配だった。岩瀬は、脚を絡ませながら、思い切り良子の頭を両手でこちらに向けさせ、唇を吸った。良子はそれに応えてきて、舌を絡めた。浴衣の前から、手を入れて、ノーブラの乳房をつかみ、乳首をもてあそんだ。乳首に唇をはわせ、そのまま、下に降りて、へその中を唾液で濡らした。そして、良子の大切な部分にたどり着くころには、良子は、かわいい吐息をもらし、それが彼の脳髄を刺激して、下半身は鋼鉄のようにそそり立った。良子の泉は、豊かだった。滑らかに液体が湧きだし、滴り落ちた。 良子は 「あなたのも欲しい」 と言い、岩瀬の固くなったものを、アイス・キャンデーをしゃぶるように、おいしそうにほおばった。十分に味わい尽くすと、 「入れて」 とだけ、耳元で短く言った。 その一言が、岩瀬をさらに興奮させて、彼は下半身を良子の腰に密着させながら、思い切り差し入れた。 「いいわ。もっと、もっと」。 良子には、娼婦の素質がある、と思えるほど二人は、初めて、お互いの体を思い切り、貪りあった。 そんなことが、あったあとも、良子との関係は、週一回位のペースで続いたが、仕事の方は、可もなく、不可もないという状態で、たまに保険金殺人事件の特だねも書いたりし、地方部長賞を受賞して、悦にいったりしていた。 四年半ほどして、東京本社政治部への異動の辞令が出た。東京は、戦後最大の疑獄事件、ラッキード事件の取材の渦中にあった。そんな中に、岩瀬は放りこまれた。 岩瀬にやる気が充溢した。 「新聞記者になって、こんな機会に恵まれることは、滅多にない。頑張るぞ」 岩瀬は、密かに心に誓った。 毎日の首相番というルーティーン・ワークから、特だねが掴めることは、絶対にない。早朝、出勤前の政府首脳宅や夜、帰宅後、寛いだ自宅での懇談から、重要な情報が得られる。いわゆる、「夜討ち」「朝駆け」に、岩瀬も全力を注いだ。 総理大臣が、二木首相の時に検察を援護する姿勢が鮮明になり、ラッキード事件で賄賂をもらった政治家の名前が焦点になったが、その名前を割り出すのが、マスコミ各社の競争になり、岩瀬も微力を尽くした結果、この競争は、岩瀬の所属する新聞社の勝利となった。そこまでたどり着くのに、岩瀬は秘術と死力を尽くした。名前が公表された調査委員会の最中は、壁に耳を擦りつけて、発言を聞き取ろうとしたし、事務局に深夜、忍び込んで、ペンライトで照らし、書類を写し取るような、法律すれすれの取材までしたのだった。だが、仕事は充実感でいっぱいだった。特だねが、一面を大きく飾る前の晩は、興奮して眠れないほどだった。そして、翌朝の首相官邸記者クラブで、肩で風を切っているのは、キャップとその同僚たちだった。 ニ木首相のあまりの捜査支持姿勢のため、政界に「二木降ろし」という政権交代の動きが起きた。その結果は、丸田政権の誕生となったが、こちらは、行政改革を唱えて、「よく働こう」が、スローガンだった。 報道各社の競争は、その行政改革案の中身の入手を巡る戦いになった。春から夏にかけて、いろいろな案が新聞紙面を飾ったが、どれもが、断片的で全容をつかんだものは、なかった。 岩瀬もこの競争に参加させられていたが、それは、行政改革の取りまとめ役の行政管理庁が、彼の担当だったからでもある。岩瀬は朝駆け、夜回りによる断片的な特だねも書いたが、それでは満足できなかった。「全官庁の計画が書かれた全文が欲しい」と彼は考えた。それには、どうすればいいのか。 「全文は、担当の役人が書いているはずだ。それを見せてもらうしかない」のは、解っているものの、政府の秘密文書をそう簡単に、高級官僚が見せてくれるはずがない。情報管理は、徹底しており、何等かの意図がないかぎり、そうした極秘情報は、漏れないことになっている。 ーー岩瀬は考えた。 久し振りの休日の朝、十分に睡眠をとった頭に、ふと閃いたアイデアがあった。  翌日の夜、残業をしている所へ、取材で訪れた役所で、話し込んだあと、帰り際に、シュレッダー(書類裁断機)の脇に、裁断された書類が、山のようにうず高く積まれているのを、見つけた。岩瀬は、さりげなく、その山の上の紙屑を、持ってきた紙袋に入れ部屋を後にした。  裁断された紙屑の塊を、見せられた、本社のデスクは、思案に暮れた。  「再現してみようじゃないか」 と言ったのは、日頃から、敏腕記者で社内に知られた大石だった。  「まず、官邸の連中が、社に上がってきたら、総掛かりでやろう」  大石デスクが、全員招集を掛けたのは、もう夜も十二時を回っていた。  まるで、ジグソー・パズルをやるように、細かく裁断された長細い紙を、切り口を、文字を合わせながら、繋いで、糊で貼って行く。その作業は、五人掛かりで、朝の七時くらいまで掛かるほどの根気のいる作業だった。 「岩瀬君。出来たよ。これで、完璧に再現されたわけだ。シュレッダーの業者は、おどろくだろうな」  大石が、そう言うと、  「やったぞ」 と、作業に掛かりきりだった政治部員から、拍手が起きた。  岩瀬には、それを元にして、記事を書く作業が待っていた。前文と本文、それに署名入りの解説記事。勿論、再現された政府の案は、全文掲載される。  この特だねは、その日の夕刊の一面トップを飾った。入手した全文は、二面のほとんどを埋めていた。官邸記者クラブのキャップは、その日、肩で風を切って、歩いた。  夕刊を読んだ他紙の担当記者と官僚は、度胆を抜かれた。急遽、記者会見が設定され担当大臣が、呼び出されて、案文の説明をせざるを得なかった。  各紙は、結局、翌日の朝刊に全文を掲載したが、岩瀬のいた新聞には、「全文は夕刊既報」の文字が、誇らしげに、踊っていた。  そのころが、岩瀬が記者として,最も充実していた時期だった。 それから、二年間が過ぎた。岩瀬の毎日は、丸田首相の後を、まるで、金魚のふんのように付いて行く仕事にで明け暮れたが、正月を過ぎて、二月に近いある日、岩瀬は山田政治部長から、電話で呼び出しを受けた。 本社に上がると、部長は、一階の喫茶店に誘い、「実は、二月の異動で、水戸支局に行って欲しい。いわゆる、ビッグ・ブラザー交流と言うわけだ。支局の若い記者に本社の仕事ぶりを教えて欲しい。まあ、二年くらいだな」と言った。 岩瀬は、突然の申し出に戸惑った。何しろ、盛岡から政治部に上がってから、まだ、二年と少ししか経っていない。「さあ、これから油の乗った仕事ができる」と張り切っていただけに、この申し出は、ショックだった。 「少し、考えさせて下さい」とその場は、終わったが、どう考えても、「わずか二年で・・・」の心が残った。 ちょうど、そのころ、会社は、赤字続きで倒産の危機にあり、労働組合と「人事異動は、組合の了解を必要とする」という「合意書」を、結んでいたから、その効果を確かめるような意味がある人事とも思われた。ここで、岩瀬が拒否すれば、「合意書」の趣旨は貫かれるが、同意すれば、会社の人事権の前には、社員・組合員の意向や希望は、まったくの無力だということが、証明されることになる。 そう考えて、岩瀬はいったんは、断ることにした。そう伝えると、山田部長は「一、二年で必ず、政治部に戻すのを約束するから」と、強調した。岩瀬はもともと、意志がそう強くない方だ。当時の太島・編集局長にも、「今度、水戸に行くことになるようです」と挨拶したが、「まあ、一、二年だ。しっかりやってくれ」と軽くあしらわれた。 しかし、岩瀬はこの「一、二年」との言葉を、固く信じることにした。「一、二年経てば、政治部に帰れる」。その一心で、彼は、この異動に同意したのだった。 支局勤務は、のんびりしてる。  開田支局長は、赴任した岩瀬を、わざわざ、三階の支局長住宅に呼んで、  「最初は、地理を覚えるためにも、警察回りをしてもらいたい」と宣言した。  岩瀬は、異動の際、山田部長から、「支局では若い記者の手本になるように、やってくれ。当然、県政担当になるよう言っておく」と言われていたから、この申し出は、そうした申し送りが、実際は、全く、行われていないことを意味していた。 山田部長は岩瀬の「収入減になるのでは」という疑問にも、「いや、増えるはずだ」と語ったが、実際に支給された給料は、月五万円の減収になっいた。  編集局長は、「わずか、二年でまた転居は、大変です」という岩瀬の訴えに、「では、今の家から通えばいい」という暴言まで、吐いていた。  政治部時代に、見合い結婚した妻の和子は、この辞令にショックを受けて、折角、身ごもった初めての子供を、流産した。和子は、会社を辞めて、彼に従った。そうした犠牲を払っての水戸支局赴任だった。  察回りでは、岩瀬は毎日、県警記者クラブのベッドで、昼寝をした。県警の公報体制は、徹底していて、すべての事件の発生と、捜査の状況は、それこそ記者の鉄則の「現場に行く」ことさえしなくても、分かった。  だから、彼は寝ていた。そして、同じように、公報体制に寄り掛かって、他社の警察担当記者も、記者クラブで、惰眠を貪り、眠るのを止めているときは、これもどこの記者クラブにもあるマージャン台で、賭けマージャンをした。彼は賭け事には、強かった。だから、いつも程々に稼いで、小遣いには困らなかった。  大した事件はなかった。彼が県警を担当していた一年間に、殺人事件が一件と過激派による航空機管制用の通信ケーブル切断事件があったのが、せいぜいの大きな事件だった。 そんな日常の中で、彼は「一、二年で政治部に返す」という編集局長や政治部長の言葉を「男の約束」として、ずっと信じていた。 二年目に支局長が代わり、支局の担当換えもあって、彼は県政担当になった。それも、「そういわれて、支局に来たはずだ」という彼の言葉が、聞き入れられたからで、もし、何も言わなかったら、そうならなかったかもしれない。彼はこの会社が、そういう場当たり主義の人事や経営方針の決定をすることを熟知していたが、それに乗っかって、自分の意思を通すのは、彼の人生感や趣味に会わなかった。が、さすがに二年間も察回りをさせられそうな事態に直面して、「本来、私はビッグ・ブラザー交流で、来たはずです」と主張した。 新しい支局長は、田舎の農夫のような好好爺で、盆栽が趣味で、盆栽記者として知られていたが、全てを支局の次長に任せて、担当を決めた。次長もただ、調子が良いだけのお人好しだったから、岩瀬の意向はすんなり、通った。 編集局長は「自宅から通勤すればいいじゃないか」と言ったが、水戸ともなれば、東京から通勤など出来ない。彼と和子は、水戸市内にアパートを借りた。そして、転勤から二年目に、長男が生まれた。二人は、この子を21世紀に活躍するように、と紀之と名付けた。  和子は、子育てに追われて、東京へ帰ることを、そう気にしていなかったが、太一郎は、違った。「必ず、一、二年で、政治部に返す」という政治部長と、編集局長の言葉を、ずっと信じていた。  だから、一年が過ぎ、二年が過ぎようとしたころ、彼は地方機関を統べる地方部長と政治部長に手紙を書いた。地方部長も政治部長も新しい部長に変わっていた。支局長も変わっていたが、「約束を守ってほしい」との私信に対し、新地方部長の中田部長は、新支局長の西郷に対して、「岩瀬がこういう手紙を寄越した。政治部長と相談したが、整理本部に異動させることにした。政治部長も、近くにおいて仕事ぶりを見たい、と了解している」と言ってきた。  岩瀬は、政治部長の大池忠雄から、「会社に来てほしい。会って話し合いたい」との電話を貰い、約束の日に、本社を訪れたが、「大池は、所用で出社しません」との返答をされて、失意の思いで、帰ってきたことがある。  そうした経緯を考慮しても、実際上、山田・前政治部長と太島・前編集局長は、自らの「必ず、政治部に戻す」との約束を、守らなかったことになる。  岩瀬は、ショックだった。  「なぜ、そこまで嘘をつくのか。どうして、言ったことを守らないのか」  岩瀬は、自問した。  答えは、「自分に努力が足りないからだ」と自分を責めてみたが、それにしても、こういう人事は、あっていいものだろうか。会社組織の人事権には逆らえないのはわかるが、人と人との「約束」の方が、大事だ、と彼は、思う。それは、大人げない、ということなのかも知れないが、彼は純粋にそう思った。本来の彼の生真面目さが、彼を悩みの淵に追いやっていった。 「人事には従うしかない。それに東京に帰れるのだし、大池・政治部長も、”近くで見れる”と言っているではないか」と西郷支局長は説得した。岩瀬もそう観念して、整理本部への異動に同意した。  西郷支局長は「君の経歴からして、硬派を担当することになるだろう。少し辛抱すれば、政治部に帰れるよ」と言って、失意の岩瀬を慰めた。  そのころ、会社は、経験者の記者を二人採用することになり、岩瀬も人材の発掘に駆り出されたが、結局、埼玉と千葉の地方紙から二人が決まり、千葉の地方紙の記者が、岩瀬と入れ代わりに、水戸支局に採用されてきた。 彼の送別会で、彼はこう言った。  「長いようで、短い二年間でしたが、見当も付かない整理の仕事をすることになりました。私は外勤記者のほうが、向いていると思いますが、夜勤が多い職場というので、体を壊さないよう、健康に気を付けて、頑張りたいと思います」。 整理の仕事は、まったく、性に会わなかった。椅子に座り続けで、しかも、夜勤がほとんどだ。 岩瀬は、西郷・支局長の言葉にもかかわらず、軟派グループに配属された。東京本社に戻ったという実感は、喜びではなくなった。最初の出勤日に、米山・整理本部長と谷崎次長に、喫茶店に誘われた岩瀬は、二人の「政治部では、どこを担当していたの」との問いかけに、「首相番をしただけです」とつっけんどんに答えるしかなかった。 軟派とは、古い歴史を持つ日本の新聞社の独特な呼称で、社会面を主体に、運動面、都内版つくりを担当するグループ名を言う。これにさらに、文化・芸術面などの編集をする編集者が加わる。これに対し、硬派という言葉もあり、これは一面、政治面、三面、経済面、外電面などを割り付け・編集するグループを指す。 整理の仕事は、肉体労働の面もあり、徒弟関係で教えられる。「先生」といわれる先輩編集者が、仕事をしながら、教えて行く。岩瀬の先生は、名古屋の中部本社が振り出しの加地だった。加地は、取材部門に対し、明らかなコンプレックスを持っており、自分が中部本社の報道部で、愛知県政を担当していた事を「東京でいえば、政治部の首相官邸担当と同じだ」と、当てつけがましく言ったりもした。だが、根は悪い人ではないらしく、仕事は熱心だった。時折、緊張すると、ビート・たけしのチック症のように、右手を額に当てて、後ろに二、三度ひっくり返るような症状を見せることもあったが、みなは無視した。それが、思いやりでもあったし、なにより、自分の仕事が忙しく、いちいち、気にしている余裕はなかったのである。 岩瀬の飲み込みは速かったが、これも「徒弟社会」の定めと、「本番」といわれる見出しをつけて、レイアウトする立場の人の指図を受けて、大組み場で工場の工員さんを使って、鉛の活字で紙面つくりを実際におこなう「大組み」を約一年間もさせられた。 この体験は、取材記者としての岩瀬の誇りと自負を完璧に打ち砕いた。他人の下手な原稿に見出しを付けることもそうないままに、ただ、工員と一緒に組み上げる。岩瀬はこれほど、屈辱的なことはないと受け止めた。 そうした気持ちが、鬱積して、澱のように心に沈殿しはじめた。工場の工員のなかには、整理の新人いじめを、義務のように心得ている悪もいて、しばしば、岩瀬の指示を無視したり、逆らったりして、岩瀬の心は、ますます、ささくれた。 それに、朝刊づくりでは、夕方に出社して、平均、四、五面をつくり、朝の一時半過ぎに最終版を降ろし、それからささやかな飲み会をして終わる、というスケジュールだったから、帰宅はもう夜も明ける早朝になることが常態だった。月に三回以上の泊まり勤務もあった。これは前日の朝刊のあと会社の宿直室の二段ベッドで寝て、翌日の夕刊、三つをつくり、さらに、統合版という夕刊のない東北、信越地方行きの夕・朝の合体版を編集して、やっと、その日の夜に解放される、という激務だった。 二年目に、岩瀬は「本番」になり、上司のデスクの監督の下に、自由に紙面を編集できる立場になったが、「必ず、政治部へ帰す」という歴代政治部長や地方部長らの言葉を片時も忘れることは、なかった。 一日中、座りっぱなしの仕事に加え、「本来、いるべき場所でない。性にあっていない」という気持ちが、岩瀬の心身を蝕む度合が、強くなっていった。まず、運動不足と座りきりという状態から、痔の症状が出た。次に、朝方から寝るという無理が祟り、不眠症の常態に陥った。それは、頭痛と吐気を伴い、腰痛を感じはじめた。中でも、吐気は勤務中にもでて、周囲を不快な思いにさせた。これは、加地の異様な反射行動と同じ原因かとも思われたが、二人とも、会社の診療所に行ってみることさえしなかった。ふたりは、自らの心身が発する危険信号を放置し、専ら仕事に打ち込んでいた。 岩瀬には、当初、「本来、硬派といわれていたのに」という気持ちはなかった。社会面づくりは、それなりに躍動感があったし、何より、紙面制作という「職人技」を身に付けるということに、意義があるように、思うよう、岩瀬は努力した。苦しかったが、それを乗り越えれば、本来の願いがかなうのでは、というかすかな希望もあった。 もともと、明るい性格の岩瀬には、駄洒落を言って、周囲を和ませる独特の才能もあった。だが、そういう岩瀬を、苦々しく思う人達の一群も存在していたのも事実だ。紙面づくりに安住しているような、そういう職人集団に、岩瀬は激しい嫌悪感を抱いた。しかし、それを表に出さないようにするおとなの知恵も、岩瀬は身に付けていた。 「人を誹謗したり、ばかにすることは、絶対にできないし、してはいけない」。 そう心に誓い、本来の自分の居場所を見つけられないままに、整理の仕事に耐えていた。その間に、「岩瀬君は、政治部に戻りたいのだろう」と尋ねた上司もいたが、岩瀬は明確な返事をしなかった。 それは、「本来、”帰す”と約束したのだから、約束を守るべきなのは、会社側で、こちらから、申し出るべきものではない」という論理構成によっていた。だから、自らそう申し出ることは、しなかったし、なによりも「何度も自分から、お願いするのはいやだ」という気持ちが先立った。 だから、岩瀬はいわば、昂然と仕事をしていた。「会おう」という約束を破った大池・政治部長の方から、「戻す」と言ってくるべきなのが、物事の筋だ、と考え、この考えに固執していた。 しかし、整理本部で三年間が過ぎても、大池は「戻す」と言ってこなかった。 (わずか、二、三メートルの距離しか離れていないのに、どういうことだ)  岩瀬の心は、乱れた。しかし、生来の平静を装う、という性格が、災いして、それを外に表すことはなかった。  その焦燥感は、会社では、仕事にまぎれて、忘れられたが、家にいるときは、その耐えていた分だけ、一気に募った。  (私は、言葉で表すのは苦手だから、文章に書いて気持ちを表そう)  そう考えて、彼は、また代わっていた金田・政治部長と、論説委員になっていた山田に手紙を書いて、気持ちを伝えることにした。その手紙は、岩瀬の直截な性格が表れて、やや、暴力的な言葉も混じっていた。  「きちんと、約束を守れ」とか「嘘つきは泥棒の始まり」という文句が、散りばめられた葉書や手紙を受け取った二人のなかで、金田はその瞬間湯沸器のような性格もあって、整理部長を通して、岩瀬を呼びつけたり、実家を編集総務部長に尋ねさせて、年老いた両親から事情を聞いたりした。一方、山田は一切を無視した。  岩瀬は、昇進して編集局次長になっていた大池にも、手紙を書いたが、こちらはもっぱら、丁重に事情を説明して、善処を求めた。 そういう動きは、整理本部の部長連中にも伝わったようで、四年半が過ぎてから、異動の動きがあった。  整理本部の山崎部長が、岩瀬を呼び出し、 「君の異動希望を大池さんから聞いたが、金田政治部長は、帰す気はない、と言っている。異動できるのは、社会部と運動部、地方部取材班の三箇所が上がっているが、どこがいい」と聞いた。  岩瀬は、考えた。  (なぜ、金田は帰さないと言っているのか。やはり、あの手紙が、彼を怒らせてしまったのだろうか)  山崎が続けた。   「僕は社会部がいいと思うが、社会部も、八王子とか支局もある。そういう所には行かないように、言っておく」  「では、そうしてください」  岩瀬は、どうでもいいような気がしていた。結局は「約束は守られない」ということなのだから。  「お任せします」  そう言うのが精一杯だった。  それから数日後、今度は、大池が、岩瀬を呼び出した。  「運動部長の小桶君に話を付けた。まあ頑張ってくれ」  朝刊勤務が明けた夜中の二時すぎに、印刷されたばかりの新聞を運ぶトラックが、通る道路の片隅に毎晩出る屋台の椅子に座った岩瀬に、酒をおごりながら、大池はそう言った。 「そうですか。もうどうでもいいという、感じです。なぜ、政治部に戻してくれないのですか」  岩瀬の問い掛けに、大池は  「金田君がうんと言わない。運動部で頑張れば、また、戻れるようにもなるだろう」 そう言って慰めた。  岩瀬は、それを信じた。「運動部でしっかりやれば、いいのだ」  そう、心に念じて、運動部への異動を了承した。  山崎は「運動部では、ロス五輪要員になるだろう。収入も減らないはずだ。その点は言っておく」と断言した。  整理本部での四年間で、岩瀬の心身は、完全に疲弊しきっていた。  吐き気や不眠が止まらず、最後の一年間は、慢性的な頭痛と腰痛に痔が、加わり、心も体も、ずたずたになっていた。  その間に、明るく人なつっこかった、外向的な性格が、暗く、人見知りする内向的な性格に変化したのを、彼も気付いていた。  それもすべては、水戸支局から整理本部へ移る際の  1 整理本部では、硬派面担当  2 我慢すれば、政治部に戻す  3 仕事は楽 というような、”約束”が、守られないことにあった。  整理本部に在職中に生まれた、第二子の女の子は、「自閉症」気味で、それが、夜勤続きの仕事への、妻の不満とも重なって、岩瀬の心と体をずたずたにした。  見合いで結婚した妻の和子は、  「私は政治部にいたから結婚したのに。あなたは、外務省担当になれば、国賓の歓迎パーティーにも出られる、と言ったのよ」 と、夜勤明けの岩瀬をなじった。岩瀬は、それに反論ができなかった。彼も同じ”夢”を、実際に、抱いていたからだ。  (支局から帰ったら、外務省担当にもする、と山田部長は、言ったはずだ)  その、裏切られたという気持ちも、彼を内面から蝕んでいた。  そんな気持ちを抱いたまま、岩瀬は運動部に異動した。  それは風香る五月で、彼に新しい職場でのやる気を喚起するのに十分な、まろやかな季節だった。  大相撲の夏場所が迫っていた。岩瀬はロス五輪要員ではなく、大相撲担当になった。大相撲には、伊藤というキャップがいて、岩瀬はその下で、指示のもとに取材し、記事を書くことになった。  しかし、外勤記者になったことで、岩瀬の心は、やや、開放された。当時の蔵前国技館の夏場所が、終わるころには、岩瀬の体調は、回復し始め、半年が経った秋場所のころには、気分は相当、軽快になっていた。  取材と執筆意欲は大盛だった。プロ野球の担当も決まり、二年目と三年目の春先は、キャンプの取材で、沖縄に行き、楽しい思い出を作った。  また、秋には北京で開かれた北京マラソンの取材に特派員として派遣され、児玉泰介の日本最高記録達成の現場から、記事を送った。 翌年は、アマチュア野球世界選手権の取材で、イタリアに行った。約二週間の同行取材で、今を時めく、野茂投手や潮崎投手、古田捕手らと一緒に、イタリア各地を転戦した。 スポーツ取材は、気楽だったし、楽しかった。 ただ、それでも、岩瀬の心のなかには、 「これは本来の、俺の仕事ではない」 という気持ちが、いつも、湧き出た。  岩瀬は、それを表には、出さなかったが、専門の種目を持ち、そこに専門家としての仕事の価値を見いだしている他の運動部記者とは、様子が違った。  入社年度が同じ、小野が、  「岩瀬君、君は何を本当は、やりたいの」と聞いたとき、  岩瀬は、  (そうか、おれには、ここでやりたいことがないのだ) と、思い当たった。  それに、二年目には、水戸支局で岩瀬と入れ替わりになった地方紙から採用の記者が運動部に異動してきた。  (おれは、こんなに苦労して、外勤記者に出たのに、途中採用の者が、すぐに希望を叶えられるのは、どういうことだ)  そんな、気持も、岩瀬の心のなかに、あった。  そうした内面の気持ちは、自然と、仕事の仕方にも表れる。  積極性が欠け、やる気が感じられないと、周囲は見たのかもしれない。  岩瀬の心は、常に  (ここは、おれのいる場所ではない) との気持ちに、苛まれつづけた。  四年間が、あっと言う間に過ぎた。  岩瀬は、アマチュア野球のキャップということで、春、夏の高校野球、夏の社会人野球などの取材に明け暮れた。  四年目には、ゴルフも担当になり、トーナメントの取材に忙しく全国と飛び回った。そうして、健康も回復し、本来の記者の仕事を、やっているという充実感が、岩瀬には生まれていた。  (こういうことなら、運動部でずっと、やってもいいな) と思いはじめた、四年十ヵ月程、経った十一月のある日、運動部長の須田が、朝から早出勤務についていた岩瀬を、お茶に誘い、  「実は、地方部地方版編集に異動してほしい。地方部長は主任待遇にするといっている。あそこは、高齢者が多いから、十数人抜きだよ」 と、申し出た。  岩瀬には、晴天の霹靂だった。  (編集の仕事で、体を壊して、運動部に出させてもらったのに、また、編集に戻るのでは、私に死ねと言うことか。それに、運動部で頑張れば、必ず、政治部に戻すと大池も、言っていたではないか)  岩瀬の気持ちは、怒りで震えた。  「もう少し、考えさせてください」  そういって、その場は、終わった。  岩瀬には、納得が行かなかった。  (いつか、政治部に戻す、という約束と違うし、編集の仕事で体調を壊したのに、そこにまた戻すというのは、死ねということと同じだ) と岩瀬は、思った。  その夜、家に帰った岩瀬は、須田部長の自宅に電話して、  「今度の件は、お受けできません」 と伝えた。部長は、  「まあ、明日また話し合おう」 と言って、電話を切った。  翌日からは、説得工作が始まった。  「私がそのまま部長をしていれば、帰すことも考えられる」 という意味は、いつか運動部に帰すということだが、そういう「約束」には、岩瀬は、もう何度も騙されてきた。  岩瀬は納得が行かず、東京本社代表になっていた大池に面会を求めた。  大池は、  「そうか、では、また、そこで頑張ってくれ」 というだけで、冷たく岩瀬をあしらった。  (そういうことではない。あなたが約束した「政治部に返す」、ということは、どうなっているのだ) と、岩瀬は言いたかったが、そこまで言っては、自尊心と人生観の沽券に係わると考えて、出かかった言葉を止めた。  しかし、帰宅後、岩瀬は大池の自宅に電話し、  「私はこの異動はしたくありません」 と言うと、大池は  「では、須田君に言っておくよ」 と言うだけだった。  しかし、この約束は果たされたらしく、須田は、  「大池さんから、君と良く話し会えと言われた」 と言い、再び、喫茶店に誘った。岩瀬は、  「男と男の約束として、守ってもらいたいことがある」 と言ったが、須田には何を言っているのか、理解できなかったらしい。  「でも、悪いようにはしないよ。昇進人事なのだから」 というのが、説得の根拠だった。  岩瀬は、そう言われて、気持ちが揺らいだ。  (二年も我慢すれば、希望が叶うかもしれない) という気持ちもあった。  岩瀬は同意した。  すると、早速、異動同意書に印鑑を押して、地方部長に書類が回され、地方部長も印を押して、社内の手続きが終わった。  その時を、待っていたとばかりに、吉田地方部長は、岩瀬を喫茶店に誘い、  「実は、昇格の件は、社内規定で、地方の支局から帰ってきた人が、なるようになっていることが、分かった。社内の機構改革を人事に提案するから、僕を信じてくれ」 と言いだした。  岩瀬は、  「そうですか、おまかせします」 と言わざるを得なかったが、気持ちは、 (また、騙すつもりだ。この会社はそういう体質なのだ) という思いで一杯だった。  岩瀬はそう言われて、労働組合に、異義申し立てを行った。「苦情処理委員会」という機構があって、職場の代表委員を通じて、苦情を、申し立てた。  組合は、職場討議を行うよう指導し、運動部職場班の職場討議が、行われることになった。  岩瀬は、各自の発言を記録したが、その大半の意見は、  「意向に沿わない異動は、すべきでない」というものだった。少数意見は  「岩瀬さんの意向は分かるが、職場として、人員減にならないなら、仕方がない」 というもので、それは、相撲を一緒に担当した伊藤と若い斎藤が述べた。  職場代表委員の古田と支部執行委員の海野は、職場の意見を纏めて、須田運動部長立会いのもと、吉田地方部長に、「要望書」を提出することにした。  そうして、彼らも、こじれた問題を解決しようとした。それに、十二月一日の異動時期が迫っていた。  十一月三十日に、彼らは、最初に記したように、  @ 給与に関して、最低限、減収にならないよう配慮してほしい。  A 内勤職場で、時間に追われる仕事をすると、ストレスが溜まり、ゲップ、吐気、頭痛、鼻の違和感等の抑うつ、緊張等の症状が出るので、理解してほしい。  B 整理本部から運動部への異動も、それが一因になっていたので、なるべく早く運動部に戻してほしい。  C 今回の異動の話し合いの途中で交わして約束を完全に守ってほしい。(これは、昇進人事ということ)  D 家庭の事情から、子供とのコミュニケーションをはかり、平和な家庭を築くため、夜勤勤務をなるべく少なくしてほしい。  E 外勤職場を強く希望してきたという、これまでの職場経歴を十分尊重してほしい。ーーとの「岩瀬太一郎の運動部から地方部への異動(平成二年十二月一日付け)に関する吉田・地方部長への要望書」をつくり、「以上、運動部職場班一同」と記して、吉田地方部長に手交した。      実は、岩瀬は、十一月二十五日の夜、それまで鬱積していた胸を締め付けられるような、切迫感と、頭痛と吐き気が激しくなり、自宅近くの大学病院に駆け込み、「自律神経失調症」との診断を受け、「一ヶ月間の自宅静養を要す」との診断署をもらっていた。 岩瀬は、三十日に、須田部長に診断書を提出した。 受け取った須田部長は、吉田部長にそのむねを、伝達した。 吉田部長は、静養に入った岩瀬の自宅に、電話して来て、 「了解しました。ゆっくり休んでください」と言って来た。 岩瀬は、その一ヶ月を無聊にすごしたわけではない。 求人雑誌を見て、いくつかの会社に応募した。そのうち、銀行系のシンク・タンクと電力会社と軽金属会社が、「面接を」と言って来た。結局採用が、決まったのは、軽金属会社だけだったが、「静岡勤務になる」と聞いて、断念した。 ほかにも、人材紹介会社に登録したところ、そのうちの一つが、青色申告会の事務局長を紹介して来たが、岩瀬は、その時は (柄に会わない) と感じ、応募を見送った。 また、 (文筆業か、フリーになろうか) とも考え、若いころの自分の経験を描いた小説三編を書いた。 「蘭の名前ーサトコ・ホワイト・フィービー」「雪解けの朝」「裏の女」の三点で、少なからず自信があった岩瀬は、それらを文学界新人賞や新潮新人賞、小説現代新人賞などに応募したが、いずれも、入選しなかった。 そんなことをしているうちに、あっと言う間に一ヶ月が過ぎて、出勤日の平成三年一月三日になった。 岩瀬の心は重かったが、思い鉛を引きずったような気持ちで、しかたなく、会社へ行った。 地方版整理でも、新人には、一応「先生」が付く。彼も一年くらい後輩の「先生」と一週間ほど一緒に仕事をしたが、すでの経験済みの仕事なので、教えられることは少なかった。仕事は、やさしく、岩瀬の職務能力からば、簡単だったが、ただ、 (やりたくない仕事を無理矢理にやらされている) という気持ちだけが、さらに募った。 (なんで、おれがこういう仕事をしなければいけないのか。なにか、悪い事をしたのか) という気持ちが、岩瀬を苛んだ。 その月は、正月ということもあって、あっという間に過ぎた。 二月になり、岩瀬の体調は、再び、悪化した。 腰痛が加わり、不眠症が常態となって、頭痛と吐気が激しくなった。 岩瀬は、接骨医の診断書を郵送し、ファックスで、「体調不調で一週間の休暇」を願い出た。休暇は許された。 岩瀬は、必死の思いで、体調回復を図ったが、夜勤の連続による、体のリズムの不調は、そう簡単に直らなかった。 十一月の突然の体調不調のとき、会社の診断所の産業医と大学病院の医師が、口を揃えて、「仕事の環境が変われば、この病気はすぐ直ります。それが、無理なら、生活を規則正しくし、よく睡眠を取るように」とアドバイしたが、いまの仕事はまったくその忠告を守れるような環境ではなかった。 彼は、体調を壊して、病気になるように仕向けられて、その通りになっていったのだった。 また、 (そう仕向けられた) という意識が、さらに、彼を苛んだ。 (なぜ、そういう目に合わされなければならないのか) 彼は自問した。返って来た答は、 一、この会社は、二世や酔っぱらいや、ゴマ擦りや大声で主張するものばかりの希望を入れ、真面目にこつこつとやっている者は、無視される。 二、異動での「約束」は、一切守らない。「嘘は泥棒の始まり」という最低限の倫理も持っていない。 三、「適材適所」で人事を行う、というのは建前で、実態は、上司が気に入った者を可愛がり、仕事ができても、要領の悪いものは排斥する。 ということだった。 (所詮、組織や会社とはそういうものかも知れない) とは、思うものの、岩瀬は、持ち前の正義感から、そういうことは許せない気がした。 だが、だからと言って、それを、おおっぴらに公言したり、表立って声高に主張することは、しなかった。 (じっと耐えて、頑張っている姿を見せればいいではないか) そう考えて、三月からの仕事には、打ち込んだ。 しかし、その間でも、 (なぜ、おれが) という気持ちは、時間を置いて吹き出す間欠泉のように、家に帰ってくると、吹き出し、岩瀬の心を苦しめ、不眠症に追い込んだ。  うつらうつらした、起きているのか寝ているのか、本人も確としない常態で仕事ができたのは、岩瀬の早くて確実な仕事の処理能力と、経験だけのおかげだった。心身は、完全に疲弊し切り、正常な心と体は、もう回復しようもないほどに、切り刻まれ、浸潤されきっていた。 一年が過ぎても、状態は変わらなかった。その間、ほぼ一ヶ月に一度、彼は病欠した。二年目はさらに状態は悪化し、明るさがなくなって、仕事が投げやりになった。三年目はもう、ただ、会社に出て、適当にやって帰るという、植物人間的勤務が続いた。四年目には、会社で話す人もなくなり、新聞編集の作業が、それまでの製作部員の作業から、編集者の作業に移行されるという組織変更もあって、会社に出て勝手に紙面を作って帰る、という状態になっていた。 「編集者組み版」への移行に当たって、会社は講習会を開催したが、岩瀬は出なかった。それより、毎月二、三回の部会にも一切出席しなかったし、途中、行われた統一地方選、参議院選などの準備の部会にも一切、欠席した。 それでも、部長以下が、なんともいわなかったのを、奇貨として、出社時刻もぎりぎりになり。帰るのは一番早かった。 (午後五時からの仕事で、十時には帰る)のを、彼は基本とするようになり、 「もう少し、早く来るように」 と上司から注意を受けたこともあったが、直さなかった。 彼の心は、極限まで蝕まれていた。 それは、「早く、運動部に返す」、という約束が守られず、彼の一年後に、大阪本社や仙台支局へ異動した運動部員の後輩が、二年後に副部長のデスクになって帰って来たり、四年目には、運動部の二年後輩が編集委員に昇格したりして、ますます、彼の心を落ち込ませた。 五年目、彼の異動の二年後に地方支局に次長で出た四年後輩が、東京に戻り、デスクの仕事に付いた。 彼の心は、完全に我慢の限界を越えた。  五年目の平成七年の九月は、十月の異動が内示され、多くの同期生や後輩の昇格人事があったが、彼は蚊帳の外だった。 (同期でヒラはオレだけになった) そうした人事には、表面的には気にしない振りをしていても、  (ずっと人事に翻弄されて来て、じっと耐えて来たのに) と彼は、大いなる不条理を感じた。 (約束は一切、守られない。でも、おれはじっと耐えて来た。その気持ちが通じないのか) 家では、妻の和子や娘の和美が、岩瀬に向かって 「ヒラ、ヒラ」 と揶揄することが、しばしばで、その頻度は彼が四十六歳を過ぎてから、とくに激しくなった。 確かに、彼は五十二歳でヒラだったが、 (それは、なにも、好きでなっているわけではない。もとはといえば、須田と吉田が嘘をついたきり、約束を守らないからだ) という気持ちが、彼らと会社への怨念と憎悪になっていった。 (もともと、政治部から出る時から、嘘続きだった。この会社は嘘つき会社だ) と彼は思う。 (適材適所に人事が行われていたら、こんなに途中で辞めて行く大物記者や名物記者が出るわけがないではないか) とも思った。 (経営が苦しくなり、部数が伸びないのも、そういう寡黙な社員を大切にしない社風のせいだ)とも思うようになった。 (残っている奴等はろくに仕事もできないで、ゴマばかり擦っている連中ばかりだ。あるいは、人を陥れ、いやな気分にして、自分だけは巧いこと、世渡りしている偽者ばかりだ) という気持ちが、ますます強くなっていった。 九月、彼の心身の調子は最悪になっていた。風邪ぎみで飲んだ風邪薬の影響もあって、自分でしていることの半分も、意識しておらず、覚えてもいないような最悪の状態だったが、人事の時期であることで、これまでのように、病欠せずに、無理をして頑張った。 しかし、十五日過ぎから、やっていることの自覚症状がなくなった。 自分の担当面は、「やらなければ」という義務感と集中力による意気込みと永年の惰性でこなせたが、それ以外の空白の時間は、まるで夢遊病者のように無意識だった。何かを集中してやったあとに訪れる、気が抜けた時間が、長くなっていった。自分でもその間に起きた事は、いまでも、思い出すことができない。 彼は、夢遊病者のように生きていた。 十一月三日、出社した彼に、星野・編集製作総センター地域面グループ部長が、 「ちょっと、来てくれ」 と声を掛けた。 岩瀬は彼の後に従った。  星野は、佐藤・編集総センター室長と一緒に、編集会議室に、岩瀬を招き入れた。  そこには、大村、高梅の両編集局次長が居り、佐藤と星野が、岩瀬の反対側に座り、佐藤がまず、口を開いた。  「一日に君は、山梨版を担当していたね。それで、その大組みが終わったあと、運動面を開かなかったかね」  岩瀬には、覚えがなかった。だから、素直に  「覚えがありません」 と、答えた。  佐藤は、続けた。  「運動面を開いて、競馬の配当金の入った表の、金額を違うように直したろう」  「いや、まったく、覚えていません」  「そういう、操作を君がLDP(新聞編集のレイアウト・ディスプレー)で、しているのを見た、証人もいるんだよ」  「そうですか、でも、僕は、まったく覚えていません」   岩瀬は、確信を持って答えた。  「では、それは置いて。九月十五日には、一面を開いて、渡辺元外務大臣の死去の記事を、直さなかったかね」  「もう、半月も前のことですから、覚えていません。大体、昨日のことでさえ、最近は、そう覚えていない状態ですから」  「その日、君は静岡版をやっていて、その作業が終わったあと、六秒後に一面を開いている。そして、直しをしている。数字を入れ換えているのだ。コンピューターの記録にそう、残っているんだが」  「まったく、覚えがありません。なにかの間違いではないですか」  「ほかにも、そうして、直された形跡が、幾つかあるんだ」  「本当に、やっていないのかね」  やくざ顔をした高梅局次長が、詰問したとき、岩瀬は恐怖心を覚えた。  「これは、食品会社なら、製品に毒を入れるようなものだ。死人記事で住所が間違っていたりしたら、迷惑なことだ」  「本当に、覚えていないのかね。そういう状態は、これまでもあったのかね。そうだとすれば、ほかの仕事もできないね」  温厚そうな大村局次長が、尋ねた。  「そんなことは、ありませんでした。でも、その件について、まったく覚えていないということです」  岩瀬は、正直に訴えた。  「でも、君が、やっているのを見ていた証人がいるのだし、コンピューターの記録とも時間が一致している。君がやったことは、間違いないのだ」  ただ、真面目に紙面編集一筋に来て、紙面に一点の曇りもないことを、金科玉条にしてきた佐藤と星野にとっては、このような事態は、まったく予想外のことだったにちがいない。  「君がやったのだから、始末書を書いてくれ」  佐藤が、社用の便箋とボールペンを岩瀬の前に差し出した。  岩瀬は、われがわからない状態になっていた。四人に囲まれて、四対一で対峙し、始末書を書かなければ、部屋を出してもらえない監禁状態のなかで、仕方なく、編集局長宛の始末書を書き、署名した。  (どうなっているのか。一体)  岩瀬は自問してみて、  (これは病気に違いない)  と考えた。  小一時間の「糾弾」の会合が、終わって、薄暗い部屋を出ていく際、岩瀬は、星野部長に、  「明日、社の診療所で診察を受けます」 と言った。星野は  「では、僕も行こう」と言い、「午前十一時に行きます」と岩瀬が言うと、「わかった」と答えた。 翌日、十一時きっかりに、岩瀬は、診療所に行った。  担当医は、岩瀬が、地方版編集に異動してから、何度も診察を受けた馴染みの医師で、異動の際に岩瀬が、「自律神経失調症」に罹り、自宅近くの大学病院に、駆け込んで以来のカルテを取ってあり、それを見ながら、  「やはり、いまの環境では、無理でしたか」と、嘆息した。  岩瀬は、  「自分が分からなくなったので、精神科医に見てもらったほうがいいでしょうか」 と言うと、  「では、日本医大に紹介状を書きましょう」 と、これまでの病歴を詳しく書いた紹介状を書いてくれた。  星野は、時間に遅れ、岩瀬の診療が終わるころ、出社した。岩瀬が、  「明日、病院に行くことになりました」と説明すると、  「では、私も一緒に行こう」と、同行を希望した。  翌日の木曜日に、岩瀬は、紹介された日本医大の精神科を尋ねた。  初診の医師は、藤尾・部長と言い、紹介状を見て、若いインターンに、岩瀬の訴えを筆記させ、カルテに記入させた。  岩瀬は、これまでの、自分への会社の人事の嘘と偽りの仕打ちを、面々と訴え、若い医師を驚かせた。若い医師は、それでも、熱心に岩瀬の訴えを、克明に筆記した。  藤尾が、岩瀬を診る時、星野も同席した。 「なにか、酷いことをしてしまったらしいのですが、覚えていないのです。会社に大変な迷惑を掛けたらしいのですが・・・」  「どういうことをしたのですかな」  「なにか、ほかの面を開いて、間違ったように直しをしたと、言われました」  「そんなに、大変なことなのですか、それで、あなたは、大分、会社の人事に不満を持っているようだが、そんなことは、宮仕えでは、仕方のないことですよ」  「でも、そういうことは、許せないと思います」  「君は、相当、興奮している。そのくせ、気分が落ち込んでいる。症状はどうなのですか」  「不眠が続き、頭痛と吐き気が止まりません。腰痛もあるし」  「不眠は良くないな。いずれにしろ、ストレスが溜まっている。鬱状態ですね」  岩瀬の診察はそれで終わった。  次に、星野が呼ばれた。  そして、また、岩瀬が呼ばれた。  「僕には、そちらの仕事のことは、よくわからないが、大分、大変なことをしたようだね。たんに、君のほうが良い文章が書けるからと文章を直したりした、ということではなさそうだ。部長はそう言っているよ」  「そうですか、でも、覚えていないのです」  「覚えているか、いないかは、現代の医学ではなんともいえない。ロッキード事件の被告だって、覚えがないといったんだ。本人が言うかぎり、そうかもしれないが、すべては、本人の意識だから」  「星野部長にも、そう、言ったのですか」 「そうです、覚えがないことは、あるかもしれないし、ないかもしれない、と」  「でも、私はまったく、覚えていないのです」  岩瀬は、脳の詳しい科学的な検査を受けることになった。まず、エックス線での撮影、ラジオ・アイソトープを使っての断層撮影や、磁気共鳴装置での断層撮影に脳波の検査の日程が決まった。  星野部長は、岩瀬の  「鬱状態のため、当分の、自宅静養を要す」 との診断書を手に、会社に向かった。  家で静養状態に入った岩瀬は、不安だった。いらいらは募ったし、なぜ、こうなったかを、誰かに訴えたかった。  岩瀬は、河瀬編集局長にお詫びの手紙を書いた。それには、政治部を出てからの各責任者の人事上の「約束」が、いかに守られず、そのために、精神的、肉体的にいかに傷ついたかの経過を書き綴った表と、運動部から出る際の、地方部長への「要望書」の写しが添えてあった。  同じ手紙を、岩瀬は、星野部長と佐藤室長にも、送った。パソコンで書いたので、複製は容易で、記録も手元に残った。  その三日後、岩瀬に星野部長から電話があった。  「都合のよい日に、会いたい」という。  「では、土曜日に」  岩瀬は答えた。  「場所は、高田馬場のルノアールでは、どうだい」  「いいですよ」  「一時ころに、では、そこで」  電話があったのは、木曜日だった。岩瀬は金曜日に用事があった。  実は、彼は、「退社」という事態も予想して、転職の可能性も探りはじめていた。その応募の面接が、金曜日に予定されていたのだ。 土曜日、ルノアールで、会った星野は、大変、言いにくそうに、  「おれもこんなことは、嫌だけれども、こういう事態になってしまったので、仕方がない。自主退職をしてくれないか」 と、持ちかけた。  岩瀬の頭脳は、まだ、病んでいた。薬のせいもあって、朦朧とした状態のなかで、深く考えずに、  「いいですよ」 と、差し出された、便箋にすらすらと「退職願」を書いて渡した。  それを受け取った星野は、電話で佐藤に連連絡を取り、  「下のルノアールで、佐藤室長が待っている。確認のため、会ってくれ」 と、誘った。岩瀬は、同じ名の喫茶店が並んであるのを、初めて知った。  岩瀬は星野に従って、下の喫茶店に行くと、佐藤が待っていた。  「よく、決断してくれた。大変だろうが、また、新しい人生を切り開いてくれ」  佐藤は、そう、人情家ぶった態度で、岩瀬に告げた。  岩瀬には、何となく、わかってきた。もし、岩瀬がこのまま、病気欠勤を続け、事態を放っておくと、佐藤は、自分がこの「事件」を、まるで検察官のように、解明していく立場上、会社の懲罰委員会に提議せざるをえず、そうなれば、監督責任者としての、自分と星野にも、責任追求がなされる。当然、譴責処分は避けられそうになく、そうなれば、経歴に傷が付く。  (それが、いやで、おれに身を引かせようとしているのか)  岩瀬は、二人の「陰謀」に気がついた。その晩、家に帰った岩瀬は、星野に電話し、 「退職願の撤回」を申し出た。  星野は、  「分かりました。すでに、書面は編集局長のほうに回っているので、そのむね、編集局長に伝えます」 と、答えた。 岩瀬は、それでも心配だった。 翌々日の早朝、岩瀬は、「退職願を受領しないでください」、との趣旨の手紙を書き、会社に行って、社長になっていた大池に、渡してもらうよう、秘書課に頼んだ。  (ひょっとして、大池から、「会おう」といってくるかもしれない) との期待もあったが、大池は、ここでも、岩瀬を無視した。  (政治部へ帰す、との約束を守らないのと同じだ)  彼は、そう思い、さらに大池らこの会社の幹部と、そして組織への怨念と憎悪の気持ちをますます、募らせた。  一週間ほどが、たんたんと過ぎた。  翌週の金曜日の夜に、岩瀬は、実家の老父から、電話を貰った。  「実は、佐藤さんから電話があって、『一太郎君が退職願を撤回したが、彼は争うつもりですか。私は、自己退職が一番、本人のためにもいいと思うが、説得してもらえないか、そうしないと、所定の手続きが進んでいく』と言うんだ。『私は、もう年だし、彼も大人ですから、彼の判断に従います』と答えたおいたよ」  老父は語った。  「そこまで、するからには、佐藤さんも相当、悩んでいるのだろうか。それとも、保身に必死なのだろうか。多分、後者だろうな。僕は、覚えのないことで、責任は取りたくないから、自分から退職するつもりはないよ」 岩瀬は、気遣う老父を安心させるつもりで、答えた。そして、「所定の手続き」とは、「賞罰委員会への提訴」ということだと考えた。  そのような事態に、老母は、気弱な性格から、ノイローゼ状態に陥った。  「私は、毎日、仏檀にお経をあげているの。そうしない、胸がぐっと締めつけられる思いで、苦しくてしようがないから」  事態が、持ち上がって以来、岩瀬は、ことあるごとに、実家と相談していたが、事態が悪い方向に行くにしたがって、老母の神経過敏は強くなって、不眠と体調不調を訴えた。 「退職願」の「撤回届」が、出されたまま、膠着状態が続いた。  その後、二回ほど、佐藤と星野との話し合いが、岩瀬との間で持たれた。いずれも、同じ、喫茶店に、二人で訪れ、説得が繰り返された。  「君の将来のためにも、自己退職したほうがいい」  「覚えのないことで、責任は取りたくありません。本当に、覚えがないのですから。わたしは、制作部員との仲もあまり良くないし、殴る蹴るの喧嘩をしたことも、あります。ひょっとして、嵌められたんではないですか」 「そういうことは、絶対にない。そんなことをするはずがない」  「でも、やったという覚えがないんですから」  「でも、記録に残っているし、証人もいるのだから」  「そう決めつけないで、ほかの可能性は考えられないのですか」  「考えられないね」  話し合いは、平行線を辿るばかりだった。 十一月の初旬になって、星野部長が、「会いたい」と言ってきた。  岩瀬は、多分、「弁明のため賞罰委員会へ出席をするかどうか」の確認だと、感じたが、果たして、その通りだった。  就業規則は、「賞罰委員会では、本人に弁明の機会を与えることが出来る」と規定し、労働協約は「弁明のため、出席させねばならない」と定めていた。  その日、岩瀬は、迷っていた。それは、賞罰委員会では、最悪の場合、懲戒免職、次に諭旨解雇の可能性があるが、その場合、退職金はないか、半減されるが、自己退職なら、七割支給されるからだ。  すなわち、「争って、負ければ、得られるものは、懲戒免職あるいは諭旨解雇の不名誉記録と退職金なし。争わず、自己退職すれば、名誉は守られ、退職金も支給される」という構図だ。これに、自己退職ならば、佐藤室長と星野部長の職歴にも傷が付かないという本来の彼らの狙いが、見え隠れする。  星野部長は、「処分となれば、決して軽くはないだろうが、懲戒は金や物を盗んだりしたときだというのが前例だ、と思う。君の場合は、諭旨解雇とその下の懲戒休職の間くらいの感じだが、その差は大きいな。辞めるか、留まるかの違いだからね」 と気を持たせた。  岩瀬は、星野に  「お任せします。自己退職でもいいので、ここに新しい退職願を、持ってきましたから、お預けします。そして、賞罰委員会への出席届けにも、署名、捺印しておきます」と、伝えた。  賞罰委員会の開催は、十一月十日となっていた。 佐藤は、十一月八日の夜、岩瀬の家に電話をして来た。 「君のためにも、自己退職を勧めるよ。賞罰委員会に掛かったら、退職金も出ないから」 相変わらずの、自己責任回避の姿勢と、岩瀬は理解した。 「いや、覚えのないことで、責任をとるようなことは、したくありませんから、賞罰委員会で私の考えを述べたいと思います」 彼は、明確にそう答えて、電話を切った。 十日の朝、彼は爽快に目覚めた。八時には、すべての用意を整えて、九時過ぎには、家を出た。委員会は、十一時からの開催だったから、時間に十分な余裕があった。その間、喫茶店で、前夜、下書きをした「弁明書」を暗記した。 「弁明書」は、一切、過去の異動での「約束」違反などには、触れず、ただ、「嫌疑が掛けられようなことはした覚えがない」と訴えていた。 [弁明書] この度はこのような事態を招きまして、会社に大変な御迷惑を掛け、誠に申し訳けなく、私自身、悔しさと無念さでいっぱいです。 二度とこのようなことのないよう、強く誓っておりますので、よろしく御願いします。 私は愛して当新聞者に入社し、三十年間にわたり、盛岡支局、政治部、水戸支局、整理本部、運動部、地方部地方版編集(現・編集総センター地域面グループ)と異動する中で、誠心誠意、精一杯、頑張り、会社にも微力ながらも尽くしてきたつもりですが、今回のような”疑惑”を招き、このような委員会に出席を要請され、今、「私の記者生活は一体、何だったのか」と屈辱感と無念さでいっぱいです。 私の「罪状」といわれる「他面を開いて、間違うように直した」ことについては、まったくおぼえがありません。 というのは、もともと、整理の仕事で体調を崩して、運動部に異動しましたが、その後、「性格的に向いていない。体調を崩す危険がある」と拒否したにもかかわらず、現職場に無理矢理、異動させられた際にも、昇進の約束が守られなかったことなどもあり、精神面で、異常を感じ、会社の産業医の本社診療所医師の診断を受け、「自律神経失調症」で、病気欠勤しました。この異動は医師の「この病気は仕事の環境さえ変わればすぐ直る」とのアドバイス(注告)に反したもので、その後も症状は改善されず、ますますストレスは、募っていき、私の心と体を蝕み続けました。そのすべての記録は会社のカルテに残っているはずです。そのため、その後も何度も欠勤をくり返し、職場の仲間にはご迷惑を掛けてきました。ですから、人事異動の度の重なる「約束違反」で悪化した一社員の精神衛生を十分、配慮せず、放置し続けた方々にも、責任はあると思います。 夜勤の連続の中、日常的な睡眠不足で意識がもうろうとし、頭痛と吐き気と腰痛が、直らず、「危ない」と感じたときには、なるべく休むようにして、ぎりぎりのところで、危険を回避してきましたが、この九月は体調が最悪だったにもかかわらず、異動時期でもあり、「必死で頑張ろう」という気持ちで、無理をして勤務し、意識が不明瞭ななかで、どうにか自らの担当面は、こなしているという状態でした。(十月一日の「山梨版」は、早版だけしか作れず、遅版は同僚に御願いした状態でした)。 ですから、明確な記憶はありませんし、反証の材料はまったくありませんが、私が自ら、故意にこのような行為をしたことは、整理記者としての、約十年間の記者生命を掛けて、「絶対に無い」と断言いたします。整理職場では,「間違いを正すことに集中するのが勤め」と徹底的に教えられて来ましたし、わざと間違いにするというようなことは、とても考えられず、信じられません。ですが、意識もうろう状態の中で、そうした行為をしなかったという、確固とした物的反証は、無念にも私にはありません。むしろ、言われた事実に恐怖し、驚愕した次第です。 そのため、このことの指摘を受けた後、自ら診療所を訪れ、日本医科大学の神経科を紹介されて診療の結果、「強度の鬱状態で自宅静養が必要」と、診断され、現在、病気欠勤中です。担当医師によれば、「強度のストレスなどで、そうした無意識状態になることは、ある」ということです。この診断書は、部長を通じて会社に提出してあります。 ですから、そうした中で、そのような行為が、本当に行われたとすれば、以上のような経緯で、体調が最悪だったとはいえ、私は、ずっと愛してきた会社に対し、誠に申しわけない気持ちでいっぱいです。ただ、私の願っていた取材部での仕事の機会が、ついに再び、与えられずに終わるのは大変な心残りです。(何しろ、「二、三年で戻す」という異動の度の言葉は、すべて反故にされたのですから) 私が疑問に思いますのは、「コンピューターの記録に残っている」と佐藤・編集総センター室長は言っておられますが、確実にだれが操作したか、名前まで、記録されているのでしょうか。現在、編集者大組みが実施されていますが、割り付けを書いて組む場合もありますし、事前作業で私の担当面が開けられることもあると思います。事件を指摘された各面の原稿の「赤字直し」は、基本的に、編集者の仕事ではないため、私はその作業方法も、よく習熟しておりません。また、「証人もいる」とのことですが、「その証人はだれか。対決したい」との私の反論にも「それは言えない」としか言ってもらえませんでした。 私はLDP作業をする数名の制作部員から、ここ数年の間、再三にわたり、殴る蹴るの暴行を受けています。また、一部の編集者との人間関係もうまくいっておりません。こうしたことが、この一件の背景にあることも考えられますし、そうした暴行行為は、当然、懲罰にあたると思いますが、いかがでしょうか。 当委員会の決定で、もし、会社に留まることができれば、心と体を鍛えなおし、健康維持に努め、精一杯、頑張り、恩返しをしたいと思います。中高年の再就職が困難な状況 のなか、私も家族四人を抱え、ここで解雇や退職の処分を受ければ、路頭に迷うことになります。 どうぞ、以上のような点を御勘案下さいまして、寛大な 措置をおとり下さるよう、御願い申し上げます。 「整理記者としての長い経験を掛けて、そのようなことは、した覚えがありませんし、していないと思います」文面は、あくまでお詫びと恭順の意を強調していた。 十一時に会社の五階会議室で開かれた賞罰委員会は、各局の次長クラス九人で構成されていた。 佐藤が作成した岩瀬の「嫌疑」を示す議題は、「LDPによる紙面改ざんについて」というものだった。 委員たちは、書面でその「容疑」を確認した後、岩瀬が呼ばれ、弁明の機会が与えられた。 「こういうことは、会社に対する犯罪行為だね。どういうつもりだったのかね」 委員長の石原編集局次長が、ぶっきらぼうに岩瀬に尋ねた。 「そういうことをしたとしたら、愛する会社に誠に申し訳けないと思います。私自身、屈辱感と挫折感でいっぱいです。でも。私には、そんなことをしたという覚えが、ないのです。信じていただけないかもしれませんが、そういうことは、ある、と医師も言っています。ですから、やった覚えのないことの責任を問われても、解りませんというしかありません」 岩瀬は、精一杯の弁明をした。 「言いたいことは、それだけですか」 「はい」 委員会は、岩瀬を退席させた。 そして、これといった審議もなく「懲戒免職」と決め、十一日に通知した。こうして岩瀬の会社人間としての三十年が、終わった。 リストラの嵐の中、今、職安には中高年者の退職者が、列をなしている。岩瀬も、十一月下旬、その列の最後尾に加わった。師走の風が、彼の萎えた心に、一層、冷たい。  それから、半年後、岩瀬は、通う病院を変えた。精神医学では、先進的な医療をおこなっている川崎市のM医科大学に、通院しはじめた岩瀬は、主治医の女医、大蔵まり子の精密な検査を受けた。  大蔵は、長い間、米国のカリフォルニア大学の精神医療学科で、人格障害を研究してきた。その、手法は、担当患者と、面接して、幾つかの質問をして、その対話のなかから、患者の、精神的な障害の要因を探りだし、治療の対策を立てるという、新フロイト主義の手法によるものだった。  岩瀬は、初診の時、五十項目に及ぶ、質問シートを渡され、その一つ一つに、念入りな回答をさせられた。  その幾つかは、彼に、途方もない不快感をもたらした。  「いつもいらいらしていますか」  「はい」  「死んでしまいたいと思ったことは」  「はい」  「大声を上げて、叫びたいと思ったことは」  「はい」  その殆どが、彼に当てはまった。  そして、  「頭痛や吐き気、身体の痛みを感じたことは」  には、大きく、  「はい」 と記入した。  大蔵の問診のとき、岩瀬は、平常に応答しているつもりだった。  「それで、ほんとうに、それをしたことを、覚えていないのですか  大蔵は質問した。  「はい。まったく記憶がないのです。わたしが、そんな大それたことをしたなんて、信じられません。そう言われて、驚愕したのです」  「そうですか」  「そういうことは、ありうることなのでしょうか」  「体調が不調で、記憶を失うことは、ないとは言えません。とくに、風で風邪薬を飲んでいるときなのには睡眠作用で、そうなることもあります」  「そうですか。たしかに、あのころ、わたしは、風邪気味で、薬も飲んでいました」 「ですが、そうなると、その時は、ずっとそういう状態ですの、他の仕事も出来ないはずですね」  「それが、自分の仕事は、きちんとしていたのです」  「そこが、不思議ですね」  「はい」  「とにかく、もう少し、様子を見ます。次の診断のときには、もう少し、詳しく、お話しをしましょう。そうすれば、あなたの症状の、原因が掴めるでしょう」  岩瀬は、そういわれて、次の診察の予約をした。  大蔵は、背が高く、まるで、アメリカ映画にでてくる女優のように花が高く、色白な美人だった。ただ目が悪いらしく、丸い金縁の眼鏡を掛けているのが、彼女の整った顔を、親しみやすい表情に変えていた、しかし、その奥にある二つの目からは、鋭い視線が放たれていた。  岩瀬は、子の女医を一目見て、気に入った。もともと、知的な美人は彼の好みで、大蔵は、彼の感性にぴったりの女性だった。  だから、この病院にかようのは、かれに喜びをもたらすはずだった。  予約した、次の診察の日を、かれは、指折り数えて、待った。  そして、その前日に、かれは、散髪に行き、丁寧に風呂に入った。その日は一張羅を来て、軽い足取りで、病院に来た。  診察を待っていると、大蔵が顔を出し、  「もうすぐですから」 とわざわざ、言ってくれたことも、かれを幸せにした。  そして、いよいよ、診察の番になって、かれが、診察室に入っていくと、彼女は  「今日は、別室で、丁寧な問診をします」  そう言って、個人の住宅のリビング・ルームのような部屋に連れて行った。  「そこの、ソファーに座って、寛いでいてください」  彼女に進められるままに、岩瀬は、ソファーに座って、足を伸ばした。  彼女は、脇の流し場に行き、熱い紅茶を二杯いれてきて、テーブルに置いた。  そして、彼の向かい側のソファーに足を組んで座った。その何げない仕種のなかで、かれは、彼女が、すらりとした素晴らしい足を持っていることを、知らされた。  かれは、その足に見入っていたが、彼女の、  「治療の手掛かりに、あなたの生い立ちをお聞きしたいのですが、話していただけますか」  「はい」  「では、最初は、楽しかった思い出を話してください」  「そうえすね。これまでに、一番楽しかったのは、外国に旅行したことでしょうか」 「それは、いつごろですか」  「それは、五年前ぐらいです」  「そうではなくて、子供のころの楽しかった思い出です」  「子供のころ。女の子と遊んだことでしょうか」  「どういう」  「好きだった女の子です」  「どうして楽しかったのですか」  「それは、母と違う女性を感じたからです」  「母と違うというと」  「母は・・・、酷い女でした」  岩瀬はそこまできて、口籠もった。そして、表情が険しくなり、また、穏やかになったかと思うと、幼児の仕種をしはじめた。  「僕は、知りません。栄子ちゃんがやったのです。あのこは、僕を逸も酷い目に合わせようとしている。僕は、栄子ちゃんが嫌いです」  こえも、幼児の高音に変化していた。  大蔵は、その変化を、カルテに記入しながら、詳細に観察した。  「栄子ちゃんを何故嫌いなの」  「僕に、変なことをするんだ。身体を触ったり、嘗めたりする」  「そうされるのは、いやなの」  「気持ちがいいよ。女の子にされるのは」  「では、なぜ嫌がるの」  「そういうことは、しては行けないんだ、僕のような子供たちは、してはいけないんだよ」  「どうしてなの」  「だって、母さんがそう言ってたから」  「そう、でも、気持ちはいいのね」  「いいよ。だから、もっと、してほしいんだ」  「栄子ちゃんは、あと、何をするの」  「僕の前で、裸になってみたりする」  「それは、いやなの」  「ううん、よく、わからない。それで・・・」  「それで」  「ぼくの、ぼくの、おちんちんをさわったりする」  「栄子ちゃんは、年上なの」  「そう、二つお姉さんだよ」  そこまで言うと、岩瀬は、ぐったりと頭を垂れて、眠り込んだ。  女医は、その様子をじっくりと、観察した。  そして、カルテに、  「多重人格症の可能性」 と記入した。  岩瀬は、週に一回ずつ、通院し、大蔵の診察を受けた。その結果、岩瀬の人格のなかには、四人の人格が存在することが解明された。  一人は、幼児の太郎と言う名の人格で、これは厳格な教育を受けた真面目な人柄を持っていた。二人目は、一郎という名で、自堕落で、享楽的な性格をしていた。そして、三人目は、次郎と言う名前の、ひょうきんな人柄だった。四人目は真面目な勉強家で、道徳家だった。  その、四つの人格が、環境の変化や体調によって交互に出現していたのが、岩瀬の多重人格症だった。  大蔵は、治療の方針を決めた。  それは、そうした本人が意識できない人格の変化が、岩瀬を苦しめているのだから、四人の人格が統一して、岩瀬自信に現れるように仕向けていくことだった。  それには、まず、本人の人格を強固なものにして、本人以外の人格が出現する余地を与えないようにすることが、望ましい。自分に自信を持たせることが、統一的人格の実現に繋がる、と大蔵は考えた。  なかでも、岩瀬の幼児体験が重要だ、という判断もあった。その幼児体験は、おもに性に関連している。  (岩瀬は、母親の圧力の元で、性体験を抑圧されていたのが、人格変移をもたらした重要な要因だ)  そう思い至った、大蔵は、これまで、考えてきた、治療を思い切って、この患者に試してみようと、決意した。それは、彼女が教えられてきた、「患者のために尽くすのが医者の務め」という理念にも、合致していると思われた。  次の、診察の日、彼女は、何時もの白衣ではなく、エプロン姿で、岩瀬を迎えた。  何時ものソファーに腰掛けて、彼女は、リラックスした会話で、また、幼児に戻った岩瀬を、  「さあ。こちらに来て、お母さんの膝のうえにお出で」 と呼びかけた。岩瀬が、素直に、彼女の元に行くと、  「おまえは、お母さんに何をしてほしいの」  「こうして、抱かれているのが、来持ちいい。でも、もっとしてほしいのは」  「なんなの」  「おっぱいがほしい」  彼女はためらわずに、エプロンの紐を外し、上半身に着ていたブラウスを下からたくし上げて、乳房を露出した。  そして、  「さあ。おっぱいを上げるわ」  岩瀬の頭を、その豊かな胸に持っていった。  岩瀬は、口を彼女の右の乳房に付けて、思い切り、乳首を吸った。  彼女に、それまでに体験したことのないような快感がわき上がった。彼女には、恋人はいなかった。これまでに、多くのボーイ・フレンドが、ちかずいてきたが、そうき関係になった人は、いなかった、彼女は、なまじ、美人だったうえに、聡明な医師でもあたら、多くの男は、それだけで、深い関係に離れないと勝手に、思い込んで、一定の距離上は、近付い来なかったのだ。  彼女には、患者のために治療という職務を果たすという、名目もあったから、その行為は、無私で義務感に満ちていたから、そうされることで、このような官能の喜びがわき上がってくるとは、想像もしなかった。  「もっと、気の済むように吸いなさい」  彼女は、そうまで言っていた。  岩瀬は、両手を彼女の両の乳房に当てて、音を立てて、乳房を吸った。  彼女は、赤子に乳房を吸われる母親の心境になって、その心地よさに酔った。  部屋には、二人の他に誰もいなたったから、そこは、まさに、二人の密室だった。  官能の海は、岩瀬が、乳房を離してから、ゆっくりと引いていった。岩瀬は、吸いおわると。もとの大人の人格に戻り、眠りから覚めたときのように、朦朧とした意識の中に板が、なにか、自信のようなものが、湧いて出た様な気がしていた。  大蔵は、たくし上げたブラウスを下に降ろし、エプロンは脱いで、紅潮した頬を両手で摩擦し、洗面所で洗顔した。眼鏡を掛けなおして。もとの女医表情に戻ると、  「どうでした。気分はいい」  岩瀬に問いかけた。  「とても、よい気分です。久し振りに爽快な気分だな」  「それは、良かった。今日はこのくらいで」  次の診察日を、聞いて、岩瀬は、病院を出た。  そういう治療が、続いた。その度に岩瀬は、気分が高揚し、愉快になって、気持ちがよかった。大蔵も、治療のあとは、機嫌がよく、  「大分、良くなってきたから、そのうちに、一緒に、お食事でもしましょう」  そういう誘いかけさえした。岩瀬は、女医のそういう好意に甘えようとしたが、  「主治医とそういう関係になるのはまずい」 と深い判断をして、丁寧に、断った。  岩瀬は、治療の効果が、出てくるようになって、佐藤に手紙を書くことにした。それは、自分の疑問が徐々に、解決に向かっていることを、説明するとともに、佐藤が彼に迫って、退職させた経緯に反省を促すものになるはずだった。    岩瀬は、こう手紙を書いた。  「拝啓  その後、いかが、お過ごしでしょうか。当方は、毎日が日曜日の早めにきた退職後の生活を過ごしております。その後、病院を変え、精神医学では定評のあるM医科大学に通院しております。  そこでの丁寧な診察の結果、私は「多重人格症」と診断され、続けて、治療を受けております。  ということは、今回の私の行為は、そういう症状の中で行われたもので、私には意識がなかったということになります。  意識ないなかでの行為については、人はその責任を問われないのが、法律の建前でもあります。貴社の就業規則も、病気の社員は、休暇を与えて、治療に専念させる、としており、退職を求めることは、規則上もおかしいとしか言えません。  あなたの行為は、こうした規則に違反しているのみならず、貴重な人材を戦力とせずに路頭に迷わせ、自らの責任を回避しようとするもので、あったのは、明らかです。  そうして行為を、責任のないものに行ったことを、深く反省していただきたい。  すでに、わたしは、懲戒免職処分となったので、それを、もとに戻すことは出来ないでしょうが、今後のために、宜しく、反省され、二度とこのようなことがないように、善処してください。また、そういうことをした責任を、十分に感じて、身を処して頂きたい、と思います。                                    敬具  平成八年三月二日          佐藤制作総センター室長殿                               岩瀬太一郎   」  この手紙に対する、返事は来なかった。  岩瀬は、それは、予想していた。そして、  (そういう体質の会社だったのだ)  そう呟いて、病院と職安に行く、用意を始めた。 (終わり)   *     *      *  瀬田は、夜遅くまで掛かって、この「小説」を読了した。  胸がえぐられるようだった。多分、この岩瀬というのは、米山美智子の夫そのものの姿なのだろう。ひしひしと、中年男の哀感が伝わってきて、瀬田は途中で、何度も目頭を押さえた。それは、自分自身の身上と重なって、身につまされるものがあった。  組織の中で、個人が追い込まれて行く状況が克明に描写されていて、岩瀬の心境を思うと、瀬田は自分が退職して以来、押さえ込んでいた感情が、爆発しそうになった。怒りと憎しみと悔恨と憤怒と諦めが、ない混ぜになった複雑な感情が、胸の奥から突き上げてきて、瀬田は、急いでトイレに走り洋式便器の上にしゃがみこんで、吐き気を押さえた。それは、複雑で重たい感情だった。瀬田自身、検察庁を辞めてから、新しい仕事にチャレンジし始めて、一事は鎮静していた感情のマグマが、ふとしたきっかけで、今にも、噴出しようとしているのが、よく分かった。そういう、瞬間を薄皮一枚で、どうにか回避してきた瀬田にとって、それは、一気に燃え上がるかもしれない激しい嫌悪感だった。  その寒々とした感覚を抱きながら、瀬田は、その小説の原稿の束を裏返しにして、机の上に放り投げた。そこには、薄い毛筆書きで二種の和歌が印されていた。  ーー 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の 割れても末に 会はむとぞ思う  ーー 二人して苦しみ越えて親しみて 悠然として美しくあり  その意味は、判然としない。  だが、  (この男を、絶対に探してやる)  一時の悪寒をやっと、セーブして、瀬田は決心した。  (たとえ、どんなに報酬が少なくても、いや、無報酬でも、これはやり甲斐のある仕事に違いない)  と思ったのだった。                          (三)  米山美智子の夫捜索の依頼を受けた瀬田新一郎は、一週間ほどその手順を考えていたが、まず取りかかるべきは、手掛かりの探索だと思い至って、米山家を訪ねることにした。  ある週刊誌に「東京の最もダサイ通勤路線」として取り上げられたこともある東武東上線の田園調布といわれる常磐台にその家はあるはずだった。  瀬田は、池袋で常磐台までの切符を買ったが、その駅は、池袋から十番目の停車駅で、意外と近いことが分かった。  駅に降り立つと、確かに田園調布に似た駅前ロータリーがあり、東京の北部に多数の路線を持つバス会社のタクシーが数台止まって、客待ちしていた。そのバス会社のオーナーは、保守政界の黒幕と言われる有力者で、瀬田は、そのオーナーを政界スキャンダルの贈収賄事件で容疑者として取り調べたことがあったのを思い出していた。  タクシーに乗って住所を言った。タクシーはロータリーに真っ直ぐに入り込んでいる幹線道路を真っ直ぐに進み、最初の信号を左に曲がって、すぐに停車した。  降りたところの目の前に、よく手入れされた門柱のある家の入口が見え、その門柱の上に米山太一郎と書かれた表札が掛かっていた。  瀬田は門柱の脇のインターホンのボタンを押し、応答を待った。間もなく、聞き覚えのある米山美智子の美しいソプラノの声が聞こえ、瀬田は来意を告げた。  しばらくして、美智子が、玄関のドアーを開けて、姿を見せ中に案内した。  応接間に通された瀬田に、美智子は、紅茶とケーキを乗せた盆を持って現れ、瀬田の前のテーブルに置いた。  「遠い所をどうも有り難うございます」  美智子は丁重に例を言った。  「いや仕事ですから。今日お伺いしたのは、ご主人の失踪のなにか手掛かりが残されていないかと思ったものですから」  「そうですね。私も、一応は書斎などの書類を探してみたのですが。もう一度、専門家の目で見ていただいたほうがいいですね」  と美智子は言って、二階の書斎に案内した.  瀬田は二階の書斎で、先ず、机の引き出しから捜索に取りかかった。こういう作業は、前の仕事で手慣れている。どこに、重要な書類があるかも、職業的な経験から、だいたい分かる。それが、長年検事として培った瀬田の職人技だった。  まず取りかかった机の引き出しの中の物の探索では、大した成果は得られなかった。手紙類を纏めてある引き出しには、多量の手紙や葉書があったが、その殆どが、仕事の上の付き合いからのもので、参考にはならなかった。すでに、手紙類は、美智子が調べ尽くしていたらしく、全て時系列と、種類別に分けてあったが、私信は少なく、手掛かりにはならない。  瀬田は次ぎに、書棚に並べてあった日記帳に注目した。その日記帳は、市販のかなり堅牢に作られている物で、B5判変形でハードカバー、箱に入れられた上製品で、手に持つとずしりと重かった。一九九二年から九四年までと九五年から九七年まで二冊があった。  (これには、私的な気持ちが詰まっているに違いない。失踪の理由が分かるかもしれない)  瀬田は期待して、手に持ち、箱を開けて、扉を開いた。  瀬田は先頭から呼んでいこうとしたが、その期待は裏切られた、というのは、二冊とも、 殆ど記入されていなかったからだ。確かに使いはじめてから、二週間くらいは、メモ程度の記入があったが、殆どが、予定や行事で、心理的なものはうかがえなかった。それも、三段に組まれた一ページに書いてあるのは、一段くらいで、残りの二年は未記入が多く、殆ど内容がなかった。  瀬田は、ずっと後ろにページを繰っていった。一番後ろには、住所録があった。そこには、六ページにわたって人名と住所と電話番号の記された詳細な記録が見つかった。  (これは、宝の山かもしれない)  瀬田の職業的な感が鋭く感応した。 (最低限、一人一人当たっていけば、隠れている所が分かるかもしれない)  最初はそう考えたが、良く反芻してみると、瀬田は、いまやもう、国家権力を背景に組織の中で仕事をしていた検事時代とは違う立場なのだと思い至った。  (一人でやるには、手間がかかりすぎる。もっと、簡便なストレートな手掛かりはないか)  と考え直した。  机の上には、ワープロが置いてあり、埃を被っていた。瀬田は美智子に聞いた。  「このワープロは、見てみましたか」  「いえ、私は使い方が分からないので、ずっとそのままにしてあります。主人が使ったあとのままですよ」  と美智子は答えた。  瀬田は、ワープロの電源を入れてみた。  「ぐあーん」  という音とともにワープロは起動し、白い液晶画面が現れた。その機種は瀬田が使っている物とは異なっていたが、操作法はそう違わない。  フロッピー・ディスクは差し込まれたままになっていたから、瀬田は、そのテキストを読み込む操作をしてみた。  「ざっざっざっ」  というモーターの回転と読み込みヘッドのフロッピーをなぞる音がしたあと、画面にメニューが現れた。  メニューは、仕事、私用、創作、連絡、予定などの項目に分類されていた。  瀬田は躊躇無く、私用の欄を開いてみた。そこには、テキスト形式で、多くの文書が保存されていた。瀬田はそのいちいちを順番に見ていった。メモ類が多く、その殆どは、仕事のうえでの、覚書だった。  瀬田は、次ぎに、創作を開けてみた。そこには、美智子が瀬田に夫の創作を依頼しに来たときに、「参考に」と置いていった小説が入っていた。他にも、二十数編の作品が入っていた。  それらを全て読むには時間がなかった。  瀬田は、もっと直接的な、失踪の手掛かりが欲しかった。だが、それらしいものは、なかなか出てこない。時間だけが確実に過ぎていく。祈るような思いで、次ぎに予定を開けて見た。  予定の欄の中には、十二のファイルがあった。その中で、瀬田は、「殺しの計画」というファイルに注目した。それは、長い検事生活から、事件の臭いを感じ取ってのことかもしれない。  ファイルが画面に現れた。  そこには、「六人が死んだ」という表題があり、序章の後に、六人の名前が書かれ、その右に矢印が引かれて、右側に、「浦安の海岸で溺死体」「埼玉の野火止め用水で水死体」などの記述があり、最後に終章とある約十行のテキストだった。  瀬田は、この文書を、印刷することにした。用紙を補給し、印刷のコマンドを押して、プリンターを始動させた。長く放置されていたわりには、プリンターは正確に作動し、一分位で、刷り上がった。  瀬田は、その紙を持って来た革鞄のブリーフケースに入れた。  他にも幾つかの創作予定のメモらしき物があったが、他は、恋愛小説や私小説の創作メノのようで、関心を呼ばないものだった。  ワープロの検索作業を終え、瀬田は次ぎに、美智子に頼んで、アルバムを持ってきてもらい、夫のこれまでに係わってきた関係者の写真を見てみることにした。  アルバムは、十数冊に及んだ。  「主人は、新聞記者の習性でしょうか、写真が好きだったので」  と美智子は、言った。  「そう昔の物は要りません、最近のだけで結構です」  瀬田は美智子が用意したアルバムを繰っていった。最近のといっても、もう五年も前のものが最新だった。それ以後、写真はあまり撮っていないらしい。  瀬田は、中でも女性の写真に注目した。男の失踪の影には、かなりの確率で女がいる、というのが、常識だった。だが、それは、妻の美智子には、触れたくないことだろう。だから、美智子は、そういう女の写真は、すでに始末してしまったかもしれない。  そうであれば仕方がない、と考えて、順にアルバムを繰っていった。  多くは風景写真だったが、幾つか、会社の社員旅行で撮ったような記念写真があって、撮影場所と日付、名前を記した紙が下に張ってあった。  瀬田は、先程の創作メモの内容を思い出しながら、写真を照合していった。メモには、肩書も書いてあったから、一応の対照は出来た。ただ、名前は相当違っていた。せいぜい、姓名の内の一字くらいが同じで、他の漢字は変えてあった。それが、創作者のイマジネーションというものだろうか。  「これらのいくつかをお借りしていいですか。複写をしたらお返ししますから」  瀬田は美智子に、そう申し出た。  美智子は  「結構です。参考になるものなら、何でも結構です」  と快く、承諾した。  瀬田の米山家での作業は、夕刻まで続いたが、夕食の時間が近くなったのを見計らって、瀬田は、米山家を辞去した。美智子は  「お食事を召し上がっていって下さい」  と強く誘ったが、瀬田は固辞した。  美智子は確かに清楚で貞淑な控えめな女性で、瀬田も好ましく思っていたが、この段階では、  [飽くまで仕事上の関係者とは、一定の距離を保つ]  という瀬田の仕事上の主義の範疇の中にあった。  事務所に帰った瀬田は、先ず、旨いコーヒーを入れて、銅製のカップに注ぎ、一杯飲んで口を潤したあと、カップを持って、ソファーに座り、米山の家のワープロで打ち出した創作メモを片手に、考え込んでいた。  そのメモには、こう書いてあった。    1 浦田貞司政治部長 一九九五年十二月十一日、千葉県浦安市の東京湾岸堤防近くで発見された五十歳代の男性絞殺体事件  2 雷田久生地方部長 一九九六年九月二十日、埼玉県坂戸市郊外の河川において発見された六十歳代男性の水死体事件  3 南村仁整理本部長 一九九六年十二月二十日、東京都千代田区一橋一丁目の歩道上で発見された六十歳代男性の転落死体  4 本村泰明運動部長 一九九六年十二月二十五日、東京都渋谷区国代々木の都道上で起きた五十歳代男性の引き逃げ轢死体事件。  5 手島巌編集局次長 一九九七年三月四日、秋田県八郎潟町の開墾水田内用水路内で発見された五十代男性の薬殺死体事件  6 島田唯夫社長 一九九七年六月十四日、神奈川県相模湖町の相模湖内で発見された六十歳代男性の水死体事件    ひとしきり、この文面を読んだあと、次ぎに紙袋に入れて持ち帰った写真を取り出して、一枚ずつ見ていった。  瀬田が米山の家で、アルバムを見て、気が付いたことは、まだ二十代と思われるころの写真に美智子とは違う女性の写真が多かったことだった。それには、「小岩井農場で」とか「雫石で」という説明が多く付いていた。それは、間違いなく、岩手県盛岡市の郊外のその場所を示していた。  それらの写真の中で、微笑んでいるのは、やはり二十代の女性で、なかなかの美人だった。それは、東北美人というのだろうか。色が白く、細身で、可愛らしいという感じの女性だった。  美智子は、その写真を見て、  「あら、これははじめてみました。夫は、個人的なアルバムは、自分の手元に置いて、私には見せませんでしたから」  と言っていた。  (男が妻を置いて、居なくなるときには、親しい女の元の行くものだ)  瀬田は、そう考えていた。それは、幾つかの事件の犯人がそうだったという、経験から来た直感だった。  (この女性の居所を探ってみよう)  瀬田は決心し、翌日にも、また、米山家を訪ねて、女性の身元を調べることに決めた。 翌日、瀬田は米山家を再訪した。この日も美智子は、瀬田の訪問を歓迎し、昨日とは違う日本茶と和菓子で歓待した。  瀬田は、昨日の訪問で、気持ちがこなれたこともあって、美智子と世間話をする余裕ができていた。   「ご主人が失踪されてから、奥さんは、生活はどうなさっていたのですか」  突然の問い掛けにも、美智子は落ちついて、 「それは、無収入になってしまったので、心配しましたが、これまでの蓄えが少し有りましたので、それで、凌いできました。でも、これからは、そうも行かないと思います。でも、幸いというか、うちは子供がいませんので、私だけ、どうにか暮らしていければいいいのです。心配はしていませんよ」  と明確に答えた。そういう質問は、これまでにもされて、答えが、準備されているのかもしれなかった。  「とすると、そのうちなにか、仕事を探さないといけませんね」  「はい、そうですね。なにか、いい仕事があったら、紹介してください」  そんな話をしてから、瀬田はこの日の訪問の目的を美智子に話した。美智子は納得し、再び、二階の書斎に案内した。  瀬田は、二度目だったので、この部屋のどこにどのようなものがあるのか、大体の見当は付いていた。ただ、昨日は、時間がなかったので、重要と思われ書類だけ重点的に探したのだった。  今日の狙いは、あのアルバムに沢山写っていた女性の連絡先を探ることだ。写真には、名前も書いてあったから、これは、そう難しい作業ではないと思われた。  瀬田は、机の引き出しの一番下に、手紙類がまとまって入っていたのを、既に確認していた。それと、昨日も見た日記帳の住所録を見てみる必要があると考えていた。  瀬田は、先ず、手紙類の調査から着手した。  束になった封書やゴムバンドで止められた葉書を一枚一枚、点検していく作業は、退屈だが、その相手の職業や文面を照らし合わせると、どのような交際があったのかが、透かし画のように浮かんできて、その断片が頭のなかでモザイク模様を描き、徐々に全体像を形作ることがあるのを瀬田は、知っていた。  手紙と封書類は、美智子が、夫の失踪後、整理したのだろうか、日付け順に束ねられたいたので、いつごろの物かが、一目瞭然だった。  瀬田は、それを新しいものから順に辿っていたが、最近一年間のものには、その女性の名前、「高木葉子」は見つからなかった。二年前の物からも見つからず、三年前の束を取った瞬間、その名前が書かれた便箋が見つかった。ただ、封書の表書きは、勤めていた新聞社のセクションになっていて、そこには差出人の名前はなかった。ただ、盛岡市役所という記載があった。そのことから、瀬田は、 (これは、人目を憚る手紙なのだ)  と直感した。  内容を読んでみたが、果たして、その直感は当たった。  ーー 十月九日に、出張で東京に行きます。会いたいので、連絡してください。私はいま、この電話の所に居ますーー。  とだけ、簡潔に記してあり、直通電話らしい電話番号が記してあった。  瀬田は、  (これだ。これが連絡先だ)  と直感した。  (これは、美智子が渡した小説にあった女性からなのだろうか。いや、違うだろう)  瀬田は考えたが、答えは不明だ。  これは、大きな収穫だった。  瀬田はさらに古い手紙類を探ったが、十年以上前の物は、本人が処分してしまったのか、いっさい、見つからなかった。  結局、アルバムに夥しく登場するあの小柄な女性の手掛かりは、同じ名前の記された便箋一枚だけだった。だが、これは、見るところ、女性関係が少ない美智子の夫には、残された僅かな貴重な手掛かりに違いなかった。  取り出して調べた手紙類を元の場所に戻しおわってから、瀬田は、階下に降りていって、美智子に結果を報告した。  「今日こそは食事をしていっていただきますから」  と宣言した美智子はキッチンで食事の用意をしていた。  「手が離せないので、こちらで」  という美智子の言葉を受けて、ダイニングに入って、そこの食卓に座った瀬田は、手際よく料理を作る美智子の手付きを感嘆の表情で見つめながら、  「私も、家庭料理は久し振りですよ。本当に」  と一人ごとを言った。  「そうですか、それは、良かった。今日は、ゆっくりしていってくださいね」  と美智子は、優しく言いかけた。  瀬田は勧められたビールを飲みながら、美智子の料理の出来上がるのを待っていた。一刻も早く、今日の捜索の結果を知らせたかったが、まだ時間はたっぷりある。今日は、昨日の夜にこのことを思いついてから、一瞬でも早くこの家に来ようと思っていたので、思っていた以上に早く、家に着いてしまったので、まだ、十二時を回っていないのだ。  美智子は、薄いベージュの毛羽立った毛糸の丸首セーターにえんじのスラックスを履き、首に紐を回した長いエプロン姿で、中華鍋の前に立ち、油物を揚げていた。  小柄だが、無駄な肉は着いておらず、スタイルがよかった。横から見ると、胸にはそれなりのボリュームがあり、腰も張って、腹の部分はよく締まっていた。  要するに、この年齢の割には、なかなかのトランジスター・グラマーなのだった。そういう女性が、夫を失い、一人身をかこっている。その独り暮らしの家に、やはり、一人身の中年男が訪ねてきて、女性の料理する食事の出来上がるのを待っている。  (これは、安物の昼メロと同じ状況ではないか)  そんな思いが、瀬田の頭を過り、体の芯が熱くなった。だが、そんな内部の高まりをおくびにも出さず、瀬田は、静かにビールを啜り、その一本が終わるころ、料理が出来上がった。  手早く、揚げ物を食卓に運んだ美智子は、既に暖めてあった味噌汁と炊きあがったばかりの御飯を盛りつけて、瀬田の前に置いた。食卓には、さらに、冷蔵庫に取り置いてあった一夜漬の胡瓜と白菜、鰹のそぼろ、浅草海苔等が並んだ。  「冷蔵庫の残り物ばかりですけど、野菜を使って精進揚げを作りました。どうでしょうか」  瀬田は言われるままに、料理に手を付けた。久し振りに味わう家庭の味だった。  瀬田が検察庁を辞めたあと、妻は、  「私は、検事のあなたと一緒になったのに。私の人生はこんな筈ではなかったわ。この年ならまだやりなおせるから」  と言って、実家に帰ったまま、帰ってこないでいる。実家は、高名な弁護士の家だから、食うに困ることはない、それに、父親は無類の娘好みの人だったから、早くして亡くなった妻の代わりに家事を見てくれる娘の帰りを喜んで迎え入れた。こうして、こどもがいない瀬田の家では、ただ、ペットのオウムだけが瀬田の帰りを待つことになった。それが、もう、二年も続いている。だから、いつも外食ばかりの瀬田には、本当に久し振りの家庭の味だったのだ。  大量に山盛りになった精進揚げは、瀬田の旺盛な食欲のお陰で、一気に少なくなった。美智子もその食べっぷりを、喜んで見ていた。  「こんなに、おいしそうに食べて頂くと、作り甲斐がありましたわ。わたしも、本当に久し振りに、たった一人の食事でなく、楽しく戴いたので、食が進みました」  と言って、からになった皿をかたずけ、食後のデザートの用意を始めた。  「わたし、食事の後、濃いコーヒーを飲むのが癖になっているのですが、瀬田さんはいかがですか」  美智子が聞いたが、瀬田には、拒む理由はない。  瀬田も無類のコーヒー党で、パイプ・タバコとコーヒーが彼の仕事と日常を支えてきたといっても過言ではなかった。  「私は、ずっと、モカが好きなんです。あまり強くないでしょ。それをエスプレッソで入れるのです」  美智子は、その道具を用意して、二人分の粉を入れて、火を付けた。  暫くすると、蒸気が上がり、粉の上を潤して、コーヒーが、煎れだされてきた。薫香が部屋に漂いはじめ、食事で高揚した胸の鼓動が、暫しの安らぎを始めたのが感じられた。落ちついて、リラックスした雰囲気が狭い部屋に満ち、向かい合って座った中年の男女の間に、親しい空気が入り込んできた。  「私は、こう見えても、かなりの偏屈者なのですよ。奥さん。色々と気に食わないことがあると、我慢できなくなる。食事も、嗜好の面では特にそうです。この年になると、食べ物の好みも変わってきます。若いころは、油こい肉類が好みでしたが、最近は全く違う。さっぱりとして、味わいが深い簡素な物を好むようになった。コーヒーも量ではなく、質が欲しくなってきた。その点で、今日は、堪能しました」  瀬田は、思いもつかぬ長口説をしていた。  美智子は、ただ、旨そうにコーヒーを少しずつ啜りながら、瀬田の話をじっと両目を見つめて聞いていた。大きな瞳がこの女性の魅力の一端を担っているのを瀬田は、先日感じていた。  そんな、優しく、柔らかな昼下がりの時間に、仕事の話を持ち出すのは、野暮かもしれないが、やはり、ここに来た目的に、こだわらざるを得ないのは、中年男の性だろう。  瀬田は、  「ところで、今日の目的のことですが、どうにか手掛かりが得られましたよ」  と話し始めた。  「わたしは、ご主人は、必ず、昔からの知り合いの所か、友人を頼っていると思います。それは、職業的な経験から間違いないと思います。それで、手掛かりを考えたのですが、昨日見せて頂いた、ご主人のアルバムに多数張ってあった女性ですが、あの人については、心当たりはありませんか」  「どの方ですか」  美智子には、初耳だったようだ。それとも、妻として、その事を認めたくないのだろうか。分からない風を装って聞いた。  「アルバムを見るとよくわかりますが、その方の名前と連絡先が分かりました。これまでに、調べた結果は、この人が一番、御主人との関係が強いのではないかと思います」  瀬田はわざと「関係」という言葉を使った。それで、美智子の反応を見るためだ。  美智子は動じずに言った。  「本当に、初めて聞きました、主人にそんな女性がいたなんて知りませんでした」  美智子は、あくまで貞淑な人妻だったのだろうか。  「奥さんには、申し上げにくいのですが、こういう事件の場合は、こういうケースが多いのです。男性が、女性の元に走るのは、生命としての必然性があるのかも知れませんね」  瀬田は訳の分からないことを言っていたが、その説明に美智子は、頷いて、  「それで、どちらの方ですか」  と聞いてきた。  「盛岡の方のようです。連絡先は分かりましたが、もし、ご主人がその人の元に居るとしても、電話で聞いただけでは、答えをはぐらかされてしまうでしょう。ですから、わたしは、現地に言って、直接会って、聞いてみようと思っています」  「そうしたほうがいいのでしょうね」 と言って、美智子は、考え込んだ。  「さっそく私は、明日にでも、出向いてみるつもりです。結果は、またお知らせに上がります」  「お一人でいかれるのですか」  美智子は、当然のことを質問してきた。  「それは、そうですよ」  美智子は、また、考え込んでいたが、意を決したのか、  「私、一緒に行っては不味いでしょうか」  と聞いてきた。  これは、瀬田には、予想外の申し出だった。だが、行く方の不明になった夫を探そうという妻の気持ちはよく分かる。瀬田は、間髪を入れず、  「結構ですよ。あなたが宜しければ」  と答えていた。  (これで、美智子と一緒に、陸奥旅行が出来るわけだ。秋も深まった陸奥路で、ゆっくり温泉にでも入れば、日頃の憂さも吹き飛ぶだろう。そこに、この美人の同道があれが、それは理想に近い)  瀬田のやる気は、一気に高揚し、  「では、明日、上野駅で待ち合わせしましょう」  とすっかり日程をきめてから、瀬田は米山の家を退出した。玄関で美智子が見送ったが、既に秋の日が、西の空に落ちはじめ、歩いていく瀬田の姿を、長い影にして、地面に落としていた。  (こうして家を出るときに、女性に見送ってもらったのは、何時以来だろう)  瀬田はそう考えながら、常磐台駅へのロータリーに向かって歩きはじめていた。タクシーは呼ばなかった。この町は、歩いていくほうが、ずっと気持ちがいいと思っていた。  瀬田は池袋から地下鉄有楽町線に乗り換え、国会議事堂前までの切符を買った。国会議事堂前で降りて、真っ直ぐに、信号を横切って、国会図書館に入り、別館の雑誌棟の新聞閲覧室に行き、縮刷版を二冊借りて、記事の検索に取りかかった。                        (四) 瀬田と米山美智子は、翌日上野駅の銀の鈴の前で待ち合わせて、東北新幹線で盛岡に向かった。  地下の二十番線ホームから出るスーパー・マックス「やまびこ11号」は、午前八時五十八分に上野駅を出て、十一時四十四分には、盛岡に到着する。途中の停車駅は、仙台だけという高速列車だ。二人は十二両編成の後ろから三両目の自由席に座った。  列車は定時に運行され、約三時間の旅はあっと言う間に終わり、昼食時間を目前に、盛岡駅に到着した。  「昼食をしていきましょう」  瀬田の誘いに美智子も頷いた。  「名物のわんこそばでも食べましょうか」  この瀬田の申し出にも、美智子は、素直に頷いて、彼の後に従った。  だが、二人とも食欲は、そう湧かなかった。わんこそばは数杯食べただけで、店を出て、最初に向かったのは、米山家の書斎で見つかった女性の手紙に書いてあった発進元の盛岡市役所だった。「高木葉子」という名の女性の所在を調べればいいのだ。  瀬田は市役所の人事課に直行し、そこの係員に、事情を話して、高木葉子の居場所を尋ねた。  「高木さんというかたは、確かに、市役所に勤めていました。十年ほど前まで、市長の秘書室に居て、そのあと、税務課に移りましたが、いまは、勤めていませんよ」  瀬田は、思惑を外された。  「どうしたのですか」  「二年前にお辞めになりました。なんでも、結婚して、県外に出るということでしたが」  「そうですか。それで、いまは、何処に居られるかは分かりますか」  「いえ。掌握していません。ただ、実家が、市内にありますから、そこで、聞けば分かるかもしれません。確か、お母さんが一人で暮らしているはずですから。でも、もう高齢だから、どうかな」  その係員は親切だった。高木の実家の電話番号に電話して、葉子の所在を尋ねてくれるという。  瀬田は、その初老の係員が、電話をするわきで、結果をじっと待っていた。  電話口の先には、言っていた老母がでているようだった。  「それで、ばっちゃん、葉子さんは、いま、どこにいるねん。よかったら、住所と電話番号をおせえてくれんね。わしゃ、役所のもんじゃ。怪しいもんではねえよ」  係員は、説得していた。  すこし、間があって、老母は、娘の連絡先を言いはじめた。  係員は、それを手元のメモに書き留めた。  「ありがとうね、ばっちゃん」  と礼を言って電話を切った係員は、瀬田と美智子を交互に見て、  「これが、嫁ぎ先らしいですが。ばっちゃんの言うことは、要領を得ないんですよ。そこには、居るか居ないか分からない、といっていたようです。でも、それしか、ばっちゃんは知らないというのです」  瀬田は、渡されたメモを見た。それには。  「住所 宮城県作並温泉 佐藤方 電話 023ー36ー2585」  と書いてあった。  「作並というと、どの辺りですかね」  瀬田は、思わず、世話になった係員に聞いていた。  「宮城と山形の県境ですよ。そこにある温泉地です。私も、職員旅行で一度行ったことがあるが、鄙びた宿がいくつか在る山の温泉ですね」  「それで、佐藤さんというのは、旅館ですかね」  「いや、詳しいことは分かりません。なにしろ、耳が遠いお婆さんから聞いたので、そこまでは」  親切だった係員は、もういいだろうという素振りを見せはじめた。瀬田らは、その様子から、ここが潮時と、丁寧に礼を言って、その場を辞去した。  「盛岡にはいなのですね」  美智子が憂いが顔で聞いた。  「そうらしい。どうしようか。作並とやらに行ってみますかね」  「その前に、電話をしてみたらどうかしら」  「そうだな。そのためもある、少し休みましょう」  瀬田は、盛岡駅方面に歩きながら、途中で見つけた喫茶店に入り、静かな奥の席に座った。  薄暗い部屋の明かりのなかで見る美智子の姿は、憂いを含んでいた。上野駅では、  「旅行に行くなんて、本当に久し振り」  とはしゃいでいたのに、列車が目手地に近付くに従って、だんだん、無口になり、市役所では、貝のようになにも話さないようになったことで、瀬田は、美智子がそう社交的でないことが分かった。瀬田が家を訪れたときの軽快な話し振りは、彼女には例外だったのだ。  「これから、実家に行ってもいいですが、話では、耳の遠いお婆ちゃんしかいないらしい。余り収穫はなさそうですね」  「そうですね。それに、聞いても言葉が分からない。あの係員さんの話も、半分も分かりませんでした」  それも、美智子が無口だった理由かもしれない。  「思い切って、作並に行きましょうか。どうせ、他に当てはないのだから、電話をすることもないでしょう。直接行ってみましょうよ。われわれは、ただ、高木葉子の行方を追えばいいのですから。ご主人が初任地だったこの町は如何ですか」  「私は、初めて来たのですが、落ちついたいい町ですね。ここで主人が仕事を始めたのは、幸運だったでしょうね。多分、そのころは。それに違いありません」  瀬田は、まずいことを話し掛けたと後悔した。美智子は、その時代を知らないのだ。美智子の結婚は、彼が東京に上がってきてからのことなのだ。その空白の時間を彼女は、埋めようとして、瀬田の誘いに応じたのかも知れない。しかも、いまは、その当時、夫が付き合っていただろう幻の女性の行く方を求めて、ここに来た。それも、蒸発した夫の姿を求めて。  瀬田は、胸が締めつけられる気持ちがした。 (なんという健気さか。なんという忍従か)  瀬田の胸には、目の前の席に座って、ゆっくりコーヒーを飲んでいる小柄な女性への同情心が湧きあがり、今にも、抱きしめたい衝動が突き上げたが、この場所は、それには、相応しくない場所と分かっていたから、その素振りは見せなかった。  しばしの休息を終えた二人は、盛岡駅から仙台へ向かう新幹線に乗ることにした。作並を地図で調べると、仙台から山形へ向かう仙山線の途中に在ることが分かった。  仙台で乗り換えて、そのローカル線で行けばいいのだ。時刻表を調べると、盛岡駅午後三時三十六分発の「やまびこ18号」に乗ると、仙台には午後四時五十七分に到着する。そのあと、すぐに、仙台から快速「仙山17号」が出発し、作並には午後五時二十七分に着くことになっていた。  それが最短の行程である。  二人は、再び新幹線の乗客となった。仙台までの一時間半は、ただ、眠っていた。  その眠りの中で、瀬田は久し振りに夢を見た。家での眠りでは、ここ数年、夢を見たことがなかったから、それは、新鮮な驚きを瀬田にもたらした。それは、こういう内容だった。     ーー 明るい光の中に美智子に似た少女が立っていて、こちらに笑い掛けていた。すると、急に彼女を照らしていた地平線の七色の光が薄くなっていって、回りが暗くなった。女の子の顔が、徐々に、見えなくなっていきそうだった。その子は地平線に向かう一本道を向こうに走っていこうとした。僕は、その後を必死で追いかけたが、少し、近付くと、また遠ざかるの繰り返しで、なかなか追いつけない。あと一歩のところで、足が止まってしまうのだ。女の子は行き止まりの崖の所まで来ても、そのまま進んでいこうとしていた。崖の下には荒波の洗う大海原が広がっていた。女の子は道が切れるのも知らぬように、真っ直ぐに進んでいった。僕は、必死で追いかけた。女の子は、崖から落ちようとするその時、一歩、前に踏みだして、空中に飛んだ。僕も、引かれるように空中に飛び上がった。いつのまにか、背中に羽が生えていた。  僕はその女の子に導かれて、空中に舞い上がった。空中で、僕はその子に追いついて、ひしと互いの体を抱き合い、しっかりと一体になっていた。そして、明るい天空を目指して、空中を昇っていった。周囲が、段々と明るくなり、その明るさのために目を開けていられなくなった。光の輪が回りはじめた。  その時・・・・・・、    「仙台、仙台、仙台に到着します」  という車掌のアナウンスが聞こえて、瀬田は目覚めた。  起き掛けに美智子の顔を見ると、顔の回りに光があった。  仙台駅では、慌ただしい乗り換えだった。  新幹線から在来線のホームヘ急ぎ足で進み、どうにか間に合って、短い編成のディーゼル列車に乗ることが出来た。  列車は、両側に乗しかかるように茂る木々の中を進んで行く。まさに、深い山中を行くローカル鉄道だった。列車に乗客はそれほどいなかった。みな、山形へ行くのだろうか。学校から帰る学生の一団が座った一角だけに華やかな話の渦が湧いていた。  狭いボックス席に向い合わせに座った瀬田と美智子は、素晴らしい山の景色に驚嘆しながら、差し障りのない話をしただけで、すぐに、作並の駅に到着した。  駅を降りても、宿が在るわけではない。幸い、駅前に宿泊案内所があった。二人は、その建物の中に入っていき、旅館を探した。  カウンターの向こうで、若い女性の職員が、二人を見て、  「お二人連れなら、この宿がいいですよ。街道から離れていて、静かで、離れもあります。露天の家族風呂も付いています。お二人連れには、ぴったりです」  と勧めた。その顔が、遠慮なく美智子に注がれていて、探るような目つきだったのを瀬田は、見逃さなかった。  (こういう形で、こういう所を訪ねるのは、そういう関係の人なのか)  という思いが過って、この雀斑だらけの女性職員の勧めには乗りたくない気がした。  「いえ、もっと、大きく、ホテルシステムの宿はないですか」  瀬田は、美智子を気使いながら聞いた。  「そうですね。ホテル型というと、個室でドアーに鍵が掛かるような部屋ですね。生憎、こちらには、そういう形の宿はないですね」  女性職員は、けんもほろろに答えた。  「では、仕方がない。普通の旅館でお願いします」  そういって、瀬田は、美智子の同意を求めた。美智子は、頷いた。  宿は、路沿いで、裏に川が流れていて、その岩場に露天風呂があるという日本旅館に決まった。職員が連絡すると、旅館から、マイクロバスが迎えにきた。  二人は、バスに乗り込み、旅館に入った。それは、想像以上に、大きな旅館で、中居に案内された部屋は、母屋と離れて建てられた窓を開けると渓流のせせらぎが見える川沿いの場所にあった。  (あの女子職員は、結局、自分の勧めたい旅館に決めたのだ)  雀斑顔の女子職員のなかなかの商才に、瀬田は舌を巻いた。  (だが、これも、悪いことではないかもしれない。こうして、美智子と一緒に、同じ部屋に泊まれるのは、あの女性社員のお陰だとも言える)  その美智子は、なんの異論もなく、瀬田に付いてきた。それもいたしかたないことだろう。こうして、この旅館に案内されて来たのは、飽くまでも、偶然ときっかけの成せることである。こういう状況では、個人の気持ちを越えるところで、事態は進行していくのだ。  それなりの人生経験のある美智子には、そういことは、よく分かっているに違いない。  「さて、宿は取れたけど、これから、どうしましょうか。もう日も落ちはじめたし、佐藤さんの家を訪ねるのは、明日にしたほうがいいかもしれない」  瀬田は、疲れていた。すこしゆっくりしたい気分だったから、素直に、美智子に聞いてみた。  「そうだわね。折角、温泉に来たのだから、ゆっくりしましょうか。お風呂に入って、休めば、いいアイデアも浮かぶのではないですか」  と快く、瀬田の提案を受け入れた。   瀬田と美智子は、早速、旅館の浴衣に着替えて、風呂に向かった。担当の仲居の話では、 「こちらには、素晴らしい露天風呂があるのですよ。渓流沿いの岩場に作ってあるんですが、そこから眺める山の景色は絶品です。宜しかったら、お酒でも飲んで、入られたらいいですね」  ということだった。  瀬田はそれもいいと思っていたが、美智子は、  「普通の浴場もあるのでしょう。わたしは、寒いのが嫌だから、室内の風呂に行きます」  と断言した。  こうなれば、仕方がない。露天風呂は、夜は、混浴になるという。夕食の後に、もう一度、誘ってもいいと考えて、旅の疲れを癒す一度目の風呂は、別々に入ろうと、納得した。  瀬田が向かった露天風呂は、長い廊下を下って行って、突き当たりを左に向かうと、屋外に出るが、そこからまた、川の流れに沿って、数十メートル下流に降りた岩場に作ってあった。  竹の柵で入口がしつらえられていて、「露天風呂」と紺地に白い字で染め抜かれた暖簾が掛かっていた。瀬田はその入口の暖簾を手で揚げて、脱衣場にはいった。衣類をいれる籠が用意された棚が並んでいたが、そのなかに衣類が入ったものは、なかった。  (誰も入っていないらしい)  と瀬田は考えて、やや気を大きくして、下も隠さずに大胆に脱衣して、風呂へ向かった。 確かに、豊かに澄んだ湯を湛えた岩風呂に人はいなかった。瀬田は安心して、体を洗うのもそこそこに、風呂に浸かることにした。  湯温は高く、脚を入れた瞬間、すぐに引っ込めてしまったが、ゆっくりと沈んで体を暖めると、一気に体が火照ってきて、気分が良かった。  じっとしながら、周囲を見回すと、流石に自慢の自然だけに、鬱蒼としたブナの木の森が広がり、少し足を踏み入れれば、すぐにでも猪や熊に出会いそうな気がした。  体を洗うことは、考えていなかったから、瀬田は、十分に湯船でゆっくりするつもりだった。手拭いを絞って、頭に乗せて、めい黙していると、あらゆる世間の煩わしいことが忘れられそうだった。  そうして、静かな時間の流れを肌に感じていると、突然、静寂が破られ、せせらぎの音に、高い嬌声が混じって、こちらに向かってきた。  それは、確かに、こちらに向かっていた。瀬田が耳を済ましていると、その声は三種類あった、いずれも人間の女性のものである。 彼女たちは、集団でこちらに向かっていた。 (確か、仲居は夜は混浴です、と言っていたようだ)  瀬田はそう考えたが、間違いなく、女性たちは、瀬田がいま入っている風呂場も目指していたのだ。  瀬田は目を開けて、その声の方向を見た。だが、向こうは瀬田がいることさえ気が付かないらしい。すでに、やや光が薄暗くなり、鬱蒼とした森のお陰で、その場所は、元々暗かったから、岩の影に隠れたように風呂に浸かっている瀬田に、気が付かないのも、頷けた。  三人の女性は、あっという間に、湯船に入り、お喋りのしどおしで、完全に瀬田の存在は、眼中になかった。  瀬田は風呂から出るきっかけも、彼女たちに挨拶するきっかけも失った。既に相当温まった体で、額に汗を浮かばせながら、瀬田は、風呂のなかで堪えていた。だが、そういつまでも辛抱が続く訳はない。意を決して、風呂から出ようと、瀬田が、立ち上がろうとした瞬間、彼女達が、突然こちらを向き、  「きゃー」  と喚声を上げ、胸に両手を当てて立ち上がった。  瀬田はその勢いに、驚いて、再び、風呂に腰を落とした。  だが、彼女たちは驚いたまま、立ちすくんでいた。その顔の向けられた先は、しかし、瀬田のいる所より、もっと上の方だった。  彼女たちが見ている先を、瀬田も見上げた。熊笹の茂った藪を何かが動いていった。それは子熊くらいの大きさで、大型の日本猿あるいは、猪のようにも見えたが、緩慢に、崖を登っていって、山の中に消えていった。  瀬田は、恐ろしくなった。彼が入っていた風呂のすぐ上に、その何物かはいたのだ。瀬田は全く気が付かずに、ゆったりと、のんびりと、湯に浸かっていたのだ。  女の子たちは、動くものが遠ざかったのを確かめて、再び、湯に浸かろうと、腰を降ろしたが、この時、  「また、戻ってくるかもしれない。危ないから、出たほうがいいな」  と瀬田が言いだしたのを潮に、彼女たちも上がる気になったらしく、今度は、タオルを身体中に巻いて、瀬田の後に従って、脱衣所へ向かった。  瀬田は、興奮していた。この衝撃を、一刻も早く、伝えたいのは、美智子意外にはいない。  早足で、部屋に帰ると、既に、美智子は帰っていて、夕食の支度もしつらえられていた。 「いかがでしたか。露天風呂は」  美智子は、気楽に話しかけてきたが、瀬田は、興奮が収まらず、  「いや、大変なことがあった。なにか、異様な物に襲われそうになったよ」  と、先程経験したことの顛末を語った。  「それは、それは、驚いたでしょう」  意外と、美智子は平静だった。薄く笑みを浮かべて、応じている。  「天国で地獄を見そうになったんですね」  それは、女性たちが入ってくるのを嬉しそうに待っていた瀬田の心境を鋭く突いていた。  夕食は、食べきれないほどの量で、山菜や川魚、猪の肉などが豪華に並べられ、瀬田も美智子も満腹した。  食事が終わると、仲居が布団を敷きにきた。  「お布団は、どう敷きましょうか」  仕事の上の日常的な質問をされたが、瀬田には重い意味を持って響いた。  この部屋には、四畳程の別室が付いていた。そこは、女性の化粧台があり、言わば控えの間という感じで、使うようになっていた。その部屋で、美智子は、いま、髪を直していた。  「そうだな、ここに並べて下さい」  と瀬田は即答したが、心中は、  (あとで、俺のだけは別室に敷き換えよう)  と思っていたのだ。  だが、旅館の宿帳には、飽くまで、「夫婦」ということになっている。いま、別室に布団を分けて敷いてもらうのは、不味いと考えた。  仲居が去ってから、瀬田は、布団を別室に持っていき、狭い部屋に敷きなおして、襖を閉めた。  美智子は、何も言わなかった。それは、当然のことと、考えているのだろうか。  「明日は早いから」  と九時すぎには、床に入った。  瀬田がうつらうつらし始めたのは、だが、十時すぎだったろうか。風呂場での興奮が続いていて、なかなか寝つかれなかった、それに隣の部屋には、成熟した魅力的な女性が寝ているのだ、健康な男である瀬田にも、それは、大きな気掛かりだった。  だからかもしれないが、十一時を過ぎたころ、瀬田は、半覚醒の状態で、隣の部屋の物音を聞いた。それは、衣擦れの音で、布団から美智子が忍び出ていく音だった。  そのあと、襖が開き、廊下を足音が遠ざかっていった。  (なにかの用事があるのだろうか)  と睡眠状態を抜け出せずに、瀬田は考えていたが、再び、眠気が戻り、深い睡眠に落ちていった。  朝になって、瀬田は心地よい寝覚めを感じて、目を覚ましたが、隣の部屋の美智子は、まだ熟睡しているようだった。  瀬田は、襖を開けて、隣室に入り、美智子の様子を見た。年に似合わぬあどけない顔つきの寝顔だった。  それを確かめると、廊下の椅子に座って、渓流の流れを眺めていた。あの先に、昨夜入った露天風呂がある。昨日のあの異様な物体は何だったのだろう。いろいろ考えたが、思い浮かぶのは、猪か熊といった野性動物だったのではという推測だけだ。  そのあと、昨夜の美智子の行動が思い出された。美智子は、夜中にどこへ行ったのだろう。しばらく考えたが、わからなかった。  それは、本人に聞けばいいことだ。  瀬田は、再び、寝ている美智子を見た。美智子は寝返りを打った。そのとき、首の左側に、赤い縦の筋が数本、入っている傷痕が見えた。  それは、昨日までは、なかった疵だった。  瀬田は、何かが美智子に起きたのではないかと、疑った。驚いて、美智子を見つめていると、やっと、美智子が目覚めて、瀬田が見ているのに気が付いた。  「あら、早かったのですね。おはようございます」  そう言ったときの美智子は、にこやかで、昨日までと変わらぬ、楚々とした仕種だった。  (なにかがあったのに違いないのに、様子は変わらないのは、何故なのだ)  瀬田の心に、美智子への疑惑が芽生えていた。  朝食は、どこの旅館でも出るような、定番のメニューだった。美智子と瀬田は、並んで、食事を取ったが、なにも話はしなかった。瀬田の心には、美智子に聞きたいことが沢山あったが、それを口に出して言うことは、憚られるような気がした。だが、いつかは、昨夜のことを聞かなければならないだろう。  チェックアウトをするときになって、瀬田は、  「今日は、高木葉子の婚家に行ってみますが、連絡はしておいたほうがいいだろうか」  と美智子に聞くと、美智子は、  「いえ、もう、行く必要はないですよ。私達は、秋田に向かわないといけないのです」  と突然、言いだしたのだった。  「えっ、それはどういう意味ですか。なぜ、佐藤家に行く必要がないのですか。われわれは、そのために来たのでしょう」  「いえ、実は、昨夜、私が葉子さんに会いました。あなたに内緒で、電話してホテルに来て貰ったのです。事情を話すと、葉子さんは、確かに夫と、会ったということを認めました。だが、一昨日に、夫は、秋田に行くと行って、出ていったのだそうです。ですから、もう会う必要はないでしょう。葉子さんには、これ以上迷惑は掛けられませんからね」  瀬田は、納得が行かなかった。  (なぜ、私に無断でそんなことをしたのだろう)  瀬田は、不愉快な気分になって、声を荒らげて、  「なぜ、一人で会ったのですか」  と詰問していた。  「それは、夫が初めて心を通じた女性だから、女同士で話がしてみたかったからです。本当は、あなたも同席して頂いても良かったのですが、もうゆっくり、お休みだったようだし」  美智子は、本当に済まなそうは、顔をして、下を向いて、言い訳をした。  そういう表情をされては、瀬田もそれ以上、問い質すことは、できない。それに、そもそも、この捜索依頼は、この人からのものだ。依頼人本人が、それでいいと言っている以上、それ以上を求めることは出来ないだろう。  「秋田へ行くのですか」  「そうです」  「秋田の何処へ」  「分かりません。ただ、何かが起きるような気がするのです。だから。それを確かめればいいんです」  「何かというのは」  「事件です。夫が書き残した捜索メモにも確か、秋田があったのではないですか」  瀬田は、持って来たブリーフケースの印刷書類を取り出して見た。  そこには、確かに、   [5 手島巌編集局次長 一九九七年三月四日、秋田県八郎潟町の開墾水田内用水路内で発見された五十代男性の薬殺死体事件]  との一項目があった。  今日は、三月二日だから、その日付は明後日になっている。  (あさって、事件が起きる)  とこの妻は直感したのだ、だからこそ、一刻も早く、現地にいきたのだ、と瀬田は理解した。 二人は、仙山線で山形に出て、奥羽本線に乗り換え、秋田に向かうことにした。  作並からは山形まで、快速「仙山3号」で、約三十分、山形で奥羽本線の特急「こまくさ7号」に乗り換えると、秋田には午後三時十分過ぎに到着する。約四時間の旅になる。  奥羽本線は、山形県を縦に貫く母なる大河、最上川に沿って、新庄市まで北上し、そこで、西に折れて酒田市に向かう最上川と別れ、真室川町、横手市を経て、秋田に至る行程だ。 沿線は奥羽山地の真ん中にあり、線路の両側には、深い森が迫っている。  その鬱蒼とした落葉樹林を目にしながら、美智子は、  (こんなに遠くまで、夫は何をしにくるのだろう)  と静かに考えていた。  確かに、夫の創作メモには、秋田で、何かが起こるという、予告が記されていた。それが、真実なら、他の記述も真実でなければあらない。その点が、美智子には、大いに気掛かりだったので、奥羽本線の特急の車内で、瀬田にそのことを聞いてみた。  「瀬田さん、あの夫のメモに書かれていたことは、実際に起きているのですか。なにか、おどろおどろしいことが、沢山、買いてあったようですが」  瀬田は、また、その印刷されたメモを取り出して、美智子に見せながら、  「それが、一番大切なことなので、私は、国会図書館で、新聞の縮刷版で、調べてみました。もちろん、新聞に全ての事件が掲載されている訳ではないですが。これが、その照合表ですよ」 瀬田は、彼がチェックした事件の、実際に起きた否かの表を、美智子に見せた。  *1 浦田貞司政治部長 一九九五年十二月十一日、千葉県浦安市の東京湾岸堤防近くで発見された五十歳代の男性絞殺体事件  *2 雷田久生地方部長 一九九六年九月二十日、埼玉県坂戸市郊外の河川において発見された六十歳代男性の水死体事件  3 南村仁整理本部長 一九九六年十二月二十日、東京都千代田区一橋一丁目の歩道上で発見された六十歳代男性の転落死体  4 本村泰明運動部長 一九九六年十二月二十五日、東京都渋谷区国代々木の都道上で起きた五十歳代男性の引き逃げ轢死体事件。  5 手島巌編集局次長 一九九七年三月四日、秋田県八郎潟町の開墾水田内用水路内で発見された五十代男性の薬殺死体事件  6 島田唯夫社長 一九九七年六月十四日、神奈川県相模湖町の相模湖内で発見された六十歳代男性の水死体事件  「このうち、1と2が新聞に乗っていた事件です。もちろん、被害者の名前は違いましたがね。たしかに、これらの事件は起きていました。しかも、犯人はまだ検挙されていません。警察は、捜査本部を置いて、捜査中です。3と4の事件ももし、本当に起きていて、未解決なら、捜査が継続されているでしょうね。それより、問題は、5の事件が、明日の日付になっていることですね。1と2が実在するのなら、この事件も起きる可能性が高い。私達は、八郎潟に急がねばなりません」  「それなら警察に連絡したほうがいいのではないですか」  「だが、これは、あくまでも、われわれの想定なのですから。証拠があるわけではない。そういう話を警察が信じてくれるとは思えないじゃないですか。われわれの力で、あなたの夫を捜し出すことのほうが、肝心ですよ」  瀬田の力説に美智子も納得した。  三月の陸奥は、近くに春の訪れを感じてはいるが、まだ深い雪の中にある。  列車が大石田付近を通りかかったころには、左側に最上川が現れて、白い雪を抱いた山塊と川の黒さが、墨絵の世界を醸成していた。黒く沈んだ川の流れのなかに、一点の黒い粒があり、ゆっくりと下流に向かって動いていた。さらに遠くにも同じような点が見える。動く速さは、実にゆっくりとしていて、自然の雄大な風景の中に、僅かな染みとなって、浮かんでいた。  「あれは、何かしら」  と瀬田に聞いた美智子は、  「ああ、あれは、最上川舟下りの屋形舟ですよ。船頭が最上川舟歌を歌いながら、ああやって、下流に流していく。冬の最中には、なかなか風情があるものですが、そろそろ、冬も行きますから、今頃は、そう舟も出ていないですね」  瀬田は、若いころ、この地で起きた妻殺し事件の捜査の応援に来て、一冬を過ごしたことがあった。そのとき、こちらの検察官らに誘われて、休日の一日を最上川舟下りで遊んだことがあったのだ。  「そうですか。風情がありますね」  美智子は、遠くを見ていた。  (もし、夫が高木葉子とこの地に遊んだならば、やはり、同じことをしていたに違いない。もし、夫が、その頃のことを、追憶するためにこの地を訪れているならば、必ず、ああして、川を下っていったのではないか。  夫が、確かに葉子の言うように、秋田に向かったとしたら、それは、この列車ではなく、あの川舟でに違いない) と彼女は想像している。  そして、それは、  (もしかして、あの葉子さんは、私に、既に夫は立ってしまった、と言っていたが、あれは嘘だったのかも知れない。あの晩、私は、葉子さんと別れてから、興奮を収めようと、瀬田さんが素晴らしいと言っていた露天風呂に入ったのだった。風呂には私一人しかいなかった。そして、あんな酷いことに会ったのだわ)  という回想に繋がっているのだ。  (そのことを瀬田にも、だれにも、言えない。言えないのは、それは、自分一人の記憶として、止めていたいからだが、自分の推測を確かめる証拠がなかったから、人に言うのが憚られるのだ)  と瀬田は思っていた。 美智子は、そうして、昨晩、「秘密」を持った。その秘密は、確かに、彼女の夫の失踪と密接に繋がっているように思えたが、確かではなかった。  列車は、確実に距離を稼ぎ、午後三時十二分の定刻に秋田駅に到着した。  二人は秋田駅に降り立ったが、そのあと、何をすべきかの当ては、なかった。すべきことは、美智子の夫の足取りを追うことだが、手掛かりがない。美智子が葉子から聞いたのは、  「秋田へ行くといっていた」  という伝聞だけである。それだけを聞いて、瀬田の持っていたメモの内容から、   「すわ鎌倉」  とおっとり刀で、秋田に向かったのだから、無謀と言えば無謀だった。 「八郎潟は、ここから各駅停車で四十分位の所ですが、行ってみますかね。それとも、秋田に宿を取りますか」  瀬田は考えあぐねていた。  「メモには、八郎潟とあるのだから、行ったほうがいいのではないでしょうか。彼方にも宿はあるでしょう」  美智子は先にいくことを主張した。  「しかし、この時刻なら、まだ秋田にいるということも考えられますよ」  瀬田には考えがあった。このまま、駅で張っていることのほうが、効果的かもしれない。メモには「薬殺死体」とあるのだから、農薬を扱う店を当たるという手もある。だが、いずれも、場当たり主義的で、確率が低い。  「やはり、八郎潟に向かいましょう。彼方の駅で待った方がいいかもしれない」  そう結論して、二人は、またホームに戻り、奥羽本線の下り普通列車を待った。                      (五)  陸奥の春は、長い雪の季節からの解放感を伴って、突然やって来る、人々が、その春の季節の訪れを待ち望んでいる三月の中旬、日本海からの海風が吹きつける秋田県八郎潟町では、前代未聞の事件が起きていた。  それは、二回目の任期の途中の金城勇・町長が、行方不明になるという事件だった。  年度末のそのころ、町議会では新年度の町予算案が審議されていたが、日程三日目の議会に出席を予定していた金城町長が、姿を見せなかったのだ。  役場の職員は、直ちに、町長の家に連絡を取って、所在を確かめたが、家人は、  「昨晩遅くに、本人から電話があって、今日は役所の仕事が終わらないので、町のいつもの旅館に泊まると言うことでしたが」  と言って、訝った。  町の秘書係は、前の日は、町長から、  「今日は一人で帰るから、送ってもらわなくてももいい」  と言われて、何時もは車で自宅まで、送り届けるのを、していなかった。  すなわち、役場の秘書係は、役場で町長と別れ、後は、運転手が送っていったのだった。  そういう事情が分かって、次ぎに、運転手から事情が聞かれた。  初老の運転手は、  「確かに、昨日は役場から町長を乗せていったが、町長から、今日は町のなかの旅館に泊まるから、と言われて、橘屋旅館まで送っていって、玄関で降ろして、帰っただ」  と言った。  役場の役人は、橘屋旅館に、電話を入れた。  電話口に出た女将は、役場からの電話と知って、  「いつもお世話になっております」  と愛想良く答えた後、職員の問に、  「いえ、昨晩は、町長さんは、お見えになりませんでしたよ。間違いありませんよ」  と明確に返答した。  町長は消えてしまった。日が変わってから、もう十時間たったが、行方はようとして知れなかった。  鳩首会談した役場の助役や収入役らの幹部は、あれこれ考えた挙げ句、警察に「捜索届け」を出すことを、決断した。  届けは秋田県警象潟署に出された。受け取った署長らは、届けを受けて、事件の重大性を鑑みて、同署の総掛かり体勢で捜査に臨むことにした。  直ちに、無線通信による緊急手配が行われ、金城町長とみられる不審な人物が見つかった場合は、どんな些細なことでも連絡するよう指令された。行方不明者捜索では、通常は考えられないような、大掛かりな体勢だった。  日本海のかなたに夕日が美しく沈みはじめた午後五時半すぎに、八郎潟の先端にある埋め立て地の先の堤防で釣りをしていた少年たちが、そろそろ竿を収めて、釣り上げた魚のビクに水を入れようと堤防の裏の用水路に降りていった。用水路は、コンクリート製で幅三メートル位、深さ四十センチ位の大きさで、水の流れは緩やかだった。用水路の堤防の下の部分は、トンネルになっていて、長い暗闇が奥へと続いていた。  少年の一人が、ブリキの缶を水の流れに入れようとしたとき、そのトンネルの中に、黒い塊が押し込まれているのに気が付いた。  少年は、その塊のために水の流れが妨げられているのを取り除こうと、落ちていた気の棒で塊をつついた。しかし、塊はびくとも動かず、少年はもう少し太い木の棒を拾って思い切り、突いた。すると、塊は、くるりと引っ繰り返って、下になっていた部分が、上に持ち上がった。そこに見えたのは、人の顔だった。  「ひえー」  少年は、大声を上げて、堤防の上にいた仲間を呼んだ。  不審な死体発見の報せを受けた秋田県警象潟署の佐藤文雄刑事課長は、部下の刑事や鑑識課員を伴って、発見現場に急行した。  現場までは、綺麗に舗装された農道が続いていて、車での到着はそう時間がかからなかった。すでに現場は地元の派出所の警察官が張った立入禁止の紐で保存が完璧になされていた。その回りを近くの水田で農業をしていた人たちが遠巻きに囲んでいた。  佐藤刑事課長は、部下の署員に手伝わせて、遺体を農道上に引き上げ、そこに敷いたビニール・シートの上に置いた。  顔を見ると、直ちに、それが、失踪中の金城・八郎潟町町長であることが分かった。遺体は損傷しておらず、衣服もきちんと着ていて、生前と変わらぬ整った姿をしていた。  鑑識課の現場保存作業が続くなか、佐藤課長は、  (遺体に傷痕が見られないことから、外部傷害による死亡ではないだろう。それに、水も飲んでいない。なんらかの内部的な要因での死亡ではないだろうか) と考えていた。  それほど遺体は綺麗だった。ただ、顔色が青ざめていて、チアノーゼ反応が見られたのが特徴的だった。  写真撮影や現場の見取り図の作成が終わって、遺体は、秋田大学医学部に搬送され、解剖されることになった。  佐藤課長も、現場から署への一通りの報告を終えて、署へ引き上げることにした。  不明の町長を探している八郎潟町には、すでに県警本部を通じて報告がなされているはずだ。現職町長の不審死事件だけに、マスコミの注目を集めるのは必至だった。世間が成り行きを注目するのは間違いないことだった。  果たして、署に帰ると、各紙の新聞記者やテレビのカメラが多数、押しかけて来ていた。だが、この事件が事故なのか、他殺なのか、自殺なのか、まだ断定は出来なかった。  遺書らしいものがないのは確かだった。前夜に「今晩は泊まる」という本人からの電話が自宅に掛かっていることから、自殺の線は、薄いと思われた。ただ、新年度予算案の審議で疲れていたという証言もあり、捨て去るわけにはいかない。  また、事故の線も可能性が薄いと思われた。町から遠くは離れた埋め立て地の先端で死んでいたのだから、事故とは思えない。外傷もないのだから、交通事故も除外される。あとは他殺の線だが、これが、一番可能性が高かった。  ただ、その理由と、方法、さらには犯人の手掛かりはいまは、まったくない。死因は、司法解剖で解明されるだろう。どのような方法で、町長は殺されたのか。その疑問の解明に、解剖の結果が待たれた。  解剖は、その日の夜、秋田大学医学部法医学教室で行われた。執刀したのは、同教室の森島恒夫教授である。  森島は、遺体にまったく外傷がないのに、、驚いていた。屋外での死亡の大半は、外傷による。事故や事件の被害者の殆どは、致命傷となる傷を受けているが、この死体はまったく綺麗だった。  体の真ん中の正中線をメスで真っ直ぐに切り下ろして、内蔵を外した森島は、しかし、その時点で死因がハッキリと予測できた。手にした肝臓が変移して、緑色に変わっていたからだ。それは、毒物による死亡を意味していた。すなわち、この死体は、毒物を摂取して死んだのである。森島教授は、血管から血液を採取し、精密検査に送った。  脳の機能は正常だった。肺や気管支にも異常はなく、他に原因らしきものは見つからなかった。ただ胃と腸内にモツや鳥肉、豆腐の残存物とアルコールが認められた。 森島教授は血液検査の結果を待って報告書をまとめることにした。  血液検査の結果は、  「血液中から青酸カリ化合物を検出した。赤血球への吸着度は過大で致死量に達している」  となっていた。  森島教授は、結論した。  「死因は、青酸カリ化合物の摂取による毒物死。アルコールが相当量摂取されていることから、酒と一緒に飲まされた可能性がある。死亡推定時刻は、一九九七年三月三日午後十時から同月四日午前零時の間と予想される」  という報告書をまとめ、その他のデータを加えて、県警本部に送った。  解剖結果は、明確に他殺の線を打ち出していた。町長が青酸カリを持っていたという事実はないから、誰かが飲ませたことに間違いない。  この報告を受けた秋田県警と象潟署は、同署に「八郎潟町長殺人事件捜査本部」を設置して、本格捜査に乗り出した。佐藤刑事課長は、その捜査主任に任命された。  八郎潟駅で美智子の夫を待っていた瀬田らは、結局、夕方まで、見つけることができずに、秋田に引き返した。それは、八郎潟町には、適当な宿がなかったこともあるが、秋田にいても、この町の出来事は、すぐに分かるという気持ちがあったからだ。  二人は、夜の八時過ぎに、秋田市に戻り、駅前のビジネス・ホテルに宿泊した。  今日一日は、徒労に終わってしまった感じがして、疲れが酷かったため、瀬田も美智子も町のなかの秋田料理屋で夕食をしたあと、すぐに、宿に引き上げて、ベッドに横になった。美智子は、昨夜の事件のこともあり、すっかり疲れていたので、風呂にも入らず、浴衣に着替えて、ベッドに入り、テレビを見ていた。  テレビは、午後九時になって、短い地方ニュースを放映しはじめた。  トップニュースは、県の新年度の計画についての短い県政ネタだったが、次の事件のニュースが、驚きを与えた。  「今日夕方、八郎潟町で失踪した町長の死体が見つかり、県警では殺人事件と見て捜査本部を設置し、本格的に捜査に乗り出しました」  若い女性のアナウンサーが、原稿を読んでいた。  ベッドから跳ね起きた美智子は、直ちに部屋を飛びだし、隣室の瀬田の部屋のドアーをノックしていた。  瀬田は、不在だった。  (一体、どこに行っているのだろう)  美智子は苛々しながら、自室に戻り、部屋の中を歩き回って、考えを纏めようとしていた。そうするうちに、一時間が過ぎ、美智子は、再びベッドに入って、うつらうつらしはじめた時、電話が鳴った。  「大変な事が起きたよ。やはり、八郎潟で殺人事件があった」  それは、瀬田からの電話だった。  「そう。テレビでやっていたわ。すぐにあなたに知らせようとしたのに、何処に行っていたのですか」  美智子が詰ると、  「ちょと、一杯やりたくなって、外に出ていた。帰ってきてから、テレビで見たよ」  「では、部屋に居るのね。すぐに行きますから」  美智子はそう行って、隣の部屋に行った。  招き入れた瀬田は、着替えて、ガウン姿で窓際の椅子に座っていた。手に氷が入ったグラスを持っている。  「やはり、あのメモの通りのことが起きましたね」  「起きてしまった。我々より一歩早く、こちらに来たのだろう。こうなったら、警察に行って、話を聞くしかないから、明日、現地に行きましょう」  瀬田の提案に美智子も頷いた。  「こうなると、メモにある全事件にあなたの夫が絡んでいるのは間違いないと言ってもいいでしょうね。しかし、それを警察はまだ知らない。それぞれが、全く脈絡もなく起きているから、県警単位の日本の警察制度では、お互いの関連が分からないでしょう。それが、捜査のネックになっている。だが、我々は、それを知っている。場合によっては、こちらが情報を提供する場面もあるかもしれない」  「夫が、その全ての事件を起こしたなんてとても、想像も出来ません。わたし、とても怖くなってきました」  美智子は憂いを含んだ目で瀬田を見つめた。  遠くにこの町の街路が光って見えるこの窓際で、瀬田は、窓の硝子に移る美智子の悲しそうな顔つきを見て、無性にこの女性が愛しくなっていた。  「怖くはない。私がいるから、安心していていい。私達は、真実がなんなのかを追っているだけだ。例え、それらの事件が、あなたの夫によって起こされたものであろうと、なかろうと、われわれは真実を見極めるだけだ」  瀬田の言葉は、妻である美智子には、冷たく響いたが、美智子は、むしろその言葉で安心した。  (この人は、信頼できる。この人に付いていけばいいのだ)  信頼感が、湧いてきて、悲しみをぬぐい去った。  「でも、今晩は私、一人になりたくないのです。ここに、居ていいですか」  瀬田は驚いて、顔を上げて、美智子を見つめたが、美智子の表情は、落ちついていたので、安心し、  「そうしたいのなら」  と答えていた。  美智子と、瀬田は、この晩、狭いシングル・ベッドに身を寄せて寝た。美智子は、瀬田の両腕に抱かれ、すがりつくような姿で、身を任せた。それは、父親の膝で抱かれて寝た幼いころ以来の安息を美智子に与えた。  (こんな事は、夫にもしてもらったことがないのに)  そう思いながら、美智子は、そうなっている自分を無理のない自然な姿と捕らえていた。夫には与えられなかった男と女の関係だが、それを奇異には感じなかった。  翌朝、二人は、連れ立って、ホテルをチェックアウトし、八郎潟町に向かった。地元の警察で、事件の詳細を聞いておかねばならない。  タクシーで、衆潟警察署に到着すると、捜査本部に案内を乞い、その部屋に行くと、中に初老の刑事がいた。  「はい、私が、捜査主任の佐藤と申します」  その男に、二人が名を名乗ると、その刑事は自己紹介した。  「なかなか、捜査は進展しておりませんよ。いま、目撃者の証言を集めているところですがね」  と言って、頭をかき、窓際の椅子を勧めた。  「お二人は、事件の手掛かりを、お持ちということですが、伺いましょうか」  佐藤刑事は、身を乗り出した。  瀬田が、これまでの大要を纏めた話をしたあと、  「それだけのことで、特に関連性があると言うことではありませんが」  と念のため付け加えた。  佐藤刑事も、それに同意していた。  「確かにね、確証がある話ではない。それで、ご主人の捜索願いは、提出されていますか」  と美智子の方を向いて、聞いた。  「いえ。代わりに瀬田さんに捜索をお願いしたのです」  美智子の言い訳に、佐藤は、  「それは、いけません。警察に届けなければ。それが、第一ですよ」  と諭すような口調で言った。  だが、流石に、東北人は純朴である。遙々、東京から訪ねてきたと聞いて、八郎潟の事件の詳細は、隠さずに教えてくれた。  それを聞いた二人も、この事件に美智子の失踪中の夫が関連しているのかどうかは、判断が付きかねた。ただ、あの、メモの記述と日付けと場所と死因が一致していることだけは、覆しようのない事実だった。  「なにか、犯人の手掛かりは出てきましたか」  瀬田が聞いたが、佐藤刑事は、  「発生してから、そう時間が立っていないので、そこまでは捜査は及んでいません。不審な人物がいなかったか、鋭意、聞き込みの最中ですよ」  とにべもなく、答えた。  大体の事は、分かった。そろそろ、引き上げ時だと、考えて、二人は、警察を辞去することにした。  警察の外に出て、瀬田は、  「現場に行ってみましょうか」  と美智子に聞いたが、美智子は、  「いいえ。ここで、これまでのことをお話ししたので、関連が浮かべば、連絡してくるでしょう。それに、現場に行っても夫の居場所が分かる訳ではないですから」  と拒んだ。  二人は、この日のうちに、東京に帰ることに決めた。秋田からは、田沢湖線で盛岡に出て、新幹線に乗り換えるのが早道だ。二人はそのルートで、帰京することにした。  盛岡での乗換は、指定席を取っていなかったので、自由席の列に並んだが、始発駅にも係わらず、駅は行楽客や春スキーの若者たち一杯だった。  「このままだと座れないかもしれない。立って行きますか」  瀬田は念のために美智子に尋ねた。美智子は、  「何方でも結構です。私は、早く帰りたい」  と言うだけだった。  それでも、ぎりぎりで、一番端の席に座ることができた。席の前は、壁である。その壁に、NTTのポスターが掛かっていて、  [いつでも、どこでも、世界から]  とキャッチコピーが呼びかけている。小型のブック・ノート型パソコンを前にしたモデルの女性が、にっこりと微笑みながら、キーボードに触れている。画面は、インターネットの何かのホーム・ページだ。  瀬田はその広告を暫く、空っぽになった頭で眺めていたが、列車が走りだすと、突然、  「美智子さん、あなたに聞いておきたいことがあります」  と言いだした。  窓側の席で眠りかかっていた美智子は、驚いて、  「なんでしょうか」  と聞き返した。  「二つあります。一つは、あなたの夫は、パソコンをしたかということと、もう一つは、昨日の作並での夜のことです」  「はい、夫は、仕事の関係で、パソコンは使っていました。そういえば、いつも持ち歩いていないのに、家には残されていませんでしたね。いつの間に持って出たのかしら。それから昨日の夜のことですか」  美智子は言いよどんだ。  「そうです、昨晩、何があったですか。私は、あなたの首に残されていた傷痕が気にかかる」  「傷痕って・・・・・・」  「その首にある縦の擦ったあとのような疵ですよ」  美智子は、ハンドバッグからコンパクトを取り出し、首の部分を写してみた。  うっすらと赤く、縦に擦過痕が残っていた。  「本当だ。どうもここが擦れて痛かったのですが、疵が付いていたのですか」  美智子は、まるで、他人ごとのように溜息をついた。  「どうしたのです。私は、ずっと、気になっていました」  「それが、よく覚えていないのですよ。ただ、露天風呂に入っているときに、すっかり気分が良くなって、気を失ってしまったようなのです。うっとりとした本当に気持ちがよい状態で、わたしは、恍惚として、風呂に入っていました。ほかに誰もいないし、夜の冷えた空気が心地よかった。それで、昼の旅の疲れもあって、つい、うとうとと眠ってしまったのです。そのうちに、体に何かが触れている感じがして、目覚めたのですが、周囲を見回しても、誰もいなかった。ただ、目が覚める時は、とても、息苦しい気がして、はっと、目覚めたのです。私が覚えているのは、それだけです」  美智子は、真剣な表情で、瀬田を見つめていた。  「どうも、不思議な話だなあ。とても、信じられない話だ。そんなことがあるのかなあ。自分で分からないうちに、首を絞められていた。そんなことが」  瀬田の疑わしい言い分に、美智子は、  「でも、本当なんです。私は、誰に絞められたのかも分からなかった。ただ、少し、違和感が残っているだけです」  瀬田は喉が乾いてきた。美智子にも、冷たいものを飲むかと聞いて、自動販売機にドリンク罐を買いにいって、喉を潤した。  「その違和感は、例えば、旦那さんの手の温もりとは違うのですか」  瀬田は胸につかえていたことをズバリと、聞いてみた。列車は、既に仙台を過ぎ、福島に向かっていた。  「そういえば、男の手だったような気がします。でも、夫とは限らない。大体、私は夫にそんなことをされたことはありませんから」  「例えば、こうしたら、どうですか」  瀬田は、自分の右手で、美智子の首を握ろうとした。美智子は、首を竦めたが、それ以上は動かず、するがままに任せながら、  「同じ感じもするし、そうでもないような。もう分かりせんよ」  とだけ、言った。  (「夫にそうされたことはない」と美智子は言うが、本当にそうだろうか。長い間、夫婦でいれば、夜の営みでは、ことの次第で、そうなることは、よくあるのではないか)  瀬田は自身の体験から、そういう事はあるものだ、と思っていた。ただ、それを覚えているかどうかは、それぞれの夫婦で違いがあるだろうが。  とにかく、何者かが、露天風呂に入浴中の美智子を襲ったことだけは確かなようだ。それは、首の傷痕が証明している。  この事と関連して、瀬田は、これまでの探索の旅の成果を、纏めてみる作業に取りかかっていた。列車は福島を経て、宇都宮に向かっている。  [この案件では、確かなことと、不確かなことが錯綜している。確かな事は、美智子の夫が行方不明になっていること、メモが残されていたこと、美智子の首の傷痕、八郎潟町の殺人事件ーーだが、不確かなことは、メモの中に数々の事件、夫の居場所、それに美智子の気持ちだ]  美智子の気持ちというところに至って、それが、どう言う意味を持つのかを、瀬田は、さらに考えていた。  (夫の行く方を探してくれということだが、余りにも、夫のことを知らないではないか。アルバムの中の女性、メモの存在、それに夫の手の感触さえ。長く連れ添った妻なのに、夫婦の間の感覚とはそんなものなのか)  美智子は、夫の捜索をしているといっても、そう真剣さが感じられないのだ。むしろ、瀬田との陸奥旅行を楽しんでいるとさえ、思われる。昨夜の事がなければ、瀬田は、この仕事を降りていたかも知れない。だが、瀬田の男が、理性を失って、昨夜の事態を招いたとは思いたくなかった。ただ、胸に抱いて、一夜を過ごしたからといって、それが、どうしたというのだ。お互い、いい大人の男と女なのだ。四十を過ぎた男と三十過ぎの大人の女が、どういう振る舞いをしようと、それは、彼らの責任であり、それぞれの勝手ではないか。お互いの気持ちが合致しての行為なのだ。  瀬田は、  (これは、不倫ではない)  と思いたかった。  列車は、宇都宮を経て、大宮に向かってひた走っていた。  瀬田は、これからの手立てを考えていた。それは、美智子との事ではなく、依頼された案件を達成するために、次ぎに何をすべきかについてである。  (とにかく、一つの事件が、あのメモの通りに、起きた。他の事件も確かに、起きているのだろう。新聞では二つが確認されたが、それに、失踪中の美智子の夫が絡んでいるかは分からない。他の二件は発生しているのかどうかさえ、分からない。そして、さらに、これからの未来の日付で、一件が記されていた。やるべきことは、この全ての事件の確認と、未来の事件の予防だろう)  と瀬田は、思い至った。  メモに記された事件を確かめるにはどうすればいいか。それぞれ、担当の県警に電話するのが、近道だが、それでは、それぞれに付いての情報は得られるだろうが、関連性は分からない。それは、県警のあいだの縄張り意識と、日本の地方警察制度の障害によるものだ。いろいろ考えてみて、瀬田は、あることに思い当たった。  (そうだ、警察庁があるではないか。あそこは、各県警察の連絡調整に当たることになっている。あそこの係官に聞けばいいのだ)   そこまで、考えて、瀬田は、一人思い浮かんだ人物がいる。それは、大学の同級生で、警察庁に入った警察庁・外国課長の吉村秀作警部だ。  (彼なら協力してくれるだろう)  瀬田は安堵して、二日振りに、バッグから愛用のパイプを取り出し、黒のアンフォーラを詰めて、ジッポのライターで火を付けた。その最初の一息を吸い込もうとした時、後ろの乗客が、瀬田の背中を突ついた。  「ここは、禁煙席ですよ」  瀬田は持っていたパイプを落としそうになった。まさに、不意を突かれた感じで、瀬田は、席を立ち、連結部の喫煙場所に行って、深く煙を吸い込んだ。  窓の外を関東平野に延々と続く人家の町並みの光が、流れていく。列車は、その光の渦の密度がますます増すほうへと、急いでいた。列車は大宮駅を過ぎて、上野へ向かっていた。  瀬田が煙草を吸いおわって、席に戻ると、美智子は、あどけない寝顔を席に凭れかけて、眠っていた。それは、中年の女性の姿ではない。二十代の若い女性が、よく、電車の中で眠りながら、見せる姿そのものだった。  隣の通路側の自分の席に戻ってから、瀬田は、案件解決への筋道が見えてきたのを確信して、安心感が出てきたためか、すこし眠くなった。全てを忘れて、彼は、目を閉じて、眠った。そうして、うとうとしているうちに、列車は、上野を過ぎ、終点の東京駅に滑り込んでいた。  寝覚めた美智子に、瀬田は、彼の今後の計画を語った。駅の構内を歩きながら、それを聞いていた美智子は、  「わたしは、どうしましょうか」  とだけ、短く尋ねた。  「もう、あとは、私一人で、やります。あなたは、家にいて朗報を待っていてください」  瀬田はそう言って、美智子を安心させようとした。だが、美智子は、  「わたしも、家に居ても特にすることがないんです。できれば、あなたのお仕事の手伝いをさせていただけませんか」  と申し出た。それは、彼女がずっと考えてきたことだった。こうして、瀬田と一緒に捜索旅行に出てみて、美智子は、久し振りに気持ちの昂りと、充実感を覚えた。毎日を怠惰に過ごしてしまうより、何かをしたいと考えていた美智子は、この旅行で、自分がすべきことのきっかけを得たような気がしていた。  瀬田もこのまま、美智子と別れて、結果が出るまで会えないのは、身が切られるような気がした。とにかく、一緒の旅行は素晴らしい思い出になった。一緒にいて、楽しい人とは、ずっと、一緒にいたい、と考えていたから、この申し出は、瀬田には、歓迎すべきこだった。  「では、どうしましょうか。うちの汚い事務所をすこし、綺麗にして頂きましょうか」  瀬田は、そう言って、美智子の申し出を受け入れたのだった。  「では、明日から、事務所に伺います、何でもしますから」  美智子は、十分に乗り気だった。  「ですが、その労苦に見合ったものが差し上げられるかどうか、分かりませんよ」  瀬田は、別れ際に、そういって、美智子を牽制した。  「戴けなくてもいいのです。ただあなたの近くにいたいだけですから」  瀬田は、旅行者たちが行き交う、東京駅のコンコースの真ん中で、美智子を抱き寄せた。  持っていた二人のバッグが床に落ちた。中から、作並温泉で土産に買った夫婦こけしの包みが破れて、こぼれ出た。こけしは、転がって、互いに近付き、顔を寄り添えて唇を合わせていた。             (六)  ジェレミーは、五つの事件の物語を読みおわって、新たに事件解決への幾つかのヒントを得る事が出来た。  その一つは、被害者の職業についての推定である。二つ目は、この事件の全てに同一の人物が係わっているという確信だった。  職業については、四つ目の引き逃げ事件から多くの示唆を得た。 それは、書き出しでいきなり、  「M新聞社の論説委員・・・・・が、委員を務める日本オリンピック委員会の会議を」という下りが出てきたことだった。それは、この被害者が、現職であることを示している。しかも、この事故が起きたのは、一九九六年十二月二十五日のクリスマスの日だ。そう時間が経過していない。  ジェレミーは、これらの事件の被害者らは、みな、M新聞社に関係しているのではないかと考えはじめていた。  すなわち、千葉の事件も埼玉の変死も被害者は、M新聞社にかつて勤めていた者なのではないか。さらに、三番目の転落死事件の現場は、都内の住所になっているが、その場所の近くには、その新聞社があったはずである。これは、ジェレミーが、インターネットで世界地図のホームページを開き、東京の詳細市街図を見つけて確認した。  「これで、被害者の氏素性は大体、推測できる」  ジェレミーは自信を得て、次の推定を考えてみた。  「これらの事件全てに同じ人物が係わっている」という推定には、幾つかの根拠があった。  それは、事件の物語風の記載を読んでみて気が付いたことだが、犯行の手口が共通していることだ。  千葉の被害者にも、埼玉の被害者にも、死体の首に絞められた痕があった。東京の投身死体にも、首に絞められた痕が見つかっている。即ち、クリスマスの日の引き逃げ死体以外は、みな、首を絞められて、窒息死させられているのだ。  ただ、最近起きた、秋田の事件だけは、薬物死となっている。これだけが、異質だ。  犯行手口に共通性があることは、それらが、同一犯人の犯行であることを推定させるに十分な証拠だ。それらが、ジェレミーに、事件の共通性を認識させたのだった。    そこまで考えたところで、ジェレミーは、席を立って、窓の外を見た。海は相変わらず荒れていた。今晩は、夫に「別ベッド宣言」をしてから、二回目の一人寝の夜になるだろう。昨日の夜は、あのようにせいせいとした気分だったのだから、今日もそうなると思っていたのに、はやくも、寂しさが疼きはじめていることに、彼女は気が付いていた。  (あの海のように、私の心は荒れている。この嵐のように、私の心には風が吹いている)  ジェレミーは、右手を自らの胸に当てて、呟いた。  「わたしのピエタは、どこにあるの」  夫との新婚旅行は、ヨーロッパだった。幸せな新妻だったジェレミーは、憧れのヨーロッパ巡りに、うきうきした気分で、出掛けた。もともと、その結婚は、大学時代に、夫がプロポーズして、卒業とともに、決まったものだった。だから、夫は大学の同級生なのだ。ジェレミーは、学生時代はそう目立つ女学生ではなかったが、男の学生には人気があった。キャンディス・バーゲンが、学生に人気があったから、その女優に顔が似ていたジェレミーもそのおこぼれに預かっただけだと、彼女は思っていたが、夫は、プロポーズの時に、 「容姿が好きになったわけではない。僕が好きになったのは、君の明るい性格と聡明さだ」  と歯が浮くようなことを言った。ジェレミーは、この男は典型的はアメリカン・カーボーイだと、その時思ったが、プロポーズは受け入れた。それは、この男が、有力な資産家の御曹司で、彼女の未来を経済的な不安に陥れることはないと、実感していたからだ。  アメリカ中西部の中産階級の家に育った娘には、アメリカ東部のエスタブリッシュメントの生活は、憧れだった。彼女は、この結婚で、その幸せの一端を掴んだのだと、考えていた。それほど、彼女は実務派だったのだ。  幸せの一端は、ヨーロッパへの新婚旅行でしみじみと実感された。イタリアでは花の都、フィレンツェの高級ホテルでの滞在が一番記憶に残っている。町自体が博物館とも言われるこのルネッサンス以来の古都で、新婚の二人は、博物館と美術館めぐりをした。それこそ数えきれない数の美術館と美術品があったが、彼女の心を捕らえたのは、ミケランジェロの彫刻だった。なかでも、数体が市内各地に散在している「ピエタ」と銘された彫刻が、印象的だった。  悲しそうな聖母マリアの瞳と、その先にあるキリストの苦痛と歓喜が混ざり合った表情が、彼女を捕らえて離さなかった、ただ、夫は、それらの像にはまったく興味がないらしく、市内での買い物と食事に精力を傾けていた。だから、二人の旅も最後となったイタリアでの一週間は、彼女は、一人で、彫像を求めて、美術館巡りを楽しんだのだった。  (わたしには、あのピエタのマリアはいないのか)  ジェレミーは、心の奥で、その救い主を求める声を聞いていた。それは、この現実世界の空間に居るのではなく、むしろ、空想世界の中にいるのではないかと、彼女は、最近考えはじめていた。現実世界には、毎日、ただ、お金儲けに忙しい、あの俗物的な夫と、荒々しい自然が待ち構えているが、架空空間には、そんな苦しみの種はない。だから、彼女は、パソコンの世界にのめり込んでいるのかもしれない。  青白い四角の箱のなかから世界が見えるのだ。それを知ったときは、彼女の住む北米大陸の一角から、地球の全ての場所に一瞬にして移動できる快感に陶然とした。そして、それが彼女の仕事である犯罪捜査にも利用できるのではないかというアイデアに発展していったときには、自分は天才ではないか、これが天職だと実感したのだった。  そして、彼女は、インターネッットに自分のホームページを開いた。それは、「クライム」という名のページで、多くの犯罪事例を取り上げ、未解決事件の情報や、相談コーナーも持っている。およそ犯罪に関したことなら何でも分かるというページにしようと、彼女は意気込んで、そのホームページを作り上げた。  それは、FBI犯罪捜査官であるジェレミーには、仕事と趣味を両立させる「一石二鳥」のやり方だった。だからといって、彼女は、公的費用の援助は一切受けていない。そもそも、そういう電子情報の担当者は、別にしっかりとしたセクションがあったし、彼女はそのセクションではなかったから、公的な支援を要求できる立場でもなかった。だから、あくまで、その作業をするのは、仕事がオフになった後の自宅でだけである。役所では、今までどおりの彼女の仕事、足と頭とをフルに使う人力での犯罪捜査に打ち込んでいた。だからこそ、ディスプレーの中だけの捜査が唯一の息抜きにもなっていたのだ。    (私にはピエタはいないのか)  と考えながら、再び、パソコンの前に座って、メールを開けると、そこに、また、あの敬愛する日本警察庁の吉村警部からのメールが到着しているのが分かった。  ジェレミーは早速、開いて、読んでみた。相変わらずの役所風の硬い英文だった。  (まったく、吉村さんたら、何時もこういう紋切り型の文章しか送ってこないのだから。たまには、「愛しています」とか、書いたらどうなの)  そう心で呟きながら、メールを読んでみた。  それは、いまの五事件を、なぜ関連性があると思ったかと、聞いている内容だった。  ジェレミーは、その問への回答と、これまでの推理の結果を、吉村に返信することにした。それはいろいろと協力を求めたことへの当然の返礼であるし、新たな解決のためのアイデアをこの敬愛する警察官僚から得るためでもある。  ジェレミーは、カップのコーヒーを啜りながら、返信を書きはじめた。  始めは、何故この五事件を取り上げたかである。その答えは単純だ。  [お問い合わせの件についてお答え致します。第一のご質問ですが、それは、私がインターネットに開設しているホーム・ページに質問が寄せられたのです、それが、その五事件を関係付けた理由です。日本発の電子メールで、この五つの事件を列挙し、これらには、関係があると言ってきました。私は、さっそく日本から持ち帰った事件資料に当たりましたが、詳しいことは不明のままでした。私は、その電子メールの発信人に、どういう関連性かを尋ねました。すると、すぐに返信があり、「職業的な背景と、犯行の手段」と書いてきました。それで、あなたに詳しいことを調べて頂きたくて、電子メールを送信した次第です。きっかけになった電子メールの発信人が誰かは、インターネットの性質上、不明です。ただ、メールのアドレスだけが分かっています。それは、(taiti@info.co.jp)です。私は、この電子情報による犯罪捜査の可能性を探って、毎日、力を注いでいます。その最初のきっかけが日本からもたらされました。協力を感謝します。なお、これまでの交信から、推理される、五事件の関連性は、次の通りです。]  そうして、そのあとに、ジェレミーが推理した、関連性についての推論、即ち、被害者の過去の職業と、犯罪手口の共通性についての説明が付され、最後に  [敬愛する私のピエタ 吉村様 愛しのジェレミー・リッチフィールドより]として、自署の署名を画像ファイルで添付した。 吉村警部がジェレミーへの返信を送り終えたころ、皇居に臨む窓際の席で、一息ついていると、机の上の電話が鳴った。  それは、大学時代の友人で元検察官の瀬田新一郎からのものだった。  電話口で、瀬田は、  「実は、ちょっと、調べてもらいたい事があるんだが」  と用件が、吉村の仕事に関係することであることを伝えたあと、  「もしよければ、すぐにでも、参上しますが」  と付け加えた。  吉村は、その日の予定は、電子メールを送信したあとは特になかったから、  「結構ですよ。久し振りに、一杯やろうか」  と喜んで提案を受け入れようとした。すると、瀬田は、  「いや そうではないんです。いまから、お伺いしたいと言うことです」  と念を押した。吉村は瀬田が相当、急いでいることをその一言で知り、  「どんな用件ですか」  と聞いたが、瀬田は、  「それは、お伺いしてから」  と言い張ったので、折れざるを得なかった。  こうして、瀬田が、吉村を訪ねてくることになったが、何の用件かが分からないだけ、吉村は、不安感を抱きながら、瀬田を待つことになった。  瀬田は電話をしてから、三十分後には、姿を見せた。  「いやあ、久し振り」  と型通りの挨拶を交わしたあと、吉村が勧めて座った応接椅子の上で、瀬田は、訪問の趣旨を話した。  聞いていた吉村は、瀬田が示した米山太一郎の「創作メモ」を目にして、  「ええっつ」  と驚きの声を上げた。  それは、彼自身が、警察庁の倉庫から捜し出して、苦労してまとめあげ、ちょうど少し前に、電子メールで送信した事件の項目と、全く同じだったのだ。  吉村は、その一致を偶然とは考えられなかった。それは、相談に訪れた瀬田も同じだった。  二人とも、  (そこには何かの意思が感じられる)  と思ったのである。  とすれば、これは、事件を追っている瀬田には、有利な事だ。ここに、全く脈絡がないと考えていた五つの事件が、合致した五つの事件の調査依頼がある。それが、偶然の一致とどうして言えようか。  瀬田は吉村に、その調査依頼の詳細を聞いた。  「そうか海の向こうに、この事件に関心を持つ美人捜査官がいるのか」  瀬田の嘆息に、吉村は、  「そのとおりだ。一度、お前にも合わせたいよ。それほど、出来がよくて、魅力的な人だ。ただ、一つ惜しむらくは」  「惜しむらくは」  「ミセスということかな」  「そんなことは、関係ない」  「そうか」  「男と女の関係にに、既婚か未婚かはそう関係ない」  瀬田が、いやに語気を強めて言うのが、おかしかったので、吉村は、笑いそうになった。  「ところで、おまえは、どう思う。この事件の行く末だが」  吉村が真面目な顔で聞いた。  「わからん。大体、千葉と埼玉の事件は、被害者も確定できていないのだろう。千葉は発生以来もう一年以上経過し、埼玉ももうすぐ半年になる。それで、まだ被害者が分からないのでは、お話にならんよ」  「そのいずれもに、お前の依頼者の女性の旦那が絡んでいると思うか」  「それは、わからん。何しろ、旦那の行方が、未だに、わからんのだからな。まったく、こんなに七面倒くさい事案とは思わなかったよ。すぐにでも、解決できると思っていた」  「まったく、手掛かりがないのか」  「いや、実は、依頼者と一緒に、盛岡に行ってきたんだが、作並という温泉町まで追跡して、取り逃がした」  「そして、そのあと、秋田で、第五の事件が起きたという訳か」  「その通りだ。秋田の事件も。僅かな時間差で防止できなかった」  「予防と言ったって、お前は、まさか太一郎の残されたメモ通りの事件が起きるとは思っていなかったんだろう」  「そうだ。あのメモは、あくまで空想のもの。一太郎の創作の手掛かりとしか考えていなかった。本当のところ、それが現実に起きるとは、全く予想していなかった」  瀬田は、真実、参ったという表情で、そう言った。  「だが、今日、ここへ来たお陰で、おおいなる手掛かりを得たことになるな。それらの事件は、我が日本警察の資料では、現実にすべて起きているのだ」  「それは、千葉と埼玉の事件は、メモ通りの日付で、発生していたのは、俺も新聞で確かめた。だが、それも、依然、未解決なのだろう。依頼された行方不明者の手掛かりは得られないし、事件への係わりも分からない。あるのは、状況証拠ばかりだ」  瀬田の嘆きを、ただ、聞いていた吉村だが、  「いや、まてよ。その秋田の事件だけは、確かな現実ではないか。お前が、実際に経験してきたことだよ。その解明から、全ての解明への手掛かりが得られるのではないか」  と言った。  「そうだな。あの事件を突破口にすればいいのかもしれない。もう少し、あの事件を掘り下げてみるよ」  「それがいい。こちらも、海の向こうに強力な助っ人が居るんだ。必ず、ジェレミーは、何かを発見するだろう。連絡があったら、すぐに知らせるから、期待していてくれ」  吉村は自信を持って請け負った。それは、ジェレミーの捜査能力への全幅の信頼に裏打ちされていた。ただ、吉村には、一つ理解できないことがあった。それは、  「なぜ、ジェレミーが、この五つの事件の関連性に注目したか」 という原点の疑問だった。  (なにをきっかけにして、この五事件の調査を始めたのだろう)  吉村はそれを知りたかった。それが、この事件解決へのキーになるような気がしていた。 その疑問への回答を得ようと、吉村は、パソコンの前に座り、再び、ジェレミーへの電子メールを認め始めていた。  [ジェレミー・リッチフィールド捜査官殿  日本警察庁・吉村秀典警部  ご依頼の件についての回答は既に送付いたしましたが、当方でこの件についての有力な手掛かりが得られました。それは本官の知人が、この件への密接な関係を持つと思われる人物の調査を依頼され、その過程で入手した、メモに貴官ご依頼の事件が記されておりました。そこで、一点お伺いしますが、貴官はいかなる理由でこの件の本官への調査を依頼されることになったのか、そのきっかけに付いて、お教えいただければ、幸いです]  その答えは、もしかすると、ジェレミー捜査官が、構築しはじめたという事件解決手法に関するものかもしれない。そうなると、真面目に答えが帰ってこないかもしれない。知的所有権の問題とも絡んでくるだろう。そうなると、この質問への答えは、高い秘密のベールに閉ざされてしまうかもしれないが、例え、答えてくれなくても、この問が、ジェレミーの捜査へのヒントになれば、それでもいい、と吉村は考えていた。   瀬田は、吉村警部に面会してからの事務所への帰り際に、銀座の煙草センターに立ち寄って、「アンフォーラ」のミックスを二袋買って帰った。  吉村に言われたとおり、ただ一つの現実的な体験である秋田の事件のことを、ゆっくり考えてみたかったし、この一週間、ブラックばかり、吸っていたので、気分を変える意味もあった。  電車のなかで、考えたことは、作並の夜の美智子の不審な行動と、その夜秋田で起きたことの関連性だった。  (三月三日の夜、美智子は夜の十時ころに部屋を出て行って、十一時頃に帰ってきたんだった。そのころ、八郎潟町の金城町長は、殺された。アリバイからしても、美智子には絶対にこの犯行はできない)  そう結論して瀬田は、一安心した。  事務所に戻って、部屋の明かりと付けると、死んでいた空間に精気が戻った。給湯場のガスを点けて、湯が湧くのを待っているあいだ、瀬田は、窓際の椅子に腰掛けて、買ったばかりの「アンフォーラ・ミックス」を、愛用のパイプにゆっくりと詰めて、口に当て、百円ライターで火を点けた。最初の一息が、口の中に拡散し、気管支を下って行くのを、心地良く感じながら、瀬田は、次の喜び、ドリップのコーヒーを入れるための湯が湧くのを静かに待っていた。  ヤカンが沸騰を知らせる「ピーピー」という音を上げ始めた時、机の上の電話が鳴った。  瀬田は、そのままにして、様子を見ていたが、なかなか、鳴りやまないので、渋々、受話器を取り上げると、相手は、秋田県警の佐藤刑事だった。  「ああ。先日はどうも。実は、事件の捜査に進展がありましてね。あなたのお連れの女性の連絡先を知りたいと思いまして」  佐藤刑事は、職業柄か、東北人だからか、言葉少なに、用件だけを言った。だが、瀬田は、それだけでは理解できない。  「米山美智子ですか。どういう関連性が出てきたのですか」  直ちに、そう聞いていた。  「それは、お答えできません。捜査上の秘密ですから。連絡先の電話だけでもお教え願えないでしょうか」  佐藤刑事は朴訥に、懇願した。  「いいですよ。電話くらい」  瀬田はそう言って、美智子の自宅の電話番号を教えた。  佐藤刑事は、それをメモしてから、  「協力していただき有り難うございます。実は、有力な目撃者が現れたのです。あの晩、駅前のバーに町長が女連れでいるのを、ホステスが見ていましてね。その連れの女性の特徴が、その美智子さんと一致しているような感じがしたので、念のためにお話を聞きたいということです」  と理由を語った。協力への感謝のつもりだろう。それに、瀬田は、実際、美智子と一緒にこの刑事に会っているのだから、関係者の一人りでもあるわけだ。その瀬田にこれほど詳しく、話してくれたのは、佐藤刑事の誠実な人柄の故だった。  電話を切ってから、勢い良く湯気が上がっているヤカンから、熱い湯をブルーマウンテンのコーヒー粉を入れた布の上に注ぎ、味覚成分をドリップで抽出した。  心地よい芳香が部屋中に広がり、突然の電話で緊張した瀬田の気持ちを落ちつかせた。パイプを置いて、ゆっくりと、コーヒーを啜っていると、急に、殺人事件の参考人にされかけている美智子のことが心配になってきた。  たった一人の家で、夜中に警察から、重大事件の事情聴取の要請があって、動揺しない人はいない。まして、夫が不在の人妻には、相談する相手もなく、ひとしお心細いのではないか。今頃は、どうしてよいか、考え込んでいるのではないだろうか。  佐藤刑事の電話があってから、コーヒーを飲みおわるまでには、三十分くらい経っていたが、二杯目のコーヒーを入れに行って帰ったあと、瀬田は、思い切って、美智子の家の電話番号を押していた。  だが、呼び出し音は、聞こえなかった。  「プー、プー、プー」 と話し中の音声信号が返ってくるばかりで、電話は通じなかった。瀬田は、その連続音を、五分ほど聞いていて、受話器を置いた。  (こんな夜に、何を話しているのだろう。佐藤刑事の電話が、そう長く掛かるわけはないし)  瀬田は、訝りながら、二杯目のコーヒーのカップを左の掌に乗せ、ゆっくりと回しながら、明日、美智子が座るだろう、もう一つの机の上の一点を見つめていた。  それから、三十分程過ぎてから、瀬田は、再び、美智子の家に電話を入れた。考えごとをしているうちに、明日のために伝えておかなければならないことを、思いついたのだった。瀬田より早く出勤してくるだろうから、部屋のドアーの鍵の場所を、美智子に伝えておかねばならないと、気が付いたのだ。  瀬田の電話は、また、通じなかった。先程と同じように通話中の通信音だけが、虚しく聞こえて来るだけで、この音の先で何が行われているのかは、まったく分からなかった。  瀬田は、あと三十分待っても通じなければ、諦めることにして、その時間を、パイプ煙草を吸うことだけに費やして、過ごした。時刻は、もう十一時近くになっていた。この電話が終わったら、瀬田も事務所を出ないと、明日の仕事に差し支える。といっても、自宅のマンションには、ただ、ペットのオウムが待っているだけである。侘しい男やもめの家に帰ったからといって、ここにいるのと大した変わりはない。  十一時きっかりに、瀬田は、美智子の家に三度目の電話をいれた。  また、お話中だった。  ここまで来ると、さすがの瀬田にも疑問が湧いた。  (こんなに長い間、話し中というのは、異常ではないか。何かあったのだろうか)  そう思って、心配になった。だが、瀬田が実家に電話しようと思って、一日中通じなかったことがあったが、それは、受話器を知らぬ間に上げっぱなしにしていたためだったことがある。電話局からの逆通報音も、受話器のボリュームを絞ってあったために聞こえなかった。だから、そう、真剣に深く心配したわけではないが、佐藤刑事からの電話があったあとだけに、心に痼が残った。  (これから、家に行ってみようか)  との考えも浮かんだ、しかし、これから、常磐台まで行くとなると、到着は十二時を回ってしまう。そんな、夜中に独り暮らしの寡婦の家を訪ねるのは、アバンチュールでしかありえない。成人の男の分別として、瀬田は、その考えを見送り、素直に、家に帰ることに決めた。  (なにか、あっても、それは、明日分かる。明日は、俺が早く来れば、鍵の件は心配ない)  そう結論して、瀬田は事務所のドアーの鍵を閉めた。 翌日は、快晴だった。熟睡した瀬田は、  (今日からは違った日が始まるのだ) と新鮮な気持ちで、家を出て、事務所に向かった。  事務所に着くと、ドアーの前で美智子が立ちすくんでいた。瀬田は、これでも、いつもより早く出てきたのだが、美智子はさらに早かったらしい。  「ああ、済みません、お待たせしてしまって」  瀬田が素直に謝ると、  「いえ、私も、いま来たばかりです」  と美智子は、言い訳をした。その手には、バラの花束が握られていたから、それを買うためにも美智子は、かなり早く家を出たはずだった。  瀬田が鍵の場所を教え、そこからの鍵を取り出してドアーを開けた。  部屋に入ると、美智子は、早速、湯を沸かしはじめ、雑巾を絞って、机の掃除を始めた。 丁寧にひとつずつをしっかりと拭いていく。それが終わると、掃き掃除に入り、椅子も綺麗に拭いて、一連の掃除が終わると、部屋は物置小屋のような状態から、見違えるように変身し、それなりに、事務所らしくこざっぱりとした空間になった。  「まだ、やりたいことはありますけど、追々にね。そろそろ、本来の仕事を始めなければならないでしょう」  美智子は、沸騰した湯から熱いお茶を入れて、瀬田の前に置き、掃除の一段落を告げた。  「ああ、すっかり綺麗になった、有り難うございます。これまでと見違えるようだ」  「わたし、この事務所を最初に訪れたときから、こう言っては失礼ですが、随分汚いと思っていたのです。自分の居場所を綺麗にしたいというのは、主婦の本能ですよ」 と美智子は爽やかに笑って答えた。  瀬田は、熱いお茶を一杯啜ると、  「仕事は、主に電話番ですね。あと、少々、書類作りをして頂くかもしれない。ワープロはできないのでしたっけ」 と聞いた。  「いえ、できないという訳でもないと思います。これでも、若いころは、外国商社で事務をしていましたから。慣れれば大丈夫でしょう」  それは、瀬田には初耳だった。美智子は、若いころ、外国商社に勤めていたのか。それなら、テレックスを扱ったりして、キーボードにも慣れているに違いない。それに、英文の文書の扱いにも、慣れているのではないか。  「では、ここに原稿がありありますから、ワープロで清書してみてください。今日は、それだけして頂けば、結構です」  瀬田は、机の引き出しから、鉛筆で書いた調査報告書の原稿を渡した。鉛筆書きは、検事時代からの習性で、いまでも、鉛筆でないと、書きにくい。検事時代もそうして、清書は書記官に回していたのだ。それが、今日からは、美智子になる。  原稿を受け取った美智子は、  「参考の清書済みの文書を見せてください」 と最初に言ったが、それを渡すと、驚くべきスピードで、ワープロのキーボードを打ちはじめた。  それは、検事時代に見た有能な書記官の打ち込みのスピードと比べて、優るとも劣らない速さで、瀬田は目を見張りながらその作業の進み具合を見ていた。  (ワープロが出来ないなんて、まっかな嘘ではないか)  瀬田は、美智子の話は半分に聞いておくことだと、自分に言い聞かせていた。  美智子が、熱心に与えられた仕事に打ち込んで、油が乗ってきた午前十時半ころになって、電話が鳴った。美智子は親子電話機の子機の受話器を取って応対し、  「所長、警察庁の吉村さんからです」 と瀬田のデスクの親機に繋いだ。美智子は、すでに、仕事の上では、瀬田を「所長」と呼ぶことに決めたらしい。  親機を取り上げた瀬田の耳元に、吉村の声が響いた。  「おい、素晴らしい報告が来たよ。さすがに、ジェレミーだな。FBI一の女性捜査官だ。あの五つの事件はやはり、互いに関連していたよ」  「そうかい。やはり、予想どおりだな。良かった。これで、お上の御墨付を得たようなものだ。それで、結果は」  「ここに、電子メールの写しがある。ファックスがあれば、送るが」  「分かった。送ってくれ」  「それで、一つ気掛かりなのは、ジェレミーの才能が優秀なのは言うまでもないが、その資料が、俺が送ったものではないような感じがするんだよ。おれが送ったものは、極簡単な事務的な文書でジェレミーの判断の根拠になっているようなことは、何も触れていないのに、彼女は、被害者の勤務していた会社が同じだとか、手口が同一だと結論している。そこのところが、解せないが、とにかく、優秀な人だから、他のルートで調査をしているのかもしれない」  「そうか、でも、五事件の同一犯人の可能性を認めているのだろう。よく、ファックスを読んでみるよ。送ってくれ」  「英文だけど、大丈夫だな。今送るよ」  吉村からのファックスは、電話を切ったあと、すぐに、送信されてきた。美智子が、送信された感熱紙を纏めてホチキスで止めて、瀬田のデスクに持ってきてくれた。  その書類は、吉村が電話で言ったとおりの内容だったが、感熱紙の上端が鋏で綺麗に切りそろえてあった。それは、上司が読みやすいようにと、かつてOLをしていた頃に身に着けた美智子の事務的配慮かと、瀬田は感心した。  昼時になった。そろそろ、昼食に行こうかと相談しはじめたときに、ドアーをノックする音が聞こえた。  美智子が応対に出ると、ドアーの外に二人の男が立っていた。一人は、初老の小柄な男で、もう一人は長身の若い男性だった。  美智子は、その初老の男と面識があった。 「あら、驚いた。刑事さんじゃないですか。何のご用事ですか」  美智子が、驚きの声を上げるのと同時に、二人は、美智子を押し退けるように室内に入り、真っ直ぐ、瀬田の目の前に進んで、  「昨日は、電話で失礼しました」  と挨拶した。  瀬田は、その声を確かに昨日聞いていた。  「まあ、まあ、どうぞこちらに」 とデスクの脇の応接椅子を勧め、自分は、反対側に座ると、  「どうなさいました」 と話しかけた。  「いや、昨日、一晩、こちらの家に電話を入れたのですが、とうとう、連絡が取れなくて、こうして、上京することになった次第です。それにしても、米山さんがこちらにいられるとは。私の方が驚きましたよ」  「すると、美智子さんの事情聴取に出向かれたわけですか」  「そうです。このことは、避けて通れませんから。よければ、ここでお話を伺いたいのですが」  「わたしも、同席していいのですか。いや、できたら、同席させて頂きたい。私もあの日は、秋田にいたのですから。それに、私がそちらに紹介したようなものですからね」  「よろしいでしょう。その前に、昨夜は詳しく申し上げられませんでしたが、ここで、米山美智子さんにお話を伺わなければならなくなった経緯をお話しします」  佐藤刑事が話したのはーー。  秋田県警の「八郎潟町長殺人事件捜査本部」は、精力的な聞き込み捜査の結果、駅前のバーで有力な証言を得た。  そのバー「小町」に、出向いた捜査員に、従業員のホステス数名が、  「三日の夜に、女連れで町長が来た。午後十時頃から一時間くらい店で話をしていた」 と証言したのだ。  捜査員は、その女の特徴を聞いた。  ホステスらは、  「小柄で目がくりっとして、眉毛が太い三十台の女性で、標準語を話していたから、地元の人ではないね」 と言った。  また、服装を尋ねると  「わたしが、最初に迎えたのだけれど、ハンガーに、白っぽいワンピースにベージュのハーフ・コートを掛けたのを覚えています」 と一番年少のホステスが、思い出した。  (それは、美智子が警察を尋ねた際の服装と酷似していたが、ただ、白っぽいワンピースが、コートと同じベージュだったのが違っている。だが白っぽいという範疇には入るだろう)  話を聞きながら、そう瀬田は考えていた。  美智子は、  (私の好みの色は、ベージュなのだ。それは、夫とのある思い出に繋がっている) と思っていた。  佐藤刑事は話を続けた。  ーー この聞き込みを得て、捜査本部は、町長と一緒だった女性は、米山美智子さんに違いないと判断したのです。  それに、秋田駅に乗り捨てられていた軽トラックの荷台から、町長のと同じ髪の毛が見つかった。その車で、死体を運んだのだと見ています。ですから、どうしても、米山美智子さんに話を伺わないと、と言うことです。  瀬田は、美智子を見た。  美智子は、頷いて、聴取に応諾するとの意思を示した。    佐藤刑事が聞いた。  「あなたは、三月三日の午後十時ごろ、どこにいましたか」  美智子が答えた。  「作並温泉の旅館に、瀬田さんと一緒に泊まっていました」  佐藤刑事は、瀬田の方を向いて、  「それは間違いないですか」 と念を押した。  瀬田は  「その通りです。間違いありません。ですが、十時頃は、私は既に寝ていましたので、美智子さんが何をしていたかは、確信を持てません」  佐藤刑事がさらに聞いた。  「一緒の旅館に泊まっていたのでしょう」  「ですが、別の部屋に寝ていましたから」  瀬田の答えに、佐藤刑事は、  「ああそうですか。そういう関係なのですね」  と頷いた。  「ですが、十時頃に美智子さんは、部屋を出ていったようでした」 と瀬田は、事実を正直に告白した。  「確かですか」  佐藤刑事は、今度は、美智子の方に向いて、質した。  「はい」  「それは、何故ですか」  「高木葉子さんに会うためです」  「高木さんとは」  佐藤刑事は聞いたが、瀬田が説明すると納得した。  「それで十一時頃まで話していたのですか」  「いえ、話は三十分くらいで終わって、そのあと、露天風呂に入りました」  「それは、ひとりだっったのですか」  「そうです。それで、風呂に入っているうちに、気持ち良くなって、寝てしまったのです。起きたのは、誰かに首を絞められているような気がしてからです。あとで分かったのですが、首に絞められた後が付いていました」  「とすると、誰かに会ったのですかね」  「分かりません」  佐藤刑事は、美智子の首を覗きこんだ。しかし、既に傷痕は消えていた。  「確かに、美智子さんの首の左側に傷痕はありましたよ」  瀬田が付け加えた。  「そうですか。すると、死亡推定時刻には、作並にいたわけですね。それは、間違いない。すると、確かなアリバイが成立します。幾ら速い列車を使っても、秋田に行くことはできませんからね。それに、そんなに遅くには列車がない」  既に時刻表を調べてきたのか、佐藤刑事は、そう言って、首を傾げた。  「最後に、一つ、これは、見覚えはありませんかね」  佐藤刑事は自信ありげに、背広の外ポケットから、ハンカチに包んだ小物を取り出して、美智子の前に置いた。瀬田が覗き込んでみると、それは、人形の頭の部分だった。  「私らはこれは、雛人形の雌雛の頭部だと考えています。これを見覚えありせんか」  美智子は、目前に置かれた人形の頭部を、ちらりと見たが、それだけで、手に取ることもせずに、  「いえ、知りません」 と即座に返答した。  「そうですか。では、仕方がありません」 と佐藤刑事は、包み直して、引き取ったあと、 「それでは、私のほうも、宿やその高木葉子さんとやらに当たってみます。それから、バーの目撃者にあなたの顔写真を見せて確認したいのですが、宜しいですか」 と、丁重に申し出た。  「いいですよ」  美智子は、承諾して、若い刑事が持参したカメラで美智子の写真を撮影した。  これだけを済ますと、二人の秋田の刑事は、帰っていった。   衝撃の時間が経過したあと、瀬田は、美智子と向き合って、この事件の検討を始めた。  「新たな事実は、あなたに似た女の人が、犯行時間ころに、町長に会っていたということだな。あなたは、私と一緒にいたのだから、その場所に行けるはずがない。その女が犯行に絡んでいることは間違いないだろう。一体誰なんだろう」  その問いに、美智子は黙して、答えなかった。  それに、刑事が最後に、決定打のように見せた雛人形の頭も気掛かりだった。  (あの頭は、何処から持ってきたのものか)  美智子に、本当に知らないのか、確かめたい気分だったが、できなかった。あの頭を見たとき、美智子が、手にも取らずに、即座に返答したのも気にかかる。  だが、長い聴取だったので、時間はあっという間に過ぎ、午後四時になろうとしていた。  瀬田は、  「これから、外で用事があるので、出掛けます。一段落したら、あなたもお帰りになって結構です。鍵は教えた場所に置いていってください」  と言い置いて、事務所を出た。  瀬田の行く先は、まず、近くの喫茶店だった。美智子の事情聴取を聞いていて、瀬田は、美智子と一緒の部屋に二人きりでいることに、耐えられなくなっていた。なにか、美智子が、隠しているという感じが強くしたが、それを問いただすことができないのは、何故なのだろうか。瀬田の心は、美智子の方に引かれていて、それが、美智子を被疑者としてみる、秋田県警の刑事と違ったところなのだ。だから、瀬田は一人で、今度の事件を解きほごす道筋を探ってみたかった。 それから、昨日から気になっていたことを、確かめてみないといけない。  喫茶店で興奮をさましているうち、日は西に傾きはじめた。瀬田は地下鉄で池袋に出て、東武東上線で上板橋駅に向かった。南口を降りて、商店街を直進し突き当たりの川越街道を右に折れて、街道沿いに歩いていった。練馬区内の北町にでると、右側に三階建てのビルがあった。屋上に大きなパラボラアンテナが立っている。瀬田は、その建物の一階正面玄関から、中に入り、笑顔で迎えた顧客係に、名刺を差し出して、来意を告げた。  顧客係は、  「少々お待ちください」  と言って一度引っ込んだあと、上司を伴って現れた。その上司の男は、瀬田の説明に  「趣旨は分かりました。すぐにご用意いたします」 と言って、下がり、瀬田は、来客用の椅子に座って、待っていた。  五分ほどして、先程の男が、出てきて、一片の書類を入れた封筒を手渡した。  「有り難う」  瀬田はそれだけ言って、その建物を後にした。      (七)  そろそろ、太陽は西の山塊の中に消えかかっていた。瀬田は、東武東上線上板橋駅に戻り、上りで一駅だけ隣の常磐台駅に降りて、米山家に向かう道路を歩いていた。  これで、美智子の家に行くのは三回目になる。最初は、タクシーで行ったが、ワンメーターで、意外と近いことが分かり、田園調布に似た街造りのこの街の町並みを見ながら歩くのが、楽しくなって、二回目からは徒歩で行くことにした。街路樹が美しく、歩いていると、「こんな所に」と思う小さな洋菓子屋があったり、ただ「おいしいお茶がはいっています」と墨で書いた看板の先の路地の奥に、こじんまりとした喫茶店があって、抹茶と和菓子を出していたりする。そういう奥ゆかしさも備えた街であることが、再三訪れて分かってきた。  だが、今日は、もう日が落ちて、本来の用件を急がなければならない。瀬田は歩足を速めて、一直線に米山家の玄関を目指していた。駅前のロータリーから、真っ直ぐに伸びる幹線道路を直進し、最初の信号を左折してすぐが、その目指す家だ。  瀬田は、綺麗に整えられた築地を持つ門前に立ち、インターホンのボタンを押して、美智子の出てくるのを待った。  美智子は、瀬田の突然の来訪に、驚いたようで、  「いま、行きます」 とインターホンで即答したあと、玄関に出て来て、家内に招き入れた。  「あの仕事は、一応片が付いたので、瀬田さんの机の上に置いておきました」  事務所では、「所長」と呼んでいたのが、さすがに、二人きりの私的な空間では「瀬田さん」になった。  「ありがとう。仕事が速いですね」 と瀬田は、素直に礼を言った。  応接室に座っている瀬田に、最初に紅茶を入れてきた美智子は、  「帰りがけに、ケーキを買ってきました。わたし、ケーキには目がなくて、いつも四つも買ってしまうんです。丁度、ケースに入る数だから。こんな所でも、案外、洒落たケーキ屋があるんですよ」  美智子は、ケーキの箱をそのまま持ってきて、  「どれがいいですか」 と聞いた。瀬田は、大きな栗の実が乗っているモンブランを選んだ。  美智子は  「私はこれに目がないの」 と大きな苺が乗っているショートケーキを皿に乗せて、残りは、箱に入れて台所に戻っていった。  (そういえば、このケーキは、あの洋菓子屋のショーケースに並んでいたやつだ)  網膜の中に、明るい照明に浮かび上がったその店の光景が浮かんできた。  応接室に戻ってきた美智子は、  「今晩は、夕食を召し上がっていってくださいね」 と言いだした。  それは、一人身の瀬田には、簡単には避けがたい誘惑だった。だが、その前に、しておかなければならないことがある。それをどういう風にすべきかが、難問だった。  だから、美智子の問には、  「はい、ありがとうございます」 と曖昧な返答をするしかなかった。ということは、瀬田が美智子の申し出を歓迎していると取られても仕方がなかった。  美智子は、台所に戻って、食事の用意を始めた。瀬田は、ポットのお茶を最後の一滴まで絞りだして、カップに注いでから、また、考えごとをしていた。紅茶は熱を失い、もう、冷めてしまっただろう。  美智子の  「出来ましたよ。こちらでいただきますか」 という声に誘われて、瀬田は、二回目の訪問の時に、昼食を一緒にしたダイニングに入っていった。  そこのテーブルに置かれていたのはぐつぐつ煮えた鍋だった。  「秋田の思い出に、きりたんぽを入れた寄せ鍋にしてみました」  秋田という言葉が、瀬田の心に引っ掛かっていた懸案を開くきっかえを与えた。  「今日伺ったのは・・・」  瀬田は、心に積もっていたものを一挙に吐きだしたかった。  「例の事件への私なりの推理を聞いていただきたかったからです」  瀬田の真剣な表情に、美智子は鍋を突つく箸を休めて、神妙な顔をして居住まいを正した。  「私の推測は、こう言うことです」  瀬田が話したのはーー  ーー 私は、依然として、あなたの依頼のご主人の行く方を探し当てていません。そのことを、まず、お詫び致します。ですが、この依頼は依頼者の美智子さんに、真実を話して戴かなければ、なかなか成就しないでしょう。わたしは、それが、一番、気にかかっています。あなたは、もっと多くのことを知っていいながら、そのほんの一端しか、私に告げていない。そう考えていますーー。  ここまで、美智子は、目を見開いて聞いていた。  ーー ですが、それは、依頼者の都合ですから、話さないのならそれでも、仕方がない。それより、最大の気掛かりは、あなたとの東北旅行の最中に起きた秋田の殺人事件にあなたが係わっているのではないか、という疑惑です。わたしも、あの事件の犯行時間にあなたと一緒にいたのですから、全く関係ないとは言えない。現に、私は、あなたのアリバイの証言者になっているのです。それでも、わたしは、あなたがこの事件に絡んでいると考えています。それは、事件が、失踪した太一郎さんが残したメモの記述と、あらゆる点で一致していること、あなたに酷似した女性が犯行の夜に被害者の町長とともに目撃されていること、作並でのあなたの不審な行動ーなどからくる、長年の検察官としての職務経験による直感です。  さらに、メモに書かれていた五つの事件は、いずれも実際に起きていて、その間に関連性が強いことが、確認されています。それも、海の向こうのFBI捜査員の集めた情報による判断ですが。その情報の入手にも、あなたあるいは、ご主人が絡んでいるような感触もある。そのことは、この後で、あなたの協力を得て、調べてみます。  まず、秋田の事件ですが、これは、私は、あなたか、あなたのご主人の計画だと考えています。わたしとあなたは、ご主人が若いころ初任地の盛岡市で付き合っていた高木葉子という人の居場所を探ろうと、盛岡市役所を訪れ、その家に電話してもらって、嫁ぎ先を知り、作並温泉を尋ねて、家を訪問する予定だった。そして、そうしようとしていた前の夜に、あなたは、葉子さんと会って、話を聞き、「夫は秋田に言った」と言われた、と私に言った。  そういう経緯は、間違いないですね。そこで、不思議なのは、なぜ、あなたが、翌日訪問することになっていた佐藤家を訪ねずに、前夜に葉子さんに会ったかということです。わたしは、あなたは、会っていないのだと思う。わたしにそう思わせるために、嘘を言ったのでしょう。それに、首を絞められたというのも、嘘でしょう。それは、何者かの存在を匂わせて、蒸発した夫がいる、と思わせるためだった。もしかすると、あなたは、自分で自分の首をタオルで絞めてあの傷痕を付けたのかもしれない。  これは、秋田県警の捜査本部が調べていますから間もなく分かりますが、町長と一緒だった女性は、私は、高木葉子さんではないかと思います。高木さんは、佐藤さんの家にはいないで、盛岡の実家に帰っていたのではないかと私は、思います。盛岡市役所で、係の人が高木さんのお母さんに電話をしたときに、すでに、葉子さんは、実家に帰っていたのです。あなたの夫も一緒だったのかもしれない。これらのことは、間もなく、秋田県警が調べの結果を知らせてくれるでしょう。  そういうことを、あなた、全て知っていた。そうではないですかーー。  美智子は、黙って聞いていた。  ーー お二人が、盛岡にいたとすれば、秋田に出るのは、簡単です。二日の日に、あなたが盛岡に来たという信号を得て、二人は、田沢湖線で秋田に行った。だから、時間は十分にありました。それにあれだけの大人の男が相手ですから、単独犯行は難しい。やはり、二人の犯行でしょう。遺体を運ぶためにも、一人では無理だ。その全てをあなたは知っていた。そうでしょうーー。  美智子は、依然として、下を向いて黙って聞いていた。  ーー だから、あなたは、失踪したという夫と、密接な連絡を取っていたはずです。その手段、方法も大体推測がつきました。ただ、分からないのは、なぜ、あなたたちが、こんなことをしたかということです。なぜ、私を巻き込んだのですかーー。  美智子が答える番になった。  「瀬田さんの推理は、大体当たっています。確かに、私は、秋田のことは、計画から全て知っていました。私が盛岡に行って、シグナルを送ると、二人が、実行に移るという段取りも分かっていました。でも、最初に瀬田さんに夫の捜索をお願いしたときは、なにも、知らなかったのです。また、殺人事件になるとは思っていませんでした。夫はあくまで、かつての政治部長だった八郎潟町の町長に謝罪して貰いたかっただけです。それが、こんなことになってしまって、私は、わからなくなりました」  ーー あくまで、今のは私の推理ですから、裏付けは秋田県警の捜査を待たないといけません。でも、当たっていると思います。どうですかーー。  美智子は、わずかに頷いた。  瀬田の推理は続く。  ーー 次は、動機ですね。これは、あなたに捜索を依頼された時に見せて頂いた「小説」で大体のことは、理解できました。私にも、心当たりがあることですからね。それに、あの原稿の裏に書いてあった歌二首の内容からも、太一郎さんが、何を考えていたかが伺えます。ですから、高木葉子さんの元に隠れている、という推測は当たっていたわけです。それほどに、太一郎さんは、葉子さんのことが忘れられなかった。わたしは、葉子さんとは面識はありませんが、佐藤刑事が言った目撃証言によると、あなたに瓜二つらしい。太一郎さんは、初恋の女性に似た人を妻に選んだわけですねーー。  美智子は、  「そのことには、薄々気が付いていました」 と蚊の鳴くような小さな声で言った。  ーー 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の 割れても末に会わんとぞ思う   これは、男女の別離を悲しんだ歌です。ああなたが渡してくれた「小説」の原稿用紙の裏に書かれていました。あなたも知っていたでしょう。困難に会って仲を割かれてしまったが、必ず再会したい、という気持ちを切々と歌っている相問歌です。また。もう一首、  二人して苦しみ越えて親しみて 悠然として美しくあり  という歌もあった。これは、私は、あなたを歌っていると思う。そうして、夫婦の年輪を重ねてきたということではないですか。多分、あなたの夫は、あなたと葉子さんと、二人に心の救いを求めていた。そして、あなたに、その癒しを求めきれないと思って、葉子さんのもとに、行ったのではないかと思います。そのことがわかったのはいつ、なぜですかーー。  「いつかというとそれは、あなたに捜索を依頼した後です。ですから、それを確かめたくて盛岡に行ったのです。その数日前に、夫から連絡があって、計画を知らされました」  美智子は、徐々に、告白口調になった。  ーー あなたが旦那さんの魂の癒しに役立たなかったということはないでしょう。あなたの性格からして、あなたは精一杯努力したはずだ。だが、太一郎さんは、それでは、満足しなかった。彼の内部で鬱々としていた暗い計画が、あの「創作メモ」ですね。あなたは、その計画を知っていたのではないですか。いや、知らなかったのかもしれない。それは、分からないが、夫が何かをしていたのは知っていたはずだ。わたしは、こちらに今回で三回伺っていますが、これまでの二回は、この部屋と応接間と二階のご主人の部屋の三カ所にしか、入っていません。この家には、他にも部屋があるでしょう。他の部屋をぜひ見せて頂きたいーー。  美智子は、肩を落として、うなだれていた。食卓で、鍋が煮え立っていた。だが、二人とも、箸を付ける気にならず、黙って、その湯気を見ていた。  そると、脇の棚の上の電話が鳴った。  美智子が、応対に出た。相手は、あの秋田県警の佐藤刑事だった。  「奥さん、先日伺った後、高木葉子ー今は佐藤葉子ですがーの行き先を突き止めたのですが、葉子は死にました。いえ事件ではなく、自殺です、農薬を煽って、佐藤の家の物置で死んでいました。遺書がありましてね。そこに、八郎潟町長の殺しを自白した内容が書いてありました」  美智子は、動揺した。丁度、その事をいま、瀬田に追及されていたばかりだったから、思わぬ展開を聞かされて、頭が真っ白になり、受話器を放して、その場に倒れこんだ。  その様子から、ただならぬ電話だと悟った瀬田は、美智子を抱き起こしながら、受話器を耳元にあて、電話を代わった。  「ああ瀬田さんですか。いまお話ししたように、高木葉子は、殺人を自白する遺書を残して、自殺しました。美智子さんにはご迷惑をかけたので、お知らせしておこうと思いまして。これで、事件は、無事解決です」  瀬田は、納得が行かなかった。  「葉子は、一人でやった、と言っているのですか。単独犯だと」 と追っ掛かて聞いた。  「そうです。遺書には、そういう趣旨で書いてありました。秋田駅で軽トラックを盗んだこと、太一郎の名前を使って金城町長を呼び出したこと、青酸カリをトラックの席で酔い覚ましに、ドリンク剤に入れて飲ませたことなどが、詳細に書かれていますから、十分信用できます」  佐藤刑事の声は、弾んでいた。  「ですが、死体は一人で運べるのですか」  瀬田は疑問を質した。  「それは、葉子は、自分の老母の面倒を見ていて、いつも、軽々と抱えているのを見ている人がいますし、嫁ぎ先でも農作業でかなり重い荷物を運ぶのには慣れています。あれは、重みでなく、一寸したこつなのです。人一人担げるくらいの年寄りの女性は、こちらには大勢いますよ。葉子は、その人たちに比べれば、まだ若い。一人で十分運べます」  佐藤刑事は自信満々だった。  「昨日、美智子に最後に見せた雛人形の頭は、どうなのですか」  「ああ。あれは、軽トラックの荷台にあったものですが、埼玉の鴻巣の人形師の作品と分かりました。盗まれた軽トラックの所有者の子供が、家から持ち出した物でした。そういうことで、事件は、解決しましたので、ご協力ありがとうございました」  刑事は電話を切った。  (秋田県警は、葉子の単独犯にしてしまった。だが、それなら、美智子の告白はどうなるのだ。計画を知っていたと言い、その計画は、夫が立てた、と言ったのに。こちらでは、問題は残っている。夫の居場所が分からないではないか)  瀬田は、疑問を抱えたまま、卒倒した美智子を抱えていた。  瀬田は、美智子の寝室と思われる二階の部屋へ美智子を抱えて、運んでいった。押入れから布団を出して敷いて、その上に美智子を横たえた。美智子の意識は戻っていたが、特に逆らうこともなく、瀬田のする事に素直に従っていた。瀬田は、美智子のエプロンを脱がせ、ブラウスのボタンを外して、胸をはだけさせた。スカートも脱がし、体を楽にして、掛け布団を掛けた。  その部屋の一隅に、五段飾りの雛人形が、顔を紙で包まれて、今にも仕舞う用意をして並んでいた。美智子は、三月三日が過ぎて、すぐにも、片付ける算段だったらしい。古びてはいたが、しっかりとした造りで、顔は見えないが、衣装は雅びやかな平安時代の貴族の様子を見事に再現していた。  鉄板にねずみ色を塗った棚板の下に、人形が入っていたらしい段ボール箱が、いくつか乱雑に放置されていた。その箱の外側に、毛筆の黒い字で作者と製作場所が書かれていた。  「埼玉県鴻巣市、人形師・九作作」  瀬田はこの名を今しがた、電話で聞いたばかりだった。閃いた瀬田は、段に並んでいた雛人形の顔を包んでいた紙を外しはじめた。最初は最上段のお殿様とお姫様の顔から紙を外したが、いずれも、顔は付いていた。次ぎに三人官女の紙を外した。すべてに顔はあった。そして、五人囃子や右大臣、左大臣と順に見ていったが、いずれも、顔が付いており、全ての作業を終えて、瀬田は、一息、安堵の深呼吸をした。  (軽トラックにあったという雌雛の頭は、ここにある雛人形のものでなはないのだ) という確信を手にしたからだった。  (まだ、おれは、この人を疑っている)  もしかして、もっと親しい関係になれたかのしれないこの女性が、いくつかの秘密を抱えていたため、瀬田は、もう一歩近寄れないでいた。一度だけ、秋田のビジネス・ホテルで、この人の体を抱き抱えたまま、一夜を過ごしたことがあったが、父と娘のように、体を寄せ会っていただけだった。それが、ぎりぎりの分別だと思うと、その分別が疎ましかった。もし、二十代の若者だったら、決してこんなことはない、と瀬田は思っていた。  瀬田は、洗面所で手拭いを湿してきて、美智子の額に置いた。そして、頭の側に正座して、その寝顔をじっと見ていた。瀬田の目の下で、静かに目を閉じていた美智子の意識は、一時間もすると戻ってきたが、目は開けないでいた。少し薄目を開けて、すぐ側にいる瀬田の様子を伺っては、またじっと目を閉じるということを繰り返して、体の中にわき上がってくる、ある情念を抑えていた。  瀬田は、美智子の顔が徐々に赤みを増して、紅潮してきたことを、肌に感じていた。肌は、接触していないが、皮膚の感覚で分かったのである。  瀬田は、熱を感じていた。眠っている美智子の顔のうえに、自分の顔を持っていって、皮膚から数ミリの先に置き、空気を介して伝わってくる美智子の体臭と体熱を関知することで、満足しようとしていた。  美智子は、その瀬田の行為を知っていた。既に、意識は正常に戻り、むしろ感覚は鋭敏になって、直ちに刺激に反応するようになっていた。  二人の感覚は、今にも発火し、爆発する飽和点に向かって、上昇カーブを描いていた。  二度目に瀬田が、美智子の様子を探ろうと、顔を近寄せた時、美智子は、全身で掛け布団を撥ねのけ、両手で瀬田の頭を抱えて、自分の唇を瀬田のそれに押しつけていた。  瀬田には、その予感があったから、驚かなかった。両手でしがみついてきた美智子の体を、自分の両手でしっかりと抱き抱えると、美智子の体を起こし、向かい合った姿勢で、激しく唇を吸った。  あとは、自然の流れで、二人は、昂った肉体を貪りあうように、激しい愛の作業に没頭していった。  全てが終わったあと、二人は、美智子の寝布団のなかで、全裸で並んで寝ていた。天井に、染みがあって鬼の顔がこちらを睨んでいるように見えたのが、瀬田には気掛かりだったが、美智子の体は、予想していたように、最高の反応を示し、瀬田も十分に満足していたから、鬼は笑っているように思われた。  「結局、こういうことに、なったね」  瀬田は、呟いた。  「私は、いつか、こうなると、思っていた。でも、こんなにしたのは、初めてだわ」  「旦那さんにしてもらっていたのだろう」  「そういう関係ではなかったのよ、わたしたち。世間の目を気にして、理想的で素敵な夫婦と幸せな家庭を装っていたのだと思う。だから、セックスはずっと、なかったと同じ。本当を言うと、夫が失踪してくれて、私は安心できた。やっと、自分の生活ができると思ったもの」  「うちの女房も、そう思って出ていったのかな」  「女にはそういうことはあると思うわ。男だってそうでしょう。だから、夫は出ていったのよ」  「それは、違う。太一郎さんは、目的があって出ていったのではないかね。一時はあなたを巻き込もうとしかかったが、彼は、自分で全てのことに決着をつけるつもりなのではないかな。男はそうでなければいけない。おれは、そうだと思う」  「でもあの人は、初恋の人の元へ行ってしまったのよ」  「いまは、そこにもいないらしい」  「どこにいるのかしら」  瀬田は、その言い方が気に食わなかった。その言葉が、職業意識をかき立てた。  「そんな白々しい言い方をするなよ。あなたは、全てを知っているのではないか」 と語気を荒らげて、吐き捨てた。  美智子は、その勢いに押されて、起き上がり、裸の体に下着を付け始めた。パンティーをすぐに穿いて、いまは、ブラジャーを付けようとしていた。それは、防御の姿勢だ。  瀬田も肌着を付けて、着衣を始めた。  先程までの行為で、体は火照っていたが、瀬田には、まだ、美智子に問いたださなければならないことがあるのが分かっていた。  美智子は布団を出ると、洗面所に行って、鏡の前で、乱れた髪を直していた。そのあと、ダイニングに座って、  「さあ、そろそろ、片付けないと、すっかり、冷めてしまった。いま、火を入れ直しますから」 と鍋に手を掛け、ガス台に持っていった。  瀬田は、そろそろ、決着を付けないと行けないと思っていた。  平然として、席に着き、美智子が冷蔵庫から出してきたビールで渇きを癒した。  「ああ。うまい。お互い、かなり頑張ったからね」  瀬田の話し方が、急に親しさを増していたが、美智子は、それを当然だと思った。  (男と女は、肌を合わせると、気を許しあうもの。特に、男はそうだ)  それは、熟女ゆえの分別である。そして、それでいいのだと考えていた。  「僕が理解できなかったのは、必ずしも、一日中家にいる訳ではないあなたと、太一郎さんが、どういう方法で、連絡を取っていたかと言うことなのです。ここにあるのを見れば電話は留守番電話ではないらしいし。それに、留守番電話でも、相手が移動していれば、捕まえるのがそう簡単ではない。携帯電話も考えましたが、お宅ではその契約をしていなかった」  「なぜ、そう分かるのです」  「いま、僕は、NTTの営業所に行ってきたのです。そこでお宅の電話の使用状況を調べました。もちろん、他人の電話を調べることは、普通の人には出来ませんが、私は、検事時代の名刺を持ってるので、使ってみました。すると、意外なことが分かったのです」  「えっつ。なんですか」  「そんなに驚かないでください。あなたは、もう分かっているでしょう。パソコンは、どこにあるのですか」  「はい」  「ですから、通信に使っているパソコンは、どこにあるかと言うのです。ご主人と、連日、連絡を取り合っているパソコンですよ。私の手に入れた電話の使用状況表によると、こちらから三月一、二日の深夜に、いずれも約二時間の通信が行われている。二月も長い通話が多かったが、それらは、いずれも同じ電話番号です。これは、パソコン通信会社の接続ポイントの電話番号ですね。それと、一、二月はインターネットの接続業者へ頻繁につながっていた。ご主人が失踪する直前ですね。いずれもこちらのお宅の電話番号から掛けられていた」  「そこまで、調べてきたのですか。それなら仕方ないですねる。もう、全てを話さなければならないのかもしれません」  美智子は、諦めたようだった。  「ご案内します」  美智子は、ダイニングを出て、二階へ上がる階段に向かった。瀬田は後に続いて、二階へ上がって行った。  夫の書斎でも、美智子の寝室でもない部屋が北の一角にあった。約六畳間の板張りで、その壁際にデスク・トップ型のパソコンが置かれたデスクがあった。デスクには、ハード・ディスク装置やMOドライブも接続され、こちら側にはバブルジェット・プリンターの大きなきょう体が、場所を占めていた。  「これが、その装置です」  美智子は、机の上を指し示して、瀬田の方に目を向けた。  パソコンのスイッチは入りっぱなしになっているらしく、ディスプレーにはウィンドウズのスクリーン・セーバーが踊っていた。  「ちょっと見せて貰いますよ」  瀬田は、マウスを操作して、ファイル・マネージャーを開き、ハードディスクに入っている、ファイルを見ていった。  「やはり、ありましたね。ワープロにあったのと同じファイル構成になっている創作ノートが、ここにある」  そのテキスト・ファイルを、ワープロ・ソフトを開いて、読み込んだ。そこには、太一郎の書斎にあったワープロのフロッピーディスクに入っていたあの創作メモが映しだされていた。  「さて、では、こちらのメール送信箱を開けてみましょうか」  瀬田はINTERNETというヂレクトリーから送信箱のアイコンをクリックし、中の文書を調べてみた。そこには、五つの文書が入っていた。それぞれには、千葉、埼玉、転落、引き逃げ、秋田などのファイル名が付いていた。瀬田は、千葉のファイルを開けて見た、そこには、英文と日本との二つのディレクトリーがあり、それぞれに、同じ内容の文書が入っていた。ただ、英文は文法は正しかったが、こなれていない、紋切り型のたどたどしい文章だった。瀬田は、  (あまり、英語が得意でない者が訳したか、翻訳ソフトを使ったのだろう) と推測した。  「これが、あの創作メモにあった事件の具体的内容か」  瀬田は呟いたが、美智子は、そのファイルを驚きの目で見つめていた。  「どうしたのですか」  「これは、皆、初めて見ます。私が使っていたのは、この通信のディレクトリーの中だけですから。そこに、夫からの通信が入っているのです」  瀬田は、そのファイルを読み込んでみた。  確かに、それは、日付順にパソコン通信のメール・アドレスに送られてきた通信文が並んでいた。三月一日には、  「いよいよ、実行の時が来たようだ。準備は全て整った。あとは、くれぐれも用心深く、気付かれないように」  とのメールがあり、最後に「最愛の人へ」との記述が添えられていた。  「美智子さん、あなたは、これを読んだのでしょう」  瀬田がきつい調子で、質すと、美智子は、  「はい、そうです」  と首をうなだれて認めた。  瀬田がさらに、他のメールを開くと、秋田の事件の経過とほとんど同じ内容が書かれた文書があった。  「これで、あなたの夫がこの事件を計画し、実行したことが、明確になったですね。でも、秋田県警の捜査本部は、高木葉子の単独犯行で、捜査を終了しようとしている。われわれは、どうしたらいいですかね」  瀬田は、やや敵意を含んだ言い方で、美智子に聞いた。  「わたしは、ただ、夫の指示を守っていただけです。どうしたらいいかと、言われても」  「指示だけではないでしょう。なにか、あなた自身で、信号を受け取って、理解したことがあるのではないですか」  「信号」  「そう、サインです。私は、あの「小説」原稿の裏に書かれていた和歌に、その鍵があると気が付きました。あなたもそうではないですか」  美智子は意を決して、こう言った。  「はい。さすがに瀬田さんは、鋭いですね。私と同じことが、分かったなんて。そのとおり、夫は、私にメッーセージを残していきました。それは、あの和歌です。私はあれを読んだとき、これは、私へのメッセージだと、理解したのです」  「ーー 二人して苦しみ耐えて親しみて 悠然として美しくあり   この最初の音を並べると「ふ」「く」「し」「ゆ」「う」となる。太一郎さんは、あの小説を残して、復讐のために姿をくらました、とあなたには分かっていた。そして、妻として、その実行の指示を静かに待っていた。毎日、パソコン通信のメールを開きながら。そうでしょう」  「その通りです。でも、わたしは、もう一つの歌の意味を十分に理解していなかった。  ーー 瀬を速み岩にせかるる滝川の 割れても末に会わんとぞ思う  この歌は、行く方をくらましても、かならず帰ってくる、ということだと、私は、思っていたのですが、そうではなかった」  「そうですね」  「あれは、葉子さんへ捧げた歌だったのです。そして、私は、その葉子さんに負けた」  「負けた」  「そう、夫を思うということにおいて、私は、自らの命さえも惜しまなかった葉子さんに負けたのです」  瀬田は、美智子が、瀬田に体を許した理由を理解した。  (そう思ったから、私に抱かれたのだ)  瀬田の心中を冷たい嵐が吹き抜けようとしていた。  「私は、OLをしていたとき、イタリア旅行をして、フィレンツェに行ったことがありますが、あの町には、沢山の聖母マリア像があった。なかでも私は、ミケランジェロの作った聖母マリア像に魅せられた。特に聖母マリアが磔に処せられたわが子、キリストの姿を見つめて、心の安らぎと癒しを与えようとする姿を写した「ピエタ像」の前には、何回も足を運びました。その敬虔な姿にすっかり心を捕らえられてしまったのです。それは、女性が母としてある時の最高の極限の姿ではないかと私は思いました。だから、その姿を心に刻んで生きていこうと誓い、結婚後もあの像を心に浮かべて、辛いことも耐えてきたのです。でも、夫には、私だけでない、もう一人のマリアがいたのですね。夫は、二人のマリアを持っていた。それは、まるで、「ピエタ像」がフィレンツェの町のあちこちにあったように」  美智子の大きな瞳から、熱いものが流れ出た。その流れ落ちるものを、意識しないかのように瀬田は、言った。  「太一郎さんは、まだ行く方がわからない。私へのあなたの依頼は、あくまで、失踪した夫の捜索だから、私は、まだ依頼を全うしていないことになる。だから,これからも行く方を追うことが、私の仕事だ。これは、事件の捜査とは、関係ない私の仕事だ。私は追い続けますが、それでいいですね」  美智子は、頷いてから、ふらふらと、床に崩れ落ちた。    翌日、瀬田は、美智子は、もう事務所に来ないだろうと、考えて、事務所に出勤したが、案に相違して、美智子は、けろっとした顔をして、出てきており、ドアーを開けて入っていた瀬田に、  「おはようございます。いま、コーヒーを入れますから」 とすでにガスこんろで沸騰しているお湯をドリップのコーヒーに注いで、香り高い一杯を瀬田のデスクに運んできた。  「いやあ、嬉しいな。事務所に来たてに、こんな好物でもてなされるなんて」  そう言って、最初の一口をじっくり味わったあと、朝からは珍しくパイプを吸う気持ちになり、「アンフォーラ・ミックス」をパイプに押し込んで、火を点けた。パイプ煙草の芳香と、コーヒーの薫香が混ざり合って、部屋が大人の空気で満たされた。  こういう香りを嗅ぐのは、美智子は慣れていなかったが、そういうものが、この世に存在して、しかも、自分をこんなに官能的にするとは、瀬田に会ってから初めて知った。この香りが漂ってくると、心地よい快感が体の底からわき上がってくるのだ。人間の脳には、人に快感をもたらす脳内麻薬のドーパミンというものがあるという話を聞いたことがあるが、パイプ煙草とコーヒーの香りにも、同じ効果をもたらす成分があるのかもしれない。それとも、異性を誘うというホルモンのフェロモンの成分だろうか。瀬田が吸う煙草の香りと、自ら口にしている入れたてのモカ・コーヒーに、美智子がうっとりとしていると、  「実は、美智子さん、昨日お話しした和歌だけではなく、もう一つ、あなたのご主人は、ヒントを残しています。それは分かりましたか」  と瀬田が聞いてきた。  美智子は、昨日、あんなに、瀬田に責めらて、知っていることは、全て打ち明けたつもりになっていたから、  「何ですか、わたしは、分かりません」 と言うしかなかった。  瀬田のそのひと言は、朝から気分がよくなっていた美智子を一転して、不安に陥れた。  (まだ、この人は、私を許そうとしていない。昨日のあのことをまだ根に持っているのだろうか。確かに、女として、昨日は、肌を合わせた男に、失礼なことをしたのかもしれない。でも、それは、私だけの責任ではないはずだ。第一、わたしは、まだ、れっきとした米山太一郎の妻なのだ。人妻なのだ)  美智子はそう考えようとしたが、どうも、自分の素直で自然な感覚とは違和感があった。 (そんなことは、戸籍の上の、単なる紙の上のことではないか。今は、私は失踪した夫を探す妻ではあるが、それが、いつまで続くものだろうか) という思いが、心の底で疼きはじめていた。  「それはね」  瀬田が解説を始めた。  「メモに列挙された名前ですよ。1から5までの名字の姓の頭文字を読んでみてください。浦田の「う」、雷田の「ら」、南村の「み」、本村の「も」、そして、手島の「て」です。続けて読むと「恨みもて」ですね。即ち、恨みを持って、ということですね」  「そうなりますかね。でも、それは、気の回しすぎ、深読みではないですか。私は、そこまでは分からなかった」  「ですが、問題は、それだけなのかということですね。これだけでは、どうも、据わりが悪いと思いませんか。私は、このあとにまだ、何かの文字が続くのだと思います。少なくとも、あと一字は」  美智子には想像もできない話だったので、話題を変え、  「ところで、その五事件の捜査は、どうなっているのでしょう。本当に、夫が絡んでいるのでしょうか」 と聞いた。  「警察庁の友人の話では、これらは、全て、現実に起きていることだ、ということです。パソコン上の非現実ではない。バーチャル・リアリティーではない。この現実世界で起きている。しかも、米国の捜査官の特殊な手法でこれらは、互いに関連性があると診断されました。少なくとも、彼らは、そう見ている。私は、どちらとも言えませんが。それらは、それぞれの捜査担当者が、必ず、明らかにするでしょう。それより、気掛かりなのは、もう一件、これから起きる可能性のある事件が隠されているのでは、ないかということです。それを未然に防止しないといけない。だが、一体、なんなのか。あの五文字のあとにある名前は」  美智子には、まったく、検討もつかない。  「そういうことは、その専門家、お友達の警察官僚の方と米国の捜査員に聞いてみたらどうですか」 としか言えなかった。  瀬田は、その言葉を真に受けた。  「そういえば、なぜ、ジェレミーとかいうFBI捜査官が、この五事件の詳細を知り、関連性を把握できたかが、分かったんだ。このことを知らせてやろう」 と言いながら、警察庁外国課の電話番号を押していた。  吉村警部は、この日も、手持ち無沙汰に、窓から皇居の緑を眺めていた。机上の電話が鳴るとすぐに、応対に出た。  「はい。ああ、瀬田君か。その後、いかがですか。ええっ、ジェレミーの捜査の秘密が分かったのですか」  瀬田は、  「そうだよ。事件の詳細は、インターネットで、日本から送られていたのだ。あの米山家のパソコンに全て入っていたよ」  「それで、ジェレミーは、おれの送った事件の概要以上の内容を知っていたのだね。もったいつかせて、私が開発した特別の方法で解明したなんて言っていたが」  「それが、アメリカ人特有の個性的表現だということだろう。なにごとも我々より、大袈裟だからね。ところで、その後の、ほかの事件の捜査状況はどうだ」  「ああ、秋田の事件が、解決したのは知っているだろう。それ以外は、捗々しくないようだ。第一、ジェレミーが言ったような人物に当てはまる人が、あの新聞社にはいなかったんだよ。いや、いないと言ってしまうのは憚られるが、要するに、新聞社に当たったところ、そういう人に心当たりがないということだ。ただ、八郎潟の町長だけは、もと社員だったそうだが、途中で退社して久しいと言っていたようだな」  瀬田は、太一郎の残した「小説」を吉村は読んでいないのを、思い出した。    米国東海岸。マサチューセッツ州ノーフォークの海に臨む崖の上のアーリー・アメリカンスタイルの二階建ての邸宅の、一階の一部屋だけに明かりが点いている。十畳程の広い書斎の奥のデスクの上で、青白いパソコンのディスプレーの画面が光っている。  その画面に、電子メールが入電中だった。自動的にメールを読み込み、表示するソフトがインストールされているため、その画面はリアルタイムで入電中のメールを表示していた。  そのメールは、少し変わった英語だった。文法的には正しいが、たどたどしく、硬直した文章が、長々と続いている。それは、英語圏意外の人が書いたことが、一目瞭然としてる英文だった。          *    *    *  神奈川県相模湖町の中央高速道高架橋の下の河原にその死体が横たわっているのを、有害鳥獣駆除のための猪猟で山に入っていた中年の二人のハンターが、見つけたのは、ここ数日の大雨があがった初夏の六月の中旬だった。  その川は真っすぐ下っていけば、相模湖に通じている。急峻(きゅうしゅん)な崖を下ってきた小川が、急になだらかにった川床で、川幅が広がり、流れも緩やかになるその場所に、ぼろ屑のように固まっていたものは、はじめ、何だか分からなかったが、この辺には見られないものの異様さに気付いた長身の男が、それよりも小柄だが、体付きはがっしりした連れの男に、  「おい、あれは、なんだい」  と囁いて、近くに近寄っていった。  「なんだろうな。猪ではなさそうだし。でも、なにか、動物のようだな」  小柄の男も、長身の男の後に続いてその異様な物体に近寄っていった。  そのものは筵にくるまれていた。筵の両端をひとまきして、筒のようにし、丸くなった表面を縄で結わいてあった。  だから、近い付いてきた男たちにも、一見しただけでは、中に何が有るのかは分からなかった。  長身の男が担いできた水平二連銃の筒先を筵の橋に入れて、剥がそうとしたが、筵は縄できつく結ってあり、容易には剥がせなかった。  それを見ていた小柄な男は、腰に巻いてあった革のベルトに差してあるアーミーナイフを取り出して、一番大きい歯のナイフを出し、縄を切りはじめた。  縄は意外と簡単に切れた。昨日までの雨のためか、あるいは、増水していた川の中にあったためか、綱は水をたっぷり吸っていて、鋭いナイフの刃が触れたただけで、二つに切れた。すると、筵が開いて、中の物が露出した。  その瞬間、二人の男は、  「おおっつ」  と呻いて、二三歩後ずさりした。  そこに現れたのは、人の顔だった。しかも、顔面が異状に膨れており、今にも崩れそうだった。  後ずさりした二人は、それでも気丈に踏みとどまり、まだ剥がされていない筵を剥いでみる作業に取りかかった。  それは一度、外れたので、簡単に広げることができた。筵を平らにして、出てきたのは、人の死体だった。膨れた顔のしたには、ロング・コートを着た体があった。コートは、前のボタンを嵌めていなかったから、前を分けると中から茶色のセーターを着た男の体が出てきた。下半身には、焦げ茶色のズボンを履いていた。  両手、両足とも、揃っていたが、セーターやズボンに細かい穴が開いているのが、異様だった。  事態を掌握した二人は、  「これは、大変なことだ、早速、警察連絡しないといけない」  と話が一致した。  そして、崖のうえの林道に置いてきた4WDの車の中にある携帯電話で、知らせることにし、車の持ち主の長身の男が、その役目を引き受けた。  ま午前九時前とあって、朝日が天井に上がりはじめ、気温はこれから秋の日和に見合った上昇を始めるころだった。  神奈川県警津久井署の当直係長、山田康夫警部補は、この田舎の警察署でのいつも平穏な泊まりの勤務を開けて、昼番の警官に引き継ごうと、席を立ち掛けたときに、机の上の県警本部からの緊急用電話が鳴った。  「もしもし、こちら津久井警察ですが」  「それは分かっています」  県警本部の110オペレーターが、つっけんどんに応答した。  津久井署に110番からの連絡が入るのは、そう頻繁ではない。大都市を多数抱える神奈川県警の緊急司令室には、県の西の果てにある山のなかの警察をそう重視してはいない。彼らにとっては、横浜や川崎は馴染みの場所だが、津久井は意識の隅にある。  それが、分かっているから山田警部補は、わざわざ署の名を名乗ったのである。  (それをなんていう言いざまだ。最近の若い警官はまともな電話の応答もしない)  そう心中にごちながらも、  「それで、何でしょうか]  と丁重に聞いた。  「ああ失礼しました。最近、通報の掛け違いが多いので、つい」  とその若い警官は素直に謝ったあと、  「そちらの管内で、変死体事件が発生した模様です。場所は」  警官のいう情報を、椅子に座って、メモを始めた山田警部補は、内心、   (やっと当直勤務が終わるというのに)  と舌打ちしていた。  緊急指令室に入った情報を全て書き留めると、  「了解しました。早速現場に向かいます」 と答えて、電話を切った。  日ごろの業務だけでも、人が足りないこの警察署で、死体が見つかるという重大事件に出会って、  「当直明けです」  と言って帰るわけには行かなかった。  そうでなくとも、山田警部補は、その種の不審死や凶悪犯を扱う刑事部の刑事なのだから、なおさらだった。  出勤してきた刑事課長に、その事件の概要を報告してから、山田警部補が、若い田代刑事と一緒に、その現場に向かった。県警本部の司令室からの話では、発見者のハンター二人が、現場で待っている筈だった。  現場の川に続く林道を行くと、行き止まりに大型の4WD車が止まっていた。そこに、捜査用車を置いて、下を見ると、河原に二つの人影が見えた。  刑事二人は、急な崖を降りていった。雑木に遮られながら、やっと河原に降りると、その先は、岩場になっていて岩のあいだを抜けて、狭い河原に出た。  二人の男が、こちらの姿を見つけ、一礼した。  「津久井署の山田と言います」  警部補が名乗ると、二人も自分の名前を言った。  「これが、その仏さまですか」  山田警部補は、足元にある筵のなかの物体に近寄り、身をかがめて観察した。  顔が異状に膨れていて、手も脚も普通の状態より太かった。  後を追ってきた鑑識の職員が、写真を取ったり、現場の見取り図を描きはじめた。  「済みませんが発見時の様子を伺いたいので」  二人のハンターを呼んで、第一発見者の調書を取りはじめたころ、遺体の搬送車も到着した。伊勢原市の東海大学医学部病院での司法解剖のために、刑事課長が手配したのだろう。  「お二人は、地元のかたですか」  「そうです。今日は有害鳥獣駆除のための猪猟に地元の猟友会員が駆り出されているのは御存知でしょう」  「ああそうでした。回覧書類が来ていました」  さすがに、当直勤務を終えたばかりである。当直者用の縦覧書類の挟みに、そんな書類があったことを思い出した。  「それで、われわれは、この沢に下りてきたのです。二人でやるのが原則ですので、この人と一緒にね」  と言って、長身の男が、小柄な男を指差した。  小柄な男が、それをきっかけに話はじめた。  「そりゃあ、驚きましたよ。人の死体だったんですから」  山田警部補は、詳しく発見当時の様子を聞いて、調書に纏めた。  ただ一つ、気になることがあった。それは、死体に多数の細かい穴が開いていることだった、その穴の幾つかをえぐってみると、中から散弾のような鉛が見つかった。穴は散弾で開けられたという可能性が出てきたのだ。  「最後に少し伺いたいが、この近くで銃声はしませんでしたか」  「いや、まだ、漁場に入ったばかりで、我々も、一発も撃っていませんよ。だいたい獲物が見つからない。犬を連れてくるのが普通なのですが、その犬もこう獲物がいないのでは手もちぶさたで、上の車で寝ていますよ」  長身の方の男が答えた。  「でも、他の猟友会員も出ているのでしょう。他からの銃声は」  「それも、まだ、聞いていないね。大体、こんな天気の言い日は、獲物なんて見つからないよ。我々の姿を相手が先に見つけて逃げてしまう」  今度は、小柄な男が言った。  「分かりました、一応念のため、使っている銃と弾を確認させてください」  「どうぞ、ご自由に。ちゃんと、登録してありますから。銃も弾も」  山田警部は、二人の銃砲所持許可証から銃の種類などの必要事項を写し取り、メモした。そして、それと二人が所持していた銃の現物を弾の種類を照合して間違いのないことを確認した。  長身の男の銃は、レミントンの水平二連銃で、小柄な男のはミロクの上下二連銃だった。散弾はいずれもレミントンの32番だった。それを百発ずつ所持していた。  あとは、署にいって事後作業をしないと行けない。  山田警部補は、田代刑事とともに、帰路に着いた。第一発見者は、住所や連絡先を確かめていたので、現場で別れた。  署にかえった山田警部補は、待っていた石田刑事課長の席に行き、  「被害者は、散弾を浴びていますよ。身体中蜂の巣です。でも、顔には怪我がない。その代わり、風船の用に膨れていましたが。銃で撃たれたのが、致命傷のようですが」  「どういうことだね、それは。狩猟者に撃たれて、撃った驚いたハンターは逃げたのではないかね」  「ううん、そういうことも考えられないことではないですね。誤って殺してしまい、動転して、死体を筵に包んで、川に投げ入れて逃げた、ということも考えられないことではない」  「そうなれば、事故死だ」  「ですが、そうだとして、あんなに死体を厳重に始末しますかね」  「わからんな。いずれにしろ、死体を解剖して、直接の死因を解明し、弾を摘出して、種類とメーカーを確定しないといけないな。鑑識の作業が終わってから、情報が集まってから判断すればいいだろう。それまでは、待機だな。やまさん昨日から当直で疲れているのだろう。すこし、休めよ」  「そうですか。では、お言葉に甘えて、少し、寝てきます」  どうせ、鑑識作業は一日掛かる、司法解剖の結果も早くても夜までは、入ってこない。  (それまで、ゆっくり休んで、体力の回復を図ろう) と山田警部補は、三階の食堂で、軽い昼飯を取ったあと、二階の仮眠室に行って寝た。  東海大学病院での司法解剖の結果が出たのは、その日の夜だった。  ファックスで入ってきたその報告書は、意外にも死因を頸部の絞力による窒息死と断定していた。  それは、以下のようだった。  ーー 死体の外見を見ると、腹部から胸部にかけて多数の弾痕あり。その数は、全部で約百発に登り、総重量は約二十五グラムになった。弾は一個が直径約二・四センチで、鋼鉄製。形状から散弾銃の弾と思料される。しかし、撃ち込まれた部分から生体反応はなかった。このため、この銃弾は、死後死体に対して発射されたものと思われる。  また、体は全体に膨張しており、顔面、上下肢は、通常の状態の約二倍に膨れていた。これは、死後長時間水中にあったため、水分を吸い込んで膨張したものとおもわれる。  膨張した頚部に、絞痕があり、首全体に渡っていた。絞痕は深さ五センチ、幅五ミリ程度で、表皮から頚骨にまで及んでおり、真下の頚骨は骨折が認めれれた。  以上を総合すると、直接の死因は、頚部の圧迫による骨折と終結での窒息死と考えられる。死後、銃弾を画浴びた後、湖か川に遺棄されたものと判断される。  死亡推定時刻は、一日半前の午後九時過ぎから二時間程度。なお死体の推定年齢は、五十歳半ば。身長百六五センチくらい、体重六十七キロ。頭髪は黒く豊かで、内臓には病変は認めれれなかったが、肺の状態からは、かなりのヘビースモーカーと見られるーー。  報告書は、確かに、死因を「絞殺」と断定していた。  捜査は、常道として、被害者の特定から始めなくてはならない。   鑑識は、死体を解剖に送る前に、着衣や所持品をすべて確保していたが、意外や、死体は、自分を証明する証明書や名刺類を一切持っていなかった。というより、持ってはいたが、犯人がすべて取り去っていた。  所持品で残っていたのは、小銭入れだけだった。ズボンの左ポケットから見つかった牛革の黒い小銭入れの中には、五百円玉が二枚と、百円玉が四枚、五十円玉が二枚と一円玉が四枚入っていた。  後の手掛かりは、着ていたコートとズボン、それにセーターと下着類だけになった。  コートには、特徴があった。背中に付いていたブランドマークから製造業者が特定できた。さらに裏地にはネームが入っていたのが大きな収穫だった。それは新宿のデパートの名前が入っていて、刺繍糸で縫い出された名前は、安岡泰男と読み取れた。  このコートは身元追及に大きな手掛かりになりそうだった。セーターやズボンからは特に手掛かりになりそうなものは見つからなかった。ただ、セーターは、腹の当たりがかなり痛んでいて、擦られた跡があった。それは机の端で擦ったような跡で、これは、この遺体が、日頃から机に向かって、デスクワークをしていたことを示していた。  靴は履いていなかった。不審な捨てられた靴が、近くから見つかれば、それが犯行現場の特定に繋がるだろうが、その可能性は薄いと見ていいだろう。多分、犯人は遺体を移動した時に、靴をどこかに捨てたに違いない、と思われた。  この解剖結果を受けて、津久井署は、「相模湖北での変死体事件捜査本部」を設置し、身元の割り出しなど本格的捜査に乗り出した。山田警部補は、この捜査本部に、捜査主任として加わった。     *     *     *    この最後まで語りきらずに、多くの謎を残した文書が入電を終えたころ、このパソコンの持ち主、ジェレミー・リッチフィールドは、夫とベッドの中にいた。  勇ましく、「別ベッド宣言」をしたものの、一人寝の寂しさには三日と耐えられなかった。結局は、彼女が一人で寝たのは、「三日坊主」で終わった。眠りの前に、改めて接した夫と新鮮は気持ちで、男女の交わりをしたが、それは再び、彼女を欲求不満にした。  (夫は疲れている。年齢的に衰えているのか、それとも私に魅力がなくなったのか)  不満を抱えたまま、彼女は眠れなかった。  (私の「ピエタ」はどこにいるの)  また、あの叫びが胸を突いてくる。  だが、彼女は通信回線で結ばれた地球の向こう側に、「復讐のピエタ」を抱えて、彷徨っている男がいるらしいことは、知っていた。             (終わり)  [メモ] ピエタとは、「敬虔な心」「慈悲心」の意。聖母マリアがキリストの死体を膝に抱いて、嘆いている姿を表す絵画または彫刻。嘆きの母子像のこと。