『匠の蘭帳』 花魁殺し  篠つく雨をついて龍太郎は走った。  品川宿を出た辺りで、ポツポツと来たのが、今はもう大降り。  東海道を行く人馬は急がない。大木の下や軒下へと旅人たちは駆け込み、凌ぎのときをただ待っている。  雨は前から吹き付ける。  龍太郎は西へ走っている。江戸を西へと走り続けている。  裾を捲って、紐で腰に巻き付け、足には何も履いていない。素足が泥を撥ね上げ、尻の辺りはもうべっとりとなっている。  「退け、退け、退けー」  人っ子一人居ない街道で声を張り上げる。が、そんな必要はない。ただ、雨だけが、ザーザーと耳に痛い。  暗闇を切って、白光が走った。あとから、ゴロゴロと雷鳴が追いかける。  「さあ、退いた、退いた」  走りながら叫び、叫びながら走る。  半刻も走りざまに走って、龍太郎は、今、小高い岡の上にいる。  雨はやんだ。天からぶちまけたようなドシャ降りが、嘘のように、雲が開けた。  「通り雨は行っちまった」  崖から、遠くを眺めながら、龍太郎は独り呟いた。  その視線を辿った先に、人の群れがある。五、六人が道端にたむろしている。蟻が這うように、黒い頭が左へ右へと動く。だが、動きは定まらない。  その中に、一つだけ、じっとして動かぬ点がある。どうも、他の者たちは、その点の周りに、集まっているようだ。  「あれに違いねえな」  納得したように頷くと、龍太郎は坂を下った。かなり急な崖道になっていて、走り降りていくうちに、膝が笑い出したが、そんなことには、頓着せず、一目散に降りていった。   人の群れが、見詰めていたのは、通り雨に濡れそぼった艶やかな着物だった。赤、青、緑、藍、紅、黄色に金糸、銀糸が入り乱れ、龍太郎の目に飛び込んだ。  が、その上の方に掛かっていた菰を捲ると、お白粉で真っ白のまん中に、口だけ紅も鮮やかな女の顔が現れた。  「おっ、こいつは、参った。随分、別嬪さんだことよ。ところで、下っ引きの松つぁんは、まだかい。上役の小六親分とまた、品川へ女郎買いかね。こうなりゃ、おいらが一番乗りか。ところで、皆さん、どういうわけだ。事情を知ったものは、いねえか」  龍太郎が、第一報を知ったのは、一日飛脚の辰兄いが、  「品川宿の先で、人だかりがしていたぜ。女が死んでるそうだ」  と教えてくれたからだ。  もう、当然、お上の耳にもはいっているだろう、といつものように思って、銀座の店を出たのに、急いだ甲斐があった。  周りの人たちに、初めて見付けた人間や女の身元に心当たりがないか、と聞いて周り、おおよその様子は掴めた。  籠屋を雇って、店に取って返した龍太郎は、さっそく、筆差から小筆を取り出し、記事の執筆に掛かった。  筆を嘗め嘗め、一気に書き上げたおいらん殺しの「三面記事」はーーー  「江戸の町には妖気が潜む。所構わず町々を怪談と霊気がうろつき回り、とうとう、六郷の近くまで、お出ましになった。東海道の往来に、傾城一人、魂を抜かれ、地に伏すこと半日、道行く人々、恐る恐る、覗いて通る。なかに、不閔に思ってか、菰を美顔に被せ、恐れつつも、花を捧げて弔いとなす者あり。  近在の名主、善衛門の申すに、朝方の水撒きに門の外に出てみると、目にも彩な衣々の、道ぞいに点々と散乱しているのに仰天、一々、拾いながら、先を辿ると、女が一人、真っ裸で、倒れていた。顔にこそお白粉があって、浄瑠璃りの操り人形のようにも見えたが、首から下はそっくり人間のもの。もう、すっかり血の気が引いて、一担は抱え起こして、揺さぶってみたものの、心の臓はぴくりともせず、仏様の形相。  お可愛そうにと、散りじりになっていた衣を掻き集め、赤い唇から、筋を引いていた血の跡を拭い、菰を敷き、被せて、番所に知らせた。  番所で死体を検分したところ、死体に傷や打ち身はなかったが、紫色の斑点が背中じゅうにあった。それ故、死因は毒物による疑いが強い。身元は身なりから江戸各地の郭に当たった所、吉原は三浦屋のおいらん、右京太夫と判明した」  ざっとこんな内容だった。  勿論、番所の役人だけが握った捜査上の秘密もある。  実は、死体には、争った後のような、細かい引っ掻き傷があり、秘所を医者が調べたところ、男の体液が検出された。  勿論、現代のように、体液から血液型が分かるような手立てはない。ただ、比較的大量だった事から、年齢が若く、馴染みの客と推量された。なぜなら、おいらんが、後の始末をせず、体内に相手の放出物を入れたままにしておくことはなく、よほど、心を許した相手と交渉し、程無く殺されたとしか、考えられなかったからだ。  (身元も割れていることだし、あとは、その日に上がった常連客を調べれば、下手人の目星は簡単に付くだろう)  と、小六親分が考えたのも、不思議ではない。  この事件を担当することになった江戸南町奉行所同心、飯山梅之助も、小六親分の話し具合から、この一件は、難無く解決するものとたかを括っていた。  手順として、三浦屋に聞き込みに行った小六親分と下っ引きの松五郎は、しかし、意外な壁に突き当たった。  三浦屋の上がり客の名簿を検索した所、その日の太夫の相手の一人は、幕府重臣の若年寄、酒井伊勢守忠道と判明したのである。  「確かに、酒井様に間違いないか」  飯山の問い詰めに、小六親分は、  「確かでございます。控えには、その様に有り、主人もそのように申しておりました」  「だが、主人は酒井様を見知っておるのか」  「はい、そう申しておりました。月に一度は、お上がりになり、必ず、右京太夫を相手にされていたと」  「そのように、主人は申しておるのか」  「それはもう、自信をもってそう言っております」  「他に馴染みの客はおるのか」  「それはもう、吉原では、売れっ子のおいらんですから、何人も」  「その名前も調べてきたであろうな」  「その点は抜かりはございません。最近、頻繁に通ってきていたのは、例の油買い占めで大儲けをした油問屋の美濃屋善兵衛、仙台は伊達家江戸家老の佐藤承吾、それに今売れっ子の浮世絵師、安斎歌麿が、これは本来は断られる町人で御座いますが、太夫とは、浅からぬ縁があるとかで、特別のおめこぼしで、しばしば、顔を出していたようでして。この頃は、絵師も羽振りが宜しいようで御座います。必ず、現金でした、と主人はけちなお武家よりよっぽど良いと……。あ、これは、言葉が過ぎましたようで」  「まあよい、聞かなかったことにしておく。さすがに、吉原の名妓、客も他士斉々の顔ぶれじゃな」  「そうでございますな。しかし、問題は、あの日の、すなわち、太夫が街道で横死していたのがみつかった日の前の日、殺された日の客が酒井様ということでして」  「それで、酒井様と名乗る男は、何時ごろ上がって、何時に帰ったのだ」  「お連れのお武家様が二人。日暮れの酉の刻ごろ、三人で上がられ、酒井様だけお一人で、太夫と部屋に入られ、お連れの方は別室で、ご酒をめされた後、酒井様を残し、四つ時に、あすお迎えにくる、と言い残して退散されたようで御座います」  「酒井様お一人で、泊まったのか」  「そのようです」  飯山梅之助は、思案の表情になった。  「それが、本当なら、大変なことになる。お奉行様と相談の上、追って、沙汰致す」  小六親分と松五郎は、頭を下げ辞去した。 翌日、小石川の療養所で、遺体の解剖が、療養所医師の山内源内によっておこなわれ。た。  山内の所見は「全身の紫色の斑点や消化器のびらん、腎臓や肝臓などの内蔵の出血などから、死因は砒素系の毒物による、中毒死で、被害者の唇からも同様の毒物が検出されたところから、口に差す紅の中に毒物が、混入された疑いが強い。山形県産の紅花で作った紅には、解毒作用があるが、紅色の顔料に毒物を入れ、花魁が知らずにそれを口に塗り、毒が回ったと思量される。また、膣内から、精液が多量に検出された」 との趣旨で、情交のあと、何者かに毒殺された可能性が強まった。   幕府の大目付け酒井伊勢守の一件は、飯山から、江戸町奉行、長岡近江守輔忠へと言上されたが、長岡は、この一件を、握りつぶした。  「大目付けの酒井様ともあろうお方が、そんな、下世話なことをするはずがない。幕府の涸券に係わる」 として、飯山に、 「他の可能性を探るように」 と言い渡した。  しかし、当の酒井伊勢守は、地獄耳の評判どおり、自分が被疑者になっていることを、どこからか聞きつけ、自ら、  「そのようなこと、一切、存じつかまつらず」 と長岡に釘を刺してきた。  長岡は、幕府内の序列もあって、真偽は別にして、これを信じざるを得なかった。  (となると、別に下手人を挙げなくてはいけなくなる。実際上、酒井様が犯人であっても、幕府の面目にかけて、別の犯人をお縄にしなくてはなるまい。酒井様が犯人でなければ、なおさらだ)  長岡はそう心に誓って、飯山に  「酒井様の件は、聞かなかったことにしておく。町人を中心にその日の客を総ざらいせい」 と命じた。  飯山は小六親分と松五郎に命じて、まず、太夫と浅からぬ因縁があるとされた安斎歌麿を洗わせた。  小六親分が、下谷墨屋町の安斎の居宅を尋ねたときは、翌日昼過ぎだったが、安斎は妙齢の小女を押入れの前に、横たわらせて、筆の墨を嘗めながら、写生の最中だった。 小女は、見たところ年齢は二十二、三歳。上半身は全て着物を脱ぎ捨て、下半身には赤い腰巻き一つで、脛の当たりは、腰巻きがはだけて、伸ばした両足は、丸見え。ほとんど全裸の状態で、右を下にして横たわっていた。  その姿を、安斎は、克明に、筆でなぞっていて、もう、綴った半紙に、二十枚程は描き上げてしまった風情だった。  「丁度、半分ほど終わって、一休みをしようと思っていたところです。さあ少し休みましょう」  安斎は小女に声を掛けたあと、小六親分の方に振り返った。  「お忙しいところを、申しわけない。ちょっと、お手間を取らしますが、三日前に起きた花魁殺しのことを調べております。あの日は、あなたも三浦家へ上がられたようですが、その辺のところをお話し願えればと」  「ああ、行きました。わたしが上がったのは、夕方、酉の刻時分でしたが、その時には、美濃屋さんも来ていて、かち合った。私が待たせてもらって、美濃屋さんが、さきに御目通しになった。美濃屋さんは、泊まらず、二刻ほど居て、お帰りになった。私はその後に上がって、やはり、二刻ほどで、引き下がりましたよ。花魁は、私が上がったときは、化粧直しの最中で、唇の紅も鮮やかだった。私は燃えましたよ。何せ、一月ぶりのご面会ですからね」  小六親分が、尋ねた。  「あなたと、花魁とは、浅からぬ仲だと聞いたが、どういう関係かね」  「浅からぬといっても、私も右京太夫も同じ出羽の国は米沢藩の出でしてね。花魁が小さい頃からの顔見知りですよ。まあ、幼な馴染みとでもいいましょうか。そんなことで、花魁も特別扱いで私をあげてくれているんです」  「それで、あんたは、丑の刻頃には、辞去したという分けか。なぜ、泊まりをとらなかったのかね。花魁は」  「それは、泊まるとなれば、高くつきますからね。私にはそんな余裕はありませんよ」  「では、あんたは、花魁殺しの現場にはいなかった、というわけだ。しかし、あんたが引き上げたときに、花魁が生きていたという証拠はないが」  「そんなことはない。花魁は、玄関まで送ってくれたんですから。店のものが見ていますよ」  「そうですか。後で聞いてみましょう。しかし、あなたはまだ、無実と決まったわけではない。そのうち、また、来ますから、この家から離れないでくださいよ」  小六親分は、そう、釘を刺して、安斎宅を辞した。  小六親分は、翌日、小天馬町の美濃屋の店を訪ねた。美濃屋は、安斎と同じように、 「二刻ほどして、辞した」 と証言した。  あとは、伊達藩江戸家老の佐藤承吾の尋問だったが、これは、武家の建前通りに長岡が、じきじきに江戸屋敷に出向いて、尋問した。  佐藤は、  「あの日は、泊まりをとって、翌朝まで、おりました。その間、花魁には何の異常もなかった。いつものように普通に応対して、拙者は酒を飲み、眠くなって、すぐに寝てしまった。朝方、起きてみると、花魁の姿がないので、店のものに言って、探させた。そうしたら、こういう結末になっていたというわけですな」 と語った。  「それで、これは直裁にお聞きするが、秘め事はなさいましたか」  「それは、いたしておりません。酒をしたたか飲んで、寝てしまいましたので」  「ご無礼申し上げた」  長岡は、そう言って、屋敷を辞した。 御用になった歌麿 浮世師の安斎歌麿には、ライバルがいた。風景画で最近、人気が出てきた仁科広重が、安斎の画風を悪し様に言っている、 という噂を安斎は耳にしていた。  それに、正体が今以って不明の南州斎写楽の存在も無気味だった。 浮世絵の世界でも、生存競争が、激しくなっていた。  そんな話しを、町の連中から聞き込んで来たのは、岡っ引きの手下、松五郎だった。 松五郎は小六親分に報告した。  「どうも、安斎の後援をして、出版の元手を出していたのは、美濃屋のようです。美濃屋は、油商売で稼いでいますからね。美濃屋は、相当、安斎の美女画に入れ揚げていた。一時の人気があった頃は、版画の売り上げでも相当儲けたらしい。それが、最近は、ころっと変わって、風景画の広重の人気が出てきたために、こっちに資金を回そうと、思い始めていたようです。それを安斎は、相当、怨んでいたらしい」  「うん、なかなか、おもしろい話だ。先を続けろ」  「へえへえ。さらに面白い話なんですが、これも油問屋で、小石川に銭屋小兵衛という者がおりまして、美濃屋を商売上の眼の敵にしていまして、版画商売でも儲けている美濃屋を快く思っていなかったらしい。これが安斎に近付いて、後援をしようとしていたらしいのです」  「美濃屋と安斎の中は、よくない状態になっていたのだな」  「それは、はっきりとは解りませんが、ひところのような、親密さはなくなっていたのでしょうね」  「ところで、近年、もっと人気が出てきている写楽の実体は解ったか」  「これは、全く検討がつきません。居所も住所もわからない。ひょっとして、歌舞伎役者という説もあるし、版元の宥経堂の主人が、じきじきに描いている、という噂もある。後援者がだれか、なんて、まったくの闇のなかです」  「それでは、もう少し、美濃屋の周辺を洗う必要が、ありそうだな」  小六親分は、そう、呟いた。  そのころ、お江戸の油相場は、上房、下総地方での菜種の不作もあって、暴騰していた。各藩の御用商人として、江戸から、越後、甲州、陸奥の各藩に送る油を一手に引き受けていた美濃屋は、取り引き値を引き上げる一方で、油の買い占めを行い、暴利をむさぼっている、との疑いが町の噂に流布されるほどだったが、美濃屋は 「一切、そんなことはない」 と疑惑を否定し、ひたすら、 「不作の菜種の確保に、全力をあげ、各藩の御用をまかなえるよう、不足のないよう、勤めております」 との弁明を繰り返していた。 南町奉行所も、この疑惑に関心を持ち、探索を試みたが、確たる証拠は入手できず、疑惑は、棚上げにされた状態だった。  花魁殺しも、油の買い占め事件も、捜査は、膠着状態だった。 飯山も小六親分も松五郎も、美濃屋と安斎と佐藤のいずれかが、下手人とにらんでいたが、何れも確たる証拠はなく、ただ、犯行に使われた毒薬が、浮世絵師が、使う、絵の具の顔料と酷似した成分であることに着目していた。  「安斎の家を捜索しましょうか」  「そうだな」  となって、数日後、お上の許可状を受けて、安斎の自宅が、捜索された。  その結果、赤い色絵の具から被害者の死因となった砒素系の毒薬が、見つかり、安斎は、奉行所に連行された。  飯山の取り調べに対し、安斎は頑強に犯行を否認した。  「私は、泊まりはとっておりません。わたしが、帰ったことは、店の主人も証言しているはずです。私は絶対に、やっておりません」  「だが、犯行に使われたのと、同じ毒物が貴方の居宅からか押収されておるぞ。これをなんと申し開く」  「それは、日頃から、手元に置いて、使っている紅の顔料です。それに毒があることは、知っておりますが、私は使っておりません」  お白砂で、安斎はそう言い募ったが、飯山は聞かず、長岡の面前で、再び調べが行われる手筈になった。  長岡はしかし、安斎の容疑には、確信が持てなかった。  「まず。なぜ幼馴染の花魁を殺さなければならなかったのか。その動機がはっきりしないではないか。二人の仲は、相当に親密だった、というではないか。まず、殺す動機を持っているものを、もうすこし、あたってみたほうが、良いと思うぞ。飯山殿」  飯山は、素直に長岡の指図に従った。  (動機か。これは難しい)  どうすべきか、方法を考えあぐねている番所へ、小六親分が駆け込んできた。  「飯山様。吉原で二件目の花魁殺しが起きました。今度は、角海老の花魁で牧野という看板が、自分の持ち物の簪で、首を刺して死んでいるのが、つい先程、見つかって、主人から届けがありました。  飯山と小六親分は、現場の「角海老」に向かった。  現場は「角海老」の二階の花魁の部屋で、真っ白の布団の上に、赤い血が飛び散り、その真ん中で牧野が、仰向けに倒れ、確かに首の左から、銀の簪が白くおしろいを掃いた細い首を突き抜いていた。  飯山が実況検分をしているところへ、また、小六親分が、飛び込んできて、 「裏庭の井戸で侍が死んでおります」 と報告した。  飯山は、下に降り、裏庭に向かった。  そこには井戸から引き上げられたばかりの、武士の死体が、むしろの上に、横たえられていた。   観察すると、腹に大刀が食い込み、大量に出血していた。その大刀は白い布で覆って右手に握られており、切腹した、という状態だった。  飯山は、それを確認して、再び、花魁の部屋に戻った。  「何か。遺書のような物はないか」 と、探したが、床の間の生け花の盆の下に、書き付けを見つけた。  さっそく、取り出して、書面を開くと、   「苦しみのみが多かりき、この世を捨てて、あの世で夫婦になりたい。先立つ二人をお許しくださいますように」 と女手で書かれた細字の文字が読み取れた。  (相対死か。それにしても、惨い)  飯山は 「男の身元を調べておくように」 と小六親分らに言いつけて、番所に帰った。 男の身元は、持っていた懐紙入れにあった所番地を、親分が当たり、甲斐の国生まれの浪人、安藤猪一郎と判明した。  小六親分は、安藤の住んでいた四谷片町の隣人たちに聞き込みをした結果を、飯山に報告した。  「まったくの素浪人で、これといった職もなく、たまに、道場破りなどをして、小金を稼いでいたようですが、半月ほど前から、急に羽振りが良くなり、酒を飲む回数も増えていたようです。吉原に通い始めたのも、このころからで、馴染みの太夫ができた、と言っていた、といいます。急に暮らしむきが変わったのが、長屋の連中を驚かせていて、富くじにでも当たったのか、との噂がしきりでした」  飯山にこの事件で、一つ解せない点があった。  それは、牧野は右利きなのに、簪が首の左から差し込まれていたことだ。  (右利きなら、右の方から、差すのが普通だろう。まあ、安藤が刺して、太夫を殺した後、自害した、とすれば、不思議ではないが。心中にしては、しっかりしすぎているのが、気にかかる)  飯山は、考えた。  (果たして、同じ花魁殺しということで、二つの事件は、関連があるのか。あるとしたら、どういう関連があるのか。右京太夫の犯人と思われた安斎に、殺しの動機がない、と長岡様はおっしゃられるが、この心中もさしたる動機があるわけではない。安藤が通い始めたのは、ここ最近のことだし、牧野とそうねんごろだったわけでもなかろう。心中とするには、引っ掛かるものがある)  飯山はそう考えて、長岡様に正直に伝えた。  近江守は、  「確かに、飯山の考えには一理ある。二つの事件に関連があるかどうか。右京太夫殺しの下手人の動機を探ってみよ」 と指示した。 飯山は、主の居なくなった安藤の家を家宅捜索した。 その結果、安藤が、居室の畳の下に、小判十枚を隠し持っていたことが、判明した。それに、伊達藩の家紋が入った小判の包みが、見つかった。安藤がその包みを破き、中の小判数枚を使った形跡があった。   瓦版は心中事件を、三面記事で  「相対死は近松の専売ではない。浪花の町だけが、心中話の名所ではない。江戸の吉原で角海老の傾城、牧野が素性の知れない素浪人と、あの世での夫婦仲を誓って、命を果てたのは、格好の浄瑠璃の素材を提供するだろう」 と扇情的に、伝えていたが、飯山は、依然、納得がいかずにいた。 すると、翌日、品川沖で土左衛門があがった。小六親分と松五郎は、引き上げ作業をする人夫を従えて、品川沖へ赴いた。引き上げてみると、遺体は町人風で相当、高価な衣服を身に付け、恰幅の良い体格からも。かなりの大店の主人のようにも見えた。  しかし、身元を知らせるような物品は見つからず、遺体は品川の巌松寺の境内に一旦、、収容され、翌日、医師の腑分けと鑑定を待つことになった。  しかし、身元は、番所に戻って、すぐに判明した。前日、番所に届けられた美濃屋の家人からの行方不明人捜索願に書かれた美濃屋の主人の人相、風体が土左衛門の遺体の特徴とぴたりと一致したからだ。  飯山には、期することがあって、単なる水死体の身元確認であったが、自ら美濃屋へ事情聴取に赴いた。  遺体を人足に運ばせ、長岡や手代、丁稚に確認させた後、  「ちょっと、帳簿を調べさせていただきたい。ご主人に自殺する動機があるか、どうか。殺されたとしたら、犯人の手掛かりを得たい」  帳簿の検査を渋る番頭を説得して、飯山は出納帳を押収し、店内を調べた。油倉の中の油の在庫も調べた。  その結果、油は品不足どころか、蔵のすべてを占めるようにうず高く桶が積まれ、巷の油不足と高値とは、無縁の世界がそこにあった。 番所で帳簿を精査した飯山には、帳簿には不正がないように、思われた。ただ、項目に伊達藩との取り引きが異常に多く、しかも荷物の出し入れが、頻繁に行われていることが、見て取れた。  (伊達藩との取り引きの裏帳簿があるに違いない) と直感した飯山は、翌日も、美濃屋の捜索を実施した。  それは、役所の与力、同心を総動員したうえ、岡っ引き連中もかかわっている事件がないものは、全員が加わる徹底した捜索だった。  その結果、床の間の上の額の裏から、狙っていた裏帳簿を押収、箪笥の隠し引き出しや仏壇の裏側の細工された隠し箱から、取り引きのあった各藩との油売買の様子が書かれた書き付けを多数、発見した。  役人達は、帳簿を精査した。その結果、伊達藩との取り引きで、異常に仕入れ値と卸値に差がある売買が、多いことが解った。  「美濃屋は、安値で大量に油を仕入れて、隠匿し、相場を高値に誘導して、ぼろ儲けを図った。伊達藩の江戸家老、佐藤承吾もこれに一枚、噛んでいたに違いない」 と飯山は推測した。      最後の一枚  版画師、安斎歌麿の調べは、膠着状態だったが、美濃屋の水死で、油取り引きでの不正が、明らかになり、同じ花魁・右京太夫の馴染み客であったことから、調べは峻烈を極めた。 お白砂に引き出された安斎は、痩身に面長の顔、頬はこけ、無精髭が、伸び放題だった。後ろ手に縛った縄をほどかれた安斎は、筵の上に、素足で座らされ、飯山の調べを受けた。  飯山は、 「そろそろ、白状したらどうだ。お前の家の家宅捜索で、右京太夫の死因となった毒物が検出されている。お前が、太夫の紅に毒を入れたのであろう」 と責めたてた。  「滅相もございません。そんなことは、まったく覚えがございません。確かに、私が使っている絵の具には砒素や鉛の毒が、含まれているようですが、人を殺せるような量ではございません。無実でございます」 歌麿は、言い募った。 飯山がさらに、追い撃ちを掛けた。 「しかし、お前は、太夫と昵懇であったのであろう。それが、最近だんだんと、疎遠になり、太夫が上客をとるようになるに従って、お前の凛気が募って、太夫は鬱とおしく思うようになっていたのではないか」 「そんなことは、ございません。仲はとても宜しゅうございました。喧嘩一つ、したことはございません。それに、会えるのは、月に一度が良いほうでして。その一度が、とても、待ち遠しいくらいでした。その愛しい花魁を、なぜ、殺すことが、できましょう」 「しかし、お前しか、下手人は今の所、いないのだ。確かに動機が判然としないが、客が付いて、会えなくなったお前の悋気が、そうさせたのだろう」 「私は、太夫の出世を喜びこそすれ、羨むようなことは、ございません。私は、月に一度の再会を、いつも楽しみにして、指折り数えていたほどですよ」 飯山は、新たに捜査で明らかになった事実を、突きつけた。 「当方の調べによると、お前はこの頃、若い女を、家に頻繁に連れ込んでおるようだな」 意表を突かれた歌麿は、少し、たじろいだが、すぐに、体勢を立て直して、 「それは、私の画業の手習いに、写生の相手を呼んでおりますので、その女のことでしょう」 「そうかもしれぬが、朝から夕方まで、二人で部屋に引きこもって外に出てこない、という証人がおるぞ」 「そういう日も、ございます」 「しかも、そういう日は、何やら、くぐもったような音が、聞こえる、とも隣人たちは、口を揃えておる。一体、なにをしておるのだ」 「写生で、ございます。私の美人画は、想像の産物ではございません。しっかりと写生し、具体的に描いたものでございます。そのために、日々、技を磨いております」 飯山は、最近、巷で評判の、美女と蛸が絡んだ歌麿の浮世絵も、写生によるものなのか、疑問が湧いた。 「お前の最近、描いている猟奇画も、写生によって、描いたのか」 「いや、あれらは想像も含まれております。美女と蛸は写生しましたが、それらを組み合わせたのは、私の創造でございます」 「確かに。ところで、そんなに写生が必要か」 「はい、一日とも欠かすことは、できません」 「それで、毎日、女と二人きりで、部屋にこもっておるのか」 「いいえ、毎日というわけでは、ございません。一、三、五の日だけでございます。それが、お夏を写生するし日でございます」 「お夏というのは、その女の名か」 「はい」 「お前は、お夏を好きになったのであろう」 「それは、嫌いでは、写生の相手にできません。ですが、惚れた、はれたというような関係では、ございません」 「では、聞くが、お夏の生れはどこだ」 「米沢でございます」 「そうだ。出羽の国の米沢だな。お前が殺した右京太夫と同じだな。お夏は太夫とどういう関係なのだ」 「ただ、同郷でございます」 「調べは、付いておるのだ。そうでは、なかろう。お夏は太夫の妹だというぞ」 「はっはー。その通りでございます」 歌麿は平伏した。 飯山は、小六親分に命じて、歌麿の近隣を洗わせたが、その調べで、歌麿の写生の相手の素性が解ったのだった。  歌麿は、お夏を昨年の春から、雇っていた。雇い金を出したのは、そのころ後援者だった美濃屋だ。お夏を連れてきたのは歌麿自身で、それは、右京太夫からの紹介だった。  その頃から、歌麿の画風が、変わった。それまでの具象的美人画から、描線にまろやかさが出て、徐々に、抽象的になった。また、美女たちの表情が、より、官能的になった。  「この頃、歌麿の作品は、色気が増したねえ」 というのが、巷の評判だった。  写生の相手が、お夏になってからの、変化だった。  飯山が、  (お夏と何をしているのか) と、疑問を感じたのは、当然だろう。   実は、歌麿は、写生など、殆どしていなかった。  お夏のすることと言えば、朝、歌麿の朝食を用意し、洗い物をして、掃除し、昼には軽い昼飯を作るという、言わば、賄い婦の仕事が、主だった。  歌麿は、その後、写生に取りかかる。  お夏は、長襦袢と赤い腰巻きに着替えて、床の間の前に横たわる。  それでも、歌麿は、なかなか、筆を取らない。小一刻も、じっと姿を、穴の空くように見つめるだけだ。  お夏はその凝視に、じっと耐える。  (こんなことが、できる女は、そうはいない。だから、おれはお夏を離せない)  歌麿は、心中そう、考えてた。  そうしてから、歌麿はやっと筆を取って、三、四十枚を描く。  ある時、歌麿は、古道具屋から、オランダから長崎に入ってきたという、西洋風の蚊帳を見つけてきて、背景に使った。  お夏には、西洋婦人の衣装を付けさせ、椅子に座らせた。  「美濃屋の頼みで、西洋画風の絵を描かないといけなくなった」 とだけ、お夏に言った。  最初は、羽飾りを付けた帽子を被らせた。次は、帽子を脱がせて、西洋婦人の服装のままに、座り姿を描いた。そして、次は、上着を取って、西洋下着のお夏を描いた。最後は上半身裸で、そして、最後は、全裸に革の靴を履いただけの姿を十枚ほど、筆で写生した。  オランダ風の蚊帳の前のお夏は、くっきりとした目鼻だちや濃い眉と大きな口が、日本人離れしているだけに、際立って、美しく見えた。  そのとき、それまで、無口だったお夏が、初めて、歌麿に心を開き、  「わたし、ずっと、このままの姿でいたい」 と、懇願した。  歌麿は、おさんどんをするお夏とは、すっかり見違えるほどに、妖艶に変身したお夏を「好ましい」 と感じた。  歌麿は、お夏の体を、脱ぎ捨ててあった扱きを取り上げて、縛った。首から前に回した赤い紐を、胸の前で交差させると、そこに結び目つくり、さらに、下に広げて腰の後ろに回し、後ろ手にしたお夏の両手を交差させて、きつく縛り上げた。  歌麿が、後ろ手にした紐を、ぐいと、締め上げると、お夏の胸の前で交差した扱きが両の乳房を挟んで押し上げ、乳房は脹らみを増した。  「おお。これでいい」  歌麿を、そうした後、少し距離を広げて、お夏の縛り上げられた体を眺めた。そしてその姿のまま、椅子にうつ伏せに座らせ、乗馬用の笞を取り、お夏の臀部を打った。お夏の尻は見る間に、赤みを増し、笞の跡が、紫色に膨れた。お夏は思わず、悲鳴を上げた。  「ああ、歌さんが、わたしを打っている。お尻を打っている。悪いわたしだから、お仕置きをされるんだわ。打って、打って、わたしをもっと、いい女にして」  お夏は打たれるたびに、快感が増した。最初から、笞を避けようとはしなかったが、最後には、自ら、打ちゃくを求めて尻を突き出していた。  そうした、めくるめく時の間は、時間が止まっていた。長く、また短い時間が、恍惚のなかで、過ぎていった。  その夜、お夏は西洋下着のまま、歌麿に抱かれた。  歌麿は、その非日常的な状況のなかで、右京太夫にはない新鮮さを感じ、お夏を思い切り、意のままに操り、翻弄した。  お夏はすました感じの整った顔つきに似合わず貪欲で、歌麿にはそれも新しい発見だった。  睦みごとが終わったあと、添い寝をしていたお夏は、珍しく、自分から話しかけた。 「姉さんは、あんな仕事をしているけれど、歌さんのことが、一番好きだって、いまでも、言っているわ。だから、こんなことになってしまって、姉さんに悪いわ。でも、最近の姉さんは、すっかり、美濃屋さんが常連になって、毎日のように通ってくるものだから、情が移りそうよ。美濃屋さんに身請けされるかもしれない。そうなると、歌さんも、もう、会えなくなるわね」  お夏は、そうなることを望んでいるような、口振りで、歌麿に話しかけた。  そんなことが、あってからも、お夏と歌麿の関係は、変わらなかった。  相変わらず、おさんどんをして、写生の相手になっていた。  ただ、時折、歌麿が、周期的に陥る交合への欲望に、お夏は喜んで応えることがあった。そこが、以前とは、変わった点だった。  だが、それも、美濃屋の奢りで、歌麿が三浦家へ出掛けたあとは、お夏に触れる頻度は少なくなっていた。  そういう数日が過ぎたとき、歌麿は、  「この前の続きを描きたい。オランダ蚊帳を釣ってくれ。それと、西洋着物に着替えて」 と突然言った。  お夏にはそれが、なぜかは、分かっていた。  (姉さんが身請けされることになったんだわ。だから、私に変な姿をさせて、忘れたいのね)  お夏は、進んで着替えをして、歌麿の前に座った。  こんども、着衣から全裸まで、歌麿の写生は続いた。  「歌さん。実は、姉さんから、聞いた話だけど、美濃屋は、相当、阿漕なことをしているのよ。そんな人に、姉さんを取られて、悔しくないの」  お夏は、ぐさっと、歌麿の心に、刃を突き立てた。無口だが、直截な性格と、姉への競争意識が、吐かせた言葉だろう。  「それは、太夫に聞いたよ。それが、おれへのせめてもの、手向けだ、と言うんだ。随分、具体的に話をしてくれた。それで、おれに美濃屋と手を切って、自立してほしいと言うんだな。美濃家の金は、今まではおれには、必要だった。でも、奴さん、最近は仁科広重に入れ込んでいるから、おれには冷たいよ。だから、おれもここらで、ひとつ大仕事をしてやろうかと、考えている」    飯山の調べは、さらに続いた。  「お前は、お夏と何をしていたのだ。隣人が聞いたくぐもった声は、何なのだ」  歌麿は、答えなかった。  「太夫は美濃屋に身請けされる寸前だった。それほどまでに、仲のよかった二人だ。太夫は、何か言っていたか」  「何も」  「そうか。では、聞くが、美濃屋が、不正に油の取引を行い暴利を得ていたことは、お前も知っていたろう」  「いえ、滅相もない。まったく、知りません」  歌麿は、全面否認した。  しかし、実は歌麿は、すべてを知っていた。太夫が美濃屋への身請けの手向けにと、すべてを歌麿に話していたのだ。 歌麿は西洋風美人画の制作に、取りかかった。 オランダくだりの西洋の蚊帳の下に、美女が横たわり、その美女に、ヘビが絡んでいる構図だった。ヘビは、女の首に絡まり、胴体を巻いて、露になった太股にも絡んでいた。   女は、苦しみと、喜びがない交ぜになったような、歓喜の表情をし、いかにも官能的に描かれていた。 お夏は、事実、歌麿にその姿で玩ばれた時、そういう表情をした。その時の写生を、歌麿は生かした。 制作には、ほぼ、一か月が掛かった。お上の目に触れたら、即制作中止の命令がでるであろう「秘画」だったから、その間、歌麿は家に籠りきりで、お夏だけが、その画の秘密を知っていた。 精根込めたその画が完成した時、歌麿は、  (これで、オレの仕事は終わった) と感じた。 すべての才能と能力を、注ぎこんで、歌麿は、見る影もなく痩せて、完成後の二日間、だれにも会うことなく、ひたすら、眠った。その間、お夏は、歌麿に付き添い、身の回りの世話をした。 眠りから醒めた歌麿は、お夏に書状を持たせて、美濃屋に使いに出した。 書状には 「ご所望の作品が完成したので、御拝覧願いたい。できれば、拙宅に出向いていただきたい」 と書いてあった。 美濃屋は、翌日、歌麿宅にやって来た。 「歌さん。やっとできたかい。早速、見せてもらおうか」 美濃屋は家に着くやいなや、作品をせっついた。 歌麿は、包んでおいた包み紙を開いて、畳一畳ほどの大きさの西洋画を見せた。 美濃屋は、一目見て、 「さすがだ。これまでに見たことのないような画だな。歌さん、私の目に狂いはなかった。こうした画を描けるのは、この江戸でもあんただけだよ」 最近、広重に入れ込んでいるのを、棚に上げて、美濃屋は商売人らしい狡猾さで、そう誉めあげた。 「気に入ってもらって、うれしいです。私もこの画には精魂を傾けましたから。どうぞ、お持ち下さい」 「ところで、この画は刷らないからね。私の家に置いておく。大切にするよ。太夫の身代わりにね」 美濃屋はそういって、帰っていった。 翌日、歌麿は、美濃屋へ出向いた。 買い取りの値段の交渉と、制作費の受け取りが、したかった。その際は、自分の持っている太夫からの「ネタ」を有効に使うつもりだった。 (これが、おれの最後の作品なのだから、引退の費用としても、いくらか多目に貰ってもいいだろう) と、歌麿は目論んでいた。  「美濃屋さん、今度の画の件ですが、私としては、五百両ほど、頂きたい。私の最後の仕事ですからね。それだけいただければ、あとは、のんびりお夏と二人で、隠居生活が、出来ます」  「それはまた、法外な。当方の予定では、せいぜいが、百両といったところですな。そんなには、無理ですよ。歌さん」  「そんなことは、無いはずだ。あんたは、相当、阿漕なことをして、大儲けをしているじゃないか。皆、分かっているんだぜ。伊達班の江戸家老、佐藤承吾とつるんで、抜け荷と差益取りで、ぼろ儲けしているのは、分かっているんだ。これが、公になったらあんた、ただでは、すまないぜ」  「そういうことか。恩のある私を、そうやって脅して。これまで、可愛がってきたのを仇で返す気だな」  「いえ、ご恩は忘れませんがね。ただ、ぼろ儲けをしているのだから、その少しくらいは、私に回してくれてもいいのではないかと、思っただけで」  「そうやって、揺すりをしても、出すと思っているのだろうが、そうはいかないよ。あんたのそういうネタの出所は、分かっているんだ。右京太夫から聞いたんだな」  「まあ、それは、どことはいえない。でも、事実だろう」  「証拠があるのかね」  「証拠は、ないこともない」  「太夫の言葉だけだろう」  「書き付けもある」  「そんな物は、どうにでもなる」  「とにかく、訴え出れば、あんたは、打ち首は間違いない」  「分かった。中を取って、二百と五十両では、どうだい」  「あと、五十で、三百両だな」  「そうか、じゃあ、そういうことで、手を打とう。それから、太夫はわしがもらったよ」  「身請けするのは、勝手だ。引き手茶屋と置屋に話が付けば、おれには関係ない」  「では、話は決まった。三百両、耳を揃えるから、持っていきな」    「お夏とは何をしていた」  飯山は、しつこく追及した。  「ですから、写生をしていただけでして・・・・・・」  「お夏から、美濃屋の件で、何か聞いたろう」  「いえ。なにも」  「お前は、美濃屋を脅していたのでは、ないか」  「そんな、大それた・・・。なぜ、私が、美濃屋を脅すのですか」  「何かを、掴んでいたのではないか」  「分かりません」  歌麿は、しらを切りつづけた。        屋 形 船 美濃屋は、佐藤承吾と、深川の料理屋で、落ち合った。いつも船で大川に出て行く。密談は屋形船の中が限る、という信念を二人は持っていた。  こうして、もう、何回、密会をしたことか。佐藤が伊達藩の江戸家老になってから、密会の回数は、めっきり増えた。美濃屋が、ここまで、身代を築けたのは、二人の二人三脚のおかげでもある。  「佐藤さん、実は大変なことになりましてね。われわれの関係を、知っているのは、そういないはずですが、私は、歌麿から脅されましたよ。あいつの下手な画に、大金を叩かされた。例の右京太夫と昵懇だった浮世絵師です。われわれの関係は、どうも右京太夫から、漏れたらしい。三浦屋へは、一緒に、よく、上がりましたからね。酔ったついでに、油の件を話しませんでしたか」  「わしは思い至らんな。そういう話は、わしはしたことがない。お主が、口を滑らせたのであろう」  屋形船に、火は蝋燭一本だけの、薄暗い闇の中で、佐藤の押しの効いた低い声が、響く。 「いえ、わたしもそんな話はした覚えがないんです。でも、花魁はあれだけの気の回るおんなですから、話しの端々から、憶測するところがあったのかもしれない。ずいぶ儲け話はしましたからね。どうも、ああいうところに、上がると、気が大きくなっていけない。いずれにせよ、話が漏れたのは、あの花魁の線しか考えられませんよ。歌麿はくれてやった大金で、満足したようですから、他に他言はしないでしょうが。太夫は分からん。わたしもそれを考えて、身請けの話を引き手茶屋に持ち込んだが、わたしの本心は、そうではないんです。あたしにも怖い女房が居ますし、番頭がまた、謹厳実直者で、そうそう、自由になる金はないのです。ですから、身請けの話は、表だけで、実はわたしは逃げたい。しかし、太夫を好きなことには、変わりはない。そんなこともあって、歌麿の描いた西洋風の画を、手に入れた。なにしろ、描いてあるのは、花魁うりふたつの女ですからね。一生、手ばなしませんよ」  「それほどまでに、花魁が気に入っているのなら、お主が、わしを呼びつけた意味がないではないか」  「よく、ご推察で。そこが、わたしの苦しいところですが、そうは思ってもやはり、仕事が第一ですから。それに差し支えるようなことは、排除したいですからね」  「それは、そうだ。これ以上、わしらの関係を、知ってもらっては困るからな。知っているのが花魁だけだとすれば、始末するしかないだろうな」 「仕方ないでしょうね。そちらのほうは、あなたの領分ですから、お任せします。入り用の金品は、わたしが用意いたしますが」  「まあ、わしにも心当たりは、あるから、それは請け負った。任せてくれ」  「では、お願いします。ということで、まあ、一杯どうぞ」  美濃屋の酌を佐藤が受けて、二人は、互いに目配せして、互いの同盟関係を確かめあった。    小六親分は、牧野の心中は、偽装ではないかと、疑っていた。  牧野の死にかたが、どうもおかしい。簪で首を差すという手口が、  「どうも、自殺とは思えない。たとえ、安藤猪一郎が刺したとしても、安藤は井戸に落ちて、死んでいた。心中なら、こんなに離れて、死ぬわけがない。誰かが、二人を殺したのではないだろうか」  小六親分は、そう考えた。  (となると、誰が犯人か。だが、これは全く見当がつかない。当日の客を洗ってみるしかないだろう)  親分は松五郎と一緒に、角海老に出向いた。  「あの夜の客の帳簿を見せて頂きたい」  親分が、主人にそう、頼むと、主人は、奥へ行って、帳簿を持ってきた。  その夜の客は、六人だった。 まず、油問屋の銭屋小兵衛、次いで、浮世絵師の仁科広重。この二人は相客だった。それに伊達藩の江戸家老、佐藤承吾と一緒に来た美濃屋善兵衛。さらに、安藤猪一郎。ほかに、銀座の札差、井上与二郎が、上がっていた。  親分は  (また、美濃屋と佐藤か) と二人の、廓遊びの頻繁さに、苦虫を噛みつぶしたが、むしろ、気になったのは、安藤と井上が、同じ時刻に上がっていたことだった。銭屋と広重も同じ「菊の間」で、相客だった。  角海老の遣り手婆さんは、  「六人とも、同じくらいの時刻にお出でになった。お帰りは、銭屋さんたちが、一番早く、そのあと、井上さんがお帰りになり、美濃屋さんと佐藤様は、ご一緒に一番最後でした」  と証言した。  「札差しと安藤はどのくらい一緒だった」  小六親分は尋ねた。  「まあ、二刻ほどでしたか」  婆さんは、記憶の糸を辿りながら、そう答えた。  親分は、旗本や御家人の蔵米をかたに、金を貸すのが商売の札差しが、安藤と一緒にいたことに、注目した。  (これは、もうすこし、安藤の周辺を洗ってみる必要がありそうだ)  長年の勘で、親分はそう直感した。    安藤の持っていた懐紙の書き付けを頼りに、四谷片町の長屋を尋ねた親分は、既に、道場破りなどで小金を稼いでいた安藤が、半年ほど前から、急に羽振りが良くなり、廓通いを始めた、との隣人らの証言を得ていたが、暮らし向きのことや、履歴についてはまったく、資料がなかった。  長屋の隣人は、大工の留五郎で、夕方には、仕事を終えて、家に帰っていた。目刺しを肴に、晩酌をしていたところへ、小六親分は、飛びこんだ。  「留さん。隣りの安藤さんのことだが、あの人は、ずっと独り暮らしだったのかい」 「ああ、先日の旦那。まあ、上がって、一杯やりなよ」  「これはこれは、じゃあ、いただきましょう。おっとっと。ごちそうさま」  「で、隣りの旦那かい。そういやあ、たまに、妙齢の美人が、尋ねてきたことがあったね。なんでも、安藤さんは甲斐の国の生まれで、姪が、どこかの藩の江戸屋敷に行儀見習いに上がっているとかいうことだった。その姪子さんらしいよ。尋ねて来たのは」  「それから、随分、貧乏をしていたのに、最近、めっきり羽振りが良くなったというのは、本当かい」  「それは、そうだな。去年の暮れには、年越しの餅代もない、といって、俺のところへ、餅を食いにきたほどだったが、半年ほど前から、金回りが良くなったらしく、この前は、借りていたものを返しにきた、といって、一両も置いていったから、驚いたよ」  「それは、過分ではなかったか」  「そうですよ。だから、俺は、そんなにいらないと言ったんだ。ところが、あんたには、すっかり世話になった。武士の気持ちだ、取っておけ、と厭もおうもなく、受け取らされてしまったんだ」  「すると、安藤は、ずっと、独り暮らしだったんだな。暮らしは、どうやって、たてていた」  「何でも、剣には自信があるらしく。たまに小石川の柳生流の剣道場に出掛けては、試合を申し込み、勝っては小金をせびっていたらしい。それくらいが、稼ぎだな。ほかの浪人のように、手間仕事をしている様子は、まったくなかったね」  干した鰯の身を齧りながら、留五郎は、安藤の日常を話した。  「で、姪の娘さんは、いつごろ、訪ねてきたのだい」  親分は、追っ掛けて、聞いた。  「そうだな、金回りが、良くなった頃からすると、そのすこし前だと思うよ。なんでも、陸奥の方の藩の江戸屋敷に、奉公しているとか、言っていた。それは、気立てのいい子で、うちにも、何時も叔父がお世話になります、と言って、土産者を持ってきてくれた。そう言えば、笹蒲鉾だったな、土産は。早速、焼いて、酒の肴にして御馳走になった」  「ほかに、何か気付いたことや変わったことは、ないかい」  「別に、それほど、親しかったわけではないし、俺も昼間は働きに出ているからね。それくらいだよ」  「ありがとうよ、手間をかけたな」  小六親分は、長屋を辞した。 その足で、親分は、銀座に向かった。札差しの井上与二郎の店へ着くと、さっそく、井上を尋問した。  「あの晩、あんたは、安藤と、一緒に遊んだんだろう」   抜け目のない商人そのままに、慇懃無礼に、井上は答えた。  「滅相ございません。わたしは、そのような方は、まったく存じあげません。わたしは、確かに、あの晩、角海老で遊びましたが、連れは居りませんでした。わたし、一人で上がり、酒肴を頂いただけで、帰ってまいりました。ですから、その安藤さまとかいうお方が、牧野と心中をされたと、後で知って、驚いた次第でして」  「しかし、同じ時刻ごろに、安藤も、角海老に上がっている。会わなかったことは、ないだろう」  「いえ、お会いしておりません。なにしろ、親分も御存知のとおり、廓は、個室になっておりして、太夫は部屋を順次に訪ねてくるものの、客同士は会わないようになっております。ですから、一切、客同士の対面はないわけでして」  「そうか、では、聞くが、安藤はあんたに金を借りていなかったかい」  「何しろ、私どものお客様は、数が多いですから、一々、私が把握しておりません。なんなら、手前どもの番頭に帳簿を調べさせますが」  「そうだな、そうしてもらおうか」  「分かりました」  与二郎は、番頭を呼んで、名前を言い、帳簿を調べるよう言いつけた。  少し経って、番頭が、答えを持ってきた。  「確かに、ここ一年の間に、合わせて一両ほどを、お貸ししましたが、半月程前に、元本共々、全額をお返しになっています。ですから、現在は、一切、お貸しした金品はございません」  「ということで、ございます」  井上は、得意気に親分を見入った。  「そうか、分かった。有り難う」  親分は、井上の店を辞した。 小六親分は、聞き込みの結果を、詳細に飯山に報告した。  「これで、かなり筋が見えてきたな」  「そうでございますか」  「安藤は、かなりの剣の使い手であったというな」  「それは、相当の剣豪のようです」  「いまの世の中、そういう使い手が、生きていくのは、難しかろう」  「それは、わたしも多くのご浪人連中が苦労されているのは、知っております」  「傘の張り直しや提灯張りでは、稼ぎは知れているわな」  「そうですね」  「そこで、最近は、これらの者に一発仕事を、持ちかける者もおる」  「辻斬りなどが、ばっこしております」  「そこでだ。安藤は、その貧困生活から、最近、脱却したような様子ではないか」  「はい、家宅捜索では、小判十枚が見つかりました。そして、半年程前から、吉原通いが、始まった」  「かれは、それほど、牧野に入れ込んでいたのか」  「それが、そういう様子は見えなかったのです。牧野を指名したのは、事件があった日とその前の時の二回だけなのです。安藤はほぼ毎月、十の日に上がっていますが、あとの四回は、いずれもそれほど売れっ子でない娼妓とでした」  「だから、わしは、おかしいと思うのだ。そこに心中ではないとの、直感がある」  「すると、安藤は、どこからそのような大金を得ていたのでしょうかね」  「引っ掛かるのは、暮らし振りが良くなる直前に姪ごとやらが、訪ねてきていることだな。どこやらの屋敷に奉公に上がっているとのことだが、それ は、何処なのか聞いてきたか」  「いえ、聞きそびれました。というより、大工の留五郎は知っておりませんでした」 「そこらのところが、一番、肝要ではないのかな」  「そういえば、なにか、土産物のおすそ分けを貰ったって、留は言っていました」  「それは、何だった」  「確か、笹蒲鉾とか」  「笹蒲鉾。とすれば、仙台だ。伊達藩の江戸屋敷ではないのか」  「さっそく、当たってみます」  「いあ、それは、武家の範疇だ。わたしが、当たろう」    飯山は、長岡にこの話を持ち上げた。  長岡は、大目付を通じて、伊達藩江戸屋敷に調査を依頼したが、即答はなかった。  返答は、  「お家内のことは、外部に申すべからず」  とあって、この姪子の人定は、難航した。    小六親分は、歌麿の家に出向いて、再び、お夏から事情を聞いた。  お夏は、歌麿が番所に、しょっぴかれたあとの歌麿の家を、女手一つで守っていた。掃除を終え、朝食を食べおわった後の早朝に。小六親分は、訪問した。  「お夏さん、大変だねえ。あんたは働き者だ。こんなに甲斐甲斐しく働いて」  「いえいえ、わたしの性分ですから。それに、わたしがしなくては、誰もするひとがいないし」  「歌麿は元気だよ。大分、窶れてはいるが。あんたも心配だろう」  「それはそれは、先生のことが気かかりで、夜もよく眠れません」  「そこでだ。わたしが来たのは、その心配をしなくてもいいようにしてやろう、ということだ」  「先生は、潔白ですから、早く帰してくださいよ」  「そうもいかないが、お前が、協力してくれれば、先生の嫌疑も軽くなるだろう」  「協力ですか」  「そうだ。われわれが分からないのは、なぜ、あんなにも好きだった右京太夫を歌麿が殺したかということだ。お前の姉さんだろう」  「殺してなんかいませんよ。先生は、姉さんの身代わりに私を写生して、絵を描いたほどですから」  「絵というのは、どんな絵だね」  「それは、変わった絵でした。いままでの先生の画風とは、全く違う」  「浮世絵ではないのか」  「浮世絵といえば、そうかもしれない。でも、私には異様に見えました。とても恐ろしい絵です」  「ぜひ、見たいものだな。それは、どこにあるのだ」  「それは、美濃屋さんが、買い取りました」  「では、美濃屋にあるのだな」  「そうだと思います」  「それで、お前が、その手本になったのか」  「そうです」  「隣の人が、変なうめき声を聞いたと言うぞ。なにをしていたのだ」  「先生は、写生をしていたのです」  「写生で、うめき声が出るか」  「・・・・・・・・・・」  (美濃屋に売った絵は、どんな絵なのか)  親分は、見てみたくなった。  番所に帰った小六親分に、飯山が命じた。  「わしはどう見ても、安藤の家にやって来たという、姪が、鍵を握っていると思う。大目付けを通した調査依頼は、体よく断られたが、ひとつ、われわれの手で割り出してやろうではないか」  「それに異存はございませんが、でも、どうやって」  「われわれには、留五郎しか、玉がない。留は、顔を知っているわけだから、一緒に下女が出入りする裏門にでも、張りこむしかあるまい」  「張り込みですか。合点いきました。では、さっそく、今日からでも」  「いや、もうすぐ、盆になる。そのときは、屋敷からも暇が出るはずだ。その前後に見張っていれば、良いのではないか」  「それもそうですね。では、盆の入りから張り込むことにします。松五郎と一緒にやってみます」  「たのんだぞ」    親分は、釣り人姿に変装し、屋敷の裏門の掘割に座り込んで、姪子を見張ることにした。もちろん、留五郎は、こま使いとして、釣り人の親分に従った。  おりから、小雨が降り始めたので、親分は菅傘を被り、蓑を背にして、釣り糸を垂れていた。留五郎も同じ恰好で、釣り餌の箱をいじっていた。  そして、裏門を出入りする、御用聞きや女中連中を見張る。  「留、出ていったお女中は、そのときの姪子と違うか」  「違いますね。もっと若かったし、背も低かった」  「いま帰ってきたのは、違うか」  「違いますね。あんなに、ほっそりとはしていなかった。それに、着ているものも、あんなに立派ではなかったですよ」  そんな会話を交わしながら、二刻ほども、経った。  朝から、ここに、場所を定めてから、じっととしているのも、酷く根気が要る。昼飯は、かみさんに作らせた、おにぎりを二人で頬張った。  昼食を終わるころには、お天頭さまも顔を覗かせ、すっかり晴れ上がった。  魚は、三匹ほど、ヘラブナが掛かった。もちろん、釣りが目的ではないから、三匹とも、河に返すつもりでいるが、道を通りかかって、覗きこむ人の手前、魚籠に入れたままにしておく。  「張り込みは根気がいるぜ。留さんよう。まだ、出てこないかい」  「来ませんねえ」  大工仕事が、本業のためか、留五郎は、鷹揚に構えている。  「親分は、気が急いていけねえや。こういう仕事は、あせってはいけない。大工仕事と同じで、一歩一歩、一つ一つ、着実に積み重ねていけばいい」  「おまえに、説教されちゃあ、おれも、おしまいだぜ。だが、お前の言うことも、一理ある。たしかに、こういう仕事は、腰を落ちつけてやらないとうまくはいかないな」  そんな、当てもない会話を繰り返して、申の刻になった。  「しっかり、見ていろよ。おれは、一っ走りして、出店の焼き餅を買ってくるよ。お前も腹が減ったろう」  「それは、あり難いことで。では、わたしは、ここで、しっかり見張っていますよ」 「たのんだぜ」  親分は、釣り道具を留五郎に預けて、腰を上げた。  留五郎は、親分の座っていた場所に、移動し、裏門を見張りはじめた。  親分が、出ていって、半刻ほど過ぎたころ、番傘を手に、若い女が、裏門から出てきた。絣の着物に、駒下駄を履いた女は、門を出がけに、道の左右を確認し、誰も来ないのを確かめると、さっと、右手に走るように、歩きはじめた。  留五郎は、その姿を認めて、  「あの日の女だ」 と直感が走った。  留五郎は、釣り道具を投げ捨てて、女の後を追った。 女は、最初の角を右へ曲がり、大通りを真っ直ぐに、足早に、歩いていった。通りは雑踏で、大勢の人で混雑していた。  留五郎は、必死で、見失うまいと、女の後を追った。すると、女は、最初に、簪屋の前で止まって、店頭に並んだ簪を手にとっては、髪に差して、品定めをしていた。  それが終わると、女は店を出て、八軒先の紅屋に入った。留五郎は、さすがに女が多い店だけに、入るのには躊躇した。赤い暖簾が、店の入口を塞いでいたから、なおさら、入るのが憚られた。留五郎は、道の向かい側で、待つことにした。  半刻程すると、娘は出てきた。胸の風呂敷に包みなおした形跡があった。  (紅を買ったな) と留五郎は、直感した。  さらに、娘の後を追う。  娘は、次の辻を左に曲がった。真っ直ぐ行けば、内藤新宿方面だ。団子坂を登って、湯島天神方向に向かった。  ここまで、約二刻。随分、遠くまで来たものだ。  娘は、天神さまの境内に入り、社の前で賽銭を上げ、必死に、何かをお祈りしていた。  留五郎は、銀杏の木の陰で、娘を見つめていた。  (そろそろ、声を掛けようか)  留五郎は、心を決して、娘の方に近寄った。  「娘さんえ」  「はい」  「ちょっと、お話があるんですが」  「なんで、ございましょう」  娘は身構えた。  「彼方の茶店で、いかがでしょうか」  「結構ですわ」  留五郎は、娘を導いて、鳥居の外の茶屋に入った。  店内で、向かい合って座ると、留五郎は、  「なんでも、好きなものを頼みなさい」  と鷹揚に構えて、言った。  「では、わたしは、白玉善哉とトコロテンを」 留五郎は、店のおばさんに、二人前を注文した。  「お嬢さん、ここに、呼んだのは、ほかでもない、例の安藤さんの一件で、ちょっと話を伺いたいからです」  「安藤さんって、どちらの」  「ほら、先日、吉原で花魁と心中したと噂の安藤猪一郎ですよ」  「はい。そのお名前は、聞いております」  「わたしの顔も見覚えがあるでしょう」  「はい。安藤様のお宅の隣の職人の方ですね」  「そうです。よく、覚えていらっしゃった」  「わたしは、物覚えはいい方です」  娘は、出された白玉善哉を、おいしそうに食べた。  「それで、あの時、あなたは、わたしの家にもお土産を下さった。ありがとうございます」  「いいえ、滅相もない。ほんのおすそ分けです」  「安藤様とは、どういう間柄なのですか」  「私の里が、甲州の塩沢ですが、安藤様は私の母の弟で、叔父様なのです」  「失礼ですが、お名前は」  「安藤よねと申します」  「それで、よねさん。あの日は、どんなご用事で安藤様をお訪ねになったのですか」 留五郎は、すっかり調子付いて、質問を続けた。いまや、大工という職業を忘れて、岡っ引きの下っ引きをしているような心境になっていた。  「それ、お殿さまから用事を頼まれたのです」  「用事とは、なんです」  「書状を届けてくれと」  「はあ、手紙ねえ」  「でも、なぜ、そちらの奉公先の主人が、安藤を知っていたのだろうな」  「そんなことは、わたしは存じません」  「まあ、いいや。書状の中身なんて、もちろん、わからないだろうな」  「はい」  よねは、申しわけなさそうに、下を向いた。  「ありがとうよ。お代はいいからね」  よねは、トコロテンの最後の一口を食べ終わった。二人は店を出て、左右に別れて、道を行った。    留五郎は、道を引き返した。早足で歩いても、相当の時間が掛かった。  堀端では、小六親分が、怪訝な表情をして、留五郎の帰りを迎えた。  「どこへ行っていたのだ。ちゃんと、ここ見張っていろとで言っただろう」  「それが、例の娘が出て来たのです。親分がお帰りになるのを待っていたら、間に合わないと思い、後を追いました」  「そうか。だが、ずいぶん、時間が掛かったな」  「それは、遠くまで行きましたし、娘もいろいろな店で、油を売っているものですから」  「それで、どうした」  「一応、話は聞きました」  留五郎は、子細を親分に報告した。  親分は、じっと耳を傾けて、留五郎の話を聞いていたが、 「主人に頼まれ、書状を持参した」 という話に、  「中身が知りたいものだな」 と呟いた。  親分は  「御苦労さんだった」 と留五郎の労を労い、家に帰した。  親分は、事の次第を、飯山に報告した。  「やはり、伊達藩の江戸家老の佐藤承吾が、絡んでいるようだな。確証はないが」  「どうも、怪しいですね。でもわれわれの力では、これ以上は、探れません」  「もう少し、証拠が欲しいな」  「安藤の家の家宅捜索から、伊達藩の紋章が入った小判の包みが出てきたことや、美濃屋の捜索で押収した裏帳簿に、伊達藩との取り引きが記されていたことなど、おかしいことが、多すぎる。長岡様に上申して、佐藤を調べてみる必要がありそうだ」  「上の方から、やっていただければ、その方が、手早いかも知れませんね」  「そうだ。だが、もう少し、証拠が欲しい。そういえば、美濃屋と佐藤がつるんでいたとすれば、かれらは、必ず、どこかで、密会しているはずだな。江戸では、そういう場所は、大体、決まっておる。浅草か深川かの、料理屋か船宿に違いない。美濃屋の帳簿に記載されているであろう。出費は、どうせ、店の金だ。分からなければ、番頭にあたれば、主人の行き先は、掌握しているはずだ」  「合点行きました。さっそく、当たってみます」    親分は、小天馬町の美濃屋に出向いた。  (話に聞いた、歌麿のあぶな絵を見てみたい) という、心中に期した思いもあった。 それで、飯山の命令を、渡りに船と直ちに引き受けたのだった。  美濃屋に着いて、親分は、番頭の善之助に、  「出金簿を見せてくれ」 と申し出た。   番頭が持参した帳簿は、十数冊に及んだが、親分は根気よく、それらを精査していった。  毎月の暮れの支払いに、多かったのは、もちろん、菜種農家への支払いだったが、他に、飛脚問屋への運送費、小間物屋への器物料などが、目についた。  親分にとって、都合がよかったのは、船宿などへの支払いが、交際諸掛として、細目が、記されていたことだった。  「いかにも、吝嗇な美濃屋らしい。帳簿がしっかりしているわい」  親分は、調べを進めた。  すると、春先の月末に、深川の料理屋で、船宿も兼営する「三船屋」に、支払いが集中していたことが、わかった。  酒肴が供され、船賃や船頭の人頭費、薪代などが、細かく計上されている、請求書が糊付けされて、添付されていた。  親分は、それを巻紙に転写した。筆を嘗めなめ、書き記していくと、「三船屋」の利用は、三浦屋の事件の十日と六、七日前、角海老の事件の七日と五日前、それに、美濃屋自身の水死事件の三日前に、なっていた。  (三浦屋で右京太夫が、殺された事件の前に、かれらは頻繁に会っていたのだ)  親分は、記された酒肴の請求支払い額から、最初の日の客は一人で、二回目と三回目は、客が二人と推測した。角海老事件の前の二回は、いずれも客は二人分だった。  一通りの調べを終えて、親分は、  「よくわかった。これで、だいたい終わった。ところで、善之助、亡くなった善兵衛は、妻子がいなかったようだな」  「はい、わたしは、養子でございます。主人は、生涯、妻帯せず、独身を通しておりました」  「それには、なにか、わけがあったのか」  「いえ、別に、その機会がなかっただけでございましょう」  「それでは、さみしかろうにな」  「いえ、仕事一筋の人でしたから、仕事が忙しくて、その暇がなかった、ということでございましょう」  「それで、身上を築いてから、趣味の浮世絵集めに走ったというのか」  「それは、熱心でございました。常日頃から、わしは家族を持たなかったが、こういう素晴らしい連れ合いが出来た、思い残すことはない、と申しておりました」  「それで、頼みたいのだが、その浮世絵の収集品を、わたしに見せてくださらんか」 「といっても、蔵いっぱい、ございますが」  「最近のだけでよい。古いものはいらぬ」  「それなら、入口近くにおいてありますから、簡単で済みます」  「では、ご一緒に、参りましょう」  善之助は、小六親分を、裏庭の浮世絵収蔵庫に案内した。  蔵は、まだ、新しく、檜の香りが、清々しく漂い、外側は、白い漆喰で塗り固めてあり、庇の下に、明かり窓が開いていた。そこから、昼下がりの陽光が差し込み、床に置かれた、作品類包みを明るく照らしていた。  善之助は、夥しい作品の山を前に、  「どなたの作品がよろしいでしょうか」 と尋ねた。  親分は、ためらわずに、  「歌麿の最新作がいい」 と答えた。  善之助は、歌麿と書かれた梱包を解いて、額縁大の小作品から見せていった。  親分のお目当ては、歌麿が最後に描いた例の「蘭帳」の絵だったが、善之助には、そのことは、おくびにも出さず、出された絵を神妙な表情で鑑賞していった。  「やはり、一世を風靡した絵師だけのことはある。どの作品も妖艶で美しい」  親分は、鑑賞家気取りで、感想を言った。善之助は、黙っていた。  「これが、歌麿の最後の作品です。これを描いたあと、かれは奉行所に拘束されました」  善之助が、親分を見ながら、非難がましく言った。  包みを開いて出てきたのは、畳一畳大の大作だった。  親分は、思わず目を見張った。  まず、使っている紙が、それまでの和紙とは違うように、見えた。  それに、絵の具も、濃厚で、照りがあり、それまでの浮世絵の原画とは違っていた。 最大の異様さは、絵そのものだった。裸の女が、真ん中に配され、回りに蚊帳が張り巡らされていた。その一面ごとに、鬼やなまはげや般若や弁天様のような鬼神が、戦っているような、場面が描かれていた。裸女は体全体を大蛇に巻かれ、苦悩の表情を浮かべていた。しかし、愉悦の表情にも見えないこともない。  (これは、異様な絵だ)  親分は、その絵の迫力に圧倒されそうだった。  「もういい、ありがとう。それにしても、凄い絵だね」  「はい、これは、外には出せないでしょう。うちの蔵にずっと仕舞っておきます」  「それがいいな。ところで、この女だが、だれか、実在の女を写生したのかね」  親分はとぼけて聞いた。  「わたしには、わかりません。なんでも、この絵の制作中、歌麿は家に閉じこもりっきりで、その間、家のなかからは、呻くような声が、聞こえていたと言いますから、写した相手はいたのでしょうね」  (それが、お夏だ)  親分は、納得した。         処   刑  番所に連れ去られてから、一向に帰される様子のない歌麿に、留守宅を守るお夏は、何度も面会を申し込んだが、いつも、  「調べ中のことゆえ、面会はならず」 と撥ねつけられた。  お夏の心は痛んだ。  (あれほど、お慕いした先生が獄門に苦しんでおられる。早く、お救いしなければ) との思いが募り、神仏に頼んだりして、一刻も早い、釈放を願っていた。  神田明神に願いを掛け、お百度も踏んだ。観音様を祭って、毎朝欠かさずお灯明も上げた。それに、一日一食ですませる断食もしてみたが、先生は帰ってこなかった。  お夏は、歌麿とのめくるめくような日々を思い出すと、五体の官能を刺激されて、卒倒しそうになる。  (私には、辛くても、楽しい日々だったのだわ)  こ綺麗に、清潔に、絣の着物を纏った、目立たない小女の心中に、そのような官能の渦が、逆巻いていたことなど、気付くものはいなかった。  お夏は、「嘆願書」を出すことを思いついた。  (近所の人たちから始めて、知り合いの人の署名を集めて、お奉行様に,お願いしよう)  この考えに、お夏は掛けてみることにした。  翌日から、近所を、訪ねて回った。  「お上のやることに歯向かいたくない」 と多くの人は、遠回しにことわったが、中には  「あんたもかわいそうに。先生も酷い嫌疑をかけられたものだ」 と同情を寄せるものもいた。  しかし、日頃の付き合いが、そう良くなかったことも災いして、名簿の集まりは良くなかった。  お夏は、落胆した。それでも、  (少しでも、激励してくれた人に、申し訳ない) との思いが募り、約二十人の寄せ書きを、添えた「助命嘆願書」を認め、奉行所に提出した。  受け付けの役人は、事務的に、書類を受け取ったが、それが、歌麿の釈放にどれだけの効果をもたらすかは、誰もわからなかった。  お夏は、歌麿宅に帰り、日々の家事に明け暮れる日常に戻った。     しかし、牢中の歌麿は疲れ切っていた。連日の厳しい調べで、精も根も尽き果てた。断食で抵抗したため、げっそりとやせ細り、まるで、夢遊病者のように、意識朦朧として、毎日を過ごしていた。  調べには拷問もあった。算盤状の板のうえに座らされ、畳んだ膝の上に重い石を乗せられたり、鞭打ちや棒でのめった打ちにも耐えてきたが、そろそろ、限界に来ていた。  そういう状態のなかで、ある夕方、歌麿が牢中で休もうとしていたとき、牢役人がやって来て、  「お夏から、嘆願書が出たよ。お夏は、お前が早く、罪を悔いて、楽になってほしいと言っている。生活も楽ではないらしいぞ」 と告げた。  歌麿の朦朧とした心には、それは、お夏の救いを求める号泣に思われた。  「読み上げようか」  「いや、結構です」  (いま、お夏が書いた書面などを読まれたら、おれは、持ちこたえられない。駄目になってしまう)  歌麿は必死で耐えた。しかし、読まなくても、その中身は想像できた。  (お夏は、おれを天国に導いて、救ってくれるだろう。天女のような無垢な心を持っているお夏のことだから、自分を惜しむことはしないはずだ。わたしに、無実を言い張らずに、早く、楽になれ、と言っているに違いない)  歌麿はそう解釈した。  次回の調べで、歌麿は、罪を全面的に認めた。  「右京太夫を殺して、東海道に捨てたのは、私です」  自白した言葉は、力強く、はっきりしていた。  「よろしい。このものを、市中引き回しのうえ、磔、晒首」  その日、お白砂の当番に当たった番役人が、判決を言い渡した。  歌麿は牢屋に引かれていった。    処刑の日は、お夏には知らされなかったが、市中には噂が広まったので、お夏の耳にも、入ってきた。  「今度の仏滅の日に、歌さんが処刑されるそうだよ」  近所の梅婆さんが、そう教えてくれたのは、お夏が井戸端で洗濯物をしているときだった。  「本当に、かわいそうに、嘆願書は聞いてもらえなかったのかね」  同情の言葉も、お夏の耳には入らなかった。  (信じられないことだわ。あの先生が、罪を認めたのかしら。わたしはどうすればいいの。先生が死んでしまったら、わたしの生きていく意味もなくなってしまう)  お夏は絶望の縁に追い込まれた。だが、どうしようにも、お上のなさることには、逆らえない。その事実を知らされてから、お夏は家に引きこもり、ひたすら、観音様に祈った、  処刑は、西が原の川原で施行された。そのまえに、歌麿は、両手を拘束されたまま、市中を馬に乗せられて、引き回された。すっかり、やせ細った長身の体が、柳のように馬の背で揺れていた。それを江戸の庶民は、上目使いで眺めては、下を向いて、罪人の不幸に同情した。  お夏は家を出なかった。一日中、仏壇の前に座り、祈った。食事も、喉を通らないのが、わかっていたため、作らなかった。前の晩は、一睡もしないで、祈った。先生との思い出が、脳裏に浮かんでは、消えた。  そのうちに、日が暮れて、夜になった。  「歌さんの首は、川原にさらしものになっている」  通りがかりの待ち人が、騒いでいた。  皆が寝静まった丑三つ時、お夏は、白布と線香と絵具を持って家を出た。  暗闇を西が原に急いだ。  西が原には、満月が出ていた。その光を頼りに、お夏は、川原に降りて、晒首の乗った 白木の棚がある場所まで来た。  川に降りて、水を白布にたっぷり含ませ、歌麿の首を綺麗に布で拭った。棚の前の地面に線香を上げた。そして、絵具で顔にの赤みを付け、生きているとき、その儘の姿に、色を塗った。  「先生は、絶対死なない」  そう、うわごとのように言いながら、首を白布に包んだ。そして、脇に抱えて、持ちかえった。  お夏は、持ちかえった首を、その晩、裸の胸に抱えて寝た。うっとりとする心地よさが、お夏を幸せな気持ちに導いた。  (先生が、わたしだけのものになった)  閉じていた目を開いて、接吻をした。鼻を乳房で挟んで、擦ってみた。閉じていた口を開けて、乳首を差し入れた。  (本当に、気持ちがいい、先生の口付けは)  お夏はすっかり、夢見心地になって、すこやかに眠った。  翌日、お夏は、首を白木の箱に入れて、仏壇に祭った。  (これからは、毎日、一緒に暮らせるわ)  そう考えて、すこし、明るい気持ちになった。    南町奉行所の右京太夫殺しの担当同心は、飯山梅之助だったが、盆の休暇で、田舎に帰っている間に、事件が急転回し、歌麿が自供をしたうえ、即決裁判で、処刑されたと知って、飯山の怒りは、頂点に達した。  「わたしが、休暇中に、どういうことですか」  飯山は、長岡近江に詰め寄った。  「いや、わしも驚いた。休暇の引き継ぎは、完全にやっておいたのだろう」  「それは、抜かりはありません。嫌疑不十分で吟味中、と言っておいたのに」  「判決を出した佐々木右近は、自供が得られたので、最近、市中にお裁きの遅れを非難する声も大きいことから、早めに処理をした、と言っている」  「それは、確かに、自白がないということが、最大の障害になってはいましたが」  「佐々木もそう引き継いだといっている。その自白が得られたから、裁いたと」  「無念です。わたしはまだ、真犯人と決めてはいなかった」  「そうか、では、お手前のしたいように、するがよかろう。真犯人を上げるまで」  「そういたさせて、いただきたい。いや、そうさせて頂きます」  飯山は、御前を辞した。  (所詮、武士の世の中、浮世絵師の命の一つや二つ、カゲロウの羽よりも軽い、ということか)  飯山の反骨精神に火が付いた。  西が原の刑場の首置場から、歌麿の晒首が無くなったことは、刑場の見回り役人が、翌朝に発見した。首台の下に、線香が置かれ、木台には肌色の顔料が付着していた。  首が無くなったことは、見回り役人から、直ちに、江戸南町奉行所に報告された。出所していた飯山は、この報せを、一番最初に聞いた。詳しい状況を知ると、飯山は、  (これは、お夏の仕業に違いない) と直感した。  飯山は、一人で、歌麿宅に向かった。  歌麿の家は、戸口も締め切りになっていて、ひっそりとしていた。  「御免なさいよ」  飯山は、何度も家のなかに向かって、声を掛けた。  それでも、なかなか、反応がない。痺れを切らした飯山は、無理やり玄関の引き戸を刀の鞘を梃にしてこじ開けた。  上がり框は、綺麗に掃除されていて、チリひとつ無かった。そこで、また、飯山は、 「おじゃましますよ」  と大声を掛けた。  すると、中の間から、か細い声がした。  「どなたですか。ちょっと、お待ちください」  この家に、お夏しか、住んでいないことは、飯山は知っている。  お夏は、洗い物をしていたのか、前掛けで両手を拭いながら、小走りに、框の方に表れた。  「どなたで、ございますか」  「わたしは、南町奉行所の同心で、飯山梅之助と申す。そなたは、お夏だな」  「はい、わたしが、夏でございます。そこに立っていらっしゃってないで、どうぞ、上にお上がりください」  お夏は、座蒲団を用意し、飯山を座敷に上げ、奥に引き込んだ。  飯山は、家の中の様子を、観察した。  上げられた六畳の間は、客間であるらしい。欄間に見事な三猿の彫刻が、施され、床の間には、菊の一輪挿しが置かれ、主が無くても、りんとした空間を保持していた。  (これもお夏の働きだ)  飯山は、この好ましい女が、主のいない間にも、家を維持するために、甲斐甲斐しくこまめに働いている様子が、目に浮かんだ。  お夏は、茶卓に乗せた茶碗を楚々とした仕種で、飯山に差し出し、  「どうぞ、粗茶ですが」 と勧めた。  「いただきます」  茶碗の蓋を開けると、そこには、金色に輝く玉露が入っていた。一本、茶柱が立っていたが、飯山は、それを認めながらも、無視した。  「歌麿さんが、処刑されたのは、知っていますね」  「はい、昨日、聞きました」  「わたしは、まだ、取り調べ中だったのだが、役所のなかの事務的な作業の何かの誤りで、処刑が早まってしまった。あなたには、本当に申し訳ないことをした」  「そう言われましても。わたしには、本当に、寝耳に水のことでした」  「だから、わたしは、お宅に伺うような立場には、ないんだが、わたしが担当していた事件だけに、どうしても気になってね。重ねて、お詫びをしたい」  「いいえ、そんなに、言われましても。死んだ先生は、もう、帰ってこないのですから」  お夏は、下を向いて、前掛けの裾を目に持っていった。  「それでだ。昨日の今日で、あなたも、気持ちがまだ、落ちついていないだろうが、落ちついて聞いてもらいたい。実は大変なことが、起きたんだ」  「何でしょうか」  お夏は、気を取り直して、飯山の顔を見つめた。  「歌麿さんの首が無くなった」  「・・・・・・・・・・・・・」  「一番の心当たりが、あなただから、こうしてやって来たというわけだ」  「・・・・・・・・・・・・・」  「あなた、知らないかね。お裁きは、市中引き回しのうえ、磔、打ち首、晒首、というものだから、打ち首までは、行われたが、最後の晒首の刑が、未執行になってしまう。これでは、お裁きが、完全に行われたことにはならないのだよ」  「でも、あんまりです。やってもしないのに、犯人にしたてあげられて、そのうえに、そのような極刑なんて」  「でも、仕方がない。それが、御政道というものだろうて。あなた、首に心当たりはないかい」  「・・・・・・・・・・・・・・」  「それは、わたしには、あなたの気持ちは十分すぎるほどわかる。無念でもあろう、悔やしくもあろう。だが、処刑された首を、持ちかえったりすることは、他の罪にもなるんだよ。重ねて罪を犯すことになる」  「そう、言われましても」  「だが、わたしは、悪いようにはしないつもりだ。あなたの気持ちは、受け入れてやりたい。だが、真実は一つだ、その真実をわたしは知りたいのだ。協力してほしい」  「真実は一つです」  「そうだ、だから、誠実に、わたしは、真実を追究したい。嘘は言ってほしくないのだ」  飯山は、両手をお夏の両肩に掛けて、熱く訴えた。  「分かりました。首は、こちらにあります」  観念したお夏は、奥の間の仏壇の前に、飯山を案内し、白木の箱を開けてみせた。  「やはり、そなただったか。よく言ってくれた」  「お願いですが、せめて、あと六日。初七日が来るまで、ここに置いてください」  「気持ちは分かるが、そうもいくまい。晒首というのは、直ちに執行されるべき刑なのだ。お裁きでは、日本橋の大通りに、晒すということだ」  「そんな、むごい。先生がそんな大罪を犯したというのですか」  お夏は、白木の箱に抱きついて、泣いた。  「歌さんえー、歌さんえー」  「先生」と呼んでいたのが、二人だけの時の呼び名の「歌さん」に変わっていた。  「おまえの気持ちは、痛いほど分かる。わたしは、最初からこの家に首があっても、取り返していく積もりはないよ。ここにあるのが、分かれば、それでよいのだ。わたしさえ、黙っていれば、追求して来るものは、いないだろう。晒首など本当に見せたいものを、見たいものも、いないのだから」  お夏は、まだ、泣いていた。  「それより、すこし、落ちついてからでいいが、今度の事件で、お前が知っていることで、真犯人の手掛かりになるようなことが、あったらそれを聞いておきたい」  お夏はその言葉に、すこしく、激しい泣き声を上げたあと、落ちつき、台所へ引き込んで、押し黙った。  「ゆっくり、気を落ちつけてからでいい。話したくなったら、こちらへお出で」  飯山は、持久戦に出た。  飯山は、布団の上で正座し、冥目した。  しかし、お夏の気持ちの動揺は収まらなかった。  お夏は、  「話す気持ちになったら、私のほうから、番所に出向きます」 と、申し立てた。飯山も了解した。飯山は、辞去した。    飯山の帰った後、お夏は、夕方まで、また、泣き明かした。  白木の箱を開けては、  「歌さんえー」 と泣き、閉めては開けて、を繰り返した。  日が落ちて、お夏は、夕餉の支度に掛かった。  取り置きの目刺しを焼き、二人分の御飯を炊いた。味噌汁は大根だけ。それで、十分だった。一人分は仏壇に上げ、仏壇の前にお膳をしつらって、食事をした。  お夏はその間も、歌麿に話しかけた。  「歌さんは、やってないわねえ。絶対に」 ーー 「そんな大それたこと、この俺に出来るわけがないじゃないか」  「でも、どうして、こんな目に会わされるの」  ーー 「それは、業かもしれない。勝手放題に生きてきて、お前にも辛い思いをさせた」  「でも、知り合ってから、そんなに間がないのに。どうして、こんなにあんたが愛しいのだろう」  ーー 「それは、縁というものだ。相性だろうよ。おれもお前がぴったりだった」  「それは、変わり者同士ということなの  ーー 「いや、これが、本当の人間の姿だ。建前や飾りばかりの世の中で、お前とおれは真実の人間同士の関係だった。裸のままのお互いを、あんなに慈しんでいたのじゃないか」  「それで、わたしも気分が楽だったんだわ。歌さんといると。わたしも生まれたままのわたしになれたし、気持ちが、開放されたもの」  ーー 「おれも、お前といると、筆が進んだよ。だから、最後にあんな傑作が描けた」  「でも、なんで、そんなあんたが、死んでしまったの」  ーー 「それは、浮世の欲を出してしまったからだな。金のためだよ」  「金って、わたしに、と置いていってくれたあのお金なの」  ーー 「それも含めてだ。美濃屋と伊達者の家老の阿漕な仕業を、最初におれに教えてくれたのは、確か、お前だったね」  「そうえ、姉さんが、そうしろと言ったから」  ーー 「そういやあ、そうだ。それが、姉さんの最期の贈り物だった」  「だって、そのころ、歌さんは、広重さんたち人気を取られて、仕事が減りはじめていたからね」  ーー 「そうだ。美濃屋も、おれから離れていった」  「最後の大仕事を仕上げて、歌さんは、捕まったんだわ」  ーー 「そういう巡り合わせだった。運命かもしれない」  「運命なんて、わたしは信じたくない。歌さんを、失ってしまうことが、運命だなんて」  ーー 「わたしの時代は、終わりだったのだと思ってくれたらいいよ」  「そんなことは、出来ないわ。わたしと歌さんは、何処までも一緒よ」  とりとめのない会話が、お夏の心の中で続いた。    再 捜 査  船宿「三船屋」の聞き込みは、飯山と小六親分に、ほぼ確信に近いものを抱かせた。それは、  「佐藤と美濃屋は、何かを企んでいた。そのために、何度も密会を繰り返していた」というものだった。  二人は、  (この上は、佐藤を呼んで調べるしかない) という考えで一致していたが、何しろ、大名屋敷の家老が相手とあっては、出来ることには、限りがあった。  調べは長岡近江ではなく、幕府の大目付けが当たることになろうが、その大目付けの酒井伊勢守忠道は、今回の事件では、最初は、容疑者の一人だったから、侍同士で釣るんで事件を隠蔽する危険性すらあった。  佐藤を調べるにあたっての材料は、どこまで集まっているのか。二人は点検してみることにした。  第一に、殺しの現場に犯行時刻頃にいたことだ。これは、否定できない事実だ、しかし、だからといって、犯人だという確証ではない。  第二は、美濃屋の捜索で押収した帳簿に、伊達藩との不正取引の証拠が、あったことだ。佐藤は美濃屋と結託して、暴利を貪っていた。二人が一蓮宅生の関係にあるのは、ほぼ間違いない。だからといって、佐藤が、やったという証拠ではないが。  第三は、安藤に手紙を届けたおよねが、伊達藩の江戸屋敷に奉公に上がっているという状況証拠がある。安藤の家を捜索したところ、伊達藩の印が押された小判の包み紙が見つかった。巣浪人の安藤が、最近は金回りがよく、吉原通いを始めていた。 その安藤が、第二の花魁殺しの牧野との心中事件の相方だった。しかし、だからといって、佐藤が、どう絡んでいたかは、明確ではない。  こう並べてきて、二人とも、  (何かが、足らない) と感じた。  それは、事件の捜査の最初から、欠落している問題だった。  (そうだ。この事件は、殺人事件だけではないのだ。右京太夫の死骸は、東海道に遺棄されていたのだから、死体遺棄事件でもあるのだ)  そう思い当たった。すなわち、遺棄をした犯人が判明すれば、殺人事件の犯人も分かる、と考えたのである。  飯山と小六親分は、事件捜査の原点、犯行現場に戻ることにした。    親分は吉原の検番の源爺さんを訪ねた。  「御免よ」  吉原の入口、大門の脇の検番小屋の引き戸を開けて、入っていくと、源爺さんは、火鉢に両手を翳して、煙管煙草を吸っているところだった。  「おやおや、親分さん。今日は。何のご用事で」  爺さんは、煙草の灰を火鉢に落として、親分の方に顔を上げた。  上がり框に座り込んだ親分は、  「実は、吉原に出入りしている、飛脚業者のことを、知りたいんで」  「飛脚屋といったって、大勢いるからね。廓によって出入りの者も違うしね」  爺さんは、いかにも興味がなさそうに、ぶっきらぼうに答えた。  「そう言わず、どんな業者が出入りしているのか、教えてくださいよ。頼みます」  親分は頭を下げた。  「まあまあ、そうまで親分に頼まれては、嫌とは言えないね。ちょっと待ってくださいよ」  爺さんは、そういって、奥へ行って、帳簿を持ってきた。  「角海老が大江屋、紀陽楼が肥後屋、三浦屋が讃岐屋、山陽閣が信濃屋というところですかな」  「そんなにはいらない。三浦屋は、讃岐屋か。それだけ十分だよ。ところで、讃岐屋は、本店はどこにあるんだい」  「本店は、上野の不忍池の近くですよ。本願寺の入口のところでさあ」  「そうか。ありがとうよ。爺さん世話になったな。元気でな」  小六親分は、爺さんに別れを告げ、上野の方向へ向かった。    上野の讃岐屋に着いて、小六親分は、番頭を読んだ。  出てきた番頭は、岡っ引きの来訪に何事かと、気色ばんだが、親分の  「いや、大したことではないんだが、お宅の出入りの吉原の三浦屋には、最近、荷の受け渡しが、あったかどうか、聞きたい」 との申し入れに、頷いて、  「それは、毎日のように、お伺しております」 と、落ちついて答えた。  親分は、さらに聞いた。  「それで、変わった荷物を預かったり、荷車が、盗まれたりはしていないかい」  「はあ、それはどういうことですか。別に、変な荷物は扱っていませんし、荷車が無くなったようなことは、ございません」  「実はな、先日あった花魁殺しの遺体を運んだのが、何なのか、調べているんだ」  番頭は、驚いて、  「わたしどもの人夫は、そんなことは、一切しておりません。そういうことが、あれば、必ず、報せがあるはずです。うちの雇い人は、みな、身元もしっかりし、これまで、不祥事を起こしたようなことは、ございません」  番頭は、必死で、親分の疑問を否定した。  「わかったよ。それじゃあ、他を当たるよ。もし、変な荷物を、例えば、花魁の遺体をだな、運んだというような話を聞いたら、必ず、教えてくれよ」  親分はそう言い残して、讃岐屋を後にした。    番屋に帰った親分の報告を聞いた南町奉行所同心、飯山梅之助は、残念そうな表情で  「とすると、飛脚屋ではないわけか。荷車で運ぶのが、一番、可能性が高いと思ったのだが」  と呻いた。  「ほかに、考えられるのは、馬か。犯人が武士や農民ならその可能性も捨てられないが、吉原へ馬で行っては、目立つだろう。牛か。牛が行っても、すぐ、誰かが気付くだろうな。親分、ほかに、なにか考えられるかね」  飯山は、考えあぐねて、親分に知恵を求めた。  「そうですね。思い浮かびませんね。人一人を運ぶのだから、人一人では出来ない。数人が、纏まって、人手で運んだのではないですか」  「そうすると、複数の者が犯行に係わっていることになるな。大勢で運んだとしても品川までは、相当かかるぞ。一仕事だな」  二人は、難問に引っ掛かって、答えを見つけあぐねた。  「それもこれも、お前もおれも、吉原で遊んだことがないためなのかもしれん」  飯山は、いよいよ、詰まって、そんなことを呟く始末だった。  そのとき、小六親分が、はたと膝を打って、立ち上がった。  「そうだ、花魁たちは、車で動くんですよ。そうです、人力車に違いない。人力車屋に当たってみます」  そう言うが、早いか、親分は、番屋を飛び出していった。 吉原大門の番屋に再び、源爺さんを訪ねた小六親分は、今度も、  「御免よ」 と言って、木戸を開けた。  源爺さんは、今日も、火鉢に手を翳しながら、煙管煙草を吸っていた。  「おや、今日は何だね。親分もお忙しいことですな」  爺さんは、親分の方を振り向いて言った。  「今度はな、車屋の事で、ちょっと、聞きたいことがあるんだ」  「車屋が、どうしたって」  「吉原に出入りの車屋は、なんて言うんだい」  「人力車か。人力車の元締めは、纏屋と吾妻屋だよ。浅草に店があって、そこから、車夫がやって来るんだ」  「それで、三浦屋に出入りしていたのは、どっちだい」  「また、三浦屋かね。人力車には、お馴染みはないさ。その時の都合で、客待ちをしている車を雇うのが、普通だね。ただ、常連さんは、車夫も決まっている人が、いるがな」  「とにかく、その二つの店が、入ってるんだな」  「そうだ」  「ありがとうよ。こいつは駄賃だ」  小銭を投げ与えて、番屋を出ていった。    親分がまず、向かったのは、浅草の雷門近くの車屋、纏屋だった。  「御免よ」 と暖簾をくぐった親分は、店の土間に屯していた、車夫らの鋭い視線に迎えられた。 親分は、入ってきたときの勢いを削がれ、  「すいませんが、番頭さんをお願いします」 と、丁重に言った。  しばらくすると、小柄な人の良さそうな中年の男が現れ、  「あたしが、番頭の助五郎です」 と自己紹介した。 親分も、  「南町奉行所の同心配下の十手持ちで、小六と申します」 と、身分を明かした。  「ところで、ちょいと、お伺いしたいのは、最近、吉原の三浦屋の花魁を乗せた者がいないか、ということです」  「それは、手前どもは、吉原には出入りしておりますが、大体は、通っていくお客さんで、花魁を乗せることは、滅多に、ございません」  助五郎は、言下に否定した。  「そういうことではなくて、先日の花魁殺しで、その花魁の死体を運んだ者がいないかということなんだ」  「死体を。そんな、滅相もない。死人を運ぶ車夫が、どこに、いるものですか」  「そうだがさ、そこは、あんたらも、賃稼ぎの商売だ。そういう依頼があれば、断らないこともあるだろう、ということよ」  「そうですか。そんな仕事を受けた者があれば、すぐ、噂になるはずです。いま、うちの者に聞いてみましょう」  そう言って、助五郎は、玄関脇の溜まりに集まっていた車夫の連中に声を掛けた。  「親分が、こう言っておられるんだが、そういう話を聞いた者はいるかい」  車夫のなかからは、誰も名乗りを上げなかった。  「では、話を違う方からしてみよう。お宅の車夫で、車を盗まれたり、無くした者はいないかね」  親分は、盗まれた車で、運ばれた可能性も考えていた。  「そういえば、吾妻屋の静六が、丸一晩、『車を盗られた』と騒いでいたことが、あったな」  そういったのは、柱の影で、親分らの話を聞いていた若い車夫だった。  「それは、いつごろだい」  親分は尋ねた。  「そういえば、ちょうど、その花魁殺しのあったころだった。その少し前かな。いずれにしろ、静六に聞けば、自分のことだし、しっかり覚えているだろうよ」  小六親分は、光を見いだした心境になった。  「よし、では、吾妻屋へ行ってみよう」  そう言い残して、纏屋で出た。  吾妻屋はすぐ近くだった。  例のごとく、  「御免よ」 と暖簾を上げて玄関を入った親分に、やはり、車夫たちの疑うような視線が注がれた。  親分は、今度は、番頭を呼ぶことはなく、直接、車夫溜まり場へ向かって、  「静六はいないか」 と見回した。  すると、椅子に座って、将棋をしていた若い男が、こちらを向いて、返事をした。  「すまないが、ちょっと、こっちへ来てくれ」  親分の頼みを、静六は素直に聞いて、やって来た。  「実はな、おまえが、車を盗まれた件をすこし、聞きたいんだが」  「いいよ。でも、それが、なんか、悪いことなのかい」  「いあ、そうじゃない。お前が悪さをしたと言ってるんじゃない。ある、殺人事件を調べているんだ。花魁が殺された事件だ、知っているだろう」  「ああ、あのことか。そうだな、確かに、右京太夫と言ったっけ、その花魁の死体が見つかった日の前の晩に、おれの車が紛失したんだ」  「その晩、どこから盗まれたんだ」  「吉原の大門の外に置いて、おれは、夜食の蕎麦を食いに蕎麦屋に入っていたんだ、その隙に、置いてあった車が、無くなった」  「それで、返ってこないのか」  「ところが、不思議なことに、翌朝、同じ場所に戻してあった。俺としては、仕事が出来なくなって、大損だと思ったんだが、後ろの座席に一両も置いてあって、儲かったよ。あの日は、俺にも運が向いてきた、と思ったものさ」  「返って来た車に、変わりはなかったかい」  「これといってなかったが、いい匂いがしていた。あれは、きゃらの香りだね。それから、鉄菱が一つ見つかった。ほら、忍びの者が使う鉄の撒きものだよ。『なんで、こんな物が』と不思議に思ったから、取ってあるよ」  「それを、見せてもらえるかい」  「ほら、これだよ」  静六は、袂に入れた小袋から、鉄製の小物を取り出し。親分に見せた。  親分は、それを手に取った。  表面には、丸に十の字の印が彫られていた。  「これは、伊賀の忍者の使う撒き菱だ」  小六親分は、そう直感した。      決 闘  その数日後、四谷見附の出羽・天童藩江戸屋敷の門前で武士の死体が、見つかった。右肩の上から胸、腹にかけて、刀で切られた跡があり、多量の出血をしていて、死体は仰向けに倒れていた。  その形跡から、武士の大刀で一気に、一直線に切られたことが、明らかだった。  武士の不審死とあって、捜査は、幕府の大目付け、酒井伊勢守忠道の担当となった。  酒井は、与力の津田謙五を使って、天童藩に死んだ侍の身元を、聞かせた。  天童藩の江戸家老、高橋伊エ門は、屋敷前の惨事を知らなかったが、津田の要請で、死体を確認して、  「確かに、わが藩の江戸詰めの藩士、伊藤太一郎に間違いない」 と、証言した。  遺体は、天童藩江戸屋敷内に移動され、検視を待った。  小石川療養所の医師、石川源藩によって、行われた検視で、死因は、大刀による左肩から、腹にかけての切り傷と断定された。ほかに、腕に数カ所の切り傷があり、右胸には、大きな打撲傷が見つかった。  これらのことから、伊藤は、武士と一対一の果たしあいになり、相手の武士に、一刀のもとに、切り捨てられた可能性が強まった。  腕の切り傷から、激しい鍔競り合いをしたことも、予想された。  すなわち、伊藤は、だれか侍と戦って、切られたのだった。  「なにか、相手の手掛かりになるものはないか」  津田は、石川に尋ねた。  「特にありません。ただ、一刀のもとに切り捨てているところを見ると、かなりの使い手だということは、言えますね」  石川は、このように、綺麗に切られた跡を見たのは、初めてだった。切った大刀も相当の技物と推測された。  (武士と武士との決闘だから、必ず、名乗りがあるはずだ、なにも、あわてて、相手を探すこともなかろう)  津田は、そう考えて、相手の名乗りを待つことにした。  (そうすれば、動機もわかるだろうし、それによって、処断も決まるだろう) なにより、手掛かりがないのが、津田に相手を探そう、という気持ちを起こさせなかった。  ただ、江戸家老の高橋には、聞いておかなければならないことがあった。  「相手に、思い当たる節はないか」  津田は、直截に尋ねたが、高橋は、  「なにしろ、伊藤は内密の仕事をしておりましたので。いろいろとありえましょう」 と、申し訳なさそうに返答をした。  「内密とは」  津田が、重ねて尋ねると、高橋は、  「密偵でございます」  「そうか、忍びであった」  「そうです。忍びの者の総大将をしておりました」  高橋の語るところによると、  天童藩は、織田信長ゆかりの藩で、江戸幕府が出来て以来、外様として、奥州の地に移封された。しかし、信長以来の伊賀の忍びの伝統は残り、表は武士の公務をしながら裏では隠密を仰せつかっている家柄がある。それが、伊藤家だった、というのだった。  (忍び同士のつば競り合いなら、物音もたてず、他人に知られることもなかっただろう)  津田は、そう考えて、果たし合いが深夜で、しかも、目撃者もいないという、この奇怪な変死事件を納得した。  (しかし、忍びが相手なら、名乗らない可能性もある。もう一度、手掛かりがないか遺体に当たってみよう)  津田が、石川のところへ戻ると、ちょうど、石川が遺体の衣服の袂から、書き付けを取り出すところだった。  「こんな物が出てきましたよ」  石川は津田に、書き付けを差し出した。  封書を開けて、中を読んだ。  ーー 忍びの仁義の一つとして、主君以外に、探って得た秘密を売ってはならない。守るべき仁義を破った者には、天罰を与えるーー。  そう書いてあり、最後に  「伊達藩忍び頭、加瀬四郎次郎」 との、墨痕鮮やかな署名が記してあった。  加瀬四郎次郎が、伊達藩の江戸屋敷に帰ってきたのは、その前の晩の、丑三つ時だった。  開いていた裏門から、忍び足で邸内に走り込んだ加瀬は、まず、井戸場に行って、釣瓶で水を掬い、大刀の刃を洗い流した。伊藤を切ったあと、刀を一振り、二振りしたから、刀身を伝った血は、おおかた振り払われていたが、念のため、水で綺麗に洗い流して、懐から手拭いを取り出し、刀身を拭いた。  そうしてから、加瀬は刀を、井戸を覆っている屋根を支える四本の柱の一つに立てかけ、もう一度、釣瓶を下げて、水を掬い、両手で受けて、顔を洗った。  着物の前が肌けたのを繕い、袴の乱れも直して、刀を腰に差し、すっくと、背を伸ばして、深く深呼吸して、加瀬は、邸内に入る引き戸を開け、炊事場裏の自室に戻った。 部屋には、すでに、賄い婦の手で布団が敷かれていた。加瀬は、暗い部屋に入ると、隅にあった行灯に火を入れた。ぼやっと、部屋が明るくなり、加瀬の影が襖に伸びた。  加瀬は、壁際の文机の前に、端座して、和紙の書きつけ帳を捲り、筆箱を開けて、墨を擦り、太筆に付けて、  「一刀悪斬」 と書きつけた。  加瀬は、そのあと、寝巻きに着替え、布団に入った。  天井を見ながら、その夜の出来事を振り返った。  (待ち伏せをして、切りかかったのは、少し、卑怯だったかも知れぬ。しかし、いきなり切り付けたわけではない。相手の姓名を確かめ、こちらを名乗りを上げた上で、果たし合いになったのだから、武士の儀礼は守ったはずだ)  加瀬には、それは重要だった。たとえ、裏街道を歩く、忍びといえども、武士のはしくれ、武士道は守らねばならない。  (だが、その後、一気に切り付けたのは、作戦とはいえ、やや、済まない気もする。是非とも、仕留めなければならなかったから、これは、気合の問題だ)  そう考えると、体に震えが走った。  (もし、一瞬でも踏み込むのが遅れていたら、こちらがやられていたかもしれない)   それほどに、際どい、果たし合いだった。  (さすがに、相手は、伊賀の切れ者。重々、剣の実力は承知していただけに、首尾よく行ってよかった)  加瀬は安堵した。  それほどまでに、この切り会いに、加瀬が力を傾けたのは、それが、上司である江戸家老の佐藤承吾の直々の指令だったからだ。  佐藤は、前日に、加瀬を自室に呼んで、  「天童藩の忍び頭の伊藤太一郎が、脅しを掛けて来た。伊藤を殺れ」 と密命を与えたのだった。  加瀬は、事情は知らなかった。しかし、上司の命令は、絶対というのが、忍びの世界の掟だ。その掟に従って、加瀬は伊藤を呼び出し、「仕事」をしたのだった。 理由は、ただ、佐藤だけが知っていた。  津田謙五が、伊達藩邸を訪ねたのは、その翌日だった。  津田は、まず、門前で大目付けの命で、前夜にあった果たし合いの件を調べる旨を述べ、  「ついては、この藩邸詰めの加瀬四郎次郎に、事情を聞きたい」 と申し出た。  津田は、直ちに、邸内に招かれ、客間の次の間の控えの間で、加瀬の出てくるのを待った。  加瀬は程なくして、客間に現れ、津田に座蒲団を勧め、正面に対座して、  「ご用件を受けたまわろう」  太い声で聞いた。  津田は、来訪の用件を手短かに、伝え、  「ついては、事情と弁明をお聞きしたい」 と、申し出た。  加瀬は、津田の話を聞きおわると、  「その通り、私がやりました」  呆気なく、白状した。  しかし、津田が、理由を質すと、加瀬は、  「事情は申しかねる。敢えて申せば、それが、勤めであるから」 と、断言した。  津田は、訝った。  「勤めというのは、果たし合いが、貴殿の仕事なのか」  津田の疑問に、加瀬は、  「そうではござらん。武士として、そうしなければならなかった、ということだ」  苦渋に満ちた表情で、そういった。  津田は、それで、すべてを理解した。  「ところで、その命は主人からか、それとも、上役からか」  津田の追求に、  「主君がわたしなどに、命を下すことはない」  加瀬はそれだけ、答えた。  津田は、加瀬の仕業は、江戸家老の佐藤の命によるものだと、理解して、伊達藩邸を辞去した。加瀬に、動機や訳を聞いても、言わないだろうし、なにより、知らされていないだろう、と津田は判断したのだった。  津田謙五は、天童藩の江戸屋敷に、高橋伊エ門を訪ねた。  まず、伊藤太一郎の職務の内容を詳しく聞く必要があったし、伊達藩と天童藩の関係よく調べてみることが、肝要だと思われた。  津田は、直截に聞いた。  「伊藤は、表向きでなく、裏の仕事をしていたと、先日、申されたが、具体的に言うと、どのような仕事を任されていたのですかな」  「それは、先日申し上げた通り、忍びが仕事です。すなわち、密偵ですな」  「それは、わかりますが、今は、どのような仕事をしていたかということです」  高橋はすこし、考え込んで、  「それが、私にも、よく分からないのです。わが藩の仕事ならば、私も知らされる立場にありますが、そうでない場合もある」  「そうでない、場合とは・・・。どういうことですか」  津田は、疑問を呈した。   「ご承知かと存じますが、今の世の中、どの藩も財政事情は苦しい。わが藩も事情は同じです。わが藩においては、殖産興業の政策から、農業だけでなく、例えば、藩士にも将棋の駒作りを奨励しております。温泉も出ますが、それを観光に役立てようと、知恵を絞っております。それでも、増大する財政負担を賄いきれない。とくに、物価の高い江戸は、諸般物入りでして、江戸詰めになると、財産をなくす、”江戸詰め貧乏”とまでいわれている。ですから、藩士の賄い仕事を禁止もできない」  津田には段々、見えてきた。  「すると、伊藤もその本業でない、脇の仕事をしていたと、言うのですか」  高橋が頷いた。  「ただ、詳しくはわからない。それぞれ、各人で、持ってくる仕事ですからね。どんな仕事を請け負っていたかは、本人しか分からないのです」  「それなら、なにか、部屋にでも書き付けとか、事情がわかるものが、残っているのではないですか」  「たしかに、言われてみれば、そういうこともあるかもしれない。ちょっと、待ってください。調べてみましょう」  高橋はそういって、立ち上がろうとしたが、津田は、それを制して、  「では、私も同行いたしましょう」  二人は、一緒に、伊藤の個室に赴いた。  部屋は綺麗に整理されていた。二人は壁際に置かれた文机の上の文書箱を、開けてみた。中には、数通の手紙や覚書や真っ白の半紙が数帳入っていた。  高橋が、まず一番上の手紙を開けてみた。天童に残した妻女からの実家の様子を伝える書状だった。  津田は二枚目を手に取った。やはり、藩士の同僚が、最近の天童城内の様子を伝えてきた手紙だった。  津田は続いて、和本のように閉じられた覚え帳を開けた。  そこには、一枚ごとに日付が記してあり、日記のようなかたちで、覚えが書き連ねてあった。  事件のあった日付を見てみると、  ーー 伊達藩、加瀬四郎次郎と門前にて待ち合わせーー とあった。  津田は、数日前を捲った。  すると、十日ほど前に、  ーー 長崎へ派遣した密使から連絡あり。伊達藩のことーー という記述が目に入った。  そのとき、高橋が、  「これだ。これが、証拠だ」 と声を上げた。  高橋が差し出すのを津田も覗いた。  それは、宛名が伊達藩としてある領収証書で、名目は  「吉原での始末の事」  金額は  「二十両」  となっていた。  「請負仕事の領収証書ですよ。金を受け取ってから、渡すつもりで用意したのでしょう。だが、金が入らなかったのか、渡さなかった」  高橋が言った。  「これで、伊藤と伊達藩の繋がりが、分かりましたな。だが、始末とは、なんのことか」  津田は疑問を呈したが、それを、高橋が知る由もない。  津田が手にした日記には、他にも気になる記述があった。  二十日程前に、  ーー 伊達藩重臣の長崎の所業について、探索を始むーー  とあったのが、津田の第六感に突き刺さった。    津田謙五は、以上のようは調べの結果を、公式文書にして、大目付けに報告した。  それを基にした幕府の決定は、  「各藩の藩士の処置は、各藩の自治に任す。今回のことは、幕府のお咎めなし」 だった。  江戸市中見回りには、庶民の社交の場への出入りも仕事のうちだ。  飯山梅之助は、浅草の蕎麦屋「更級」で、蕎麦掻きを肴に、飲んでいた。  その正面に座っている酒の相手は、幕府大目付き付きの与力、津田謙五である。  二人は、同じ旗本屋敷で育った幼友達だった。  津田が、飯山に酒を注ぎながら、話していた。  「先日、天童藩屋敷の門前で、果たし合いがあったろう。天童藩士の相手が、伊達藩士だったのは、分かったんだが、動機がまだ、不明なんだよ」  受けた酒を干して、飯山が応えた。  「あれは、久し振りに、見事な斬りようだった、というではないか。相当の使い手のようだな」  「それが、隠密頭で加瀬四郎次郎というのだが、あくまで、命令に従ったまで、というだけで、動機や理由を言わない」  「それは、仕方ないだろう。たとえば、藩主や上役の命令ならば、宮仕えの身として従わざるを得ないだろう。しかも、理由なんて、言わなくてもいい」  「とすると、江戸家老が、最高責任者だが、われわれは手が出ないからな。それで、天童藩に出向いて、物証を探したんだが、面白い物が出てきたよ」  「なんだね。それは」  「書き付けだ。一つは、領収書で『吉原での始末のこと』が、表書きになっていた。それから、備忘録があって、それには、いやに、伊達藩の件とか、長崎の件とか、書いてあったな」  「死んだ伊藤も、やった加瀬も裏の仕事をしていたのかい」  「そうだ。特に伊藤は、弱藩に仕えているだけに、いろいろと請負仕事をしていたようだ。本来は、御禁制なのだが、こういう世情では、仕方がないと、幕府を目こぼししている」  「その吉原での始末が、おれには、ちょいと、気にかかる。実は、もう、処断された事件だが、花魁殺しがあったろう」  「ああ、三浦屋の右京太夫だろう。あれは、世間で評判になったから、おれも知っているよ」  「下手人は、浮世絵師の安斎歌麿ということになって、既に、処刑された。だが、おれは、釈然としないんだ。どうも、動機がはっきりしない。油屋の美濃屋の不正取り引きを昵懇だった太夫から知らされて、それをネタに金を巻き上げたが、太夫が美濃屋に靡いたので、やっかんで殺した、とされたのだが、どうも、すんなりと納得できないだろう」  津田は頷いた。  「確かに、おかしいな。脅された美濃屋が、秘密を漏らした太夫を亡き者にしようというのなら、分かるが」  「それに、太夫の死骸が、品川の先の東海道に遺棄されたいたのも、腑に落ちない。歌麿一人で、化粧して着飾った太夫の死骸を、運んで行けるわけがない。おれは、複数犯か、死骸の運搬だけ手伝った幾人かがいるものと思っている」  「そう考えるのが、自然だ」  「だから、お前が言った、吉原での始末が、引っ掛かったんだ。夜の行動には、慣れている影の者が、請け負ったとしたら、納得が行くではないか」  「そうだ。いい考えだな。とすると、長崎は、どうなる」  「まったくわからぬ。ただ、伊藤が、伊達藩の隠密頭に切られたとすると、伊達藩と長崎には、何かの糸がつながっているのかも知れぬ」  「もし、お主が、この件をどうしても、解明したいのなら、長崎に行ってみる必要がありそうだな。俺には、特に、江戸家老の佐藤承吾と長崎の関係が、重要に思えるが」 「さすがに、切れ者の謙五だ。おれも、同じことを考えていた。よし、二人で、暇を願い出て、長崎行きと洒落るか」  「そうだな、おれもいまの仕事に、少々、飽きが来ていたところだ。少しばかり骨休めをしたい。箱根の温泉にでも入って、旅でゆっくりしようではないか」  二人の相談は整った。  二人は、「一カ月の休暇願」を提出し、遙か西を目掛けて、出発した。  長崎へは、船で行くことにした。  陸路、箱根の山越えも、楽しい旅になったろうが、  「それには、日数がかかる。われわれの旅は、半分は仕事だから」  飯山がそう主張して、品川の港から、船での旅を選んだ。  船は、江戸の沖あいを三浦半島の先に抜け、相模湾を進んでいく。それほど沖に出るわけではない。あくまで、沿岸に沿って、ゆっくり進むから、長崎までは十日程も掛かるはずだった。途中、難波の港と、博多に停泊する。  船の旅は、凪いでいればいいが、時化に会うと酷い物になる。  旅は、伊豆半島を抜けるまでは、快適だったが、駿河の沖あいにきて、嵐にあった。横殴りの強風が吹きつけ、船は左右、前後に大きく揺れた。  飯山と津田は、船倉の客室で、船酔いの体を、必死で、支えながら、この試練に耐えた。  「これは、酷いことになりましたな。だから、船はいやだと申したでしょう」  飯山が、不平を言った。  「いや、だから、船の旅は、面白い、こういう経験も貴重ですよ」  津田は平然としていた。  嵐も、一日で去り、紀伊半島の沖合に来たころには、再び、太陽が覗き、快晴に恵まれ、船は快調に進んでいった。  難波の港では、船は一日停泊し、乗客は町に繰り出した。  二人も、上陸し、町に出て、うどんを食べた。  「流石に、食い倒れの町だ。上手い物がたくさん揃っているな。商人の町だけあって江戸に比べ、歩いている人が、なんとなく、皆、華やかだ」  津田が驚きの感想を述べると、飯山は、  「こういう華美な風俗は、質実を旨とする武士には、似合わん。わたしは、江戸の方が好きだ」 と反論し、江戸、大阪の対立となった。  そうこうするうち、また、出航の時を迎え、船は瀬戸内海を西に進んでいった。  瀬戸内海には島が多く、船頭は船の進路を探るのに、寝ずの働きだったが、左に四国の山波を見て、壇の浦を抜ける頃には、乗客は船旅にもすっかり慣れ、あれやこれやと会話も弾み、知り合いも増えていた。  下関の海峡を通り、博多の港に到着したのは、満月の夜だった。  博多では、二人は、フグを食べた。  「江戸では食えないものを」 と、津田が提案し、乗り気でなかった飯山を誘った。  博多のフグ料理屋「稚家栄」で、本物の虎フグを刺身と鍋で食べた二人は、大いに満足して、船に帰ってきた。  翌朝、船は最後の目的地、長崎を目指して出航した。  あとは、一日の行程だ。玄界灘は難所で有名だが、この日は快晴で、順調に距離を稼いで、長崎港に入港した。  長崎の宿は決まっていなかったが、二人とも幕府の役人だから、長崎奉行所に出向いて、公用の宿泊所を紹介してもらった。  宿は、市内の唐人町にあり名前を「陣屋」と言い、一級の旅籠だった。  「陣屋」で、旅の支度を解いた二人は、先ず、今後の計画を話し合った。  「まず、すべきことは、伊達藩の佐藤承吾の足跡を探ることだろう」  飯山が、意向を述べた。  「そうだ、それと天童藩の密偵たちの動きだ」  津田が応じた。  「それには、やはり、奉行所で記録を調べるのが一番、手っとり早い。この地に逗留した諸藩の人物の人別帳があるはずだ。そこで、佐藤が滞在していた住所とか、出所していた部署を調べればいい」  「しかし、伊藤ら天童藩の動きは、難しい」  「それも、所詮は、佐藤の周辺を探れば、出てくるだろう。安心して、長崎の町を楽しもうではないか」  津田は、あくまで、楽天的だった。  心配症の飯山も、この楽観主義に押されて、  「そうしよう」 と相槌を打っていた。  とは言うものの、働き者の二人である。  翌日は早速、長崎奉行所に出掛けていって、人別帳を調べた。  大体、当たりを付けたのは、十年から、二十年前の帳簿だった。  番所の一室に山のような書類が、持ち込まれ、二人は、  「これは、大仕事だ、今日、一日では無理か」 と考えたが、とにかく、山のなかから、佐藤承吾の名前を見つけようと、検索に取りかかった。  手掛かりは、この名前と伊達藩士の肩書、それに滞在目的の遊学また留学の記述である。この三つが、揃っていれば先ず、本人だと見ていいだろう。  二人は、文机に向かって、黙々と、調べを始めた。  「しかし、このように諸国からいろいろな人が、この地に来ているとは、驚きだな。さすがに、国際都市だ。医学の勉強、オランダや中国との商品取引、交易、貿易、オランダ語の学習、それに画業の習練などというのもあるぞ」  「こちらには、遊芸、接客業の女の記録がある。中には、外国の名前の女もいるよ。これは、ジャワやスマトラからの出稼ぎ女性だ。鎖国の世に、これほど、交流が盛んなのは、さすがに長崎だな」  飯山と津田は、そんな会話を交わしながら、書類を、次から次へと見ていった。  昼飯は、奉行所の賄いが用意してくれた。一汁一菜の簡素な物だったが、急いでいる中での、異国での食事だけに、二人とも満足した。  午後から取りかかった調べで、飯山が、注目すべき発見をした。  「おい、これは、面白い」 と、津田に差し出した書類は、安斎歌麿の在籍記録だった。  「長念寺に滞在していて、そこの僧侶、無念が、身元引受人になっている」  そこには、歌麿の本名で、 「安斎藤一郎、長念寺在ーー」 とあった。   「長念寺とは、わたしも噂に聞いたが、漢画が盛んで、沢山の画人が滞在して、学んでいるというよ」  「お主は、画にも詳しいのか」  「いや、少し、手素錆にやっているのです」  「それは、知らなかった」  飯山は、安斎の記録を、懐紙に記録した。  佐藤の記録はなかなか、見つからなかった。  そろそろ、日が落ちて、奉行所の役人も、帰宅の支度を始めた。  役人の一人がやって来て、  「遠路はるばるやって来られて、よく、根が続きますな。感服いたします。ところでそろそろ、役所を閉めますが、そのまま、お続けになりますか」 と聞いてきた。  「まだ、求めていた物が見つからないのですが。もし、よろしかったら、明日にでも出直しますから、ここは、このままで、置いておいてよろしいでしょうか」  飯山が尋ねた。  「そうですね。このまま、続けるより、そのほうが宜しいでしょう。お二人もお疲れのようですしね。では、戸締まりをして、出ましょう」  役人は、飯山の申し出を了承し、火を消して、戸締まりをして、役所を後にした。    「陣屋」に帰って、二人は、広い風呂場で汗を流したあと、町に出た。  それは、オランダや中国との貿易が行われている、出島を見ておきたかったためだ。そこは、市街地を外れた港の中に張り出していて、出入りの許可証を持っている者しか出入りが出来なかった。  二人は、出島へ渡る木戸のところまで行って、引き返すしかなかった。  立ち止まった場所から、遠く望まれる出島には、左の方に二階建ての大きな建物が見えた。赤々と明かりが灯り、まさに紅楼の華やかさを発散していた。  「あれが、有名なオランダ島の遊廓だ」  津田が、飯山に教えた。  「凄い女が揃っているそうだよ。異人の女や混血娘もいるそうだ。洋風の服を着て、洋風の部屋もあるという。一度でいいから行ってみたいものだな」  津田は、あくまで好奇心が旺盛な男だった。    翌日、再び長崎奉行所に出向いた二人は、前日と同じように、書類を山積みした部屋に入り、佐藤の名前を探し続けた。  すると、津田が、  「おい、あったぞ。伊達藩士、佐藤承吾。十二年前に、伊達藩の留学生として、当地に来ている。逗留場所は、あれ、歌麿と同じ長念寺だ」  「なに、佐藤も画を学びに来たのか。そんなはずはないな。武士だからね」  津田は、佐藤の記録を模写して、懐紙に記録した。  二人は、全ての記録を整えて、役所の役人に返還し、奉行所を出た。  「こうなれば、その長念寺へ行ってみるしかないだろう。住職にでも話を聞けば、何か分かるだろう」  津田が提案した。  「そうしよう。今日のところは、ゆっくり休んで、明日にでも出掛けよう」  飯山が、そう返答して、二人の翌日の行動計画が決まった。    長念寺は、長崎市街の北東、長崎山の麓から山頂までを境内に持つ大寺院だった。  大きな門を潜って、社務所を訪ねた二人に、社務所の修行僧は、  「逸念大僧正は、ただいま、お弟子さんたちに、教授中でございます」 と告げた。  「それでは、その授業の様子でも、見させていただきますかな」  飯山が申し出た。  「それは、結構でございますが、大僧正に伺ってまいります」  そういって、修行僧は、奥へ戻っていった。  修行僧が帰って来るまで、二人は、伽藍を散歩した。  一番奥に本堂があり、左右に、修行僧の宿舎である一の坊、二の坊が配置されており左手の奥には講堂があった。  境内は、樹木に覆われ、本堂の左横を通って、山の頂きのほうに、奥の院があるのがその方向を示す標識によって、知れた。  時折、カッコ−の鳴き声が、山を降りてきた。山の頂きは、いまは、薄い雲に覆われその高さがしのばれた。  二人が、境内を散策しているうちに、先程の修行僧が戻ってきて、  「大僧正は、お会いになるそうです。こちらへ、お出でください」 と、道を先導した。  宿坊の内部は、渡り廊下で繋がっていて、先程の社務所から、北へ向かい、突き当たりを左に折れて行くと、そこに、  「壇林派絵画師範」 の看板が掛かった小さな建物があった。  それは、数寄屋造りのしもたやで、内部に入ると、十畳ほどの座敷があり、そこで、十数人の生徒が、机に向かい、しきりに筆を動かしていた。  その中央辺りに、浅黄色の僧衣を纏い、手を後ろ手に組んで生徒の作品を見ている僧侶の姿があった。丸めた頭は、血色がよく赤く光っていた。歳のころは、六十歳の半ばを過ぎた当たりかと思われたが、飯山の計算では、八十一歳のはずだった。  大僧正は、二人の入ってきたのには、目もくれず、ただ、ひたすら生徒らの作品を見て回り、添削を施していた。  飯山と津田の二人は、部屋に腰掛けて、授業の様子を見守った。  大僧正は、全部の生徒の作品を見終わると、  「本日は、これまで。次までに、彩色して来てください」 と言って、授業を終えた。  それを、見計らって、二人は、大僧正の方に、歩み寄り、自己紹介と、会見の趣旨を伝えた。  「そういうことなら、僧坊でお話ししましょう」  大僧正は、二人を先導して、僧坊の客間に案内した。  先程の、修行僧の若者が、茶と和菓子を乗せた盆を運んできて、大僧正と、二人の客の前にしつらえた。  「まあ。お茶をどうぞ」  進められるままに、茶で喉を潤した二人は、  「さすがに、素晴らしいお茶ですね、これは。玉露ですか」 と、当たり障りのない話題から、話を始めた。  「どうも、有り難うございます。ですが、これは、玉露ではないのです。中国の山東省産のお茶です。ここ長崎は、貿易の町ですからね」  大僧正は、取って置きの茶を褒められて、相形を崩した。  それを見て取った飯山が、さっそく、目的の話題に持っていった。  「実は、こちらをお訪ねしたのは、十数年前に、こちらにお世話になっていたと思われる人物について、お話しを伺いたいと思いまして」  「拙僧は、この歳だが、教えた弟子のことは、大体、覚えている。どなたですかな」  老師は記憶に自信がありそうだった。  「ええと、伊達藩の藩士で佐藤承吾という名の者ですが」  「ああ、それは、良く覚えておる。忘れようとしても忘れられるものではない。私の弟子のなかでも、五指に数えられる出来のよい者だった」  「佐藤氏は、どの様な人でした」  「わしのところへ、画を習いにきたのは、あくまで、趣味の上でじゃ。佐藤さんは藩の留学生として、長崎に来た。オランダ語を学ぶためだな。伝があって、当寺が宿坊を宿に提供した。毎日のオランダ語学習の合間に、画の修行を始めたのだが、上達はすこぶる速かった。いい画を描いたよ、佐藤さんは」  「すると、絵画にも秀でていた」  「そうだ。わしの流派は、唐様の風景画を主体にしているが、墨画の手法はあっという間に、仕上げて、次に、オランダ由来の西洋画を学びたいと言いだしてな」  「西洋画ですか」  「私には、無理だから、しかるべき師匠を紹介した」  「長崎には西洋画を教える所もあるのですか」  津田が、疑問を差し挟んだ。  「ある。いずれも元をたどれば、出島の西洋人の画師から、学んだものだが。町には今でも、五人ほど、西洋画を描く画師がいる」  「佐藤は、そのうちのだれかに習いに行った」  「いや、西洋画は西洋人に学びたい、と申してな」  「はっ」  「わたしも、佐藤の才能は、買っていたから、どうにかして希望を叶えてやろううと考えた」  「策を練った」  「そう。それで、出島の西洋人の弟子たちに、出稽古に行くという名目にして、佐藤を出島にやることにした」  飯山はそれを聞いて、納得した。  「こちらの画を教える代わりに、西洋画を学んでくるのですね」  「そういうことだ」  「それはいい考えだ」  津田が、感心してみせた。  「だが、それが裏目だった」  「裏目とは」  飯山が訝った。  「かれは、一月ほどで、西洋女に惚れてしまった」  飯山と津田の二人は、大僧正の話の意外な展開に、目と目を見合せ、睫毛を瞬いた。 大僧正は、話し好きらしく、そんな二人に構わず、話を続けた。この話は、この人にも相当な意外性で、誰かに話してみたくて仕方がないようにも、感じられた。  「相手の女は、オランダ商館の館長の長女で、アネットとか言った。私も見たことがあるが、すらっと背が高く、色白でーーもっとも、西洋女は、みな、色が白いのだがーー、髪は金髪、鼻が高く、瞼は二重で、目は碧く、まるで、天女のようだった。だから、佐藤が一目惚れしたのも無理はない」  「そんなに美女なのですか」  「それは、当時のオランダ商館では、一番だったろう。裾の長い西洋の着物を着て、西洋日傘を差した姿は、何枚もの画に描かれているよ」  大僧正は、そこで、納戸に立っていき、一巻の巻物を手にして戻ってきた。  「これが、そうだ。お供の黒人を従えて、町中を歩いている婦人が描かれているだろう。それが、アネットじゃよ」  二人は、巻物に見入った。  「たしかに、相当な美形ですな」  「そうだろう。アネットの方は、初めは、新しい画の先生くらいにしか、思っていなかったようだが、恋い焦がれた佐藤は、一計を案じた」  「どうしたのですか」  「それは画を教えるときに、わざと無視したり、厳しく当たったのだ」  「恋の技術に長けていたのですね。佐藤は」  「どんなに上手く出来ていても、良くできた、と褒めない。色々と難癖を付けては、描き直させたり、破り捨てたりした」  「それで、西洋女は」  「これも、小さいころからちやほやされて、育っているから、そんなに厳しくされた経験がない。気が強いし、誇りも高いから、必死に頑張って、褒められようとする」  「そうでしょうな。とくに、蔑視している日本人に無視されたりすれば」  「それで、泣いて、個人授業を願い出た」  「佐藤の思う壺だ」  「そう。そうして、個人授業では、佐藤は、女に精一杯優しくした」  「もう時間の問題だ」  「個人授業を始めて、そう間もないあいだに、二人は恋仲になり、佐藤は本望を遂げたのだ」  「そこまで、よく御存知で」  「そう、そこまでは、佐藤が話したが、それ以上は知らない」  「それ以上とは」  「そうなってから、程無くして、佐藤は、伊達藩に召し帰された。オランダ語の勉強もまだ、中途半端だった、と言っていたのだが」  「その、外国女との関係が、知れたのですかね」  「そうかも知れんが、そのことを知っているのは、ごく少数の者だけだぞな」  「しかし、この鎖国の世で、そういうような関係は、知れたら、致命傷ですからね」 「確かに、宮仕えの身では、大事に違いないな。しかし、それでも、そういうことがあったのは、事実なのだ」  大僧正は、語気に力を込めて、断言した。  ひとしきりの話に、切りが着いたと見て、飯山は、もう一つの疑問を、老僧にぶつけた。  「もう一つ、お伺いしたいことがあります」  大僧正は一息、付いて、お茶を飲み干し、  「なんじゃろう」 と答えた。  「そのころ、もう一人、浮世絵師が、当地にお世話になっていたはずですが」  「ええと、名は何という」  「本名は安斎藤一郎、画号は、歌麿という者ですが」  「安斎というと、二の坊に滞在していた与之助が、そんな名を名乗っていたことがあったが、それのことかな」  「江戸の町人ですから、名字があるわけもございませんが、奉行所の人別帳には、安斎藤一郎という名があったものですから」  「では、与之助のことかも知れない。わしは、教えたことがないが、宿坊に浮世絵が上手い町人が泊まっていると言う話は聞いたことがある。画を学ばなくとも、宿坊は泊まりたい人には解放しているから、旅の人が逗留することもあるのだよ」  「無念という方が、見元引受人になっているはずですが  飯山は、重ねて聞いた。  「無念か。それは、一時、わしの弟子だったことがあるが、墨絵は向かないといって途中で、断念した男だ。ついでに僧侶の修行も止めてしまった。たしか、西洋画をやりたいといっていたはずだが」  「それで、どちらにいるかは分かりませんか」  「それは、市内にいるのではないかな。西洋画を教えている、と聞いたことがある」 「そうですか。分かりました。どうも、貴重なお話しをありがとうございました」  「ところで、あなた方は、本当に、幕府のお役人かな」  「はあ、と、申しますと」  「実は、一月ほど前にも、幕府の役人だ、と名乗る侍が、訪ねてきて、佐藤のことを、いろいろと、聞いていった」  「名前を名乗りませんでしたか」  「そう言えば、伊藤某とか、言っていたように思うが」  「そうですか、解りました。お忙しいところを、ありがとうございました」   二人は丁重に例を言い、寺を辞した。    帰り際の道々、津田が、飯山に疑問を呈していた。  「佐藤が、西洋女と昵懇になってから、すぐに、藩帰しになったのは、それが、知れたからだろう。それにしても、そのアネットとかいう女は、その後、どうしたのだろうな」  「それも、奉行所で分かるだろう、昨日までは、外国人の人別帳は見ていない。まさか、こんな事態になるとは、思っても見なかったしね。さっそく、明日にでも、奉行所に行って、調べてみよう」  「伊藤というのは、天童藩の伊藤太一郎に違いないな」  「そうだろう」  「やつも、佐藤の秘密を探っていった」  「そのとおり」  長念寺からの長い下り坂を降りながら、二人は、翌日の計画を決めた。 翌日、二人は、再び、長崎奉行所を訪ねた。  やはり、先日の役人が、出てきて、用件を聞いた。  子細に、説明すると、役人は、  「分かりました」 と言って、二人を、以前の部屋に案内し、書類を運んできてくれた。  「外国人の人別帳は、人数が、そう多くはないですから、すぐに見つかりますよ」  役人は、そういって出ていった。  それでも、三十冊くらいにはなりそうな、書類の山を前にして、津田は、   「また、書類の山と格闘か」 と溜め息をついた。  「仕方がない。やろうではないか」  飯山の掛け声で、二人は、文机の前に座り、検索を始めた。  外人の人別帳は、横文字の発音を聞いたとおりに、片仮名で書いてあった。  「十年程前のから、見ていこうではないか」  飯山の呼び掛けに、津田も答えて、そのころの物を中心に、調べに掛かった。  昼頃になって、飯山が、  「おい、あったぞ。アネット・シーボルトンだ。これが書かれたときは、年齢二十一歳とある」  飯山の差し出した帳簿を、津田も覗き込んだ。  「それから、父親と母親が書いてある。父親は、オランダ商館長で、名前はマルク・フォン・シーボルトン、年齢四十五歳。母親は、マリー・ルイザ・シーボルトン、年齢四十二歳とある」  津田が、帳簿をひったくって、眺め入った。  「おい、それだけではないぞ。アネットの脇に子供の名前が、あるではないか」  津田の指摘に、飯山が、再び帳簿を取り帰して、  「確かに。名前は、エミー・恵美・シーボルトンだ。二歳とある」  「それは妹ではないのか」  「いや、妹は十八歳で、名前はエリカ・シーボルトンだ。姉のすぐ脇に書いてあるではないか」  「すると、エミーは、誰の子だ」  「それは書いてないな。いや、私生児との注意書きがあるよ」  「すると、アネットの子供か」  「そうだろうが、エリカのかもしれない」  「ところで、出国記録を見てみよう。いつまで、出島にいたのか」  飯山は、出入国の記録帳簿を探した。  「えーと、これだ。それから、五年後だな。四人で出国している。夫婦と娘二人だ」  「すると、エミーはどうしたのだろう」  「死んだのではないか」  今度は、人別帳のそのころの記録を見ていった。  物故者の欄には、エミーの名はなかった。  今度は、住所移動の記録を見ていった。  すると、  「出島」の欄に 「塩野恵美、米沢藩村山郡の庄屋、大野多佐エ門に養女。七歳」 とあるのが、見つかった。  「これだ。これに違いない」  飯山が叫んだ。  「混血の子は、米沢に養女にやられたのか」  津田も呻いた。  「さあ、これで、かなりのことがわかったぞ。あとは、佐藤とアネットに何があったかを調べるのと、安斎与之助の当地での行状を知ることだな」  「それには、出入りの商人か、遊女屋が手っとり早いだろう。それとも、出島掛りの役人かな」  「噂に耳聡いのは、商人だろう。それとも、医者かな」  「医者とは、またなぜ」  「子供を生んだのだから」  「しかし、西洋人の医者が診たのではないか」  「そうか。では、遊女屋で探ろう。世間の裏話には、遊女屋が一番だ」  「おれは厭だ。お前頼む」  飯山は固持した。  「相変わらずの堅物だな。よし分かった。おれ一人で行ってくるよ。そのかわり、お代は割勘だぞ」  津田の申し出に、飯山も頷いて、話は決まった。  飯山は、言わなかったが、飯山は、独自に安斎の当地での行状を探る積もりだった。特に、無念との関係は、放っておけないと考えた。  (無念の行方を突き止めて、話を聞こう)  飯山は、津田が遊廓で遊んでいる間に、その仕事をやってしまう積もりだった。    津田は、その夜、市内随一の楼閣「松野屋」に上がった。  検番に、  「出島の遊廓で働いたことのある妓を」  と言ってあったから、そういう条件に会った妓が、選ばれて来るはずだった。  女将に導かれて、二階に上がった津田は、出された酒を殆ど飲まずに、女の入ってくるのを待った。  半刻ほどして、廊下側の襖を開けて現れたのは、三十歳に手が届きそうな、女盛りの遊女だったが、飯山が、、  「出島の娼館にいたことはあるか」 と尋ねると、  「はい、二年ほど前までおりやした」 と答えたので、安心した。  「名前は何という」  「はい、守奴と申しやす」  「ところで、守奴。早速だが、少し、尋ねたいことがある」  津田も堅物だった。遊びの座敷で、鯱ほこばって、いきなり、そう言われた守奴は、緊張した。襟を正して、正座し、  「なんでも、ほら、聞いて下さいまし」 と受けた。  「出島の商館の西洋女で、合いの子を生んだ女を知らないか」  「おやまた、突然の話で、びっくりした。合いの子って、日本人とのかい」  「そうだ。日本人と西洋女との合いの子だよ」  「ええと。ちょいとまってくんなまし。そうだ。そういえば、五年くらい前に、オランダ商館長の娘が、そんなことになったって、聞いたことがあるな」  「相手については」  「なんでも、絵の先生とか言うことだったんじゃないかい」  「すると、出島に出張教授に来ていた者だな」  「そうだろうかな」  「名前は分かるか」  「知らないが、なんでも、遠くの方の藩のお武家さんだ、とかいうことだったよ。でも、子供が生まれたら、すぐ、居なくなってしまった」  「その子はどうなった」  「どこかへ貰われていった、という話だな」  「西洋女は、どうしたんだ」  「家族で、国へ帰ったさ」  「それで、二人は、終わったのか」  「終わったもなにも、その西洋女は、そのお武家さんを、好きだったわけではないのさ。本当に好きだったのは、他の男。それは、有名な話だよ。廓でも、そんなに愛しい人がいて、他の男の子を生んでしまうなんて、西洋の女はふしだらだ、と私達の間でも話になったもの」  津田はこの話には、少なからず、驚いた。  「好きだった人は、どんな男だ」  問い詰めるように聞いた。  「なんでも、同じ絵を習っていた人で、遊び人だったらしいよ。でも、浮世絵を抜け出してきたようないい男だったというよ」  「見たことはあるか」  「それは、無理だよ。わたしは絵なんて、まるで縁がないもの」  その件の会話はそれで終わった。  津田は、目的は達した、と考えて、守奴相手に酒宴と歌で盛り上がり、その晩は泊まりを取った。  飯山は、無縁の消息を尋ね歩いた。絵の師匠を看板に掲げる家を、一軒一軒当たっていった。だが、「西洋画教授」を掲げる所は、少ないので、この探索は、そう難しいものではなかった。  五軒程、尋ね歩いたところで、  ーー 無念は名前を、狩野丹石に変え、丸山町に住んでいるーーことが分かった。  飯山は、狩野の家を訪ねた。  たしかに、倒れそうな茅門に、「西洋画教授」との墨で書いた立て看板が、掛かっていたが、生徒が居る気配はなかった。  飯山は、門の戸を開けて、玄関に進み、  「先生はご在宅ですか」 と大声で、呼びかけた。  数度の呼び掛けのあと、白髪に長い顎髭を伸ばした、猫背の老人が現れ、  「なにか、御用かな」 と迎えた。  「先生でございますかな」  「そうだ、この家の主の狩野丹石だ」  「先生は、依然、無念と言う名で、長念寺におられたことは、ございますか」  「そういうことが、あったこともある」  「そうですか、やっと、訪ね当てた。すこし、お話しを伺いたいことがありまして」  丹石は、飯山を家に招き、客間で、対座した。  「早速ですが、先生が、見元引受人になっておられた、安斎歌麿、ではない藤一郎、俗名で、与之助のことで、お話しをと」  「与之助か。あのうつけものが」  「はあ」  「恩知らずの、馬鹿者だ。あいつに目を掛けたわしが、馬鹿だった。今頃は、米沢の奥山で、野たれ死んでいることだろう」  「それは、確かに、死にました」  「やはり、死んだか。長生きは出来ない者とは思っていたが。やはりな」  「その、与之助のこちらでの行状をお伺いしたいと」  「そうか。分かった。じっくりと、ゆっくりと全て話してあげよう。よーく、聞きなされ」  狩野丹石は、一杯のお茶をゆっくりと飲み干し、静かに語りはじめた。    ーー 私が、与之助に会ったのは、眼鏡橋の袂だった。私は、そのころ。長念寺で修行中の身で、もっぱら、僧侶になろうと思っていたのだが、念逸師に出会ってから、考えを改めた。  大僧正の素晴らしい墨絵の作品を見て、画業の道に志を変えた。逸念師に、弟子入りし、必死で、修行に励んだ。  その甲斐あって、師もわたしに目を掛けてくれ、寺の第二坊の責任者に抜擢されていた。弟子も少しずつ増えていったが、わたし自身は、墨絵の上達に限界を感じ、なにか新しい手法を、と限界を打破する道を探っていた。  そんな時に、わたしは、与之助に遭遇したのだった。  与之助は、橋の袂で、写生をしていた。用事があって、通りかかったわたしは、ふと覗き込んだが、その画を見て、その余りの見事さに、圧倒されてしまった。  筆使いと言い、色の使い方と言い、墨絵の世界とは、まったく異なる世界が、そこにあった。  わたしが、茫然としていると、与之助は、  「そこのお方、どうしました。大丈夫ですか」 と声を掛けてきた。わたしは、われに返り、  「あまりに、素晴らしい絵なので、感動しました」 と言った。  与之助は、それまで使っていた絵筆を口にくわえ、右手に新しい筆を持ち替えて、仕上げに掛かっていた。  「申し訳ないが、お名前を教えてくれませんか」  わたしの申し出に、与之助は、  「名もない町の絵描きです。名乗るほどの者ではない」 と取り合わなかった。  「失礼しました。私の方から名乗らなければいけない。わたしは、長念寺の画僧で、無念と申します」  「寺におられるのですか。それでは、ちょいと、お願いしたいことがある。私は、宿なしの無一文です。差し支えなければ、お寺のお堂にでも、一宿の凌ぎをさせていただけないか」  与之助は、丁寧な言い方で、頼んできた。  私の方は、いつでも開いている宿坊ですから、異論はない。このような、優れた技を持つ画師を招待し、その技の秘密の一端でも教えて貰えれば、言うことはない。わたしは、二つ返事で、与之助の申し出を受け入れたのでした。  宿坊に来て、最初は、数日、滞在の予定が、私と与之助はすっかり意気が投合したため、いつしか、十日が過ぎ、二十日が過ぎ、一月も長居して居ることになった。  与之助も、  「一年くらい、じっくり、腰を落ちつけて、画の勉強をしてみたくなった」 と言うようになった。  私は、食事と寝場所の世話を見るくらいはた易いことなので、喜んで、この気持ちを受け入れた。いろいろと、学ぶこともあったし、与之助も、墨画の技法の習得に熱心だった。それで、奉行所にも、滞在の届けを出したのです。  わたしと与之助は、親密になり、いろいろと身の上話もしました。  その中で、わたしが覚えているのは、与之助が、  「おれは、親の情けを知らないんだ」 と、寂しげに言ったことです。  わたしが、  「それは、どうして」 と問うと、自分から、身の上話を始めたのです。  「両親は、米沢で、表具師をしていたが、親父は、四歳のころ、病で死んだ。おふくろは、親父と別れて、実家に帰り、一年ほどして、町の犀ころ打ちと駆け落ちした。だから、おれは、おふくろの実家で、祖父母に育てられた。二人とも、金貸しをしていて、金はあったし、孫はおれ一人だったから、なに不自由しなかった。画を描きたいと言えば、絵の具や画具をいくらでも買ってくれた。でも、親の愛はなかった。それだけが、おれには、どうしようもないことだったんだ」  「仕事はしなかったのかい」  私が聞くと。  「仕事なんて、する必要がない。それで、おれは、諸国放浪の旅にでることにして、絵の具と少しの金銭を持って、家を出たのだ」  かれは、  「少しの金銭」 と言ったが、わたしの会った時でさえ、十二両も持っていた。生活には不自由しない身だったのだ。  宿坊に滞在するようになって、一年を過ぎたころ、与之助は、  「新しい画の手法が学びたい。とくに、長崎にしかない西洋画の手法を」 と言いだした。  わたしも、それまでの南画には限界を感じていた頃だったから、  「わたしも学びたい。一緒に、やろう」 と与之助を誘った。  西洋画を教えるところは、何といっても、出島のオランダ人の画師が最高だ。われわれは、特別の入場許可証を得て、出島に通うことにした。  それは、楽しい思い出です。そこには日本でありながら、まったく日本とは違う生活があった。十日に一度の稽古でしたが、その日が待ち遠しかった程です。  与之助も、見違えるように熱を入れて、必死で、西洋画の手法を身に付けようとしていた。油絵の具と厚い布地の画布を使うのですが、それまで、親しんできた日本画とは筆使いからしてまったく違う。下絵も木炭で描いて、描き直しは西洋菓子のパンの食べ残しを使って、消してからする。それは、同じ画でも全く違う種類のものでした。  わたしと与之助は、この絵画に有頂天になった。画布は、簡単に手に入らないから、描いては消し、描いては消して使う。それに、何枚描いたか分からないほど、沢山描いたものです。  同じ先生に習っていたのには、出島住まいの西洋人もいました。妙齢の美しいご婦人もいた。また、逸念師の高弟だった、伊達藩士の佐藤とかいう方も、手習いに来ていました。  何回も顔を合わせ、同じ先生から学んでいる、同窓の弟子ということで、生徒であるわたしたちは、すぐに、仲がよくなりました。オランダ人の女性とも、言葉は分からないながら、身振り手振りで、意思を伝えあい、気持ちも通じていた。それに、なにしろその画は女たちの国のものだから、われわれは教えてもらうことが多かった。  なかでも、与之助は、熱心で、しばしば、女たちに詳しく手解きを受けていた。  そのうちに、わたしは気がついたのだが、与之助が、教えを請い、与之助に教えようとする女性が、決まった一人になっていた。それは、オランダ商館館長の娘のアネットという女性だった。  わたしは、与之助に、  「アネットとは、どういう関係なのだ」  と尋ねてみた。  かれは、  「段々、恋しくなってきたみたいだ。女もそうだと思う」 と言ったのです。  わたしは、  (これは、大変なことになった) と、危険を感じた。なにしろ、鎖国のこの国では、外国人との恋愛など、ご法度ですからね。下手をすれば、死罪だ。しかも、一介の庶民が、そのようなことをしたら、命がない、と思っていいからです。  わたしは、与之助に、  「火傷をするから、止めておいたほうがいい」 と、説得したのですが、燃え上がった、恋の炎は、そう簡単に消えない。そこで、わたしは、伊達藩士の佐藤某に、相談を持ちかけたのです。  侍ですから、この人から説得してもらえば、与之助の逆上せも覚めるものと期待したのです。  ところが、説得役のその佐藤さんが、こんどは、アネットの色香に惑わされてしまった。すなわち、二人の恋争いになってしまったのです。  わたしは、これには、すっかり、困ってしまった。  そのうちに、アネットは、画の稽古に来なくなってしまった。なんでも、重い病気に掛かって、自宅で療養している、という噂だったが、それなら、病気が直れば、出てくるはずだと、思っていたのに、とうとう、一切、顔を見せず、来なくなってしまったのです。  それと、同時に、与之助と佐藤さんの恋の鞘当ても収まり、同じ陸奥地方の生まれということもあって、二人は、かえって、親密さを増したようでした。わたしが与之助に  「一緒に、出島に行こう」 と誘っても、しばしば、  「佐藤さんと、用事がある」 と言うようになった。  そんな時が、半年も続いたあと、私は、  「アネット一家が、帰国した」 という話を聞きました。  そして、与之助も、  「そろそろ、国へ帰ろうかと思う」 と言いだした。  佐藤さんは、  「留学の期限が明けた」 と伊達藩に帰っていきました。  そして、私は、この町に出て、洋画の塾を開いた。  そんなところですね。与之助の話は。  ああそうだ、それから、三年ほどして、与之助が、わたしを訪ねて来たことがある。 『外に、連れを待たせてある』 と言いながら、  「お世話になったことは、忘れはしません」 と、餅菓子を持って訪ねてきたのです。その時は、与之助はそわそわして、腰が落ちつかない様子で、すぐに帰ってしまったが、気分は高揚している感じで、なにか、嬉しそうでしたーー。  丹石の話を聞きおわって、飯山は、二、三の質問をした。  「与之助は、西洋画をどの程度、習得したのかね」  「それは、素晴らしい進歩で、先生も驚いたほどです。われわれの仲間で、与之助の右に出るものはいなかった程です。かれは、手本の天使の画をほぼ、完璧に模写したほか、婦人の裸の画も上手かった。まるで、本物の美女がそこにいるような写生画を描いていた」  「佐藤の方は」  「佐藤さんは、墨絵の技術は一級品だったが、西洋画は、苦手のようでしたね。いつも、絵の具の使い方がうまく行かない、と嘆いていました。だから、与之助と佐藤の間が、親しくなったのは、画の縁ではなないですね。やはり、アネットを挟んだ三角関係による男同士の友情だったのではないでしょうか」  飯山は、納得した。  「長い話を、どうも、すみませんでした」  礼を言って、丹石宅を辞去した。    「陣屋」に戻って、飯山と津田は、互いの「調査」の結果を、検討してみた。  「驚くことに、歌麿と佐藤は、同じ先生に西洋画を習っていたんだ」  飯山が、言った。  「そして、そこに、オランダ商館館長の娘、アネットも習いに来ていた」  津田が応じた。  「そして、アネットは、二人と成さぬ仲になった」  「そうだ。子供も生んだようだな」  「そうしたら、すぐに帰国した」  「二人の男も、国へ帰り、三年後に、歌麿だけが、長崎に帰ってきた」  「これは、どうみても、後始末だな」  「そういえば、子供は、どうしたのだろう」  「だから、養女に出されたのだよ」  「違うよ。誰の子かということだ」  「それは、分からん。ただ、米沢に連れていったのだから、歌麿、ではない与之助なのではないか」  「そうとはいえない。佐藤の子という可能性も拭えない」  「だが、とにかく、与之助が、引き受けたことは確かだ」  「米沢で、何があったのか」  「その子はどうなったのか」  「米沢で調べてみる必要がある」  「その通りだな」  二人は、暮れの大晦日の十日前に、江戸に戻った。江戸の町は、師走とあって、人々はみな、忙しく道を行き交っていたが、二人は、長旅の荷を解いて、家でゆっくり寛ろいだ。そのため、結局、正月の準備は、妻女らに任せきりになった。      米 沢 へ  正月三が日を、役所の挨拶回りや親戚への年賀の訪問で過ごした、飯山は、四日に、南町奉行所へ、出所した。  まず、取りかかった仕事は、長崎出張の報告書つくりだった。   [一、吉原、三浦屋の右京太夫殺害の犯人として、処刑された浮世絵師、安斎歌麿こと藤一郎、俗名、与之助は、長崎の名刹、長念寺に、滞在していたことがある。  二、その同じ時期に、伊達藩士、佐藤承吾は、藩のオランダ語留学生として、同寺に滞在し、墨絵も学んでいた。  三、二人は、西洋画の習得のため、出島の西洋人画師方に通っていた。そこで、知り合ったオランダ商館館長、カピタンのマルク・フォン・シーボルトンの娘、アネット・シーボルトンと深い仲になり、アネットは、娘を生んだ。名前は、エミー・恵美・シーボルトンで館長家族の帰国後、米沢藩の庄屋に養女に出されている。ちなみに、安斎の出身地は米沢である。  四、館長家族の帰国後、二人は故郷に帰った。    以上のことから、安斎と佐藤の間は、相当親密な関係と推量される。特に、アネットを巡っては、二人は愛憎あい混じる複雑な関係になったものと思われる。その関係を探るには、ぜひとも、エミー・恵美・シーボルトンとその周辺の関係者から、事情を聞く必要があると考えられる]    報告書は以上だった。    飯山は、これを、長岡近江に提出した。そして、  「米沢に行って、調査をすべきだと思います」 と申し出た。  三日ほどして、長岡から、下命があった。  (十手持ちの松五郎を伴い、米沢に出向いて調査を続けることを命ずる)  飯山は、松五郎を呼んで聞いた。  「一緒に、旅をするかい」  「もちろんでさあ。お供しますよ」  松五郎は、渡りに船と、答えた。  「しかし、北国の冬は寒いぞ。雪は深いし、奥州街道では山越えもある」  「そんなに、脅さないでくださいよ。あっしは、生まれつきの江戸っ子ですから、寒いのは大の苦手でして」  「では、やめるか」  「それは、後生ですから、言わないでください。こんな機会は、もう二度とないでしょうから、やりますよ。完全武装で、寒さを凌げばいいんだ」  「よし、決まった。出発は、二日後だ。それまで、十分な準備をしておけよ」  飯山は、そう宣言して、松五郎を激励した。  松五郎は、浅草の「萬屋」に行って、旅支度を整えた。  まず、草鞋を五足。それに、阿弥陀傘と蓑、腰に巻いて歩く布製の物入れを買った。それに、藤製の弁当入れ、あとは、衣類を揃えればいい。  女房のお七は、  「なんで、そんな遠いところへ、この寒いなか、行かなくてはいけないんだい」 と、親分を詰ったが、親分は、  「それが、男の仕事だい。飯山様から誘われて、断るわけにはいかねえじゃないか」 と、啖呵を切った。  それでも、お七は、  「北国は寒いよ、雪も深いというじゃないか。お前さん、本当に気をつけて行っておくれよ」 と、女房らしい、気遣いを見せ、渋々、出発の手伝いをした。  いよいよ出発の日の朝になって、お七は、神田明神のお守りを渡し、  「肌身離さず、持っているんだよ」 そう言い添えるのを忘れなかった。  本郷の「江戸屋」前で、飯山と待ち合わせて、いよいよ、中仙道を北へ、二人の長の旅路が始まった。  最初の宿は、  「まあ、ゆっくり行こうや」 と言うことで、板橋に取った。ここは、まだ、江戸の内だが、これからの長い道のりを思えば、  「なにも、急ぐことはない」 と意見が一致したのだった。  そして、二日目は古河、三日目は宇都宮、四日目は黒磯で泊まり、そろそろ、旅も慣れてきた。  黒磯では、雪が降っていた、道にも雪が積もり、徒歩で距離を稼ぐのは、大変だ。そこで、二人は、馬と馬子を雇い、雪の道を急いだ。  白河には五日目に着いた。これは、当時では、相当の速さだ。  ここまで、来れば、既に陸奥。  「白河以北、一山百文」  その言葉通りに、道の両側には、山が迫ってくるようになり、人の気配も疎らになった。この地では、雪は毎日降りつづける。二人の歩みは、徐々に、ゆっくりとなり、稼げる距離も短くなった。郡山までは、まる一日がかり。いよいよ、雪は深くなり、時折の強風で、下から吹きつける。街道を行く人は疎らだ。  「そろそろ、休もうや」  飯山が、松五郎に持ちかけた。  「そうですね。日が落ちてきましたし、こう寒くては、体に悪い。どこか、温泉にでも入って、温まりたいですね」  「そうしよう。宿を見つけたら、すぐにでも、飛び込もう」  左へ行けば、猪苗代湖という別れ道で、二人は、小綺麗な旅籠を見つけ、網傘と蓑に積もった雪を払って、玄関に入った。  しかし、温泉はなかった。  「せっかく、こんなに遠くまで来て、温泉にも入れないなんて」 とぼやく松五郎に、飯山は、  「次の宿場は、福島だが、そこには温泉があるよ」 と慰めた。  郡山に一泊して、翌日は、福島である。市街への入口の当たりに、  [飯坂温泉泉は右へ] の看板を見つけた二人は、迷わず、道を右に取った。  一刻ほど歩くと、川の流れに沿って、温泉地が現れた。川の両側に、軒を連ねて、温泉宿が並んでいる。  宿の玄関には、呼び込みの人が出て、盛んに、  「泊まってらっしゃい。いい部屋があるよ」 と呼びかけている。  松五郎は、そのうちの一軒に目を付けて、  「あそこにしましょうよ」 と、飯山を誘った。  飯山が見ると、呼び込みをしているのは、若い娘で、  「家は、食事が自慢だよ。風呂も岩風呂の男女混浴だ」 と、黄色い声で、叫んでいる。  「松さんよ。あんたは、女の色香に弱いからな」  飯山が、嘆息すると、松五郎は、  「そうじゃないですよ。食事が自慢だ、というところが気に入ったんですよ」  言い訳にも、説得力がない。  だが、ほかに、心を引かれる宿もなくて、結局、二人は、その娘の宿に足を運んだ。  「はい、お二人さん。お泊まりい」  娘の呼びかけに、宿の者もみんなが出てきての歓迎の出迎えに、二人はすっかり、気を良くした。  確かに、娘の言葉に嘘はなく、混浴風呂はあったが、若い女は入っておらず、爺さん婆さんの花盛り。それでも、薬効あらたかな温泉に入って、冷えた体を温め、広い湯船でゆったりすると、旅の疲れは、すっ飛んだ。風呂から上がっての、夕食も、娘の言った通りに、食べきれないほどの品揃えと量で、二人は、満腹になって、最後には、横になった。  「こんなに腹一杯食べたのは、生まれて初めてですよ」  松五郎の言葉に、飯山も頷いた。  「確かにな。山菜から川魚まで、十品以上あったな、しかも、皆、量が多かった」  風呂と食事の疲れで、二人は、その夜、すっかりいい気分になって早めに寝入ってしまった。  翌日は、いよいよ、奥州街道に向かう。  福島から左に折れて、板谷峠を越えていく。この険しい峠を過ぎれば、そこはもう、目的地の米沢だ。  その板谷峠越えが、難渋だった。  両側に、人の背の高さの二倍もある雪の壁が連なり、やっと、人一人の道が付いている。  「地元の人でも、冬の最中に越えていくものは、少ない」 と、聞いた。  しかし、米沢へは、この道しかない。  幸い、天気は上々で、天に抜けるほどの晴天だったから、旅程は捗って、どうにか、一日で、板谷峠を抜けることが出来た。  と言っても、徒歩ではない。麓の農家が、馬の引く橇を出していて、それに乗ったのだ。さすがに、これは、快適だった。回りが囲われた橇のなかで、二人は、揺れに誘われて、暫し、まどろんだ。そのうちに、峠を越えて、谷へ下ったのだった。だから、峠は見ていない。二人は揺られながら、米沢盆地に出た。橇を引いていた二頭の馬が、 「ひひーん」 といな鳴いた。  その晩は、町中の旅籠に宿を取った。米沢藩村山郡は、市街からさらに、西に五里程行かねばならない。  旅籠は、「河内家」といい、いい温泉があった。食事は、当地名産の米沢牛の味噌漬けを焼いたものがでた。  これには、松五郎は、  「これは、江戸ではとても、食べれませんね。だいたい、肉を食べるといったら、鴨南蛮の鳥肉くらいのものだ」  「たしかに、地方には地方の上手い食いものが、沢山ある。苦労して、やって来ただけの甲斐がある」  二人は、翌日の雪深い道への探索に備えて、栄養を取り、ゆっくり、眠った。  翌日は、早朝、宿を立った。案内に一人、宿の古老を雇った。この爺さんは、村山群の生まれで、そちらのことは、道祖神の在り処まで、熟知していた、心強い、案内人だった。  「何方の家に行かれる」  爺さんが聞いた。  「庄屋の大野多佐エ門の家だ」  「ああ、それなら、何ということはない。湯之町一の大きな屋敷だから、間違えることはない。良かった、良かった」  三人は、降りしきる雪の中を、出ていった。    三人の足取りは、速かったが、それでも五里の道は、半日も掛かった。湯の町には夕方に到着した。名前だけに、町の両側には、ところどころに、お湯が吹き出ている場所があり、温泉の町であることが分かった。しかし、旅館は見かけられない。すべてが、茅葺きの農家の造りで、軒下には、干からびた大根が何本も干してあった。  町の丁度、真ん中あたりに、大きな門構えの屋敷が見えてきた。  「あれが、大野の家だじぇ」  爺さんが言った。  「わしは、二人を案内したら、帰るけえのお」  門を入っていった爺さんの後ろに付いて、二人も屋敷に入っていった。  裏の方から、夕餉の支度だろう、旨そうないい匂いが漂ってきた。  「御免なさいよ。どなたかいるかい」  爺さんが、家内に呼びかけた。  すると、しばらくして、中から、皺だらけの小柄な女性が現れて、  「はいはい。どちらさまですか」  お辞儀をしながら、三人の身元を尋ねた。  飯山と松五郎には、二人の会話は、全く理解できなかった。強い訛りの山形弁だったからだ。それでも、米沢に出て、すこしは、江戸語も分かる爺さんが、翻訳して、訪問の趣旨は伝わった。  「そういうことなら、少し、お待ちください」  女は、奥に引っ込んだで、大柄な中年の男を連れてきた。  「それは、遠路遙々、よくお出でになった。さあさあ、お上がりください」  男は、洗練された口調の落ちついた語り口で、促した。  三人は、雪よけの網傘と蓑を脱いで玄関の上がり框に置き、藁の雪靴を脱いで、部屋に上がった。  先程の男が、三人を囲炉裏に誘い、  「私は、この家の主で、大野多佐エ門と申します」  名乗りも、落ちついていて、信頼感があった。  三人には、まず、粗茶が出された。  長い雪道で、すっかり体が凍えていた三人は、両手で茶碗を抱えて、ゆっくり、茶を啜った。温かいお茶が、喉を下り、体の中から全身を温めた。  すこし、落ちついてから、飯山が、訪問の目的を、簡単に話した。  大野は、それを聞きながら、腕組みし、時折、冥目して、考え込んだ。飯山の話が、終わると、  「分かりました。私が知っているかぎりのことは、お話ししましょう。しかし、これには、長い経緯があります。ですから、短い時間では、無理です。今日は、もう夕食の時間ですから、今日は、私の家の家庭料理を召し上がって頂いて泊まって頂き、明日、ゆっくり、お話しすることにしましょう」  大野はそう誘った。  三人に異論はない。爺さんも、  「もう遅くなったので」 と、腰を据えてしまった。  すっかり、御馳走になって、一泊するつもりでいる。  「取って置きの料理」という、  (またぎの熊鍋) が、出された。ここから北へ行くと、飯豊山脈の深い山並みが、空を覆っているが、その山中で狩猟生活を送っているのが、「またぎ」と呼ばれる猟師達だ。男らが、捕獲した月の輪熊を料理して食べるのが、またぎ料理で、熊鍋は、その中心となる料理だ。すなわち、男らにとってもごちそうだし、里の人にも、滅多に食べられない特別の時の料理なのだ。それを大野家では、はるばるとやってきた客人に振る舞った。  飯山らには珍しい雪深い陸奥の冬の暮らしを話題にしながら、家人も加わった夕べの宴は、和気あいあいと盛り上がった。  家人は、先程、最初に玄関に現れた女性が、夫人で「たつ」と言う名だった。それに、子供が三人。男、女、男の順で上から、八歳、六歳、四歳だといった。ほかに、老婆がいた。佐藤の実母だという。「はる」という、と紹介された。  すなわち、この家の家人は、六人家族で、他に女中が二人いた。昼間は十数人の雇い人と姉夫婦が、家業の農業と金貸し業の手伝いにくる。この地方では、大きな庄屋だと知れた。  その晩は、客用に用意された特別のふかふかした布団に案内されて、深い眠りに就いた。爺さんは、  「そんな、ふとんは厭だ」 と言って、薄い煎餅布団に移って寝た。    翌日、朝食の後、客間で、飯山と松五郎が、大野から話を聞いた。爺さんは、食事をして、早々に、米沢に帰っていった。  飯山が、まず、質問した。  「こちらへ、長崎から養女の入ったエミー・恵美・シーボルトンについて、その消息を伺いたいのですが」  大野は、答えた。以下、その話を順路立てて纏めてみると・・・。    ーー 安斎与之助は、本名を藤一郎といい、隣村の出身で、私の義弟です、即ち、私の連れ合いの実弟なのです。安斎家は、隣村の庄屋で、長男の勇太郎が家を継いでいます。与之助は、その二番目の弟になります。といっても、二人に血のつながりはありませんが。それは、与之助は、安斎家の当主・勇太郎の父、太助の妹が、米沢の表具師に嫁いで、そこでもうけた男子で、その母は、与之助が、四歳のころ、夫に死に別れて、実家に出戻ってきた。そして、そこで育てられたが、母は、一年後に地元の博打打ちと駆け落ちしてしまった。そこで、太助は与之助を自分の子供として、育てた。というより、太助の父母が、育てたのです。この祖父母は、娘を不憫に思っていたから、与之助も、猫可愛がりして育てた。小金も持っていて、金貸しをしていたから、与之助は経済的には不自由することはなかったと思います。  しかし、年頃になって、自分が親なしの孤児と分かって、与之助は荒れた。育ててくれた祖父母に当たり散らして、十七のころ、ふいと家を出て帰って来なくなった。なんでも、「江戸に出て、絵描きになりたい」と言っていたようだが、居なくなってしまって、みんなで心当たりを探しましたが、見つからなかった。  そうして、みなが、諦めたころに、突然、小さな女の子を連れて帰ってきたのです。与之助は、もう、二十二歳くらいになっていましたか。女の子は、綺麗な黒髪をして、肌の白い、目鼻だちの整った子で、この辺には、珍しい顔だちをしていた。  与之助の言うには、  「長崎で画の修業をしていたが、そこの遊廓の娼妓と懇ろになり、子供までで来た。その娼妓は、掟破りの罪で、放逐され、私と二人で、子供を連れて国に帰ることになったが「私には、子供を育てていく自信がない。借金ばかりでそんなお金もないし、実家には、病気の両親と五人の兄弟がいる、と言って、私にこの子を託したのです。私も育てていく余裕も自信もない。そこで、是非、義兄の多佐エ門さんに託したい」 と言うのです。  私は突然の申し出に、動転しましたが、そのころは、まだ、子供がなく、家にも余裕があったから、無碍に断ることも出来ないと思って、うちでもらい受けたのです。それに、あの子は、本当に見目麗しい子だった。本当に人形のような顔形と姿をしていた。この辺に、あんなに綺麗な子は居ませんでしたから、貰って見ようという気になったのです。  与之助は、話が決まると、  「これはこの子の出生を証明する書類だ」 といって、私に一通の書き付けを渡した。私が開けようとすると、  「いや、これは、この子が、十六になったら、本人に見せてほしい、それまでは、義兄さんが、保管しておいてください。それと、わたしの作品を置いておきます」 と言うのです。  私はその通りにした。そして、この子を「あき」と名付けて、育てることにした、これには永い間、子のなかった女房のたつも大喜びで、  「やっと、私達にも神様のお恵みがあった。こんなにかわいい子を育てなくては、罰が当たるよ」 と、大喜びで、大事に育てたのです。与之助の絵は「あき」の部屋の壁に飾りました。  われわれの愛情を受けて、あきはすくすくと育っていきました、近くに同い年の娘がいて、その子と毎日のように田圃や山を駆け回って遊んでいた。その娘には姉もいて、いつも、三人で遊んでおり近所の人たちは、  「仲のいい三姉妹ですね」 と、言っていたほどです。  それに、なんとなく、あきと妹の方が似ているのです。背恰好は勿論ですが、顔つきや髪の恰好も似てきて、話しているのだけを聞いていると、どちらが、あきだか分からないほどでした。十歳を過ぎるころには、二人は、まるで双子のようにそっくりだった。そして、ますます、二人の仲は、親密になったらしい。一日中、一緒に遊んでいると、そうなるものなのでしょうか。後ろ姿だけでは、わたしらも、判別が付かないくら似ていました。  そのうちに、あきは、この娘に同情するようになった。  「あの子の家は小作で可愛そうだわ、両親がいくら働いても、皆、地主に取られてしまうと言うのよ。地主ってお父さんでしょ」  そういって、わたしを詰ったりした。  そのうち、  「とうとう、お姉さんは、売られていくことになったの。江戸から、娘買いの商人が来て、話を決めていったらしいの。だって、来年の籾を買うお金もなくて、そのために売られるんですって」  あきは、姉の身の上を思って、涙を流したほどでした。かといって、私がどうこうできるものでもない。あくまで、藩のお役人の決めたことで、われわれはそれに従うしかないんですから。  それから、二年ほどすると、こんどは、妹の方が、北の天童藩に行儀見習いに行くことになった。もう十六歳になっていましたから、この話には、両親も喜んで、  「今度は、売られていくのではない。大店に奉公するのだから、年季が明ければ帰ってこれる。体に気を付けて、頑張るのだよ」と送りだす気構えだった。  永い間、まるで姉妹のように育ったのですから、その娘が、奉公に行く日に、うちのあきもお別れに行った。そして、帰ってこなかったのですーー。  多佐エ門は、ここまで語って、一息入れて、ゆっくりお茶を啜った。  それを見て、飯山が質問した。  「帰ってこなかった、って、誰が」  多佐エ門は、じっと、天井を見上げて、嘆息し、ややあって、  「それが、あきがですよ」  肩をおとして、言葉を吐きだした。  多佐エ門は、話を続けた。  ーー もちろん、わたしたちは、心当たりを手当たり次第に探しましたが、見つからなかった。友達を送りにいったまま、まるで神隠しにあったようにいなくなってしまったのです。村人に協力してもらって、山狩りもしました。川も浚いました。占い師に行く方を占ってもらったりしましたが、一切、行く方が分からなかった。それで私達も諦めたのです。  そうしたら、その年のうちにたつが身ごもった。ここにいる四歳の三郎が生まれた。上の二人は養子です。あきがいる時に、親戚から貰ったのです。わたしたちは子供がなかっただけに、一層、子供が好きだ。大勢でわいわいと暮らしていくのが好きなのです。ですから、それだけ、手塩に掛けて育てたあきがいなくなったのは、寂しかった。  与之助は、ずっと、訪ねてきていません。実家にも行っていないようだ。それから、与之助から預かった、あきの出生書類は、秋が十六になったとき、約束どおりに本人に渡しました。以上のようなところですね、与之助と秋の話はーー。    多佐エ門は話し終えて、また、茶托の湯飲みを取り、残っていたお茶を飲み干した。 静かに聞いていた飯山が、口を開いた。  「それで、その書類に何が書かれていたのかは、分からないのですね」  「はい、わたしは見ませんでした。ただ、あきに渡したあと、それとなく聞くと、あきは、『わたしのお父さんが分かったわ』と言っていました。出生の秘密が分かって、われわれが、実の親で無いことが、あきに知れたのは間違いありませんね」  「動揺はなかった」  「そう、これといって、激しい変化は無かったのです。その後も、われわれの生活は変わりなく、あきもわれわれの子供であり続けていましたよ」  「それが、突然、失踪してしまった。これは、どうにも、腑に落ちませんね」  「ただ、わたしらには、若い女の子の気持ちは、完全には理解できませんよ。あきが何を考えたか、本当の所は、実はよく分からない。ただ、わたしたちは、わたしたちの勝手に、思い込んで、かわいい子だとばかりに、育てていたのかも知れないのです。出生の秘密を知って、実の親の所に行ったのかもしれない。だが、われわれには、それが、誰だか分からない。与之助も姿を表わさないのですから」  (あき、すなわち、エミリー・恵美・シーボルトンは、そうして姿を消してしまった) 飯山は、深く嘆息した。  (しかし、はるばると、こんなに遠くまで訪ねて来た甲斐はあった。エミーと歌麿、すなわち与之助のことが、よく分かったからな。それに、俺には、エミーが、何処かに生きているという予感がある。あとは、女の行く方を突き止めることだな)  「どうも、話をして頂いて、ありがとう」  飯山と親分は、大野の家を去ることにした。家人は、名残を惜しむように、門前まで出て来て、二人を見送った。  その日は、快晴で、帰路の旅路は捗った。  道々、松五郎親分が、話しかけた。  「それにしても、あきはどこに行ってしまったのでしょうね」  飯山が答える。  「失踪の捜索は難しいよ。こんなに山深い農村だ。山に入ったまま、道に迷うということもあるだろう。川に落ちて流されれば、激流だから、すぐに溺れてしまうだろう。事故に会ったのか、事件に巻き込まれたのか。どこかで、野たれ死んでしまったかもしれない」  口から出てきたのが、本当に考えていることとは、全く違っていたことに、言った本人の飯山が、驚いた。  「そうでしょうかね。おれは、何処かで生きていると思いますがね」  親分は納得しなかった。  急いだ甲斐あって、夕方には米沢に着いた。再び、「河内家」に宿を取った。行き道で、案内をしてくれた爺さんが、出てきて、  「やっと、無事に、お帰りなさったか」 と出迎えた。  「ああ、いい話を聞けた。いい旅になったよ」  二人は、爺さんの手を握って、感謝した。  その夜は、爺さんとの再会を祝して、祝杯を上げ、温泉につかって、のんびりした。翌朝、宿の者たちの丁重な見送りを受けて、いよいよ、江戸へ向けて、帰路の旅に出た。板谷峠も無事越えて、福島、郡山、白河と宿を取り、家路を急ぐ。  白河を過ぎて、黒磯に来た辺りで、街道を急ぐ早馬に、松五郎親分が、撥ね飛ばされる事故が起きた。  馬に乗っていたのは、侍で、  「待て待て、お前が、突然、馬の前に出てきたのではないか」  事故のあと、馬から降りてきて、そう言った。  これには、連れの飯山が、かちんと来た。なにしろ、松五郎は、飯山と並んで、街道の右側をゆっくりと歩いていたのだ、断じて、飛びだしてなどいない。  「いやお主の馬が、ぶつかって来たのだぞ。それは、ここにいる皆が、見ている」  倒れた松五郎親分を囲んで、人の輪が出来ていたが、それらの人に向かって、飯山は主張した。みなは頷いた。  すると、侍は、  「とにかく、わしは、道を急ぐ、怪我も大したことがないようだし、これで、治療してくれ」 といって、銭の入った袋を投げて寄越した。  「ちょいと待て、詫びの言葉はないのか」  飯山が、迫った。それには、侍も。  「とにかく、わしは先を急ぐ。申し分けないが、それで、許してくれ」 と馬上から、頭を下げた。  「急ぐといっても、人が一人、怪我をしたのだ。馬から降りて、詫びてはどうだ」  飯山は、武士の沽券を掛けて、そう言ったが、侍は、  「では、ごめん」 と、馬に笞をくれて、駆け足で走り去った。  松五郎親分を、助け起こした飯山は、  「大丈夫か」 と、親分の顔を覗き込んだ。親分は、  「まあなんとか。それにしても、人を跳ねておいて、酷い野郎だ」  受け取った、金袋を開けてみると、印入りの紙に包まれた小判が出てきた。  「おや、小判をくれるとは」  親分は、ぶつけられた腹の辺りを摩りながら、痛いのも忘れて、立ち上がった。  「これは、何処の藩の印でしょう」  親分が飯山に聞いた。飯山は手にとって、良く見て見た。  「これは、伊達藩の印だ。仙台から、江戸への早馬だろう。お家で、何か起きたのかな」  しかし、大金を手に入れた親分は、すっかり上機嫌になって、  「宇都宮では、ちょっと、遊んでいきましょう」  そう飯山を誘ったが、飯山は、早馬の用事が何なのかが、気に掛かっていて、その誘いの言葉も耳に入らなかった。       伊達藩江戸屋敷  早馬は、その日の夜に、江戸・四谷見附の伊達藩江戸屋敷に、到着した。  「頼もう」  木戸で、入邸を促した使者の声を聞いた、木戸口の不審番が、重い門を開けた。  いったん、門前に止まっていた馬は、扉が開くと同時に、中に駆け込んで、玄関口まで来た。使者の侍は、馬から飛び下りて、玄関に向かい、呼び出されて出てきた夜勤の納戸所の武士に、持参した書状を手渡した。  書状の宛書きは、江戸屋敷の家老、佐藤承吾となっていた。  受け取った武士は、直ちに、この書状を、裏の佐藤の居宅まで、届けた。  すでに、子時を過ぎていたが、佐藤は居室で、書見をしていた。薄暗い蝋燭の炎の明かりに照らされて、佐藤の横顔が、障子に写っていたが、その影は微動だにせず、佐藤の謹厳実直な性格を映し出しているようにみえた。  当直の部下から、緊急の書状を受け取った佐藤は、  「御苦労であった」 と労い、書状を持って、書見をしていた文机の前に、依然と同じ姿勢で座り、おもむろに、巻紙の先端を開いた。  それは、長い文章だったが、告げていたのは、  「藩主・伊達宗永の急逝と、今後の藩政の行く方、人事など」について、仙台城内の佐藤の同調者が、急遽、認めたものであった。  それによると、  ーー正月十日、今年初めての、冬の狩猟に出掛けた藩主・伊達宗永公は、雪の積もった崖から、足を踏み外して、深い谷に転落し、全身を強打して、同行していた取り巻き連中に、陣幕内まで運ばれたが、城内へ移送の途中に、亡くなった。  これで、次の藩主選びが始まったが、第一の候補は、嫡子の宗陸公だが、まだ、五歳の幼少、第二は、実弟の宗高公だが、本人は固辞している。しかし、このどちらかになるのは、間違いがないところだ。  後継者の決定後、宗永公お気に入りの貴殿ら重臣は、全員、辞職ということになろうが、それまでに、これまでのあいだに積もったお勤め上の秘密はすべて、よしなに処理されんことを進言申し上げる。それが、われらの世間を渡る術にて候ーー とあった。  佐藤は、思案した。  (お勤め上の秘密か。これは、多すぎる。簡単に処理は出来まい)  (しかし、やっていおかないと、大変な事態を招くだろう。明日にでも、すぐに、取りかからないといけないな)  佐藤は、いろいろと、思いを巡らせた。寝間の天井の染みが、雷神の怒りの顔に見えた。  (雷神が俺を襲い、飲み込もうとしている)  佐藤は、そう考えて、ぞっとなった。その夜、佐藤は、自分が雪が降り積もった高い断崖を、叫び声を上げて、転落していく夢を見た。いくらもがいても、崖に突き出た木々の枝を掴むことが出来ず、真っ逆様に、谷を目掛けて落ちていったが、何故か、なかなか、底に届かなかった。そして、谷の底が、迫ってきたとき、  「はっ」 となって、目が覚めた。それからは、寝つかれなかった。空が明るんでくるまで、寝床で悶々として過ごした。朝の寝覚めは、不快だった。  翌朝、一汁一菜の朝食を済ますと、佐藤は、まず一番に、裏の侍屋敷から、加瀬四郎次郎を呼び出した。  「御苦労だな。ところで、昨日、仙台から使者が来て、藩主・宗永公が、急逝されたと伝えてきた」  加瀬は、驚愕した。  「えっ。宗永公が。それは、大変なことになった。わえわれの仕事は、宗永公、直々の指揮下にありますからね。跡継ぎがどうお考えになるかで、進退・処分が決まってしまう」  「そういうことだ。だから、お主に最初に教えたのだ。まだ、この藩邸で、このことを知っているのは、わしとお主だけだ」  「ご家老も、こうなると、いろいろ、善後策を取らないといけないことが、ございますね」  加瀬は、佐藤の目を覗き込んで、伺った。  「そうだ。それもあっての、相談だが、例の天童藩士の斬死事件だが、幕府は背景を探っているようだが、どうなったのかな」  「小生の知るかぎり、お咎めなしで、決着したはずですが」  「それが、そうでもないのだ。大目付けの密命を受けて、与力が調査を始めたという噂がある。天童藩の江戸屋敷から、なにやら文書を見つけたらしい、というぞ」  「どのような文書なのでしょうか」  「それは、皆目、分からん。ただ、この一件の担当与力の津田謙五が、南町奉行所の同心、飯山梅之助と一緒に、長崎に出掛けていたのが気に掛かる」  「長崎というと、ご家老の若いころの留学先で、以前の事件の原点でもある」  「そうだ、だから、わしは、気になる。藩主が後退すれば、当然、江戸家老は、交代だ。後任者が、わしの目をかけた者ならいいが、もし、宗高公が藩主になったら、わしと常日頃から対立してきた高梨峰尾の部下が就任するだろう。そうなったら、わしはお終いだ」  「そのときは、わたしも終わりです」  「もう一つ、気になるのは、例の安藤猪一郎と牧野の心中だが、これも、飯山らが、疑って再捜査している、という。おまえ、抜かりはなかったろうな」  「これは、抜かりはありません。家のもの四人ほどを使いましたが、みな、口が固い人間ですから大丈夫です」  「そうではない。手口や証拠物などで、疑われるようなことはないだろうな、ということだ」  「手口といわれると。なにしろ、心中事件の手口など、われわれは知っていませんから」  「それから、美濃屋の水死だが、これも、不都合はないといっていいか」  「それは、分かりません。下請けの仕事ですので、われわれの仕業とは、絶対分からないとは思いますが」  「本当に、この事件には、深入りし過ぎてしまったようだ。心配ばかりだ」  卒ない高級官僚の佐藤だけに、その本来の性格は、小心で用心深く、しかも、自身の保身には、最大限、敏感なことが、見て取れた。外観は腹の座った悪漢のようでも、蚤の心臓の持ち主だったのである。たしかに、悪いことは、小心でないと、出来ないものなのだ。しかも、完璧にやり遂げるには、ずぼらでは、無理だ。佐藤は、その自分の小心さに、自信を持っていた。  「とにかく、発覚しないよう、芽を摘んでおけ」  佐藤は、そう、加瀬に命じて、退席させた。  しかし、そう言われても、加瀬には、何をすべきかが、皆目、分からなかった。  (天童藩屋敷で見つかった書類とはなんなのか。それは、われわれが、下請けに出した仕事を裏付けるものなのか。幕府の役人らが、長崎に行ったのはなぜか)  いろいろと考えたが、確証がないだけに、考えだけが、空回りした。 (これは、こちらから何かを仕掛けるわけには行かない。向こうの出かたを待つしかないだろう)  加瀬の結論は、単純だった。事態の推移を見守ることにしたのである。    しかし、佐藤の言い分には、少々、腹が立った。  天童藩邸の門前での果たし合いの後、津田謙五から、事情を尋ねられた際、佐藤からの指示について、一切、口を割らなかったのは、加瀬の武士としての胸じだった。  それが、佐藤は飽くまで、自らの保身のためにしか、部下を見ていない。そのことは今日の会見で、いよいよ、はっきりした、と加瀬は感じた。  確かに、天童藩の忍び頭、伊藤太一郎をあやめたのは、理由あってのことで、その訳は、加瀬も、十分承知していた。それを、  「知らない」 で通したのは、武士としての、上役に対する忠誠と恭順という美徳に、生きる価値を置いていたからだ。それがなければ、侍の縦社会の組織は、崩壊する。ところが、その部下の気持ちを尊重しなければならない上役が保身と利益誘導と欲の虜になっている。  剣の使い手としての、誇りも、そういう気持ちに輪を掛けた。  おれは単に、殺し屋としての価値しかないのか、という疑念が沸いてきた。剣の道に精進したのは、その精神を評価したからだった。  (そのおれを佐藤らは、殺しの道具としか見ていない)  そう考えると、無性に腹が立った。  表を辞去して自室引きこもると、悔しさはいや増した。  何時もは吸わない煙草を吸ってみる気になったのは、そういう冴えきらない気持ちを紛らわそう、とするためだったのかもしれない。  箪笥の上の茶道具入れに入れてあった煙管と煙草を取り出し、部屋の隅の行灯の蝋燭の火をこよりに継いで、火を点けた。煙草は、ちりちりと燃え、やがて、煙を吐きだした。加瀬は、それを一服も逃すまいと、必死で、煙管の口を吸った。  あぐらをかいて、煙草を吸っていると、気持ちが落ちついてきた。  そうしているうちに、  (こんな屋敷に、引き籠もっていては、気持ちは晴れない)  そう思い当たって、加瀬は、江戸の町に出てみることにした。  もう宵の口である。江戸の市街は、さんざめいていた。家々の台所から、夕餉の用意の良い匂いが漂ってきた。魚を焼く匂い、煮物を煮る香り。家々に明かりが点いて、そろそろ、家族の皆が、食卓に付いて、食事を始めるころだ。  加瀬は、家族が無性に懐かしくなった。妻子は、仙台に残してきている。家では、もう三年も、主人がいない夕餉の膳が続いているはずだった。  加瀬は、開いていた蕎麦屋に入り、お銚子一本と、蕎麦掻きを注文した。  それで、ちょびり、ちょびりとやっていると、いつの間にか時が過ぎていき、すっかり、夜の帳が降りて、店も閉店の時刻となった。  「お客さん、もう、閉めますが、最後の注文は」  絣の着物に、赤い前掛けをした店の看板娘が、せっついた。  「もういいよ、そろそろ、引き上げよう」  加瀬が、席を立とうとしたとき、激しい、半鐘の音が、響きわたった。  「かーん。かーん。かーん」  金属性の耳に響く、大きな音が、最初は、数個だったが、段々と数を増し、激しくなっていった。最初の半鐘は、お茶の水の大火の見櫓のからのもので、それが、江戸市中の各地の火のみ櫓へと、広がっていった。       大  火  「火事だー。火事だー」  誰かが、大通りを、大声で告げながら走る。  そのあと、時を経ずして、町火消しの纏いと槍が見えた。  男らは、四谷見附の方角へと、疾走していった。  (どうも、火元はわが藩邸の方だ)  加瀬はそう気付いて、すっかり、酔いが覚めた。千鳥足が、すっくと立ち直り、急ぎ足で、出てきた藩邸の方へ向かった。  赤々と、炎が夜空を焦がしていた。熱風が、通りに吹きつけて、消火作業を妨げた。辻つじの防火用水入れの水は、既に枯れた。近くを流れる神田川から、桶を手渡しての水運びが、延々と続いた。町火消しは、い組からいろは四十七組の全ての組が出そろって、火消しの手柄を競った。各藩の大名火消しも、江戸城の定火消しも駆けつけ、消火作業を競い合った。  それでも、火の勢いは収まらず、伊達藩江戸屋敷の建物を、次から次へと嘗めていった。  広い屋敷を焼きつくすと、火は外に忍び出た。外には、町屋と商人の建物が続いている。他の藩の江戸屋敷もある。  火消したちは、最初に取りかかった、延焼した建物の打ち壊しを諦め、さらに遠くの未だ燃えていない建物の破壊に取りかかった。刺子半纏を羽織り、梯子や鳶口を持った火消したちが、走り回っていた。  火の行く方は知れない。風が、渦巻いて、北から、東へと変わった。一時、南の家々を壊していた火消したちは、今度は西側に回って、作業をしなければならなくなった。  現場は、混乱を究めた。火の粉が、風に乗って、計りしれないほど遠くの家々の屋根に燃え広がり、点々と火が出始めた。  小天馬町は四谷からは遠いが、そこにも火の粉は飛んできて、札差しの商家の屋根に燃え移った。折から、江戸の町には、ここ一カ月、雨がなかった。乾燥した空気が、火の勢いを煽った。まるで、カンナ屑が、燃えるように、火は町をなめ尽くしていった。    小天馬町の油問屋、「美濃屋」にも、火の先端が迫ってきた。  番頭の善之助は、手代や丁稚や小僧を総動員して、消火に努めた。  最初に火が移ったのは、母屋の裏側にある台所の屋根だった。町火消しは、他の大火の家の消火に忙しく、「美濃屋」には、やって来なかったから、善之助らは、自分たちで火を食い止めるしかなかった。  善之助は、丁稚を台所の屋根に登らせて、帚で炎を叩いて消そうとしたが、乾燥していた棟木に、あっと言う間に燃え移り、この苦労は、徒労に帰した。  火は、さらに、母屋の屋根を伝って、表へと出てきた。  屋根裏が、通風の助けをして、炎は一気に屋根裏を伝い、母屋の天井裏から、それぞれの部屋へと侵入していった。  それでも、油問屋とあって、家の造りは堅固だったから、表通りの玄関まで、火が伸びていくには半刻も掛かった。その間、手代や丁稚は、善之助の指図にしたがって、裏庭に避難し、そこに集合して、裏の油倉庫の防火に専念した。  油倉庫は、裏庭でも、母屋から一番離れた屋敷の北西の隅にあって、外壁は、白の漆喰で塗り固められ、堅固な城壁のようだった。少しくらいの火ならば、跳ね返すくらいの造りだったが、江戸市中をなめ尽くした火の勢いは、その鉄壁の守りを容易に突き破った。  上空から、屋根に襲いかかった炎は、漆喰壁の所どころに開いていた格子窓の隙間から内部に侵入した。  中には、樽に入った菜種油や胡麻油、椿油が積み重ねられていた。一応、樽にはきつく蓋が閉まっていたが、猛烈な火勢は、樽に襲いかかって、簡単に中の油にまで、忍び込んだ。火は油を得て、益々、勢いを増した。  パチパチと何かが爆ぜる様な音とともに、火柱が天に突き上がって、夜空を赤々と焦がしていた。熱風が油樽の小屋の方から母屋のほうへ向かって吹きつけ、焼け残っていた柱と壁に襲いかかった。母屋はたちまちに、炎の塊に飲み込まれ、包まれて、一端、収まっていた火が、再び、再生し、燃え上がった。家は、焼け落ちる寸前に来た。 善之助は、これを見て、  「こうここまでだ。全員、避難しろ」 と号令を掛け、皆は、一斉に火のない場所へ向けて、一目散で、駆けだした。  「こんなに、酷い状態になるとは、思いも寄らなかったのに」  手代の蓑助が、逃げながら、丁稚の正夫に話しかけた。  「本当にそうですね。最初は、のんびり構えていたのに。丸焼けになりそうですよ」  「こんな時こそ、いつも威張っている町火消しが、しっかりやってくれないといけないのに、まったく頼りにならないんだから。これでは、なんの防御もなく、両手を上げて逃げるようなものだね」  「でも、番頭さんは、頑張っていましたよ。必死でやっていたのに、こんなことになるなんて、さぞ、悔しいでしょうね」  「そういえば、善さんは、どうしたかな。無事に逃げただろうか」  すこし、行った所で立ち止まり、後ろを振り返って、善之助の来るのを待った。  それから、また、少し行って、数寄屋橋辺りまで逃げ延びて、その場にへたりこんだ。  「みんな、逃げられたかな。ちょっと、確認してくれないか」  蓑助が、正夫に頼んだ。  正夫は、  「はい。分かりました」 と言って、店の者の確認に取りかかった。  暫くして、正夫は、  「手代の是助さんはおりました。そこに一緒に、丁稚の三人が避難していて、あとは番頭さんと、丁稚が二人、見つかっていません」  「何よりも、番頭さんを探さないといけない。私も探すから、お前、もう少し、頑張っておくれ」  蓑助と正夫は、もう一度、この場所に帰ってくることを約束して、捜索に出掛けた。   大火は、一晩中、燃え続け、朝方になって、小雨が降り始めてから、徐々に、おさまった。そして、明るくなった日の光が、焼け跡の惨状を浮かび上がらせた。  蓑助と正夫の探索で、丁稚の三人の無事が確認された。しかし、番頭の善之助の行く方は、依然として、不明だった。  「ご主人が居ない店で、番頭さんは、店の柱だったのだから、どうしても探しださないといけない」  蓑助は、集まった店のもの全員にそう言って、もう一度、捜索に出した。  「昼までに待って、見つからなかったら、店に行こう」  そう話しあっての善之助探しだったが、各地の避難場所を探し回った店員達の報告は結局、  「見つかりませんでした」 で、一致した。  「もう、しかたがない。店に戻ろう」 と衆議が一致し、店に向かったのは、もうお日さまが、かなり、てっぺんに上がってからのことだった。    店の前に戻った蓑助らは、大きな構えだった店が、すっかり焼け落ちているのを、見た。玄関先から木戸口、裏の屋敷部分まで、すっかり焼け落ちて、跡形もない。ただ、何本かの柱が、黒く焼け焦げて、斜めに空を区切っていた。裏庭の隅の油倉庫は、もっと酷く、白かった壁は、見る影もなく、内部からの油の炎で焼かれたのか、灰塵に帰すという言葉どおりに、灰になって、積み重なっていた。  油を入れていた瓶が、壊れて、地面に積み重なり、土塊の山を作っていた。燃えた油の匂いが、まだ、漂っていたが、それは、天麩羅を揚げたときの匂いを、思い浮かばせた。  「すっかり焼けてしまった」  蓑助らは、地面にへたりこんでしまった。みなで、肩を抱き合って、泣いた。涙を見せまいと思っても、こみ上げてくるものを、抑えることは出来ない。  ひとしきり泣いて、だれかが、  「番頭さんは、どこへいったのだろう」  そう、つぶやいた。  「そうだ、まだ、番頭さんが見つかっていない」  皆が、気がついて、  「一緒に探そう」  へたりこんでいた手代や丁稚は、思い出して立ち上がり、目の前の、焼け落ちた店のなかに入って行った。  足の踏み場もなく、瓦礫が積み重なり、所どころから白や灰色の煙が上がっている焼け跡で、しかし、探そうにも、探す手掛かりがなかった。  そのうちに、ずっと、奥の方に進んでいった手代の是助が、庭の一番奥にある、小さな蔵だけは、焼け落ちていないのを見つけた。  炎の熱で、すっかりねじ曲がったてしまった入口の鉄の錠を、釘抜きを梃のように使って、こじ開けると、厚い扉は、軋みながらも、開いた。  是助は、内部に進んでいった。  持ってきた長提灯に、火を入れて、内部を照らした。そこには、主人の美濃屋善兵衛が金に明かせて集めた、浮世絵の逸品が多数収納されていた。  是助はそれらの作品に、提灯の火を照らしてみたが、いずれも、火を免れて、描かれた時、そのままの鮮やかさを保っていた。  是助は、さらに奥に進んでいた。すると、ちょうど、蔵の真中辺りで、床にあった物体に、足を取られて躓きそうになった。あわてて、提灯を差し上げ、転ぶのを免れた是助は、差し上げた提灯を、手元に戻して、床に翳した。  鈍い光で、そこに、照らしだされたのは、番頭の善之助の体だった。  是助は、驚いて、一歩、後ずさりをした。しかし、気を取り直して、善之助の顔に光を翳し、恐る恐る覗きこんだ。善之助は、目を閉じ、口と鼻の周りを真っ黒にして、息絶えていた。  是助は、直ちに、蔵を走り出て、皆を呼んだ。  「番頭さんが、死んでいるよ」  大声で叫ぶと、蓑助らも集まってきた。そして、是助から、提灯を奪い取り、中に入って行って、遺骸を確認した。  「早いところ、運びだして、安置しないといけない」  他の者も手伝って、善之助の遺体は、搬出され、筵のうえに、寝かされた。  そのあと、再び、蔵の中に入った蓑助は、そこにあった絵画が、ほとんど無傷だったことで、一安心した。蓑助は作品を一つずつ、確認していったが、入口より、内部に行くほど、火を浴びたのか、作品の破損が目立つようになっていた。  ちょうど、善之助が、死んでいた辺りに、美濃屋が、最後に購入した安斎歌麿の最後の作品が、保管されていた。蓑助は、明かりを翳して、その作品を見た。  そして、熱を受けて表面が溶けだした作品の内部から、若い女性の裸が溶けだし、まっ黒だった長い髪が、徐々に金色に変わろうとしているのを見て、その場に立ちすくんだ。   伊達藩の江戸屋敷に、取って帰した加瀬四郎次郎は、藩邸の門前で、立ちすくんだ。それは、藩邸の中から、大名火消しの連中が、一斉に屋敷から、逃げだす場面に出くわしたからだ。皮羽織を着た武藤佐源が、先頭に立ち、その後に五十人ばかりの火消し半纏を着た火消し連中が続いた。  これを見て、加瀬は、  (とうとう、火消しらも、藩邸を見限ったか)  と感じた。  そのあとには、やはり、火消し半纏姿の藩邸詰めの武士たちが続き、最後に、江戸家老の佐藤承吾が、逃げ出てきた。  そのころは、既に、火勢は弱まり、屋敷を覆っていた炎も、その舌を、収め始めていた。  「出火元は、燃えない」 という江戸の火事の言い伝えそのままに、出火元と思われる、伊達藩邸の被害は、考えていたより些少だった。  それでも、逃げだしたのは、貴重な書類や家財の避難よりは先ず、人命を大切にしようとの、配慮からだったに違いない。  その結果、邸内の文書類は、かなりの部分が、消失した。ただ、侍たちが持ち出した書類は、最重要と判断されたもので、それらは、無事だった。家老も、自分の近くに置いてあった大事な書類や書きつけは持ち出した積もりだった。  しかし、なにしろ、火事場の作業である。多くの書類が、様々に混じりあって、持ち出され、整理が付かない状態というのが本当の所だった。    この火事では、たまたま、江戸に上がっていた長崎・出島のオランダ人キャピタンも被災した。かれらは、将軍へのお目通りを待って、神田にある江戸宿泊所の旅館「長崎屋」に逗留していたが、その旅館も火事に会ったため、両国のお寺「回向院」に避難した。  キャピタンは、町火消しや、定火消し、大名火消しが、抜刀して身構え、纏や鳶口を持った鳶の連中が、火消し衣装の刺子半纏を着て、声を荒らげて、町を行くのを見て、 (クーデターが、起きたかと思い、恐怖した) と、母国への報告書で記してる。    向島の真宗寺、「密臓院」に避難した伊達藩の藩士達は、妻子を連れて、ほうほうの体で、逃げてきたが、朝方になって、勘定役の役人が、点呼をしたところ、  (全員無事) と確認された。火元としては、これは、奇跡に近かった。  佐藤承吾は、  (火を出したからには、幕府のお咎めは免れない) と考えて、幕府に差し出すべき「出火犯人」の調査に乗り出すことを決めていた。  部下の無事を確認し、安心するより先に、そこまで、気が回るのが、内務官僚たる佐藤の面目躍如たるところだ。  佐藤は、裏仕事の右腕ともいうべき加瀬四郎次郎を呼び出した。  加瀬は、江戸藩邸の門前から、逃げる藩士たちと一緒に、この寺に逃げ延びていた。 佐藤は、加瀬を呼び出すと、  「幕府の連中が、出火原因を調べるだろうから、われわれとしては、先に独自の調査をしておきたい。それには、お主が最適任とみて、来てもらった。異存はなかろう」 と高飛車に命じた。  加瀬は、そのいい様に、カチンと来たが、ぐっと怒りを堪えて、  「承知つかまった」  事務的に、応諾した。  (こうまで、おれを機械のように扱うのか。見ておれ、この仕事のなかで、奴の首をへし折ってやる)  加瀬は、心を決めた。ちょうど、藩主が変わる時期だけに、ここで、佐藤の悪行が晒されれば、佐藤の失脚は、ほぼ確実だろう、と思われた。   しかし、加瀬には、この火災の出火責任を負わせる人物の目安は付いていた。火事ほど、その原因を突き止めるのが、難しい事件はない。大きな火事ほど、証拠物は、燃えて無くなってしまうから、余程の幸運に恵まれなければ、証拠物を見つけることは、出来ない。だから、残るは、証言だ。証言はいくらでも細工が、出来る。  加瀬は、まず、出火場所と考えられていた台所の関係者から事情を聞いた。  最初に呼ばれたのは、釜戸の火の番をしていた蔵六だ。もう五十を過ぎたであろうこの老人は、加瀬の  「火の番で、そそうはなかったか」 との問いに、  「滅相もない。私は、きちんと火の番をし、賄い所の仕事が、全部終わってから、水を掛けて、火の気を消して帰りました」  自信を持って、そう答えた。  「残り火のないのを確認したのか」  加瀬は、さらに詰問した。  「そうです。火の気は、まったくないようにして、始末していきました」   蔵六の答えに、淀みはなかった。  これは、加瀬も予想したことであった。そこで、加瀬は一計を案じた。  「爺さん、あんたの疑いは晴れたが、火が出ている以上、何か原因がなくちゃいけない。なにか、思い当たる節はないかね」  蔵六は、考えた。こんな疑いを持たれて、追究されるのは、厭だったし、早いところ、この場から退散したかったから、思いつくままを言ってしまおうという気になった。  「そういえば、賄い所では、いつも、小火鉢に火種を取っていますが、私が帰る間際に、火種を取りにきた女中が居ました」  「それは、誰だ。名は分かるか」  「もちろんです。いつも、一緒に仕事をしている仲ですから」  「何という名だ」  「はい、およねでございます」  「そうか、そちはよく言ってくれた。もう帰ってよいぞ」  蔵六が帰されたのと、入れ代わりに、賄い所の女中頭、里が、呼ばれた。  加瀬が質問した。  「昨日の火事だが、出荷場所は台所と分かった。それで、何か思い当たる節はないかと、お前を呼んだのだ」  加瀬は、はっきりと、台所が出火場所、と言ったが、確認されたわけではない。そう言うのは、取り調べに当たる役人の常套手段だ。加瀬はそれを知っていた。そう言って罠を仕掛けるのである。  里は、恐縮して、  「台所から火が出たのは、申し訳ないと存じております」 と言わざるを得なかった。  「それで、心当たりは」  「私は、晩の後始末を済ませて、仕事を終えて、部屋に戻るときは、必ず、火の元を確認するのが習慣になっていますので、そうしました。火の気は無かったはずです」  「だが、証言がある。火の番をしていた蔵六爺さんは、小火鉢の火を取りにきた女中がいる、ということだ」  「それは、私達が寝る前に、部屋の火鉢に火を入れるのですが、その火種を取りにいくのは、順番になっています」  「それで、昨晩は誰だったのだ」  里は、苦しそうに、天を仰いで、しばし、沈黙した。  「誰だったのだ」  加瀬が迫った。さとは、その迫力に押されて、  「はい、私でございます」  絞り出すような、言い様に、加瀬は押されて、たじろいだが、すぐに、持ち直し、  「嘘だろう。だれかを、庇ってそういうのだな。配下の若い女中が持っていったことは、分かっておる。名前を言いなさい」  里はそう言われて、意を決した。別に、自分がやった、と名乗り出たからといって、手柄になるわけではない。あくまで、賄い所の責任者として、責任を自覚しての言葉だった。  「はい、実は、よねでございます」  「そうか、よくわかった。では、そのよねを呼んでくれ」  里は、頭を下げて引き下がった。  よねは、おずおずとしながら、下を向いて、調べ部屋へ入ってきた。すでに、里から説明されているのだろう。小さな体をさらに小さく丸めて、擦り足で入ってきて、正座し、深々と頭を下げた。  「もう事情は、分かっているだろう。昨日の火事は台所の火の不始末が原因だ。だが火元を預かっていた蔵六爺さんと女中頭の里は、知らないといっている。だが、小火鉢の火種をお前が取りにきた、という証言が得られた。お前、火種を取りにきたとき、火をどうした」  「どうしたと言われますと」  「どこかに、引火するようなことをしなかったか」  「はい、ただ、火を取り分けて、女中部屋に持っていっただけです」  「それが、そのとき、取りこぼした火種が、床に落ち敷いてあった筵に火が移って、燃え上がったのだ。現場に残った証拠からは、そういうことなのだ」  加瀬は、ここでも、かまを掛けた。  よねには自信がなくなった。火種を落としたことなど、思いも掛けないことだったが、そうしなかったという、反論の証拠も、自信もない。  「そういうことでしたら、私には分かりません」  蚊の鳴く様な声で、そう言うのがやっとだった。  「だから、お前の不始末が、この火事の原因だ。分かったな。これから、お上の調べがあるだろうが、わが藩としては、お前を下手人として、差し出す積もりだ。追って沙汰があるまで、部屋で蟄居しておれ」  「はい」  よねは、半泣き顔で、やっと頷き、部屋を辞した。  加瀬は佐藤に、一件落着を報告した。佐藤の答えは、  「そうか、よくやった。下がってよい」 だけだった。  加瀬は、その冷たい反応に、またまた、佐藤への反感を募らせた。  (こうやって、あいつの筋書き通りにことを運んでやっているのに、あの言い方は、何だ。おれは、あいつの悪行のかなりに絡んできた。あいつの秘密を握っているのだ。必ず、この恨みは晴らしてやる。その時は思い知れ)  加瀬は、心の深淵で、冷たい仕打ちを続ける佐藤と、その上にある藩そのものに強い反感を覚えて、復讐を誓った。  江戸市中は、避難民の群れでごった返していた。幕府は小石川に御救い所を設け、焼け出された人々の収容に当たったが、それで、すべてが賄えるわけではなく、焼け残った家々には、不法入居の避難民が、溢れた。  幕府は、若年寄りの堀田但馬守重信を大火対策の責任者に任命し、避難民対策や復興対策に当たらせることにした。  堀田の元には、出火原因の捜査班も設置され、津田謙五と飯山梅之助もその一員に選ばれた。津田と飯山は、翌日、連れ立って、伊達藩江戸屋敷の詰め侍らが、避難した向島の「密蔵院」に出向いた。  津田らはまず、江戸家老の佐藤に面会を求めた。佐藤は面会に応じ、幕府の調査官と客間で応対した。  「お伺いしたのは、言うまでもなく、火事の原因調査である。ご協力願いたい」  「それには、異存がござらん。当方も独自に調査を行い、大体のことは調べが付いております。調べに当たった当藩士、加瀬四郎次郎を呼びますので、詳しくは、その者からお聞きねがいたい」  佐藤はそう言って、加瀬を呼び付け、自らは、  「ほかにも、公用が重なっていますので」 と早々と、辞去した。  津田は、すでに、加瀬とは面識あった。天童藩士が切られた事件で、果たし合いの相手が加瀬だった、そのときは、動機について、追究したが、加瀬は、いっさい口を割らなかった、という記憶がある。  「すでに、調査は済んでいるということであるが、そうですか」  津田が、尋ねた。  「そうです。わが藩の独自の調査は終わっております」  加瀬が、胸を張って答えた。  「それで、それは、どういうことですか」  津田が、聞いた。  「はい、火はこの屋敷の台所から出ており、使用人が、火の不始末を仕出かしたということですな」  「どのような、不始末ですか」  「残しておいた火種を、床にこぼしたのです。実は、賄い所では、毎日、火種を小火鉢に残しておりまして、全ての仕事が終わったあと、女中部屋の火鉢に火を起こそうとして、ある女中が火種を取りにきた際、火種を取りこぼして床に落とし、それが、くすぶって燃え上がったのです」  「詳しい説明をありがとうござる。それで、その女中の名もお分かりですね」  「もちろんです。本人も過失を認め、女中部屋に蟄居しております」  「それなら、話は早い。そのお女中の身柄をわれわれに渡して頂きたい」  「それは、おやすい御用です。さっそく、そういって、連れてまいりましょう」  加瀬は、外に控えていた若い侍に命じて、よねを連れてこさせた。  津田と飯山は、配下の侍によねを連行させて、南町奉行所へ帰ってきた。    奉行所に来ていた、小六親分は、連行されて来たよねの姿を、穴の開くほどをしげしと見いった。それは何故かと言えば、「よね」という名前と、伊達藩江戸屋敷に奉公してい娘には、聞いた覚えがあったからだ。  それは、大工の留五郎と一緒に伊達藩邸の門前で張り込みをしたときの、目当ての娘だった。  小柄な体つきで、絣の着物を着た娘は、今にも泣きだしそうな顔つきをして、下を向いたまま、両手にお縄を受けて、すごすごと連行されてきた。親分は、小さな小鳥が、蛇に睨まれて今にも死にかけている光景を、想像して、娘の姿に重ねていた。  よねは一時的に、番屋の格子戸が入った拘置所に入れられた。明日から、飯山が調べを行う。  看守には背の曲がった老女が当てられた。親分はその老女と顔見知りだったから、拘置場所に入っていて、よねの様子を伺った。  よねは、土間にへたりこみ、涙を床に落としていた。多分、頭は真っ白になって、考えることは出来ない状態だろう、と親分は悟って、そのときに声を掛けるのはやめにした。まだ、十五歳の小娘には、失火の犯人として、このように拘束されたのは、酷い衝撃に違いない。  (それには、力付けが必要だ)  親分はそう思って、大工の留五郎に、よねの逮捕を知らせることにして、使い走りの松五郎を走らせた。  飯山が、この火事の調べに当たったのは、訳があった。飯山は、そもそも、伊達藩邸が、相次いだ花魁殺しの鍵を握る場所と見ていた。特に、角海老でおきた佐藤猪一郎と牧野の心中事件では、佐藤の家から伊達藩の印の入った小判の包みが見つかり、よねと佐藤は同じ甲斐の出で、親戚筋に当たることから、伊達藩江戸屋敷には、強い関心を持っていた。  そういう経緯を考慮して、幕府も飯山を火事の捜査に当たらせたのだった。  飯山は、翌日、よねを白州に呼び出し、尋問した。  その朝、すっかり焦燥して、出された朝食も一切食べなかったよねは、髪の毛を額に垂らして、幽霊のような恰好で、連れてこられた。  飯山は、その姿を見ても、調べの役人の威厳を失わず、  「その方、姓名は何という」 と紋切り型に切りだした。  「名は安藤よねと申します」  「年齢と住所は」  「年端は十五で、伊達藩江戸屋敷に女中奉公しております」  「奉公は辛いか」  「辛いときもありますが、それも、定めと諦めて、年季が開けるまでと頑張っています」  「昨晩のことだが、お前は、皆が仕事を終えて、部屋に帰った後、台所に行ったか」  「はい、参りました」  「何をしに参った」  「部屋の火鉢の火種を取りに参りました」  「そのとき、火種を床に落さなかったか」  「そういうことは、ないと存じます」  「それは、本人は覚えていないだろうが、火種が落ちて、火が出たという疑いがかかっておる」  「・・・・・・・・・」  「覚えはないか」  「ありません」  「だが、他に火を扱った者がいないのだ」  「・・・・・・・・・」  「その件は、そのくらいにして、実は、お前に本当に聞きたいことは、お前の叔父のことだ。お前は、安藤猪一郎をもちろん、知っているな」  「はい。知っています」  「安藤の家に行ったことはあるか」  「あります」  「何の用事でだ」  「お殿様の書状を持参しました」  「お殿様とは」  「ご主人です。江戸屋敷のご家老の佐藤様です」  「どの様な書状か」  「それは、知りません。封がしてありましたし、中を見るなんてことは、とても出来ません」  「本当か」  そう言われて、よねは動揺した。というのは、必ずしも、内容を全く知らなかった訳ではないからだ。よねは、叔父の安藤の仕事が何なのか、薄々、気がついていた。だから、佐藤の書状もその為の「依頼書」であることは、大体、分かっていた。  よねが、その書状を持参したとき、安藤は、  「佐藤が頼んできたか。奴も、そうとう、窮地に追い込まれたな。代金を吹っ掛けてやろう」 と言ったを、よねは鮮明に覚えていた。だが、  「本当です」 と返答した。  「少しは、分かっていたのではないか」  飯山は、追い打ちを掛けた。  「少しは・・・・・・。それは、少しは」  よねは口ごもった。  「何が書いてあった」  「はい、佐藤様の安藤への依頼文が書かれていました」  「依頼とは、何の依頼だ」  「それは、叔父の仕事のことだと思います」  「叔父は、どんな仕事をしていた」  飯山は、分かっていたが、そう聞いた。あくまで、聴取記録に残すためである。  「剣が使えましたから、道場破りや、果たし合いの助っ人、用心棒などをしていました」  「それで、その依頼は、どの仕事だと思ったか」  「叔父の反応から見て、かなり、危険な仕事の依頼だと感じました。命懸けなのではないか」  「命懸けとは、すなわち、相手の命も掛かっているということか」  「そうです」  「すると、殺しの依頼などだな」  「それもある、と思います。これは、確証があるわけでなく、私の感じですが」  「分かった。それでよい。調べは、ここまで、また、後日、調べをする。それまで、ここに、留置するから、その積もりで」  よねは、よろよろと体を起こし、入ってきた方へ、看守の婆さんに引かれて、退去した。  飯山は、思った。  (これで、佐藤の聴取へ、一つのきっかけが出来た)    幕府の大火対策の責任者、堀田但馬守重信は、出火原因を突き止めるため、出火元の伊達藩江戸屋敷の現場検証を実施することを決めた。幕府の重臣らは、この大火が大名屋敷から出火したことを重要視していた。明暦の大火も、目黒の大火も、その出火元も原因も、不明の儘に終わっている。しかし、今度は火元がしっかりしていたうえ、藩が独自に調査を行い、出火原因も判明している。それで、事件が解決となれば簡単だが、幕府のお膝元で起きた大火だけに、責任の追及とそのための原因究明はやはり、裁く立場の幕府自身の手によることが、肝心だった。  与力や同心が、現場の指揮者になって、配下の武士を五十人余りも動員した検証は、大掛かりだった。かなりの広さの伊達藩邸を隅から隅まで、隈なく検査した。  焼け跡は、まさに、瓦礫の山で、積み重なっ木や土を掘り起こし、瓦や壁の落ちたのを一枚一枚、捲っての検証が、丁寧に行われた。  その結果、最も焼けかたが酷いのは、当初、推測された台所ではなく、その脇にある江戸詰め藩士の部屋の中であることが分かった。  現場の指揮を取っていた津田謙五は、その場所の捜索に加わっていた。  「ここは、侍部屋だろう。ここから火が出て、台所のほうへ燃え移った。そして、屋根へ這い上がって、母屋の客間や、控えの間に飛火した」  「確かに。それで、もう少し、その出火場所の辺りを調べましょう」  駆けつけた飯山が、津田を促した。  侍部屋は、畳がすっかり焦げて、真っ黒になっていたが、特に窓際の畳が酷かった。その畳を細かく調べていた津田の部下の若い白田彦一郎が、  「あれ、こんなものが出てきた」  手にとって、持ってきたのは、煙管の吸い口と煙草の受け口のらおの金具だった。真中で両者を繋いでいた竹の管は、燃えて無くなったのだろう、発見されなかった。それに、瀬戸物の煙草盆が出てきた。それも、強い火に晒されたためか、釉薬が溶け、付いていたと思われる模様が、流れて変色していた。  「これが、火元ではないですか」  白田が推測した。  「台所の小火鉢は、どうなんだ」  津田が尋ねた。  「普通の燃えかたです。火鉢も瀬戸物ですが、煤が付いただけで、燃え上がったような形跡はありませんね」  飯山が答えた。  「それから、女中部屋の火鉢は」  「それは、灰だらけで、転がっていましたが、燃えてはいません。こちらは、素焼きの安物ですが、焦げた跡はない」  白田が再び答えた。  「すると、伊達藩独自の調べとは、何なのだ。あやしいものだな」  津田は、そう独白して、現場を離れた。  物証は、出荷現場が、台所ではなく、侍部屋であることを、物語っていた。すると、誰の部屋なのかが、次に問題になる。その調べはすでに、付いている。詳細な見取り図が作成されており、あとは、現場とその見取り図を付け合わせればよかった。そしてその部屋の主が、出火時間に居たのかどうか、あるいは、その時間にだれかが入っていたのかどうかを聴取すればよい。  それらの調べが、次いで行われ、部屋の主が、加瀬四郎次郎であること、その部屋には本人の他に、出入りした者はいないことが判明した。  (こうなったら、加瀬と佐藤を直に調べるしかないだろう)  津田の気持ちは固まったが、大名屋敷の重臣とあっては、幕府の与力一存で出来ることではない。津田は、堀田但馬守重信と南町奉行の長岡近江守輔忠に、上申して、取り調べに乗り出すことを決断した。    その夜、小天馬町の美濃屋の焼け跡に、小柄な黒い影が忍び込んだ。焼け跡には、店の者、五、六人が、不寝番に立っていたが、影は、立ち番らの隙を盗んで、闇夜に乗じて、玄関先の焼け跡から、裏庭へと真っ直ぐに進み、一番、奥の絵画の所蔵庫の前まで来て、立ち止まった。倉庫の扉は、鍵が焼け落ちていたが、閉じられているために、開くのが重く、影は、扉を開くのに手間取った。しかし、ようやく、扉を開くと、そっと内部に忍び込み、入口近くで、持ってきた油提灯に火を入れた。  辺りが、うすぼんやりと、明るくなり、忍び込んだ人物の影が、大きく壁に写されて揺らめいた。  影は、内部へ動いていき、蔵の真中辺りで、動きが止まった。影が、所蔵されている作品を、一つ一つ、確認しているのが、少し動いては止まる動きで、よく分かった。  影は、いったん止まると、その作品の前で、作業を始めた。畳一畳大の大きさの作品を持ってきた鋸で切りはじめた。  初めは、横長の部分を三つに切った。そして、今度はその三つを横にして、二つずつにした。すなわち、畳大の大作が、六つの小さな破片に分割された。  影はそれを、三つずつ紐で縛り、二つの包みにした。そして、それを肩にかけると、入ってきた扉のほうに戻り、闇夜のなかを駆け抜けて、路上に消えた。  そのあいだ、不寝番の店員たちは、全く気付かずに、寝ていたり、お喋りに興じていた。影は、走りに走ったその間も、人に一切、出会わずに、自宅に帰った。そして、朝起き鳥が、鶏声を上げるころ、分割した絵の修復を終え、祭壇に飾った。       調   べ  津田謙五は、堀田但馬守重信と長岡近江守輔忠に、伊達藩江戸家老、佐藤承吾並びに同藩士、加瀬四郎次郎の拘束と収監による捜査を上申した。あわせて、伊達藩邸並びに藩士の避難先の向島の「密蔵院」の家宅捜索の許可も申請した。  容疑は、「伊達藩邸からの失火」と「吉原の遊廓・角海老の遊女並びに浪人・安藤猪一郎の殺害」とされた。  この調べを進めて、最初の「三浦屋」の花魁、右京太夫殺し事件解決に結びつける目論見だった。  上申書類には、天童藩邸で押収した密約書や領収書、伊達藩の行儀見習い、よねの証言、美濃屋で押収した油売買の書類、佐藤の自宅から押収した伊達藩の印の押された小判の包みなどが添付された。  堀田但馬は、所管の大火の原因調査の範囲で津田の上申に許可を与えた。長岡はやはり所管の花魁殺しと心中事件で、上申書類を審査したが、  「理由あるべし」 として、申し出を許可した。  さらに、天童藩邸前の果たし合いについても、大目付けが協議のうえ、一転、幕府独自の裁断を行うことに決し、再調査が行われることになった。その担当は、当初から、係わってきた津田と決まった。  津田は、花魁殺しの件は、親友の飯山に主担当を譲り、火事は、自らが主担任になった。いずれにせよ、両事件とも、二人が係わり、協力して、解決に当たる態勢が固まった。  津田らは、まず、大火の出火責任から、手を付けることにした。その第一歩は、伊達藩の独自調査と、幕府の現場検証の矛盾を追究することだった。  そのためには、加瀬四郎次郎の出頭を求めることが、肝心だった。二人は、加瀬を江戸城内の役所に呼び出した。  加瀬は、この事態を予期していたのだろうか。羽織、袴の正装をし、殊勝な面持ちで城内に参内してきた。  その日、早朝から出仕した津田と飯山は、簡単な打合せをしたあと、直ちに、調べに入った。  深々と頭を下げて、調べを行う控えの間に入ってきた加瀬は、呼ばれて調べの間に入ると、再び、平身低頭した。  「面を上げい」  正面に座った津田が、命じた。  「これから、過日の大火の失火責任についての、伊達藩士・加瀬四郎次郎の調べを行う。そちは、加瀬四郎次郎、本人であるか」  「そのとおりです」  「年齢と住所を述べよ」  「歳は四十八歳、現住所は、向島の真寺院・密蔵院です」  「では、調べを始める」  加瀬は、頷いた。  「過日の大火は、江戸市中を焼きつくし、多数の住民らが焼け出されて、路頭に迷っている。火元は、伊達藩の江戸屋敷からと判明したが、出火元については、藩独自の調査で、女中の安藤よねが、容疑者として差し出された。ところが、幕府の現場検証では出火場所は、言われたような台所でなく、裏の侍部屋と判明した。お主の居室から、出火したのだ。これについて、なにか言うことはあるか」  「私の調べでは、女中の安藤よねが、女中部屋の火鉢の火種を取りにきて、取りそこね床に落としたのが、原因と分かりましたが」  「そうだ。しかし、台所には、その証拠はなかった。一番焼けかたが酷かったのは、お主の居室のなかだったのだ。思い当たる節はないか。例えば、煙草を吸ったとか」  「いっさいそういうことはありません。わたしは煙草は、吸いません」  加瀬は嘘を言って、保身に走った。津田は追及を続けた。  「だが、煙管と煙草盆が見つかった。それらはお主の所有物だという同僚の証言もあるぞ。煙草を吸わなかった、というのに偽りはないな。偽証の罪は重い。打ち首だぞ」  加瀬は考え込んだ。加瀬の気持ちのなかには、佐藤の命令によって、よねを出火の犯人にでっち上げてしまった、後悔の気持ちもあった。それに、なんでも命令どおりに、反論も許されず、佐藤の意の儘になってきた、自らの不甲斐なさへの懺悔の気持ちもあった。  「よねが、そう自白したのは事実です」  そういうのがやっとだった。  「自白だけであろう。われわれの調べでは、火種を落としたような覚えはない、と言っている。お主らの調べとは明らかに違っているわけだ。それに、物証もよねの過失を否定している。火種を入れてあった小火鉢のそばに強い焦げ跡は発見されていないのだ」  加瀬は観念した。  「申し訳ない。実は、私は煙草を吸いました。久し振りに吸って見る気になり、煙管を手にして、吸っているうちに、外出したくなって、十分に火を消さずに、出ていったのです」  そう言って、加瀬の気持ちは、軽くなった。  「では、なぜ、よねの仕業にしようとしたのか」  津田は重ねて聞いた。加瀬は、口ごもった。  「それは・・・。それは、上からの命によるものです」  「上、というのは、だれだ」  「はい、江戸家老の佐藤さまです」  加瀬は絞り出すように言った。  津田は、  (こちらの土俵に乗ってきたぞ) と心中密かに感じて、追究を早めた。  「なぜ、そのような命を出す必要があったのだ」  「それは、私には分かりません。あくまで、命令ですから」  加瀬はまた、口を閉ざした。津田は、違った方向から攻めた。  「お主と家老は、他の藩士とは、違う特殊な関係なのか」  「は・・・」  「お主は、何か、密命を帯びていたのか」  質問は、確心を突いた。  「いえ。蜜命と言われても。いろいろと、下命はございました」  「例えば、どういう下命があったのだ」  津田の追究は続く。  「実は、私は表の仕事は、伊達藩江戸屋敷の祐筆ですが、裏の仕事は隠密頭です。そのため、藩政の重要な情報や機密が対象ですから、それは、いろいろと、こと細かく命令が下されます。詳しい話はお話しできませんが」  幕府の役人の末端に連なる津田としては、これは聞き捨てならない言い分だったが、事件とは直接の関係がないので、こだわるのは止めた。  「その命には、例えば、邪魔者を消せというような暗殺の指令もあるのか」  「あります」  「お主は、剣も相当の使い手であるようだな」  「撃剣五段の腕前です」  加瀬は、誇らしげに言った。  「その腕を、裏稼業に生かす場合もあった、ということか」  「ありました」  「それは、例えば、どの様な場合があったのか」  加瀬は、追究される場で、自分の得意が聞かれたので、饒舌になっていた。  「例えば、天童藩の忍び頭を殺った。向こうも相当の使い手だったが、一刀の元に切り捨てた。これは、手柄だと思うが」  「手柄だと思うが、佐藤は、そう評価しなかったのか」  津田は、加瀬の心理を見抜いていた。そう言われて、加瀬は、  「そうだ。ご家老は、労いの言葉さえ掛けてくれなかった。こちらは、命懸けだったのに、やって当たり前のように、対応された。わしを人間と見ず、機械と同じだと考え ていたのだ。自分の保身だけが、大事なのだ」  津田は、  (加瀬は、ますます乗ってきたぞ) と調べの手応えを感じていた。  「では、なぜ、天童藩士と切りあいをしたのか」  「その件は、同じ隠密として、訳を存じておる。殆どの仕事は、訳など聞かずに実行したが、これだけは、承知している」  「それは、どういうことか」  「これは何処の藩も同じだと思うが、近頃の物価の値上がりや商人の物資の買い占めでみな、生活は苦しい。そこで、藩からの給金のほかに請負仕事をするものが多い。天童藩の伊藤太一郎も請負仕事をしていた。最初はわしが斡旋して佐藤に仕事を請け負わせたのだが、そうしているうちに、段々と深入りしてきて、佐藤の個人的な秘密まで知るようになった。それで、私に始末をしろと命令が来た。わしは、闇討ちも考えたが、武士らしく正々堂々と勝負しようと決め、あの日、伊藤に正面から勝負を申し出た、そして、ああいう結果になったのだ」  「正々堂々としたにしては、伊藤には反撃した形跡がないぞ」  「反撃なぞ、出来ないくらい、わしの剣さばきが素早かったということだろう」  「きちんと、名乗り会ったのか」  「それは、礼は尽くした。これは、正当な侍同士の果たし合いだ」  「それなら、なぜ、昼間に、衆人監視のもとで、行わなかったのだ」  「それは、われれわれが隠密同士だからだ。隠密にとって夜も昼と同じだ」  「それが、闇討ちを疑わせるのだ」  「伊藤の手負いの切り口を見てもらえれば、分かるだろう。胸から腹へ、一刀で切っているだろう。これが、なんで、闇討ちか。正面からの勝負の証拠ではないか」  「しかし、夜だったのと、他に人が居なかったのはいかにも、不味い。幕府はその点を重視し、さらに、動機についても疑いを持っている。その訳とやらを詳しく聞こうではないか」  津田の促しに、加瀬は心を決した。  「天童藩の隠密は、織田信長公以来の長い伝統を持ち、忍びの技術も一級だ。そこでわが藩も直接、藩士では出来ない仕事を、下請け仕事に出していた。その窓口になっていたのはわたしだが、吉原の心中事件では、安藤の死体の処理と搬出を奴らに任せた。あれらは、吉原の仕事もいろいろとやっているから、それは手慣れたものだった」  「その、仕事代が、この領収書か」  津田は、天童藩邸で、押収した領収書の書き付けを、加瀬に見せた。  「そのようですね。だが、佐藤は金を払わなかった。心中に見せかける、といいながら、殺しの証拠を残してしまった、というのが言い分だった。それで、伊藤らは、佐藤に脅しを掛けてきた。佐藤の若いころの行状を調べ上げ、金の支払いと増額を迫ってきたのです」  「それが、疎ましくて、お主に、暗殺の命が下ったのか」  「暗殺ではありません。始末を命じたのです」  加瀬は、あくまで、正当な果たし合いにこだわった。  「若い日の行状とは、長崎でのことか」  「それは、わたしは存じません。どういうことだったか、それは、あくまで、佐藤と伊藤の間のやり取りですから。わたしの知っているのは、そこまでです」  加瀬の話は、それで終わったようだった。  津田は、また、話の向きを変えた。  「それで、最初の件に戻るが、なぜ、よねに罪を負わせようとしたのだ。なぜ、よねなのだ」  意外な方向からの尋問に、加瀬は質問の趣旨を理解しなかった。  「それは、よねが、火種を取りにきたからだ」  「そうではない、なぜ、よねを選んだかと言っているのだ」  「選んだか、といわれても。それは強いて言えば、佐藤様の考えです」  「よねでなくては、困るのだろう」  「いや。はい。そうか、佐藤の狙いはそうだったのか」  加瀬は呻き声を上げた。  「なんだ、いまごろ、なにか、気が付いたのか」  「そうだ、それが、佐藤の狙いだったのだ。よねを犯人に仕立て上げるのが」  「そうだろう。そういうことなのだよ。加瀬殿。だから、何故かと聞いている」  「わたしが、思い浮かぶのは、よねが、安藤の姪子だからです。それ以外に考えられない。佐藤の秘密を知っていたのではないですか」  「秘密とは」  「安藤に何を依頼していたか、ということです」   「何を、依頼していたのだ」  「それは、よねが持参した書状に書かれていたことだと思います」  「それは、何か」  「殺しの依頼でしょう。佐藤のことですから」  「相手は誰だ」  「知りません。私の知るべき領域ではない」  津田は、その言葉に、続いての追究を止めた。  調べを初めてから、大分、時間も過ぎた。この当たりで、今日の調べは、中断することにした。昼食の時間も迫っていた。  「これで、午前の調べは終了する。午後は、昼食後、半刻後に、再開する」  津田は、そう告げて加瀬を辞去させた。  脇に座って、調べを見ていた飯山が、津田の方に寄ってきて、  「順調な滑り出しですね」 と声を掛けた。  「大体、うまくいった。こちらの、筋書きが裏付けられつつあるね」  津田は飯山を見て、微笑んだ。  伊達藩江戸屋敷の藩士たちの避難先、向島の真言寺「蜜蔵院」の奥まった座敷で、江戸家老の佐藤承吾は、そわそと、部屋の中を歩き回っていた。  幕府の家宅捜索が行われて、佐藤の部屋も調べられ、大火の炎を潜って、持ち出した秘密書類や個人的な書面が悉く持ち去られた。それらは、佐藤の数々の悪業を証拠立てる書類だった。  (みんな、持っていかれてしまった。江戸家老としての、仕事の全て、個人的仕業の全てが、知れてしまう。藩主の交代で、わしの解任は間違いないとは思うが、それに、幕府の調べで、始末が出たら、俺の人生もお終いだ)  本来の小心振りが、こういう、危機的な状況では、ますます、拡大し、疑心暗鬼が募った。  (なんとか、しないといけないが、どうすればいいのだ。外様の家柄では、幕府に頼るべき人材もいない。呼び出された加瀬は、何を喋っただろう。手を拱いているばかりだ)  とは思うものの、何かが出来るわけでもない。ただ、気をもんで、一日を過ごし、翌日の江戸城への登城の準備も儘ならなかった。    津田と飯山の元には、大量の証拠書類と証言が集まっていった。「蜜蔵院」の捜索を終えた、部下らが持ち込んだ佐藤の部屋にあった文書類が、とくに、宝の山だった。  それらは、仙台の藩主との通信、個人的な書簡などに混じって、多くの密約書や領収書、契約書類だった。なかでも、一番多かったのは、美濃屋との、油の取引の秘密文書だった。  それらを、既に美濃屋の捜索で押収してあった書類と付け合わせる作業は、一晩かかったが、多額の賄賂と仕入れと売り値の差額が佐藤の懐に入っていたことが、証明された。  そのなかに、安藤猪一郎と交わした書面と、天童藩の伊藤太一郎とあいだで、取り交わした密約書が、津田と飯山の目を引いた。  安藤の書面はこう記されていた。  ーー 御依頼の件、承りました。吉原の花魁を始末し、その金品は百両とのこと。承知つかまった。金品は仕事の前に半額、終了後、半額を承る。委細は、よねを通じて連絡致します故、ご承知置きをーー。  また、伊藤の書面はこうだった。  ーー 死体の始末、終了しました。ついては、約束の二十両を承りたい。また、貴殿の長崎時代の私生児についても、当方は掌握した。この件についても、話し合いたいので御連絡を請うーー。    加瀬の午後の調べは、定刻に始まった。  「佐藤が全てを命令してきたというが、自らの判断はなかったのか」  これは、重要だった。加瀬自らの判断で行った犯罪があるとすれば、佐藤の罪は軽くなる。  「一つだけあります」  「それは、何か」  「美濃屋の水死です。美濃屋は、佐藤と釣るんで、油取引で暴利を得ていたのに、けちだった。わたしの札差しへの借金を初めは肩代わりしてくれたが、二度、三度となって十日で一割の高利を取るようになった。それも、滞ったため、わたしは、美濃屋に、返済の猶予を申し出た。しかし、どうしても、金が必要だ、あなたばかり、待っていてはいられない、としつこく、返済を迫るようになった。そこで、返済の話し合いが品川の料理屋であったが、そこで、『返さないのなら、妻子を売りに出せばいいではないか』とまで言われ、武士の誇りを酷く傷付けられた。わたしは、かっとなった。しかし、その場は抑えて、酒のあと、一緒に風呂に入っていたところを、美濃屋の頭を湯に付けて溺死させた。あとは、運び出して、海に捨てたのだ」  (加瀬は、一つ重荷を下ろした) と津田は思った。  「よく、自白した。少しは、気分が軽くなったろう」  「はい、だが、これは、武士としての誇りを守るためにやったこと、後悔はしておらん」  加瀬は、強気に応じた。  「そういう仕業は、どれくらいした」  「仕業・・・」  加瀬が問い返した。  「この太平の世で、そういう、人を殺めることは、どのくらいしてきたか、聞いているのだ」  「近頃では、この二件だけです」  「吉原の花魁殺しには、絡んでいないのか」  脇で聞いていた飯山が、質問した。  加瀬は、飯山の方に向き直り、  「吉原など、足を向けたこともない」 と一言で、撥ね退けた。  津田が聞いた。  「もう一度、聞くが、佐藤の秘密とは、何なのだ」  加瀬が、きっとなって、返事をした。  「何度も言うが、わたしは、いっさい知らない。個人的なことを話し合うような関係ではなかったのだ」  津田は、加瀬のそうした姿勢に、宮仕えの身の武士の業を感じていた。組織の命の儘に仕事をしたのが加瀬だった。それは疑いもなく、加瀬にとっては、「生きる」ということだったのだ。  「これにて、調べは終わった。追って処断を下す。それまで、自宅にて、待機するように」  津田のその日の調べは終わった。    翌日の佐藤承吾の調べは、江戸城の大目付け控えの間で、堀田但馬守重信、直々に行われた。津田と飯山は事務方として、出席した。また、陪席には、南町奉行の長岡近江戸守輔忠が、付いた。  佐藤は、綺麗に髪を整え、上下を付けての正装で、やって来た。しずしずと堀田の面前に進んで、恭しく、両手を畳に突いて、頭を下げると、  「伊達藩江戸家老、佐藤承吾で御座居ます」 と名乗った。  「面を上げ」  堀田の言葉で、顔を上げた佐藤の頬は紅く、気分が高揚していることを伺わせた。  「これより、江戸大火の出火責任についての詮議を始める」  堀田が宣言した。  「人定尋問は省略する。さっそく、本題の尋問に入る。まず、先程の大火だが、この出火元が、貴藩邸であることについて、異存はないな」  「はい、ございません」  「それで、出火場所だが、貴藩の独自調査によれば、台所であるということだが、それは、間違いないか」  「そうなっております」  「しかし、幕府の調べでは、侍部屋となっている。貴藩の調べとは異なっているが、どう説明する」  「その点については、わが方の調べは、幕府の現場検証より早く、しかも、人の証言を頼りにしたものであり、物的な裏付けはありませんでした。したがって、幕府の調べが正当かと存じます」  「それでは、幕府の調べの結果に異存はないということでよろしいか」  「はい」  「では、そういうことで、処断する。出火場所は加瀬四郎次郎の部屋だ。加瀬の過失と見てよいのだな」  「それで、結構です。加瀬の火元不注意によるものです」  佐藤は加瀬を一切庇わなかった。それが、佐藤の処世の術である。  「加瀬の過失によるとしても、管理者としての貴公の責任は免れぬぞ」  風は、佐藤にも吹いてきた。  「その責任は十分に承知しております。どのような処分でもお受けします」  佐藤は、もとより、そんな責任は感じていない。ただ、  (困ったことになった。ここは、うまく乗り切らなければ) と降りかかった火の粉を振り払おうとしているだけだ。  それに、  (藩主の交代で、いずれ、江戸家老は交代だ。それまで凌げればよいのだ)  そういう捨て鉢の気持ちを手伝った。  「では、火事の件はそれでよい」  堀田が言った。  佐藤は、これで、凌ぎきれたと思ったが、続いて、長岡が関連尋問に立って、雲行きが怪しくなった。  長岡が聞いた。  「では、なぜ、よねに罪をなすろうとしたのか」  佐藤は必死で答えた。  「罪をなすろうなどという考えは、毛頭、ございません。当方の調べで、そういう結果になっただけです」  「加瀬はそうは申しておらぬ。なにか子細があってのことだろう、と申しておるぞ」 「何もありません」  「では、ここにある書状を何と説明する」  長岡は、「蜜蔵院」から押収した安藤の書状を佐藤に見せた。  「それは・・・」  佐藤は口ごもった。  「なんだ」  「それは・・・」  「それでは、私から説明しよう。これは、およねが、安藤から預かって、貴公のもとに持参したものであろう。安藤の自宅からは、貴公の書状が押収されておる。これは、それへ返信だ。こういう書状を持たせたよねが、秘密を知ったとみて、よねを亡き者にしようとしたのであろう」  「そういうような気持ちはございません」  「それでは、聞くが、書状にある、花魁を始末とは何のことだ」  「・・・・・・・・・」  「貴公が話さないのなら、私のほうから説明してやろう」  「・・・・・・・・・」  「これは、吉原は三浦屋の花魁、右京太夫の殺害を安藤に依頼したものだ。金子は百両だった。そうではないか」  「いえいえ、とんでもない。そんなことを拙者がするわけがない。何故、そんなことをしなくてはいけないのですか」  「では、説明してやろう。われわれは、長崎まで、調査に行って、貴公の若き日の行状を調べた。貴公は、伊達藩の語学留学生として、長崎に留学していたが、その地で、絵画も学んだらしい。長念寺の無学和尚に付いて、墨絵を学び、優れた才能を発揮したそうだな」  「若いときに、そういうことも、ありましたな」  「そして、それだけでは飽き足らなくなったのか、長崎だけで教えられていた西洋画の技法を学ぶために、出島に通い、その地のオランダ人教師から、西洋画も学んだ」  「そういうこともありましたな」  「そこで、死んだ浮世絵師の安斎歌麿と知り合いになったろう。また、かの地のオランダ商館のカピタンの娘とも昵懇になった」  「そうですか。よくお調べになった」  佐藤の表情が硬くなった。  「すると、そのうちに、その娘が、子供を孕んだ。それは、貴公の種ではないか」  「それは、恐れ多いこと、そのようなことは、一切存じつかまつらず」  「まあ、いい、聞け。そして、子供の処理を歌麿に任せた。そのころは、歌麿とは言わず、与之助と名乗っていたかも知れないが。与之助は、貴公の頼みを聞いて、自分の実家の近くにその子を養女に出した。それが、米沢の大野家だ」  「すべて、初耳ですな」  「そうではなかろう。その子の名は知っておるだろう、名前はエミー・恵美・シーボルトンという。貴公が長崎奉行所に届け出た名前は、塩野恵美となっておる。この名を知らぬとは、居わせぬぞ」   「それは・・・・・・」  「この名は覚えておるだろう」  「・・・・・・・・・」  「忘れてしまうことはなかろう。貴公の落とし種だからな」  「それは・・・・・・・。忘れたくても、忘れようがありません」  佐藤は、感極まって、目を濡らした、着物の袖で、目頭をぬぐうと、  「拙者の青春の忘れえぬ思い出です。あの子を、どれだけ不憫に思って来たことか」  「お主にも、親の情は残っているようだな。その娘は、近所の二人姉妹と仲良く遊んで育った。しかし、その姉妹の家は小作農家で貧乏だったから、上の娘は江戸の遊女屋に売られ、下の娘も奉公に出された。それは知らんだろう」  「知りません」  「ところが、下の娘が家を出た日に、恵美の姿も見えなくなった。村の者たちは神隠しにあったと捜し回ったが、それっきり行く方不明のままなのだ」  「それで」  「それで、そこから、この話は、始まった」  「何でしょうか」  「そこを。貴公に聞きたいのだ。吉原の右京太夫は、米沢の生まれだと言うぞ。そこへ、貴公も、殺しの下手人とされ処刑された歌麿も通っていた。もちろん貴公は、美濃屋からの接待だろうが、歌麿が、通っていたのは、後援者の美濃屋の金だけではない。かれは、特別の客だった。それは、どういうことだ」  「どういうこととは」  「因縁浅からぬ、歌麿と貴公が、同じ店に居たときに、右京太夫は殺されたのだ。その訳を話してもらいたいというのも、分からないことではなかろう」  長岡の言い分を聞いて、佐藤は、考え込んだ。そして、決心したように、  「お話ししましょう。あの晩のことを」 と前置きして話したことは、  ーー 私はあの晩、美濃屋と一緒に、三浦屋へ上がりました。もちろん、売れっ子の右京太夫がお目当てでした。ところが、先客に幕府の重臣がおり、一刻半ばかり待たされた。なんでも、若年寄り、酒井様とそのお連れということでした。二階の部屋で酒を飲んで待っていると、酒井様の部屋を終えて、太夫がやっと、やって来た。この日は、何か、太夫は、浮き浮きした表情で、とても、良く話した。  「何か。いいことであったか」 と聞くと、  「はい、わちきも、これで、自由になれるのでありんす」 と言った。  「自由になれるというのは、身請けの話でも決まったか」  私が聞くと、美濃屋が受けて、  「あたしが、受け人でございます」 と白状した。  「それは良かった。美濃屋。一杯いこう」 と酒杯のやり取りになり、酒の量が増すにしたがって、拙者は、そう飲める方ではないので、すぐに、寝てしまった。  そのうちに、太夫の部屋から、悲鳴が聞こえ、店中が大騒動になって、拙者も目を覚ました。そういう次第です。だから、拙者は、その殺しには、一切、関与しておりません。そういうことですーー。  佐藤は、無罪を主張した。  長岡は、追い打ちを掛けた。  「では、この証文は、何と申し開きする」  押収した安藤と交わした「花魁始末」の証文を、開示した。  「それは、拙者が、安藤に依頼した文書への返事でございます」  「始末とは、殺人のことではないのか」  「はい、そういうことも、含んでおります」  「では、れっきとした証拠ではないか」  「しかし、依頼をしただけで、安藤は、実行しなかったのです」  「それは、おかしい。事実、右京太夫は殺されたではないか」  「ですが、その日の客に安藤の名はありますか。安藤は、約束しながら、果たさなかった。そして、金だけを要求してきた」  「では、依頼したのは、間違いないな」  佐藤は、自分の犯行を否定しながら、依頼の件は、認めてしまった。  (しまった)  その気持ちが、募ってきて、証言がしどろもどろになった。  「はい。いや。はい。依頼を致しました」  「どういう理由だ」  「実は拙者は、太夫に脅されておりました」   「なぜだ」  「太夫は、歌麿と組んで・・・・・・と、私は推測しているのですが、私の若い日の間違いを、藩の上役に言いつける、と脅してきたのです。この、幕藩体制の世の中で、もし、わたしに私生児がおり、しかも、紅毛人との混血児とあっては、わたしの出世の大きな障害になることは明らかです。また、美濃屋との関係で、多額の賄賂を貰っていることも、知っている、と仄めかしてきた。右京太夫は幕府の重臣とも懇ろですから、これでは、わたしは人生は終わりだ、と思って、しかたなく、素浪人で剣の使い手という評判があった、安藤に依頼したのです」  「よく、そこまで、言ってくれた。それでは、貴殿が教唆、依頼して、右京太夫を殺めたのだな」  「いえ、ですから、依頼はしましたが、実行はされなかったのです。ですから、太夫が殺されたと知って、わたしは驚いた。そして、安藤に事情を聞いたら、俺はやっていないが、結果は同じになったのだから、金は払えと、強要された。さらに、割増金まで、要求してきたのです」  「それで、心中に見せかけて、安藤を殺したのだな」  「いえ、それは、加瀬が・・・・・・。いえ、存じません」  「なに、加瀬が、とか言ったな。加瀬がどうした」  「加瀬が、やったのです。拙者が、安藤のことに、悲憤こうがいしているのを見て、そういう不埒な輩は、成敗しないといけない、と言いはじめ、勝手に始末したのです」  「加瀬は、そうは言っていない、貴公に命令されたのだと、言っておる」  「滅相もない。拙者は存じません」  「それなら、この証文を、どう申し開く」  長岡は、天童藩の江戸屋敷で押収した伊藤太一郎の文書を示した。  「これは、安藤と角海老の花魁、牧野の死骸の始末を頼んだ時の文書ですな。加瀬が頼んで、返事が私のところへ来ただけです」  「なぜ、それを大事に文箱に入れて、保存しておいたのか」  「それは、加瀬への警戒からです。加瀬が、私に罪をなする場合に備えて、取っておいた」  「ということは、いずれにせよ、貴殿らは、この件ついては、共犯であることを免れるものではない。貴殿も事情を知っていて、止めさせもしなかったし、止めもしなかったのだから」  佐藤は、また、自らの言葉で、自分を縛ってしまったことに、気が付いた。  長岡が聞いた。  「ほかに、なにか関連質問はないか」  飯山が、進み出て、尋ねた。  「しからば、伺うが、右京太夫と絵師、安斎歌麿は、どのような関係と思われるか」  佐藤は、少し考えて、答弁した。  「浅からぬ仲でないかと、存じます。二人は、共謀して、わたしらを脅したのです」  「歌麿はなぜ、脅す必要があったのか」  「それは、金です。金を取って、引退するつもりだったのでしょう」  「しかし、右京太夫は、美濃屋に身請けされることになっていたのだろう。そのような時に、なぜ、貴公らを脅す必要があったのだ」  「本当は、歌麿と駆け落ちでもしたかったのでは、ないでしょうか。そのために、金が欲しかった」  「どうも、納得が行かぬ。不自然すぎると、思わないか」  「分かりません」  それで、堀田が、尋問の終了を宣言した。  「これにて、調べを終える、佐藤に対する裁断は追って、沙汰する。それまでは、自宅にて、謹慎を申しつける」  幕府の調べは、終了した。いずれ、処断が下るだろうが、飯山には、腑に落ちないことが多すぎた。    津田と飯山は、江戸城内の控室で、この日の審問の成果を検討してみた。  「佐藤は、安藤と牧野の心中が、殺人によるものだと、認めたな」  飯山が問いかけた。   「直接の関与は否定したが」  津田が答えた。  「だが、共犯関係は間違いないところだ。それで、この件は有罪だな」  「それに、加瀬は、美濃屋の水死も自分がやった、と認めた」  「それから、佐藤は、美濃屋と釣るんで、油でぼろ儲けしていたことも、認めた」  「これで、二罪だ。いや、その前に、肝心の大火の出火の火元責任がある。それと、天童藩の忍びに頼んで、安藤と牧野の死体を始末したこともあるから、加瀬と一緒に、死体遺棄罪も加わる」  「かなり、重い処分は間違いないだろう。最低でも、国帰しというところかな」  飯山は追って出されるであろう、幕府の処罰の内容に、言及した。  「そんなに軽くはないだろう。直接でないにしろ、三人を殺したのだから」  「だが、身分が違う。相手は、素浪人と町人と遊女だ。佐藤は腐っても、外様とはいえ、武士階級の一員だ。しかも、重臣だぞ」  「そこを、幕府のお偉方が、どう判断するか。それでなくても、伊達藩は、藩主が亡くなったばかり、お家騒動もありそうだし、幕府に取って、厄介な外様大名の取り潰しの絶好の口実になるかもしれぬ。因縁を付けようと思えば、いくらでも出来るのが、この事件だ」  「津田殿、この場所で、声が高いぞ。不穏当な発言は慎まれよ」  「これは、口が滑った。そうしようと思えばできる、と言ったまで。他意はござらんよ」  飯山は、話題を変えた。  「それにしても、右京太夫殺しは、頑強に否定したな。これは、予想外だった」  「あれだけ、否定をしたのだから、やっていないのが事実、と見ていいだろう」  「おれも、そういう心証だ、ほかの事件は認めたのだから、これは、本当にやっていないとみていいと思う」  「では、だれが、やったんだ」  「この事件は、振り出しに戻ったな」  津田は、飯山の担当事件とあって、わざと突き放した言い方をした。  「冷たいことを言う。この件が気掛かりで、再捜査を始めたのに、それが、解決出来ないとは。もう一度、原点に戻ってみようか、そうしないと、処刑された歌麿が浮かばれない。まず、動機が問題だ」  「そうだ。殺意を持った者が、他に居るのかどうか、調べて見ることだな。佐藤と加瀬への処分が出たら、おれも手伝うよ」    幕府は、この七日後、二人の処分を決めた。  [佐藤承吾は、藩に罪状を説明のうえ、国帰し、江戸への無期限立ち入禁止。それ以上の処分は伊達藩の決めるところによる。  加瀬四郎次郎は、伊達藩士の資格を剥奪。身分を武士から農民に改める。国帰しのうえ、藩の開墾作業に懲役]  以上で、公的な処分は終わった。処分は直ちに実施され、二人は、国へ帰された。  幕府は伊達藩の藩政への介入は見送った。後継者が、速やかに決まり、藩政の安定が図られることに、期待した。なんといっても、大藩の外様大名を取り潰すには、理由が余りにも、軽すぎた。いずれも、単なる、佐藤個人の犯罪と見られたからである。   金髪の娘    江戸城でのお調べの事前、事後の事務処理で、すっかり、疲れきった飯山は、処分が出て、一区切り付いてから、七日間の休暇を願い出た。津田も飯山に合わせて、休みを取った。  二人は、この、休暇の最中に、最初の事件をじっくり、考えて見ることにした。  津田が飯山の侍屋敷にやって来て、朝から晩まで、事件の書類を調べた。すでに、片が付いていた事件だから、南町奉行所から、書類を持ち出すのは簡単だった。  飯山の妻子は、夫の休暇を、家族の絆を深める機会と、期待していたが、飯山が仕事を持ち込んだのを見て、  「実家へ行ってきます」 と、家を出ていった。  (あれは、そういう女だ。家庭のことはしっかりやるが、夫を夫として、敬う心など持っていない。夫は給料を貰ってくる、伝書鳩だと思っている。ただ、息子だけが可愛い。そういう女だ。女としての魅力なんて、まるでない。耐えることも知らなければ、女としての潤いもない)  飯山は、そこまで考えて、そこまで言うのは、言いすぎかと、自らを責めた。  調書で、歌麿は、犯行を、頑強に否定していた。  飯山に右京太夫との関係を  「お前は、太夫と昵懇であったのであろう。それが、最近だんだんと、疎遠になり、太夫が上客をとるようになるに従って、お前の凛気が募って、太夫をは鬱とおしく思うようになっていたのではないか」 と聞かれて、歌麿は、  「仲はとても宜しゅうございました。喧嘩一つしたことはございません。それに、会えるのは、月に一度が良いほうでして。その一度が、とても、待ち遠しいくらいでした。その愛しい花魁を、なぜ、殺すことが、できましょう」 と太夫への純粋な気持ちを語り、犯行を強く否定していた。  飯山は、改めて自分の調べの記録を読んでみて、  (この言葉に嘘はなかろう) と思った。  津田が他の部分で同じ発見をした。歌麿は、右京太夫が売れっ子になったのを、疎ましく思ったのではないか、と聞かれて、  「私は、太夫の出世を喜びこそすれ、羨むようなことは、ございません。私は、月に一度の再会を、いつも楽しみにして、指折り数えていたほどですよ」 そう答えていた。  「たとえ、相手が遊女とはいえ、これほどまでに、愛していた女を無碍に殺すようなことは出来るだろうか」  津田が、飯山に問いかけた、飯山は静かに、頭を振った。  調書をさらに読み進むと、これまで、気が付かなかった一件に気がついた。  飯山は、新たな捜査で判明した事実を聞いている。  ーー 「当方の調べによると、お前はこの頃、若い女を、家に頻繁に連れ込んでおるようだな」 歌麿は、少したじろいで、答えた。 「それは、私の画業の手習いに、写生の相手を呼んでおりますので、その女のことでしょう」  飯山は追究した。 「そうかもしれぬが、朝から夕方まで、二人で部屋に引きこもって外に出てこない、という証人がおるぞ」 「そういう日も、ございます」 「しかも、そういう日は、何やら、くぐもったような音が、聞こえる、とも証人たちは、口を揃えておる。一体、なにをしておるのだ」 「写生で、ございます。私の美人画は、想像の産物ではございません。しっかりと写生し、具体的に描いたものでございます。そのために、日々、技を磨いております」 飯山は、巷で評判の、美女と蛸が絡んだ歌麿の浮世絵も、写生によるものなのかとの疑問が湧いて、尋ねた。 「お前の最近、描いている猟奇画も、写生によって、描いたのか」 「いや、あれらは想像も含まれております。美女と蛸は写生しましたが、それらを組み合わせたのは、私の創造でございます」 「確かに。ところで、そんなに写生が必要か」 「はい、一日とも欠かすことは、できません」 「それで、毎日、女と二人きりで、部屋にこもっておるのか」 「いいえ、毎日というわけでは、ございません。一、三、五の日だけでございます。それが、お夏のくる日でございます」 「お夏というのは、その女の名か」 「はい」 「お前は、お夏を好きになったのであろう」 「それは、嫌いでは、写生の相手にできません。ですが、惚れた、はれたというような関係では、ございません」 「では、聞くが、お夏の生れはどこだ」 「米沢でございます」 「そうだ。出羽の国の米沢だな。お前が殺した右京太夫と同じだな。お夏は太夫とどういう関係なのだ」 「ただ、同郷でございます」 「調べは、付いておるのだ。そうでは、なかろう。お夏は太夫の妹だというぞ」 「はっはー。そのとうりでございます」 歌麿は平身低頭したーー。    「太夫には妹が居たのだ。それが、歌麿の絵の写生の相手になっていた」  飯山は、津田に、目配せした。  「そうか、しかも、生まれが、太夫と同じ米沢だ」  「ということは、歌麿が連れていった佐藤の落とし種の娘とも面識があるかもしれない」  「しかも、歌麿とは、なにか、深い関係を伺わせるな」  「そういえば、歌麿が。斬首の刑を執行された後、首がなくなった事件があったが、あの犯人は、お夏だった」  「なんだ、そんなこと、お主は、言わなかったぞ。わしは、初耳だ」  「それは、おれの、心のなかにじっとしまっておいたのだ。お夏があまりに、可愛そうでね」  「たしか、歌麿の家にまで、捜索に行ったのは、お主だろう」  「そうだ。そして、歌麿の首もあった。綺麗にして、祭壇に飾られていたよ。今頃は焼かれて、骨になり、埋葬されただろう。晒首の判決破りだが、おれは、黙認することにしたのだ」  「お夏に同情したのか」  「哀れに思ってな。なにしろ、首にすがりついて、泣いていた、涙が止まらない様子だった」  「それほど、愛していたのか」  「そうだろう」  「すると、歌麿は、太夫もお夏も愛していた。そして、二人に愛されていた、ということか。色男だな」  「そうだ。そこが、不思議なところだ。長崎のオランダ商館のカピタンの娘、アネットも最初は、歌麿ーーいや当時は与之助だったーーが好きだった。それを、佐藤が横恋慕して、奪い取ったのだった」  「歌麿は、よく、我慢したな」  「それが、色男たるところだろう。多くの女に愛されながら、自分からは誰も愛さないのだ」  「しかし、調書を読むと、右京太夫は愛していたらしいではないか」  「そうだ。だが、お夏の愛には気がついていない。あれほどに、献身して、尽くした女なのに。あるいは、気付いていても、知らない素振りをした」  「だが、評判を取った美人画、猟奇画は、お夏を写したと言われているのではないか」  「たしかに、似てはいるが、そのままではない。どこか、日本人離れした顔つきをしている。お夏も日本人らしくない顔つきですがね」  「日本人らしくない」  「そうです、背は小柄ですが、鼻は高いし、鼻筋はとおっているし、目は二重でぱっちりしている。そして、なにより、肌の色が透き通っているように白い」  「なに、それで、髪の色はどうだ」  「それは、黒いに決まっていますよ。日本人なのだから」  「そうか。日本人なのだからか」  津田はそう言って、はっとなった。  時を同じくして、言った言葉の示唆したものに、気がついた。  二人は、座っていた座蒲団を撥ねのけた。  「お夏に会いに行こう」  二人は、言葉を合わせてそう言って、玄関まで走っていった。    お夏は、歌麿の処刑後、家のなかから一歩も外に出ずに、静かに遺骸を守っていた。葬儀は、しなかった。ただ、部屋のなかに置いておいては、異臭が匂うので、埋葬だけは、一人で済ませた。夕方、遺骸を樽に入れて、背負って出て、雑司が谷の墓地に埋めた。埋めた土のうえに、墓標を立てた。勝手に戒名を書き込んで、卒塔婆も立てた。戒名は「愛染院画道邁進居士」とした。  それは、一世を風靡した浮世絵画家の最期としては、余りに、寂しかったが、お夏はそれで、満足していた、なにより、二人きりの葬儀が、嬉しかった。  そして、初七日を家で行い、百か日も心のなかで、執り行った。  家には、位牌だけが残った。それに、墓地で、枯れ葉と油で焼いた骸骨を細かく砕いた遺骨を骨壺に入れて祀った。  お夏にはそれで十分だったが、一つだけ、心に残ることがあった。  それは、歌麿が逝ってしまったのに、自分だけが、この世に生き残っていることだった。  (もう何の生きていく意味もないのに、なぜ、私は生きているのだろう)  それが、日々のお夏の疑問だった。  (早く、だれかが、捕まえにきてくれればいいのに)  そんな思いを抱きながら、ただ、起きて、食事をし、掃除や洗濯の家事をして、眠るという単調な日々を生きていた。  時折、  (死んでしまおう) という気にもなったが、そのやり方が、分からない。他人に毒を盛ったことは、あっても、自分で毒を食らうことは出来なかった。そうする、意欲もなくなっていた。だから、ただ、生きていた。  それでも、四十九日を迎えるころ、  (歌さんの所へ行こう) との決心が付いた。次は、  (どうやっていくか) だった。  お夏は、血を見るのは厭だった。そうこう悩んでいるうちに、江戸の大火が起きた。幸い、家は焼失を免れたが、闇夜を焦がす火の明かりを、障子越しに眺めながら、お夏は、両腕で体を抱えて、小さくなっていた。火は一晩中燃えつづけた。その間も、お夏は避難することなく、歌麿の骨壺と位牌を抱えて、じっとしていた。  火が収まってから、歌麿が最後に描いたあの西洋画の無事が気になりはじめた。  (小伝馬町の美濃屋の蔵の中の、もう一人の私は大丈夫だったかしら)  そう考えはじめると、無性に心配になってきた。夜になって、町が静かになると、会いたい気持ちが、ますます募り、お夏は、黒装束で家を出た。  美濃屋では、不寝番の店員たちが、寝静まるのを待って、お夏は、屋敷に忍び込んだ。皆、寝ていて、誰にも咎められることなく、お夏は、聞いていた庭の一番奥の蔵に着いた。そして、火の熱で固くなっていた錠を全身を使ってこじ開け、中に入った。  目指す「欄帳」の絵は、蔵の中央部にあった。お夏は、持ってきた鋸で、大作を小さく六つに切りわけ、運び出し易いようにして、紐で縛って、持ち出した。  家に帰って、お夏は、直ちに、その絵を復元した。  そして、祭壇の後ろに、立てかけてみた。夜遅く、蝋燭の火を翳して見たその絵は歌麿が、完成したときとは違って見えた。お夏は近付いて、絵の表面を見てみた。絵の表面が高熱で焼かれ、使われていた油絵の具が溶けて、流れていた。その傷口の下から、新たな絵が浮かびあがっているのが、分かった。  描かれていた蘭の花々は溶け、緑の木々と土の茶色が浮かび上がっていた。そして、中央部に描かれた蛇に絡まれた女性の、長い黒髪は、金色に変わっていた。裸体はさらに豊満で、色は大理石のように白かった。ただ、顔の表情は同じだった。苦しみとも喜びともつかぬ、煩悶に眉をしかめた美しい顔がそこにあった。  それは、お夏に、  (歌さんとの、あの時の私の表情だわ) との確信を抱かせた表情だったが、現れた女の顔を見て、お夏には、  (これは、私に似ているけれど、違う) ということが、よくわかった。  そして、それは、歌麿の永遠の思慕の対象である女性であるとの推測が付いた。  (やはり、あの人は、私を見ながら、違う人を見ていた。私をこの人と見立て、私を写生していたのだわ。だって、あの時のように、歌さんの苦しそうな姿を、他では見たことがないもの)  それまで、薄々感じていたお夏の推理は、確信になった。  それは、  (なぜ、歌さんは、これほどまでに私が愛しているのに、応えてくれないのか) という疑問への回答でもあった。  お夏は、修復して祭壇の後ろに立てかけた大作の中央に浮かび出た女性の姿を、食い入るように見つめた。それは、  (姉さんのお客の仙台藩のご家老、佐藤さんが、話していた長崎のオランダ商館長の娘の姿) に違いなかった。  (姉さんが言っていた。佐藤さんは、若いころ、長崎に留学して、その外人娘と深い仲になり、子供まで出来た。でも、侍だから、一緒になることなんて、許されない。しかたなく、友達だった歌麿さんに頼んで、その実家のほうに養女に出した。それが、あんたなんだよ、って)  お夏は、画の女性を穴の開くほど見つめた。自分にそっくりのその女性に、  「ああ、これが、母さんなんだわ」 と声を掛けた。  (姉さんは、こうも言っていた。佐藤さんは、仙台に帰ってからも、アネットのことを忘れられず、伊達藩が西洋に送った使節の秀蔵長永に、消息を尋ねてくれるよう頼んだ。秀蔵長永は、ローマで、その行く方を探したが、オランダとは遠い。そこで、オランダ出身の司教に依頼して、オランダに調査を依頼した。すると、滞在中に返答文書が来て、アネットは、現地の貿易商人の妻になっていたのがわかった。子供も、三人生んで裕福な生活を送っている、とのことだった。文書には、アネットの手紙も添えられていたが、その宛先は、安斎与之助となっており、「娘を宜しく」と書いてあった。佐藤のことにはいっさい触れておらず、その文書を受け取った佐藤は、悲しみにくれ、破り捨てて焼いてしまった)  お夏は、思い出していた。  (だから、佐藤さんは、わたしの父さんなのかもしれない)  そう考えてみたが、そんな父親は許せなかった。  (生み捨てて、後の始末まで、友達にさせるなんて。国に帰らざるを得なかった母さんは、許せるけど、日本にいながら、侍の体面や自分の出世を先にして、娘を見捨てるなんて)  お夏は思った。  (歌麿さんがいてくれたから、私は、生きてこれた。あのひとは、私の命の恩人だ)  そう思いながら、苦しみも増した。  (あの人をこんなに愛してしまうなんて。わたしは、なんて業が深いのだろう。恩返しだけ考えれば、いいのに)  若い娘の官能が、体の中から突き上げて、むせんだ。  (いっそ、死んで、あの世で、歌さんにお詫びしたい)  そういう気持ちが、突き上げてきた。なんでもいいから、死にたかった。  (そのために準備をしよう) と、桶にお湯を張り、死に化粧の準備に取りかかった。  帯を解いて、扱きを外し、着ていた着物を脱ぎ捨てた。赤い襦袢も、腰紐を解いて、肩から、さらっと床に落とした。  中から、はち切れそうな若い娘の健康な裸体が現れた。  お夏は、歌麿とのことを思い浮かべながら、両の乳房を両手で揉んでみた。身体中から快感が突き上げ、脳天まで抜けていった。  (そうじゃないんだ。私は死ぬのだ) と思いなおして、髪を解いた。  糠で髪を擦ると、黒髪がほぐれて、桶の湯の中に落ちた。  その一本を掬い上げて、手に取ったお夏は、驚いて、じっと、髪の毛を覗き込んだ。 「あれ、色が変わっている。黒かったのが、黒さが消えて、金色になっている」  良く見ると、先端が黒かった髪の毛は、根元に近づくに従って、色を失い、根元は、完全に金髪になっていた。  「わたしの髪の毛、金髪になってしまう」  お夏の心は、混乱した。髪を洗うのを止め、桶から飛び出て、体を拭うと、浴衣だけ着て、祭壇の前に座り、正面に立てかけた画を見て、  「母さん、助けて」 と叫んだ。  お夏の家に向かった津田謙五と飯山梅之助は、半刻ばかりで、到着した。  入口の引き戸の前で、  「どなたかいらしゃるか」 と、訪問を告げたが、中からは、なんの返事もない。もう一度、声を掛けても、やはり、答えがなかった。  しかたなく、  「入りますよ」 と、大声で言って、引き戸を開け、中に入った。  それでも、誰も出てこない。それで、続いて、  「上がりますよ」 と、宣言して、客間に上がった。  客間に座って、静かにしていると、奥の居間から、静かな泣き声が聞こえてきた。  「行ってみよう」  豪胆な性格の津田が、尻込みしている飯山を誘った。  二人が、襖を開いて、居間に入ると、そこには、お夏が浴衣姿で、祭壇の前に座り、泣いている姿が目に入った。  「何をしているのだ。お夏」  お夏と面識のある飯山が、声を掛けた。  お夏は、頭を上げて、二人の方を見た。  「あれっ、いつの間に見えたのですか」  怪訝な表情で聞いた。  「すまん、玄関で声を掛けたのだが、返事がないので、上げさせて貰った」  飯山が詫びた。  「すみません。いま、着替えて、参りますから」  津田と飯山は、お夏のその言葉を、受けて、再び客間に戻った。  お夏は、脱ぎ捨ててあった着物を、きちんときれいに着直して、身繕いし、茶箪笥から客用の茶碗と茶托を取り出して、いつも沸かしてある、火鉢の鉄瓶から、熱い湯を注ぎ、お盆に乗せて、客間に出た。  「粗茶ですが」 と二人に差し出し、  「どのようなご用件ですか」 と直截に尋ねた。そのときは、ものおじせず、しっかり者の若い娘に戻っていた。  「尋ねたのは、他でもない。ここに、祀られている歌麿のことだが、われわれは、右京太夫殺しは、歌麿の仕業ではないと、思っている。というより、そう思い出した」  「といいますと・・・・・・。でも、それは、わたしが重ねて訴えたのに、聞いてもらえませんでした。今頃どうして」  「いや、わしらは、疑っていたのだが、判決は同僚が出してしまったのだ。それは、本当に申し訳ないと思っている、この点は、このとおり、お詫びしたい」  二人は、両手を付いて、深く頭を下げた。  そして、改めて、お夏の方に向き直り、  「そうなると、では、だれが、真犯人か、ということになる」  飯山が、静かに言った。  「そこで、お夏さん、歌麿に一番近しい者として、なにか、心当たりはないかね」  お夏は、突然の問い掛けに、たじろいだ。  「突然、そう言われましても」  「死んだ右京太夫とは、幼友達だったね」  「はい、姉と慕っていました。私が、米沢の大野の家で養女として育てられたとき、姉さんは、いつも一緒に遊んだ大の仲良しでした」  「妹もいたろう」  「本当は、同い年の妹が、一番の仲良しだったのです」  「そして、その妹が、天童藩に行儀見習いに出たその日に、貴方は養家を失踪した」 「はい、そうです、よく御存知ですね」  飯山は、頷いた。  「そうか、やはり、貴方がアネットの娘、エミー・恵美・シーボルトンだったのか」  「何ですか、それは」  「貴方の本名ですよ」  「私の本名は、大野恵美です。そんな名ではない」  「いえ、間違いないのです。歌麿さんは、話さなかったのかな」  「そんな話は聞いていません」  「では、父親のことは」  「それは、姉さんを通じて、佐藤さんかと」  「そうか、そこまでは知っているのだね」  飯山は、納得した。  「そこで、聞きたいのだが、姉さんは、なぜ殺されたと思うかね」  「分かりません。わたしは歌麿さんでなく、佐藤さんが殺させたのだと思っていました」  「それはなぜかね」  「姉さんは、私の出生の秘密を種に、佐藤さんを脅していましたから。歌さんが疑われたのも、そのためでしょう」  「そう、歌麿は、姉さんを通じて、美濃屋の悪行も知り、それをネタに二人を脅していた、と見られていた」  「歌さんはそんなことはしていないと、思います」  「それは、思うのは勝手だが、事実、脅していたのだ」  「でも、歌さんは殺していません」  「では、誰がやったのかな」  「だから、佐藤さんですよ」  「その嫌疑は晴れた。佐藤は、あの晩は、酔いつぶれて寝てしまった。寝ているうちに、花魁は死んでいた」  「すると、誰なんです」  「わたしらも考えたが、残念ながら、分からない。だが、誰かが、殺したことは確かだ。毒を盛って殺害し、死体を品川まで運んで捨てた。ところで、お夏、貴方は本当に近所でも評判の働き者らしいな」  「それは、わたしは、働くのが好きです。こんな華奢な体ですが、田舎では、米俵も運んだんですよ」  「米俵をな」  「そうです。男の人でも、難しいのに。私は力持ちなんです」  「日本人では、珍しい。あ、これは失礼した」  「いいえ、構いません。これは、西洋人の血が入っているからかも知れませんもの。母さんのお陰です」  「その母さんを、歌麿と佐藤は若いころ、奪い合ったのだそうだ」  「素敵ですね。そんなに、男の人に慕われるなんて。母さんは、素敵な女性だったんだわ」  「お前は、生み捨てて帰国した母親を恨んではいないのかね」  津田が、機微を突いてきた。  「うらむなんて、それは、仕方のないことですもの。それより、幼い私を日本に置いていかなければならなかった母さんの辛い気持ちの方が、よく分かります」  「父親のことは、どう思うのだ」  「本当の父親が誰なのか、分からないけれど、私を大事に育ててくれたお祖父さんやお祖母さんがいるし、今更、父親が誰なんて、知ってもしかたがないことです。誰でもいいんです。それに、歌さんがいたし」  「ところで、お前は、米沢を出てから、どうしたのだ」  飯山が、疑問を質した。  「天童藩に奉公に行った妹と一緒に、待ち合わせて、天童に行きました。そこで、わたしも奉公に入れてもらうことが出来て、一緒に働いたのですが、妹は、それでも借金が返せず、姉と同じように、江戸の遊女に売られていった。私は、妹が居なくなってはそこに、いてもしかたがないと、後を追って、江戸に来ました。歌さんの名声は陸奥にも聞こえていたから、歌さんの家を捜し当てるのは、簡単だった。そして、歌さんの家の賄いをして、暮らしたのです」  「妹はどこへ行ったのだ」  「なんでも、品川の遊廓に出ているという話を、姉さんから聞きました」  「姉さんのところには、お前が訪ねていったのか」  「はい、これも、江戸の噂話で、三浦屋の右京太夫は有名ですから。田舎へも、その話は伝わってきていました」  ここまで聞いて、二人は出された茶を飲み干し、一服した。    「ところで、姉さんは、幸せだったのかい」  飯山は、話の向きを変えてみた。  「幸せなんて、とても、言えなかった」  お夏は、涙声になった。  「なにか、言っていたのかい」  「それは、稼業の苦しさと、虚しさと、辛さを、いつも会いに行くたびに、聞かされました」  「そんなに辛かった仕事から、やっと足抜けが、出きるという時だったのになあ」  飯山は、呻いた。  津田が聞いた。  「足抜けには、喜んでいただろう」  「とても、そんなことはなかったです。別に、美濃屋さんが、好きなわけではないし、ただ、お金で買われていくのは、同じですから。体を売る形が変わるだけですよ。それより、身請けされて、好きな人と会えなくなるほうが、悲しいと言っていました」  「好きな人とは、歌麿のことかね」  「そうです、それ以外に考えられません。本当に、心を許せる人は、歌さんしかいなかった。それは、私も同じことです。特に、田舎から出て来たわたしたちには、心を開いて話せる人は少ないのです」  「だから、何でも、話していた。佐藤と美濃屋の悪行も、佐藤の長崎での行状も。歌麿はみんな知っていたのだな」  「それは、話しているでしょう。ほかに、そういう話を出来るのは、わたしと歌さんしかいないもの」  「それで、そのネタを使って、歌麿は美濃屋と佐藤を脅した」  「だから、それは、知らないと言っているでしょう。私には、そういうことを歌さんがしたなんて、想像もできないことです」  お夏は、茶の入れ替えに、奥へ引き込んだ。  津田が、飯山に、ひそひそ声で言った。  「そろ、そろ、核心を突いてもいいのではないか」  飯山は、答えに窮した、  「まあ、徐々に」  お夏は、茶を入れ換えて戻ってきて、二人前に差し出した。  「有り難う。そこで、もう少し、伺いたいが、姉さんは、他にも何か悩みがなかったかな」  「先程の話の続きですが、美濃屋と佐藤さんには、秘密の話を漏らしているという疑いを持たれていたようで、そのことで、詰問されてしまった、と言っていました」  「それは、歌麿に漏らしたということか」  「そうでしょう」  「それこそ、歌麿が、二人を脅していた証拠ではないか」  「でも、二人は疑り深いから、どんなことでも、気にするのです。人を信用しない人たちだから。そう姉さんは言っていました」  「すると、姉さんは、二人に責められていたのだな」  「そうです、かなりきつく詰られたようです」  「姉さんは悩んでいた。それで、お前はそういう姉さんを見て、どうだったのだ」  飯山は、少しずつ、核心に迫っていった。  「どうだったって・・・。同情していました」  「同情だけか。お前の素直な気持ちを言ってくれないか」  お夏は、考え込んでから、ゆっくりと答えた。  「同情しましたが、それは、本当の姉さんを思っての同情ではなかったように、いまでは、思っています」  「それは・・・・・・」  「自分が可愛くて、同情をするような振りをしていただけではないと」  「どういうことかね」  「わたしは、自分の気持ちを偽っていたということに気がついたのです」  「偽っていた」  「そうです、私にとっても、歌さんは最愛の人なのに、姉さんたちの間を祝福するような気持ちでいたことは、自分への偽りです」  「・・・・・・・・・」  「本当を言うと、わたしは、歌さんを独占したかった。歌さんへの思いで、胸がはち切れそうなのに、姉さんたちを祝福する振りをしていた。だから、姉さんが死んで、歌さんが、私の写生を始めたとき、わたしは嬉しかった。どんな姿勢も取れたし、どんな要求にも応えられた。全身全霊で、歌さんを愛することが出来たとき、わたしは最高の喜びを得ることが出来たのです」  飯山は、それを聞いて、冷たく言い放った。  「お前にも、右京太夫は、邪魔者だったわけか」  その一言にお夏は反応した。  「そうかもしれない。この人さえいなければ、と思ったことが無かったとは言えないもの。だから、姉さんが、『いっそ、死んでしまいたい。小さいころのように、三人で遊びたいよ』と漏らしたとき、私は、止めなかったのだわ」  「太夫は、そう漏らしたのか」  「そう、『殺してくれ』とまで、私に言ったわ」  お夏の表情が、険しくなった。それまでの、甲斐甲斐しさは消え、激しく怒った女の表情が現れた。それは、人格の変容と言っていいほどの変化だった。  飯山と津田は顔を見合せ、後ろに身を引いた。  お夏の声が、落ち着きさを失い、高音に移調した。鋭く突き刺す様な声で、  「だから、私は、手伝ってやったのよ」  そう、言って、髪を振り乱した。  暗い蝋燭の火のなかで、まるで阿修羅が、髪を振り乱す姿のようだった。  飯山と津田は思わず、左の脇差しに手を掛けて、身構えた。  「あいつが、死なせてくれれというから、望みどおりにしてやったまでさ」  変身したお夏は荒っぽい言葉使いで、吐き捨てた。  「よし、分かった。では、毒を盛ったのは、お前か」  飯山が、態勢を立て直して、聞いた。  「そうよ。歌さんは、鉛の絵の具を一杯持っているし、砒素の顔料も使う。ちょいと失敬して、姉さんの紅に混ぜておいたのよ。姉さんはあの晩、わたしを部屋に導き入れて、『これから歌さんとお床入りだわ』とはしゃいでいた。いつもより念入りに化粧をして、紅も塗り変えた。終わったあと、また紅を差すのは分かっていたから、姉さんが出ていったあと、紅入れに毒をいれたの。だから、歌さんは無事だった」  「死骸を運んだのもお前か」  「そうよ、力仕事で、鍛えていたから、姉さんの体くらい、軽いものだった」  「人力車を使って、品川まで運んだ」  「そう。品川にしたのは、妹が品川の女郎屋にいたからね。子供の時分から、二人の仲の良さは、格別だったのに、別れ別れになってしまって。せめて、死んだあとくらい一緒にさせてあげたいでしょう」  お夏は、そう狂気の中で、自白したあと、全身をゆすって、ぐったりとなり、畳のうえに倒れ込んだ。  「おい気を失ってしまったぜ」 津田が飯山に声を掛けた。  「それにしても、鬼気迫っていたな。驚いたよ」  「これで解決かな」  「いや、運んだ人力車に忍者の使う撒き菱が残っていたのは、どう説明する」  「この娘、小賢しいことをしたのだ。さしずめ、天童藩に奉公していたときにでも、覚えたのだろう。目眩ましの小細工だ」  「となると、かなり、犯意は明白だな」  「そう、恋い焦がれた男が、他の女に引かれているとあって、矢も楯も堪らなくなったのだろう。それが、若い娘の熱情だ。しかも、その血は、西洋の女から受け継いでいる。母親は、日本人の男二人を手玉に取った女だよ。しかも、帰国後は、金持ちの奥さんにおさまっている、という。まさに、女は魔物だ」  津田が、そう言い終わった時、倒れていたお夏が、むっくりと起き上がり、奥の部屋に走り込んだ。  津田と飯山は後を追った。  お夏は、祭壇の前に来ると、着ていた物を破り捨てる勢いで、全て脱ぎ捨て、真っ裸になって、祭壇の後ろの画の前に立った。  「さあ、わたしは、阿修羅よ。皆、ひれ伏せ。男の精を吸い取って生きるの。愛も恋も、男も女も、皆、私の思いどおり。自由に、やりたいように、生きていく。それが、私よ。耐えることなんか、苦しむことなんか、糞食らえ。着持ちいいように、楽しいように。それが私」  そう言うと、祭壇の裏の引き出しから、薬瓶を取り出し、一気に煽った。  全身に痙攣が走り、お夏は、再び、倒れ込んだ。  飯山が駆け寄って、脈を取ったが、それは、次第にか細くなって行き、すぐに、拍動が止まった。  「お夏は、逝ってしまった」  「歌麿の元へ」  二人は、遺骸に合掌した。 そして、後ろに立てられた画に見入った。  裸体の女性の顔が崩れて、瞳から、涙の雫がこぼれてきたように見えた。表の画で蘭の花が、沢山描かれていた所は、鮮やかな色彩が失われ、茶色の枯れ葉が中から現れて来ていた。  剥がれかかった表面の絵の具の塊が、お夏が倒れたときの振動で、完全に剥がれ落ち、倒れたお夏の顔面に落ちた。それは、金色の絵の具で、裏の画の女性の金髪を美しく彩っていたものだった。  お夏の髪の毛は、顔面が、徐々に白くなって死顔になるにしたがって、黒さを失い、色素が消えて、茶色になった。それは、遠くから見ると、金髪と見間違うほどの鮮やかさだった。  お夏の死体は変形し、画のなかの女性とまったく同じ豊満で、まろやかな姿に変わっていった。  「歌麿の最後の作品が、失われていく」  飯山が、感極まって、呟いた。  「浮世絵の巨匠が描いた西洋画の名作が、消えていく」  津田も呻いた。  「こうして、母の姿に戻ったお夏は、心を落ちつけるだろうか」  飯山は問いかけた。  「そう願うよ。だが、歌麿の所に行ったのでは、どうなるか」  津田が呟いた。    まさに修羅場が終わって、お夏の死体を布で覆い、二人は、歌麿の家を辞去した。あとは、町名主が良いように計らうだろう。  江戸の町を、行くと、前から瓦番屋の龍太郎が走ってきた。  「おや、旦那方、お揃いで、何方へ。事件ですかえ」  かまを掛けてきた。  二人の気分は、悪くはなかったから、この早耳野郎に、お駄賃をやる気になった。  「そこの亡くなった浮世絵師の歌麿さんの家に行ってごらん。いい話が落ちてるぜ」 「毎度、ありがとうござんす。さっそく、一っ走りして見てみましょう」  龍太郎は、走って行った。  折りからの曇り空が、一気に、暗さを増し、ぽつぽつと、振ってきた。たちまち、黒い雲が、迫ってきて、大粒の雨を降らし始めた。  だんだん強まる雨の中を、傘も持たない龍太郎は、正面から雨に向かって、一目散に走り抜けていく。走りに走って、半里ほど来て、やっと、歌麿の家に到着した。  家の前には、既に、人だかりが出来ていて、初老の男が、柩を運び入れていた。  「これは、どうしたことだ。だれが死んだんだい」  龍太郎は、当たり構わず、話を聞きはじめた。  半刻も取材すると、大体のことが、判明した。  龍太郎は、その現場から、銀座へ向けて、また、走りだした。  途中で、南町奉行所に立ち寄って、飯山から話を聞いた。  飯山は言った。  「花魁殺しは、お夏の仕業と分かった。しかし、この件の処罰は既に終わっている。歌麿が犯人ということで、解決したのだ。お夏は、その歌麿の遺骸をずっと守ってきたのだが、大火で歌麿の最後の大作の作品も壊れてしまい、生きる望みを失った。あそこにあった画がお夏が美濃屋から、持ち出した画だ。お夏は、最後の画を守りながら死んでしまったのだ」  龍太郎は、  「いい話だ。これは、人情話として、受けること受けあいだ。頂きましたよ。飯山の旦那」  両手を合わせて龍太郎は、立ち去った。    翌日の瓦版に龍太郎の記事が踊った。  それは、  ーー あの人気浮世絵師、歌麿が逝って半年、最愛の女、お夏が遺骸を抱いて、供養していたが、悲しいかな、この女も江戸の大火で歌麿最後の作品が、壊れて見ることもできなくなったと知って、画とともに自殺した。この熱い女の情熱、深い思いは、どうしたことか。夫婦ならずとも、この深情けに、涙を絞らぬ者はないだろう。歌麿の美人画に描かれた女が死んだとあっては、浮世絵の好事家も心此処にあらずといった所ではないか。薄幸のお夏は、歌麿の元に去り、作品だけが残ったーー とあった。  この瓦版は、飛ぶように売れた。  龍太郎は、今日も、江戸の町を走っている。  「通り雨の降る日は、良いネタが多い」  そう言いながら、走り続けている。    お江戸の町を騒がせた連続花魁殺し事件は、こうして幕を下ろした。  殺された犠牲者は五人。それに比して、大火で亡くなった者は、二百十四人。  自然の所為に比べ、人の行為の結果は、それに込められた思いの割りに、ひ弱である。        (終わり・平成八年二月十二日記す)