「復讐のピエタ」概要
 
 米国東海岸の荒波の寄せる崖の上の邸宅で、FBIの女性捜査官ジェレミー・リッチフィールドは、青白く光るコンピューター・ディスプレーの画面を見つめていた、それは、彼女が開発した電子捜査ともいうべき新しい捜査手法の最初のケースに付いて、日本の警察庁に詳細資料を請求する電子メールの画面だった。
 彼女が、関心を持ったのは、
 1 一九九五年十二月十一日、千葉県浦安市の東京湾岸堤防近くで発見された五十歳代の男性絞殺体事件
 2 一九九六年九月二十日、埼玉県坂戸市郊外の河川において発見された六十歳代男性の水死体事件
 3 一九九六年十二月二十日、東京都千代田区一橋一丁目の歩道上で発見された六十歳代男性の転落死体
 4 一九九六年十二月二十五日、東京都渋谷区国代々木の都道上で起きた五十歳代男性の引き逃げ轢死体事件
 5 一九九七年三月四日、秋田県八郎潟町の開墾水田内用水路内で発見された五十代男
の五つの事件だった。警察庁の外国課長、吉村警部は、その資料を簡潔な英文に訳して、電子メールで返信した。
 東京地検検事を辞めて、東京の下町で「よろず相談事務所」を開いている瀬田新一郎は、その秘書的な立場の米山美智子が最初に事務所を訪れたときのことを思い出していた。彼女は「失踪した夫の捜索」を依頼しに、訪れたのだった。その時、彼女は夫が書き残していた私的「小説」を参考にと置いていった。瀬田は、その晩それを読んで、会社組織に虐げられ続けた中年男の悲哀を思って感動し、「この事件は絶対引き受ける」と決断した。
 捜索の手掛かりを得るため米山家を訪れた瀬田は、書斎のワープロに多くの文書が残され、創作予定ファイルの中のメモに、
 1 浦田貞司政治部長 一九九五年十二月十一日、千葉県浦安市の東京湾岸堤防近くで発見された五十歳代の男性絞殺体事件
 2 雷田久生地方部長 一九九六年九月二十日、埼玉県坂戸市郊外の河川において発見された六十歳代男性の水死体事件
 3 南村仁整理本部長 一九九六年十二月二十日、東京都千代田区一橋一丁目の歩道上で発見された六十歳代男性の転落死体
 4 本村泰明運動部長 一九九六年十二月二十五日、東京都渋谷区国代々木の都道上で起きた五十歳代男性の引き逃げ轢死体事件。
 5 手島巌編集局次長 一九九七年三月四日、秋田県八郎潟町の開墾水田内用水路内で発見された五十代男性の薬殺死体事件
 6 島田唯夫社長 一九九七年六月十四日、神奈川県相模湖町の相模湖内で発見された六十歳代男性の水死体事件
とあるのを見つけた。
 さらに「男の失踪には、女が絡んでいる」という職業的な勘から、女性の手掛かりを得るため、翌日も米山家を訪問し「高木葉子」という女性の存在を疑った。その女性は盛岡にいるとみた瀬田と美智子は旅に出た。盛岡で葉子は作並温泉に嫁いだと知り、二人は作並に行く。しかし、宿で美智子は「葉子とはもう会ったから秋田へ急ごう」と突然言いだし二人は八郎潟町に向かった。それは、メモの事件と同じ日だったが、事件は起きて町長が殺された。瀬田は美智子に不審を抱きながら、帰京の列車に乗り込んだが、犯行時刻には、美智子は確かに作並の旅館に一緒に泊まっていた。確実なアリバイがあった。
 五つの事件を分析したジェレミーは、被害者の職業的背景や手口から、同一犯人との判断を送ってきた。吉村を訪れた瀬田は、創作メモと五つの事件の完全な一致から、犯人は美智子の夫だとの確信を深める。しかし、秋田の事件を捜査していた所轄署の刑事は、美智子を疑がっていた。それは犯行当日の夜、バーで町長と一緒にいた女性が、美智子に酷似している、との有力な目撃証言を得たためだった。だが、美智子のアリバイは揺るがない。瀬田自身がその証言者だった。瀬田は、美智子は犯行を知っていた、と考えていた。だが、失踪中の夫と犯行の細かいことについて、どういう手段で連絡を取っていたのだろうか。瀬田は、そのことを確かめるために、再び米山家を訪問した。その最中、秋田県警から「高木葉子が自殺して、単独犯行を認める遺書が見つかったので事件は解決した」と電話があった。
 美智子は、その電話を聞いて失神した。看病をする瀬田に、美智子は「私は、負けたのです」と打ち明けた。それは「夫の慈母神であろうと努力してきたのに、もう一人の慈母がいて、その人は自らの命をも掛けた」という告白だった。それは、愛する人の復讐に掛けた二つのマリアとその像「ピエタ」を忍ばせた。瀬田はあとパソコン通信の装置を発見し、二つの事件ファイルが合致していた事情を理解した。