「港の見える丘公園にて」粗筋
一九六〇年代の終わりに、大学生だったおれは、中学時代の同級生で、同じ大学に通う慶子と、愛車のカルマン・ギアで横浜まで、ドライブした。横浜では、「ホテル・ニューグランド」で、お茶を飲んだあと、港の見える丘公園で、初めてのキスをした。それは、軟派のおれには、多くの遊びの一つにすぎなかったが、慶子にとっては、忘れられない経験になったのだった。
それから、二十年、わたしは、商社の人事部に勤める中年サラリーマンになっていた。大学時代はそれなりの軟派だったが、会社に入ってからは、すっかり会社人間に成り下がり、退屈な日々を送っている。ある日、わたしのデスクに電話があって、あの慶子から会いたいと行ってきた。わたしは、慶子と思い出の「港の見える丘公園」で慶子に会った。
それをきっかけに、何度も逢瀬を重ねていたが、ある日、慶子は「懲戒免職」という小説の原稿を残して、姿を消した。その小説は、新聞記者が駆けだし時代から懲戒免職されるまでの経過を描いていた。その小説の主人公・岩瀬太一郎は、度重なる会社人事での裏切りと約束違反で心身をすり減らし、意識喪失状態の中で起きた出来事で、覚えのない罪を追わされて、約二十五年の人生を捧げたその新聞社を放逐されていた。
そういう経過が、その小説では、詳しく語られていた。
しかし、現実の岩瀬は、ある日、ふらりと入ったヌード劇場で、幼な馴染みの踊り子と偶然、再会してから、付き合いを始め、深い関係を持っていたが、ある日のホテルでの密会の時に、その踊り子を殺していた。
慶子の消息がわからなくなったころ、生命保険調査員の青木加代子と名乗る女性が、わたしを訪ねてきた、彼女が言うには、「慶子が死んで、多額の保険金が、あなたあてに支払われるが、死ぬ直前の短期間に多額の保険が契約されていて不審な点が多いので、調査に現れた」という。
わたしは、棚からぼた餅のこの話を確実にしようと、加代子を誘い、肉体関係を持った。それで、加代子は、支払い承認の手続きを取ることを約束し、その条件として、加代子と折半することを申し出、わたしも了承した。その時、別れ際に彼女が忘れていった持ち物のなかに「裏の女」という小説の草稿があった。それは、体の特徴がよく似た女二人のの身代わりの物語だった。
その加代子が、自宅で殺害された。そのニュースを見たわたしは、保険金を降ろそうとして、急いで、銀行に行ったが、そこで配備中の警官に見つかり、加代子殺しの容疑で逮捕された。わたしは、調べでは、否認を通したが、状況証拠などが揃えられて、検察庁に送られた。検察庁での調べ担当の検察官は、女性で、わたしには、見覚えがあった。それは、学生時代に一晩だけ付き合ったことのある女性だった。彼女の追及は厳しかったが、わたしの必死の説明に、納得し、処分保留で釈放してくれた。わたしは、彼女とともに、加代子の故郷を訪れ、嫌疑を晴らす調査を始めた。
すると、岩瀬がホテルで死んだというニュースが飛び込んできた。わたしは、それも調査したが、警察は事故死と見ていた。わたしは、他殺ではないかと疑っていたが、証拠はなかった。
その事件の数日後、慶子からファックスがあって、「会いたい」と言ってきた。横浜のホテルで再会した慶子を、問い詰めていくと、これら一連の変死事件の謎が、徐々に解明されていった。