『港の見える丘公園にて』                    「慶子」           一  カルマンギアのエンジンが唸りを上げている。初夏の夕暮れの東京は、気怠い気分がして、空気が肌をオブラートのように包んでいるようだ。  西のほうへ陽が落ちていく。関東平野を甲斐、東海と仕切る山々の陰に、赤みを増した太陽が、今日一日の終わりを告げながら姿を消そうとしていた。  空冷エンジンの騒音は耳障りだが、それをフロントではなくリアに配置したドイツの技術者は並のものではない。  スピードメーターの針は既に150キロを超えている。回転計がピクピクと振れ、エンジン回転の鼓動をチェックしていた。  全ては正常だった。目黒のループを入ってから、もう十分ぐらい経っただろうか。進入直後の左カーブで、こいつは少し尻を振ったが、俺は少し右にカウンターをかませて、難なくコースを選んだ。  <ブル>や<マークー>や<クラウン>や<セドリック>が後方に飛んで行った。<パブリカ><コンパーノ><コンテッサ>といった、今では死滅してしまった車も走っていた。そんな車はとても、  「目じゃなかった」  おれのカルマンは1988CC、95馬力。ドイツの無骨なクラフトマンシップが造り上げた傑作だ。  右の助手席で慶子が目をつむっている。長い睫が風に靡いていた。  慶子が、  「港を見に行きたい」 と言ったのは、その日の朝だった。  いつものように、一時限目の講義に三十分遅れで出席した俺は、これもいつものように、前から二十一番目の「指定席」に座った。慶子が、通路から二番目の席に座っているのも、また、いつもの通りだった。  こうしてこともなく、人生は過ぎていく−−気障な台詞が、無言で胸中を走った。 「元気そうだね。相変わらず」  慶子は、聞かないふりをして、黙々とノートに万年筆を走らせていた。  俺が、二十歳の誕生日祝いに、丸善で買ってやったやつだ。  二百人は入れようというマンモス教室に、つるりと禿げ上がった政治学の教授の声が響いて、その中年男は、自分の名調子に忽然としていたが、学生達は、半分は眠っていた。  ノートをとっているように見えた慶子は、悪戯書きをしていた。イラスト付きのラブレターのようだ。男と女が並べて描いてあって、頭の辺りに、サインの横文字。KEIKOとKAZUの文字がはっきりと読み取れた。  あいつと俺だ。  「こういうのは本当にプロなみだぜ」  指差した俺の手を、無造作にはねのけると、  「気持ちの問題よね」  五十メートルは遠い大黒板に目をやりながら、きっぱりと言った。  「まあな。こんな屁でもない大演説を一言一句書き取っている前(の列)のおりこうさんたちよりはましだろう」  「あなたを待ってる間に、こんなに描いちゃった」  慶子は、“作品”を渡して寄越した。  上部に、豪華な客船が描いてあって、前の方の小高い丘の上に、その男と女がいた。真ん中には何もない。中央部は、ノートの三分の一を占めているが、すっぽりと抜け、ただ薄青色の罫線が走っていた。  (そういえば、慶子はいつもこういう絵を描く)  スタイルと言うのか、個性というのか。慶子がこれまでに、俺にくれたラブレターはいつも、真ん中が、空白だった。「変わっている」とは思ったものの、別に気にも止めなかった。例によって、俺の流儀で、それが慶子のやり方なのだ、と思っていただけである。  海を見ている男と女の絵の脇に、やっと見える位の小さな字で [行こうよ] と書いてあった。   俺が、そのまた脇に、 [海へか] とでっかく書いて、返してやると、慶子は、俺の目を食い入るように、見詰めて、頷いた。                  横浜のインターは、三沢公園の中にある。直進して横浜市内に行かずに急激にスローダウンして、左に折れていくとテニスコートの上に出る。こんもりとした木々の下は夏の夜になると、その頃、流行しはじめていたカーセックスの穴場だった。  そう言う、この俺もつい最近、他の女を連れてきていた。すっかりムードが盛り上がって、車の中で、今にもデス・マッチになり掛かったが、ドライブ中の女の余りの攻勢の物凄さにすっかり辟易していた俺は、タイミングをずらそうと、外に降りての散歩に誘った。向こうも一応、一流私立大生。インテリのプライドが強いから、素直に公園の漫ろ歩きに付いてきたが、お互い会話も虚ろだった。  その上、何を浮き足立ったのか、キーを付けたまま、ドアーをロックしてしまい、あわてふためいたりして、のぼせ上がっていた二人の血が一気に下がり、真っ直ぐ、彼女の家に送っていく羽目になった。  三沢公園とは、俺にとって、そういうところだった。  真っ直ぐに進んだ。  第三京浜を飛ばしているとき、慶子が、問わず語りに話したことがある。  「私ね。和君のこと、ずっと好きだった。何時ごろからか分かる?」  「さあ。知らないね。君とはもうずうっとだものな。俺が意識しないうちに、君は僕の側にいたよ。小学校の頃からだものな」  「そう、時間だけはたっぷりだわ。知り合ってからのね。でも、そのことと好きになるのとは、違う。私が何時からあなたを好きになったか。分かる?」  「そんなこと、急に言われたって、わかるわけないじゃないか。どうでもいい事だろう」  「かもね。でもそのこと、私、知っていて貰いたい」  「何時からなんだ」  「中学校の頃よ。あなたは勉強もできたし、スポーツも万能だったわ。それに比べて、私は背も低かったし、近眼でブスで全然目立たなかった。体が弱くて、いつも体育の時間、休んでばかりいた。あなたはリレーの選手だったし、背が高くてハンサムで。女の子達の憬れの的。星の王子様だった」  「そうかな。覚えていないな。ただあの頃、僕は、今よりずっとウブだった。真面目だったよ」  「私が何度も手紙をあげたのに、無しの礫。おかげで、わたしは悩み込んで勉強も手に付かなくなってしまった。先生から何か悩みでもあるのか、と心配されたほどよ。あなた知らなかったでしょ」  「そんなことがあったっけ。あったような気もするけど、よく覚えてないよ。僕は本当に真面目だったんだ。そういう事に、晩熟(おくて)だったんだよ」  「だからって、無視することはないわよね。おかげで私は、大した高校にいけなかった。あなたと同じA高校に行きたかったのに」  「でもそこまで僕の責任はないよ。でも、ほらこうして、いまは一緒にいるじゃないか」  「そうね。私頑張ったもの。あなたがこの大学に行くって知って、頑張ったもの。あれほど一生懸命に勉強したなんて、今思うと奇跡だわ」  「僕はそんなにガリ勉した事はない。一応俺たちの学校、私立じゃ一流だけど、俺には滑り止めだった。でも雰囲気がとても気にいってね。いまじゃとっても好きだよ」  「私にはとても高根の花。先生たちは皆、無理だって言ってた。でも、絶対、あなたと一緒の大学に来たかった。結果は補欠だったけど、とにかく入れたの」  「そんなことはどうでもいい。僕はこういう入学試験のやり方は嫌いだし、そもそもこういうやりかたで、人間を差別するのが嫌いだ。大学のランク付けが、就職にも影響する。たった一度の試験で人の一生が決められる訳ないじゃないか。入りたい人は全員入れて、卒業を厳しくしたほうがましだよ」  「そうなったら、こんなことしていられないわね。真面目に講義に出て、必死で勉強しなくちゃ」  「確かに。だから矛盾してるわけ。言ってることとやってることが違うんだから。だが、今の現状がそれで良い以上、その環境を十分、利用するのも悪くはない」  「だから、私、今最高に幸せなんだ。たとえ、和君が私のこと好きでなくても、こうして二人っきりになれてるんだものね。たとえ、好かれてなくてもさ、少なくとも嫌われてないものね。中学の時、みたいに」  「僕は君のこと、嫌いじゃないよ。だからこそ、こうして、車もガソリンも僕持ちでドライブしてるんじゃないか」  「そうね。だけど、すごく心配なんだ。あなたはもてるんだもの。中学の時も女の子三人で張り合っていたでしょ。Mさんと、Kさんと、Hさん。まだ忘れられないらしいわよ」   「そうかね。僕は全然知らない。何も無かったと思うよ」  「そんなことないわ。あなたは憬れの君だったわよ。だから、私…」  「えっ」  「私…。……嬉しい」  俺のカルマンは、お調子者だ。長い髪を両手で掻きあげてから、右肩にしなだれ掛かってきた慶子を感じて、俺が右足を踏ん張ると、ワオーンと咆哮して、過激なGを返して寄越した。              {山下公園}の道路標識に従って、道なりにいくと、右手に古いホテルが近付いた。「ニュー・グランド」だ。手前に、駐車場がある。右に折れて、歩道を横切り少し上がる。赤いポーター服の整理係りの指示に従って車を入れ、慶子を下ろした。  夕陽は港の反対の方にある。玄関に暗闇を作って、今まさに落ちようとしていた。昼と夜の境目の時だった。  この古いホテルは、マッカーサーが厚木に降りたったあと、東京には行く前に、暫くの間、投宿したことがある、と何かの本で読んだ。その記憶が脳の片隅にこびりついていて、大学を卒業し、社会人になった後、その頃付き合っていた女とこのホテルに泊まったことがある。十二月三十一日。大晦日の夜。北東の角部屋だった。ベッドルームのほかにゲストルームが付いていて、まだ二十代だった俺は彼女とアンチークな長椅子の上で、港に停泊中の船と言う船が咆哮するハッピーニューイヤーのドラの音をBGMにして、めくるめくような時を過ごしたことがある。  だが、それはこれより後のことだ。  慶子をドアにエスコートし、入り口の直ぐ左にあるコーヒーハウスに入った。  手慣れた仕草でウエイターが席に案内してくれ、二人の後ろに回って、椅子を引き、ややこずくりのメニューを手渡した。  「ケーキが美味しいんだ。俺はモンブランとコーヒーだ」 と素早く決めて、慶子に手渡した。  じっと眺め渡した慶子は、  「考えても仕方がないわね。おなじものでいいわ。でも私、コーヒーは駄目だから、お紅茶にします」  「駄目って、何故」  「別に理由なんか無い。ただ、父や母がそういうのよ。未だ早いって」  「コーヒーに年齢制限はないだろう。君は未だ飲んだことがないって訳か」  「そうでもないはわ。隠れてしたことはあります」  ムキになって反論するところは、まったくの少女だ。  「したことがある、か。女ってのは、いや若い女の子というものは、そうやっていろんな危ないことをしちゃうわけだ」  勿体ぶって、分かったような振りをして、じっと慶子の瞳を覗き込んだ。慶子の目はだが真剣だった。  「こういうところに、こんなふうにして、あなたと二人っきりで居られるなんて。夢みたい。大学に入ってから、随分お会いしたけど、こんなふうにしているのは、初めてよね」   「そうかな。そういえば、そうかも。今日は、おまえが、いやに、積極的だったからな」  「そう。こんなふうにして、お話したかった。聞いて欲しいこともあるし…。でもまたにしようかな」  言い方は思わせぶりだったが、瞳の奥に真剣さが増した。訴えるような目付きに、気圧されそうになった。  「なんだよ。そんなに真面目な顔して。いいよ、俺、何でも聞いてあげるし、生半可なことじゃ、驚かないから。何でも話してごらん」  慶子は引いていた椅子に深めに座っていたのを、背を伸ばして両手を下に下ろし、前にグイと椅子を引き寄せ、身ずまいを正した。   俺もその動作に応じて、背をピーンと伸ばした。  今にも二人の瞳に戦いの火花が散ろうとした瞬間、出会おうとした火花の辺りにスッと手が伸びてきて、要菓子の載った小皿二つと褐色に琥珀色の湯気の立った液体をさりげなく置いていった。  気を抜かれて、二人は真剣勝負の緊張感を弛め、静かにカップを啜り、ケーキにフォークをいれた。ゆったりとした安息の時が張り詰めた空気にまじりあった。暖かい飲み物は体の中へと降りていき、全身に生気を注ぎ込んだ。  「美味しいわ。とても」  そう言うことが、義理ではなく、心の底から、湧き出した素直な口振りで、惠子が呟いた。俺はその表情を横目で皮肉っぽく眺めていた。  「そういうときの君って、マリア様のようだよ。純真で無垢で汚れがない。なのに輝いている。不思議なんだよね。こう言うときの綺麗な女性を見ると、いつも俺は後ろに後光が差しているように見えるんだ。ほらレンブラントなんかの宗教画にあるだろ。光が差し込んでいる厳かな絵が…。ああ言うのを見ている感じがするんだ」  慶子はそんな俺の長口舌を我関せずの顔付きで眺めていた。  「難しいことを言われても、私分からないわ。素敵な絵なんでしょうね。あなたがそう言うんですから」  また、会話はリズムをとぎれさせた。  おれのコーヒーは底をついた。慶子も紅茶を飲み干した。ケーキ皿にはただフォークとナプキンだけが、汚らしく残っていた。  (食事の後はいつも無残だ。どんなに美しく拵えられていても、食べてしまえば同じだ)   心の狭間をそんな思いが走って消えた。  「さあ、腹拵えは済んだ。行こう」    そう言って席をたった俺に慶子は何だか気の進まない様子で付きあった。                 慶子は不満げだった。  俺は駐車場に戻って、車を玄関先に付けた。乗り込んできた慶子は、黙りこくっていた。初めはただ長い沈黙が続いたが、車が山下公園の脇を抜け、元町側に曲がった頃には、頬が引き吊り、今にも雨が降りだしそうになった。フロントガラス越しに差し込む西日が、大雨の前のその顔を無慈悲にも明るく照らし出していた。  左に折れて、気象台方向へ坂の登りに掛かった所で、慶子の涙腺のヒューズが、とんだ。声を上げるわけではないが、堪えながらしゃくりあげ、しゃくりあげては堪えている。そのリズミカルな反復が、エンジン音とタイヤの道を噛む音と、不協和音を奏でて俺を不快にさせた。  俺のカルマンは、軽快に急坂を駆け上がり、丘の上の公園の入り口に出た。泣き続ける美しい乙女が、その助手席に身を堅くして座っていようとは、その公園にいた百人中の一人も気が付きようのない軽快さだった。  こうしてカルマンを操りながら、俺は慶子を横目で見ていた。その頃はやりの超ミニにシルクっぽい素材の七部袖のブラウス、細糸毛糸のカーデガンは、まったくの女学生ルック。ミニが赤と紺とグレーのタータンチェックときては、完全に当時のアイヴィー・スタイルだったのだ。だが、超ミニから、すらりと伸びた脚は、美しく、煽情的だった。  白い頬を透明の液体が糸を引いて流れ落ち、ハンカチも使おうとしない主に抗議するかのように、ますます流量を増加させた。慶子はそれを放って置く。太陽が時折、キラリとこちらへ、光を屈折させた。  (これでは、後光どころじゃない。前からも光を発するマリア様なんていないぜ)  俺は胸の中で一人ごとを言った。  駐車場所を見付けて、止めた。  「降りようよ。そこの公園から港を見よう」  俺の誘い掛けに、ここでも素直に慶子は従った。しかし、涙は拭かない。倒れるように所在なげに車からでると、反対車線を警戒して右側に回ってドアをあけてやった俺にしなだれ掛かってきた。  慶子の体は熱かった。湯気が立っているといってはおおげさだが、少なくとも火照っていた。顔がすっかり紅潮しているのは、走っているときから、分かっていたが、体中が熱を帯び、若い女性特有の若草が蒸せるような香気を発散しているのに打たれて俺は頭がクラクラした。すえたような甘酸っぱい匂いが鼻を突いた。  (この子は、未だバージンなんだろうか。二十歳を過ぎても、処女だなんて、化石だな)   また、一人ごとが胸に湧く。  しかし、この匂いが処女の証明になるわけでもない。ただ、女子高校生の群れに入ったときに、知覚した嗅覚の記憶が、そう推論したまでのことではある。女子大生になって付け始めた香水が、この匂いを隠してしまう場合もあろう。実際、処女でなければ、匂いもないという命題が、処女には匂いがあると言う結論を導くわけでもない。  色々また思い巡らせて頭が混乱した俺は、面倒臭くなった。  (これだけ、高ぶって、熱くなっているのはまさにバージンの最大の証明だ) と勝手に解釈して、慶子をグット引き寄せた。   外人墓地の脇の歩道を。腕を組んで歩いた。俺が、ズボンのポケットに入れた右の腕に、慶子が左手を絡ませた。初めはそうした遠慮がちなやり方だったのだが、墓地ぞいの道が終わる頃には、慶子がとうとう我慢できなくなって、左手をポケットに捩じ込んできた。俺はしっかりと握り返してやった。  手を握り会って、公園へ出た。ベンチの前の手摺に凭れて、港を見た。手前に、永川丸が、老体を横たえ、左手には造船所の広大な用地。クレーンとコンテナー。右のほうは倉庫郡。遠くに東京のビル郡がみえ、小さな飛行機が離着陸していた。湾内をパイロットボートやゆうらん船が忙しなく行き交っていて、白い波の航跡を残していった。カモメが三羽その上を飛んでいる。  港は今、落ちていく太陽が、一日の最後の光のショウを演じている真っ最中だった。  赤味が徐々に増して行った。空気が冷え始めた。昼と夜の境目の時。日一日と昼が長くなり、雨の日が混じり会いながら、燃える太陽の支配する季節へと進み始めた頃。  そんな季節のその時間。俺は泣き止んだ慶子が、話し始めた物語を、女の薫りを発散し続ける火照った体を抱き締めながら、聞いていた。  「私はあなたのこと、皆分かってるつもり。あなたが、どういう家で育って、お父さんは何ていって、お母さんはどういう名前か。全部知っているわ。妹さんのことも。でもあなたは、私のこと、何も知らないでしょ。最初は、わたしの名前さえ知らなかったわ。大学に入って、初めて会ったときよ。私が挨拶しても、知らん顔してた。そういう関係よね。私達って」  出来るだけ、さり気なさを装うように、慶子は遠くを見詰める仕草で言った。  俺は黙って聞いていた。慶子の脇腹に回した右手を汗ばませながら、次の語りが来るのを待った。  「今は、でも、そんなことはいいの。だって、こうして二人っきりでいる時が持てたんだし、あなたが私をこんな風に抱いていてくれるなんて、信じられない気持ちよ。だから、いま言おうとしている事を、本当に言ってしまったほうが良いのか、ずっと大切に胸にしまって置いた方が良いのか、分からない。ただ、こうしていると、言ってしまうより、他にないっていう気分になるの。とても楽になれる思う。だけど、その時は、あなたを失う時ね」  慶子はこちらに向けていた目指しを、再び港のほうに戻すと、崩れ落ちるような、頼りなげな仕草で、頭を俺の左肩に委ねてきた。今のシャンプーでなく、石鹸の匂いのするロングヘヤーだった。  「おばあちゃんの好きなシャボンの香りだ」  口うるさく清潔を求めた祖母は、孫である和也にも、日に何度と無く、石鹸で手を洗う事や顔を清める事を強制した。和也には、しかし、それは苦痛ではなく、むしろ快感だった。高級石鹸の滑らかな肌触り。白く、こまやかな泡立ち。何度も何度も塗るごとに大きくなる七色の風船。そうした形だけではない。心地好く鼻の粘膜をくすぐった芳香を、幼い頭脳は快感として、しっかり脳細胞に焼き付けていた。  (いまでも、風呂好きなのは、その為だ) と、頷ける。  そして、その後、トルコからソープに名を変えた特殊浴場をこよなく好むようになったのも、絶対、その為だ、と勝手に解釈していた。  二回目の石鹸の快感だった。  「好きなようにするがいいさ。何かとても大切な事を、きみの心が、扱いかねているようだけど、人生は苦しいことより、楽しいことを多くしたほうがいい、というのが俺のやり方だ。どうせ、一回きりなんだからね。麻薬のように刹那的な快感も良いけど、あとで苦しくなるのは、いやだよ。苦しみは少なく、喜びは沢山。その道を探るのが、すなわち理知的な一生と言うものだ」  寄せられた左の耳に囁く言葉としては、はっきり言って硬派だった。にも拘らず、慶子は目をつむって、うっとりと、俺の放つ言葉のリズムに身を委ねていた。  そして、突然、目を開いて、気を付けをし、   「あなたがキスしてくれたら、話すことにする」  ときっぱり言った。  俺は、直立している慶子を両手で引き寄せ、長い髪を右手に掴み、左腕を脇のしたに添えて、まさにお定まりのやり方で、ポジショニングし、貪るように唇を吸った。  慶子は俺の激しさに喘いだ。喘ぎながら、燃え、燃えながら、喘いだ。激しい男と女の激情のぶつかり合いだった。俺が上から唾液を垂らすと、慶子は必死で啜り込んだ。舌と舌が絡まり、落ちた唾液が糸を引いた。  西に日は落ちた。  残光が液体の糸を射た。キラリと光を返したのを見たのは俺だけだ。   すっかり、昼の暖気を失った黄昏の公園にアベックが群れを成すには早すぎる季節だったし、お年寄りや子供達は家に帰った。ただ一人、黙々と植栽の手入れをしていた管理人も道具をしまい終え、立ち去った。  俺は慶子のマシュマロのような乳房の感触を楽しんだ。    二 それから、二十年が過ぎた。私は、大学を卒業後、商社に就職して、可もなく不可もない、至極、平凡な人世を歩んでいた。二十九歳で結婚し、二人の子供もできた。都内のマンションから会社に出かけ、決まった時間に帰宅する単調な生活が続いていた。 時々、若い日の無鉄砲ぶりを思い出すこともあったが、同じリズムで繰り返される単調な日々を、当然のことと受け止め、すっかり体に染み込ませていた。 (良い中年のおじさんになってしまった) そんな想いを胸に抱きながら、ただ、家族のためと給料運搬人になっている自分が、いとおしくもあり、むなしくもあった。 家では、プロ野球のナイターを見るのが、唯一の楽しみだったが、最近はJリーグのサッカーになった。会社では、人事部で人の秘密に触れる機会も、多かったが、それらの秘密を覚えていることも、なかった。それが、「職業倫理だ」と教えられて来たし、もう、習い性になってしまった。 実は、大学を卒業する年に、おやじが事業に失敗して、一家は、奈落の淵に追い込まれた。それまで、住んでいた家屋敷は、債権者の手にわたり、一家は、小さなアパートに移り住んだ。当然、愛車のカルマン・ギアは抵当に入った。そういう極貧の中で、大学を卒業したから、私は「大きい会社のサラリーマンになって、堅実に人生を送ろう」と決意したのだった。 おやじは、とうとう立ち直ることなく、私の結婚の一年前に、失意のうちに、世を去った。おふくろもその一年後、私の結婚を見届けた後、おやじの後を追った。 妻の良子とは、見合い結婚だった。おばの知り合いの教師の中学時代の教え子で、喫茶店で見合いした後、車で横浜にドライブし、お互いに気が会って、話はとんとん拍子に進み、半年後に、結婚式を挙げた。 良子は、良妻賢母型で、家事や育児に打ち込んだ。私は、家内のことは、安心して、洋子に任せ、仕事に精を出した。  時折、学生時代の無鉄砲さを、思い出すとことあったが、日々の、多忙のなかで、それは、一瞬の夏の花火のように、消えていった。毎日が、同じことの繰り返し、単調だった。それは、刺激のない人生を、私に想像させた。  (学生時代に夢見たバラ色の人生とは程遠い)  心理の、一番奥底には、その不満が、ぺったりと張りついて、深層底流のように、蠢いていた。  (こんなことで、いいのだろうか。妻と子供のために、一生を捧げるのが、俺が望んだ、人生だったのか)  会社の仕事は、熱中できる性質のものではなかった。人事部などは、所詮、会社では裏方の仕事だ。商社では、やはり、営業だ主戦場だ。華やかさに欠ける人事の仕事で、私が、耐えてきたのは、時折、触れることのできる他人のプライバシー(私的な秘密)に、触れることが出来たためかもしれない。社員の個人カードには、その人の個人情報が、詰まっている。家族の構成はもちろん、趣味、学歴、資格、社内での履歴。最近はそれらの情報は、すべてコンピューターに入力してある。しかし、厳重な秘密管理もしてあり、部外者にはプロテクションが、掛かって、簡単には、見えないようになっている。だが、人事部では、そらは、仕事として、許されているのだ。  ある時、切れ者の営業社員を昇格させようという話が、あったとき、この社員情報をチェックしてみたところ、多額の社員ローンを抱えていることが、分かった。家を作ったわけでもないし、これといって多額な金を必要とする背景は見つからなかった。そこで、担当の上司に、理由を探らせたところ、  (女性関係が活発で、複数の女性と関係があるらしい。そのために。慰謝料や養育費の支払いが嵩んでいるらしい)  そういう報告が来た。  たしかに、かれは、仕事が出来たが、その分、女性にも、もてるタイプの男だったのだ。人事では、それが、問題になった。そして、仕事は並だが、抱えている問題はなさそうな、同期の社員が、昇格した。問題の男は、それを見て、会社を辞めていった。会社には、確かに一時的な損失だったが、無難な道を選択したのだった。  (それが、組織の論理だ)  若かったころのわたしは、そのことを、この一見から学んだ。会社という組織では、まさに、  「無事、これ名馬」 なのである。  社内恋愛のトラブルの解決にも、駆り出されたことがあった。  「ある部署の課長と部下が、一人の女子社員を巡って三角関係に陥り、仕事に悪影響を与えている」  そういう内部告白の匿名の手紙が来て、わたしが、担当を命じられた。  わたしは、それとなく、その部内の社員を、食事や酒に誘って、情報を収集した。それで、分かったのは、問題の女性は、入社五年目の中堅で、良く気がついて仕事も出来評判が良かったが、男好きのする雰囲気を持っていて、男性に持てるタイプだった。若い男子社員には、人気者だったが、本人は、「私は年上が好き」と明言し、課長や年上の男子社員としか、口を聞かない、ほどだった。  そういう、ムードの中で、起きた事件だったが、妻子持ちの課長が完全にのぼせ上がっていたため、事態は深刻さを増していた。  人事部では、そういうかれの報告を元に、三人を、別々の部署に異動させて、ほとぼりを覚めさせようとした。が、三人の関係は続き、結局は、課長は、離婚して、この女子社員と結婚。破れた若い社員は、ショックを受けて、入院し、最後には、退職した。 ここで、私が、骨身に感じたのは、  (会社は、プライベートな問題には関与しない、と建前では言っていても、いざとなると、問題にする) ということと、  (役職者には甘いが、下っぱには冷たい)  そういう事実だった。  それは、  (会社では出世しなければ意味がない) という気持ちを私に抱かせた。  だが、私は、出世街道から、外れていく雰囲気を、感じていた。仕事を終わってからの、酒の付き合いは、あまりしなかったし、会社では、いつも、冴えない顔をしていたから、上司の評価は低かった。  私のあだ名は、「昼行灯」で、それは、いつも冴えない表情をしていて、反応も遅い会社での態度から、付けられたニックネームだった。  そして、私もそれに、異義も唱えず、  (そう言えば、そうなのだ)  自ら、納得していた。  「ルルルルル」  「ルルルルル」  電話が鳴る度に、私は体が堅くなった。  「ルルルル…」  三度目が、鳴りやまぬかの寸前に、洗濯をしていた妻の良子が、受話器を取ったらしい。  「もしもし」  「もしもし」  二度、応答の声を発したが、怪訝そうに首を傾けると  「まただわ」 と言って、受話器を両手に持ち替え、まるで、大切なものを置くような手つきで、切った。その三度目が鳴りかかった時、私は書斎のドアのノブに手を掛けたが、開けぬうちに良子が出た。私は内心、ホッとした。  「あなた、この頃、いたずら電話が多いの。嫌になるわね。時代なのかしら。でも変ね。よその家でもこんなに多いのかしら。一日一回は必ず掛かってくるんだもの」  結婚した当時は、痩せ形の方で、私も百六十五センチを越すスラッとしたスタイルにうっとりとした気分になったこともあったが、長男を生んでから太り始め、今は私より体重が重い夕子の不貞腐れたような言い方にも、もう、すっかり慣れっこになっていたはずなのに、数日前、そう聞いた時には、心臓を、グサリと刺されたような気分になった。  「あんたが、誰かに悪いことをして、怨みでもかったんじゃないの」 とでも言いたげに、責めるような口振りだった。  「いや、このごろは、どこの家でも、そういうのは多いらしいよ。何でも便利になるのは善し悪しだな。特に電話は、こちら様の御都合はお構いなし。寝入り鼻でも、熟睡中でも、知ったことかだ。洗濯機や掃除機が主婦をグータラにしたのと同じだ。便利は今や不便の同義語となった」  愚にもつかぬへ理屈をでっち上げてしまったのには、自分でもびっくりしたが、とにかくその場は、その場の勢いというものもあって、それで終わった。  ところが、それがこの後も一週間続いた。   良子の言に従えば、  「毎晩、六時、丁度夕食の支度の真っ最中。ベルが二度鳴ってから取ると、ずっと無言なのよ。こっちが幾ら呼び掛けても、応答しない。でも向こうに人の気配がある。誰かが掛けているのは間違いないわ」  「最近は短縮ダイヤルで自動化されているのもあるから、機械が勝手に呼び出しを掛けてしまう場合もある」 と、知ったかぶりをしたことへのしっぺがえしも込められていた。  「絶対、あなたが何かしたのよ。怨みをかっているんだわ。思い当たること、あるんじゃない」  夫の過去を詮索する嫉妬深い妻の目付きになった。  「そりゃあ、俺だって、四十何年、人生生きてりゃ、知らず知らずのうちに一人や二人に、怨みをかっているかも知れん。男一匹、外に出れば、三人の敵がいるって言うしな」  今度も、良子の口封じには、抽象論をするに限る。女は具体性には強いが、自分の手にしっかと掴めない抽象性には弱いのである。  全体、これまで偉大な数学者や哲学者に女性は一人もいない。ボーボワール女史でさえ、サルトルという良き理解者に巡り会えたからこそ、どうにか物になったのだ、という私の確信は、齢四十をすぎてから、益々強くなっても、弱まることはない。  この妻の良子にしてからがそうだ。一応、私大では双璧と言われる一方の大学を出ていながら、凡そ世間の常識というものを知らぬ。炊事、洗濯といった家事は大学を出たからと言って、だれも教えてくれる訳ではないから、高校や短大の生活科を出た万事そつ無くこなす賢女房に適わなくても致し方ないが、国語力の無いのには恐れ入った。  新聞を読んでいて、  「これ、何て読むの」 と尋ねられたことが一度ならず。二百ページ足らずの文庫本を一か月もかかって、読了できずにいるのには恐れ入った。  樋口一葉女史並みにとは望まぬが、学歴がなくても才能がある人間が少なくなった代わりに、才能がないのに学歴だけはある人間がやたらに増えて、“インテリジェンス”の見分け方が難しくなった。  時にニセブランドが出回ったと世間は大騒ぎを起こすが、これなんぞは、いかに今の世にニセ物が多く本物が少ないかの好例だ。  物だけでなく、人間だって、レッテルを見ただけでは、中身は分からない。立派なカラー写真と綺麗な字で書かれたお見合いの釣り書きには、麗々しく厳かに、いかに才媛かを並び立てられているのだから、並の人間ならコロリと騙される。  残るは、とにかく会ってみて、己の眼力に頼るしかない。会って、話してみれば、凡その器量は分かるものだが、これとても油断はならない。  今時の女子大生なら、自分の一生を託すことになる男を見る目と騙す方法は、うぶな青年男子よりずっと弁えているのである。テクニックは敵のほうが上なのだ。そう簡単には尻尾は出さない。  となると、もう、お先真っ暗。宝クジを買う心境で「儘よ」と一気に決めてしまうしかなかろう。  と、まあ、そんな心境で  (俺も良子を引いてしまったんだ) と私は気がついて、暗然とした。  (今の所、当たりクジで無かったことは、間違いないが、破り捨ててしまう勇気もない。ひょっとして、年に一度の敗者復活戦で当たるかも知れないし…)  そんな女々しい気分で己を慰める。  長男の太郎が生まれてから、そういう気分がいや増した。  それは、  (違うクジを引いておけば良かった) という気持ちと一体を成していた。  (もう一本のクジ? )  そこまで考えが及んで来て、今度は  (もしかして) と思い始めた。  (あるいわ) と考えて、  (いや、そんな筈はない) と否定した。  だが、奥歯の虫歯に挾まって、うがいを何度繰り返してもビクともしない焼きイカの薄皮のように、  (もしかして) の気持ちは、時が経つにしたがって、質量を持ち始め、私の心に重くのしかかった。  (もう、二十年にもなる。俺はすっかり忘れていたが、あの娘は忘れられないのかもしれない。男と女は違うからな。男にとっては良い思い出でも、女には違うかもしれない。すっきり、別れたつもりでも、人の心の底は、他人には分からない。まして、男と女だ。攻める立場と受ける身とでは、受けとり方も、後に残るものも、違ってきて当然だ)  (それにしても、もう二十年になるのに、何故、今になって)  懸念が、沸いては消え、大きくなるのを押し戻そうとすればするほど、その努力に反比例して膨らんだ。  そして、  (これが、あの電話の呼び出し音にたじろいだ原因だったのか。喉に刺さった子骨はこれなのか) との確信となっていった。             三    「今度から、俺が、家にいるうちは、電話は全部、俺が取るから安心しろ」  わたしは、良子にそう宣言した。  それから、一カ月のあいだ、そうした電話はなかったが、夜中の十一時ころ、既に、家族が寝静まったあと、私が、書斎で、調べことをしていると、居間の電話が鳴った。  わたしは、書斎に新しく入れたコードレス・ホンの受話器を取った。  「もしもし」  名前は名乗らず、ただそれだけ言った。  「もしもし、ああ、和君。あたしよ」  「ええ」  訝るこちらに、  「慶子。学生時代一緒だったでしょ」  「慶子。ああ、慶子か。今頃、どうしたかな、と思って。元気」  「まあな、そう元気ではないが。なんだい」  「だから、どうしているのかなと思ったのよ」  「それで、こんな時間に」  「いいじゃない。もうみんな寝たんでしょう」  「まあね、貴方の家はどうなんだ」  「旦那は、仕事で残業よ。子供たちは寝たわ」  「では、一人なのか」  「そう、それで、電話をしてみたくなったの」  「でも、相当な御無沙汰だったじゃないか。突然、どうしたんだ」  「一人でいると、昔のことを思い出すのよ。貴方には、私は大勢のうちの一人かもしれないけれど、わたしには、たったひとりの人だったんだから。思い出していたの」  「やはりそうか、これまでも、良子に、電話をして来たろう」  私は、怪しい電話の犯人を探した。  「そんなことはしないわよ。どうして、そんなこというの」  「いや、最近、そういう電話が多いらしいんだ」  「そう和君は、もてるからね。だれが、恨んでいるか知れないわ」  「それは、昔のことだろう。いまは、冴えない一介のサラリーマンだよ」  そこで、電話の会話は、一端、途絶えた。  沈黙が、一分間ほど、続いたあと、慶子が言った。声が、昂り、興奮しているのが、電話線を通じて、こちらに伝わってくるようだった。  「あの。会いたいの」  「なに、だれと」  わたしは、わざと、惚けてみせた。  「貴方によ。久し振りに会って、お話ししたい」  私は考えた。  (据膳食わぬは男の恥、と言うではないか)  古臭い諺が、頭を過った。  (これは、不倫に繋がる)  予感も走った。  しかし、慶子がこのあと、  「ほら、同窓会をしようって言う話があるのよ。それで、打合せをしたいの」  そういうのを聞いて、糞切りが付いた。  「わかった。で、どうする」  「いま、わたし、横浜なの。だから、横浜に来てくれない」  「遠いな。それでは、平日では駄目だな」  「今度の、土曜日はどう」  「日曜日は」  「それは、家族がいるもの」  「そうか、では、土曜日に」  「例のホテルでね」  「例のか」  それは、ホテル・ニュー・グランドを意味していた。  「例の」 と言うのは、まさに、あの頃の二人の合言葉だった。それを、慶子が使ったことで、わたしは、青春の青臭い時期の息吹を呼び覚まされて、体の芯からあの頃の無鉄砲さが、むくむくと起き上がってくるのを、感じていた。  「分かった。では、午後一時に、ティー・ルームだな」  「そうね。ではまっているわ。必ず来てね」  慶子は、念を押した。それもまた、  (あの頃と同じだ。慶子は、デートの約束のときにいつも、電話口でそういって、電話を終えたのだった)  私に、「あの頃」の記憶が、蘇ってきた。それは、次の土曜日の慶子との再会でさらに、過去への指向性を増すだろう。われわれにとって、その時は、感じていなかった「あの頃」の意味が、二十年たって、解明されるかもしれない。ただ、漫然と過ごしていた時代の核心が、分かるかもしれない。そんな期待感を抱いて、わたしは、寝に付いた。  約束したその日は、朝から、落ちつかなかった。寝覚めも早かったし、食事も腰を落ちつかずにとった。  (どんな服装をしていこうか)  最初に頭を過ったのは、そんな、単純なことだった。  しかし、重要なことのように、その日は、思えたのだ。  結局、土曜日ということもあって、カジュアルな普段着でいくことに決めた。家では着慣れたスエーターに、スラックス、スニーカーという、中年男にはよくある恰好で、出かけることにして、用意を始めた。それを、見て、良子は、  「今日は、外出するの。友和の塾のことで、相談があるんだけど。駄目かしら」  夕子は、そうかまを掛けてきた。  (こいつは、こういう問題にだけは、動物的なカンがある。この前も)  そう思って、五年前の事態を思い浮かべそうになった。  それは、たった一度だけの俺の浮気を、良子が、「知っていた」ことだった。  相手は、会社外のある役所の受付嬢だったが、人事の書類を取りにいって、いろいろと世話になり、  「いつもお世話になるので、申し訳ない。お返しに食事でも」  軽い気持ちで、誘ったら、彼女は、気楽に応じて、その週末に食事の約束をした。そんなことをきっかけに、親しくなり、一年ほど付き合った。連絡は、全て偽名にして、会社の女子社員を装っていたが、三回目の「デート」に行くとき、既に、良子は、  「いやに、はしゃいでいるわね。毎週、そんなに会社に仕事があるのかしら、だれか女でも出来たのではないの」  そう、ポツリと漏らしたのだ。  それでも、一年持ったのは、そのあと、連絡方法を変え、社内で一定の場所に手紙を置くことにした。家への電話は、最小限に止め、しかも、時間も、良子が寝てしまう十一時以降にした。社内での電話も、事務的な会話で、行うようにした。  約束を変える場合は、  「本日の会見の予定ですが、変更になりました。詳しくは、文書でお知らせします」 「はい、了解しました。お返事は追って差し上げます」  そんな会話のあと、決めた場所に、メモを置いておく。それで、異存がなければ、そのままにし、また、変えたければ、電話で事務的連絡をするのを装って、話し会ったりした。  家への電話では、ある晩、良子が、いつもより遅くまで起きているときに、電話が掛かってきた時には、焦った。  電話に出る私の声を、じっと聞いているのが、肌で感じられた。しどろもどろに、  「はいそうします」  「いいえ、それは困ります」  「そういたしましょう」  なるべく、悟られないように、仕事の電話を装っていたが、相手の余りのわがままにまま、  「だめだよ、そんなこと、言っていちゃあ。わかったから、電話をきるよ」  そう言って、長電話を切ったのを、きちんと、聞いていた。  翌朝、食卓で、良子は、  「昨日の夜の電話。会社ではないでしょ」  ズバリと言い切ったのである。  「いあ、そんなことはないよ、仕事の連絡だ」  「でも、最近は、よく夜中に会社から、電話が多いわね」  「忙しいんだよ」  「でも、多すぎるわ。そんあに、夜中に電話してくる会社なんて珍しいわよ」  もう、二十年近くも、連れ添ってきて、そんなことを言う。たしかに、会社からの電話が、深夜にあるのは、おかしい、と感じて、夜の電話もやめにした。  そんなに手間暇を掛けたり、することが、現代娘には、面倒らしくーーと勝手に思っているのだがーーその娘と付き合いは、電話が出来なくなるにしたがって、希薄になり相手も、若い男を見つけて、お終いになった。いまでは、すっかり、良い人妻になって子育てに追われている。  良子のカンは、その点にだけは、鋭い。  (おれの下着や衣類が汚れたり、靴の紐が切れても気がつかないのに。それとも、気が付かない振りをしているのか)  わたしは、そう自問してみたが、明確な答は、得られなかった。    「とにかく、仕事が出来た。会社へ行ってくる」  それしか、言えない。他に何か適当な口実が、ありそうなものだが、わたしには思い浮かばないのだ。それほどに、若い日の機転が効いた「おれ」から、愚鈍な中年サラリーマンの「わたし」の間には、落差が出来ていた。  それより、この日は、気分が高揚していたから、そんな良子の言葉など、耳に入らない状態だった。良子のいぶかりを振り切って、わたしは、家を出た。  横浜へは、電車で行った。東京駅から湘南電車に乗っていく。約一時間の行程だ。  十一時半の電車に乗って、十二時過ぎには、横浜駅に着いた。ホテルにはさらに、京浜東北線で、石川町までいき、そこからは徒歩だ。  ホテルには、十二時半には到着した。すぐに、一回のコーヒー・ハウスに入った。ウエイトレスに案内されて、昔、座った窓際の席に着いた。コーヒーとケーキを注文し、点内を見回したが、客は、家族連れが多く、慶子の姿は見当たらなかった。  わたしは、窓の外を漫然と見ながら、注文した飲みものと食べ物が来るのを待った。 こんどは、ウエイターが、それらのものを、持ってきて、テーブルに置いた。カップから、一杯啜ると、それは、懐かしい、二十年前の味だった。ケーキのモンブランも形も味も、同じだった。  (このホテルは、自前の味の伝統を守っている)  そう思って、わたしは、その歳月の長さと、ホテルの頑な営業姿勢を比較し、満足して、豊かな気持ちになった。  それは、日々の仕事で汚れ切った、わたしの気持ちを、穏やかな平常に戻すきっかけになった。  (本来のおれの性格は、そういうまろやかさを持っていたのだ。刺々しい現実は、性格に合っていない)  気分が落ちついてきた。わたしは、ゆっくりと、コーヒーの中東風の香りとほろ苦さとを、味わい、体にのしかかっていた、日常生活の鉛の重しをゆっくりと、床に降ろした。  そうして、三十分ほど経った。約束の一時になったが、慶子の姿は現れなかった。さらに、三十分ほど、わたしは、その席で過ごした。窓の外を若い二人連れが、手を酌み交わして歩いていく。幸せそうな二人連れの多くが、この町の醸しだす不思議な異国城著に酔っていた。 「東京では出来ないことも、この町では出来る」 と言ったのは、学生時代に親友だった岡村良介だ。  岡村は横浜生まれの横浜育ち。根っからの浜っ子だった。着ているものも持っているものも、ちょっと洒落ていた。おれは、それをうらやましいと思って、真似ようとしたが、おれには無理だと分かった。それで、せいぜい、岡村に近付こうとして、  (あの頃は、無理をしていた)  そう考えると、その時代付き合っていた女に再会するのは、気恥ずかしい気持ちがしてきた。わたしは、  (あと三十分待って、二時までに、来なかったら、帰ろう)  心に決めて、また、窓の外を眺めた。  午後一時半を十五分も過ぎたころ、わたしが、入口を見やると、そこに、懐かしい女性の姿があった。  慶子は、すっかり、ドレス・アップして、ベージュ色の羊毛のハーフ・コートを、入口で脱ごうとしていた。コートを、脱いで、中からは、ショッキング・ピンクのワンピース姿が現れた。首には、パールのネックレス、そして、腕には金のブレスレットしていた。  店内を見回して、ぐるりと、体を回した最後に、わたしの姿を見つけた慶子は、ためらわずにこちらにやって来た。靴は、シャネルのマーク入りのブランド品だった。  わたしのテーブルに着いてた慶子は、  「お久し振りね。来てくれて有り難う」  落ちついた声で、そう言って、向かいの席に腰か掛けた。  「ほんとうに、驚いたよ、突然、電話を貰って」  「御免なさい。無理なお願いをして。でも、来てくれて嬉しいわ」  ほのかに、慶子が付けた香水の匂いが漂ってきた。それは、ディオールの「ディオリッシモ」の芳香だった。  ウエーターが、追加注文を取りにきた。  「あら、和君はなに。ああ、やはりね。昔と同じね。わたしも同じでいいわ」  慶子は、わたしが食べ残したケーキの皿をみて、素早く、その中身を悟った。  「本当に、久し振りね。でも、全然変わっていないので、安心した」  「あなたも、そう変わっていないね」  わたしは、お追従を言った、本心では、  (女は魔物だ、と言うが、本当だ。あの、冴えなかった慶子が、こんなにファッショナブルになるなんて) 心の底では、驚いていた。「あの頃」は、いつも似合わないミニを履いていたのに、今日は、上から下まで、ぴっしり決まったワンピースだ。ただ、色の好みは、やはり、ダサイ、と深層心理は、語っていた。  「着ているものも、変わらないわね」  慶子は、付け加えた。  それは、自分の変化を、殊更、強調するような言い方だったが、刺はなかった。あくまでも、昔の良い思い出を持ち出して、それと今を比較し、昔の楽しかった時代と変わらないことを、確認することで、過去の関係を思い出させようとする、自然な心理のなせる技だった。  たしかに、「あのころ」、おれは、今日と同じラフな恰好が好きだった。だから、セーターも愛用していた、それを慶子は忘れていない、と確認したかっただけだ。  「それで、同窓会の打ち合わせって、なんだい」  「それは、口実よ。そんなことは、どうでもいいの。わたしは和君に会いたかっただけなの」  あのころは、こんなに直截に物を言う人ではなかったのに、そういうところも、変わっていた。  (おれは、変わらず、自分は変わったか)  わたしは、自分では、性格も生活も大きく、変化したように思っていたが、慶子はそう言う。苦しい現実を忘れて過去に戻りたいという欲求は、誰にでもある。  (慶子も、なにか、辛いことがあるのだろうか)  わたしは、そこまで考えたが、目の前の颯爽とした姿を見て、その考えは払拭した。 「それで、今日は、どうするの」  わたしは、問いかけた。そういう言い方は昔はしなかった。あくまで、おれが主導権を取り、計画を決めていた。そういう点も、わたしは、変わっていた。  「それは、あなたが決めることとよ」  慶子は、誘っておいて、そう言う。  私には、下心が芽生えた。  (こんなにいい熟女に変身した女を前に、何もしないで帰る手はないだろう。しかもおれは誘われたんだ)  そういう囁きが聞こえた。  ホテルを出て、足は自然に、「港の見える丘公園」の方向に向かっていた。  元町方面に出て、気象台へ登る坂道に来るころには、慶子は、わたしにもたれ掛かり左手をおれのポケットに入れた右手に組入れ、肩を寄せて歩いていた。  坂道を本当に、ゆっくりとした足取りで登っていった。前後から、ひっきりなしに車が来たが、気にならなかった。慶子の体は、あの時のように、熱を持ち火照っていた。おれはその体熱を感じながら、興奮した。二人とも顔に血が上り、頬の赤みを増した。坂を登り切ったとき、慶子は立ち止まって、おれの方を向き、  「あの時のように、あそこで、キスしてね」  そう唐突に言った。  そう、「あの時」のように、二人は、公園に着いた。「あの時」は、カルマンギアが、ここまで、連れてきたが。  丘の上からは、港が見えた。「あの時」と変わらず、目の前に老船、永川丸が横たわっていた。だが、その先の三菱重工のドックは、「みなと未来計画」で、再開発され、大きな観覧車とホテルの高層建築が建っていた。その光景が、この二十年の変化を物語っているようだった。  慶子は、そうした変化の景色を見てはいなかった。ずっと、おれの方を見つめていてその強い視線を感じて、おれは、快適だった。  「ねえ、あの時のようにしてよ」  「ええ。でも未だ、昼間だよ」  「いいじゃない、誰にも迷惑を掛けるわけじゃないし。それに、ここにいる皆は、他人のことになんか、関心を持たない人たちばかりよ」  確かにそうだった。殆どが、男女の二人連れで、それぞれの殻に閉じこもっているように見えた。それに、公園の隅では、隠れながら、二人の楽しみに耽っている様子が感じられた。  「そうか。いいよ。じゃあこっちへおいでよ」  中年男の、分別を捨てて、わたしは応じた。  抱き寄せた慶子の体全体から、仄かな香りが匂い立って、鼻腔を刺激した。長い髪の毛が、心地よく俺の頬を撫でた。  慶子の体は熱かった。湯気が立っているといってはおおげさだが、少なくとも火照っていた。顔がすっかり紅潮しているのは、坂を登ってくるときから、分かっていたが、体中が熱を帯び、成熟した女性の甘酸っぱいな香気を発散しているのに打たれて俺は頭がクラクラした。それは、大量のフェロモンを発散して、男の官能の興奮を誘った。  (この女は、夫に満足していないのだろうか。四十歳を過ぎては、夫とのセックスもマンネリになるからな。女は、まさに娼婦だな)   一人ごとが胸に湧いた。  この匂いは、熟女の証明だった。満たされない熟女が持つ乾いた感情を、知覚した全神経が、そう推論したのだった。「あの頃」、女子大生になって付け始めた香水が、いまは、熟した女の発散する独特な匂いと混じり合って、男を誘う。実際、熟女の体臭はやはり、中年の男には、一番の催淫剤なのだ。だからといって。匂いがあるという命題が、熟女には匂いがあると言う結論を導くわけでもない。  色々また思い巡らせて頭が混乱した俺だは、「あの頃」のように性急ではなくなっていたん。ゆっくりとその香りを楽しんだあと、  (これだけ、高ぶって、熱くなっているのは、欲求不満の証明だ) と勝手に解釈して、慶子をグット引き寄せた。慶子のもたれ掛かった肩の向こう、遠くに東京のビル郡がみえ、大きなジェット機が離着陸していた。湾内をパイロットボートや遊覧船が忙しなく行き交っていて、白い波の航跡を残していった。カモメが五羽その上を飛んでいる。  港は今、落ちていく太陽が、一日の最後の光のショウを演じている真っ最中だった。空の赤味が徐々に増して行った。空気が冷え始めた。昼と夜の境目の時。日一日と昼が長くなり、雨の日が混じり会いながら、燃える太陽の支配する季節へと進み始めた頃。それは、「あの頃」と同じだった。  俺はしなだれかかった慶子が、話し始めた物語を、女の薫りを発散し続ける火照った体を抱き締めながら、聞いていた。  「私はあなたのこと、全然分からなかった。あなたが、どういう考え方をしていて、何を求めていたかを、まったく、理解していなかったわ。でもあなたも、私のこと、何も知らかったでしょ。最後まで、わたしの思いを知らなかったわ。大学にいる間中、あんなに好きだったの、私がそう言おうとしても、いつもはぐらかしてしまって。私が真剣に、なっても、知らん顔してた。そういう関係だったよね。私達って」  私の目を正面から見つめて、粘りつくような語調で、慶子はしっかりとした態度で、正面から、明確に言った。  俺は黙って聞いていた。慶子の脇腹に回した右手を汗ばませながら、次の語りが来るのを待った。  「でも、そんなことはいいの。だって、こうして二人っきりでいる時が、また、持てたんだし、あなたが。あの時のように、私をこんな風に抱いていてくれるなんて、信じられない気持ちよ。だから、あの時、言おうとしている事を、こうして本当に言ってしまったのよ。言うべきか、ずっと大切に胸にしまって置いた方が良いのか、二十年間も迷ってきた。だから、あの時、言ってしまうより、他にないっていう気分になりながら言えずに、楽になれなかったけど。その時は、あなたを失う時と思っていたから。でもほら、今日は、こうして、言えたでしょう」  慶子はこちらに向けていた目指しを、港のほうに戻し、しっかりとした姿勢で、わたしの抱擁を受け止め、わたしの唇を求めてきた。香水の芳香が、強くなって、わたしの顔全体を、覆い尽くした。それには、高価なボディー・シャンプーの香りが混じっていた。  「最近、夕子が使っているのと同じ、ボディー・シャンプーの香りだ」  清潔に口うるさい妻の夕子は、夫であるわたしにも、毎日の風呂で、その新兵器を使うように、要求した。石鹸になれたわたしには、しかし、それは大きな苦痛だった。石鹸を、使うのが小さいころから覚えた快感だった。高級石鹸の滑らかな肌触り。白く、こまやかな泡立ち。何度も何度も塗るごとに大きくなる七色の風船。そうした形だけではない。心地好く鼻の粘膜をくすぐった芳香を、幼い頭脳は快感として、しっかり脳細胞に焼き付けていた。  (いまでも、風呂好きなのは、その為だ。だが、ボディー・シャンプーなんて、女のものだ)  わたしはそう決めつけていた。  だが、この日の慶子の匂いは、その先入観を覆すのに、十分だった。  (これからは、ボディー・シャンプーを使ってみよう)  それが、慶子の匂いの快感に結びつくという確信が生まれた。  「そうだね。あのころは、何かとても大切な事を、きみの心が、扱いかねているようだと、思っていたが、そのころは、人生は苦しいことより、楽しいことを多くしたほうがいい、というのが俺のやり方だった。どうせ、一回きりなんだから。麻薬のように刹那的な快感も良いけど、あとで苦しくなるのは、いやだ。苦しみは少なく喜びは沢山。その道を探るのが、すなわち理知的な一生と言うものだ、と信じて、君の心を受け入れる余裕がなかったんだ」  寄せられた左の耳に囁く言葉として、今日は、これに相応しいものはないと、信じられた。慶子は目を開けて、しっかりと、わたしの放つ言葉の意味を噛みしめていた。  そして、突然、わたしの頭を両手で引き寄せて、   「あなたにキスをするのは、ほんとうに、久し振りだわ」  ときっぱり言った。  わたしは、直立している慶子に両手で引き寄せられた。長い髪を右手に掴み、左腕を脇の下に添えて、あのときと同じやり方で、ポジショニングし、貪るように唇を吸われ、そして、吸った。  わたしは慶子の激しさに喘いだ。喘ぎながら、燃え、燃えながら、喘いだ。激しい男と女の激情のぶつかり合いだった。慶子が上から唾液を垂らすと、わたしは必死で啜り込んだ。舌と舌が絡まり、落ちた唾液が糸を引いた。  西に日は落ちた。  残光が液体の糸を射た。キラリと光を返したのを見たのは慶子であってわたしではなかっただ。   すっかり、昼の暖気を失った黄昏の公園にアベックが群れを成していたが、それも、徐々に影を薄くし、黙々と植栽の手入れをしていた園芸師も道具をしまって、立ち去った。  そのあと、俺は慶子のマシュマロのような乳房を胸に押しつけられ、その感触を楽しむ余裕もなく、両手で、やっと、抱え込んでいた。  その日から、爛れているような慶子との関係が、始まった。慶子が暮れた電話番号に電話することもあった。また、慶子から電話が入ることもあった。そうして、月に二回の逢瀬を重ね、必ず、ホテルに入って、体を重ね合った。そうして、分かってきたことは、慶子が、結婚した相手の素性と、経済状態と、暮らしの姿だった。  ほぼ、三年間の爛れた関係は、わたしに、官能の喜びを与えてくれたが、精神の満足はくれなかった。わたしの心は、空洞を抱えて、その中を風が吹き抜けていた。慶子は、いつも、華やかに着飾り、物質的に豊かな生活を楽しんでいるようだった。わは、そういう慶子の生活の、一つの彩りであったのかも知れない。そう、たしかに、そうだったのだ。彼女は、昔、あれほどに欲しながら、手に入れられなかった欲情の対象を手にして、歓喜にむせんでいた。わたしは、昔、払わなければならなかった愛の負債の請求書を、見せつけられ、たじろいで、必死に、借金を返していたのだった。  そういう、関係も、慶子の側の事情の急変で、全てが、ご破産になった、二人の関係は、まさに、バブルの申し子だったのだ。  慶子は、  「もう会えないわ」  そう言った最後の密会のときに、夫の岩瀬太一郎に起きた「事件」を、こう語ったのだった。同じ年代の私にとっては、ショッキングな出来事だった。 四 岩瀬太一郎は、十一月の肌寒さが増した土曜日の昼下がりに、一通の通知を、三十年間勤めた新聞社から、受け取った。 それは、既に予期していたことではあったが、さすがにいざとなると、その封書を開くとき、胸に込み上げてくるものがあった。妻や家族は、この一か月間の騒動を十分に知っていたから、ついに、最後通牒が到着しても、もう動揺はしなかったが、太一郎は、やはり、内心、穏やかではなかった。 ーーなぜ、おれが・・・。 という気持ちが、まだ、あったし、これから家族四人をどう支えていけばいいのか、前途は、真っ暗だった。 太一郎は、封書を開いた。そこには、冷酷にも、「貴殿を十一月十日付けをもって、懲戒免職とします。離職手続きに、十三日正午までに、本社人事部まで出頭してください」とのワープロ文字が、書かれていた。 「これで、おれが会社に捧げた三十年が終わりになった。誠心誠意、ただ、黙々と、真面目にやってきた結果が、こういうことというわけだ。人生の半分を、大して文句も言わず、堪えに堪えてきて、こういう事になるとは。この世には、真実を見ている神様はいないのだろうか」。 悔しさが込み上げてきたが、涙は出なかった。無念さでいっぱいだったが、泣きたくはなかった。なぜなら、太一郎が、被せられた「罪」は、本人には覚えがないことだったし、覚えがないことでは、人は泣けないのだ。ただ、そうした状況に追い込まれた自分が情けなく、悔しかった。 この一か月、胸が締め付けられるように苦しく、頭痛と吐き気と動悸が、間断なく襲って、ほとんど、夜は眠れなかった。睡眠薬の力を借りても、うつらうつらして、ほぼ二時間毎に、眼が覚め、その度に尿意を催すが、トイレに行っても、ほとんど小便は出なかった。 全身が痺れたようで、自分自身がどうなっているのか、はっきりせず、意識が希薄になった。茫然と無意識の中を、ただ、漂っていた。 太一郎は運動部から、今の職場に異動してから、徐々に頭痛が激しくなり、夜も眠れないようになっていった。そもそも、今の職場は、毎日が夜勤続きで、高血圧気味で朝型の体質の太一郎は、上司に「体を壊すから」と異動拒否の意志表示をしたのだが、その上司は「異動は会社の権限だ」と取り付くシマもなかった。 しかし、太一郎の訴えを、職場の仲間たちは、理解してくれて、組合の「苦情処理委員会」に異議を申し立てた太一郎に対し、組合本部は、「職場単位で解決する問題」と逃げてしまったが、運動部の仲間は「岩瀬太一郎の運動部から地方版編集への異動に関する吉田・地方部長への要望書」をまとめ、運動部長、組合代表委員、組合支部執行委員の立ち会いで、吉田・部長に手交してくれた。 その内容は、 @ 給与に関して、最低限、減収とならないように配慮して欲しい。 A 現業職場で、夜勤で時間に追われる仕事をすると、ストレスが溜まり、ゲップ、吐き気、頭痛、鼻の違和感などの抑鬱、緊張などの症状が出るので、理解して欲しい。 B 政治部から整理本部への異動も、それが原因になっていたので、なるべく早く取材部門へ戻して欲しい。 C 今回の異動の話し合いの中で、交わした約束を完全に守って欲しい。 D 家庭の事情から、子供とのコミュニケーションをはかり、平和な家庭を築くため、深夜勤勤務をなるべく少なくして欲しい。 E 外勤職場を強く希望してきたという、これまでの職場経歴を十分、尊重して欲しい。というもので、「以上、運動部職場班一同」との連署が添えてあった。 しかし、この要望は、ほとんどが守られなかった。組織と会社の論理とは、そういうものかもしれないが、@の収入は減ったし、仕事は時間に追われ続けるもので、Aも理解はなかったといってよいほどだった。現職場に来て、すでに五年が経ち、Bはまったくの反故となっていた。 問題は、Cである。 須田・運動部長は、この異動を言いつける際に「岩瀬君、これは昇格人事だよ。君は地方版編集の主任待遇になる。あそこは高齢者が多いから、十八人抜きだよ」と水を向けたのだった。それでも、太一郎が体調を理由に拒むと、吉田部長が、直々にやってきて、喫茶店に誘い、「今の制度では、主任待遇は、地方支局の次長が、本社に上がってきたときになる地位だが、君のために、特別に会社の機構制度改正をする。これは僕が男の約束として、必ず、実行する」とまで、言ったのだった。 しかし、これも反故になった。迷いに迷って、期限を迫られ、異動を承認した直後、再び太一郎が、このことを吉田部長にただすと、部長は「あれは、上の方の都合でだめになった」とこともなげに言い放ったのである。 Dの件は、一応は守られたが、それもいいかげんなものだった。そもそも、職場自体が夜勤の連続の仕事だったし、週に六日も連続で、夕方五時から十二時過ぎまでの夜勤勤務を強いられた。連休がある月もあったが、無い月の方が、多かった。 Eもまったく、省みられることなく、五年間が過ぎ、太一郎の心身は、徐々に、確実に蝕まれていった。 体が耐えられなくなった時には、なるべく、病気休みを取るようにして、仕事でのミスを避けるしかなかったが、そうすることは、職場の仲間にとっては、迷惑をかけることになり、太一郎はますます、同僚との付き合いが悪くなり、自らの殻に閉じこもるようになっていった。 部長は何代か代わったが、太一郎のそうした苦痛と苦悩を理解する人はいなかった。太一郎もまた、そうした自分の病状を、強く訴えもしなかった。 「自分で耐えなければいけない。じっと耐えていかなければ」。 そう思う気持ちが、ますます、彼を自分の内部に追い込んでいった。苦しみから逃れるために、仕事には身が入らなかった。彼にしてみれば、慣れきった仕事を流れ作業にしたがって、やって行くだけで、なにも難しいことは、なかったが、そういう、やりたくない仕事を無理矢理にさせられていること自体が、悔しく、自然と仕事は投げやりになっていった。苦しくつまらない仕事は、どうしてもいいかげんになる。やりたい仕事は、だれでも、身銭を切っても積極的に、楽しく、明るくやっていけるものなのだ。だから、そういう仕事を与えられた人は、幸せであるーー。 岩瀬太一郎は、不幸のどん底にいるように自分を感じていた。人はそういう精神状態になると、自殺や蒸発を考えるものだが、太一郎に、その勇気はなかった。むしろ、そうした状態に、太一郎を追い込んだ上司と会社を怨んだ。 怨むという精神作業は、まず、相手を無視することから始まる。上司や同僚の呼び掛けにも、当たり触りのない答えをするだけで、自分から声を掛けたり、積極的に提案をするようなことは、なくなった。働き盛りの五十代の企業戦士から、戦う意欲が消滅したのである。 そもそも、岩瀬太一郎は、この会社では、不必要な人材なのか。彼は自問自答した。 入社して以来の彼の経歴をたどって行くと、有能な人材が、徐々に辺境に追いやられ、ついに、断末魔に追い込まれて、絶壁から崩れ落ちてしまった、という構図が、浮かんでくる。それは、どこの組織・会社にもある風景かも知れないが、また、滅多に無い光景のようにも思えてくる。 「岩さんは、人が良いから、人生、気をつけて生きていかないと、いけないわよ。世の中には良い人ばかりが、いるわけではないからね」 新人で最初に赴任した盛岡支局のキー・パンチャーだった良子ちゃんが、そう言っていたのを遠く思い出す。 そう言えば、良子ちゃんは、岩瀬にやさしかった。誕生日も覚えていてくれて、ほかの支局員に解らないように、バースデー・カードを、机の引き出しに入れておいてくれたり、手作りの小さなケーキを帰り際にそっと渡してくれたりした。そのころ、岩瀬は二十五歳で彼女は二十歳。独身で年頃だった。 だから、休日が重なったとき、奥羽山脈の山中にある温泉にドライブする話が、極秘に決まったとき、はしゃいで喜んだのは、彼女の方だった。九月の陸奥の山々は、真っ赤に燃える。山頂から赤味を増した山々は、徐々にその緋色の絨毯を降ろし、裾にまで届くころには、今度は白い冠に覆われるのだ。 眼にも鮮やかな紅葉の林の中を、駆け抜けて行く車の中で、良子は夢を語った。 「岩瀬さんのようなエリートとデートできるなんて、夢のようだわ。私なんか、田舎で一生を終えてしまうのが、関の山だけど、岩瀬さんたちは、いつか東京に戻って、活躍するんだものね。そんな人と一緒になれたらいいのに。無理だろうな」 彼はそれには、答えなかった。 「田舎だといっても、都会に無いきれいな空気とおいしい食べ物、のんびりした時間は貴重だよ。あくせくして、神経をすり減らすより、一生を考えると良いかもしれない」 「でも、それは東京に戻るのが決まっている人の言うことだわ。私には東京の生活はあこがれだもの」 その夜、平家の落人が、開いたという温泉の旅館の混浴の岩風呂で、二人は若いお互いの肉体を知り、岩瀬は、良子のはちきれるばかりにつんと先の尖った乳首と薄桃色の乳輪の乳房、形よくくびれた腰と良く張った腰に見入り、下腹部を固くした。 湯上がりのあと、部屋に戻ると、布団は一組しか敷かれていなかった。幅広の夫婦布団で、宿の部屋掛りのおばさんは、てっきり、若い夫婦と思い込んだのだろう。 岩瀬は、一緒に布団に入るのは、いやではなかった。風呂で良子の素晴らしい体を見てしまったあとだから、その体に自分を密着させ、抱きすくめて、自分の物にしたかった。良子は、布団が一組しかないのは、まるで気にしない様子で、鏡台の前で濡れた髪を梳いていた。 「さあ、そろそろ寝ようか。僕が先に入るよ」 と、先に布団に入ると、良子は躊躇していたが、 「早く、おいでよ」 との呼び掛けに、良子は浴衣の前を、重ね直して、掛け布団の褄をめくり、裾の方から下半身を先にして、岩瀬の右側に滑り込んできた。 足が触れ合い、それが浴衣の裾をはだけさせて、太股が触れ合った。 良子はその間も無言で、ただ目をつむって、次にくる事態に、期待し、備えている気配だった。岩瀬は、脚を絡ませながら、思い切り良子の頭を両手でこちらに向けさせ、唇を吸った。良子はそれに応えてきて、舌を絡めた。浴衣の前から、手を入れて、ノーブラの乳房をつかみ、乳首をもてあそんだ。乳首に唇をはわせ、そのまま、下に降りて、へその中を唾液で濡らした。そして、良子の大切な部分にたどり着くころには、良子は、かわいい吐息をもらし、それが彼の脳髄を刺激して、下半身は鋼鉄のようにそそり立った。良子の泉は、豊かだった。滑らかに液体が湧きだし、滴り落ちた。 良子は 「あなたのも欲しい」 と言い、岩瀬の固くなったものを、アイス・キャンデーをしゃぶるように、おいしそうにほおばった。十分に味わい尽くすと、 「入れて」 とだけ、耳元で短く言った。 その一言が、岩瀬をさらに興奮させて、彼は下半身を良子の腰に密着させながら、思い切り差し入れた。 「いいわ。もっと、もっと」。 良子には、娼婦の素質がある、と思えるほど二人は、初めて、お互いの体を思い切り、貪りあった。 そんなことが、あったあとも、良子との関係は、週一回位のペースで続いたが、仕事の方は、可もなく、不可もないという状態で、たまに保険金殺人事件の特だねも書いたりし、地方部長賞を受賞して、悦にいったりしていた。 四年半ほどして、東京本社政治部への異動の辞令が出た。東京は、戦後最大の疑獄事件、ラッキード事件の取材の渦中にあった。そんな中に、岩瀬は放りこまれた。 岩瀬にやる気が充溢した。 「新聞記者になって、こんな機会に恵まれることは、滅多にない。頑張るぞ」 岩瀬は、密かに心に誓った。 毎日の首相番というルーティーン・ワークから、特だねが掴めることは、絶対にない。早朝、出勤前の政府首脳宅や夜、帰宅後、寛いだ自宅での懇談から、重要な情報が得られる。いわゆる、「夜討ち」「朝駆け」に、岩瀬も全力を注いだ。 総理大臣が、二木首相の時に検察を援護する姿勢が鮮明になり、ラッキード事件で賄賂をもらった政治家の名前が焦点になったが、その名前を割り出すのが、マスコミ各社の競争になり、岩瀬も微力を尽くした結果、この競争は、岩瀬の所属する新聞社の勝利となった。そこまでたどり着くのに、岩瀬は秘術と死力を尽くした。名前が公表された調査委員会の最中は、壁に耳を擦りつけて、発言を聞き取ろうとしたし、事務局に深夜、忍び込んで、ペンライトで照らし、書類を写し取るような、法律すれすれの取材までしたのだった。だが、仕事は充実感でいっぱいだった。特だねが、一面を大きく飾る前の晩は、興奮して眠れないほどだった。そして、翌朝の首相官邸記者クラブで、肩で風を切っているのは、キャップとその同僚たちだった。 ニ木首相のあまりの捜査支持姿勢のため、政界に「二木降ろし」という政権交代の動きが起きた。その結果は、丸田政権の誕生となったが、こちらは、行政改革を唱えて、「よく働こう」が、スローガンだった。 報道各社の競争は、その行政改革案の中身の入手を巡る戦いになった。春から夏にかけて、いろいろな案が新聞紙面を飾ったが、どれもが、断片的で全容をつかんだものは、なかった。 岩瀬もこの競争に参加させられていたが、それは、行政改革の取りまとめ役の行政管理庁が、彼の担当だったからでもある。岩瀬は朝駆け、夜回りによる断片的な特だねも書いたが、それでは満足できなかった。「全官庁の計画が書かれた全文が欲しい」と彼は考えた。それには、どうすればいいのか。 「全文は、担当の役人が書いているはずだ。それを見せてもらうしかない」のは、解っているものの、政府の秘密文書をそう簡単に、高級官僚が見せてくれるはずがない。情報管理は、徹底しており、何等かの意図がないかぎり、そうした極秘情報は、漏れないことになっている。 −−岩瀬は考えた。 久し振りの休日の朝、十分に睡眠をとった頭に、ふと閃いたアイデアがあった。  翌日の夜、残業をしている所へ、取材で訪れた役所で、話し込んだあと、帰り際に、シュレッダ−(書類裁断機)の脇に、裁断された書類が、山のようにうず高く積まれているのを、見つけた。岩瀬は、さりげなく、その山の上の紙屑を、持ってきた紙袋に入れ部屋を後にした。  裁断された紙屑の塊を、見せられた、本社のデスクは、思案に暮れた。  「再現してみようじゃないか」 と言ったのは、日頃から、敏腕記者で社内に知られた大石だった。  「まず、官邸の連中が、社に上がってきたら、総掛かりでやろう」  大石デスクが、全員招集を掛けたのは、もう夜も十二時を回っていた。  まるで、ジグソ−・パズルをやるように、細かく裁断された長細い紙を、切り口を、文字を合わせながら、繋いで、糊で貼って行く。その作業は、五人掛かりで、朝の七時くらいまで掛かるほどの根気のいる作業だった。 「岩瀬君。出来たよ。これで、完璧に再現されたわけだ。シュレッダ−の業者は、おどろくだろうな」  大石が、そう言うと、  「やったぞ」 と、作業に掛かりきりだった政治部員から、拍手が起きた。  岩瀬には、それを元にして、記事を書く作業が待っていた。前文と本文、それに署名入りの解説記事。勿論、再現された政府の案は、全文掲載される。  この特だねは、その日の夕刊の一面トップを飾った。入手した全文は、二面のほとんどを埋めていた。官邸記者クラブのキャップは、その日、肩で風を切って、歩いた。  夕刊を読んだ他紙の担当記者と官僚は、度胆を抜かれた。急遽、記者会見が設定され担当大臣が、呼び出されて、案文の説明をせざるを得なかった。  各紙は、結局、翌日の朝刊に全文を掲載したが、岩瀬のいた新聞には、「全文は夕刊既報」の文字が、誇らしげに、踊っていた。  そのころが、岩瀬が記者として,最も充実していた時期だった。 それから、二年間が過ぎた。岩瀬の毎日は、丸田首相の後を、まるで、金魚のふんのように付いて行く仕事にで明け暮れたが、正月を過ぎて、二月に近いある日、岩瀬は山田政治部長から、電話で呼び出しを受けた。 本社に上がると、部長は、一階の喫茶店に誘い、 「実は、二月の異動で、水戸支局に行って欲しい。いわゆる、ビッグ・ブラザー交流と言うわけだ。支局の若い記者に本社の仕事ぶりを教えて欲しい。まあ、二年くらいだな」と言った。 岩瀬は、突然の申し出に戸惑った。何しろ、盛岡から政治部に上がってから、まだ、二年と少ししか経っていない。「さあ、これから油の乗った仕事ができる」と張り切っていただけに、この申し出は、ショックだった。 「少し、考えさせて下さい」 とその場は、終わったが、どう考えても、「わずか二年で・・・」の心が残った。 ちょうど、そのころ、会社は、赤字続きで倒産の危機にあり、労働組合と「人事異動は、組合の了解を必要とする」という「合意書」を、結んでいたから、その効果を確かめるような意味がある人事とも思われた。ここで、岩瀬が拒否すれば、「合意書」の趣旨は貫かれるが、同意すれば、会社の人事権の前には、社員・組合員の意向や希望は、まったくの無力だということが、証明されることになる。 そう考えて、岩瀬はいったんは、断ることにした。そう伝えると、山田部長は「一、二年で必ず、政治部に戻すのを約束するから」と、強調した。岩瀬はもともと、意志がそう強くない方だ。当時の太島・編集局長にも、 「今度、水戸に行くことになるようです」と挨拶したが、 「まあ、一、二年だ。しっかりやってくれ」と軽くあしらわれた。 しかし、岩瀬はこの「一、二年」との言葉を、固く信じることにした。「一、二年経てば、政治部に帰れる」。その一心で、彼は、この異動に同意したのだった。    支局勤務は、のんびりしてる。  開田支局長は、赴任した岩瀬を、わざわざ、三階の支局長住宅に呼んで、  「最初は、地理を覚えるためにも、警察回りをしてもらいたい」と宣言した。  岩瀬は、異動の際、山田部長から、「支局では若い記者の手本になるように、やってくれ。当然、県政担当になるよう言っておく」と言われていたから、この申し出は、そうした申し送りが、実際は、全く、行われていないことを意味していた。 山田部長は岩瀬の「収入減になるのでは」という疑問にも、「いや、増えるはずだ」と語ったが、実際に支給された給料は、月五万円の減収になっいた。  編集局長は、「わずか、二年でまた転居は、大変です」という岩瀬の訴えに、「では、今の家から通えばいい」という暴言まで、吐いていた。  政治部時代に、見合い結婚した妻の慶子は、この辞令にショックを受けて、折角、身ごもった初めての子供を、流産した。慶子は、会社を辞めて、彼に従った。そうした犠牲を払っての水戸支局赴任だった。  察回りでは、岩瀬は毎日、県警記者クラブのベッドで、昼寝をした。県警の公報体制は、徹底していて、すべての事件の発生と、捜査の状況は、それこそ記者の鉄則の「現場に行く」ことさえしなくても、分かった。  だから、彼は寝ていた。そして、同じように、公報体制に寄り掛かって、他社の警察担当記者も、記者クラブで、惰眠を貪り、眠るのを止めているときは、これもどこの記者クラブにもあるマ−ジャン台で、賭けマ−ジャンをした。彼は賭け事には、強かった。だから、いつも程々に稼いで、小遣いには困らなかった。  大した事件はなかった。彼が県警を担当していた一年間に、殺人事件が一件と過激派による航空機管制用の通信ケ−ブル切断事件があったのが、せいぜいの大きな事件だった。 そんな日常の中で、彼は「一、二年で政治部に返す」という編集局長や政治部長の言葉を「男の約束」として、ずっと信じていた。 二年目に支局長が代わり、支局の担当換えもあって、彼は県政担当になった。それも、「そういわれて、支局に来たはずだ」という彼の言葉が、聞き入れられたからで、もし、何も言わなかったら、そうならなかったかもしれない。彼はこの会社が、そういう場当たり主義の人事や経営方針の決定をすることを熟知していたが、それに乗っかって、自分の意思を通すのは、彼の人生感や趣味に会わなかった。が、さすがに二年間も察回りをさせられそうな事態に直面して、「本来、私はビッグ・ブラザ−交流で、来たはずです」と主張した。 新しい支局長は、田舎の農夫のような好好爺で、盆栽が趣味で、盆栽記者として知られていたが、全てを支局の次長に任せて、担当を決めた。次長もただ、調子が良いだけのお人好しだったから、岩瀬の意向はすんなり、通った。 編集局長は「自宅から通勤すればいいじゃないか」と言ったが、水戸ともなれば、東京から通勤など出来ない。彼と和子は、水戸市内にアパ−トを借りた。そして、転勤から二年目に、長男が生まれた。二人は、この子を21世紀に活躍するように、と紀之と名付けた。  慶子は、子育てに追われて、東京へ帰ることを、そう気にしていなかったが、太一郎は、違った。「必ず、一、二年で、政治部に返す」という政治部長と、編集局長の言葉を、ずっと信じていた。  だから、一年が過ぎ、二年が過ぎようとしたころ、彼は地方機関を統べる地方部長と政治部長に手紙を書いた。地方部長も政治部長も新しい部長に変わっていた。支局長も変わっていたが、「約束を守ってほしい」との私信に対し、新地方部長の中田部長は、新支局長の西郷に対して、「岩瀬がこういう手紙を寄越した。政治部長と相談したが、整理本部に異動させることにした。政治部長も、近くにおいて仕事ぶりを見たい、と了解している」と言ってきた。  岩瀬は、政治部長の大池忠雄から、「会社に来てほしい。会って話し合いたい」との電話を貰い、約束の日に、本社を訪れたが、「大池は、所用で出社しません」との返答をされて、失意の思いで、帰ってきたことがある。  そうした経緯を考慮しても、実際上、山田・前政治部長と太島・前編集局長は、自らの「必ず、政治部に戻す」との約束を、守らなかったことになる。  岩瀬は、ショックだった。  「なぜ、そこまで嘘をつくのか。どうして、言ったことを守らないのか」  岩瀬は、自問した。  答えは、「自分に努力が足りないからだ」と自分を責めてみたが、それにしても、こういう人事は、あっていいものだろうか。会社組織の人事権には逆らえないのはわかるが、人と人との「約束」の方が、大事だ、と彼は、思う。それは、大人げない、ということなのかも知れないが、彼は純粋にそう思った。本来の彼の生真面目さが、彼を悩みの淵に追いやっていった。 「人事には従うしかない。それに東京に帰れるのだし、大池・政治部長も、”近くで見れる”と言っているではないか」と西郷支局長は説得した。岩瀬もそう観念して、整理本部への異動に同意した。  西郷支局長は「君の経歴からして、硬派を担当することになるだろう。少し辛抱すれば、政治部に帰れるよ」と言って、失意の岩瀬を慰めた。  そのころ、会社は、経験者の記者を二人採用することになり、岩瀬も人材の発掘に駆り出されたが、結局、埼玉と千葉の地方紙から二人が決まり、千葉の地方紙の記者が、岩瀬と入れ代わりに、水戸支局に採用されてきた。   彼の送別会で、彼はこう言った。  「長いようで、短い二年間でしたが、見当も付かない整理の仕事をすることになりました。私は外勤記者のほうが、向いていると思いますが、夜勤が多い職場というので、体を壊さないよう、健康に気を付けて、頑張りたいと思います」。 整理の仕事は、まったく、性に会わなかった。椅子に座り続けで、しかも、夜勤がほとんどだ。 岩瀬は、西郷・支局長の言葉にもかかわらず、軟派グループに配属された。東京本社に戻ったという実感は、喜びではなくなった。最初の出勤日に、米山・整理本部長と谷崎次長に、喫茶店に誘われた岩瀬は、二人の「政治部では、どこを担当していたの」との問いかけに、「首相番をしただけです」とつっけんどんに答えるしかなかった。 軟派とは、古い歴史を持つ日本の新聞社の独特な呼称で、社会面を主体に、運動面、都内版つくりを担当するグループ名を言う。これにさらに、文化・芸術面などの編集をする編集者が加わる。これに対し、硬派という言葉もあり、これは一面、政治面、三面、経済面、外電面などを割り付け・編集するグループを指す。 整理の仕事は、肉体労働の面もあり、徒弟関係で教えられる。「先生」といわれる先輩編集者が、仕事をしながら、教えて行く。岩瀬の先生は、名古屋の中部本社が振り出しの加地だった。加地は、取材部門に対し、明らかなコンプレックスを持っており、自分が中部本社の報道部で、愛知県政を担当していた事を「東京でいえば、政治部の首相官邸担当と同じだ」と、当てつけがましく言ったりもした。だが、根は悪い人ではないらしく、仕事は熱心だった。時折、緊張すると、ビート・たけしのチック症のように、右手を額に当てて、後ろに二、三度ひっくり返るような症状を見せることもあったが、みなは無視した。それが、思いやりでもあったし、なにより、自分の仕事が忙しく、いちいち、気にしている余裕はなかったのである。 岩瀬の飲み込みは速かったが、これも「徒弟社会」の定めと、「本番」といわれる見出しをつけて、レイアウトする立場の人の指図を受けて、大組み場で工場の工員さんを使って、鉛の活字で紙面つくりを実際におこなう「大組み」を約一年間もさせられた。 この体験は、取材記者としての岩瀬の誇りと自負を完璧に打ち砕いた。他人の下手な原稿に見出しを付けることもそうないままに、ただ、工員と一緒に組み上げる。岩瀬はこれほど、屈辱的なことはないと受け止めた。 そうした気持ちが、鬱積して、澱のように心に沈殿しはじめた。工場の工員のなかには、整理の新人いじめを、義務のように心得ている悪もいて、しばしば、岩瀬の指示を無視したり、逆らったりして、岩瀬の心は、ますます、ささくれた。 それに、朝刊づくりでは、夕方に出社して、平均、四、五面をつくり、朝の一時半過ぎに最終版を降ろし、それからささやかな飲み会をして終わる、というスケジュールだったから、帰宅はもう夜も明ける早朝になることが常態だった。月に三回以上の泊まり勤務もあった。これは前日の朝刊のあと会社の宿直室の二段ベッドで寝て、翌日の夕刊、三つをつくり、さらに、統合版という夕刊のない東北、信越地方行きの夕・朝の合体版を編集して、やっと、その日の夜に解放される、という激務だった。 二年目に、岩瀬は「本番」になり、上司のデスクの監督の下に、自由に紙面を編集できる立場になったが、「必ず、政治部へ帰す」という歴代政治部長や地方部長らの言葉を片時も忘れることは、なかった。 一日中、座りっぱなしの仕事に加え、「本来、いるべき場所でない。性にあっていない」という気持ちが、岩瀬の心身を蝕む度合が、強くなっていった。まず、運動不足と座りきりという状態から、痔の症状が出た。次に、朝方から寝るという無理が祟り、不眠症の常態に陥った。それは、頭痛と吐気を伴い、腰痛を感じはじめた。中でも、吐気は勤務中にもでて、周囲を不快な思いにさせた。これは、加地の異様な反射行動と同じ原因かとも思われたが、二人とも、会社の診療所に行ってみることさえしなかった。ふたりは、自らの心身が発する危険信号を放置し、専ら仕事に打ち込んでいた。 岩瀬には、当初、「本来、硬派といわれていたのに」という気持ちはなかった。社会面づくりは、それなりに躍動感があったし、何より、紙面制作という「職人技」を身に付けるということに、意義があるように、思うよう、岩瀬は努力した。苦しかったが、それを乗り越えれば、本来の願いがかなうのでは、というかすかな希望もあった。 もともと、明るい性格の岩瀬には、駄洒落を言って、周囲を和ませる独特の才能もあった。だが、そういう岩瀬を、苦々しく思う人達の一群も存在していたのも事実だ。紙面づくりに安住しているような、そういう職人集団に、岩瀬は激しい嫌悪感を抱いた。しかし、それを表に出さないようにするおとなの知恵も、岩瀬は身に付けていた。 「人を誹謗したり、ばかにすることは、絶対にできないし、してはいけない」。 そう心に誓い、本来の自分の居場所を見つけられないままに、整理の仕事に耐えていた。その間に、「岩瀬君は、政治部に戻りたいのだろう」と尋ねた上司もいたが、岩瀬は明確な返事をしなかった。 それは、「本来、”帰す”と約束したのだから、約束を守るべきなのは、会社側で、こちらから、申し出るべきものではない」という論理構成によっていた。だから、自らそう申し出ることは、しなかったし、なによりも「何度も自分から、お願いするのはいやだ」という気持ちが先立った。 だから、岩瀬はいわば、昂然と仕事をしていた。「会おう」という約束を破った大池・政治部長の方から、「戻す」と言ってくるべきなのが、物事の筋だ、と考え、この考えに固執していた。 しかし、整理本部で三年間が過ぎても、大池は「戻す」と言ってこなかった。 (わずか、二、三メ−トルの距離しか離れていないのに、どういうことだ)  岩瀬の心は、乱れた。しかし、生来の平静を装う、という性格が、災いして、それを外に表すことはなかった。  その焦燥感は、会社では、仕事にまぎれて、忘れられたが、家にいるときは、その耐えていた分だけ、一気に募った。  (私は、言葉で表すのは苦手だから、文章に書いて気持ちを表そう)  そう考えて、彼は、また代わっていた金田・政治部長と、論説委員になっていた山田に手紙を書いて、気持ちを伝えることにした。その手紙は、岩瀬の直截な性格が表れて、やや、暴力的な言葉も混じっていた。  「きちんと、約束を守れ」とか「嘘つきは泥棒の始まり」という文句が、散りばめられた葉書や手紙を受け取った二人のなかで、金田はその瞬間湯沸器のような性格もあって、整理部長を通して、岩瀬を呼びつけたり、実家を編集総務部長に尋ねさせて、年老いた両親から事情を聞いたりした。一方、山田は一切を無視した。  岩瀬は、昇進して編集局次長になっていた大池にも、手紙を書いたが、こちらはもっぱら、丁重に事情を説明して、善処を求めた。 そういう動きは、整理本部の部長連中にも伝わったようで、四年半が過ぎてから、異動の動きがあった。  整理本部の山崎部長が、岩瀬を呼び出し、 「君の異動希望を大池さんから聞いたが、金田政治部長は、帰す気はない、と言っている。異動できるのは、社会部と運動部、地方部取材班の三箇所が上がっているが、どこがいい」と聞いた。  岩瀬は、考えた。  (なぜ、金田は帰さないと言っているのか。やはり、あの手紙が、彼を怒らせてしまったのだろうか)  山崎が続けた。   「僕は社会部がいいと思うが、社会部も、八王子とか支局もある。そういう所には行かないように、言っておく」  「では、そうしてください」  岩瀬は、どうでもいいような気がしていた。結局は「約束は守られない」ということなのだから。  「お任せします」  そう言うのが精一杯だった。  それから数日後、今度は、大池が、岩瀬を呼び出した。  「運動部長の小桶君に話を付けた。まあ頑張ってくれ」  朝刊勤務が明けた夜中の二時すぎに、印刷されたばかりの新聞を運ぶトラックが、通る道路の片隅に毎晩出る屋台の椅子に座った岩瀬に、酒をおごりながら、大池はそう言った。 「そうですか。もうどうでもいいという、感じです。なぜ、政治部に戻してくれないのですか」  岩瀬の問い掛けに、大池は  「金田君がうんと言わない。運動部で頑張れば、また、戻れるようにもなるだろう」 そう言って慰めた。  岩瀬は、それを信じた。「運動部でしっかりやれば、いいのだ」  そう、心に念じて、運動部への異動を了承した。  山崎は「運動部では、ロス五輪要員になるだろう。収入も減らないはずだ。その点は言っておく」と断言した。  整理本部での四年間で、岩瀬の心身は、完全に疲弊しきっていた。  吐き気や不眠が止まらず、最後の一年間は、慢性的な頭痛と腰痛に痔が、加わり、心も体も、ずたずたになっていた。  その間に、明るく人なつっこかった、外向的な性格が、暗く、人見知りする内向的な性格に変化したのを、彼も気付いていた。  それもすべては、水戸支局から整理本部へ移る際の  1 整理本部では、硬派面担当  2 我慢すれば、政治部に戻す  3 仕事は楽 というような、”約束”が、守られないことにあった。  整理本部に在職中に生まれた、第二子の女の子は、「自閉症」気味で、それが、夜勤続きの仕事への、妻の不満とも重なって、岩瀬の心と体をずたずたにした。  見合いで結婚した妻の和子は、  「私は政治部にいたから結婚したのに。あなたは、外務省担当になれば、国賓の歓迎パ−ティ−にも出られる、と言ったのよ」 と、夜勤明けの岩瀬をなじった。岩瀬は、それに反論ができなかった。彼も同じ”夢”を、実際に、抱いていたからだ。  (支局から帰ったら、外務省担当にもする、と山田部長は、言ったはずだ)  その、裏切られたという気持ちも、彼を内面から蝕んでいた。  そんな気持ちを抱いたまま、岩瀬は運動部に異動した。  それは風香る五月で、彼に新しい職場でのやる気を喚起するのに十分な、まろやかな季節だった。  大相撲の夏場所が迫っていた。岩瀬はロス五輪要員ではなく、大相撲担当になった。大相撲には、伊藤というキャップがいて、岩瀬はその下で、指示のもとに取材し、記事を書くことになった。  しかし、外勤記者になったことで、岩瀬の心は、やや、開放された。当時の蔵前国技館の夏場所が、終わるころには、岩瀬の体調は、回復し始め、半年が経った秋場所のころには、気分は相当、軽快になっていた。  取材と執筆意欲は大盛だった。プロ野球の担当も決まり、二年目と三年目の春先は、キャンプの取材で、沖縄に行き、楽しい思い出を作った。  また、秋には北京で開かれた北京マラソンの取材に特派員として派遣され、児玉泰介の日本最高記録達成の現場から、記事を送った。 翌年は、アマチュア野球世界選手権の取材で、イタリアに行った。約二週間の同行取材で、今を時めく、野茂投手や潮崎投手、古田捕手らと一緒に、イタリア各地を転戦した。 スポ−ツ取材は、気楽だったし、楽しかった。 ただ、それでも、岩瀬の心のなかには、 「これは本来の、俺の仕事ではない」 という気持ちが、いつも、湧き出た。  岩瀬は、それを表には、出さなかったが、専門の種目を持ち、そこに専門家としての仕事の価値を見いだしている他の運動部記者とは、様子が違った。  入社年度が同じ、小野が、  「岩瀬君、君は何を本当は、やりたいの」と聞いたとき、  岩瀬は、  (そうか、おれには、ここでやりたいことがないのだ) と、思い当たった。  それに、二年目には、水戸支局で岩瀬と入れ替わりになった地方紙から採用の記者が運動部に異動してきた。  (おれは、こんなに苦労して、外勤記者に出たのに、途中採用の者が、すぐに希望を叶えられるのは、どういうことだ)  そんな、気持も、岩瀬の心のなかに、あった。  そうした内面の気持ちは、自然と、仕事の仕方にも表れる。  積極性が欠け、やる気が感じられないと、周囲は見たのかもしれない。  岩瀬の心は、常に  (ここは、おれのいる場所ではない) との気持ちに、苛まれつづけた。  四年間が、あっと言う間に過ぎた。  岩瀬は、アマチュア野球のキャップということで、春、夏の高校野球、夏の社会人野球などの取材に明け暮れた。  四年目には、ゴルフも担当になり、ト−ナメントの取材に忙しく全国と飛び回った。そうして、健康も回復し、本来の記者の仕事を、やっているという充実感が、岩瀬には生まれていた。  (こういうことなら、運動部でずっと、やってもいいな) と思いはじめた、四年十ヵ月程、経った十一月のある日、運動部長の須田が、朝から早出勤務についていた岩瀬を、お茶に誘い、  「実は、地方部地方版編集に異動してほしい。地方部長は主任待遇にするといっている。あそこは、高齢者が多いから、十数人抜きだよ」 と、申し出た。  岩瀬には、晴天の霹靂だった。  (編集の仕事で、体を壊して、運動部に出させてもらったのに、また、編集に戻るのでは、私に死ねと言うことか。それに、運動部で頑張れば、必ず、政治部に戻すと大池も、言っていたではないか)  岩瀬の気持ちは、怒りで震えた。  「もう少し、考えさせてください」  そういって、その場は、終わった。  岩瀬には、納得が行かなかった。  (いつか、政治部に戻す、という約束と違うし、編集の仕事で体調を壊したのに、そこにまた戻すというのは、死ねということと同じだ) と岩瀬は、思った。  その夜、家に帰った岩瀬は、須田部長の自宅に電話して、  「今度の件は、お受けできません」 と伝えた。部長は、  「まあ、明日また話し合おう」 と言って、電話を切った。  翌日からは、説得工作が始まった。  「私がそのまま部長をしていれば、帰すことも考えられる」 という意味は、いつか運動部に帰すということだが、そういう「約束」には、岩瀬は、もう何度も騙されてきた。  岩瀬は納得が行かず、東京本社代表になっていた大池に面会を求めた。  大池は、  「そうか、では、また、そこで頑張ってくれ」 というだけで、冷たく岩瀬をあしらった。  (そういうことではない。あなたが約束した「政治部に返す」、ということは、どうなっているのだ) と、岩瀬は言いたかったが、そこまで言っては、自尊心と人生観の沽券に係わると考えて、出かかった言葉を止めた。  しかし、帰宅後、岩瀬は大池の自宅に電話し、  「私はこの異動はしたくありません」 と言うと、大池は  「では、須田君に言っておくよ」 と言うだけだった。  しかし、この約束は果たされたらしく、須田は、  「大池さんから、君と良く話し会えと言われた」 と言い、再び、喫茶店に誘った。岩瀬は、  「男と男の約束として、守ってもらいたいことがある」 と言ったが、須田には何を言っているのか、理解できなかったらしい。  「でも、悪いようにはしないよ。昇進人事なのだから」 というのが、説得の根拠だった。  岩瀬は、そう言われて、気持ちが揺らいだ。 (二年も我慢すれば、希望が叶うかもしれない) という気持ちもあった。  岩瀬は同意した。  すると、早速、異動同意書に印鑑を押して、地方部長に書類が回され、地方部長も印を押して、社内の手続きが終わった。  その時を、待っていたとばかりに、吉田地方部長は、岩瀬を喫茶店に誘い、  「実は、昇格の件は、社内規定で、地方の支局から帰ってきた人が、なるようになっていることが、分かった。社内の機構改革を人事に提案するから、僕を信じてくれ」 と言いだした。  岩瀬は、  「そうですか、おまかせします」 と言わざるを得なかったが、気持ちは、 (また、騙すつもりだ。この会社はそういう体質なのだ) という思いで一杯だった。  岩瀬はそう言われて、労働組合に、異義申し立てを行った。「苦情処理委員会」という機構があって、職場の代表委員を通じて、苦情を、申し立てた。  組合は、職場討議を行うよう指導し、運動部職場班の職場討議が、行われることになった。  岩瀬は、各自の発言を記録したが、その大半の意見は、  「意向に沿わない異動は、すべきでない」というものだった。少数意見は  「岩瀬さんの意向は分かるが、職場として、人員減にならないなら、仕方がない」 というもので、それは、相撲を一緒に担当した伊藤と若い斎藤が述べた。  職場代表委員の古田と支部執行委員の海野は、職場の意見を纏めて、須田運動部長立会いのもと、吉田地方部長に、「要望書」を提出することにした。  そうして、彼らも、こじれた問題を解決しようとした。それに、十二月一日の異動時期が迫っていた。  十一月三十日に、彼らは、最初に記したように、  @ 給与に関して、最低限、減収にならないよう配慮してほしい。  A 内勤職場で、時間に追われる仕事をすると、ストレスが溜まり、ゲップ、吐気、頭痛、鼻の違和感等の抑うつ、緊張等の症状が出るので、理解してほしい。  B 整理本部から運動部への異動も、それが一因になっていたので、なるべく早く運動部に戻してほしい。  C 今回の異動の話し合いの途中で交わして約束を完全に守ってほしい。(これは、昇進人事ということ)  D 家庭の事情から、子供とのコミュニケ−ションをはかり、平和な家庭を築くため、夜勤勤務をなるべく少なくしてほしい。  E 外勤職場を強く希望してきたという、これまでの職場経歴を十分尊重してほしい。−−との「岩瀬太一郎の運動部から地方部への異動(平成二年十二月一日付け)に関する吉田・地方部長への要望書」をつくり、「以上、運動部職場班一同」と記して、吉田地方部長に手交した。  実は、岩瀬は、十一月二十五日の夜、それまで鬱積していた胸を締め付けられるような、切迫感と、頭痛と吐き気が激しくなり、自宅近くの大学病院に駆け込み、「自律神経失調症」との診断を受け、「一ヶ月間の自宅静養を要す」との診断署をもらっていた。 岩瀬は、三十日に、須田部長に診断書を提出した。 受け取った須田部長は、吉田部長にそのむねを、伝達した。 吉田部長は、静養に入った岩瀬の自宅に、電話して来て、 「了解しました。ゆっくり休んでください」と言って来た。 岩瀬は、その一ヶ月を無聊にすごしたわけではない。 求人雑誌を見て、いくつかの会社に応募した。そのうち、銀行系のシンク・タンクと電力会社と軽金属会社が、「面接を」と言って来た。結局採用が、決まったのは、軽金属会社だけだったが、「静岡勤務になる」と聞いて、断念した。 ほかにも、人材紹介会社に登録したところ、そのうちの一つが、青色申告会の事務局長を紹介して来たが、岩瀬は、その時は (柄に会わない) と感じ、応募を見送った。 また、 (文筆業か、フリーになろうか) とも考え、若いころの自分の経験を描いた小説三編を書いた。 「蘭の名前ーサトコ・ホワイト・フィービー」「雪解けの朝」「裏の女」の三点で、少なからず自信があった岩瀬は、それらを文学界新人賞や新潮新人賞、小説現代新人賞などに応募したが、いずれも、入選しなかった。 そんなことをしているうちに、あっと言う間に一ヶ月が過ぎて、出勤日の平成三年一月三日になった。 岩瀬の心は重かったが、思い鉛を引きずったような気持ちで、しかたなく、会社へ行った。 地方版整理でも、新人には、一応「先生」が付く。彼も一年くらい後輩の「先生」と一週間ほど一緒に仕事をしたが、すでの経験済みの仕事なので、教えられることは少なかった。仕事は、やさしく、岩瀬の職務能力からば、簡単だったが、ただ、 (やりたくない仕事を無理矢理にやらされている) という気持ちだけが、さらに募った。 (なんで、おれがこういう仕事をしなければいけないのか。なにか、悪い事をしたのか) という気持ちが、岩瀬を苛んだ。 その月は、正月ということもあって、あっという間に過ぎた。 二月になり、岩瀬の体調は、再び、悪化した。 腰痛が加わり、不眠症が常態となって、頭痛と吐気が激しくなった。 岩瀬は、接骨医の診断書を郵送し、ファックスで、「体調不調で一週間の休暇」を願い出た。休暇は許された。 岩瀬は、必死の思いで、体調回復を図ったが、夜勤の連続による、体のリズムの不調は、そう簡単に直らなかった。 十一月の突然の体調不調のとき、会社の診断所の産業医と大学病院の医師が、口を揃えて、「仕事の環境が変われば、この病気はすぐ直ります。それが、無理なら、生活を規則正しくし、よく睡眠を取るように」とアドバイしたが、いまの仕事はまったくその忠告を守れるような環境ではなかった。 彼は、体調を壊して、病気になるように仕向けられて、その通りになっていったのだった。 また、 (そう仕向けられた) という意識が、さらに、彼を苛んだ。 (なぜ、そういう目に合わされなければならないのか) 彼は自問した。返って来た答は、 一、この会社は、二世や酔っぱらいや、ゴマ擦りや大声で主張するものばかりの希望を入れ、真面目にこつこつとやっている者は、無視される。 二、異動での「約束」は、一切守らない。「嘘は泥棒の始まり」という最低限の倫理も持っていない。 三、「適材適所」で人事を行う、というのは建前で、実態は、上司が気に入った者を可愛がり、仕事ができても、要領の悪いものは排斥する。 ということだった。 (所詮、組織や会社とはそういうものかも知れない) とは、思うものの、岩瀬は、持ち前の正義感から、そういうことは許せない気がした。 だが、だからと言って、それを、おおっぴらに公言したり、表立って声高に主張することは、しなかった。 (じっと耐えて、頑張っている姿を見せればいいではないか) そう考えて、三月からの仕事には、打ち込んだ。 しかし、その間でも、 (なぜ、おれが) という気持ちは、時間を置いて吹き出す間欠泉のように、家に帰ってくると、吹き出し、岩瀬の心を苦しめ、不眠症に追い込んだ。  うつらうつらした、起きているのか寝ているのか、本人も確としない常態で仕事ができたのは、岩瀬の早くて確実な仕事の処理能力と、経験だけのおかげだった。心身は、完全に疲弊し切り、正常な心と体は、もう回復しようもないほどに、切り刻まれ、浸潤されきっていた。 一年が過ぎても、状態は変わらなかった。その間、ほぼ一ヶ月に一度、彼は病欠した。二年目はさらに状態は悪化し、明るさがなくなって、仕事が投げやりになった。三年目はもう、ただ、会社に出て、適当にやって帰るという、植物人間的勤務が続いた。四年目には、会社で話す人もなくなり、新聞編集の作業が、それまでの製作部員の作業から、編集者の作業に移行されるという組織変更もあって、会社に出て勝手に紙面を作って帰る、という状態になっていた。 「編集者組み版」への移行に当たって、会社は講習会を開催したが、岩瀬は出なかった。それより、毎月二、三回の部会にも一切出席しなかったし、途中、行われた統一地方選、参議院選などの準備の部会にも一切、欠席した。 それでも、部長以下が、なんともいわなかったのを、奇貨として、出社時刻もぎりぎりになり。帰るのは一番早かった。 (午後五時からの仕事で、十時には帰る)のを、彼は基本とするようになり、 「もう少し、早く来るように」 と上司から注意を受けたこともあったが、直さなかった。 彼の心は、極限まで蝕まれていた。 それは、「早く、運動部に返す」、という約束が守られず、彼の一年後に、大阪本社や仙台支局へ異動した運動部員の後輩が、二年後に副部長のデスクになって帰って来たり、四年目には、運動部の二年後輩が編集委員に昇格したりして、ますます、彼の心を落ち込ませた。 五年目、彼の異動の二年後に地方支局に次長で出た四年後輩が、東京に戻り、デスクの仕事に付いた。 彼の心は、完全に我慢の限界を越えた。  五年目の平成七年の九月は、十月の異動が内示され、多くの同期生や後輩の昇格人事があったが、彼は蚊帳の外だった。 (同期でヒラはオレだけになった) そうした人事には、表面的には気にしない振りをしていても、  (ずっと人事に翻弄されて来て、じっと耐えて来たのに) と彼は、大いなる不条理を感じた。 (約束は一切、守られない。でも、おれはじっと耐えて来た。その気持ちが通じないのか) 家では、妻の慶子や娘の和美が、岩瀬に向かって 「ヒラ、ヒラ」 と揶揄することが、しばしばで、その頻度は彼が四十六歳を過ぎてから、とくに激しくなった。 確かに、彼は五十二歳でヒラだったが、 (それは、なにも、好きでなっているわけではない。もとはといえば、須田と吉田が嘘をついたきり、約束を守らないからだ) という気持ちが、彼らと会社への怨念と憎悪になっていった。 (もともと、政治部から出る時から、嘘続きだった。この会社は嘘つき会社だ) と彼は思う。 (適材適所に人事が行われていたら、こんなに途中で辞めて行く大物記者や名物記者が出るわけがないではないか) とも思った。 (経営が苦しくなり、部数が伸びないのも、そういう寡黙な社員を大切にしない社風のせいだ)とも思うようになった。 (残っている奴等はろくに仕事もできないで、ゴマばかり擦っている連中ばかりだ。あるいは、人を陥れ、いやな気分にして、自分だけは巧いこと、世渡りしている偽者ばかりだ) という気持ちが、ますます強くなっていった。 九月、彼の心身の調子は最悪になっていた。風邪ぎみで飲んだ風邪薬の影響もあって、自分でしていることの半分も、意識しておらず、覚えてもいないような最悪の状態だったが、人事の時期であることで、これまでのように、病欠せずに、無理をして頑張った。 しかし、十五日過ぎから、やっていることの自覚症状がなくなった。 自分の担当面は、「やらなければ」という義務感と集中力による意気込みと永年の惰性でこなせたが、それ以外の空白の時間は、まるで夢遊病者のように無意識だった。何かを集中してやったあとに訪れる、気が抜けた時間が、長くなっていった。自分でもその間に起きた事は、いまでも、思い出すことができない。 彼は、夢遊病者のように生きていた。 十一月三日、出社した彼に、星野・編集製作総センター地域面グループ部長が、 「ちょっと、来てくれ」 と声を掛けた。 岩瀬は彼の後に従った。  星野は、佐藤・編集総センタ−室長と一緒に、編集会議室に、岩瀬を招き入れた。  そこには、大村、高梅の両編集局次長が居り、佐藤と星野が、岩瀬の反対側に座り、佐藤がまず、口を開いた。  「一日に君は、山梨版を担当していたね。それで、その大組みが終わったあと、運動面を開かなかったかね」  岩瀬には、覚えがなかった。だから、素直に  「覚えがありません」 と、答えた。  佐藤は、続けた。  「運動面を開いて、競馬の配当金の入った表の、金額を違うように直したろう」  「いや、まったく、覚えていません」  「そういう、操作を君がLDP(新聞編集のレイアウト・ディスプレ−)で、しているのを見た、証人もいるんだよ」  「そうですか、でも、僕は、まったく覚えていません」   岩瀬は、確信を持って答えた。  「では、それは置いて。九月十五日には、一面を開いて、渡辺元外務大臣の死去の記事を、直さなかったかね」  「もう、半月も前のことですから、覚えていません。大体、昨日のことでさえ、最近は、そう覚えていない状態ですから」  「その日、君は静岡版をやっていて、その作業が終わったあと、六秒後に一面を開いている。そして、直しをしている。数字を入れ換えているのだ。コンピュ−タ−の記録にそう、残っているんだが」  「まったく、覚えがありません。なにかの間違いではないですか」  「ほかにも、そうして、直された形跡が、幾つかあるんだ」  「本当に、やっていないのかね」  やくざ顔をした高梅局次長が、詰問したとき、岩瀬は恐怖心を覚えた。  「これは、食品会社なら、製品に毒を入れるようなものだ。死人記事で住所が間違っていたりしたら、迷惑なことだ」  「本当に、覚えていないのかね。そういう状態は、これまでもあったのかね。そうだとすれば、ほかの仕事もできないね」  温厚そうな大村局次長が、尋ねた。  「そんなことは、ありませんでした。でも、その件について、まったく覚えていないということです」  岩瀬は、正直に訴えた。  「でも、君が、やっているのを見ていた証人がいるのだし、コンピュ−タ−の記録とも時間が一致している。君がやったことは、間違いないのだ」  ただ、真面目に紙面編集一筋に来て、紙面に一点の曇りもないことを、金科玉条にしてきた佐藤と星野にとっては、このような事態は、まったく予想外のことだったにちがいない。  「君がやったのだから、始末書を書いてくれ」  佐藤が、社用の便箋とボ−ルペンを岩瀬の前に差し出した。  岩瀬は、われがわからない状態になっていた。四人に囲まれて、四対一で対峙し、始末書を書かなければ、部屋を出してもらえない監禁状態のなかで、仕方なく、編集局長宛の始末書を書き、署名した。  (どうなっているのか。一体)  岩瀬は自問してみて、  (これは病気に違いない)  と考えた。  小一時間の「糾弾」の会合が、終わって、薄暗い部屋を出ていく際、岩瀬は、星野部長に、  「明日、社の診療所で診察を受けます」 と言った。星野は  「では、僕も行こう」と言い、「午前十一時に行きます」と岩瀬が言うと、「わかった」と答えた。 翌日、十一時きっかりに、岩瀬は、診療所に行った。  担当医は、岩瀬が、地方版編集に異動してから、何度も診察を受けた馴染みの医師で、異動の際に岩瀬が、「自律神経失調症」に罹り、自宅近くの大学病院に、駆け込んで以来のカルテを取ってあり、それを見ながら、  「やはり、いまの環境では、無理でしたか」と、嘆息した。  岩瀬は、  「自分が分からなくなったので、精神科医に見てもらったほうがいいでしょうか」 と言うと、  「では、日本医大に紹介状を書きましょう」 と、これまでの病歴を詳しく書いた紹介状を書いてくれた。  星野は、時間に遅れ、岩瀬の診療が終わるころ、出社した。岩瀬が、  「明日、病院に行くことになりました」と説明すると、  「では、私も一緒に行こう」と、同行を希望した。  翌日の木曜日に、岩瀬は、紹介された日本医大の精神科を尋ねた。  初診の医師は、藤尾・部長と言い、紹介状を見て、若いインタ−ンに、岩瀬の訴えを筆記させ、カルテに記入させた。  岩瀬は、これまでの、自分への会社の人事の嘘と偽りの仕打ちを、面々と訴え、若い医師を驚かせた。若い医師は、それでも、熱心に岩瀬の訴えを、克明に筆記した。  藤尾が、岩瀬を診る時、星野も同席した。 「なにか、酷いことをしてしまったらしいのですが、覚えていないのです。会社に大変な迷惑を掛けたらしいのですが・・・」  「どういうことをしたのですかな」  「なにか、ほかの面を開いて、間違ったように直しをしたと、言われました」  「そんなに、大変なことなのですか、それで、あなたは、大分、会社の人事に不満を持っているようだが、そんなことは、宮仕えでは、仕方のないことですよ」  「でも、そういうことは、許せないと思います」  「君は、相当、興奮している。そのくせ、気分が落ち込んでいる。症状はどうなのですか」  「不眠が続き、頭痛と吐き気が止まりません。腰痛もあるし」  「不眠は良くないな。いずれにしろ、ストレスが溜まっている。鬱状態ですね」  岩瀬の診察はそれで終わった。  次に、星野が呼ばれた。  そして、また、岩瀬が呼ばれた。  「僕には、そちらの仕事のことは、よくわからないが、大分、大変なことをしたようだね。たんに、君のほうが良い文章が書けるからと文章を直したりした、ということではなさそうだ。部長はそう言っているよ」  「そうですか、でも、覚えていないのです」  「覚えているか、いないかは、現代の医学ではなんともいえない。ロッキ−ド事件の被告だって、覚えがないといったんだ。本人が言うかぎり、そうかもしれないが、すべては、本人の意識だから」  「星野部長にも、そう、言ったのですか」 「そうです、覚えがないことは、あるかもしれないし、ないかもしれない、と」  「でも、私はまったく、覚えていないのです」  岩瀬は、脳の詳しい科学的な検査を受けることになった。まず、エックス線での撮影、ラジオ・アイソト−プを使っての断層撮影や、磁気共鳴装置での断層撮影に脳波の検査の日程が決まった。  星野部長は、岩瀬の  「鬱状態のため、当分の、自宅静養を要す」 との診断書を手に、会社に向かった。  家で静養状態に入った岩瀬は、不安だった。いらいらは募ったし、なぜ、こうなったかを、誰かに訴えたかった。  岩瀬は、河瀬編集局長にお詫びの手紙を書いた。それには、政治部を出てからの各責任者の人事上の「約束」が、いかに守られず、そのために、精神的、肉体的にいかに傷ついたかの経過を書き綴った表と、運動部から出る際の、地方部長への「要望書」の写しが添えてあった。  同じ手紙を、岩瀬は、星野部長と佐藤室長にも、送った。パソコンで書いたので、複製は容易で、記録も手元に残った。  その三日後、岩瀬に星野部長から電話があった。  「都合のよい日に、会いたい」という。  「では、土曜日に」  岩瀬は答えた。  「場所は、高田馬場のルノア−ルでは、どうだい」  「いいですよ」  「一時ころに、では、そこで」  電話があったのは、木曜日だった。岩瀬は金曜日に用事があった。  実は、彼は、「退社」という事態も予想して、転職の可能性も探りはじめていた。その応募の面接が、金曜日に予定されていたのだ。 土曜日、ルノア−ルで、会った星野は、大変、言いにくそうに、  「おれもこんなことは、嫌だけれども、こういう事態になってしまったので、仕方がない。自主退職をしてくれないか」 と、持ちかけた。  岩瀬の頭脳は、まだ、病んでいた。薬のせいもあって、朦朧とした状態のなかで、深く考えずに、  「いいですよ」 と、差し出された、便箋にすらすらと「退職願」を書いて渡した。  それを受け取った星野は、電話で佐藤に連連絡を取り、  「下のルノア−ルで、佐藤室長が待っている。確認のため、会ってくれ」 と、誘った。岩瀬は、同じ名の喫茶店が並んであるのを、初めて知った。  岩瀬は星野に従って、下の喫茶店に行くと、佐藤が待っていた。  「よく、決断してくれた。大変だろうが、また、新しい人生を切り開いてくれ」  佐藤は、そう、人情家ぶった態度で、岩瀬に告げた。  岩瀬には、何となく、わかってきた。もし、岩瀬がこのまま、病気欠勤を続け、事態を放っておくと、佐藤は、自分がこの「事件」を、まるで検察官のように、解明していく立場上、会社の懲罰委員会に提議せざるをえず、そうなれば、監督責任者としての、自分と星野にも、責任追求がなされる。当然、譴責処分は避けられそうになく、そうなれば、経歴に傷が付く。  (それが、いやで、おれに身を引かせようとしているのか)  岩瀬は、二人の「陰謀」に気がついた。その晩、家に帰った岩瀬は、星野に電話し、 「退職願の撤回」を申し出た。  星野は、  「分かりました。すでに、書面は編集局長のほうに回っているので、そのむね、編集局長に伝えます」 と、答えた。 岩瀬は、それでも心配だった。 翌々日の早朝、岩瀬は、「退職願を受領しないでください」、との趣旨の手紙を書き、会社に行って、社長になっていた大池に、渡してもらうよう、秘書課に頼んだ。  (ひょっとして、大池から、「会おう」といってくるかもしれない) との期待もあったが、大池は、ここでも、岩瀬を無視した。  (政治部へ帰す、との約束を守らないのと同じだ)  彼は、そう思い、さらに大池らこの会社の幹部と、そして組織への怨念と憎悪の気持ちをますます、募らせた。  一週間ほどが、たんたんと過ぎた。  翌週の金曜日の夜に、岩瀬は、実家の老父から、電話を貰った。  「実は、佐藤さんから電話があって、『一太郎君が退職願を撤回したが、彼は争うつもりですか。私は、自己退職が一番、本人のためにもいいと思うが、説得してもらえないか、そうしないと、所定の手続きが進んでいく』と言うんだ。『私は、もう年だし、彼も大人ですから、彼の判断に従います』と答えたおいたよ」  老父は語った。  「そこまで、するからには、佐藤さんも相当、悩んでいるのだろうか。それとも、保身に必死なのだろうか。多分、後者だろうな。僕は、覚えのないことで、責任は取りたくないから、自分から退職するつもりはないよ」 岩瀬は、気遣う老父を安心させるつもりで、答えた。そして、「所定の手続き」とは、「賞罰委員会への提訴」ということだと考えた。  そのような事態に、老母は、気弱な性格から、ノイロ−ゼ状態に陥った。  「私は、毎日、仏檀にお経をあげているの。そうしない、胸がぐっと締めつけられる思いで、苦しくてしようがないから」  事態が、持ち上がって以来、岩瀬は、ことあるごとに、実家と相談していたが、事態が悪い方向に行くにしたがって、老母の神経過敏は強くなって、不眠と体調不調を訴えた。 「退職願」の「撤回届」が、出されたまま、膠着状態が続いた。  その後、二回ほど、佐藤と星野との話し合いが、岩瀬との間で持たれた。いずれも、同じ、喫茶店に、二人で訪れ、説得が繰り返された。  「君の将来のためにも、自己退職したほうがいい」  「覚えのないことで、責任は取りたくありません。本当に、覚えがないのですから。わたしは、制作部員との仲もあまり良くないし、殴る蹴るの喧嘩をしたことも、あります。ひょっとして、嵌められたんではないですか」 「そういうことは、絶対にない。そんなことをするはずがない」  「でも、やったという覚えがないんですから」  「でも、記録に残っているし、証人もいるのだから」  「そう決めつけないで、ほかの可能性は考えられないのですか」  「考えられないね」  話し合いは、平行線を辿るばかりだった。 十一月の初旬になって、星野部長が、「会いたい」と言ってきた。  岩瀬は、多分、「弁明のため賞罰委員会へ出席をするかどうか」の確認だと、感じたが、果たして、その通りだった。  就業規則は、「賞罰委員会では、本人に弁明の機会を与えることが出来る」と規定し、労働協約は「弁明のため、出席させねばならない」と定めていた。  その日、岩瀬は、迷っていた。それは、賞罰委員会では、最悪の場合、懲戒免職、次に諭旨解雇の可能性があるが、その場合、退職金はないか、半減されるが、自己退職なら、七割支給されるからだ。  すなわち、「争って、負ければ、得られるものは、懲戒免職あるいは諭旨解雇の不名誉記録と退職金なし。争わず、自己退職すれば、名誉は守られ、退職金も支給される」という構図だ。これに、自己退職ならば、佐藤室長と星野部長の職歴にも傷が付かないという本来の彼らの狙いが、見え隠れする。  星野部長は、「処分となれば、決して軽くはないだろうが、懲戒は金や物を盗んだりしたときだというのが前例だ、と思う。君の場合は、諭旨解雇とその下の懲戒休職の間くらいの感じだが、その差は大きいな。辞めるか、留まるかの違いだからね」 と気を持たせた。  岩瀬は、星野に  「お任せします。自己退職でもいいので、ここに新しい退職願を、持ってきましたから、お預けします。そして、賞罰委員会への出席届けにも、署名、捺印しておきます」と、伝えた。  賞罰委員会の開催は、十一月十日となっていた。 佐藤は、十一月八日の夜、岩瀬の家に電話をして来た。 「君のためにも、自己退職を勧めるよ。賞罰委員会に掛かったら、退職金も出ないから」 相変わらずの、自己責任回避の姿勢と、岩瀬は理解した。 「いや、覚えのないことで、責任をとるようなことは、したくありませんから、賞罰委員会で私の考えを述べたいと思います」 彼は、明確にそう答えて、電話を切った。 十日の朝、彼は爽快に目覚めた。八時には、すべての用意を整えて、九時過ぎには、家を出た。委員会は、十一時からの開催だったから、時間に十分な余裕があった。その間、喫茶店で、前夜、下書きをした「弁明書」を暗記した。 「弁明書」は、一切、過去の異動での「約束」違反などには、触れず、ただ、「嫌疑が掛けられようなことはした覚えがない」と訴えていた。 [弁明書] この度はこのような事態を招きまして、会社に大変な御迷惑を掛け、誠に申し訳けなく、私自身、悔しさと無念さでいっぱいです。 二度とこのようなことのないよう、強く誓っておりますので、よろしく御願いします。 私は愛して当新聞者に入社し、三十年間にわたり、盛岡支局、政治部、水戸支局、整理本部、運動部、地方部地方版編集(現・編集総センター地域面グループ)と異動する中で、誠心誠意、精一杯、頑張り、会社にも微力ながらも尽くしてきたつもりですが、今回のような”疑惑”を招き、このような委員会に出席を要請され、今、「私の記者生活は一体、何だったのか」と屈辱感と無念さでいっぱいです。 私の「罪状」といわれる「他面を開いて、間違うように直した」ことについては、まったくおぼえがありません。 というのは、もともと、整理の仕事で体調を崩して、運動部に異動しましたが、その後、「性格的に向いていない。体調を崩す危険がある」と拒否したにもかかわらず、現職場に無理矢理、異動させられた際にも、昇進の約束が守られなかったことなどもあり、精神面で、異常を感じ、会社の産業医の本社診療所医師の診断を受け、「自律神経失調症」で、病気欠勤しました。この異動は医師の「この病気は仕事の環境さえ変わればすぐ直る」とのアドバイス(注告)に反したもので、その後も症状は改善されず、ますますストレスは、募っていき、私の心と体を蝕み続けました。そのすべての記録は会社のカルテに残っているはずです。そのため、その後も何度も欠勤をくり返し、職場の仲間にはご迷惑を掛けてきました。ですから、人事異動の度の重なる「約束違反」で悪化した一社員の精神衛生を十分、配慮せず、放置し続けた方々にも、責任はあると思います。 夜勤の連続の中、日常的な睡眠不足で意識がもうろうとし、頭痛と吐き気と腰痛が、直らず、「危ない」と感じたときには、なるべく休むようにして、ぎりぎりのところで、危険を回避してきましたが、この九月は体調が最悪だったにもかかわらず、異動時期でもあり、「必死で頑張ろう」という気持ちで、無理をして勤務し、意識が不明瞭ななかで、どうにか自らの担当面は、こなしているという状態でした。(十月一日の「山梨版」は、早版だけしか作れず、遅版は同僚に御願いした状態でした)。 ですから、明確な記憶はありませんし、反証の材料はまったくありませんが、私が自ら、故意にこのような行為をしたことは、整理記者としての、約十年間の記者生命を掛けて、「絶対に無い」と断言いたします。整理職場では,「間違いを正すことに集中するのが勤め」と徹底的に教えられて来ましたし、わざと間違いにするというようなことは、とても考えられず、信じられません。ですが、意識もうろう状態の中で、そうした行為をしなかったという、確固とした物的反証は、無念にも私にはありません。むしろ、言われた事実に恐怖し、驚愕した次第です。 そのため、このことの指摘を受けた後、自ら診療所を訪れ、日本医科大学の神経科を紹介されて診療の結果、「強度の鬱状態で自宅静養が必要」と、診断され、現在、病気欠勤中です。担当医師によれば、「強度のストレスなどで、そうした無意識状態になることは、ある」ということです。この診断書は、部長を通じて会社に提出してあります。 ですから、そうした中で、そのような行為が、本当に行われたとすれば、以上のような経緯で、体調が最悪だったとはいえ、私は、ずっと愛してきた会社に対し、誠に申しわけない気持ちでいっぱいです。ただ、私の願っていた取材部での仕事の機会が、ついに再び、与えられずに終わるのは大変な心残りです。(何しろ、「二、三年で戻す」という異動の度の言葉は、すべて反故にされたのですから) 私が疑問に思いますのは、「コンピューターの記録に残っている」と佐藤・編集総センター室長は言っておられますが、確実にだれが操作したか、名前まで、記録されているのでしょうか。現在、編集者大組みが実施されていますが、割り付けを書いて組む場合もありますし、事前作業で私の担当面が開けられることもあると思います。事件を指摘された各面の原稿の「赤字直し」は、基本的に、編集者の仕事ではないため、私はその作業方法も、よく習熟しておりません。また、「証人もいる」とのことですが、「その証人はだれか。対決したい」との私の反論にも「それは言えない」としか言ってもらえませんでした。 私はLDP作業をする数名の制作部員から、ここ数年の間、再三にわたり、殴る蹴るの暴行を受けています。また、一部の編集者との人間関係もうまくいっておりません。こうしたことが、この一件の背景にあることも考えられますし、そうした暴行行為は、当然、懲罰にあたると思いますが、いかがでしょうか。 当委員会の決定で、もし、会社に留まることができれば、心と体を鍛えなおし、健康維持に努め、精一杯、頑張り、恩返しをしたいと思います。中高年の再就職が困難な状況 のなか、私も家族四人を抱え、ここで解雇や退職の処分を受ければ、路頭に迷うことになります。 どうぞ、以上のような点を御勘案下さいまして、寛大な 措置をおとり下さるよう、御願い申し上げます。 「整理記者としての長い経験を掛けて、そのようなことは、した覚えがありませんし、していないと思います」文面は、あくまでお詫びと恭順の意を強調していた。 十一時に会社の五階会議室で開かれた賞罰委員会は、各局の次長クラス九人で構成されていた。 佐藤が作成した岩瀬の「嫌疑」を示す議題は、「LDPによる紙面改ざんについて」というものだった。 委員たちは、書面でその「容疑」を確認した後、岩瀬が呼ばれ、弁明の機会が与えられた。 「こういうことは、会社に対する犯罪行為だね。どういうつもりだったのかね」 委員長の石原編集局次長が、ぶっきらぼうに岩瀬に尋ねた。 「そういうことをしたとしたら、愛する会社に誠に申し訳けないと思います。私自身、屈辱感と挫折感でいっぱいです。でも。私には、そんなことをしたという覚えが、ないのです。信じていただけないかもしれませんが、そういうことは、ある、と医師も言っています。ですから、やった覚えのないことの責任を問われても、解りませんというしかありません」 岩瀬は、精一杯の弁明をした。 「言いたいことは、それだけですか」 「はい」 委員会は、岩瀬を退席させた。 そして、これといった審議もなく「懲戒免職」と決め、十一日に通知した。こうして岩瀬の会社人間としての三十年が、終わった。 リストラの嵐の中、今、職安には、中高年者の退職者が、列をなしている。岩瀬も、十一月下旬、その列の最後尾に加わった。師走の風が、彼の萎えた心に一層、冷たい。 五 慶子は、この「事件」の後、岩瀬と離婚した。娘は、慶子が引き取った。わたしは、そのことを、翌年の正月に、慶子から掛かってきた電話で知らされた。  その電話で、慶子は、  「また、会いたいわ」 と言って、躊躇する私に、  「どうしても、」 と迫った。  わたしは、  「こういう電話は、もうしないという約束じゃなかったかい」  諭すように言ったが、慶子は、引き下がらなかった。  したなく、わたしは、慶子と合うことを約束させられた。それは、なにより、港の見える丘公園での、逢瀬のあと、しばしば、ホテルで、密会して、情交したのが、尾を引いていた。慶子のセックスは、成熟した女のもので、わたしには、忘れがたかった。  そういう、色香に迷わされての、しぶしぶの同意だったが、わたしは、その日も男と女の最後の段階まで進むことを期待した。  渋谷駅まで、東急東横線に、乗ってやって来た慶子と、まるで、お上りさんのようにハチ公前で待ち合わせたわたしは、お茶を飲んだりして、段取りを付けるのも、煩わしく、丸山町のレブ・ホテルに誘った。  慶子は、わたしの申し出に、  「どうせ、最後のそうなるのだから、段取りを付けたりするのは、時間とお金の不経済だわ」  そう言って、サバサバと同意したのだった。  ラブ・ホテルは、いつも盛況である。入口を入るとそこに、部屋の写真が飾ってあり利用中は、ランプが点いているのだが、半分以上が使用中だった。  わたしは、そのパネルを見て、ヨーロッパの古城の内部のような部屋を選んだ。なにか、日本式の瀟洒な部屋は、そぐわない気分だったし、おとぎの部屋のような若作りのベッドが入れてある部屋も厭だった。  慶子は、その写真を見て、  「へえ、いろいろあるわね。みな。することは同じなのに」  その呟きは、わたしは、聞かなかった振りをした。  フロントで、キーを貰って、エレベーターで、部屋に上がった。キーを鍵穴に差し入れ、ドアーを開けると、そこは、レンガの部屋だった。中央に置かれたダブル・ベッドは、枕の上の端板が高く、ヨーロッパの貴族の使っていたような形を模していた。  煉瓦の壁には、棚があり、その上には、乗馬用の笞や猿ぐつわ、貞操帯が、収められていた。そこは、明らかはに、その種の趣味を持つ人たちが、使用する部屋だった。  慶子は、それらの道具が飾ってあるのに、気が付かなかったが、わたしは、慶子が、脱衣を始め、一緒に、風呂に入ろうとした時に、  「あれを見てご覧。ここは、変わっ趣味の人たちが使うのでははないの」  そう聞いて見た。  「変わったって、どういうふうに」 慶子は訝った。  「ほら、あの器具で、縛ったり、叩いたりするんだよ」  「それは、女がされるの、それとも、するの」  「どちらの場合もある。それは、お互いの趣味の問題だ。慶子は、どちらがいい」  「わたしは、もちろん、されるほうだわ。あなたを縛って、叩くなんて、絶対にできない」  「では、あとで、してあげようか。お風呂で、綺麗に、汚れを落としてから」  「わたしは、綺麗よ。汚れてなんかないわ。それに、変態は嫌い」  「そうだ、だが、いくらでも綺麗にすることは、いいことなんだ」  「そうね、では、綺麗にしてね」  わたしと慶子は、一緒に風呂に入ることにした。  慶子は、先ず、上半身の赤いティー・シャツを両手を上げて、脱ぎ捨て後、その下のブラジャーを外した。ブラジャーは、黒だった。そして下半身に残っていたスカートとパンスト、パンティーを自分で脱ぎ、真っ裸のまま、脱いだものを綺麗に畳んだ。  「良い体をしているね。年の割りに締まっているし、プロポーションも、崩れていない」   「そんなに見詰めないで。じっと見られると、ゾクゾクしてしまうわ」  「快感でかね」  「気持ちが悪い、と言うのは完全なウソかな」  「君の裸を見ただけで、こんなになっちゃったよ」  わたしは、逆に下のほうから脱ぎ出し、ズボンを脱いだ後、怒張したペニスをパンツの中から引き出してみせた。  「和さんのものって、こうして見ると、意外と大きいわね」  「それは君のせいだ」  「触っても良いかしら」  「条件を飲めばね」  「ねえ、良いでしょ」  「君のあそこも触らせてくれるかい」  「いじめないでよ」  慶子はそう言って、右手をわたしの下腹部へ伸ばした。  「駄目だ、バスルームへ行こう」  わたしはパンツを脱ぎ、セーター、ワイシャツに肌着を脱ぎ捨て、慶子と同じ生まれたままの姿になると、  「さあ、どうぞ」  とペニスを突き出し、慶子に握らせたまま、風呂に入った。  湯船に二人して漬かりながら、わたしは慶子の性器を探った。湯の中で触る性器はいつも卑猥だ、と思う。空気中でもいかにも陰湿な構造だが、水中ではヌメヌメした生き物のような感じだ。「秘貝」とか「あわび」「赤貝」とかの形容は正鵠を射ている。  慶子の性器は手触りが良かった。大きさもわたし好みの小さめで、指を触れた感触では中の構造も小作りのようだ。  「これで、色もピンクだったらまさに理想通りだ」  慶子は手での玩弄に飽きたのか、今にも口で頬張りたそうな目付きになっている。うっとりとしている。  「さあ出て、よく洗おう。あそこを綺麗にしてから、ゆっくり味わい合おうね」  スポンジに石鹸をたっぷり擦り付けて泡を大量に出し、  「これでやり給え」  と慶子に渡した。  慶子は泡一杯のスポンジを両手で受け取ると、まず、わたしのそそり立ったものに、泡を撫で付けた。そのあと、片足立ちになって、自分の下半身を泡塗れにした。  「あとは、手でしましょうね」  わたしの手をとって、自分のものに当てがい、自分の手はわたしのペニスへ。わたしがひだをまさぐり、クリトリスを指で刺激すると、慶子も先端から根元へと何度も上下動を繰り返す。  「ああ、いいわー。気持ちが良いわー」  「君も上手だね。こりゃ、かなりのベテランだ」  「好きこそ物の上手なれ、って言うでしょ。好きなんだもの」  ひとしきり、まさぐり合った後、わたしはいたわるように慶子の乳房から背中、それに手足を洗い、慶子も同じようにした。  「足の指の先も綺麗にしたいけど、慶子が口でもっと綺麗にしてくれないかな」  「いいわよ。上の口、それとも…」  「両方で」  慶子は先ず、上気した唇で、わたしの右足の親指から順に小さいほうへと一本ずつ頬張った。左足も丁寧に拭うように頬張った。  わたしも慶子に同じ事をしてやった。  「下の口では君だけができるんだ。してくれるかい」  慶子はわたしの右足を両手で抱えると、その上にしゃがみ込む形で、やはりまず親指を自分の体内に押し込んだ。  「男の人のその物より、短いから入れにくいわ。でもやっぱり感じちゃう」  左足に移る頃には、「あー」の声のテンポは益々速まり、小指を入れ終ると、へなへなとへたり込んでしまうほどだった。  もう一度、湯船に入る時には、わたしは慶子を両腕に抱えなければならなかった。右腕で頭を支え、左腕では両足を抱えて、湯に浸ったわたしは閉じている慶子の瞼の上にキスをし、そのあと、唇を吸った。  タオルで水分をお互いに十分拭い合ってから、わたしはベッドに倒れ、慶子が髪を拭くのを待った。慶子は完全に水分を拭い終えないまま、待ち兼ねたようにベッドに倒れ込んできた。  「時間はたっぷりよ。したいだけしましょうね」  まだ、日は高い。人が眠るまでには十分すぎる時間があった。  慶子はわたしの上に乗し掛かって来た。わたしの閉じた瞼に口付けし、自慢の高い鼻を嘗め、 耳に息を吹き掛け、うなじにキスをした。  「耳にキスをすると気持ち良いでしょ。女はそうよ。男だってそうよね」  わたしには小さい頃、床屋で耳たぶを剃ってもらい、ゾクッとした幼児体験が思い出された。今でも、年若い女の理容師に顔を剃ってもらうと、顔に乗し掛かって来る乳房の重みや鼻息が堪らなくなって、“白昼夢”を見るときがある。  慶子のキスは胸へ降りた。両乳首に溢れるほどの接触を繰り返して、腹部へ更に下る。臍の中を舌で抉りながら、既に両手は陰毛をまさぐっている。柔らかい手の感触がわたしには心地好かった。次はペニスだ。両手で包み込んでいる。口を持って来るに違いない。  「男の人の物って不思議ね。あんなに軟らかくって可愛いのが、こんなに堅く逞しくなっちゃって」  舌の湿った感触が、わたしの下半身を伝った。  「おれも未だ捨てたもんじゃない。陰気な仕事が内気な性格にしているだけさ。こんなに雄々しいじゃないか」  女はこうして男を強くすることもできる。そこが男女関係の不思議さでもあるのさ、と思いながらも、快感が先立った。  慶子の唇はわたしの男を包み込んだ。喉の奥の方への上下運動を激しく繰り返すと、わたしの腰部を快感が突き抜けた。  「まだ出してしまわないでよ。メイン・ディッシュはまだなのよ」  行ってしまいそうなわたしの表情を素早く見て取った慶子は、ペニスを離すと、摩擦で熱を持った唇を太腿から足首へと伝わせて行き、先程、バスで自らの中に包み込んで綺麗にした足の指を十本、丁寧に嘗め尽くした。  「さあ、終わったわ。今度は私がしてもらう番ね」  「有難う、慶子。さあ下になって」  わたしは体を入れ替えて、上になると、慶子の足元へ顔を持っていき、足指の方から嘗め始めた。慶子の眼前にいきり立ったものを突き付け、慶子の泉を吸い尽くす積もりだった。   慶子の陰毛はやはり柔らかく、密だった。毛はビロードのように手触りがよく、わたしは何度も撫で回した後、性器の色を確かめるため、ベッドサイドのライトのスイッチを入れた。  「やはり、ピンクだね。もうすっかり濡れて、てかてかに光っているよ。何人もの男の物を受け入れて来たんだろうけど、色だけは処女のようだ」  そんないたぶるような言い方にも、慶子は素直に、  「そんなに多くはないわ。したい人はそんなに多くはいないわよ」  と虚ろに繰り返す。わたしは構わず追い討ちを掛けて、  「でも、性能は開発済みだね。その証拠にこんなに液が溢れている。お尻のほうまで溢れ出しているよ」  「もう入れて下さいってことよ。まだ入れて下さらないの。あなたのこんなに大きく固くなっているのに」  「では、入れてあげようか。どういう体位が良いのかな」  「最初は正常位。バックもいいわ。私が上になるやつもしたい」  わたしは慶子を突き上げた。粘液で満ち溢れた壺の中への挿入は容易だった。ヌメヌメとした感触を先端から全体に感じて、すぐ行きそうになった。ここは踏ん張り所だ。 「ああー、あー。良いわー。響くわー」  慶子のよがり声が長く糸を引くように切れ目なく続いた。  上になり、下になり、前になり、後ろになり、男と女が野獣のように貪り合い、与え合う恍惚の時が澱みつつ、粘り付きながら、流れて行った。  「あーあーあーあーあー。あーーーーー」  「うっうっうっうっうっ。うーーーーー」  わたしの力が抜けた。慶子は虚空を彷徨って浮上した。  「行ったよ」  「…………」  ぐったりとなったわたしは、慶子の額に手を当てて、玉のように光る汗を拭った。  「良かったかい」  慶子は黙ったまま、コックリ頷いた。  わたしと慶子はこの日、最後の男女の関係を持った。余韻を楽しむ時間をわたしは慶子の乳房の上に頬を付けたままで過ごした。グッ、グッ、グッと慶子の心臓が脈を打つ音が、命を実感させる。わたしはいつもの寝癖で、右の耳を下にして慶子の上にうつ伏せになっていた。そうしながら、左手で慶子の右の乳頭をくるくると撫でて、弄んだ。  時が過ぎ、日が落ちた。シャワールームで汗を流して汚れた体を洗い、二人はベッドに、横たわって、疲れを癒していた。  慶子は、  「ああ、いい汗をかいたわ。これで、ぐっと冷たいビールを、飲んだら最高ね」  そういいながら、冷蔵庫の方に歩いていき、中から、缶ビール二本を取り出して、置いてあったグラスに注いだ。  わたしは、反対側を向いて、寝ていたから、グラスに注がれるビールの音を耳で聞いただけだった。しばらくすると、慶子は、二つのグラを持って、ベッドに近づいてきて左手に持ったグラスを、わたしに渡して、  「乾杯」 と自分のグラスを、寄せてきた。わたしは、素直に、グラスを合わせた。そして、一口で、一気に、その最初の一杯を飲み干した。  「さすが、一気に行くなんて、素敵だわ」  慶子は、一口付けただけで、わたしにしなだれかかってきた。  「さあ。もう一杯」  缶から再び、ビールをわたしのグラスに満たした。  わたしは、それも、一気に飲み干した。それほど、気分が爽快だったし、ビールが旨かったのだった。  そうして、缶を一本、飲み干して、二本目に取りかかったころには、少し、ペースが落ちた。それに、無性に眠くなった。わたしは、徐々に、意識が朦朧としてきて、寝込んでしまった。    寝覚めたのは、ワゴン車の中だった。わたしは、後ろ手に縛られ、ワゴン車の後部座席に、横たえられていた。下着は着ていたが、上着は脱いでおり、それは、まさに、ホテルにいた時の裸姿のままだった。  わたしは、何が何だか、よく分からなかったが、体の自由が拘束され、動きがままならないことだけは、分かった。  運転席にはも助手席にも、人はいなかった。わたしが、すっかり寝込んでいると思、車を離れているらしい、と分かった。  段々、意識が、ハッキリしてきた。  (これは、要するに、誘拐なのだ)  そう、思い至って、  (それなら、逃げなければ行けない)  と、気が付いた。まず、縛ってある両手を解くことだ。しかし、縛りかたは、きつく必死に、身をくねらせて、縄を解こうとしたが、駄目だった。  となれば、逃げるしかない。わたしは、背中からドアーの内部ロックに近寄り、後ろ手で、こじ開けて、ドアーを開いた。  そして、体を道の上に転げ落とし、自由だった両足を使い、一目散で、掛けだした。 下着だけで、走っていく姿を見て、通行人たちは、道を譲った。  わたしは必死で、走り、一キロほども行ったところで、目に飛び込んできた交番に飛び込んだ。  交番のお巡りさんは、下着姿の男の飛び込みに驚いたが、落ちついて、事情を、聞いた。わたしは、わけを話した。警官は、事情を聞きおわると、さっそく、自転車で、わたしの言った現場に向かった。だが、既に、車はいなくなっていた。  「どんな色の車だった。できれば、車種まで分かればいいが」  「もう、気が動転していて、覚えていません。というより、分かりません」  「ナンバーなんて、無理だろうな」  「そうです」  「乗っていた人も見ていない」  「はい。見ていません」  「それでは、まったく手掛かりがない。まあ、体だけは無事で良かったよ」  わたしは、警官から上着を借りて、帰宅した。この「誘拐事件」は、警察でも、事件として、報告もされなかった。交番にただ、巡査のメモ書が、残っただけだった。     「洋子」                  一    洋子は踊り子である。いまでは、ダンサーという呼び名の方が通りがいいが、洋子は、自分がダンサーだと、思ったことはない。あくまで、踊り子だと思っている。  それは、何故かというと、洋子は横浜・黄金町のストリップ劇場で、毎日、「踊り」を、見せているからだ。  その「踊り」は、ダンサーと呼ばれるような、踊り子が、するものではない。ぎらぎらとした、男たちの視線に、生まれたままの姿を晒すが仕事の踊り子に「ダンサー」などという言葉は似合わない、と彼女は思っている。  一日に、五回のステージが、彼女の「踊り」のすべてである。そして、その「踊り」は、和服姿で現れて、日舞を真似たような踊りが、一つ。そして、その着物を、徐々に脱いでいき、裸になる過程が、一つ。そして次ぎに、「オープン・ステージ」と呼ばれる特出しの舞台がある。これに、もう一回の、「本生板・ステージ」を加えると、四回のステージが、一回の出番の出し物だ。  それを、朝十時開場から、夜十時半の終幕まで、五回、繰り返す。だから、ほとんど休む暇がない。他の踊り子が、出番の間が、休憩時間だ。だが、遠出は出来ない。すぐに、次の出番が回ってくるからだ。  洋子は、最初の「踊り」のステージに、彼女の芸の全てを掛ける。そして、二番目の脱ぐステージでは、これまでに得た、男の視線をじらす技を、惜しみなく披露する。ここで、洋子は官能の昂りを覚えたことも、昔は、あった。だが、いまは。次ぎに控えた「オープン・ステージ」の「一つ前」としか、感じなくなった。  「オープン・ステージ」では、女の一番恥ずかしい部分を、丸いステージを取り囲んだ観客の視線に晒さなければならない。腰を突き出して、右手の人指し指と中指で、茂みのなかの割れ目を、開いて、視線の前に突き出す。それを満遍なくステージを回り、同じ客に、三回は見えるようにするのが、この世界の「ルール」だ。  洋子も、踊り子に成り立てのころ、二十代には、このステージだけで、下半身が熱くなり、訳が分からなくなって、さらに、過剰なサービスをするという、悪循環を繰り返していたが、慣れた後は、要領を覚えて、楽をするようになった。  それでも、そのステージの時に、彼女の秘密の部分は、熱くなって、濡れることがある。それを、馴染みの客は、知っていて、客の前に行くと、  「あんた、感じているの」  そう聞くお客がいる。  そういう客には、洋子は、  「感じるわけないじゃないの」  そう答えることにしているが、実は、意識しないでも、濡れてしまうことがあるのを、彼女は知っていた。  (あんなに、ぎらぎらした男たちの視線に晒されるのだもの、感じないわけがないじゃない)  心でそうは、思っても、口に出し。  「そう」  とは言わないのが、  (せめてもの、踊り子の嗜みだ) と、洋子は、考えていた。  しかし、体は反応する。そういう、反応した体が、求めることもあって、最後の「本生板」は、そういう流れで、こなしてしまうのが、彼女のこつでもある。  愛してもいない、見ず知らずの男と、他の男たちが見つめているステージで、セックスするのだから、感情を込めないようにするのが、一番だ。あくまで、  (これが、仕事なのだ)  そう、割り切ることが、こういう商売を続けていく、こつでもある。  だが、初めの頃は、そう割り切っているためか、感情を左右せずに、終えることが出来たが、最近は、違ってきた。心が、否定しても、体が言うことを聞かないときがあることが分かってから、彼女は、全てを流れに任すことにした。  そうするようになってから、相手によっては、  (感じてしまう)  そういう、ステージになることがあった。そのときは、本当に、感じて、細く長い、喜びの声を上げた。それが、評判になって、ファンが増え、入場者増となって、劇場主に喜ばれ、特別の賞与を貰ったこともあった。  それは、三十代初めの、盛りの頃だった。  だが、五回のステージで、そういう状態になるのは、せいぜい一回で、あとは、なべて事務的に終える。客の男が、放出してしまうまで、「感じている振り」をして、早く「行かせてしまう」のが手なのは、ソープ嬢と変わらない。  だが、最近は、  (客の男の物を受け入れて、感じてしまうのも、悪くない) と、思い出した。いつも、思うのは、  (男たちが、みな、純朴で、可愛い) ということだ。  (そういう男というもの全体を、私は愛している) と考えると、ステージで、見知らぬ男と交合する自分の姿に、自信が持てる。  (私は悪いことをしているわけでない。哀れな男たちを救っているのだ)  そう考えて、女神のような気分になったこともあった。  だが、そういう高揚した気分は、いまはない。ただ、淡々と、「仕事」をこなしている。「ひも」とよばれる義雄と、たったひとりの息子の健一の生活を支えるために。  (それは、わたしはステージが、嫌いではないけれど)  そもそも、踊るのが嫌いだったら、この仕事は続けられない。  (嫌いではないけれど、毎日、違う見ず知らずの男を、あそこに受け入れるのは、虚しい気分だ)  そう思うようになってから、もう半年にもなるが、かといって、この稼業から、足を洗う手立てもない。    そうして、いつものように、生板をこなすつもりで、ラスト・ステージに上がった洋子は、その日、舞台へ上がるジャンケンに勝って、上がってきた男を見て、思わず、舞台の袖に引き返そうかと、思った。  その男は、洋子が、まだ、幼かったころの思い出のなかに生きていた。  ステージに上がってきたその男は、  「あんた、本名は、木村かおるではないかい」  乳房を触らせるお触りの段階で、そう囁いた。  「そうよ、良く知っているわね」  洋子は、良くいる情報通のファンの一人だと思って、そう答えた。  「おれは、岩瀬だよ。小学校で同級生の」  「え。ああ。あの太一ちゃんか」  洋子は気が付いた。「太一ちゃん」は、皆の憧れの君だった。勉強は学年でいつもトップだたし、足も速く、運動会では、いつでもクラスの代表選手だった。  女子生徒は、みんな、憧れていた。だが、それほど目立つほうではなく、勉強も下から数えたほうが早く、スポーツの苦手だった、かおるには、高嶺の花と諦めていた。だが、太一に対する思いは、人一倍だった。  ある時、かおるは、思い切って、ラブ・レターを書いた。一晩中、文面を考えて、宿題も手に付かないほど、じっくり考え、綺麗な模様が透かし彫りになった便箋に、一字一字丁寧に、思いを書いて、翌日、太一郎の下駄箱に入れた。  だが、期待した太一郎からの返事は来なかった。それでも、体の芯から思いが募り、かおるは、学校での勉強にも手に付かなくなった。それほど、良くなかった成績は、またくの最低線まで、真っ逆様に落ち込んだ。  結果は、洋子一人だけが、  「公立高校への進学は諦めたほうがいい」 と言われ、泣く泣く、遠くの私女子校に、進んだのだった。  (それが、わたしの、人生の躓きはじめ)  洋子は、今でもそう思っている。  その相手が、いま、このステージに上がっている。  洋子は、そう思うと、われが分からなくなった。  そして、太一郎のズボン脱がせ、ステージに横たえると、男の象徴を右手で掴み、しごいていた。洋子は太一郎の右手を、時分の秘所にも、導いた。右手で扱いても太一郎のものは、反応しなかった。洋子は、太一郎の顔の上に、両足を跨いで、下半身を沈めた。そして、右手で太一郎にものを握りながら、顔を埋め、口で頬張った。  洋子は、頭を上下に激しく振りながら、太一郎のものの上に、唇を滑らせ、喉に呑み込み、下を絡ませた。  太一郎のものは、徐々に硬度を増し、容量を増やして、直立した。  洋子は、体を入替え、太一郎の上に馬乗りになって、自らの下半身の別れ目の部分に固い太一郎の下半身を迎え入れた。  洋子は、腰を上下させて、刺激した。洋子も、久し振りに快感が、脳天まで突き抜けた来た。  (商売で毎日、四回ずつ、やっいるのに、まだ、わたしは、こういう風に、感じることが出来る)  洋子の官能が、全身を性器にしたようだった。身体中が、感じていた。長い時間が、経ったように感じた。観客の目は、もう、意識になかった。ただ、ぎらぎらとした多くの目がかおるとその初恋の相手との交合を、食い入るように、見つめていたが、洋子は (こういう形でも、太一ちゃんと、できた) という、実感だけで、満足だった。  太一郎は、放出した、洋子は、何時ものように、避妊具を付けるのを、忘れていたから、放射の感覚を、体内に感じた。それは、スレテージでは、初めての感触だった。それは、最高の心地良さだった。洋子も、こうこうした。  「あああー。あああー。最高よ」  思わず声を出していた。最後に、洋子は、太一郎の体を両手で抱え上げて、対面して抱き合い、下半身を接合したまま、太一郎が、放出したものが流れだすのを、感じていた。  そして、ゆっくりと身を離し、太一郎の下半身を、ウエットティッシュで、拭った。そして、そのティッシュを自分の下半身にも、持っていて、流れだしたものを綺麗にした。  太一郎は、ステージを降りていくとき、  「あとで、電話していいかな」 と聞いた。  「いいわよ。電話番号は」  洋子は、番号教えた。そして、太一郎は、客席戻り、洋子は、最後のオープン・ステージのため、観客に、深々と頭を下げて、舞台裏に消えた。  洋子が、最後のオープン・ステージに入ったとき、太一郎の姿は、客席から消えていた。洋子は、すこし、寂しい気がした。  (わたしの、年季が入ったオープンの姿を見てほしたかったのに)  洋子は、何時もより、丁寧に、最後のステージを務めた。右手で、大きく花びらを開く動作も、丁寧にした。その奥の花びらは、太一郎との刺激で、赤みを増し、濡れていた。  (それをあの人に見てもらいたかったの)  すこし、残念な気がしたが、  「電話をする」  そう言った太一郎の言葉を信じて、中学時代からの思いの成就を掛けることにした。  太一郎からの電話は、翌日、午前中に、洋子が楽屋に入ると同時に、掛かってきた。 「昨日は、どうも」  太一郎は、恥ずかしげに、そう切りだした。  「いえいえ、あんなことしか、わたしにはできないの」  「いやあ。素晴らしかった。ありがとう」  「わたし、毎日、あんなことしているの。軽蔑するでしょ」  「そんなことはない。寂しい男たちに、夢を与えているんだからね」  「そんなに大それたことじゃないわ。紐の男と子供を養うためにしかたがないのよ」 「世の中の仕事に、貴賤はないよ。一生懸命頑張っているのだから、素晴らしいころだよ」  「そんなにまで、言われるなんて」  洋子の瞳が、濡れはじめた。  「ところで、電話したのは、少し、時間がないかと思って」  「時間って、休みはないのよ。劇場は、年中無休だし。でも、ワンクール終われば、一週間はお休みだわ」  「それは、いつからなの」  「来週ね」  「では、来週でいいよ。いつか、暇なとき、会いたいんだ」  「では、来週の月曜日は」  「それでいい。桜木町駅裏の喫茶店で、昼頃に」  「何時がいいかな」  「午後一時ころでは」  「いいわよ」  「じゃあ、決まった。待っているよ」  (太一郎がわたしを誘ってきた。夢ではないだろうか)  洋子は、ほっぺたをつねってみた。痛かった。  (それに、太一ちゃんは、わたしに夫や子供がいるのを気にしていない)  洋子は、天に登る心地がした。  (あの憧れの君の、太一ちゃんが、わたしに会いたいという)  洋子は、来週の月曜には、最高のお洒落をしていこう、と誓った。  (はやく、休みになればいいのに)  その週、洋子の踊りは、弾んでいた。        二  約束の月曜日に、洋子は、いつになく早起きした。予約していた美容院に、八時には行かなくてはならない。七時半には、家を出て、美容院には定時に着いた。  「どういたしますか」  美容師の問い掛けに、洋子は、  「天地真理のような髪形にして」  それは、洋子が中学時代に、人気だった女性タレントだったが、太一郎が、彼女のファンだったというのを洋子は、忘れていなかった。女の友達が、  「太一ちゃんがブロマイドを持っている」  そういう噂を聞き込んできて、洋子に話したのだった。  美容院から帰ると、洋子は、超ミニのスカートにベージュ色のセーターに着替えた。そして、ロングストッキングに、ヒールの低い女学生が履くような靴を履いて、家を出た。義雄は、前夜のマージャンの疲れで、まだ寝ていた。だいたい、普通の日でも、正午前に起きたことのない男だった。五歳の息子、健一は起きていたが、こちらは、母親が家に居ないのには慣れている。プラスチックのおもちゃで一人遊びを始めたのを見計らって家を出た。  駅前の喫茶店に、太一郎は、まだ来ていなかった。まだ、一時には三十分の時間があったから、洋子は、待つことにした。  「コーヒーをお願いします」  注文を取りにきた店員に、そういって、洋子は、窓の外を見た。電車が到着するたびに、多くの人が吐きだされ、跨線橋を渡って、降りてくる。その群れのなかに、太一郎が、いないか、目で追っていたが、姿はなかなか見えなかった。  そのうちにポツポツ、降り始めた。  テーブルに届いたアメリカン・コーヒーを一口啜ろうとして、また、目を外の街に向けると、傘も差さないで走ってくる男の姿が、真っ先に目に飛び込んできた。  注意しながらその男の後ろ姿を追っていくと、男はくるりとこちら向きになり、今行こうとした道をそのまま、戻り始めた。  降り始めた雨が徐々に激しくなり、雨滴がガラスを伝い始めたせいで、洋子が座った窓際の席からも、外の風景は崩れ掛かって、見づらくなっていた。  だから、顔は見えない。しかし、やや大柄のきりっと引き締まった肉体をカーキ色のコートに包んでいる男が、灰色の塊となって、こちらへ近寄り始めたことは、意識の外にあっても、感覚で分かる。確かに意識しての知覚だったから、その男が店に到着して圏内に入ってきた後、洋子の視線は男に釘付けになった。  この店に洋子が来た目的は、太一郎と会うことなのだ。洋子は改めて、気持ちの昂りを感じた。  太一郎は、真っ直ぐ、洋子のいるテーブルやって来て、向かい側の席に座った。  「どうも、お待たせ。でも時間は、ぴったりだろう」  太一郎が話しかけた。  「そのとおりよ。時間には遅れていないわ。わたしが、早く、来すぎたの」  店員がやって来て、太一郎に注文を聞いた。  「エスプレッソを」  太一郎は、メニューを見ずに、すばやく、そう言った。  洋子は、それが、何だか、知らなかった。  (この人は、私とは、違う世界に住んでいた)  洋子は、心が萎縮するのを感じた。  (わたしなんか、コーヒーとしか、言えないのに)  「本当に、久し振りだね。こうして、二人だけで話すなんて」  太一郎が、話しかけた、それは、肩に力が入らない、寛いだ話しかただった。洋子は少し、気が楽になった。  「そうね、中学のころだって、二人で会うことなんかなかったものね。あなたは、皆の憧れの君だったから」  「そんなことはないよ。みんな、忙しかったんだろう。あの頃は」  「でも、あたしは、あなたのお陰で、公立高校に行けなくなったのよ。毎日、あなたのことを考えて、勉強が手に付かなくなってしまったのだから」  「それは、知らなかった。そんなことがあったなんて」  「そういう人なんだわ。太一ちゃんは。わたしが、下駄箱に付け文したの、知っている」  「そんなことがあったかな。忘れてしまったよ」  「何度もしたのに、一度も返事をくれなかったじゃない」  「おれは、返事なんて誰にも書かなかったよ。だから、皆、平等だ」  「でも、いいんだ、こうして、二人きりで会えたんだから。こんなことが起きるなんて、想像も出来なかった」  会話はそれで途切れた。  「ところで、今日は何しようか」  「何も、予定はないの」  「なんでもいい。何でも好きなことをしよう」  「わたし、一緒に食事をしたい。それから・・・・・・」 「それから・・・・・・」  「何でもいいわ」  太一郎は、歩くことにした。  喫茶店を出て、横浜に向かった。京浜東北線の関内駅で降りて、中華街を通り、山下公園に出。長い道のりだ。  その長い散歩の最中、洋子は、太一郎に身を寄せ、腕を絡ませることが出来たことに満足していた。山下公園では、海を見ながら、体が熱くなった。遠くの海を見ていると (ずっとこのままの時間が続けばいいのに)  そんな気持ちが、強くなってきた。  太一郎は、洋子の体の暖かさを感じながらも、遠くを見ていた。  洋子は、  「ここは、寒いから、元町に行こうよ。それから、坂を上がって、外人墓地の脇にあるレストランで食事をしようよ」  すっかり、饒舌になっていた。  元町を歩いて、坂道を登り、レストランに着いたころは、もう午後の二時ころになっていた。レストランでは、フランスパンにはさまれた生ハムのサンドイッチとカフェオレのセットを頼んだ。二人とも同じメニューの食事を、こういう場所ですることも、洋子には夢のようだった。  満腹をして、近くの「港の見える丘公園」に歩いていった。時間は、もう午後三時過ぎになり、そろそろ、日が傾きはじめていた。  洋子は、すっかり舞い上がっていた。太一郎の肩に寄せる頭の傾きが増し、体は歩とんだ尾、密着していた。洋子は、太一郎の血管の脈動も感じられる程近くにいて、二十年以上も、心中に隠してきた恋情が、これほどのものだったのかと、自分でも驚愕していた。  公園に人は疎らだった。鉄柵に凭れながら、港を見た。遠くに鴎が三羽飛んでいた。 (わたしも、あの鳥のように、自由に空を飛べたら、こんな生活はしなくても良かったかもしれない)  洋子は、こういう幸せな瞬間と、日常とを考え合わせて、とても、自分が虚しくなった。太一郎が、妻帯しているのか、いま、どういう仕事をしているのか、どこに、住んでいるのか。そんなことは、なにも聞かなかった。ただ、  (初恋の人と、会える)  それだけで、十分だった。  洋子は、太一郎の方に体を向け、じっとその顔を覗き込んだ、瞳を穴のあくほど見つめた。太一郎は、そんな洋子を、知っていて、無視した。  「太一ちゃん、こっちを向いてよ」  洋子はせがんでみた。  太一郎が、こちらを見た。  「ねえ、キスして」  太一郎は、聞かぬふりを装った。  「ねえ、キスしてよ、わたしに」  洋子は、背伸びして、長身の太一郎の顔に、自分の顔を近ずけ、口を持っていった。そうなると、太一郎も男だけに、それに応じざるを得なかった。  洋子は、太一郎の唇を貪るように吸った。太一郎は、必死にそれに応えた。  唾液が、糸を引いて、洋子の口に流れていった、洋子は、むせながらも、それを全て吸いつくした。  そうなると、太一郎の性的衝動に火が着いた。太一郎は、洋子のセーターの下に手を入れ、直接、胸をもみしだいた。洋子は、突然のその動きに、思わず身を引きそうになったが、持ちこたえて、太一郎の要求に応じた。乳首に触れられて、快感が走ったのはもう、十年間も忘れていた感覚だった。  鉄柵に凭れていた他のカップルが、二人の様子を見て、刺激されたのか、キスを始めた。それを見て、さらに、二人は燃え上がった。太一郎は、大胆にも、洋子のスカートをまくり上げ、中のパンティーに手を掛けた。洋子は、それも拒まなかった。太一郎はパンティーを引きずり降ろして、洋子の茂みをかき分け、敏感な部分に触れた。唇は重ねたままだった。  (この人は、テクニシャンだわ)  洋子は、感じていた。ステージには、いろんな男が上がってくるけど、こんなにテクニックが、ある人はいない。  (それとも、わたしが、経験不足なのかしら)  たしかに、義雄は、寝てばかりいて、ろくに、構ってくれないし、ただ、金を取って行くだけの男になりはてた。  (だから、こういう風にされるのは、わたしは、慣れていない)  ステージで、本番までやっているのに、女達はそんな状態なのかもしれない。そういう意味で、彼女らは、不感症だったし、欲求不満だった。  洋子は、はっきりと、その部分が、ひどく濡れてきたのを、股の感覚で感じていた。すぐにでも、漏れてしまいそうだった。  「ねえ、わたし、もう我慢できない、しにいこうよ」  洋子は、太一郎の耳もとでせがんだ。  「そうか、では、そうしよう」  太一郎は体を離した。洋子は降ろされたパンティーを引き上げ、乱れたセーターを繕ってから、再び、右腕を太一郎の左腕に絡ませ、体を右に傾けて、太一郎の肩に預け、坂道を降りていった。  二人は、そのまま、坂の下の温泉マークの連れ込み旅館に直行した。 町外れにあるその連れ込み旅館は、ひっそりと、狭い道路の角に建っていた。入口は人一人が通れるだけの狭さで、入口の両側は長い塀が囲んでおり、塀の上には、笹が生い茂っていた。それでも、玄関は、綺麗に清掃され、水が打ってあった。  太一郎が、先に立って、入っていき、洋子は彼に従った。  受付で、キーを受け取り、二回に上がった。その部屋は、六畳ほどの和室で、他に風呂場が付いていた。  洋子は、部屋に入ると、慣れた感じで、椅子に腰掛け、持っていたポッシェットから煙草とライターを取りだし、一本、口に加えて、日を点けた。洋子は、ゆっくりと紫煙を燻らせ、吸い込んだ、煙を、大きく吐きだした。  それを見ていた太一郎の方が、落ちつかなくなった。  「さっそく、風呂に入ろうか」  「どうぞ、先に入ってきていいわよ」  「あんたが、先に入れよ、しばらくしたら、行くから」  「わたし、風呂は嫌いなのよ。入りたかったら、どうぞ」  「でも、体を洗っておいた方がいいんじゃないの」  「面倒だわ」  これには、太一郎は、面食らった。男と女が二人で、こういう旅館に入ったのは、目的ははっきりしている。そのために、ことを行う前に、風呂に入って、体を綺麗にすることは、お互いへのエチケットでもある。  (汚れた身体のまま、抱き合うことなんて、出来ない)  太一郎ほそう思っていたが、洋子は、拒んだ。  (これは、どう言うことなのか)  太一郎は、考え込んだ。  「面度と言ったって、綺麗にしたほうが、いいだろう。お互いに」  そう一言って見たが、  「いいんです。わたしは、綺麗なんだから。このままで」  洋子は譲らない。そんなあことで争ってもしかたがない。仕方なく、太一郎は、一人で、風呂に入ることにし、脱衣を始めた。  洋子は、煙草を吸いおえて、太一郎の様子を眺めている。  太一郎は、風呂に入った。洋子は、来なかった。  (これで、狙っていた風呂場での、プレーは出来なくなった)  ほぞを噛む思いだったが、  (そんなこともあるさ)  諦めは早い。  身体を洗って、湯船に浸かっていると、ガラス扉を開いて、洋子が、入ってきた。  「なんだ、やはり、入るじゃないか」  「中には入らない、逆上せてしまうから。洗い場で、お湯を被って、洗っておくわ」 太一郎は、湯船に入りながら、洋子が、身体を洗うのを見ていた。  全裸の洋子は、流石に踊り子らしく、要所が引き締まり、良い体型をしていた。一児を持つ人妻とは思えないほど、形の良い乳房と、その下でゆるやかな凹みを見せる腰への線と、黒々とした逆三角形の陰毛と、そこから、二本に別れている股や脛、どれをとっけも、ステージの照明で見たときと同じように、美しかったが、こうして、薄く、生活感のある、照明のもとでは、血の通った艶めかしさがあった。  洋子は、鰻から洗いはじめ、胸や背中を流したあと、両腕と手、さらに両足をスポンジデ洗い、最後に、腹の下の秘所を取り分け、丁寧に洗い上げた。  太一郎は、それを見ながら、  「洗ってあげようか」  聞いてみたが、  「結構よ、ここで、その気になった、もったいないから」  洋子は、断った。それが、じらしの作戦なのは、明らかだった。  洋子は、  「お先に」  そう言って、先に、風呂場を出ていった。  太一郎は、洋子に、手本のような「入浴ショー」を見せられ、興奮していた。すでに股間の逸物は、いきり立っていた。  太一郎は、すぐに、風呂から上がり、タオルで身体を拭くのも、もどかしく、洋子の後を追った。  洋子は、既に、布団に入っていた。それは、洗いたてのシーツに包まれた、二人用の敷布団と掛け布団のセットで、二人が入るには、十分な大きさがあった。  太一郎は、布団に滑り込んだ。洋子は、生まれたままの姿で、太一郎を迎えた。  太一郎は、洋子の頭を抱え込んで、こちらに向かせ、まず、唇に接吻した。洋子は、待ったいましたとばかりに、応じてきた。激しい接吻で、唾液が、枕に零れたほどだった。次いで、太一郎は、洋子の胸から下へと唇を這わせ、洋子の股間に降りていった。股間にいきなり、口付けしたのは、待っていられないほど気分が高揚していたからだ。洋子のそこは、すでに、ぬれそぼっていた。口を近づけると、割れ目の中から、液体がほとばしり出た。太一郎は、それを、啜った。洋子は、その行為に、われを忘れた。  「ああー。ああー」  あの日のステージの時のように、洋子は、糸を引くような歓喜の声を出しはじめた。 太一郎の両手は、洋子の乳房をもみしだいた。そして、唇は、洋子の秘所をまんべんなく辿り、激しい動きで、一番敏感な部分を、刺激した。  洋子は、太一郎の頭を抱えて、悩ましげに、自分の頭も振り扱き、激しくかぶりを振っていた。それを見て、太一郎は、秘所への攻撃をやめ、身体を入れ換えて、洋子の口に、自らのいきり立ったものを押しつけた。洋子は、右手でそれを掴んで、頬張り、頭を前後に動かして、刺激した。  今度は、太一郎が声を上げる番だった。あまりの、快感に、太一郎は、天を仰いで、うめき声を上げた。  太一郎も洋子の秘所に右手の指を差し入れ、中をまさぐった。内部には、期待していた襞がなかった。  (これは、使いすぎている証拠だ)  そんな考えが浮かんだが、洋子の口が伝えてくる快感の刺激で、すぐに、忘れた。  太一郎は、また、身体を入れ替え、洋子の背面に回り、後ろから、手を回して、両の乳房を掴み、揉み上げた。そして、耳元に囁いた。  「さあ。次はどうしてほしい」  「もう、早く、入れて」  「何を、どこにだ」  「そんな。そんな」  「早く言ってご覧」  洋子は、それを言えなかった。  (毎日、観衆に全てを晒した上に、見ず知らずの男に、何回も身体を許しているのにこのはにかみはなんだ)  太一郎は、洋子の恥じらいをみて、女の性の不思議さを、感じていた。  「あなたに、そんなことは言えないわ」  「そうか、あそこに、入れて欲しいのだろう」  洋子は、静かに、頷いた。  太一郎は、洋子を仰向けにした。そして、いきり立ったものを、その下半身に当てがうと、思い切って差し入れた。  洋子は、  「ああっ。うっつ」  声を漏らした。太一郎は、腰を前後に動かして、激しく洋子の内部を突いた。洋子も足を真横に広げ、なるべく、深く受け入れるような体勢を取った。  そうした行為が、果てしなく続き、二人は、急坂を一緒に登り、頂上を究めた。太一郎は、最後に、洋子の体内から、差し入れていたものを抜いて、洋子の胸に放出した。洋子は、それを、右手で救って、口に運んだ。  「あなたの精のかたまり。一滴も無駄に出来ない」  そういって、おいしそうに、飲み下した。  あとは、ぐったりとなった太一郎が、ゆっくりと洋子の、胸や腹を撫でて、余韻を楽しんだ。洋子も満足していた。顔も身体も紅潮していたが、その肌を太一郎が柔らかく撫でてくれることで、落ちついた、心地よい気分を味わっていた。  そういうくつろぎの時間に入って、少し経ったとき、洋子が、突然、聞いてきた。  「ねえ、太一ちゃん。わたしたちの育ってきた時代って、何だったの」  太一郎は、不意を打った質問に、咄嗟の答えができなかったが、数分、冥目して、考えが、纏まった、そして、洋子に、寝物語で、語ったのだった。       三  今はもう「その頃」ということが、私にもできるようになった。  通り過ぎた時は、遠ざかるにつれて、次第にその輪郭をはっきりさせてくる。 「あの頃」 は、その渦中にいて、流れていく状況の中で、その意味が良く掴めなかったが、今はあたかも、ランドサット衛星がこのゴミゴミとした東京の町を、明瞭に赤と青と緑とで色分けしてしまうように、 「あの頃」 のことを、遠くから眺め渡すことができるようになった。  “時”は過ぎ去れば、過ぎるほどに、地上数千メートルからの俯瞰(ふかん)のように、時代の様相を浮き彫りにしていくようである。  ダイナミックな時代だった、と思う。  空気がジェット気流のように流れていた。その流れに抗らうのは難しかった。胸が騒ぎ、部屋にじっとしていられなかった。外へ飛び出してみたい、と誰もが思った。町へ出て大声で叫びたかった。そして、最後に、血が流れた。  ーー一九七〇年代。  ビートルズにフォークソング。ジーンズにミニスカート。大学紛争、全共闘、火炎瓶、催涙弾。機動隊……。七〇年安保。  私は、その頃、ノンポリ大学生だった。毎日のようにキャンパスで開かれた学生集会に積極的に参加したこともなかったし、ヘルメットにタオルのマスクで、過激なデモに加わることもなっかった。  だからと言って、紛争の中で相次ぐ休講に大喜びして、テニスコートに駆けつけるような、脳味噌空っぽのお坊っちゃん学生でもなかった。私は、今でも思い出すと不思議なくらい真面目な大学生だった、と今にして思う。  しかし、講義はなかった。がなり立てるラウドスピーカーの脇に、とびきり大きな四角い文字で書かれた立看が立てられていたが、その乱れた文字の大きさと独特な書体に目が向いただけで、中味にまでは関心がなかった。  ただ、私は今から語ろうとするある一つのことには熱中した。講義よりもゼミよりも、「その事」のために、大学に通っていた、と言っても良いほどだ。  だが、「その事」を語り始める前に、先ず「この事」から述べねばなるまい思う。    横浜から横浜新道を車で西へ行くと保土ケ谷というところがある。今では、すっかり東京のベッドタウンとなって、高級住宅やマンションが立ち並んでいる。ここにはゴルフ場もあって、そのゴルフ場の南に当る方角に、小さい白塗りの住宅街が並んでいる地域があった。  もう、かなり遠い微かな記憶だから、はっきりとは、その場所を覚えてはいない。だが、 とにかく白い家だった。二、三段、階段を登ったところに、やはり白く塗られたドアがあった。横文字で何か書かれていた。多分この家の主人の姓名だったと思うが、すべて記憶の彼方のことである。  私はその家に、私が当時住んでいた地区にあった孤児収容施設の子供達と一緒に行った。 その頃は駐留軍といった米軍が占領していた厚木基地に、私達地元の子供達を招待し、クリスマスパーティーを催してくれた御礼を、司令官かなにかに伝えるためだった。  基地の食堂で開かれたそのパーティーは、今から思うと随分、粗末なものだったが、敗戦後の貧しい日本人の幼い子供達にとっては、全てが驚きだった。米兵たちはいかにも楽しそうに子供達を接待し、ステージでは基地の子供達による劇も上演された。多分、キリスト誕生の物語を演じたのだと思う。大きなクリスマスツリーが美しかった。クラッカーが割られ、弾ける音が今でも耳に残っている。子供達の頭にはトンガリ帽子が載っていた。 テーブルには、ケーキ、アイスクリーム、チョコレート。そう、チョコレートは山ほどあって、ガム、キャンデーも取りたい放題だった。  私は、チョコレートを、その数日前に米兵から貰って、その不思議な味の魅力を覚えたばかりだった。米兵に貰ったのは、板状でほろ苦かったが、テーブルに載っていたのは、銀紙で包まれた甘い丸い玉だった。  私と友人のA君はこの世のものとは思われぬ、その華やかなパーティーへの招待の返礼特使として、この将校宅へ遣わされたというわけだった。  ドアをノックした私達を迎え入れたのは、金髪の婦人だった。  [ I'm glad to see you again.Thank you  for coming to our home」  細くしなやかな手を差し延べてきた。私達は、身を堅くしてその真っ白な(と当時は思った)手を握り、何と思ったのか、その手に私は口づけをした記憶がある。  婦人は包み込むような優雅な笑みを見せ、家の中に招き入れてくれた。その時気付いたのだが、彼女の後ろに、ミッキーマウスの縫いぐみを抱えた私達と同じ年頃の少女がいて、私ににっこり微笑みかけ、私ははにかみながら、素直に笑い返したようだ。  体が沈むようなソファに座り、婦人が入れてくれた紅茶を飲んだ。ケーキとクッキーがニス塗りのテーブルの上にあったと思う。私達が何をどう喋り、婦人や小さい女の子が何を言ったかは、全て忘れてしまった。何一つ思い出すものはない。ただ、私たちのために、熱くもなし、決して温かすぎもせずに入れられ、その味に異国を感じた飲み物と舌を溶かした甘美なチョコレート・ケーキ、その後で抓んだ手づくりのクッキーの味だけが、遠い時間を突き抜けて、私の味覚の原体験になったことだけが、はっきりしていることなのである。  少女は婦人にねだって、レコードをかけた。落とせば割れるSP盤で、それでも、手回しでないモーター式の再生機が、英語の童謡を歌っていたようだ。「メリーさんの羊」だったかもしれない。  小一時間、私達は別世界の中で、今でいうカルチャーショックを、小さな魂に刻み付けてしまったのだった。  昭和二十七年、太平洋戦争終結から七年、私が四歳のときである。  この年、皇居前広場でデモ隊と警官隊が衝突するメーデー事件があり、破壊活動防止法(破防法)が公布された。  その頃から、日本は年ごとに豊かになっていった。昭和二十八年にはテレビ放送が始まり、私の家ではその六年後の皇太子御成婚のテレビ中継を機にテレビを買った。私の家に入った家庭電化製品の順序は、電気釜、電気洗濯機、冷蔵庫の順だったと思う。その前に、カマドが無くなり石油コンロに、井戸のつるべや手動ポンプがなくなり電動ポンプに、薪、その後では石炭を炊いた風呂が石油、そしてガス釜へと変わっていった。水もポンプから水道へ。電話(最初は農協の有線)が入り、車も買った。家を新築し、車を買い替えて……。  両親はよく働いた。私の両親は、今でこそ共働きをする女性も多いが、当時は「共稼ぎ」 と言った夫婦とも給料収入のある家庭だったから、経済的には恵まれいた。だから、そういう日本の豊かさへの道程の中では、先頭近くを進んでいたのではないかと思う。とにかく、よく働く両親のもとで、私も良くではないかもしれないが、真面目に勉強し、時にはテレビを見過ぎて叱られながら、まともに成長していった。  ただ私達の世代は、戦後のいわゆるベビーブーム世代だったから、あらゆる点で競争はが激しかった。中学へ入学すると教室が足りないと言うので、薄暗い理科実験室などの特特別教室を使い、黒板の字が読みずらくて近視になった者がかなりいた。高校ではプレハブ校舎で、それこそ基地から発信する飛行機の騒音に悩まされた。今の子供たちが、特別に騒音対策が施された教室が使えるのとは大違いだった。時折りドカーンと爆弾が落ちるような大音響が轟いたが、これは後になって、ジェット機が音速を超えるときの「衝撃波」と言うのだと後で知った。これで民家のガラス戸が破壊された例が幾つもあった。  皆が、何かおかしいと感じながらも、何も言い出さずに、只黙々と働いていた。そんな時代だったのかもしれない。そういう中で、私は小学校最上級生になり、一九六〇年の第一次安保闘争をテレビで見た。新聞には、日本がどうにかなってしまいそうな見出しが踊っていた。東大の女子学生が国会デモの中で死んだと言うニュースをラジオが絶叫していたのを覚えている。「安保」って何だろうと言う疑問は沸いたが、それ以上知ろうとは思わなかった。この国にとって大切なことが、米国との間で話し合われていて、岸という総理大臣が、反対派の目の敵にされているということぐらいは朧気ながらも分かった。何か、米国が悪いことを日本にしようとしているらしい。それで大学生が騒いでいるのだろう。 それにしても、米国ってそんなに酷い国なんだろうか。小さい頃訪ねたあのアメリカ人の奥さんも少女も本当に良くしてくれたのにーー。そんな思いがふと過ぎっては消えた。ただそれだけだった。所詮、あの騒動は少年の日常生活からは遠すぎた。直接的な影響といえば、樺美智子さんが倒されて死んだショッキングな事件のその翌日に、私達は学校で、「アンポ反対ごっこ」をして遊び、哀れな鬼になった女の子が地面に倒され、死んだ振りをさせられただけだった。  それが、われわれの「青春」だった。          四  太一郎は、語りおえた。  「そういうことなんだよ」  「そういうことって」  「だから、俺たち時代が、そういうことだって」  「わからないわ」  洋子は、つまらなそうに、タバコに火を点けた。  それをみて、太一郎は、  (こうタバコを吸うから、舌が荒れるのだ)  先程の接吻のときに感じた洋子の口のなかの、荒れた粘膜とタバコ臭い匂いを思い出して、太一郎は、吐き気を感じた。  洋子は、太一郎の「時代」説明を、全く理解しなかった。  (この女にそんなことを理解させようとするのが、もともと、無理なのだ)  そう思い至って、自分のしたことの虚しさが、こみ上げてきた。  と同時に、そういうことを、理解しない女に対する、敵意も感じた。自分が生きた時代を、無視して、生きていくことが、出来るのが、不思議だった。  そしてまた、太一郎は、こうも感じた。  (そういうことを考えている余裕なんか、なかったということかもしれない。それだけ、洋子は必死に生きてきたのか。自分が生きることが、精一杯で、外の世界に目を向けているような余裕はなかったのだ)  だが、それにしても、これほど、世間に無頓着で生きていけるのが、依然、不思議だった。  (おれには、洋子は異星人だ。かみ合う部分がない)  そう思ったが、そうではないとすぐに分かった。  (男と女に共通の人類全ての欲望の根源、セックスを除いては)  まったく、そのことだけは、知性も教養も、生い立ちも関係なく、皆が、やり方を知っていて、しかも、そうしたいと思っている、人類共通の関心事だ。  (だから、俺たちは、こうしている。洋子とはそれでいいではないか)  そういう考えに至って、太一郎は、気が軽くなったいた。  (どうせ、慶子は、帰らないだろう。というより、帰らないということにしておかないといけない、そうしないと、計画は、駄目になる)  そこまで、考えて、太一郎は、いよいよ、次の段階に移る機会がやって来たと、思った。  その日は、この後、中華街で、夕食を取り、太一郎は、洋子を駅まで送っていた。  「また会いたいわ」  洋子は、再会をせがんだ。  それは、太一郎にも願ったりだった。  「それでは、その気になったら、電話するよ。貴方が電話してくれてもいい」  そういって、一人住まいの太一郎のアパートの電話番号を教えた。  洋子は、  「お別れの挨拶よ」  そう言って、背伸びして、太一郎の顔に尖った口を押しつけ、無理やりキスをした。太一郎も、それを喜んで受け止めた。洋子は、それから、くるりと向き直ると、一目散で、駆けだし、信号が青になった横断歩道を渡っていった、そして、向こう側で、振り替えって、右手を振った、太一郎もそれを見て、手を振り返した。  (これでは、まるで、若い恋人たちの別れのようだ)  そう感じて、はにかみながら、太一郎は、駅の階段を登っていった。    それから、十日ほどして、太一郎は、電話をして、洋子と再会の約束をした。それは太一郎のアパートからだった。  洋子は、  「今度は、あなたの家に行きたいわ」  そういって、甘い声で、  「そのほうが、お金を使わないで済むでしょう」 と付け加えた。  (この子は、どこまでも経済観念がしっかりしている)  太一郎は、  (それは、これまでの洋子の生活の歴史がなせる技だ) とも思った。  洋子は、翌日、太一郎の狭いアパートにやって来た。  玄関のドアーを開けて、入るなり、玄関脇の下足夏箱の上に載った、熱帯魚の水槽を見つけて、洋子は、  「これすごいじゃん。綺麗な色をしてる。あたしも、これくらい派手にやれたらいいのにね」  そういって、水槽を覗き込んでいた。  「おう。それは、ピラニアといって、肉食の魚だ。手をいれたりしたら、食われるてしまうぞ」  太一郎は、警告した。  洋子は、差し入れようとした指を、びっくりして、引っ込めた。  「そんな、怖い魚を、何故、飼っているの」  「それは、寂しいからだよ。いい年をした男のやもめ住まいだ。その位の彩りがあってもいいだろう」  「でも、手間がかかるでしょう。餌もやらないといけないし」  「それが、そんなに手は掛からない。餌も、一日一回やれば十分だ」  「へー」  洋子は、気が抜けたように、頷いた。  (そうか、これは、あの劇場へやって来る男たちの気持ちと同じだ。こうやって、寂しさを癒しているんだ。そうすると、私は、この水槽の中の魚の立場ね)  洋子は、そんなことを、ふと考えた。  「さあ。こっちへ来て、コーヒーでも飲めよ。おれが、煎れるから」  太一郎が、水槽の前で、立ち止まっている洋子をリビングの部屋の誘った。  洋子は、入ってきて、そこのダイニング・テーブルの椅子に座り、持っていたポシェットから、ラークのタバコを一本取りだし、火を付けた。  太一郎は、煮立ったポットから、紙フィルターの上に入れたコーヒーの粉に湯を注いだ。香ばしい香りが、立ちのぼり、部屋に居る二人の気持ちを落ちつかせた。  「さあ、入った。ブルーマウンテンの最高級品だぞ」  ドリップされたコーヒーをカップに注ぎ、洋子の前においた。  「ありがとうね。太一ちゃんに、コーヒーを入れてもらうなんて、夢みたいだわ」  洋子は、そう言って、タバコの火を灰皿に擦り付けて消し、コーヒー・カップを手にして、口を付けた。  「おいしいわ。こんなにコーヒーは、おいしいって、知らなかった。気持ちが、とても落ちつく」  「そうだろう。喫茶店のコーヒーとは、違うだろう。増してや、カンコーヒーやインスタントとは、全然違う」  「ほんとに、いい香りと味ね」  洋子は、さも、おいしそうに、コーヒーを啜った。太一郎は、それが、嬉しかった。 (洋子は、純粋に喜んでくれる。それが、おの女の良い所だ。無垢で、計算がない。そういう気持ちが、男たちにも通じるのだろう。そういう意味で、洋子の今の仕事は、彼女の天職なのかもしれない)  コーヒーを飲みおわって、洋子は、すっかり寛いだ表情になった。  太一郎は、隅の机野上にあったカメラを取ってきて、洋子のコーヒーをのむ姿を撮影した。洋子は、コーヒー・カップを口元に持っていって、レンズの方を向いて、笑顔を造り、ポーズした。太一郎は、続けて、五枚ほどその写真を取った。そして、カメラを戻しにいった、そのとき、机の上のラジカセのスウィチを押したのを、洋子は知らなかった。  「なかなか、いい部屋じゃない。綺麗に整頓されているし。だれが、掃除してくれるの」  洋子が部屋を見回しながら、話しかけた。  「おれが、やるんだよ。ほかに誰か居るかい」  「女の人じゃないの」  「だって、前の女房とは別れたきりだ。女っけなんて、まるでない。そうか、貴方だけだよ。おれの今の女っけは」  「ふふん。そうかな。まあいいか。今日は今日で、こうして、二人きりなんだものねえ。それで、夜は、一人でどうしてるの。何処に寝てるの」    洋子は、立ち上がって、隣の寝室とリビングを隔てている、扉の方に行こうとした。そのとき、  「おい。よせよ」  止めようとした太一郎の手が、テーブル・カバーの端に引っ掛かり、洋子の前のコーヒー・カップが、ひっくり返って、洋子の着ていたブラウスとショート・スカートをびしょびしょにしてしまった。  「あれ、どうしよう。びしょ濡れになってしまったわ」  洋子は、半べそをかいた。  「しかたない。女物の着物は、寝室の洋服ダンスに、前の女房のパジャマがあるだけだ。それでも、よかったら、着るかい」  「仕方ないわね。それに着替えるか」  洋子は、太一郎の見ている前で、汚れた衣服を脱ぎすてた。ブラウスの下には、何も付けておらず、ノーブラだった。それを脱いで、下のパンツも脱ぎ捨てて、中のパンティーも外した。そして、その三つを、洗面場に持っていて、洗面器に水を張り、中に漬けた。その時、洋子はスッポンポンダ用意湖はときもってぢてセンタ部場にて、歯ー鵜仕手ノシタノだったが、まるで気にしないで、自然にそうした一連の動作をしていた。 (そういうことは、楽屋で慣れているのだろう)  太一郎は、勝手に解釈した。  洗面場から戻ってきて、洋子は、太一郎が、洋服ダンスから取り出したパジャマを着た。太一郎は、そこに、慶子が戻ってきて、座っているような錯覚に捕らわれた。  洋服ダンスのある隣の寝室には、敷きっぱなしの太一郎の寝具があった。  それを、見つけた洋子は、  「これに、寝てるのか。さぞ、太一ちゃんの匂いが籠もっているんだろうね。わたし、あんたの体臭が大好きなんだ」  勝手に、寝室に入り込んで、布団の中にもぐり込んだ。  太一郎は、  「よせよ。そんな所に入らないで、こっちにおいでよ」  そう、型通りに言ってみたが、洋子の後を追う素振りをしながら、布団の中にもぐり込んだ。  前の妻のパジャマを着た洋子と、ラフなティーシャツ姿の太一郎が、並んで、布団に寝るような形になって、枕の上に並んだ二つの頭が、せまい枕を取り合うようなことになった。太一郎に追い出されたそうになった洋子は、必死で抵抗し、頭をそのままにしようとした。その結果、必然的に顔と顔が触れ合った。頬が触れ、耳が触れて、二人の接触感覚が刺激された。  鼻を触れさせ、額を触れさせて、最後は、唇同士が触れた。  触れた瞬間に、洋子は、太一郎の頭を両手で掴んで、自分の方に引き寄せ、唇を密着させた。そして、激しく舌を差し入れたと思うと、唾液を思い切り、絡ませながら、舌を吸った。太一郎もその行為に応じて、舌を積極的に絡ませ、唾液を洋子の口内に送った。  洋子は太一郎の上になって、半分はだけていたパジャマの上着を脱ぎ捨てた。なかからは、あの形のよい乳房か、弾き出た。その乳房を太一郎の顔に押し当てて、鼻を挟んだ。太一郎は、その乳房を両手で挟んで、内側に揉みしだき、右手で洋子の左の乳房を口に導いて、吸った。乳頭は小作りで、つんと尖っており、まるで、二十歳の処女のような乳頸だった。  (これが、普通の主婦だったらこうはいかない)  太一郎は、もうそれを吸えるだけで感動した。  洋子は、乳頸を吸われて、溜め息を漏らした。  今度は、反対側の左の乳首を持っていって、吸った。そして、両方を交互に口に入れて、激しく摩擦した。  洋子は、一時、乳房を吸わせたあと、今度は、その乳房を太一郎の胸から腹へと滑らせ、身体を入れ換えて、自分の頭を太一郎の足の方に向け、太一郎のパンツを脱がせようとした。太一郎は腰を上げて脱ぎやすいようにした。洋子の尻が太一郎の顔の上に来た。太一郎は、自分の腰を上げると同時に、洋子のパンティーの紐に両手を掛けて、引き下げた。洋子は、下げやすいように、腰を上げ、その作業を助けた。  これで、洋子は、丸裸になり、太一郎は、首までたくし上げたティーシャだけになり太一郎は、その最後のティーシャツを、右手で脱ぎ捨てた。  太一郎が下になり、洋子が上になって、洋子は太一郎の顔のうえに、腰を広げて、その花園を開花した、洋子の右手は、太一郎の男の象徴を掴み、口に含もうとしていた。太一郎も、洋子の花園の蜜を吸おうと口を近付けた。  それからは、激しい、口技の応酬となった。太一郎が思い切り、洋子の蜜壺の上の敏感なスウィチを刺激すれば、洋子は、太一郎のものの先端の雁首の裏の神経の巣をしゃぶった。二人との快感の狩人になって、奮闘した。  洋子の花園の蜜は、豊富だった、太一郎が、いくら吸っても、尽きることなく、泉の水は溢れ出た。それは、甘美な味わいの至福の味覚の芳醇な液体だった。太一郎は、それを思い切り、吸いつくし、味わった。身体中に精気が溢れてくる感覚があった。  一方、洋子は、太一郎の固くなったものを慈しむように、両手で包み、唾液を垂らして、満辺なく濡らし、ぬりたくったうえで、舌を使って、なぞっていった。そのあと、先端から口一杯に含み、上下に頭を動かして、ピストン運動を繰り返した。  太一郎のものは、ますます硬度を増した。洋子の泉は、一層、水量を増した。  洋子は、時折、激しいあえぎ声を上げて、ほうこうした、太一郎も激しい息遣いで、洋子の演奏に合わせた、二人のヂュエットは、延々と続き、ようやく、口での刺激しあいに飽きたころ、洋子は、再び、身体を入れ換えて、太一郎の方に顔を向けて、  「もう、入れて頂戴」  とねだった。  「いいよ」  太一郎がそう答えると、洋子は、自分の開ききった秘所を、太一郎のそびえ立った尖塔の上に持っていって、一気に、腰を降ろした。  「ああ、入るわ。中まで、深く差し入れて。深くね」  洋子は、太一郎のものを自分の内部に受け入れると、上下に腰を動かし始めた。  太一郎もその動きに応じて、腰を突き上げた。熱く暗い洋子の内部からの刺激が、心地よく、その快感を何度も貪りたいという気持ちになって、太一郎は、一気に登り詰めるのは止めた。うまく、調子を整えようと、快感が突き上げるのをセーブし、長引かせた。洋子は、そうした行為が長引いて、髪を振り乱して、快感に耐えた。肌が紅潮し、熱くなった。密着した接点の部分は、血液が集まって、充血した。それが、神経をますます敏感にさせ、快感を増した。  しばらく、女性上位の行為が続き、それに飽きてからは、太一郎が起き上がり、洋子を正面から抱き抱える体位に、移った。それは、洋子の両の乳房が太一郎の正面に来て接吻をするには、最適の体位だった。太一郎は結合したまま、洋子を抱き抱え、腰で下から突き上げる運動を継続しながら、口では、乳房を吸った。  洋子は、両手を太一郎の首に巻きつけ、激しい息遣いで、下半身へ刺激を反応を伝えていた。その喘ぎが、太一郎の聴覚を刺激し、ますます、激しい突き上げ運動へと導いた。  洋子は目を閉じ、天を仰いだ。激しくかぶりを振り、快感の海に沈没していった。  太一郎は、また、体位を変えた。今度は、洋子を四つん這いにさせ、後ろから、突き入れた。洋子が、敷き布団のうえに、両手と両足を突いて、下になり、太一郎は洋子の腰を両手で掴んで、腰を安定させ、その間から赤く開いた洋子の女の部分に手を入れて位置を確かめて、自らのいきり立った下半身を差し込んだ。  洋子の内部の感触が、また、変わった。それは、太一郎のものが下へ反り返っていく感じで、さらに深く内部へ入り込んだ感覚が、実感できた。  洋子は、奥のGスポットを上から刺激されて、悶え狂った。顔が下になっているので表情は分からなかったが、その声の高さから、登りはじめたことは確かだった。  太一郎は、洋子の腰を抑えて、自分の腰を激しく前後に動かした。  その行為は、約十分以上の時間にわたり、洋子は、それでも、崩れることなく、太一郎の後ろからの攻撃に耐えた。  太一郎は、洋子の泉から溢れた愛液で潤ったその上のもう一つの空洞を攻めて見たくなった。太一郎は、一端、挿入したものを引き抜き、もう一つの穴に、差し入れた。洋子はその瞬間、  「あっ」  と声を上げたが、それだけで、拒んだ様子はなかった。洋子も、さらに、深い刺激を求めていたのだ、それは、理性でなく、身体が求めていることが、太一郎には、理解できた。洋子は、入りやすいように、尻を突いてきたのだった。  それは、狭い感覚だった。圧迫感が強く、それだけ、太一郎の脳髄への刺激は強まった。  太一郎は、腰を使って、洋子の後ろから、激しい前後への運動を繰り返した。洋子の吐息が、さらに深く、長く、細い糸を引いた。  そして、太一郎は、その圧迫感から、射精しそうになったが、必死で堪えた。暫し、禁断の部所への攻撃が続いて、太一郎は攻撃の手を緩めた。  「やっぱり、わたしが、下になるわね。最後は、正常位で、フィニッシュしてね」  洋子が、やさしくいった。  だが、太一郎はその優しい言葉に、優しく答えるような気持ちではなかった。それは肛門性交という異常な状況が、男として太一郎の心に与えた、微妙な動きだった。  太一郎は、洋子の上になって、大きく開いた洋子の下半身の下肢の真中に、依然として、大きく膨張したままの、大砲を差し入れた。洋子は、この時も、顔を歪めて、  「あっ」  と溜め息を漏らした。  そして、意外なことに、  「ねえ、首を締めて」  と、懇願した。  太一郎は、どうしたものか、心中、迷った。  だが、下半身を激しく動かすたびに、洋子は、  「ねえお願い、わたしの、首を締めて。その方が、気持ちがいいの」  そう、頼み続けた。  太一郎は、両手を、洋子の細いうなじに当てた。そして、徐々に、握力を強めていった。  「そう、段々、良くなってきたわ。もう少し強く、もうすこし」  洋子は、下半身屁の刺激と、息苦しさとで、全身を痙攣させて、快感を貪った。  太一郎はさらに、手の力を強めた。洋子の首を締めたままの行為は、そうして三十分も続いた。そして、洋子は、ぐったりとして、意識を失った。最後に、洋子は、  「素敵、こんなに素敵なことは、始めて。お花畑に来たみたい」  そういって、ぐったりとなった。  太一郎は下半身の物を、引き抜いて、意識を失ったままの洋子の、横に眠った。そのまま、一時間、太一郎は、目を覚ました。  そして、洋子に  「そろそろ、起きようか」  と声を掛けた。洋子は、黙っていた。  太一郎は洋子の顔を見た。そこには、表情が無かった。太一郎は、耳を洋子の口に、持っていって、吐息を聞いた。息は、停まっていた。次に、耳を洋子の左胸にあてがった。鼓動は消えていた。  太一郎は事態を理解した。そして、電話を探して、電話した。ベルは、三回鳴って、相手がでた。      「加代子」            一  わたしが、会社のデスクで、書類を読んでいると、電話が鳴った。取り上げた受話器の先でその女は、こう言った。  「わたくし、M保険会社の調査員で、青山加代子と申します。この度、岩瀬慶子さんの亡くなった件で、保険金支払い請求がありましたので、調査をしております。請求者五本人に直接お伺いしたいことありますので、お会いしたいと存じまして」  慶子が亡くなった。それだけで、わたしには、十分、ショックだったが、さらに、わたしが支払い請求をしていたというのは、どう言うことか。誰がわたし名前で、死亡保険金の支払い請求を出したのだろうか。わたしの頭の中では、一気に、いろいろな疑問が吹き出たが、  (とにかく、会うことは承諾しよう。そうしないと、なにも分からない) と思いついて、  「どうぞ、結構ですよ」  と答えていた。 その生命保険の調査員、青山加代子はその日の午後、会社へやって来た。  「ここでは、何ですから」 と面会室に導き女子社員に、お茶の手配をした。  青山加代子を、一目見たとき、わたしは、何処かで一度、会ったことがあるような既知感覚(デ・ジャ・ブ)があった。いろいろ、思い出してみたが、思いだせなかった。  いかにも、キャリー・ウーマンのように、仕立てのいいツーピースのスーツを着込んで、すらっとした体型の加代子は、そのスマートな体型とは、対照的に、やや砕けた顔つきをしていた。たしかに、目鼻だちの整った美人顔なのだが。どこか、憎めない感じがして、すぐにでも砕けた話が出来てしまう、相手を警戒させない容貌だった。  (なかなか、チャーミングな美人だ)  わたしは、午後の仕事が始まったばかりの時間に、こういう美人と会えたことに、今日一日のささやかな幸せを感じた。  加代子は、さっそく、所用の話を始めた。  「お忙しい所を、申し訳ありません」  加代子は、形通りのあいさつから始めた。  「いいえ、どの様な用件ですか」  わたしは、神妙に聞いて見た。  「はい、実は、貴方様が受取人になっている岩瀬慶子さんの生命保険の件ですが、相当多額なので、一応、ご本人に確認をしたいと思いまして。保険金支払い請求を、されていますよね。ですから、確認と思いまして」  「は−。そういうことは、初めて聞きましたが」  「そんなことは、ないでしょう。あなたの名前で、保険金が掛けられており、貴方は、ご自分で掛け金を支払っている。しかも、慶子さんが、亡くなるこの半年の間に集中して、相当多額の掛け金を支払っているではないですか」  「どう言うことか、わたしには、分かりません。まったく、覚えがないことです」  わたしには、寝耳に水の話だった。わたしが、慶子に保険金を掛けていたとは。しかも、相当な額だという。一体、どのくらいの額なのか。  「それで、いくらぐらいなのですか」  「掛けたご本人なのに、御存じないのですか。ここに、書類を持ってきましたから、どうぞ」  わたしは、加代子からコンピューターが、打ち出した岩瀬慶子に対し、わたしが掛けた生命保険の内容を表す書類を受け取って、熟読した。  まず、昨年の六月三日に富士生命に月に十万円の掛け金で事故死亡時一億円、病気死亡時五千万円の保険額の生命保険に加入していた。  次は、七月五日に大和生命と、七万円の月払いで事故死亡時七千万円、病気死亡時三千五百万円の生命保険の契約が成立していた。八月四日には、野木生命と月二十万の掛け金で事故死亡時二億円、病気死亡時一億円の保険契約を締結している。  さらに、郵便局の簡易保険の調書も添付してあって、こちらは、月五万円で、死亡時六千万円の契約だった。  これだけで、月に四十二万円の支払いになる。こんな多額の保険金を、わたしが払えるわけもなかった。まったく。覚えのないことだった。  「いちおう、慶子さんは、事故死ですから、保険金は、事故のケースで支払われます。ただし、それは、今のところそうなるだろう、ということで、保険金詐欺等の犯罪や自殺だったとの警察の捜査結果がないとしてのことです。ですから、すぐに、支払うと言うことではないのです。なんの、疑惑もなければ、契約どおりの支払いになります。それで、こうして、調査に伺ったというわけです」  「そうですか。慶子さんが亡くなったということも、いま初めて聞きました。その状況から、話していただけませんか」  「保険を掛けた本人が、御存知ないというのは、本当に、おかしなことですね。ここに警察の事故検案書があります。どうぞ、お読み下さい」  わたしは、その紙をひったくって、読んだ。    ーー 事故発生日時:平成六年二月十一日午後三時四十五分ごろ  事故発生場所:東京都台東区根岸三丁目五の四の都道上横断歩道  事故状況:本件被害者、岩瀬慶子(四五)は、同上横断歩道を、横断しようとして、都道上を、時速六十キロで直進してきた被疑者、木村栄作(二六)の普通乗用車に、衝突され、道路上を、約五十メートル引きずられ、全身打撲と頭部打撲による脳内損傷で即死した。  事故時の天候:事故当時は、昼頃から、雷雨となり、局地的な豪雨に、見舞われていた。視界は、約三十メートル程だった。  事故原因:現場は道路の幅十メートルの信号の無い横断歩道で、被害者は傘を指して横断を始めたところを、被疑者の運転する乗用車が、突っ込んできて、撥ね飛ばしたものであり、被疑者の前方注意義務違反と速度超過が、原因と思量される。現場には、二十メートルにわたるブレーキ痕があったため、被疑者は視界三十メートルの同道路上を制限速度を時速二十キロ超過した時速六十キロで走行中、二十メートル手前で横断中の被害者を発見、急制動したが、間に合わなかった。  該当罪:業務上過失し致死。道路交通法反(速度超過、前方注意義務違反)  なお、被疑者は、事故後直ちに、救命救急隊の出動を東京消防庁に要請(一一九番通報)、被害者の救命に努力したが、搬送した東京都立下谷病院では、到着時に既に死亡との診断を受けたーー。  (慶子は、交通事故死したのだ)  わたしは、そのことを、この書類から、読み取ったが、まだ、信じられなかった。  「本当に、慶子さんが、死んだのですか」  わたしは、加代子に、確認した。  「それは、間違いないでしょう。持っていた、健康保険証から、身元が判明したと、警察では言っていましたが。それ以外には、これといった証拠はないでようですが」  「死体は誰か、確認したのでしょうか」  「そういう詳しいことは、わかりません。それは、警察に行かないと。でも。この書類をもとに、あなたは、保険金の支払いを請求したのでしょう」  「・・・・・・・・・」  「わたしの方に、回ってきた書類には、そうなっていますよ」  「それで、支払いはされないのですか」  「されると思います。書類は整っているのですから。ただ、わたしが、問題なしと報告すればの話です。そのため調査なのですから」  (そうか、この女が、支払いの正否を握っているのか。全部で四億三千万円。それ わたしが、このまま、一生働いても手にすることが出来ないような金額だ)  わたしが、そんな考えを頭に浮かべていると、加代子が言った。  「わたしの方としては、書類は、整っていますから、不審なしと、報告するつもりですが、どうしてもおかしいと思うのは、こんな短期間に多額の保険が、多数、集中して掛けられている点です。その点は、どう、説明されますか」  わたしは、この質問には、答えがなかった。しかたなく、  「それには、詳しい話をしなければなりません、こういう場所で、簡単には話せませよ、それに、わたしは、これから、仕事の予定があります。もし、よろしければ、仕事が終わってから、どこかで、待ち合わせして、いただけませんか」  わたしはそう申し出た。  加代子は、先程からの、わたしの受け答えに、相当、不審感を抱いていたらしい。わたしを見る目が、疑惑の眼差しに変わっていたから、この申し出は、断れないはずだった。  「わかりました。では、会社が終わる時間まで、お待ちします。どこで、待てばいいですか」  わたしは、いつも行きつけの銀座のステーキ・レストランの名前を言った。わたしは密かに、心に、湧いてきた欲望を、このチャンスに見たそうと、思い描いていた。  (加代子というこの調査員だって、女性だ。そして、わたしは男性だ。異性の間で、魚心と水心ということは、大いにあるのではないか)  それには、青山加代子というこの女性を良く知ることだ。生まれや育ち、既婚か未婚か、子供はいるのか。多くの情報を得ることだ、そうすれば、どうにかなる。わたしは計画を練ることにした。それには、会社が終わる時間まで、十分な時間があるはずだった。    青山加代子と別れてから、デスクに戻ったわたしは、計画を練った。  まず、第一は、わたしが、口を滑らせてしまった、わたしはが請求していないということを否定できるように持っていかないといけない。合理的な説明がいいか、感情的な同感がいいか。それは、感情的な同感がいいのに決まっている。だが、なぜ集中的に保険をかけたかには、合理的な説明が必要だ。要は、加代子にわたしに、保険金の受け取り資格があるということを信じさせればいいのだ。それには、わたしの強みと、加代子の弱みを利用すればいい。  加代子の、いかにもキャリア・ウーマン風のファッションや仕種、言葉使いから、その弱みは、十分に、理解できた。  (絶対、彼女は、寂しい。仕事をばりばりしている女の弱点は、そのやる気にある)とわたしは、経験から、睨んでいた。  だから、わたしは、安らぎの港になってやればいい。男の優しさを見せるだけで、この種の女性は言いなりになるはずだった。    待ち合わせ場所の銀座のレストランには、加代子が先に来ていた。わたしは、退社時間直前になって、どうしても外せない仕事がはいり、三十分程、遅れて、レスイトランに行った。  加代子は、レストランの中には、入らず、入口脇の小さな部屋で、わたしを待っていた。そこは、店のはなしでは、一応、「待合室」となっていたが、いかにも、狭い小さな部屋で、そのような部屋で待てせたことで、わたしの、気持ちは、申し訳なさで一杯になった。  「すみません、こちらが、誘っておきながら遅れてしまって。さっそく、中に入りましょう」  そう、詫びを入れたわたしに、加代子は、  「いえ、待たされるのは、慣れていますから。それに、早く来たので、事情を言って良い席を確保しておきました。ほら、ここは、炭火焼きのレストランですので、釜の近くがいいと思いまして」  加代子は、そういうふうに、よく気が付く女性なのだ。痒いところにてが届く人と言うのは、こういう女性を言うにちがいない。  (保険のセールス・レディーになっても、良い成績を上げたに違いない)  わたしは、内心、そう思っていた。  明かりを落として薄暗いレストランのテーブル、向かい合わせに座って、料理をオーダーしたあとの、手持ちぶたさの時間を、わたしは、加代子の容姿と美貌を確認するために費やした。  「お仕事は、忙しいのでしょうね]  そう聞いたのは、加代子のほうではなく、わたしだった。  「そうです。貧乏暇なしというのは、本当ですね。毎日、家に帰るのも遅くて、家族には迷惑を掛けています」  そう話始めたのは、わたしには渡りに船だった。  「ご家族は、何人ですか」  「母と、子供が一人です」  「すると、ご主人は。あ、これは、失礼、立ちいったことを伺って」  「いえ、結構ですよ。そういう話は、よく聞かれますから、慣れていますよ」  (やはり、これだけの美人だと、というか、男には魅力のある女性だと、だれもがそういう質問をするのだろう)  わたしは、納得したが、加代子が、  「別れたのです。一昨年、離婚しました」  と、間髪を入れずに、明瞭に答えたので、安心した。  「すると、お一人で、面倒を見ていらっしゃる」  「まあそういうことに、なりますね。ですから、皆に迷惑を掛けて」  「お子さんは、まだ、小さいのでしょう」  「小学三年生です。母が家に居るので、面倒を見て貰っています」  「それはよかった。貴方のお母さんなのですか」  「いえ、別れた主人、いえ、前の主人の母です。なぜか、この母とは、わたしは馬が合って、主人が出ていったあとも、一緒に住んでいるのです」  それを聞いて、わたしは、それ以上立ち入るのは、やめにしようと思った。その家庭が、わたしの一般的な想像を超えていることが、それ以上の詮索を、止めさせたのだった。  ステーキが運ばれてきて、テーブルに乗った。わたしは、いつも五百グラムのレアに決めている。加代子は、三百グラムのミディアムを頼んでいた。  それは、極、常識的な、オーダーのしかただったろう。わたしは、その常識的な選択と想像される家庭の非常識さを比べてみて、思わず、頬を緩めた。  「なにが、おかしいのですか。わたしの顔になにか付いていますか」  「いいえ。ただ。なんでもないです」  わたしが加代子の顔を見つめたまま、笑顔を見せたので、加代子には、変な感じがしたらしい。  加代子は、健胆家らしく、ステーキを頬張る姿は、逞しかった。厚い牛肉を勇ましくフォークで一口大の大きさに、切り取ると、一気に口にいれて、噛み下していた。  わたしは、内部が赤く滴る和牛の死骸を焼いたこの料理を見て、実に野蛮な感じがした。また肉の赤さが、わたしに、卑猥なことも想像させた。それは、女性器の色に似ていた。熟した女体の中心にあるあの男を誘って止まない秘密の部分が、こうして、皿に乗り、食べられる時を待っている。まったく、喰うことと、性交とは、人間の根源的な欲望を満たすという点で、共通のものなのだ、と実感する。  その赤い肉を、上手そうに頬張っているのが、魅力的な女性の場合は、どうなのだ。それは、食卓のセックでしかないのだ。すなわち、それを見ているということは、人のセックスを見ていることに等しい。女性の場合は、その自慰行為を見ている等しいのでは、と考えて、わたしは、加代子とこの夜を過ごそうという気になっていった。  メイン・ディシュが終わるころには、一緒に注文したワインの酔いが、程よく回って、二人とも、饒舌になっていた。  「わたしは、あなたが、この保険金の正当な受け取り人だとは、とても、思えませんが」  「そうだろな。僕も、信じられないよ。だって、そんあ保険を掛けた覚えがないんだから」  「となると、誰が、掛け金を払っていたのですか」  「それが、分からないから。貴方に、その話を聞いたとき、わたしは、恐怖感に教われた。覚えがないが、事実なんだろう」  「書類のうえでは、完璧ですよ」  「となると、君が、支払いは正当だ、と判断すれば、支払われる訳だな」  「そういうことです。さて、どうしましょうか」  「それは、魚心あれば水心ということだろう。君にもきちんと回すよ」  「そういうことね。それは、いいことだわ。そういう返事をわたしも待っていたの。さっきもお話しましたが、生活も楽ではないのよ」  「それには、しかし、もう少し、君のことをよく知っておかないといけない」  「それは、どういうこと。わたしの隅々まで知りたいということ。頭のてっぺんから足の爪先まで」  「まあそんなことも含めてだが」  「わたしも、もう、一ヵ月も御無沙汰だから。付き合ってもいいわよ。初な処女じゃないんだから。そこは、男と女の問題だからね」  話はついた。わたしは、伝票を掴んで、クロークに向かい、財布からクレジット・カードを抜き出して、キャッシャーに見せ、サインして、支払いを済ませた、そして、外に出て、タクシーを広い、加代子を先に乗せて、  「渋谷の円山町へ」  と告げた。  タクシーは、国道二四六号線から、渋谷駅に下り、さらに駅前から宮益坂を登って、円山町のホテル街に着いた。  わたしは、加代子を後ろに、従えて、ホテル街の道を歩いて、入るべきホテルを探した。それは、男の選択のなかでは、それほど、迷う問題ではないが、この時は、決断がなかなか出来なかった。  (加代子は、どういう所を好むのだろうか)  そう逡巡しながら、ネオンの眩いホテル街の道を行ったり来たりした。  しかし、その迷いも、加代子の一言が、吹っ切った。  「SMぽい部屋でラオケをしましょうよ。あのホテルにそういう設備があるみたい」 そう言って、新装したばかりのようなホテルに向かったのだった。  確かに、そのホテルは、ビックリハウスのような感じだった。  入口の写真ペネルは、このホテルに、屋内プールのある部屋まであることを示していた。  そのパネルから、加代子は、おどろおどろしい、笞や拘束具が、天井から下がっている写真が写っている部屋を選んだ。  それはわたしには、まったく想像も出来ない初めての体験だった。  部屋に入ると、加代子は、  「お風呂をいれてくるわね」  と言って、バス・ルームに入っていった。蛇口を捻る音がして、湯が、湯船に入りはじめたゴーをいう音が騒がしく、続いた。  「ビールでも飲むかね」  わたしが、誘うと、加代子は、  「戴くわ。迎え酒ね。ワインの酔いも覚めてきたし、景気付けにちょうどいいわ」  わたし、は、冷蔵庫から罐ビールを二つ取り出し、冷蔵庫の上にあった、コップ入れから二つ取り出し、ビールを注いだ。  それを一口に飲んだ加代子は、  「アアー、喉にしみるわ。最高ね」  といかにも上手そうに、感想を述べた。  「さっき、景気付けと言ったけど、そんなに景気を付けないといけないのかい」  「それは、そうよ。これから、する事は、相当、勇気がいるんだから」  「どんなことをするんだ」  「それは、お楽しみにね。後悔はさせないわよ」  風呂に湯が、溜まってきた。  「そろそろ、いいわね。さあ。入りましょう。でも、わたしが、最初に入るの、貴方は、わたしが、読んだら入ってきていいわ」  加代子は、そういって、自分の着ているものを脱ぎはじめた。  キャリア・ウーマン風のスーツは、まず、上のぶれざーから、脱いだ。そして、タイトスカートを脱ぎ、上のブラウスを脱ぎ捨てると、その下は、ピンクのシュミーズが、豊満な体を覆っていた。だが、それは、程々の、肉付きで、ウエストは、きちんと括れ、腹も出ていなかった、  (これは、夕子とは大違いだ)  わたしは、思わず、妻の爛れきった締まりのない肉体と比較していた。  (では、慶子と比べると)  わたしの頭に新たな問題が、提起されたが、それは、比較の外と言ってよかった。何しろ、慶子の肉体の記憶は、深く刻まれているが、この加代子は、いま初めてその裸身を知ろうとしているだけなのだから。  加代子の脱衣のスピードは速かった。それは、彼女の持って生まれた性格かも知れなかったが、わたしは、それは、彼女の仕事が、そうさせるようになったのだ、と確信していた。  絹の上等な品らしい、シュミーズを、大切そうに、綺麗に畳んで、ソファーに置いたときの加代子の体は、パンティーとブラジャーだけになっていたが、加代子は、わたしの予想に反して、パンティーから脱いでいった。そこには、黒々とした密林が広がり、この女性の一番微妙な部分を覆うベールの濃厚さを伺わせた。たしかに、加代子のその部分は濃かった。そのために、その下の女性の部分は、完璧に覆われ、外から伺うことは出来なかった。  そのままの姿で、加代子は、浴室に入り、中に入ってから、ブラジャーを外へ投げ捨てた。それは、大きなブラジャーで、彼女のその部分の豊かさを物語っていた。  バス・ルームから、体を流す湯の音が絶え間なく流れてきた。そして、湯船に浸かる音が、聞こえたあと、  「どうぞお入りになって」  とわたしを呼ぶ声が聞こえた。  わたしは、加代子の脱衣中に、既にパンツ一枚の姿になっていたから、その最後の下着を脱ぐと、すぐにバス・ルームに入った。  「そこで、体をよく洗ってから、こちらに来てね」  湯船に浸かりながら、加代子が言った。  「なぜ、こういう手順を踏ませるのだい」  わたしは、こういう手順を、なぜ踏ませるのか、聞いてみた。  「それは、女としてのたしまみでしょう。殿方にお風呂に入ってもらうのに、先にとはいえませんわ。女が先に入って、綺麗にしておくのが、順番でしょ。露払いよ」  「そうかね。そういうものかね。そんなことを言った女性は貴方が初めてだ」  わたしは。感嘆していた。  「そのかわり、貴方には、しっかり頑張ってもらますよ」  わたしは、体を洗って、加代子の入ってい湯船に入っていった。  加代子は、わたしが入れるスペースを作り、最初は、間を置いていたが、しばらくしてから、手や肩が触れ、それは、手と手のま探り合いとなり、互いの腕を掌で撫でて、湯を掬って肩から、掛けたりして、互いの間を縮めていった。  肩に湯を掬いながら掛けるのは、気持ちが良かった。  「ああ。ゆったりするね。最高の気分だ。こうして、今日あったばかりなのに、もう長い間の知り合いのようだ」  「そうね。長い間の知り合いというのも、あながち、嘘ではないかも。そんな感じですね」  湯を掬っているうちに、わたしの手が、加代子の胸に触れた。その胸は湯の中にあるだけに実際より大きく見えたが、乳首は、流石に子供を生んだことのあるだけに、色が濃かった。  「わたし、乳房には自信がないの。若いころは、少しは、自信があったけど、いまは、こんなに形が崩れてしまった。それに、乳首の色も濃いし」  加代子は、自分の自慢できる所とそうでないところを、十分に心得ていた。  (だから、脱衣のとき、乳房を隠していたのか)  わたしは納得した。そして、  (下を隠さなかったということは、自信があるということだ)  わたしに、期待感が高まった。  わたしが、乳房に触れたあと、加代子は、その手をいきなり、湯の中に入れて、わたしの下の部分を握ってきた。  「まだ、硬くはならないわよね。わたし、固いのよりもこうして、程々に柔らかいのが好きなの。とても、柔らかくて、女には、こういうものはないものね」  加代子は、柔らかく、寿司職人のように、わたしのものを包み込んでいた。  それは、温かく柔らかかった。女性にそのようにされたことはないので、そこでもわたしは、感動した  「そろそろ、でましょうか」  加代子は、そういって、先に湯船から、体を上げた。大きな乳房が揺れ、よく括れた腰と、大きく張った臀部が、その人生の落ち着きを、体で示し。ているようだった。もう中年の女なのに、肌は、まだ、よく張っていて、湯を良く弾いた。加代子が出ていったあとの湯船は、大きな名、胃が立ち、暫く、ざわめいていた、そのざわつきが収まるころ、わたしも、湯船を出た。  体をまざぐりあっていたから、その時の加代子の顔は良く覚えていない。ただ、何故か、ややのっぺらぼで、人工的な感じがした。それは、人の肌でなく、濃く化粧をしたタレントの肌のような感じだった。  加代子は、  「お先に」  そう言って、先に、風呂場を出ていった。  わたしは、加代子に、見せつけるようにその豊満なボディーを見せられ、興奮していた。いったんいきり立った股間の逸物は、静かに、次の機械をまって、収まってはいたが、わたしは、すぐに、風呂から上がり、タオルで身体を拭くのも、もどかしく、加代子の後を追った。  加代子は、既に、ベッドに入っていた。それは、洗いたてのシーツに包まれた、大きく広い掛け毛布に包まれていて、二人が入るには、十分な大きさがあった。  わたしは、毛布の下に滑り込んだ。加代子は、熟れきった、生まれたままの姿で、わたしを迎えた。  わたしは、加代子の頭を抱え込んで、こちらに向かせ、まず、唇に接吻した。加代子、待ったいましたとばかりに、応じてきた。激しい接吻で、唾液が、枕に零れたほどだった。次いで、わたしは、加代子の胸から下へと唇を這わせ、その股間に降りていった。股間にいきなり、口付けしたのは、待っていられないほど気分が高揚していたからだ。加代子のそこは、すでに、びしょんびしょに濡れていた。口を近づけると、割れ目の中から、液体がほとばしり出た。わたしは、それを、啜った。加代子は、その行為に、われを忘れ、わたしの頭を両手で抱え込んで、強く引きつけた。  「ああー。ああー」  そして、押さえ込んでいた欲望を吐きだすように、加代子は、太く、吠えるような歓喜の声を出しはじめた。わたしは両手で、加代子の乳房をもみしだいた。そして、唇は、加代子の秘所をまんべんなく辿り、激しい動きで、一番敏感な部分を、刺激した。  加代子は、わたしの頭を抱えて、悩ましげに、自分の頭も振り扱き、激しくかぶりを振っていた。それを見て、わたは、秘所への攻撃をやめ、身体を入れ換えて、加代子の口に、自らのいきり立ったものを押しつけた。加代子は、右手でそれを掴んで、頬張り、頭を前後に動かして、刺激した。  今度は、わたしが声を上げる番だった。あまりの、快感に、わたしは、天を仰いで、うめき声を上げた。  わたしも加代子の秘所に右手の指を差し入れ、中をまさぐった。内部には、期待していた襞がなかった。  (これは、子供を出産したことの証拠だ)  そんな考えが浮かんだが、加代子の口が伝えてくる快感の刺激で、すぐに、忘れた。  わたしは、また、身体を入れ替え、加代子の背面に回り、後ろから、手を回して、両の乳房を掴み、揉み上げた。そして、耳元に囁いた。  「さあ。次はどうしてほしい」  「もう、早く、入れて」  「何を、どこにだ」  「そんな。そんな」  「早く言ってご覧」  加代子、それを言えなかった。  (毎日、多くの顧客に接して、それまで見ず知らだった男に、こうして身体を許しているのにこのはにかみはなんだ)  わたしは、加代子の恥じらいをみて、女の性の不思議さを、感じていた。  「あなたに、そんなことは言えないわ」  「そうか、あそこに、入れて欲しいのだろう」  加代子は、静かに、頷いた。  わたしは、加代子を仰向けにした。そして、いきり立ったものを、その下半身に当てがうと、思い切って差し入れた。  加代子は、  「ああっ。うっつ」  と声を漏らした。わたしは、腰を前後に動かして、激しく加代子の内部を突いた。加代子も足を真横に広げ、なるべく、深く受け入れるような体勢を取った。  そうした行為が、果てしなく続き、二人は、急坂を一緒に登り、頂上を究めた。わたしは、最後に、加代子の体内から、差し入れていたものを抜いて、加代子の腹に放出した。加代子は、それを、右手で掬って、口に運んだ。  「あなたの精のかたまり。一滴も無駄に出来ない」  そういって、おいしそうに、飲み下した。  あとは、ぐったりとなったわたしが、ゆっくりと加代子の、胸や腹を撫でて、余韻を楽しんだ。加代子も満足していた。顔も身体も紅潮していたが、その肌をわたしが柔らかく撫でてくれることで、落ちついた、心地よい気分を味わっていた。  そういうくつろぎの時間に入って、少し経ったとき、加代子が、突然、聞いてきた。  「ねえ、わたし、本当は、こう言うノーマルなセックスは、久し振りよ。本当は、縛って欲しかったの、やる前に」  わたしは、理解した。  (そうか、加代子は、マゾなのか。だから、こういう部屋を選んだのだ)  だが、わたしには、そういう趣味は無かった。女を縛り上げて、笞で打ち、蝋燭を垂らして、興奮するという行為は、わたしには、おぞましい行為でしかない。だが。それを欲する女性がいるということ事実なのだ。  「でも、そういうのは、あなたのようなひととつる事ではないわね。それま、次の機械までお預けよ」  加代子は、飽くまで、自分の優位を主張したい女だった。  「さて、ビジネスの話だけど、わたしと折半ということでいかかが」  男と体の関係を持ったことで、女は大胆になる。そうなったことで、  (お前はおれの女だ)  という態度をとる男が、多いということは、良く聞く話だ。  だが、女もそういう傾向があるのだ、とわたしは思っている。  「いいだろう。どうせ、わたしには、覚えのない幸運なのだから。宜しく頼むよ。分け前は半々でいいよ」  話は着いた。加代子は書類を整え、振込の口座を作る用紙をわたしに、わたして、  「所定の所に奇襲して、判を押して、送ってください」 と言った。わたしは、了承した。  そのあとも、二人は、お互いの肌を真探り会い、刺激し合った。再び感覚が鋭敏になり、高まって、二度目の性交に成功した。  ふたりとも、ぐったりとなって、事後の気だるさを味わった。  そろそろ、帰ると言う頃になって、ベッドをでて、着替えをした。此処に来たときと同じ服装に、戻って、部屋を出ようというときに、加代子は、持っていた革のビジネス・バッグから、分厚いワープロ打ちの文書を取り出して、わたしに渡した。  「これ、読んで下さる。参考になるとおもって」  わたしは、素直にうけとった。  そして、家に帰って、書斎で、読んだ、それは、意外な「小説」だった。                二  「 裏 の 女 」                      田園都市線の××駅北口にある洋菓子喫茶店で朝子と待ち合わせた小泉が、注文したアメリカン・コーヒーを一口啜ろうとして、ふと目を外の街に向けると、鼠色の毛皮を軽快に着こなした若い女が、真っ先に目に飛び込んできた。  なにげなしにその女の後ろ姿を追っていくと、女はくるりとこちら向きになり、今行った道をそのまま、戻り始めた。  午後から降り始めた雨が徐々に激しくなり、雨滴がガラスを伝い始めたせいで、小泉が座った窓際の席からも、外の風景は崩れ掛かって、見づらくなっていた。  だから、顔は見えない。しかし、小柄だがきりっと引き締まった肉体を動物の毛皮の中に包んでいる女が、灰色の塊となって、こちらへ近寄り始めたことは、意識の外にあっても、感覚で分かる。  確かに意識しての知覚ではないから、その女が通り過ぎてしまった後、小泉の視線は褐色に濁った液体へと戻された。  この店に彼がいる目的は、朝子を待つことである。  朝子は大学のサークル活動で知り合った後輩である。卒業後、小泉は今の会社に入り、朝子は小さな出版社に入社した。小泉が入ったビール会社は、日本の経済成長に歩調を合わて成長し、会社の発展に連れて小泉も社内の階段を登り、収入も増えていった。営業や企画、広告のような派手な部署でなく、人事畑一筋に歩いてきたのは、彼がそれを望んだということではなく、あくまで会社という組織の論理に従ったまでのことだ。  入社後十七年間に随分、他人の秘密も知った。組合活動からも除外される人事部の社員は、とかく異端視され、うさん臭い目で見られがちだが、それは同僚達が「人の秘密を知っている者だ」と恐れの気持ちを抱いているからだ。  それほど大した秘密ではなくても、人間は他人に知られたくない小さな秘密を大なり小なり抱えて生きている。それが致し方ない理由で人事上の書類に残ることがある。例えば視力とか、既往症とか、最近では毛髪の多少まで、外見上は分からないまま世間を渡って行けることでも、本人の口からは絶対洩れないが、人事書類には明確に記されているものがある。 「あの目がパッチリして可愛いA子さんが、実は凄い近眼で、コンタクトを離せない」とか「ハンサムのB君は実は若禿げで」とか、お見合いの席でも明かせない“秘密”がそっくり手に入る。  だが、小泉は知り得たことを口外したことは一度もない。「医者や弁護士と同じで、人事部員には守秘義務がある」。この考えを職業上の倫理として十七年間守ってきた。  それほどまでに「堅い」小泉が朝子と今の関係になったのは、ものの弾みだったとしか言い様がない。  守秘義務ということを突き詰めて考えてみようと思い付いた小泉は、その道の権威である某国立大学の医学部教授に、伝手を頼って教えを請いにいったことがある。その教授の研究室で原稿を受け取りに来た朝子とバッタリ再会したのである。  医学専門書だけを出版している朝子の出版社は小さいが堅実な経営で、社員の待遇も良かった。学生時代はそれほど目立つほうではなかったのに、こざっぱりしたスーツに細身の体を包み、ネックレスとイヤリングを付け、化粧をした朝子はキャリアウーマンそのもので、日頃地味な仕事をしている小泉には、眩しかった。  「いやあ、随分変わってしまって。綺麗になって、見違えたよ」  「私も小泉さんだとは、全く驚きだわ。あなたはお変わりないようね。幾分、老けたかな」  十八年ぶりの再開に話が弾んで、帰りに一緒に食事をして、それで済まずにアルコールを補給して。話も段々、学生時代の調子へとテンポが速まった。  「へえ、四十も近いというのにまだ一人でいるの。随分遊んでいるんでしょ」  「いや、なかなか良い縁がなくてね。お見合いもしたけど、フィーリングが合う人がいなくて、いい歳になってしまった。朝ちゃんは一人じゃないんだろ」  「まあね、一人ではないけれど。でも私は外が好きなんだよね。掃除洗濯なんて真っ平。 こうやってさ、東京の町の、キラキラ輝いている夜景を見ながら、昔の友達と一緒に飲むなんてこと、最高じゃない。私はこういうほうが向いているんだわ」  そんなことがあって、そんな気分になったときに、どちらからともなく、電話を掛け、、 六本木や原宿や渋谷や赤坂や…。そういう二人の男と女にピッタリの場所で合って、飲んで食べて。それだけの関係がここ一年ぐらい続いていた。  小泉にとって、朝子はセックスの対象になる異性とは思われなかったし、朝子もそういう点では淡白そのものだった。「結婚した」のを仄めかした朝子の言葉は、小泉にとってそれほどの重みを持たなかった。小泉が朝子の後ろに夫の影を感じたことは一度もなかった。過去形で語った言葉の中に、「ひょっとして、別れたのかな」との意味を汲み取って、小泉は自ら納得していた。          ×         ×         ×  そんな朝子が、今日の午前中に電話を寄こして「会いたい」と言ってきた。しかも「あなたの家の近くの○○で」と店の名前まで指定してきた。今まで、日曜日に昼間から会ったことは一度もなかったし、お茶を飲んだ例しはない。  「突然気でも変ったのかな」と不思議に思いながらも、小泉は寝起きの後の癖になっている熱いシャワーを浴びて、ゆっくりヒゲを剃り、そろそろ桜もほころび始めたこの季節に合わせたセーター姿で、約束の午後三時より一時間も早くから、この店に出掛けてきたのだった。  出がけにポツポツと始まった雨足は次第に速まり、今はもう大降りである。三時を十五分ほど過ぎたのを腕時計で確かめた後、自動ドアーが開いた入り口のほうに目をやると、そこに、濡れた傘をたたみながら、先程の灰色の毛皮の女が入って来たところだった。  「何だ、朝子じゃないか」  その顔を見て、小泉は、小さな違和感に襲われながら、小作りながらも高く整った鼻、大きく見開いた瞳、肉感的な唇といった朝子の特徴を捕らえて、  「おーい、ここだよ」  と大声を上げた。  朝子は驚いたように小泉の方を見、それからふと我に返ったように、こちらのほうへ歩み寄ってきた。  「お待たせしました。遅れてすみません。失礼します」  慎み深そうに、両足を揃えて前の席に座った。  「珍しいね。休みの日の昼間から、会いたいなんて」  「驚いたでしょ。でも、急に会いたくなったの。迷惑だったかしら」  「反対だよ。いつも仕事帰りに酒を付き合うばかりじゃ、変化がない。こうやって、素面で真面目な話をするのも良いだろう」  「その話なんですけど、とても恥ずかしいお話になってしまうの。話さないほうがいいかもね」  瞳がいやに濡れ、頬が赤みを帯びているのが気になったが、小泉は先輩顔をして、  「なんでも言ってみなさい。言いたいことがあるんなら」  と胸を出した。  「実は、私、昨晩、けんかをしちゃって。むしゃくしゃしたから、あなたに電話をしたの」  「けんかって、誰と」  「同居人よ。決まってるでしょ」  きっぱりと、突き放すような言い方に、もともと口の重い小泉は、話しの接ぎ穂を失った。  「御主人かね」  「………」  「いいえ、あいつが、良い思いばかりして楽しんでるんだから、私も楽しむの。その、相手をしてほしいの」  「それで…」  「そとへ出ましょ。あいつが浮気してるんだから私もするのよ」  小泉は気迫に気圧されたまま。タクシーに押し込まれた。国道246号線沿いに点在する中世のお城のようなモーテルに車は横付けされ、朝子の後ろに付き従うように個室に入っていた。                      雨はドシャ降りになってきた。  朝子は直ぐに先ず毛皮を脱ぎ、小泉に凭れ掛かってきた。  「ねえ、キスして」  こう迫られたが、このときも変に違和感がして、小泉をたじろがせた。  しかし、小泉も男盛りの年頃。ずっと悪しからず思っていた朝子が、こうして自らを開こうとしている。塞き止められていたものが、関を切って流れだす時がやってきたのだ。  絡み付いてきた両腕を受け止め、自分の腕を朝子の背後に回して、ぽってりとぬめりを帯びた官能的な朝子の唇を吸った。朝子は舌を絡ませてきた。小泉はそれに応じ、口中に粘液が溢れた。  「キスだけで感じちゃった。早く脱がせて」  小泉は前開きのブラウスのホックを外しに掛かった。一つずつ上から、閉じていたものを外していくと、その下は直ぐ素肌だった。  「ノーブラなのかねいつも」  「今日は乳首が張って痛いの」  ブラウスを脱がし、丸裸になった上半身を抱え、拝むようにしながら、小泉は朝子の乳房をゆっくり両手で撫で上げた。ふくよかで滑らかな乳房だった。  「嘗めてちょうだい」  唇を乳首に持っていき、円錘の下部から上部へと舌を這わせた。乳首に辿り着き、戻りつする度に、朝子は 「もっと強く。いいわ」 と鼻を鳴らした。  もうすっかり高まってしまった朝子だったが、小泉はまだ冷めていた。  「風呂に入ろう。そうしてからのほうが良い」  「私、直ぐにもしたいわ。でも体を綺麗にしたほうが良いわね」  朝子は直ぐにしたがったが、小泉には計画がある。  (据膳食わぬは男の恥、とはいうが、直ぐに食べてしまっては味もそっけもない。据膳は自分流に味わい尽くさねば)  三十代に鍛えた女性経験が美食の仕方を教えてくれていた。  「先に入ってくれ。後から直ぐ行く」  朝子は、下半身に残っていたスカートとパンスト、パンティーを自分で脱ぎ、真っ裸のまま、脱いだものを綺麗に畳んだ。  「良い体をしているね。年の割りに締まっているし、プロポーションも崩れていない」 「そんなに見詰めないで。じっと見られると、ゾクゾクしてしまうわ」  「快感でかね」  「気持ちが悪い、と言うのは完全なウソかな」  「君の裸を見ただけで、こんなになっちゃったよ」  小泉は逆に下のほうから脱ぎ出し、ズボンを脱いだ後、怒張したペニスをパンツの中から引き出してみせた。  「小泉さんのものって、意外と大きいわね」  「それは君のせいだ」  「触っても良いかしら」  「条件を飲めばね」  「ねえ、良いでしょ」  「君のあそこも触らせてくれるかい」  「いじめないでよ」  朝子はそう言って、右手を小泉の下腹部へ伸ばした。  「駄目だ、バスルームへ行こう」  小泉はパンツを脱ぎ、セーター、ワイシャツに肌着を脱ぎ捨て、朝子と同じ生まれたままの姿になると、  「さあ、どうぞ」  とペニスを突き出し、朝子に握らせたまま、風呂に入った。  湯船に二人して漬かりながら、小泉は朝子の性器を探った。湯の中で触る性器はいつも卑猥だ、と小泉は思う。空気中でもいかにも陰湿な構造だが、水中ではヌメヌメした生き物のような感じだ。「秘貝」とか「あわび」「赤貝」とかの形容は正鵠を射ている。  朝子の性器は手触りが良かった。大きさも小泉好みの小さめで、指を触れた感触では中の構造も小作りのようだ。  「これで、色もピンクだったらまさに理想通りだ」  朝子は手での玩弄に飽きたのか、今にも口で頬張りたそうな目付きになっている。うっとりとしている。  「さあ出て、よく洗おう。あそこを綺麗にしてから、ゆっくり味わい合おうね」  スポンジに石鹸をたっぷり擦り付けて泡を大量に出し、  「これでやり給え」  と朝子に渡した。  朝子は泡一杯のスポンジを両手で受け取ると、まず小泉のそそり立ったものに、泡を撫で付けた。そのあと、片足立ちになって、自分の下半身を泡塗れにした。  「あとは、手でしましょうね」  小泉の手をとって、自分のものに当てがい、自分の手は小泉のペニスへ。小泉がひだをまさぐり、クリトリスを指で刺激すると、朝子も先端から根元へと何度も上下動を繰り返す。  「ああ、いいわー。気持ちが良いわー」  「君も上手だね。こりゃ、かなりのベテランだ」  「好きこそ物の上手なれ、って言うでしょ。好きなんだもの」  ひとしきり、まさぐり合った後、小泉はいたわるように朝子の乳房から背中、それに手足を洗い、朝子も同じようにした。  「足の指の先も綺麗にしたいけど、朝ちゃんが口でもっと綺麗にしてくれないかな」  「いいわよ。上の口、それとも…」  「両方で」  朝子は先ず、上気した唇で、小泉の右足の親指から順に小さいほうへと一本ずつ頬張った。左足も丁寧に拭うように頬張った。  小泉も朝子に同じ事をしてやった。  「下の口では君だけができるんだ。してくれるかい」  朝子は小泉の右足を両手で抱えると、その上にしゃがみ込む形で、やはりまず親指を自分の体内に押し込んだ。  「男の人のその物より、短いから入れにくいわ。でもやっぱり感じちゃう」  左足に移る頃には、「あー」の声のテンポは益々速まり、小指を入れ終ると、へなへなとへたり込んでしまうほどだった。  もう一度、湯船に入る時には、小泉は朝子を両腕に抱えなければならなかった。右腕で頭を支え、左腕では両足を抱えて、湯に浸った小泉は閉じている朝子の瞼の上にキスをし、そのあと、唇を吸った。  タオルで水分をお互いに十分拭い合ってから、小泉はベッドに倒れ、朝子が髪を拭くのを待った。朝子は完全に水分を拭い終えないまま、待ち兼ねたようにベッドに倒れ込んできた。  「時間はたっぷりよ。したいだけしましょうね」  まだ、日は高い。人が眠るまでには十分すぎる時間があった。  朝子は小泉の上に乗し掛かって来た。小泉の閉じた瞼に口付けし、自慢の高い鼻を嘗め、 耳に息を吹き掛け、うなじにキスをした。  「耳にキスをすると気持ち良いでしょ。女はそうよ。男だってそうよね」  小泉には小さい頃、床屋で耳たぶを剃ってもらい、ゾクッとした幼児体験が思い出された。今でも、年若い女の理容師に顔を剃ってもらうと、顔に乗し掛かって来る乳房の重みや鼻息が堪らなくなって、“白昼夢”を見るときがある。  朝子のキスは胸へ降りた。両乳首に溢れるほどの接触を繰り返して、腹部へ更に下る。臍の中を舌で抉りながら、既に両手は陰毛をまさぐっている。柔らかい手の感触が小泉には心地好かった。次はペニスだ。両手で包み込んでいる。口を持って来るに違いない。  「男の人の物って不思議ね。あんなに軟らかくって可愛いのが、こんなに堅く逞しくなっちゃって」  舌の湿った感触が、小泉の下半身を伝った。  「おれも未だ捨てたもんじゃない。陰気な仕事が内気な性格にしているだけさ。こんなに雄々しいじゃないか」  女はこうして男を強くすることもできる。そこが男女関係の不思議さでもあるのさ、と思いながらも、快感が先立った。  朝子の唇は小泉の男を包み込んだ。喉の奥の方への上下運動を激しく繰り返すと、小泉の腰部を快感が突き抜けた。  「まだ出してしまわないでよ。メインディッシュはまだなのよ」  行ってしまいそうな小泉の表情を素早く見て取った朝子は、ペニスを離すと、摩擦で熱を持った唇を太腿から足首へと伝わせて行き、先程、バスで自らの中に包み込んで綺麗にした足の指を十本、丁寧に嘗め尽くした。  「さあ、終わったわ。今度は私がしてもらう番ね」  「有難う、朝子。さあ下になって」  小泉は体を入れ替えて、上になると、朝子の足元へ顔を持っていき、足指の方から嘗め始めた。朝子の眼前にいきり立ったものを突き付け、朝子の泉を吸い尽くす積もりだった。 朝子の陰毛はやはり柔らかく、密だった。毛はビロードのように手触りがよく、小泉は何度も撫で回した後、性器の色を確かめるため、ベッドサイドのライトのスイッチを入れた。  「やはり、ピンクだね。もうすっかり濡れて、てかてかに光っているよ。何人もの男の物を受け入れて来たんだろうけど、色だけは処女のようだ」  そんないたぶるような言い方にも、朝子は素直に、  「そんなに多くはないわ。したい人はそんなに多くはいないわよ」  と虚ろに繰り返す。小泉は構わず追い討ちを掛けて、  「でも、性能は開発済みだね。その証拠にこんなに液が溢れている。お尻のほうまで溢れ出しているよ」  「もう入れて下さいってことよ。まだ入れて下さらないの。あなたのこんなに大きく固くなっているのに」  「では、入れてあげようか。どういう体位が良いのかな」  「最初は正常位。バックもいいわ。私が上になるやつもしたい」  小泉は朝子を突き上げた。粘液で満ち溢れた壺の中への挿入は容易だった。ヌメヌメとした感触を先端から全体に感じて、すぐ行きそうになった。ここは踏ん張り所だ。  「ああー、あー。良いわー。響くわー」  朝子のよがり声が長く糸を引くように切れ目なく続いた。  上になり、下になり、前になり、後ろになり、男と女が野獣のように貪り合い、与え合う恍惚の時が澱みつつ、粘り付きながら、流れて行った。  「あーあーあーあーあー。あーーーーー」  「うっうっうっうっうっ。うーーーーー」  小泉の力が抜けた。朝子は虚空を彷徨って浮上した。  「行ったよ」  「…………」  ぐったりとなった小泉は、朝子の額に手を当てて、玉のように光る汗を拭った。  「良かったかい」  朝子は黙ったまま、コックリ頷いた。  小泉と朝子はこの日、初めて男女の関係を持った。余韻を楽しむ時間を小泉は朝子の乳房の上に頬を付けたままで過ごした。グッ、グッ、グッと朝子の心臓が脈を打つ音が、命を実感させる。小泉はいつもの寝癖で、右の耳を下にして朝子の上にうつ伏せになっていた。そうしながら、左手で朝子の右の乳頭をくるくると撫でて、弄んだ。  時が過ぎ、日が落ちた。シャワールームで汗を流して汚れた体を洗い、二人はモテルの前で、さよならをした。  めくるめく時が、二人をより近しい間柄にしたような気持ちになったのに、春から夏へと季節が移っても、朝子からの連絡はなかったし、小泉もなぜか会いたいと思うことはなかった。人の活動が、活発になっていくこの時期に、仕事を持つ二人は、それぞれに多忙だった。  梅雨が明けて、東京を包み込むような蒸し暑さが覆い尽くした頃、エアコン疲れした小泉は、何とはなしに、電話機に手を伸ばして朝子の出版社にダイヤルした。  「もしもし、お元気」  「まあどうにか。あなたも…。随分御無沙汰でしたこと」  「君こそ、あれから音沙汰なしだったね」  「あれから…。そうね。忘れ掛けていたわ」  「今晩当たり、どう」  「そうね、ちょうど一段落付いた所だし、一杯やりましょうか」  「じゃあ、例の赤坂のホテルで」  朝子は全然変わっていなかった。  都会の息吹を体一杯に呼吸しているという感じで、大きめの目と口、官能的な唇で良く喋った。  「いそがしかったわ。冬が終わって春から夏への時期って、皆高揚するのね。小泉さんのことなんて考える暇もなくいそがしかったわ」  「あれから、そうだね。だが、女はさすがに生き強い。俺のことはもうすっかり忘れた、 か? 僕は全て覚えているがね。忘れようにも忘れられないよ、あの日のことは」  「あの日ってなにさ。勿体ぶって。何か私にいえないことがありそうね」  会話は交わらない。だが、今までだって、こんな他愛のない会話を何度と無く、してきたのだ。そういう、サラッとしたところが、朝子と小泉の付き合いの基盤だったのではないか。  だが、それにしても、あの日曜日、あれほどまでに、本性を露にした朝子が、今日はコロッと変身して、何事もなかったような顔をしている。  「少なからぬ異性と付き合った」との自負もある小泉にとって、最近では最も身近な異性だと思っていた朝子が、全くあの日のことにそ知らぬ態度で居ることは、間違いなく謎だった。久し振りに、ホテルのスカイラウンジで合って、東京の夜景を肴に飲んだのが、頭の混乱に拍車を掛けたのだろうか。益々、女というものは度し難いものだ、との思いが募る。  (朝子がまだ一度も小泉に体を許したことがないような態度を取るのはなぜなのだろうか)  疑問が突き上げて、歯止めを失った。  小泉は、ストレートに踏み込んでみた。   「この前、珍しく日曜日の昼間に電話してきたのはなぜだい」  「えっ 日曜日に?」  「そうだよ。ほら喫茶店であって、その後…」  「………」  朝子は漆黒の瞳を見開いて、小泉を凝視した。  「君の素晴らしさを、知ったよ」  スッと血の気を失った朝子の頬の筋肉が一瞬、引き締まり、そしてすぐ緩んだ。  「お、ほほほほ。ああ、あの日、あの日ね。どうもお世話様でした。せっかくのお休みの日をお邪魔してしまって」  「お世話様、か。僕には記念すべき日だったんだがね。君にとっては、通り過ぎた一日というわけか」  「でも、何か誤解していらっしゃるようね」  朝子は、二杯目のオールド・パーの水割りを一気に干し上げると、  「今から、その誤解を解いてあげるわ。付いていらっしゃい」  と突然、席を立った。  小泉は、酒に酔って体が発散する朝子の甘酸っぱい熟れた女の体臭と、朝子が好んでいるニナ・リッチの薫香とがない混ぜになったような、微妙な香りを鼻にしながら、まるで、従僕のように朝子の後に従ってホテルを出た。 ×      ×       ×  タクシーが止まったのは、私鉄のターミナル近く。狭い路地の両側にもその奥にも原色の光が溢れ、毒々しくネオンが輝いていた。朝子は、躊躇することなく、目の前の門を入っていき、小泉はここでも、後に従った。  「その日、こういう所に来たっていうわけでしょ。小泉さんが言っているのは…」  「まあ、ここではないようだけど。君が今日と同じように連れてきてくれた」  「今日と同じように、か。まあ、いいわ。それで、どうなったっていうの」  「決まっているじゃないか。目的は一つしかない」  「その目的とやらを果たしたって、いうわけね。そして、あなたは、それが忘れようにも忘れられないっていうわけ。じゃ、その日と同じようにしましょうよ」  「誤解とか、何とか言っているけど、何を言いたいんだね。君は?」  「だから、あなたに、分からせてあげるのよ」  小泉の頭脳は混乱の度を深めた。あの日曜日、朝子が俺を誘い、俺は付いていった。朝子がむしろリードして、俺は男としての務めを果たした。あの時の朝子と同じ朝子がここにいるのに、会話が空を切っている。女というものはこうまでふてぶてしくなれるものか。「分からせてやる」だと。一体、何を分からせようと言うんだ。  「同じ事をしましょ」  朝子はきっぱりと、切り出した。一歩も後に引かぬ意思を語調が伝えていた。  「そんなに構えることはない。心中しようって訳じゃないんだから。この前は、ごく自然に出来たじゃないか。一体、どうしたんだね」  「そうでしたっけ。とにかく同じにして下さい。全く同じように」  細かなところまで、詳細に記憶しているほど小泉は若くなかったが、朝子とは絶対ないと思っていたことが、据膳の形で差し出されたのだから、あの日のことは、それでも、かなり良く覚えている。フルコースの後で、満足感のあるものと、不満が残るものとがあることを小泉も良く知っている。ただ、男の体液を放出するだけが目的のものと、夢に描いていた女性を相手に思いを遂げるのとでは、心的満足感が全く違う。空しさの残滓と満たされた後の余韻では質が、百八十度違うのだ。  あの日の、朝子との後では、嬉しさを越えた幸福感が心を満たした。絶対手に入らない、 というより、手に入れずにおいたほうが良い、と自ら言い聞かせ、納得していたものが、向こうの方から飛び込んできたのだ。しかも、内容が空疎でなかった。打てば響く、触れれば応ずる。指揮者になり、奏者になり、揺れて流れて、めくるめくような協奏曲が奏でられた。「朝子と俺はぴったりだ」との確信が、得られたのがあの日だったのだ。  それを「同じように」してくれと言う。  小泉は、もう一度してみる気になった。  (丁寧に、念入りに、一つ一つをじっくり味わいながら、やってみよう。朝子が、あの日の一度ならず、同じ事を二度までも求めてきている。役者だって、たった一度の演技より二度目はうまくやるはずだ。少なくとも、一度目の失敗は、しなくて済むし、一度目で味わい尽くせなかったものも、二度目には、十分味わうことができる)  熱い口付け、脱衣、入浴ーー。順を追って小泉は朝子を、あの日と同じに扱い、より以上の気分を込めて反応を確かめ、快感を追究していったーーつもりだった。 だが、朝子はあの日の朝子ではなかった。先ず抱き締めたときの応じ方が違った。あ。あの日は、倒れ掛かるように小泉の胸に飛び込んできたのに、今度は引き寄せなければならなかった。口付けをし、唇を合わせても舌を縺れ合わせようとすることもない、口中に粘液が溢れることなどさらにない。  着衣を脱がせに掛かっても、ただ人形のように目を閉じて、小泉がするに任せるままである。小泉の男性自身を求めて、目を潤ませていたあの日の朝子とは、姿形はそのままでも、中にあるものが、全く異なっていた。  「どうも変だ。なにかが違う。朝ちゃん、おかしいよ」  「えっ」  「君が違う人みたいだ。一体どうしたんだね。気分でも悪いのかな。嫌だったら、止めてもいいんだよ。もともと、君が誘ったんだから」  「いいえ、そのまま続けて下さい。同じにして欲しいの」  同じように風呂に入り、朝子の体の隅々まで、全く同じように洗い、刺激を与えてみたが、外形的には何の変わりもない。勿論、湯の中で最も鋭敏な部分も触ってみた。中の構造も調べたが、指が覚えていたのと違わなかった。  ただ、同じ一つの動作に対するリアクションが明らかに違っていた。秘めた部分の花びらに触れたとき、あの日の朝子には身を捩らせて、迎え入れようとの意思を感じたが、今日の朝子は、ただされるままに身を委ねているだけである。心と心が通じ合う手応えがなかった。小泉は段々、空しくなってきた。  ベッドに移った。朝子はされるままにしている。「上になれ」と言えば、素直に従うし、 フェラチオもクニリングスもごく機械的にではあるが、一通りのことはお互いにしてみた。 だが、確かな手応えがない。打って応じるものが全くなかった。  小泉は、そうしたもやもやとしたものが。胸中に広がっていくのを知覚して、早く終えてしまいたくなった。  「下になってくれ」  激しい抽送運動で小泉は果てた。ただ下半身に温もりを感じるだけで、心は冷え切っていた。これでは、単なる射精行為だ。男女の交わりとはほど遠い。  ぐったりとして、朝子の白く豊かで柔らかな乳房の上に顔を埋めて、小泉は安息を求めたかった。左の頬を下にして、右の乳房に耳を触れた姿勢で、小泉は朝子の熱い血のたぎりを初めて聞いた。  「ああ、この娘も生きているんだ」 と実感して、ほっとした。  が、次の瞬間、戦慄が走った。充血し切った血液が下半身から引いていくのとは逆に、その血が一気に頭上に駆け上がった。朝子を跳ね除けるようにして起き上がった小泉は、毛布に足を絡ませて転倒し、意識を失った。                   それから一週間ほどして、小泉の会社に朝子が訪ねてきた。髪を無造作に束ね上げて、ポニーテールで後ろに垂らし、洗い晒しのTシャツとGパン。平日なのに、休日のような砕けた装いに、小泉は思わず、  「どうしたんだね」 と素っとんきょうな声をあげた。  朝子が昼日中から、会社に訪ねてきたのが初めてなら、いつも会うときは、成熟したOLの寸分の空きも無いファッション姿しか知らなかったから、二重の意外性が、小泉を一瞬、茫然とさせた。  「どうしたって。ほら、この前、はっきりさせてあげるなんてたんかを切っておいて、尻切れ蜻蛉で終わってしまったでしょ。だから、宿題をして終おうと思ったの」  「だが、君も酷い人だ。意識を失っている僕を置き去りにしていなくなってしまうなんて。全く、非人情だ」  「あら、そんなの誤解よ。私はちゃんとホテル代を払って、おばさんに、連れはもう少し休むそうですから、少し経ったら起こしてやって下さいって念入りに頼んでおいたのよ」 「それは有難う。起きたときは、ちゃんと下着を着けていたし、毛布も掛けてあった。おばさんはするべきことをしてくれたよ。だが、もし死んでしまっていたらどうする。君は少なくとも傷害致死罪だ」  「その方が良かったかもね。置いてくるんじゃなかった。一思いに首を絞めれば…」  「そんなに恨まれる覚えは無いな。恩に思われこそすれ、恨まれる筋合いはない」  「そうかしら。でも、私の秘密を知って驚いて突き飛ばしたんでしょ」  「そうだ。そのことに就いては、ずっと考えてきたんだが、まだ答えが出ない。ただ分かっていることは、あの日の君と、この前の君とは、外見は全く同じでも、全然違う女だ、ということだけだ」  「じゃあ、今、ここにいる私はどうなの」  「分からない。しかし、どちらか、確かめる方法はある」  そういうと、小泉は朝子の手を引いて部屋を出た。ここは部下が机を並べていて、小泉がそれを窓側を背にして監督する形で配置されているが、隣に小泉が自由に使える小部屋がある。とかく、秘密の多い部署だから、きちんと鍵もかかるようになっている。小泉は管理職の特権として、時折この部屋に閉じ籠もって、「自由な時間」を過ごすことがある。 ここを使うことにした。  ドアーを閉め鍵を掛けると、そこにある応接ソファに差し向かいで座り、  「上着を取り給え」  と命じた。  「こんな昼間からするの」  朝子が、媚びた表情をして、上目を使う。  「いや、今日の君がどっちの君なのか、確かめるだけだ」  その言葉に、朝子は自分からセーターを脱ぎ、スリップも上半身だけ脱いで乳房を丸出しにした。さらにGパンのチャックに手を掛けようとしたが、小泉は  「いや、それで良い」 と止めた。  「いつ見ても良いおっぱいだ。眩しいよ。それじゃあ、失敬して」  小泉は身を乗り出して、先ず右手で左の乳房を鷲掴みにし、右耳を擦り付けた。  「そんなに密着されると興奮しちゃうわ」  「勝手にしたまえ」  余りの時間の長さに、朝子の本能が解き放たれ、想像力が上昇カーブを描いたのか、吐息が洩れ出した。  「よし、これで良い」  序でにと、小泉はみっちり左側の乳房を吸って愛撫を十分に施した。  「今度はこっちだ」  次いで、左手で右の乳房を掴み、左の耳を擦り寄せた。更に念入りに愛撫し、乳首を勃起させたあと、乳頭を人指し指と中指で挾み、親指の腹で擦り上げた。  「ああ、そんなにして……。下の方もして欲しくなっちゃうじゃないの」  「分かった。これでよし」  小泉は突然、作業を止めた。  「答は得られた。しかし、私もこの儘では収まりそうにない。答えを出すのは収まってからにしよう」  朝子のポニーテールの尻尾を掴んで、両手で頭を引き付け、いきり立ったものを押し付けると、朝子は待っていましたとばかりに、口内一杯に獲物を頬張った。 ×      ×      ×  「それは、こう言うことだ」  放出した後の虚脱感を滲ませながら、小泉は机上のタバコを取り出して火を付け、大きく息を吸い、吐き出した。  「今日の朝子はあの日の朝子だ。この前のではない」 と言って、おもむろに、  「なぜなら、今日、君の心臓は左にある」  「当たり前じゃない。心臓は左にあるに決まってるじゃない」  「そうだ。そこが不思議なところだ。私はこのなぞが解けずに苦労した。だが答えは簡単だったよ」  「………」  「つまりだ。朝子は二人いたのだ。私の知っていた朝子と知らなかった朝子と」  「二人ねえ」  「もう、ここまで来て、惚けることはない。君は、私の友人の朝子ではない。これだけは、はっきりしている。先ず、好色な所が違う。私は、その方が、嬉しいがね」  「好色かあ…。確かにね。好きだものな」  「それに、もう一つ、決定的な事がある。君の方が、僕には相性が良いらしいということは、あの時から、感じていたが、どうも、君は、朝子の肉体の秘密を知らないようだね」  「肉体の秘密? ああ知ってるわよ。不感症ってこと…。そうなんだ。あの人。かわいそうなんだよね。だから、私に……」  「君に、どうしたっていうわけ」  「頼んだのよ。あなたを、喜ばせて、くれないかって」  小泉は、その言葉をきいて、ぐっと詰まった。  (それほどまでに、俺の事を) との思いが、込み上げて来て、目が潤みそうになった。それを、堪えて、  「もう、君も、分かっているだろうが、本物の朝子は、心臓が、右にあった。セックスの余韻を、僕は、君の胸の上でも楽しんだが、朝子の上でも楽しんだ。君の上では、右耳で、朝子の時は、左耳で、心臓の鼓動を聞いたことを、思い出して、分かったのだ」 と、解説した。  「そして、医学書を調べてみたら、内臓反転といって、臓器の位置が、普通の人と、左右逆になって生まれてくるひとが、極たまにいるらしい。あの朝子は、それではないのかね」  「まあ、そんなとこかな。よくお分かりになりましたこと。さすがは、緻密で細心な小泉さんね。で、これからどうします」  「どうしますって。それより、君は、朝子の何なんだね。顔も姿も瓜二つ。あそこの形も構造まで変わりはなかった。性能だけは違ったようだが」  「もうそこまで言われたら、仕方がないわね。私の名前は、夕子。朝子のカガミなの。現実世界の向こう側に、全く対称の鏡の世界があるの。そこから来たカガミ、すなわち、反転映像よ。朝子が、あんまり、嬉しそうだったから、こっち側の世界に、飛び出してきて、ちょっと、あなたをからかってやったのよ。どう、朝子より良かったでしょ」  「まあね。でも、君の言葉は、信じられない。あの感触と快感には、しっかりとした手応えがあったもの。やはり、事実だし、現実だよ。映像なんかじゃない」  「どっちでも良いわ。それで、どうするの。これからも、私と付き合う、それとも、もう止めにする」  夕子は小泉を問い詰めた。  「勿論、付き合うさ。君の本性が分かるまで」  二人は、もう一度、別れの口付けを、息が詰まるまで、念入りに交わして、小部屋を出た。口内の粘液が、全部、吸い取られてしまったような、濃密なキスだった。                     夕子に謎を掛けられた小泉は、朝子と夕子の関係を考え続けたが、明確な答えは得られなかった。日曜日に、電話をして来たのが、夕子であるのには、違いない。  では、「けんかをした同居人というのが、朝子というわけか」  「そう言えば、あいつが浮気しているから、わたしも…とも言っていたな」  「二人は、レズビアンなんだろうか」  色々と思いは、巡るが、  (こういうことは、いくら、考えても仕方がない。まず。行動すること) と思い付いて、朝子の家を訪ねてみることに決めた。  住所は分かっていたから、朝子のマンションは、すぐに訪ね当てられた。  エレベーターで上がり、部屋のインターホンを押したが、反応がない。初めは遠慮勝ちに、間を置いて押していたのが、焦れったくなって、押し続けていたら、やっと、中から応答があった。  「うるさいわね。いま、入浴中なんだから、だれが来たって、部屋には入れないわよ。終わりまで、待ってなさい」 と、突き放すような音調で朝子の声がした。  「あの、小泉ですが」  「あっそう。どちらの、こいずみさん」  「大学の先輩の小泉ですよ」  「知らないわね。そんな人。部屋を間違ってんじゃない」  「いえ、OOO号ですよね。山田朝子さんのお宅ではないんですか」  「違いますよ。うちは、朝田昼子です。山田さんなんて、知りませんよ。ここへ来て、もうかなりになりますけどね。前に住んでいた人も、違う名前でしたよ」  (一体、どういうことなのだ。朝子はどこに、行ってしまったんだ)  小泉は、何がなんだか、分からなくなった。  夕子の家は、もともと知らない。これで、全く手掛かりが無くなった。  朝子から連絡もないままに、二か月が過ぎた。  朝子の出版社に電話を入れてみたが、「ふた月程前に、退社致しました」と、女性が告げた。  小泉に、なんの変哲もない、普通のサラリーマンの日常が、戻った。  そんな時、独身の憂さ晴らしに、千葉県U市に所要があった帰りの夕方、ふらっと、ストリップ小屋に、入ってみた。  入り口に「双子の姉妹の本物レズ」の看板があったのには、気が付かなかった。  舞台の踊り子は、お客を上げての、生板ショウの真っ最中で、禿げた中年のおやじと工員らしい青年が、じゃんけんをして青年が勝った。おやじは実に残念そうな素振りで引き下がった。ところが、青年の物が、お客の視線や明るいライトで物の役に立たず、ヤジれれて、引っ込むと「それ見ろ」とばかりに、おやじが、ニヤっとしたのには、笑った。  出し物は、段々過激になり、アダルト・ビデオ女優が出たときが最高調。若いファンが、 プレゼントを贈ったりして、盛り上がる。アイドル顔の女優も女の全てを見せて、オナニーショーを演じ、小泉の下半身も硬くなった。  だが、この後の出し物が、もっと小泉を興奮させた。  レズショーの女役のネコが、夕子、これを責めまくる男役のタチが、どう見ても、朝子に違いなかった。瓜二つの双子が、女同士の性の饗宴を演じ、周りを囲んだ男達は固唾を飲んでシーンとなった。  小泉は我が目を疑った。  朝子が腰の前に、長い鼻のテングの面を括りつけ、回り舞台に横たわった裕子の最も敏感な部分にさし込み引き抜くと、夕子は、“あの日”のように、徐々に、絞り上げ糸をひくような、よがり声を上げ、小泉の指が今でもはっきりと記憶している締まりの良い構造の内部から、液体を溢れさせると、それをライトがここぞとばかりにテカリと照らし出した。  次には、朝子も、金糸銀糸が縫い込まれたはんてんのような上着を脱いで、全裸になり、 激しい女体と女体のぶつかり会いが始まった。レズ特有の細かい指づかいでお互いの秘部をまさぐり合い、電動コケシを駆使しての責め合いが続いた。  互いの息使いのリズムが徐々に速度を速め、「あああ、あー」「はあああ、あー」の声が、聴覚を経由して観客の股間を刺激した。  延々と続く二人のショウは、舞台での演技ではなく本物だ、と小泉は思っていた。  しかし、どの踊り子にも持ち時間は決まっている。  最後は、両側にかなり大きいペニス状の張り型が突き出た小道具を、陰部に食わえこみ、 腰を密着させてのグラインド。そして、二人の脚を松葉を絡ませるように、差し合わせ会い、陰毛の覆った部分を、必死に擦り合わせ、愛液でネットリとした性器を存分に刺激し会うと、遂に、カタルシスが訪れた。  全てが演技だとは、小泉には、とても、信じ難かった。  自分が客席に居ることに、二人が気付かなかったとは、思えない。  いや、小泉を、見付けたからこそ、演技に「気」が入っていたのでは、とさえ、思われた。  どうであれ、とにかく、小泉は、大いに満足した気分だった。  (三千五百円は、高くはなかった。あの二人が、俺の付き合った朝子や夕子だったにしろ、そうで、なかったにしろ)  表が朝子か、裏が夕子か、それとも、その反対か。  「人生、表も裏も、いろいろあって、面白いんじゃないかい。そこの兄さんよ)  道をはさんだ対面の、トタン葺の映画館のスピーカーから、あの「寅さん」節の口上が、 流れてきて、ストリップの呼び込みの声と混じり合い、空に消えていった。                                     それから、十八年が過ぎた。  小泉は、同期入社の者と比較しても、順調に、階段を登り、人事部長に出世していた。 食品産業の中でも、ビール業界は、物が嗜好品だけに、新製品競争が激しく、圧倒的シェアを誇っていた小泉の会社は、「ドライ」で攻勢をかけた下位メーカーに、急迫され、一時的に、苦境にたたされた。  これを挽回しようと、技術陣が腕によりを掛けて、開発したのが、「生搾り」という製品で、一気に、ガリバー型と言われた寡占状態を取り戻す戦略にでた。  シーズンの夏に入る前の、春先、新製品売り込みの先陣を務める営業サイドから、「生搾り」に相応しいキャンペーン・ガールを募集し、セールスのイメージ・キャラクターにしよう、とのアイデアが出され、小泉もその選考委員に駆り出された。  あれから、長い独身生活に終止符を打ち、上司の取り持ちで、見合い結婚した小泉は、男の子と女の子の二児の父となり、典型的なマイホームを築いていた。妻は名門女子大でお嬢さん育ちだったが、家事も育児もそつなくこなし、二人の子供もスクスクと成長、まずは恵まれたサラリーマン生活を送っていた。 若い女性は、部下にはいたが、はやりの不倫関係になるような機会もなく、ストリップ小屋を覗くような事もほとんどなかった。 だから、送られてきた応募書類や写真を、審査と称して眺めるのは、密かな楽しみを小泉に与えてくれた。ピチピチとした若い女が、惜しげもなく、超ミニやハイレグの水着やレオタード姿で写っている全身写真が、山を成していた。  履歴書も付いていたが、基本は何と言っても、顔の美しさと容姿。写真の善し悪しで、第一次の審査は決まる。さすがに、一流広告会社と組んで、大キャンペーンを、展開しただけに、どこかで見たことのあるようなモデル、タレントの卵たちや、思わず見惚れてしまうほど美人の素人の女子大生から高校生まで、いずれも自信たっぷりの、女性たちから、主催側が驚くほどの応募があった。  小泉もそれらを丁寧に、一人ずつチェックしていった。  作業に取り掛かって、三日目。手にした顔写真に何気なく見覚えがあった小泉は、全身写真を見てみると、そこには、見飽きた水着姿ではなく、修道女姿で微笑む若い女性が写っていた。  記憶の糸を手繰った小泉が、突き当たったのは、紛れもなく朝子の顔だった。  急いで、履歴書をみると、本籍・長崎県、現住所・長崎市大浦町OOOーーとあり、年齢十七歳の女子高校生だった。  小泉は、直ちに、その書類を、第二次の面接進出者の方の籠に入れた。  小泉の心に疑念が生じた。  (この娘は、一体、誰なんだ。朝子=夕子に瓜ふたつ。だが、若し、朝子=夕子だとしても、年齢が合わない。すると、どちらかの子供か、それとも、親類か)  (とにかく、東京に上京してくるのだから、会うことは出来る。会えば解るだろう) と、自ら、二次予選出場者確定への根回しを、して回った。人事部長には、その位の権限はあったから、美人度は人並み以上の修道女姿の女子高生の書類審査合格はすんなり決まった。  小泉は、その日が、待ち遠しくなった。  桜の蕾が膨らみ始めた頃の週末に、その二次審査は行われた。  (審査が開始される前に、その娘を捜して、終了後に会うことにしよう) と思いついた小泉は、早めに会場にいって、娘を探したが、見付からなかった。そこで、案内役をしていた若手の部下に、  「×××番の子に渡してくれ」 と、メモを託し、審査室に入った。  流れ作業のようになった面接も、終わりに近づいた頃、その娘の番になった。  黒っぽいコーデュロイのワンピース姿で入ってきたその娘は、思っていたより小柄で、写真の印象とは違った。写真では身長がわからなかったが、履歴書に身長162センチとあったのを確認し、納得した。  (なにしろ、今時の、モデル達は、皆、大女ばかりだから)  デカ女に食傷気味だった他の審査員も、何かホッと一息付けた、という表情をした。  こういう審査には、決まり切った質問がされ、最後に、上着を脱がせ、下に来ていた水着姿を採点して、手順は終わる。素っ気ないほど普通の競泳用のスイム・スーツのようなシンプルな水着姿に、小泉は、10点満点の10点を付けた。     ×    ×    ×  その娘は、メモで、小泉が指定した一階のパーラーで、待っていた。小泉が、入っていくと、立ち上がって、可愛らしく丁寧に頭を下げた。  「どうも、突然でびっくりなさったでしょう。時間は宜しいですか」  「はい。別に、何も、用事はありませんから」  「わざわざ、残っていただいたのは」 と、小泉は、説明しかけたが、娘が、  「はい。分かっております」 と遮った。  「と言いますと」 との小泉の怪訝な顔に、娘は、  「私の素性を、お知りになりたいんでしょう」 と、追い討ちをかけた。  「そうです。あなたが、私の知り合いに余りにも似ているものだから」  「その通りですの。御想像なさった通り。私は、母の言葉を頼りにして、こういう機会をずっと待っていました」  「母上は、やはり……」  「ええ、昔、あなたと……」  「そうでしたか。朝子さんですか」  「いいえ。それは、分かりません」  「というと…」  狐に抓まれたような顔をした小泉に、娘が語ったのはーーーー。    ーー応募書類に書きましたように、私は長崎で生まれ、育ちました。生まれたのは、修道院の助産所です。母は妊娠してから、その修道院に入って修道尼になろうと、決意し、私を生み落とした後、神に仕える身になりました。こんなことは、カソリックでは許されませんが、母の窮状を見た院長様の特別の計らいで、神の許しを請い、私を私生児として、生み落としたのです。  時折、面会にきた母の問わず語りの話を私なりにまとめてみますと、母には双子の妹がいて、瓜二つだったそうです。他人がみても区別が付かないほど似ていて、よく間違えられたと言っていました。  この二人の生涯忘れられない思い出は、学生時代の真面目な先輩を、二人で、取り合った事だった、と聞きました。この事は、私には伯母さんに当る母の妹にも、人生の最大の出来事として、記憶されているのだ、とも言いました。  私の、出生の疑問は、父がだれなのかというのはもち論ですが、今では、母も果たしてその人なのか、あるいは、伯母なのかという所にまで、いっています。伯母を見たことも、会ったこともありまっせん。母の話によれば、母が、修道院に入った頃、スペインに渡り、そこでやはり、尼僧院に入ったといいます。 母は、昨年、修道院で、亡くなりました。私はそこにお世話になりながら、母と同じ道に入るため、高校に通いながら、神の心を学んでいます。  でも、母が、いつも語ってくれた先輩が、私の父ではないのか、という思いが、いつも離れず、母の形見となった日記を繰ってみて、あなたの名前を見付け、雑誌で見たキャンペー・ガールに応募すれば、お会いできるのではないか、と微かな期待を抱いて、思い切って、応募の手紙を出してみたのです。  小泉は混乱した。  (確かに、朝子とも夕子ともそういう関係を持ったが、まさか、あれで妊娠したとは……。しかし、一体どちらの子供なんだ)  「でも。証拠はないよね」 とつい、口走ってしまった。  「母もそう言っていました。でも、私にはどうでも良いことです。母が私の本当の母でも、そうでなくても。伯母が本当の母であっても。私は私なのですから。それより私は、父がだれなのかを知りたいのです。あなたなのか、それとも、他の男のなのか。母の言葉の端々で、母も伯母もかなり、乱れた男性関係があったらしい事は、分かっています。ですから、先ず、あなたを、調べたい」  「調べる? どういうことです」  「今晩、一緒に、付き合って下さい。母の時と同じように。あの赤坂のホテルで待っています」  その晩、小泉は、娘とホテルのツイン・ルームにいた。  「私のことは、えみと呼び捨てにしてください。その方が、安心できるから」  と言った後、小泉に意気なり抱き着いてきた。小泉は驚きながらも、それに応じ、縺れあって、ベッドに倒れた。  いつのまにか、互いの着ているものも脱ぎ捨て、五十男と甘酸っぱい十代の娘の裸体が、 ベッドに並んでいた。  「私、こういうことは、初めて。男の人と一緒の部屋に二人でいるのも、寝たのも、勿論、裸になっているのも。でも、やっと、ここまで来たんだっていう感じね」  「ということは、当然、バージンだって言うこと? 申し訳ないね。ひょっとすると、僕が、お父さんかもしれないのに」  「なにを誤解しているの。私は母のように淫乱じゃないわよ。するのは、ここまで。さあ、早く」 というと、小泉の下半身に頭を向け、まだ、萎えているままのそこを握ってしごき始めた。 だが、小泉も。若くはない。思いどおりに、屹立しないと知った、えみは、ツンとした形のいい唇をそこにもっていき、くわえると、前後運動を始めた。  だが、自分の後ろは、決して、小泉の口のほうには近付けないで、体を横にしたままだ。 処女の草息れのような匂いを嗅がされ、下半身を、可愛い唇で嘗められて、小泉は、久し振りの、身震いするような、快感に見舞われ、一気に放出した。  すると、えみは、出された物を、口中に含みながら、バッグから、小形の試験管様のガラス器を取り出し、中へ吐き出した。  「君、何してるんだ」 と、小泉が問い詰めると、  「これ、私の一番生搾りよ。友達が検査センターにいるから、調べてもらうんだ」  「何を?」  「決まってるでしょ。血液型よ。詳しくね。あんたが、私の父親かどうか。それで、分かるでしょ。ええと、次は」  「次はって」  えみは、手帳を見せた。五人の男の名前が書いてあった。  「ほら、試験管もあと、五本。予備の一本も入れてね。結果は、後で知らせるわ。該当したら、あとは、よろしく、面倒みてくださいね。じゃあ、帰って」  小泉は、不安な日々を送った。  えみは、キャンペーン・ガールに選ばれなかった。  それから、七年、えみから連絡はなかった。  ただ、内田恵美という若い女性が、黒人男性との奔放な性を描いた小説で、旋風を巻き起こし、最近では、いろいろな文学賞の選考委員までしているのを、週刊誌で読んで、  (あのえみと、似ているな) と、ぼんやり、考えたりしている。  (あの日は、バージンよ、なんて言っていたのに、まったく、女は解ったもんじゃない)  白いもののチラホラ混じった髮の毛を梳しながら、小泉は、  (人生、いろいろ、表もあれば、裏もあるから、面白い、か) と、こころのなかで、呟いた。                           (終り)            三  保険金の支払いは、それから、二週間後に、指定の偽名口座に行われた。わたしは、一挙に、大金持ちになった。なにしろ、四億三千万円の金が、支払われたのだ。そして、その半分は、加代子にやる約束である。  わたしは、この約束は果たすことにした。半分でも二億一千五百万円になる。これだけあれば、もう会社に縛りつけられている必要はない、加代子も、こうして、一発勝負を掛けたのだから、仕事を止めるだろう。それとも、まだ、知らぬ顔をして続けていくのだろうか。わたしは、それにも興味があったし、いまの、単調な生活から抜け出した固し、加代子の体にも未練があった。  (ああいう、熟女と一緒に暮らしたら、人生はどんなに彩りに満ちるだろうか)  わたしの心に、悪魔の囁きがあった。  わたしは、加代子の名刺を取り出して、連絡してみることにした。  会社のデスクから、名刺の電話番号に電話した。  「もしもし、M生命保険調査会社ですか」  「そうです」  「青山加代子さんをお願いします」  「青山加代子と言う鋳物は、こちらにはおりませんが」  「いや、調査員の青山さんですよ。辞めたのですか」  「いえ、そういう名のものは、以前にも、在籍ておりません」  「はあ」  わたしは、耳を疑った。  「でも、その人にあって、名刺を貰ったのですが」  「名刺なんて、いくらでも作れますからね」  電話口の女性は、つっけんどんに言った。  そうなれば、諦めるしかなかった。  電話を切っても、わたしの頭は、混乱した。  (これは、どう言うことなのだ)  良く考えたが、かってに、  (わたしとしては、約束どおりに連絡したのだ、このままにしておけばいいではないか。わたしの口座に金があるのだから)  そう納得して、収まった、やはり、夢のような事は、現実にはならない、加代子との愛の逃避行を空想した自分が、馬鹿らしくなった。    わたしは、振込口座を確認しようと、銀行に行った。それは、加代子がわたしに渡した書類に記入して、開設した口座だった。  残高照会をした。そこにでてきた数字は、だが、意外な数字だった。  「二億一千五百万円」  数字は、そうなっていた。  (半分になっている。そうか、加代子がすでに、引き来だしたのだ)  わたしは、納得した。  (だが、わたしに、一言も言わず、しかも、行く方も分からない)  わたしのなかで、加代子と言う女への興味が募った。それは、一度。体を知った女への思慕といってもいいような感情だった。  わたしは、加代子を追ってみることにした。  手掛かりは、名刺のほかには、何も無かった。  他に、残っているのは、加代子の肉体の記憶だけである。声と匂いと仕種と、そして裸の体型とそして、微妙な女の部分と唇の感覚。  それらを思い返してみて、わたしは、その多くに「既知体験(デ・ジャ・ブ)」の感覚があることが、記憶の底から。蘇ってきた。  (それは、いつだったのだろう)  わたしは、仕事の手を休めて、窓の外に広がる皇居の緑を見ながら、記憶の底を辿って行った。  微かに、思い当たったのは、三角関係で、この会社を辞めた女子社員の記憶だった。その女性は、良く気が付き、てきぱきと仕事をこなす男好きのする、人気の女子社員だった。  わたしは、この問題の解決にあたり、不倫の関係にあった課長とこの女子社員を辞めさせた。そして、課長は離婚し、この女性と結婚した、という話を聞いていた。  (あの子もたしか、加代子といったが、顔や体つきは全く違う。ただ、よく気の回るところや、仕種は、そっくりだ)  (整形をしたのだろうか。体型は、年齢で変わってくるし)  わたしは、当たって砕けろの心境で、社員の個人ファイルを調べてみた。  その女性は、「白田加代子」と言う名だった。本籍地と現住所が残っていた。彼女は、福島県の出身で、保証人には、両親の名前が記入されていた。その電話番号と住所をわたしは、メモした。  先ず電話して、場合によっては、現地に出掛けてみる積もりだった。    「もしもし、済みませんが、白田さんのお宅でしょうか」  「はい。そうです」  「実は、白田加代子さんのことでお伺いしたいのですが」  「何でしょうか」  それはわたしと電話口にでた老女との会話だった。  「加代子さんは、いらっしゃいますか」  「もう。三年も帰ってきていませんよ」  「どこにいらっしゃるのですか」  「東京ですよ」  「至急お会いしたいことが出来たのですが、連絡先を教えて貰えませんでしょうか」 「でも、いつも転居していますからね。最近のは、今年の正月に来た年賀状かな」  「それで、結構です」  老女は、その住所と電話番号を教えてくれた。  わたしは、その電話に電話してみた。  それは、予想していたことだったが、  [この電話は現在使われていません、番号をお調べになってお掛け直し下さい] との無機的な女声が聞こえてきた。  (こうなれば、この場所に行ってみるしかない)  わたしは、決断して、その日の退社後に、訪れた。  それは、二階建てアパートで、五軒ずつ十軒が入っていて、青山(白田)加代子の住所では、その二階の端の部屋の筈だった。表札は、違う名前だったが、手掛かりを求めて、ブザーを押した。  「はい、何でしょうか」  部屋から出てきたのは、若い女声だった。  わたしは、用件を言った。  「ああ、わたしの前に入っていた人ね。もう引っ越しましたよ」  「どこへ行ったか、御存じないですか」  「知りませんね。不動産家なら分かるかもしれない」  そういって、その女性は、街の不動産屋の場所を教えてくれた。  わたしは、不動産屋を訪ねた。だが、転居先まで把握している不動産屋は少ない。聞き込みは空振りに終わった。  疲れて、家路を急いだわたしに、いいアイデアが、浮かんだ、  (そうだ、電話は権利をそのまま持っていっているのでは)  わたしは、翌日、電話局で、電話番号を手掛かりに、青山加代子の転居先を突き止めた。  そして、その住所の番地を見て、わたしは、驚愕した。  その場所は、慶子がわたしとの逢瀬の連絡先としてくれた電話番号を同じだったのである。  わたしは、すぐにその場所に電話した。  「はい」  と言って出てきたのは、他でもない、加代子本人だった。  わたしは、  「どうしたんだい。随分探したよ。あなたの家が分からなかったから」  「ああ、失礼しました。でも、よく分かりましたね」  「それは、いろいろ調べたよ。すこし、聞きたいことがあるんだが」  「何でしょうか」  「あの、保険金だが、振り込まれていたよ」  「そうでしょう。わたしは、嘘は申しません」  「だが。半額だ」  「そうでしょう。約束だもの」  「君の分は、既に、引き出したのか」  「いいえ、もともと、貴方の取り分は半分だから、文句はないでしょう」  「それはそうだが。納得行かない点が、いくつかある。それを聞きたい」  「なんだか。こんがらがったことになりそうね。電話では、そういう話は出来ないわね。よかってら。どこかで、会いましょうよ」  「そうだな。では、明日にでも。青山の喫茶店にきてくれない」  わたしは、その場所と電話番号を教えて、時間を言った。  「わかりました。いろいろ、お教えしないとといけないことがありそうね」  加代子は、そういって、電話を切った。   わたしは、約束の時間より、十五分ほど早くその喫茶店にいって、加代子を待った。二階の窓側の席が空いていたので、底に座り、ウインナ・コーヒー注文した。その席からは、下を通る、国道234号線、青山通りが良く見えた。国道の脇の歩道を若い人たちが手を組んで歩いていた。角には、交差点があり、そのスクランブル交差点を、信号が青になると一斉に歩きはじめる人の群れが、鼠や蟻の行進のように見えておかしかった。わたしの席の向こう側には、大学生らしい四人連れがいて、盛んに春スキーの話をしていた。  わたしは、待ち合わせの時間が来るまで、その四人と外の通りとを交互に見ながら、過ごした。待ち合わせの時間までに、加代子は姿を表さなかった。それから、十五分ほど過ぎて、ふと外を見ると、交差点の向こう側に、加代子らしい女が、立っているのが見えた。  (ああ、やっと来たのか) わたしは、その女の動きを目で追った。  信号が青に変わると、その女は、先頭を切って歩きだし、こちらへ向かってやって来た。そして、交差点を渡り終わると、こちらに立っていた男のもとに、駆け寄り、何か話ていた。それは、加代子によく似ていたが、加代子ではなかった。  その女は、若い男と手を組んで、歩きだし、喫茶店の下の道を通って、向こうへ行ってしまった。  (なんだ、加代子ではなかったのか。いったいどうしたのだ)  わたしは、それから一時間待って、加代子が来ないのを確信して、帰った。 その夜、家出テレビを見ていると、ニュースが、こう言った。  「今日午後二時ごろ、東京・OO区のアパートOOで、女性の変死体が見つかり、遺体の状況から、M警察署は、殺人事件とみて、捜査を始めた。この女性は、保険調査員、青山加代子さん(三三)で、遺体はかなり腐乱していたが、首に締めた痕があり、外傷もあることから、何者かに殺されたのもと思われます」  写真が写った。わたしはそれを見て、頭が混乱して、絶叫した。  それは、わたしの知っている加代子の顔ではなかった。見ず知らずの女の顔だったのだ。  (一体どう言うことなのだ。これが加代子の素顔なのか。誰が殺されたのだ)  わたしは、どうすればいいのだ。  そう考えて、気が付いたのは、わたしの口座に振り込まれているはずの、保険金が無事かどううか、ということだった。わたしは、翌日、銀行に確認しに行くことにして、早めに床についたが、なかなか、寝つかれなかった。  (加代子が死んだとすれば、あの大金はどうなるのか)  そして、その写真の女と加代子の関係が、どうなのか、慶子が交通事故で死んだのではないのか。それが、保険金支払いの原因になったはずだ。慶子と加代子の関係はどうなのか。  頭の中を、様々な考えが巡って、わたしは、頭が痛くなった。  翌日、わたしは、銀行に行った。わたしの申し入れを受けた行員は、  「少し、お待ち下さい」  と言って、奥に引っ込んだ。そして、上司の男性と一緒に現れて、  「彼方の応接間へどうぞ」  と案内した。訝っているわたしに、  「いえ、大金ですので、あちらで」  と申し添え、わたしの不安を、拭った。  応接間で、わたしは、十分も待たされた。そのあいだ、銀行の内部では、何かが行われている慌ただしさが皮膚で感じられた。  (これは、何か、おかしい)  行員たちの態度の、なにか、よそよそしさが、感じられたのだ。  応接室で応対した男は、  「当支店次長の・・・・・・・・」  と名乗ったが、目は伏目がちで、直ちに出ていった。  わたしは、おかしい、と感じた。そして、応接室を出ようとした所、  征服の警官とレイン・コートを来た男二人が、こちらに向かって、走ってくるのが見えた。支店のガードマンも続いていた。  (これは、おかしい。わたしが、狙われている)  わたしは、彼らの反対側に掛けだし、裏口から外へ、駆け出た。真っ直ぐに、道を走り抜け次の角を曲がったが、彼らは、追ってきた。  わたしは、次の細い路地を曲がり、奥の塵置場の影に隠れた。制服の警官は少し遅れていたが、刑事のような男とガードマンは、間を置かずに、わたしを追ってきた。塵置場のほうに向かった、ゆっくりと、歩み寄ってきた、わたしは、必死で、塵の山を両手で掴んで、彼らの目の前にぶちまけた。かれらが、ひるんだ好きに、わたしは、また、走りだした。  通行人にぶつかりながら一目散に走った。すると、大通りにでた。先に警察署の建物が見えてきた。わたしは、なぜか、警察で保護を求める気になった。  刑事らしい男に追われているのに、なぜ、警察に飛び込む気になたのかは、分からない。  とにかく、警察の建物に飛び込んで、  「助けてください。変なやつらに追われています」  と当直の警察官に言った。  警察官は、保護してくれた。そして、わたしの名前と住所を聞き、別室に連れていった。後ろで、荒い息使いで、わたしを追って来た男たちが、休んでいるのが、聞こえた。   別室で、高まった鼓動と洗い息使いが収まり、どうにか気も落ちついたころ、いかつい体格の大きな中年の男が、入って来て、  「いろいろと話を聞かないといけないようですね。今日は、泊まってもらいますからね」  と探る様な目でわたしを睨み、そう宣言した。  「泊まってもらうって、何故です」  「惚けるんじゃないよ。君は、殺人事件の容疑者なんだよ。いま逮捕状を請求中だ」 「なんですか。それは」  「まあ、惚けるのも今のうちだ。あしたから、じっくり付き合ってもらうから。覚悟しておきなさい」  わたしは、その日の夜、逮捕状を執行された。気が動転して、何を言われたのか全く分からなかったが、警察に逮捕されるという、生涯で初めての事態が、我が身に起こった事だけは確かだった。  翌日から、厳しい調べが始まった。  留置所から調べ室に移され、窓を背にして、固い椅子に座らされた。部屋には二人の刑事がいた。  まず、正面に座った刑事が、聞いた。  「名前と住所を言ってくれないか」  「高橋一郎。住所は・・・・・・・・・」  「そうかね」  「何をしたんだ」  「わかりません」   机の脇に立っていた、若い刑事が、こちらを向いて、  「とぼけんじゃないよ。岩瀬。名前まで嘘を言いやがって」  と机を叩いて、威嚇した。  「岩瀬・・・。岩瀬って、誰のことです」  「お前だよ。逮捕状にそう書いてあるだろう」  わたしは、動転して、逮捕状も良く見ていなかったのだ。  「そういう態度をとるのなら、徹底的にやるしかないな」  最初に机の目の前に座っていた、中年の刑事が若い刑事と耳打ちした。  「では、犯行の当日の行動を聞かせてもらおうか」  中年の刑事がそう質問した。  「会社へ行って、午後には加代子と待ち合わせていたので、その場所に行きました」 「それは、加代子のアパートだな」  「いえ、青山の喫茶店です」  「どこまで、しらをきるのだ。まあいいや。それで、害者のアパートで密会して、絞め殺したのだな」  「そんなこと、わたしはやっていません」  「やっていないといったって、証拠は上がっているんだよ。貴方が犯人なんだ、あとは、自供だけなんだ、証人もいっぱい居る。貴方が、あのアパートで、害者を殺したんだよ」  わたしは、深い絶望を感じた。  (このままでは、殺人の罪を被せられてしまう。覚えのない罪だ。どうすればいいのか。差し辺りの自己防衛は、弁護士を呼ぶことだろう。家に連絡を取らなくてはならない。それに、会社にも)  「わかりました。その前に家と会社に連絡してもらえませんか」  二人は、わたしの申し入れを聞いて、冷笑するように言った。  「何方にも連絡したよ。お宅には誰も居なかった。奥さんとは、離婚していて一人住まいだそうではないか。家に連絡するなんておかしなこというなよ。会社も問題はないだろう。大体、君は懲戒免職になっていて、いまは、無職ではないのかね」  「そんな馬鹿な。わたしは、高橋一郎です。会社は、こちらです。家はここですよ」 「それは、君のうそだろう。本当に、しつこい奴だ。それとも、少し、ここがおかしいのか」  若い刑事が、頭を指した。  わたしの気持ちは、ますます、落ち込んだ。  (だれか、救いの手を差し延べてくれないか)  わたしは、天井を仰いで、慨嘆した。わたしは、何を言っても聞き入れられない、虚しさを身に染みて、味あわされていた。  (もう、何を言って無駄だ。わたしは。貝になろう)  そう決心した。そして、一切に口を噤むことにした。    わたしは、三日後に検察庁に身柄を送られた。                「玲子」             一  担当検事は、女性だった。しかも年は、わたしと同じ、四十代で、若わかしく、整った顔つきの美しい熟女だった。さらに、長身で、スタイルが良く、ただ、眼鏡を欠けているのが、たまに傷というほぼ、完璧なキャリ・ウーマンのように見えた。  「岩瀬太一郎。まだ、自供をしていないのね」  その女検事。桜井玲子は、いきない、そう言って、わたしの顔を覗き込んだ。わたしと目があったとき、玲子のまなこに驚きの表情が走ったのを、わたしは、緊張していて、気がつかなかった。  「そうです」  「では、この殺人事件をやっていないということ」  「そうです」  「では、その根拠は」  「だいいち、わたしは、そんな岩瀬太一郎とか言う名前ではありません」 「ではその名前には、心当たりはないのか」  「いえ、あります」  「では、知っているのだろう」  「知っているといっても、間接的にです」  「それは、追々聞くとして、まだ、自供をしていないということは、認めないということか」  「なんど、言ってもそういうことですよ」  「しかし、証拠は、山のようにある。それぞれ、どう説明するのか。話してもらおうか。それとも、貴方の妄想に付き合ってもいられないから、起訴してから、法廷で争うかね」  「何方でも。言いようにしてください」  わたしは、もう投げやりになっていた。  「そう時間も無いから、簡潔に聞く。まず、動機だが。警察から来た書類では、支払われた保険金の分け前を巡って、争いがあった、となっているが、本当か」  「争いはありません。話は着いていました。というより、少し、疑問があってそれを確認しようという日に、死んでしまった」  「死んだというより、殺してしまったのだろう」  「殺してなんかいません」  「その日のアリバイはあるかね」  「青山の喫茶店に居ました」  「この、送致書類では、犯行時間に、犯行場所のアパートの部屋に入って行くのを、隣人の大学生が目撃している。そうではないのか」  「行っていあいません」  「だが。貴方がいたのを目撃しているのだ。写真まである」  「写真ですか」  「ほらこれだ」  その写真は、男と女が布団のうえで絡み合っている、猥褻な写真だったが、男はたしかに、わたしに似ていた。  「なぜ、このような写真が、あるのですか」  「隣人が隠し取りしていたのだ」  「どうなっているのか、わかりません」  「では、警察が描いている、この事件の全体像を話してあげよう。それにどう反論するか。それを聞いてあげよう」  わたしは、この女性検事の男のような尋問の口調にどこかで、聞き覚えがあった。わたしは、そのことに捕らえられて、他のことが耳に入らなくなった。    そうだ、それは、遠い思い出の中にある声だった。   その声を聞いて、わたしの脳裏に、子供の頃の、鮮烈な思い出が蘇ってきた。  (あれは、夏の日の暑い午後だった。その年は、いつにも増して、残暑が厳しく、八月の蝉の音が激しい、昼下がりに、私は、川遊びで疲れ切り、ぐったりとした身体を引きずりながら、家路を急いでいた。昭和三十年の夏。おれは、小学校一年生だった)  わたしの頭に、その日の光景が、鮮明に映し出された。今は、初秋と言っても、外気は冷たく冬の気候なのに、夏の思い出が、彼の頭を熱くさせた。  (私の生まれた家は、水遊びをしていた小川から、坂を登った丘の上にあった。私は、坂道を登って、家路を辿っていた。坂の途中に、洒落た洋館が建ったのは、二年ほど前だったが、土地の人たちは、その家は、東京から引っ越してきた外交官の家で、家主は、退職してから、この、遠くに富士山を望み、近くには、相模川が流れる土地を気に入り、引退後住居を定めたのだと、言っていた。  私が、その家の脇を通りかかると、家の中から家人の討論する声が聞こえて来た。 「早く、こちらに来て、あなたの、勉強の成果をお父さまに、ご披露なさいな」  「分かりましたわよ。そう急かさないでください。こちらも準備があるんですから」 「まったく、この子は、モスクワくんだりまで行って、高いお金を掛けたんですからね。まず最初に、成果を披露するのは、そのお金を出してくれたお父様でしょう」  「わかっておりますわ。では、これから、さっそく、演奏します」  「お父さま。始まりますよ」  母親と、父親が席に着いて、その家庭音楽会が始まるところだった。  私は、そのちょうど、開始の時に、道を通りかかったのだった。  美しいヴァイオリンの音が、流れはじめた。それは、甘美なメロディーで、明るく流れるような美しい旋律と澄みきった音の響きを持った心地よい、楽曲だった。  私は立ち止まって、その音楽に聞き入った。  独奏のヴァイオリンは、流れるように、音を奏でていき、時折、外の木々で鳴くセミの音と混じり合って、熱く太陽が照らす夏の空に和音の絵画を描いていった。  演奏は、三十分程続いた。静かな静寂のあと、拍手の音が聞こえた。それは、父と母の四つの手が、生み出した疎らは拍手だったが、私には、この上もなく、温かい響きののリズムを奏でる手による音楽のお返しのように聞こえた。  「素晴らしいわ。こんなに上達したなんて。本当に、あなたを留学させてよかった」 「どうも、有り難う。わたし、有名な演奏家になれるかしら」  「大丈夫よ、絶対に。あなたは、素晴らしい演奏家になるわ」  母が、娘を褒めそやしていた。  私は、自分の母が、いつも、「子育ては、一つ叱って三つ褒め」と言っているのを思い出して、なるほどと納得した。  それが、初めての、その特徴のあるヴァイオリンの本格的な演奏と女声との接触だった。  私は、その夏の終わりに、両親にせがんで、念願のヴァイオリンを手に入れた。それは、国産のスズキ製の子供用の楽器だった。母は、電車で一駅の隣町にヴァイオリンの教師がいるのを見つけてきて、私を週一回通わせた。  しかし、この教師が、良くなかった。子供の私に、理屈も分からないままに、ただ、指の位置を教え、左手を捩じったり、右手での弦の操作を無理やり教え込もうとしたが、それは、私には苦痛以外の何ものでもなかった。あの、美しい音色は、このような苦痛から生まれるのだろうか、と暗澹たる思いに捕らわれた。  私は、二ヵ月程、通って、辞めた。いつまで経っても、曲を弾けなかったし、単調な和音の繰り返しでは、満足できなかったからだ。  母は辞めてしまった私に、何も言わなかった。  「厭なことを無理して続けることはない」  そういうのが、両親の考えだったし、息子に嫌がることを強要するようなことは、決してなかったのだ。  私の小さなヴァイオリンは、棚のなかに仕舞われて役割を果たすことがなくなった。それでも、高校、大学へと進む間に、時折、取り出しては、弾いてみることがあったがそれは、和音止まりで、曲を弾くまでには遠かった。  あの洋館の少女とは、それ以後、合うこともなく、名前も知らなかった。それが、わたしが、大学に入って、キャンパスを歩いている時に、突然、その声が聞こえてきて、驚いたことがある。彼女は、同じ大学で学んでいたのだ。  わたしは、同じクラスの友達からその名前を聞き出した。それは、「桃井玲子」という名前だった。彼女があるヴァイオリン・コンクールで新人賞に輝き、将来を期待されていたのに、法曹界に進もうと、大学は、法学部を選び、この大学に入ってきたことも、その友人から知らされた。  たびたび、行き交って、その顔を見て、私は「あの美しい音色を奏でていたのは、この人だったのか」と納得した。あの音の記憶は、このような音楽を奏でる人の、一定のイメージを私に与えたが、実際、その人は、このイメージ通りの人だった。  そのうちに、わたしは、友人にその女性を紹介された。そして、ヴァイオリンのコンサートにどちらからともなく、誘い、一緒にでかける仲になっていた。  前端貞子というその女性ヴァイオリニストの演奏会は、「チャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルト ニ長調 作品35とメンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルト ホ短調 作品64」の二作品だけが、演奏されるミニ・コンサートだった。  私が、子供のときに道端で聞いた楽曲は、すでに、レコードで、メンデルスゾーンのこの作品だと分かっていたが、改めて、その演奏を聞いて、この人の演奏の素晴らしさが、納得できた。それは、わたしの脳裏に焼きついていた、思いでの楽曲だった。  私にとって、ヴァイオリンとその女性は、そういう意味のあるものだったのだ)  だが、その女性とそういう会にいったのは、それ一回きりだったが、コンサートという文化的な経験を二人きりでしたということもあって、顔が熱り興奮していた。帰り道で自然と体を寄り添えることになり、  「休んでいこう」  というわたしの呼びかけに、彼女も応じて、ホテルに入った。  それは、一夜の関係だったし、わたしには、既に経験済のことだったから、特別な感情は湧かなかった。そういう感情を呼び起こすような対象となる女性ではないように感じていたのだ。すなまち、行きずりで関係してしまった、というような相手だと、わたしは、心のなかで、相手を見下した。  彼女は、処女だった。ことが終わったあとのシーツにその証拠が赤く残されていた。そして、言葉が少なかった。  「君はバージンだったのか」  と聞いても、ただ頷くだけだった。  そして、翌日から、わたしは、いつもの奔放な生活に戻り、彼女は入学した当初の最初の目的に向かって、一目散に勉強に打ち込んでいた。  たった一度のその優雅なデートでは、何事もなかった、ただ、音楽会に行き、そして、終わってから、さよならをしたのだった。    そういう思い出が、蘇ってきて、目の前にいる玲子を見た。わたしが、そのような思いを頭に描いていることなど、まったく、思い浮かばないような無表情で、  「警察が描いている犯行の構図を、これから、申し述べるので、異論があればいいなさい」  玲子は、そう言っていた。  「はい、わかりました」  わたしは、神妙に言った。まず、聞いてみようと、胆が座った。  玲子が、調書を読みながら、語りはじめた。  ーー 岩瀬太一郎は、会社を懲戒免職になって以来、定収入もなく、それが、原因で妻の慶子と離婚した。しかし、その直後から、多額の生命保険を慶子に欠けて、多額の保険金の取得を計画した。慶子は、交通事故で死亡したため、保険調査員の青山加代子が調査を始めたが、岩瀬と加代子は、以前からの知り合いで、愛人関係にあった。そのため、不審な保険も十分な調査が行われず、支払われたが、青山に半分を与えるとの密約をしたのを、多額の現金を見て、気が変わり、独り占めしようと、絞殺したーー。  「そういう構図です。違いますか」  それは、明らかに、わたしが  「違う」  と言うのを期待した言い方だった。  わたしは、はっきり、  「違います」 と言った。  「では、申しひらきを聞きましょう」  玲子は、立っていたのも椅子に腰掛けなおし、身を乗り出してきた。そのとき、こちら向きに風が、流れ、わたしの鼻を、薫香が刺激した。  (あの、冴えない勉強一筋の女が、色気を発散させている)  わたしは、自らの身の上の不幸とこのあの時代に無視した女との不思議な遭遇に思いを馳せ、運命の皮肉を呪った。  だが、彼女の気持ちは、むしろ、わたしに向かっていたようだ。  身を乗り出した仕種に、  (救いの可能性があれば、救ってやろう)  という気持ちが、現れていたようだ。  わたしは、言った。  「わたしは、その岩瀬太一郎とかいう者ではないし、会社も退職していない。妻は、良子という名だ。青山加代子と合ったのは事実で、保険金を口座に振り込んで貰ったのも事実だ。しかし、愛人関係ではない。一人占めしようなどと考えたことはない」  それは、半分事実が、半分は事実でない、という後ろ目たさがあった。  (一度、体の関係を結んだら、それは、愛人関係と言うのだろうか。たしかに、一人占めしようという意識はあった)  それが、供述に勢いを失わせた。 「では、なぜ、そのような大金を、見ず知らずの人妻に掛ける必要が、あったのですか」  それは、痛い質問だった。  たしかに、おかしい。岩瀬と言う男は、慶子の夫だった男だが、夫が保険金を掛けるのは、わかるが、全くの他人ーー慶子にはそうではないにしてもーーが、そんなに多額の保険を掛けることは考えられない。  わたしは、答えに詰まった。  「すると、まず、貴方は、自分が岩瀬太一郎ではないことを証明しないといけない。それが、第一歩ですね」  「その前に、何故、わたしが、その岩瀬太一郎と判断されたのか。それを、聞きたいが」  「それは、簡単です。加代子のアパートに、メモが残っていて、それに、岩瀬ー偽名口座とあり、銀行名と口座番号が記されていたのです。それに、岩瀬は、加代子のアパートに度々出入りしていたのは、目撃者がいます」  「そうですか、でしたら、この住所に連絡して、妻の良子を呼んで頂きたい。それで、全てがハッキリします」  「わかりました。でも、警察は、既にその点は確認しているのですがね」  「それから、会社に連絡して、わたしの在籍を確認してください」  「それも警察はすでにやっています。会社の回答は、そのような社員は在籍していないし、在籍した記録もないということだ、となっている」  そうか、この質問はまずかった、と後悔した。  (それは、そうだろう。殺人犯が社員から出たとなっては、商売にも差し支える。しかも人事部という表に出ないセクションだったから、いなくなっても怪しむものは、社員だけだ。そのうえ、岩瀬という名前で捕まっているらしい。これは、在籍を否認しておいたほうが良さそうだ、と考えたとしてもおかしくはない。それが、組織の存続の論理だ)  それは、これまでの長いサラリーマン生活から、十分に推測できる、あの会社の対応振りだった。  そして、わたしの会社での存在は、抹消された。それはまた、この社会での存在を否定されるのと同じことだった。わたしの存在を証明するものは、あとは、家庭しかない。わたしは、追い詰められていた。わたし存在証明は、良子の証言に掛かっている。だが、それは、会社とは違って、最も確実なもののはずだ。それは信頼していい。戸籍も住表もあるではないか。でも、そういう書類は、偽造もできるし、写真が添付されているわけでないから、なにより、妻の証言が全てを明らかにしてくれるだろう。  玲子は、妻の証言を聞く、と言ってくれた。それで、全てが、分かる。わたしが、岩瀬太一郎でないことが。  わたしは、そう考えて、すこし、心が落ちついた。  しかし、それも束の間だった。  (だが、警察はすでに、調べてずみだと言う。それでも、わたしのことが、岩瀬でないと言えないというのは、なぜなのか)  また不安が、湧いてきた。  わたしは、酷い恐怖感に教われた。それは社会での存在を否定された恐怖だけでなく回りの信頼してきた人々全てが、裏切り、わたしを見捨てているという恐れだった。  その夜、わたしは、たった一人で、ロケットに乗せられ、宇宙に放出される罰を与えられた囚人の夢を見た。それは、まさに、わたし自身で、ロケットに乗せられるときのその顔は、苦痛で歪んでいた。それは、わたしの心をそのまま映し出したような顔だった。    翌日、妻が呼ばれてきた。  調べを受けている調べ部屋の隣の部屋でマギック・ミラー越しにわたしの姿を見た良子は、  「見ず知らずの人ですね。わたしの夫とは違います」  そう証言したと、玲子は言った。  「夫の高橋一郎は、三カ月前に家を出ていったまま、帰ってきません。家出人の届けを出そうと思っていたところです、と言っているわよ」  そう付け加えた。  わたしの最後の頼りの綱が、切れた。わたしは、わたしではなくなった。  「だから、あなたは、岩瀬太一郎なのでしょう。書類のうえではね。一郎君」  その声がそう言ったあと、急に甲高くなり、向こうを向いて、笑い声に変わった。  しばらく、笑い声が続いたあと。  「わたしが知っている、貴方とは違う人格になってしまったわけだ」  とぽつりと言った。そして、  「これから、一対一で調べるから」  と脇にいた検察事務官を退席させた。  「わたしはね、高橋君、あなたのことは、忘れていないわ」  「わたしも」 を言ってみたものの、ほんとうは、さっき、やっと思い出したのだった。  「初めての人だものね。わたしの青春は、ヴァイオリンの練習と司法試験の勉強という辛さと苦しさで一杯だけど、そのなかに一つだけ、忘れられない楽しい思い出があるのよ、それは、わたしを、少女から女にしてくれた男の思い出よ。久し振りに素晴らしいコンサートに行って、その楽しさの余韻を抱えたままその夜、わたしは処女をその男に捧げたの。それは、わたしが考えていたとおり、やり方だったわ。高校時代から、友達が経験を語るのを、影でひっそりと聞いていて、いつか、わたしもと思ったのに、ヴァイオリンで名前が出てしまったりしたから、その思いも遂げられずに、大学生になってしまい、わたしは、焦っていたの。だれでもいい。早く経験してしましたい、と思っていたのに、皆、わたしを誘う勇気もない、もやし見たいな男ばかり、そのとき、颯爽として、外車に乗った一郎君が現れて、願いを叶えてくれたの。そういえば、あなたは、そのたか高橋一郎君と同じ名前だというのね」  「そうですよ。わたしは、その高橋一郎です」  「でも、岩瀬太一郎となっているではないの。わたしは、岩瀬を調べているのよ」  「でも、わたしは、岩瀬ではないと、何回も言っているでしょう」  「しかし、反証が一つもない」  「・・・・・・・・・・・・」  「わたしが、調べてあげようか」  玲子は、そういって、わたしを自分の方に招く仕種をした。  「背の高さと言い、胸の厚さと言い、高橋君そのままなのに」  玲子は、わたしの首に両手を回して、唇と近づけた。  そして、優しく、目を閉じて、  「ねえ、キスしてみて」  と言った。  わたしは、それに応じて、上から、唇を玲子の薄い唇に重ねた。  始めは、優しく、柔らかく、歯を閉じたまま、唇を重ねていたが、わたしが、体を引き寄せると、玲子は、舌を入れてきた。  息が激しくなり、体温が上昇した。鼻息がわたしの頬を撫でた。  熱い抱擁と、激しい口付けが、悠久の長さのように感じられるほど続いた。  そして、流れ出た唾液をわたしが、綺麗に拭って、ふたりは、口を離した。  「ああ、やっぱり、あなただわ。あの時と変わらない」  「だから、わたしは、岩瀬ではないのだ」  「わかったわ。では、どうして、それを証明するかを、一緒に考えることにしましょう」  玲子は、わたしの冤罪を晴らす戦いに、参戦することを誓ったのだった。                二  翌日の調べで、玲子は、  「あなたは、被害者の青山加代子の顔写真が違う、と言っているけれど、それは何故なのですか」  「それは、わたしが知っている加代子とは、まったくの別人だからです」  「証拠物として添付された写真は、家にあったアルバムから取られたものです。それは、死体の顔と一致しています。そこまで、物証が揃っているのですよ」  「でも、違います」  そういうやり取りがあって、玲子は、写真の再調査を警察に命じた。  「それから、慶子の交通事故は、加代子に知らされたと言うことですが、慶子との関係は」  「それは、友人でした。貴方もご存じではないですか。同じ大学だったのだから」  「学部が違えばわかりませんよ、彼女は何学部ですか」  「文学部です。わたしと同じですから」  「大学時代からの友人が、どういう関係でこれまで続いたのですか」  玲子の口調が、厳しくなった。  「それは、ある日、彼女から電話が掛かってきて、再会したのです」  「どの程度の仲なのですか」  「まあ、親しいと言うことでしょう」  「肉体関係はあったのですか」  玲子は、検察官の口調になって、尋問してきた。  「ありました」  「何回くらい」  「覚えていません」  「覚えていないくらい、多かった」  「そうです」  「頻繁に、合って、セックスした」  「そんなに頻繁ではありません」  「週に何回くらい」  「二、三回です」  「それは、頻繁ですね。だから、奥さんとの仲が悪くなった」  「悪くはないと思います」  「ではなぜ、あなたを本人だと認めないのですか」  「それは、分かりません」  そこで、玲子は、大きく溜め息をついて、タバコに火を点けた。  「交通事故で死んだ、慶子さんの写真を手にいれました。念のために確認してください」  わたしにその写真を見せた。わたしはそれを見て、わが目を疑った。  それこそ、まさに、わたしが、会った青山加代子の顔だったからだ。  「それが、加代子ですよ」  「なに、すると、あの顔写真は誰のものなのだい」  多くの疑問が、わきあがったが、そのなかにわたしが陥れられた事件解明の鍵が隠されていそうだった。  その日の調べを終えて、わたしは、留置所に帰り、ひたすら、考えた。  (青山加代子の顔は、わたしの会った加代子のものではなかった。そして、死んだ慶子の顔は、青山加代子の顔だった。わたしは、加代子が殺されたという時間に、青山で加代子らしい人を見かけている)  人が入れ違っていることは、確かだが、それがどう言う意味を持つのか、皆目、分からない。  (わたしが会った加代子は、誰なのか。加代子と慶子の接点は何処にあるのか)  そう考えて、思い当たったのは、かつて慶子が連絡先と教えてくれた電話番号が、加代子のものと同じだったという事実だ。そこに、この難問を解く鍵が覗いていそうだった。  すべては、この電話番号の電話があるアパートの部屋に秘密が隠されているように思われた。  (わたしは、こうして拘束されているから、部屋を調べに行くことは出来ない。だれかに頼めないものか)  (そういえば、玲子は、証拠の写真がある、としていたが。それは、どいうものなのか。その点を明日は、聞いてみよう)  そう決心して、やっと、うとうとしはじめた。    翌日の調べでわたしは、玲子にこう主張した。  「もし、わたしが犯人として、何か物証があるのですか。部屋に指紋が残されいたとか、吸い残しのタバコの吸殻から、唾液が検出されたとか。加代子の性器から精液が検出されたと。あればそれを示してくださいよ」  玲子は、書類を探っていたが、  「合う指紋はない。タバコもなかった。精液は検出された。だが、貴方のDNAとは一致していない」  「そうでしょう。だから、物証はない」  「しかし、写真があるのです。あなたが、加代子と性交している写真と、その前に貴方が写した加代子の写真がある」  「わたしが写したのですか。それは、覚えがないしあり得ないことだ」  「これがそうですよ。加代子が、Vサインを出して写っている。犯行の日と同じ日付が下に入っているでしょう。そして、これは、貴方が後ろ向きで加代子とセックスしている写真。これは、どういて撮られたか、言えませんが、貴方と加代子に違いないでしょう」  それは、不明瞭な写真だったが、後ろ向きの顔の輪郭は、わたしに似ていたし、裸で横を向いて、男の体のうえで、天を仰いでいる女は、加代子のようだった。  「このあと、加代子は、殺害された、首を締められてね。死亡推定時刻と一致するわね」  「・・・・・・・・・」  「もう一つ、面白い物を見せてあげましょうか。このフィルムには、交通事故で死んだ慶子さんの写真も写っているの。しかも、加代子の写真の前にね。これがそうよ」 玲子は、その写真をわたしに見せた。  慶子の写真は、加代子の写真の前の番号に写っていた。日にちも数日前だった。  「その日にちは、慶子が交通事故で亡くなった日だから、もう一ヵ月以上も前でしょう。着衣は事故の写真と一致しているわ。だから、この写真は、慶子が死んだときと、加代子が殺された日に撮影された。あなたには、死んでほしい女を写真に撮るという趣味があるのかしら。それとも、偶然かしら」  「わたしには、そういう趣味もないし、第一、写真を撮る趣味もない」  「そうね、わたしが、知っていたあなたは、そういう趣味はなさそうだったわね」  「助けてくださいよ。たのみますよ」  「わたしは、あなたの取り調べ検事なのですよ。事件を立件できなければ、再捜査を命じなければいけなくなる」  玲子は、冷たく、突き放した。  わたしは、気が狂いそうになった。わたしを助けてくれる者はいないのか。なにか、救い道はないのか。どこかに、この苦境を脱出できる道がありそうだが、その時のわたしには、まったく、わからあかった。    拘置も五日目となって、わたしは、寒い拘置室の中で、夢を見た。それは、恐ろしい夢だった。  ーー わたしは、荒野に立っていた。そこに来たのは、確か、一人の女性と一緒だったが、その時は、彼女は、いなかった。つい、少し前まで、彼女は、一緒に砂漠を渡った。照りつける太陽の熱と光で、喉は渇きに渇き、肌は焼けついていた。あせが、身体中から吹き出ていたが、すでに、それを吸い取るタオルやカンカチは、汚れ果て、役に立たなくなっていた。一緒にいた女は、妻の良子の様な顔をしていた。感受性が鈍いがこういう苦難には耐えていける。そういう表情をしていないときはない良子の無表情な顔が、この砂漠では、違って、逞しく見えた。  一緒に、砂漠を走ってきて、いま、彼女がいないのは、わたしのせいである。わたしは、彼女の忍耐に付いていけなくなっていた。持久力も、苦痛に耐える力も、彼女の方が上だった。砂漠に入って、三日目に、彼女は、  「水と、食料を探してくるから」  と言って、足手まといのわたしを置いて、先に行ってしまったのである。  わたしは、  「帰って来るから動かないで」  という彼女の言葉を無視して、歩きだした。歩かなければ、不安だった。先を急いだ彼女のいる方向へ向かって、歩いていたが、いくら行っても、砂漠の連続だった。歩くのに疲れ果て、砂の上に倒れ込んで、天を仰いだ。そこには、はげ鷹が舞っていた。  疲れ果て、いまにも、息を引き取ろうとしている、わたしに死臭を感じたのだろうか、鷹は、舞うことを止めない。大きく円を描いて、天上を舞っている。太陽がその円の真中にあって、汗で滲んだ体を射ていた。  わたしは、死のうとしていた。誰も話すもののいない荒野で。誰も見取るもののいない砂漠で。たった一人で、死にかかかっていた。意識が、薄れてきて、閉じた瞼に、光が差して、黄金の像が現れ、わたしを冥界に誘った。わたしは、行こうとして、足を上げようとしたが、重りが付いたように動かない。足が上がらないのだ。  もがいているうちに、黄金の像は、だんだんと小さくなり、遠くへと去っていった。 わたしは、必死で像を追ったが、いくら走ろうとしても足が付いてこない。もどかしさの中で、苦闘しているうちに、はげ鷹が群れはじめ、わたしに襲いかかってきた。わたしは、目を閉じて、大声を上げた。  その瞬間、自分の叫び声で、わたしは、ハッと目覚めた。  あさが、びっしょりだった。  疲れが、おそっ来た。  わたしは、そうして、目覚めたあと、壁際の小さな窓に光が差し込んでくるまで、まんじりともしなかった。その朝、わたしは、気分が悪かった。  気分が悪く、頭痛がした。頭じゅうを締めつけるような痛みに、頭を抱えて、うずくまっていた。その不快感は、わたしが、  (なぜ、妻の良子は、わたしを、わたしと認めなかったのだろう) という疑問から、始まっていた。   たしかに、わたしは、良子を、蔑ろにしてきたかもしれない。感受性の薄い女だと諦めも手伝って、本当は、人並みに持っていた男としての女への情熱を、良子には、向けなかった、という反省もある。だが、ああして、夫を認めないというような、強烈な仕打ちをされるとは、思っても見なかった。子供を作り、子育てをしてきたのは、確かに良子が中心だったかも知れないが、わたしだって、そのための費用を必死で、稼ぎだして来たのだ。給料は、手を付けずまるのまま、やっていた。夫として父親としての務めは果たしてきた、筈だ。  と、思い至って、果たして、本当に夫としての務めを果たしてきたのか、と自信が少し、崩れた。それは、もう、五年も妻とのセックスが、なかったからだ。だが、それは、妻の方の都合だった。わたしは、時折、妻に誘いを掛けた、良子は、  「疲れているから」  とか、  「もう、子供が出来たから、したくない」  と言って、取り合おうとしなかった。  要するに、良子は、セクウスが嫌いで、その上、不感症だった。  そのことと、今度の「無視」は、同じ根っ子を持っているのではないだろうか。  では、無視して、自分はどうやって生きていくつもりなのだ。わたしがこうして、逮捕されて、会社も辞めさせられて、良子は、生きていく術があるのだろうか。そういう心配が、また、頭をきりきりと苛み、痛くさせた。  だが、一刻も早く、この苦境から抜け出して、家に帰るのが、わたしの最大の目標になっていたのは、それが、当然の毎日の日常だった時と違って、素晴らしいことに思われた。家に帰れるのが、最高の喜びだということが、こういう監禁生活を強いられている者にとっては、驚きでもあった。  (そうだ。無実を証明して、家に帰らないといけない。そうしなければ、良子が、なぜわたしを無視したかの疑問も、冤罪も晴らせない。とにかく、外に出て、真相を追求しないといけない)  わたしは、強く心に、決めた。あの玲子なら、この気持ちを理解してくれるのではないか。もともと、物証がない逮捕なのだ。行き過ぎた捜査だったのだ。無実の者を冤罪の淵に陥れることは、警察にはよくあることではないのか。検察はそれを理解してくれるはずに違いない。わたしは、玲子の最後の望みを託すことにした。そうすると少し、心が軽くなった。玲子が、担当検事なのは、正に、天の助けだ。こんな偶然は滅多にないだろう。それが、わたしの運の強さの証ではないか。神は、見捨てていない。  わたしは、絶対に、このなすられた罪を晴らしてやる。だれかがわたしを陥れた。その陥れた者が、真犯人なのだ。その気持ちが、わたしを、自白から遠ざけ、意思の強さを持たせた。  翌日の調べで、玲子は、  「自白が無くても起訴は出来るのよ。状況証拠は十分なのだから。動機もあるし、アリバイはない。一つだけ、物証がかけているだけ」 と、わたしの目を見つめていった。  「そうだ、指紋もDNAもわたしのものは見つかっていない。それだけで、わたしがあの部屋に行ってないことは、はっきりしているだろう」  「でも、そういうことはありうるわ。部屋を借りておいて、滅多に使わないという事は、ありうることだわ」  「では、加代子の体内から見つかった、精液はどうなんだ。わたしのではないことが化学的に証明されているだろう」  「たしかに、一致はしていないけど、セックスしても、射精しないということはあり得ることだわ。でも、貴方以外の男の精液がそのあと入ったと考えるのは、無理があるわね。死んだあと、入れるしかないのだから。でも、それは、できないことではないわよ。死んだ体に、あなた以外の人が、近寄れるという可能性があればね」  「そうではない。その精液の男が、犯人だろう。その方が考えかたとして自然だ」  「では、目撃と写真は」  「似た奴写っていただけだ」  「そういえば、横顔だし、ハッキリしていないのは確かね」  「だから。わたしではないのだ。頼むから出してくれよ。真犯人を絶対、捜し出すから」  「それは、警察の仕事よ。ただ、確かに証拠が少なすぎるとは言える。これでは、公判を維持できないかもしれない」  わたしは、玲子の方に身を乗り出して、耳元で囁いた。  「絶対、満足させるから」  と言って、片目を瞑った。  玲子は、  「上席検事と事案を検討します。検討会は、明日、開かれるので、その場での結論待ちですね。起訴猶予か、不起訴になる可能性はあります。警察には、汚点ですから、捜査をやり直すことになるでしょう」  それだけ、言って、片目を瞑った。  そして、耳元に、口を寄せて、  「わたし、まだ、一人よ。あなたの真犯人探しが成功したら、お祝いを、しましょうね」  と言って、調べ室を出ていった。  翌日の検察官会議で、わたしは釈放されることに、決まった。  わたしは、留置所から、解放され、娑婆に出た。  先ず、目指すべき場所は、わが家、マイホームだった。                  三  わたしは、二週間ぶりに、自宅に帰った。  妻の良子は、迎えにも来なかったし。玄関を開けて、部屋に入ると、迷惑そうな顔をして、  「あら、帰ってきたの」  と目でしゃくり上げた。  わたしは、応接間のソファーに腰掛けて、良子に言った。  「なんで、俺のことをしらないといったんだ」  良子は、平然として、  「何のことなの。それ」 とさも、無関心を装って、言い放った。  「何のことだと。よくもそう言って、しらばっくれられるな。おれが、警察の留置所にいるとき、首実験に来ただろうが」  「ああ、警察になんて、行かない、あんたを見たなんてことはないわ」  「俺を見て、わたしは知らないと言ったんだろう」  「知らないわよ。だれが、そんなことを言っているの」  「検事がそう言っていた。お前が、俺を知らないと言ったと」  「何かの間違いじゃないの。わたしは、覚えがないのよ」  そうまで、しらをきられては、わたしとしても、追求する言葉を失った。しばし、沈黙の時が流れた。  「では、聞くが、おれが、いなくなって探さなかったのか」  「探したわよ。会社に電話して、聞いたけど、既に帰りました、と言うだけ。それより、欠勤になるから、届けを出して下さい、とまで言われたのよ」  「それで、出したのか」  「仕方ないから、出したわよ」  「それだけか」  「そうよ。どうせ、その内、帰ってくると思っていたから。やっぱり、その通りになったわね」  良子は平然と言った。  普通、一家の主が、帰宅せず、行く方がわからなくなれば、家族は必死で探すのではないか。それが、常識だろう。それが、この女は、平然として、待っていたのだというのだ。  わたしは、唖然とした。それほどまでに、われわれ夫婦の間には隙間が出来ていた。それは、分かっていたが、判然としてはいなかった。それが、こういう異常な事態では、くっきりと、浮きだされて、明瞭になる。言葉ではなく、行動が、すべてを雄弁に物語っていた。  それは、離婚という結論に、事態を導いてもおかしくない状態だったが、不思議と、何方からともそれを口にすることはなかった。  なぜ、離婚をしないのか。わたしは、聞いてみたかったが、自分の方から言いだすのは、降伏するようで、悔しく、相手からの申し出を待つつもりだった。だが、良子は、そうしなかった。その結果、二人は、冷えきった関係を持て余しながら、一緒に暮らしていくことになっていった。  良子は家事は、怠らなかった。朝はしっかり、朝食を用意したし、掃除もわたしの衣類の洗濯もきちんとかたずけていた。だが、夫婦の関係は、まったく、疎遠だった。  わたしは、そういう状態は、楽だと言う感じもして、そういう安楽な状況に、どっぷりはまっていた。  ただし、やるべきことは、山積していた。  まず、冤罪を晴らさないといけない。それには、捜査機関が握っている、情報を先ず我が物にするのが、先決だった。  わたしは、玲子に電話して、時間を取ってもらった。  仕事が終わったあと、赤坂のホテルのラウンジで待ち合わせた。おいしい焼き肉屋を知っていたので、そこで、食事を共にするつもりだった。  待ち合わせ時間に、玲子は寸分遅れずに、姿を表した。そういう、律儀な性格は、学生時代から変わらない。検事になっても、その仕事ぶりは、理詰めできちんとしていることが伺われた。  焼き肉屋に一緒に言って、差し向かいに座ると、さすがに、学生時代とは違って、すでに、いい歳をした熟女だけに、匂うような輝かしさがあった。  「すっかお世話になってしまって、済みませんね」  「いえ、仕事ですからね。厳しいことを言ったけど、許してください」  玲子は、すっかり、おとなしい女のたしなみをみせるひとりの女性に変身していた。 「わたしは、この冤罪を自分の手で晴らすつもりです。そのために、協力してもらいたいと、お誘いしたのです」  「まあ、真実の追求のためには、出来るだけお手伝いしますよ」  ワインを頼んで、乾杯した。  「あまり。お酒は強くない」  という玲子は、  「それでも、おのお酒はおいしいわ」  とかなりの量を飲んだ。一時間も経つと、焼き肉を腹一杯食べて、かなり満腹した。 わたしは、作戦は成功したと感じた。  (あとは、玲子を、誘い、男と女の自然の成り行きに任せるだけだ)  焼き肉屋をでて、赤坂の一つ木通りを一緒に歩いているうちに、西洋のお城の形をしたラブ・ホレテのネオンが目に入った。わたしは玲子に囁いた。  「すこし、休んでいこうか」  玲子は、すなおに頷いた。  玲子は、既にかなり泥酔しており、体がぐにゃぐにゃの状態だったから、部屋に入ると、わたしは、彼女をベッドに横たえて、一人で、バス・ルームに行き、湯を入れた。 湯船に湯が満たされる間、わたしは、ベッドの横に座り、玲子の寝顔を見ていた。それは、少女のような無垢な寝顔だった。  (毎日、凶悪な犯罪者と相対していると、神経の休まる暇もないだろうに)  荒々しい、日常から、逃れる、一時の快楽を、この女性も望んでいるに違いない。わたしは、そう確信して、これからのめくるめく時をいかに充実させるか、期待に胸を弾ませた。  湯船に湯が満たされ。わたしは、先に入ることにした。湯の温度を丁度、いい温度にしてから、玲子を起こし、一緒に、入ることにしたかった。  すこし、熱めの湯に水を入れて、やや温めにした。そのほうが、酔っている人には、入りやすいだろう、と判断した。  玲子を、呼びに行ったときは、わたしは、当然全裸だった。  「おい、そろそろ、起きて、風呂に入らないか。そうすれば、酔いも覚めるだろう」 わたしは、玲子の体を揺すった。目を覚ました玲子は、  「いいけど、わたしは、めろめろ。連れてって、くださいな」  とすがりついた。わたしは、しかたなく、玲子のスーツを脱がせ、スカートとブラウスも脱がせてた。残っているのは、ブラジャーとパンティーだけになっても、玲子は自分では何もせず、わたしが脱がすのに、ただ、従っているだけだった。  わたしは、着せ替え人形の着物を換えるように、玲子の下着を外していった。ブラジャーは、しゃれたフロント・ホックんのもので、二つの乳房の間に食い込んだ前部の中央部のフックを外すと、小さいが形のいい乳房がこぼれ出た。乳首は、黒くなく、やや濃いピンク色で、この歳の女性には珍しい程、崩れていいなかった。それは、彼女の男性経験の少なさを物語っていると、わたしは、考えた。  上半身を、覆っていたものが、全て、取り払われ、残るは大切な部分を覆い隠しているパンティーだけになった。わたしが、それに手を掛けると、玲子は、体を上げて、脱がしやすいように、協力した。引き下げると、その部分は、素晴らしく黒々とし、炎のように、燃えあがった形をしていた。玲子の華奢な体付きからは想像も出来ないような見事な陰毛が下半身の一番大切な部分を覆っていた。  それは、その本人の、強い意思と強烈な自意識を象徴しているのではいか、とわたしは、感嘆した。  玲子は、すっかり生まれたままの姿になって、やっと、自分の力で行動した。  そのまま浴室に入り、湯を浴びて、体を流した。わたしは、湯船に入って、その様子を眺めていた。  「入りますよ」  玲子は、湯船に入ってきた。肌が、触れた。最初は、太股がわたしの脛に触れた。それは、柔らかい肌触りだった。そして、座っていたわたしの股の上に、尻を落として、わたしと向き合った。  「ああ。気持ちがいい。最高の気分だわ。最初にあなたと、関係したときを思い出すわ」  言葉使いが、堅苦しい。  わたしは、目の前に浮かんでいる、乳房を両手で持ち上げて、頭を下げて、唇を持っていった。ほどほどの柔らかさで、両手に丁度いい重さと大きさだった。わたしは、乳首を嘗めた。うっとりとしていた玲子の顔が、一瞬、引きつって、眉を歪めた。  「それは、感じるわ」  玲子はわたしの、顎を手で引き寄せて、自分の口に持って行った。わたしは、玲子の口を下にして、思い切り、口をこじ開け、舌を入れた。  粘液が絡み合って、口の中を刺激し、それが、脳に登って、興奮が高まった。  玲子はそのまま、右手をわたしの股間にあて、硬くなりはじめたものを触った。わたしも右手を玲子の深い部分にあてがった。そこは、既に濡れはじめており、なかの厚さが指に感じられた。それを感じて、わたしのものは、さらに、硬度を増した。  「ここで、いれるかい」  わたしの問い掛けに、玲子は、目を閉じて、頷いた。  わたしは、玲子の体を抱え上げ、両足を胴体に回すと、両足を揃えて、硬直したものを下から、探って、玲子の中心に突き入れた。  玲子の顔が、また歪んだ。だが、下半身は、受け入れたものを、逃すまいとするかのように、静かに沈み込んで、上下動を始めた。湯面が騒いで、湯船からこぼれ出た。  玲子は、糸を引くような、喜びの声を上げた。  「ああー。ああー。いいわー。すてきよー」  玲子の腰使いは、その声が、徐々に登り詰めるとともに、激しくなり、山を登りはじめた。それは、八号目辺りで、呼吸を整え、わたしが、その後を、押し上げると、一気に登り詰めて、脱力した。  顔がすっかり紅潮し、身体中から、汗が、吹き出た。それが、また、滑らかな女体に彩りをそ添え、美しくしていた。  風呂から上がって、互いに体を拭き合った。そして、ベッドに入って、互いの体に掌で愛撫を加えると、第二戦の臨戦体勢は、すぐに整った。  それは、長い、互いの旅路で、何度も、山を登り、下った。  三時間にもおよぶ愛の儀式は、互いの心の壁を取り払い、互いの信頼感を確かめて、体を通じて心を一体にした。  行為の後の気だるさのなかで、玲子が聞いた。  「あなたがこう言うことをしたのは、事件の手掛かりを得たいからでしょう。なんでも聞きなさいよ。教えてあげるから」  「そうだ。それもある。まず、あなたの考えを聞かせて貰えないか」  「そうね、警察の調べが全て間違いで、あなたの言うことを全面的に信じるとして、書類の写真と、貴方の記憶した本人と違うというところが、ポイントではないかしら」 「そうか、では、整理してみよう。わたしが見た慶子の事故写真は、加代子だった。そして殺された加代子の写真は、見ず知らずの女性だ」  「そして、加代子が慶子の死亡を原因とする生命保険の受取を貴方に要請してきた。そして、あなたは、そんな保険は掛けた覚えがない。だが、保険金は欲しかった。そういうことね」  「それを言うなよ。いかにも、おれが、金欲しさで、犯行に及んだ見たいではないかい」  「警察はそう見ているのよ」  「となると、わたしの他に誰が、金を欲しがっていたかも、ポイントだな」  「その、名義人の岩瀬という人はどんな人なの。あなたが、そう誤認された人は」  「わたしは、慶子の前の夫ということしか知らない。なんでも、新聞社に勤めていて最近、解雇されたとかいう話だった」  「では、会ったことはないわけね。それで、慶子さんとはどういう関係だったの」  「だから、夫だったんだ」  「そうじゃないわよ。あなたと慶子さんの関係だわよ」  「学生時代の同級生だ」  「じゃあ、わたしと同じだわね」  「知らないかな。知らないだろうな。君も慶子もそう目立つ方ではなかたったしね」 「そうか、だから、どこかで見たような気がしたんだ。加代子さんの写真を見たときに」  「そうだろう。だから、あれは、慶子なんだよ」  「でも、もうかなり昔の話だから。忘れてしまうわよ。それに、女は化けるから」  「そういれば、君も変わったものな」  「どういう風に」  「美人になった。それに、落ちついているし。果物なら熟し柿っていうところだな。甘くて、頬が落ちる」  「そろそろ、干し柿になるわよ」  話は、違う方向に向かいだした。  「話を元に戻すと、そうすると、岩瀬と慶子の行く方を探すのが近道のようだね。これは、難しいが。それから、加代子の正体を調べないといけない。なにしろ、慶子と加代子は本当に良く似ているんだ。なにか関係があるのではないかな。加代子の生まれ故郷に行ってみることにするよ」  「それがいいかもね。犯罪の裏には、必ず、生まれ育ちの背景があるものよ。それが、解明できるかもしれないわ」  「一緒に行ってくれるかい」  「どこまで、甘えん坊なの。わたしは、仕事が忙しいけど。今の仕事もそろそろ飽きてきたんだ。辞めて、弁護士にでもなろうかと思っているの。いい機会かも、知れないね。付き合って上げましょうか」  「それは重大な決断だよ。人生の一大事を、わたしのために決めてもいいのかい」  「いいわよ。どうせ、わたしは、一人なんだし。そろそろ辞めようかと思っていたとろだし、それに、貴方の役にたつのは嬉しいわ。だって、初めての男は、女は忘れられないものなのよ」  「有り難う」   「慶子と加代子」                 一    三日後、私達は、福島に向かった。  上野駅から東北新幹線の「あおば十二号」地下ホームから出発する。玲子は、薄手のセーターにスラックスの軽装だったが、ジヴァンシーのサングラスが洒落ていた。ニナ・リッチのプチ・バッグを肩に掛けた玲子は、地下ホームでわたしを見かけると、  「はーいい」  と右手を振った。  晩秋の陸奥は、寒さが一気に増す。  「そんな軽装で大丈夫かな」  と座席に座っていったわたしに、玲子は、  「大丈夫よ。体だけは丈夫なのです」 とおどけてみせた。  白河を越えて、福島に近づくと、梨畑が広がり、そろそろ梨が実を付け出していた。 福島駅をおりてから、タクシーを拾い、西へ向かった。  白田加代子の家は、福島から、西へ入った温泉の麓にある。その家は、大きな果樹農家だった。  広い庭から大きな玄関の前に立ち、  「すみません」  と声を掛けると、しばらくして、老婆が現れた。  「こちらは白田さんのお宅ですね  わたしは、丁重に挨拶した。  「そうですが」  「先日、お電話した者ですが。白田加代子さんのご実家ですよね」  「はいそうです」  「それで、少しお伺いしたいのですが、宜しいですか」  老婆は、中に招き入れてくれた。  上がり框に座って、出されたお茶を飲みながら、話を聞いた。  「加代子さんは、もう大分姿を見せないのですか」  「そうですね。もう三年も帰ってきません。何をしているのかと、心配しているのですが」  「加代子さんは、お宅のお嬢さんですよね」  「はいそうです。娘です」  「ご家族の状況を。差し支えなかったら話して戴けませんか」  「わたしの家は、夫の康夫と娘が一人の三人家族です。でも娘は東京に出て、いまは、年寄り二人の生活です」  「加代子さんは長女ですか」  「いえ、次女です。上にお姉ちゃんがいて。でも、わたしには、加代子が長女ですけど」  「と言いますと」  わたしの質問に、玲子が、  「奥さんは後妻に入ったのですか」  と口を挟んだ。  「そうです。先妻さんは、離婚して、娘を残して、家を出たのです。そこへわたしが入って、加代子が出来た」  「その上のお嬢さんは、どうしていますか」  「それも、中学を出てから東京に出ていた先妻さんの方に引き取られて、ずっと会っていませんよ」  「済みませんが、お嬢さんの写真でもありましたら。見せて戴きませんか」  老婆は、奥に引っ込んで、アルバムを持って、戻ってきた。  「さあ、どうぞ」  差し出したアルバムを繰った。  そこには、家族旅行の写真はなく、ただ、小学校や中学校時代の集合写真が張ってあるだけだったが、加代子の顔には、印がしてあり、すぐに分かった。  その加代子は、わたしが会った加代子で、死んだ加代子ではなかった。  中学の卒業写真には、二つの印があった。加代子でないほうの顔を見て、わたしは驚き、玲子に、見せた。  「これは、慶子だよ。間違いない」  「そうかな。わたしは、大学時代にちょっと、見かけただけだからわからない」  「そういえば、彼女は、大学時代はこういう髪をしていた。最近は、違っていたけどね。顔は間違いないね」  わたしは、老婆に聞いた。  「この女性は、なんていう名前ですか」  「いまは、岩瀬慶子と言うのではないですか。年賀状だけは、お父ちゃんの所へ来ていたようだから」  少し、謎が解けてきた。慶子は、いま何処にいるのだろうか。そして、その離婚した相手の夫は。  「慶子さんは、何処にいるかわかりますか」  「ですから、それは、年賀状を貰うだけだから」  「では、加代子さんと慶子さんは、中が良かったですか」  「それは、本当に仲が良かったですよ。背恰好も顔も良く似ているし、誰も、母親が違うのは、分からなかったでしょう。まるで、双子のようだ、と近所の人は言っていましたよ」  また、謎が、少し解けた。  「すると。加代子さんも、居場所が分からないのですか」  「いえ。昨日電話が会って、元気でいるからねと言っていました。それから、お金を送ると。わたしは、気を使わなくいいと言ったのですが。口座番号を教えてくれと言うので教えしました」  わたしは、ピンと来た。  (それは、だまし取った保険金だ。加代子は生きているのか。金を送ってくれば、送金元がわかる。それが、居場所を突き止める手掛かりになるかもしれない)  「済みませんが、送金があったら、送金元をおしえて頂きませんか。加代子さんの行方を知りたいのです」  「あの娘が、何かしましたか」  「その、お金の事で、すこし、トラブルに巻き込まれたようです。犯罪に絡んでいるのかも知れません。それで、この検事さんも一緒に伺ったのです」  老婆は、渡した名刺を眺めなおしていた。わたしの名刺は、渡さなかった。そのかわり、玲子の調査に付いてきた、事務官のように装った。  老婆は、  「わたしもどこにいるのか、知りたいので、連絡します」 と約束した。  福島駅にはそのまま行かず、赤湯温泉にはいろうと言うことになって、タクシーで、山を登っていった。  山の中腹のその温泉は、鄙びた湯治場で、陸奥の旅情をかき立てた。  われわれは、食事をして、風呂に入りたいと、頼んで見た。  「こちらは、混浴になっておりますので、いつでも入れますよ」  宿の女将は愛想がよかった。  川魚料理の昼食をしてから、二人で、露天風呂に入った。山々は、徐々に紅葉を始めていた。所どころに見える赤い葉を数えながら、ゆったりとお湯に浸かっていると、天国の気分がした。  玲子の白い裸身に、紅い葉が、一ひら舞い落ちて、止まった。  (慶子と加代子は、異母姉妹だった。そこに事件の鍵がある)  わたしも玲子も確信を深めた.  玲子の刑事事件担当検事としての見解は、  「加代子か慶子かどちらかは生きているね。その生きている方が、この事件の首謀者だわね。電話があったというのが、加代子なのか、慶子なのか。それを探って見ることよ」ということだった。  二人きりの湯船で玲子は、ずっとわたしの側に身を寄せていた。そして、互いに長い間、目を見合せ、接吻を繰り返した。その感触が、加代子との情事を思い出させた。加代子は、そのあと、一編の小説を寄越した。  (そうか、あれは、そういう、謎だったのか)  人相風体が同じ女の物語が語りかけていた謎はこれだったのだ、気づいて、また、一つ真実の扉が開かれたと感じたのだった。           二      わたしの開設した偽名口座から、また、金が引き出されたのが、判明したのは、頼んでおいた銀行関係者が警察に連絡してきたためだった。  それは、検察庁にも連絡され、玲子が、わたしに知らせて来た。  「昨日、CDでカードを使った引き落としがあったの。防犯カメラに姿が写ったていたそうよ。中年の女でサングラスを掛けていた。背丈や人相は、慶子に似ているという。見てみる」  わたしは、早速、警察に向かった。慶子が、迎えてくれた。  刑事部屋の連中は、既に、わたしを調べた男達だから、よく覚えていた。  「あんたの潔白を証明するものではないがね。女が絡んでいる事だけは間違いなさそうだ。これ、覚えがないかね、覚えがないとは言わせないが」  それは、取り調べだった。  「はい、これは、間違いになく。岩瀬慶子です。いや、離婚したから、名字は変わっているかもしれない。だが、わたしが、昔、付き合ったことのある女です」  「そうか、住所は」  若い刑事が、追求してきた。  「分からない、わたしも探しているところです」  「それは、われわれが、探しだすよ。手掛かりは、ここでは、言えないが、ちゃんある。見つけ出したら、楽しみだな。なにしろあんたの名義のカードを使っているのだからね。あんたとの共犯関係を自供させてやるよ」  警察は、まず、CDコーナーの古いヴィデオ・テープの分析から始めた。ここ一ヵ月の不審な引き出しをチェックした。だが、同じカードを使った引き出しは、その支店ではなかった。すると、他の支店で引き出された可能性もある。  偽名口座の引き出しのチェックが行われた。すると、一週間ほど前に、横浜市の桜木町支店のCDジョーナーで、二十万円の引き出しがあったたことが、判明した。  それ以外の引き出しはなかった。  警察は張り込みを始めた。それは、わたしが偽名口座を開設した支店とこの桜木町支店重点に行われた。だが、これは、時間と人員を使うわりに、成果が少ない。警察の捜査は、そうした時間と人の膨大な浪費で成り立っているように思われた。  一方、わたしにはある確信があった。  それは、玲子の、  「あなたは、わたしの最初の人だから」 と言う言葉で、裏付けを得たものだが、わたしは、慶子にとっても、  「最初の人」 であるはずだった。必ず、慶子は、われわれの、いや、わたしの前に姿を表すはずだ。わたしは、そう確信していた。  そうして、何も出来ずに手を拱いて、一カ月が過ぎた。    そろそろ、冬の色が街を包み込もうとしていた。その朝、わたしは、朝食を取って、新聞を見た。妻の良子は、依然として、冷たいつっけんどんな態度を取りつづけていたが、どちらも、出ていこうとはしなかった。冷戦状態は、完全の凍結したまま、保存され、われわれは、ツンドラの上にいながら、動こうとしなかった。  良子は、決めたれた家事を果たしていて、それが、彼女の発散になっていたが、わたしは、する事もなく、家にいるのが苦痛になってきた。とにかく、事件を解決しなければ、先には進めない。なんでもいいから、手掛かりがほしかった。  この日の新聞が、その手掛かりをもたらした。社会面に三段見出しで、掲載されたその記事は、こう書いてあった。  見出しーホテルで男性変死  「懲戒免職」の原稿残し  「OO日午前十時半ころ、横浜市OO区のホテル・ニュー・グランドの部屋の風呂でで男性が死んでいるの、従業員が見つけ、神奈川県警XXに届け出た。同署の調べによると、この男性は、持っていた運転免許証から東京都**区**町、無職、岩瀬太一郎さん(四八)と確認された。部屋に「懲戒免職」と題した小説の原稿が残されており、その内容から、失職したのを苦に自殺したと見ているが、殺された可能性もあるとして、遺体を解剖して調べることにしているーー。  それだけの短い記事だったが、その被害者の名前が、全てを語り掛けていた。  わたしは、玲子に電話した。  「今朝の新聞読んだかい」  「未だ読んでないわ。いま起きたばかりなの」  「岩瀬が死んだんだ」  「岩瀬。ああ、あなたね。そうではなくて、あなたが身代わりにされた男ね」  「そうだ、その男だ。横浜で死んだ。一緒に詳しい事を調べに行ってくれないか」  「いいわよ。今日は、休みだし、付き合うわ」  わたしと玲子は、渋谷から東横線に乗って、桜木町まで行き、ホテルを訪れた。  すでに警察の現場検証は終わっていたが、フロントで、マネージャとの面会を申し込むと、玲子の名刺が効を奏して、すぐに会うことが出来た。  「岩瀬さんは、いつごろ、こちらに来たのですか」  「一昨日の夜、予約なしで宿泊を申し込んでいます。うちは、原則として、予約のお客様しかお受けしないのですが。たまたま空いていた部屋が、ありましたので、お受けしました」  「一人で、来たのですか」  「フロントは記憶しています」  「そのあと、不審な行動は」  「それだけです。部屋に入られたあとは、ずっと、出てこられないで、朝、従業員がベッド・メーキングに行って、発見したのです」  「発見時の様子は」  「浴室に倒れ込んで、湯船に顔を入れて、窒息死していました」  「なにか、着衣は着ていましたか」  「いえ、裸だったそうです」  「ありがとう。さいごに、遺書のような原稿が見つかったと報道されていましたが」 「そのようですね。でも、それは、警察が発見したようで、押収していったようですよ」  大要は分かった、記事の内容で、間違いないようだった。  われわれは、警察署に向かった。  担当の刑事に面会した。そこには、免許証の写しを添付した事件検案書が、すでに出来ていて、刑事は、玲子にその書類を見せて、  「ほら、この男に間違いないですよ。顔写真と一致した。われわれは、自殺と見ています。念のために司法解剖に回しましたがね」  われわれは、その書類を見た。  (これが。わたしが、なり替わらせられそうになった岩瀬か)  わたしは、顔写真をじっくりと拝見した。  「それで。司法解剖の結果は」  わたしが聞いた。  「水を相当に飲んでいて、溺死の状態で死んだようです。ただ、首に締めたような擦か痕があった。それが気にかかりますが、自殺しようとして、タオルを巻いたりすることはありますからね。アルコールが多量に検出されました。部屋の冷蔵庫からウイスキー瓶が一本、出ていますから、そのせいでしょう。酒を飲んで風呂に入り、そのまま、水死したのでしょうね。だから、自殺も怪しい。あの原稿がなければ、事故死ですんだ事案だ」  刑事の説明は、岩瀬の死は、事故死で処理されるということを示していた。  「それで。だれか、家族のかたが引き取りにくるとか言うことはないのですか」  「それが、住所に電話してもだれも出ないのです。それで、われわれも弱っている。お知り合いなら、どこか連絡先を教えてくれませんか」  刑事はそういったが、われわれもその場所を追っているのだった。    警察を出てから、山下公園ほ方に向かう道を歩きながら、玲子が言った。  「自殺か事故死か、それとも他殺か。これも難しい事件だわね」  「でも、警察は、他殺の可能性を否定していたよ」  「では、首の締めた痕はどう説明するの。だれかに締められたのではないかしら」  「でも。だれも部屋には入っていないというし」  「そんなこと分からないわ。ホテルなんて往来と同じよ。中から、開けてくれれば、だれでも入れるわ」  「だが。警察は事故で処理するつもりだ」  「そのほうが、楽だからね。殺人事件になれば、大事だ。ホテルにしたって、事故死にしておいて貰いたいでしょ。世間とはそういうものなのよ」  これは玲子に教えられた。さすがに、ずっと、刑事事件を扱ってきただけのことはある。  「でも、新聞に載ったのだから、慶子が出てきてもいいはずだ。家族は誰も来ないというし、慶子ぐらいは、死者を慰めに来てもいいのではないかな」  「離婚していたのでしょ。そうなったら、他人だからね。思いが残っていても来ないほうがいいと思うでしょう」  「そんなものかな。男と女の関係は。別れてしまったらおしまいか」  「わたしは、結婚したことがないから、夫婦の機微は分からないけど、わたしも別れてしまったら、前の夫が死んでも、葬儀にも行かないと思うな。でも再婚してていなかったら行くかな。結局は、気持ちの問題ね。どれだけ愛していたか。思いがどれだけあるかということによるのではないかしら」  「わたしも、きっと、妻には、来てもらえないだろうな」  「そんなに、酷い関係なの」  「話もしない」  「あなたを確認に来て、知らない、と言った人ですものね」  「そのことも、否定している」  「そう。でも、わたしは、そうだったって、聞いているわ」  そのとき、玲子の目が下を見た。そこにあったのは、ろうばいだった。  わたしは、そのしぐさに、覚えがあった。学生時代に初めての体験の前に、玲子が、わたしの  「こういうことは、はじめてかい」  という質問に、  「いえ。もう、経験済よ」  と答えたときの表情と同じだったからだ。  玲子の答えが嘘だったことは、その後の行為で、シーツに染みついた赤い色が証明した。  (そうか。あれは、玲子の自己主張だったのだ)  わたしは、そう言ったときの玲子の気持ちが痛いほど分かった。それは、身を切られるような恋慕が言わせた嘘に相違なかった。    岩瀬の死は、警察では、事故死で処理されたが、われわれは事件の色を嗅いでいた。 わたしには、慶子が必ず、わたしに連絡してくるという、確信が強くなった。  (もうだ、だれもいないのだ。慶子は、たった一人になってしまったのではないか。人は、一人では生きていけない。まして、このように様々な事件に絡んでいるだろう慶子のことだ。いつまでも、自分のなか、それらの秘密を閉じ込めておくことは出来ないだろう)  わたしは、そう信じて、時を待っていた。  妻の良子の言葉が、嘘ではないと、分かって、わたしは、心のなかで妻に詫びたが、。言葉には出さなかった。それが、夫としての沽券だったし、いまさら、そんなことは言いだせなかったのだ。良子は、変わらなかった。何時ものように、家事をしている。ただ、会話がないのは同じだった。二人の間を吹き抜ける寒風は、冷気を増していた。                三  その時が、やって来た。  わたしが、書斎で、本を読んでいた夜の十時頃、机の上のファックスから、一枚の髪が、吐きだされた。  表題はなかったが、細く、綺麗な女文字で書かれたその手紙は、最後に「慶子」の署名があった。    ーー 御無沙汰しています。その後お変わりございませんか。わたしは、どうにか元気にしております。その後、色々と大変なことがあったのではないかと思いますが、そろそろ、年も変わりますので、越しかた、行く末のことを、親しくお話する機会を、作って頂ければと存じております。次の日曜日に、例のホテル・ラウンジでお待ちしております。昼の十二時には、行っております。その後は、いつまでもお待ちいたします。夕方の六時頃までは、お待ちいたします。ぜひ、いらしてくださるよう、お願い申し上げます。 慶子ーー  突然。流れ出たファックスの文面を読みながら、今頃、慶子は、何処からこのファッススを送ってきたのだろうと思った。  発進元の番号は、都内の番号だった。  (どうせ、どこかのコンビニだろう)  わたしは、そう考えて、その番号に電話してみたが、電話には誰も出なかった。ただファックスの着信音だけが「ピー、ポー」と虚しく聞こえてきた。  仕方がない、次の日曜日の指定の場所に出掛けるよう決心した。    その日に、わたしは、十時過ぎに、家を出て、横浜に向かった。  指定のホテルには、十二時過ぎに付いたが、慶子は、来ていなかった。  (あれは、やはり、一時の気の迷いから出したファックスだったのか) とも考えたが、  (そうでもないだろう。慶子を信用しよう) と思って、待つことにした。  ウエイターがやって来て、注文を聞いた。  わたしは、ダージリン・ティーとサンドイチを頼んだ。  窓の外を木枯らしが吹いていたが、腕を組んだ恋人たちが、笑いながら通り過ぎて行くのを、見ていると、わたしは、何故か、ほっとしたような気分になった。  慶子は、一時頃にやって来た。  「済みません。わたしから、誘っておいて、遅くなってしまって。出掛けるまえにする事が多すぎて、遅れてしまいました。でも、必ず、待っていてくれると信じていましたわ」  慶子は、座るなりに、そうまくし立てて、詫びた。  「寒いわねー」 といって、来てきた、毛皮のオーバー・コートを空いた席に置いて、こちらに顔を向けた。その顔には、熱い化粧が施され、以前にここで会った慶子とは、全く別人のように変貌していた。それでも、慶子と分かったのは、彼女の方から、わたしを見つけてきたからだった。  コートの下には、黄色のブラウスと赤いスカートを着ていた。その原色の鮮烈な色が黒いコートの下から現れたとき、わたしは、唖然とした。  (この趣味の悪さは何なんだ)  わたしは、思わず目をそむけそうになった。  慶子はカフェ・オレを頼み、チーズ・ケーキを付けた。  それらが、テーブルの上に並んで、手を付けながら、わたしたちは、なにも話さなかった。ただ、様子を伺っていた。ケーキをフォークで切るときの慶子の手が微かに震えていた。それは、コーフィーを飲むときの手の震えになり、一口啜って、カップを置くとき、とうとう、カップ落とし、コーヒーをこぼして、あわてた。  「どうしたんだ。落ちつけよ」  わたしは、そう声を掛けたが、慶子は、無視した。  「ずっと何をしていたの」  わたしは、優しく問いかけた。  「いろいろ。ほんとうにいろいろあって」  「そうか。この前に会ってから、そのあとにもぼくは、会ったような気がするのだけれど」  「そう。どこで」  「君の存在を感じたんだ。他の女性の名前だったけど」  「どうして」  「それは、この体が覚えているよ」  「そういう関係を持ったのね」  「そうだ。その時、君を感じた、君の肉体だった」  「そう。あなたに、大変な経験をさせてしまったわ」  そういって、慶子は頭を下げた。  「そうだ。みな。君が絡んでいるようだね」  「みなって、そんなに、していないわよ」  「そうじゃないよ。僕が陥れられた事件だよ」  「事件って。わたしが陥れたって。それは、わたしではないの。みんなあの男のせいよ」  慶子は、そういって、目頭を押さえた。  「いいから、そのことを話にきたのだろう。なんでも聞くから話してご覧」  わたしは、慶子の目の熱いものをハンカチで拭ったやりながら、そういって慰めた。 慶子は、話しだそうとしたが、わたしが、  「まぜ、一つ聞いておきたいのだ、君の田舎に行ってきたよ。君と異母妹が加代子だとわかった。それで、驚いて、事件の大体の輪郭が分かったんだ。加代子さんはどうしたんだ」  わたしは、大体、分かっていたが、確認をしたかった。  「死んだわ。わたしの身代わりで」  「そうか、やはりね。あの交通事故だね」  「そう。私達は瓜二つだったから。だれも疑わなかった。あの日は、雨だった。わたしは、加代子を現場近くの喫茶店に呼び出したの。あの交差点は土砂降りで、視界も悪かったけど、道路は空いていたから、車はかなりのスピードを出していた。信号が赤だったので、横断歩道で待っていた加代子の後ろから岩瀬が近寄って、体当たりして、道路に飛びださせた。それで、加代子は、走ってきた車に跳ねられたの。大雨で人通りも少なかったので、目撃者はいなかった」  「加代子は君の身代わりになったのか」  「可愛そうだけどそうするしかなかったの。岩瀬が失職してから、生活も苦しかったし」  「でも、君は離婚してのだろう」  「形式的にはね。でもそれも、この計画のためよ。だって、多額の生命保険を夫が妻に短期間に掛けたら、疑われるものね。それが、他人なら、分からない。そう岩瀬はわたしに説明した」  「そうか。保険金欲しさに、加代子を殺したと言うことだな」  慶子は、目を伏せた。  「でも、事故で処理されたんです。計画どおりに」  わたしは、直感が当たって、気分が少し、晴れたが、まだ多くの謎が残る。  「ここで話す話題じゃない。人が大勢いるし、皆、聞かない振りをして耳をそばだてているんだ。出よう」  わたしが、レシートを掴んで、立ち上がると、慶子も従った。  外を歩いた。道は、港沿いに、西へ向かい、元町を経て、坂を登れば、港の見える丘公園に繋がっている。わたしは、その道を辿っていった。  「それで、加代子は死んだのに、なぜわたしの前に現れたのかね」  慶子は、考え込んだが、唾を飲んで、話しはじめた。  「あれは、わたし。わたしが、変装して加代子になったの。あなたのもとに振り込まれたお金を取り戻すためには、そうするしかなかったたの」  「それも岩瀬の入れ知恵か」  「あの人には、そんな緻密さはないわよ。交通事故を装うのは、あいつのアイデアだけど。加代子への変身と、あなたとの交渉は、わたしの考えだった」  「わたしが半額をわたすと思ったのか」  「それはそうよ。あなたはそういう人だから。それに、カードはわたしが持っていたから、ほぼ全額がわたしのものになったはずだった」  「まだ残っているんだろう」  「そうね。でも、どうでもいいわ。お金なんか」  「それで。加代子の死体は・・・。というより、絞殺された加代子の死体は誰のものなのだ。わたしは、それで疑われて逮捕された」  「それは、岩瀬が連れてきた。洋子とかいう女よ。どこで拾ってきたのか知らないけれど。加代子の体付きと似ているからって。あいつはあの女をアパートに連れ込んで、セックスしている最中に絞め殺したのよ」  「何のためだ」  「加代子の身代わりが必要だったからよ」  「君と加代子は、一緒に住んでいたのだろう。しかも母親が違うとは言え、姉妹ではないか。なぜ、殺したんだ」  「殺したのは、岩瀬よ。わたしではないわ。加代子は、わたしと姉妹だったけど、今の母さんの子供だから。義母が家に入ってから、父や親戚のわたしと彼女の扱いかたがころっと変わったの。おもちゃや食べ物の好きなものは、みな加代子に合わせたし、わたしは除け者になった。それで、家を出たのだけれど。実の母さんは、苦労しながら一人娘のわたしを育ててくれた、大学までやってくれたのだから。それが、わたしが岩瀬と結婚して、新婚生活を始めてから、しばらくして、加代子が訪ねてきたの。東京に来たから一緒に住まわせてくれって、厚かましい申し出だったけど、わたしも、子供がいなかったから、岩瀬の賛成も得て、同居したの。そしたら、そのうち岩瀬と出来てしまった。加代子は、そのうち真面目に保険の勉強をして、外交員になって仕事を始めたのだけれど、外で会っていたのね。保険金搾取も加代子が教えたようなものだわ」  「一緒に住んでいたのか」  「岩瀬が失職してあのアパートに移ったのに、出ていかないのよ。わたしは、地獄だったわ。だから、貴方に電話したの」  「そうかな。最初からわたしを狙っていたのだろう。計画の一部なのでは、ないのかね。君と会った後、誘拐されそうになった」  わたしは、厳しく問い詰めた。  「絶対、そんなことはないわよ。あなたに会いたかったから、さびしかったから、会って話をしたかったからよ」  「まあ。いいや、それを信じることにしよう。誘拐未遂は忘れることにするよ」  道は、公園の方角へ折れた、われわれは、左に曲がり、坂を上がっていった。  風が強かった。思わずコートの襟を立てようとしたが、そのとき、慶子の右手が左のポケットに入ってきて、手を使えなかった。  「温かいわ。あなたの、ここ」  そう言って、ポケットのなかの左手を握った。  わたしも彼女の右手を握り返した。それは、以前より、細く、乾いていた。掌の皺が彼女の疲れを物語っていた。  「加代子の死体が発見されたあとは。どうしていたんだ」  「保険金を降ろして、岩瀬一緒に逃げたの。都内のホテルを転々として横浜に来て」 「あのホテルで殺した」  「なんでそんなことを言うの。事故で死んだのよ」  「首を締めた痕があったというではないか」  「そうね。だって、最後だというから、そうしてあげたのよ。彼は、もう死にたいと言っていた。これが最後のセックスだといって、何でもしたいことをしていいというから。あいつの首を締めてやったのよ。酔っていたから、すぐに、朦朧となって、風呂場に行って、溺れてしまった。わたしは、ぐったりとしていたから、分からなかったわ。バス・ルームを覗くと、死んでいた。部屋は一人分しか取っていなかったから、やばいと思って、逃げたの。逃走にはお金が言ったから、大きなホテルでは、そうやってシングルに泊まっていたのよ。それもあいつの知恵、ほんとうにけちだったから」  「岩瀬に聞いたら、そう言うだろうか。死人に口なしだ。岩瀬は君を愛していたんだろう」  「愛していたとは思うわ。一緒に逃走したのだから。でも、状況がこうさせてしまった」  道は、登り詰めた。気象台の横を左に曲がると、思いでの公園だった。  そこのベンチに座った。港を船が行きかっていた。遠くに、大きなベイ・ブリッジが霞んで見え、この港の活発な経済活動を示すように、その上を大型車が連なるように続いていた。海取りが、さらに上を舞っていた。それを薄曇りの太陽が照らし、光線は海面にぶつかって、波を光らせていた。  「こうして、一緒に、ここへ来たとき、君は、素直な気持ちを持っていた」  「そう、純粋な気持ちで、あなたに会ったの。過去の素敵な記憶を呼び覚ますためにね」  「今は、どうなんだ」  「過去と現在とを裏返すことが出来たらいいのに」  「楽しかった過去を、呼び戻すことは出来るが、それには、現在の苦境を乗り切らないといけないよ」  「写真なら出来るのにね」  わたしは、その言葉に、はっとなった。  (写真なら出来る。そうか、写真なら、過去と現在を逆転出来るのだ)  それは、文字通りの話だった。  加代子の殺害現場のアパートで、見つかった写真には、慶子がまず、写り、そのあとに加代子が移ったネガが見つかった。加代子が写された写真には、わたしのような人物が加代子と性交している写真が写っていた。それが、わたしへの嫌疑の証拠とされたが、わたしには覚えがなかった。だが、この写真で慶子のーー慶子と入れ変わった加代子のーー交通事故と加代子殺しーーそれは、実際は洋子が殺されていたーーの被害者の確定がされていた。それだけ重要な意味をもっている写真だった。  わたしは、気が付いた。ネガでは先の慶子の写真は、慶子と変わった加代子が殺された後に、そして、加代子が殺されたーーすなわち、洋子が殺された後に、撮られたのだと気が付いた。ネガ番号と実際の撮影時間が、逆転していたのだ。  どうやって、そういう写真を撮ったのか。  「それは、ほんとうに、出来たんだね。岩瀬が撮ったのだろう。どうやったんだね」 「わたしはよく知らないけど。岩瀬はカメラにが趣味だったから、何かやり方があったんじゃない。そう言えば、事故の前に彼は、新しいカメラを買ったわ」  「なんていう、カメラだ」  「ああ、このカメラは、簡単でいいって言っていたわ。フィルムを巻き戻す必要がないんだって。先に巻き込んでから撮影するごとに、罐の中に巻き戻されていくんだって、自慢げにわたしに見せたことがあった」  「なに。そうか。では、フィルム番号が小さいからって、先に写された訳ではないんだ。むしろ逆なんだな。ところが、あのフィルムは、普通のカメラで写しとのと同じように並んでいたよ。下の写っている時刻が、番号順に進んでいたから」  「では、時間の表示をいじったんじゃないの」  慶子は、こともなげに言った。  「そうか、それは、重要な指摘だな。加代子を撮った写真は本当は最初に撮られたんだ。そのあと、交通事故で死んだ。慶子の写真は最後にとったのに、時間だけ前に細工したんだ。そうやって、加代子は、時間の壁を飛び越して、過去へ行って慶子になったのだ」  全ての謎が氷解した。  「加代子に成り代わった洋子が死んだ日のあとに、岩瀬はあなたの写真を撮っただろう」  「そうね突然、わたしに顔写真をとってやると言って。でも、しょっちゅうそういうことは、あったから、不思議に思わなかったけど」  「それで、加代子が事故に会った時は、セーター姿だったけど。あなたは似たようなセーターを持っているだろう」  「そう、初めて彼女がうちを訪ねてきてから、最初の買い物に行ったとき、お揃いで買ったの。昔は、いつもわたしのお古を加代子が着ていて、良くわたしと間違えられたわ。懐かしさもあって、揃いを着てみる気になってのね」  「それで、写真を撮ったときも同じものを着ていた」  「それは、忘れた。でも、品がいいものだから、寒くなりはじめると重宝だった」  わたしの記憶では、慶子は、同じ衣服を着ていた。  雲が切れて、太陽が顔を覗かせた。  わたじは、慶子を抱き寄せて、瞳を見つめながら、その口に静かに、口を付けた。  「わたし、こうして時間が止まればいいと思う。このままずっと」  「そうもいかない。時間は、流れ続けていく。そのなかで、人間は、必死に生きている。人生は確かに、生まれた時から死への行進だが、限られた時間の中で、皆、必死で生きていくんだ。思うい儘になることもあるし、意の儘にならず、不平を抱えて過ごしていくこともある。でも、結局は、いつか死ぬんだ。そういう意味では、死は、平等にやって来る。そうやって、死を全うする権利は、人間が生来持っている権利だ。それを他人の意思で左右してはいけない。戦争や疫病や災害がそうだが、死はあくまでの自然でなければならないのだ」  「加代子さんや洋子さんには、済まないことをしました」 慶子の瞳に涙があふれて、頬を伝った。  「でも、君は生きていかなければいけないよ。わたしのためにも」  日が傾いてきて、光の量が減じてきた。  わたしは、慶子を抱きしめたまま、ゆっくりと歩いて、公園を離れた。  坂を降りたところに、警察の建物があるはずだった。                              (終わり)