『蘭の名前』         (1)  光の量が減じて、一日の残りが渚を支配し始めていた。つづれ織りのように水面を彩っていた太陽光線のきらめきが、まだ瞳の裏に焼き付いていて、昼の熱気が行き先を失って肌をほてらした。  だが、この夏の日も、ほかの一日と同じように確実に暮れて行く。  湖の中ほどに小さな島があって、カラスが五羽ねぐらへ急ぐ。陽は急激に落ちていく。釣り人が竿を収め始めた。つい一時間ほど前には気がつかなかったザー、ザー、ザーという波の音が鼓膜を打った。  さほど大きくない湖なのだが、山中にある陥没湖のくせに、低地から水面に至る間には海岸のような砂浜があって、夏の間は、水遊びにもってこいの場所となる。日中はこの頃まばらに建ち始めた別荘の客たちが、家族連れで日がな一日、その浜で過ごす姿も見られるようになった。だが、それもここ二、三年のことである。  浜は十メートル程しかない。その先はすぐ積年の風雪に耐えてきた鬱蒼とした原始林だ。原始林の一角を切り開いて、小さな公園が出来ていた。その中央には有名な彫刻家が制作した裸女の像がある。像の周りを、いかにも避暑地にありそうな白樺で作った白いベンチが四つ囲んでいた。  もう太陽は西の峰に半分以上姿を隠し、釣り人たちも姿を消した。湖畔に並ぶ旅館はそのころは三軒しかなかった。その家々に明りがついて夕食の準備が始まった。広いベランダを張り出した一軒では、食堂に泊まり客が集まり始めているのが、灯りの中にシルエットのように浮かび上がって見えた。  空気が冷えてきた。  「こんなことしていたんじゃ、夕食に間に合わなくなってしまう」  達也はそう気がついて、右足のペダルを力いっぱい踏み込んだ。イタリア製の愛車がスピードを上げた。  浜が切れる辺りに、新築されたばかりの別荘らしき建物が一軒建っていた。こんもりとした原始林を切り開いた広荘な土地に二階建てのコテイジ風の建物が小じんまりとまとめられていた。二階のこちら側の書斎らしき部屋から、レースのカーテンを通して柔らかい光が洩れて、暮色に赤みを混じえさせた。  部屋に人影は見えなかった。達也が下り坂でスピードを上げて、その家を横の方から見る形で左へ曲がりかけた時、二階のベランダで黒い人影が動いた。  ベランダに据えた椅子から立ち上がった動きが、何かが跳ね上がるように見えたので、達也は思わず両手のブレーキを握り締めた。 人影はまた低くなった。そして、頭を前に傾けたかと思うと、じっと動かなくなった。何かを見詰めているらしい。  達也は自転車をその家の庭柵に立てかけ、ベランダを見上げた。頭らしきシルエットの前には、望遠鏡のような長い筒があり、人影はその中をじっと覗き込んでいるのだった。 達也は望遠鏡の先をたどった。陽はすでに山の中に落ちた。わずかに残光を頼って湖の上をはるかに見透かした先には、彼がほんの少し前に出てきたばかりのおじの別荘が、仄かな光を湖面に投げかけていた。  「夕食に間に合わなくなってしまう」  達也は再び自転車にまたがると、両足で思い切りペダルを踏み込んだ。みるみるスピードが上がり、達也と自転車は一つになって、夕闇を切り裂いて走った。丁度あの黒い人影が望遠鏡で見つめていたあたりにある伯父の別荘では、もう夕食の支度がととのっているはずだった。達也は滑り込みで間に合った。 自転車を玄関先へ投げ捨てるように乗り捨てて、達也はドアを体当たりして開けた。素足に履いていたスニーカーを無造作に脱ぎ捨てると、一直線に走って、バスルームに飛び込んだ。  避暑地の夕方とはいえ、全力で自転車を駆ってきた体から汗が噴き出し、用心のために着込んでいた長袖のヨットパーカーがぐっしょりとなっていた。  「達也君なの。お食事の用意が出来てますよ」  しっとりと落ち着き、それでいてよく通り、 人に有無を言わせぬ重みも兼ね備えている伯母の呼ぶ声が、シャワーを浴びている達也の耳に届いた。  達也はバスタオルで体中の水滴を拭うと、湿気取りのパウダーを脇の下とまたぐらに叩き込み、そこに用意してあった洗い立てのパンツを穿いて、二階の自分の部屋へと階段を上がっていった。  ワードローブを開いて、棚に折り畳んであるTシャツを掴んで、頭から通した。そして、ベージュのコットン・トランクスに両足を入れて引き上げた。  「達也さん。用意が出来たら降りていらっしゃい」  「今直ぐ、行きます」  達也が一階のダイニングに降りていくと、既に、麗子とその一人娘の由美がテーブルに付いていた。麗子は達也の伯母である里子の一人娘。達也は里子の亡父の弟の一人息子だから,麗子と達也は従姉弟同士ということになる。  「こんなに遅くまで、どこにいらっしゃっていたの」  麗子がまず口火を切って、達也をなじった。  「いや、向こう岸で、湖を見ていたんです。 夕陽が落ちるのをね。西の空が茜色に輝いて、 そりゃあ、綺麗なもんです。一日の最後を飾る太陽のショーなんですね。山の影に隠れる直前に一瞬輝きを増すんです。ロウソクの火も、消える寸前が一番明るいって、何かの本に書いてあったけど、本当なんですね。滅び行くものの最後の華って言うんでしょうか」 「まあ、随分、文学的なことをおっしゃるのね」  「いや、哲学的です。それから、陽が落ちた後で、向こう岸の新しく出来た別荘に人が来ているのに気付きました」  夕食のメニューは、ビーフシチューだった。 カニサラダが添えられ、赤ワインがグラスを満たしていた。達也はそこまで話して、ワインを一口飲んだ。  「あの別荘は、今年の春に完成したようだけど、人が来ている、とは初耳だわ」  「僕も驚きました。いつも、外の道を曲がって帰って来るのだけれど、僕が来てから、この一週間、人影は全く無かった。それがね、もっと、驚いたのは、二階のベランダに望遠鏡のような物があって、男の人がずっと覗き込んでいたんです」  「一体、何を見ていたのかしら」  元々、好奇心の固まりのような麗子である。 口を動かすのを止めて、達也を覗き込んだ。それまで無言で黙々とシチューを口に運んでいた由美もスプーンを動かすのを止めた。  (この母にしてこの娘ありか、この好奇に満ちた瞳ときたら……)  達也は一人、胸の内で呟いた。  「それがどこだと思います。僕の野次馬根性も人一倍だから、柵の間から覗き込んで望遠鏡の先をずっと見て行ったんです。それで…。その先には、湖があって、森があって、山がありました」  「なーんだ。達也くんの話はいつも気を揉ませておいて、結局は、はぐらかすんだから」  「でも、もっと重要なことは、この家があるってことです。あの視野に入る建物は、僕達の居るこの小さな夏の家しかないんです。僕は、あの男はこの家を監視しているのだと思います」  「そうだとしたら、気持ちが悪いわね」  「気持ち悪いよ、ママ」  小学校五年生のお転婆盛りの由美が、麗子の腕を掴んで肩をすくめた。  由美は達也にとって、目に入れても痛くないくらい可愛い姪だ。五歳年上の麗子が、十九歳で由美を出産した時、達也はまだ中学生だった。  麗子が大学で大恋愛のすえ、結ばれたのは、 某有名電機会社の御曹司だったが、結婚生活は、わずか三年で破綻した。大体が、若さに任せて熱情が突っ走った結婚には良くあるケースだが、二人には愛はあったが、辛抱がなかった。恋愛と結婚とは原因と結果なのではなく、違った種類の男女関係なのだと気付くのは、多くの場合は、不幸にしてしくじってしまった後からなのである。  分別のある年齢なら、互いのソリを上手に合わせることも出来ようが、枯れた木と違い生木の若木はソリも合いにくい。麗子と御曹司は大げんかの末に別れて、お互いの最も安心出来る場所に戻った。 麗子はそのころの気持ちを、短い小説に書いた、それは、彼女の、大学ノートに密かに仕舞われたままだったが、達也は、読んだことがある。  麗子が、達也を家に呼んで、  「どう、この小説、達也君には分かるでしょう」 と、感想を求められたのだ。いま考えると、それは、麗子の過去との惜別の物語だったと思う。達也は、そのノートを借りて、コピーを取った。そして、何度も読み返した。そうすることが、この、敬愛する従姉妹の心の傷を理解し、共有することだという気がしたからだ。  いまでも、思い出せる、その小説は、こうだった。                              『孝子の恋』 孝子は、「これは、 もう駄目だわ」と呟きながら、隅田川の水の流れを、目で追っていた。  「本当にだめだわ」ともう一度、胸のなかで、呟いて、決心したように、すっくと立ち上がり、流れに背を向けて、堤防を登りはじめた。  子供たちが、揚げていた凧の糸が切れて、向こう岸へと、般若を芝居絵風に描いた畳半畳ほど大きな凧が、飛んでいった。  「おーい。凧が行っちゃうよー」  五人の子供が、一斉に走りだして、凧を追いかけたが、正月の穏やかな日差しにしては、上空の風は強く、見る間に凧は舞い上がり、一円玉ほどに小さくなった途端、きりきり舞いしながら、一気に落下し、河面に落ちて、流れていった。  孝子は、子供の喚声に振り向いて、その様子を見た。   「これで、吹っ切れるわ」  堤防の上に出た。何か、体のなかの 重いものが、凧と一緒に、舞い上がり、すーっと消えてなくなったような気持ちだった。そんな軽やかな気持ちを、感じるのは、久し振りだった。  商店街で、太めの大根を買い、大根おろしにして、正月の餅を焼き、海苔でくるんで食べた。それが、今年の孝子の正月だった。 昨年は、違っていた。 「亮ちゃんが、帰ってきて、川越の叔父さんも来ていたし、賑やかだったのに」 それが、今年は、独りぼっちの正月だ。 思えば、この一年間は、孝子の二十五年の人生のなかでは、一番の激動の年だった。大学時代から付き合っていた勲が、突然、「アメリカへ行く」と言いだし、孝子の必死の願いを振り切って、逃げるように、去って行った。それが、九月だった。 その前の年のクリスマスに、奥志賀へスキーに行き、初めて二人きりの夜を過ごした。一年遅れで、やっと大学を卒業した勲は孝子と同級生だったが、先に社会人になった孝子は、二十二才からの一年間を、勲の女パトロンのような格好で過ごした。学生時代は、勲のほうが、何かと、孝子をリードしたが、あの一年だけは、違っていた、と孝子は思う。 勲は坂を転げ落ちるように、自信を失っていき、対照的に、社会人になった孝子は自信に満ちた人生を歩みはじめていた。 そんな立場の逆転は、勲がやっとの思いで、大学の卒業資格を得た後も続いた。不景気が学生の就職戦線も直撃し、わずか一年の違いで、孝子と勲は、望みの大企業と不満ながらの中小企業という明暗を分けた。 孝子はずっと望んでいた広告会社のキャリアウーマンになったが、勲は渋々、中堅の旅行会社に就職しなければならなかった。 「仕事は、どうせ、お金を稼ぐことでしかないわ。どんな会社だって、程々の給料があれば、いいじゃない。人生、仕事ばかりではないのだから、楽しくやっていければいいのよ」という孝子の言葉も、勲には虚しく響いた。 「ぞうせ、うまくはいきっこないわね。とても結婚なんて、出来そうもない」という状態だったのに、ずるずると続いたのは、「体の関係がなかったからだ」と孝子は思う。 そもそも、二十歳を過ぎてそういう経験が無いというのは、今時の女性では、少数派だろうが、「いや、そうでもない」と孝子は思っている。 マスコミが、はやし立てるようには、日本の若い女性は、舞い上がってもいないし、案外、堅実なのだ、という信念のようなものが、孝子にはあった。それにそれほどそういう行為が好きなわけではない。好ましい人に、求められれば、いやとは言わないだろうが、そうでないかぎりは、したくはない、という極自然な気持ちだった。 だから、これまでも、そんな関係になりそうな男がいなかったわけではないが、そんな気持ちにならなかったので・・・というよりそういう気持ちにしてくれる男がいなかったので、孝子は、二十四才まで処女だった。 すっかり、自信をなくしていた勲が、自ら進んで、 「今年のイブはスキーに行こう」と言いだした時、孝子は、勲の目を見つめた。真剣だった。瞳に訴えるような光があった。 そう、勲が言いだしたのは、銀座で、ブルース・ウィリス主演の「スリー・リバース」を見たあと、「鳥銀」で釜飯を食べているときだった。 「俺たちもそろそろ、ちゃんとしなくちゃな。お前だって、もういい年だしさ。どうにか仕事にも慣れてきたし、いろいろ考えてるんだ」 蔵出しだと宣伝して有名になったビールを孝子のグラスに注ぎながら、勲は、さりげなくそう言った。 「私の歳がどうしたって言うの。私は私の歳のせいで、結婚するのなんて嫌だな。あなたがどう思おうと、適齢期だからとか、そろそろなんていうのは、私には関係ないんだ。一緒に暮らしたい、一緒に子供を育てたいという気持ちのほうが大事だと思うよ」 孝子は、勲の目を真っ直ぐに見つめて、そう言った。 勲はこの言葉にたじろいだ。 「そんなことじゃないよ。一気に結婚なんて言ってないよ。もうおれたちも長いからさ。何か、けじめみたいなものが、必要じゃないかと思ってさ。それだけのこと」 必死に態勢を建て直してみたが、孝子のきっぱりとした物言いに、すでに後手に回っていた。 「まあ、いつまでも、ハッキリしない関係でも仕方ないし、あなたの言うように、潮時かもしれないわね。ずるずるしているより、けじめを付けたほうがいいか」 孝子は追い打ちを掛けた。 「そうだな。だから、ぼくとしても、きちんとする積もりでいるんだ。君にも心の準備をしてもらいたいと思ってね」 「いいわよ。そんなことくらい。もうすっかり準備できているわよ」 「今度のイブさ。二人でスキーに行こう」 勲が突然言ったことに、孝子は、素直に頷いた。 師走の町に、ユーミンの「真夏の夜の夢」のメロディーが流れていた。四丁目の角で、勲は、花売りのおばさんから、シクラメンの鉢を買い、孝子に贈った。 花を贈られたのは初めてだったが、孝子は初め、 「育てかたが分からないから」 と拒んだ。 「いいんだ。この花が咲いているうちだけ、君の部屋に飾って置いてくれれば。枯れてしまったら、捨てればいい」 と勲は無理に押しつけた。 孝子は、自分の部屋の机の上に、その儘、置いておいて、一日一度の水も遣らなかったが、シクラメンはその冬の間じゅう、暗赤色の花を見事に咲かせ続けた。    イブは、二人だけの夜になった。奥志賀のホテルは快適で、昼間中、ゲレンデで滑ったあと、夕方からのアフタースキーは、プールで泳いだ。  疲れきった体で、部屋に戻った二人は、すぐに、ダブルベッドに倒れ込んだが、なかなか寝付かれず、冷蔵庫のなかにあったウイスキーのミニボトルで、水割りを作って飲んだ。 勲が、「ちっとも寝られないや」と、ぶつぶつ言いながら、起き上がったのを見て、見ぬふりをしていた孝子は、 「こんな夜なのに、なんだろうこの人は」と心の中でつぶやいていた。 それでも、勲が二人分の水割りを作ってきて、孝子に手渡すと、 「ありがとう」と言って、素直に受け取った。 窓の外は、真っ白の銀世界で、雪がしんしんと降っていた。 窓際の小さなテーブルに、差し向かいに座って、グラスを傾けていると、体の中から、ほのぼのとした温かさが、沸いてきて、孝子は、とても幸せな気分になった。 (このひとは、こんなにやさしいし、一緒に暮らしてみるのも、いいかもしれない) 心の中で、呟きが聞こえる。 酒のせいで、体がほてってきた。勲は椅子に座り、孝子をじっと見つめている。それだけで、何も言わない。 (このひとは、いつもこうだ。自分から何かをしようということがない。精々、水割りを作るくらいしか、しようとしないのだ) と孝子は思う。 リクルートカットの短い髪の毛を、ほぼ真ん中で分け、柑橘形の整髪料をつけ、醤油顔の髭は、いつも奇麗に剃ってある。アメリカの大リーグのファンで、着ているパジャマはドジャーズのネームが胸に入ったツーピースだ。孝子も、その幼児趣味に付き合わされて、大リーグのパジャマを買った。 その日は、二人とも、そのお揃いのパジャマを着ていた。  「風呂にでも入ろうか」  「そうね。でも、まだ、寝ていたいわ。もうすこし」  「そう言わずに、一緒に入ろうぜ。せっかくじゃないか」  「なにが、せっかくなのよ」  「こういう夜は、初めてだってことだよ。こうして二人っきりの夜は、寝てしまうなんてもったいないよ。存分に楽しまなくちゃ」 「楽しむって、なにをさ」  「だから、気持ちいいことをしようって」 「なにそれ」  「とぼけるんじゃないよ。カマトトぶって。わかっているだろう」  「知らないわよ。すっかり、のぼせ上がって、どうしたの。鼻息がかかるわよ」  「そんなこと言わずにさ。さあ、入ろう。僕が先に入るから、後から来てね」  「そう、どうぞ。その気になったら、行くわよ」  そんな会話を交わして、勲はバス・ル−ムに入って行った。 バス・ル−ムから、シャワ−の音が聞こえてくる。体を洗う前に、髪を洗うのが、勲習慣なのだろうか。頭から湯をかぶっているようだ。風呂に浸かる、ザブンという大きな音を聞いて、孝子はやっと、風呂に入る気になった。  「早く、おいでよ」 タイミング良く、勲が誘った。  「なぜ、そんなに焦っているの。いま行くわよ」  パジャマの中は、もうブラジャ−とパンティ−しか着けていなかったから、素早くそれらを脱ぎ捨てるのに、時間は掛からなかった。  勲はもうすっかり、いきり立っていた。孝子が、生まれたままの姿で、バス・ル−ムに入っていくと、勲は、いきなり抱きついてきて、孝子の乳房をまさぐろうとした。 「ちょっと待ってよ。未だ、お湯にも浸かっていないのよ。早く出て、交代して」   孝子は、姉さん気分で、勲を焦らした。勲が素直に従って、バス・タブから出る瞬間、入れ代わりに入ろうとした孝子と体が触れ合った。孝子には、初めての若い男の裸の体との直接の触れ合いだった。   (張り詰めていて、堅くて、女の柔らかい体とは、違うのね)   孝子にとって、それは新鮮な感動だった。その気持ちが、男と二人きりでいるのだという意識と混じり合って、孝子の大脳にある官能の感覚を刺激した。とても良い気分がしてきて、うっとりとなった。   「どうしたんだよ。そんなにポ−っとした顔をして。それにしても、孝子は良い体をしているね。ほどほどの大きさの乳房としっかりくびれた腰、ヒップも形がいいし、最高だよ。乳房が円錐型で、つんと尖っているのは、まだ、十代の少女だな。だって、処女なんだろう」  勲が攻め込んできた。  「そんなこと、どうして分かるの。処女か処女でないかなんて、分かるわけないじゃない。勲は、いっぱい、女を知っているからね」  「そんなことはないよ。君しかいないじゃないか」   孝子湯船を出た。勲が  「背中を流してやるよ」 というのを、拒む気持ちはまったく、なかった。むしろ、早く男の体に触れて欲しかった。  勲はたっぷりと石鹸を着けたスポンジで背中を流すと、次に、後ろから、孝子の乳房を両手で、わしづかみにした。すべすべとした石鹸のせいで、柔らかく撫でられると孝子の気持ちのよさは、ますます、高揚して、思わず、吐息が漏れた。  「ああ。ああ。うう−ん。ああ」  勲は、それでも攻めるのをやめず、今度は、手を後ろから、下腹部に落とし、孝子の茂みをまさぐり、石鹸の泡だらけにした。  そこまで、来て、初めて、孝子は勲の方に、体を向け、目を閉じたまま、唇に熱い接吻を受けた。孝子の頭は、真っ白になった。激しく舌を絡ませ、勲の唾液を飲み込んだ。  孝子はもうメロメロだった。  勲にバスの床に押し倒されて、上からしたまで、全身を泡だらけにされて、まさぐられ、キスを身体中に浴びて、最後は、茂みのなかの一番大切な部分を、勲が唇で嘗めはじめたころは、快感が全身を貫くのを感じた。  (彼がこんなにしてくれるのだから、私もしてあげなくちゃ) という思いが、浮かんだ。してあげるのは、彼の物をしゃぶってあげることだわ、ということが、処女なのに、分かったのは、不思議だった。  (女って、そういう風に出来ているのかしら。これが、自然の本能なのかな。本で読んだり、聞いたりしたことは、あるけれど、こんなに自然に、あんなに恥ずかしいことが出来るなんて)   ごく自然に、勲の物を手で掴み、口に入れて頬を膨らませた。 「孝子、最高だよ。気持ちがいいよ」 こういうときの、男の台詞は、紋切り型で、決まっている。 孝子は、唾液で勲の堅くなった物を、濡れそぼらせて、なお、貪るように、なめ尽くした。   そうしているうちに、また、快感がこみ上げてきて、孝子の肌は逆立つように、ゾッとなった。下半身には、愛液が溢れ、股を伝いだした。  (早く、中に入れてほしい)  そう、言いたくなったが、まだ、理性がそれを抑制していた。  (私は、処女なのに、どうして、こんなに淫乱になれるのかしら)  勲は、もう堪えきれなくなって、挿入の姿勢を取った。向かい合った正常位で、勲は孝子を下にして、いきり立った物を、孝子の中に差し入れた。  袖送運動が始まると、孝子の官能は、関を開いたように、解き放たれ、激しい歓喜の声となって、ほとばしり出た。勲は、それに刺激されて、運動を激しくした。勲にとって、そうした行為は、初めてではなかった。ソ−プ・ランドの経験もあったし、実を言うと、孝子が初めての女ではない。  だが、今回はそれまでの、ただ、放出するだけ行為とは、違った。  愛情の裏付けを得ての、願いが叶っての、行為なのだ。  勲は、前後だけでなく、回転や左右の動きも加えて、孝子を頂上へと導いていった。 喘ぎ声を高まらせる孝子に、最後は、バックの姿勢を取らせて、腰を両手で掴んで、激しい袖送を繰り返すと、孝子の秘部は、熱くなって、愛液を滴らせ、頂上を究めると同時に、勲は放出して、果てた。  激しい動悸が、二人を襲い、勲が逸物を引き抜くと、彼がいま、孝子の中に解き放った物が溢れて、孝子の開かれた襞に沿って、垂れ落ちた。  孝子は暫く、勲と並んで寝ながら、余韻を味わっていたが、勲より早く起き上がり、大切な部分をシャワ−で流し、湯船から湯を救って、全身を洗い流し、バス・ル−ムを出た。 勲は、孝子の後に続いた。  これが、孝子の処女喪失だった。処女幕が破られたときの血は、お湯の中に薄く広がって、流れてしまった。勲は、そのとき、やや、きつさを感じたが、処女幕を破った意識はなかった。むしろ、孝子の中の締まりのよさが、勲を刺激し、放出を早める結果になった。快感が激しいスピ−ドで、加速し、一気に突き抜けた感じだった。  外に出て、バス・タオルで、孝子の全身を宝石を磨くように拭いてあげた。それは、勲の感謝の気持ちと愛情の現れだった。孝子はそのころも、ただ、茫然とし、セックスのあとの余韻に体は支配されつづけていた。  だから、孝子の処女喪失は、強姦や暴力的な行為によって、行われたものとは違い、幸せなものだった、と言えるだろう。二十四歳の成熟した女体が、男を受け入れるのを容易にしていたし、心の準備は、もう、十分すぎるくらい出来ていた。  やや、遅すぎたにせよ、ちょうど良いタイミングで、孝子は、幸せに、初体験をしたのだった。 だから、そういうことがあったあとも、孝子の勲に対する態度は、全く変わらなかった。デートの場所や時間を決めるのも、孝子が主導権を取ったし、レストランで、メニューを決めるのも、孝子だった。  (勲は、何か勘違いをしているらしい) と孝子が、感じはじめたのは、そのころだった。  いろいろな決定を、孝子に任せてはいるものの、以前のように、全てをお任せというわけではなくなった。  正月には、鎌倉の鶴岡八幡宮に初詣に行ったが、それも、孝子の強い希望によるもので、勲は最初は渋っていた。  「そんな古臭いことより、渋谷のホテルで、一日過ごそうよ」 と言ったり、  「おれの家で、ヴィデオを見よう」 と提案したりした。  「なんで、そんなに物臭なの」 と孝子は、責めた。すると、  「お前は、俺の言うことに従えないのか」と、勲は初めて、孝子を「お前」と呼び、強圧的な態度を取った。  「あなたにお前と呼ばれる筋あいはないわ」  孝子は、誇り高く、そう宣言したが、勲は、 「いいじゃないか。おれの彼女なんだから」 と言い放った。  それでも、孝子の説得に応じて、八幡宮への初詣に従ったのは、それまでのしがらみが、そうさせたまでのことのようだった。  だから、初詣は、楽しくなかった。  横須賀線の電車の中でも、ずっと、無口だった。  (前の年に初詣に行ったときには、あんなにはしゃいでいたのに)  孝子は一年の歳月の長さを思った。  お賽銭をあげて、柏手を打ち、両手を合わせたが、孝子の  「何をお祈りしたの」 との問い掛けに、勲は、  「君と別れて、遠くに行くことさ」 と、平然と言った。  「そう、願いが叶うといいわね」 孝子は応じた。 あとは、二人とも黙りこくって、八幡宮の長い階段を下りた。  参拝客には、若い二人連れが多かった。階段は、参拝客で溢れていたが、勲は孝子の手を取るわけでもなく、二人は、それぞれ、一人ずつになって、階段を下りていった。 孝子も勲も、何時もの普段着の洋服姿で、晴れ着や和服姿の男女が多いなかでは、まったく目立たない存在だった。それでも、仲が良さそうに、腕を絡ませたり、手を握りあっているカップッルの中では、二人は異様だった。勲が先に行き、孝子が後に従ったが、二人の間隔は、いつも一メートル以上離れていて、寄り添うことがなかった。  なにも話さずに、東京に帰って、東京駅で別れた。  家に戻って孝子は、ほっと溜め息をついた。 「ああ、疲れた。正月なんて家に居るのが一番ね」  ぼーっとした頭のまま、孝子は、炬燵にもぐり込み、蜜柑を二個食べた。  横になると、止めどなく、涙が溢れてきた。 何故だか、理由は、分からなかったが、無性に悲しかった。  それが、勲とのことだとは、うすうす、気がついていたものの、そんなに悲しくなるとは、思いもよらなかった。  (わたしが、勲をここまで、リードしてきてあげたのに、どういうことなの)  孝子は、自問自答した。  それは、これまで慈しんできたものが、自分の手元から去っていくのを前にした、不安感や喪失感からくる、なんともいえない、恐れの感情が、もたらしたもののようだった。 (勲は、私を離れていく)  そういう無性に、虚しい感情が、こみ上げてきて、涙腺を刺激したのだった。  そんな気持ちを吹っ切ろうと、翌日の二日、孝子は、浅草にいった。そこの屋台に絵凧を売っている店があり、その原色で描かれた役者絵や鬼の絵が沈んだ心を浮き上がらせる様な気がして、孝子は、一枚、三千円の凧を買った。  手を広げたくらいの幅がある大きな凧を手に、家に帰った孝子の気持ちは、元の明るさを取り戻した。  (こんなに大きな凧を持っているのは、この町内ではきっと私だけだわ。持って帰るだけでも、大変だった。抱えて帰ってくる時は、みんなが見ていたわ。もう私の宝物にしよう)  大きな凧を買うだけで、こんなに気分が変わるとは。それが、孝子にはなにか不思議だった。  勲とは、その正月はもう会わなかった。  勲が、そのあと「会いたい」と言ってきたのは、二月の最初の日曜日だった。  その日は、雪がちらついていて、テレビの天気番組は 「今年一番の冷え込みで、寒波の大集団が近ずいている」  と伝えていた。  孝子は、厚い羊毛のコートに手編みの帽子を付け、手袋をして、ロング・ブーツをはいて、家を出た。  待ち合わせ場所の渋谷の「109」ビル前には、勲がさきに来ていて待っていた。 勲も冬の恰好をしていて、革ジャンパーに白い毛糸のマフラー、スキー帽に、リーバイスのジーパン、それにショート・ブーツといういでたちだった。  もう昼ころだったから、「お昼を食べよう」ということになって、  孝子は「豚カツにしよう」と言った。  勲に異論はなかった。   二人は、道現坂の途中にある「勝一」に入った。  ヒレ定食を二人分頼んで、料理が出来てくるのを待っているあいだ、勲は  「正月は、すまなかったね。おれは、どうかしていたよ。孝子に変な思いをさせてしまって」  そう、もちかけた。  「そう。それはどう言うこと。わたしは、なんとも思っていないわよ。勲が私をお前と呼び捨てたり、おれの女だなんて言ったことなんて、どうでもいいじゃない」  本当は、それが、ショックで片時も頭を離れなかったのに、いざ、そういわれてみると、どうしても、意地を張ってしまうのが、孝子の習性だった。  「でも、僕はそう思っていたいんだよ。孝子が俺の彼女で、僕のものになったのは、事実じゃないか。あのクリスマス以来」  (勲は、クリスマスの夜のことで、彼女を自分の所有物と考えるような、単純な男だったのか)  孝子にまた、何とも言えない、苦い思いが胸の奥にこみ上げてきた。  「だから、あなたの態度が変わったのね。これまでは、あんなに優しかったのに、あの日以来、とても生意気になったもの。セックスしたことが、どれほどのことだというのよ」  「でも、男というものは、そういうものだよ。やってしまえば、自分のものだと思うものだよ」  「下品な言い方ね。それで、いやになれなれしくなったわけ。それが、恋や愛だと思ったら、大間違いだと思うわ。私達の関係は、そんなに軽々しいものだとは思いたくないわ」  孝子は、毅然として、そう宣言した。  勲は、その語勢に一瞬、たじろいだ。  「では、どうすればいいんだ。いままでと同じではなにも進展しないのじゃないの」 勲は真正面から、孝子の顔を見て、尋ねた。 孝子にも、どうすればいいのか、実は、まったく分からなかった。  二人の関係は、何の第三者のアドバイスもないままに、まるで、糸の切れた凧のきりもみ状態のような状況に陥っていった。    三月になった。寒気が緩んできた。人々は、冬の厚い装備を脱ぎ捨た。春の訪れは、すぐそこだった。  孝子は、小学校時代からの友人の恵子と会った。  恵子から突然、電話がかかってきて、  「私、結婚することになったの。その前に、ずっと親友だった孝子と会っておきたいの。式のことで相談もしたいし」  恵子は一段と美しくなっていた。ロング・ヘアーをナチュラルに靡かせた髪形は、自然だったし、肌はほとんど化粧をしていないのに、ほんのり赤みが掛かって、健康そうだった。唯一、口紅だけは指している。それもごく目立たないように。瞼は二重で、そのしたに円らな瞳が、光っていた。  孝子は、いつも恵子を見るたびに、  (まるで、少女漫画から抜け出たようだ)と思う。  (わたしの不細工さに比べたら、雲泥の差だわ。神はなぜこういう不平等をなさるのかしら)  孝子も世間の平均からすれば、決して、不細工とはいえない。せいぜい、平均なみの器量をしていたが、そう目を引くような顔かたちとは言えないのは、自分でも自覚していた。それは、  (わたしは、なんでも、十人並みでいればいい) という彼女の人生観を反映しているようでもあった。  山手通り沿いの、ティー・ルームで、待ち合わせた二人は、ひとしきり、恵子の結婚のお祝いの言葉を交わしたあと、向かい合って座った。  「でも、びっくりしたわ。あなたは、いつも、私は三十すぎまで仕事一筋よ、と言っていたから。私のほうが、結婚願望は強いと思っていたのに」  孝子は、自分では思ってもいなかった言葉を口にした。  「こういうのは、タイミングよね。計画してできることではないわね。ひょっとしたきっかけでなってしまうものなのよ」  恵子は、まるで他人ごとのように、言い放った。  「それで、お式でね。孝子に友人代表で、祝辞を頂きたいの。お願いね」  「でも、わたし、そんな経験ないしなあ。できれば、パスしたいんだけど  「そう言わずに、絶対お願いよ。だって、小学校から、大学までのお友達は孝子しかいないんだから」  「そうか。そこまで頼まれて、逃げたら、女がすたるな。いいわ、引き受けた」  「まだ、六月までは間があるから、じっくり、練習しておいてね」  「そうか、恵子は、ジューン・ブライドになるのか。本当にあなたのすることは、全てが理想的ね」  「それは、彼が言いだしたのよ。一生に一度のことだからって」  「いいな。いまはもう熱あついムードなんでしょ」  恵子は、答えずに、微笑み返した。  二人で、駅に行く途中で、孝子は、勲のような男が、スクランブル交差点を、渡っていくのを見かけたような気がした。急いで、そちらの方へ駆けて行きたかったが、恵子がいたので、そうもいかなかった。勲のあとを目で追っていると、一人の若い女性が、後を追いかけて行き、交差点の向こう側で、追いついて、彼の左腕に右手を指し入れたのが見えた。二人は、楽しそうに、笑いながら、仲のいいカップルのように、駅のほうへ歩いていった。  孝子は、恵子との会話の中身を忘れた。恵子が気付いて  「孝子どうしたの」 と、尋ねたが、それにも、孝子は気がつかなかった。  孝子の頭のなかは、パニックに陥った。しかし、すぐに、恵子の言葉に、気がついて 「いえ、何でもないわ。大丈夫」 とかわした。  だが、電車のなかでも、孝子の頭は、いま少し前に見た、勲らしい男の姿で一杯だった。 家に帰って、孝子は勲のことを、考えた。 それは、それまでに、勲といて費やした時間よりも、ずっと長い時間、しかも、これほど、集中したことは、ないというくらいに、じっくりと、考えた。頭はそのことで、すべて占められていて、夕食も忘れた。  (一体、勲は私にとって、何なのだろう) それが、第一の設問だった。  高校では、勲は文芸部の部長で、孝子は会計を担当していた。文芸部は年に二回ほど同人誌を出す。勲は何時も先頭に立って、楽しそうに、同人誌を編集していた。孝子はそれを頼もしいと思った。孝子は、文章を書くのがそれほど好きではなかったのに、文芸部に留まっていたのは、勲の魅力のためだと言ってもよかっった。  だから、勲は孝子には、まず、憧れだった。 だが、勲は、部活動に力を入れすぎたためか、孝子と同じ大学を受けながら、失敗した。孝子は、首尾よく、合格した。一年遅れで、同じ大学に入った勲は、高校時代とはまったく、変わっていた。すべてに、消極的で、なんでも、孝子の言うことに従うようになっていった。  孝子の勲に対する憧れは、消滅したが、その代わりに、生まれたのは、同情と思いやりだった。孝子にはそれが新鮮な感覚で、  (私にも人の心を慈しむ気持ちがあるんだ) という感覚が、孝子の官能を刺激して心地よかった。しかも、相手は高校時代に憧れていた異性だ、ということも、孝子の快感に繋がっていた。  勲の素直さと孝子の優しさが、上手く重なりあって、二人は急激に親密になった。  孝子が、三年生になったころには、二人は講義の時以外は、ずっと一緒にいたように思う。子供がじゃれ会うように、二人は、互いに触れ合い、持っている個性を与えあった。興奮し、高揚し、快感が隠された苦しみを覆い隠し、喜悦が苦悩を包み隠している時代だった。  孝子が四年生になると、卒論や就職活動で忙しくなり、二人の距離は、少し遠くなった。勲は、友達付き合いに忙しく、週に一度のデートが出来ればいい方だった。  孝子の就職が決まったとき、孝子は勲を誘ったが、勲は、  「アルバイトがあるから」 と断ってきた。  卒業の日に、二人は会って、勲は卒業祝いにと、万年筆を買ってくれた。  それが、大学時代の二人の関係だった。  (なんということもない。ごく一般的な普通の、何の異常も、変わったこともない、流れる水のような関係だったんだ)  孝子は、そのことにいま気付いた。  (だから、あの日まで、セックスもなかったんだわ)  孝子は、まるで、淡い水彩画のように、勲との学生時代の日々を思い出していた。  (パステル画なのかもしれない。本当は、油絵のような重厚さと鮮烈さが、必要だったんだ)   そう思い当たって、孝子は、流れていった日々の長さを思い、長嘆息した。  第二の設問は、ではどうすればいいのか、ということだった。  こういう関係は、長続きするわけはない、とまず孝子は考えた。  だからこそ、勲は、私の知らない女と、ああやって、腕を組んで歩いていたのだ。勲は、わたしだけの男ではないんだ。わたしが、かれを必要としなくなったように、かれもわたしをもう、必要としないんだわ。そう考えて、孝子は少し、寂しくなった。  勲が孝子の生活からいなくなるのは、寂しいことだ。でも、それも致し方ないことなのだろう。それが、時間の流れのなかで、二人を運んでいく運命の流れなのなら、その流れに乗っていくしかないだろう。それが、人生というものかもしれない。  そこまで、考えが及んで、孝子は少し気分が楽になった。重い心の澱がすーと消えて軽くなった気がした。  でも、きりを付けるためには、やはり、あの日、目撃したことを、勲に聞いてみるこ とは、必要だわ。それから、ハッキリと、勲に言ってあげなければ。いつもの孝子の姿勢に戻って、彼女はそう決断した。  三つ目の問題は、ではわたしの将来は、ということだったが、もう考えるのは止めにした。そんなことは、目前の問題を片ずけてからにしたかった。勲とケリを付けてからだって、どうせ、また新しい事態が起きるに違いない。男だって、勲だけじゃないんだから、と考えたが、それは、なにか、負け惜しみのように思えて、そういう考えかたはやめにした。むしろ、すっきりとすることが、未来を見据えた行為のように思われた。わたしだって、まだ、若いのだから、これから、いろいろとあるはずだ、という考えのほうが、より前向きのように思われた。  だから、振っ切りたい、という気持ちが段々、強くなった。とにかく何かしなければいけない。このままでは、絶対いけない。一日も早く。  そう考えているうちに、花の季節となり、陽気はますます、暖かさを増し、四月になった。  その最初の日曜日に、孝子は勲と会った。 いつもの渋谷の喫茶店に表れた勲は、元気がなかった。着古したティーシャツに、ジーンズをはき、背中に軽いナイロンのリュックサックを背負っていた。孝子はベージュのワンピースで、軽くルージュを指していた。  「恵子が結婚するって知ってる」  孝子はまず、共通の友人の結婚話から始めた。  「聞いたよ。お見合いだってね」  「そうらしいわ。式で友人代表で挨拶してくれって、頼まれたわ」  「僕には招待はなかった。お祝いは贈るつもりだけど」  「勲はそれでいいと思うわ。わたしは準備が大変よ。ところで、勲とは御無沙汰だったけど、何していたの」  「別に、毎日、会社に行って、仕事をして、家に帰ることの繰り返しだよ」  「三月ころ、楽しかったでしょう」  「それ、どういう意味だい」  「わたし、見たのよ」  孝子は、ストレートに言った。  「なにを」  勲は怪訝な表情をした。  「勲が、女と一緒に歩いているところ」  「なに」  「あなた。わたしが厭になったのなら、はっきりそう言いなさいよ」  「そんなことはないよ」  「じゃあ、誰なの。一緒にいた女性は」  「だから、どこで、何時ころだよ」  「だから、三月ごろよ。渋谷のスクランブル交差点を、腕を組んで歩いていたでしょう」  「三月・・・」  勲は考え込んだ。  「いろいろいて、分からないんでしょ」  「・・・・・・」  勲はまだ考えていた。そして、思い当たったように、  「ああ、あれは、従姉妹だよ」 と、はっきりと、思いだしたように、答えた。   「従姉妹・・・」  孝子は、一瞬、虚を突かれた感じがしたが、そのあと、急におかしくなって、大声を挙げて笑いだした。  「従姉妹って、だれの」  「決まっているじゃないか。俺のだよ」  「でも、わたしは知らないわ」  「当たり前だよ。あなたが僕の従姉妹を全部知っているわけではないだろう」  「うん。まあ、そうだわ」  「田舎から出てきて、買い物付き合ったんだ」  「それにしても、親しそうだったわね」  「それは、親しいよ。血がつながっているんだからね。少なくともあなたよりはね」 「そうか。一応、信じるわ」  その件は、それで終わった。だが、そのあと、勲が  「実は、おれ、いま。会社にアメリカの支社に行かないかと打診されているんだ。でも、単身だと、大変だよね」  と言いだして、二人の間に緊張感が生まれた。  「それは、貴方は、いままで、一人暮らしをしたことがないものね。しかも、外国だったら、それは、楽ではないでしょうね」  「一緒に行ってくれる人がいれば、いいんだけど」  「そうね、それがいいわね」  そう答えて、孝子は、軽率なことを言ったと、後悔した。勲は、いま、わたしに一緒に行ってほしいと、ほのめかしたのではないか。安易な答えは、出来ないわ。そう思って、口ごもった。  その後の、会話は途切れた。  「でも、断ればいいじゃない」  孝子はそう言うのが、精一杯だった。  「そうも、いかないさ。宮仕えの身だもの。辞令を拒否はできないよ」  勲は、訴えるような目をして、孝子を見た。 孝子は、それを無視した。  そうして、その件はこれといった結論もなしに、あいまいなままになった。二人で夕食を一緒に食べて、その日は家に帰った。  寝るまえにベッドの中で、孝子は、思案した。  (勲は、わたしに結婚を望んでいるのだろうか。一緒に行ってくれる人が・・・というのは、その意味なのかしら。いや、そうではないな、一般論として、そう言ったのだろう。勲がわたしを欲するのなら。はっきり、そう言えばいいのだから。プロポーズの言葉が、そんなものであるわけはない。もっと、濃厚で、しっかりした物でなくては。そんな曖昧言葉が、プロポーズであるわけがないよ)  結論は、消極的だった。だから、わたしたちの関係は、駄目なのだ、と考えながら、眠りに落ちていった  眠りのなかで、夢を見た。  ーー 小鳥を追いかけていた少女が、息を切らせながら、森のなかに迷い込み、やっとの思いで、小鳥の巣にたどり着いた。巣のなかには五羽の鳥がいて、少女は、恐る恐る中を覗き込んだ。すると、中から般若が表れて、少女に襲いかかった。少女は必死の思いで逃げたが、いくら走ろうとしても、足が思うように動かず、下草に足を取られて、転倒し、般若に襲われそうになった。「たすけてー」と大声を上げたが、誰も助けにきてくれない。般若の顔が近付いてきて、今にも食われそうになってーー  そこで、「はっ」と目が覚めた。  「ああ怖かった」  少し目覚めたあとの興奮が続いたが、それも落ちつき、再び、今度は、より深い睡眠に助けられて、怖かった夢は、翌日はほとんど忘れていた。  翌朝、目が覚めると、壁に掛けた般若の凧絵が、傾いていた。  孝子は、それをしっかりと元に戻して、  (これが、傾いたときに、あの夢をみたのかしら) と考えた。  般若の顔に変化はなかった。きっと目尻をつり上げ、口をかっと見開いている姿にそれを購入した時と、寸分も変わりはなかった。ただ、少し、古びてきた。それも壁に掛けっぱなしで、埃も払わなかったからだ。  (怖いけど、素敵だわ。この表情が。きりっとした意思を持っているもの。何ものにも動じない強さが魅力ね)  そう思って、孝子は、やや衝動的にこの凧を買ったのだった。    六月。孝子は、恵子の結婚式に出席した。 恵子は初夏の日差しを受けて輝いていた。夏が近いそのころ、陽光はますます明るさを増す。その日は快晴だった。抜けるような青空が、二人の門出を祝福した。  披露宴で挨拶に立った孝子は、幼いころの恵子と自分との交遊のエピソードを織りまぜ今までの交際の経緯を振り返りながら、幸せな家庭を願って、締めくくった。  次々と参会者の挨拶や、決まりごとのセレモニーが続き、最後に花婿の親が、挨拶して、祝宴は終わった。  お開きとなって、参会者は、お見送りの列に並んだ。孝子が、順番を待っていると、四、五人ほど前に、どこかで見たことのあるような後ろ姿の女性を見つけた。長い髪と整った白い肌と高い鼻の顔。横顔が、既知体験だった。  孝子は、そのときは、さほど気にならなかったが、帰宅してからも、その面影が頭にへばりついて離れなかった。  (どこで見たのだろう)  孝子は、考えはじめた。過去の記憶を辿っていって、探し当てたのは、恵子と会った三月の一日の思い出だった。  (そうか、あの日に、交差点で、勲と一緒に歩いていたひとだ)  そう思い当たって、孝子は少し、ショックだったが、そのあと、「なぜか」との疑問がわいた。  翌日、孝子は、勲に電話した。  「昨日、恵子の結婚式に行ってきたわよ」   「そう、よかったかい」  「幸せそうだった。天気も良かったし、良い門出だったわ」  「それは、良かった」  「それでね、会場であの人を見かけたの」   「あの人って」  「あなたが、一緒に歩いていた人よ」  「歩いていた人?]  「三月に、渋谷の交差点で」  「ああ。従姉妹か」  「そう、あなたは言っていたけど」  「あいつが、結婚披露宴に出ていた?」  「間違いないわ。あのひとよ」  「なぜかな。人違いだろう」  「そう、そうかもしれないわね」  「きっと、そうだよ。似た人はいるからね」  「似た人ね。わたしには本人に見えたけど」  「だって、彼女が、恵子の結婚式に行くはずがないじゃないか」  「わかった」  会話はそれで終わった。    恵子が新婚旅行から帰ってきて、新居に移り、落ちついたころ。もう季節は夏になっていた。暑い盛りの八月中旬、恵子から、新居への招待が来た。  日傘に白一色のサマー・ワンピースで、水羊羹をお土産に、孝子は、恵子の世田谷の新居を訪問した。  「やっと、落ちついたの。どうも、来てくれてありがとう」  恵子は如才なく孝子を家に迎えた。  「もう、二月も経ったのね。月日の流れは、年を取るにしたがって、速くなるわね」 「何言ってるの。それほどの年でもないのに。でも孝子も早いとこ、決めなさいよ」 「決めるって」  「結婚よ。勲君とはうまく行ってるんでしょ」  「まあ、変わりがないわね。可もなし、不可もなしってところかな」  「それがいいのよ。自然が一番だって」  「でも、変化がなくて、何も決まらないの」  「それは、お互いが、消極的だからよ。どちらかが、ふっきらなくちゃ」  「ふっきるって」  「決めることよ。行くか、やめるかを。でも、焦ることはないわね」  「焦ってなんかいないけど。なにか変化は欲しいわ」  「勲とは会っているの」  「週に一回くらいね。でも、飽きてしまった感じで、盛り上がらないの」  「マンネリなんだわ。二人で旅行にでも行ってくれば」  「お互いに、忙しくて、時間がないし」  「時間なんて、作るものよ」  「それは、言うのは簡単だけど」  そんな話をして、時間が流れていった。  お茶を飲んで、リラックスし、恵子の結婚式の話になった時、孝子は、  「あの日、来ていた人で、色の白い、鼻の高い女性がいたでしょ。彼女は貴方のお友達?」  と思い切って、聞いた。  恵子は  「ああ、留美ね。そう、わたしの女子大の友達よ。サークルが、同じなの。それで、どうしたの」  「いや、ちょっと、目立っていたから」  「そうね。彼女は美人だもの。どこにいても目立つわね。ああいう華やかな席には最適だわ」  恵子は、呆気らかんと、そう話した。表情は、あくまでも明るく、新婚生活の幸せに満ちている、と孝子は感じ、親友を心から祝福した。 その月の終わりに、勲が、「大切な話がしたい」と言ってきた。  南青山のお茶の専門店で、孝子は、勲にあった。  暑い盛りにもかかわらず、きちんとしたスーツ姿で、表れた勲は、薄いサマー・スーツの軽装の孝子に向かって、重大な決意を打ち明けた。  「アメリカに行くことになったよ。九月に出発する。来週だね」 と告白した。  「そう。では、わたし、送りにいくわ。成田に」  孝子は、内心の動揺を隠して、それだけ言った。  「どのくらい行ってるの。長いの」  孝子は聞いた。  「二年か三年くらいだと思うよ」  「一人では、大変だわね」  「まあね」  勲は、そう言ったとき、孝子の視線を逸らした。  ウエイターが、紅茶のポットを、テーブルに置いた。  孝子は、自分のポットから、自分のカップにだけ、紅茶を注いだ。  勲は、孝子のあとを追うように、自分のカップに報茶を煎れた。  そのとき、孝子から、自分でも思わぬ言葉が、吹き出た。  「わたし、寂しくなるわ」  言ってしまって、孝子は、自分に驚いた。動揺を隠すように、孝子は二度目の紅茶をポットから、注いだ。  勲もその言葉に、何かを感じたのか。  「あなたがそんなことを言うなんて。驚いた。しっかりしてくれよ」 と、咄嗟に、応じた。  「寂しいのは、ぼくの方だよ。その間、会えないのだから」  「ありがとう。わたし、手紙を書くわ」  「そうだ。それがいい。俺もなるべく、書くようにする」  これまでの二人の立場が、その間は、逆転しているような感じだった。    勲が、日本を立つ日、孝子は成田に送りにいった。  出発ロビーには、孝子も顔を知っている勲の両親と妹、それに会社の人たちが、集まっていた。談笑している一群の輪の中心に勲の見慣れた姿があった。両親に挨拶をしたあと、孝子は、花束を買いに、空港の花屋へ行って、一輪挿しのパンジーを買って帰ってきた。  そのとき、両親の  「留美さんは、遅いわねー。どうしたのかしら、間に合わなくなってしまうわ」 という会話が、耳に入った。  勲も、そわそわしはじめた。  孝子は、花束を手に、本能的に、一群から離れて立っていたが、そこへ、勲の母が、 「やっと着いたわよ。留美さんが」  といいいながら、走り寄ってきた。  孝子は、その方向を見た。そこには、美しく旅行姿に変身した留美が、スーツケースを、引きながら、走るように、こちらへ来る姿があった。  孝子は、一瞬、事態を把握しかねたが、少し経って、事情が飲み込めた。  孝子は、内心の動揺を隠しながら、出発ロビーに向かう、勲と留美に買ってきた花束をわたした。  「お元気でね。がんばっください」  そう言う言葉が、霞んでいたが、他の人気付かなかったようだった。  二人は、手を携えて、皆の前から消えた。 孝子は、両親に挨拶して、その場を離れた。   その年、約束した勲からの手紙は来なかった。  孝子も手紙を書かなかった。  部屋の壁の般若の凧は、寒さが増した秋ころには、破れ始めた。  冬になって、般若の絵は、すっかり精彩を無くして、黄ばんできた。  師走の大掃除に、孝子は、迷いに迷ったあげく、凧を破って捨てた。  新しい年が、もうそこまで来ていた。                     (終わり)  この男の身勝手さに翻弄されて深く傷付いた孝子、いや、そうして離婚した麗子を、里子は両手を上げて迎え入れた。  「だから、母さんは反対だったのよ。何も焦って、結婚なんかすることはないって、あれほど言ったのに。女の幸わせは結婚だけではないわ。それは、昔の話ですよ。母さんの頃はそうだったから仕方がなかったけれど、一人で生きて行ければ、それに越したことはないんですよ。でもね、こうしてかわいい孫がいるのも一度結婚したためなんだから、何とも言えないかな」  娘を思いやってか、自分自身に言い聞かせているのか…。里子は出戻り娘をそういう理由で、喜んで迎え入れたのだった。  「一体、何の話なの。何かおもしろそうね」  「ママ、変な男の人が望遠鏡で私達の事を探っているんですって。気持ちが、悪いわね」  「へー、達君が見たの? どんな人だった」  「何しろ、日が落ちた後ですから、良く分かりませんがね。年齢は五十歳前後かな。髪はありました。いや、禿げてはいませんでしたね。鼻も高いようだし。まあ、成功した中年男。想像を巡らせば、大企業の重役か、中小企業の社長、医者か弁護士か、そんなとこでしょう」  「じっとこちらを見ていたのは確かなの」  「それはもう、絶対です。だって、あの位置から見える人の住む建物はこの家だけだし、空も湖にも何も無いんですから。いくら目を凝らしても暗闇だけ。間違いありませんよ」  「でも、気味が悪いじゃないの。どんな人なのか、ぜひとも知りたいわね」  あの落ち着いた熟年女性特有のアルトである里子の声が、この時だけ、どこかうわずって聞こえ、達也を一瞬驚かせたが、由美の「ごちそうさま」をきっかけに食事の後片付けが始まり、達也はデザートのリンゴをつまんで、二階へ引き上げた。  部屋へ戻って、ベットに仰向けになり、リンゴを頬ばりながら、達也は考えた。  ーーあれだけ熱心にこの家を覗いているからには、目的がある筈だ。一体、何が目的なのか。それをまず確かめることが肝心だ。  ーー薄暗くてよく顔が見えなかったから、どんな人相風体なのかも分からない。さっきは安心させようと分かったふうなこと言ってしまったが、顔付きぐらいは調べておいたほうがいい。  ーーまだ覗いているのだろうか。そうだ、もしまだあの男が、ベランダにいるのなら、こっちの方から、覗き返してやればいい訳か。 そう気がついて、達也は押し入れを開けて双眼鏡を探した。バードウオッチング用の防水型双眼鏡を引っ張り出して来て、湖面に面した出窓を通して、対岸の家々の灯に焦点を合わせていった。  あの広荘な別荘は、すぐには見付からなかった。左岸の方から順にサーチしていって、大体の見当を付けた辺りを探したが、もう灯が落ちてただ暗闇だけが、レンズを満たした。 「まだ八時なのに、もう寝てしまったのかしら」  そう呟きかけたとき、薄ぼんやりとロウソクのかげろうような明るさの中に、つい先ほど見覚えのあるシルエットが浮かんだ。  「まだ見ているのか」  見付け出した嬉しさより感嘆が先だった。同じ姿勢でずっと見続けていたとは、という驚きである。  微かな影に焦点を合わせて、達也もじっと双眼鏡を覗き続けたが、何しろ遠い上に暗すぎて顔付きや風貌を確かめることは出来ずに終わった。  「まあ、仕方がない。この時間では…。しかし、驚いたな、あれからずっとだなんて。一体、この家にそんなに覗き続ける何の価値があるっていうんだろう。だが、こっちが知っているということを向こうはまだ知らないようだな。この場合、それがこちらのアドバンテージってことか」  達也は「明日、向こう岸へ行って、もっと探りを入れてみよう」と決心して、あれこれと考えを巡らしているうちに深い眠りに落ちていった。 眠りの中で、達也は、探偵小説を、読んでいた。それはインターネットのホーム・ページに載せられた英語の小説だった。     [E−mail] ウィリアム・ゴードンは、ニューワーク市・ソーホー地区の自分のアパートメントの書斎で、パソコンの青白い画面を眺めていた。 もう、三時間も蛍光色の画面を見続けていたが、疲れは、感じなかった。 彼は、もともと、強い近視で、牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を、掛けていた。すっかり薄くなった髪の毛を、逆方向に攻めあげた禿頭が、鼻に掛けた眼鏡の上部を占めていて、映画スターのトム・クルーズに似て、面長の顔は、一見、大学教授のように見えた。 もう、四十代をとっくに過ぎているように、見えるが、年齢はまだ、四十五歳だった。 深々とした、ロッキング・チェアに、凭れて、ここ三時間、打ち込んでいたのは、インターネットの上に構築した自らのWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)に、書いておいたE−mail宛に送られてきたメールを読む作業である。 彼のWWW、「ゴードンズ・フェイズ」は、主に珍しい写真を集めて、アクセスするメンバーに、公開していたが、中には、幾つかのフォーラムがあって、その一つに、変死体や殺人、強姦で殺された死体の現場写真ばかりを集めた「クライム」というページがあった。 彼は、毎日、各フォーラムに送られてきたメールを、夜の七時から読みはじめる。「シナリー(風景)」「パーソン・アンド・ファミリー(人と家族)」「アーチテクチャー(建築物)」「ペインティング(絵画)」「ヌード(裸体)」と見てきて、「クライム(犯罪)」に来たのは、九時半を回っていた。 最初のメールは、J.J.ハミルトンという名前で「1990年に、ワシントン州ハミルトンで、起きた連続少女殺人事件の現場写真が手に入ったが、買わないか」と言ってきた。ゴードンは、「原物を見ないと答えられない。コピーでいいから、郵送で送ってくれるように」との返事を送った。 次は、ジャネット・ジャクソンという女性名で「妹が自殺したときの写真があるが、私達家族は自殺とは、考えていない。鑑定してもらえないか」との趣旨だった。ウィリアム・ゴードンは、これには「鮮明な写真を、何枚か、送ってくれるように。その後で、お答えしたい」と丁重な返事を書き送った。 ゴードンの本職は、私立探偵なのだ。すでに、人手不足のニューワーク市警察が、迷宮入りにした事件のいくつかを、依頼者に頼まれて、解決してきた。彼の捜査の手法は、徹底的に、現場にこだわり、物証から犯人へと迫るやり方だった。そこで得た物をもとに、犯人像を想定する。いわゆる、プロファイリングの手法は、FBI(米国連邦捜査局)で開発されたが、彼も元捜査官として、その手法は熟知していた。 次のメールは、マリリン・チェンバースという人で、「もうすぐ、夫が帰ってくるが、私はあいつを殺したい。首尾良くやれたら、その写真を送る」という内容で、午後八時に発進されていた。 ゴードンは、これを読んで、すぐに「そんなことは、やめろ。冷静になって、よく考えろ。絶対に、そんなことをしてはいけない。絶対に、冷静になれ(カーム・ダウン)。あなたは、殺人者になる。ガス室送りになるぞ」と打ち込んで、MARYLYN@AIDS.COMに送信した。 彼は、興奮していた。こんなことは、今までになかった。殺人予告のE−mailを受け取ることなど、予想したこともない。止めたくても、相手は、この地球のどこにいるのかも、解らない。ただ、E−mailのメール名の、最後に国を表す、アルファ・ベットが、ないから、アメリカ国内からの発信であることは、間違いなさそうだった。インター・ネット上では、それ以上のことは、解らない。 最後に、「妻が不倫をしているのが、解ったから、殺してやりたいが、どういう方法がいいか、考えている。完全犯罪は可能か」というジム・ジョンソン名のメールが、あったが、ゴードンは、もう、これには返事を書く気力を失っていた。 ーー世の中には、これほど、配偶者を抹殺したがっている夫婦が、多いのか。それを相手に言わずに、インターネットのメールに送ってくるというのだから・・・。メールが、すべて、真実を語っているとは、限らないが、そう嘘ばかりではないだろう。警察に通報したくても、相手はどこにいるのか、解らないのだから、しようがない。 午後十一時、彼はディスプレイの前を離れて、バス・ルームに行き、熱いシャワーを浴びた。ナイト・キャップに、ジン・フィズッをあおった後、ベッド・ルームに入り、もう十一月も中頃になり、寒さを増した夜を、厚い毛布で防ぎながら、深い眠りに落ちていった。 ニューズ・ビューワーで 翌日は、さわやかな目覚めだった。高窓から斜めに差し込んだ朝の光を浴びて、午前八時ちょうどに、タイマーで、スウィッチが入ったベッド・サイドの目覚ましラジオが、マライヤ・キャリーの「フォー・エバー」を掛けはじめたころ、彼はやっと、ベッドから起き上がり、朝食の準備をはじめた。彼のブレック・ファーストは、もう、ここ一年、カリカリのベーコン・エッグとフレンチ・トースト、たっぷりとミルクを入れたカフェ・オレに決まっている。それに、気が向いた時は、カマンベール・チーズを付けるが、その日は、チーズを食べる気がしなかった。 トーストを食べながら、ニューヨーク・タイムスを読んだ。彼は一面は見出ししか、見ない。すぐに、ページをめくって、市内ニュース面(シティー・エディション)に眼を凝らした。「五番街のブティックに強盗」というのが、トップ記事で、市議会の行政記事、サント・イグナチス教会での、ボランティア・バザールの様子などの記事が、目立つ程度で、これといった「金になる」ような事件は、載っていなかった。 彼はアパートを出て、ウェストサイドの古いビルに借りている事務所に、向かった。事務所には、昔の私立探偵のように、美人の秘書などいない。そんな人間を雇う人件費は、なかったし、総ては留守番電話とファックスが、一九六〇年代の秘書の役目に取って代わっていた。 ウィリアム・ゴードンは、留守番電話の録音を聞きながら、ファックスの着信記録を見た。留守番電話には、二件の録音が入っていた。一つは、いま、付き合っているエミー・ブレアからで、「明日の晩、久しぶりにお会いしたいわ。わたしは、五時にはオフ・タイムになるから、いつもの場所で会いましょうね。そして、そのあとも、いつものように。アイ・ウァント・ユー」。(そういえば、もう、一週間がたった。エミーも、渇いているだろう)。ゴードンは、彼女の欲情を理解した。   二つ目は、捜索の依頼だった。「行方不明の夫を探して欲しい」という女性からのもので、「明日の一時ごろに、お伺いする」と一方的に言っていた。 ファックスには、三件入っていた。一件は、前の女房からの離婚慰謝料の残額の請求書。二件目は、四番街のワルサー銃砲店からの拳銃の修理が終わったとの知らせと、請求書だった。 三件目がゴードンを、驚かせた。「遂に、あいつを殺った。予告通りにな。名探偵さん。そのうちに」となっていた。発進元の記載はなかった。 昼までに、雑事を片づけて、昼飯は、ピザ・ハットのテイク・アウトで、サラミ・ソーセージとオニオン入りのピザとエスプレッソ・コーヒーで済ませた。その後、ワルサー銃砲店に行き、修理が終わったPK34を受け取り、三八口径の弾丸の箱を半ダース買って、全部で六百五十ドル支払った。 「これで、今月の昼飯は当分、ピザ・ハットだな。こう依頼がなくては、食べていけない」。拳銃の銃倉の回転を確かめて、フォルダーに差し込みながら、ゴードンは、嘆息した。 事務所に戻ると、夫捜索の依頼をしてきた中年の女性が待っていた。でっぷりとした肥満体をもてあますように、待合室のようになった外の長椅子から立ち上がり、ドアを開けて、ゆっくりとした足取りで、事務所に入ってきた女性は、「私の名は、エレミー・ツウィスキー。ゴードンさん、もう、一月も前に家を出ていたったきり、帰ってこない夫を探していただきたいの」といきなり、話し掛けた。 身に付けているものも、そう高価とも思えず、話しっぷりにも、インテリジェンスを感じさせない、デブの女などには、早々にお引きとり願いたかったが、仕事がない現在の状態からは、この依頼もゴードンには貴重だった。ミセズ・ツウィスキーに、事務所のソファーを勧めて、話を聞いた。 ツウィスキーは、語った。 ーー 私と夫のミリアンは、五年前に、セントラル・パークのロック集会で知り合ったの。ローリング・ストーンのエイズ救済コンサートで、彼がたまたま、私達の隣にきて、話しを交わしたの。彼は、長髪で裸にそのまま革ジャンを着ていたわ。長身で亜麻色の髪の毛がかっこよかったから、私は一目で気に入って、いっしょに踊ったりして、盛り上がったの。コンサートが終わって、私は女友達と別れて、一人で家に帰ったのだけれど、地下鉄でまた、彼と出くわして、彼のアパートに誘われたの。アパートでは、ドラッグをやって、ハイになって、自然にセックスもした。翌朝になって、目が覚めると、彼に、君は最高だった。セックスの相性が、僕とぴったりだ。いっしょに暮らさないか、と誘われて、もうその日から同棲したの。どうせ、私は両親も離婚して、一人暮らしをしていたから、私のつアパートから、ほんの少しの荷物を移すだけで、よかった。彼はミュージシャンで、夜が仕事だから、広間は家に居て、最初の頃は、朝、目覚めると.朝食も採らずにセックスばかりしていた。かれは薬を飲むとすごく強くて、長く持つの。私も薬のおかげで、最高の気持ちを何度も味わえた。  そんな生活が、一年半くらい、続いたかしら。私のあそこはすごく感じるようになってしまって、彼を求めるのに、彼は関心がなくなってしまったの。それから、三年半は、精神的な結び付きが、強くなって、セックスはしなかった。でも、男はそんなに我慢できるものではないでしょう。でも、彼は私を求めなくなって、それに、家にいる時間も短くなって、私は彼がおかしいと感じたの。決定的だったのは、彼が久しぶりにセックスした時に、私のアナルを求めたときね。おまえのは狭すぎる、といって途中で止めてしまったの。これは、だれかと比べていると思った。でも、私は彼を愛していたから、追及しなかった。それは、一週間くらい前のことね。そして、もう、一週間も帰ってこないの。  「それで、ミスター・ツウィスキーの写真は持っていますか」  ゴードンは、事務的に尋ねた。  「はい、ここに顔写真を持ってきました。全身写真が必要でしょうか」  「いや、これでいいでしょう。全身写真が必要になるかもしれないんで、用意はしておいてください」 ゴードンは、顔写真を受け取った。典型的なロック・ミュージシャンの顔つきだった。長髪が後ろにまっすぐに伸びて、頬とあごに薄い無精髭を生やしていた。少し面長で、目は丸く、光を放っていた。  「どこか、心当たりはありませんか」  「ロック・バンドの仲間には、みんなに当たってみましたが、だれも会っていないということです。彼らも探してくれています」  「立ち回り先の心当たりはないのです」  「いつも行っていたバーやクラブも心当たりは、当たってみましたが、どこにも手掛かりはありませんでした」  「解りました。写真を手掛かりに、できるだけのことはやってみます」  ミセズ・ツウィスキーは、すべてを話してすっきりした精神分析の患者のように、さっぱりした表情で、太った体にもかかわらず、軽やかな足取りで、暗い事務所を出ていった。  ゴードンは、 (こんな手掛かりのない家出人探しは、うんざりだ。たとえ、運良く見つかっても、謝礼はわずかだし) と心の中で呟いて、聞き書きした依頼書類と写真をファイルに抛りこんだ。  その日は、後の依頼はなく、午後五時きっかりに、エミー・ブレアと待ち合わせ場所の五番街のカフェ・バーに行き、近くのステーキ・ハウスで夕食をとった後、ブレアとともに、ソーホー地区の彼のアパートに戻った。 市街をドライブ中、ブレアは、食事中に飲んだウオッカ入りのカクテルで、すっかり気分が高揚したのか、「私の素敵な探偵さん、一週間ぶりのご無沙汰ね。お変わりないか、調べるわ」と言って、彼に抱きつき、唇にキスをした後、右手を彼の下半身に持っていき、ズボンのファスナーを開けようとしたが、ゴードンが、「そいつは、後からの楽しみに」と拒んだので、「それもそうね。楽しみは残しておかなくちゃ」と素直に手を引っ込めた。  アパートで、二人は激しく愛しあった。いっしょにバス・ルームで体を洗いあった後、シャワーで互いの性器を刺激した。興奮した体を、ベッド・ルームに運び、まるで、獣のように、互いの体を貪りあった。  「君の行くときの声ときたら、まるでライオンの咆哮のようだよ。元気だな」  「あなたも、その年にしては、元気一杯ね。私は三回も行かされたわ」  互いの健闘を称えあって、二人は後戯の愛撫を身体中に繰り返した。  「さて、これからは、ザイバー・セックスの時間だ」  午後七時半を過ぎて、ゴードンは、パジャマを着て書斎に入り、ブランデー・グラスを持ったネグリジェ姿のブレアも従った。  ゴードンは、E−mailを一覧した後、ニューズ・ビューワーを起動して、ニューズを読んだ。  その中の、「ペンシルヴァニア州ノーフォークで殺人事件」という項目が、ゴードンの目を引いた。  記事の概要はこうだった。  ーー 一九九五年十一月二九日午後十時頃、ペンシルヴァニア州ノーフォークの自動車修理工場のガレージで、中年の男の死体が見つかった。郡警察が調べたところ、男は年齢三五歳くらい、身長一八〇センチくらい、体重七五キロくらいで、首をチェーンで絞殺されていた。なお、被害者の腸内から精液が検出されたーー。  記載者は、ミリアン・クライストとなっていた。  ゴードンは、先程、読んだE−mailに同じ名前があり、  「ついに、やったぜ探偵さん」 とだけ、簡潔に書かれていたのを思い出した。その時は、何気なく読み飛ばしてしまったが、そういえば、昼間、事務所のファックスに同じ文句が書かれていたのが、あったのを、ゴードンは、思い出した。      WWWから  (そうか、これが本当にあった事件なら、犯人はこのおれに挑戦してきているというわけだ。しかも、ネットの上で。となると、このネット上には、ほかの手掛かりも何か残しているかもしれない) と考えて、ゴードンは、自分が開いているWWWの「ゴーゴン・フェイズ」の「クライム」のページを開いてみた。  そこには、新しい事件写真が投稿されてきていたが、めぼしい物はなかった。  ゴードンは、「YAHOO」というサーチング・エンジンに入り、検索名「クライム」「マーダー」「キル」などを検索した。  「クライム」には五件の該当サーバーが、あった。ゴードンはそのすべてを検索したが、思い当たるものは、なかった。次の「マーダー」の検索で、「M.C.フォリオ」というサーバーが、見つかった。「M.C.」ならば、ミリアン・クライストの頭文字だ。  ゴードンは、期待したが、それは、マリリン・チャンバースの主宰で、六枚の犯罪現場の写真が見つかった。何れも、中年の男が、血まみれになって、倒れている写真で、禿げの頭に、料理包丁が突き刺さり、両眼が開いて、空を見ていた。  「昨日、メールをよこしたマリリン・チェンバースかな。それにしても良くできた犯罪現場写真だ。彼らのおふざけは、ついにここまできたか」  ゴードンは、一人、ごちた。  実は、マリリンは、古くからのミステリー・ファンで、ゴードンのE−mail仲間だ。 (彼女がWWWサーバーを開いていたとは。これはこれで、今日のネット・サーフィンの一つの収穫だった)  そう考えて、「M.C.フォリオ」を閉じた。  次に「キル」を検索した。これからは三件が検索された。そのうち、ゴードンの注意を引いたのは、「マッド・ボディー」という名のサーバーで、そこを開いたゴードンは、自分の目を疑った。  そこにあった写真は、昼間、エレミー・ツウィスキーが、置いていったミスター・ツウィスキーの顔そのものだったからだ。その顔は苦痛に歪み、首にはチェーンが巻かれ、背景は自動車工場のガレージのようだった。  写真は三枚あって、一枚は、先程の顔写真、もう一つは、全身写真で、それには、ズボンがまくれ、下半身が丸出しになったツウィスキーが、写り、もう一枚は、その下半身の最下部のアップで、そこの穴からは白く濁った液体が垂れて、光っていた。  ゴードンは、「これだ。これが、やつの犯行写真だ。間違いなく、本物の殺人現場の写真だ」。永年の経験が、確信を持って、彼にそう断言させた。  彼は、この三枚の写真をダウン・ロードした。そして、この「マッド・ボディー」サーバーの主宰者で、姿の解らぬミリアン・クライストに、「お前が真犯人なら、おれはおまえの正体を必ず暴いて見せる。覚悟しておけ」とのメールを送った。  エミー・ブレアは、その一部始終を、彼に凭れながら、見ていて、  「さあ、仕事ができたわね。探偵さん。私はもう、おねむだから、ベッドに入るわよ。お仕事が終わったら、もう一度ね」  (もう、充分だ。先におやすみ)  彼は、そう心に呟いたが、口には出さなかった。          プロファイリング  ゴードンは、ダウンロードした三枚の写真を、日本製セイコー・エプソンの高精度バブル・ジェット・プリンターでプリント・アウトした。写真を細部まで克明に調べて、犯人像を探るのも、彼の捜査手法だった。  最初に全身写真を調べた。机の上のスポット・ライトにかざしてみると、革ジャンパ−の下の裸の胸の当たりに、紫色の円形の斑紋が、見つかった。さらに、拡大して見ると、その斑紋はかさぶたのように、皮膚を浸潤している様子が、見て取れた。  次に、顔の写真を、アップしてみた。首にチェ−ンを巻かれ、苦しそうな表情は、両目を見開き、歪んだ口からも、伺われたが、額の皺が何となく、ゴムを引きつった感じで、不自然だった。  下半身の写真には、さすがのゴ−ドンも、吐き気を催した。男の毛むくじゃらの臀部が、大写しにされ、その真ん中の位置にある穴から、乳白色液体が、垂れていた。それは、異様な輝きを持ち、プラスチックで作った偽物の涙か、スライムのような感じだった。  (どうも、現実感に乏しいな。しかし、これが、ネット上の写真の限界だろう)  ゴ−ドンは、そう納得して、三枚の写真を机のうえに、放り出した。  (一応、ミセズ・ツウィスキ−には、このことは、話さないといけないだろう)  彼はそう思って、翌日、彼女を事務所に来てもらうように、自宅に電話した。  「もしもし、ツウィスキ−さん、私立探偵のゴ−ドンですが」  「はい、今日は、どうもお世話になりました」  「実は、失踪した旦那ですが、預かった写真とそっりの人の写真が、見つかりましてね。明日にでも、見て頂けないかと」  「結構です。では、明日、事務所に伺います」  「昼過ぎの、一時ではいかがです」  「わかりました。では、一時にあなたの事務所に伺います」  ゴ−ドンに、午前中の予定は、もちろん、ない。それを、午後に会うことにしたのは、昼までブレアと寝ていたかったからだ。エミ−・ブレアは、明日の金曜日に休暇を取り、土、日曜と三連休だった。  ゴ−ドンが、ベッド・ル−ムに行くと、エミ−は、健やかな寝息をたてて、眠り込んでいた。ゴ−ドンは、彼女を起こさないように、静かに、毛布をまくってベッド入り、すぐに、寝入った。    翌日も爽やかな寝覚めだった。エミ−が、ゴ−ドンお好みのフレンチ・ト−ストとカリカリのベ−コン・エッグを二人分作り、熱いカフェ・オレを煎れた。  ゴ−ドンがこの朝食を好んで食べるようになったのは、エミ−と知り合ってからだ。  「これは、私のおばあちゃんゆずりの我が家の伝統のブレック・ファ−ストよ」 と、言う彼女は、この料理が実に上手かった。 「一流ホテルのコックだって、これほどには作れない。セントラル・パ−クの南のプラザ・ホテルのコック長だって、こんなに、上手くはできないわ」  ゴ−ドンのために、料理をする度に、彼女は、自慢した。  ゴ−ドンは、そんな彼女が、ますます、愛らしく思われた。  朝食のあと、彼女は  「さあ、一気に、やってしまうからね」 と、腕をまくって、掃除と洗濯に取りかかった。ゴ−ドンは、一週間分の洗濯物を、洗濯機の中に、そのまま放っておくのが、癖になっていて、下着が山ほど溜まっていた。エミ−は、  「そういうだらしなさが、嫌い」 と言いながら、  「でも、私は綺麗好きだから、掃除も洗濯も大好きよ」 と、家事に励んだ。ゴ−ドンには、好都合な女友達だった。ただ一つ、前夜に、大いなる「奉仕」をさせられることが、なければ・・・。  昼には、アパ−トを出て、十二時半には、事務所に着いた。エミ−は、  「家事が済んだら、帰るからね」と言って、アパ−トに残った。  午後一時を十五分ほど、回って、ミセズ・ツウィスキ−が、来訪した。  前日と同じように、ソファ−に招いたゴ−ドンは、さっそく、前夜にダウン・ロ−ドした写真を、まず顔の写っている一枚から、見せた。  「この写真は、あなたのご主人のミリアンだとは、思いませんか」  「たしかに、そっくりです。ただ、随分、顔が歪んでいるし・・・」  ゴ−ドンは、二枚目の全身写真を見せてた。 「これは、どうです」  「確かに、彼の着ていた革ジャンパ−と同じですね。姿も夫の体型ですし、ズボンもいつもはいていたジ−ンズです。でも、なぜ、こんな姿で。どうしたのですか。夫は、死んでしまったのですか。殺されたのですか」  彼女は感情を昂らせた。今にも泣きだしそうな、様子を見て、ゴ−ドンは、三枚目の最も悲惨な写真は、見せないことにした。  「ご主人に違いないですね」」  「そう思います。でも、これはどこなのです。もし、殺されて、いや、死んでしまったのなら、私はその場所に行ってみたいし、それに、お葬式をしてやらなければ。遺体を納めなければならない  「それが、見当は付いていますが、はっきりとは分からない。これから、当たってみますが。それに、もし、殺されたとすれば、警察にも面倒をかけることになる。いずれにせよ、もう少し、調べないといけない」  「お願いします。その分は、ちゃんとお支払いしますから」  ミセズ・ツウィスキ−に、そう財力があるとは、思えなかったが、ゴ−ドンは、彼女の申し出を素直に受けた。  「現場を確定して、犯人も突き止めますよ。奥さん」  ミセズ・ツウィスキ−は、ハンカチで涙を拭いながら、事務所を出ていった。 誘 拐  ゴ−ドンは、机の後ろの書棚から、クック・タイムテ−ブルを、取り出して、セントラル駅から、ペンシルヴァニ州ノ−フォ−ク行きのアトランチック鉄道の特急列車を探した。 午後三時十二分発の列車があったが、もう間に合わない。その後は、五時三十二分だが、到着は夜の十一時過ぎになる。  (しかし、早いに越したことはない。向こうにも、安ホテルの一軒くらいはあるだろう)  そう考えたゴ−ドンは、次に自宅に電話した。  エミ−は、まだ、アパ−トにいた。  「エミ−、掃除は終わったかい」  「あら、何か忘れ物でもしたの」  「いや、すてきなプレゼントを、思いついたのさ」  「後が、怖いわね。あなたが突然、そんなことを言うなんて」  「ショ−ト・ジャ−ニ−に行こうというんだ。二泊ぐらいのね。二人の旅支度を頼むよ。三時半には、迎えにいく」  「あら、素敵ね。旅に出るなんて、あなたと付き合いはじめてから、初めてだわ」  「じゃあ、そういうことで」  ゴ−ドンは、直ちに事務所を出て、写真屋でフィルム五本を買い、四丁目の人形屋に行って、主人と話し込んだ後、アパ−トに向った。  エミ−は、自分で言った通りに、几帳面な性格で、もうすっかり、旅支度の用意を済ませて、ゴ−ドンを待っていた。  通りでタクシ−を拾い、セントラル駅に向かう時には、エミ−は、すっかり、新婚旅行気分で、  「ねえ、どこに行くの。北かな、南かな」 と、おどけていた。  「北へ行く。言っておくが、これは仕事だ。ついでに、暇そうな君を連れていってやろということだ。その点、間違えないように」  「仕事といったって、簡単な調査でしょう。探偵さん」  セントラル駅で、ノ−フォ−ク行きの二人分の切符と、コンパ−トメントの座席予約をした。金曜日なので、列車は比較的にすいていて、二人の切符は簡単に取れた。  十両編成の列車の乗客は少なく、六人入れるコンパ−トメントに、ほ乗客はなく、エミ−は、  「よかったわ。これでふたりっきりで、水入らずよ」 と、喜んだ。  ゴ−ドンは、はしゃいでいるエミ−を、適当にあしらっていた。彼が考えなければならないのは、今後の行動予定だった。  (まず、地元の警察で、不審な事件の通報がなかったか、聞いてみなければ、なるまい。あとは、全て現地に着いてからだ)  列車は、十一時十六分に、三分遅れで、到着した。  駅の中に、ツア−ガイドがあり、ゴ−ドンは、  「ダブル・ベッドで百五十ドル程度を」 と申し込んだ。  ホテルは、市街地の中心部にあった。こじんまりとして古いがしっかりと営業してきた感じで、案内された三階の部屋は、綺麗に整頓されていて、シ−ツも浴室も綺麗だった。 エミ−は、  「なかなか、素敵ね。大ホテルだけが、ホテルじゃないってことね。よかったわ」 と喜んだ。  その夜は、何時もと違う場所ということもあって、新婚夫婦のように二人は、燃え、疲れ切って、抱き合って寝た。  翌日の土曜日は、会社や官庁は休みだったが、警察は二十四時間営業だ。  私立探偵の証明書を見せて、当直主任に面会したゴ−ドンは、これまでの経緯を率直に話し、協力を求めた。  「ここ、一週間位の間に、その種の猟奇的な事件はありませんでしたか」  「ちょっと、記録を調べてみるが、私の知るかぎり、ここ一年間、当警察署管内で、殺人事件は起きていない。ちょうど、一年前、ここから三マイルも北に行った農場で女が殺され事件があったが、それも、捜査の結果、自殺で終わった。平和な町なんですよ」  当直主任は、のんびりと、葉巻をくゆらせながら、面倒くさそうに、記録簿を調べはじめた。  「なにもないな。事件といえば、五日ほど前に、看板屋のガレ−ジが、焼けた程度だな。これがその記録だがね」  ゴ−ドンは、差し出された記録を、読んだ。  −− 二十九日午後十一時ごろ、ウェストストリ−ト三丁目二六のサミュエルソン工芸店の南側車庫から、火が出て、内部を全焼した。焼け跡から、マネキンらしい人の形をした人形ようの物が、七体ほど見つかったが、出火原因は不明。従業員の煙草の火の不始末らしい−−。  「どうも、ありがとう」  ゴ−ドンは礼をして、警察を出た。  サミュエルソン工芸店は、すぐに見つかった。北の入り口のドアは、施錠されており、土曜日とあって中にはだれもいないようだった。 ゴードンは、南の車庫に向かった。車庫は焼けたまま、放置してあり、入り口は開いていた。ゴードンは、中に入った。内部は暗く、ゴードンは持って来たハンディー・ライトを点けた。エミーは、「私は外で待っている」と言って、一緒に来なかった。 確かに、人形ようの焼けただれた物体が、数体、転がっていた。ゴードンは、それを写真に撮った。近くに寄って、手で触ったところ、ゴムが焼けたような手触りがした。頭の毛は焼けて、なくなっており、ただ、形だけが、人形のような感じだった。 数体を順に調べ出したとき、外から、エミーの悲鳴が聞こえた。 ゴードンは、すぐにそとに飛び出したが、エミーは、赤いポンティアックのヴァンに連れ込まれ、車は、砂を蹴立てて、走り去った。 ゴードンは、通りかかった車に、頼んで飛び乗ると、百ドル札を、運転していた若い男に掴ませ、 「あの車を追ってくれ」 と言った。 「おや、カー・チェイスかい。まるで、アクション映画だな。よし、解ったよ。おじさん」 若い男は、了解して、アクセルを踏んだ。 ポンティアックは、初めのうちは、交通にあわせて、ゆっくり走っていたが、後ろから、追跡車が来るのを、察知してから、スピ−ドをあげた。  最初の信号を赤信号でも突破し、ゴ−ドンは、若者に、  「そのまま、スピ−ドをあげて、突っ走れ」 と、発破を掛けた。  若者は、こわさ知らずに、ムスタングのアクセルを踏んだ。  右側から来たバスが、急ブレ−キをかけて止まり、その後続車が、バス後部に突っ込んだ。左から通過しようとしたトラックは、急ハンドルを切って、左側の歩道に乗り上げた。 次の交差点は信号がなかったが、ポンティアックは、右に曲がった。ムスタングも、約五十メ−タ−の距離で、追跡した。  このまままっすぐ行くと、湾へ向かう。港に入る手前には、跳橋が掛かっていて、船が通る時には、跳ね上がる。  ポンティアックは、その跳橋に向かって一直線に、突っ走った。船が下を通過しはじめ、跳橋が上がりはじめたが、一気に跳ね上がり始めた橋に、猛スピ−ドで突っ込み、空中をジャンプして、向こうへ走り抜けた。  ムスタングの青年には、突っ込む勇気がなく、また、もし突っ込んでいても、間に合わず、海中に落ちていただろう。ムスタングは橋の手前で停車し、ゴ−ドンは、ほぞを噛んで、走り去るポンティアックのヴァンを見送るしかなかった。  ゴ−ドンは、青年にホテルまで、送って貰い、部屋に戻って、トランクを開いた。  その中には、電波追跡装置が、入っており、エミ−は万が一のことを考え、ハンドバッグに、発信機を入れていた。  ゴ−ドンは、装置を持って、警察に行った。  強盗や誘拐を扱うのは、署の強行犯係だ。そのとき、任務に就いていたのは、黒人の刑事で、ゴ−ドンの届け出に、事態を正確に掌握し、無線で全パトカ−に、追跡と発見を、指示した。  マッケイと名乗った刑事は、  「捜査は正当な手続きで、順当に行われている。すぐに、誘拐犯人は捕まるよ」 と、安心しきっていた。  「なにしろ、そう大きい町ではないからね。跳ね橋を渡っていったとしたら、倉庫街だ。倉庫は五十棟程、あるが、しらみ潰しで、探してやるよ」  ゴ−ドンは、その言葉を信じたかったが、 「ここにある追跡装置を使ってくれ。方角が分かる」 と、申し出た。  「よし、では、一台パトカ−を用意するから、それに乗って行きたまえ。ジョナサン三一号車で行きたまえ」  ジョナサン・ウィリアムスと名乗る二十代の警官が、ゴ−ドンを案内した。  助手席に乗りこんだゴ−ドンは、追跡装置のウィッチを入れた。装置の液晶ディスプレ−に、点滅マ−クが、現れ、エミ−の位置を示した。  市街の中央部にある警察から、東へ行くと、港に出るが、マ−クはその方向を示していた。 追跡を諦めた跳ね橋の南側にもう一つ、高架の橋が掛かっている。サンフランシスコのゴ−ルデン・ブリッジと同様の吊り橋で、東側の倉庫街へも出られた。  パトカ−は、その橋を行った。橋を下って、倉庫街に入った。液晶デュスプレ−の表示に従い、最初の角を北に曲がったが、三つ目の倉庫を過ぎた辺りで、点滅マ−クが、消えた。 「気がつかれたか。あるいは、電池の消耗だ。多分、前者だろうな」  ゴ−ドンは、呻いた。  警戒体制に入っていた全署のパトカ−からも、赤いポンティアックの情報は、入らなかった。  エミ−の消息は、完全に絶たれたのだった。  「しかたがない。署に帰ろう」  と、ゴ−ドンは、ジョナサンに声を掛けたが、口髭を生やしたこの若い警官は、  「他に、手掛かりはないですか。その女性を追跡できるような、手掛かりは」 と、難問を持ちかけた。  ゴ−ドンには、思い当たる手掛かりは、何もなかった。  「エミ−は、こういう際に何か手係りを残すだろうか。探偵ごっこは嫌いではないほうだが」    エミ−を、誘拐したのは、ミリアン・クライストとミリアン・グリ−ンの二人のミリアンである。ポンティアックのハンドルは、クライストが握っていた。グリ−ンが、エミ−を車に引きずりこみ、後部座席で、両手を後ろ手に縛り上げ、ピストルを突きつけていた。 跳橋をジャンプした時は、後部座席の二人は、しこたま頭を天井に打ちつけた。それでも、一気に倉庫街を走り抜けて、埠頭の一番北側の、アジトに入れたのは、幸運だった。途中、一切車には会わなかったし、滑り込んで、シャッタ−を閉めたあと、パトカ−のサイレンが、聞こえてきた。  車を止めて、エミ−を引きずり降ろした二人は、地下室への階段を、エミ−をせきたて降り、エミ−は、尻を振って抵抗したが、二人の男の腕力には叶わなかった。  地下室には、真ん中に椅子があり、部屋の天井には、レ−ルを渡してあり、そこに滑車が掛かっていて、麻縄が掛かられていた。  エミ−は、椅子に括り付けられた。両手の紐が、解かれたが、すぐに、滑車から下がった縄に、両手を結ばれた。  「お姉ちゃん、なかなかのボインだね。そそられるぜ」  グリ−ンのほうのミリアンが、涎を垂らしそうな、顔をしながら、エミ−の頬を撫でた。エミ−は、横を向いて振り払おうとしたが、ミリアンは、しつこく、彼女の頬を撫で続け、最後は、平手で、殴りつけた。  「あんたをこんな目に合わせたのは、全て、ゴ−ドンのせいだよ。あいつが、この町に来ることは、分かっていたが、まさか、あの現場を突き止めるとわな。おれたちゃ、もう、許しておけねえんだ。あんたを人質にして、この一件から、ゴ−ドンに手を引いてもらわなくちゃならない。あんたには悪いが、そういうことだ」  クライストは、そう言って、エミ−に猿轡を噛ませた。  そのあと、彼女が味わった屈辱は、酷いものだった。着ていたワンピ−スを完全に引き裂かれ、下着だけにされて、滑車に吊るされた。両足も縛られ、両手の方に、体を海老のように曲げられて、二人の男に弄ばれた。男たちは、二時間もそうしたサディスチックな遊びを、楽しんだあと、自らの手で射精し、エミ−を吊るしたまま、新聞の活字を切り貼りした、ゴ−ドンヘの挑戦状を残して、地下室を出て、車で逃走した。  ゴ−ドンは、思案したが、ある時、万が一の場合にと、エミ−に教えた緊急策が、あったことを思い出した。  「ジョナサン、済まんが警察犬を頼む。私をホテルに送ってから、警察犬を連れて、戻ってくれ」  ジョナサンとゴ−ドンは、引き返した。ゴ−ドンは、ホテルにもどって、エミ−の旅行カバンを開け、中から小瓶を取り出した。  警察犬を乗せた車を従えたジョナサンが、戻ると、再び、先程の橋まで引き返し、跳橋の側に、回った。そこで、警察犬を降ろし、小瓶の液体をハンカチに取って、嗅がせた。 警察犬は、追跡を始めた。倉庫街を北上し、埠頭の先端まで、行くと、そこで警察犬は、立ち止まり、シャッタ−前で、そわそわしはじめた。  全パトカ−に、招集が掛けられ、警戒灯をくるくる回したパトカ−が、倉庫を包囲した。シャッタ−が、こじ開けられ、中に防弾チョッキの警官が乱入した。すぐに、地下室への階段が、見つかり、あられもない姿のエミ−は、保護された。  ゴ−ドンが、エミ−に近寄ると、エミ−は、彼に抱きつき、激しく泣きじゃくった。 「ゴ−ドン、私、殺されるかと思った。酷いことをされたわ」  「悪かった。俺が連れてこなければ、良かったんだ。許してくれ」  ゴ−ドンは、強く、胸に彼女を抱きしめた。   ホテルに戻って、彼女を寝かしつけてから、彼は警察に行った。  マッケイ刑事部長にその後の捜査状況を、尋ねたが、色好い返事は得られなかった。  「広域配備をして、車を追っているが、まだ、見つかっていない。簡単に解決すると思ったのだが。あとで、エミ−の調書を取りたいが、彼女は大丈夫かな」 と、容体を気使った。  ゴ−ドンは、  「今日は、無理でしょう。明日、元気になれれば、署に越させます」 と言って、引き換えそうとしたが、  「ああ、犯人は二人組だと、彼女は言っています。背が高い痩身の男と、中肉中背の長髪の男だと言っています。長髪の男は、革のジャンパ−を着ていたようです」 と、刑事部長に教えた。  ホテルでは、彼女は眠っていなかった。  「こんな事件の後では、興奮して、眠れないわ。ねえ、話をして、ゴ−ドン」 と、彼女は甘えた。  「しかし、酷い目に会ったにしては、元気だね。俺は見なかったが、相当酷い姿にされていたそうだね」  「そんなことは、どうでもいいわ。わたしはマゾじゃないから、何にも感じないし、あいつらを馬鹿だと思うだけよ。それより、緊急時にと、あなたが、教えてくれたことが、役立ったわね。例の電波探知機は、くそ役に立たなかったけど」  「そうだね。でも、よく忘れずにいたね。さすがに、君は、探偵のガ−ル・フレンドだ。あんな緊急時に、よくやった」  彼が、教えていたのは、小さな香水の瓶を割ることだった。エミ−は、後ろ手に縛られるとき、隙を見て、ポケットの香水瓶を取り出し、蓋を開けたのだった。その微かな香りを警察犬の鼻が嗅ぎわけ、あと数時間経ったら、危なかった彼女の命を救ったのだった。 エミ−は、翌日、警察で事情聴取を受け、調書を取られたあと、ゴ−ドンと二人で、列車で、ニュ−ワ−クに、戻った。 ゴーファーで  ゴ−ドンは、イ−スト・サイドの彼女のコンドミニアムに、送っていき、泊まった。彼女の立ち直りは早く、翌日の月曜には、  「今日は、会社を休むから、早く犯人探しを、一緒にしましょう」 と、ゴ−ドンをせきたてた。  ゴ−ドンは、考えた。  (手掛かりは、かなりある。「クライスト、ミリアン」と、犯人たちが呼びあっていたこと。サミュエルソン工芸店で撮った写真。髪の長い男)  彼は、反芻して、  「おれのアパ−トに行こう」 とエミ−に言った。 ソーホー地区の彼のアパートについて、彼は、コンピューターのスウィチを入れた。ネットスケープをクリックして、ネットに入った。そこから、まず、サーチャーを見つけ、「ドール」という項目名で検索した。人形である。 それは、エミーが、誘拐された現場に残された彼への挑戦状に 「これ以上、われわれの事を調べるな。死にゆく青い目の人形より」 とあったからである。 「ドール」を名乗るサーバーは、五つあった。インター・ネットは、世界中をカバーしているから、世界に「人形」をテーマにしたサーバーは、五つしかないということだろう、と彼は、考えた。 その一つ一つを当たっていったが、「ミリアン」も「クライスト」も「グリーン」の名も見つからなかった。 (手掛かりは、ネットにはないのか) と、考え、彼は検索を諦めた。 その後、彼は暗室にしているトイレの洗面台で、撮って来た写真を現像した。彼はカラー写真の現像液も揃えており、まず、フィルムを現像して、良いコマを選び、キャビネ版に引き伸ばした。 写真には、焼けただれたマネキン人形のようなものが、映っており、そのうちの特に彼が注目した一体を、大写しにして焼いた。 それは、身長が一八〇センチくらい、中肉中背で、長髪の人形だった。 彼は、その写真を、先日、ネットからダウン・ロードした遺体の写真と重ねあわせて見た。形態はかなりの部分が、一致した。輪郭が、相当、似ていたのだった。 ゴードンは、エレミー・ツウィスキーに、電話した。 「御主人の遺体が、見つかりました。写真だけですが、確認しますか」 「はい、そうですか。では事務所にうかがいます」 エレミーとゴードンは、正午にゴードンの事務所で待ち合わせた。 「これが、写真です。焼けこげていて判別が難しいですが、焼死体ですね。警察でこれを見せれば、証拠になりますよ。御主人の死亡確認にもなるしょう」 「やはり、死んでいたのですね。遺体は手に入るのでしょうか」 「いや、警察が事件の証拠に、確保していますから、無理でしょう」 ゴードンは、嘘をならべた。彼には彼のある考えが、浮かんでいた。それには、彼女に、「夫の死」を信じさせる必要があった。 彼女は、信じて、写真を市役所に提出し、死亡確認所を交付してもらい、ささやかな葬儀を行った。ミリアンは、十二万ドルの死亡保険を掛けていた。それは、すべて、受取人になっていたエレミーのものになった。 ゴードンのネットでの捜査は、続いていた。あるひらめきがあって、サーバーの所在を探るゴーファーで、彼は「エイズ」を検索した。すると、またまた、マリリン・チェンバースの「エイズ・エイド」というサーバーが、見つかった。 彼は、E−mailで、マリリンに、ある要請を行った。 それは、 「ペンシルヴァニア州の登録メンバーを教えて欲しい」というもので、マリリンは、翌日、公表してもいいとされているメンバーのリストを送信してくれた。 プロフィールを見て行くと、ミリアン・グリーンの名前が、見つかったのである。 住所も解ったし、電話番号も判明した。 彼はその番号に電話して見た。出て来たのは、中年の男の声で、 「確かに、私はミリアン・グリーンというが、あなたのいうようなことには、まったく心当たりが、ありませんね」 と答えて来た。 ゴードンが聞いたのは、 「パソコンデインターネットに入ったことはないか というだけの単純な質問だったが、彼は 「私は、目が悪くて、パソコンなんて使えませんよ」 と簡明に言った。 ゴードンは、 「どうも失礼しました」 と言って、電話を切った。 シャット・ダウン 自分のWWW「ゴードン・フェイズ」に戻って、「クライム」まで来た。そこで、彼は、ミリアン・グリーン&ツウィスキーからのメールがあるのを見つけた。 メールは、以下のようだった。 ーー 探偵さん、こんにちは。もう、あんたも、解っているだろうが、あんたのかわいい彼女を、可哀想な目に合わせて、ごめんよ。あんたの追跡が厳しいので、ついやってしまったというのが、本当のところだ。それにしてもあんたは、良い女友達を持っているね。彼女の体は素晴らしいよ。きっと、心も最高だろう。 ところで、あんたが、追いかけていた「殺人事件」は、われわれが仕組んだものだ。 エレミー・ツウィスキーは、性悪女でね。ミリアンを苛めぬいたのさ。「稼ぎがない」と責めたり、夜遅く帰ると、「女ができたのか」と、嫉妬もひどかった。 それで、ミリアンは、俺達に助けを求めて来た。俺達はゲイ仲間さ。グリーンは、エレミーが、とても気に入って、好きになった。二人は、良い「恋人」だよ。それで、グリーンが、ミリアンを助けるために、一計を案じたのさ。あんたのサーバーに、マールを書いて、興味を起こさせ、「マッド・ボディー」に写真を載せた。ニューズに、「事件」を書いたら、あんたはまんまと乗って来て、はるばると、ノーフォークまで来たね。サミュエルソン工芸店で、あんたが見つけたのが、死体の正体だよ。 そこまでは、あんたも推理していたろう。だから、おれたちは、あんたの彼女を誘拐した。警告しようと思ってね。場合によって、彼女が死ぬようなことが、あっても、おれたちには逃げきる自信が、あったからね。 でも、もうお遊びは終わった。エレミーが、ミリアンの葬式を出して、ミリアンは、この世から消えたのだ。それで終わったんだ。おれたちは、明日、この国をでる。アジアの中央部の高い山に登って、死を待つのだ。どうせ、われわれの命は、長くない。二人とも「エイズ」に罹っているのだから。あんたが、写真でみた斑点は、そのためだ。 グリーンは、見事な人形師さ。マネキン制作では、一級の腕を持っている。マネキンにゴムで細工して、顔や皮膚を作った。写真では、本物と見分けがつかないが、さすがに、探偵さんは、現場で、触って見て、われわれの仕掛けを見破ったようだね。 われわれの命は、もうそう持ちそうもない。はるか高山の上で、鳥に食われる鳥葬というものがあるが、われわれも、そうして天国に召されるつもりだ。 探偵さん。さようなら。かわいい彼女にくれぐれもよろしくなーー。 ゴードンは、これを読んで、自分が考えていたことが、正しかったとの確信を得た。殺人も自殺も、現実にはなかったのだ。 ミリアンが、妻と別れるために、ゴードンのWWWを利用しただけである。 それにしても、タイミングよく、エレミーが、依頼に来たものだ。 と考えて、ゴードンは、はっとして、気がついた。 エレミーは、ミリアンの死で、大枚の死亡保険金を手にした。 (そうか、彼女も、グルだったのか。外国へ逃げるための金を、そうやって、せしめたのだ) そう、思い当たって、エミー・ブレアの誘拐事件の意味が解った。 (男二人だの犯行に見せかけたかったのだ。れに、そう思わせる手段か) 彼は、エレミー・ツウィスキーの家の電話番号に電話した。 「この電話は、現在、使われていません。電話番号をお調べになって、お掛けなおし下さい」との女性の無機的な声が、返って来た。 ゴードンは、エミー・ブレアに連絡して、五番街の例のカフェ・バーで、会った。エミーに、彼の推理を話すと、エミーは、 「ということになると、馬鹿を見たのは私だけってことね。でもまあ、良い経験をしたわ。スリリングだったしね。あのカーチェイスだって、結構、おもしろかった。橋を飛んだ時は、もう、だめかと思ったけれど」 「でも、君の勇気には感服したよ。香水の件だって、冷静沈着だった。犯人は取り逃がしたけど、結局、事件としては、君の誘拐と保険金詐欺が、残ったわけだ。彼らの言うことを信じれば、彼らの命はそう長くない、ということだ。あるいは、かれらは嘘を言っているのかもしれない。そうだとしても、同じ事件は、もう起こさないだろう。こんど、起きたら、今度こそ、引っ捕まえてやるさ」 エミーは、その夜、ゴードンのアパートに泊まった。 ゴードンが、往生したのは、彼女が、ベッドで 「ねえ、私を後ろ手に縛って、見て」 とせがんだことだった。 (終わり)  全てが、幻影だった。イルージョン、現実とは何なのか。達也は、遠くに見えたあの影を確かめてみたくなった。  (いったいあれは、現実なのか、単なる影なのか)                       (2)  次の朝、達也は朝日と共に目覚めた。東の空に姿を見せた夏の太陽は一枚ずつ、ゆっくりと闇を破り、湖面を金色に染めていった  その一時間ほどのショーを、何をするともなく、ベランダの籐椅子に座って見詰めていた達也は、七時頃から、いつもの朝の日課に取り掛かった。  Tシャツとショートパンツに着替えて、階段を降り、庭に出た。湖までなだらかに続くスロープの芝生がみずみずしい。緑の絨毯のように、手入れがされたーーこの手入れも、ここでの達也の役割りだった。達也は毎週、月曜日をその日に決めており、手押し式の芝刈り機で、端から端まで丁寧に芝目を揃える。それだけで一日仕事になったーー芝生の上に「エイッ」とばかりに腹這いになって、腕立て伏せを二十回。続いて、ラジオ体操で柔軟体操。この後、五キロのランニング。これが、達也が自らに課した毎朝のメニューだった。最初に厳しい腕立て伏せを持ってきたのは、若さ故の自信からである。  ラジオに合わせての体操の後、達也はいつもの通り、白樺林を縫って走った。キツツキが、「トントントン」と木を叩く朝の共演はもう終わっていたが、「ホーホケキョー」と時折ウグイスが鳴きながら飛び去って行くのに出会いながら、達也は朝のオゾンを含んだ空気を胸一杯吸い込んで、走った。朝の大気には味があった。空気に森の生気が染み込んでいるようだった。  「家に戻った後、あの家に行ってみよう」とこれからの計画を決めた達也は、ランニングを終えると、里子が用意したカリカリのベーコンエッグとアスパラサラダ、コーヒーとクロワッサンの朝食をとった後。再び二階の自室に戻り、双眼鏡で対岸のあの家の辺りを探ってみた。  ベランダに男はいなかった。朝の光は外の光景を明るく写し出すが、家の中を見るには不都合だ。部屋の様子を伺うのは、夕暮れ時からでないと難しいーー。そう考え当たって、達也は自ら頷いた。  愛車を駆って、対岸へ走った。今日も天気は良さそうだ。昼までには、気温も急上昇し、肌を焦がす陽光が降り注ぐだろう。それまでにはまだ時間がある。  道を昨日とは逆方向に進んでいくと、こんもりと茂った原始林を切り開いて、出来たばかりの上り道が対岸まで走っていた。いきなりのきついストレートの上り坂はその日の調子を見るには一番だ。不調のときは、登り切れずに途中で降りて、惨めに愛車を引いて歩くこともあったが、今朝は違う。ギアを中速に合わせて、一気に坂を駆け上がっていった。車は一台も来ない。真新しいセンターラインを外さないように……。道は達也一人のものだった。  とうとう、車には一台も出会わずに、坂を登り切った。次は右カーブが待っている。真っ直ぐに行っては、そこに一区画を成していた別荘地帯に突き当たってしまうため、道は右へと避けていく。そしてまた左へと折り返した丁度角のところに、洒落たレストランがオープンしたのを達也も知っていた。  白いビクトリア朝風の建物は、それ程大きくはないが、小綺麗な感じに纏まっていて、今で言えば東名インター入り口の世田谷・瀬田辺りにある郊外レストランを小振りにした風だった。だがそれらほどに俗悪でなく質素なのが、好感を持たれた。  専ら走ることにしか関心がなかった達也にとって、「また新しい店ができたのか」ぐらいにしか意味のない存在だったが、この朝は違った。  玄関前で、ホースで水を撒いていた男が、達也が走って行くのを見掛けて、突然、水撒きを止め、店の中に入って行ったのが、何か異常な動作に思われて、達也の心に異物を投げ込んだ。  入り口のポーチに自転車を立て掛けて、達也は店内に入っていった。左側のカウンターの中に、今見たばかりの男がいたが、店内に客は一人もいなかった。  男は新聞を読んでいた。日本語のものではない。横文字の新聞だった。後ろの食器戸棚に凭れ掛かり、右手を下にして斜に構え、両手で開いた新聞を、鼻の下にずり落ちたメガネ越しに読んでいた男は、達也が入っていっても、身動き一つしなかった。  といって、活字を追っているようでもない。 中肉中背、額の上が少し禿げ上がり、白いものの混じった頭髪を丁寧に後ろに撫で上げて整えてある丸顔は、肌の色艶もよく、男の健康を物語っていた。茶とグレイのチェックのシャツの上に、黒い毛糸のセーターを着ていて、身嗜みがこざっぱりしているのが好ましかった。  「お早う御座います」  カウンターの椅子に座りかけながら、達也は元気一杯に、出来るだけ明るく声を掛けた。 男は初めて気が付いたように新聞から目を離し、じっと達也の目を見詰め、  「いらっしゃい」 とよく通るバリトンで答えた。  カウンターの上のメニューに「朝食」を見付けた達也は、  「モーニングを一つ」 と注文した。朝食は十分済ませていたはずだったのに、長い上り坂を一気に駆け上がった後だけに、若い胃袋はもう食欲を回復していた。  「分かりました」 と、男は頷いて、調理にかかった。  馴れた手つきで、卵が割られ、見事に丸い目玉焼きが焼き上がり、コーヒーが入れられ、パンがトースターから跳び出した。それら全てが、トレイの上に整然と並べられ行くのを、見ながら、達也はその手際の良さに感心した。 目玉焼きが絶品だった。黄身は周囲が程よい固さで、半熟の中央部をしっかりと支えていた。それを薄く覆った被膜は、こんもりとめりはりを効かせて盛り上がり、白い裾野と一線を画していた。黄色の丘陵を取り巻く白身の部分は、押すとプリプリとはね返るような程良い固さで、しかも裏側に焦げ目はほとんど無かった。東京のホテルのコックでさえ、これほどの目玉焼きを作れるものはそう多くはいない。  パンもうまかった。見た目は町のパン屋の斤売りのパンと変わらなかったが、味が全く違う。歯にこびりつくような変な粘りもなく、ふくよかで、十分に空気を取り込んだパンの組織が、上手に焼き上げられて、キツネ色に変わり、ややざらついた表面の感触が「うまいパンの味」を納得させていた。 (里子おばさんのもかなりのものだが、やっぱり、あれは主婦の味。こいつは正にプロの味だ) と達也は心中、感嘆した。  「とっても素晴らしい目玉焼きとパンですね」  別に、お追従というわけではなく、心から、 この言葉が出た。  「そうですか、そう言っていただくととても嬉しい。自己流に過ぎませんがね」  「自己流だとすれば、もっと凄い。これ程のものを、あんなに手際良く作るなんて…。僕は目玉焼きについてはちょっとうるさいんです。子供の頃、早く学校が終わって家に帰ると、いつも祖母が昼食に目玉焼きを焼いてくれました。これが凄く上手でこれまであれ以上のものを食べて事がなかったけれど、あなたのはそれ以上だ」  「そうですか、もともとこういう簡単な料理こそ難しいものなのです。手際が肝腎ですから。じっくりと時間が取れるフランス料理なんかはコックの粘りですが、こういう料理は、時間と熱加減との兼ね合いですからね。最上の油と卵を使っても失敗することがあります。今日のは麓の農家の自家製卵に紅花油を使ってみましたが…」  「わずか三百円のモーニングセットにそんなに手を掛けているんですか。とても儲からないですね」  「いいんです。これは私の趣味ですから。食べて下さる方がいれば…。そう、この私の目玉焼きを食べて下さる方がね」  その人はそこまで入って、あとの言葉をとぎらせ、視線を外に移した。  「どうして、こんなにお上手に? 」  こちらへ注意を向けさせるべく、達也は構わず質問した。再びこちらを向いたその人は、 「そうね。何て言って良いのかな。一念という事ですかね。私にも、目玉焼きの忘れられない思い出があるのです。もうだいぶ昔のことですがね。その思い出を、性懲りもなく大事にしているのですよ」  カウンターの上に花があった。大振りの花瓶から溢れるばかりに盛られた大柄な花は、いま切って来たばかりに瑞々しかった。  その人は、今度はその花を見詰めながら、  「この花と一緒にね…」 とポツリと漏らした。  花は南洋の香りがした。紫、ピンク、赤が入り混じり、原色が強烈だったが、夏の季節には合っていた。  「これ、蘭の一種でしょう」  「そうです、良く御存知ですね。こっちのがカトレア、あっちのはシンビジュームと言います。私が育てたのですよ」  「これも手造りですか。やっぱり、違うなあ、花屋の花ではないような気がした」  「とても手がかかるものです。温室で十分温度に注意をして、毎日面倒を見てやらないと、ここまでは育ちません。まあ、子供を育てるようなものですよ」  「なるほど…。これ切ってきたばかりのようですね」  「はい、私が今朝切ったばかりです。その先に見えるでしょ、ベランダのある家が。あそこから、持ってきたんです」  窓の外を指差されて、達也が振り返った先に見付けたのは、前の晩、望遠鏡を覗く男を見たあの広荘な別荘だった。         (3)  「若し、宜しければ、私の蘭たちを見て戴けませんか。御案内致しますよ」 その男は、あくまで丁重に達也を誘った。  「そうですね。僕もこの花にはとても関心があるんです。こんなに立派に育て上げるのは、大変でしょうね。せっかくのお誘いですから、見せて戴きましょうか。でもお店は、良いんですか」  「どうせ、今日は大して客も来ないでしょう。まあ、今日と限らずこんなものですが。ちょっと、入り口に鍵を掛けりゃあ、お終いですよ。今、火を落としてから、さっそく、行きましょう」  達也にとっては、渡りに船だった。あの家がこの男の持物で、その男が自分のほうから別荘に誘ったのである。断る理由はない。  だが、ちょっと、引っ掛かるのは、それ程客も入らず、儲けにならないようなレストランを開いていながら、なぜあんな大別荘をもち、蘭を栽培するなどという、金のかかる趣味を持っているのか、という事だった。  (まあ、そんなことは、いずれ分かるだろう、とにかく行ってみることだ。虎穴に入らずんば虎児を得ず、と言うわけさ) と納得して、達也は、外へ出た。  男は、達也の後に続いて、店を出、入り口に鍵を掛けると、水栓のそばの白樺の大木に寄り掛けておいたバイクに股がり、ゆっくりエンジンを掛けた。  走り出したバイクを追って達也もペダルを踏んだ。左カーブを描きながら、徐々に上っている道は、決して楽ではなかったが、男のバイクはそれほどスピードを上げず、達也が付いていくのが苦にならないように、気を利かせてくれているのがよく分かった。  前夜、達也が、愛車を凭れ掛けさせた柵の続きに門が作られており、広い間口を横にスライドする門扉が塞いでいた。男はバイクをその前に横付けし、鎖を繋ぐ錠前に鍵を差し込んで外し、門扉を力一杯開けた。  「さあ、いらしゃい」 と言われて、達也はもう一度愛車をスタートさせ、庭内に入って行った。  家は、西洋風の白い建物で、門から五十メートルも行くと玄関が左に、右には銅板葺きの屋根の下に軒下が総ガラス張りのサンルーム風の大きな部屋があるのが目に入った。  案内されて玄関から、その部屋に入った達也は、目を見張った。  溢れるばかりの色彩と狂おしいまでの花の匂い。棚という棚に鉢植えが置かれ、天井からも小鉢を吊るすチェーンが何本も降り、三方の壁も壁付けの棚に規則正しく置かれた花々の容器で埋め尽くされていた。  全面が一枚ガラスの南側から夏の陽射しが燦々と降り注ぎ、床にしつらえられた籘のテーブルと、背凭れが極端に高くゆったりとした安楽椅子が、南洋のトロピカルな雰囲気を醸し出していた。天井がトルコ風で一段窪んだ所の中央で大きなヤツデの葉っぱのような四枚羽の扇風機が、今にも止まって終いそうなゆったりとした速度で部屋の空気を掻き回していた。  「どうぞ、その椅子にお掛け下さい。今、お茶を入れますから。コーヒーで良いですか。それとも、何か冷たいものでも…」  「いや、構わないで下さい。驚きました。これはまるで別世界だ。日本じゃないみたいです」  素っとんきょうな声を出して、立ちすくんでいる達也に、男はこう言って促した。  「まあ、そうおっしゃらずに、先ずお座り下さい。そんなに驚くほどのものではありませんよ。私もあなたと同じ物にしますが、あなたの興奮を冷ますためには、コーヒーよりジュースかな」  いかにも人生を味わい尽くした熟年のゆとりだけが生み出せる温和な微笑みが男のもてなしの心を素直に伝えていた。 「ええ、結構です。オレンジ・ジュースにして下さい」  達也は応じた。  奥に入って暫くしてから、ゴブレットに絞りたての果物の液を一杯にして持って来るとテーブルのガラス盤の上に置き、自分も達也の対面に腰掛け、  「まあ、一息入れましょう」 と寛いだ顔付きになった。  「これだけの花々を世話をするだけでも大変でしょう」  問わず語りの問い掛けに、男は一口、喉を潤してから、  「そうです。そのお話を是非聞いていただかなくては。そのために…そのために、あなたに…あなたを、お招きしたようなものですからね」 と、口ごりながら、  「でも、まだいいでしょう。それより、あの丘の上を御覧になって下さい。光っている建物があるでしょう。あれがこの花達の生まれ育った温室です。ここにある花は皆私があそこで育てました」  達也は広いガラス越しに太陽を反射して輝く角張った建築物を見た。白色の枠組みのなかに嵌め込まれたガラスが一枚ずつ太陽光線を跳ね返し、さながら古代ギリシャの宮殿のように小高い丘の頂上で辺りを睥睨していた。  「どうです。よろしければ、行ってみませんか。少しまた登らなければいけませんがね。なに、大した事はありません。きっと、もっと驚かれると思いますよ」  思わせ振りな口調でそう誘いを掛けてきたことに、達也は不気味さを覚えたものの、まず昨晩の疑問の解明という命題を果たす目的意識と中年男の落ち着きぶりへの若い反抗心から、即座に、  「行きましょう」 と返答していた。  ジュースを一気に飲み干してから、二人は揃って、外へ出た。  南側の庭から、なだらかに丘の上まで続くスロープは良く手入れがされた一面の芝生だった。刈り揃えられた芝目が整然と帯のように繋がっていた。ビロードのような細かさである。  二人はゆったりとした足取りで、歩いていった。進行方向左側に当る前の家の辺りだけに、丸く刈り込まれた灌木が寄り添っている。これも良く手入れがされていて、ボンボリ型の丸みを乱す余計な葉は出ていない。  (夏だというのに、立派なもんだ) そんなことを、考えながら、達也は男の後に従った。  最後の石段を登り切ると、頂上はやや平らかになっていて、その平地の上に、先程窓ガラス越しに見た建物があった。  下から眺めたよりも、ずっと大きい。高さは、総二階建ての住宅程もあり、本格的な植物園と同様だった。南側の屋根が北側より広く、登っていった正面にある入り口は、西向きに開いているため、こちらから見ると、右辺の長い三角形が二階部分を覆っていた。         (4)  男の後にしたがって、達也は、その温室に入っていった。燦々と輝く陽光を吸い取れるだけ吸い取ったように、室内には光が溢れていた。まるで熱帯地方の植物園に突然、ワープしたような奇妙な感覚に襲われて、達也は現実感覚を失った。  室内一杯に撒き散らされた、あの高貴な花特有の包み込むような薫り。純白の乱舞。大柄な熱帯生れの花の女王が撒き散らす色香の中で、達也は、昏倒しそうになった。  「この温室には、二十二種類の蘭が栽培されています。市場に出すものには大したものはありません。やはり、温室ものは、最近盛んになった現地からの空輸ものには、鮮度ではかないませんからね。私は商売のために、栽培しているわけではないんですよ」  男は、一人で頷くように、語り掛けた。  達也は、この花ばなの繚乱と香りの洪水に、 我を忘れていただけに、ただ、  「はあ」  とだけ頷いた。  男は続けた。  「色々な種類の花を、掛け合わせると、新しい品種が生まれます。それにはいろんな技法がありますが、私の究極の夢は、ブーケにして程よい大きさで、品の良い薫りを持ち、その花にしかない個性を感じさせる種を作ることです。長い間、試行錯誤を繰り返して、やっと、夢に近ずくものが出来たのです。それを、あなたにお見せしたい。見ていただきたいのです」  達也はその言葉に、有無を言わせぬ迫力を感じて、  「ええ」 と言うしかなかった。  広い温室の中央部に、更にガラスで仕切ったコーナーがあり、達也はそこに導かれた。 これまでとは違った感じの、可憐な様子をした純白の花が、それでも、独自の存在を主張して、小鉢に分けられて、並んでいた。  カトレアのように大柄でなく、しかし、気品を感じさせる色艶を持ち、仄かな甘い薫りを放っていた。  「何度も、交配を繰り返して、ここまで、来ました。小柄ですが、大型蘭の気品を備え、色も香りも劣りません。私の二十年以上をこの花のために注いだのです。こうして、あなたに、お見せできて、本当にうれしい。世間にも知られていない私だけの蘭の花。いかがですか。出来たら、私は、この花の名前を、ある方に付けていただきたい。その事もあって、あなたをお誘いしたのですよ」  一言ずつ噛みしめるような言い方で、男は達也に語り掛けた。  「それは……、だれですか。私の知っている人ですね」  「そうです。しかし、その人が承諾してくれるかどうか。私はあなたに、それをお願いしたいのです」  「よく分かりませんが、その人は僕の知っている人なのですね。それなら、勿論、お引き受けしますよ」  「お願いします。その方は……。あなたと一緒にあの別荘にいらっしゃる。私の……、大切な方。あなたの伯母上に当る方なのですが……」  「里子伯母さん。でも、何故」  「わけは、聞かないで下さい。あの方に余計な心配を掛けたくない。ただ、この花をお見せして、なんという名が相応しいか、それだけを、聞いて戴ければ良いのです」   達也は、咲き乱れていた花の中から男が選りすぐった花を纏めた花束を抱えて、温室を後にした。  燦々と陽光がきらめいていたその温室から、 外に出てみると、空気はかえって湿っていて、 Tシャツだけの達也の肌にまとわりついた。小高い山の上に建てられ、夏の間は特に通風を良くしなければならないその花のために設計された建物は、見た目よりは人間にとって、凌ぎ易く、心地好い場所なのだと言うことを、達也は、外に出て、実感したのだった。  (とにかく、この花を届けなければ…。伯母さんは何と言うだろうか。あの何事にも動じないような、どっしりとした落ち着きが、存在感たっぷりの、あの里子伯母さんが)  花束は、左手に抱えた。前と後ろに物を括り付けるためのキャリアーは、あるのだが、そこに縛り付けたくはなかった。あくまでも「この僕の手で」その花ばなを、しっかり運んでいかなければと思っていた。それは、漠然とした思いではなく、確信に満ちた意思だった。 下り坂で愛車はスピードを上げた。太陽は正中した。もうすぐ、教会の鐘が鳴る。その音をきっかけに、朝食の後片付けと洗濯を終えて、しばしの貴重な自由時間を楽しんでいただろう、愛する里子伯母さんは、昼食の準備を始めるはずだった。  いつものように、入り口の木の柵に車を立て掛けて、左手の花束を右手に持ち変えた達也は、心の中で、あのビ−トルズの名曲「イエスタデー」のメロディーを口ずさみながら、玄関のドアーを開けた。  同時に、ピン、ポーンとチャイムが鳴って、 直ぐに「もうすぐお昼御飯ですよー」と弾んだ伯母の声がした。  オープンキッチンで、こちら向きに、フライパンで何かいためものをしていた里子は、ダイニングに達也が入っていっても、顔を上げなかった。  ゆっくりと近づいた達也は、両手にもった花束を、無造作に、思い切り、里子の目の前に、グイと差し出し、  「はい。おばさん。僕からのプレゼント」と明るい声でぶっきらぼうに、言った。  驚いて、顔を上げた里子は、目の前に、突然、広がった花の洪水にも係わらず、まったく、動じずに、  「あら、珍しいシンビジュームね。新種かしら」 と、さりげなく、答えただけだった。  だが、その後に   「あら、切り花にしてしまったのね。もったいないわ。鉢植えなら長く楽しめたのに。早速、活けましょうね」と持ち前の明るい声が続いた。  奥の間にいって、大柄で、どっしりしたガラスの花瓶を探してきた里子は、花の水きりを素早く済ませると、その性格そのままに、思いきりどっさりとしたボリュウムに、花ばなをあしらった。  達也が、しっかり抱えてきた蘭の花は、精気を吹き込まれたように、生き生きとし、内に秘めていた光を解放し始めたように、思われた。  里子は、藍色の縞模様が入り、デフォルメされた型のガラスの花瓶を、いつも、家族が集うメイン・ダイニング・テーブルの丁度、真ん中に、無造作に置いた。  テーブルの中心から、輝かしい光線が、ほとばしるのを感じて、達也は目がくらみそうになった。  二階の自分達の部屋で、思い思いに、午前中の不安定な時間を過ごした麗子とその可愛い一人娘の由美が、降りてきた。朝と違うテーブルの様子に、まず感嘆の声を上げたのは、小学校五年生で、おしゃべり盛り、日々の何気ない出来事にも、大人のいく層倍の好奇心を見せる由美だった。  「わー、すごい。綺麗なお花がこんなにいっぱい。おばあちゃま、どうしたの。花屋さんが、持って来てくださったの。でも、なぜ。今日は私の誕生日ではないわね。なにか、良いことが、あった日でしたっけ」  小娘のくせに、生まれたときから、伸ばしっぱなしのロング・ヘアーで、それを三つ編みにしたり、ポニーテールにしたり、しょっちゅう髪形をかえて、そのスタイルに合わせてデニムのジーンズやタータンチェックの吊りスカートで現れては、達也を新鮮な愛しさに誘い込む由美。この冬、洒落た仕立てのジャンパーを誉めてやったら、  「おじちゃま、目が高いわね。私、最近、スコッチハウスに凝ってるの」と、小さな鼻をツンとさせたっけ。  「ほんとうね。素晴らしいお花ね。こんなにたくさん。今日の食事は、進みそうだわ。お食事は、やはり、雰囲気が大切。由美も、いつものように、ジュースだけで済ましたりしないでね」 と、やはり、麗子には、育ちざかりの由美の小食なのが気掛かりだ。  昼はいつも、簡単に済ますのが、慣例だったから、今日も、例によって、そう麺と精進揚げかと、思っていたら、里子伯母さんは、この花束が来るを予想していたかのように、洋食をこしらえていた。と言っても、スパゲッティ。それでも、マッシュルームをホワイトソースで煮込んだ「サトコ風」の、手の掛かったやつだ。  当然ながら、食卓は、花の話題で占められた。  「達くんが、貰ってきたっていうけど、なぜ、その方、そんなことしたんでしょうね」と、自然な口調で麗子が聞いた。滑らかに、人を警戒さない、気さくな所が、麗子の美点だと、達也はいつも思う。  「僕にも理由は解りません。ただ、その男の人は、里子伯母さんに、この新種の蘭の命名者になってほしい。そう言って、僕に持たせたのです」  「それなら、おばあちゃまの知っている方でしょう。おばあちゃま、心当たりが、ないのかしら」  由美が当然のように、疑問を呈した。  「私のような、年寄りに、花束を贈ってくれるような人なんて、いまさら、いませんよ。そりゃあ、若かった頃は花束ぐらい貰ったことが、ないわけじゃないけれど。孫のいるおばあさんに、見知らぬ人から、花束とは、こりゃあ、まったく、ミステリーだわね」  「お母様は、いつも孫がいる年寄りとか、おばあさんだとか、おっしゃるけれど、まだ、歳は五十代よ。人生七十年以上生きる時代に、五十代は熟年よ。精々、若いツバメでも作って楽しまなきゃ。一度しかない人生ですよ」 いつも麗子は、言うことが、さばけている、と達也は、また、わずか五歳だけ年長の従姉を尊敬してしまうのだ。十代で結婚して、子供を生んで、二十一歳で離婚するという、世間にそう多くはないだろう人生経験が、女性特有の楽観主義に重みを加えていた。  「まあ、確かに謎の人物です。ただ、これは僕の第六感に過ぎないのですが、例の、いつも夕暮れにこの家を望遠鏡で見ている男とは、違う人だと思います。最初は同じかと思ったのですが、直接、話をした様子と、体つきからも、違う人のようです」  「名前を付けてくれなんて、随分厚かましい感じだけど、花の名前の命名者ってのは、ロマンチックでいいわね。お母様が嫌なら、私が考えてみようかしら」  麗子が乗り気になった。  「ママ、私も考えてあげる。私、学校のシクラメンに全部、名前を付けてあげたのよ。梅色の花のには梅ちゃん、その隣の小さいのには梅美ちゃんと小梅ちゃん、パンダちゃんとコアラくんもいるの」  由美には、花も、友達なのだ。  「私は、結構よ。麗ちゃんにお願いするわ。 皆でよく考えてあげてくださいね。蘭の花。熟年。ツバメ。青春。蘭の花……」  そう、独り呟きながら、里子は、食事の後片付けを始めた。  リビングに移って、ティータイムになった。  その前に。達也は、二階に上がって、植物図鑑を引っ張り出してきた。  「一口に蘭と言っても。随分と種類が多いようだよ。先ず、洋ランと東洋ランがあって、その両方を交配してできた物もあるから、区別も付けにくいらしい。ただ、洋ランというのは、明治時代以降に日本に入ってきた外国産の物を言い、もともと日本や中国に自生していた種とは区別しているらしい。ラン科の植物は、両極地をのぞく世界中に分布していて、七百五十属、二〜三万種類にのぼると書いてあるよ。すごい数だね」  「そんなにいっぱいあるなら、名前もそんなにあるのかしら」  由美が率直に疑問を示す。  「でも、分類すれば、分かりやすいよ。一般に鑑賞用に栽培されているのは、カトレア、シンビジューム、デンドロビューム、ファレノプシス、パフィオペディラム、バンダといった種類だ。図鑑を見た限りでは、この花は、伯母さんの言ったように、東洋ランの一種のシンビジュームみたいだな。由美の聞いた名前だけど、確かに、『ミアケ・アイリーン』とか『バレーナイト・バネッサ』とか『ジャックフロスト・ナナ』や『ウララ』なんていうのもあるようだ」  「すごいわね。なんか、西部劇のヒロインみたいな名前ね。アイリーンなんて、可愛いわね」  「私はウララ。ウララ、ウララ、ウララ、ウラウララね。山本リンダでーしゅ」  おちゃめに、由美がまぜっかえした。  「やっぱり、あの花の集まりの豪華さ、華やかさには、カタカナ名前がぴったりね。でも、一つずつは小形で、可憐な感じもあるし、簡単なようでむずかしいわ」  いつもは、単純明快、何でも竹を割ったように、捌いてしまう麗子が珍しく、考え込んだ。  「僕は、こういうのは、何でもいいと思うんだ。例えば身近にいる人の名前とか、何となく語感がいいとか、小説の主人公とか、忘れられない人の名前とか…」  達也は、そこまで言って、口ごもった。実際、まずい例えをしてしまったものだ。特に最後の言葉が良くなかった。麗子に向かって話していたのに、まずいと言う思いが頭をよぎった瞬間、つい目を逸らしてしまった。  だが、麗子は、何事もなかったように、達也の言葉を正面から受け止めた。  「そうね。あの人の良く読んでいた小説は、 サリンジャーの物だった。どうせ、将来は、会社を継がなければならないというのに、文学青年だったのよ。お義父さんはそんな息子が不甲斐なかったようで、結婚して、あの人が、家を出て、マンションで私と暮らし始めた時、お義父さんは、山のようにあったあの人の文学書を、全部、古本屋に処分してしまった。あの人はそれでも、何も抵抗できなかった。自分というものが良く分かっていなかったのかもしれないし、分かっていても、それを大切にして行くことが出来ない弱い人だったのよ。付き合い始めた初めの頃は、弱さが優しさに見えて、私は安らげたのだけれど、一緒に暮らしてみると、何もない人のように見えてきたの。実家にいけば、お義母さんの言いなりだし、何をするにも、私でなくお義母さんに相談するの。料理の味付けまで、お義母さん流でないと駄目だったんだから」  達也が初めて耳にする話だった。他人が一緒に暮らしていく難しさを、まだ経験した事がなかったし、恋人と呼ぶような異性との付き合いもほとんどないほど、達也の学生生活は、硬派だったから、男の弱さと言われても実感がなかった。  麗子は続けた。  「あら、随分,長話になってしまったわね。 まあ、そういう人だったから、すぐ別れたって不思議じゃなかったけれど、直ぐに、由美が生まれたから、まだ持ったのよ。あの人は、本当に、目に入れても痛くないくらいに、この子を可愛がったわよ。由美とは呼ばずに、フィービー、フィービーって、呼びながら…。私は知らなかったけど、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に出てくる主人公の可愛い妹の名前なんですってね」  「私がフィービーって、言われていたのは知っているわ。パパがいつもそう呼んで、一緒に遊んでくれた。だから、今でも一番大切にしている犬のぬいぐるみを、フィービーちゃんって、呼んでるの」  由美に「フィービー」と呼ばれていた三歳ごろまでの記憶がある訳がないが、いつも母親の話に、うまく帳尻を合わせるのが、この母娘の微笑ましさなのである。  「いいなあ。じゃあ、この花の名前に採用しようよ。可憐なのに華麗。由美みたいに将来どんな娘になるか、淑やかな良妻賢母になるか、今のままの跳ねっかえりのジャジャ馬娘のままで、男をこき使うキャリア・ウーマンになるか。評価が定まらないところが、新種にも相応しい」  「まあ、何でも良いわ。あの人がこの子を呼んでいた名が、花の名前になるのも悪くはないな。バネッサとかジャックフロストなんて仰々しいのよりは、よっぽど、この花には似合っているかもね」  新種のシンビジュームの名前が、こうして決まった。 達也は、それから、二階に上がって、ベッドに横になったまでは、覚えていたが、湖からの爽やかなそよかぜに、心地好くなったまま、ぐっすりと寝入ってしまい、目覚めたときは、もう夏の太陽が、山の端に消えかかっていた。  起き上がって、ふと、思い出して、前夜とおなじ双眼鏡を取り出し、対岸をサーチした。 (やはり、あの男は今夜も見ているだろうか)  胸が高鳴った。  丁度、真向かいになる別荘が、視野に入ってきた。リングを絞って倍率を上げ、ピントを合わせた所に、当然のように、あの男はいた。  椅子に凭れ掛かり、全く同じ姿勢で、望遠鏡を覗いていた。顔は暗くて見えない。ただ、体付きは、昼間の男よりもがっしりしていて、身長も高かった。筋肉質のよく締まった体付きに見える。  (今夜も見ているのか)  夕食の食卓では、この事は黙っていた。それより、花の名前をフィービーにしたことがメイン・テーマになったし、里子伯母さんが、その案に賛成してくれたことが、残りの皆には嬉しかった。なにしろ、名付親は、この伯母さんでなくてはならなかったのだから。  ただ、肝心の里子伯母の様子が、いつもと違った感じがしたのが、達也には気掛かりだった。  「お母様、本当に全然、心当たりがないの。 その男の人とか、蘭の花とか」 と、麗子が問い詰めた時、里子は、  「無いとは、言い切れないかな。私も、あの後、考えてみたんだけど、亡くなったおとうさんと、戦争中に、上海に住んでいた頃、良く蘭の花を窓辺に飾っておいたことがあったわ。中国原産の中形のシンビジュームが多かったと思うけど、大柄なカトレアの事もあった。毎日、水をあげなければいけないし、段々、億劫になって、中国人の召使に任せるようになってね。張なんとかさんという若い男の人だったと思うけど、何でも器用にやってくれる便利な人だった。花の水やりの仕事が、増えても、文句一つ言わず、にこにこして、いつも、朝食が終わり主人が出ていった後の午前九時すぎに、やってきて、寝室にあった鉢に水をやっていたわ」  単に、花への水やりの仕事をしていただけの下男についての思い出にしては、随分詳しく覚えているものだ、と達也は、密かに違和感を感じたのだった。  その頃なら、伯母さんも、花の盛り。大日本帝国が植民地支配していた国際都市・上海の社交界で、十人美姫の一人にあげられた事もあるという里子の寝室の窓辺にあった蘭の子孫達は、今、どこに生きているのだろう。日頃考えたこともないような、突飛な思いが、達也の頭をよぎった。  午後十時、再び、対岸に双眼鏡を向け、依然として、男がベランダにいるのを、見届けてから、  (明日は、あの花に名前を付けにいくんだ) と、自分に言い聞かせて、達也は深い眠りに落ちた。         (5)  翌朝、朝食の席で、  「ねえ、達おじちゃん、今日、あの別荘に行くんでしょ。私、今日は、何も予定を入れてないから、一緒にいきたいな。いいでしょ」と、由美にせがまれた。  別に、断る理由がないし、第一、「フィービー」は、元はと言えば、確かに、サリンジャーだか、キッシンジャーだか知らないが、アメリカの小説家の作品の少女の名前を、由美のパパが、由美の赤ん坊の頃の愛称にしていたものだ。それをいただかして貰うのだから、当の本人には、あげてやる相手に会うくらいの権利はあるだろう、と思ったのだ。  由美を愛車の後ろに乗せて、あの家に行った。  「名付けて戴けましたか。おや、今日は、可愛いお嬢ちゃんも御一緒ですか。これは嬉しい。不躾なお願いで、さぞ御迷惑だったでしょうが、あの花に免じて許して下さい。お嬢ちゃんにように可愛くて、気品のある花でしたでしょう。あの方が、名前を付けて下さいましたか」  男は、いやに饒舌だった。昨日、花束を達也に渡し、今日、その新種の名前を受け取るのが、ずっと以前から、計画されていたもののように、確信に満ちた態度は、なぜなのだろうか。里子伯母さんと同じ年恰好の落ち着いた物腰が、その男にもあった。  昨日と同じ様に、総ガラス張りのサンルームに、招じ入れられて、ドリップで入れたコーヒーを御馳走になった。きょうは由美がオレンジ・ジュースを所望した。  達也は、簡潔に、前日の家族会議の様子を話した。もちろん、名前を決めたのは、里子ということにしたし、由美の愛称だったことは、はぐらかしておいた。  あくまで、「里子伯母が、若い頃に読んだアメリカの小説に出てきた可愛い少女の名前が、気にいっていて、その名前が良いのでは、と言っていた」と説明したのだった。  「そういえば、そんな小説が在りましたね。 うん、短くて、分かり易くて良い。フィービー。気に入りました。可憐で清楚で、なにかお茶目な感じもするし、交配を重ねて、徐々に小形化して来た甲斐がありました。名付け親の里子さまの名前も入れて、サトコ・ホワイト・フィービーでは、いかがでしょう」  「伯母さんのオーケーは、貰えませんが、良いのではないでしょうか。昔、伯母さんも中国で、蘭を育てたことがあったそうですし、光栄だと思います」  達也は同意した。  由美は達也と男のやり取りを黙って静かに聞いていたが、男が、名前を決めて、目を向けたとき、素直に、小さく頷いた。  「そうですか。あの頃のことを、覚えていてくださって…。そうですか」  男は何度も、自分に言い聞かせるように、繰り返し、瞼を閉じ、籘の椅子にゆっくりと、背中を凭れ掛けた。  この日も、帰りは、花束が一緒だった。 「是非、お嬢ちゃんにも。この花はおじさんにとっては、お嬢ちゃんのようなもの。大切にして下さいよ」 と、由美は、これから開化期を迎える蕾の付いた鉢植えを託された。達也には、同じ花盛りの切り花の花束だった。  別れ際に、男は、  「これで、私も、気に掛かっていたことが、 全て果たせました。あなた方にお会いすることももうないでしょう。温室もレストランもたたむつもりです。暮れぐれも、里子さまにも、お元気で、お幸せに、とお伝え下さい」と、一言ずつ噛み締めるように言い、深々と頭を下げた。  達也のぺダリングのスピードにつれて、グングン遠去かっていく男の姿が、バックミラーのなかで、一気に小さくなっていった。姿がミラーから、消える間際まで、丁寧に腰を曲げ続けているのが、達也には、見えていた。 ぐるりと湖を一周回って、別荘に戻った。回り道になってしまうが、由美が、そのコースを、強く希望した。  「一周していきましょうよ。達おじちゃんの自転車は気持ちが良いの。後ろに乗っていても最高よ。風に吹かれているというより、私が風になっているみたい。この花達だって、生きているんですもの、風は気持ちが良いはずよ。ねえ、もっと、もっと、速く。もっと、もっと、ね」  達也は、ギアを最高速にアップし、太腿の筋肉を目一杯に振り絞って由美のリクエストに応えた。  対岸の達也達の別荘に近づくと、いつもは、 外に出たがらない里子が、今日に限って、猛スピードで走って来る達也達を、ずっと眺めているのが、目に入った。  迎えに出た里子に、花束を渡し、由美が降りたのをしっかり、確かめて、スタンドを立て掛け、愛車を降りた。  里子は、今度も直ぐさま、花束を活けに掛かったが、茎の間から、一片の紙切れが、はらりと落ちたのに気付いた。屈んで拾い上げた里子は、封を切って、中から、メモのようなものを引き出し、視線を落とした。  そして、読み終えた里子が、顔面蒼白となり、はらはらと崩れ落ちるように、キッチンの床に倒れたのを、達也達が気が付くまで、そう、時間は掛からなかった。  里子伯母を、寝室に寝かせて、麗子がこまごまとした世話をやいているうちに、夕方までには、里子の気分も大分、好転し、顔の色艶も元に戻ったようだった。  達也にはどうにもならない事態だし、ただ心配するしかすることはないと思い、二階の自室で、久し振りに、英書をめくった。だが、目が英語を追っているだけで、中味は頭に入らなかった。  (あの紙には何が書いてあったのか。あの気丈な人が昏倒する程の衝撃的な内容なんだろうか)  考えがその辺りを回り回って居るだけで、当然、答えは出ない。  伯母さんは、メモを握り締めたまま、倒れてしまった。介抱している麗子には、分かるはずだが、麗子は何事もなかったような顔をしている。 (麗子は、そういう女なんだった) と、改めて気が付いて、おもわず、頬がゆるんだ。  下へ降りていって、麗子に聞けばいい。それだけのことだと、思ってみたが、何故か、それが、憚られた。  夕食になった。  麗子の料理は、いつも、簡単明瞭。今晩のは、冷蔵庫にあった肉を、ホット・プレートで焼き、タレを付けて、食べるだけ。これも冷蔵庫に里子伯母が作り置いていたポテト・サラダがあったから、救われたものの、  「麗子さんの料理なら、僕だってできる。キャンプの食事と同じだね」 とぼやいて見せても、  「喉もと過ぎれば、何でも同じ。食べれるだけでも感謝しなさいよ」  けんもほろろにあしらわれた。  メモについても、  「お母様が嫌だと言うから、無理して見ようとはしなかったわよ。最近、血圧が高かったみたいだし、ずっと外にいたから疲れたんじゃないかしら」  正に、単純そのもの。人生はそんなものかという気持ちにもなる。  二階に上がって、また、対岸を探した。 (毎晩、こんなことをしていると、すっかりCIAのエージェント気分だな。さて、今夜も……)  気楽な気分で、見慣れたベランダに焦点を合わせた。  男は居なかった。望遠鏡もなかった。部屋に明りもなく、ただ漆黒の闇がレンズを満たした。辛うじて、同じ場所と分かったのは、薄い月明りに頼って、見慣れたベランダが、確認できたからだった。  (男がいない。いなくなった)  この単純な出来事は、達也の心に大きな波紋となって広がった。  初めて、その男をベランダに見付けた時は、 それが、大きな疑惑をもたらしたのに…。今度は、不在が、衝撃となった。  ベッドから、跳ね上がり、一気に着替えて、 階段を降りた。玄関のドアーを蹴り開けて、走り、愛車に飛び乗った。  (とにかく、あそこにいかなければ、行って、この目で、しっかり確かめなければ)  夜道に、前照灯が闇を切り裂き、その電気を生み出すダイナモが、ウーンと唸りを上げた。  最初の夜のように、庭柵に自転車を立て掛けて、上を見た。ベランダに人影は無かった。そこにある筈の長身の男と椅子と望遠鏡のシルエットは、跡もなく消えていた。  玄関に回って、ドアーのノブに手を掛けたが、予想したように、ロックされていた。  家の回りを回ってみた。総ガラス張りのサンルームを外から、覗いてみたが、籘椅子も天井の扇風機も変わりはなかった。ただ、棚や小鉢の上に咲き競っていた花達が、すっかりなくなっていた。  月明りが差し込むその部屋は、閑散として無機的だった。命を感じさせぬ物としての空間が有るだけだった。人けもない。他を捜しても同じ事だと気付いて、達也は、踵を返した。  (要するに、いなくなったのだ。それだけのこと。いなくだっただけ)  自分をそう必至で納得させ、家に、戻って、 眠った。         (6)  その夏は、そうして、終わった。  後期の講義が始まり、友人達とも再会して、 サークル活動も忙しくなった。  早くも就職活動に動き出す奴もいたが、日本経済の好調さが順風となって、売手市場は変わらなかったから、みんなノンビリ、短いモラトリアムの自由を楽しんでいた。  九月になった。日曜日はいつも、昼ごろまで寝ているのが、癖になっていたが、久し振りに、早く起きて、付けっぱしのテレビを見ていたら、政治談義の対談番組の画面の上の方に、白いテロップが流れた。  「きょう、午前7時半ごろ、フィリピン上空で、インドネシア航空機が、緊急信号を発したまま、行方不明になった。ミンダナオ島の山中に墜落した模様。日本人乗客を含め百二十六人の乗客が搭乗」 とあった。  この後の、ニュースはこの事故一色になった。インドネシア航空東京支店からの中継。乗客名簿の確認、と忙しい。  夕方になって、乗客百二十六人の全氏名が判明した。顔写真入りで、流され始めた。  達也は、悲しみにくれる家族や現場へ向かう救助隊の映像を飽きるほど見させられた。何度も流れる乗客名に、顔写真が付け始められてから、ふと目に止まった映像に、達也の記憶回路が反応した。  「インドネシア蘭協会会長で、世界蘭会議の議長も勤められた、日本生まれの河田省一さんとインドネシア蘭協会事務局長のチャン・ツアオさん」  アナウンサーが、読み上げた二人のうち、写真の付いた事務局長が、その夏に、あの湖のほとりで、洒落たレストランを経営し、不思議な蘭の花をくれ、名前を付けるのを頼んだあの男、そっくりだったからだ。  翌日の新聞に、二人の短い履歴が載った。 インドネシア政界の黒幕ーーの小見出しの後に、  ーー 河田省一さん(六五) 愛知県で生まれ、戦争中に中国に渡り、軍関係の物資調達に従事。戦後は、インドネシアで貿易商のかたわら、蘭園を経営。新種の蘭の開発では、世界的業績を残し、約20種類の新種を異種交配などで作った。戦争中に蓄えた旧軍資金を、インドネシア独立運動に投じ、独立後は同国政府の黒幕的存在だった。張沢(チャン・ツアオ)さんは、河田さんの片腕として、東南アジア原産の蘭の普及に努め、二人で日本の蘭園の指導を終えて、帰国途中だったーー。  (そういう人だったのか。だが、なぜ、里子伯母さんに、あの花を届けたのだろう)  忘れ掛けていた疑問が、また頭をもたげてきた。    短い夏を、別荘で過ごしてから、里子伯母とは、連絡はなかった。  ニュースを、早く伝えなければ、と達也は、 ダイヤルを回した。  「もしもし、今朝の新聞に載ってましたけど、乗客にあの男がいたんですよ」  「おの男って…」  「ほら、蘭の男ですよ。名付け親になってくれって、言われた」  「ああ、私はお会いしていないけど、あなたと由美がお目に掛かっている方」  「そうですよ。あの男。インドネシア蘭協会の会長と一緒に、落ちた飛行機に乗っていて、落ちちゃった」  「会長の方も一緒にねえ…。それで、何て言うお名前なの」  「かわだ しょういち、っていうのが会長で、あの男は中国人らしいです。チャンとか 言ってましたけど」  「チャンて漢字で書くと、張かしら。やはり、そうだったのね」  「そうだったって、なんですか」  「……………………」  「伯母さんは、気がついていたんですね」  「いいえ、そうでもないわ。もしかすると、 とは思いましたけどね」  「それに、あのメモは、何だったんです。伯母さんを卒倒させたあのメモは」  「そうね。仕方がないわね。あなたに私の過去を余り、知られたくは無いけれど…。それに、その河田とかいうかたから、あなた宛ての手紙が昨日、届いたわ。親展となっていたから、私はみていませんけど。よかったら、今からでも、家にいらっしゃいよ」  いつも端然としていて、落ち着きを失わないあの伯母さんのアルトの調子がおかしかった。  「すぐ、行きます」  息せき切って、そう言って、達也は、走り出た。  私鉄の急行でわずか一駅のその町が、今日はいやに遠かった。  駅を降り、駆け足で、伯母の家に向かった。  伯母は、待っていた。玄関にも鍵を掛けてなく、走り込んだ達也は真っすぐ、応接間に通された。  テーブルの上に、封書が載っていた。  挨拶もそこそこに、達也は、封書を手にとり、封を、毟り取りるような開けた。  里子伯母さんは、それを、なすがままに、静かに見ているだけだった。  書面にはこうあった。  ーー「見ず知らずの人間から、こんな手紙を受け取って、さぞ、困惑なさっておられるとは存じますが、私は、あなたにどうしても、この手紙を書かなければ、居られなかった。その気持ちを、解って戴くために、これから、筆を進めていくつもりです。  まず、私達のことをお話しましょう。私達と言うのは、あなたも、薄々気が付いていることとおもいますが、私と、今はあなたの伯母さんに当る里子とのことです。  私は、表に出ている履歴書などでは愛知県生まれになっているようですが、実は、東北の山形県、それも日本海側の寒村で生まれました。海沿いのその村は、漁業と細々とした山地での農業でやっと生きていくことが出来た貧しい土地でしたから、長男の私と言えども、都会に出稼ぎにいかなければならないほどでした。尋常小学校を終えるとすぐ、私は愛知県の軍需工場に働きにいきました。戦争中も最後まで、ゼロ戦を作っていた工場です。もともと、祖父が船大工で、手先が器用だったためか、熟練工でも難しいジュラルミンの折り曲げ加工やリベット打ちを任せられるようになり、何度か表彰も受けました。  やっと仕事も一人前になって、精神的にも余裕ができたのは、やはり二十歳を過ぎた頃で、その頃は、戦争も日本の連勝続きで、国中が沸いていました。  若く、独り身の私は、国の躍進が自分の喜びと一体となっている充実感で満たされていました。そのころ、私はあなたの伯母である里子と出会いました。  里子の本名は、礼子と言います。教育勅語から、親が取ったのだそうです。礼子は、工場の売店で働いていました。毎日、昼にパンと牛乳を買いにいくうちに、言葉を交わすようになり、故郷が同じ東北の仙台と解ってからは、東北弁で故郷の話をしたりして、急速に気持ちが近寄っていきました。  一緒に暮らし始めるのは時間の問題でした。 でも、結婚の届けはしませんでした。古い因習に捕らわれた親達が、良い顔をしないのは解っていたし、二人とも、くにに帰れば、決まった人と一緒になることになっていたのですから。  若い二人の生活は、楽しいものでした。最初は、寝具を持ち寄って、同じ部屋に寝るというだけのたどたどしいものだったのが、一緒に暮らすうちに、家具や食器、衣類と持ち物も増え、それにともなって、二人だけの思い出も増えていきました。  しかし、この幸せな生活も長くは続きませんでした。  私に赤紙(召集礼状)がきて、満州に派遣されたのです。戦争も末期となり、敗色が濃厚となっていましたが、運良く、私は前線でなく、後方の補給部隊に配属され、死を免れました。上海近郊にいたとき、礼子から、手紙が来ました。「今、上海にいるから、来られれば、会いに来てほしい」とあり、所番地がしたためてありました。  わたしは、少し長い休暇を貰って、上海に飛んで行きました。書いてあった住所を訪ねると、そこは、有名な歓楽街で、礼子は、つい二日前まで、客を取っていたが、借金を棒引きにしてくれる上客がついて、足抜けしたばかりだ、と知らされました。  一週間、上海の町中を捜し回りましたが、見付からず、私は諦め切れないまま、部隊に帰りました。ただひとつの手掛かりは、私達が共に暮らした時に、礼子が押し花にした報歳蘭の花を張り付けたしおりが、その店に残されていたことだけでした。  でも、そんなものは大した手掛かりにはなりません。  私は、部隊に戻り、終戦の混乱期に、管理を全面的に任されていた石油類をーー信じられないでしょうが、石油は、前線にはたっぷりありましたーー全部貴金属に換え、上官と山分けして、逃げました。  もちろん、愛しい礼子のいる上海にも行きましたが、以前の歓楽街にも一切、手掛かりがなく、途方にくれるばかりでした。  だれにも言えない莫大な財宝を、抱えての逃避行ですから、気の休まる暇がありませんでしたが、衣服には気を使い、英国籍の香港人を装っていたので、小間使いでもして小銭を稼ごうという中国人が、大勢やってきては、仕事を欲しがりました。その中に、張もいたのです。  世間話をしているうちに、張が出入りしているある貿易商の愛人に蘭を栽培している婦人がいて、ちょくちょく、張が水あげに行くことやその婦人がひどいアヘン中毒で、すっかり昔の記憶を失っていること等を知りました。  礼子の写真を見せると、よく似ているという。こんなに可愛くはないが、確かに、女優のような整った顔立ちをしている、面影がある、と言う。  私は張に案内してもらい、その貿易商の妾宅に赴きました。確か、満月の夜でした。窓越しに眺めると、男と女の影絵が見え、何か話しているのが分かりました。赤い電灯の光の中で揺れる煙の影も見えました。そのうちに、男が上着を脱ぎ始め、女の体を引き寄せる気配がしました。  そこまでは、この目に焼き付いています。でもその後は、いいでしょう。私は張を引っ張って、その家を離れたのです。  そして、上海も捨て、国籍も捨て、今や母国となったインドネシアに辿り着いたのです。 豊富な軍の資金を元に事業を始め、独立運動にも援助をしました。でも、ずっと、あの蘭の花一片が脳の片隅にこびりついていました。それで蘭園を始め、長い付き合いとなった張に運営を任せました。事業は順調に伸び、日本への輸出も好調で、私は国の蘭協会の会長に選ばれました。でも、そのために始めたのではない、という気持ちは益々大きく、私の心を占めるようになりました。  仕事で日本へ行く度に、私は礼子の消息を捜しました。そうこうして、あっという間に二十数年が経ちました。そして、先日、久し振りに上海に行く機会ができて、張と一緒に辛い影絵を見た家にいってみると、管理人の老婆がいて、過去の住人の名簿が完全に揃っているのを知りました。礼子が里子と名前を変えて、あなたの伯父の愛人になっていたことも判明したのです。  その後は、簡単でした。伯父様が正妻を亡くされ、里子が後妻に入ったこと。麗子さまと言う前の奥様の忘れ形見がいらっしゃること。そして、あの湖の別荘のことなど、全ての情報を手にいれることができました。  私は、張と図って、あの別荘と温室とレストランを作ることにしました。夏の間だけでも、礼子と一緒にいたかったからです。伯父さまが逝去された翌年に、私達は建設に取り掛かり、あの春に完成したのです。  夏が来るのが、待ち遠しくなりました。七月早々には、もう、別荘に行って、あなた達の来るのを待ちました。それまで、毎日、夕方になると、私は、一人、ベランダに出て、あなた達の家に明りが点るのを待ちました。 学校の夏休みが始まり、五日程過ぎた頃の晴れた夕方、熱い夏の陽のほてりが、まだ、辺りに漂っているようなあの日に、私は、四半世紀を過ぎて、望遠鏡の暗い映像の中に、忘れもしない礼子の姿を見付けました。直ぐにでも、飛んでいって、この胸に抱きたかった。でも、大陸と島での戦いで、すっかり、焼けただれ変貌してしまった私の顔を、見られたくはない。そういう思いが、私の、衝動を思い止どまらせました。私の素顔を見た人が、限られているのと、写真がないのは、このためなのです。  それでも、張は、素晴らしく明るく、伸びやかに育っている、新しい日本の未来を担う青年であるあなたや、可愛らしさ一杯の将来の日本家庭の女主人となるはずの由美くんを私のこの目に見せてくれた。あなた達が、温室を訪れ、サンルームで歓談している姿を、私は、マギックミラーを通して見ることができました。  それに何より、私と張のこの時のための力作、新種の蘭に、名前を付けてもらったことが、最大の喜びになったのは、言うまでもありません。  私達は、明日、日本を発ちます。不審な男が、毎晩、望遠鏡で家を見ているようなことは、来年の夏は、きっと、無いでしょう。あの家も温室も、そして、麗しい蘭たちの役割も、終わりました。  明日の飛行機に、わが祖国、インドネシアの反体制派が、爆発物を仕掛けたらしいという情報があります。あるいは、乗っ取って、闘争資金を引き出す作戦かも知れません。真偽の程は分かりません。いずれにせよ、私には関係のないことです。私は十分、幸せなのですから。もう、日本を訪れることはないでしょう。目的は達せられたのですから。  最後に、張が目玉焼きが上手なのは、勿論、 料理上手の中国人だからということもありますが、雑役夫時代に、じっくり、娼館の女達に鍛えられたからです。私と一緒に暮らしていた頃の礼子の得意料理も、芸術品のような目玉焼きでしたが、味はやはり張が世界一と保証します。  私は朽ちても、礼子が名付け親の愛くるしい『サトコ・ホワイト・フィビー』は、生き続けます。  素晴らしい出会いを、ありがとう」  手紙は、それで終わっていた。  里子伯母さんには、見せずに、いとまごいした。  外の風は寒かった。  でも、心は、温かかった。  達也も来年は、社会人になる。  「大人になるって、案外、いいかもしれない」  そんな気がして、プレイガイドで、安い映画の券を一枚、買った。  まだ、残暑が厳しかったが、時折、秋風が吹いて、そろそろ、寒さの訪れを感じはじめるころ、里子伯母から、小包みが届いた。それには、一冊の大学ノートが、入っていた。それは、小説の原稿だった。  ノート以外の手紙などは、一切入っていなかった。  ノートの表書きには、署名があった。それは、達也が聞いたこともない名前だった。ただ、「心からの愛を込めて、S子さんへ」という古ぼけたインの書き込みが、そのトの歴史を物語っていた。  達也は、里子伯母が、何かを訴えようとしているのだと、直感して、ノートを開いて食い入るよう、読みにくい文字を追った。それは、以下のような内容だった。         『雪どけの朝』        (一)  クリスマスの日にチャップリンが死んだ。それから五日経って、あの子が死んだ。短い黒いブーツと黒いトックリのセーターが大好きで、いつも、手編みの帽子を被っていた。 僕が知り合ったのは、その年の五月。その町では、その頃が一番楽しい季節だった。  長い間、白い悪魔の扉の中にあって、東北の町や村は、新しい春を待つ。木々が芽ぶき、陽光が段々暖かくなる。長い眠りから人々と自然が目覚めるのが、五月だ。本当に、ホッとするように、みちのくは春になる。誰もの心が、期待に胸を膨らませて、町を歩き始めるのだ。  僕はその町で、新米記者だった。二十二歳で大学を卒業して、その年の四月に赴任した。何しろ“陸奥”に入るのは初めてだったので、前の晩は眠れなかった。   「きっと、冬は酷いんだろうな」  「寒さに耐えていけるだろうか」  「豪雪ってどんなだろうか」  最後の夜は一人で泣いた。  その前の日に、美緒と合った。別れを告げるためだ。美緒は中学時代からずっと付き合っていたボクのステディーなガールフレンドだ。  「もう、この腐れ縁はこの位でいいだろう」  新聞社に就職が決まって、三か月ぐらいたってから、僕はそう思うようになった。  「何しろ、もう十年も付き合って来たんだ。 十年経てばひと昔さ。女の子だって代わっていい。一人の女の子に十年間だよーー。気が遠くなりそうだ。  別れの宣言をするために、美緒に会った。 僕の生まれた家は、東京の郊外にあって、昔は純農村地帯だったのに、首都圏の膨脹で、変貌目覚ましいものがあった。高度成長期に、美しく区画された水田地帯は、見る間にブルトーザーのキャタピラーに踏み潰され、工場や分譲地に変わっていった。  そんな急激な変貌は僕の大学時代に始まった。子供の頃、イナゴやバッタを追い、フナやコイを手掴みで捕った田や小川が、年ごとに減っていくのを見ながら、僕は故郷が段々切り取られていくような気がした。新しい住人たちが増えていった。人の数が増えるに従って、そのぶんだけ、人情はなくなった。町の人が話す言葉が荒っぽくなって、乾いていくのが耳ざわりだった。  僕と美緒とはそういう時代が来る前に、この町で過ごした幼友達だ。鼻たれ小僧がいて、時には教室でお漏らしをする田舎の子供達ばかりだった。半ズボンは鼻水でテカテカ光っていたし、冬になっても靴下を穿かない奴が半分はいた。  それが今や、この辺に新しく越して来た住人ときたら、「塾だ、家庭教師だ」と世に言う「教育問題」の生半可な知識ばかりで頭が一杯の教育ママ達ばかりだ。  「最近、この辺変わったわね。この前なんか、うちのママが面倒を見ている人の子供が遊び友達と喧嘩して、相手の顔を引っぱたいたら、腫れあがって、泣いて帰ったことがあったの。普通は子供の喧嘩で終わりなんだろうけど、相手の子のママが怒って、損害賠償しろとか、何とか、大変だったそうよ。なんでも、その子はクラスでもトップクラスの成績で、そのママが言うには、その子がそのまま有名中学に進んで有名高校に入って、有名大学を出て、良い会社に入れば、一生で何千万円かの収入がある。そのために毎日、塾に通って、家庭教師を付けて勉強していたのに、この喧嘩で病院通いもしなければならなくなり、勉強時間が少なくなった。これでは、計画通りの人生を歩めなくなる。だから、もし事故、じゃない、そうだ喧嘩よね、喧嘩をしなければ、得られたであろう勉強時間をお金に換算して支払えっていうのよ」  美緒はさも大ニュースのように息急き切って話した。  「それもね。何か、得べし利益とかいう難しい法律用語を使ってまくしたてたそうよ、そのママ。大学の法学部出身なんですって」 それだけ、一気に喋って、冷めてしまっただろうコーヒーを一口に飲んだ。  駅前に出来たばかりのゲタばきビルの一階のフルーツパーラーを兼ねた喫茶店に僕達は座っていた。  「得べしじゃなくて、得べかりし利益というんだろう。元気に働いていたら得られたであろう収入について言うんだ。交通事故死などでは、ちゃんとホフマン方式とかいう計算式があるよ」  僕はちょっぴり、知識をひかれかした。  そういう時に、美緒は目を一杯に見開いていかにも尊敬のまなざしで僕を見る。そういうところが自尊心をくすぐって、とても気持ちが良いのだけれど、今はもうそういうものとも別れたいと思っていた。  美緒は浅黒い顔をした健康そうな女の子だった。そのころ、ある音大に通っていて、家で近所の子供にピアノを教えていた。遊ぶだけのお金は自分で稼いでいて、いつもゲルピンの僕とは大違いだった。鼻たれ小僧ばかりの小、中学校で、二人が何となく近付いていったのは、そのころ、この町には少なかった文化的雰囲気を感じあったからかも知れない。僕の両親は教師、美緒の父は造船会社の技師、おふくろは病院の看護婦長だった。  「もう、会えなくなるよ」  「そうね、でも、会いに行くわ。スキーに行くわよ」  「でも、今ほどには会えない。せいぜい半年に一回だ」  「手紙を書くわ。毎日でも」  「僕は書けない。仕事があるんだから」  本当のところ、不安で一杯だった。生まれて初めて家を離れて、一人で暮らす。しかも寒さ厳しい東北の町で…。  「しっかりしろよ、男だろ。お前は男になるんだ。甘くはない。タバコと酒を覚えて、本当の女を知るんだ。一人で金を稼ぐんだから」  美緒は泣きそうになった。手を握り締めて必死に堪えていた。  「仕方ないわね。お仕事だから。付いていくわけにはいかないのだろうし。行くって言ったって、あなたはダメって言うでしょ。私も学校をやめたくないもの」  あっさりとした言い方だった。それが、僕にはちょっぴり残念だった。  「でも、絶対に他の人を愛してはだめよ。もしそうなったら、私死んでやるから。私が大学を卒業するか、あなたが東京に戻るか、二人で暮らせる条件が出来たら、二人は結婚するの。いいわね」  訴えるような目をして僕を見て、それからゆっくり小指を差し出した。僕も小指を出して、それに絡ませた。  それが、最後の別れだった。  美緒とは体の結びつきはなかった。湯河原にドライブにいった車の中で、口づけをした。それが、僕が美緒の体に触れた唯一の機会だった。いくら僕が求めても、美緒は「結婚するまでは、許して」と拒み続けた。      美緒は、見掛けより堅い女だった。            (二)  上野駅からの急行列車に揺られて、六時間。 その町に着いた。町は鉛色をしていた。  「こんなに暗いのか」  空の色が違っていた。あくまでもどんよりとした鉛色で、道行く人々は身を屈めるようにして歩いていた。  美緒は送りに来なかった。僕は一人で列車に乗った。別れはもう、あの喫茶店でしていた。<来るかもしれない>という期待はあった。しかし、やはり、来なかった。美緒は、筋を通すタイプの女でもあった。  「これが、新任地か」  僕は一度だけ深呼吸をして、駅前からタクシーに乗った。  「R新聞支局へ」  「うんだ。お客さんは東京の人だか」  人のよさそうな運転手が、薄ぼんやりとした声で話し掛けてきたが、僕は上の空で「そうです」と答えただけだった。それに気をそがれたのか、運転手はそれ以上話しかけなかった。沈黙を詰め込んだ車は、小さな路地を巡って、三階建てのビルの前に着いた。  こうして新米記者の第一歩を僕は歩み始めたのだった。  一年間、定石通りのサツ回りをやった。  「これが記者の第一歩」 と言われ、新人記者はサツ回りから始める。県警本部に詰めて、毎日、事件事故を追って歩く。しかし、その町にはさしたる事件はなく、サツ回り記者は暇だった。  二年半して、市政担当の遊軍記者になった。 いわゆる町ダネという市井の出来事を拾って歩く。文章の鍛練になるので、文章に秘かな自惚れがあった当時の僕には楽しい仕事だった。  そのころ。僕は「あの子」に会った。  いつも、市役所の前のバス停に立っているのが、気になり始めてから、注意して見詰めるようになるのに、一週間しかかからなかった。春になって、空気が一気に暖かみを増したころ、「あの子」は僕の心の中で、小さな結晶を形造るようになった。それは、段々大きく成長して、ついには西洋の宗教画のように、「あの子」は顔の後ろから光輪がさす天使の姿にまでなって、僕の頭を占領した。  「こんなことは、初めてだ」と僕はその奇妙な気分を新鮮に感じた。まだ、名前も知らない、いつもバス停に佇んでいる「女の子」に、そんな気持ちを持つようになるのが、不思議だった。  「きっと、淋しすぎるんだ。生まれて初めて、独り暮らしをして、しかも、遠いみちのくにいるんだから……。でも、人恋しいっていうのは、もっと単純な気持ちなんだろうに……。それとも違う。とにかく、あの子が輝いて見えるんだ」  そんな日々が一か月も続いたろうか。心の中の結晶はその分だけ、また大きさを増した。 光が輝き始めた。春先の疼くような蘇生感がやっと人々の身近に感じられるようになると、風の匂いが、変わり始め、人々も厚いコートを脱ぎ捨てる。  冬の間いつも手編みの帽子にブーツ、セーター姿だった「あの子」も、軽快なメッシュの短靴と花柄のブラウス、こざっぱりしたプリーツのスカートに変身した。でも、いつものように、物憂げにバスを待つ姿は、変わらなかった。  「いつも、見掛けるね。家は遠いの」  「………」  「あの子」は、出来るだけさりげなく装って肩越しに声を掛けた僕をさっと振り返ると僕の顔を穴のあくほど見詰めた。  じっと、目と目を合わせあったまま、少しの時間がたって、それから、二人は笑った。 「変だね」  「へんだわ」  「でも、いいと思わない」  「いいと思うわ」  これが、「あの子」と僕との出会いだった。  市役所の二階の窓から、見えるバス停の行列の中から「あの子」が浮かんできて、一か月と少し。もう季節は、雪どけの春から、風薫る初夏へと進み始めていた。  僕が二十五で「あの子」が二十二歳。夏の始まりだった。  その町は、みちのくでは有名な火山生陥没湖とその山塊の持つ雄大な自然を観光資源とする県庁所在地で、中心部は山塊に周囲を囲まれた鍋底のような盆地の中にあった。そうした盆地特有の気候で、一日の気温の寒暖差が大きく、季節的にも冬は厳しく寒く、夏は激しく暑い。  二、三回、二人はお茶を飲んだ。こんな小さな町にも、洒落た東京風の喫茶店があって、メユーもそのころやっと、ファッションストリートとして名を上げ始めた東京・原宿の喫茶店にも負けず劣らずのものを揃えていた。 いつも、僕はカフェ・オーレだった。「あの子」は、オレンジ・ジュースか、たまにはレモンティーを頼んだ。だが、訳の分からない横文字が一杯並んでいる、最近のカフェバーに比べたら、貧しい品揃えだったことには、違いない。  「コーヒーはまだだめなの」  「だめって」  「その歳じゃないから」  「歳があるのかい」  「お母さんが、そう言ってた」  「いくつになったら」  「あなたの歳」  「なぜ」  「なんとなく」  そんな会話が、とぎれ、とぎれに続く。そして、言葉の間に、「あの子」は、ふと遠くを見るような物憂い表情をする。  (何をしているのか、名前は、どこに住んでいるの…。僕のほうは名前も、仕事も、勤め先の電話番号までみんな教えてしまったのに、ぼくは「この子」の姿、形、そして、見慣れたあの手編みの帽子ぐらいしか知っていない。  「本当に、何も知りゃしないんだ」  僕は心で呟いていた。  「どこかに、ドライブに行きたいな。でも大きな道は嫌ね。どこか静かな所。山の中の林を走ってみたい」  短い沈黙の後、突然、「あの子」が言った。  僕は、その頃、まだ二十四歳の駆け出し記者にしては立派なスポーツタイプの車を持っていた。それも、その前の年に手にいれたばかりのピカピカの新車だった。  「いいね、行こうか。連休が残っているから」  「日帰りでいいの。一日だけで」  ゴールデンウイークが待ち遠しかった。一日の長さが、徐々に伸び、暖かさも増した一年で一番、光線の意味が確かな日に、僕達は初めて、隣の県の最も大きな街まで、ドライブした。その街はみちのく最大の都市で、国立大学のある丘陵の森の豊かさで知られていた。  雨が街を濡らしていた。地方都市とは思えない程の広がりと近代性を持ったこの街に、ぼくは何故か、懐かしさを覚えた。市電のレール、車の洪水、広い道路、ビルの町並み…。そうした騒々しい諸々の都市の薫りに僕は飢えていた。こぬか雨が、それらを、軟らかく包み込んでいた。そうした情景に僕は身が縮みそうな堪らない懐かしさを感じて、震えた。  「あの子」と会ったあの小さな町にはない、雰囲気。それが僕に、懐かしさを覚えさせ、「あの子」には、むしろ、怖ろしさを感じさせているようだった。  降り頻る雨が、やや小降りになったのを見計らって、僕は車を降りた。  僕に傘は無かった。  「あの子」は傘を持っていた。  僕は濡れながら先を行った。  「あの子」は一人で傘をさして付いて来た。  僕はそれで良かった。雨なんかへっちゃらな気分だった。とても心が浮き立っていた。 信号が赤だった。二人は並んで歩道に止まった。「あの子」が僕に傘を差し掛けた。僕は明るい黄色に細かな花をあしらった小さな傘の下に潜り込んで、「ありがとう」と言った。  「僕が持とう」  背の高い僕が、今度は傘を差し掛けた。二人は体を近寄せ、僕は自然に「あの子」の肩に手を回した。ピクッと体を竦めたのが、掌に伝わった。柔らかく、小さな肩を感じながら、僕の心は熱い満足感で一杯だった。   信号が青になった。待っていた人達が歩き始めた。僕達も歩き始めた。降り止まぬ雨の中、黄色い傘の中の二人だけが、光り輝く宇宙船のように、濡れたアスファルトの上をスーツと進んでいくようなイメージが僕の頭を過っていった。  市役所の二階の窓から「あの子」を眺めていた日々。雨の日もあった。窓ガラスを濡らす水滴越しに見た「あの子」。春先の晴れ上がった日、毛糸を抱えて編み棒を忙しげに操っていた「あの子」を見ながら、「今日もいきているんだ」と<生>を実感した日々。そうした日々の繰り返しの後で、僕は「あの子」と歩いている。なぜか、急にまた、身を竦ませる懐かしさを感じて、僕は、肩にかけていた掌の力を強くした。  でも、何一つ「あの子」のことは分かっていなかった。             (三)  ドライブから帰って、僕らのデートの間隔は日増しに短くなっていった。初めは週に一度。そして二度、三度。蝉の季節の頃には、ほぼ毎日のように……。会わないと不安なくらいだった。会うことが日課になった。  「あの子」の名前も知った。住所も、仕事も。  名前は「葉子」。向かいのビルにある某地方経済団体の理事長の秘書をしていた。家は意外なことに僕の家の近くだった。  僕はその頃、これも分不相応に一戸建の新築の家に独りで住んでいた。八畳のリビングに六畳のダイニングキッチン、それに六畳の和室二部屋。男の独り暮らしには十分すぎるほどで、しかも、自分で設計した新築の家だった。優雅な独身貴族とは、正にその頃の僕のことだった。  「それなら、あなたの家の近くなのね」  と葉子は頷いてみせたが、僕は深くは尋ねなかった。こうして、二人で会っていることのほうが、いつも会えるということのほうが、ずっと大切なものに思えたからだ。  葉子をいつも車で送っていったが、葉子はいつも「その角でいいわ」と言って、家の前まで行くのを嫌がっているふうだった。それが、本当は気に掛かってはいたが、遠慮をしているのだと思い、強いて家まで行くことはしなかった。  夏になった。  うだるような暑さのその日、いつものように、僕は一日の仕事を終え、葉子の家に電話をして夕方のデートをした後、車で送って行った。「その角」にきて車を止め、ドアーを開けようとすると、助手席の方に伸ばした左手を、葉子は両手で上から押さえる形で遮って、  「帰りたくないの」 とねだるような言い方をした。  「帰りたくないって…」  怪訝な顔をして、覗き込んだ僕に、  「この儘、ずっとこうしていたい」  「でも帰らなくちゃ。お母さんが心配するよ。ほら、門限の時間だし」  葉子を、遅くとも十時には帰すのが、二人の暗黙の約束だった。  それを嫌だと言う。  「お母さんには、今日は友達と一緒に泊まるって言ってきたわ。組合の会議があるって事にしてあるの」  「組合って、労働組合のかい」  「そう、私、婦人部の役員だから」  「へえ、でも何故だい」  僕もそれ程鈍いわけではないから、葉子の気持ちは、直ぐに理解できた。だが、その気持ちを真っ直ぐに受け入れてしまうのは、何か、余りにも見え透いているという恥じらいがあって、そんな上滑りな言葉が、口を突いた。                  確かに、二十代の健康な青年なのだから、若い娘が、そんな真摯な態度で“迫って”来れば、有頂天になるところだ。その場で直ちに、襲い掛かっても、だれも文句は言わないはずだし、むしろ、願ったりと言うことになるのかもしれない。  だがそうしたとしたら、これまで、じっと我慢をしてきたのは、何のためだ、と言うことになる。  (ただ、二人で会っていると言うだけで満ち足りていたではないか。必ずしも、満足のいかなかった一日の終わりに、あの子の顔を見、おしゃべりをするだけで、気持ちが和んだではないか。それだけで十分なのに)  僕は、女性の心理と生理の神秘の前にたじろいだ。            葉子は思い詰めた目付きで、僕の目を凝視した。一杯に見開いた艶やかな瞳が、決意の堅さを物語っていた。漆黒の瞳を向こうから来た車のライトが、フラッシュ・バックし、キラキラと輝いて、僕の脳ずいをクラクラさせた。  葉子が人間という動物の雌として、余りにも正常であったように、僕も雄として全く欠陥がなかった。高まりにむかって既に発進していた感情は、加速度を増して、磁石の両極が吸い寄せ会うのと同様に、一気に接合しようとしていた。  僕は、サイドブレーキを解除し、ギアを入れ、アクセルを踏み込んだ。ヘッドライトが走り馴れた道路を照らし出した。いつも葉子を降ろしてから、一人で走って帰る道だ。これまでは甘酸っぱい香りだけが、残されていただけの隣の座席に、この夜は葉子本人がいた。  家に着いた。  一つの明りも点っていない家の玄関に立ち、 ドアーのノブにキーを差し込んで開けた僕のあとに、葉子は黙って従い、中に入った。僕はスイッチを捻って明りをつけた。  「ようこそ、いらっしゃいました。粗末な家ですが、ごゆっくり」  高揚した気持を紛らわせようとおどけた口調で、言ったのにも、葉子はさして反応しなかった。  「私、喉がとても乾いてしまったわ。今お湯を沸かして、お茶を入れますから」  頬を赤らめたまま、葉子は手早く流し台で手を濯ぎ、薬罐やお茶の葉の在処を聞き、湯を沸かして、紅茶を入れた。  気分が軽くなった。ゆっくりと啜ったダージリンの豊潤な香りが、二人を落ち着かせた。  「まだ、夜は長いよ。何しようか」  「あなたとしたお食事で、おなかは一杯だわ。そうだ、お疲れでしょ、お風呂を沸かすわ」  これも段取りを教えて、あとは湯の沸くのを待つことになった。  (家に帰るとすぐ一杯のお茶を飲めて、風呂に入れる。独り暮らしでは、皆自分でやらなくてはならないが…。二人で暮らすこととは、こういうことなのだ。いや、それ以上、帰宅したときには、明るい部屋は暖かく、全てがこのように用意されているんだ)  忘れ掛けていた家庭の温もりを思い出して、 僕は、この町の冬の寒さに思いを馳せた。  「僕が先に入って良いかい。嫌でなければ後でおいで」  ゆったりと湯船で体を休めた。十分に暖まってから上がり、石鹸で洗おうとしたのを見計らっていたように、葉子が入ってきた。  生まれたままの姿だった。  「お流しします」 と小さな声で俯いたまま、囁くように言った。 胸の前を右手に持ったタオルで押さえ、左手で下を隠して、座り掛けた。  洗い場は、さほど広くはない。背中のほうに回って、流してくれている間も、体の一部ずつは、触れ合い離れて、その度に、二人の神経は過敏に反応した。  だが、背中をすっかり流して貰った後に、僕は自然に、  「今度は、僕が流そう」 と言う事ができた。  手拭を泡で一杯にして、僕は丁寧に葉子の体を磨き上げていった。背中の後は肩、首筋、両手、両足。そして胸。胸に掛かろうとしたとき、葉子は目を閉じた。うっとりと夢見るような表情だった。  風呂場に湯気が充満した。暖められた水蒸気が小柄な割にボリューム感のある乳房を包み込み、淡い影となって、僕の眼前にあった。  僕はタオルを捨てた。両方の掌で泡塗れの乳房を下のほうから支え、丁寧に揉み上げていった。葉子は苦しげに吐息を発したが、直ぐ愉悦の表情に変わり、両手で僕に抱き着いてきた。僕も思い切り葉子を抱き締めた。  泡塗れの二人は力一杯相手の体を抱き竦め、 精一杯の気力でお互いを自分のものにしようとしていた。  唇を重ねた。吸い合い、絡ませ合い、唾液を与え合って、また吸い合った。肩を抱きかかえたまま、僕の重みが葉子に勝って、二人は崩れた。下になった葉子の太腿の辺りをシャワーが洗っていた。  そのシャワーを掴んで、僕は葉子の足下から流していった。ゆっくりと、静かに、両腿をこえ、その合わさった辺りにも…。  葉子は目を閉じたままだった。不安そうに両手をあげて空をまさぐった。僕はその右手を優しく僕の股間に導き握らせた。しっかりと掴んだ感触を得て、今度は自分の両手で葉子の閉じた両足を徐々に開いて行った。  葉子は一切抵抗しなかった。全ては僕の言いなりだった。大きく開かれた両脚の間に暗い谷間があった。この日まで秘されてきた葉子の最も女性らしい部分を僕は手で辿っていった。規則的に吐息を漏らしつつ葉子は、  「義和さん」  と初めて僕の名前を呼んだ。  「葉子」  僕も答える。  僕の物はすっかり逞しくなって、今にもはち切れそうだ。もう一度、熱い唇を吸い、耳元で  「いいね。行くよ」  囁きに葉子は瞼を閉じたまま、頭を振って頷き続けていた。             こうして僕と葉子は一つになった。           (四)  秋が近寄り始めていた。実りの季節だった。 サクランボ、ナシ、ブドウ。果物たちは、夏が暑ければ暑いだけ、そして、秋が寒ければ寒いだけ、立派な実を結ぶ。  葉子が僕の家に泊まっていく回数が増えていった。あの初めての日から、月に一回が二回になり、週に一回になっていった。もう、たった一人のお母さんへの口実は要らなかった。  二人には忘れようもない夜を過ごして帰ってきた一人娘に、その日この母は何も言わなかった。それからも、定刻に掛かってくる夕方の電話と、それを待ち受けている娘の落ち着かない素振りを見て、  「組合の話し合いなんて、嘘だったんでしょ」 とだけ、呟いたきりである。  逆に、たった一人の愛娘が、付き合い始めた若い男が、自分の前に姿を見せないのを、もどかしく思ったのか、  「一度、夕食にお呼びしたら」 と、葉子を諭したほどだった。だが、葉子は僕の家には、喜んで、通ってくるのに、なぜか、僕を自分の家に、招こうとはしなかった。 それが、いつも、喉に刺さった小骨のように、気掛かりではあったが、強いて、触れる必要もなかったし、それより、二人には、もっとたくさんの語るべき話題があった。  「もうすぐ、また、雪の季節になるね。今年は、絶対、君とスキーに行かなくちゃ」  「私、上手だと思わないでね。雪国育ちだからって、うまくなるとは、限らないんだから」  「楽しけりゃ、いいんだよ。うまくなくたって。君と行くことが、重要なんだから。二人っきりでね」  「私も。お母さんが、なんて言うかな。もし、泊り掛けになったら、どうしよう」  「もう、嘘は効かないよ。付き合っているのは、御存知なんだから、はっきり言ってもいいんじゃないかな」  「そうね。やっぱり、紹介しないとね。あなたの事。でも、驚かないでね」  「おどろくって? 大丈夫だよ。しっかりしてるから。そんなに、凄い人なのかい」  確かに、若いうちに、夫を亡くし、女手一つで、葉子を育て上げたのだから、並の女性ではないかもしれない。若造の青二才の青年が、“対抗”できる相手ではない、のかも知れなかった。  それから、間もなくして、  「今夜、うちにいらしてくださいませんか」 と、おずおずと葉子から誘いがあった。  いつもは、外で食事をして、取り止めのないおしゃべりをしたり、僕の家に来るときは、家で食後の紅茶やコーヒーを飲んで、たまには「愛し合って」別れるばかりだったし、何より、あれほど、躊躇の態度を崩さなかった葉子が、その気になったのだ。  僕は、二つ返事で、  「喜んで」 と、答えていた。  いつも、止まっていた「その角」を、この夜は、曲がった。少し行くと、くすんだ古い縦長のコンクリートの建物が、見えてきた。真っ直ぐ進んでいくと、葉子は、  「ここで、良いわ」 と、小声で囁いて、  「この二階なの」 と言って、左のドアーを自分で開けて降り、運転席側のドアーの横に立った。  「こんなところだから、余り、お呼びしたくなかったのだけれど」  ドアーを開き間際にそう言って、恥ずかしそうに、俯いた。  そこは、市営住宅だった。三階建てで、階段を登ると、左側の家に表札があり、葉子と母親の名前と思われる女名前が、並んで書いてあった。  (そうか、そうだったのか)  葉子の恥じらいの意味を、ようやく理解して、僕は自分自身がもっと恥ずかしくなった。 (果たして、これまでの、この子との会話の中で、自分の家のことを、誇らしげに語ったり、家を持たない人達のことを、嘲ったりしたことが、無かっただろうか)  玄関までの短い時間に、僕は心の中で、自分自身の過去の言行録を素早くプレイ・バックさせていた。  夕食は、魚の煮付けとほかほかの御飯に芋の味噌汁、と簡素なものだった。いつもは、葉子が「小学校の池に落ちて、魚に触られて以来、すっかり魚嫌いになってしまったの」と語っていたように、魚は干物しか食べないくらい、この家の食卓には、魚が上らなかったらしいから、これは、僕の魚好きを聞いての、特別仕立てだったのに違いなかった。  母親は想像より、老けていた。葉子を生んだのが遅かったし、生活の疲れが、実際の年齢より、その表情を老けさせていた、ように思う。  取り止めもない話をして、僕は、  「御馳走になりました」 を言い、一人、夜道にヘッドライトを光らせて、家路に付いた。  踊るような心地好さと深い自己嫌悪が、交互に、胸に押し寄せ、緊張感も加わって、僕は、グッタリ疲れきっていた。  その日はいつもより、寝つくのが遅かった。         (五)  チラホラとちらつくものが、徐々に分量を増し、陽が落ちると、本格的になった。黒い舗道が一気に白色に変わり、黒い夜が白くなった。  もう、行き馴れていた待ち合わせの喫茶店の内部は暖かかったが、広い窓から見える町は、寒さを加えて凍え始めていた。  毛編みの帽子を脱ぎながら、待っていた僕の向こう側に座った葉子は、  「とうとうやって来たわね。待ちわびた私達のこの季節が…」 と、いきなり言った。  「うん、冬になるね。長い冬だ。みんな、じっと耐えていく。そんな時が、もう間近だ。この季節があるから、雪国の人は、春の喜びもそれだけ、大きいんだよね。僕はこの町に来て、初めて、春を待つ気持ちと、四季のメリハリを、体で分かるようになった」  「私はずっと、この町にいるから、当たり前にしか思えない。だけど、雪は好きではないわ」  「関東地方の冬は、パカポカと暖かい日と寒い日が、ボンヤリと繰り返すだけで、そのうち、いつの間にか、春になる。輪郭がないんだ。それに比べると、ここでは冬ははっきり冬だものな」  「去年までの私の冬は、この町のみんなと同じ。毎日、雪が降って、積もって、その上を、転ばないように、ユックリと歩いて。でも。今年は、違う。こんなに、冬が待ち遠ししかったのは、初めてよ。あなたの為だわ」 僕も雪が待ち遠しかった。  葉子は、秋の終わりの頃、  「今、手編みのセーターを編んでいるの。ペアーでね。なかなか捗らないけど、絶対、雪が降るまでには、仕上げるつもり」 と、僕に宣言した。  だが、仕事も忙しい。ついこの前は、  「あなたのぶんだけでも、絶対に、編み上げる。自分で心に決めた約束だもの。私は、約束を破るのはいや」 と、強気のまま修正したが、毎晩、僕に「さよなら」を言った後で、自宅の炬燵に座り、せっせと、細かい仕事に精を出しているらしかった。    師走になって、毎日、嫌になるほどに降る雪が、雪除けのない道路を厚く覆い、両脇に壁を作るほどになった。  (クリスマス・イブをスキー場で過ごそう) と、約束していた僕と葉子に、その時が来た。  Y市にも温泉街が、宿泊施設となる大きなスキー場があったが、僕はあえてそこには行くまいと思った。その県のずっと南にあり、陸奥の背骨となっている山塊が、隣県と県境を接する辺りに、S温泉と言う温泉地があり、そこの古い歴史を誇る老舗の旅館に、電話を入れると、かなり高額の宿泊費にはなるが、「一番、良いお部屋が、残っています」 と、女将らしい女性が、誘った。  「女性との二人ずれ」とはっきり言ったから、年期の入った女将には、ピンと来るものがあったのかもしれない。  僕は躊躇無く、その部屋を頼んだ。  それが、丁度、一カ月前だった。  その日、雪の降り頻る中を、S温泉に向かった二人は、ほとんど、新婚旅行気分だった、と今になっても思う。会話は、接ぎ穂を必要とせず、ただ、車で雪道を蹴立てて行くことだけで、気持ちがハイになっていた。甘い感傷と心地好い緊張と、結ばれる事の決まっている恋人同士だけに許される落ち着きが、ない混じり、幸せとはこういうものなんだ、と二人は実感し、確認し会っていた。  旅館は、予想以上に、大きかった。広い玄関には、「本陣」と書いた吊り看板が下がり、建物は、木造ながら三階建ての威風堂々とした造りだった。  「陛下がお休みになった事も、ありましたのよ」 と、まだ三十代に見える若づくりの女将は、僕らを部屋に案内しながら、問わず語りに、自慢した。  確かに、案内された部屋は、値段相応の物だった。広さが十畳程もあり、床の間には日本刀の大小が飾られ、欄間には猿ときじの遊ぶ透かし彫りがあった。  透かし彫りに気付いたのは、勿論、直ぐにではない。旅装を解き、温泉につかり、海山の珍味を集めたような豪華な夕食を堪能した後、当然のように、一つしか敷かれなかった布団に入ってから、目に触れたのだ。  布団が一つ、と言っても、かいまきは、二つあった。しかも、布団の幅が一人布団の五割程も広く、ふっくらとしており、明らかに“新婚さん用”の物だった。  二人は、湯上がりで、ほてった体を、持て余しながら、一体となる喜びを求め合った。一度だけでなく、二度、三度と。外に雪のふり続く鄙びた温泉の一室は、やはり、寒々とした寒気が部屋の大半を満たしていたが、その中央だけは、炎を発し、熱かった。  しらじらと明けて来たのを、知らないほどに、二人は遅くまで、互いの体を接し合っていた。  朝になっても、目的であったはずのゲレンデに行こうともせず、じっと、抱き合っていた。  「そろそろ、朝御飯に致しませんか」 と、宿の仲居さんが、遠慮がちに、障子のそとから、声を掛けて来たのが、既に、九時を回っていたから、  (こんな田舎の旅館も、こういうカップルの扱いは、分かっている、ということか) と、僕は感心し、前日の、女将のいかにも熟達した客あしらいぶりを、思い浮かべた。  結局、ルーフ・キャリアーに苦労して積み込んだスキー用具一式は、降ろすことのないままに、家に帰ってきた。葉子も母の待つ自宅に帰った。  「クリスマス・プレゼント、有難う」  「大事に着て下さいね。大変だったのよ」 太い毛糸で編まれた手編みのセーターを、その冬、僕は、ほとんど毎日着ていたように思う。         (六)  新しい年を迎えた。  (葉子を、故郷へ連れていこう) と、ずっと、思い続けていた僕は、正月休みをそれに充てようと、考えた。  元旦、晴れ着を着て、僕の家を訪ねた葉子は、  「このままで行きたいわ」 と、着飾った姿を、僕の両親に見せたい気持ちを打ち明けたが、Y市から東京近郊のその町まで、当時の特急でゆうに四時間はかかったから、実際上、無理な話しだった。  「着替えていくしかないだろう」 と、僕が言うと、葉子は、  「それなら、ここで、しよう。着替えは持ってきています」 と、風呂敷包みを、差し出してみせ、媚びるように、瞳を輝かせた。  ほんのり白い化粧に、赤い紅の入った唇が、 際立っている和服向きのメイクをしてきた葉子が、濡れるような瞳を真っ直ぐ、僕に向けてきたのには、少々、たじろいだが、その意味を悟って、僕もその気になった。  江戸川柳の正月の季題に、「姫初め」があることを、『末摘花』などを読んで知ってはいたが、もとより、葉子が、知る由もない。 女としての、愛する男への、献身的な思いが、そういう行動を取らせる場合もあるのだろう、と年始めからの葉子の“激情”を解釈してみるほかになかった。  帯を解き、しごきを僕に絡みとらせ、赤いじゅばん姿になった葉子は、一足先に、赤外線式コタツに繋げる形で、敷いたままになっていた僕の布団の中に、  「寒い、寒い。この中が良いわ」 と、潜り込んだ。  外には昼の太陽が輝き、白一色の下界を照りつけていた。その部屋の壁の下部に開けられた通気口の障子紙を通して、和らげられた光が差し込み、天井まで、明るくなっていたから、布団に入った葉子のうなじから肩にかけての白い肌が、まるで、石膏像の一部のようにみえた。  赤いじゅばんと白い肌の、目にも綾なコントラストが、僕のその気を刺激した。  (この娘はこんなにしてまで…)  愛しい思いが、込み上げてきて、狂おしい程になった。  僕が自然に布団に潜り込むと、葉子は体を引いて僕の為のスペースを作り、向こう向きになった。僕はいきなり、じゅばんの上から、両手で両乳房を掴んで、抱き寄せ、頬に右手をやって、こちらに顔を向かせると、赤い唇を吸った。             結局、故郷へは帰らなかった。  午後を二人で抱き合ったまま、まどろんでしまい、目覚めた時は、日が西に傾いていた。夕食は、葉子が用意してきた重箱のお節料理と最低限の正月の用意にと僕が買っておいた切り餅を焼いて済ませた。お節料理は、本当なら、僕の実家への御土産のなるはずだったが、一部が二人の食道の中に消え、残りは葉子が、上手に隙間を詰めて、冷蔵庫の中に保存した。  長い夜を二人は、また、布団に入って、子供のように、じゃれあって過ごした。もうすっかり、晴着を脱ぎ、綺麗に畳んで始末した葉子は、一緒に入浴を済ませ、新年の最初の日の一夜を、僕と二人きりで過ごす手続きを、滞りなく進めていった。  部屋中の電気を全て消し、サイドライト一灯だけにすると、世界が急に狭くなり、二人の心と体の距離も一気に縮まった。  何も身に付けないままの二人は、二人を覆う掛け布団さえ鬱陶しく、互いの腕を強く体に巻き付け、しっかりと自分の方に、引き寄せて、肌の温もりと心臓の鼓動を確かめ合いながら、じっとしていた。  言葉も発しなかった。ほの暗い二人の世界の静寂を乱すものは、日が落ちてから、降り続いている雪の地を打つサラサラというリズムと時折、積もった雪が重みに負けて崩れ落ちるドサッという驚くような音響だけだった。それも、夜が深まり、寒さが増すと、凍り付いたように、全てが止まり、温かい体温と鼓動だけの世界となった。  僕は葉子の全身に唇を這わせた。一番敏感な部分では、濡れそぼった開口部から、溢れ出る蜜を全て吸いつくし、上部の突起を舌先でつつくと、葉子は全身を身震いさせて、反応し、ソプラノの糸を引いた。  葉子も僕の全てを貪ろうとしていた。口中の粘液が粘度を極限まで高め、唇を離すと粘った糸を引いたほどに、長い口付けを求めた後、その濡れた唇を胸から下へと這わせて行き、両手で拝むように支持したペニスに唾液を垂らし、口中に納めた。  「おいしいかい」  「とても」  「きみのも、おいしかったよ」  「恥ずかしいわ。あんなに」  「いいんだよ。二人だけの喜びなんだから」  「そうね。だれのものでも、ないものね」  「そろそろ、ほしくなったかな」  「あなたのもの、立派になったし」  「じゃあ、いいね」  「欲しい」  逞しくなった僕の物は、葉子の粘液を先端に感じながら、暗黒の小空間を突き抜け、内部をまさぐった。  溢れ出る液体が、抽送運動を勢い付けた。左右への変化や緩急も加えて、リズムを速めると、葉子もグングン登りの速度を速め、ソプラノのリズムもビートが小刻みになっていった。  もうこれ以上、堪え切れないという地点まで登っていき、「そろそろ、行くよ」と合図を送ったが、葉子は、何も答えず、ただ、頷いた。  僕は一気に放出した。  葉子の内部が、小刻みに収縮と弛緩を繰り返すのを、先端が感じていた。全ての僕の精気を、葉子が吸い取ろうとするかのような事後の運動だ。  僕はハーハーと息をしながら、葉子の乳房の上に顔を埋めた。葉子はその顔を両腕で強力に抱き締め、唇を吸った。  「中に出してしまったよ」  「はじめてね。出来るかもよ」  「いいんだ。それでも」  「安心なさいよ。今日は安全日」  葉子はそこまで、考えていた。相手に対する、女としてのさり気ない思いやりを忘れないのだった。  葉子は左手で僕の下半身の物を握り、僕は葉子の胸に顔を埋めて、眠りに落ちた。  抱き合ったまま、朝がきた。  二日も元旦同様の好天となって、前夜の雪が溶け始めた。朝から、屋根の雪が水となって、滴り落ち、庭の雪も緩んだ。  葉子は僕の知らぬ間に起き、エプロン姿で朝食を作った。その物音にまどろみを断たれ、漸く、起き上がった頃には、食卓はすっかり用意が整っていた。  カリカリのベーコンエッグに狐色のトースト、熱いコーヒーと林檎。簡素だが、上手に作るのは難しい朝食が、出来上がったばかりの温度を保ち、二人分用意されていた。  「疲れたでしょ。さあ、食事をして、元気を取り戻しましょ」  明るく誘う葉子の美声に、僕はパブロフの犬のように正確に反応し、急いでパジャマを着て、テーブルに付いた。  葉子の料理は、皆美味しかった。  コーヒーも飲み頃で、一口啜って、生気を取り戻した。  「毎朝がこうだと良いのにね」  「そうね。私も、そうしてあげたい」  「結婚すれば良いんだよね」  「でも………」  「両親の許しが、必要か。民法は二人の合意でいいとしているけど、実際上はそうもいかないものね」  「特にあなたのね」  「えっ」  「私のほうは大丈夫よ」  「だって、君も一人っ子だし、お母さんの老後を考えれば、婿養子を取りたいんじゃないかな。次男で良い人がいれば、それが、最良だろう」  「あなたにそんなことを言われたくない。私が一番、愛しているのはあなたなんだから。一緒に居たいのは、あなたなのよ」  「ありがとう。僕もだ。やはり、家に行ってみるか」  葉子はこの日、初めて、微熱を訴えた。  「昨日、ああして寝てしまったからかしら、 体が熱っぽいの。風邪を引いてしまったのかなあ」  (そういえば、昨日の葉子の体は、いつもより、かなり、熱かったな)  僕の体は葉子の“異変”を感じ取っていたのだった。         (七)  僕と葉子は次の日、汽車に乗って僕の実家に行った。  父と母はいきなり息子が連れてきた女性に驚きはしたものの、意外に優しかった。  「いつも息子がお世話になります」 と感謝の言葉を述べ、まるで当然のように、その日は、家に泊めた。  だが、結婚には、明確に反対した。特に母は、  「氏素性の分からない人とは、一緒になってほしくないわ」 とあくまで慎重で、  「私が行って調べてあげる」 とY市に出向く意向を示した。  僕はその意向に従った。  雪解けのスピードが速まって、春の息吹が感じられ始めた三月中旬、母はやってきた。 雪国の春は、長く雪の中に閉ざされていた生命が、一気に甦り、息を吹き返す壮大なドラマの舞台である。  積もった雪の中で、命を育んでいた草花が芽を出し、木々は背筋を伸ばし、成長のときに備える。人々もコートを脱ぎ捨て、軽やかに町を歩き始める。  三泊した母は、Y市役所に行って、葉子の家の住民票と戸籍謄本を取り、それでも満足せずに、Y市より南のO市まで出掛けて、原戸籍謄本まで、取り寄せてきた。  戸籍謄本には亡父の名があったが、葉子の母が、後妻と分かり、前妻の名や亡父の一族の全様が記された原戸籍謄本を求めたのだった。  「やはり、普通の家とは言えないわね。片親と言うだけでも障害になると思っていたのに、後添えの子供ではね。あなたに相応しいとは思えないわ」  母ははっきり、ノーの考えを述べた。  葉子は母の調べあげた事実を、知らなかった。  「お母さんが、後妻に入っていたなんて、初めて知ったわ。お父さんは、私の赤ん坊のときに死んでしまったし、はっきりとした記憶はないの」  うっすらと、涙を浮かべ、小さな声でそれしか言えなかった葉子に、僕の胸は痛んだ。 「こういうことは、すべて君のせいじゃないものね。君が責任を感じるものじゃない。僕は君そのものが好きなんだから、君の生まれやお母さんやお父さんは、関係ないよ」  それだけ言うのが、精一杯だった。    春になっても葉子の微熱は、消えなかった。 それでも、持ち前の気丈さで、仕事を休むこともしなかった。漸く、気温も上がり、凌ぎ易くなってきたことが、かえって、油断となったのでは、とは今にして言えることだ。  山々にウドやコゴミやゼンマイといった山菜類が、豊かさを加えた四月中頃、僕は葉子を山歩きに誘った。新緑のシーズンが、盛りをむかえ、町中まで、緑の香りがするくらいだったから、だれもが、その頃、山歩きをしてみたくなる。まして、愛し合った異性がいれば、当然だ。  あいにく、天気予報は、午前中の好天が午後になると崩れそうだ、と告げていた。でも、そう簡単に休みが取れない二人だったし、夏に向かうその季節を思う存分楽しみたいという気持ちで一杯だったから、計画を強行した。  霊峰とも修験者の山ともいわれるその山の山麓に分け入って、ひとしきり、山菜取りに汗を流し、下山しようというころになって、雲行きが怪しくなった。青空が見る間に、灰色の雲で閉ざされ、徐々に、暗さを増し、雷鳴が遠くに聞こえ始めると、俄かに雨となった。  その間、わずか十五、六分。僕達は、雲行きを察して、帰り道を急いだが、葉子は女足でなかなか捗らず、山道の足場が悪い上に下りとあって、大降りになる頃には、油断して軽装すぎた上着も靴もグショグショにぬれていた。  それでも、「速く、麓へ」と急ぎに急ぎ、登山口の土産物屋に辿り着いた。  まだ、しまっていなかった石油ストーブに火を付けてもらい、衣服を乾かし、熱いお茶を御馳走になりながら、暖を取った。  店に入りたては異常に青かった葉子の顔に、 赤みが差し、段々元気になってくるものと、僕は安心しかけた。  しかし、葉子は、  「気分が悪い。熱があるみたいだし、ちょっと横になりたい」 と、畳敷きの客席に座布団を並べて横たわった。  その間に、僕は車を取りに戻り、帰ってきて葉子の額に触れると、もう相当の熱さだった。葉子を抱き抱えて車に乗せ、後部座席に横たえて、毛布を掛け、帰路に就いた。  濡れたタオルを額に乗せたが、車の中でも葉子の高熱は一向に下がらなかった。逆に全身に震えが来て、寒気を感じるようになり、段々、話をしなくなった。  僕はY市に戻ると、総合病院の急患受付に行き、葉子を救急患者として、入院させた。         (八)  葉子の容体は一進一退を続けていた。微熱が依然収まらず、時折、高熱になるかと思うと、小康状態となり気分が良い日もあった。僕は毎日お見舞いに行き、それが日課になった。  そうして、二か月が過ぎ、夏がやってきた。  美緒が暑中見舞いがてらに手紙を寄越し、「七月になったら行きます」 と行ってきたのは、その頃だった。  僕が日にちの確認をかねて、電話をすると、 美緒は、  「ママからやっとお許しが出たの。色々お見合いの話が、あるんだけれど、私が、みんな断ってしまうから、諦めた見たい。それで、確かめてから、決めたいと思ってね」  「確かめるって、僕の気持ちをか」  「いいえ。私のよ」  別に断る理由はなかったから、受け入れることにした。  僕の家に食器も家事用具も全てが整っているのを知って、美緒は着のみ着のままで、御土産だけを持ってやってきた。  男の一人暮らしにしては、部屋が小綺麗にしてあり、キッチンも食器棚もきちんと整理してあるのを見て、美緒は、家に入りしな、 「一週間ほど居てもいいかしら」 と一方的に言い、、  「へえ、何でも揃っているのね。こんなにこざっぱりしているとはね。あなたもなかなかじゃない。それとも、女友達でもできたのかな」 とカマを掛けた。  僕は、  「それより、いっぱいお見合いをして、いい男に大勢会えたろう」 と切り返した。  「そうね。でも、顔が良くても、背が小さかったり、学歴があっても、性格がいまいちだったりして一長一短ね。大体、良い男はお見合いなんてしないわよ。良い男は、良い女が、早いとこ、物にしてしまうものなの」  美緒はそう言って、寂しそうに笑った。  最初の日は、僕も休みを取っておいたから、 市内や近くの観光名所を案内したが、二日目からは、自由にやってもらうことにした。  美緒は、全く外出せずに、一日中、家にいて、掃除、洗濯から食事ずくりまで、甲斐がいしくこまめに家事をこなした。  手早く、スピーディに、手際良く。いかにも美緒らしい仕事振りに、僕は、  [やはり、田舎育ちの女とは違うものだ]と、感心し、僕が生まれ育った東京郊外の町の生活のリズムを思い出して、懐かしくなった。  美緒は最初の夜に、  「私はこちらの部屋に寝ます」 と宣言し、隣の部屋を自分の寝場所と決めた。  だから、毎晩、夕食の後、ひとしきり、旧友や故郷の変わりようについて、“美緒情報”を語った後、二人とも、眠くなると、「お休みなさい」 を言って、勝手に自分の布団に潜り込んでいく日が、続いた。  六目目がまた僕の休みだった。  ゆっくり寝ていようと、昼近くまで、布団に入っていた僕に、美緒は箒を持って近付き、掛蒲団を叩きながら、  「そろそろ、起きたらどうなの」 と起こしに掛かった、  それでも、僕がグズグズしていると、今度は、掛蒲団を剥がしに掛り、剥がされまいとする僕と引っ張り合いになった。  すると、ちょっとした力具合と拍子で、美緒の体が、僕の方に飛び込むような形になった。咄嗟に離れようとした美緒の動作より、僕の腕の反応が速く、抱き竦めると、美緒は抵抗しながら、畳の上に崩れ落ちた。  はがい締めにするような恰好で、僕が上になり、体重に耐えられなくなった美緒は、もがくのを止め、静かになった。  その唇を吸い、ブラウスの前を開き、スカートを脱がす手順に時間は掛からなかった。 ただ、シュミーズとブラジャーとパンティーになってから、美緒の抵抗は激しくなった。それでも、胸をはだけさせ、パンティー一枚にしてしまうと、静かになり、すんなりと脱がせることができた。  「私、怖いわ」  「初めてなのかい」  美緒は言葉で答えず、頷いた。  唇から全身にくまなく愛撫を加え、下半身の潤いも確認して、僕は、突入の態勢に入った。  「行くよ。いいね」  美緒はまた、頷いた。  目に涙が溢れそうになっていた。  しかし、僕の先端は強い抵抗を受け、進入はきつかった。壁のような圧力に抗して、無理やりに突入した。美緒は歯を食いしばった。 きつい腟壁に締め付けられての抽送運動ははきつかったが、暗い内部で放出が終わった。僕はしばし美緒の胸の上で、吐息を漏らした後、体を離した。  美緒は、一息着いて落ち着くと涙を拭いながら、トイレに入った。  「赤い血が出たの」  美緒は僕にそう行って、恥ずかしそうに俯いた。  [そうか。美緒はバージンだったのか]  僕は、心の中で、男の誇りと喜びをしみじみと感じていた。         (九)   美緒は何かを「決めた」とも、「決まった」とも言わずに、帰って行った。  葉子の容体に変わりはなかった。だが、日々に内臓の痛みが酷くなり、鎮痛剤の点滴をしながら寝ているだけの日が、多くなった。 僕は中年の主治医に会って、病状を聞いた。 「どうも、難病のようですね」 と話を向けた僕に、その医師はこう言った。 「その通りです。治療法もまだ分かっていません。膠原病と言われる原因不明の難病のようです。細胞のニカワ質が侵され、機能不全になり、熱が続くのが特徴です。筋肉が侵される場合もありますが、葉子さんのは、どうも内臓らしい。そうすると、かなり危険です。副腎皮質ホルモンが、最も有効と言われていますので、これをずっと、投与していますが、予断は許さない状況です。そこのところを十分、含んでおいて下さい」  僕は葉子の母に、医師の説明を噛み砕いて説明した。だが、「危険」と言う言葉は避け、「簡単ではない」と言い換えておいた。  葉子はしかしよく耐えた。  初めの  「果物の実る頃までには、退院出来るかしら」 が、  「雪の降る頃には」 となり、  「良くなるかしら」 となっていったが、一進一退を繰り返しながらも、葉子の命は燃え続けていた。  [良くなって、あなたと暮らしたい]  心の底に、この命を支える希望があったからだ、と僕には思われる。  僕は気候に涼しさが加わった晩秋になっても、毎日、葉子を見舞った。それは、完全に、一日の終わりの日課になっていて、病床の葉子の手を握らなければ、眠られない程に定着したルーティーンになった。  珍しく気分が良い日に、葉子は、  「このまま、私が、良くならないとしたら、 あなたに悪いから、今のうちに、言っておきたいの」 と切り出した。  「私、処女じゃなかったでしょ。あなたは聞かなかったけど、私は少し気になっていた。それは、あなたが、私の、この世で一番愛した人だからよ。でも、二番目に愛した人がいたの。高校時代にね。中学の同級生で、その子も私も、孤独だった。突っ張っていたけど、私には優しかった。その子が最初。驚いた?」  「その人は、今何をしているの」  「お墓の中よ。暴走族になって、事故死したの。なんでも、雪道を飛ばして、電柱に激突して、天国に行っちゃった」  「悲しかったろう」  「一晩中泣いたわ。でも、死んだ人を何時までも、思っていても、仕方無い。生きている私には一度しかない大切な人生が有るんだと気が付いたの。そう思って、元気になろうとしていた時、あなたと……」  「ぼくが声を掛けたと言うことか」  昨年の春の終わりだった。  「私は縋るものが欲しかったの。支えてくれる人が、必要だった。ポッカリと開いた穴を、自分だけで埋めるのは大変だったから。あなたに会えたことで私は生き返ることが出来たの。有難う御座いますって、感謝しなければ、いけませんね」  「そうすると、僕でなくても良かったのかもしれないね」  「いえ、絶対に、そんなことはないわ。あなたでなければいけないのよ。神様がそうしてくれたの。私が、良い子だったから。最愛の一番相性の良い人に巡り合わせて下さったんだわ」  「そうして、良い子にしていれば、病気だって直ぐに良くなるさ」  「そうね。そう信じているわ」  何時でもだれでも、病人の見舞いでの会話は、勇気付ける見舞い人と勇気付けられる病人と役割は決まってしまう。  危険な状態ながらも、病状は落ち着き、一時の平和が、訪れた。  そんなある日、僕に、辞令が下った。  「東京本社OO部への異動を命ずる」  たった一行の辞令によって、僕はその町を離れざるを得なくなった。  冬になろうとしていた。  僕は、  「せめて、来年の春まで」 と願い出たが、受け入れられなかった。  その町へ来た時と同じ様に、僕は一人で列車に乗り、四年ぶりの東京に戻った。                          (十)  東京で仕事をしながらも、葉子の事は、片時も頭を離れなかった。  葉子が電話に出ることは難しかったので、病院に手紙を書いた。葉子も返事を寄越した。だが、それも長くは続かなかった。葉子の手紙は段々、少なくなり、十二月になると、なしのつぶての状態となった。それは、葉子の容体の悪化を間接的に伝えていた。だが、僕が葉子の側に居てやることは不可能だった。 直ぐにでも、飛んで行きたい気持ちに、間断なく襲われたが、仕事の事情が許さなかった。  季節は何時しか、東京の町を行く人々が、厚いコートを着る季節になっていた。  デパートのショーウインドウが、クリスマスのデコレーションで飾られ、有線放送が、クリスマス・ソングを流しっぱなしにして、町はその年を締め括るのに忙しい時を迎えた。  クリスマスイブも仕事で潰してしまった僕は、一年前の葉子との一夜を思い浮かべ、ただ、感傷に浸る事で自分を慰めた。  翌日の夜になって、外電が、銀膜の喜劇王、 チャーリー・チャップリンの死を伝えてきた。 テレビは、名画の数々を流し、追悼特集番組を組んだ。物悲しく、ほろりと来て、考えさせるチャップリンの名演技。久し振りの休暇を日柄一日、テレビを見て過ごした僕は、その笑いさえも忘れていた。葉子が気掛かりだった。  大晦日の日に、僕の一人住まいの電話が鳴った時、不吉な予感が走った。  予感通りに、電話は、葉子の母からだった。  「色々、御心配をお掛けしましたが、葉子は、昨晩、天国に召されました。最期まで、あなたのことを思っていたのでしょう『義和さんお幸せにね』が最期の言葉でした。葬儀は正月が終わってから、日を選んで行いたいと存じております。一言、お知らせまでと、御迷惑を顧みず、お電話差し上げました」  母はそう丁重に述べて、電話を切った。  [葉子が死んだ]  半ばは予想された事ではあったが、事実の持つ重みは、計り知れない。強烈な衝撃が、僕の全身を襲い、血が逆流して、体中を駆け巡った。頭の中があの町の雪のように真っ白になった。  [葉子が死んだ]  あの葉子が、この世からいなくなってしまうなんて…。  まだ、二十代の若さで、逝ってしまった。 僕の愛した葉子が……。   結ばれることを望みながら、結ばれないままに……。  わずか二年の交際の間に、十年以上の充実した喜びを与えてくれたあの娘が……。  僕の心にポッカリと埋め切れない大きな穴が開いた。埋めきるには長い年月がかかりそうに思われた。  美緒はその年の春、何度目かのお見合いで、 巡り合った歯科医と結納が整い、六月、結婚式を挙げ、「ジューン・ブライド」になった。              (終り)  この中の「葉子」が、里子伯母のことなのは、明らかだった。そして、その「葉子」は、小説の中では死んでいた。  すると、今の里子伯母は誰なのか。やはり、幻影なのか。あの男も、そうであったように)  しかし、あの愛想のいい、匂うように、成熟した女を感じさせる伯母はあくまでも、生活感の溢れる現実のリアルな存在ではないのか。  手に取る所にあっても、そして、それを手にとっても、依然、幻影であるものが、ある。コピューター・ネット・ワークのサイバー空間で起きる出来事は、一体、現実なのか、夢なのか。  達也は、分からなくなった。  ただ一つ、言えることは、由美が小学校へ通う少女であることぐらいしか、達也には確かなものはなくなった。  (大人の世界に起きていることは、得体が知れない。それを、少しずつ知っていくことが、大人になるといういうことなのだろうか)  達也の心に、恐れと、憧れがない混ぜになった不思議な興奮が広がった。                (7)  夏が終わってから、麗子にも、由美にも会っていなかった。  由美は、女子大学の付属小学校で二学期を迎え、麗子も友達付き合いやテニス、ゴルフの練習に通うのに忙しかった。  秋風が吹き始めた。  人々が徐々に、着るものを重ねるようになり、空の色が、鉛色になる日が多くなるに従って、あの事件の記憶も、段々、遠いものになっていった。  それぞれが、それぞれに、人生の貴重な時間を、過ごしていくのに、一生懸命だった。 コートの人の群れが、繁華街を、埋めるようになっても、それぞれの日々は、事もなく、自然に流れていった。  里子が、上海の歓楽街で仕事をしていたことや、空に消えた河田と張の「物語」は、全て、達也の胸の中に、しまわれたままだった。ただ、里子だけは、自分自身の過去の「物語」を記憶の彼方に追いやったつもりでいたのが、突然の亡霊の出現に、少なからぬ衝撃を受けたようだった。だが、時の流れが、それも、癒した。持ち前の気丈さで、里子は、自身の崩壊を食い止めた。  全ては、流れ去った過去のことである。人は、常に、前を見て、生きていくものだ、ということを、里子伯母は、日々を、滞りなく、生きていくことで、見事に、達也に、知らしめたのである。  達也は、改めて、そんな、伯母が、心の底から好きになった。    チラチラと雪が散らついたクリスマス・イブの銀座を、達也は、由美と歩いた。  プレゼントを買うための毎年の恒例の行事ではあるが、この年は、ちょっと、違った。 もうすぐ、社会に出る叔父と知識欲旺盛な可愛い姪は、初めて、カップルで、映画を見たのだ。  由美が、  「ほら、ロバート・レッドフォード主演の古い映画があったでしょ。私、文庫本で読んで、とても、映画を見たくなっちゃった」  と、達也を誘ったのである。  銀座には、古い名画を上映している映画館がある。オードリー・ヘップバーン特集とか、ヒッチコック特集とか、スターや監督でまとめてみたり、中国や東欧映画の上映を試みたりしている。  そこで、二人は、『華麗なるギャツビー』を見た。  青春時代に、熱烈に愛し合いながら、結ばれず、恋した女性への思いを持ち続けながら、億万長者に成り上がった男が、壮麗な別荘を海岸ぞいに建て、連日の大パーテーを開いて、再開の機会を待つ、いかにもアメリカ的な物語だ。  紗が掛かった回想シーンやオールド・ツエンティーズの上流社会の人々が繰り広げるパーティーの場面が、若い女の子には、グッと来てしまう名作の一つだ。  (イブに由美と映画を見るなんて)  赤ん坊のころからの、長い? 付き合いの由美が、この俺と映画をね。  (二人とも、立派になったもんだ)  由美はこんな日も、ストーン・ウオッシュのリーバイスのジーンズにお気に入りのスコッチハウスのカーキ色のジャンパーと、およそ小学生らしくない、ミスマッチのファッションなのに、美少女と言っていいほどの、整った顔付きにスタイルも抜群だったから、何を着たって着こなしてしまうことになるのだ。 ジャンパーで包まれた胸のあたりが、去年より、少し、ボリュームを増しているのを感じて、達也は、妙に気恥ずかしかった。  「私、ああいうやり方って、良くないと思うな。もったいぶってさ。金にあかせて、恋々と、自分を見せびらかすのは、卑怯だよね。お金なんかなくても、素直な心と誠実さ。それが、男にはいっとう、大切なもんじゃないの」  小学生だって、小利口な子は、この位の理屈は言うのだ。  「俺は、やってみたいな。男として。これだけの男なんだ、この俺はって所を、見せたいものなのさ。一人前の男はね。いいじゃないか、大金持ちになって、成功したんだよ。由美もああいう旦那をつかめば、最高だぞ」  「そんなんじゃ、ないの。私はいいんだ。精々、安サラリーマンにしかなれないだろう達叔父さん程度で。私を一生大切にしてくれて、時々は、こうやって、二人で、映画なんかにも来て、子供は二人ぐらい、男の子と女の子を作ってさ。ユッタリと暮らせれば良いのよ」  「あんまり、こまっしゃくれた子になっちゃ、嫌だよ。大人びて。子供は、大きな夢を持たなきゃ。大富豪の愛人とか、王女さまとか、大統領夫人とかさ。男に愛されればなんにでもなれるのが、女の特権なんだぞ」  「おばあちゃまみたいに、のんびり、暮らしていくのが、私には、理想だな。夏に湖に行くくらいが、精々の贅沢で、毎日、美味しいお料理を作って…、自然の時の流れの中を生きて行くみたいな。そういうシンプルな人生。それで良いのよ、女は」  「まあ、そうかもね。シンプルか」  (里子伯母さんの人生が、この孫の思うようなものだったとしたら、それに越したことはないだろうに) 達也は、由美に、オリジナルの物語を語ってみた。それは、いつか、愛する女性に話してみようと、長い間、心に温めていた物語だった。  それを、この可愛い姪に初めて、話してみたのは、素敵な経験だった。  それは、次のような物語だった。   『ラスト・コンサート』 1 四十八歳の誕生日を迎えた日に、藤一郎は入院した。 医師の診断は、ガンだった。 藤一郎は、この膵臓ガンでは日本一という名声を持つ医者に、初めて診てもらったとき、 「先生、私にはすべてを隠さずに話してください。ガンならガンと・・・。どのくらい持つのか。どこが、どう悪く、どういう処置が必要で、どう対処するつもりか。すべて、お話し願いたい」 と宣言した。 そのあまりの迫力に、医師は、 「その通りにしましょう」 と約束した。 藤一郎にとって、この入院がどういう意味を持つのか、彼は、実を言うと、一晩、寝ずに考えた。そして、考えが、右左へと行き来するうちに、達したのが、この結論だった。 ーー所詮、俺はそう長くは生きられない。それが、半年なのか、一年なのか、あるいはもっと短いのか。いずれにせよ、長くないのは、確実だ。この世に生まれて、最後の生きざまをどうするか。俺は俺の人生の最後を、自分の生きたいように生きたい。  昔、藤一郎は、黒沢明監督の「生きる」という映画を見て、感動した覚えがある。ガンと宣告された役場の職員が、最後の仕事に公園作りに、全力を傾けていく話だった。 「俺もあの主人公と同じだ」  そう思って、藤一郎は、まず、自分が、この人生で一番したかったことは何なのかを考えてみた。  (子供のころから、おれは、おれの一生は平凡でいいと考えていた。平凡に大学を出て、平凡に会社に入り、サラリーマンで一生を終える。それで、いいと考えていた。だが、青年期になって、なりたいと思ったのは、音楽家だった。できれば、ヴァイオリニストと思って、レッスンにも通ったが、長続きしなかった)  だから、藤一郎が、成りたいと思ったのは、そのとおりになったサラリーマンともう一つはヴァイオリニストなのだった。  人生で成ろうと思ったものが、たった二つしかないのは、別に、珍しいことではないだろう。藤一郎はそう、大きな夢を持つ性格ではなかった。  藤一郎は、ガンの宣言を受けて、そう長く生きられないと悟って、ヴァイオリニストになることを決めた。  だが、ヴァイオリニストになるのは、そう簡単ではない。長い修行の年月と厳しい訓練が必要なことは、分かっている。だから、厳密な意味では、藤一郎が成りたいと思ったのは、ヴァイオリニストではなく、ヴァイオリンを弾く人、すなわち。ヴァイオリンの演奏家だった。  (プロになるなんて、とても無理だろう。せめて、アマチュアのなかで、上手なほうになれればいい)  それには、どのくらいの時間が必要だろうか。藤一郎は、計算してみた。  ーー 初歩から始めるにしても、まともに、演奏できるようになるには、半年はかかるだろう。それも、毎日、欠かさずに練習してだ。そして、後、半年で、総仕上げをする。そうすれば、なんとか、人前で見せられるものになるかもしれない。だが、それまで、体力が持つだろうかーー。  藤一郎は、その点に、思い至って、暗澹たる気持ちになった。  問題は、どのくらい持つかである。それは、医師に聞いてみなければ分からない。  藤一郎は、そう決心した翌週の診察で、医師にこの点を質した。  医師は言った。  「もう、末期に近いですか、一年もてば、良しとしなければならないでしょう。その間、人生でやりのこしたことをするのもいいでしょう」  その言葉は、冷静で、疑問を差し挟む余地のないもののように思われた。  藤一郎は、決心した。  見舞いにやって来た妻の良子に、包み隠さず、気持ちを話したあと、医師の診察結果を告げた。  「あと一年の命だそうだ」  良子は、藤一郎の長い話の後、この夫の「死刑宣言」を聞かされて、ハンカチを涙で濡らした。  「わたし、当たってみますわ。良い先生が居ればいいですけど。そういえば、ご近所に芸大のヴァイオリン科を出て、安く教えてくれる先生が居るらしいから、聞いてみようかしら」  「この期に及んで、お礼の額は問題ないだろう。高くても良いんだ。早く、上手に教えてくれる人ならば」  「分かりました。探してみます」  そう言って、良子はまた、涙ぐんだ。  その涙を見て、藤一郎の脳裏に、子供の頃の、鮮烈な思い出が蘇ってきた。  (あれは、夏の日の暑い午後だった。その年は、いつにも増して、残暑が厳しく、八月の蝉の音が激しい、昼下がりに、私は、川遊びで疲れ切り、ぐったりとした身体を引きずりながら、家路を急いでいた。昭和三十年の夏。おれは、小学校一年生だった)  藤一郎の頭に、その日の光景が、鮮明に蘇ってきた。今は、新春と言っても、外気は冷たく冬の気候なのに、夏の思い出が、彼の頭を熱くさせた。  (私の生まれた家は、水遊びをしていた小川から、坂を登った丘の上にあった。私は、坂道を登って、家路を辿っていた。坂の途中に、洒落た洋館が建ったのは、二年ほど前だったが、土地の人たちは、その家は、東京から引っ越してきた外交官の家で、家主は、退職してから、この、遠くに富士山を望み、近くには、相模川が流れる土地を気に入り、引退後住居を定めたのだと、言っていた。  私が、その家の脇を通りかかると、家の中から家人の討論する声が聞こえて来た。 「早く、こちらに来て、あなたの、勉強の成果をお父さまに、ご披露なさいな」  「分かりましたわよ。そう急かさないでください。こちらも準備があるんですから」 「まったく、この子は、モスクワくんだりまで行って、高いお金を掛けたんですからね。まず最初に、成果を披露するのは、そのお金を出してくれたお父様でしょう」  「わかっておりますわ。では、これから、さっそく、演奏します」  「お父さま。始まりますよ」  母親と、父親が席に着いて、その家庭音楽会が始まるところだった。  私は、そのちょうど、開始の時に、道を通りかかったのだった。  美しいヴァイオリンの音が、流れはじめた。それは、甘美なメロディーで、明るく流れるような美しい旋律と澄みきった音の響きを持った心地よい、楽曲だった。  私は立ち止まって、その音楽に聞き入った。  独奏のヴァイオリンは、流れるように、音を奏でていき、時折、外の木々で鳴くセミの音と混じり合って、熱く太陽が照らす夏の空に和音の絵画を描いていった。  演奏は、三十分程続いた。静かな静寂のあと、拍手の音が聞こえた。それは、父と母の四つの手が、生み出した疎らは拍手だったが、私には、この上もなく、温かい響きののリズムを奏でる手による音楽のお返しのように聞こえた。  「素晴らしいわ。こんなに上達したなんて。本当に、あなたを留学させてよかった」 「どうも、有り難う。わたし、有名な演奏家になれるかしら」  「大丈夫よ、絶対に。あなたは、素晴らしい演奏家になるわ」  母が、娘を褒めそやしていた。  私は、自分の母が、いつも、「子育ては、一つ叱って三つ褒め」と言っているのを思い出して、なるほどと納得した。  それが、初めての、ヴァイオリンの本格的な演奏との接触だった。  私は、その夏の終わりに、両親にせがんで、念願のヴァイオリンを手に入れた。それは、国産のスズキ製の子供用の楽器だった。母は、電車で一駅の隣町にヴァイオリンの教師がいるのを見つけてきて、私を週一回通わせた。  しかし、この教師が、良くなかった。子供の私に、理屈も分からないままに、ただ、指の位置を教え、左手を捩じったり、右手での弦の操作を無理やり教え込もうとしたが、それは、私には苦痛以外の何ものでもなかった。あの、美しい音色は、このような苦痛から生まれるのだろうか、と暗澹たる思いに捕らわれた。  私は、二ヵ月程、通って、辞めた。いつまで経っても、曲を弾けなかったし、単調な和音の繰り返しでは、満足できなかったからだ。  母は辞めてしまった私に、何も言わなかった。  「厭なことを無理して続けることはない」  そういうのが、両親の考えだったし、息子に嫌がることを強要するようなことは、決してなかったのだ。  私の小さなヴァイオリンは、棚のなかに仕舞われて役割を果たすことがなくなった。それでも、高校、大学へと進む間に、時折、取り出しては、弾いてみることがあったがそれは、和音止まりで、曲を弾くまでには遠かった。  あの洋館の少女は、その一年後、コンクールで新人賞に輝き、颯爽と音楽界に登場した。容姿も顔つきも美しく、新聞は「楽壇に清烈な美人ヴァイオリニスト登場」と伝えていた。  その顔写真を見て、私は「あの美しい音色を奏でていたのは、この人だったのか」と納得した。あの音の記憶は、このような音楽を奏でる人の、一定のイメージを私に与えたが、実際、その人は、このイメージ通りの人だった。  わたしは、成人してから、この人のコンサートに行った。上野の国立音楽会館で開かれたその演奏会には、今は妻となった良子との最初のデートの機会だった。  前端貞子というその女性ヴァイオリニストの演奏会は、「チャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルト ニ長調 作品35とメンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルト ホ短調 作品64」の二作品だけが、演奏されるミニ・コンサートだった。  私が、子供のときに道端で聞いた楽曲は、すでに、レコードで、メンデルスゾーンのこの作品だと分かっていたが、改めて、その本人の演奏を聞いて、この人の演奏の素晴らしさが、納得できた。  私にとって、ヴァイオリンとは、そういう意味のあるものだったのだ) 良子は、翌々日に、看病のためにやって来た病院で、  「先生が見つかりましたけれど、病院の許可がいるのではないですか」  そう聞いた。それは、私も思い浮かばなかった。病室は個室だったから、そんなことまで、気が回らなかった。良子は早速、看護婦さんに相談した。担当の看護婦は、  「そのくらいなら大丈夫でしょう」  そう請け負ってくれたが、念のために、婦長と事務長の許可を得ることになった。  少し経って、看護婦は、書類を持ってきた。  「これに、その練習の日時と、先生の名前を記入して、許可申請してください」 と言った。  私は、良子にそれを渡して、記入を頼んだ。  「先生は、芸大出の方で、吉野りかさんといいます。それで、練習は毎週、金曜日があいていると言っていましたけど、それでいいすか」  「私の方は、このとおりだから、いつでもいいんだ。それは、お前も分かっているではないか」  私は、妻の気の聞かない、言い方を詰った。  「そうです、だから、決めてきました。金曜日の夕方、午後五時から一時間ですよ」  「なんだ、決めてきたのか、それならそうと、最初か、言えばいいじゃないか」  「だって、あなたは、何でも自分で納得が行くようにしたい人でしょう」  「こんなになって、そんなことはないよ。死ぬまでもう、そう時間がないのだからね」  良子は、私のその言葉に、返す言葉がなかった。 病院からの許可はすぐに出た。ただし、「ほかの入院患者や治療に差し支えないように」との但し書き付きだった。だが、許可が出たことに変わりはない。 それで、私のレッスンとその日程は決まった。 2 私のヴァイオリンの先生、吉野りかは、翌週からやって来た。彼女は、私に会うなり 「私のレッスンは、みな、厳しいといいます。お見受けするところ、御病気のようですが、それでも、手加減はしませんから、そのお積もりでいてください」 そう宣言した。 私は、 「見たところ、御病気のようですが」 という言い方はあるまいと思った 病院に来ていて、それは当然のことだ。しかし、彼女がそう言ったのは、せめてもの、新しい生徒への思いやりだったかもしれない。そういう言い方をすることによって彼女は、通常の時と同じ様に、すなわち健康な人と同じやり方で、私に教える、と宣言したのだった。 私には、そういう言い方は、うれしかった。これで、病気を意識することなく、私は練習に専念できる。ただ、ひたすら、ガンによって、決められてしまった命を考えることなく、このことに、打ち込めるだろう。そう考えて、彼女のこの申し出が、爽やかに感じられた。  「それで、ヴァイオリンは、持っていらっしゃるのですか」  彼女は、おだやかに聞いた。  「いえ、それも、先生にご相談してからが、良いと思いまして」  「そうですか。それでは、私が選んできましょう。どのくらいの、ご予算がありますか」  聞けば、ヴァイオリンには、ピンからキリまで、あるらしい。そういえば、名器といわれるストラディバリウスは、家が一軒、買えるような 値段だというではないか。  「どのくらいのものがいいのでしょう」  私は聞いた。  「そうですね、大人用なら五万円くらいからありますよ。でも、それでは、すこし、寂しいですね。やはり、新品なら十円台のものがいいでしょうね」  「そうですね、新品でなくてもいいですか」  「それは、そのほうが、いいかもしれません。少し、使い込んであるほうが、音色も安定しているし、ヴァイオリンは、そのほうが、使いやすいのです」  「いずれにせよ、お任せします。十万円でも二十万円でも、わたしに適当なものを選んで下さい」  わたし、良子に言って、二十万円、持ってこさせた。    吉野りかは、翌週、購入したヴァイオリンを手にして、わたしの病室にやって来た。挨拶をするのもそこそこに、彼女は、そのヴァイオリンを見せて、  「いい出物がありました。神田の下倉楽器で、ちょうど、出たばかりの中古が手に入りました。ドイツ製で、マイスターの作品です。これが、十五万円というのは、安かったでしょう」  彼女は、鼻高々にそう言った。  わたしは、そのヴァイオリンを、ケースから取り出して、手に取ってみた。  滑らかなニス塗の肌が、手に心地良かった。裏返してみると、尻の部分に、焼き印が押してあった。確かに、ドイツ語だった。  「それで、どのような人が使っていたのでしょうか」  わたしは、率直な疑問をぶつけた。  「なんでも、店員さんの話では、音大の生徒さんが使っていたもののようです。だがそん生徒さんは、なにか、事情があって、ヴァイオリンを、やめてしまったのだそうです」  「もっと。良いものに買い換えたのではないのですか」  「そうは。言っていませんでしたね。その学生は芸大も辞めたのだそうです」  わたしは、ケースの裏を見た。そこに、微かな書き込みがあるに気が付いたからだそこには、小さく黒い文字で、「S.M」と書かれていた。  (前の持ち主の名前の、イニシャルなのだろうか)  そう思ったが、吉野りかには、何も言わなかった。  「さあ、これで、レッスンの用意は整ったわけです。今日は、まず、構えからから、練習します」  こうして、わたしの、病院でのヴァイオリン・レッスンが、始まったのだった。              3  町田しおりは、五歳からヴァイオリンのレッスンを受けてきた。家の近くに、「鈴木メソッド」によるヴァイオリンの教室があり、教育熱心だった父母は、しおりに情操教育を施すため、この教室への入室手続きを取った。  幼いしおりには、それが、どういう意味を持っているのか分からなかったが、真新しい楽器を買ってもらい、それを弦で弾いてみると、とても美しい音色がしたので、しおりは、ヴァイオリンが好きになった。  しおりは、五歳の時は、母に連れられて、週に二回の教室に通った。レッスンは、楽しかった。同じ年頃の幼児が、十人ほど、一緒に練習していた。最初は、おずおずとして年上の子供たちに対して、遠慮がちだったしおりは、通いはじめて、半年程、経ったころには、すっかり、教室にも馴染んで、楽しく、レッスンを受けていた。  秋になって、練習の成果を発表する会が、持たれることになり、しおりも、やさしい練習曲の「きらきら星」を練習して、発表した。  小学校に入ると、教室の半部以上の友達が、塾通いなどで、教室を辞めていったが、しおりは、  「塾で勉強するより、こっちの方がいい」  そう言い張って、ヴァイオリンを続けた。  それも、学校の成績が、良いほうだったから、両親も、それを許したのだった。それに、しおりは、幼稚園から女子大学付属に行っていたから、小学校も無試験で進学できた。その学園は、しおりが、小学校に入った年に、「大学まで、無試験進学できる」という方針を決めていた。だから、勉強は「落第をしない程度に、しておけばいい」のだった。  そういう恵まれた環境のなかで、しおりは、ヴァイオリンを、楽しんで、練習した。楽しみはますます、追求したくなる。何事も、好きになるほど、早い上達の道はない。しおりは、小学校を卒業するころには、多くの、音楽コンクールで入賞し、トロフィーや表彰状をたくさん、貰った。  母の康子は、  「しおりさん、あなたは、演奏家になるの」  時々、そんな話もしたが、しおりは、いつも、  「それは、無理ね、それほど、上手ではないわ。演奏家になるには、それだけのセンスと努力が必要だわ。わたしには、センスもそんな大変な苦労をするつもりはないの」 そう言って、取り合わなかった。  でも、先生に付いてのレッスンは、続けていた。そして、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に挑戦した。  可憐な少女にとっての、小学校はそうして、日々、淡々と過ごしたが、しおりが、中学になるときの春、彼女は、身体の不調を訴えて、寝込んでしまった。  病院の医者は、  「循環器系の不調のようですが、精密検査をしてみます」  そういって、しおりの血液検査をした。  結果は、一週間後に分かった。それは、  「軽い貧血症状」ということだった。  医師は、  「薬で治療できます」  そういって、鉄剤が入った治療薬を投薬した。  しおりは、中学一年生の間、その薬を飲みつづけた。体育の時間に、長距離走が、あったが、そういう過激な運動にはとても耐えられず、いつも見学していた。  (わたしは、どこか、身体の欠陥があるの)  そういう気持ちが、心の底にこびりついて、時折、顔を覗かせた。  それ、しおりに将来の不安を抱かせた。  (わたしは、そんなに、長生き出来ないかもしれない。せいぜい、三十歳まで、生きられればいいわ。こんなに、身体が悪いんですもの)  しおりは、中学時代をそういう気持ちに、捕らわれながら、過ごした。  だが、医師は、いつも、  「この分なら、体調はいいでしょう。決して、わるくはなりませんよ」  そういうだけで、それが、また、しおりを悩ませた。  (先生は、そういって、私を慰めているんだわ。お医者さんは、本当のことを言ってくれない、と言うじゃない。きっと、わたしの酷い病気の秘密を、いつまでも、言ってくれないに違いない)  しおりの疑心暗鬼は、募った。  高校に進学するころに、公園に犬を連れて、散歩に行った帰り道に、犬が急に駆けだしたのを止めようとして、首輪を引っ張ったとき、転倒し左足の膝小僧を擦りむいて、かなり大きな怪我をした。  しおりは、家に飛んで帰り、母の康子に泣きついた。康子は、その傷を見て、仰天した。真っ青になって、薬箱を出した康子は、二種類の薬を大量に傷口に塗り付けて、包帯でぐるぐる巻きにする、応急手当てをしたあと、医者に連れていった。  しおりの出血は、なかなか止まらなかった。分厚く巻かれた包帯から、じわじわと血がしみ出てきて、しおりは、気を失いそうになった。  応急室の医師は、傷口を見て、止血剤を大量に投与し、様子を見た。だが、それでも出血は止まらず、しおりの意識も失われそうになった、輸血が行われた。  血液の瓶三本が消費されて、どうにか、出血が抑えられたが、当然、しおりは、入院することになった。  病室のベッドの上で、しおりは、混濁した意識のなかで夢を見ていた。  ーー わたしは、大きなコンサートハールのステージに立っている。もう、聴衆は満席になっていて、わたしの演奏の始まるのを、固唾を飲んで見守っている。わたしは、ステージの中央で、ヴァイオリンを肩に当てた、脇でピアノが鳴りはじめた。わたしはピアノの音に合わせて、身体で調子を取り、最初の音節を目で追った。  身体を揺すって、最初の音に挑む。それは、軽やかに、始まった。豊かな情感を胸にわたしは、楽譜を追っていった。  うっとりとするような、音の流れ。高く低く、長く短く、妙なる調べが、わたしの右と左の指の動きのなかから、生まれ、会場を潤した。  甘いメンデルスゾーンの競奏曲、しっかりとした構成のチャイコフスキーの楽曲。みんなわたしの好きな曲だ。  身体を目一杯に使って、わたしの演奏は続いた。額から吹き出していた汗が、首や胸にまで、回ってきて、わたしは、身体の芯から熱を発しているのを感じた。  うっとりとして、気持ちが良くなった。わたしはいつも、この瞬間に、想像する。  (これは、男の人とのセックスよりも、心地よい)  恍惚として、登り詰め、絶頂に達したとき、わたしは、我が分からなくなる。それは忘我の境地だ。神が乗り移って、わたしを操っている。そんあ経験は、滅多に出来るものではないが、わたしにはこの時が、その瞬間だ。  大音量の中で、わたしは、それを味わった。クライマックス。登り詰めて、わたしは脱力した。心地よい疲れ。身体の中に溜まった物を、全て放出して、カタルシスを感じるリラクタントな時。わたしは、それが、心地よい。  静かにヴァイオリンを肩から降ろして、右手に持ち、聴衆に向かって、頭を下げた。 激しい拍手と、歓声がわき起こった。わたしは、もう一度、頭を下げて、ふかぶかとその歓声に応える。静かに、二度、三度。そして、幕が降りるのを合図に、楽屋に引き込んだ。それでも、観衆の拍手は止まない。アンコールを求める拍手が続く。  わたしは、再び、ステージに姿を見せるが、アンコールには応えない。  聴衆は不満のブーイングなどしない。わたしのアンコールの拒絶にも、不満を漏らすことなく、席を立ち、三々五々、帰っていったーー。    しおりは、そういう夢のなかを漂って、病室に戻ってきた。外は、もう暗くなっていた。意識が、戻って、しおりは、自分が演奏会場ではなく、暗い病院のベッドの中に居ることを感じて、再び、急激に落ち込んだ。  (わたしは、何をしたのだろう。どうして、ここにいるのだろう)  ここまでの経過を、戻ってきた意識の中で、回想してみた。  (わたしは、タロを散歩させていた。そしたら、急にタロが駆けだしたので、綱を引いた。そしたら、倒れてしまって、膝を地面に擦って出血した。家に泣いて帰ったら、母が真っ青になって、応急処置をしてくれた。でも、血が止まらなくて、病院に来て、処置を受けたが、それでも止まらず・・・)  そのあと、意識が無くなって、分からなくなった。  (でも、意識の無いなかで、わたしは、夢を見たんだわ。演奏会でヴァイオリンを演奏していて、気持ちが良くなった。段々と、気持ち良さの度合いが強くなって、わたしは、男の人とセックスより気持ちがいいと、感じた、わたし、まだ処女なのに、どうしてあんなこと、感じられたんだろう)  そこまで、思い出して、しおりは顔を赤らめた。    輸血で、容体は好転した。出血も収まり、しおりは、翌日退院できた。 母の康子は、この事件以来、以上に神経質に、しおりに注意するようになった。  「怪我は絶対にしないように気をつけるのですよ。血を出さないように。転んだりしないように。危ない遊びをしてはいけないわ。乱暴人とは、付き合ってはいけません。学校からは、真っ直ぐ帰るんですよ」  注意は際限なく続いた。  そして、しおりは、毎日、決まった時間に、錠剤を飲むことを要請された。それは、赤い丸い薬で、飲むと胃を傷めるような気がして、しおりは、厭だった。だが、毎食後飲むように言われて、素直なしおりは、それに従った。  しおりは、まったく、体力に自信が無くなった。  (わたしは、三十歳まで生きられるかしら)  気が弱くなった。いくら、薬を飲んでも、しおりの顔色はいつも白く、病的だった。夏になると、友達が、カラフルな水着姿で、プールや海に行くのを、しおりは、羨ましそうに見ていた。  「夏の熱い日差しの中に出るのは、あなたの身体に良くないわ」  母の康子には、外出を止められていた。  酷暑のなか、部屋に閉じこもって、エアコンを効かせていても、暑い。仕方なく、冷たいものを飲みたくなって、しおりは、冷蔵庫のカルピスの瓶を取り出して、長いファッション・グラスに入れ、水で薄めようとした。何時もは、飲み物は、厚みのある愛用のカップで飲むのだが、この日は、それにアイス・コーヒーが、入っていて、使えなかった。水入れをファッション・グラスに向けたとき、手が滑ってグラスの縁に落ちた。グラスは、縁が欠け、しおりの左手の人指し指と親指を切った。  じわりじわりと、血がにじんできて、指の先を紅く染めた。しおりは、急いで、バンド・エードを取ってきて、指に巻いたが、血は、止まらなかった。  しおりは、焦った。次ぎに。包帯を厚く巻いてみたが、それでも血はしみ出てきた。母の康子は、用事で出掛けていて、夕方まで帰らない。父も仕事で会社に行っていた。家にはしおりしかいなかったから、しおりは、厚く包帯をしたまま、失血で、徐々に、気分が悪くなるのを、ベッドに横たわって、耐えていた。それでも、日が落ちるころになって、最悪の気分になり、意識も徐々に薄らいできた。そして、分からなくなった。  康子が、帰宅して、二階のしおりの部屋に直行したのは、いつもの彼女の習慣に従ったまでだが、いつも、元気なしおりの姿を見て、安心するのに、この日は違った。  ベッドの上で蒼白になって、意識を失っているしおりを見つけ、康子は、直ちに、救急車を呼んだ。  救急車は、十五分程して、到着した。しおりは、何時もの病院に緊急入院した。   4  しおりが、救急治療を受けて、症状が回復し、病室で寝入っているときに、母の康子は、主治医に診察室に呼ばれた。  「お嬢さんですが、どうも、だんだん、症状が悪化しているようですね。そこで、薬を変えて、今度は、錠剤を溶かして、注射するものにします。その前に、ここでは、輸血で、回復を待ちますが、やはり、血液の凝固因子がないのですから、それを外から補給する手しかないでしょう。いまは、良い薬が出来ていますよ」  主治医はそういった。  康子は、その言葉に従うしかなかった。  「そうですか。入院せずに、家で自分で注射できるのでしたら、それに越したことはないですね。そういう便利な薬があるのなら、ぜひお願いします」  そういって、病室に帰ってきた。  何時ものように、入院は短かった。二日ほど、入院して、しおりは家に戻ってきた。 退院の時に、医師が言った血液製剤をひと月分受け取って、看護婦から注射の仕方の指導を受けた。  (毎日、一度の注射がしおりの命を、永らえてくれる)  家人はそう信じていた。しおりも、そう信じた。  そして、その、薬剤を使用しながら、しおりは高校を無事、卒業した。  大学は、音楽大学を選んだ。なにより、命の拠り所だったヴァイオリンをもっと学びたかった。新しい薬剤のお陰で、しおりの活動範囲は広がっていたし、身体も軽快に鳴っているような気がした。  (とても、演奏家にはなれないけれど、ヴァイオリンがなかったら、わたしは、生きていなかったかもしれない。生活の張りあいだし、わたしの生きる意味でもあったのだから)  そう考えて、しおりは、音楽大学を選んだ。  学生生活は楽しかった。友人もたくさん出来た。それに少し、化粧のしかたやお洒落も覚えた。ファッションにも興味が出てきた。おいしいケーキやお茶をする場所も決まって、しおりの学生生活は、充実していた。  大学での、ヴァイオリンの練習は、厳しかった。だが、着実に技術が上達しているという手応えがあったから、充実していた。難しい曲を一曲ずつマスターしてみると、また新しい曲に、挑戦する意欲が、湧いてきた。  そして、徐々に、レパートリーが、増えていった。学友たちとの合奏も楽しかった。しおりは、サークルにも入った。身体不自由な子供たちへのボランティア活動を行っている社会福祉のサークルで、しおりは社会の弱者への温かい目を養った。  (この子たちには、未来がある。命の火が燃え尽きることなど、考えていないわ。わたしのほうが、先に死んでしまうかもしれないのに)  奉仕活動をしながら、しおりの頭にそういう回想が浮かばないときはなかった。だが活動の間は、そういう考えを捨てて、打ち込むことができた。子供たちの世話をしていると、全ての心配事を忘れることができた。  (わたしの命が燃え尽きても、この子たちは、生きていく。それが、人の命の素晴らしいところね)  しおりには、その優しい心を、この子供たちに、全身で向かわせる事が出来ることが楽しく、嬉しかった。  (わたしは、この子たちに、命の力を与えられ、精気を吹き込まれている)  そういう充実感が、しおりにこの活動を続けさせた。  四年間の大学の生活は、そうして、実りの多いものとなった。  卒業のコンサートで、しおりは、交響楽団の一員として、第一ヴァイオリンを担当した。卒業生の父母の見守るなかで、行われたそのコンサートは、見事なアンサンブルで聴衆を魅了した。  卒業成績は、いつものしおりのように、真ん中から少し上くらいだったから、とても一人立ちして、プロの演奏家にはなれそうもなかった。同級生の多くは、教職の免許を取って、音楽の先生になった。残りは、オーケストラの団員になったり、楽団に加わって、生活を立てることになった。  しおりは、そのどの道も取らなかった。  「わたしは身体が弱いし、仕事続けていく体力がないわ。だから、家にいて、子供たちに教えたい」  一人娘の申し出に、両親は、いやもおうもなく同意した。  しおりは、家の玄関にワープロで買いて、  「ヴァイオリン、教えます」 と、看板を出した。  そして、ワープロで、パンフレットもつくり、エレクトーン・ハウスや楽器店に置いてもらった。  生徒は、すぐに集まった。近所の小学生がまず、やって来た。それは、しおりが、小さいころに、ヴァイオリンを始めたのと同じ同期ときっかけだった。  五人ほど生徒が、確保できて、月収は十万円くらいになった。半年ほどすると、しおりの優しい教えかたが、評判になって、生徒は、二十人に増えていた。みんな、小、中学生で、しおりの家は、学校の延長のようだった。  しおりには、楽しい日々が続いた。遠くに通勤することなく、自宅で待っていればいいのだから、身体は楽だったし、教える時間以外は、自由だった。レアッスンが、ない時は、母の康子とともに、料理を作ったりした。しおりはケーキ作りを研究して、かなり上手くなった。作ったケーキは、子供たちのおやつに出した。評判は上々だった。そういう、心尽くしが、また、評判を呼んで、生徒は断らなければならないほど、やって来た。  そんな、生活が、二年ほど続いた。  三年目の夏に、しおりが、手作りのケーキを、皆に配ろうと、ナイフで切っていたところ、手が滑って、左手の人指し指を切った。  始めは、滲んでいただけの出血は、いくら止血しても止まらなくなり、しおりは、また、ベッドの上で、意識を失った。    しおりは、母の康子に付き添われて、行きつけの病院に緊急入院した。  医師は、また、輸血で応急処置を取ったが、しおりは、それでも、意識が回復しなかった。止血剤と栄養液が混合されて、点滴が行われた。  しおりは、その晩中、昏睡を続けたが、心電図や呼吸を監視する機械のグラフは正常だった。  医師は、  「体力が弱っているので、ぐっすり眠ることが、一番でしょう。栄養を取って、眠れば、体力は回復しますよ」  そう言って、康子を慰めた。  そして、念のために精密検査をすることにした。  しおりの血液が採取され、検査に送られた。  翌朝、康子の寝ずの看病の甲斐もあり、しおりは深い眠りから寝覚めた。  だが、熱を計ると、依然、高熱が続いていた。食欲もなかった。  しおりは、意識のない中で、夢の中を彷徨っていた。  それは、最初に、側の中を流れていく愛用のヴァイオリンの光景から始まった。  ーー しおりは、流されていくヴァイオリンを、必死で追い駆けていた。川は、幅が五メーター位の狭い川幅だったが、流れは早く、しおりは土手の上走らなければならなかった。なぜ、そこにヴァイオリンが流れているのかは、分からない、だが、とにかく流れるヴァイオリンを、しおりは、声を上げて追いかけていた。  「わたしのヴァイオリンが、流れていくよー」  大声で叫びながら、追いかけていた。すると、流れの先に流木や草が積もった澱があり、そこに、ヴァイオリンの首が引っ掛かり、止まった。しおりは、手を差し延べて、そこから、ヴァイオリンを取り上げようと、身を乗り出した。土手の上に乗っていた体重が、川の方に移動し、しおりの体は、川の方に傾いた。そして、足の方から、川に落ちて、流された。  流れは急だった。しおりは、頭を上に上げて、息をしようともがいたが、急流は、しおりの身体を、容赦無く、下流に運んで行った。水が、鼻や口から入ってきて、苦しくなった。手足をもがいて、流れに逆らおうとしても、無理だった、しおりは意識を失った。  そして、数分、しおりは、土手の上に横たえられていた。だれかが、通りかかって、掬い上げてくれたらしい。しおりは、人口呼吸をされていた。気が付いたしおりは、  「わたしのヴァイオリンは」 と叫んだ。ヴァイオリンは流されてしまっていた。だが、命は助かった。瞼をあけると、母の顔が、目の前にあったーー。  そうして、しおりは、深い眠りから目覚めたのだった。 5  一週間後に、検査の結果が出た。医師は母の康子を診察室に呼んだ。  「実は、これは、お母さんにだけ、申し上げますが、しおりさんの血液検査の結果が出ました。しおりさんは、HIVヴィールスに感染していることがわかりました」  「HIV・・・・。それは、なんですか」  康子が聞いた。  「いわゆる、エイズのヴィールスです。人免疫不全症候群ヴィールスです」  「エイズというと、あのエイズですか」  「そうです」  康子は、目の前が真っ暗になった。転倒しそうにうなるのを必死で、堪えた。  たしかに、そういう事態を予想しないではなかった。しおりが、血友病に症状を呈するようになってから、ここの病院で「良い製剤ができたから」と錠剤を渡され、それをしおりは、常用していたが、康子には、少しく、危惧の念があった。なんでも、その製剤は血液から出来ているという。しかも、国産とはいえ、原料は輸入の血液らしい。米国では、血液感染による、エイズの蔓延が、社会問題になっていた。  (血液で感染する病気と血液製剤には関係がないのかしら)  康子は、密かにそういう危惧を抱いたことがあった。  それが、いま、現実になった。康子は、聞いた。  「でも、娘はまだ、異性との関係はないはずですが。まだ、処女だと思います」  医師は、考え込んで、こう言った。  「それは、一概には言えないでしょう。性体験が全ての原因とは言えません。それにそうだとして、お嬢さんが全てをお母さんにお話しになっているとは言えないでしょうね」  康子は、侮辱されたような思いがした。私としおりとの母子の関係を、十分に知りもしないで、よくそう断定的に物事を言い切ることができるものだ。しかも、しおりに、そういう体験があるという疑いまで、わたしに持たせようとするなんて。康子は胸がむかついたが、理性で抑えて、こう言った。  「血友病の治療に使っている製剤が原因なのではないですか」  医師は、少し考え込んで、  「いや、その安全性は確認されています。薬で発症する確率は極めて小さい。わたしは、それが原因だとは思いません」  康子には、それ以上の質問の材料も気力もなく、黙ってしまった。  「ヴィールスが、検出されたといっても、直ちに発症するわけではありませんから、今後は、十分体力を付けて、規則正しい生活をするよう心掛けてください」  医師は、そういって、「エイズ宣言」の会見を打ち切った。  康子は、病室に帰る途中、「これをしおりに、伝えるべきかどうか」迷った。  そして、当分は、伝えないでおくことに、決めた。そして、診察室に引き返して、  「先生、本人には、このことは、秘密にしておくことにしたいのですが」 と相談した。  医師は、  「けっこうです、こちらもそういうことで、スタッフにも伝えておきます」  そう請け負った。  康子は、病室に戻って、しおりの顔を見た。症状は、軽快に向かっているようで、顔色も赤みが差してきていた。意識も回復し、しおりは、天井を見つめていた。  「しおりちゃん。やっと、目を覚ましたのね。大丈夫よ。お母さんがいますからね。しっかりしてね」  康子は、掛け布団の下に手を差し入れ、しおりの手を握った。しおりの手は冷たかった。だが、握り返す力は強く、康子はその握力を感じて、すこし、安心した。  「お母さん、いつも、すみません。わたしのことで、子供のころから、いつも迷惑を掛けて。もう一人前の大人なのに、いつまでも心配掛けてすみません」  しおりの瞼から、光ったもの一筋が尾を引いて、流れ出た。康子は、持っていたハンカチで、その流れを拭った。  「しおりちゃん。大丈夫よ、お母さんが付いていますからね。しっかり、頑張って、元気になるのよ。これまでも、頑張って、元気になったじゃない」  「そうね、でも今度は、本当に、もう駄目になってしまうような気がするの。わたし変な夢も見たし」  「どんな夢」  「わたしの愛用のヴァイオリンが、流されて、無くなってしまったの」  「そう、でも、それは、夢よ。あなたのヴァイオリンは、家にちゃんとあるわよ」  「夢だけならいいのだけれど」  「そう、夢は夢。現実には、あなたは、こうして、生きているし、ヴァイオリンもあるわ」  「そうね、夢は夢ね。現実じゃないんだわ」  「そう、こうして、お母さんがあなたのそばにいるのが、現実なのよ。大丈夫よ」  しおりは、瞼を閉じ、安らかに眠った。  康子は、その寝顔を見ながら、自分の両の目頭が熱くなってきたのを感じた。さきほど、しおりの目頭を拭ったハンカチを、自分の目に当てて、溢れようとする、涙を止めた。  (どこまでも、不幸な子なのだろう。この子は。出来るなら、今すぐに、身体を入れ換えて、変わってやりたい)  自らの人生の長さと、娘の将来の時間を考え合わせて、康子は、耐えきれない気持ちになって、病室の窓から空を見た。  空は、茜色が差し、今にも日が西の果てに落ちようとしていた。  (こうして、毎日が、確実に、回ってくるのに、しおりには、毎日が、命を擦り減らす時間になるのだ)  そう考えて、康子は、これからの一日一日を、娘とのかけがいのないものにしていこうと、心に誓った。 6 折茂藤一郎のヴァイオリン・レッスンは、順調に、その成果を上げていた。先生の吉野りかは最初に宣言したとおり、厳しかったが、その厳しさは、成果に繋がった。  藤一郎は、言われたとおりに素直に、練習に励んだ。  (もう、人生で、失うものはない)  そういう、居直りがあったから、どんな苦労にも耐えられた。問題は、病気による体力の低下で、負担が増えることだったが、ガン宣言を受けて以来の抗ガン剤の効果もあって、体調は悪くなかった。  入院して始めのころの生活は、健康だった日頃の生活とそう変わりがなかった。藤一郎には、週に一度のレッスンが待ち遠しかった。なにしろ、吉野りかは、若く、女性としては、花の盛りの二十台後半だったから、この女性に会うだけでも、人生の最後を彩る意味があるように思われた。  暇なときには、藤一郎は、病床で想像の世界に遊んでいることも多かった。そんな空想の世界に、このヴァイオリンの先生が、登場することが多くなった。  いつも、吉野りかは、イコンのマリアの姿やボッチチェリのヴィーナス誕生の画の中のヴィーナスの姿や時には、ミロのヴィーナスやレオナルド・ダ・ヴィンチのマドンアの恰好をして登場した。それらの姿の頭の後ろには、必ず、光の輪があった。  藤一郎が、その輪を見ようとすると、光は閃光になって、目を射た。藤一郎は、目がくらみそうになって、目を閉じると、いつも、現実に引き戻されるのだった。  ある日、ヴァイオリンのレッスンが、あった日に、その後で見た夢は、今も忘れられない。  ーー 藤一郎は、山を登っていた。何という山かは分からない。ただ、姿、形からすると、富士山のような気がする。それとも、同じような形をした名もない山かもしれない。たった、一人だった。時間はもう、十二時近くで、太陽は、頭の真上にあった。藤一郎のすがたは、四国へ行く巡礼の姿だった。手には、六根しょうじょうの木の棒を持ち、頭から白い頭巾を被っていた。来ているものも白ずくめで、足には草履を履いていた。  もう相当登って、山の中腹に来た。登山道の中腹で、皆が休憩するのか、そこには小さな広場があり、木で作った長椅子も設置されていた。藤一郎は、そこで、休むことにし、持ってきた水筒から、蓋にあけて、熱いお茶を飲んだ。そうして、視界の良い下界を眺めていた。  (はるばると、良くこんなに高くまで登ってきたものだ。下の町があんなに小さく見える)  遙かに広がる風景を眺めている、藤一郎が坐っていた長椅子の端に、若い女性が腰掛けるところだった。その女性は、。  「すみません。ここあいているでしょうか」  か細い声で、声を掛けた。  「はい。もちろんです。あいていますよ」  そんなことから、話が弾み、此処までの途中の山道の話をしたりして、気持ちが打ち解けた。そして、  「ご一緒しませんか」  藤一郎がそう声を掛けたのに、女性も応じ、さらに頂上を目指して、ともに登ることに話が纏まった。  女性の足取りは、遅かった。  「わたしは、身体が弱いので、マイペースで行きますから、先に行ってください」  そういうのを、  「いいえ、わたし急ぐ道ではありませんから。それより、そんなに身体が弱いのに、一人のあなたを残していくほうが、心配だ」  そう断って、同道した。  しかし、八号目くらいに、登ったところで、女性は、とうとう、息が上がり、座り込んでしまった。  「もう、先に行ってください。わたしは、もう、無理です。ここで、休んで、体力が回復したら、また、登りはじめます。だめなら、引き返しますから」  そろそろ、日も落ちはじめたので、藤一郎は思案した。  (ここに、置いていってしまえば、わたしは頂上に登れる。しかし、この人は、どんなにか、心細くなるだろう。一緒に下山したほうがいいかもしれない)  そう考えて、  「では、一緒に、元気になるまで待ちましょう  そう申し出た。  当然のように、女性は、  「それでは、申し訳ない。一人でも、頂上を目指してください」  泣きそうになりながら、そう訴えた。  そして、  「頂上に行って、私の分まで、山頂の神様にお祈りしてきてください」  そう懇願した。  藤一郎は、ジレンマに陥った。  (行くべきか、いかざるべきか)  考えた見たが、  (やはり、思い立って、始めた登山だ。頂上を究めなければ、意味がない)  そう決断して、一人で登山を続けることにした。  頂上には、日のある家に到着した、藤一郎は、そこで、山頂の神様に女性の分までお祈りしたあと護符も買い、女性が登って来ないか、と待っていた。一時間待っても来ない。しかたなく、下山を始めた。途中、先程の場所で、再会することを期待したが、すでに、女性はいなかった。  藤一郎は、落胆して、麓に着いた。  そして、山頂方面をみると、山に上に、大きな雲が出ていた。西に傾いている太陽の光を受けて、その雲は明るく輝いていた。雲は山頂から真っ直ぐ上に立ち上がり、上部で丸くなり、人の顔のように見えた。その顔をじっくりと、見やった藤一郎は、愕然とした。それは、吉野りかの丸い顔そっくりだったからだ。その顔は、没していく落日の最後の輝きを受けて、黄金のように輝いていた。後ろから、光が差し込み、顔の回りを日輪の形で、囲んでいるのも見えた。  藤一郎は、  (これは、女神だ。神様の姿だ)  しみじみと感じいって、確信した。  (あの女性は、この女神に導かれて、無事に下山したに違いない)  そう、安心したので、張っていた気持ちに、急に、緩みが出た。  どっと疲れ切が出て、バス停のベンチに横になって、バスを待っていると、眠くなって、うとうとしはじめたーー。  そして、ハッと目覚めたとき、目の前には、良子の見慣れた顔があった。  (夢のなかの若い女性に比べ・・・・)  藤一郎は、そう呟いたが、良子には聞こえなかったらしい。          7  町田しおりは、「エイズ感染」の宣言を受けたが、発症はしなかった。出血が止まらず入院した病院は、一週間で退院した。  しかし、自宅に帰ったしおりは元気がなかった。ヴァイオリンの生徒は、やって来たが、レッスンに身が入らない。どうしても根気が続かず、教えかたも、おざなりになった。一週間ほど、努力して、続けてみたが、しおり、  (これでは、やって来る生徒に申し訳ない)  と考え、一月ほど、休むことにした。  自室に籠もって、ゆっくり、静養するつもりだったが、母の康子の様子が、以前とは違うのに気が付いて、しおりは、思考の渦のなかで、煩悶した。  (いつも、母は、冷静にわたしに対してきたのに、何か変だ)  そう気がついたのは、しおりが、  「すこし、熱がありそうなの」  と、言って、早めに休んだ日の夜だった。  康子は、二階のしおりの部屋にやって来て、氷嚢やお絞りをベッドの脇に置き、体温計を、差し出して、  「これで、体温を計りなさい」  と言いながら、しおりの額に手を当てた。  その手の動きが、自信なげで、弱々しかった。  なにか、腫れ物を触るような手付きで、恐る恐る手を差し延べているようだった。  しおりは、そう感じたが、口には出さなかった。ただ、  (母さんが、なにか変だ。気力がない感じだ)  そう思って、心に止めた。  翌日、しおりの熱は少し下がったが、まだ、だるかった。朝食を食べる食欲もなく、ただ、康子が持ってきた熱いミルクだけが喉を通った。  その日も一日、寝ていて、起き上がる気力はなかった。そういう、身体の不調は、それから、五日間ほど、続いた。  少し、身体に力が再生したのを感じたのは、しおりが寝はじめてから、六日目の土曜日だった。解熱剤と、ぶどう糖注射が聞いて、身体の芯からエネルギーが、湧き出るのを感じた。  元気になっても、しおりは、今回のように高熱が続いたのは、初めての経験だっただけに、自分の身体が、どうなったのか、疑問が湧いた。  それに、それまで使っていた血友病の治療のための錠剤が、依然と変わっていた。  (母さんの態度もおかしかったし、ひょっとして、何か、重大な病気に罹っているのではないかしら。母さんは、知っているんだわ。わたしに隠している)  そういう、疑問が、確信に変わるのには、そう時間が掛からなかった。  康子が、氷嚢を替えに部屋にやって来たとき、しおりは、直截に聞いた。  「ねえ、母さん、わたし、なにか重大な病気に罹っていない」  康子は、娘のその質問に、たじろいだ。心の用意のないところへ、いきなり、ボールが飛んできた。それでも、康子は、年の効と母親として娘に対してきた経験から、すぐに、体勢を建て直して、  「そんなことはないわよ。あなたは、軽い血友病なのは、分かっているでしょう。こんど、お薬が変わったのが、影響して、熱が出たのではないかしら。きっとそうよ」  と、強い言葉で、答えた。そして、きっとした表情で、部屋を出ていった。    康子は、心臓が張り裂けるかと思った。  (やはり、娘は聞いてきた、うすうす、気が付いているのかもしれない。今回は、どうにか、繕ったけど、そうそう、隠しきれないだろう。いつか、必ず、言わなければいけないときが来る。その時のために心の準備をしておかなければ)  康子は、下の階の茶の間に坐って、考え込んだ。  しおりに、宣言を伝えるには、父親とも相談しなければならないが、夫の雄一は、福岡に単身赴任して、二年になる。しおりのことは、電話でおりにふれ、相談しているが直接に会って話し合わないと、話が通らないこともあった。雄一は、留守宅のことは康子に任せきりにしている。康子も、夫が仕事に打ち込みためには、それもしかたないと諦めていた。  (こんかいも、わたしの判断で、やっていくしかないだろう)  康子は、いつものように、自分だけでこの事態を乗り切ることにした。  (いつまでも、嘘をついているわけにはいかない。しおりも大人なのだし、知らせてやったほうが、本人のこれからの人生のためにも、良いことだ)  康子は、そう心に決めた。そう決めてみると、胸のつかえが、すーっと降りたようで爽やかな気持ちになった。  (病院では、口止めをお願いしたけれど、家では、そう決めたのだから、その方針でいく)  そうしても、  (わが娘は、力強く生きていくだろう)  そういう、確信があった。    だがそれは、母の過信だった。  娘は。それほど自らの生命の危機に泰然としていることが出来るほど、強くはなかった。  しおりは、自分の病気の症候が変化したのに気付いていた。  単なる出血がなかなか止まらないだけではなく、微熱が続き、咳が止まらず、だるいという症状は、風や肺炎の症状に似ていたが、身体を温かくして、休め、十分に睡眠を取っても、完治するという感覚がまったく、なかった。かえって、症状は悪化していき朝起きるのが辛く、何事もやる気が出なかった。  しおりは、  (これ、風邪ではない。もっと、なにか違う病気だ)  そう感じるようになっていった。  それから、しおりは、病気を勉強した。そして、行き当たったのが、アメリカの医学雑誌に載った「HIV=エイズ」の記事だった。それは、血液の非加熱製剤によるエイズ感染の危険性について、アメリカ公衆衛星局の研究者が、警告を発していた記事だった。  しおりは、その危険性が、ピタリと、自らにも当てはまると分かって、戦慄した。疑問は疑惑となり、肯定となって、確信に変わった。  そして、母の康子が、二階に食事を持ってきたとき、  「わたし、エイズ何でしょ」  そう、ぶっきら棒に、聞いて、康子を慌てさせた。  それでも、康子は、既に、  (嘘をつかずに、本当のことを包み隠さず話そう)  と心に決めていたから、  「そうよ、なぜ、分かったの」  と平然と接した。  そんもあと、長い沈黙があった。康子はそれを永遠に感じた。  しおりは、目を閉じていた、そした長い沈黙のあと、  「わーっつ」  と大声を上げて泣きだした。それは、康子が今までに聞いたことのないよな、激しい慟哭だった。  「どうすればいいの、わたし。死んでしまうのよー」  「わたし、まだ、死にたくないわー」  何度も何度も、同じ台詞を繰り返し、泣き、繰り返し、泣いた。  康子は、茫然として、娘のその姿を見ていた。  「もう、何も、したくはないわ。なにもかも、いらないわ。生きて居てこそ意味のあるものは、なにもいらない。だから、神様、私の命を助けて」  しおりは、完全に、常軌を失っていた。  そして、少し、落ちついたとき、部屋の隅の楽器置場に行って、ヴァイオリンのケースを掴み、  「これを、売ってきて」  と康子に差し出した。康子は、素直に受け取り、頷くしかなかった。  康子は、翌日、神田のヴァイオリン専門店に出向き、「S.M.」のイニシャルが入ったしおり愛用のヴァイオリンを手放した。             8  吉野りかは、夢に出てくるほど、藤一郎の心を捕らえたが、藤一郎は、そんなことは、おくびにも出さなかった。だから、二人の関係は、あくまでも、ヴァイオリンの先生と生徒と言う関係だった。  生徒が、先生を好ましく思えば、何事も、吸収は早い。藤一郎の上達も、先生に目を見張らせた。  「このお年で、お身体も万全でないのに、よくここまで、頑張りましたね」  そう、りかが、言ったのは、レッスンを始めてから、半年程、立ってからだった。  すでに、初歩の練習曲は終え、中級の入口に入っていた。童謡はかなり弾けるようになり、いよいよ、西洋の音楽家の練習曲に取りかかる時期に達していた。  「さあ、そろそろ、楽しくなってくるころですね。練習すれば、するほど、手応えがありますからね。しっかり頑張ってください」  りかは、そう、勇気付けた。  りかは、気丈な女性だったから、藤一郎が、時折、腹に差し込むような膵臓の病に特有の痛みを訴えても、始まった練習をやめたりはしなかった。そういう時、藤一郎は、りかを女神ではなく、魔女のように思えたが、苦労して弾き終えた時の  「良くできました」  の一言が、欲しくて、必死で頑張ってしまったりした。  藤一郎の身長は、百七十センチあったが、りかも百七十センチはあり、女性としては大柄だった。それに、身体の肉も引き締まって良く着いており、胸を大きかった。最初は、構えを教わったとき、その胸が藤一郎の身体のそこそこに触れ、藤一郎に病気を忘れさせた。それに、りかの身体からは、えも言われぬ香りが、した。  それは、若草が燃えるときのような処女の香りだった。  藤一郎は  (りかは、男を未だ知らない)  そう確信していた。  (だからといって、わたしが、初めての相手になるということではないが)  そう考えると、自分の病気の身体が、無念だった。  (おれだって、もう少し、若くて、しかも健康なら)  そんな妄想が、生まれたこともある。  りかは、そんな藤一郎の頭のなかの動きを、知らないように、大胆に振る舞った。  季節が春から夏に差しかかり、人々は、冬の衣装を脱ぎ捨て、軽やかな装いになっていったが、りかも、それまでのセーター姿から、ブラウスやティー・シャツ姿で、やって来た。仕立ての良い絹の薄いブラウスの下には、胸を寄せてあげる最新型のブラジャーをしていたから、素晴らしいシルエットの胸を見せつけられて、藤一郎は、目のやり場困った。だが、それを意識しないで、みせているところが、いかにも、怖い物しらずの男性未体験の女性の証拠のようにも思えて、藤一郎は、その処女性に感嘆しないではいられなかった。  (そう、りかは、処女の聖母、マリアさまだ。わたしにとって)  残り少ない、命を、こういう女性と過ごせることに、藤一郎は、感謝した。  藤一郎のヴァイオリンの腕前は、長足の進歩をした。真夏の熱さのなかでも、エアコンの効いた病室での練習は、苦にならなかったが、問題は、徐々に弱まってきた体力だった。  そんな、ある日のレッスンのあとで、りかは、  「もうここまで、弾けるようになったのですから、そろそろ、本物の演奏者の演奏を聞いてみるのもいいでしょう」  そう言って、プロの演奏家コンサートに誘った。  藤一郎は、行きたかったが、医師の許しが出るかどうかが、問題だった。  良子を通じて、医師の意向を聞いたところ、  「藤一郎さんの思い通りのことをしてあげてください」  医師は、残り少ない命を、充実させていくことに心を配る末期医療の推進者だった。 医師の許可が出て、藤一郎は、その人生で多分、最後になるであろうコンサートに出掛けることになった。 9 町田しおりは、母の康子から「エイズ宣言」を聞かされて、一時、動転したが、そのショックはそう長くは残らなかった。  五日もすると、しおりは、元気を回復した。それは、若さ故の立ち直りの早さとも思えたが、しおりのなかの気持ちは、そうではなかった。  しおりは、考えた。  (そういう不治の病になった以上、残された運命を精一杯生きていこう)  そして、  (こういう病になったのは、わたしの力ではどうしようもない、運命なのだ)  そういう風に思うと、無念で、悔しかったが、自責の念は消えた。  (すべては、わたしの責任で、どうにかなるものではない)  何かをしたいと考えるころの一人の女性にとっては、それは、諦めの敗北宣言のようにも考えられるが、しおりは、そういう運命を避けることので来ない定めと受け取るしかないと、腹を決めた。  では、これからを、どう生きればいいのか。いつ燃え尽きるかもしれぬ命を抱えて、どう生きていけばいいのか。  (これが、ガンのように、余命幾日と分かっていれば、生きようもあるのに)  そんなことも、脳裏に浮かんだ。  だが、いずれにせよ、長い命ではないのは、確かだ。  (わたしが、生まれたのは、なんのためだったのだろう)  それは、当然の疑問だったが、それに対する答えは、一つであるわけがない。  (神様は、人一人ずつの運命を、命の長さを、どうやって決めるのだろう)  世の中には、世間に迷惑を掛けるだけ掛けて、長生きをする人もいるし、何も悪いことをしないのに、いや、する以前に、亡くなってしまう子供もいる。  (その別れ道はどこにあるのだろう)  そう考えても、答えなどあるはずもない。  そして、しおりは、  (人の命は、人の性の善悪で決まらない)  という当たり前の答えを得て、愕然となった。  (ということは、人は善悪の前に、全て平等なのだ。悪い人も良い人も、死の前ではみな、平等なのだ。お金持ちも、貧乏人も、死んでしまえばみな同じ)  愕然とした気持ちが、収斂して、そういう、昇華さえた気持ちに変わった。  (何歳まで生きようが、結局は、人は死ぬ。死なない人はいない。長く生きても死ぬまでの人生が充実しているか、いないかは、その人の内面の問題だ。短くても、満たされていればいい)  しおりの思考は、その領域にまで達した。  そこで、母の康子から「宣言」を聞いた最初の日に、逆上して、愛用のヴァイオリンを売ってしまったのが、悔やまれた。  だが、いずれにせよ、もう。ヴァイオリンは弾けない。それだけの体力も、気力もない。そのことだけは、確かだった。  (でも、聞いて楽しむことは、まだ、出来る)  しおりは、そう、思うと、無性に、だれかの演奏を聞きたくなった。  しおりは、康子にねだって、コンサートにいくことにした。  「母さん、少し、体調が良くなってから、わたし、演奏会に行きたい」  康子は、その申し出に、喜んだ。  「いいわよ、しおりの好きなようにしなさい。わたしが、チケットを手に入れるてくるから」  康子は、しおりに、好きなことをさせてやる積もりだった。血友病もエイズ感染も、この娘の責任ではないのだ。責任のあるのは、この母と父と、そして、非加熱製剤を放置した国や製薬会社なのだ。  (どうして、この娘のしたいことを妨げる理由があるだろうか)  康子は、チケット入手に奔走し、前端貞子のヴァイオリン・コンサートのA席の券を手にいれた。それは、酷暑の八月に東京で開かれる、この世界では稀な真夏の演奏会だった。           10  高く登った太陽が、ぎらぎらとした光線を容赦無く、地上に投げ掛けていた。道を行く人々は、汗ばんだシャツやブラウスが肌にへばりつく不快な感覚を堪えながら、足早に通り過ぎていた。  池袋駅の西口にある東京芸術劇場の一階の大きなホールは、これから、始まる来日演奏家のコンサートに集まった聴衆で溢れていた。  そこに、折茂藤一郎が、妻の良子と一緒に姿を表したのは、焼ける太陽が西の空に落ちて行きはじめた午後の四時ころだった。藤一郎が目指したのは、二階の小ホールで開かれる予定の前端貞子の「真夏のヴァイオリン・コンサート」である。  藤一郎は、既に半年に及ぶ療養生活で、体重がげっそり減り、運動も儘ならないため筋肉の力も減少していたが、歩くことは出来た。だが、元気だった時のように、さっさと言うわけには行かず、一歩一歩を踏みしめるような歩きかただった、藤一郎の歩みを良子が脇で支えていた。  大ホールの中は、エアコンが効いていたため、熱いなかを歩いてきた藤一郎と良子、中に入って、ホッと溜め息を付いた。そこは、外の猛暑に比べれば、天国だった。隅にある軽食コーナーで、冷たいコーヒーを頼み、椅子に坐って、一息いれた。  「さあ、ここで、少し休みましょう」  良子に誘われる儘に、椅子に腰かけた藤一郎は、ゆっくりと味わいながら、良く冷えた褐色の液体を味わった。  「やっと、やって来たね。僕には、最後のコンサートなるだろうが」  「そんなことは、ないわよ。何回でも、こられるわ。あなたさえ、頑張って生きてくれれば」  話は、どうしても藤一郎の残された時間の方に向いてしまう。  良子は、そういう会話に、始めのころは、随分気を使ったが、いまでは、そう神経質ではなくなった、藤一郎が、それを当然のこととして、受けいれる姿勢になっていることが、その原因だった。  コンサートの開始時間は、午後五時である。二人は、三十分前に、ホールに入り、自分たちの席を探した。すでにホールは、三分の一位が埋まっていた。  席は、一階の真中の最高の席だった。二人は席に座り、買ってきたプログラムを読んでいた。  藤一郎の隣の席が、二つ開いていた。列も半分くらいが埋まったが、隣の二席は、開いたままだった。  (どんな人が来るのだろうか。いい人ならいいが)  藤一郎の胸の内には、かすかに、そんな思いが過った。  (いい人ならいいが)  そう思ったのは、若いころ出掛けた演奏会で酷い目に会ったことがあるからだ。  やはり、ヴァイオリンの演奏会だったが、藤一郎の隣席には、若いカップルが座り、開演前から、盛んに世間話や二人の親密な会話を楽しんでいた。演奏が始まれば、収まるものと藤一郎は考えたが、それは、はかない期待に終わった。カップルは、会話をや止めず、しかも、男のほうが、演奏家や楽曲の解説を始め、藤一郎は辟易した、だが、遠慮深い藤一郎は、文句も言わずに耐えた。終了後、残ったのは、  (何故、注意しなかったのか)  という後悔と、折角の演奏会を、乱された不快感だけだった。  だから、藤一郎には、「隣の席にどのような人が座るか」は、かなり重要な問題だった。  隣の席に女性の二人連れが座ったのは、演奏が始まる十分前だった。様子から、母と娘の風だったが、あまり話をしないので、関係はハッキリとは分からなかった。  ただ、藤一郎側の席に座った娘と思われる女性の顔色が、異常に悪かったのが印象に残った。  母と娘はプログラムを読んでいた。藤一郎もプログラムに目を落として、開演を待った。  そうするうちに、開始時間が来て、前端貞子が舞台に出てきて挨拶した。さっそく、第一曲目の演奏が始まった。  一曲目は、サラサーテの「チゴイネルワイゼン」だった。このポピュラーな楽曲を第一曲目に持ってきたところが、このコンサートの性格を物語っていた。  「真夏に、気楽に楽しく、ヴァイオリン音楽を」、というのが、そのコンセプトだった。夏のこの季節には、涼しい長野県で「サイトウ記念フェスティバル」などが開かれる。熱い東京でのコンサートは、珍しいだけに、「ヴァイオリン音楽を、もっと、幅広く広めよう」という前端の姿勢が、よく現れている選曲だ、と藤一郎は納得した。  一曲目が終わって、会場は拍手の嵐に包まれた。そして、二曲目は、藤一郎が期待していた「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」だった。その甘い、流れるようなメロディーに、会場はうっとりとなった。フォルテはあくまでも力強く、ピアノはどこまでもか細く。めりはりがくっきりと付いた演奏は、やはり、名人のものだった。  (もう、何回、この女性はこの曲を弾いたのだろうか)  藤一郎は、密かに考えた。  (もう、何百回だろう。そうでなくては、こんなに情感を込めて、激しくまた静かに弾けるものではない)  三曲位目は「チャイコフスキーのニ長調作品35」。これも、名曲だ。  その第二楽章を、前端が弾きはじめたとき、隣の席の娘のほうの若い女性が、  「あっ」と小声を上げて、身を引いた。  母親が娘の方を見て、差し出された左手の人指し指を手に取った。そこには、赤い血が滲んでいた。  「わたし、手を切ってしまった。プログラムの紙の端で」  「大変だ。止血をしないとね。医務室に行きましょう」  母親は、しんと水を打ったようなホールで、動いて聴衆に迷惑を掛けてはいけないという配慮をする間もなく、席を立って、後ろの扉から、出ていった。  娘は始めは、ハンカチで、指を縛って止血をしていたが、なかなか、止まらなかったらしい。見る見るうちに、白いハンカチは赤く染まり、娘は次のハンカチを用意しようとしていた。その緊迫した表情を見ていて、藤一郎は、自分のハンカチを取り出して、 「これを使ってください」  と差し出した。目を閉じて、椅子にもたれ掛かっていた娘は、目を開けて、  「はい、すいません。有り難うございます」  と、頭を下げて、受け取った。そして、そのハンカチを左指に巻いた。  母親が、係員を連れてきた。係員が、娘の両脇に回って、肩を貸し、娘は肩に両手を掛けて、立ち上がった。そして、係員に身体を抱えられて、ホールからでていった。  そのとき、娘にハンカチを指差して目配せされた母は、藤一郎にむかって、振り返り 「どうも済みません。あとで、必ずお返ししますから、連絡先とお名前を教えて下さい」  と。申し出た。  良子が、持っていた紙に住所と電話番号と名前を書いた。  母親はそれを受け取ると、  「これは、私どもの連絡先と名前です」  と言って、小さな女性用の名刺を差し出した。  それには、「ヴァイオリン教授、町田さおり」  と書いてあるのが読み取れた。  その母と娘が、出ていってから、そとで救急車のサイレンが響いたが、完全防音のホールの中には聞こえなかった。  演奏会が終わっても、二人は席に戻らなかった。  アンコールの演奏も堪能して、藤一郎と良子は、ホールを出た。  「素晴らしい演奏だったね」  藤一郎の感想に、良子は、  「そうですね。一緒に来て良かった。最後になるかもしれないし」  「そうだな、良い思い出が出来た」  演奏途中で起きた、隣の席の出来事は、もう、すっかり忘れていた。  二人は、満ち足りた気持ちで、病院に帰ってきた。                11  それから、一カ月が過ぎた。藤一郎のヴァイオリンのレッスンは、ますます順調だった、だが、それと反比例するように、体力と食欲は衰えていった。  もう、秋の気配がしはじめていた九月の上旬のその日に、良子は午後やって来て、  「これが、家に届いていたわ」 と、一通の手紙を、藤一郎に手渡した。最近は、すっかり、世間との繋がりも切れて、届く郵便類は現役の頃に比べて、激減していたから、良子が持参したその手紙は、久し振りのお土産だった。  手紙を裏返して、差し出し人を見た。そこには、町田康子という署名があった。その名前に、藤一郎は心当たりがなかった。良子も知らなかった。もう、嫉妬を感じる夫婦の間柄でもなかったし、その年でもないから、若いころのように、夫に届いた女性名の手紙にも、良子は、淡々としていられた。だが、義務のようなものを感じて、  「どなたなのかしらね。その方」 とだけは、聞いてみた。  「知らんな。この名前は」  そう言って、藤一郎は、手紙の封筒の頭を破いて、中身を取り出した。中身は数枚の手紙だったが、一番下から、一万円札が出てきた。  その手紙には、こうあった。    ーー 拝啓   熱さが徐々に和らぎ、過ごしやすい季節の訪れも、すぐそこに感じられる今日このごろとなりましたが、ご健勝にお過ごしのことと、ご推察申し上げます。  さてあ、私は、先日、東京芸術劇場で行われた前端貞子のヴァイオリン・コンサートで、お隣の席で鑑賞していて、途中退場した町田しおりの母です。  あの節にお世話になって居ながら、こうして、このように遅くまで、ご挨拶が遅れ、誠に失礼したしました。  さて、娘のしおりは、あの後、救急車で近くの病院に運ばれ、救急処置の結果、止血に成功し、一命を取り止めました。しおりは、以前から血友病の持病があり、治療をしておりました。そして、その際に使用した血液製剤のために、不治の病に罹り、自宅で療養中でしたが、病気にやや小康状態が見られたため、「幼いころから習ってきたヴァイオリンのコンサートに行きたい」と言いだし、あの演奏会に出向いた次第です。  そして、あの様な不足の事故に会ったわけです。あのとき、貸して頂いたハンカチは本来なら、お返ししなければなりませんが、血液で汚れたうえ、そのような血液系の病気の患者が使ってしまった物ですから、そのままお返しするのは、失礼と考え、新しいハンカチを買って頂けるよう、申し訳ありませんが、お金を同封いたしましたので、御受領くださいませ。  なお、しおりは、現在、救急病院から、血友病の治療では伝統のある都内M病院に転院し、治療に専念しておりますので、本来なら本人がお伺いして、直接、お礼申し上げるなければならないところを、母がなりかわって、お礼の書状を差し上げました。失礼の段、くれぐれも、宜しくお許しください。  凌ぎ易い季節にはなってまいりましたが、まだまだ、残暑が続きます。くれぐれもお身体にお気をつけになって、ご活躍ください。取り合えず、ご挨拶で。                                かしこ  折茂 藤一郎さま                     町田しおり母、康子   ーー  藤一郎は、書状を読んで、「都内M病院」という記述に、釘付けになった。それは、まさしく、彼が、今、入院生活を送っている、この病院だったからだ。    その日は、レッスンの日だった。藤一郎は、「S.M.」のイニシャルの残ったケースから、ヴァイオリンを取り出し、練習を始めた。その音色は、真昼を迎えようとしていた病院内に、心地よく流れていき、人々の耳を向けさせた。藤一郎がレッスンを始めたころは、個室を締め切って、なるべく、他の人たちの迷惑にならないように気を使っていたが、段々、上達するにつれ、その演奏を他人に聞かせたいという気持ちも手伝って、たまには、ドアをあけたまま練習をすることもあった。それを聞きつけた患者のなかには、  「聞かせてくださいよ。味気ない入院生活の潤いになります」  と言ってくれる人もいた。  そんなこともあって、調子がいいときには、皆に、音楽をプレゼントするつもりで、演奏した。それは、藤一郎には、病院内の小さなコンサートでもあった。  二階の病室の窓からも、メロディーは流れだした。冷房ばかりでは身体に良くないと、たまに、窓を開けて空気を入れ換えていたが、練習のときには、そのほうが気持ちがよかった。だから、音が部屋にこもらないようにするということもあって、窓は、開けていた。藤一郎の小コンサートの楽曲の音色は、二階の窓から、外に流れ、庭を潤して、一階の病室にまで流れ込んだ。  藤一郎の病室の真下の一階の病室に、町田しおりは入院していた。  入院以来、毎日のように、昼頃になると聞こえて来るヴァイオリンの音色に、しおりは、何か聞き覚えがあるように、感じていた。それは、心を和ませる音色だった。長い間、親しんだ、音のようにも感じた。  しおりの病状は、悪化しないまでも、改善の兆候はなかった。「エイズ・ウィルス」は、静かに確実に、しおりの身体を浸食していっていた。  身体は辛く、気持ちも日々に暗くなっていったが、昼時に聞こえるヴァイオリンの音色が、彼女の気持ちをいつも、持ち直させた。  (今日も、一日、生き延びてやる)  そういう、力をあたえてくれるような気持ちがした。  だから、その音が聞こえてくるのが、待ち遠しかった。  (今日は、昨日より上手かしら。毎日確実に良くなっていくのを聞くのは気持ちがいい)  しおりは、自分の練習を思い出していた。  (わたしも、上達が実感できたときは、充実感があった)  そういう気持ちが、その音色への、さらなる関心を呼び覚ました。  (だれが、弾いているのかは知らないけれど、上手下手を超えて、一生懸命なことが伝わってくるわ。音にも気持ちが出るものなのね)  それは、新しい感動だった。そして、消えていくかもしてれない命を持った自分が、そういう感動を得られるのだということが分かって、また、  (命の火を燃え尽きさせてはいけない) と心に誓うのだった。  (本当に落ちつくわ。あの音色を聞いていると)  そういう満たされた気持ちになって、うっとりとし、午睡を取るのが、しおりの快適な毎日の過ごしかたになっていった。   12 その音色は、毎日、確実に聞こえてきて、週に二回は、レッスンのためか長かった。そのレッスンの度に、わずかかながらに上達していくのが、しおりにはよく分かった。 しおりは、心のなかで、その上達を応援した。  だが、しおりの病状はそのヴァイオリンの音の進歩に反比例して、下降していった。十月の秋の盛りには、高熱が止まらず、身体中に斑点ができて、痒かった。息をするのも苦しく、呼吸も浅くなって、しおりの病室には、酸素吸入機がいれられ、雑菌への感染を防ぐために、ビニールのテントが張られた。  しおりは、そのビニールのテントのなかで、薄らいでいく意識を必死に鼓舞して、毎日、十二時近くに聞こえてくる、ヴァイオリンの音を聞いた。  しおりは、思っていた。  (このヴァイオリンの音が、聞こえてくるかぎり、わたしの命は、燃えつづける)  そう信じて、毎日のヴァイオリンの音を、心待ちにして聞いた。  時々、薄らいでいく意識のなかで、それを演奏している人のイメージを瞼に浮かべることがあった。  それは、演奏の力強さから、男性だと思われた。そして、丁寧な音の動きから、相当年齢の行った人だとも感じられた。  (どんな人が演奏しているのだろう。入院患者なのかしら。それとも、医師か看護婦か)  そんな疑問も湧いたが、それを知ろうとは思わなかった。ただ、同じ時間に同じ音色の演奏が聞こえてくれば、それで、満足だった。  しおりの病状を医師は、  「かなり、危険な状態」  と康子に話していた。康子は、覚悟して、いつか訪れるであろう娘の最期の日を、泰然と迎えたいと、心に決めていた。それは、医師によれば、  「そう遠くないだろう」  とのことだったが、しおりは、酸素を付けはじめてからも、驚異的な生命力で、命の火を燃やしつづけていた。  冬になっても、その状態は変わらなかった。しおりの症状は、悪化もせず、改善もしない平穏期に入っていた。  ヴァイオリンノ音は、確実に、昼頃に聞こえてきた。それは、実際、時計よりも正確に、昼時を伝えた。しおりは、それを耳にすると、顔に精気が溢れ、生きる勇気が湧いてくるのを感じた。  (今日も聞こえてきた。わたしは、生きていける)  そう信じて、一日一日を生き長らえていた。  「母さん、あのヴァイオリンが、わたしを生きながらせてくれているの。おの音が聞こえてくるかぎり、わたしは、死なないわよ」  体調がいい時に、しおりは、康子に話しかけた。  「そう、よい音色ね。しおりは、あの楽器のために、一生を掛けてきたような物じゃない。それが、こうして、あなたに生きる息吹を吹き込んでくれている。大丈夫よ、まだ、生きられるわ」  康子は、娘にこういう偶然の機会がやって来たこと、神に感謝した。娘が愛用のヴァイオリンを投げ捨てて、売りに出したときのことを、忘れられなかった。  しおりは、言った。  「ねえ、この音、わたしが持っていたヴァイオリンの音と良く似ているでしょう。ほんとうに、あの音色とそっくりよ。上手になるに従って、わたしが、弾いていたころに似てきた。ますます、わたしの物になってきた感じがする」  「そう、あなたのものね。あなたが、元気に、弾いている姿を思い出すわ」  康子は、優しく、娘の顔を見つめながら、そう呟いた。    十一月頃までは、その音色から、確実に上達しているのが分かった。週二回のレッスンも丁寧に行われていた。  だが、十二月になると、上達の停滞機に入ったのか、同じ演奏が、何度も繰り返された。週二回のレッスンも単調になった。  しおりの症状も、それにつれて、変化があった。上達期には、悪化の一途を辿っていたのだが、そのヴァイオリンの音が、単調になってからは、むしろ、改善していった。 世の中は師走を迎え、慌ただしかったが、そんな世間の様子とは、別天地のように、病室でのしおりの生活は、規則正しく、昼には、確実に、昨日と同じヴァイオリンの音が、聞こえてくるのを、待っていた。  そして、それは、そのとおりに、昨日とまったく変わらぬ音色で聞こえてきた。時間も調子も、大きさも全く同じだった。  それを聞いて、しおりは、安心する。  (今日も、また、昨日と変わらず、わたしは、生きていける。明日も、今日と変わらず生きていける予感がする)  そういう気持ちを支えに、しおりは、生きていた。 そして、そういう規則正しい生活が効を奏して、しおりの症状は安定から、改善に向かった。それは、医師が、  「これは、奇跡としか言いようがない。わたしたちも、もともとそう経験豊富な病気ではありませんが、改善の傾向を示すことは、ないと思っていたのに、珍しい」  と舌を巻くほどの顕著な改善だった。  「ねえ、母さん、わたし生きる勇気が、身体の底からわき上がってくる気がするの。あのヴァイオリンの音が、続くかぎり、わたしは、生きて行けるんですもの」  康子は、その音色が毎日、欠かさず、聞こえてくるように、願った。少なくとも、この改善が続き、しおりが元気になるまでは。  しおりは、寝たきりだったから、その音が何処から聞こえてくるのか、疑問には思っても、突き止めることは出来なかった。しかし、康子は、入院患者や看護婦にも知り合いが出来ていたから、その音の基を訪ねることは出来たはずだった。だが。康子は、そうしなかった。  (もし、音のもとを突き止めても、それで、その音が聞こえなくなってしまったら、意味がない。そっとしておいて、毎日、聞こえてきてくれたほうが、しおりのためだ) そういう考えが、占領していた。  看護婦や医師は、知っている筈だった。毎日、同じ音を聞く、入院患者も知っているはずだった。だから、だれが、このしおりには、どの様な治療にも増した効果がある毎日の演奏をしているのか、知ることはたやすいことだったが、康子は、あえて、調べようとはしなかった。  しおりの症状は、さらに、改善して、正月を迎えることには、歩くことが出来るようになり、一時帰宅も話題に登る程だったが、しおりは、ハッキリとした口調で、それを断った。  それは、もし、この病室を離れてしまえば、  (あの、命の音色は聞かれなくなる)  という恐れからだった。  ということは、どんなにしおりが、良くなっても、あの音がなければ、直ちに、病状が悪化するという事態も予測されたが、康子は、そういう考えにとらわれることなく、ただ、病院で、正月を迎えたいというしおりの気持ちを大事にして、そうすることにした。  演奏は、正確に、大晦日にも、元旦にも行われた。それは、いつもと寸分も変わらず、時間も長さも調子も同じだった。  そのことから、しおりに、ある疑念が生じた。 13 「母さん、少し、変なの」  しおりは、康子に気掛かりになっていることを、確かめたかった。  「なんなの」  康子が、聞き返した。  「あの、わたしの、命の糧になっている昼のヴァイオリン演奏ね。この頃は、いつも同じ様で、神秘歩がないの。いつも、同じ、演奏のようなのだけど」  「そうかね、わたしは、気が付かなかった。あなたは、毎日、耳を済まして聞いているからね。聞いているときのあなたは、幸せそのものよ」  「そう。あの演奏がわたしを、勇気付けてくれて、ここまで、回復したんだわ。あの演奏が、わたしを生き長えらせているのよ」  「それで、なんなのだい」  「だから、ここ一ヵ月、あの演奏に変化がないのよ。どうしたのかしら。それを知りたいの」  「それなら、来てみれば、すぐ分かるわよ。これまでは。遠慮して、詳しくは聞いてみなけど、看護婦さんに聞けば分かるんじゃないの」  「でも、分かってしまうのは、良くないことなのかも知れない。これまで、だれが、どうして、弾いているのかわからなかったから、こうして毎日、聞いて来れたんだわ。天の神様の励ましの演奏だと思って」  「それなら、知らないほうがいいかもしれないね」  「そうね、でも、最近、なにかあったのは確かだわ。上達が止まったみたいで、変わりがないんだもの」  会話は、堂々めぐりを始めた。  しおりが、真実を知りたがっているのは、明らかだった。康子は、訪ねてみれば、分かる、と思ったが、これまで、長い間、そうすることもなく、静かにその演奏を聞いてきて、突然、訪ねてみるのも、厚かましいのではないかという、躊躇もあった。  康子は、人に尋ねることなく、演奏者が誰かを知る方法はないかと考えた。そして、それは、そう難しいことではないと、思い至った。  (そう、演奏が行われる時間に、音の元を辿って行けばいいのじゃない。わたしが、行ってみればいいことだ)  そして、翌日のその時に、音源を見つけに行くことに決めたが、しおりには、言わなかった。  翌日の昼頃に、そん演奏が始まったとき、康子は、しおりの病室出て、音を頼りにその方向に向かった。  しおりの病室は、一階の南向きで、この病棟の一番東側にあった。廊下は病室の北側にある。その廊下に出て、康子は、西に向かい、この棟の中央部にある看護婦ステーションの前に来た。康子は、余程、看護婦さんたちに、その音の元を尋ねようとおもってが、折角、自分で探索しようと、心に決めたのに、そうしては、もとも子もないと、考えてやめにした。  看護婦ステーションの前は、エレベーターホールになっていて、そこに対面して三機ずつのエレベーターのドアが、あった。そこで、康子は、登りのボタンを押して、上がってくるエレベータを待った。  暫くして、エレベーターが到着し、康子は乗り込んで、まず三階のボタンを押した。エレベーターは、上昇して、三階に止まった。康子は、降りて、左に行き、また左に曲がって、しおりの病室の真上の位置にある、病室の前まで来た。  そこは、整形外科の病棟で、ギブスをしたり、身体中に包帯をした入院患者が居たがヴァイオリンを弾いている様子はなかった。  康子は病室内まで入り、窓際に立って、耳をそばだてた。ヴァイオリンの音は、下から聞こえてきた。  康子は、病室を出て、こんどは、エレベーターホールの裏側にある階段を使って、二階に降りた。そして、やはり、しおりの病室の真上の位置にある病室まで、行って、その部屋に入ろうとした。しかし、そこは、鍵が掛かっていて、開けることが出来なかった。康子は、仕方なく、ドアーに耳を近付けて、内部の音を聞いた。たしかに、あのヴァイオリンの演奏音は、その部屋から聞こえてきていた。  しかし、入ることは出来ない。  ドアーの前で、うとうろしていると、白衣の看護婦さんが、こちらの様子を伺いながら、やって来るのが、見えた。  その若い看護婦は、康子に近寄ってきて、  「その部屋は、開きませんよ。院長から、厳重に、入らないように言われているのです」  そう言った。  康子は、その断定的な言い方に、なにか、聞いてみようという勢いを削がれたが、それでも、一度、しっかり息を飲み込んでから、  「この中から、ヴァイオリンの演奏が聞こえてきますね。だれか、演奏しているのですか」  そう聞くのが精一杯だった。  「そうですか、わたしには、そんな音は聞こえませんが」  看護婦は、ドアに耳を寄せて、聞き耳を立てた。  「やはり、聞こえませんね。ほら」  看護婦に促されて、康子も再び、ドアーに耳を寄せたが、確かに、もう音は消えていた。  「でも、確かに、聞こえていたんですよ」  康子は、疑問を呈した。若い看護婦は、康子の必死の問い掛けに、なにか感ずることがあったのか、  「では、ちょっと、看護婦室で聞いてみましょう」  そう言って、ナースステーションに、向かった。  (あの看護婦さんは、このフロアの担当ではないのかしら)  康子がいぶかりながら待っていると、もう少し、年取った、ベテランらしい、看護婦が、やって来て、  「わたしは、このガン病棟の婦長ですが」  と名乗った。  「この部屋に入っていいですか」  康子は、尋ねた。  「いえ、いけません、この部屋は、あるかたが貸しきっていて、絶対に他人を入れるな、と命じられています。わたいたたちも入れないのです。入れるのは、院長と特別の許可を得た親戚だけです。担当医は院長ですし、看護婦も外部から来た専属の方がいらっしゃいます。病院の中なのに、おかしいですよね」  康子は、狐に摘まれたような気持ちになった。  (病院内にこのような特別の部屋があるなんて、どういうことなのだろう。なんだかわからないわ)  しかし、それ以上、粘っても埒が明かないことだとわかって、康子は、お礼を言い、その場を離れて、一階のしおりの病室に帰ってきた。  (こうなれば、院長さんに聞いてみるしかないわ。しおりにとっての、命の音の訳を知るのは、そのお陰で回復したしおりには、当然の思いだもの。はっきりさせてやった方がいい)  康子は、知りたいという欲求が、ますます強くなっているのを、感じていた。  それは、  (しおりの回復のお礼を言いたい) という気持ちが、なせる意思だった。    翌日、康子は、院長に面会を申し込んだ。  院長は、忙しかったが、夕方に一時間ほど、時間がとれた。  康子は、院長室の入口で、約束の時間が来るのを待った。  「どうぞ中へ」  という声に促されて、院長室の中に入って、勧められたソファに座った。  院長は、既に六十歳を大分行った年頃の人の良さそうな男だったが、患者の母親が突然、会いたいと申し込んできての面会だけに、何事かと、身構えている気配があった。 「ところで、どの様な、お話ですか」  院長は、座っている康子の、真正面に座って、そう聞いた。  「はい。実は、わたしは血友病で、エイズに感染していると診断された町田しおりの母の康子と申します」  「それは、存じております」  「それで、しおりは、診断では、絶望的と思われたのですが、ここへきて、とみに体力を回復し、立って歩けるほどになりました」  「それも、知っています、お嬢さんは、本当に、われわれの常識では考えられない回復を見せている。これは、奇跡といっていいほどですよ。こういう、回復のありかたは医学の常識を覆すものです。ほんとうに、素晴らしい」  「それで、その回復の原因なのですが、実は、しおりは、毎日、昼頃に聞こえてくるヴァイオリンの音色に、勇気付けられて、生きる力を回復したのです。そのヴァイオリンの音が、続くかぎり、わたしは死なない、というのが娘の信念です、それが、ますます、強くなって、確信になり、病気を跳ね返しているのです」  「そうですか。そういうことがありましたか」  「そうです。それで、その演奏をしれくれているかたにお礼を申し上げようと、昨日二階に行ってみましたが、部屋には鍵が掛かっていて、入れませんでした」  「二階の部屋ですか」  「そうです、あの部屋は、院長さんしか入れないと聞きました」  「そうです。そこまで、お聞きになっているのですか。そうですか」  「そうです。あの部屋には何があるのですか」  康子は、問い詰めるような口調になって、性急に聞いた。  「それなら、もうお話ししていいでしょう。それはこう言うことです」  院長が話しはじめた。            14  それは、こういうことだった。  ーー その病室に入っていたのは折茂藤一郎という人です。折茂は、わたしの同郷の出身で、大学まで、一緒だった親友です。彼は、一昨年、十一月に、うちの病院で、「膵臓ガンのため、余命一年」の診断を受けました。それ以来、彼は、残された自分の人生をどう過ごすか、必死で考えましたが、思い当たったのは、「悔いないように、したかったことをしておこう」ということでした。  彼は、「自分がしたかったこととはなにか」を考えました。すると、小さいころの思い出が、浮かんできて、「おれは、ヴァイオリンを弾きたかったのだ」と思い至ったのです。それから、彼のヴァイオリンの練習が、病院で始まったのです、われわれもその練習を許可しました。かれは、必死になって、練習し、先生によると、上達度は素晴らしいものだったということです。レッスンの日は、当然、他の病室内に音が聞こえましたが、医師も看護婦も入院患者も皆、理解して、その音を聞きながら、密かに、心で応援し、彼を励ましたのです。  かれは、長足に進歩しました。昨年の夏には、病状は、限界まで悪化していましたが演奏できるレパートリーも五つに増え、「勉強のため、体調がいい日に、プロの演奏会に行ってみたい」と言いだしたのです。われわれは、かれに、余生を思いどおりに送って貰いたいと思っていましたから、当然、許可を出しました。そこで、彼は、隣の席の女性に関心を持ちました。なぜなら、その女性が、突然、出血して気を失って、倒れ、緊急入院したからです。かれは、そのとき、持っていたハンカチを使ってくれるように、手渡しました。  そして、かれは、また、病院で練習に余年がなかったのですが、少し経って、その女性の母親から、お礼の手紙が来て、その女性が、血友病という病気に罹っていることを知りました、しかも、その女性は、この病院に入院していたのです。  それから、かれは、その女性の入院している部屋や、病状を、奥さんに調べさせ、しおりさんが、自分の病室の真下の一階に入院していると知って、その偶然の成せる技に驚きました。そかも、しおりさんは、なにか、重大な病気も併発していて、生命が危ういという。また、もとヴァイオリニストだったことも分かりました。  そのころ、わたしが、回診に行くと、かれは、言いました、  「わたしは、ヴァイオリインの演奏が上手くなってから、誰かに聞いてもらいたくて仕方なくなりました。大きなホールで沢山の聴衆を前に演奏するのも、いいですが、わたし望みは、たった一人でもいいから、わたしの演奏を気に入って、聞いてくれる人がいればいいのです。そして、そういう人が、わたしにも出来たようです」  それは、一階下の病室で、闘病していた、しおりさんのことだったのです。  かれは、こうも言いました。  わたしが練習していたヴァイオリンは、中古で手にいれたものですが、そのケースに「S.M.」のイニシャルがある。これは、この町田しおりさんの頭文字を同じだ。僕は、きっと、この人の物だったのだと思う。そう信じている、だから、頑張りたい」  そう信じて、頑張っていましたーー  康子は、そこまで聞いて、質問した。  「その手紙は、戴きました。折茂さんが、その人だったのですか。毎日、弾いてくれる。それで、折茂さんのご病状はいかがなのですか」  それは、喉の奥に引っ掛かっていた疑問だった。 院長は、暗い表情をして答えた。 「昨年十一月に亡くなりました」  康子は、怪訝な表情になった。「  「それなら、いまでも、聞こえている演奏は」  「ああ、それなら、なぜ、あの部屋が鍵を掛けられて入れんないようになっているのかを、説明しないといけない」  「ぜひ、聞かせてください」  ーー 折茂さんは、亡くなる前に、わたしにこう言いました。  「そろそろ、わたしもお暇の時が来たようだ、なにも思い残すことはないが、一つだけ気掛かりなことがある。それは、下の病室に入院している町田しおりさんのことだ。話に聞けば、わたしの毎日の演奏を心待ちにしていて、それを張り合いに生きているという。わたしが、死んで、演奏が聞こえなくなったら、彼女も気を落とすだろう。病気は気力だから、気力が落ちれば、命に差し支えないとはいえないだろう。そこで、わたしは、考えた。わたしが亡くなってからも、演奏が聞こえるように擦ればどうすればいいか。良いアイデアがある。それは、テープに録音しておいて、毎日決まった時間に再生できるようにするのがいいだろう。わたしは、その装置を用意した。それを病室に置いておくから、彼女元気になるまで、病室はこの儘にしておいてほしい。これが、わたしの最期のお願いだ」  その言葉を残して、彼は、息を引き取りましたーー。  聞いていた康子は、目頭が熱くなってくるのを感じたが、それを拭わずに、言った。 「そんな方が、しおりを見ていてくれたのですか。亡くなったあとまで、生きる勇気を与え続けてくれたのですね」  「まあ、そういうことでしょう。ですから、わたしたちは、それらの事は、秘密にしておきました。それが、折茂の遺志であったし、遺言とも言えるものでしたから」  康子は、しおりが、エイズ感染を知って、投げ捨てた愛用のヴァイオリンが、こんな人の繋がりをつくったのだと思うと、人の世の縁の不思議さを感じないではいられなかった。  「そのヴァイオリンは、間違いなくしおりのものだと思います。音色もその儘でしたし、しおり自身がそう言っています」  「それで、実は、わたしは折茂君のしおり宛の手紙も預かっているのです。いつか、事情が知れたときに、渡してくれと言われました」  院長は、部屋の隅の棚に入っている手金庫を開け、中から、一通の書状を取りだし、康子に渡した。それは、封がしてあり、表書きは、「町田しおりさま」となっていた。康子は、それを預かった。  康子は、院長室を辞去した、帰り際に院長は、  「あの、演奏は、まだ、続けたほうがいいでしょうね。しおりさんが、完治して、退院できるまで」  院長は、元気づけてくれた。  康子は、黙って頷き、  「お願いします」  と頭を下げた。  (と言っても、いつになるか。なにしろ、しおりは一度、エイズを発症しかかったのだ)  そんな思いを抱きながら、病室に帰り、さおりに預かってきた手紙を渡した。    しおりは、手紙を受け取って、  「何かしら、知らない人からの手紙だわ」  と訝ったが、封書を開け、目を凝らして中の文面を追った。    ーー 初めてお便りを致しますが、わたしは、あなたの病室の上の二階に入院しているもので、折茂藤一郎と申します。あなたが、毎日、私の拙いヴァイオリンの演奏を心待ちにしてくださっている、と風の便りに耳にし、大変嬉しく思っています。  あなたは、まだ、ご存じないかもしれませんが、わたしは、夏に行われた前端貞子のヴァイオリン・リサイタで、隣に座り、あなたが、不足の事態に遭遇したとき、ハンカチを渡したものです。その後、母上から丁重なお礼の手紙を頂き、あなたが、わたし同じ病院に入院しているのを知りました。  そして、あなたが、すぐ下の病室に居て、わたしの下手たな演奏を心待ちにしていて下さることも看護婦さんらの話から知ることが出来ました。  それを、知って以来、私には生きる張り合いが出来ました。わたしは、命に限りのある病を患っていますので、どこまで、この演奏を続けることができるか、分かりませんが、生のあるかぎり、頑張ってみたいと思っています。あなたに生きる力を与え、わたしの分まで生きて欲しいと思います。  それから、わたしの使用しているヴァイロリンは、神田の専門店から入手したものでケースに「S.M.」のイニシャルが書いてあります。それは、しおりさんのイニシャル同じなので、ひょっとして、あなたが手放されたものではないかと、思っています。 わたしは、ずっと、毎日の演奏を続ける積もりです。あなたも、この音が聞こえるかぎり、生きていけると信じて、いてください。  お元気に回復されることを、お祈り申し上げますーー。    手紙は、しおりの健康回復を願っていた。  読みおわったしおりは、康子に、手渡しながら、  「本当に、この世には不思議なことがあるものね。あのヴァイオリンが、ここにあって、知らない人が弾いていた、しかも、その人は、夏のコンサートの時に、隣の席に座っていて、わたしを助けてくれたなんて」  「そうね、それが、貴方に生きる息吹を与えて暮れているのだから」  「わたし、この方にお会いして、お礼を言いたいわ」  「そうね、それがいいでしょう。でも、もう少し、元気になって、自由に歩くことが出来、出来れば、退院の許可が出るころにね」  「そう。そうしないと、この方にも申し訳ないわ。元気な姿をお見せしなければ」  「もう少しで、そうなるわよ。春も近いし」  「春になったら、元気になれるかしら」  季節は春の盛りに向かっていたが、しおりの病状は、小康を保ったまま、そう変わらなかった。  そのある日、二階の閉じられた病室に鍵を開けて入っていく人影があった。  その影は、窓際に向かい、そこにおいてあるステレオ装置のカセットテープ・プレーヤーカセットを取り出し、持ってきたカセットと入れ換えた。  新しいテープは、ヴィヴァルディの「四季」から、「春」の演奏が入っていた。それは、折茂の演奏ではなかったが、ヴァイオリンの練習の上達度から、そろそろ、折茂が、取りかかってもいいレベルの楽曲だった。  昼にそれまでの同じ曲から、変わったのを聞いたしおりは、  「母さん、折茂さんが、また、ステップを上がったわ。あれな、「春」よ。私が大好きな曲。わたし、死なないわ。ずっと生きていく。絶対、死なないわ。生きていけるわよ」   康子は、窓の外を見た。  冬の間、ひっそりと孤高に立っていた桜の木の蕾が、花を付けはじめていた。                        (終わり)    聞いていた由美の感想は、  「人生には、色いろなことが起きるのね。いいこともあるし、悪いこともある。楽しいことも、不幸なことも。そういう人生を、どう生きていくか、それは、難問だけど、だから、生きる価値があるっていうものよ」 というものだった。達也は、感激した。  (そのとおりだ。苦しいことや、辛いことがある、それが人生だ。だから、生きる価値がある)  心に、温かい火が灯った。  トナカイの引くソリに乗ったサンタクロースが、ショウウインドーのなかから、二人に笑みを投げ掛けた。  デパートの入り口に、臨時の花売り場ができていて、人だかりがしていた。  色とりどりの冬の花が、売られている中に、 淡い赤色のシンビジュームの鉢植えがあった。  達也はその一鉢を買った。売り子の中年女性が、  「カードをお付けしますか」 と、念を押した。  「お願いします」  贈る言葉を書く小紙片とそれを入れる封筒とが、添えられた。  (「僕の愛する里子おばさんへ、達也」と書いても、卒倒しないだろうか)  由美は、  「私のフィービーちゃんは、いないのかな」 と、花の群れに目を凝らした。                                (終)