「人形の小屋」梗概
 
 一九九六年六月六日、キリスト教徒の「六が三つ続く不吉な日」に、北海道・稚内市に、多数の隕石の落下があった。市内には、ガソリンスタンドなどに計十六個が落下し、市内は、消防車が駆け回り、大パニックに陥った。北海道庁などから調査班が出動し、落下した隕石は、北海道大学で分析することになった。
 この隕石の落下ショウを、同市郊外の山中で、夜通し見ていた者がいた。それは、猟師小屋の主の平銃四郎だった。彼は、この夜空のショウを楽しんだ後、小屋の近くに落下した隕石を探し、その大きな一つを見つけ、小屋に持ち帰って、棚に飾っておいた。
 それから半年後、山は雪の中にあったが、町のハンター五人が、悪天候の中、道に迷い、この猟師小屋に避難して、一夜を過ごした。小屋の床には、平銃四郎のものと見られる死体があった。棚にはスが入った石が一個残っていた。
 さらに半年後、五人のハンターは、次々と体の異状を訴え、市の救急病院に運ばれて来た。症状は、左右の上、下肢が切断されて、分離しかかっているものが四人、あと一人は、頭部と胴体が分離しかかっていて、重体だった。分離は、付け根の部分が、溶解し、細胞組織が崩れてしまうという形で起きており、まったくこれまでには見られない症状だった。
 このため、この一体の遺体と、上、下肢の四つの部分は、札幌の北海道大学医学部病理学教室で、病理解剖に付されることになった。 解剖のために、これらは地下二階の遺体置場に保存されたが、その夜、そこで、身の毛もよだつ事態が進行して行った。それは、上、下肢が独自に活動を始め、うごめきあった後、保存棚の反対側の遺体棺に入れられていた頭部と胴体が分離した遺体に、近付いて、その四肢の上、下肢を溶解させ、代わってその部分に接着したのだった。すなわち、遺体の胴体に、他の人の左右の上、下肢四本が接合し、五人の体の部分を一体化した一人の人間の胴体が再生されたのだった。
 翌日、解剖の準備をしていた助手が、上、下肢が消失しているのに気がつき、教授に知らせた。教授は驚いたが、胴体と頭部が有るのを確認して、解剖を始めた。すると、その最中に、異変が起きた。部屋のガラス窓が突然、破れ、破片が飛び散っている最中に、頭部と胴体が接合し、一人の人間が再生され、歩いて逃走したのだ。
 緊急連絡を受けた北海道警察は、緊急配備して、逃げた「再生人間」の行方を追った。すると、パトカーが、札幌市内を歩いている不審な人物を発見し、包囲した。今にも、補足できるという間隔に包囲網が狭まった時、その男は、空に打ち上げられ空中で消滅した。
 では、男はどこに行ったのか。稚内市郊外のあの猟師小屋に、「瞬間移動」していたのだ。この「再生人間」は、死んだ平銃四郎に代わって、この小屋の主になった。そして、古い小屋の脇に新しい小屋の建設に取り掛かった。その新しい小屋は、壁に陳列棚のような棚が並び、その下に人間一人が入れるような収納箱が十数個、しつらえられた変わった構造をしていた。
 彼は、山の下を通っている道路のトンネルの入り口にトラップ(罠)を仕掛けた。最初に、デイト・ドライブ中の若いカップルが補足され、続いて、ファミリー・カーの四人家族が、「採集」された。
 これらの六人を新しい小屋の収納箱に収容した彼は、それらの「標本」をじっくり観察した後、衣服を剥ぎ取り、全裸にして、半覚醒状態にして、保存した。
 そして、その後、山に入って切り出した木を手にして、「人形」作りに取り掛かった。ナイフとノミを器用に使って、丁寧に作り上げられた「人形」は、「標本」の五分の一の大きさだったが、その姿は、完全にコピーされ、今にも動きだしそうに、リアルだった。 彼は、毛や肌にも凝り、実際に「標本」から採取して、使用した。後は、魂を吹き込んで、語らせることだけが残っていた。
 「標本」から「人形」は、新しい生体細胞が移転され、若返っていた。そのため、「標本」の細胞は、老化して死滅した。彼は、「人形」に号令して、活動を始めさせたが、人形達の記憶には、かつての自身の経験の記憶があり、それが、自意識を目覚めさせて、創造主であり、絶対の神だった彼を、殺害する行為に至らしめた。人形達は、神を否定して自由を獲得した。死んだ「標本」六体は、元の車に戻され、捜索願を受けて、行方を探していた警察に発見された。それらの遺体は、遺伝子DNAを含む細胞の核の部分が欠落していた。その司法解剖をした隣の北大理学部の標本室で新しい「再生人間」が、生まれようとしていた。 六体の「人形」は消えたが、クリスマスの町のショウウインドーのサンタが、話をしたのを、聞いた女の子がいた。